連載
posted:2023.6.28 from:北海道岩見沢市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、『みづゑ』編集長、『美術手帖』副編集長など歴任。2011年に東日本大震災をきっかけに暮らしの拠点を北海道へ移しリモートワークを行う。2015年に独立。〈森の出版社ミチクル〉を立ち上げローカルな本づくりを模索中。岩見沢市の美流渡とその周辺地区の地域活動〈みる・とーぶプロジェクト〉の代表も務める。
https://www.instagram.com/michikokurushima/
気持ちが落ち込んだり、疲れが溜まったりしたら、仕事場の庭に裸足で出て、
とにかく植物をじっと見ることにしている。
以前は、四季は同じように繰り返されると思っていたけれど、
庭の草花は、その年々でまったく違っている。
この仕事場を借りたのは4年ほど前。3軒が連なった長屋の1軒だ。
前の住人がいつまで住んでいたのかは定かではないけれど、
おそらく8年ほどは空き家になっていたのではないかと思う。
入居したその年はイネ科の雑草が繁茂していて、
夫がそれらを刈ってくれていたこともあって、
庭にどんな植物が根づいているのかはよくわかっていなかった。
借りた翌年、雪解けを過ぎてみると、チューリップやバラの芽が現れてきた。
ここにはもしかしたらいろいろな植物が植えられていたのかもしれないなと思いつつ、
目立って生えていたイネ科の雑草と、外来種のセイタカアワダチソウだけを
春先から抜いていくようにした。
以前に自宅の庭が、イネ科の雑草に覆い尽くされた経験があったこと、
またセイタカアワダチソウは根から毒素を出して
ほかの植物が育たないような環境をつくると聞いたことがあったからだ。
2年ほど、このふたつだけを抜くということを続けていたら、
ヨモギ、フキ、アカツメクサ(赤クローバー)などが、どんどん大きくなっていき、
それぞれが棲み分けをして、調和が生まれていったように思えた。
また、ところどころに、赤紫蘇やレモンバーム、ワイルドベリーなどを新しく植えて、
植物の種類を増やしていった。
だんだんと庭で過ごす時間が増えていって、
いつしか庭につけた小さな道を裸足で歩くようになった。
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あるとき疑問が湧いた。
イネ科の雑草とセイタカアワダチソウを排除しようとしていたけれど、
それが本当に必要なのだろうか?
きっかけは、今年の冬に美流渡で開催された上映会
『君の根は。大地再生にいどむ人びと』に参加したことだった。
この映画は、アメリカ、メキシコ、アフリカなど各国で
「リジェネラティブ(大地再生)」という世界観と出合い、
生態系のサイクルのバランスを取り戻そうと
農業・漁業・牧畜を行う人々のドキュメンタリー映画だ。
上映後は、この映画の日本語版制作に携わり、日本の大地再生農業の先駆けである
北海道長沼のメノビレッジ農場のレイモンド・エップさんと荒谷明子さんのお話があった。
ふたりの農場では、土を耕さずに、草は切らずに茎を折りながら倒し、
そのまま地面に切り込みを入れてタネをまくという方法を取っているという。
このトークのときにエップさんと荒谷さんに、
私は庭にイネ科の雑草が繁茂し過ぎているので、それを抜いているという話をした。
するとふたりは、刈り込みの方法など具体的に教えてくれ、
最後に「雑草はすべて、理由があってそこに生えているんですよね」と語ってくれた。
なぜ、そこに生えているのか。
おふたりの話から、自分なりに理由を考えてみたいと思い、
今年はイネ科の雑草とセイタカアワダチソウを抜かず様子を見守ることにした。
ゴールデンウィークになると桜が開花し、庭の植物たちはグングンと伸びていった。
予想と違って、イネ科の雑草とセイタカアワダチソウは、それほどたくさん生えてこなかった。
イネ科の雑草が現れたのは、庭の仕切りとなっているコンクリートブロックの脇と、
庭の中央につけた小道の脇だけ。
セイタカアワダチソウは、ほんの少しだけ、庭の外周に近い部分に生えてきただけだった。
この状況を見て思った。
イネ科の雑草の根は、細かい根がたくさん密集していて、
水をたくさん含むスポンジのような構造をしている。
もしかしたら土が乾きがちな道の脇や外周に生えて、
庭の水持ちを良くしてくれているんじゃないか。
また、セイタカアワダチソウは、多様な植物が生きられる土壌になってきたところで、
別の植物にその場をバトンタッチするようにできているんじゃないだろうかと思った。
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庭を観察していると、どれが雑草でどれが雑草ではないかの境目なく、
すべての植物が美しく感じられる。
少しだけ野菜を育てたりしたいなあと思い、庭の端っこに植えたりしているが、
できるだけその場を生かしておきたいと考えている。
その気持ちを、ここに生息する虫やカエルにも向けたいと思い、
今年は蜂の巣がいくつかできてしまったが、できる限り共存したいと思って、
いまは見守っている状態だ。
不思議なことだが、裸足で歩いても、虫にほとんど刺されない。
ハチにも威嚇されることもあまりなくて、ここには平和なムードが満ちている。
今年、前の住人が植えたであろう、菖蒲が立派な花を咲かせた。
周りの草をとっているわけでもないのに、復活してくれたのはなぜなのだろう?
苦しいことがあると、庭に出て端っこに野菜を植えたり、
ちょっとした手入れをしたりするとスーッと心が静まっていく。
原稿を書くのが遅い私は、1行書いては庭を眺め、
言葉に詰まったら外に出て言葉が出てくるまでぐるぐると歩く。
執筆よりも庭を見ている時間が長いくらいだ。
庭は自分の意識が拡張した分身のような存在に感じられる。
ここがあることで何度も救われている。
生きる活力が湧いてくる場所になっている。
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