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連載

函館市〈カルチャーセンター臥牛館〉
ビルオーナーとして
建築家がまちに関わる

リノベのススメ
vol.251

posted:2022.11.29   from:北海道函館市  genre:アート・デザイン・建築

〈 この連載・企画は… 〉  地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。

profile

Masayuki Togashi

富樫雅行

とがし・まさゆき●1980年愛媛県新居浜市生まれ。2011年古民家リノベを記録したブログ『拝啓 常盤坂の家を買いました。』を開設。〈港の庵〉〈日和坂の家〉〈大三坂ビルヂング〉で函館市都市景観賞。仲間と〈箱バル不動産〉を立ち上げ「函館移住計画」を開催し、まちやど〈SMALL TOWN HOSTEL HAKODATE〉を開業。〈カルチャーセンター臥牛館〉を引き継ぎ、文化複合施設として再生。まちの古民家を再生する町工場〈RE:MACHI&CO〉を開設。さらに向かいの古建築も引き継ぎ、複合施設〈街角NEWCULTURE〉として再生中。地域のリノベを請け負う建築家。http://togashimasayuki.info

credit

編集:中島彩

富樫雅行建築設計事務所 vol.8

函館市で設計事務所を営みながら、建築施工や不動産賃貸、
ポップアップスペースやシェアキッチンの運営など、幅広い手法で地域に関わる
〈富樫雅行建築設計事務所〉の富樫雅行さんによる連載です。

今回の舞台は、函館市十字街にある
〈カルチャーセンター臥牛館(がぎゅうかん)〉というビル。
建築家である富樫さん自らビルを受け継ぎ、
建物のオーナーとして、建築家として、まちのためになにができるかを模索するお話です。

まちを守っていくための新しいアプローチ

僕が臥牛館を引き継ぐことになったのは2019年7月のこと。
その日々を振り返ると今でも胸がゾクゾクします。

2011年に〈常盤坂の家〉を買って2012年に独立。
その後10年間で、新築住宅の設計が13件に対して、
リノベーションのプロジェクトには42件ほど携わってきました。

おかげさまで仕事も順調で、古民家のリノベーションでは、
コストを抑えつつセルフビルドやDIYがより円滑に進むように
施工も受けるようになりました。
打ち合わせに行っては図面をかいて現場を指揮して、というルーティーン。
土日の休みもなく夜中まで仕事をするような本当に忙しい日々でした。

2017年〈カネサ佐々木商店〉の復元リノベーション。

2017年〈カネサ佐々木商店〉の復元リノベーション。

常盤坂の家で自分自身がハーフセルフビルドを実践したので、
古民家を自分たちでリノベする施主の大変さは身に染みてわかります。
リノベやDIYって外から見ると楽しそうですが、実際には苦しさ9割、楽しさ1割くらい。
仲間と一緒に楽しく作業できるのはほんの一瞬です。

途中で挫折しそうになっても、あと戻りはできない。
それに耐えられるのか? 施主との打ち合わせではその人の適正を見極めながら、
おすすめできない人にはそのように伝えてきました。

そんな施主のみなさんの頑張っている姿を見ていると、
建築家として自分ももっと仕事以外にもなにか頑張らないといけない、
そんな気持ちになっていました。

そんな思いを抱えるなかで、もうひとつ考えていることがありました。

これまで函館の中心市街地の西部地区で多くの古民家のリノベを担当しましたが、
まちの衰退は著しく進んでいきます。

本当の意味でまちを守っていくにはどうしたらいいのだろう?
古民家を守るのも大事だけど、まちの中心部で暮らしながら生業(なりわい)を
営む人々を支え、またその芽を応援していくことが大切なのではないか。
それと同時に、古い建物を活用して次世代に残していくべきなのだろう。

このようなことを考えながらも、時間に追われる日々でした。

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「ビルを引き継がないか?」との相談が……

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十字街の〈カルチャーセンター臥牛館〉

そんな2019年の春先、「このビルを引き継いでもらえませんか?」と相談を受けました。
そのビルが〈カルチャーセンター臥牛館〉であり、相談を持ちかけてくれたのが、
常盤坂の家でオープンハウスのお手伝いにきてくれた、
地元の老舗エネルギー会社〈池見石油店〉の社長、石塚大さんでした。

臥牛館は十字街というエリアにあります。
地元の人の動線である銀座通りと、観光動線である金森レンガ倉庫群を結ぶ場所です。
銀座通りと臥牛館の間には路面電車の十字街電停があり、
臥牛館はアクセスに恵まれた立地となっています。

十字街は明治や大正に大火が繰り返された地域で、
銀座通りは1921(大正10)年の大火後に防火帯の指定を受けてつくられた
耐火建築が、レトロなまち並みを形成しています。

臥牛館も建築年は不明ですが、鉄筋コンクリートの防火建築として
1933年には〈大森海産店〉として建てられ、1934年の大火に残った建物です。

その後〈高木薬品〉に引き継がれ、1962年に3階建てから4階建てに増築され、
さらに1970年にガレージ部分が増築。
1999年には、西部地区の古き良き建物の保存活動をしてきた
池見石油店の石塚与喜雄社長が建物を買い取り、
文化活動による西部地域の活性化を目的に
〈カルチャーセンター臥牛館〉としてオープンさせました。

石塚さん自らも従事した学徒援農資料室を開設し、
テナントにはダンススクールや書道教室、詩吟教室、
十字街商盛会などが入居していました。

実は私が独立した2012年頃にもビルの活用について相談を受けていたのですが、
なかなか活用が進まず、そんななかで2014年、1階に学童クラブの入居が決まり、
臥牛館や周辺には子どもたちの姿が見られ、とても賑やかになりました。

ホッとしたのも束の間、池見石油店の石塚社長はエネルギー業界の荒波に揉まれ、
ガソリンスタンドは立ち行かなくなると見据え、地域の新電力会社〈どさんこパワー〉を立ち上げました。

ところがやはり業界の再編に追われて文化的な活動が縮小し、
臥牛館の斜向かいにあったガソリンスタンドが閉鎖されたのは
この地域でもショックな出来事でした。
当然、臥牛館の管理もままならなくなっていきます。

そこで私の活動に共感し、応援してくれていた石塚さんから
「先代の想いを引き継いで建物を引き継いでくれないか?」と
相談が持ちかけられたのでした。

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ビル1棟分の大金をどう用意する!?

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人生で初めてビルを買う

「臥牛館を買わないか」と相談を持ちかけられたとき、
一瞬心がザワッとして「ま、マジですか?!」と思わず言葉がもれました。
「ここに飲食店を入れたら絶対よくなりますよ」とか「もっと活用しましょう」とか、
これまで前向きなことばかり言ってきましたが、
「実際自分だったらできるの?」と言われたらそう簡単にはいきません。
自分がビルを所有するなんて無理だと思っていました。

でも、石塚社長は本気で「富樫くんならしっかり引き継いで、守ってくれる」
という想いで話してくれました。
石塚社長にご提示いただいた半分の額ならなんとかできるかもしれないと話すと
社長も納得してくれましたが、ザッと収支を計算しても
プラスに転じるまで厳しい道のりになります。

かなり迷いましたが、
「頼りにされることは光栄だし、40歳を目前にして逃げずに向き合ってみよう」
「今ならまだチャレンジできるんじゃないか」と考えました。
家族にも相談したら「絶対に失敗するな!」と厳しくもそっと背中を押してくれました。

しかし、ビル1棟分の大金をどうすればいいのか。
銀行に相談に行きましたが、当時の僕の年収はわずか300万で貯金はゼロ。
さらに個人事業主から合同会社にしたばかりで、さっそくの赤字。
どこも相手にしてくれませんでした。

ところが常盤坂の家の際もお世話になった金融公庫だけが
収益物件として親身に相談にのってくれました。
その当時、空室率55%で臥牛館の運営には3ケタ万円の赤字が出ていましたが、
可能性のあるテナントスペースが残っていました。
そこをリノベーションすれば55%の伸びしろがあることを説明し、
審査を通過することができました。

収益物件で現在も入居があることは何よりの信用だったようです。
こうして2019年6月、勢いのまま決済をして、
臥牛館を正式に引き継ぐことになりました。

1階角のボイラー室から工事開始

開かずの間だった1階角のボイラー室。蒸気暖房のために設置されていたと思われる部屋。

開かずの間だった1階角のボイラー室。蒸気暖房のために設置されていたと思われる部屋。

さっそく改修工事に着手しました。
延べ面積1160平米の建物で、これまでの古民家の規模から考えると
とにかくデカく、どこから手をつけていいかわからない状態。
でも悩んでいる時間はありません。
赤字を補填していくため、ここからはスピード勝負です。

日々の設計業務をやりながら、ライフワークとして進めていきます。
コンクリート造のリノベーションはそれほど経験がなく、
自分にとってもいい勉強になりました。

最初に着手したのは、開かずの間の1階角のボイラー室。
この建物の中で、この場所に1番可能性を感じていました。
わずか15平米の小さなスペースですが、ここにバルのような
小さな集いの場ができればいいなぁと思っていました。
中の設備をすべて撤去し、7月から飲食向けに水回りの整備に着手しました。

外壁や屋根のメンテナンスも大事です。ガレージ部分の屋上防水とその面の外壁の塗り替えも進めます。

外壁や屋根のメンテナンスも大事です。ガレージ部分の屋上防水とその面の外壁の塗り替えも進めます。

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イベントから生まれた、期間限定の店舗

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1日限定のタップルームがオープン

この部屋を使って9月1日に開催されるイベント〈バル街〉で
何かできないかなぁと考えていたら、〈箱バル不動産〉のつながりから、
函館出身で、東京で活動する3人組に出会いました。

藤田佳子さんと加藤李子さん・学くん夫妻が〈SPICE〉という会社を立ち上げ、
生まれ育った函館の地域の魅力を発信しながら恩返しがしたいとのこと。
臥牛館での出店をお願いしたら、秋のバル街で彼らがつくるクラフトビールを
販売してくれることになりました。
函館の真昆布を加工する際に生まれる切れ端を原料に、アップサイクルしたビールです。

さらに〈SPICE〉が大きなガレージのスペースを使って
〈サークルマーケット〉も企画してくれました。
マーケットには1日限定の映画館や写真館、雑貨やアパレル、昆布漁師の方や
ふるまいかき氷、花の販売など、多くの店や人が参加してくれました。

バル街当日はタップルームも大盛況で、300人近くの人が来てくれました。
そしてなんと、1回のイベントで終わらせまいと、〈SPICE〉の3名から、
12月から1年間限定でバーをオープンしたいという、うれしい申し出があったのです。

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真っ暗だった通りに灯りがともり……

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徐々にテナントが入居

臥牛館の本格的な運営を目指すため、まずは自分もまちに飛び込もうと、
2019年9月下旬には常盤坂の家を出て3階に事務所を移転させました。
続いて10月には、囲碁のインストラクターをしていた妻も、
隣の部屋に囲碁教室をオープン。
11月には学童クラブを運営するトラベリングバンド〈ひのきや〉の
マネジメント事務所と、〈はこだて国際民俗芸術祭〉を主催する事務所が2階に移転。

そして2019年12月、いよいよ〈SPICE〉の3人が、
まちのバー〈kamome〉をオープンしてくれました。
彼らのビールがアップサイクルの取り組みであるように、
お店のカウンターには近くで解体されてしまった米穀店のカウンターを
リメイクして移植させてもらいました。
カウンターのスツールは、廃校になった小学校の椅子に鉄の足を溶接してリメイク。
厨房機器も極力あるものを修繕し、黒板も身近にあるものでつくりました。

〈kamome〉がオープンして、夜は真っ暗だった通りに灯りがともりました。
小さな灯りかもしれませんが、それは希望の光に見えました。
かつては主なテナントが学童や文化教室で、関係者のみが出入りするビルでしたが、
フラッと誰もが気軽に立ち寄れる場所になり、
建物に魂が入って活き活きしてきたように感じました。

2021年12月、オープンに集まった〈kamome〉の3人。東京を拠点に活動しているので、当初は週末のみの営業。3人がローテーションで夜と朝食の営業をしてくれた。

2021年12月、オープンに集まった〈kamome〉の3人。東京を拠点に活動しているので、当初は週末のみの営業。3人がローテーションで夜と朝食の営業をしてくれた。

コロナ禍でのチャレンジ

年が明け、〈kamome〉とつながりのあるシェフや
ソムリエを迎えたイベントを開催するなど、さまざまな可能性が見えてきました。
ところがその矢先、新型コロナウイルスの影響で2020年2月28日、
北海道で緊急事態宣言が発令されました。

臥牛館には事務所やシェアオフィスなどが新しく入居していましたが、
やはりコロナの影響で2階に入っていたワーケーション向けオフィスは
早々に移転されてしまいました。
世の中に暗雲が立ち込め、十字街から観光客の姿は消え、
そもそもまちから人が一気にいなくなってしまいました。
〈kamome〉のみなさんも東京との往来が難しくなり、
地元のメンバーでなんとか運営を考えるようになっていきました。

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チャレンジショップ併設の町工場が誕生

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会社の成長とアップサイクル事業

事務所を引っ越したあと、事務所のメンバーにも変化がありました。

臥牛館の運営や館内の清掃などに手が回らなくなり、新たに助っ人に入ってもらったり、
本業のリノベも外注で大工さんにお願いしたりしていましたが、
少しずつでも自社で大工さんを育てながらじっくりものづくりができればと、
若手の社員が加わりました。

さらに12月にはコロナの影響で隣町の大沼に移住してきたことをきっかけに、
もうひとり仲間が増えました。

〈RE:MACHI&CO〉に集まる弊社スタッフ。左から、若手大工の亀井康広くん(元社員)、コロナ以降、隣町の大沼に移住してきた金子遥さん、2017年から支えてくれている川本智巳さん、上田桂さん(元社員)、筆者。

〈RE:MACHI&CO〉に集まる弊社スタッフ。左から、若手大工の亀井康広くん(元社員)、コロナ以降、隣町の大沼に移住してきた金子遥さん、2017年から支えてくれている川本智巳さん、上田桂さん(元社員)、筆者。

新たな作業場を探していたら、池見石油さんが所有する古民家を
短期の約束で借りられることになりました。
臥牛館から徒歩1分という近さです。その場所にチャレンジショップ併設の町工場
〈RE:MACHI&CO(レ・マチコ)〉を開設しました。

ここは〈kamome〉のメンバーから学んだアップサイクルの取り組みを始める場所。
失われゆくまち並みと古民家から出てくる古材や家具などを、
ゴミにするのではなく、人や地域の物語とともに、
地域のなかで循環しアップサイクルしていく試みです。

〈RE:MACHI&CO〉にて、リノベーションした際に出てきた建具などを使って古材のフォトフレームをつくり、店に納めた。取手や蝶番も取り入れたり、水道管で使われていた銅管をつぶして加工したり、ガラスを再利用したり。

〈RE:MACHI&CO〉にて、リノベーションした際に出てきた建具などを使って古材のフォトフレームをつくり、店に納めた。取手や蝶番も取り入れたり、水道管で使われていた銅管をつぶして加工したり、ガラスを再利用したり。

チャレンジショップは1週間以内であれば誰でも無料で使えるようにした。2020年10月、店舗を持たずに活動していた〈amber vintage〉がPOP UPストアを開いてくれた。

チャレンジショップは1週間以内であれば誰でも無料で使えるようにした。2020年10月、店舗を持たずに活動していた〈amber vintage〉がPOP UPストアを開いてくれた。

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コロナ禍でも新たなお店が!

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そして、コロナから1年が経った春のこと。
2021年4月からカルチャーセンターの4階に住み込みで
東京から4か月間、インターン生が来てくれることになりました。
地域でやれることを一緒に模索しながら活動しようと、
〈RE:MACHI&CO〉の古材を使ってゴールデンウィークにPOP UPをすることに。
その企画から運営までをインターン生に任せることにしました。

十字街に新たな店が誕生

そんななか、1年間限定のPOP UPとしてオープンした〈kamome〉は、
1年半と延長したのち5月15日に臥牛館での営業を終えました。

期間限定ではあったものの、多くの物語をまちに残してくれた〈kamome〉。
閉店後も李子ちゃんのご縁ですぐに〈黄昏ワインバーcoco-desse Bay〉へと
お店が引き継がれました。

また、クレープ屋さんをやりたいというふたりを〈RE:MACHI&CO〉に紡いでくれました。
キッチン部分をリノベして、2021年7月4日、〈RE:MACHI&CO〉内に
街角クレープ〉が誕生しました。
オープンから間もなく行列ができて、コロナ禍とは思えない盛況ぶり。
特に若い人が増え、少しずつまちの人の流れが変わり始めました。

街角クレープのオープンとともに多くのお客さんが来てくれた。

街角クレープのオープンとともに多くのお客さんが来てくれた。

街角クレープのオープンにも駆けつけてくれた、チンドン屋の嶋崎さん。

街角クレープのオープンにも駆けつけてくれた、チンドン屋の嶋崎さん。

次回はコロナ禍の逆境で模索しながら、
臥牛館の隣のビルで生まれたプロジェクトについてご紹介します。

information

map

カルチャーセンター臥牛館

住所:北海道函館市末広町9-9

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