学びの場も自給自足!
森を開墾したトシくんと
畑で始めた英会話教室

タネまきから収穫までを体験しながら英会話

新学期の始まりに合わせて、この地域でまたひとつ新しい試みをスタートさせた。
2016年に岩見沢の山里、毛陽地区に移住したトシくん
こと阿部恵(さとし)さんと一緒に、毎週木曜日に英会話の会を立ち上げたのだ。
開催場所はトシくんの畑。マニラの大学で農業を専攻していたトシくんが、
森の中をたったひとりで開墾した畑の一角が教室となる。

トシくんのお母さんはフィリピン人、お父さんは日本人。大学までマニラで育ち、道内で農業の研修をした後、毛陽地区に土地を見つけて移住。

トシくんのお母さんはフィリピン人、お父さんは日本人。大学までマニラで育ち、道内で農業の研修をした後、毛陽地区に土地を見つけて移住。

きっかけは、この連載で1月にトシくんを取材したことだった。
取材を通じてトシくんが、家族はもちろん、あらゆる人に対して
深い愛情をもって接していることにわたしは感動した。

以前から彼が子どもたちと英会話をやってみたいと考えていたことは知っていたが、
英語の勉強もさることながら、人を心から大切に想う、その本質のようなものを、
子どもたちとシェアしてもらえたらどんなにすてきだろうと思ったのだった。

連載の記事を書いてほどなくして、「英会話の会をやってみませんか?」と、
トシくんにお願いをしたところ、彼はとても喜んでくれた。

「畑でタネをまいたり収穫してそれを食べたりしながら英会話をしたいですね。
子どもたち用の畑を、ぼくのところにつくりますよ」

〈トシくんと畑で英会話〉は、昨年より企画している〈みる・とーぶSchool〉というワークショップイベントの一環として開催することにした。〈みる・とーぶ〉とは、岩見沢の山里をPRするために、地域おこし推進員や地元の仲間たちが集まった有志のグループのこと。

〈トシくんと畑で英会話〉は、昨年より企画している〈みる・とーぶSchool〉というワークショップイベントの一環として開催することにした。〈みる・とーぶ〉とは、岩見沢の山里をPRするために、地域おこし推進員や地元の仲間たちが集まった有志のグループのこと。

岩手県一関市〈松栄堂〉
100年以上続く老舗が、
地元産素材を和菓子に使う理由

岩手に来たことがある人なら一度は見たことのあるはずの
銘菓〈田むらの梅〉、〈ごま摺り団子〉。
もしくは、マンガ『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズのファンなら
ご存知「ごま蜜だんご」。
これらはすべて、岩手県一関市に拠点を置く老舗和菓子店〈松栄堂〉が
100年以上かけて生み出しだてきたお菓子だ。

全一関市民が知っていると言っても過言ではない、
地元で人気のお土産物の秘密を、同社社長の小野寺宏眞さんにうかがった。

代表取締役社長の小野寺宏眞さん。会計事務所出身、ユーモアと芯の強さが同居するアラフォー経営者だ。

代表取締役社長の小野寺宏眞さん。会計事務所出身、ユーモアと芯の強さが同居するアラフォー経営者だ。

変わらないもの、変わるもの

一関市中心部の地主町。古い蔵が建ち並び、雰囲気のある〈世嬉の一酒造〉や
ジャズ喫茶〈ベイシー〉が建ち並ぶ、一関きっての歴史を誇る商人のまちに、
松栄堂総本店はある。

創業は明治36年、今年115周年を迎えた。
初代の小野寺主馬蔵(しゅめぞう)氏が菓子屋として店を構えて以来、
ずっとこの地に根づいてきた。

昭和30~40年代頃の松栄堂総本店を写した懐かしい写真。

昭和30~40年代頃の松栄堂総本店を写した懐かしい写真。

蔵に飾られていた、昔使っていたという菓子木型。

蔵に飾られていた、昔使っていたという菓子木型。

「伝統を大切にしつつも、時代に合わせて常に変わり続けることで、
松栄堂はこれまで商売を続けてこられました。
北東北有数の米どころで独特のもち文化が残る一関市、
平泉町の素材にこだわりながら、米を原材料とした和菓子づくりを基本に、
創業のこの場所でその時々のニーズに合う商品をつくってきました」

そう教えてくれたのは、現在5代目を継ぐ小野寺宏眞さんだ。

初代~2代目の時代に同社初の看板商品〈田むらの梅〉を、
3代目~4代目の時代にはヒット商品となった〈ごま摺り団子〉を、
そして現在に至る4代目~5代目の時代には〈平泉 黄金餅〉を開発。
世代を超えて親しまれる市民スイーツ&定番お土産物として定着させてきた。

代々、愛されてきた味

発売から70年超の、長く愛される一関銘菓〈田むらの梅〉。

発売から70年超の、長く愛される一関銘菓〈田むらの梅〉。

「まずは〈田むらの梅〉。
大正時代に一関藩主だった田村家の子孫からの依頼を受け、
梅をこよなく愛したという初代藩主にちなんでつくられた、
梅の果肉を練りこんだ白餡を求肥と青紫蘇で包んだ甘い和菓子。
特に年配の方にファンが多く、茶菓子としても好まれています」

青紫蘇で包まれたもちもちの求肥の中にはほんのり梅が香る白餡が。それぞれの素材の味が生かされた上品なおいしさ。

青紫蘇で包まれたもちもちの求肥の中にはほんのり梅が香る白餡が。それぞれの素材の味が生かされた上品なおいしさ。

「昭和のバブル期に生まれた〈ごま摺り団子〉は、
香ばしいごま摺り蜜を団子で包んだ、“ぷにゅチュル”な独特の食感が楽しい。
『ジョジョの奇妙な冒険』の主人公、定助の好物で、
彼は『プチュウゥッ』と楽しんでいましたが」

バブル期には企業戦士の仕事用の贈答用「ごますり」ツールとして爆発的にヒットした〈ごま摺り団子〉。絶妙なネーミングだ。ちなみに一関地域の家庭では、ごま餡でもちを食べることも多い。

バブル期には企業戦士の仕事用の贈答用「ごますり」ツールとして爆発的にヒットした〈ごま摺り団子〉。絶妙なネーミングだ。ちなみに一関地域の家庭では、ごま餡でもちを食べることも多い。

「そして〈平泉 黄金餅〉。“小金持ち”ではありません(笑)。
“もち文化”と“黄金文化”をキーワードに、昨年平泉町と共同開発した新しいもち菓子。
ふんだんに使った金ごまの濃厚な味わいが特徴で、
インバウンド客など外国人にも人気が高い商品です。
それぞれ開発された時代も趣向もターゲットも違いますが、
できるだけ地元の素材を使いながら地元の文化を守り、
発信していきたいという思いは共通しています」

地主町の本店には、不動の人気を誇る〈ごま摺り団子〉と新商品〈平泉 黄金餅〉が並ぶ。

地主町の本店には、不動の人気を誇る〈ごま摺り団子〉と新商品〈平泉 黄金餅〉が並ぶ。

日本一長い駅名の駅にある
週末だけの古本屋〈ひなた文庫〉

本屋がない村、ないならつくろう。最高の場所を見つけた!

はじめまして。
熊本県の南阿蘇村で〈ひなた文庫〉という古本屋を営む中尾恵美です。
「古本屋」と言っても少し変わっていて、
南阿蘇鉄道の駅舎の中に週末にだけ現れる古本屋です。
この連載ではひなた文庫の営業を通して、南阿蘇の四季のこと、村の人や場所、
そして熊本地震のことなど、日々の気づきや感じたことを届けていこうと思います。

まずは簡単な自己紹介を。私は岡山県出身で学生時代を広島で過ごし、
就職して東京で1年ほど暮らしました。
学生時代からおつき合いしていたいまの旦那さんが南阿蘇村の出身だったので、
彼が大学院を卒業し、熊本に帰るのをキッカケに2014年に私も熊本に移住しました。

私は小さな頃から読書が好きで、よく父や母に
スーパーの隣にある本屋さんへ連れて行ってもらっては、
両親が買い物を済ませるあいだ、本棚を見て、気になる本を探していました。
幸い親が本にかけるお金には寛大だったため、
読みたいならと買ってもらっては、帰りの車の中で読み始めていました。

そんなふうに本が身近な存在だったためか、本というモノ自体にとても愛着があります。
本が並んでいる場所に行くと近くで手にとってみたくてうずうず。
やぁ、こんにちは! 君はどんな本なんだい? とパラパラめくってみたくなるのです。

そんな本好きな私が、なぜ南阿蘇鉄道の駅舎の中で古本屋を始めることになったのか。
それは自分たちのあったらいいな、をかたちにしようと思ったからでした。

ひなた文庫・ロゴ

南阿蘇村には図書館も本屋さんもありません。
村の人は隣町の図書館に借りに行くか、ネットで頼むか、そもそも本を読まないか。
本は読まなくても生活においては特に困りません。
でも本を読んで感じる感情の動きは、普段の生活の中だけでは得られないものがあるし、
生活に生かせる気づきだって沢山あると思うのです。
だから、気軽に行ける本屋が近くにないのはちょっと寂しい。

だったら自分たちでやるのも悪くないかもしれない。
熊本に引っ越して1年程経つ頃にはそう考えるようになっていました。

南阿蘇水の生まれる里白水高原駅の駅舎

古本屋なら、場所さえあれば、いまの仕事をしつつ
自分たちの休日を使ってできるかも。
まだぼんやりながらそんなふうに思っていた頃、
たまたまふたりで観光しようと訪れた南阿蘇鉄道の日本一長い駅名の駅、
「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」。
そこは無人駅でがらんとした八角形の空間でした。

南阿蘇水の生まれる里白水高原駅は無人駅でがらんとした八角形の空間でした

〈濱田庄司登り窯
復活プロジェクト〉
伝説の登り窯がつなぐ
益子と笠間の陶芸家のこれから

登り窯を復活させ、継承していく

陶芸家・濱田庄司が作陶の拠点とした栃木県益子町は、
多くの陶芸家が集う焼きものの産地だ。
その益子で行われた〈濱田庄司登り窯復活プロジェクト〉を取材するべく
まだ雪の残る2月、開催地である〈濱田庄司記念益子参考館〉を訪れた。

益子焼の聖地〈濱田庄司記念益子参考館〉。

益子焼の聖地〈濱田庄司記念益子参考館〉。

日本の工芸界に大きな影響を与えた陶芸家・濱田庄司(1894~1978年)。
バーナード・リーチとともに渡英、帰国後は益子に移住して作陶し、
柳宗悦らとともに民芸運動を主導した、益子焼の象徴的な人物だ。
その濱田が拠点とした益子町で、2018年2月
〈濱田庄司登り窯復活プロジェクトVOL.2〉がクライマックスを迎えていた。

濱田庄司登り窯復活プロジェクト委員会の会長を務めるのは、
濱田庄司の孫であり、濱田庄司記念益子参考館の館長でもある濱田友緒さん。

濱田庄司の孫であり、濱田窯を引き継ぐ濱田友緒さん。今回のプロジェクトのキーマンだ。

濱田庄司の孫であり、濱田窯を引き継ぐ濱田友緒さん。今回のプロジェクトのキーマンだ。

2011年の東日本大震災で損壊した登り窯を2年がかりで再建し、
2015年、濱田庄司の生誕120年に合わせ、
濱田庄司登り窯復活プロジェクトとして実際に窯焚きを行った。
今回は2回目の火入れとなる。

「震災後、登り窯を修復したのは、
これまで展示していたものが壊れたので直そうという感覚でした。
復興の証としてみなさんに感謝の気持ちを表すきっかけにもしたかったですし。
でもレンガを組み表面を粘土で固めただけではもろくて結局風化してしまうので、
完成させるためには窯を焼き締める必要があります。
火を入れるとなると薪代など費用もかかることだし、せっかくなら作品も焼こう! 
というのが登り窯復活プロジェクトの始まりです」

修復された濱田庄司の登り窯。長さ約16メートル、横幅は約5メートルと大型で迫力がある。

修復された濱田庄司の登り窯。長さ約16メートル、横幅は約5メートルと大型で迫力がある。

濱田庄司の没後、休眠状態であった登り窯に
約40年ぶりに火入れをした第1弾から3年。
第2弾となる今回は、益子焼のルーツとされる笠間焼の作家も含め、
87人のプロの陶芸家が参加し、プロジェクトを盛り上げた。

笠間焼は茨城県笠間で江戸時代中期に始まったといわれ、
日用雑器が多くつくられてきた。地理的にも近い笠間と益子は、
これまでも産地を超えてつながるような取り組みが行われている。

富山県城端〈薪の音〉
農村のオーベルジュに
多くのリピーターが訪れる理由

農村地帯にある、極上のオーベルジュ

富山県の城端(じょうはな)という場所を知っているだろうか。
ユネスコ無形文化遺産の屋台式人形山で有名な曳山祭や、
アニメ『true tears』の舞台として認知する熱心なファンもいるはずだが、
全国的な知名度は(失礼な言い方になるが)、かなり低いはずだ。

有名な温泉もなく、全国に鳴り響くような観光地もない。
干し柿など一部で高級品として扱われる特産品は存在し、
城端の最もにぎわう中心部は「小京都」として趣のあるまち並みが広がっているものの、
郊外に目を向けると特に目立った売りが「何もない」、
水田と集落が広がるだけの農村地帯になってしまう。

しかしその城端の農村地帯に、東京を中心とした都市部の富裕層が
繰り返し足を運ぶ、圧巻のオーベルジュがある。
何の変哲もない里山の集落に溶け込むオーベルジュでありながら、
フランスのグルメガイド本『ゴ・エ・ミヨ』ではホスピタリティ賞を受賞し、
「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」においても、
「日本の小宿」部門で選考審査委員特別賞を受賞した〈薪の音〉である。

その評価と実績を背景に2018年3月2日には、
県境を挟んで隣り合う石川県金沢市東山の茶屋街に、
別邸〈薪の音 金澤〉をオーベルジュとしてリニューアルオープンさせ、
早々に高い好評を得ている。

里山に佇むオーベルジュ〈薪の音〉。

里山に佇むオーベルジュ〈薪の音〉。

そこで今回は城端、金沢のオーベルジュのオーナーにして、
地元の特産品を使ったスイーツ販売などを通じ、地域の活性化を試みる山本誠一さんに、
オーベルジュを立ち上げるまでの経緯、農村で事業を成功させるヒントなどを聞いた。

今年も5月3日に奉納。
小豆島「肥土山農村歌舞伎」

私たち家族にとって、6年目の農村歌舞伎

江戸時代から300年以上続く伝統行事「肥土山(ひとやま)農村歌舞伎」。
毎年5月3日に肥土山にある離宮八幡神社の舞台で奉納されます。

農村歌舞伎というのは、その字の通り農村で行われる歌舞伎。
その年の豊作を祈願し、神社にある舞台で、そこで暮らす人々が歌舞伎を演じます。
地域の、地域による、地域のための歌舞伎。

台本を見ながらお互いのセリフを言い合う役者の子どもたち。

台本を見ながらお互いのセリフを言い合う役者の子どもたち。

台本にふりがなをつけて、間をおくところ、抑揚など書き込みます。

台本にふりがなをつけて、間をおくところ、抑揚など書き込みます。

稽古は本番の3か月前くらいから始まります。

稽古は本番の3か月前くらいから始まります。

小豆島では、昔は各地域に芝居小屋があり歌舞伎が行われていたそうですが、
いまでは私たちが暮らす肥土山とお隣りの中山の2か所だけとなりました。
そんな希少な小豆島の農村歌舞伎は、香川県の無形民俗文化財として登録されていて、
地域の人だけでなく、外からもたくさんの人が毎年見に来てくれます。

この連載「小豆島日記」でも、もう何度も肥土山農村歌舞伎のことを書いてきました。

2013年 村人がつくり楽しむ農村歌舞伎(vol.005)

2013年 村人がつくり楽しむ農村歌舞伎(vol.005)

2014年 肥土山農村歌舞伎、みんなで作る割子弁当(vol.055)

2014年 肥土山農村歌舞伎、みんなで作る割子弁当(vol.055)

2015年 肥土山農村歌舞伎、稽古と準備の日々(vol.099)
肥土山農村歌舞伎、みんなでつくりあげる(vol.103)
肥土山農村歌舞伎、いよいよ本番(vol.105)

2015年 肥土山農村歌舞伎、稽古と準備の日々(vol.099)
肥土山農村歌舞伎、みんなでつくりあげる(vol.103)
肥土山農村歌舞伎、いよいよ本番(vol.105)

2016年 肥土山農村歌舞伎、本番までの100日間(vol.147)
人と人とのつながりをつくる小豆島の伝統行事「肥土山農村歌舞伎」(vol.148)

2016年 肥土山農村歌舞伎、本番までの100日間(vol.147)
人と人とのつながりをつくる小豆島の伝統行事「肥土山農村歌舞伎」(vol.148)

2017年 受け継いでいく小豆島の伝統行事「肥土山農村歌舞伎」(vol.175)

2017年 受け継いでいく小豆島の伝統行事「肥土山農村歌舞伎」(vol.175)

今年で6年目になります。
毎年いろんな思いがあって、年によって関わり方も少しずつ変わり、
子どもも成長し、私たちの小豆島暮らしの大切な一部になっています。

家で動画と台本を見ながらセリフの練習。

家で動画と台本を見ながらセリフの練習。

今年は、初の男役に挑戦するいろは(娘)。

今年は、初の男役に挑戦するいろは(娘)。

編集者・松島倫明さんが
鎌倉で見つけた、
仕事と暮らしの幸せな関係

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

海に面し、三方を山に囲まれた鎌倉は、自然を身近に感じながら暮らすことができるまちだ。

海に面し、三方を山に囲まれた鎌倉は、自然を身近に感じながら暮らすことができるまちだ。

これからの仕事と暮らしの関係

東京から電車でおよそ1時間の距離にある鎌倉の住民には、
都内へ通勤する人たちも少なくない。
その中には、山や海に囲まれた自然環境に惹かれ、移住してきた人たちも多く、
いまから約4年前に鎌倉に移り住んだ松島倫明さんも、そんな都内通勤組のひとりだ。

植物に囲まれた松島さんの自宅のガーデン。耳を澄ますと、そばを流れる川のせせらぎも聞こえてくる。

植物に囲まれた松島さんの自宅のガーデン。耳を澄ますと、そばを流れる川のせせらぎも聞こえてくる。

NHK出版の編集者として、シリコンバレー発のテックムーブメントや、
自然への回帰を志向するライフスタイル、カルチャーの世界的潮流を、
翻訳書を通して日本に伝える仕事をしている松島さんは、
主に週末を使って、トレイルランやマインドフルネス関連のイベントに関わるなど、
鎌倉を拠点にした活動にも精を出している。

デジタルとフィジカルというふたつの軸から、
これからの社会やビジネスを見据える深い洞察力で、
各界から注目されている敏腕編集者である松島さんは、
メディアやSNSなどを通じて、鎌倉での地元活動について発信する機会も多く、
そのライフスタイル自体が、松島さんが考える「ウェルビーイング」思想を
体現するメッセージにもなっている。

松島さんの自宅からは、およそ5分で最寄りの山に入ることができる。

松島さんの自宅からは、およそ5分で最寄りの山に入ることができる。

そんな松島さんの暮らし方、働き方には、
「サーフィンやトレイルランをしてからオフィスへ出勤」
といったよく耳にする鎌倉、湘南暮らしから一歩踏み込んだ、
これからの仕事と暮らしの関係性、まちとの関わり方のヒントがあるはずだ。
それを探るべく、緑豊かなガーデンに囲まれた松島さんの自宅を訪ねた。

松島さんの自宅に迷い込んできて以来、一緒に暮らしているというネコ。

松島さんの自宅に迷い込んできて以来、一緒に暮らしているというネコ。

岩見沢〈milli〉
空き家をリノベーションして
作業場とショールームに。
自ら販売もする家具制作ユニット

工場として使える広い場所を求めて道内をめぐった日々

東京から北海道・岩見沢市に移住したことで、わたしの世界は大きく広がった。
どこまでも広がる大地を見ていると、
エコビレッジができるんじゃないかといった新たな構想がいくつも浮かび、
都会では経験したことのない解放感を感じながら暮らしている。

しかし、ただひとつだけ、東京が無性に恋しくなることがある。
わたしの仕事は美術とデザインを専門とする編集者。
高校から美術コースのある学校に通っており、
同級生や元同僚など友人は、たいてい美術に興味を持っていた。
そのため、いつもディープに美術のことを話していたので、
ときどき猛烈に、こうした話題を語らいたい気分が襲ってくるのだ。

岩見沢にある国道234号線沿いに家具制作ユニット〈milli〉はある。

今年に入って出会った織田義史さんは、岩見沢市内では数少ない美術ネタを話せる友人。
3年前に〈milli〉という家具を制作するユニットを立ち上げており、
大学では美術を学び、現代美術のプロジェクトにも関わったことがある。
また、わたしが以前に副編集長をしていた雑誌『美術手帖』を読んでくれていたそうで、
これも本当にうれしいことのひとつだった。

さらに夫も織田さんと意気投合。
東京にいるときに家具工場で働いたことがあったので、
家具の制作方法や道具のことを話すことができて楽しそう。
夫婦ともども織田さんとしゃべっているとテンションがつい高くなってしまう。
またぜひ会って詳しく話が聞きたいと思い、雪解けとなった4月初旬、
織田さんの家具の制作現場を訪ねることにした。

織田さんは紋別出身。妻の美里さんとともにmilliを営んでいる。

織田さんが家具づくりを学んだのは、大学卒業後。
旭川にあった専門学校に2年通った後に、旭川の家具会社で4年間働き、
独立を考えるようになったという。

「札幌から車で1時間圏内で、工場とショールームとして
使える場所を探すところから始まりました」

織田さんは妻の美里さんとふたりで、毎日車を走らせ
千歳、長沼、新十津川、当別などを点々とした。
廃校も候補になり教育委員会にかけあったが、
よい返事が得られずに時間が過ぎていった。

そんななか、あるときネットで競売物件の情報を見つけて、岩見沢へ。
国道沿いにあったその建物は、廃業した建築業者のものだった。
1階は工場、2階はオフィス。広さも十分だったことから購入を決意。
「僕たちのことをやっと受け入れてくれるところがあった」、
そんなふうに感じたという。

milliの家具。北海道の木の素材感を生かし、暮らしになじむ家具づくりを目指している。(写真提供:milli)

あの人にとっての
〈TERATOTERA祭り2017〉
あのアートイベントは何だった?

東京アートポイント計画×コロカル

アートNPOと東京都、アーツカウンシル東京が
アートプロジェクトを都内各地で展開する〈東京アートポイント計画〉。
その参加団体のメンバーが、コロカルによるワークショップに参加し、
自分たちの取り組むアートプロジェクトについて執筆した記事をお届けします。
今回は、三鷹駅周辺で行われたアートイベント〈TERATOTERA祭り2017〉について
ボランティアスタッフのひとりがレポートします。

ボランティアスタッフが見て、考えたアートイベント

私がボランティアスタッフとして関わった〈TERATOTERA祭り2017〉
記事を書くことになったとき、自分がこのイベントについて
知らないことが多いことに気づく。
これはなんのための、誰のための祭りだったのか。
そしていつ始まり、現場では何が起こっていたのか。

私の中のTERATOTERA祭り2017の謎を、
さまざまな人の視点を介し、解いていきたい。

アートイベントTERATOTERA祭りとは?

2017年11月10日(金)朝9時半。
私は自宅の最寄り駅から約1時間半かけて、三鷹駅にやって来た。
改札を出たところに動きやすい格好をした見覚えのある人だかりがあった。
「おはようございます~」と挨拶を交わすスタッフのみなさんの顔は、
どこか眠そうである。

私がここにやって来た理由は、この日から3日間(11月10日~12日)
三鷹駅周辺で開催されるアートイベント、
TERATOTERA祭り2017『Neo-political~わたしたちのまつりごと~』のためだ。

このイベントを主催している〈TERATOTERA(テラトテラ)〉とは、
JR中央線高円寺駅~吉祥寺駅~国分寺駅区間をメインとした
東京都杉並区、武蔵野市、多摩地域を舞台に展開する、
地域密着型アートプロジェクトおよびその発信機関の総称である。

今回私はボランティアスタッフとして、このイベントに初めて参加する。
私のようなTERATOTERAに関わっているボランティアスタッフを、
通称「TERAKKO(テラッコ)」と呼ぶ。
私は2017年の春からアートプロジェクトを勉強するために
さまざまなイベントに携わるようになり、テラッコとして活動を始めたのも
その年の7月からだ。

そのため私は、初めて参加するTERATOTERA祭りがどういう経緯で行われ、
どのような内容のイベントなのか、まったく無知の状態で現場にやって来た
(実際は事前ミーティングが複数回行われていたのだが、
私は一度も参加することができなかった)。
いったいどんな作品が見られるアートイベントなのだろうか。

出会った人を異空間へと誘う鑑賞者参加型作品

TERATOTERA祭りは2011年に初めて開催され、2017年で7度目。
ここ数年は三鷹で開催されているが、これまで吉祥寺〈PARCO〉の屋上や、
中央線沿線各駅で行ったこともあるという。

そして今回は、三鷹駅周辺の全7か所に10組のアーティストによる作品が点在し、
駅前でパフォーマンスも行われた。しかも今回はすべて「鑑賞者参加型」だという。
いったいどのような作品が現れるのかとワクワクしていた私は、
当日心底驚くことになる。

まず駅の隣にある〈武蔵野芸能劇場〉では、
アーティスト山本篤さんが、目隠しをした状態で鑑賞者の指示のみを頼りに
ピカソの作品『ゲルニカ』を模写する。

また駅前のスペースでは、日曜日の青空の下に突如、太鼓や笛の音が鳴り響いた。
通りかかった多くの人が、和楽器バンド〈切腹ピストルズ〉による
パフォーマンスに足を止める。

このように、TERATOTERA祭りとは、三鷹のまちなかに突然アートが出現し、
そこを訪れた人は、この突如現れる異空間、
あるいは、事件を目にして、何かを感じる3日間なのだ。

毎日通う駅前に突然見慣れないものが現れるなんて、
まるでテロが起こっているかのようである。
だが作品の前を通り過ぎる人々は冷静だ。

このときのお客さんの反応を思い返すと、
三鷹の人々はTERATOTERA祭りをどのように捉えているのか、
三鷹の人々にとってこれはどのようなイベントなのか、
という疑問が私の中に湧いてきた。
三鷹の人々にTERATOTERA祭りは受け入れられているのだろうか、
それとも特に関心を向けられていないのだろうか。

〈千住タウンレーベル〉とは?
レコード片手にまちをめぐらせる、
アートプロジェクトのもくろみ

東京アートポイント計画×コロカル

アートNPOと東京都、アーツカウンシル東京が
アートプロジェクトを都内各地で展開する〈東京アートポイント計画〉。
その参加団体のメンバーが、コロカルによるワークショップに参加し、
自分たちの取り組むアートプロジェクトについて執筆した記事をお届けします。
今回は、足立区のアートプロジェクト〈アートアクセスあだち 音まち千住の縁〉の
一環である〈千住タウンレーベル〉について。

足立区千住を舞台にした「音楽」とは

2017年12月、とあるLP盤が1枚完成しました。
このレコードは少し変わっていて、まちのその場所で聞こえる音が
「音楽」として姿を変えています。例えば、商いの声や住民のインタビュー、
あるいはそのままのサウンドスケープ「音風景」が録音され、編集されているのです。

さらに、収録されているすべてのトラックは同じまち=足立区千住を舞台としています。
しかも、そのLP盤を聴きたい人は、録音された場所をわざわざ訪れないといけません。
音楽がモノからデータへと変化し、配信サービスで入手することや
持ち運ぶことが当たり前になったこの時代に、わざわざ出かけて、
まちで鳴るさまざまな音たちをそのまちで音楽として聴くレーベル。

今日はこのレーベルがもくろんでいること、
そしてどう受け取られているのかを、紹介していきたいと思います。

まちから離れないレーベルと、どこまでも千住にこだわったLP盤

〈千住タウンレーベル〉(以下、STL)は、足立区や東京藝術大学などが主催する
アートプロジェクト〈アートアクセスあだち 音まち千住の縁〉(*1)の事業として
2016年にスタートし、いまちょうど2年が経とうとしています。

アーティスト・文化活動家のアサダワタルさん(*2)が主宰するこのレーベルの中で
『音盤千住Vol.1 このまちのめいめいの記憶/記録』が完成したのは、昨年12月のこと。
全13トラック、両面で約45分のLP盤は、100部限定でかつ、非売品。
しかも、8ページの冊子型という特別な仕様をしています。

グラフィックデザインは〈donny grafiks〉。プロジェクトが始まってすぐの頃は、CDとして千住地域のポストに投函する、といったアイデアもあったが、最終的にはレコードとしてリリースすることに。一番後ろのページはポケットになっていて、音盤をしまうことができる。

以下が、できあがったトラックリスト。

Side1

1. イントロ

2. 記憶・声・千住

3. さんさ踊り・千住節

4. 千住D-1グランプリ 2017

5. 千住お店の声トラック 伊勢屋さん

6. Sound Portrait_Senju #00002 - Mother's day-

Side2

1. 師匠と囃子

2. tsu-na-ga-ru のボッタ

3. 千住お店の声トラック 鳴門鯛焼本舗さん

4. 電車エレクトロニカ ~北千住駅 大踏切と今~

5. seven clusters

6. さよなら、たこテラス

7. アウトロ

冊子には、タウンレコーダーが執筆したそれぞれの音源の制作エピソードや歌詞、音源に登場する出演者の写真などが載っているほか、ディレクターのアサダさんによるメッセージなども添えられている。(撮影:冨田了平)

*1 アートアクセスあだち 音まち千住の縁:2011年から続いている、東京都足立区千住地域のアートプロジェクト。大巻伸嗣(現代美術家)や野村誠(作曲家)も参加しており、東京都・アーツカウンシル東京・東京藝術大学・NPO法人音まち計画・足立区が主催している。

*2 アサダワタル:1979年大阪府出身、東京都在住。言葉や音楽を手がかりに、全国各地でさまざまな地域コミュニティ、福祉や学校現場などでアートプロジェクトを実施。『住み開き 家から始めるコミュニティ』(筑摩書房)など著書多数。サウンドプロジェクト〈SjQ/SjQ++〉ドラマー。博士(学術)。

〈HOMEMAKERS〉の
春の生姜植え付けまつり!

島の友人たちと一緒に、みんなで畑作業!

今年もやってきました。
4月! 生姜植え付けの季節です。

私たち〈HOMEMAKERS〉は、年間通して80種類くらいの野菜を育てているのですが、
その中でも圧倒的に多く育てているのが生姜です。

もともと小豆島で生姜栽培が盛んだったわけではなく、
ただ私たちが生姜を育てたかったから始めた生姜の栽培。
当時、体の冷えが気になっていて、生姜は体を温めてくれる、
それなら自分たちの手で育てたいなと。今年で6年目になります。

山に囲まれた場所にある〈HOMEMAKERS〉の生姜畑。

生姜をひとつひとつ植えていきます。

そもそも生姜ってどうやって育てるんだろう。
スーパーで売ってる、あのかけらの状態しか知らない。
まったく何の知識もない状態から、インターネットや本で調べながらスタートしました。

生姜は春に植えて秋に収穫します。
1年に1回しか栽培することができません。
雑草に生姜が負けてしまったり、台風で茎が折れてしまったり、
イノシシに掘り起こされてしまったり、大きく育たなかったり。

毎年いろんなハプニングやうまくいかないことがあります。
今年は豊作だったねという年もありました。
そういうひとつひとつの経験を経て、少しずつ
自分たちの栽培方法ができあがっていってる気がします。

種生姜を適度な大きさにカットする作業。この作業、結構頭使います。

春休み中の小学生チーム。意外としっかり働いてくれました。

〈Art Center Ongoing〉
吉祥寺で10周年のアートセンター
今日も我らの道をゆく

アートに出会う場所 vol.1
〈Art Center Ongoing〉

アートって意外に身近にあるもの。
あなたのまちにも、きっともっと気軽にアートや
アーティストに出会える場所があるはず。
そんなまちのアートスペースやオルタナティヴスペースを訪ねます。

お年寄り夫婦の傍で、若者が芸術談義。
アートセンターをつくる夢を実現させる

東京・吉祥寺の生活を守るアーケード街「サンロード」を抜けた住宅街にある
〈Art Center Ongoing〉。
1階のカフェではアーティストや美術関係者、鑑賞者などが語らい、
2階では現代アートの展覧会を開催している、小さくて熱いアートセンターだ。

10周年を迎え、記録集『Art Center Ongoing 2008-2018 現在進行形の10年間』が
1月末に発刊された。230本を超える展覧会、
それを支える日々の記録がずっしりと詰まっている。

記録集『Art Center Ongoing 2008-2018 現在進行形の10年間』。クラウドファンディングで250万円集めて実現した。

それぞれに型破りな、未成熟と可能性が渾然一体となった若手アーティストたちが、
これまでにない実験的な表現形態に挑戦できる、
美術館でもギャラリーでもない第3の場「オルタナティヴスペース」として
2008年10月にスタートした。
さらに近年では国内外からのアーティスト・イン・レジデンスも実施。
アーティストたちの人生にも、家族をもつなど、いろいろな変化があった。

ディレクターの小川希さんがアートセンターに着目したのは、
なんと高校生の頃。兄の小川格さんが絵画制作していたベルギーを拠点に、
お金を貯めて2か月間ヨーロッパをバックパックで回っていたときのことだ。

「地方の都市やまちに行くと、大小さまざまなアートセンターがあって。
そこにはギャラリーやカフェがあり、映像作品の上映や演劇、
週末には音楽ライブやシンポジウム、ワークショップなどが開かれていた。
老若男女が集まり、おじいちゃんとおばあちゃんがコーヒーを飲んでいる横で、
若者が芸術談義をしたりしていて、豊かだなあと」

一方、なぜ日本にはアートを中心にして市民が集う場がないのだろう。
ないなら自分でつくろう、と夢を抱いた。

Art Center Ongoingディレクター、小川希さん。

スペースを立ち上げる前の2002年から2006年には、
公募展『Ongoing』を場所を変えながら開催。
応募作家がひとり10票もらえて、ほかの作家たちの前でプレゼンテーションし、
おもしろいと思った作家に投票する。
キュレーターを立てずに、作家が作家を選ぶというかたちの展覧会だ。

「僕の大学生時代である90年代は貸しギャラリーの全盛期で、
10~20万円ほど賃料を払って展示は約1週間、見に来るのは主に友人や親族で、
たまに批評家に認められて『美術手帖』に載ると一喜一憂するみたいな状況で。
もっと社会とアーティストが恒常的につながれないかと考えていました」

その後、「お祭りのようなものではなく、アートの実験など
何かいろいろなことが恒常的に起こっている場所をつくりたい」と、
1階は店じまいした喫茶店で、2階はバーのママの住居だった建物と出会う。
改修工事は、のべ約100人の友人作家のうちから交替で、
ガスや水道などのインフラ以外、ほとんど自分たちの手で3か月かけて改装を行った。

1階のカフェ。カウンターには淺井裕介が描いた絵が残っている。

パスタやカレーなどフードもおいしい。黒板に書かれている以外にもさまざまなメニューがある。

吉祥寺を選んだのは、西側に多摩美術大学など美術大学が複数あり、
多くのアーティストは卒業後も同じ地域でスタジオを構えているからだ。
東側から観客が来られるギリギリの接点でもある。

「僕が中高生の頃は現在より人通りが少なく、ジャズの喫茶店や古着屋など
個人商店が多くて、ほかのまちと違う魅力を感じていました。
それが10年前頃から小さな店が閉まっていき、チェーン店などが進出して
まちが均一化してきちゃった」

そんな状況が進むなか、映画館〈バウスシアター〉では、
現代美術のフィールドで活躍する泉太郎、鈴木光ら10人のアーティストによる、
10分の映像作品の上映プログラム『10x10』を上映。
2014年、惜しまれながら閉館した際には、アーティスト淺井裕介が
壁画を描きつくした。

2階にギャラリー。取材時は、友人の死や恋人との別れを経て生きることに向かった田中義樹『ワイン』が展示されていた。

北海道長沼町〈ながぬま羊まつり〉
羊とともに生きた時代があった。
地域のルーツを紐解くイベント

撮影:金澤睦司

長沼で初開催! 羊づくしのまつり

わたしが住む岩見沢から車で30分ほどのところにある長沼町は、
居心地のいいレストランやカフェがあり、
アーティストや工芸家の工房も点在する個性的なまちだ。
友人たちも多く住んでおり、大工の〈yomogiya〉お弁当屋〈野歩〉など、
おもしろい活動を続ける人々をこの連載でも紹介してきた。

また、地域独自のコミュニティづくりを模索する動きが活発で、
2016年にはスウェーデン生まれの言語学者で、ローカリズムの大切さを訴える
ヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんによる講演会をはじめとする、
さまざまなイベントや勉強会が企画されてきた。

そして今回、長沼というまちの未来を考えたいと活動してきた
いくつかのグループの力が結集して行われた

司会を務めたのは町内に住む荒谷明子さんと安居忍さん。イベントに合わせ割烹着姿の荒谷さんは、連載記事でも取り上げたことのある〈メノビレッジ〉という農場を営み、これまでも多数の講演会の企画をしてきた。

3月21日、映画上映やワークショップが北長沼会館で行われた。
テーマを羊にした理由は、このまちの歴史と深い関わりがある動物だから。
北海道では明治時代から羊毛のために羊の飼育が始まり、
昭和30年代には25万頭以上にもなったという。

なかでも長沼はめん羊が盛んとなり、まつりに参加した
長沼町長の戸川雅光さんによると、最盛期には約4000頭もの羊がいたことも。
町長の家も羊を飼っており、とても身近な動物だったそうだ。

「長沼には昔、紡毛工場があり、皆が羊のセーターを着て、手袋をしていました」

会場には糸車など古い道具を展示。このほか、北長沼の解体された農家で見つかったガラス製写真乾板を白黒でプリントした写真も飾られ、さまざまなかたちでこのまちの歴史を振り返った。

まつりのスタートは、『ラダック 氷河の羊飼い』という映画の上映。
この映画は、北インドの辺境の地ラダックで、たったひとりで数百頭の羊や
ヤギを飼うツェリンさんという女性の暮らしを追ったドキュメンタリー。
上映の前に、主催者のひとりで司会を務めた荒谷明子さんが、
この映画に対する想いを、こんなふうに語ってくれた。

「わたしはこの映画を見て心打たれ、地域の皆さんにも
ぜひ見ていただきたいと思いました。
50年ほど前、道内一の羊の産地だった北長沼。
この映画に登場するツェリンさんの精神は、
かつてこの地にもあったものなのではないかと感じたからです」

『ラダック 氷河の羊飼い』予告編

暮らし体験の旅で人とつながる!
〈島&都市デュアル
暮らしナビゲーター〉のこれから

神戸出身で、淡路島へIターンしたプロジェクトリーダー

兵庫県神戸市・芦屋市・淡路市・洲本市。
海を挟んで近接する4市が、島と都市を両立した魅力的な暮らしを提案する
移住促進プロジェクト〈島&都市デュアル〉。昨年10月の発足から約半年。
プロジェクトはどのように進み、かたちを成してきたのか。

立ち上げと同時にオープンしたWEBサイト
島&都市デュアル 暮らしツアーズ』の編集長を務める
富田祐介さんにお話をうかがいました。

富田さんは神戸市垂水区出身。
学生時代から数年間、淡路島の古民家再生事業に携わり、
その後、東京の設計事務所へ就職。
2011年に淡路島の洲本市へ移住したIターン移住者です。

「東京の設計事務所に勤務する傍ら、個人で企業のイベント企画、
地域資源やつながりを生かしたイベントや
仕組みづくりの提案、運営に関わってきました」

2011年、厚生労働省の委託事業として地域の雇用創出を図るプロジェクト
〈淡路はたらくカタチ研究島〉の立ち上げに合わせて淡路島・洲本市に移住。
その後、独立し淡路島を拠点とした地域ネットワークを生かした
研修企画、観光企画、食企画を行なう〈シマトワークス〉を設立、
地域と人をつなぐさまざまな活動を続けています。

お話をうかがったのは、淡路市長澤にある元小学校の校舎を改装したコミュニケーションスペース〈ノマド村〉。2015年に活動を終了した〈淡路はたらくカタチ研究島〉を引き継ぎ誕生した〈ハタラボ島協同組合〉の活動拠点となっています。週末はカフェやイベントスペースとしても開放中。

すでに観光の企画やプロジェクト戦略を生業にしていたこと、
神戸にあるホテルで神戸と淡路島をつなぐイベントや
ディレクションを行っているなどの実績を買われ、プロジェクトの編集長に抜擢。

「もともと神戸と淡路島で一緒に何かできないかと考えていたということもあって。
今回のお話をうかがい、これはおもしろそうだなと、即お引き受けしました」

神戸と淡路島を自由に行き来し、
働き、遊ぶ。
〈島&都市デュアル〉な暮らし方 

“まちで働き、島で遊ぶ”というライフスタイル

昨年10月に発足した、兵庫県神戸市・芦屋市・淡路市・洲本市の
4市合同による移住促進プロジェクト〈島&都市デュアル〉。

都市の文化が味わえる「都市エリア(神戸市・芦屋市)」と、
自然の豊かさを体験できる「島エリア(淡路市・洲本市)」を
ひとつの生活圏として捉え、明石海峡大橋を渡ることで
それらを短時間で自由に行き来できるという
“都市と田舎のいいとこどり=デュアルな暮らし”を提案しています。

また、プロジェクト発足と同時にWEBサイト
『島&都市デュアル 暮らしツアーズ』もオープン。
プロジェクトに参加する市民の方々が「暮らしナビゲーター」となり、
地域の魅力やデュアルライフを実践している人の紹介する記事を制作したり、
“いいとこどり”な暮らしを体感できるユニークな旅のプランを企画しています。

大手通販会社〈フェリシモ〉で働く徳重正恵さんは、
平日はオフィスのある神戸市中央区を中心に生活、週末になると淡路島へ出向き、
イベントに参加したり仲間たちと手芸活動を行ったりとアクティブに活躍。
島&都市デュアルが提唱する“まちで働き、島で遊ぶ”暮らしを
リアルに実践しているひとりです。

女性向けカジュアルブランド〈haco!〉事業部で商品の生産管理を担当する傍ら、
昨年設立された財団〈PEACE BY PEACE COTTON〉の理事も兼任する徳重さん。

PEACE BY PEACE COTTONは、2008年にフェリシモから生まれた
循環型プロジェクト。
インド産オーガニックコットン製品に基金をつけて販売し、
その基金を活用してインドの綿農家の有機農法への転換支援や
子どもたちの就学・奨学支援を行うという取り組みです。

〈haco!〉で展開する新作サンダルのサンプルチェック。バックルの位置やヒールの高さ、中敷きのクッション性、履いたときのフィット感などを細かく確認します。

2015年からはサブプロジェクト〈STITCH BY STITCH PROJECT〉もスタート。
閑散期の農家の生活向上や女性の自立支援のために、
刺繍アーティスト二宮佐和子さん協力のもと、
インドの農村の女性たちに刺繍の技術を教える活動を行なっているそう。

「指導書や手紙を通じてステッチのコツを細かく指導しています。
刺繍などの付加価値の高い製品加工を村で行えるようにすることで、
彼女たちのお仕事が増えて、少しずつでも収入や生活、そして技術の向上につながり、
彼女たち自身で新たな未来をつくっていけるように支援することを目指しています。
彼女たちが手刺繍を施した商品は、インドでの刺繍のようすを伝えながら、
定期的にhaco!で販売をしています」

〈PEACE BY PEACE COTTON〉のサブプロジェクト〈STITCH BY STITCH PROJECT〉から生まれたアイテム。刺繍アーティスト二宮佐和子さんのデザインをもとに、インドの村に暮らす女の子たちが色鮮やかな刺繍を施したもの。3月末からhaco!で販売開始

小豆島でAirbnb!
新しい島旅のカタチ

Airbnbに関する交流会で、みんなの質問や体験談も

誰かの家や部屋を借りて泊まることができる〈Airbnb(エアービーアンドビー)〉。
使ったことがある人はまだ少ないかもしれないですが、
一度は耳にしたことがあると思います。

Airbnbは「空いてる家や部屋を貸したい人」と
「借りたい人」をマッチングするサービスで、
国内でも6万軒以上の泊まれる場所が登録されているそうです(2018年2月時点)。
「民泊サービス」という言葉でよく紹介されています。

先日小豆島でそのAirbnbの方との交流会がありました。
Airbnbは〈ホームシェアリングラボ〉という活動をしています。

〈ホームシェアリングラボ四国〉の交流会が小豆島のNPO法人〈Totie(トティエ)〉のオフィスで開催されました。

「ホームシェアリング」とは、家や家の一室を
宿泊場所として旅行者などにシェアすること。
日本語で言う「民泊」です。

ホームシェアリングラボは、ホームシェアリングを通して、
人と地域を自由にする新しいライフスタイルを試行する実験室です。
ホームシェアリングを通じて、個人と地域コミュニティ、企業をつなぎ、
新たなホームシェアリングのかたちを模索していきます。

とされていて、具体的には各地域で個人や地域コミュニティ、
企業などと一緒に、情報交換や勉強会を開催したり、
新たな企画を生み出したりしています。

今回はその一環で、香川を拠点に活動しているNPO法人〈アーキペラゴ〉
Airbnbが共に活動している〈ホームシェアリングラボ四国〉の交流会が開催されました。
平日の日中にもかかわらず、島内のたくさんの人が集まりました。
Airbnbにはみんな興味があるんだなぁとあらためて感じました。

Airbnbの林田 潤子さん。

Airbnbとホームシェアリングラボ四国の活動をされているNPO法人アーキペラゴの串田えみさん。

「お客さんがものを壊したときはどうなるのか?」
「6月から施行される住宅宿泊事業法はどんな内容なのか?」
「いまの時期だと海でわかめを採ってきて、それを家で料理するっていう
自分たちの普段の暮らしを体験させてあげたいんだけど、どうしたらいいか?」
「小豆島では“体験”の販売はできるようにならないのか?」
「Airbnbに登録したら、海外のお客さんが泊まりに来てくれたけど、
登録の仕方が間違っていて、ひとり3000円じゃなくて、
全員で3000円になってしまっていた(笑)」

Airbnbに関してはまだまだわからないことが多く、
いろんな意見や質問、体験談が飛び交いました。

体験つきの宿泊プランについても話しました。

Airbnbの体験談も。

不便な暮らしが楽しい!?
山間の美流渡に引っ越して2か月で
発見した、楽しさと豊かさ

静まり返った場所で、鋭くなる感覚

岩見沢の市街地から山間部にある美流渡(みると)に引っ越して2か月が経った。
転居を知った友人たちから、「美流渡の暮らしはどう?」とよく聞かれるのだが、
わたしはまだしっくりした返事を見つけられないでいる。
いまのところ「窓から見える風景がきれいだよ」と答えているのだが、
本当なら、どんなふうに暮らしが変わったのかを話せたらなあと思うこともある。

しかし、暮らしの変化について、ひと言で語るのは難しい。
もともと住んでいた市街地から、ここへは車で30分の距離。
同じ市内ということもあり、息子は昨年からすでに美流渡にある小学校に通っているし、
わたしもフリーランスの編集者として、変わらず仕事を続けている。
つまり表面的には暮らしのベースは変わっていないのだ。

市街地からそんなに離れてはいないが、山々に囲まれた風景が広がる。美流渡は人口400人ほどの小さな地域。

ただ、なんの変化もないかと言えば、そんなことはない。
ゆっくりと確実に“意識の変化”が起ころうとしている。
それをうまく言葉にできないのだが、しいて表すなら、
感覚が鋭くなっているということなのかもしれない。

例えば、そのひとつは「音」に対する感覚。
川や森に近く、隣の家との間隔がかなりあり、
夜には心細くなるほどシーンと静まり返っている。
この静けさのなかに浸っていると、日々混乱していた思考回路が
整ってくるような、そんな気持ちになることがある。

美流渡の夜。雪が積もる冬は特に静まり返っている。ときどき風が吹き抜ける音を感じるくらいだ。

そして、引っ越しとは直接関係ないのだが、
「味覚」や「臭い」にも変化が起こっている。
8か月になる第3子がいることから、添加物の入った食べ物や
農薬を使ったものを減らすように心がけている。
また、もとから柔軟剤や化学的につくられた香料の臭いが苦手だったために、
いま洗剤類は無香料の石けんと重曹だけにした。

こうした生活をしていると、市街地と美流渡の水や空気の
わずかな違いを感じ取れるようになっており、
ナチュラルなものが多い場所に身を置くと、明らかに心が安らいでいるのがわかる。

時折見える晴れ間。葉が落ちた枝に雪がうっすらと積もっている様子は、格別に美しい。

映画館のない飛騨で映画をつくる?
監督、脚本、キャストを
市民が担う映画『ひなたつむ』

飛騨への移住は何が違う?
仕事、住居、暮らしを支える飛騨コミュニティ vol.6

世界中から集まる、多くの旅人の心を掴んで離さない飛騨。
観光地として有名な飛騨は、高山市・飛騨市・下呂市・白川村の
三市一村からなる広域エリアだ。
伝統に触れつつ、新しい生き方を実践できるこの地域には、
観光客だけでなく移住者が増えている。

地域で暮らすうえで、大きなポイントとなるのが、人とのつながり。
縁を感じられる地域には、移住者は自然と集まってくる。
コロカル×未来の地域編集部でお届けする、飛騨の魅力に迫る連載。
外の人々を迎え、つながりを強くする。そんな飛騨のコミュニティを訪ねていく。

映画館のないまちで動き出した市民プロジェクトとは?

飛騨と映画といえば、2016年に大ヒットした
『君の名は。』を思い浮かべる方も多いだろう。
全国の映画館で、ロングラン上映されたこの映画だが、実は飛騨地域には映画館がない。

一見、映画上映とは縁の薄いまちのように思えるが、
飛騨市には、市民を巻き込んで自分たちで映画を制作し、
上映会までしてしまった人々がいる。

飛騨市には、〈飛騨市小さなまちづくり応援事業〉という制度がある。
市民主体のまちを住みやすくする活動に対して、一定の助成金が交付される制度だ。

この制度を利用し、撮影、上映されたのが、
飛騨市を舞台にした短編映画『ひなたつむ』だ。

『ひなたつむ』は、ある家族のあいだで起こった、小さな奇跡の物語。
表裏を返しながらふたつのストーリーが展開するが、
どちらも、ひなたのようにあたたかい映画だ。

飛騨市で撮影し、市民がつくりあげた短編映画『ひなたつむ』撮影現場。

一般募集して集めたというキャストをはじめ、
監督、脚本、制作スタッフすべてに、市民が関わっている。

プロの俳優や、飛騨市長も巻き込み制作されたこの映画は、
いったいどのようにしてつくられたのだろうか。

小商いはスピリット!
鎌倉〈ポンポンケークス〉と
〈ザ グッド グッディーズ〉が
つくる循環の輪

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。
年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

鎌倉のいまを象徴するふたつのお店

観光客で賑わう鎌倉のまちを隈なく歩いてみると、
個人経営の飲食店や雑貨店などを各所で見つけることができる。
これらのお店は、規模こそ決して大きくないが、
固定のファンを持ち、店主を中心にした多様なコミュニティが形成されている。

その営業スタイルもユニークで、
本業の傍ら、週の半分だけオープンする雑貨店から、
飲食店の一角を間借りして週末だけ現れる立ち呑み屋まで、
近年注目されている「小商い」を体現するようなお店も多い。

手づくりケーキをカーゴバイクに乗せて販売する行商スタイルからスタートした〈ポンポンケークス〉の立道嶺央さん。(photo:HIDEAKI HAMADA)

今回の登場人物のひとり、〈ポンポンケークス〉の立道嶺央さんもまた、
カーゴバイクに手づくりケーキを乗せ、
自らが育った鎌倉のまちなかで売り歩く行商スタイルが話題となり、
「小商い」を特集するメディアなどでたびたび取り上げられてきた。

一方、関西から鎌倉に移り住んだ内野陽平さんは、
当時アルバイトをしていた飲食店のスペースを借り、朝限定のカフェを始めた。
そして、立道さんとの出会いがきっかけで、鎌倉駅近くの御成商店街に、
コーヒースタンド〈ザ グッド グッディーズ〉をオープンした。

鎌倉駅西口を出てすぐの御成商店街の路地裏にある〈ザ グッド グッディーズ〉。

その2年後には、立道さんが鎌倉中心部から離れた梶原エリアに
〈ポンポンケークス ブールバード〉を、さらに2018年には、
お店で使う食材や道具などを販売する〈ポンポンパントリー〉を、
そのすぐそばにオープンしたばかりだ。

移動販売、朝限定のカフェからスタートし、
いまや鎌倉のまちに欠かせない人気店を営むに至ったふたりに話を聞いた。

鎌倉駅からバスに15分ほど揺られると、ポンポンケークス ブールバードがある梶原エリアに到着する。

〈HOMEMAKERS〉で
映画『simplife』上映会。
身の丈にあった暮らしとは?

「タイニーハウス」の小さくて美しい暮らしの風景

太陽の日差しはもうすっかり春。
畑の野菜や草たちも一気に目覚め、冬とはあきらかに違う速さで成長しています。
〈HOMEMAKERS〉カフェも2か月の冬季休業期間を終えて、ようやく営業再開です。

2か月ぶりにあがった〈HOMEMAKERS〉の旗。

今年もここで新たな出会い、おもしろいことがたくさん生まれるといいな。

やっぱり人が来てくれるのはうれしい。

今年の2月22日で、HOMEMAKERSカフェは4周年を迎えました。
まだまだ浅い歴史だけれど、この4年で常連さんもでき(ありがたし!)、
だいぶHOMEMAKERSカフェの“色”ができたように思います。

その4周年のお祝いと、今年もここで共に楽しみましょーの思いを込めて、
営業再開した週末に、カフェで映画の上映会をしました。
今年は映画の上映をしたり、勉強会やイベントを企画したり、
いままでやってこなかったことを少しずつ増やしていきたいなと思ってます。
HOMEMAKERSカフェがまた新たな場になるように。常に更新!

「身の丈の暮らし」をテーマとしたロードムービー『simplife』。

今回上映したのは『simplife(シンプライフ)』という映画。
アメリカ西海岸で広がりを見せる
「タイニーハウス・ムーブメント」のパイオニアたちを訪ね、
小さくて美しい暮らしを実践している彼らの言葉や暮らしの景色から、
新しい幸せのカタチを探しに行った
「身の丈の暮らし」をテーマとしたロードムービーです。

この映画をつくったBen Matsunagaさんも来てくれました。

タイニーハウスで暮らす方々の想いや生き方が紹介されていきます。

Benさんとは友人の紹介で知り合い、カフェにも何度か遊びに来てくれていました。
『simplife』は全国のいろんな場所で上映されてきていて、
小豆島でも上映できたらいいね! と話していて、
それならHOMEMAKERSでできたらいいなぁと。そんな流れで実現した上映会。
(自主上映会されたい方はこちらから申し込むことができます)

夜19時から上映スタート。(撮影:牧浦知子)

店内のテーブルを出して、椅子を並べて上映会場に。(撮影:牧浦知子)

北海道・長沼〈野歩(のほ)〉
地元の農家さんを応援したい!
オーガニック野菜がおいしいお弁当

人と人とをつなぐ才能を持った友人、黒川文恵さん

北海道にエコビレッジをつくりたい。
わたしは自分の夢を友人たちに話していくことで、
この数年のあいだに世界が大きく広がったように思う。

「それなら、みっちゃん、あの人に会ったらいいんじゃない?」

道内の友人たちはそう言って、興味深い活動をしている人を次々と紹介してくれる。
なかでも、特にたくさんの人と引き合わせてくれた
黒川文恵さんのことを今回は書いてみたいと思う。
彼女は、昨年、ようやく自分のやりたいことをかたちにし、
長沼で小さなお弁当屋さんを始めたところだ。

岩見沢生まれの黒川文恵さん。大学進学のためにいったん上京し、30歳で北海道へ戻った。一時は就職するが、その後5年ほど農家の手伝いをしながら暮らしていた。

文恵さんと出会ったのは、わたしが北海道・岩見沢に移住して数年が経った頃のこと。
同じ市内に住んでいた彼女は、農家で畑仕事をしながら、
自分の進むべき道を探っていた。

通っていた何軒かの農家は、いずれも農薬を使わず有機栽培を行うところ。
こうした環境に負荷をかけない農法に興味を持っていた文恵さんは、
食の安心安全を考え、食を通じた持続可能な社会を目指そうとする
スローフードの活動にも関わっていた。
そして、北海道各地のローカルな場所で、独自の生き方を模索している人々との
つながりをたくさん持っていたのだった。

2017年4月から〈ごはんや 野歩〉を始めた。最初は配達がメインだったが現在では店舗販売も。

「会わせたい人がいるから」、彼女はそう言って
何人もの友だちをわたしに紹介してくれた。
実際にエコビレッジのような場所をつくっている人や
山の恵みを生かした暮らしをしている人など、その活動はさまざまだが、
会うと必ずと言っていいほど意気投合できるのだった。

初対面なのにもかかわらず、仕事のことや子どもの教育のこと、
ときには政治や経済のことだって、深く意見交換できることに驚いた。
北海道に移住して2、3年は、友人関係も広がらず、
寂しさを感じることもあったなかで、こうして本音で語り合える人たちと
めぐり合えたことは、わたしの大きな心の支えとなった。

店内では料理関連の本も販売。本屋でアルバイトをしていた経験が生かされている。

こんなふうに、わたしのことをいつでも気にかけてくれていた文恵さんだが、
お弁当屋さんを開くまでの彼女は、いつも自分のことは
“後回し”にしているように思えてならなかった。

「自分が出会ってきた有機栽培や自然栽培の農家さんたちの
野菜を使った加工品をつくってみたい」

農家で働いている頃から彼女はそう話していたが、
なかなかベストな方法が見つけられずに、暗中模索の時期が長かったように思う。

畑を手伝うだけでは収入は十分でなく、厨房の経験を積むために
レストランで働いたり、給食センターで働いたりした時期もあった。
そして、あるときは、わたしの住む美流渡(みると)地区で
一緒にカフェができないかと模索したり、またあるときは、
真空パックしたカット野菜をつくって札幌に卸してみたこともあった。

お弁当の配達も自分で行く。美流渡で開催したイベントのときも、長沼から車で40分ほどかけて、お弁当を届けてくれた。

野歩のお弁当は、近郊でとれた有機栽培や自然栽培の野菜がいっぱい。厚焼き卵も長沼の平飼いの卵。調味料も無添加のものを選んでいるが、値段は650円とお手頃。

飛騨のエアルーム野菜をつくる!
農家コミュニティ
〈Craft Harvest Hida Takayama〉
が考える循環型社会

飛騨への移住は何が違う?
仕事、住居、暮らしを支える飛騨コミュニティ vol.5

世界中から集まる、多くの旅人の心を掴んで離さない飛騨。
観光地として有名な飛騨は、高山市・飛騨市・下呂市・白川村の
三市一村からなる広域エリアだ。
伝統に触れつつ、新しい生き方を実践できるこの地域には、
観光客だけでなく移住者が増えている。

地域で暮らすうえで、大きなポイントとなるのが、人とのつながり。
縁を感じられる地域には、移住者は自然と集まってくる。
コロカル×未来の地域編集部でお届けする、飛騨の魅力に迫る連載。
外の人々を迎え、つながりを強くする。そんな飛騨のコミュニティを訪ねていく。

田舎暮らしは実験の連続だ

雪深い、飛騨高山の森の中。
ゲストを快適に迎えるため、玄関先で男性が雪かきを始めた。

「飛騨の冬は雪があって、あたりまえ。
自然の美しさを感じられる瞬間だから、雪かきも大切な暮らしの一部です」

そう話すのは、高山市の森の中で〈オーベルジュ飛騨の森〉を営む、中安俊之さんだ。
オーベルジュとは、宿泊施設つきのレストランのこと。

取材で訪れた日は豪雪。宿泊していたゲストたちも、宿でゆっくり過ごしていた。

中安さんは、イタリアとオーストラリアでシェフとして活躍し、
長年の海外生活を経て3年前に帰国。
1979年から〈飛騨の森〉というペンションを経営していた奥さんの実家がある
高山市に移住し、地域に根ざした暮らしにシフトした。

飛騨の森は、イタリア料理も楽しめるオーベルジュとして生まれ変わり、
中安さんたちが戻ってきてからは外国人旅行者も増えた。

〈オーベルジュ飛騨の森〉オーナーの中安俊之さん。

中安さんは、高山で自然の恩恵を受けて暮らせていることに、
日々、思いをめぐらせているという。
山はなぜ美しいのか、水がなぜおいしいのか、
そういったことを突き詰めて考えていくと、
田舎はスローライフではなく、実験の連続なのだそう。

自身の考えるまちのビジョンを熱く語り、より良い暮らし方を追求する
中安さんが目指すのは、持続可能な循環型社会だ。
そのヒントを得たのは、イタリアの地方だという。

「この土地に誇りを持ち、自信をもって発信できる人たちを増やしていきたい。
シンプルな考えですが、自分がかつてイタリアの地方で感じていたことを、
高山でもあたりまえにしたいと思っています」

その手段のひとつとして、飛騨地域の農家コミュニティ
〈Craft Harvest Hida Takayama〉を立ち上げたのが2017年の夏。
土と向き合う文化を未来につなげる、若手農家の知識の共有の場だ。

山に囲まれた農地で、待ちに待った収穫。(写真提供:Craft Harvest)

寒冷地で冬が長い飛騨では、作物の収穫時期は限られる。
農業は、個人や家族単位で取り組むことが多いため、
より良い作物を育てようと大胆に実験するにはリスクも伴う。

「作物にもよりますが、この地域だと、年に1、2回しか収穫できません。
そうすると、人生ずっと畑と向き合っても、自分で実験できる回数は限られています。
個人ではなく、地域の農家同士が知識を共有することで、
実験する野菜のテストサイクルを短くできると思っています」

中安さんは、こうした取り組みを通して、
次の世代にバトンを渡すプロセスこそ重要だと話す。
そもそも、どういった経緯でこのような考えに至ったのだろうか。

古い家を直して暮らす。
改修のビフォーアフター!

暮らしながら、いまも少しずつ改修中

私たちがいま暮らしている家は、築130年くらいの古い農村民家です。
たくちゃん(夫)のひいおじいちゃんの代に建てた家
(いつか詳しいことを調べてみたいなと思ってます。
ファミリーヒストリーをもっと知りたい!)。

何十年も人が暮らしてきて、その時々の暮らし方によって手を入れてきた家。
もともとは土間があって竈(かまど)があって、そこで料理をしていたんだろうけど、
そこに床をつくって流しやガスコンロを設置して新たな台所ができたり。
建てた頃にはなかったであろう壁が設置され、部屋が小さく分けられていたり。
そうやって継ぎはぎされて変わってきた家の歴史をひもといていくのは
結構おもしろかったりします。

5年前の冬。最初の写真と比べるとだいぶ玄関まわりは変わりました。

私たちがこの家で暮らし始めたのはいまから5年半前。
私たちにとっての幸運は、古いままで残っているものが多かったこと。
竈は使われてはいなかったけどそのままの形で残っていたし、
家も大きなリフォームはされていませんでした。

ただ逆に言うと、傷んでいる部分がけっこうあって、
床下の材が腐って、床がべこべこしてるところは何か所もありました。
家の横に蔵も残っていたのですが、雨漏りはひどいし、
土壁がくずれてしまって壁がないところはあるしという状態。
5年半経ったいまも、現在進行中でいろいろなところを直しています。

改修前のキッチン。

古いキッチンはすべて撤去して、新しく入れ替えました。

ふと、もともとここはどんな家だったかなと思うことがあり、
改修前の家の写真を見る機会があったので、ビフォーアフターを比べてみようと思い、
改修前と同じようなカットで写真を撮りました。

改修前の竈。すでに使われておらず物置きになってました。

竈は残しました。煙突部分を黒く塗り直しただけでだいぶ雰囲気が変わりました。

ちなみにこれから家を改修しようと思っている方は、
改修前の写真を隅々まで撮っておくことをおすすめします。
当たり前ですが、改修したら前の状態はなくなってしまうので。
その家の歴史を残しておくためにも!
後々、比較したりすると楽しいですしね。

改修前の玄関から居間への引き戸。

畳から板張りに改修。引き戸は新しいものに入れ替え。

ちなみに私はちゃんとしたカメラでは撮ってなくて、
iPhoneで撮ったものしか残っていません。
ま、それでも残っていただけよかったですが。

改修前の縁側。

縁側の床はかなり傷んでいたので張り替えました。窓は透明ガラスに入れ替え。

移住者がさらなる移住者を呼ぶ。
小樽から美流渡へ、
古家でカフェを開く夢を持つ家族

写真提供:Out Works Zootj

運命の糸に導かれるように美流渡(みると)へ来た人

わたしが今年の1月にようやく移住を果たした岩見沢の山間部、美流渡(みると)。
ここに住む人々について、この連載で何度か紹介してきたが、
まだまだ書き足りない、そんな想いを持っている。

昨年秋にこの地へやってきた新田洵司さん、陽子さんは、そうした家族で、
わが家の境遇と重なる部分が多いのも、不思議なめぐり合わせなのかなと思っている。
お互い東日本大震災がきっかけで北海道に移住し、
数年間は住宅街で暮らしていたが、同じくらいの時期に美流渡へ転居。
ほかにも共通点があって、0歳児の子育て真っ最中だし、
古家を自分たちで改修しているところも親近感がわいてくる。

陽子さんと洵司さん。長女の晴ちゃん。神奈川で暮らし、ともにアウトドアメーカーに勤務。2013年2月に洵司さんの出身地である小樽に移住。陽子さんは、そこで〈コーローカフェ〉を営んでいた。

しかし今回、取材にあたって、陽子さんに話をじっくり聞く機会をもらい、
大きく違う点もあることに気がついた。
彼女が美流渡への移住に“ゆるがない気持ち”をもっていたことだ。

わたしたち家族は、右往左往しながら(ゆらぎすぎ!)
美流渡への移住に2年もかかってしまったのだが、
彼女はこの地に足を踏み入れたその瞬間から、
まるで強い磁石に引きつけられるように、たった半年で移住したのだった。

新田さん家族が住む家から見える景色。山に囲まれ、炭鉱住宅が並ぶ場所。(撮影:新田陽子)

わたしが初めて新田さん家族を訪ねたのは昨年10月。もと炭鉱住宅を改修しており、内壁をこれからつくろうという段階。まだ工事現場といった状態のなかで、家族は暮らしを始めていた。

「小樽でカフェをやっていたんですが、ちょうど軌道にのってきた頃に、
子どもを授かったんです。そのとき、どこかに移住したいとフッとひらめいたんですね」

この“ひらめき”は、彼女の第六感と言い換えられるのかもしれない。
さっそく、陽子さんは移住について友人に相談。
すると友人は、彼女に合いそうなところとして、美流渡という場所を教えてくれ、
この地区の地域おこし推進員(協力隊)につないでくれたのだった。

取材の日に訪ねると、中は見違えるように整っていた。梁をそのまま生かしつつ天井を広くとるようにしている。

コーヒーを淹れてくれた陽子さん。小樽で営んでいたカフェで出していたオリジナルブレンド。