鎌倉~逗子ローカル御用達!
〈ヨロッコビール〉が考える、
クラフトビールを通じた
「まちの幸福論」

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

撮影協力:THE BANK

〈ヨロッコビール〉が飲める店のひとつ〈THE BANK〉。かつて銀行として使われていた洋館をバーとして改修。インテリアデザインを手がけたのは、現オーナーでもある〈ワンダーウォール〉片山正通氏。(撮影協力:THE BANK)

地元民しか知らないビール!?

私事だが、三度の飯よりも、お酒が好きだ。
ビール、日本酒、ワイン、焼酎、ウイスキー……。
酒と名がつくものなら、まずは何でも試してみるし、
とにかくおいしいお酒には、目がない。

そんな僕が鎌倉に移住してから、こんなにうまい酒があったのか! と感動したビール。
それが、鎌倉のすぐ隣、逗子市久木にある〈ヨロッコビール〉だ。

いわゆる「マイクロブルワリー」よりもさらに小さな
「ナノブルワリー」と呼ばれる規模の醸造所でつくられるビールは、
その生産量の少なさから、鎌倉~逗子界隈の限られたお店でしか飲むことができない。

だからこそ、その存在を知る機会がなかったわけだが、
初めてヨロッコビールを口にしたとき、
全国に数多あるクラフトビールの中でも群を抜く味わいに驚き、
同時に、それが地元でつくられていることに喜びを感じたことを鮮明に覚えている。

ヨロッコビールでは、IPA、ペールエール、セゾン、ポーターなど季節に応じてさまざまなビールがつくられている。ラベルのデザインは地元アーティストによるものが多い。

ヨロッコビールでは、IPA、ペールエール、セゾン、ポーターなど季節に応じてさまざまなビールがつくられている。ラベルのデザインは地元アーティストによるものが多い。

いま、世の中は空前のクラフトビールブームだ。
趣向を凝らした個性的なビールが各地で次々と生まれている。
選択肢が増えることは、飲み手にとってはありがたい限りだが、
最近はこのブームに乗じて、地域PRやまちおこしの手段として
ビールづくりが利用されることも少なくない。

もちろん、そのビールがつくられた地に思いを馳せることも豊かな体験だが、
地域の人たちがおいしい地元のビールを日常的に飲めること、
そして、その存在に誇りを感じられることこそが、
クラフトビールが提供してくれる真の喜びなのではないか。
ヨロッコビールと出会い、僕はその思いを強くした。

クラフトビールがブームになる以前から、カルチャーとしてのビールづくりに魅了され、
ビールを通じて地域との密接な関係性を築いてきた
ヨロッコビールの吉瀬明生さんを訪ねた。

逗子市久木にあるヨロッコビールの醸造所。多くの人がイメージするであろう大手メーカーのビール工場などに比べると、肩透かしを食らうほどこぢんまりとした空間だ。

逗子市久木にあるヨロッコビールの醸造所。多くの人がイメージするであろう大手メーカーのビール工場などに比べると、肩透かしを食らうほどこぢんまりとした空間だ。

空き家を、落ち着く、懐かしい、
おしゃれな空間にリノベーション。
富山県内川のカフェ〈六角堂〉秘話

マチザイノオトvol.2

前回は、富山県に移住して、情緒ある漁師町と
そこを流れる内川の昭和レトロな風景に出会い、
空き家だった「六角の家」をリノベーションしようと思った経緯について
お話させていただきました。

今回は、実際にリノベーションに着手して経験したいろいろなこと、
そして建築素人だった僕が学んだ数々の知識や技術的なことについて、
ご紹介していきます。

三叉路と橋でまちとつながるロケーション

当時の僕は、建築的な知識がほぼなく、この六角の家は
「古い木造の家」というくらいの認識でした。
古民家の定義もさることながら、町家と長屋の違いもわからないし、
現代的な木造住宅と伝統的な木造住宅がどう違うのかも知りませんでした。

その一方、ロケーションという観点では、全国各地の超過疎地を巡り、
地域活性化のお手伝いをしてきたときの感覚や自分なりの方程式があって、
それが大変役に立ちました。
人通りがあるか、駅に近いか、近くにランドマークがあるか、
などの見方は僕のものさしの中にはありません。

人知れず、毎年春になったらきれいな花を咲かせる山桜のごとく、
当たり前のように日々の暮らしや仕事などの営みを繰り返し、
継承されてきた素朴な生活風景に魅力を感じてしまいます。

僕は、リノベーションという行為が、
地域やそこに暮らす人々との関係にまで影響を及ぼすプロジェクトになってこそ
「リノベーション」なんじゃないかと思い、
当初から建築行為をプロジェクトの中心に置かないようにしようと考えました。
建築にあまり詳しくなかったのが結果的に良かったのだと思います。

前回、この六角の家が建っている三叉路が曳山祭りの見せ場のひとつになっていて、
曳山が角を曲がりやすいように交差点の角が切られているとお伝えしましたが、
これこそが地域との大事な接点だと思いました。

もし六角の家が取り壊されてしまったら、長年続いてきた
「曳山であそこを曲がるのは大変なんだ」という語りぐさがひとつ消えてしまいます。

ここがカフェとして再利用され、毎年、曳山がこの角を曲がるのに苦労する、
曳手は緊張する。そういう様子をカフェの店内から見守る。
そんな場所として地域の営みとつながることができれば最高です。

もうひとつは、ベンガラ色に塗装された屋根つきの木造橋、
「東橋(あづまばし)」が六角の家のすぐ近くにあるというロケーション。

この橋は歩行者専用の小さな橋です。
いまのように改築される以前は、屋根のないシンプルな木造橋でした。
この地域はいまでも銭湯が数軒ありますが、その昔は、
お風呂のある家が少なかったため、もっとたくさんの銭湯があったそうです。

この橋は、銭湯を利用する人が風呂桶を抱えて行き来し、
すれ違いざまに他愛のない会話が繰り広げられた日常使いの通路です。
人の往来は極端に少なくなりましたが、この建物が畳屋だった頃の様子を
語ってくれる先輩方とお会いできるのは、この東橋があるおかげです。

内川には直接面していないけど、三叉路と東橋によって
六角の家がまちとつながっている、そんなロケーションに魅力を感じました。

熊本地震を経て、
南阿蘇鉄道のいまと、駅舎本屋
〈ひなた文庫〉の考えること

熊本地震と南阿蘇鉄道のこと

いまから約2年前の2016年4月に熊本地震が起こり、
南阿蘇鉄道も甚大な被害を受けました。
私は〈ひなた文庫〉を、南阿蘇鉄道の無人駅のひとつを借りて営業しています。
今回は熊本地震と、被害を受けた南阿蘇鉄道のお話をしようと思います。

ひなた文庫のある駅は日本一名前の長い駅名でもあります。

ひなた文庫のある駅は日本一名前の長い駅名でもあります。

南阿蘇鉄道は世界ジオパークに認定された阿蘇山のカルデラ地域を走るローカル線で、
1985年に旧国鉄から第三セクターとして引き継がれました。
始発から10の駅を通り、立野駅でJR豊肥線に乗り換えることができます。
地元の方の交通手段だけでなく、観光列車として、車掌さんの解説つきで
南阿蘇の風景を楽しむことができるトロッコ列車も運行しています。

いまは崩れてしまったトンネル。

いまは崩れてしまったトンネル。

それぞれの駅舎もユニークで、ひなた文庫のほかにも、
シフォンケーキがおいしいカフェや、
料理教室を行う自然食のカフェが営まれている駅舎、
温泉が併設された駅舎など、バラエティに富んだ駅を持つローカル線でした。

温泉の併設されていた「阿蘇下田城ふれあい温泉駅」。地震後2年経ってもビニールシートがかけられたまま営業はしていません。

温泉の併設されていた「下田上温泉駅」。地震後2年経ってもビニールシートがかけられたまま営業はしていません。

駅舎でひなた文庫の営業を始めてもうすぐ1年という頃には、
この駅から通学する高校生が乗車前に本をパラパラと見て行ったり、
病院に行くために乗りに来たおばあさんが昔の思い出話をして、
ついでに欲しい本を頼まれたりするようになっていました。
始めた当初は地元の方に受け入れられるか不安な部分もあったので、
やさしく受け入れてもらえてほっとした頃でした。

子どもたちと一緒に図鑑を見たり。

子どもたちと一緒に図鑑を見たり。

そんなとき、熊本地震が起きます。
2016年4月14日、前震と呼ばれる震度7の揺れが発生し、
その後16日に再び震度7の本震が熊本地方で発生。

私たちは14日の揺れで駅舎が心配になり、
15日の夜に阿蘇大橋を通って被害がないか確認に向かいました。
幸い駅までの道も建物にも被害はなく、その日は阿蘇の実家に泊まり、
次の日もいつもどおり駅舎で本屋を開けるつもりでいました。

しかし眠って数時間後、ゴォーという地響きのような音と、
いきなり肩を掴んで思い切り揺さぶられているような激しい揺れで
恐怖のなか飛び起きます。急いで玄関に向かうも扉は歪んで開きません。
縁側の扉を開けて家族で外に飛び出すと、真っ暗な裏山からは
カラカラと小石が落ちてくる音がしていました。

貴重品などを持ち出す余裕もなく、
車に乗って近くのコンビニの駐車場で夜が明けるのを待ち、
ようやく周りの状況がわかったのは、次の日のお昼ぐらい。
どうやら大橋が落ちたらしいと周りの人が言っていました。

発電機のある場所でテレビを見てみると、
昨日まであった橋が山ごと地滑りを起こして消えている映像が。
その橋というのは、私たちが駅舎を確認しに行くときに通った阿蘇大橋。
全長200メートルもある立派な橋が跡形もなく谷底に消えている映像は、
もはや見馴れた場所のものではなく、ましていまいる場所から
2〜3キロしか離れていない場所だとは到底思えませんでした。

阿蘇大橋のあった場所。跡形もない。

阿蘇大橋のあった場所。跡形もない。

洋風建築と土蔵をリノベーション。
高岡〈山町ヴァレー〉と
〈町衆高岡〉がめざすまちづくり

自分の暮らすまちにごみが落ちていたら、率先して拾うだろうか。
自宅の目の前は別として、自宅とは無関係の場所に落ちていたら、
見て見ぬふりをする人も少なくないはずだ。

2017年4月に一部オープン、11月にグランドオープンした
〈山町ヴァレー〉という観光拠点は、富山県西部の高岡市にある。
高岡駅から山町ヴァレーに向かって歩くと、15分程度の移動時間だが、
そのわずかな間にごみを拾う住人をふたりも見かけた。
取材で話を聞いた山町ヴァレーの建築家も、取材後に近所を一緒に歩いていると、
不意に身をかがめ、小さなごみを拾った。住民のまちに対する愛着を感じる瞬間だ。

その高岡の新たな拠点として、
地域住人から期待を背負って誕生した観光拠点が、山町ヴァレーだ。
木造3階建ての洋風建築と土蔵群を抱える
元文具商の「旧谷道家」をリノベーションした施設で、
2017年4月の一部オープン以来、来場者は累計で2万1000人を達成している。

新たな拠点の誕生で、周辺の通行人も目に見えるかたちで増えたという。
今回はその山町ヴァレー誕生に深く関わるメンバーに話を聞いた。

「近所」の有志が立ち上げた、町衆文化の発信拠点

山町ヴァレーは、高岡の山町筋という通り沿いにある。
一帯は重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、
メインストリート沿いには土蔵造りの町屋、レンガ造りの洋風建築など、
戦災を免れた明治、大正、昭和初期の建築物が多く残る。

1914年に建てられた大正時代の洋風建築。清水組の田辺淳吉が設計し、辰野金吾が監修。現在は富山銀行本店として使われている。

1914年に建てられた大正時代の洋風建築。清水組の田辺淳吉が設計し、辰野金吾が監修。現在は富山銀行本店として使われている。

山町ヴァレーから目と鼻の距離には、国の重要文化財である〈菅野家〉、
築100年を超す土蔵造りの建築が見事な〈塩崎商衡(しょうこう)〉の本社があり、
観光客の目を大いに楽しませるが、まさにその菅野家に暮らす菅野克志さん、
塩崎商衡の代表取締役社長・塩崎吉康さんが、山町ヴァレー創設の中心メンバーだ。

菅野克志さんは、地元の〈高岡ガス〉の社長でありながら、
高岡市の中心市街地活性化、まちづくりを行う
〈末広開発〉の4代目社長に就任する地元の名士。
一方、塩崎吉康さんは、「秤なら塩崎」と
地元で名声を博す老舗企業の社長を務めながら、
〈町衆高岡〉という会社を地元の有志と立ち上げ、山町ヴァレーの運営にあたる。

山町筋には、土蔵造りの町屋など古い建物が建ち並ぶ。

山町筋には、土蔵造りの町屋など古い建物が建ち並ぶ。

まずは菅野さんに、山町ヴァレー立ち上げの経緯を聞いてみた。

「山町ヴァレーのプロジェクトが立ち上がったのは、2014年12月。
2012年か2013年くらいから、この建物は空き家になっていました。
私も塩崎さんも近所に住んでいますから、
『何とかしなければ』と気になっていたんです。
当時、まちづくりに関係する人や行政の人との間で意見交換会を行っていたのですが、
そのなかで高岡らしい町衆文化の発信をしていく拠点として
この建物を活用しようという話になりました」

〈末広開発〉の社長・菅野克志さん。

〈末広開発〉の社長・菅野克志さん。

高岡らしい町衆文化とは、明治、大正、昭和にかけて、
高岡の商人が最も商人スピリットを発揮していた頃の町文化。
往時の活力や文化を取り戻したいと願いを込め、
山町ヴァレープロジェクトが立ち上がった。

具体的な役割分担としては、土地を借り上げ、建物の部分を購入した末広開発が、
2016年から2018年にかけて3年計画で建物を改修、その後の管理・運営も行い、
一方の町衆高岡は、末広開発からの委託というかたちで、
山町ヴァレー内で開催されるイベントの企画、立案、実行を通じて
にぎわいをつくる役割を担ってきた。

富山市岩瀬〈桝田酒造店〉
桝田隆一郎さんの考える
「まちづくり」とは

「最近、岩瀬のまち並みがとてもすてきになった」という声を聞く。
富山県富山市の北部にある岩瀬は、
海運で江戸時代の末期から明治の初期に絶頂を迎えた港町である。
時代の変化とともに海運業が衰え、一時期工場の誘致が盛んになるものの、
人口減は進み、まちの活気は失われていったと「東岩瀬郷土史会」の会報にある。

その岩瀬に美しいまち並みをつくろうと立ち回る、地元の名士がいる。
桝田隆一郎さんだ。桝田という苗字は岩瀬の土地で大いに鳴り響く。
まちの人に声をかけるたび、「桝田の社長さん」の評判を耳にした。

その桝田家の現当主にして、〈桝田酒造店〉の5代目社長、
〈岩瀬まちづくり会社〉社長も務める桝田隆一郎さんに、
岩瀬の「まちづくり」について聞いた。

行き当たりばったりの行動が、まちづくりにつながる

桝田隆一郎さんは1966年、岩瀬に生まれる。
地元の学校を卒業後、大学進学や留学、就職でまちを離れ、
自らの父親が社長を務める〈桝田酒造店〉に入社した。

その後、岩瀬にある元材木店を購入し、改修をして、
そば屋のオープンにつなげたところから、
いわゆる「まちづくり」のような活動が始まっていくのだが、
足跡を年度順に追って確かめようとすると、
何年に何をしたとは正確に覚えていないという。

それでも過去の情報、あるいは桝田さんの記憶を参考に考えると、
桝田さんの「まちづくり」は、恐らく1998年頃からスタートしている。

先ほど触れたそば屋のオープン後も、岩瀬で売りに出た、
あるいは取り壊される予定だった土蔵群や家屋を購入し、
改修しては陶芸家や木彫刻家の拠点をつくり、酒商をつくり、レストランを誕生させた。

その過程で〈岩瀬まちづくり会社〉が発足し、リノベーションされた物件が増え、
市によるメイン通りの無電柱化も行なわれ、まち並みの美しさは高まっていく。

無電柱化もされた岩瀬のメインストリート。

無電柱化もされた岩瀬のメインストリート。

振り返れば「まちづくりプロジェクト」にも見えるが、
桝田さんによれば、当初は計画的に構想を描いて何かを進めたのではなく、
「行き当たりばったり」に物件を購入しては、改修を進めていったのだという。

「計画的に構想を描いていたのではなくて、物件を1軒買うことによって、
家を売りたい人が助かって、大工さんに仕事ができて、
作品を売る場所がないと言っていた陶芸家の作品の展示場所ができて、
桝田酒造のテイスティング場所ができると思いました」

海運業で栄えた岩瀬の名家・森家の回船問屋。国指定重要文化財。

海運業で栄えた岩瀬の名家・森家の回船問屋。国指定重要文化財。

その結果、岩瀬のまちが姿を変えていく。
ビジョンなきスタートだった「まちづくり」も、改修された物件が増え、
まち並みが変わってくると、「後づけビジョン」も生まれてきた。
現在も工事の進む物件が存在し、割烹と日本酒の立ち飲み屋、イタリアン、
クラフトビールの工場とクラフト作品の発表の場がオープンに向けて動いている。

こちらも海運業で栄えた名家・馬場家。馬場はるさんは富山の教育に圧倒的な貢献を果たした。

こちらも海運業で栄えた名家・馬場家。馬場はるさんは富山の教育に圧倒的な貢献を果たした。

これらの取り組みによって桝田さんは、
「ちょっと、まち並みが整うかなと思います」と、
ご自身のビジョンとの距離感を教えてくれた。

桝田隆一郎さんの言うまち並みとは、ヨーロッパが基準となっている。
「あまりにも美しさが違い過ぎるから、まち並みでは勝てない」とし、
埋めがたい圧倒的な差を前提としているため、「ちょっと」という表現になる。
しかし、冒頭でも述べた通り、岩瀬のまち並みが「とても」すてきになったという声は、
富山市民や県民から盛んに聞こえるようになった。

大切な日常、小豆島の「虫送り」

虫よけと豊作を祈願する伝統行事

いやー、本当に暑い日が続きますね。
小豆島も灼熱の日々が続いています。
昼間の畑仕事は体への負担が大きすぎるため、最近は朝夕に外作業、
日中は屋内でできる作業をするようにしています。
というかほんとにこんなに暑い中で働くのはナンセンスなような気さえしてきます。
大人も夏休みをとるべきだなと!

7月中旬から急に暑くなったのですが、その前には小豆島でも雨がたくさん降りました。
幸いこちらでは大きな被害はありませんでしたが、
瀬戸内海周辺の地域ではたくさんの被害がでていて、
本当に本当にこの暑さの中での復旧作業、避難生活は
想像を絶するしんどさだと思います。

これ以上被害がでないように、どうかみなさん無理をなさらず。
そして少しでも早くいつもの生活が戻ってくることを願います。

この大雨と続く暑さのせいもあって、7月は振り返る間もなく
あっというまに日が過ぎてしまい、気づけば子どもたちは夏休みです。
日常がすごい勢いで流れてしまっている……。大切な日常をきちんと記しておかねば。
というわけで、今日書くのは7月上旬のできごとです。

この日は風が強く、稲が風になびく姿が美しかった。

この日は風が強く、稲が風になびく姿が美しかった。

こんなにもきれいな緑のじゅうたんが広がるのは、生産者さんの日頃の手入れのたまもの。

こんなにもきれいな緑のじゅうたんが広がるのは、生産者さんの日頃の手入れのたまもの。

7月は田んぼの力強い緑色がとても美しい季節です。
5月に植えられた稲はたくましく育ち、あっという間に地面が見えなくなり、
緑のじゅうたんが広がります。
毎年この季節に行われるのが、小豆島の伝統行事のひとつ「虫送り」です。

虫送り当日、子どもたちは肥土山離宮八幡神社に集合します。

虫送り当日、子どもたちは肥土山離宮八幡神社に集合します。

集合時間までみんなで遊ぶ風景もまたいい。

集合時間までみんなで遊ぶ風景もまたいい。

私たちが暮らしている小豆島・肥土山(ひとやま)地区では、
夏至から数えて11日目にあたる半夏生(はんげしょう)の日、7月2日頃に行われます。
ちなみに昔は夏至からこの半夏生の頃までに田植えをしていたそうで、
田植えが無事に終わったこの時期に、虫よけと豊作を祈願して
虫送りが行われるようになったそうです。

虫送りについての説明を聞く子どもたち。

虫送りについての説明を聞く子どもたち。

火手(ほて)と呼ばれるたいまつ。火を灯して歩きます。

火手(ほて)と呼ばれるたいまつ。火を灯して歩きます。

札幌市資料館で
“森の出版社”のお披露目。
岩見沢の山里の魅力を見つめ直す

昨年に続き2回目の『みる・とーぶ展』を開催!

札幌市資料館で7月6日から3日間開催した『みる・とーぶ展』がついに終わった。
前回の連載で書いたように、このイベントに合わせて
地域マップの改訂や販売物の制作を行い、
さらに今年は、〈森の出版社ミチクル〉という独自の出版活動を立ち上げ、
そのお披露目もすることにした。

すべての締め切りが一気に押し寄せることとなり、
大慌てで作業をしていったが、チームのみんなで協力しあい、
なんとか展覧会の初日を迎えることができた。

商品の販売とともに、岩見沢の山あいで撮影された写真を集めたフォトコンテストの投票も実施。票数の最も多かった写真が「みる・とーぶ賞」に輝く。

商品の販売とともに、岩見沢の山あいで撮影された写真を集めたフォトコンテストの投票も実施。票数の最も多かった写真が「みる・とーぶ賞」に輝く。

上美流渡にある花屋さん〈Kangaroo Factory〉も昨年に続き参加。写真は新作のミニブローチ。

上美流渡にある花屋さん〈Kangaroo Factory〉も昨年に続き参加。写真は新作のミニブローチ。

展覧会には、地域の陶芸家や木工作家、花屋さんの作品とともに、
〈みる・とーぶ〉チームがつくった手づくりの品を並べ、
その一角に森の出版社のコーナーをつくった。

出品したものはごくわずか。
昨年つくった『山を買う』と新作『ふきのとう』、
りんごの品種と味がわかるポストカード3種のみ。
とても小さな展示であったが、本やポストカードを買ってくれる人に接する機会となり、
わたしにとっては大きな収穫があった。

新作の『ふきのとう』は、ふきのうとうの成長をモノクロームの切り絵で表現した絵本。
立ち読みでも、あっという間に読めてしまうほど言葉は少ない。
ふきのとうの形も抽象化されていて、色もなく、
切り絵という手法であることから、単純な表現に見える。
普段、わりとくどくど説明したくなるタイプであるため、
こうした要素の少ない絵本に、人は果たして興味を持つのか半信半疑だった。

森の出版社を始めるにあたってつくったパネル。

森の出版社を始めるにあたってつくったパネル。

小さな本とカードを並べたささやかな展示。

小さな本とカードを並べたささやかな展示。

1日100人ほどの人が会場を訪れ、
そのなかで本を実際に手に取る人はわずかではあったが、
何人か「こういう世界好き」と言ってくれた人がいた。
わたしの知人やコロカルの連載を読んでくれている人ではなく、
たまたまその場で本を知って買ってくれた人がいたことは、
自分の表現を信じることができる体験となった。

また、展覧会終了後、ミチクル編集工房のFacebook
ささやかに販売の告知を始めており、
購入したいと連絡をくれる人がいることにも勇気づけられた。

十数年、出版社で編集者として本をつくり続けてきたときにも、
売り上げの数字が伸びると喜びを感じたことはあったが、
今回の『ふきのとう』のように、たった1冊売れるだけで、
心がくすぐったいようなドキドキするような感覚を味わうのは初めてだった。

『ふきのとう』は、24ページ、サイズはA6。造本作家でありグラフィックデザイナーの駒形克己さんにアドバイスをもらいながら1年半かけて制作。デザインは娘のあいさんによるもの。

『ふきのとう』は、24ページ、サイズはA6。造本作家でありグラフィックデザイナーの駒形克己さんにアドバイスをもらいながら1年半かけて制作。デザインは娘のあいさんによるもの。

空き家が、移住者の受け皿に。
京丹後〈桃山ノイエ〉と
〈島津ノテラス〉

blueto建築士事務所 vol.2

「海の京都」といわれる京丹後市にて、建築設計やリノベーション、
空き家の活用などを行っている〈blueto建築士事務所〉の吉岡大です。

vol.1では、京丹後市の魅力やbluetoの設立についてご紹介しました。
今回はそこから少し時を遡り、僕がサラリーマン時代のお話になります。

会社勤めをしながら手がけた〈桃山ノイエ〉と〈島津ノテラス〉。
2軒の空き家のリノベーションが、
どのように移住者の受け皿へとつながっていったのかを振り返っていきます。

「僕も何かを始めたい」地域イベントで芽生えた思い

独立する以前は、工務店で働いていました。
当時は仕事が忙しく、ほとんど地域の人や周りの同年代の人と
関わることがありませんでした。

そんな忙しい日々の中で、「mixひとびと丹後(通称ミクタン)
というイベントに出会いました。
丹後地域内で実施されてきた、地域体験型の交流イベントです。

地域体験型の交流イベント「mixひとびとtango」。

地域体験型の交流イベント「mixひとびとtango」。

「mixひとびとtango」では、丹後に暮らす人々が
日頃の活動や趣味、得意分野を生かした企画を立て、
普段なかなか見られない職人さんの工房や、工場、酒蔵、
あるいはごく普通のおうちなどを開放し、丹後を訪れた参加者たちを案内します。

そこに参加することで、行ったことのない場所や、
自分の特技や仕事や趣味を生かして活動する人々と出会いました。
いきいきと丹後で活動する若い人たちを間近で見て、
ワクワクと胸が高鳴ったことを覚えています。

いままで丹後に暮らしていながら、
地元の本当の良さを知らず過ごしていたことに気がつき、
僕も何かを始めたいと思うようになりました
(残念ながら2018年をもって「mixひとびとtango」は終わりを迎えました)。

小豆島の畑で野菜収穫!
から始まる「島サンド」づくり

カメラを通して島の暮らしを体験する旅

いつも「小豆島日記」を読んでくださってありがとうございます。
この連載も200回を迎え、祝連載200回記念! として
コロカル編集部が小豆島を訪れてくれて、私たちのこと、小豆島のことを書いてくれました。
というわけで、私が書くのはなんだか久しぶりです。2か月ぶりくらい。
これからも書き続けていくので、どうぞおつき合いいただければと!

この2か月の間に季節はすっかり春から夏へ。
レタスやえんどう豆などの春野菜から、トマト、なす、ピーマンなどの夏野菜へ
畑の様子も目まぐるしく変わっています。

春から夏にかけて収穫できる野菜が日々変わります。

春から夏にかけて収穫できる野菜が日々変わります。

冬に種をまいたベビーニンジン。

冬に種をまいたベビーニンジン。

そんな移り変わりの時期、本格的な夏野菜の収穫が始まる前の6月の畑で、
私もメンバーのひとりである〈小豆島カメラ〉主催のイベント
〈生産者と暮らしに出会う旅 vol.7〉が開催されました。

生産者と暮らしに出会う旅は、いわゆる観光スポットを巡る旅ではなくて、
生産者さんや島で暮らす人の家を訪れ、どっぷりとその場所で過ごす旅。
移動時間が少ないので、じっくりそこでの時間を楽しめます。
今回は〈HOMEMAKERS(ホームメイカーズ)〉の畑とカフェを拠点に1日過ごしました。
テーマは「畑で野菜を収穫して、島野菜サンドをつくろう!」です。

小豆島カメラが主催のイベントなので、このテーマにさらに「撮影」が加わります。
オリンパスのミラーレス一眼レフカメラ〈OLYMPUS PEN-F〉が参加者全員に貸し出され、
その使い方や設定方法などの説明から始まりました。

参加者全員に貸し出された〈OLYMPUS PEN-F〉。小豆島カメラメンバーも使っています。

参加者全員に貸し出された〈OLYMPUS PEN-F〉。小豆島カメラメンバーも使っています。

まずはカメラの基本的な使い方を説明。

まずはカメラの基本的な使い方を説明。

初めてカメラを使う方から普段から使ってる方までさまざま。

初めてカメラを使う方から普段から使ってる方までさまざま。

説明が終わるとさっそくカフェから畑へ。
HOMEMAKERSの畑はカフェから歩いて数分のところに点在しているので、
畑の脇の細い道をみんなで歩いて行きました。
田舎のあぜ道を、20人くらいがカメラをぶらさげて歩いていると
ちょっと不思議な感じがします。
近所のお父さんも「なんだなんだ?」と様子を見に来たり。

カメラをぶら下げて畑へ。

カメラをぶら下げて畑へ。

途中できれいな紫陽花に出会い撮影。

途中できれいな紫陽花に出会い撮影。

畑では、にんじんやじゃがいもを収穫しました。
私にとっては日常すぎる畑での時間。

にんじんの収穫。

にんじんの収穫。

掘り上げた春じゃがいも。ナイススマイル。

掘り上げた春じゃがいも。ナイススマイル。

にんじんを収穫するだけでこんなにも楽しそうにしてもらえるなんて、
逆にこっちがうれしくなります。
毎日当たり前のようにある風景や時間が、実は特別なものだったりするんですよね。

一生懸命にんじんを掘る姿がなんともかわいらしかった。

一生懸命にんじんを掘る姿がなんともかわいらしかった。

掘りたてじゃがいも。この2時間後にはポテトフライに。

掘りたてじゃがいも。この2時間後にはポテトフライに。

岩見沢の山里で何ができる?
メンバーの個性を発揮する場
〈みる・とーぶ〉

イベント、ワークショップ、フォトコンテスト!
各人がやりたいことをやる

岩見沢の山里を舞台にして、自分たちに何ができるのか。
それを探ろうと始めた〈みる・とーぶ〉という活動も、2年目を迎えた。
メンバーは10名にも満たないが、時が経つにつれ
それぞれの個性が際立ってきており、多様性あふれる展開が起こっている。

そのなかのひとつ。
わたしが言い出しっぺとなって続けている企画が〈みる・とーぶSchool〉だ。
現在、毎週木曜日に、毛陽の森をひとりで開墾したトシくんと一緒に
畑で英会話という企画を開催するほか、
1か月に1本のペースでゲストによるワークショップを開催している。

5月のワークショップは、ドイツ発祥のボール運動プログラム「バルシューレ」。地元に住み〈スポーツ ライフ デザイン いわみざわ〉というスポーツクラブを運営する辻本智也さんをゲストに招いた企画。

5月のワークショップは、ドイツ発祥のボール運動プログラム「バルシューレ」。地元に住み〈スポーツ ライフ デザイン いわみざわ〉というスポーツクラブを運営する辻本智也さんをゲストに招いた企画。

また、メンバーのひとり、地域おこし推進員(協力隊)の上井雄太さんが中心となって
昨年に続き企画しているのが〈みる・とーぶフォトコンテスト〉。
山里のひとコマをおさめた写真を募集し、入選者には賞品として、
地元の商店のしめサバやラーメン券などをプレゼントするという企画だ。

昨年のフォトコンテストは、岩見沢の毛陽地区にある〈ログホテル メープルロッジ〉で展示を行った。今年は札幌市資料館で開催する『みる・とーぶ展』で展示予定。

昨年のフォトコンテストは、岩見沢の毛陽地区にある〈ログホテル メープルロッジ〉で展示を行った。今年は札幌市資料館で開催する『みる・とーぶ展』で展示予定。

フォトコンテストの企画から募集、展示などは、上井さんが中心となって進めている。6月末まで行った今年の募集は、予想以上の反響があった。

フォトコンテストの企画から募集、展示などは、上井さんが中心となって進めている。6月末まで行った今年の募集は、予想以上の反響があった。

そして、7月6日にいよいよ開催となる1年1度の大イベント。
札幌市資料館で行われる展示では、メンバーであるインテリアデザイナーの
吉崎祐季さんが、会場の展示プランを考えたり、
地元の陶芸家や木工作家への声かけを行ったりしている。

展覧会にそなえて、作家の出品作をチェックしたり、展示什器をつくったり。大忙しの吉崎さん。

展覧会にそなえて、作家の出品作をチェックしたり、展示什器をつくったり。大忙しの吉崎さん。

展示の目玉のひとつになるのは、上美流渡地区で窯を開いていた、故・塚本竜玄さんの茶碗。昨年も好評で、今年は種類を増やすことにした。

展示の目玉のひとつになるのは、上美流渡地区で窯を開いていた、故・塚本竜玄さんの茶碗。昨年も好評で、今年は種類を増やすことにした。

塚本さんの器は独特の質感が特徴。世界に3つしかない曜変天目茶碗の輝きを再現しようと試行錯誤を続けた陶芸家だ。

塚本さんの器は独特の質感が特徴。世界に3つしかない曜変天目茶碗の輝きを再現しようと試行錯誤を続けた陶芸家だ。

イベント運営のほか、会場で展示販売をするために、吉崎さんと
〈東井果樹園〉の東井永里さんは、蜜蝋キャンドルの制作にも励んでいる。
ここまで紹介した4人がコアメンバーとなり、
さらにはこの展覧会での配布をしようと「みる・とーぶマップ」という、
地域の人々の活動を似顔絵つきで紹介したマップの改訂も行った。

東井さんは、吉崎さんと一緒にキャンドルの制作に励む。

東井さんは、吉崎さんと一緒にキャンドルの制作に励む。

蜜蝋をくだいて不純物を取り除き、キレイに型に流し込むのはなかなか手間のかかる作業。

蜜蝋をくだいて不純物を取り除き、キレイに型に流し込むのはなかなか手間のかかる作業。

今回、シラカバをの木をくりぬいたポットにキャンドルを入れた新商品が登場。

今回、シラカバをの木をくりぬいたポットにキャンドルを入れた新商品が登場。

昭和レトロな内川のまちづくり。
築70年の元畳屋をカフェに
リノベーションした〈六角堂〉

マチザイノオト vol.1

はじめまして、グリーンノートレーベル株式会社の明石博之と申します。

東京から富山県に移住し、射水(いみず)市で暮らしながら、
射水市新湊内川地区をはじめとする県内の昭和レトロな建物や
町家文化を生かしたまちづくりをしています。

漁師町で出会った、元畳屋の空き家をリノベーションして
〈カフェ uchikawa 六角堂〉をオープンしたことがキッカケとなり、
「場」の魅力づくりによって、まちの価値を高めたいと思うようになりました。

この思いを〈マチザイノオト〉としてプロジェクト化。
町家文化など、絶滅が危惧されている「まちの財産=マチザイ」を
発掘・記録・支援(ノーティング)する活動を展開しています。

vol.1では、富山に移住して、新湊内川の魅力に出会い、
そして六角堂を立ち上げるストーリーについて、お伝えしていきます。

富山県射水市新湊内川地区の水辺。

富山県射水市新湊内川地区の水辺。

「地域の主体者として関わりたい」富山にIターンを決意

子どもの頃は、マンガを描くことと秘密基地をつくるのが大好きな少年でした。
広島から上京して、多摩美のプロダクトデザインを卒業、
その後は東京にあるまちづくり会社に入社しました。

学生時代、担当教授に言われた
「君はプロダクトデザイナーに向いていない、
人と社会の間にはもっと多くのデザインがあるから……」
という衝撃的な言葉が引き金になって、まちづくりの世界に飛び込みました。

東京時代は、月の半分が地方出張という日々。
超過疎地の農村、シャッター通り商店街、バブルの遺産が残る観光地などを巡り、
地域活性化のコンサルタントをするのが僕の仕事でした。

行政の仕事は年度完結型です。長期戦で地域のことを考える余裕はありません。
僕のミッションは、最初の歯車を回し始めるまでの仕掛けづくりなので、
これからおもしろくなるというタイミングでコンサルタントは去らねばなりません。
そのうち、本当は自分も主体者として地域に関わりたいという思いが
次第に大きくなっていきました。

思いが募って、30代後半で地方へ移住することを決意。

どこへ行くかが問題なのですが、結局、ご縁のあった数多くの地域から
富山県を選びました。その理由は単純で、妻の実家があったからです。
妻はもともと会社の同僚でした。
時を同じくして、地方で仕事をしたいと考えるようになり、
ふたりで相談した結果、結婚と同じタイミングで移住をすることにしました。

画家・手嶋勇気と
九州限定の本をつくる出版社
〈伽鹿舎〉のひなた文庫での出会い

復刊本の挿画へとつながった、〈ひなた文庫〉のオープン記念展

〈ひなた文庫〉を正式にオプーンしたのは
プレオープンから約3か月後の2015年8月のこと。
その日に合わせて油絵画家・手嶋勇気くんのドローイング展を行いました。
彼は大学時代からの友人で現在は広島に拠点を置き、活動しています。

オープン記念に『portrait of Junko』という、
妊婦さんが本を読む姿や髪をまとめる姿が木炭や油彩によって描かれた
ドローイングを約1か月ほど展示しました。
新しく生まれてくる命を感じる、ひなた文庫のはじまりにとっても
意味のある題材の展示でした。

そして、この展示によってとてもうれしい出来事が起こります。
この展示がきっかけで、彼がある書籍の装丁画を描くことになったのです。

店内でくつろぐ手嶋勇気くん。

店内でくつろぐ手嶋勇気くん。

熊本には、九州限定販売の本をつくる
(現在は一部の書籍は全国の書店でも販売しています)
〈伽鹿舎(かじかしゃ)〉という出版社があります。
谷川俊太郎さんが毎回詩を添える文芸誌や、
フランス作家の小説などを「QUINOAZシリーズ」として出版しています。

当店では基本的には古本を販売していますが、
九州を本の島にしたい! という熱い想いに共感して、
伽鹿舎の書籍も新刊で取り扱うようになりました。

〈伽鹿舎〉が発行する文芸誌『片隅』。

〈伽鹿舎〉が発行する文芸誌『片隅』。

その日は伽鹿舎の方が、次に刊行予定のフランス文学の作品
『世界のすべての朝は』(パスカル・キニャール著)の翻訳を担当される
高橋啓先生を連れて当店に来てくれていました。
高橋先生はパスカル・キニャールの翻訳者として知られ、
近年では2014年の本屋大賞翻訳小説部門を受賞した
ローラン・ビネ著『HHhH プラハ、1942年』の訳者としても有名です。

そんな有名な方が、しかも北海道からわざわざ足を運んでくださるなんて! 
と恐縮していたのですが、お会いすると
「この本はうちにもあるよ」「こんな本も置いてるんだね」と
ひなた文庫のことにとても興味を持って話を聞いてくださって、
こちらもついつい話に夢中になってしまいました。

本屋のことや店を構える駅舎、南阿蘇鉄道のことを説明していくなかで、
手嶋くんの絵も紹介していました。
展示の図録を手に取り、ご覧になっていた先生が
「これは誰が描いたの?」と質問されたのを覚えています。

その後は南阿蘇の風景や線路の写真を撮ったりしてそのまま帰られたのですが、
なんと後日、伽鹿舎の方から、手嶋くんの絵を高橋先生が気に入り、
キニャールにも確認をとり、それでよければ彼に装画を担当してほしいので、
連絡先を教えてくれないかというメールが! 
私も彼も驚きと喜びでいっぱいで急いで手嶋くんに連絡を取りました。

小豆島のホテルを再生して
〈ゲストハウスKAINAN〉に。
プロデューサー小笠原哲也さんと
〈小豆島ヘルシーランド〉の試み

2012年秋に家族で小豆島に移住し、〈HOMEMAKERS〉として
農業とカフェを営む三村ひかりさん。
2013年4月にスタートしたこの連載「小豆島日記」も、200回を迎えました! 
そこで、100回目に続き、編集部が再び小豆島を訪れて取材。
その模様をお届けする200回記念特集です。

今回は、小豆島の新しいプロジェクトについて。
以前コロカルニュースでも紹介しましたが、
使われなくなったホテルをゲストハウスとして再生させようという試みです。

小豆島と芸術祭をより楽しんでもらうために

小豆島にいくつかある港のなかでも数多くのフェリーが発着する土庄港。
その土庄港にほど近い場所にある、かつて〈海南荘〉として営業していたホテルが、
新しいゲストハウスに生まれ変わろうとしています。

その〈ゲストハウスKAINAN〉のプロデュースを手がけるのが、小笠原哲也さん。
高松市の高校を卒業してから渡米し、古着や雑貨を扱うビジネスをしてきました。
現在はそういった輸入販売業の傍ら、高松市で本屋とギャラリー
〈BOOK MARÜTE〉や、〈ゲストハウスまどか〉を運営しています。

「僕にとっては小豆島は身近で、同級生の友だちもたくさんいますし、
よく遊びに来ていて、もともと好きな島。
いま観光客も増えてますけど、気軽に泊まれる場所がそんなにないんですよね。
もっと宿があったらいいねと、仲間と話していたんです」

高松を拠点とする小笠原哲也さん。気持ちのいい海南荘の屋上で。

高松を拠点とする小笠原哲也さん。気持ちのいい海南荘の屋上で。

〈瀬戸内国際芸術祭〉の期間中は特に訪れる人が増えるものの、
島に泊まらずに帰ってしまう人も。ここが宿泊施設として再生できれば、
高松や豊島へのフェリーもある土庄港を拠点にしてもらい、
芸術祭に訪れた人にもっと利用してもらえるのでは、と小笠原さんは考えているのです。

干潮になると歩いて渡れる小豆島の観光名所「エンジェルロード」。このエンジェルロードや土庄港のある便利な土庄エリアに、海南荘はありました。

干潮になると歩いて渡れる小豆島の観光名所「エンジェルロード」。このエンジェルロードや土庄港のある便利な土庄エリアに、海南荘はありました。

1階の広いロビーを、カフェと本屋さんとギャラリーに、
2階から5階を宿泊スペースにするプラン。
アーティストが長期滞在しながら制作できたり、
アーティストと旅で訪れた人が交流できたり。そんな場所づくりを目指しています。

「小豆島はいままでもこれからも、世界中から集まる旅人たちの
瀬戸内海の拠点だと思っています。この島に僕らが手がける宿があれば、
世界中からもっといろんな人たちが集ってきて、
世界がもっと近くに感じられると思うんです」

台湾にも拠点を持ち、幅広い人脈のある小笠原さんがそう言うと、
本当にそんな気がします。

海南荘の1階部分。レトロな雰囲気を残しつつ、新しいスペースに生まれ変わります。

海南荘の1階部分。レトロな雰囲気を残しつつ、新しいスペースに生まれ変わります。

また、ここが再生すれば、新たな雇用も生まれるはず。
「1階ではピザ職人の方にカフェをやってもらおうと思っています。
移住してくるので、また移住者が増えることになりますね。
三村さんたちの〈HOMEMAKERS〉以前は、
外から来た人が商売を始めることは少なかったですが、
いまはだいぶ増えてやりやすくなったと思います」

またひとつ、小豆島に人が集まる楽しい場所が増えそうです。

鎌倉資本主義って何!?
〈面白法人カヤック〉
代表・柳澤大輔さんが考える、
企業がまちにできること

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

「裏駅」と呼ばれる鎌倉駅西口から広がる御成通り。観光客で賑わう小町通りなどとは対象的な落ち着いた雰囲気の商店街の中に、カヤックのオフィスや〈まちの社員食堂〉がある。

「裏駅」と呼ばれる鎌倉駅西口から広がる御成通り。観光客で賑わう小町通りなどとは対象的な落ち着いた雰囲気の商店街の中に、カヤックのオフィスや〈まちの社員食堂〉がある。

まちと企業の関係を更新する

以前にコロカルでも紹介された「カマコン」は、
鎌倉に拠点を置くIT企業の有志たちによって立ち上げられた
地域活性のプラットフォームだ。

2013年に始まったこの取り組みは、いまやIT企業の枠を超え、
多くの参加企業、会員を抱えるまでに成長し、
そのユニークな取り組みは、全国30を超える地域に派生している。

このカマコンの立ち上げにあたり、中心的役割を担ったのが、
〈面白法人カヤック〉の代表・柳澤大輔さんだ。

カヤックをはじめ鎌倉に拠点を置くIT企業の有志によってスタートしたカマコン。毎月行われる定例会では、市民たちがまちに関わるさまざまなプロジェクトのアイデアをプレゼンテーションしている。(写真提供:カマコン)

カヤックをはじめ鎌倉に拠点を置くIT企業の有志によってスタートしたカマコン。毎月行われる定例会では、市民たちがまちに関わるさまざまなプロジェクトのアイデアをプレゼンテーションしている。(写真提供:カマコン)

ゲーム、広告、Webサービスなどの分野でユニークなコンテンツを制作するともに、
サイコロによって給与が変わる「サイコロ給」や、
全国を移動するバスの中で行う「旅する会社説明会」などの取り組みでも
話題を集めてきた同社は、2014年に上場を果たし、
いまや日本を代表するIT企業のひとつだ。

そんなカヤックは創業以来、先に触れたカマコンのみならず、
鎌倉のまちとの関わりを一貫して大切にしてきた企業でもある。

クラウドファンディングで資金の一部を集めた第69回鎌倉花火大会。カヤックが制作した特設サイトでは、クラウドファンディングに参加したユーザーたちのメッセージが、花火のように打ち上げられるという粋な趣向が凝らされた。(画像提供:カヤック)

クラウドファンディングで資金の一部を集めた第69回鎌倉花火大会。カヤックが制作した特設サイトでは、クラウドファンディングに参加したユーザーたちのメッセージが、花火のように打ち上げられるという粋な趣向が凝らされた。(画像提供:カヤック)

近年では、一旦中止が決まった2017年の鎌倉花火大会において、
市民主導による実行委員会の立ち上げに関わり、
「復活開催」の実現に大きく寄与するなど、時に地域企業の代表として、
時に一市民としてまちに関わってきた柳澤さんは、
2017年に「鎌倉資本主義」という新しい概念を提唱。

そして2018年4月には、〈まちの社員食堂〉
〈まちの保育園 かまくら〉をオープンするなど、地域活動を加速させている。

ステレオタイプな企業の地域貢献活動とは一線を画し、
まちと企業の関係性を更新するカヤックの取り組みについて聞くために、
鎌倉中心部にオープンした、まちの社員食堂と、まちの保育園 かまくらを取材した。

鎌倉駅からほど近い本覚寺に隣接する民家をリノベーションしてつくられた〈まちの保育園 かまくら〉。(写真提供:加藤忠雄/株式会社ウェイ)

鎌倉駅からほど近い本覚寺に隣接する民家をリノベーションしてつくられた〈まちの保育園 かまくら〉。(写真提供:加藤忠雄/株式会社ウェイ)

築130年の古民家をリノベ。
海の京都「丹後」で、
空き家の活用を考える

blueto建築士事務所 vol.1

はじめまして。こんにちは。
〈blueto(ブルート)建築士事務所〉代表の吉岡 大(だい)と申します。

京都府の北部にある京丹後市を拠点に、
建築設計や住まいのリノベーションをする傍らで、空き家の活用や、
動画を使った取り組み、自治体と連携した活動も行なっています。

この連載では、リノベーションを軸に、
「移住」「DIY」「シェアオフィス」「ドローンによる空撮」など、
いろんなキーワードが登場するかと思います。
建築家としてこのまちにできること、
丹後に起こった変化や生まれたコミュニティ、
そこから感じたことをお伝えしていけたらと思っています。

約半年間、どうぞよろしくお願いします。

今回のvol.1では、丹後の知られざる魅力や近年抱える問題、
そしてblueto設立までの経緯と、
空き家をリノベーションした事務所づくりまでをご紹介していきます。

「海の京都」丹後の魅力

京都といえば、神社、お寺、舞妓さん、伝統的な京町家など、
京都盆地の“古都”なイメージがありますよね。

ところが、僕が住む京丹後市は「海の京都」。
京都府の最北端に位置し、海がとてもきれいで自然が豊かなまちです。

日本海に面する半島のエリアを「丹後半島」と呼び、
京丹後市・伊根町・与謝野町・宮津市のエリアを通称「丹後」と呼んでいます。

京都市の中心市街地から京丹後市までは、車で約2時間の距離です。日本海ならではの壮大な海に面して、家々が並んでいます。

京都市の中心市街地から京丹後市までは、車で約2時間の距離です。日本海ならではの壮大な海に面して、家々が並んでいます。

京丹後市の中でも、僕が生まれ育った京丹後市丹後町間人(たいざ)は、
漁業を中心とした港町です。実家は海のすぐそばにあるので、
子どもの頃は浜辺で遊んだり、釣りをしたりと、よく海に遊びに行きました。

港を中心に家が段々にひしめき合い、
潮風の香りと穏やかな時間が流れているこのまち並みがとても好きです。
夏には海水浴や釣り、港では花火大会もあり、たくさんの人で賑わいます。
冬はカニ漁が盛んで、旅行客が多く訪れます。

港を中心とした京丹後市丹後町間人のまち並み。坂道に家がひしめき合いとてもいい雰囲気です。

港を中心とした京丹後市丹後町間人のまち並み。坂道に家がひしめき合いとてもいい雰囲気です。

京丹後市と隣接する市町には、観光地である日本三景の天橋立、
伊根の舟屋などがあります。
京丹後市は隣接する7市町(京丹後市、与謝野町、宮津市、
伊根町、舞鶴市、福知山市、綾部市)と協力し合い、
「海の京都」として、食や観光など、地域のコンテンツを打ち出しています。

bluetoは、この海の京都を中心としたエリアで活動をしています。

“森の出版社”の第1冊目。
北海道の自然「ふきのとう」を
テーマにした絵本

駒形克己さんに出会ったことで広がった、本づくりの可能性

北海道に新緑が鮮やかに輝く季節がやってきた。
ようやく朝晩ストーブをつけることもなくなったこの時期になると、
動植物がいっせいに活動を開始する。
虫たちがせわしなく飛び回り、植物は花を咲かせたかと思うと
あっという間に散っていく。

こうした自然界の営みに呼応するかのように、
わたしのまわりも、だんだんと忙しさが増している。
現在進行中の地域のPR活動〈みる・とーぶ〉で、
7月6日から始まる札幌のイベントへの参加が決まっており、
いよいよ準備も佳境となってきた。

このイベントでは、岩見沢の「東部丘陵地域」と呼ばれる山あいで活動する
陶芸家や木工作家などの作品を紹介するとともに、
みる・とーぶの有志メンバーたちもものづくりに挑んでいる。

参加するイベントは『北にあつまる手しごと展』。7月6日~8日に札幌市資料館で開催される。昨年も、この場所で岩見沢の山里のPRをするために『みる・とーぶ展』を行っている。

参加するイベントは『北にあつまる手しごと展』。7月6日~8日に札幌市資料館で開催される。昨年も、この場所で岩見沢の山里のPRをするために『みる・とーぶ展』を行っている。

昨年〈みる・とーぶ〉のメンバーがつくって好評だったのが、地域の果樹園で採れたハチミツの蜜蝋をつかったキャンドル。今年はシラカバの木をくり貫いて、そこに蜜蝋をつめた新商品を制作中。

昨年〈みる・とーぶ〉のメンバーがつくって好評だったのが、地域の果樹園で採れたハチミツの蜜蝋をつかったキャンドル。今年はシラカバの木をくり貫いて、そこに蜜蝋をつめた新商品を制作中。

そのなかで、わたしは「本」を出すことを計画中だ。
本業の編集者の活動では、これまで数々の本づくりに関わってきたが、
昨年、既存の出版社を通さず、自分でつくって売るという新しい試みをスタートさせた。

まずつくった本は『山を買う』。
一昨年にわたしが岩見沢の山林を購入した経緯をイラストと文章で綴ったものだ。
手のひらサイズ、24ページというささやかなものだったが、
わたしの連絡先を一生懸命調べてくれて、購入したいといってくれる人も現れた。

そうした人に本を送ると、感想を書いたハガキが手元に届くことがたびたびあった。
20年ほど出版社で本をつくってきたが、これまで売るのは本屋さんまかせ。
いつもどんな人が読んでくれているのか実感がわかず、
もどかしい思いをしていたのだが、『山を買う』によって、
初めて読者のみなさんの顔がはっきりと見え、
そこからまた新しいアイデアが生まれていくような、そんな可能性が感じられた。

山の購入の経緯と、買って何をしたのかをまとめた小さな本。1冊500円。地域のイベントなどで、ほそぼそと販売を続けている。1冊売れるごとの喜びはお金には換えがたい。

山の購入の経緯と、買って何をしたのかをまとめた小さな本。1冊500円。地域のイベントなどで、ほそぼそと販売を続けている。1冊売れるごとの喜びはお金には換えがたい。詳しくはミチクル編集工房のFacebookへ

読んでくれる人とのつながりが感じられる本づくりをもっとしてみたい。
ならば独自に出版社をつくってはどうかと考え、
7月の札幌のイベントで、「森の出版社ミチクル」の
お披露目をすることにした(出版社構想についてはこちら)。

いまつくっているのは、『山を買う』とはまったく方向性を変えて、
北海道の身近な植物をテーマにした絵本だ。
発端は、2016年に岩見沢を訪ねてくれた、
造本作家でありデザイナーの駒形克己さんからの提案だった。
このとき駒形さんは、わたしの買った山に立ち寄ってくれ、
森の本をつくろうとしているという話を教えてくれた。

「荒れ地に、日差しに強い種が芽吹き大地をおおう。
次に日陰で芽吹く種が現れ……」

駒形さんの構想は、命の循環を繰り返しながら
森が成長していくというストーリーだった。
そして、駒形さんが東京に帰る日、別れ際に
「森の本を一緒につくりましょう」と声をかけてくれたのだった。

わたしの買った山は、木が伐採されたあとの荒れ地。
森の本の始まりも荒れ地が想定されていたことから、
自分の山を観察するなかで、何か具体的なアイデアを提案できそうな気がして、
リサーチを始めることにした。

わたしが住む地域で、2016年11月、『『北海道アール・ブリュット 2016 in 岩見沢』』という障がい者とアートの関わりについて考えるイベントがあり、そこで駒形さんは基調講演とワークショップを行った。

わたしが住む地域で、2016年11月、『北海道アール・ブリュット 2016 in 岩見沢』という障がい者とアートの関わりについて考えるイベントがあり、そこで駒形さんは基調講演とワークショップを行った。

駒形さん(写真中央)と最初にお会いしたのは10年以上前のこと。以後、さまざまな節目でお仕事をご一緒させてもらっており、このイベントのあとに、わたしたち一家が岩見沢の各地を案内。山にも訪ねてくれた。

駒形さん(写真中央)と最初にお会いしたのは10年以上前のこと。以後、さまざまな節目でお仕事をご一緒させてもらっており、このイベントのあとに、わたしたち一家が岩見沢の各地を案内。山にも訪ねてくれた。

無人駅の本屋を始めて3年。
開店準備、そしてプレオープンまで

本の仕入れは、什器はどうする?

5月、新緑が美しい、いい季節です。この記事を書いているのは5月の中旬、
南阿蘇鉄道のこの駅から見える田には水が張られていますが、苗植えはまだ。
風が吹けばさざ波が立ちキラキラと光を反射し、
静まれば水鏡のように周りの風景を映し出す。
この時期だけに見ることができる景色です。

ここでこの景色を見るのももう3回目。
〈ひなた文庫〉は今年の5月3日でプレオープンから3周年を迎えました。
前回お話ししたように、南阿蘇鉄道のこの無人駅がとても気に入って、
村役場に「古本屋をやりたいです!」と提案したところ、
拍子抜けするくらいすんなりと承諾してもらえたのでした。

その後は開業まで慌てて準備をすることになります。
というのも、ゆっくり本棚や書籍を準備して、
8月くらいにオープンできたらなと思っていたところ、
役場の方から、ゴールデンウィークに合わせてオープンしてほしいと依頼されたのです。

承諾の返事をもらったのが2月末、あと3か月程しかありません。
その間に、古物商の許可に本棚の準備、売り物となる書籍も揃えなければなりません。
古物商の許可証は書類を集めて警察署に届ければ、3週間程でもらうことができます。
問題は販売する書籍とそれを並べる什器をどうするか。

だいたいの古書店で店頭に並べてある書籍は、
お客様からの買取品か古書組合での競りで得たものです。
古書組合に加入すれば、競りでほかの古書店が出品している
多種多様な本を入札して仕入れることができます。
一気に在庫を増やそうと思えば、古書組合に加入して仕入れるのが一番でしょう。
ただ入会するのに数十万円の費用がかかります。

私たちは普段は別の仕事もしつつ営業する予定でしたし、
10坪程の待合として利用される駅舎内を満たすのには、
そんなにたくさんの本は必要ありません。

オープンまでの時間もないので、まずは自分たちが所有している本をメインに、
それ以外は古本屋やインターネットでせどりをして集めることにしました。
それから先は、売れた本の利益で次の本を仕入れて、というサイクルで
現在まで至っています。

移住者が増え続ける小豆島で
移住支援活動をする〈トティエ〉の
大塚一歩さんを訪ねて

2012年秋に家族で小豆島に移住し、〈HOMEMAKERS〉として
農業とカフェを営む三村ひかりさん。
2013年4月にスタートしたこの連載「小豆島日記」も、200回を迎えました! 
そこで、100回目に続き、編集部が再び小豆島を訪れて取材。
その模様をお届けする200回記念特集です。

小豆島で移住支援や空き家活用に取り組むNPO法人〈Totie(トティエ)〉。
移住体験施設の運営や、町が管理する空き家バンクのサポートなどを行っています。
自らも移住者である理事兼事務局長の大塚一歩さんを、三村さんが訪ねました。

〈トティエ〉ってどんな団体?

ひかり: いま小豆島に移住してくる人ってどれくらいいるんですか?

大塚: 年々少しずつ伸びてますね。
2017年度は土庄町と小豆島町を合わせて、IターンとJターンの合計が350人弱。
Uターンも入れると500人を超えます。これは転勤などは除いた数字です。

ひかり: すごい!

大塚: 人口の1%の移住者がいれば、将来的に急激な人口減少は
食い止められるという説もあって。
小豆島の人口は約2.7万人だから、1%はいるということになります。
これを維持していけたらいいですね。

〈トティエ〉の大塚一歩さん。

〈トティエ〉の大塚一歩さん。

ひかり: トティエの活動目的は、移住者を増やしていくということですか?

大塚: 主な活動としては移住定住促進活動になりますが、それは手段であって、
もう少し先のことを見据えて活動しています。
僕自身もこの島が好きで移住した移住者なので、
島の文化とか産業とか風景とか、この空気感を維持していきたいと思っています。

ひかり: トティエの立ち上げの経緯について、あらためて聞かせてください。

大塚: 設立は2016年です。
〈dot architects(ドットアーキテクツ〉という建築グループが
〈瀬戸内国際芸術祭〉のときに小豆島町でプロジェクトを展開していたんですけど、
そのドットアーキテクツにいた向井達也くんが、
そのまま小豆島町の地域おこし協力隊になって島に居着いたんです。
彼がトティエを立ち上げました。

ひかり: いまは町の職員として移住担当の仕事をしてるんですよね。

大塚: そうなんです。
どこもそうだと思いますが、地域課題として人口減少は避けられないし、
空き家も増えてる。そういった問題に対して行政でしかできないことは当然あるし、
一方で民間でしかできないこともあると思うんです。

ひかり: たしかにそう思います。連携できるのがいいですよね。

大塚: また、小豆島は小豆島町と土庄町のふたつの町があるので、
行政区を越えて島への移住をサポートする民間団体が必要だろうということを、
設立前に向井くんと話していたんです。
そのときに僕が「それならNPO立ち上げちゃえば?」とけしかけたようなこともあって、
最終的に向井くんがいろんな方の協力を取りつけて設立した、という流れですね。
彼が町の正職員になるということになり、
僕はその話を受けて2017年4月から事務局の運営をしています。

トティエは現在は大塚さんのほか、小坂逸雄さん、福村真司さんらが中心となって活動しています。

トティエは現在は大塚さんのほか、小坂逸雄さん、福村真司さんらが中心となって活動しています。

ひかり: 移住って何が一番ハードルになるんでしょう?

大塚: やっぱり家と仕事ですね。どちらかが決まれば移住してくるんです。
逆にどちらもタイミングが合わなかったりして決まらないと、なかなか移住できない。

ひかり: そのどちらかでも決まると移住してくるんですね。

大塚: どちらかというと家が決まるのが大きいですね。
家がないと現実的に住めないですし。僕がまだ家を探していた6年ほど前は、
いまより空き家バンクの物件は少なかったし、不動産業者はいることはいるけど、
そういうところで探そうとしてもなかったんですよね。
いまは僕らが運営している移住体験施設も増やして、
そこに住みながら家探しをすることもできます。

ひかり: ホテルに宿泊して家探しって大変ですもんね。

大塚: それに一軒家のほうが島の暮らしもわかると思います。
滞在施設を利用して実際に移住してくる人もけっこういますよ。

トティエが運営する移住体験施設〈黒田邸〉の部屋。空き家を改装して活用しています。短期滞在向けで、1日から利用可。1泊5800円(1棟あたり)。

トティエが運営する移住体験施設〈黒田邸〉の部屋。空き家を改装して活用しています。短期滞在向けで、1日から利用可。1泊5800円(1棟あたり)。

ひかり: 家探しや仕事探しもサポートしてあげるんですか?

大塚: いろんなケースがあって、人によってフォローすることも違います。
移住に興味があるという入り口の人もいれば、小豆島に移住しようと決めてくる人も。
仕事は、直接紹介することはしていませんが、希望とか情報を聞き出せたら、
こんな会社もありますよ、ということは教えたりしています。

ひかり: どんな人たちが多いですか?

大塚: 相談の段階では、本当にさまざまですね。多いパターンとしては、
子どもが小さくて、都市部での子育てに疑問を感じて移住を考えている方とか。
40代だと手に職を持っていたりフリーランスの人も多いですね。
50年代はリタイアを見据えて早めに動こうという人が多いですし、
60代は定年後の終の棲家を探している方もいます。

話題の朝食専門店〈喜心〉を
プロデュース。
鎌倉の双子姉妹・池田めぐみさん、
さゆりさんが京都で学んだこと

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

銭洗弁財天や佐助稲荷神社などがあり、観光客も多く足を運ぶ鎌倉・佐助。周囲には緑があふれ、散策するだけでも気持ちいいエリアだ。

銭洗弁財天や佐助稲荷神社などがあり、観光客も多く足を運ぶ鎌倉・佐助。周囲には緑があふれ、散策するだけでも気持ちいいエリアだ。

鎌倉と京都、ふたつのまちを行き来する

2017年春、町家やお寺が立ち並ぶ京都・祇園の一角にオープンした〈朝食 喜心〉。
「一飯一汁」を掲げ、名物の土鍋で炊き上げたご飯や、
京野菜を使った汁物などが供される朝食専門店だ。
京都の名店〈草喰なかひがし〉の三男で、現在はニューヨークを拠点に
日本の食文化を発信している中東篤志さんが料理監修する喜心の朝食は、
シンプルながら日本の食文化が凝縮した朝ごはんとして瞬く間に話題となった。

一飯一汁を基本とする〈朝食 喜心〉の朝食。手を加えすぎず、旬の素材の良さを生かしたシンプルな和朝食を、心を込めて提供している。

「一飯一汁」を基本とする〈朝食 喜心〉の朝食。手を加えすぎず、旬の素材の良さを生かしたシンプルな和朝食を、心を込めて提供している。

鎌倉の連載で、なぜ京都の話題? と思う人も多いだろうが、
このお店の仕掛け人である池田めぐみさん、さゆりさんは、
鎌倉生まれ鎌倉育ちの双子の姉妹なのだ。

地域に根ざした生活文化を発信することを掲げるふたりは、
2012年、鎌倉・長谷にカルチャースペース〈蕾の家〉をオープン。
この場所から始まった彼女たちの活動は、
やがて京町家を生かしたイベントスペース〈もやし町家〉や、
宿泊施設〈つきひの家〉、朝食専門店 喜心など、京都の地まで広がっていった。
そしてこの春には、生まれ育った鎌倉で、〈朝食 喜心 Kamakura〉を開店するに至る。

2018年4月、鎌倉・佐助にオープンした〈朝食 喜心 Kamakura〉。

2018年4月、鎌倉・佐助にオープンした〈朝食 喜心 Kamakura〉。

京都と鎌倉。ともに豊かな歴史や文化を持ちながら、
その成り立ちや個性は大きく異なるふたつのまちを行き来してきたふたりは、
そこで何を学び、自分たちの活動につなげてきたのだろうか。
池田姉妹のはじまりの地である〈蕾の家〉、
そして、この春にオープンしたばかりの〈朝食 喜心 Kamakura〉を訪ねた。

池田姉妹の活動の起点となった〈蕾の家〉は、鎌倉・長谷にあるカルチャースペースとして運営されている。

池田姉妹の活動の起点となった〈蕾の家〉は、鎌倉・長谷にあるカルチャースペースとして運営されている。

五箇山の和紙を世界に!
和紙の魅力を発信するブランド
〈FIVE〉と石本泉さんの挑戦

泉鏡花風に言えば、右も左も山ばかり、手の届きそうな峰があると、
その峰に峰が乗り、頂が被さって、雲の形すら(空が狭くて)見えない、
そんな越中から飛騨に抜ける深山の間道で漉かれた和紙が、
パリの〈メゾン・エ・オブジェ〉に出品され、
ロンドンの〈ポール・スミス〉で取り扱われていると聞いたら、どう感じるだろうか。
「うそでしょう?」と思うかもしれないが、現実の話である。

そこで今回は世界文化遺産の村、富山県の五箇山(ごかやま)で働きながら
〈FIVE〉というブランドを立ち上げ、世界に越中和紙(五箇山和紙)の魅力を
発信し続けている石本泉(せん)さんに、同ブランドが誕生した背景などを聞いた。

世界文化遺産に認定されている五箇山の相倉(あいのくら)合掌造り集落。(写真提供:南砺市観光協会)

世界文化遺産に認定されている五箇山の相倉(あいのくら)合掌造り集落。(写真提供:南砺市観光協会)

〈五箇山和紙の里〉との出会い

本題に入る前に、石本泉さんのいる五箇山について、
少し説明しておく必要があるだろう。

富山県と岐阜県にまたがる山岳地帯の限られた平地には、
荻町集落、相倉(あいのくら)集落、菅沼集落などが点在している。

特別豪雪地帯に指定されるエリアで、平野部から隔絶されているため
物資の輸送もかつては困難を極めた土地だが、
その厳しい環境で自然と共生しながら暮らす人々の営みが、
1995年に白川郷・五箇山の合掌造り集落として
ユネスコから世界文化遺産に認定された。

撮影:倉員悠二

撮影:倉員悠二

3メートル以上も積もる冬の豪雪に対応するために、集落の家屋は
分厚い切妻(きりづま)の屋根の傾斜が極めて大きい造りになっている。

その形状から「合掌造り」とも呼ばれるが、屋根だけでなく間取りも独特で、
屋根裏には蚕を育てるスペースが設けられ、妻入りの入り口にある広い土間では
和紙をすき、黒色火薬の原料となる塩硝をつくれるようになっている。
平地が少なく、田畑を開くスペースが限られている同地で、
生計を立てるために先人が生み出した家屋の形である。

写真提供:南砺市観光協会

写真提供:南砺市観光協会

その五箇山で昔からすかれてきた和紙をいまに伝え、
発展させる目的を持った施設が、〈道の駅たいら・五箇山和紙の里〉だ。
同施設に勤務し、新商品の開発からデザイン、
和紙の原料となる楮(こうぞ)の栽培と、幅広く活躍する人が、石本泉さんだ。

聞けば富山県の出身ではなく、生まれは北陸ですらない。山口県岩国の出身だという。
現在でこそ五箇山和紙の里のある南砺市の女性と結婚したというが、
同施設に就職した際には、配偶者がいたわけでもない。
出身校は東京の武蔵野美術大学で、母校も遠く離れている。
そもそもの疑問として、どうして石本さんは五箇山和紙の里に勤務しているのだろうか。

「母校である武蔵野美術大学と五箇山の間に、昔から関係がありました。
大学の厚生施設である〈無名舎〉もあって、そこに大学4年生の夏に
友だちとレンタカーで訪れたことが、すべての始まりです」

〈五箇山和紙の里〉に勤務する石本泉さん。

〈五箇山和紙の里〉に勤務する石本泉さん。

無名舎とは、武蔵野美術大学の教職員や学生、卒業生、
その家族などが使用できる宿泊施設で、
世界文化遺産に認定された相倉合掌造り集落の近くに立地している。

石本さんは大学の木工科で家具づくりを学んでいたそうだが、
家具と同じ原料でつくられる紙に興味を持ち始め、3年時の自由課題において、
本来なら家具をつくる木工科の授業にもかかわらず、
当時住んでいたアパートの台所やお風呂場ですいた和紙を提出した。

木工の先生にはしかられたと、石本さんは当時を思い起こして笑う。
それでも、テキスタイル科など他学科の先生たちは大いに感心し、
和紙の産地である五箇山と、五箇山にある無名舎の存在を
石本さんに紹介してくれたという。

武蔵野美術大学の厚生施設、五箇山〈無名舎〉。

武蔵野美術大学の厚生施設、五箇山〈無名舎〉。

「正直に言えば、五箇山という地名を知りませんでしたし、
富山にも訪れた経験がありませんでした。
だからこそ、かえって気になる存在になって、4年生の夏に
友だちが行くと聞き、レンタカーに便乗させてもらいました」

五箇山訪問時には、武蔵野美術大学の先輩が五箇山和紙の里で働いていると聞き、
アポを取って会いにも出かけたと語る。
その五箇山は、石本さんの目にはどのように映ったのだろうか。

「初めて訪れた五箇山は本当にすばらしく、
友人たちと訪れたチベットや中国の雲南省などと景色が似ていて、
日本のようには思えませんでした」

聞けば、石本さんは在学中にアジア各国、ヨーロッパなど
世界中を幾度となく旅している。
その体験から考えても五箇山はすばらしく、住んでいる人々も魅力的で、
住みたい、和紙を勉強したいという思いが強くなったという。

そこで石本さんは、初めて訪れた夏と同じ年の冬にもう一度、
和紙づくりを勉強させてほしいと五箇山和紙の里にお願いをして、2週間ほど滞在する。
結果として、欠員が出るという偶然も重なり、五箇山和紙の里に就職することになった。

祝連載200回記念!
小豆島×伊豆下田、
移住をめぐる本音対談

2012年秋に家族で小豆島に移住し、〈HOMEMAKERS〉として
農業とカフェを営む三村ひかりさん。
2013年4月にスタートしたこの連載「小豆島日記」も、
今回でなんと200回を迎えました! 
そこで、100回目に続き、編集部が再び小豆島を訪れて取材。
その模様をお届けする200回記念特集です。

今回は、自らも伊豆下田に移住し、
「暮らしを考える旅 わが家の移住について」を連載中のフォトグラファー、
津留崎徹花さんと三村さんの対談をお届けします。

HOMEMAKERS看板

移住は親のエゴ? 悩み続けた子どものこと

ひかり: 前に取材に来てくれたのは3年前。
そのときは徹花ちゃん、まだ移住できたらいいな、くらいの感じだったもんね。
いま連載読んでますよー。

徹花: 読んでくれてるんだ〜、うれしいな、ありがとう! 
下田に移住して1年暮らしてみて、ようやく少しずつ落ち着き始めたところで。
自分たちの連載にも書いたけど、移住した当初は
子どもに無理をさせてるな〜って感じて、移住を選択したことは
自分たちの身勝手なんじゃないかってしばらく悩んでたんだよね。

ひかり: それは私たちも同じ。でも私たちは核家族で、
たくちゃん(夫)といろは(娘)と3人暮らしだったけど、
徹花ちゃんのところはお姉さん夫婦も同居してて、
娘さんにとってはいとこも一緒だったじゃない? 
そういう暮らし方だったら、移住しなくても楽しめるんじゃないかと思ってたけど、
それでも移住しようと思ったのはなんでだったの?

徹花: 移住しようと思った理由は、東京での暮らし方に
違和感を感じたからだったんだよね。
だけど、いま思えば、東京でいとこたちと暮らす生活は、
子どもにとってはすごく恵まれた環境だったと思う。
だから、移住して本当に子どもにとってよかったのかどうかって、
半年くらいずっと自問自答して悩んじゃって。

三村さん一家が暮らす肥土山(ひとやま)という集落は、昔ながらの里山の光景が広がります。

三村さん一家が暮らす肥土山(ひとやま)という集落は、昔ながらの里山の光景が広がります。

ひかり: いまはちょっと落ち着いた?

徹花: うん、娘も下田の暮らしを楽しんでる。移住して半年くらいで
娘の運動会があって、お友だちと仲良く自然に振る舞ってる娘を見て、
もう大丈夫なんだ、この子は私たちの知らないところで乗り越えてたんだと思って。
じーんとして思わず涙流してたら、友だちに「なんで泣いてるの?」って(笑)。

ひかり: 時間はかかるかもしれないけど、ちゃんとなじんでいってくれてると思う。
たしかに親の自分勝手じゃないかって気持ちもあるけど、
親が楽しくない状態でいるよりも、生き生きと自分たちの好きなように生きてるほうが、
子どもにとってもいいんじゃないかな。

徹花: うん、そうだよね。
私は東京にいるときよりも少し余裕ができたような気がする。
東京ではハードに仕事して、保育園のお迎えも駆け込みで、
全然余裕がなくてイライラしてた。
私が不安になってると娘も不安になるし、私がイライラしてると娘は寂しいと思う。

ひかり: 自分がイライラして子どもに怒ったりすると、あとで後悔するよね。
自分が穏やかでいることが大事だなと思う。

畑も少しずつ増えて、さまざまな野菜を栽培するように。

畑も少しずつ増えて、さまざまな野菜を栽培するように。

徹花: 東京にいたときよりも、娘と過ごす時間がすごく増えたのは大きな変化だな〜。
お母さんのあり方って、家族にとって大事だよね。
いろはちゃんのことで、不安なことはあった?

ひかり: 不安だったよ。
こっちに来たときも、すぐにうまく話ができなかったみたいで、
幼稚園の先生から発達障害じゃないかって言われたけど、
3か月くらいしたら話せるようになって。
やっぱり言葉も違うし、最初は緊張するよね。

徹花: そういう心配も、いまなら実感としてすごくわかる。

ひかり: 徹花ちゃんたちの連載読んでると、私たちにとっては
4、5年前の思いとすごくシンクロする部分があって。
同じだなーって思うよ。旦那さんは家で仕事したりしてるの?

徹花: 午前中は養蜂場で農園づくりの仕事してて、
帰ってきて家で建築の図面を引いたりしてる。
私たち親が家にいるから、近所の子どもたちが遊びに来るんだよね。
近所にお友だちがいっぱいいるこの環境はすごくよかったと思ってる。

ひかり: きっと雰囲気がいいんだよね。うちにもいろはのお友だちが来てくれるし、
いろはも遊びに行ってるよ。そういう環境って大事だと思う。

玉ねぎ収穫

人と人とがつながり合う旅。
岩見沢の山あい
〈みる・とーぶ〉の楽しみ方

ガイドブックにはない、人を訪ねるツアーを企画

ゴールデンウィークになると桜が咲き、北海道は春本番を迎える。
雪もすっかりとけて運転もしやすくなるこの時期になると、
わが家にはさまざまなお客さんが訪ねてくるようになる。

わたしが住む岩見沢の山あいは、札幌から車で1時間ほどとアクセスは悪くないが、
道内にある名だたる観光スポットと比べると、かなり地味な場所。
地元に長年住む人は、「なんもない」と口を揃えるが、
5月初旬にふたりの友人がやってくることになり、
自分なりの地域のめぐり方を考えてみることにした。

岩見沢の山あいのエリアは「東部丘陵地域」と呼ばれているが、もっとかわいらしい愛称があったらいいなあと考えたのが、「東部」を「見る」で〈みる・とーぶ〉。この名前でイベントやワークショップ開催など、さまざまな活動を地域の仲間と続けている。

岩見沢の山あいのエリアは「東部丘陵地域」と呼ばれているが、もっとかわいらしい愛称があったらいいなあと考えたのが、「東部」を「見る」で〈みる・とーぶ〉。この名前でイベントやワークショップ開催など、さまざまな活動を地域の仲間と続けている。

やってきた友人のひとりは、札幌で〈Life on the table〉という
「食」と「生」とをテーマに活動をする宮浦宜子さん。
もうひとりは、南幌在住で陶芸家のこむろしずかさんだ。

宮浦さんの〈Life on the table〉では、たったひとりのための食卓をつくったり、「おかゆのしあわせ」というワークショップを企画したりと、食にまつわるさまざまな提案を行っている。(写真提供:NPO法人こえとことばとこころの部屋[ココルーム])

宮浦さんの〈Life on the table〉では、たったひとりのための食卓をつくったり、「おかゆのしあわせ」というワークショップを企画したりと、食にまつわるさまざまな提案を行っている。(写真提供:NPO法人こえとことばとこころの部屋[ココルーム])

こむろさんの陶芸作品『雫の森』。陶板で絵本を描くというシリーズを制作している。(写真提供:こむろしずか)

こむろさんの陶芸作品『雫の森』。陶板で絵本を描くというシリーズを制作している。(写真提供:こむろしずか)

宮浦さんは6年ほど前からの知り合いだが、岩見沢へ来るのは初めて。
また、こむろさんは、つい先日、よく行くカフェで会ったばかりの方。
そのとき、制作場所が確保できる移住先を探していて、
岩見沢の山あいにも興味を持っているという話を聞いていた。
ちょうどふたりともゴールデンウィーク中に時間がとれたので、
山あいのツアーをやってみることにした。

宮浦さんとこむろさん。ふたりは初対面だったが、すぐに打ち解け、おしゃべりしながらのツアーとなった。

宮浦さんとこむろさん。ふたりは初対面だったが、すぐに打ち解け、おしゃべりしながらのツアーとなった。

未来のお肉〈ZEN MEAT〉とは?
葉山〈SEE THE SUN〉の
ローカルを巻き込んだ食への挑戦

葉山の古民家で創業した「食ベンチャー」

神奈川県葉山町の森戸海岸のほど近く、
この先に何があるのだろうかとワクワクする小道がある。
歩いて抜けると、季節の草木や花が咲き、小動物もふらりと現れる
リノベーションされた古民家があった。

車が通れない小道を通って〈SEE THE SUN〉を訪れた。

車が通れない小道を通って〈SEE THE SUN〉を訪れた。

ここは〈SEE THE SUN〉という食ブランドの本社。
葉山のこの場所から、世界が抱えるさまざまな食に関する課題に向けて、
発信し、行動していくという。

流木でつくられた看板がお出迎え。

流木でつくられた看板がお出迎え。

SEE THE SUNでは、動物性の原料を一切使っていないヴィーガン対応や、
小麦などに含まれるグルテンを使用していないグルテンフリー、
食物アレルギー物質である卵や乳製品不使用などの食品を多く発売している。

〈ZEN MEAT〉という玄米入りの大豆ミートを中心に、
グルテンフリーの玄米クッキー〈BROWN RICE COOKIE〉や
玄米パン〈ROUND BREAD MADE FROM BROWN RICE〉、
発酵した豆乳でつくった〈SOY CHEESE〉などを展開している。

こうして見てみると特定の人に向けられた食品を発売しているようだが、
本来の目的は正反対で、みんなが食べられるものをつくることにある。

〈ZEN MEAT〉はFILLET、MINCE、BLOCKの3種類。下はZEN MEATが入ったレトルトの〈KEEMA CURRY〉、〈EUROPEAN STYLE CURRY〉、〈BOLOGNESE PASTA SAUCE〉。

〈ZEN MEAT〉はFILLET、MINCE、BLOCKの3種類。下はZEN MEATが入ったレトルトの〈KEEMA CURRY〉、〈EUROPEAN STYLE CURRY〉、〈BOLOGNESE PASTA SAUCE〉。

実はSEE THE SUNは、製菓メーカー〈森永製菓〉の社内ベンチャーである。
代表取締役社長である金丸美樹さんは、森永製菓で
スタートアップ企業などを支援するアクセラレータープログラムに従事し、
学童保育所に食を宅配する会社を支援していた。
ここで感じた「学童保育所や幼稚園などでのアレルギー対策への思い」が
ブランド発足のきっかけとなった。

ある幼稚園から「食物アレルギー体質の子どもも含めた全員が、
一緒に食べられるお菓子はないか」というリクエストがあった。
もちろん小麦や卵を抜いた製品をつくることは技術的に可能ではあったが、
少量だけつくるのではコストがかさんでしまう。そしてなにより、
子どもたちが食物アレルギーによって区別されてしまう現状をどうにかしたいと思った。

広い敷地にはさまざまな草木が芽吹く。

広い敷地にはさまざまな草木が芽吹く。

〈HOMEMAKERS〉の
暮らしを書き続けること

5年書き続けてきた、家族の大切な記録

今年も庭の桜の木に真っ赤なサクランボがたくさんなりました。
毎年だいたい同じ時期、5月のゴールデンウィーク頃がちょうど食べごろです。

田舎で暮らしていると、この季節の繰り返しをとてもよく感じます。
「あー、サクランボの季節だな」
「カエルが鳴き出した、田植えの時期だな」

植物や動物、虫たちが毎年同じように次の季節の訪れを教えてくれます。
こうやって季節が繰り返していくなかで、
私たちは歳を重ねていくんだなぁとぼんやりと思いにふけってみたり。
あかん! まだ30代です(笑)。

毎年この時期に小さな赤い実がたくさんなります。甘酸っぱくておいしい。

毎年この時期に小さな赤い実がたくさんなります。甘酸っぱくておいしい。

桜の木が心地よい木陰をつくってくれる。

桜の木が心地よい木陰をつくってくれる。

2012年秋に小豆島に引っ越してきて、その翌年2013年4月から書き始めた
この連載「小豆島日記」も、今回でなんと199回!
5年にわたって書き続けてきました。

枯れてしまったかなと思っていたセージが、今年は花を咲かせました。

枯れてしまったかなと思っていたセージが、今年は花を咲かせました。

最近では今回は何について書こうかなと考えるとき、
昨年、一昨年の同じ時期に何を書いてたかなぁと読み返したりします。
肥土山(ひとやま)農村歌舞伎や生姜の植え付け作業など、
去年と同じことをしていても、考え方や関わり方など少しずつ変わっていて、
その小さな変化を感じながら書くのがおもしろかったりします。

そして時に恥ずかしかったりもします。
いまと比べて圧倒的に少ない知識と経験で農業のことなど語っていたりして、
こんなことを書いていたのかと(汗)。
ま、でも、そのときしか書けなかった純粋な思いもあったりして、
それはそれでいいのかな。

農村歌舞伎で今年は初の男役に挑戦したいろは(娘)。

農村歌舞伎で今年は初の男役に挑戦したいろは(娘)。

たくちゃん(夫)は年々うまくなっていきます。

たくちゃん(夫)は年々うまくなっていきます。