築80年の空き家をリノベ。
地域の人々が交流する町家オフィス
〈ma.ba.lab.(まばらぼ)〉誕生

マチザイノオトvol.4

こんにちは、グリーンノートレーベル株式会社の明石博之です。
今回は、空き家になった町家をオフィスにするプロジェクトのご紹介です。

カフェに続く第2の「点」をつくる

その前に、まず、私の妻の紹介から始めないといけません。
妻の明石あおいは、京都で生まれて、富山で育ち、
Uターンというカタチで育った故郷に戻りました。
その後、まちづくりとデザインの会社〈ワールドリー・デザイン〉を立ち上げました。
夫婦ふたりが起業家で、それぞれが小さな会社を経営しています。

〈ワールドリー・デザイン〉代表の明石あおい。

〈ワールドリー・デザイン〉代表の明石あおい。

当時住んでいた富山市内から〈カフェuchikawa六角堂〉がある新湊内川までは、
クルマで片道30分。私は用事があるごとに、
富山市とカフェを行ったり来たりしていましたが、
いつかは新湊内川沿いに町家のオフィスが欲しいと思っていました。

〈カフェuchikawa六角堂〉がある新湊内川の風景。

〈カフェuchikawa六角堂〉がある新湊内川の風景。

いつの頃からか、妻とこんな話をするようになりました。
「六角堂はできたけど、空き家の古民家を使って何かやろうという
第2の波がやってこないよね……」

私たちは、空き家のリノベモデルをつくったという意識があったので、
誰かがマネして内川沿いに店を出してくれないかなと淡い期待を抱いていたのです。

そこへ転機が訪れました。2014年、妻を誘って、
歴史的なまち並み保存や空き家活用の先進地である
兵庫県篠山市に遊びに行ったときのことです。

現地を案内してくれたのが、地元で古民家ホステルの運営やまち並み保存、
イベント事業などをしている一般社団法人〈ROOT〉の代表、谷垣友里さんでした。
彼女の案内で、歴史的なまち並みの保存、建物を活用したまちづくりの事例を
多く見せていただいたなかの1軒が、谷垣さんの事務所でした。

私たちが感激した〈ROOT〉さんの古民家オフィス。

私たちが感激した〈ROOT〉さんの古民家オフィス。

小さな町家ですが、昔の意匠をそのままに
センス良く活用されているオフィス空間を見て、私たち夫婦は目が輝きました。
「なんてすてきなオフィスなんでしょう!」
そのときの感動はいまでも忘れません。

翌日、富山へ帰る道中に突然妻が
「私が次の点になればいいんだよ。内川沿いに町家のオフィスをつくる!」
と爆弾発言をしました。内川にひとつの「点」はできたけれども、
「線」になるにはもうひとつの「点」が必要だという意味でした。
前日に見た町家のオフィスに相当刺激されたみたいです。本当に驚きました。

その日から、ワールドリー・デザインの社屋となる
町家オフィスのプロジェクトが始まりました。
私はトータルプロデュースを仕事として請け負い、
これがマチザイノオト、第2弾のプロジェクトとなりました。

個人とか、会社とか、そういった立場ではなく、
勝手に地域代表になったような気持ちで妻に感謝しました。
この思いを最高のカタチで表現するため、さっそく物件探しを始めました。

物件を最初に見たときの表玄関の様子。

物件を最初に見たときの表玄関の様子。

岩見沢〈朝日駅復活プロジェクト〉
廃線となった駅舎を人の集まる場所に。
楽しみながら取り組むプロジェクト

炭鉱で栄えた朝日地区に残る万字線の駅舎

わたしが住む岩見沢の山あいは、もともと炭鉱で栄えた地区だ。
朝日、美流渡(みると)、万字(まんじ)とそれぞれの地区に炭鉱があり、
何万人もの人々が暮らしていたという。
かつてのにぎわいはなくなっているものの、
当時の様子をしのばせる建物がいまでもひっそりと建っている。

朝日地区の万字線鉄道公園にある旧朝日駅もそのひとつ。
この公園は、石炭輸送を目的に1914年に開通し、
1985年に廃線となった万字線の駅周辺を整備してつくられた施設だ。
機関車も置かれ、紅葉も美しい場所ではあるが、地元の人や観光客の姿はまばらで、
旧駅舎も手つかずの状態で傷みが目立つようになっていた。

万字線鉄道公園。旧駅舎やレールが残されている。(写真提供:岩見沢市観光協会)

万字線鉄道公園。旧駅舎やレールが残されている。(写真提供:岩見沢市観光協会)

地元の人たちは、駅舎をなんらかのかたちで活用したいという想いはあっても、
なかなか一歩を踏み出せない状態だった。
2年前に地域おこし推進員(協力隊)として、
この地区にやってきた上井雄太さんも同じ気持ちを抱えていた。

「何かに生かせないか、アイデアをずっと考えていました。
取り壊すという話も上がっていて、それはもったいないと思っていました」

時間が止まったようなこの場所が、新しい時を刻むことになったのは、
突然の出来事だった。
朝日の隣、美流渡地区に昨年移住したばかりの
スティーブン・ホジャティさんと文さん夫妻が、
あるとき上井さんに写真を見せてもらったことが、
新しいプロジェクトが生まれるきっかけとなった。

その写真とは、朝日が炭鉱でにぎわっていた時代に撮られており、
労働者が生き生きと働いたり、地域みんなでスポーツを楽しんだりする様子が
写し出されていたものだった。

朝日地区に保管されている炭鉱の写真。岩見沢市内にある〈そらち 炭鉱の記憶マネジメントセンター〉に寄贈された写真資料がもとになっている。

朝日地区に保管されている炭鉱の写真。岩見沢市内にある〈そらち 炭鉱の記憶マネジメントセンター〉に寄贈された写真資料がもとになっている。

「こんなにすばらしい写真があるなら眠らせておくのはもったいない。
そのとき朝日駅舎に展示してみたらいいんじゃないかと思ったんですね」(文さん)

この駅舎はホジャティさん夫妻にとって印象深い場所でもあった。
札幌で馬を飼いながら、子どもたちに向けたイングリッシュキャンプを
10年ほど行っていたふたりは、新天地で新しい活動を始めようと場所を探しており、
昨春初めてこの地区を訪れ、そのときに駅舎にも立ち寄ったのだそう。

「まだ雪が残るなか朝日駅を見たんですね。
そのとき、万字線の歴史を伝えていくのに一番いい場所だと思いました」(文さん)

「そのままにしておいたら、もったいないと思いました。
線路がまだ残っている場所はなかなかありませんし、
このままだとレールが錆びていってしまうと思ったんです」(スティーブンさん)

朝日駅復活プロジェクトを企画した3人。左から文さん、スティーブンさん、上井さん。

朝日駅復活プロジェクトを企画した3人。左から文さん、スティーブンさん、上井さん。

公園には線路が残され機関車も置かれている。

公園には線路が残され機関車も置かれている。

上井さんと夫妻は駅舎を復活させたいという気持ちで一致。
さっそく管理をしていた市役所にかけあい、
自分たちで整備をしてよいか相談をもちかけたそうだ。

検討の時間はさほどかからなかった。
役所もすぐに協力する姿勢を見せてくれたそうで
〈朝日駅復活プロジェクト〉が立ち上がった。

「建物は使わないと死んでいってしまう。
まずはキレイにしたいと思いました」(文さん)

駅舎の内部。普段は鍵がかかっていて中に入ることはできなかった。

駅舎の内部。普段は鍵がかかっていて中に入ることはできなかった。

駅で使われた備品が保管されている場所もあった。(写真提供:岩見沢市観光協会)

駅で使われた備品が保管されている場所もあった。(写真提供:岩見沢市観光協会)

小豆島太鼓まつり、
太鼓台が海を渡る「押し込み」

島中がお祭りムードの1週間!

小豆島では毎年10月中旬に太鼓まつりが行われます。
秋の収穫を感謝するお祭りとして、小豆島内にある6つの八幡神社で開催され、
太鼓台を奉納します。

まつり前日は宵まつり。買い物に行ったら遭遇。ワクワクしてきます。

まつり前日は宵まつり。買い物に行ったら遭遇。ワクワクしてきます。

まちなかを太鼓台が進んでいきます。

まちなかを太鼓台が進んでいきます。

10月11日の葺田八幡神社から始まり、伊喜末八幡、土庄八幡、
内海八幡、富丘八幡、最後は10月16日の池田亀山八幡さん。
この1週間は島中がお祭りムード、島のいたるところで太鼓の音が聞こえてきます。

手手手手! 毎年この丸太を持ちあげる男の人たちの連なる手がいい。

手手手手! 毎年この丸太を持ちあげる男の人たちの連なる手がいい。

秋晴れ、祭り日和。

秋晴れ、祭り日和。

私たちが暮らしている肥土山(ひとやま)地区は
10月15日に富丘八幡神社に奉納します。
今年は、ほかの八幡さんのお祭りに参加している友人を見に、
10月14日は土庄八幡神社へ、10月16日は池田亀山八幡神社へ。
3日間、毎日まつり!

息がそろうと太鼓台がふわっと浮く。この瞬間を見るのが毎年楽しみ。

息がそろうと太鼓台がふわっと浮く。この瞬間を見るのが毎年楽しみ。

肥土山地区の太鼓は今年は女の子たちが乗りました。

肥土山地区の太鼓は今年は女の子たちが乗りました。

各八幡さんによってお祭りの内容は少しずつ違います。
太鼓台の担ぎ方やかけ声の違いなど、
「へー、ここの地区はこんなふうにするんだ」というのが見てるといっぱいあります。

多様性のまち鎌倉で
〈ルートカルチャー〉が行う文化の祭典
〈海のアカデミア&海のカーニバル〉

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

2018年の〈鎌倉 海のアカデミア〉のメイン会場となる鎌倉・材木座の光明寺。浄土宗大本山の名にふさわしく、鎌倉でも屈指の規模を誇る大寺院だ。

2018年の〈鎌倉 海のアカデミア〉のメイン会場となる鎌倉・材木座の光明寺。浄土宗大本山の名にふさわしく、鎌倉でも屈指の規模を誇る大寺院だ。

鎌倉文化の“いま”を発信する団体

鎌倉在住の画家や演劇家らが敗戦直後に立ち上げた鎌倉文化会が母体となり、
戦争で心身ともに疲弊した若者たちに向けた私立学校として、
材木座・光明寺を仮校舎にスタートした「鎌倉アカデミア」。
戦後の学界や文化界を牽引した面々が教鞭をとった鎌倉アカデミアは、
作家の山口瞳、映画監督の鈴木清順をはじめとする
さまざまな人材を輩出した伝説的な学び舎として知られている。

一方、鎌倉在住の小説家・久米正雄らが音頭をとり、
戦争を挟んでおよそ30年にわたって開催された「鎌倉カーニバル」。
漫画家の横山隆一、小説家の大佛次郎ら鎌倉文士たちが盛り上げ、
最盛期には1週間以上にもわたる期間中に、
音楽祭から柔道大会まで多種多様なプログラムが組まれ、
「海の世界3大行事」とさえ言われるほどの夏の一大行事だった。

2016年の「鎌倉市民カーニバル」に、〈ルートカルチャー〉として参加したときの様子。(写真提供:ROOT CULTURE)

2016年の「鎌倉市民カーニバル」に、〈ルートカルチャー〉として参加したときの様子。(写真提供:ROOT CULTURE)

この地に集う多様な人々によって築かれてきたこれらの文化的遺産に目を向け、
現在の鎌倉のまちで活動を続ける団体がある。
代表理事の瀬藤康嗣さんらによって2006年に立ち上げられた
クリエイティブ・チーム〈ルートカルチャー〉だ。

鎌倉内外のさまざまなクリエイターらを巻き込みながら、
寺社仏閣をはじめとした鎌倉の歴史的建築物を舞台にしたフェスティバルや
公演を行うなど、「文化的交流」の場づくりに取り組んできた。

鎌倉の歴史、文化、風土を引き継ぎながら、
鎌倉の現在を発信するルートカルチャーとはどんな団体なのか? 
今年11月に、光明寺と材木座海岸で行われる
〈鎌倉 海のアカデミア〉の開催を控える瀬藤さんに話を聞いた。

2015年に鎌倉海浜公園で開催された「鎌倉[海と文芸]カーニバル」。(写真提供:ROOT CULTURE)

2015年に鎌倉海浜公園で開催された「鎌倉[海と文芸]カーニバル」。(写真提供:ROOT CULTURE)

いま瀬羽町が盛り上がりつつある?
富山県滑川市のカフェが火をつけた
小さなまちのにぎわい

富山湾に面したまち滑川(なめりかわ)。江戸時代には宿場町としてにぎわい、
戦後まで活気があったものの、現在はさびれ、空き家も多い。

その滑川、特に「滑川銀座」と呼ばれた瀬羽町(せわまち)に、いま変化の兆しがある。
県内外から若者を中心とした旅行者が、あとを絶たずに押し寄せ始めているのだ。
聞けば沖縄から北海道まで、わざわざこの土地をめがけて
足を運ぶ人も少なくないという。
今回はその富山県滑川市にある瀬羽町のにぎわいを紹介したい。

平日の瀬羽町。週末や休日になると若者が通りに目立ち始める。

平日の瀬羽町。週末や休日になると若者が通りに目立ち始める。

まちに人の流れをつくった1軒のカフェ

かつての滑川宿の一帯は漁港としての機能も果たし、
その活気は明治、大正を経て昭和の戦後まで続いた。
土地の年長者に聞くと、特に瀬羽町は、
各種の商店から映画館、中央卸売市場、役場まで存在し、
「まちにないものは火葬場だけ」というほどだったという。

しかし高度成長期に入ると、ほかの地方都市と同じく郊外化が進み、
人口の流出が続いた。

「瀬羽町がいま盛り上がっている」と言うのにはまだ時期尚早かもしれない。
確かにさびれた街道に似つかわしくない、流行に敏感そうな若者の姿を、
曜日や時間帯を限って言えば多く見かける現状がある。

しかしまだ瀬羽町、あるいは滑川自体に魅力を感じて訪れるのではなく、
ある「点」を目がけて全国から人が集まっている状態とも言える。
その意味では「瀬羽町がいま盛り上がりを見せつつある」状態なのだが、
その「点」に訪れた人が、周囲のレトロで歴史ある雰囲気を気に入り、
ほかの有形文化財や店を歩いてまわるという好循環が生まれつつある。
その輝かしい「点」となる存在が、〈hammock cafe Amaca〉だ。

店名からもわかるように、ハンモックが店内にぶら下がるユニークなカフェで、
石川県の七尾に生まれたオーナーが、
滑川に移住して2017年に誕生させた。

ハンモックに揺られながらリラックスできる〈hammock cafe Amaca〉。

ハンモックに揺られながらリラックスできる〈hammock cafe Amaca〉。

聞けばユニークな経歴の持ち主で、石川県内の企業の実業団で
テニス選手として社会人生活をスタートしている。
退社後は東京、金沢に居住した経験もあり、東京では芸能関係の仕事を務め、
金沢では知人の出張美容サービスを手伝った。

一見すると飲食業には無縁のように思えるが、
東京在住時には徹底して趣味のカフェ巡りを行い、
肉フェスなどのイベント出店、秋葉原でのバーテンダー業務、
神奈川の江の島にある海の家での勤務など、異色の経歴を持つ。 

「下積みや修業の経験はないのですが、あえて言えば
その頃の飲食経験が僕の修業時代だったのだと思います」とオーナーは語る。

「江の島は都心から1時間30分ほどかかる立地にあります。
わざわざ江の島を目がけて遊びに来るお客さんが中心で、
そういった方をおもてなしする楽しさとやりがいを、海の家の仕事で知りました。
この店を出すにあたっても、そのときの経験が生きていて、
ふらっと来店できる場所でなく、わざわざこの店を目がけて
来ていただくような場所に出店したいと思っていました」

瀬羽町を散歩しているときに、故郷と似た旧北陸街道の雰囲気が気に入った。
さらには、あえて繁華街から離れて出店し、自分たちを目がけて
足を運んでくれるような客をもてなしたいという思いも実現できる立地から、
瀬羽町に出店を決めたという。

その新店が、強烈な輝きを放った。
集客はほとんど行わず、告知もオープン前日にSNSで発信しただけだというが、
評判が評判を呼び、全国から人が集まって、
いまでは週末になると行列が当たり前の人気店になった。

筆者が取材で訪れた日も、「売り切れ」の看板が下がっていた。
目玉商品のひとつはパフェだ。

「季節を食べる」をコンセプトに、旬の食材がふんだんに盛り込まれた
「インスタ映え」するパフェをハンモックに揺られながら食べるという体験が、
若者の五感を大いに喜ばせた。
若者だけでなくいまでは30代、40代、さらには80代の「女子」まで
「冥土の土産になった」と喜んでくれるという。

左からイチゴ、ブルーベリー、チョコレートオランジュ。(写真提供:Amaca)

左からイチゴ、ブルーベリー、チョコレートオランジュ。(写真提供:Amaca)

この集客力が、周辺の瀬羽町に好循環を生み出しつつあるのだ。
とはいえ、まちづくりへの貢献について聞くと
「僕はもともとよそ者ですから、まちをつくってきたわけでもありません」
と、言葉を選びながら言明を避ける。

「ですが、若い人たちがうちの店をきっかけに瀬羽町に来てくれて、
いいまちだと思ってくれたとすれば、自分が店をやっている意義はあります。
田舎はかっこいいです。このまちは歴史がありますし、歴史はお金では買えません。
その良さをわかってもらえるきっかけになれればと思っています」

事実、東京や大阪など都会から来た若者が、
瀬羽町を訪れて喜んでいるという。
「楽しいごはん」を提供したいと語る「おもてなし力」も手伝って、
着実に滑川の魅力はいままでにないかたちで発信され始めている。
まさにhammock cafe Amacaが、海浜の港町に建つ灯台のように、
瀬羽町から全国に確かな光を放ち続けているのだ。

アフロの稲垣えみ子さんが、
美流渡にやってきた。
過激(!?)な移住者たちをめぐる旅

停電に見舞われ、いまこそ稲垣さんの言葉が響くはず

北海道胆振東部地震で、わたしの住む岩見沢は、1~2日間の停電に見舞われた。
停電がようやく復旧したとき、SNSには通電を喜ぶ投稿がたくさんあった。
また電気がない生活はとても不便だったという話があちこちで聞かれた。

わたしは電気が通ってすぐ、ある人にメールをした。
元朝日新聞記者でアフロヘアがトレードマークの稲垣えみ子さんだ。
昨年11月に東京で行われたシンポジウムのお仕事で、稲垣さんとご一緒したことがあり、
いつかまたお目にかかりたいとずっと思っていた。

実は9月9日に札幌で講演会が予定されていたのだが、地震の余波で中止になり、
「講演会がなくなってとても残念。
稲垣さんのお話が、いまこそ北海道の方々に響くのではないかと思う」
という内容のメールを思わず送ったのだった。

稲垣さんはすぐに返事をくれて、何度かメールでやりとりをするうちに、
なんと(!)わが家に遊びに来てくれることになった。
わたしが買った山を見たいと言ってくれたのだった。

昨年11月にインドの小さな出版社タラブックスの編集者と日本のパネリストが集う「世界を変える本づくり」というシンポジウムが行われ、わたしは稲垣さんに出会った。(撮影:南阿沙美)

昨年11月にインドの小さな出版社タラブックスの編集者と日本のパネリストが集う「世界を変える本づくり」というシンポジウムが行われ、わたしは稲垣さんに出会った。(撮影:南阿沙美)

これは本当にうれしい出来事だった。
自分自身がどこに向かおうとしているのか、その指針を示してくれたのは
稲垣さんの著書『寂しい生活』だったからだ。

『寂しい生活』は、稲垣さんが東日本大震災をきっかけに節電を始め、
やがて、電子レンジや冷蔵庫など、ほとんどの家電を手放すなかで、
数々の発見をし、自分の新たな能力に目覚めていくというエッセイだ。

なかでもわたしが共感したのは、電灯にほとんど頼らず、
エアコンも使わなくなったことで、天候の変化や四季の移ろいを感じる
センサーのようなものが鋭敏になったというところだ。
最近、「季節が夏と冬だけの両極端になって、春や秋がなくなった」
という人も多いが、そんなことはないと、稲垣さんは著書で語っている。

ちょっと暑いから、ちょっと寒いからとエアコンのスイッチを入れているあなた。
もしかするとあなた自身が、自分の身の回りからこの素晴らしい変化を排除し、
春と秋を消し去っているのかもしれませんぜ、っていうか、絶対消し去ってるよ、
それでもいいんですかというのが仙人(稲垣さんのこと)のお告げであります。

(『寂しい生活』より)

東日本大震災をきっかけに「個人的脱原発計画」に挑戦。何かをなくすことで、稲垣さんはそれまで見えなかった別の世界を発見した。『寂しい生活』(東洋経済新報社)

東日本大震災をきっかけに「個人的脱原発計画」に挑戦。何かをなくすことで、稲垣さんはそれまで見えなかった別の世界を発見した。『寂しい生活』(東洋経済新報社)

さっそくできることから実践しようと、
冬でもできるだけ給湯は使わず真水で洗い物をし(めちゃくちゃ冷たい)、
いつも夜明け前に起床するのだが、そのとき電灯はつけず
薄暗がりの中で家事をすることにした(夜もやりたいが、
夫と子どもが奇異な眼差しで見るのでできない)。

このふたつだけでも、夜明け前に空が少しだけ明るくなっていることに気づけたし、
お湯を使わないせいか手がまったく荒れなくなるなど、
思いもよらぬ体験をすることができた。

〈HOMEMAKERS〉秋の畑仕事。
種をまき、苗を植える

少量多品目栽培の農業の大変なこと、楽しいこと

今年は9月になっても蒸し暑い日が多くて、なかなか秋がやってこないな~
と思ってましたが、ようやく肌寒さを感じる季節になりました。
ほっとしている10月です。

秋といえば栗!

秋といえば栗!

ひとつひとつ栗の鬼皮をむいて渋皮煮に。

ひとつひとつ栗の鬼皮をむいて渋皮煮に。

私たち〈HOMEMAKERS〉は、年間通していろいろな種類の野菜を育てています。
にんじん、じゃがいも、キャベツ、白菜など、品目でいうと30品目くらい。
細かな品種でいうと80品種くらい。

同じ品目(例えばさつまいも)でも
品種(安納芋、紅はるか、紫芋など)が違えば、
見た目はもちろん違うし、味も食感も料理の仕方も変わります。
そうやっていろんな種類の野菜を育てることは大変だけどとても楽しいです。

畑一面広がるさつまいもの葉っぱ。今年は4品種を育てました。

畑一面広がるさつまいもの葉っぱ。今年は4品種を育てました。

手で掘っていきます。まだまだ暑い~。

手で掘っていきます。まだまだ暑い~。

いまの時期だと、ピーマン、なす、オクラ、ツルムラサキ、さつまいも、
かぼちゃ、バターナッツ、コリンキー、ズッキーニ、ワケギ、レタス、
ルッコラ、赤リアスからし菜、金時草、生姜などが収穫できます。

鮮やかな色の〈紅はるか〉。収穫後しばらく保管して甘さが増してから出荷します。

鮮やかな色の〈紅はるか〉。収穫後しばらく保管して甘さが増してから出荷します。

もう夏野菜は終わりの時期なので収穫量は少なく、
冬野菜が収穫できるようになるのはだいたい10月後半くらいからなので、
いまは野菜の種類も量も少なく、ちょっと厳しい時期です。
よく言われる「端境期(はざかいき)」ですね。
それでもかき集めれば、10品目以上の野菜があります。

10月前半のHOMEMAKERS旬野菜セット。

10月前半のHOMEMAKERS旬野菜セット。

秋になっても収穫が続いているピーマン。完熟して赤く色づきます。

秋になっても収穫が続いているピーマン。完熟して赤く色づきます。

熊本地震を経て蘇った
「塩井社水源」のこと

青くきれいな水源が、その水を取り戻すまで

私たちが古本屋〈ひなた文庫〉を営む
南阿蘇鉄道の駅「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」。
その名の通り南阿蘇には澄んだ水の湧く水源がたくさんあります。
その中の水源のひとつ、熊本地震から蘇った「塩井社水源」について
今回はお話しようと思います。

水路脇の道をつたって水源へ。

水路脇の道をつたって水源へ。

南阿蘇の水源は阿蘇火山に降った雨が地下に染み込み、
噴火によってつくられた地層に約20年〜35年かけてろ過され
ゆっくりと山の麓へと湧き出すミネラル豊富な湧水です。
南阿蘇では、環境省の「平成の名水百選」に
南阿蘇湧水群として10か所が選定されています。

塩井神社につながる鳥居。横には水源から延びる水路が。

塩井神社につながる鳥居。横には水源から延びる水路が。

その中のひとつ、塩井社水源はブルーグリーンに透き通った水源。
毎分5トン、1日に7200トンも流出し、その水は水源から延びる用水路を通って
農業用水として近くの水田55ヘクタールを潤していました。

水路脇の家から直接つながる洗い場。生活に結びついいた水路です。

水路脇の家から直接つながる洗い場。生活に結びついいた水路です。

冷たくほんのり甘さを感じるようなやわらかい口あたりから
「女水」と呼ばれるほどで、不老長寿の神水と古くから尊ばれ、
水源の横には塩井神社として水神様が祀られています。

地震以前の塩井神社。まだ手前の拝殿も残っています。

地震以前の塩井神社。まだ手前の拝殿も残っています。

夏は境内の木陰が涼しく、静かでとても美しい水源でした。
ひなた文庫からも車で5分とかからない場所にあるので、
観光でいらしたお客さんにもよく勧めていた水源です。

青く澄んだきれいな水。

青く澄んだきれいな水。

ところが2016年の4月に起きた熊本地震以降、
こんこんと湧き出ていた水が止まり、水源は枯れてしまいました。
鳥居も折れ、神社の拝殿も崩れ落ちてしまっていました。
神様がいなくなった。まさにそんな状態でした。

立派な鳥居はなくなってしまいました。

立派な鳥居はなくなってしまいました。

灯篭も地震で崩れてしまいました。

灯篭も地震で崩れてしまいました。

水脈がずれてしまったのか、地下でどうなってしまったのかはわかりません。
それまで青々と水をたたえていた場所は、落ち葉が溜まる窪地となってしまいました。
地元の方もみんな肩を落とし、塩井社からの水を水田用水として使用していた
農家の方は、稲を植えることができなくなってしまいました。

地震直後、干上がって落ち葉が溜まっています。

地震直後、干上がって落ち葉が溜まっています。

水源が枯れてから半年ほど経った頃、神社の賽銭箱の下に
1冊のノートが置かれていました。訪れた人がメッセージを記帳できるのです。

「枯れてしまって悲しいです」
「また水が湧きますように」
「またあのおいしいお水が飲みたいです」……
再び水が出ることを願ってたくさんの想いが書かれていました。

崩れてしまった拝殿の様子の写真が貼られていました。

崩れてしまった拝殿の様子の写真が貼られていました。

拝殿のなくなった塩井神社。

拝殿のなくなった塩井神社。

〈森の出版社ミチクル〉3冊目の本は
せたなの農家グループ〈やまの会〉。
そのテーマは?

オーガニックな農法を貫くアーティストのように個性的な人々

今年の7月、岩見沢の山あいに〈森の出版社ミチクル〉を立ち上げた。
本当にささやかな滑り出しで、販売している本は2冊。
イラストエッセイ『山を買う』と、切り絵の絵本『ふきのとう』という、
いずれもA6判の小さなものだ。

実をいうと昨年の計画では、この夏にもう1冊、
これまでよりページ数の多い本を刊行したいと思っていた。
その本とは、道南のせたな町と今金町で活動をする、
5軒の農家グループ〈やまの会〉を取材したものだ。

やまの会が結成されたのは10年前。
この地域は、海・まち・山の3つのエリアに分かれていて、
昔から海の人、まちの人、山の人と呼び合っており、
山で農業を行っていたことが、この会の名前の由来となった。

メンバーたちは、米や大豆、野菜、牛、羊、豚など、
育てているものはさまざまだが、いずれもオーガニックな農法に挑戦し、
その食材は道内外のシェフから注目を集めている。

これまでマルシェやイベントに参加するほか、著名なシェフを招き、
やまの会の食材を使った1日限りのレストランを開催する活動を行っており、
来年の1月には彼らをモデルとした映画『そらのレストラン』も公開予定だ。

大泉洋が主演する北海道映画シリーズとして『しあわせのパン』(洞爺湖)、『ぶどうのなみだ』(空知)に続く第3弾『そらのレストラン』の舞台はせたな。海の見える牧場でチーズづくりを行う一家と仲間たちの物語。2019年正月第2弾全国ロードショー。

大泉洋が主演する北海道映画シリーズとして『しあわせのパン』(洞爺湖)、『ぶどうのなみだ』(空知)に続く第3弾『そらのレストラン』の舞台はせたな。海の見える牧場でチーズづくりを行う一家と仲間たちの物語。2019年正月第2弾全国ロードショー。

やまの会の本をつくりたいと思ったのは、不思議な巡り合わせによる。
グループの代表である富樫一仁さんのもとで農業研修をしていた青年と
昨年秋に出会ったことがきっかけ。
農業を行うかたわらでデザイナーとしても活動していた青年は、
当時立ち上げ準備中だった森の出版社構想について
詳しく聞きたいと訪ねてきたのだった。

とりとめもなくデザインのことや印刷、出版について話すうちに、
ハッとひらめくものがあった。

「やまの会の本をつくったらおもしろそう!」

わたしは3年前にせたなを訪れ、やまの会のメンバーの農場を
ツアーでめぐったことがあった。
彼らはまるでアーティストやクリエイターのように強烈な個性があって
興味をそそられたが、それ以降は訪ねる機会はなかった。
わたしの住む岩見沢からせたな町までは車で約4時間とかなり遠いため、
まさか本をつくるというアイデアが浮かぶなんて、自分でも予想外のことだった。

けれども、何か見えない糸で引っ張られているような、
以前から決まっていたことのような感覚があった。

2015年にせたなを訪ねたのは、毎年夏に開催されている〈海フィール〉というイベントの取材を行うためだった。海フィールは、せたなの漁師で、マーレ旭丸の船長・西田たかおさんと、やまの会のメンバーで酪農を営む村上健吾さん妙子さん夫妻が中心となって運営している。

2015年にせたなを訪ねたのは、毎年夏に開催されている〈海フィール〉というイベントの取材を行うためだった。海フィールは、せたなの漁師で、マーレ旭丸の船長・西田たかおさんと、やまの会のメンバーで酪農を営む村上健吾さん妙子さん夫妻が中心となって運営している。

〈小豆島カメラ〉を始めて5年。
活動を続けていくということ

5年間毎日、1500枚以上の写真を発信!

島の友人たちと一緒に活動している〈小豆島カメラ〉
島で暮らしているからこそ出会える光景を日々カメラで撮って発信しています。
活動を始めたのは2013年の冬。もうすぐ5年になります。

5年前のちょうどいまくらいの季節、
2回目となる〈瀬戸内国際芸術祭〉の会期が終わる頃だったと思います。
カメラマンのMOTOKOさん、カメラメーカー〈オリンパス〉、
写真雑誌『PHaT PHOTO』を出版する〈シー・エム・エス〉の方々と
小豆島でキックオフ! そこからどんなふうに活動をしていくのか話し合い、
流れにのって活動してきました。

今年の6月に開催されたMOTOKOさんの写真展『田園ドリーム2018』。

今年の6月に開催されたMOTOKOさんの写真展『田園ドリーム2018』。

小豆島カメラの写真も展示されました。

小豆島カメラの写真も展示されました。

私たち「小豆島カメラ」の活動の目的は、

・観光地としての小豆島ではなくて、暮らす場所としての日常の小豆島を伝えること

・小豆島で暮らすことの豊かさ、楽しさを伝えること

・小豆島のファン=来てくれる人、将来的に暮らしてくれる人を増やすこと

・自治体、住民自らの手で自分たちの地域をつくっていく、発信していけるようになること

そして、具体的な活動の内容は、

・オリンパスのミラーレス一眼カメラで小豆島の風景、食、人を撮影

・小豆島カメラ公式Webサイト、Facebookページにて写真を毎日発信

・島内、島外での写真展開催

・小豆島での暮らし体験ツアーの企画・実施

写真展でのトークイベントの様子。私たちがどんなふうに活動しているか、写真を見ながら話します。

写真展でのトークイベントの様子。私たちがどんなふうに活動しているか、写真を見ながら話します。

普段使っているカメラストラップやグローブ、小豆島の調味料や果物などの販売。

普段使っているカメラストラップやグローブ、小豆島の調味料や果物などの販売。

これは活動当初に考えたものですが、5年経ったいまも大きく変わっていません。
ちなみにずっと更新し続けてきた小豆島カメラのFacebookページは
1万人以上の人がいいね!してくれていて、昨年からinstagramも更新しています。
日々発信してきた写真は1500枚以上になりました。
ほんとに継続は力なり! 継続は財産です!

日常の中にある絶景。

日常の中にある絶景。

季節ごとに撮りたいものがたくさんあります。

季節ごとに撮りたいものがたくさんあります。

地域のみんなでDIYリノベーション。
昔ながらの定食屋
〈レストこのしろ〉再生物語

blueto建築士事務所 vol.4

今回は、京丹後市丹後町にある食堂〈レストこのしろ〉が
地元住民の手によって蘇ったストーリーと、
移住者のご夫婦が自ら住まいづくりにチャレンジした
DIYリノベーションのケーススタディをお届けします。

海の京都「丹後」の海が一望できる食堂〈レストこのしろ〉

〈レストこのしろ〉は丹後の地元の人に愛されている定食屋さんです。
京都の最北端に位置し、海が一望できる大変魅力的なローケーションにあります。

丹後松島。周りには青い海と青い空と山が広がり、自然豊かな環境。

丹後松島。周りには青い海と青い空と山が広がり、自然豊かな環境。

オーナーはIターン移住者である山本ユミさんと、京丹後市出身の平井宏明さんです。

〈レストこのしろ〉オーナーの山本ユミさんと平井宏明さん。

〈レストこのしろ〉オーナーの山本ユミさんと平井宏明さん。

この店のオススメは、海が一望できるカウンター席です。
6席しかないのでいつも人気で、
カウンターに座ることができたらとてもラッキーな気分になります。

お店の出入り口には、地域の特産物コーナーも設けられています。
お店で使用される食材も地元のものを積極的に採用している、地域に密着したお店です。

営業は、金・土・日・月曜日の週末を中心に行い、
大人数での貸切を受け入れたり、音楽ライブなどのイベントを行ったりと、
場の提供も含めて精力的に運営されています。
また、地域のお弁当の配食サービスも行っており、
いまや丹後町に欠かせない存在になりつつあります。

6月の日・月曜日 4:30~7:00限定「朝陽モーニング」 で見られる景色は最高です。

6月の日・月曜日 4:30~7:00限定「朝陽モーニング」 で見られる景色は最高です。

もうひとつ忘れてはならないのが、レストこのしろのモーニングです。
海が見える丹後ならではの「朝陽モーニング」として、
6月限定で早朝の4時30分から開店しており、
日本海から上がってくる日の出を見ながら、最高の朝ごはんを食べることができます。

近くには、日本の棚田百選に選ばれた「袖志の棚田」があり、
2016年11月に行った「袖志の棚田米をみんなで食べる会」 では、
袖志の棚田の新米と羽釜で炊いたお米を提供して、
多くの方がおいしいお米を食べにレストこのしろを訪れました。

昔ながらの定食屋が閉店の危機に

そんな地域に愛されているレストこのしろですが、
リノベーションする前の2016年12月には閉店の話が出ていました。

以前は地元のおばちゃんたちが運営するレストランであり、
現在と同様、地域に愛されるお店でした。

前オーナーが2016年12月に引退されることが決まっており、
一時はお店を閉める方向に話が進んでいました。
僕も含めて、地元の人々はレストこのしろがなくなることが
とても残念だと思っていました。

そんなとき、当時レストこのしろで働いていた、現オーナーの山本ユミさんが、
寂しがる地元の方たちを見て、この場所がなくなることはもったいないと思い、
前オーナーさんからお店を引き継ぐ決意をされました。

そして、いままでのように地域に愛される雰囲気を残しながらも、
自分たちらしい営業スタイルにチャレンジしたいとリニューアルオープンを計画し、
〈blueto〉がその相談を受けさせていただいたのです。

北海道地震で振り返る。
東京と岩見沢、
停電した夜の暗さと明るさ

道内のほぼ全域が停電。あの日の記憶が蘇った

9月6日未明に北海道胆振(いぶり)地方を震源とする最大震度7の地震が起こった。
わたしの住む岩見沢は震度5弱。
激しい揺れを感じたものの家具など倒れたものはなかった。
地震のあとにラジオをつけようとしたが動かず、停電していることがわかった。
その前の晩も台風の影響で、この一帯は停電していたが、
間もなく復旧したこともあって、今回もすぐに元に戻るだろうとそのときは考えていた。

朝になって、夫が防災セットの中から手回しラジオを出してきて、
被害の状況がわかってきた。
震度7の揺れに見舞われた厚真町や近隣の地域には
想像を絶する被害があったことを知った。

つい先月、取材で厚真を訪ねたばかりだったこともあり、
お世話になったみなさんの顔が次々と浮かんできた。
そして停電は、震源に近い苫東厚真発電所が停止したのが引き金となっており、
道内のほぼ全域にわたっていることがわかった。

東日本大震災をきっかけに防災セットを揃えた。ハンドルをまわすと充電ができるラジオは今回とても役に立った。

東日本大震災をきっかけに防災セットを揃えた。ハンドルをまわすと充電ができるラジオは今回とても役に立った。

ラジオのニュースに耳を傾けながら、東日本大震災の記憶が蘇っていった。
あのときわたしは東京で暮らし、住んでいたのがマンションの12階だったこともあり、
今回よりもはるかに長く大きな揺れを感じた。
その後も相次ぐ余震に怯える毎日だった。
そこに追い打ちをかけたのが、福島第一原発の事故と
電力供給低下による計画停電だった。

原発事故が予断を許さない状況で、各地域を時間で区切って行われた停電。
夕方から夜にさしかかる時間帯に実施された停電を体験したとき、
先行きの見えないなかで、文字通り“真っ暗闇”に突き落とされるような感覚があった。

また電気がないということは、いつも感じられた人の気配やにぎわいが一気に途絶え、
まるで時間が止まっているかのような恐怖に襲われた。
そして、テレビやSNSで情報を収集すること以外は、
数日間ほとんど何も手につかない状況だった。

しかし、今回わたしは、停電していても淡々と日々の仕事をこなすことを心がけた。
停電のためパソコンは使えないが、最近、原稿は極力手書きにしているので、
依頼があった新聞コラムを書いて過ごした。

手書きの原稿。いままでは下書き程度だったが、もう少し精度を高めようと文字数も考えながら書くように練習中だ。

手書きの原稿。いままでは下書き程度だったが、もう少し精度を高めようと文字数も考えながら書くように練習中だ。

また、この日、どうしてもやりたいと思っていた梅仕事にも精を出した。
塩漬けしておいた梅を3日間天日干しする作業を、
台風が過ぎ去った晴れ間を利用してやってしまいたいと思っていたのだ。

梅仕事は6月から始める。まずはヘタを取って塩漬けしておく。

梅仕事は6月から始める。まずはヘタを取って塩漬けしておく。

早寝早起きの暮らしで、蛍光灯をあまり使わなくなった

やがて夕暮れ。岩見沢の日没は午後6時前。
夕食をいつもより少し早めに済ませると次第にあたりが暗くなり、
子どもたちはあっという間に寝てしまった。
わたしも夫も、早いときには午後9時前には就寝するので、
子どもたちと一緒に早々に寝てしまい、ロウソクを灯したり、
懐中電灯を使ったりするのは、ほんの少しの時間だけだった。

わたしが住んでいる美流渡(みると)地区の夜明け。明け方の空の色は、刻々と変化していく。

わたしが住んでいる美流渡(みると)地区の夜明け。明け方の空の色は、刻々と変化していく。

翌朝、4時頃に目が覚めた。
この時期の夜明けは5時すぎだが、わたしにとっては十分に明るい。
いつも、この時間に起きていて、電気はつけずに暗がりのなかで、
ホームベーカリーでパンを焼く準備をし、食器を洗って夜明けを待つ。

以前は、朝起きるとすぐに電気をつけていたのだが、
この方法だと朝活動するのが、ものすごくしんどい。
あるとき、これは電気の光に対応できず、
体がこわばってしまうからだということに気づいたのだった。
それから太陽の光をゆっくり待つようにしたことで、早起きが苦ではなくなった。

こうした暮らしをしていると、冬でも午前3時には、
空がほんの少しだけ明るくなっていることがわかるようになった。
薄暗がりでコーヒーを淹れる時間は、本当にリラックスできる。
コーヒーの一滴一滴が落ちる音を聞いていると、
五感がザワザワと覚醒していくように思えてくるのだ。

暗がりの中でコーヒーをドリップ。本やイベントの企画がひらめくこともある大事な時間。

暗がりの中でコーヒーをドリップ。本やイベントの企画がひらめくこともある大事な時間。

オリンピック選手の
手ほどきを受けるチャンスも!?
〈軽井沢アイスパーク〉で
カーリング体験!

初心者でもできるカーリング体験!

今年の夏は記録的な猛暑でしたね。
お彼岸も近くなり涼しい日も増えてきましたが、もう少し夏が続きそうな気配。

今年はスポーツも熱い年。
目下の話題は大阪なおみ選手の全米オープンテニス優勝ですが、
サッカーワールドカップロシア大会や平昌オリンピックも記憶に新しいところ。
平昌五輪では、日本勢が男女ともにすばらしい成績を収めた
カーリングに熱狂した人も多かったのではないでしょうか。

実は男子カーリング日本代表として20年ぶりにオリンピックに出場した
〈SC軽井沢クラブ〉の練習拠点である長野県軽井沢町の〈軽井沢アイスパーク〉には、
通年、カーリングのシートが設置されていて、試合の観戦はもちろん、
初心者でもインストラクターの指導つきで気軽に体験ができるのです!

全国有数の避暑地軽井沢で一年中カーリング。
観光やショッピングだけではない、軽井沢ならではのぜいたくな楽しみ方に違いない!

ということで、行ってきました軽井沢。
JR軽井沢駅から車で約15分の〈軽井沢風越公園〉にある軽井沢アイスパークは
国際大会も行われる国内最大級のカーリング施設で、
近くには1998年にカーリングが初めてオリンピックの正式種目となった
長野オリンピックのカーリング競技会場〈軽井沢風越公園アイスアリーナ〉もあります。

カーリング初心者におすすめなのは、氷上で安全に動く方法から
基本的なルール、ストーンの投げ方、ブラシを使ったスイープが
ひと通り学べる60分コース(2380円、シューズ・ブラシレンタル料込)。
ほぼ毎日、9:30と13:00からの1日2回実施されていて、先着順での受付です。
予約も可能で、定員に達し次第、締切となります
(ほかに、本格的に習いたい方やリピーター向けの90分コースもあります)。

予約の空き状況を確認すると、なんと1か月先でも「満員御礼」の日が!
スタッフの方曰く、平昌五輪以降人気は続いていて、利用率は急増しているのだとか。
ブームのほどがうかがえます。

では、まず受付を。入口付近で申込書に必要事項を記入したら、
シューズなどを受け取って更衣室へ。防寒着なども一式レンタルできるので
手ぶらで行ってもOK(手袋・帽子も合わせて1250円、手袋は150円で購入も可能)。

着替えたら、インストラクターが待つリンクへGO!

なんと! この日、待っていたのは、SC軽井沢クラブのスキップで
日本代表としても活躍した両角友佑選手でした。
ちょうどオフシーズンだったため、
特別にインストラクターを務めてくれることになったのです。感激!

こちらが両角友佑選手! テレビでオリンピック見てました!

こちらが両角友佑選手! テレビでオリンピック見てました!

ちなみに、両角選手は実際、2年ほど前まで今回のように
インストラクターとして年間100回ほど来場者の指導をしていたのだとか。
現在は担当部署が変わってしまったものの、SC軽井沢クラブのセカンド、
山口剛史選手はいまも時間が許せばインストラクターとして指導もしているそうです。

オリンピック選手に直に教えてもらえるチャンスがあるなんて、
これまた軽井沢ならではの醍醐味です。

富山〈think. DIY CAFE〉
セルフリノベーションで
開業したい人をサポートするカフェ

「DIY」という言葉が社会に浸透してきたいま、
家や店舗のセルフリノベーションに憧れている人も少なくないはずだ。
しかし、本棚やテーブルづくりなどとは違い、
家や部屋そのもののセルフリノベーションとなると、ハードルが途端に高くなる。
チャレンジしてみたものの、素人では手に負えない問題に直面して、
途方に暮れてしまうオーナーの事例も耳にする。

そのような理想と現実のはざまで立ち往生している施主を救い、
道筋をつけてあげる「駆け込み寺」のような場所が、富山市の中心部にある。
〈think. DIY CAFE〉だ。

富山市旭町、花水木通りに面したthink. DIY cafe。

富山市旭町、花水木通りに面したthink. DIY CAFE。

富山県にはここ数年、小規模ながら個性豊かな
セルフリノベーションのショップが誕生し続けている。
その裏側にはthink. DIY CAFEが関係しているといった事例が少なくない。
そこで今回はthink. DIY CAFEのオーナーにして建築士の金木由美子さんに、
金木さん流の店舗づくり、ひいてはまちのにぎわいづくりについて聞いた。

セルフリノベーションを考える人の「ショールーム」

think. DIY CAFEは、名前からもわかるように、
まずカフェとして近隣の人たちに親しまれている。
1階の店舗には限られたスペースながらテーブル席が2セット、
畳敷きの6畳間に座卓が3セット、広縁にはローテーブルとソファが置かれている。

築50年以上の一戸建てをリノベーションした事務所兼店舗。

築50年以上の一戸建てをリノベーションした事務所兼店舗。

メニューも各種ドリンクからケーキ、夏季限定でアイスクリームと
飲食店としての機能を立派に果たしているが、
その一方で築50年の一軒家をリノベーションした店舗そのものが、
古民家や昭和レトロな古い家をセルフリノベーションして店舗を開きたい人に向けた
「ショールーム」にもなっている。

実際に店舗づくりの相談を兼ねて来店する新規開業予定者も少なくないそうで、
その出会いがかたちとなり、この数年、富山に個性的なショップがいくつも誕生した。

think. DIY CAFEのオープンは2014年。
金木さんはもともとハウスメーカーの設計社員として新築住宅づくりに携わっていた。
しかし、子どもの大病を機にフルタイムで働く会社勤めに限界を感じ、
比較的自分で時間の都合をつけられる仕事として、
設計事務所の立ち上げを考えたという。

ただ、最初から現在のようなスタイルを計画していたわけではなく、
始まりは現在の物件との出会いがすべてだったと語る。

「事務所に使う物件を探すために不動産屋さんに行くと、
ちょうどこの物件が空いたところでした。
もともとは一戸建て賃貸の物件で、いろいろな人が普通に住んでいた場所ですが、
何気なく“ここだったらカフェができる”と口にすると、
案内をしてくれた不動産のスタッフさんもおもしろがってくれて、
カフェ経営が可能か大家さんに聞いてみるとおっしゃってくれました。

本当に思いつきで口にしただけで、実際は何も考えていなかったのですが、
勢い余ってお金の工面に走り始めた感じです(笑)」

オーナーにして建築士の金木由美子さん。

オーナーにして建築士の金木由美子さん。

「そこで商工会に足を運び、古い家をローコストでリノベーションして、
まちなかで小さく商売をする人が増えたら富山もおもしろくなるのでは
という思いを伝えました。
すると商工会の課長さんがおもしろがってくれて、
国の創業者補助金の話を教えてくれました。

商工会に相談に行った時期が2014年の6月の第1週、補助金の締め切りが6月末。
6月30日に書類を提出し、7月1日に会社には辞表を出して、結果を待ちました。
あとには引けない状況でしたが、ありがたく採択され、
国から200万円の補助金を受けてスタートしたんです」

最初は事務所を借りる予定で訪れたレトロな古い家に魅力を感じ、
「勢い余って」事務所でカフェを開業するかたちになった。
しかし、この経験自体が、古民家や古い家をセルフリノベーションして
ローコストで小さく商売を始めたいと考える開業予定者たちの道しるべになり、
後のthink. DIY CAFE流の店舗設計業務につながっていく。

補助金について聞きたい、空き家を改修して商売を始めるコストについて聞きたいなど
相談内容はバラバラだというが、相談者が増え、結果として
古い建物をリノベーションした店舗設計の仕事が舞い込み始めた。
相談者にとってはthink. DIY CAFEそのものが、手に取り触れて歩き回れる、
何よりも雄弁な実物見本になってくれたのだ。

移住者から避難者、支援者まで。
福島で開かれる対話の場
「未来会議」とは?

よそ者が、福島のことを書くことができるようになるまで

7年経った、福島の「このごろ」を伝えたい。
ただそれだけを思い、日々言葉を紡いでいます。

はじめまして。山根麻衣子です。
神奈川県横浜市に生まれ育ち、東日本大震災が発生するまでは、
神奈川県以外に暮らしたことがなかった、いわゆる「都会人」でした。

私はいま、福島県いわき市に暮らしながら、
『いわき経済新聞』などのデジタルメディアを通して、
主に福島県の沿岸部=浜通り地域の情報発信をしています。

震災直後の2011年~2013年まで、東北各地にボランティアとして関わり、
2014年に復興支援の仕事を得て、福島県いわき市に移住しました。
この9月でいわき暮らし5年目になります。

いわき市と言えば、映画『フラガール』で脚光を浴びた〈スパリゾートハワイアンズ〉。このショーが大好きで、仕事帰りや遠方から友人が来たときに、夜のショーだけよく観に行きます。(2018年6月、筆者撮影)

いわき市と言えば、映画『フラガール』で脚光を浴びた〈スパリゾートハワイアンズ〉。このショーが大好きで、仕事帰りや遠方から友人が来たときに、夜のショーだけよく観に行きます。(2018年6月、筆者撮影)

東京23区がふたつ入るほどの面積を持ついわき市は、
海はもちろん、山も温泉もある地方都市です。
ちょっと疲れたな―と思ったら車で15分ほどで源泉かけ流しの温泉に行けたり、
いわき産の食材を豊富に使ったレストランがあちこちにあったり、
しかもどこに行っても知り合いに会ってしまったり、
都心にはない距離感を、日々楽しみながら暮らしています。

いわき市の山あい、田人地区のお気に入りのカフェ〈MOMOcafe〉。(2018年6月、筆者撮影)

いわき市の山あい、田人地区のお気に入りのカフェ〈MOMOcafe〉。(2018年6月、筆者撮影)

ただ移住した当初は、いろいろな部分で苦労することが多くありました。
特に、震災から7年経ったいまでも続く、
被災地でありながら原発被災住民を2万人以上受け入れるという、
ほかの被災地にはないいわき市の特殊で複雑な環境。
それから、地方暮らしに免疫がなかった私自身の適応能力の低さ。

よそ者が地域に入るのは、いまの時代でもまだまだ難しいものだと感じます。
それが、原発事故のあった福島だったらなおさら。
善意と関心を持って入ろうとしても、どこか試されてるように感じてしまうのです。
あなたは、どのくらい福島のことを知ってるの? 

5年前に移住した私も、いつもそれを感じていました。
私に、福島を語る資格があるの? 
地雷を踏まないように、腫れ物に触るように、言葉を、行動を、選んでいました。

2017年4月に一部帰還困難区域を除く避難指示が6年ぶりに解除された双葉郡富岡町で初日の出を望む。(2018年元旦、筆者撮影)

2017年4月に一部帰還困難区域を除く避難指示が6年ぶりに解除された双葉郡富岡町で初日の出を望む。(2018年元旦、筆者撮影)

力になりたいと思っているのに、遠慮が先に立ち、
地域になじんでいけない日々が続いていました。
そんなときに、なんとかこの地域の人のことを知りたいと参加したのが、
未来会議」だったのです。

未来会議の仲間は、「麻衣ちゃんの思うようにして大丈夫だよ」と言ってくれました。
私は未来会議の存在と仲間たちのおかげで、いまこうして、
福島の生活を楽しみながら、福島のことを書くことができています。

未来会議の仲間たちと参加した、8年ぶりに再開した「富岡町桜まつり」での、よさこいチーム「よさこい浜さkoi」。2列目中央が筆者。(2018年5月、撮影:霜村真康)

未来会議の仲間たちと参加した、8年ぶりに再開した「富岡町桜まつり」での、よさこいチーム「よさこい浜さkoi」。2列目中央が筆者。(2018年5月、撮影:霜村真康)

やっぱり島が好き!
夏休み、小豆島から座間味島へ

小豆島日記番外編。座間味島でいろいろな海を楽しむ!

がんばって働いた暑い夏。
みなさま、ほんとに「夏」おつかれさまでした。
今年は日本全国どこも暑くて大変でしたよね。

もう暑いだけでしんどいし、本当はこの夏の1か月間半くらいは
休んだほうがいいんじゃないかと思ってるんだけど、なかなかそうもいかず、
働く時間を工夫したりしてなんとか7、8月を乗り切りました。

あー、よくがんばった。というわけで8月末に短い夏休み。
小豆島を出て、座間味島へ行ってきました。

高速艇から見た座間味島。映画『ジュラシック・パーク』の舞台みたい。

高速艇から見た座間味島。映画『ジュラシック・パーク』の舞台みたい。

島を出て、また別の島へ行く。
船に乗って、飛行機に乗って、また船に乗って行きました。
なんだかんだと「島」が好きで、どこに遊びに行こうか考えるとき、
いつも候補地に島があがります。
船に乗って海を渡っていく。それだけで旅気分マックス!

座間味島へは、沖縄本島・那覇市にある泊港という港から高速艇で約50分で行けます。
フェリーは1日1往復、高速艇は3往復。
小豆島と比べるととても少ない船の行き来。
距離も長く、より離島な感じです。

定員約200名の高速艇。夏休みはいっぱいになる日が多く、事前予約がおすすめ。

定員約200名の高速艇。夏休みはいっぱいになる日が多く、事前予約がおすすめ。

この日は台風の影響で波が高く、船がドカンドカンと波にぶつかってました。

この日は台風の影響で波が高く、船がドカンドカンと波にぶつかってました。

座間味港に着いたのは夕方。
予約しておいた民宿までは港から歩いて10分くらいの距離。
まずはその民宿を目指して集落の中を歩いていきました。

座間味島到着。集落の中の道を歩いていきます。

座間味島到着。集落の中の道を歩いていきます。

座間味港のすぐ横の堤防。

座間味港のすぐ横の堤防。

座間味島は人口約600人の島です。
港周辺に民宿や飲食店、役場や学校、民家がぎゅっと集まっています。
旅人もこの島で暮らす人もいろんな人が道を歩いていてその感じがとても良かった。
島に着いて早々、その雰囲気がとてもよくて、それだけで気持ちが高揚してました。

やっぱり歩けるまちっていいなぁとあらためて思いました。
小豆島は座間味島と比べると人口も面積も圧倒的に大きくて、
まちづくりを考えるときに同じ規模感では考えられないのかもしれない。

でもやっぱり人が暮らすスケール感は同じなわけで、
歩いていける距離に居酒屋があるとか、ぶらぶらしてるだけで
人や場所との楽しい出会いがあるとか、そういうのがいいなと。
座間味港周辺はそんな感じでした。

整備されすぎてない細い道の雰囲気がとても良かった。

整備されすぎてない細い道の雰囲気がとても良かった。

そして座間味島といえば「ケラマブルー」と呼ばれる美しい海。
私たちが夏休みにこの島に来たのもその海で泳ぎたかったから。
滞在していた3日間、とにかく海で泳いでました。

古座間味ビーチへ続く道。

古座間味ビーチへ続く道。

とにかく海へ!

とにかく海へ!

『本屋ミッドナイト』
南阿蘇の自然と駅舎本屋が
織りなすイベント

そうめん流しや、阿蘇の木を使ったワークショップも

前回、熊本地震後に本屋として自分たちなら何ができるのかを考え、
『本屋ミッドナイト』というイベントを始めたことをお話ししました。
今年で3回目となるこのイベント。今年は8月25日(土)に行いました。
今回は、天気にも恵まれた本屋ミッドナイトの様子をお伝えします。

本屋ミッドナイトは、本好きたちが集まって星を眺めたり、
虫の声を聴きながら好きな本を探したり、語り合ったり、
南阿蘇の自然を感じながら夜を過ごしてもらう催し。

南阿蘇は昼間もすばらしい景色を楽しむことができますが、
夜もまたそれはすばらしい景色に出会えます。
熊本地震以降、公共交通機関が限られてしまい、
なかなか南阿蘇へは行きづらい現状ですが、
景色も、水源も、温泉も変わらず美しいこの場所へ
足を運ぶきっかけになればと始めたイベントです。

3回目ということもあり、今年は前回よりも内容を充実させて楽しんでもらおうと、
準備も半年前から始めました。

グラフィックデザイナーや映像ディレクターとして活躍する
大学時代の友人たちに協力してもらい、イベントのロゴやフライヤー、
映画上映の宣伝用ビデオクリップも制作し、告知もしっかり行いました。
時間をかけて話し合い、それぞれ意見を出し合いながらつくることができ、
準備の過程も楽しみながら当日を迎えました。

今年のミッドナイトでは、熊本地震以降交流のある
ふたつの団体の方々がイベントを一緒に盛り上げてくれることになり、
午前中に「そうめん流し」を開催してくれました。

協力していただいたのは、南阿蘇鉄道の復旧を応援するために結成された
熊本大学の学生によるボランティア団体〈南鉄応援団〉
そして孤食をなくそうと定期的に地域の方とともにごはんをつくって
一緒にいただく活動をされている〈おたがいさま食堂くまもと〉
さらにそうめんを流すための竹や調理場の提供は、
駅の隣で営業されている食堂〈きしゃぽっぽ〉に協力していただきました。

スタッフは朝から集まり、竹の切り出しから節を取り除く作業をしました。
切り出された大きな竹は見事なもので、
駅舎から横を流れる水路へと7〜8メートルほど竹が組まれました。

参加された方は、竹のお皿づくりやおにぎりづくり、
南阿蘇鉄道で働かれている地域おこし協力隊の案内で
水源へ線路沿いを伝って水汲みに行くレールウォークと、
それぞれ班に分かれて行います。

竹の器はつゆ入れやおにぎりをのせる器用に割ってヤスリをかけていきます。
子どもたちも慣れない手つきで一生懸命ヤスリがけを行ないました。

立派な竹を使った流しそうめん。

立派な竹を使った流しそうめん。

いよいよそうめんが流されると子どもも大人も歓声を上げ、
夢中でそうめんに箸をのばします。
日差しの下で冷たいそうめんをすするのはまさに夏を体感しているようで、
みんな汗をかきながらにこにこ。

途中でトマトやブルーベリー、グミやチョコまで流れだし、
子どもたちはカラフルなグミを掴もうと必死。
流れていくのが想像以上に速く、掴むのに苦戦している姿もまた微笑ましい光景でした。

そうめんと一緒にチョコレートも流れる。

そうめんと一緒にチョコレートも流れる。

そうめんのあとはスイカ割りも。

そうめんのあとはスイカ割りも。

午後からは、南阿蘇村のお隣の高森町で、観光情報の発信や
地域の特産品のブランディングなどを行なっている
〈TAKAraMORI〉にお願いして、南郷檜(ナンゴウヒ)の小枝を使った
小物づくりのワークショップを行っていただきました。

南郷檜とは、阿蘇に古くからある固有種で、日本で唯一の挿し木品種の檜。
阿蘇の外輪山周辺の神社に御神木として植えられてきた貴重な木です。
阿蘇に初めて来た人にも、南阿蘇の自然をかたちづくっているこの木の一部を使って
思い出を持ち帰っていただこうと企画したワークショップです。

小枝とグルーガン(接着道具)を使って自由に好きなものをつくります。

小枝とグルーガン(接着道具)を使って自由に好きなものをつくります。

そのほかにも駅の周りの植物を採集して、家に帰ってから思い出とともに
草花のハーバリウムとして残してもらえるような体験キットもご用意いただきました。
個人的にも、この日のために駅の周りでシダやキキョウソウを採集して
ドライフラワーにしていたので、イベントを終えて
ゆっくりとつくってみようと考えています。

〈カフェuchikawa六角堂〉
オープン後のまちとの関わり。
地方でカフェを続けるコツとは?

マチザイノオトvol.3

こんにちは、グリーンノートレーベル株式会社の明石です。
前回に引き続き、〈カフェuchikawa六角堂〉の取り組みについてお話しします。

ついにオープン。体にやさしいサンドイッチ専門カフェ

2013年1月22日、雪が舞う富山の灰色の空の下、
射水市の漁師町の片隅に小さなカフェがオープンしました。

計画から完成するまでの段階では
「オープンするまでが大変だなぁ」と思っていたのに、
実際にオープンしてみると、ここからの道のりのほうが
100倍も大変だということがわかりました。

まず、工事が終わってから本格的に店の準備をする段階で、
見えていなかった山ほどの課題がありました。
僕はカフェを経営したことがないので、カフェの店長を経験したことがある人を
店長として雇い、彼と一緒に準備を進めました。

夜遅く遅くまで開店準備をしている初期メンバー。

夜遅く遅くまで開店準備をしている初期メンバー。

工事を進めている一方で、カフェに関する本を読みあさったり、
東京のカフェ巡りをしたりして、素人発想ながら店づくりを構想しました。

店のメニューのコンセプトは僕の担当です。
以前から富山県においしいサンドイッチを出してくれる店が少ないと思っていたので、
サンドイッチ専門店のカフェにしようと決めていました。

体にやさしい10種類のサンドイッチを考えました。

体にやさしい10種類のサンドイッチを考えました。

アトピー体質の僕は、化学調味料や保存料などの
添加物、化学肥料を使った野菜などが苦手です。
なので、外食を心から楽しむことができません。
きっと同じような思いをしている人が少なくないはずだと思い、
有機栽培や天然由来の食材にこだわったメニュー構成にしました。

コーヒーや紅茶、ジュースやアルコールに至るすべてのメニューに
その考え方を取り入れましたが、予想以上に仕入れ原価が高くなり、
すべてのメニューが都会価格になってしまいました。
それでも、メニューブックに材料やこだわりを書き綴れば、
お客さんに納得してもらえると思い、価格はそのままにしました。

すべてのメニューに原材料を表示しています。

すべてのメニューに原材料を表示しています。

僕は「考える」のが担当ですが、それを「カタチにする」のは店長です。
毎日、厨房で唸っていた光景を思い出しますが、
さぞかし大変な作業だったのではないかと思います。

コーヒーについても、ネルドリップと
本格的なマシンで抽出するエスプレッソ系のコーヒーと
2種類を提供することにしました。
豆は富山市内で有機栽豆を自家焙煎しているショップにお願いして、
オリジナルのコーヒーを用意してもらいました。

コーヒーのほか、紅茶やソフトドリンクを含めるとかなりの数のメニューです。
このこだわりが仇となり、まったく準備が追いついていないまま、
オープンの日を迎えました。

連日多くの方に来店していただきましたが、その波も1か月程度で落ち着き、
あとは閑古鳥が鳴いていました。
よく言われることですが、御祝儀相場が終わってからが本番です。
オープンして1か月間の反省をもとに、スタッフと一緒に改善を重ねていきました。

海で初めてのSUPに挑戦!
小豆島おすすめの夏休みの過ごし方

小豆島でこんな夏休みはいかが?

暑い暑い夏の終わりを感じる日が増えてきました。
子どもたちの夏休みももうすぐ(母たちにとっては、ようやく)終わりです。

「小豆島に遊びに行くならいつがいい?」と聞かれることがよくあります。
いまなら「夏!」と言いたいところですが、私の答えは断然「秋!」
とにかく秋は気候がいい。穏やかな日差しと心地いい風。
島の中を歩くのも楽しいし、山の紅葉はきれいだし、
オリーブの収穫シーズンでもあります。
瀬戸内は秋が似合うなぁとよく思います。

ただ、やっぱり家族みんなで遊びに行こう、
学校の休みに友だちと遊びに行こうと考えると、
夏休みに小豆島に遊びに行くっていうのはあるんですよね。
実際にこの夏にも友人たちが島に遊びに来てくれました。

というわけで、暑い夏の小豆島をどう楽しむか。
私たちのこの夏を振り返りつつ、
みなさんの来年の夏休み旅行のきっかけになればうれしいなと。

さて今年は夏休みのスタートとともに友だち家族がやってきました。
7月下旬はとにかく暑さのピーク。
とにかく泳ごう! ということで、海とプールで遊びました。

〈小豆島ふるさと村〉のプールで遊ぶ子どもたち。

〈小豆島ふるさと村〉のプールで遊ぶ子どもたち。

ふるさと村では、カヤックツアーもしています。

ふるさと村では、カヤックツアーもしています。

〈小豆島ふるさと村〉にはファミリープールがあります。
都会の大きなプールに比べたら規模は小さいですが、
いつ行ってもぎゅうぎゅう詰めになるほど混んでなくて、のんびりと遊べます。
小学生くらいまでは充分に楽しめるんじゃないかな。
目の前が海で、海からの風が心地いいプールです。

それから海! 
泳ぐのももちろん楽しいのですが、みんなもいるしと、
今年初めて、スタンド・アップ・パドルボード(SUP)をやってみました。

ボードの上に立ってパドルで漕いで進んでいきます。

ボードの上に立ってパドルで漕いで進んでいきます。

みんなはじめてのSUPでしたが、すいすい進んでいきます。

みんな初めてのSUPでしたが、すいすい進んでいきます。

SUPはサーフボードより少し大きめの板の上に立って、
パドルを漕ぎながら海の上を散歩したり波乗りしたりするアクティビティ。
「オリーブビーチ」という浜で、〈ペンションオリーブ〉さんが
体験ツアーや用具の貸出をしています。
初めてでも何も持ってなくても大丈夫です!

オリーブビーチにある〈ペンションオリーブ〉の海の家。

オリーブビーチにある〈ペンションオリーブ〉の海の家。

SUPのボードやパドルなどすべて貸してもらえます。

SUPのボードやパドルなどすべて貸してもらえます。

美流渡の森の山荘で〈うさと〉展。
さとううさぶろうさんデザインの
手紡ぎ、天然染め、手織りの服

つくり手の顔が見える“衣”を着てみたい

東京から北海道に移住して以来、“衣食住”に関するものは、
できるかぎり自分たちの手でつくったり、
つくり手の顔が見えるものを買ったりしたいと思うようになった。

“食”については、近隣に田畑も多く、知り合いの農家さんから
野菜や米を分けてもらうようにしている。
“住” については、一から家を建てるのは難しいが、
古家を夫が手直ししたり、手づくりの家具を使ったりしている。

手の温もりが感じられるものとの暮らしにもっとシフトしていきたいと思いながら、
難しさを感じていたのは“衣”についてだ。

ときおり手編みをしたり、ミシンを踏んだりするものの十分な時間はとれず、
服の多くはファストファッション。
職人の手によるこだわりの服を着てみたいと憧れつつも、
子どもを抱っこしたりするとすぐに汚れてしまうことから、
大量生産されたものを消極的な気持ちで着ていたのだった。

岩見沢の山あい、美流渡(みると)にある「森の山荘」で〈うさと〉の展示会が行われた。パン工房〈ミルトコッペ〉の女将でリンパドレナージュセラピストでもある中川文江さんのサロンや、花屋の〈Kangaroo Factory〉がある。(写真提供:吉岡敏朗)

岩見沢の山あい、美流渡(みると)にある「森の山荘」で〈うさと〉の展示会が行われた。パン工房〈ミルトコッペ〉の女将でリンパドレナージュセラピストでもある中川文江さんのサロンや、花屋の〈Kangaroo Factory〉がある。(写真提供:吉岡敏朗)

そんななかで新しい視野が開けるような出会いがあった。
8月3~5日、わたしの住む岩見沢の山あいで
『うさと in 美流渡(みると)の森』が開催された。

〈うさと〉とは、タイ在住の服飾デザイナー、
さとううさぶろうさんがデザインした服のこと。

素材となる布のほとんどは手紡ぎ、天然染め、手織り。
コットン、ヘンプ、シルクがメインで、
タイ東北部イサン地方に暮らす女性たちの手で織られている。
村々で織られた布はチェンマイの地域グループや個人によって縫製され、
日本に送られ各地で販売されている。

うさとの服。会場には320点が並べられた。布や服の形などひとつとして同じものはない。

うさとの服。会場には320点が並べられた。布や服の形などひとつとして同じものはない。

会場に入ってみて、まず驚いたのは生地の色の豊かさだ。
森の木々や大地の色を感じさせるようなやさしい色合いのグラデーションが
部屋いっぱいに広がっている。

手に取って見ていくと、スクエアな布の形を生かしたワンピースや
民族衣装をアレンジしたムササビパンツなどがあり、一点一点が個性的。
手織りの布をふんだんに使っているものの、試着してみると
重さを感じさせず、体にフッとなじんでくれるのだった。

細身のタイプから幅のあるものまで、さまざまな体型の人が着られるようにつくられている。

細身のタイプから幅のあるものまで、さまざまな体型の人が着られるようにつくられている。

うさとの服ができるまでを紹介した動画。

リノベに適した空き家の
チェックポイントは?
空き家問題の矛盾に挑んだ
〈甲山ノイエ〉と〈島津ノイエ〉

blueto建築士事務所 vol.3

こんにちは。京都府の京丹後市にて、建築設計やリノベーション、
空き家の活用などを行っている〈blueto建築士事務所〉の吉岡大です。

vol.2では、僕がサラリーマン時代に始めた空き家活用の事例として
〈桃山ノイエ〉と〈島津ノテラス〉を紹介しました。
この2軒を経て、空き家が移住者の受け皿として非常に有効なことがわかりました。

今回は空き家活用の続編として、〈甲山ノイエ〉と
〈島津ノイエ〉のリノベーションをお伝えします。

リノベに適した空き家を見極めるチェックポイントや具体的なDIYの方法、
そして物件が持つ100年越しのストーリーを引き継ぎ、
移住者が丹後で活躍できる場となった経緯をご紹介していきます。

空き家歴10年。獣が住む家〈甲山ノイエ〉

2016年の冬、10年間空き家だった物件と出会いました。
初めて中に入ると動物の糞や蛇の抜け殻などがあり、
普通の人なら絶対に住むことができないだろうと思うような物件でした。

所有者さんはある日突然この空き家を相続されましたが、都会に住んでおり
メンテナンスになかなか来られないため、手放したいとのことでした。

見た目はボロボロで、誰もが嫌がる空き家でしたが、
僕にはこの家がとても魅力的に思えました。

〈甲山ノイエ〉ビフォー。

〈甲山ノイエ〉ビフォー。

空き家見学でいつも注意していることが大きくふたつあり、
このふたつが揃っていると、おおよその空き家は再生可能です。

ひとつ目は、屋根がしっかりとしていること。
今回の物件では、築年数は50年以上でしたが、屋根瓦は新しく、
比較的最近に瓦の取り替え工事を行ったと聞いて安心しました。

ふたつ目は、柱や梁や基礎といった構造材の歪みが少ないこと。
構造材は人間でいうところの背骨のようなもので、一度歪めば修復は困難です。

この物件は床板や畳が白蟻に食べられていましたが、
構造材の柱や梁は地元の山から切り出した貴重な檜や松を使用しており、
白蟻の被害はまったく見受けられませんでした。

小豆島〈HOMEMAKERSカフェ〉
オープン5年目で変わったこと、
変わらないこと

夫婦ふたりだけで始めたカフェ、少しずつ成長中

8月に入っていよいよ夏本番だな~と思いきや、
思いのほか涼しい日が続いている小豆島。
立秋を過ぎ、朝夕は秋を感じる日もあります。
このまま秋になってほしいですが、まだしばらく夏が続きそうです。

さてさて夏休みに入り、小豆島にはたくさんの方が遊びに来られています。
〈HOMEMAKERSカフェ〉もいつもより賑やか。
今日は、あらためてそのカフェのことを書こうと思います。

2014年2月にカフェをオープンして、4年半経ちました。
オープンした頃と比べるとちょくちょくいろんなところが変わっています。
営業していくなかで感じる「もっとこうしたいよね」をひとつずつ実行していき、
お店を育てていっている感じです。

一番変わったのは、なんといっても「人」!
最初は私たち夫婦ふたりで何から何までしていましたが、
いまは友人に手伝いに来てもらっています。

カフェは金・土曜の営業なのですが、金曜日は野菜の収穫、出荷作業もあるので
3人に来てもらっています。土曜日はひとり来てくれてます。
掃除から始まり、デザート準備、サラダの仕込み、
看板を出したり、オープン前はいつもバタバタ。

いま考えるとなんでふたりでできたんだろうと思うくらいやることがたくさんあります。
みんなでやるようになり、負担がかなり減り、カフェの日が楽しみになりました。

友人に手伝いに来てもらうようになってだいぶ余裕ができました。

友人に手伝いに来てもらうようになってだいぶ余裕ができました。

カフェスタッフ入れ替わりの日。カフェで働ける若手絶賛募集中です!(笑)

カフェスタッフ入れ替わりの日。カフェで働ける若手絶賛募集中です!(笑)

余裕ができたことで、野菜の販売もちゃんとできるようになりました。
いままでも採れた野菜を少し並べたりしていましたが、
販売してたりしてなかったりして、
「今日は野菜販売してないんですか?」と聞かれることもありました。

金・土曜のカフェ営業日はいつも旬の野菜を販売してます。

金・土曜のカフェ営業日はいつも旬の野菜を販売してます。

いつもカフェに来たら、旬の野菜が並んでいて、
カフェのメニューで使っている野菜そのものを見ることができる、
気に入ったら買って帰って家でまた食べることができる、
そういう流れをつくりたいなと思っていました。

野菜を販売していると、その野菜をネタに話が盛り上がることもあるし、
野菜だけ買いに来てくれる人もいたりします。
ちょっとずつ野菜コミュニティが育っているような気がしてとてもうれしいです。

どのマクワウリがおいしいかな~という話をしながら。ただ売り買いするだけじゃない野菜を通したコミュニケーション。

どのマクワウリがおいしいかな~という話をしながら。ただ売り買いするだけじゃない野菜を通したコミュニケーション。

マクワウリを大量に収穫した日。近所の方などが買いに来てくれました。

マクワウリを大量に収穫した日。近所の方などが買いに来てくれました。

それといまさらですが、本日のメニューをつくるようになりました。
メニューを毎回更新するのはけっこう手間のかかることですが、
でもこういうひとつひとつのことがきっと大事なんですよね。
運営している私自身楽しくなります。

都度更新してる本日のメニュー。

都度更新してる本日のメニュー。

季節限定のスモモソーダ。スモモが1個まるごと入ってます。

季節限定のスモモソーダ。スモモが1個まるごと入ってます。

みんなのヒミツキチ〈コダテル〉。
愛媛県八幡浜に誕生した
学び場&コワーキングスペース

「地元が好き」。その思いこそが、すべての原動力

「地元はこんなにすてきな場所なのに、高校を卒業したらみんな市外に出てしまう。
どうすれば、若い人にとって魅力的な地元になるのか」

愛媛県八幡浜市向灘で、古民家を改装し、
地元の人はもちろん、市外、県外、海外から八幡浜に訪れる人たちが
思い思いの“企て”ができる場、〈コダテル〉を
2018年1月にオープンした濵田規史さん。

その活動の出発点となったのは、地元のことを大好きな人を増やしたい、
というひとつの思いだった。

有数のみかん産地である八幡浜。みかんの山から八幡浜港を一望。

有数のみかん産地である八幡浜。みかんの山から八幡浜港を一望。

「自分の地元のことを自慢できるような場所をつくりたい。
大学進学などで一度は市外に出たとしても、
絶対いつかは帰ってくる、と思えるような場所にしたい。
そうするためには、どんなアクションをしたらいいのか。
コダテルのプロジェクトを立ち上げるきっかけは、
私の地元への思いでした」と話す濵田さん。

コダテルの“企て人”である濵田規史さん。

コダテルの“企て人”である濵田規史さん。

濵田さん自身、地元の高校卒業後は県外の大学に進学し、
就職を機に「どうしても八幡浜に帰りたい」と考え、地元の金融機関に就職。
行員として、地域発展のため地元の人とともにまちづくりに関わってきた。

その一方で、NPO法人〈八幡浜元気プロジェクト〉を立ち上げ、
まちづくりに関わるイベントを企画するなど活動していた。

地元をワクワクするような場所にしたい。
簡単なように思えるけれど、そう簡単なことではない。
どうしたら、ワクワクするような場所にできるだろうか、
と考えを深める過程のなかで、ふと思い出したことがあった。
濵田さん自身の小学校、中学校、高校時代のことだった。

小さい頃から人を楽しませること、何かを企画することが大好きで、
近所の人たちを巻き込んで運動会を企画したり、
自ら取材、編集をして、新聞をつくってみたり、
地域のドラマ制作に挑戦したり、高校生のお店を開店してみたり。
とにかく、自分がワクワクするようなことを考え、行動し、
周りの人を巻き込んでいろいろな“企て”をした経験だった。

市外県外から訪れる人にとって、八幡浜の活動拠点として利用してもらいたいと濵田さんは考えている。

市外県外から訪れる人にとって、八幡浜の活動拠点として利用してもらいたいと濵田さんは考えている。

「自分自身が県外の大学に進学したものの、
卒業したら絶対帰ってくる、という思いがありました。
自分のような人間が、もっと増えたらいいんだ、という考えに行き着いたのです。
なぜ、帰ってきたいと思ったのか、なぜ地元が大好きだったのか、
答えは自分自身の中にありました」

濵田さんが自分自身の中で見つけた答え。
それは、小さい頃から地域の人を巻き込みながら
「ワクワク」するようなことを企てて、実際に行動してきたこと。

地元愛の原点から導き出した答えは、濵田さんと同じような
ワクワクするような企てを、地元の子どもたちに経験してもらいたい。
その企てができる、ヒミツキチのような場所を提供したい。
そんなシンプルなものだった。

カゴ編みで世界の見え方が変わる?
長谷川美和子さんと体験する
山あいだからこそできる作品づくり

自然素材を自分の手で集めてつくるカゴ

北海道に梅雨はないというが、今年の6月は雨続きだった。
岩見沢の山あいで続けている〈みる・とーぶSchool〉というワークショップは
屋外での活動も多く、天気予報を眺めて気を揉む日々が続いていた。

6月23、24日に企画したのは、秩父に住むカゴ作家の
長谷川美和子さんによるワークショップ。
長谷川さんは東京農工大学科学博物館つるかごサークルを卒業し、
2009年から〈木のヒゲ〉という名前で活動を開始。
東京・国立にある自然素材のインテリアを扱う〈たとぱに〉で
定期的に教室を開いている。

今回、岩見沢には、素材集めとワークショップ開催を兼ねてやってきてくれ、
1日目にカゴ編みの素材となる樹皮採取と下処理、2日目にカゴ編み体験を行った。

長谷川美和子さん。昨年、東京から、クルミをはじめ、コウゾやクワなどの木が豊富にある秩父に移住。さまざまな地域に足を運んで素材を採取している。

長谷川美和子さん。昨年、東京から、クルミをはじめ、コウゾやクワなどの木が豊富にある秩父に移住。さまざまな地域に足を運んで素材を採取している。

ワークショップ開催の告知チラシ。

ワークショップ開催の告知チラシ。

23日は薄曇り。お天気がそのままもってくれることを願いつつ、
まずは樹皮採取を行った。
カゴ編みに使える樹皮はさまざまあるが、
長谷川さんがなかでも大好きというのがクルミ。

北海道には道や田畑の脇にたくさんのクルミが自生しており、
大きくなると通行のジャマになるため切り倒されるものも少なくない。
今回そうした木を所有者さんの了解を得て、
カゴ編みの素材として使わせてもらうことにした。

クルミの花が咲くのは6月。北海道にはオニグルミという殻のかたいクルミがそこかしこに自生している。

クルミの花が咲くのは6月。北海道にはオニグルミという殻のかたいクルミがそこかしこに自生している。

ワークショップに集まったのは10名ほど。切ることになったのは畑の傍に生えていたクルミ。

ワークショップに集まったのは10名ほど。切ることになったのは畑の傍に生えていたクルミ。

まず長谷川さんは、取った素材をムダにしないことを空に誓ってから、
森へと入っていった。

「素材を自然からむさぼりとるようなことはしたくない」

活動名は、イギリスの長編小説『指輪物語』に出てくる木の精の名前からつけたもの。
必要以上に植物を採取して「木のヒゲ」の怒りを買わないようにと
自戒の意味を込めているという。

カゴ編みというと、ついどんな作品をつくっているのかに目がいきがちだが、
実際に編む工程は全体の3割くらいなのだそう。
素材を採取し下処理をするのも重要なプロセスのひとつ。
素材は購入することもできるが、自分で採取することによって、
自然の恵みをいただいていることを肌で感じることができる。

「樹皮を見て、これをどんなふうに編もうかなと考えたりしながら、
素材を集めるのが好きなんです」

木を切り倒したら、葉っぱを取って枝をカット。

木を切り倒したら、葉っぱを取って枝をカット。