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いま瀬羽町が盛り上がりつつある?
富山県滑川市のカフェが火をつけた
小さなまちのにぎわい

Local Action
vol.140

posted:2018.10.17   from:富山県滑川市  genre:活性化と創生

〈 この連載・企画は… 〉  ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。

writer profile

Masayoshi Sakamoto

坂本正敬

さかもと・まさよし●翻訳家/ライター。1979年東京生まれ、埼玉育ち、富山県在住。成城大学文芸学部芸術学科卒。国内外の紙媒体、WEB媒体の記事を日本語と英語で執筆する。海外プレスツアー参加・取材実績多数。主な訳書に『クールジャパン一般常識』(クールジャパン講師会)。大手出版社の媒体内で月間MVP賞を9回受賞する。

photographer pforile

Yoshiyasu Shiba

柴佳安

しば・よしやす●富山生れ富山育ち。高校生の頃に報道写真やグラビアに魅せられ、写真を独学で始める。富山を拠点に、人をテーマとした写真を各種の媒体で撮影。〈yslab(ワイズラボ)〉 主宰。

富山湾に面したまち滑川(なめりかわ)。江戸時代には宿場町としてにぎわい、
戦後まで活気があったものの、現在はさびれ、空き家も多い。

その滑川、特に「滑川銀座」と呼ばれた瀬羽町(せわまち)に、いま変化の兆しがある。
県内外から若者を中心とした旅行者が、あとを絶たずに押し寄せ始めているのだ。
聞けば沖縄から北海道まで、わざわざこの土地をめがけて
足を運ぶ人も少なくないという。
今回はその富山県滑川市にある瀬羽町のにぎわいを紹介したい。

平日の瀬羽町。週末や休日になると若者が通りに目立ち始める。

平日の瀬羽町。週末や休日になると若者が通りに目立ち始める。

まちに人の流れをつくった1軒のカフェ

かつての滑川宿の一帯は漁港としての機能も果たし、
その活気は明治、大正を経て昭和の戦後まで続いた。
土地の年長者に聞くと、特に瀬羽町は、
各種の商店から映画館、中央卸売市場、役場まで存在し、
「まちにないものは火葬場だけ」というほどだったという。

しかし高度成長期に入ると、ほかの地方都市と同じく郊外化が進み、
人口の流出が続いた。

「瀬羽町がいま盛り上がっている」と言うのにはまだ時期尚早かもしれない。
確かにさびれた街道に似つかわしくない、流行に敏感そうな若者の姿を、
曜日や時間帯を限って言えば多く見かける現状がある。

しかしまだ瀬羽町、あるいは滑川自体に魅力を感じて訪れるのではなく、
ある「点」を目がけて全国から人が集まっている状態とも言える。
その意味では「瀬羽町がいま盛り上がりを見せつつある」状態なのだが、
その「点」に訪れた人が、周囲のレトロで歴史ある雰囲気を気に入り、
ほかの有形文化財や店を歩いてまわるという好循環が生まれつつある。
その輝かしい「点」となる存在が、〈hammock cafe Amaca〉だ。

店名からもわかるように、ハンモックが店内にぶら下がるユニークなカフェで、
石川県の七尾に生まれたオーナーが、
滑川に移住して2017年に誕生させた。

ハンモックに揺られながらリラックスできる〈hammock cafe Amaca〉。

ハンモックに揺られながらリラックスできる〈hammock cafe Amaca〉。

聞けばユニークな経歴の持ち主で、石川県内の企業の実業団で
テニス選手として社会人生活をスタートしている。
退社後は東京、金沢に居住した経験もあり、東京では芸能関係の仕事を務め、
金沢では知人の出張美容サービスを手伝った。

一見すると飲食業には無縁のように思えるが、
東京在住時には徹底して趣味のカフェ巡りを行い、
肉フェスなどのイベント出店、秋葉原でのバーテンダー業務、
神奈川の江の島にある海の家での勤務など、異色の経歴を持つ。 

「下積みや修業の経験はないのですが、あえて言えば
その頃の飲食経験が僕の修業時代だったのだと思います」とオーナーは語る。

「江の島は都心から1時間30分ほどかかる立地にあります。
わざわざ江の島を目がけて遊びに来るお客さんが中心で、
そういった方をおもてなしする楽しさとやりがいを、海の家の仕事で知りました。
この店を出すにあたっても、そのときの経験が生きていて、
ふらっと来店できる場所でなく、わざわざこの店を目がけて
来ていただくような場所に出店したいと思っていました」

瀬羽町を散歩しているときに、故郷と似た旧北陸街道の雰囲気が気に入った。
さらには、あえて繁華街から離れて出店し、自分たちを目がけて
足を運んでくれるような客をもてなしたいという思いも実現できる立地から、
瀬羽町に出店を決めたという。

その新店が、強烈な輝きを放った。
集客はほとんど行わず、告知もオープン前日にSNSで発信しただけだというが、
評判が評判を呼び、全国から人が集まって、
いまでは週末になると行列が当たり前の人気店になった。

筆者が取材で訪れた日も、「売り切れ」の看板が下がっていた。
目玉商品のひとつはパフェだ。

「季節を食べる」をコンセプトに、旬の食材がふんだんに盛り込まれた
「インスタ映え」するパフェをハンモックに揺られながら食べるという体験が、
若者の五感を大いに喜ばせた。
若者だけでなくいまでは30代、40代、さらには80代の「女子」まで
「冥土の土産になった」と喜んでくれるという。

左からイチゴ、ブルーベリー、チョコレートオランジュ。(写真提供:Amaca)

左からイチゴ、ブルーベリー、チョコレートオランジュ。(写真提供:Amaca)

この集客力が、周辺の瀬羽町に好循環を生み出しつつあるのだ。
とはいえ、まちづくりへの貢献について聞くと
「僕はもともとよそ者ですから、まちをつくってきたわけでもありません」
と、言葉を選びながら言明を避ける。

「ですが、若い人たちがうちの店をきっかけに瀬羽町に来てくれて、
いいまちだと思ってくれたとすれば、自分が店をやっている意義はあります。
田舎はかっこいいです。このまちは歴史がありますし、歴史はお金では買えません。
その良さをわかってもらえるきっかけになれればと思っています」

事実、東京や大阪など都会から来た若者が、
瀬羽町を訪れて喜んでいるという。
「楽しいごはん」を提供したいと語る「おもてなし力」も手伝って、
着実に滑川の魅力はいままでにないかたちで発信され始めている。
まさにhammock cafe Amacaが、海浜の港町に建つ灯台のように、
瀬羽町から全国に確かな光を放ち続けているのだ。

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センスのいい古本屋に古道具屋も

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「点」の輝きを「線」に広げる古本屋

hammock cafe Amacaの「点」の輝きを、
「線」に広げて伸ばすような新規出店の動きも、瀬羽町では続いている。
その代表格が、数軒隣にある〈古本いるふ〉だ。

名古屋芸術大学を出たオーナー・天野陽史さんが誕生させた古本屋で、
同店について県内のほかの古本屋店主が、
「天野さんには審美眼があり、お店の本は並びもチョイスも美しくて、
1冊として無駄がない」と絶賛するほどだ。

Amacaの数件隣にある〈古本いるふ〉。

Amacaの数件隣にある〈古本いるふ〉。

天野さんは愛知県岡崎市の出身で、父親は美術家、
母親もオーダーメイドの婦人服づくりを行い、実の兄も家具職人、
大学時代に出会った妻の裕香子さんも染色作家という家族を持つ。

大学卒業後はシンクタンクで地域企業のデザイン支援を数年行っていたというが、
富山県黒部市出身の裕香子さんのご両親から実家を譲り受ける話になり、
富山県に移住した。

移住後はデザインの仕事ではなく、古本を販売する道を選び、
店舗を持たない古本屋〈よこわけ文庫〉をスタートする。
イベント出店や県内のカフェに「置き本」をして販売を続け、
2018年5月12日に、友人の助けで元靴屋をセルフリノベーションし、
瀬羽町にいるふを誕生させた。

どうして滑川に出店したのか。
聞くと滑川市を含んだ富山県東部に店を持ちたいと考えたそう。

「僕は富山県の東部にある黒部市に住んでいますが、
西側や富山市のある中心部にはすでにすてきな古本屋があります。
別に一極集中しなくてもいいはずで、県の東西に文化拠点となりうる場所があって、
連携していけばいいのではと思いました」

オーナーの天野陽史さん。エプロンは妻で染色作家の裕香子さんがつくった。

オーナーの天野陽史さん。エプロンは妻で染色作家の裕香子さんがつくった。

ピンポイントで瀬羽町を選んだのはなぜなのだろうか。
「できれば店同士が固まって人の流れを引っ張っていくような場所がいいと思いました。
瀬羽町はhammock cafe Amacaさんもありますし、
向かいにはセンス抜群の古道具屋〈スヰヘイ〉さんもあって、
立地的にすばらしいと思いました」

いるふの向かいにある〈スヰヘイ〉。内部は写真撮影できないが、古道具が美術館の展示品のように陳列されている。

いるふの向かいにある〈スヰヘイ〉。内部は写真撮影できないが、古道具が美術館の展示品のように陳列されている。

もちろん出店先を決めるにあたって、物件のサイズ感、
3000冊を超える書籍の保管場所としてバックヤードが確保できる間取りも
決め手になったという。

さらに、やはり立地のメリットも感じているそうで、
目の前が古道具屋、自分の店が古本屋という相性の良さから、
客が双方を行き来するようなケースもあるという。

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さらに新店舗誕生の動きも!

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魅力的な新店舗が生まれる背景

新店舗誕生の動きはいまも続いている。
スヰヘイ、hammock cafe Amaca、古本いるふに物件を紹介した瀬羽町の不動産屋
〈富山中央エステート〉の代表、堀田裕司さんに聞くと
「いまは3か月連続で、新規出店の引き合いがあります」と教えてくれた。
魅力的な店の存在が、次の魅力的な店を誘致するひとつのきっかけとなっているのだ。

もちろん、歴史あるまちに新店が出店するといっても、
現実にはさまざまなハードルがあるはずだ。

中古物件のリノベーション支援を得意とし、
コロカルにも登場した〈think. DIY CAFE〉の建築士、金木由美子さんに聞くと、
「古い物件だと、持主が瑕疵(かし)を嫌がってなかなか貸してくれないことが多い」
といった現状も、一般的にはあるという。瑕疵とは瑕疵担保責任で、
物件に隠れた欠陥があった場合、オーナーが追求される責任問題だ。

しかし、滑川の現状にも詳しい金木さんによれば、
瀬羽町には表に出ようとしないものの、
「(賃貸契約を)渋る大家さんがいたとき、自分がまず物件をその人から買い取り、
借りたい方に貸していく」地元の名士が存在するという。

「まちなみを守りながら、まちが好きだと言ってくれて、
瀬羽町で商売をしてみたいという人たちのために
尽力してくださっている姿はすばらしいと思います」と金木さんは語る。

さらに、上述した富山中央エステートの堀田さんの活動も大きな意味を持つという。
「(堀田さんは)空き家を管理しながら、事業を始めたい方のために、
持ち主に掛け合って『こういう人がいるのでどうだろうか』
という話をしてくれる」というのだ。

もちろん現状で、瀬羽町の新たなにぎわいは
hammock cafe Amacaなどの活躍が大きい。古本いるふの天野さんも、
「商いが成立する状況、商売が成立する環境こそが、結果として
まちの繁栄、まちづくり、地域活性化につながっていくのだと思います」と語る。

その言葉どおり、いままさに瀬羽町は人の流れが生まれ、
商売の成立する環境が、ぼんやりとでき始めている。

新店オープンを計画する人たちにも、実際に出会って話を聞く機会があった。
例えば同じ瀬羽町にある国登録有形文化財を活用した雑貨屋
〈じんでんや〉を手がける鍋谷智子さんは、
玄米を使った飲食店の出店を考えているという。

しかし、こうしたまちの変化の源流には、地域の繁栄を願い、
下支えをする人たちの努力も、一方で確実に存在しているのだ。

国登録有形文化財を活用した雑貨屋〈じんでんや〉。

国登録有形文化財を活用した雑貨屋〈じんでんや〉。

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瀬羽町の好循環はどう生まれた?

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30年で衰退したまちを、30年かけて再生する

ここにきて、瀬羽町で地域づくりに取り組んできた人たちの努力も、
大いに効いてきている。
例えば、宿場町の文化財やまちなみを保存、修復し、活用して
にぎわいをつくるNPO法人〈滑川宿まちなみ保存と活用の会〉の活動だ。

瀬羽町は大まかに言って東西2ブロックに分かれている。
hammock cafe Amacaなどのにぎわいが東側で起きているとすれば、
NPO法人が拠点とする国登録有形文化財の〈旧宮崎酒造〉の建物は、
西側の端に位置している。

瀬羽町にある国登録有形文化財の〈旧宮崎酒造〉。

瀬羽町にある国登録有形文化財の〈旧宮崎酒造〉。

NPO法人のメンバーで、滑川市の副市長も務めた久保眞人さんに、
あらためてまちの歴史と現状を聞いてみると、
瀬羽町をはじめ、滑川の旧宿場町は昭和40年代から徐々に衰退が始まり、
大型店の誕生と自動車社会の進展によって、30~40年かけてすたれていったという。

旧宮崎酒造の内部。NPO法人〈滑川宿まちなみ保存と活用の会〉が管理する。「酒蔵アートinなめりかわ」などのイベント会場にもなる。

旧宮崎酒造の内部。NPO法人〈滑川宿まちなみ保存と活用の会〉が管理する。「酒蔵アートinなめりかわ」などのイベント会場にもなる。

「都市とは時代とともに動くものですから、避けられない部分はあります。
また、30年かかって駄目になったまちが、急に回復できるわけもありません。
私はNPO法人の立ち上げのときにも言ったのですが、
30年かかってまちが衰退したのであれば、
30年かけてまちを再生すればいいと考えています」

元滑川市副市長で、NPO法人のメンバーである久保眞人さん。

元滑川市副市長で、NPO法人のメンバーである久保眞人さん。

NPO法人の前身が立ち上がった時期は平成22年、平成25年には組織がNPO法人になる。
その前後からいまに至るまで周辺の文化財の修復を行い、
一度は取り壊される運命になった旧宮崎酒造の建物を生かして、
一定の日数ごとに出店者が変わるシェアカフェ
〈cafe うみいろ ぼんぼこさ〉を誕生させた。

酒蔵アートのイベント、音楽ライブ、骨董市を開催するなど、
さまざまな試みも年中行事として継続している。

旧宮崎酒造の蔵の2階にカフェが。

旧宮崎酒造の蔵の2階にカフェが。

今後もユニークな取り組みは続き、例えば宿場町として
加賀藩主に本陣で提供した料理を再現し、試食する会なども予定しているという。

「30年かけてまちを再生しようとNPOを始めて、今年で5年になります。
NPOの活動がどこまで貢献しているのかはわかりませんが、
この辺りは土地も賃料も安いですし、道路は狭いですが融雪装置もあり、
出店しやすい環境が整っています。そうしたインフラも手伝って、
この5年で瀬羽町に4軒の新規出店がありました」

〈cafe うみいろ ぼんぼこさ〉の店内。

定期的に店主が交代する〈cafe うみいろ ぼんぼこさ〉の店内。

同じ瀬羽町にできたhammock cafe Amacaを中心とするにぎわいも強烈のようで、
「われわれは『Amaca効果』と呼んでいますが、
Amacaさんに入れないお客さんが、『待ち時間があるので、遊びに来ました』と
こちらのカフェにも来店してくださいます」と、久保さんは笑って喜ぶ。

地道にまちづくりを行ってきたNPOや、
新規出店者の受け入れ態勢を整える地元の名士の存在、
および不動産屋の取り組みの延長で、新規出店者が目立ち始めた。
その新規出店者が呼び寄せた観光客が空き時間に地域を巡り、
NPOが管理・修復してきた文化財やカフェにも足を運ぶという
好循環が生まれているのだ。

旧宮崎酒造の海側の外観。

旧宮崎酒造の海側の外観。

久保さんは個人として、さらにはNPO法人全体としての願いを語ってくれた。
「今後はこの流れがさらに盛り上がって、
瀬羽町に住む人も増えてくれればと願っています。
いまの若い人は、古い日本的なものに対する興味をお持ちの方が少なくないと思います。
NPOとしてはさまざまな方の知恵をいただきながら、まちなみをきれいにして、
魅力あるまちづくりを続けていきたいと思います」

取材をひと通り終えて通りに出ると、すでに外は暗く、人通りは途絶えていた。
元副市長の久保さんが言うとおり、住む人が少ないため、
夜になると正直、まちは寂しさを増す。

「子どもがうるさい」と保育所の新設を拒否する声が
全国で相次いでいるとニュースで話題になったが、
これだけ静かだと、逆に子どもの笑い声や泣き声が無性に恋しくなる。
ナイーブな考え方かもしれないが、やはり地域にとって子どもは宝なのだ。

思えば、hammock cafe Amacaのオーナーは、
店内にハンモックを置くきっかけのひとつとして、
わが子が腕の中で揺られながら眠っていく姿に
インスピレーションを受けたと語っていた。

もちろん、hammock cafe Amacaは子連れ客も大歓迎だ。
実際にハンモックで子どもを抱きながら食事を楽しむ、
子育て真っ最中のお母さんも大勢来店するという。

先走った淡い期待だが、その中から今後、瀬羽町に魅力を感じ、
家族で移住したいと行動に移す若者世代が少なからず出てくる可能性もあるはずだ。
そのときこそが、いよいよ本当に「瀬羽町がいま、盛り上がっている」と
断言できる瞬間なのかもしれない。

information

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hammock cafe Amaca 

住所:富山県滑川市瀬羽町1882-1

TEL:076-456-5615

営業時間:11:00〜18:00(L.O.17:00)

定休日:火・金曜

http://cafe-amaca.com

information

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古本いるふ

住所:富山県滑川市瀬羽町1890-1

営業時間:12:00〜17:00

定休日:月・火曜

information

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cafe うみいろ ぼんぼこさ

住所:富山県滑川市瀬羽町1860

TEL:076-476-0068

営業時間:12:00〜日没頃

定休日:木曜・不定休

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