連載
posted:2018.7.13 from:京都府京丹後市 genre:アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。
writer profile
Dai Yoshioka
吉岡 大
よしおか・だい●1987年京都府京丹後市生まれ。2016年暮らしのリノベーション〈blueto(ブルート)〉設立。住まいのリノベーション、空き家活用、動画製作を行う。現在移住者向けの住まい(桃山ノイエ、島津ノテラス、甲山ノイエ、島津ノイエ)を運営。ドローンによる空撮を生かした丹後地域発信動画制作などを行う。京丹後市三重森本地区の里の公共員として地域全体のリノベーションを行なう。
http://blueto.jp
「海の京都」といわれる京丹後市にて、建築設計やリノベーション、
空き家の活用などを行っている〈blueto建築士事務所〉の吉岡大です。
vol.1では、京丹後市の魅力やbluetoの設立についてご紹介しました。
今回はそこから少し時を遡り、僕がサラリーマン時代のお話になります。
会社勤めをしながら手がけた〈桃山ノイエ〉と〈島津ノテラス〉。
2軒の空き家のリノベーションが、
どのように移住者の受け皿へとつながっていったのかを振り返っていきます。
独立する以前は、工務店で働いていました。
当時は仕事が忙しく、ほとんど地域の人や周りの同年代の人と
関わることがありませんでした。
そんな忙しい日々の中で、「mixひとびと丹後(通称ミクタン)」
というイベントに出会いました。
丹後地域内で実施されてきた、地域体験型の交流イベントです。
「mixひとびとtango」では、丹後に暮らす人々が
日頃の活動や趣味、得意分野を生かした企画を立て、
普段なかなか見られない職人さんの工房や、工場、酒蔵、
あるいはごく普通のおうちなどを開放し、丹後を訪れた参加者たちを案内します。
そこに参加することで、行ったことのない場所や、
自分の特技や仕事や趣味を生かして活動する人々と出会いました。
いきいきと丹後で活動する若い人たちを間近で見て、
ワクワクと胸が高鳴ったことを覚えています。
いままで丹後に暮らしていながら、
地元の本当の良さを知らず過ごしていたことに気がつき、
僕も何かを始めたいと思うようになりました
(残念ながら2018年をもって「mixひとびとtango」は終わりを迎えました)。
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そんなことを思っていたとき、不動産屋さんから
空き家を購入しないかと話がありました。
それが後に僕の初の空き家活用の事例となる、桃山ノイエです。
はじめは家を購入するなんて思いもしなかったのですが、
自分が持っていた建築や不動産の資格と経験を生かせるのではないかと、
見学させてもらうことにしました。
その家は、長期間にわたって空き家の状態が続いており、
住む人も見つからないままでした。
少し悩みましたが、購入してこの家を引き継ぐことに。
サラリーマンをしながらこの空き家に通い、少しずつセルフリノベをしていきました。
リノベといっても、この物件は比較的状態が良かったので、
掃除をして照明器具を明るいものに変えた程度です。
こうして完成した桃山ノイエ。さっそく友人を呼んで飲み会をしました。
まずは、いろいろな人に地域の空き家の存在を知ってもらい、
さらに足を運んでもらうことで、空き家に対するマイナスイメージを
なくすことからスタートすべきだと思ったのです。
それと同時に、つながりのあった設計事務所さんと空き家活用の勉強会を実施しました。
その勉強会では、地元の区長さんや地域の若者や市議会議員さんなどをお招きし、
まちの空き家活用についての意見交換を行い、まち歩きをしました。
勉強会や交流会などを行うなかで、丹後に興味をもち、
京都市内から通ってきていた、とある女性と出会いました。
後に、桃山ノイエの住人になる小林朝子さん(通称あさやん)です。
彼女はかつて京都市内で土木のコンサル会社に勤めていましたが、
何度も丹後に訪れており多くの地元の人と交流をしていました。
そしてタイミング良く仕事を紹介され、
僕が運営する桃山ノイエを住む場所として紹介させていただき、
無事に京都市内から丹後への移住が実現したのです。
初めての人でも気さくに鍋を囲い、一緒にお酒を飲み、どんどん輪が広がっていく。
移住前に丹後で出会った人々とコミュニティの安心感が、
小林さんが移住を検討するうえで大きな決め手となりました。
そんな経験から、丹後へ移住するきっかけをつくる側に
彼女自身がなりたいと思ったそうです。
移住後は小林さんが定期的に桃山ノイエで交流会を開いてくれます。
そこで初めて会う方と知り合いになり、さらにコミュニティが広がっていく。
現在では、桃山ノイエとその住人のみなさんが、丹後への移住希望者と
地元の人とをつなぐハブのような場であり、存在になっています。
誰も見向きもしない空き家が、人が集まる場へと変化しました。
小林さんのように外から人が移り住み、移住者自らがやりたいことを実現することで、
人をどんどん巻き込み、地域で化学反応が起きていったのです。
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その数年後、別の空き家について、桃山ノイエと同じ不動産屋さんから声がかかり、
見に行くことにしました。所有者さんは他県にお住まいで、
この空き家の管理ができないと困っていたようです。
この物件に訪れて「いいなぁ」と思ったのは、広い工場スペースがあることでした。
丹後では「丹後ちりめん」という伝統工芸があり、
昔は住居兼工場といった建物が多く存在します。
この物件にももともと丹後ちりめんの機械があった工場スペースがあり、
そこをうまく活用すれば、人が集える桃山ノイエのような存在にできるのでは、
と考えました。
この物件に着手したのもサラリーマン時代のことで、
8月のお盆休みを使いセルフリノベーションを行いました。
古い建物ですが、屋根が新しく基礎もしっかりとしており、状態がよかったので、
リノベーションの内容としては内装を整えることが中心でした。
まず全体に掃除をし、工場スペースの土間コンクリートを白色に塗装。
さらに照明器具を入れ替え、和室の壁を塗り直しました。
リノベーションにかかった期間は1か月ほど。島津ノテラスが完成しました。
工場の古く暗いイメージから、誰もが出入りしやすい明るい場所へと変化しました。
桃山ノイエと同様に、ここでもまずスタートさせたのが、
人を呼ぶことでこの空き家の存在を知ってもらうことでした。
知り合いにお願いをして、自分の好きな本を紹介するイベントを開いてもらい、
お正月には丹後の若者を集めて餅つき大会を行うなど、いくつかイベントを行いました。
年の瀬が迫っていた頃、せっかく空き家を活用した場ができたので、
忘年会をすることになりました。
友人が、Facebookでイベント告知を行ったところ、日に日に参加者が増えてきて、
当日は丹後中の若者が150人ほど集まる大イベントになりました。
この家に集まってきた人たちは、丹後の活性化のために
漠然と何かしたいという想いを持った人たちでした。
この集まりで多くの人がそれぞれつながりを持ち、
次の展開のきっかけが生まれたようです。
僕自身もここで行われたイベントで、後に建てるblueto事務所の物件オーナーさんや、
いま一緒に仕事をしている複数の仲間たちとも出会うことができました。
現在、島津ノテラスは縁あって、丹後へ移住されてきた方に
賃貸住宅として使っていただいています。
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桃山ノイエと島津ノテラス。
この2軒の空き家活用を通じて、いくつかわかったことがあります。
まず、空き家の活用は丹後への移住者受け入れにおいて、
非常に大きな役割を担うということがわかりました。
安心して移住できる条件として、
1 仕事があること
2 住まいがあること
3 移住先のコミュニティとつながりがあること
が挙げられると思います。
たとえば、小林さんが移住してこられたのも、
1 京丹後市で、移住支援員という仕事枠の募集があり
2 桃山ノイエという住まいがあり
3 すでに彼女は丹後のコミュニティに入っていた
ということがあります。
移住するにも不安はなかったようで、いまや京丹後市移住支援員として幅広く活躍し、
丹後で楽しくいきいきと暮らしておられます。
先ほど挙げた3つの移住条件の中で
「住まい」は、僕の建築の力で整備することができます。
丹後への移住希望者の多くは新たな場所で、何かを挑戦したい人ばかりです。
その挑戦をサポートできるように、場を整えていくことが僕の仕事だと思っています。
人がいない空き家に建築のアイデアと技術を吹き込んで、地域活性化につなげること。
そして移住者が丹後でいきいきと暮らせる住まいづくりのサポートを、
もっとやっていきたいと思うようになりました。
その思いが強くなり、当時サラリーマンだった僕は起業を決意して、
blueto建築士事務所を設立することになったのです。
次回は、空き家活用のケーススタディの続編として、
blueto設立後に手がけた〈甲山ノイエ〉と〈島津ノイエ〉を取り上げます。
空き家を活用することで、いかに移住者のやりたいことが実現できたか。
そして自分たちでリノベをするDIYの実例とその醍醐味について、
ご紹介していきたいと思います。
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