連載
posted:2018.10.22 from:神奈川県鎌倉市 genre:活性化と創生
〈 この連載・企画は… 〉
豊かな歴史と文化を持ち、関東でも屈指の観光地、鎌倉。
この土地に惹かれ移り住む人や、新しい仕事を始める人もいます。
暮らし、仕事、コミュニティなどを見つめ、鎌倉から考える、ローカルの未来。
writer profile
Yuki Harada
原田優輝
はらだ・ゆうき●編集者/ライター。千葉県生まれ、神奈川県育ち。『DAZED&CONFUSED JAPAN』『TOKION』編集部、『PUBLIC-IMAGE.ORG』編集長などを経て、2012年よりインタビューサイト『Qonversations』を運営。2016年には、活動拠点である鎌倉とさまざまな地域をつなぐインターローカル・プロジェクト『◯◯と鎌倉』をスタート。
photographer profile
Ryosuke Kikuchi
菊池良助
きくち・りょうすけ●栃木県出身。写真ひとつぼ展入選後、雑誌『STUDIO VOICE』編集部との縁で、INFASパブリケーションズ社内カメラマンを経てフリーランス。雑誌広告を中心に、ジャンル問わず広範囲で撮影中。鎌倉には20代極貧期に友人の家に転がり込んだのが始まり。フリーランス初期には都内に住んだものの鎌倉シックに陥って出戻り。都内との往来生活も通算8年目に。鎌倉の表現者のコレクティブ「全然禅」のメンバー。
http://d.hatena.ne.jp/rufuto2007/
長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。
年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。
東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。
その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。
そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。
鎌倉在住の画家や演劇家らが敗戦直後に立ち上げた鎌倉文化会が母体となり、
戦争で心身ともに疲弊した若者たちに向けた私立学校として、
材木座・光明寺を仮校舎にスタートした「鎌倉アカデミア」。
戦後の学界や文化界を牽引した面々が教鞭をとった鎌倉アカデミアは、
作家の山口瞳、映画監督の鈴木清順をはじめとする
さまざまな人材を輩出した伝説的な学び舎として知られている。
一方、鎌倉在住の小説家・久米正雄らが音頭をとり、
戦争を挟んでおよそ30年にわたって開催された「鎌倉カーニバル」。
漫画家の横山隆一、小説家の大佛次郎ら鎌倉文士たちが盛り上げ、
最盛期には1週間以上にもわたる期間中に、
音楽祭から柔道大会まで多種多様なプログラムが組まれ、
「海の世界3大行事」とさえ言われるほどの夏の一大行事だった。
この地に集う多様な人々によって築かれてきたこれらの文化的遺産に目を向け、
現在の鎌倉のまちで活動を続ける団体がある。
代表理事の瀬藤康嗣さんらによって2006年に立ち上げられた
クリエイティブ・チーム〈ルートカルチャー〉だ。
鎌倉内外のさまざまなクリエイターらを巻き込みながら、
寺社仏閣をはじめとした鎌倉の歴史的建築物を舞台にしたフェスティバルや
公演を行うなど、「文化的交流」の場づくりに取り組んできた。
鎌倉の歴史、文化、風土を引き継ぎながら、
鎌倉の現在を発信するルートカルチャーとはどんな団体なのか?
今年11月に、光明寺と材木座海岸で行われる
〈鎌倉 海のアカデミア〉の開催を控える瀬藤さんに話を聞いた。
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いとうせいこう、高木完、ヤン富田、CHARA、UAーー。
2006年5月、鎌倉・大町にある妙本寺には、
国内のカルチャーシーンを牽引してきた錚々たるアーティストたちが集結していた。
彼らによるパフォーマンスと、鎌倉にゆかりのあるクリエイターらによる
ワークショップ、シンポジウム、マーケットなどが一体となったフェスティバル
「新月祭」は、鎌倉を拠点にするメンバーたちによる団体
ルートカルチャーが企画した最初のイベントだった。
「鎌倉には文化的なイメージがありますが、実際に暮らしてみると
映画館もなければ、音楽を聴ける場所も少なかった。
でも、魅力的な人や場所がたくさんあるまちだからこそ、
もっとおもしろくなるはずだという思いはありました」
当時の状況を振り返るのは、ルートカルチャーの代表理事・瀬藤康嗣さんだ。
神戸出身の瀬藤さんは、都内の大学で美術史を学んだあと、
藤沢にある大学院でコンピュータミュージックを専攻することになったタイミングで、
鎌倉に越してきた。
「人や土地の雰囲気が神戸に似ていた」と鎌倉の第一印象を語る彼が、
まちと深く関わるようになったのは、大学院を卒業してからのことだ。
「2004年頃に〈パラダイス・アレイ〉というパン屋ができ、
店主の勝見淳平のように、東京や海外を経験してから鎌倉に戻ってきた人や、
自分のように外から移り住んできた人などがこの店に集まるようになっていきました。
そして、有効活用されていない鎌倉の歴史的建築物などを使い、
文化活動をしていけると良いのでは、と立ち上げることになったのが、
ルートカルチャーでした」
ルートカルチャーという名前には、鎌倉の地に根を張り、
新しい文化的交流の場をつくるという理念が反映されている。
「地域らしさ、自分らしさがなければつまらないと思っていたし、
ここでしかできないことをしようと考えていました」と瀬藤さんが語るように、
パラダイス・アレイの勝見淳平さん、瀬藤さんとともに以前から作品制作をしていた
山岸清之進さんらの設立メンバーの間には、
東京や海外などで起こっている同時代のカルチャーとも共鳴しながら、
鎌倉文士の時代から育まれてきた文化的土壌を持つ鎌倉の地で、
新たな文化が生まれる場をつくりたいという思いがあったという。
「明治時代に横須賀線が開通したことで、
東京や海外の人たちが別荘を持ったり、移り住んだりするようになり、
土着の文化と都会的なセンスが出会ったという歴史的背景がある鎌倉は、
さまざまな価値観の人たちが集うまち。
おもしろい人たちが点在するものの、
バラバラに活動しているように感じていたこのまちで、
“点”をつなげていく“面”をつくることで、
まちがおもしろくなるんじゃないかという思いがありました」
そうした思いから企画された新月祭は、いまでは語り草となっているほどの活況を呈し、
鎌倉内外のクリエイターらとともに、人や文化をつなぐ場をつくるという
ルートカルチャーの活動基盤もこのときに築かれた。
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鎌倉を拠点にさまざまなイベントの開催、
フリーペーパーの発行などを行ってきたルートカルチャーの活動は、
ニューヨーク在住の演出家、ヨシコ・チュウマさんとの出会いによって、
次のステップへと進んでいく。
2008年に、パラダイス・アレイのある鎌倉市農協連即売所で
ヨシコ・チュウマさんが公演を行ったことに端を発し、
瀬藤さんをはじめ芸術的素養を持つメンバーが多かった
ルートカルチャーとの共同制作がスタート。
そこから生まれた舞台作品は、鎌倉はもちろん、横浜や福島、
さらにはニューヨーク、ルーマニア、パレスチナなど海の向こうにまで巡回した。
「団体名を考える時点から、“グローカル”や
“インターローカル”というキーワードが漠然と浮かんでいました。
ルートカルチャーという団体は、鎌倉育ちの人間と、外から来た人間が
半々くらいで構成されていたのですが、
だからこそ、地元のネットワークだけで閉じるのではなく、
外に開いていくことが大切だと考えていました」
その後も、鎌倉出身の女優・鶴田真由さんとの舞台作品『花音』の日本各地への巡回、
東日本大震災で開催ができなくなった
福島市のイベント〈FOR座REST〉の鎌倉代替開催など、
ルートカルチャーが掲げる文化的交流の場づくりは、地域を越えて拡張していった。
ルートカルチャーが行っているのは、世代を超えたつながりを生む場づくりでもある。
近年の活動の核になっている〈鎌倉 海のアカデミア&海のカーニバル〉は
その最たる例だろう。
2015年に、「鎌倉[海と文芸]カーニバル」としてスタートしたこのイベントは、
鎌倉文士たちが中心となって盛り上げた「鎌倉カーニバル」への敬意を表し、
まちを愛する現代のクリエイターや住民たちによってつくられるお祭りだ。
「かつての鎌倉カーニバルのときに歌われていた、
『鎌倉カーニバルの歌』という曲があって、
自分たちもテーマ曲として演奏したのですが、
これを幼い頃に聴いていた近隣のおばあちゃんたちが、
当時を懐かしがって思い出話などをしてくださいました。
イベントを通じて、このように異なる世代がつながっていくことは
とてもうれしいですね」
2年目以降は、〈鎌倉 海のカーニバル〉と名を改めて、このお祭りととともに、
鎌倉にゆかりのあるクリエイターや海の専門家を講師に招いた
学びのプログラム〈鎌倉 海のアカデミア〉も行われるようになる。
「鎌倉アカデミアが始まったのは、
戦争でお国のために命を捧げようとしていた若者たちが、ある日突然に終戦を告げられ、
それまで学んできたことが全否定されてしまったような時代。
そのなかで、戦禍を免れた鎌倉から、自分の頭で考えられる人間を育てることを掲げた
アカデミアの理念には、大きな刺激を受けています」
4年目を迎える今年は、この鎌倉アカデミア発祥の地、材木座・光明寺をメイン会場に、
2日間にわたるイベント、鎌倉 海のアカデミアとして開催される予定だ。
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まちの文化を育んできた先人たちの取り組みにインスパイアされている
鎌倉 海のアカデミア&海のカーニバルだが、瀬藤さんたちには、
これらをそのまま継承しようとする意識はあまりないという。
「継承するというのはおこがましいですし、
僕らができるのは刺激を受けることだと思っています。
偉大なる先達たちが高邁な理想を掲げ、行ってきた取り組みから
学べることがたくさんあり、そのうえで自分たちなりのアクションを
起こしていくということを大切にしています」
学びをテーマに据えた鎌倉 海のアカデミアは、
まちの未来をつくっていく子どもたちに向けた取り組みであると同時に、
90歳を超えるメンバーを抱える〈鎌倉アカデミアを伝える会〉の面々も参加するなど、
3〜4世代が交わる貴重な機会となる。
あらゆる世代をつなぐ場をまちにつくっていくうえで、
アートや音楽などのクリエイティブが果たせる役割は大きいと瀬藤さんは言う。
「クリエイティブには、間口を広げる力があると思っています。
例えば、歌や踊りには、知らない人たち同士をつなぎ、
ひとつの輪をつくる求心力がありますし、
いいデザインやアートワークは人の心を鷲掴みできる。
また、鎌倉 海のアカデミア&海のカーニバルでは、
海を取り巻くさまざまな問題をテーマにしていますが、
クリエイティブの力を活用することで、
真面目な顔をして話しているだけではリーチできない人たちにも
興味を持ってもらえる可能性があるんです」
昨今、アートや音楽などにフォーカスした地域活性の取り組みは増えているが、
地域の特性を生かした企画立案、クリエイターと地域住民の関係性、
持続可能な運営態勢の構築など課題は多い。
そのなかで、まちの文化や歴史から学び、クリエイティブの力を通じて、
地域や世代を超えたつながりを生み出そうとするルートカルチャーの取り組みには、
大きなヒントがあるように思える。
「ルートカルチャーを始めた頃は、自分が理想とする価値観にみんなが同意してくれて、
ひとつになれるんじゃないかという若さゆえの傲慢な考え、淡い期待がありました(笑)。
でも、鎌倉で活動をしていくうちに見えてきたのは、
ここは多様性のまち、レインボーのまちだということ。
自分を殺してでもひとつになるという考え方自体に歪みが見え始めている時代において、
それぞれがありのままでいながら、必要なときには
同じ方向を見て協力し合えるということが大事になっているし、
そうした状況をつくるために、多くの人たちが交われる場を提供していくのが、
自分たちにできることだと思っています」
「いろんな人が 街に住み 明るい海に 住んでいる
のどかに山に 住んでいる 文士なんかも 住んでいる」
これは、作家、詩人として活躍した菊岡久利氏が作詞した
『鎌倉カーニバルの歌』の一節だ。
多様な人々の交差点として、さまざまな文化が息づくこのまちで、
ルートカルチャーはこれからも、点と点をつなぐ場づくりを行っていく。
information
海と日本PROJECT
鎌倉 海のアカデミア
開催日時:2018年10月27日(土)、28日(日)9:00〜17:00(予定)*プログラムごとの詳細時間はホームページのタイムスケジュールを参照
会場:光明寺(神奈川県鎌倉市材木座6-17-19)、材木座海岸
主催:特定非営利活動法人ルートカルチャー
参加団体:一般社団法人地球の楽校、ファブラボ鎌倉、特定非営利活動法人プラスチックフリージャパン、長四郎 網、鎌倉アカデミアを伝える会、BOOKWORM、イマジン盆踊り部
参加者:高橋源一郎、鶴田真由、五十嵐大介、テンダー(ダイナミックラボ) 、小助川駒介、横山寛多、岡本果倫、摩耶無我モーラン、オダジュンコ、水内貴英、スノハラサチコ、井上幸太郎、ちんどん おてんきや、 UPPON、Huley、ロクディム、佐藤有美、BOOKWORM、石神夏希、長谷川孝一、seto、増谷文良、平田恵美、瀬藤康嗣
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