連載
posted:2018.10.26 from:富山県射水市 genre:アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。
writer profile
Hiroyuki Akashi
明石博之
あかし・ひろゆき●1971年広島県尾道市(旧因島市)生まれ。多摩美術大学でプロダクトデザインを学ぶ。大学を卒業後、まちづくりコンサル会社に入社。全国各地を飛び回るうちに自らがローカルプレイヤーになることに憧れ、2010年に妻の故郷である富山県へ移住。漁師町で出会った古民家をカフェにリノベした経験をキッカケに秘密基地的な「場」をつくるおもしろさに目覚める。その後〈マチザイノオト〉プロジェクトを立ち上げ、まちの価値を拡大する「場」のプロデュース・空間デザインを仕事の軸として、富山のまちづくりに取り組んでいる。
こんにちは、グリーンノートレーベル株式会社の明石博之です。
今回は、空き家になった町家をオフィスにするプロジェクトのご紹介です。
その前に、まず、私の妻の紹介から始めないといけません。
妻の明石あおいは、京都で生まれて、富山で育ち、
Uターンというカタチで育った故郷に戻りました。
その後、まちづくりとデザインの会社〈ワールドリー・デザイン〉を立ち上げました。
夫婦ふたりが起業家で、それぞれが小さな会社を経営しています。
当時住んでいた富山市内から〈カフェuchikawa六角堂〉がある新湊内川までは、
クルマで片道30分。私は用事があるごとに、
富山市とカフェを行ったり来たりしていましたが、
いつかは新湊内川沿いに町家のオフィスが欲しいと思っていました。
いつの頃からか、妻とこんな話をするようになりました。
「六角堂はできたけど、空き家の古民家を使って何かやろうという
第2の波がやってこないよね……」
私たちは、空き家のリノベモデルをつくったという意識があったので、
誰かがマネして内川沿いに店を出してくれないかなと淡い期待を抱いていたのです。
そこへ転機が訪れました。2014年、妻を誘って、
歴史的なまち並み保存や空き家活用の先進地である
兵庫県篠山市に遊びに行ったときのことです。
現地を案内してくれたのが、地元で古民家ホステルの運営やまち並み保存、
イベント事業などをしている一般社団法人〈ROOT〉の代表、谷垣友里さんでした。
彼女の案内で、歴史的なまち並みの保存、建物を活用したまちづくりの事例を
多く見せていただいたなかの1軒が、谷垣さんの事務所でした。
小さな町家ですが、昔の意匠をそのままに
センス良く活用されているオフィス空間を見て、私たち夫婦は目が輝きました。
「なんてすてきなオフィスなんでしょう!」
そのときの感動はいまでも忘れません。
翌日、富山へ帰る道中に突然妻が
「私が次の点になればいいんだよ。内川沿いに町家のオフィスをつくる!」
と爆弾発言をしました。内川にひとつの「点」はできたけれども、
「線」になるにはもうひとつの「点」が必要だという意味でした。
前日に見た町家のオフィスに相当刺激されたみたいです。本当に驚きました。
その日から、ワールドリー・デザインの社屋となる
町家オフィスのプロジェクトが始まりました。
私はトータルプロデュースを仕事として請け負い、
これがマチザイノオト、第2弾のプロジェクトとなりました。
個人とか、会社とか、そういった立場ではなく、
勝手に地域代表になったような気持ちで妻に感謝しました。
この思いを最高のカタチで表現するため、さっそく物件探しを始めました。
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まずは地元のNPO〈水辺のまち新湊〉の二口紀代人専務に相談。
ちょうどいい場所に空き家があると聞きましたが、
外から見ると内川までつながっておらず、丹波篠山で見た町家よりも随分と大きいので、
きっと妻がイメージしている物件ではないと勝手に決めつけていました。
ところが、内見をしてみてガラリと印象が変わりました。
外からは見えない場所に立派な土蔵があったり、光が差し込む中庭があったりと、
外観の印象とは異なるすてきな空間が広がっていたのです。
その空き家は、築80年の伝統的な木造軸組みの町家で、
かつては新湊の漁師さんが住んでいたそうです。
その後、所有者のTさんのお父様が米の小売業を始められました。
建築として成立していないような小屋部分があったり、
本来は別の建物だった隣接する家の壁をぶち抜いてつなげていたりと、
不思議な間取りの町家でした。
そして、外からは確認できなかった内川まで続く細い通路を発見!
これなら絶対に妻が気に入るはずだと直感しました。
後日、所有者のTさんと妻を引き合わせ、町家を内見してもらいました。
妻はやはり、オフィスにしてはちょっと大きすぎるのではないかと思ったようですが、
私と同じく、土蔵や内川に続く不思議な通路を見て、
この建物がすっかり気に入ったようでした。
それから売買についての交渉や銀行融資の手続きが始まりました。
オフィスなので、カフェの事業計画ほど複雑ではありませんが、
デザイン会社が町家のオフィスをつくることで、どんなプラスの効果があるか、
返済していけるだけの売上があるのか、という点はいろいろと対策が必要でした。
施主である妻からもらったオーダーは、
「単なるオフィスじゃなく、イベントやギャラリーもできるサロン空間があり、
そこはよそから来た人も、地元の人たちも遊びに来られるような場所」
というイメージでした。
内川に仕事の拠点を移し、地域にも貢献したい、
地域と一緒に発展する会社にしたいという願いが込められていました。
マチザイノオトで扱うプロジェクトとして、
勝手につけた名前は「世間をデザインする古民家オフィス」です。
ワールドリー・デザインは世間をデザインする会社、がコンセプトだからです。
この町家の間口は2軒半(約4.5メートル)、
表通りから裏口までの長さは約37メートル。本当に長細いつくりです。
グーグルマップで上空から見ても建物同士の境界がよくわかりません。
外から見ても、中からも見ても、建物の全体像が
よくわからないという不思議な構造です。
設計と施工は、uchikawa六角堂のときと同じく、
設計は濱田修さん(写真右)、
施工は藤井工業の藤井圭一社長(写真右から2番目)にお願いしました。
難工事になるであろう物件を任せられるのは、この人たちしかいないと思ったからです。
表通りに面した母屋、中庭を挟んで土蔵の建屋、
さらに奥には昔のトイレや納戸があり、その先に内川に続く通路があります。
あとでつなげた隣接する家の中に、お風呂と子供部屋がありました。
銀行の融資も決まり、いよいよリノベーション工事がスタートしました。
まずは内装の壁や床組みの一部を壊し、建具を取り外し、
構造がよくわかる状態にしました。
それから、様子を見ながらミーティングを重ね、現況優先で設計変更もしていきました。
今回のリノベーションで大事なのは、
地域との関係づくりにもつながる新しい価値を生み出すこと。
快適なオフィス空間をどうつくるかの前に、
仮称、世間をデザインする古民家オフィスのコンセプトをどこに表現しようか、
そこをまず考えました。
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人が集まれる広い空間を確保するには、
隣地の家をつなげた空間と土蔵横の通路をうまく使うしかありません。
この場所は吹き抜けになっていて、木材や道具を投げ込んでおく
ロフトのような収納スペースがあります。
この雰囲気を生かしつつ、おもしろい空間をつくろうと思いました。
オフィス空間は母屋の1階につくることにしました。
冬の寒さをしのぐためには、床上の空間で過ごす必要があります。
しかし、中庭より奥の空間には土足で行けるようにと、
一部の床組みを壊してコンクリートの通り土間をつくりました。
ここがオフィス空間になる場所です。
1階の天井を壊したら、趣ある白漆喰の空間が現れました。
せっかくなので昔の意匠をそのままに吹き抜け空間として生かすことにしました。
立派なつくりの母屋や土蔵に対して、土蔵を囲む建屋や
内川に続く納戸空間などは、驚くほど貧弱なつくりでした。
当時の大工さんには失礼ですが、素人のDIYの延長のような見た目です。
どこを生かして、どう補強するか本当に悩ましいところでした。
内川に続く通路については、お隣の建物の壁を頼っていたり、
どうやって屋根を支えているかわからなかったりという状態でした。
後日談ですが、工務店の藤井社長は
「こんなに大変な工事は後にも先にもない」と言っていました。
土蔵の床をはいでめくり返してみたら、床下までびっしりと海辺の砂が詰まっていたり、
土蔵の裏側には誰の土地かわからないような不思議な空間が現れたりしました。
この町家の構造や隣接する建物同士の関係を見ながら、
「なんてクリエイティブな空間なんだ!」と密かにワクワクしていました。
結局、土蔵の床にあった大量の砂は取り除き、
逆に埋め戻しが必要な場所に敷き詰めました。
コンクリートではなく防湿シートの上に砂利を敷いて、床組みをつくり変えました。
表通りの道と内川側の遊歩道とでは、高低差が1.5メートルくらいあります。
高いほうの表通りにしか下水マスがなかったり、
幾重にもなる屋根から落ちてくる雨水を受け流す先がなかったりと、
排水工事は水の逃げ場の少ない町家にとっては大きな問題です。
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妻は、このオフィスを〈ma.ba.lab.(まばらぼ)〉と命名しました。
語源は「まばら」です。疎(まばら)は、適度にスカスカしていること。
だから、そこにある間や、場に意識が集中し、
おもしろい発想が生まれることを期待しているそうです。
そして、2016年5月、ついにふたつ目の「点」ができました。
表玄関はアルミサッシから木製の格子窓に入れ替え、すっかり昔の意匠になりました。
ガラスの大戸もポイントです。大きな荷物を運び出すときなどは、
右側のガラス大戸全体を開くことができます。
大戸のガラス部からまっすぐ通り土間が見えます。
そして、点々と見えるのはスタッフが脱いだ靴。
最初はスッキリと靴を収納するプランもあったのですが、
人の営みが外からわかるので、こうして正解だったと思います。
ここは土蔵の前につくったキッチンスペースから、
中庭越しにオフィス空間を見ているところです。
ここも床組みを壊して、コンクリート平板を敷き詰め、
土間の高さで中庭と行き来できるようにしました。
オフィス空間は、スタッフ用とふたりの社長用とに分かれています。
ここからは中庭のモミジと、その向こうに土蔵が見えるという配置です。
ここからの眺めは、非日常の気分と心の癒しを提供してくれます。
ここは、表玄関から入ってすぐの応接室です。北欧家具を配置しました。
この土間スペースは、建物外と中をつなぐ中間的な存在です。
ご近所の方や配達員の方は、ここまで気軽に入ってこられます。
続いて、先ほどの応接室の中二階部分。
1階土間から2階へ上がる通路を確保するため、梁を避け、強度を考え、
壁を抜きながら試行錯誤を繰り返した結果、こんな立体的で複雑な回廊ができました。
交流スペースの2階部分です。普通の町家では成立しない間取りですが、
この場所ならではのおもしろい空間デザインができました。
まだ建築途中かな……と思わせる雰囲気を残しつつ、
イマジネーションを掻き立てる、刺激的な空間になったと思います。
同じく交流スペースの1階部分です。
もともとあった柱を半間(約90センチ)ずらして、広い空間を確保しました。
床には、建物を解体する際に出てきた廃材を利用して、埋め込んでいます。
土蔵の白い外壁を利用して、プロジェクタの映像を投影できるようになっています。
内川に続く通路はこうなりました。両隣は空き家です。
天井と右側の壁には錆びさせた鉄板を貼り、アクリル塗装で錆止めをしました。
天井裏は、昔の様子が見えるように、小さな開口部も設けています。
対岸から見た風景です。夜、内川を歩いていると、突如として現れる光の通路!?
ガルバリウムで覆われた古い町家群に馴染む錆びた鉄板の入り口です。
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実は、この地域は獅子舞がとても盛んです。この町内は5月15日が氏神祭りです。
建築当初から、完成をこの日に間に合わせたいと思っていたのは、
獅子舞で祝いの花を打ちたかったからです。
「花を打つ」とは、結婚や出産などのメデタイ出来事があると、特別に祝儀をはずんで、
普段よりも長く、派手に舞ってもらうという伝統的な習わしです。
オフィスの完成と同時に、私たち夫婦は富山市から射水市の内川近くに引っ越し、
地域のコミュニティにより深くコミットしながら、
家からオフィスまでクルマで5分という環境でワーク・アズ・ライフを楽しんでいます。
オフィスの表通りは10月1日の新湊曳山祭りの巡行コースにもなっています。
ma.ba.lab.には、妻と私の会社の2社が入っています。
総勢15名で、常時8名くらいが新湊内川で仕事をしています。
そのほとんどが20~30代の女性です。
交流スペースでは、親しい仲間が楽しい企画を持ち寄ることもあれば、
ご近所の方やSNSでの呼びかけに集まった方々に
参加してもらうイベントを開催することもあります。
また、この場所を使ってもらい、ポップアップショップをオープンすることもあります。
こうして「ふたつ目の点」は徐々にしっかりとした輪郭を現してきました。
完成して数年経って思うのは、「ふたつの点」は掛け算で作用するということ。
マチザイノオトの活動にも勢いがついたと実感します。
そして、地域との多様なつながりによって、点と点を結ぶ細い線が、
徐々に太くなればいいなと願っています。
その経験から、リノベーションがまちのカルチャーを変えていくためには、
最低ふたつ以上の場(点)が必要だと思います。
次回は、3つ目の点となる雑貨店がテーマです。
イベント形式で行った小さなお店づくりのストーリーをお届けします。
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