懐かしく新しい生き方。
〈真鶴出版〉との出会いから
ゲストハウス2号店の幕開けへ

トミトアーキテクチャ vol.1

どうもこんにちは、トミトアーキテクチャ(冨永美保+伊藤孝仁)です。
「リノベのススメ」には、横浜は東ヶ丘のプロジェクト
〈CASACO〉を紹介して以来の再登場です。

CASACOとは、地域と連動しながら木造二軒長屋を改修して、
2016年4月に誕生した地域拠点型シェアハウスです
(詳しくはこちらの記事からご覧ください)。

相変わらず仕事場はCASACOのすぐ横にあり、丘に広がる住宅地での生活を楽しみ、
そして自分たちで設計した建築の日常を傍らで見守りながら、
建築設計の活動に勤しんでいます。

今回は、神奈川県の真鶴半島で空き家を改修したプロジェクト
〈真鶴出版2号店〉についてご紹介したいと思います。
というのも、このプロジェクトは『コロカル』の記事をきっかけに始まったのです。

(撮影:小川重雄)

(撮影:小川重雄)

『コロカル』を通し、“スナック”で出会う

東ヶ丘での活動はCASACOにとどまらず、
事務所から歩ける範囲でプロジェクトは連鎖しています。
そのひとつに、大きな庭のある空き家を美容室とカフェに改修したプロジェクト
〈WAEN dining & hairsalon〉があります。
あたかも、地形的な単位である“丘”を、自分たちの活動の“フィールド”にすることに、
建築設計者としての喜びを感じていました。

一方で、その“町医者”的に限定された環境にとどまることで、
この先どう展開していくのかという悩みも感じていました。

CASACOと同じ東ヶ丘で2作目の〈WAEN dining & hairsalon〉。大きな庭がある環境を生かしている。

CASACOと同じ東ヶ丘で2作目の〈WAEN dining & hairsalon〉。大きな庭がある環境を生かしている。(撮影:大高隆)

そんななか、CASACOで定期的に「スナックtomito」という会を開いていました。
1階のスペースを借りて、週末の夜にSNSなどで呼びかけをして、
30人くらいの人たちが集まって一緒にごはんとお酒を楽しむ会です。
私たちの知り合いが半分くらい、周辺住民の方が半分くらい。
最後は同じテーブルを共有してごちゃ混ぜになっている風景を、
毎回不思議な気持ちで眺めていました。

そこに〈真鶴出版〉のふたり(川口瞬さんと來住友美さん)が
遊びに来てくれたことをきっかけに、プロジェクトが始まりました。

スナックtomito「三浦展によるQUESTION 66-73」には総勢40名近くの人が集まった。

スナックtomito「三浦展によるQUESTION 66-73」には総勢40名近くの人が集まった。

コロカルでとても人気の特集「真鶴半島イトナミ美術館」の一読者であった私は、
真鶴出版の活動にもともと興味をもっていました。
「真鶴」という地名は、建築やまちづくり関係者にとって、
どこか魅惑的な響きを持っており(その理由については後ほど)、
そこで生まれている新しい暮らしと仕事の姿を垣間見て、
同世代として共感していたのでした。

ところで、真鶴出版のふたりがなぜスナックtomitoに遊びに来てくれたのか。
聞くと彼らも、コロカルの記事を通じて私たちに興味を持ってくれたようです。

「2号店をつくろうと思っています」

真鶴出版(こちらの記事に詳しいのでぜひ読んでください)は
「泊まれる出版社」をコンセプトに、
真鶴に移住した夫婦が2015年から始めた活動です。
まちの魅力を暮らしの中で再発見し、オリジナルの本やウェブの記事、
まちの広報物などというかたちで広めていく“出版”と、
真鶴に興味を持った人の窓口や受け皿となるような“宿”の両輪からなっています。

左から真鶴出版の川口瞬さんと來住友美さん、トミトアーキテクチャの冨永美保、伊藤孝仁。プロジェクトのスタートを記念し、改修する空き家の前で。

左から真鶴出版の川口瞬さんと來住(きし)友美さん、トミトアーキテクチャの冨永美保、伊藤孝仁。プロジェクトのスタートを記念し、改修する空き家の前で。

1号店の玄関に置かれていた真鶴出版による出版物。(撮影:MOTOKO)

1号店の玄関に置かれていた真鶴出版による出版物。(撮影:MOTOKO)

自宅兼オフィス兼宿であった1号店(現在の自宅)の前にある空き家を改修して、
そこを新しい拠点(2号店)にしたい。私たちにその建築設計を依頼したい。
そんな相談を、お酒を飲みながらラフに話すことができ、
近々真鶴に遊びに行くことを約束しました。

川口さんと來住さんが建築設計事務所に仕事を依頼するのはもちろん初めて。
どのようにコンタクトを取るべきか、断られてしまうのでは……と、
とても不安に感じていたなか、その事務所が開く“スナック”は、
気軽に行くことができたとふたりは振り返っています。
私たちにとっても、自分たちの仕事を知っていただいたうえで
依頼を受けた初めての経験でした。

500人ほどが暮らす“丘”の中で設計活動を展開していた私たちにとって、
7300人ほどが暮らす“半島”という地形からなる環境単位は、
まるで新しいフィールドに出会うような気持ちでした。
横浜から真鶴へ向かう1時間ほどの東海道線の車内では興奮がおさまりませんでした。

“二足のわらじ”スタイルで行こう。
鎌倉〈邦栄堂製麺〉3代目・関 康さん
の肩肘張らない家業の継ぎ方

鎌倉から考えるローカルの未来

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

〈邦栄堂製麺〉は鎌倉・大町エリアの外れにある。鎌倉駅からは徒歩20分程度、車を数分走らせれば、すぐに隣の逗子市に入る場所だ。

〈邦栄堂製麺〉は鎌倉・大町エリアの外れにある。鎌倉駅からは徒歩20分程度、車を数分走らせれば、すぐに隣の逗子市に入る場所だ。

二足のわらじで家業を営むクラフトマン

歴史ある鎌倉のまちには、昔ながらのスタイルで商いを営む
家族経営の飲食店や老舗の商店などが点在している。
しかし、時代とともに人々のライフスタイルが変化するなか、
商売を変わらずに維持していくことは簡単ではないだろうし、
地域に愛されながらも後継者に恵まれず、
閉店や廃業に追い込まれてしまうケースも少なくない。

当たり前のようにそこにあった風景や、ひいきのお店が
まちから消えてしまうことは住民にとっては寂しい限りだが、
代々続いてきた商売や技術を次代につないでいくことが
周囲から求められる老舗店の跡取りたちの立場になってみると、
そこにはさまざまな葛藤や重圧があることは想像に難くない。

邦栄堂製麺の3代目・関 康さん。取材で訪れたときは、餃子の皮をつくっている最中だった。

邦栄堂製麺の3代目・関 康さん。取材で訪れたときは、餃子の皮をつくっている最中だった。

事業承継か? 廃業か? 
代々事業を営んできた家にとって、必ず直面するであろうこの問いに対して、
ユニークなかたちで答えを出しているのが、
住宅地と商店街、寺社仏閣などが共存する鎌倉・大町エリアで、
1953年に創業した〈邦栄堂製麺〉の3代目・関 康さんだ。

2011年に代表となり、正式に家業を継いだ関さんは、
40年前の機械と昔ながらの製法で、
地域の飲食店や住民に愛用される麺づくりに取り組む傍ら、
学生時代に始めた家具づくりをいまも続け、
“二足のわらじ”スタイルで製麺所を切り盛りしている。

変わらないことが求められる製麺と、つくり手の個性が問われる家具づくり。
伝統と革新。匿名性と作家性。ライフワークと“ライス”ワーク。
相反するさまざまな要素を持つふたつの仕事を行き来しながら、
自然体でものづくりと向かい合うクラフトマンのもとを訪ねた。

アメリカのマーケットはどんな感じ?
毎日の暮らしの中にある、
ファーマーズマーケットへ

アメリカ西海岸の旅で、ファーマーズマーケットめぐり

少し時間が経ってしまいましたが、あけましておめでとうございます。
今年も「小豆島日記」をどうぞよろしくお願いいたします。

この冬休みに15日間、アメリカの西海岸に行ってきました。
オレゴン州のポートランドから始まり、カリフォルニア州のサンノゼ、
バークレー、オークランド、サンフランシスコ、そしてロサンゼルスへ。
各地の農園やファーマーズマーケット、お店などをめぐりました。

この15日間、たくさんのものを見て、いろんな人に会い、
まだ頭の中はごちゃごちゃです。
少しずつ整理して、良かったなと感じたものは、
私たちの日々の暮らし、働き方にとり入れていきたいなと思っています。

今回は、私たちの旅の目的のひとつでもあった
ファーマーズマーケットのことについて書きます。

毎週土曜日にポートランド州立大学内で開催されるポートランド・ファーマーズマーケット。

毎週土曜日にポートランド州立大学内で開催されるポートランド・ファーマーズマーケット。

野菜を買いに来ていたすてきな女性。

野菜を買いに来ていたすてきな女性。

野菜はほとんどが量り売り。

野菜はほとんどが量り売り。

日本でも各地でファーマーズマーケット、マルシェ、市(いち)などと
呼ばれるイベントが開かれていて、生産者が消費者へ直接販売できます。
毎週開催されているもの、年に1、2回だけお祭り的に開催されるものなどさまざま。
私たちもときどき参加して、野菜やシロップなどの加工品を販売しています。

いつも感じていたのは、イベントで野菜を販売しても
ほとんど利益が出ないということ。

島外でのイベントとなると、船に車を乗せて移動する場合、
それだけでかなり高額な交通費がかかってしまいます。
それから人件費。出店するための準備から販売まで含めるとかなりの時間を使います。
そして野菜はたくさん売っても単価が低いため大きな売り上げにならない
(これは私たちの価格設定が問題なのかもしれませんが)。

だから、いつもそういう場での出店は、宣伝、新たなつながりをつくること、
その時間を楽しむことが目的だと考えていて、
あまり儲けようとは思っていませんでした。

アメリカでのファーマーズマーケットはどんなだろう? 
日本と同じような感じなんだろうか。
今回は、ポートランドとロサンゼルスのファーマーズマーケットに行ってきました。

もうとにかくそのすてきな雰囲気に魅了されてしまって、
わーっとなりながら歩いてました。
自分たちが育てている野菜と同じ野菜もたくさん並んでいたし、
逆に知らない野菜も。それからおいしそうなお菓子も、きれいな花も。
たくさんのお店が並んでいて、たくさんの人がマーケットを楽しんでいました。

Mio's Delectablesさんは大人気でたくさんの人がケーキを見ていました。

Mio's Delectablesさんは大人気でたくさんの人がケーキを見ていました。

花束がとてもすてきで思わず買って帰りたくなりました。

花束がとてもすてきで思わず買って帰りたくなりました。

加工品もいろいろありました。これはピスタチオバター! 味見したけどとてもおいしかった。

加工品もいろいろありました。これはピスタチオバター! 味見したけどとてもおいしかった。

熊本県で行われる個性的な古本市
〈マルシェ・リーブル〉と
〈大山鹿古本市〉

熊本市の〈マルシェ・リーブル〉に〈ひなた文庫〉も出店

私たち〈ひなた文庫〉は普段は南阿蘇鉄道の駅舎で古本屋を営業していますが、
1年のうち何度かはイベント出店というかたちで県内外で営業することも。
今回は少し足を延ばして、熊本市内で昨年から始まった古本市、
そして熊本県山鹿市で今年の1月に行われる古本市のふたつについてお話しします。

まずは熊本市内の上通アーケードで、昨年の春5月と冬12月に開催された
〈マルシェ・リーブル〉という古本市の様子から。
会場となるのは、熊本の方なら誰もが一度は食べたことのある、
郷土の中華料理「太平燕(タイピイエン)」でも有名な〈紅蘭亭〉と
老舗の洋菓子店〈Swiss(スイス)〉の店舗のある
〈パビリオン・ガーデン〉という広場です。

パビリオン・ガーデンへと続く道に古本屋が出店しています。

パビリオン・ガーデンへと続く道に古本屋が出店しています。

この場所では定期的に〈マルシェ・ノワール〉という夜市も開催されています。
その主催者である紅蘭亭ご主人の本好きが高じて、
同商店街で老舗の古本屋を営む〈舒文堂河島書店〉の河島康之さんと話が広がり、
マルシェ・ノワールの本屋版をやってみようと始まったのが
マルシェ・リーブルのきっかけだそうです。

老舗の古本屋〈舒文堂河島書店〉も出店。

老舗の古本屋〈舒文堂河島書店〉も出店。古書のほかに書画などもあり、さすがの品揃えです。

ひなた文庫が出店したのは第2回目の冬のマルシェ・リーブルです。
12月にもかかわらず何十年ぶりかの夏日を記録した前週から一転、
真冬の寒さが戻ったこの日は外へ出かける人は少ないように思えたのですが、
クリスマス前ということもあり活気のある上通アーケード。

今回参加した本屋は、熊本市の古本屋舒文堂河島書店、
〈タケシマ文庫〉、〈mychiairbooks〉の3店舗と
出張絵本屋〈モフbooks〉、それとひなた文庫の5店です。

熊本市の〈タケシマ文庫〉。

熊本市の〈タケシマ文庫〉。幅広いジャンルの本が並べられ眺めるだけでも楽しくなります。

タケシマ文庫とmychiairbooksのおふたりは私たちと同い年で開業した年も近く、
この世代は古本屋の当たり年だね、と大先輩の古本屋さんから言われたりしています。
さらにモフbooksの吉田美樹さんは夏のイベント〈本屋ミッドナイト〉
朗読でお世話になった方で、今回は知り合いの方ばかり!

熊本市の上乃裏通りにある〈mychiairbooks〉も。

熊本市の上乃裏通りにある〈mychiairbooks〉も。新刊も販売されていて厳選された本の中にセンスが光ります。

出店の準備は9時頃から行われ、11時にオープン。
本の搬入は車やカートで行われ、近くの本屋さんは
カートに大量の本を乗せていらっしゃいます。

アーケード街は車での搬入・搬出が大変なため、
私たちも今後のためにとカートを新調しました。
カートは夫の手づくりで、夏のイベントや小屋の廃材を再利用。
りんご箱2箱がきっちり入って、出店時はレジカウンターにも使える
すぐれものができました。

自作したカウンター兼台車。

自作したカウンター兼台車。

それぞれの店舗がお客さんの目を引くように趣向を凝らした並べ方で設営していきます。
お客さんは、紅蘭亭やスイスにいらっしゃった方や、
ふらっと本が並んでいる様子に気づいて入って来られる方、
日頃のそれぞれの店舗の常連さんなど。

お昼を過ぎた頃からだんだんと客足が増え、それぞれの店舗を周回する流れが。
吟味され手にとられた古本は新しい住まいへと旅立ってゆきます。
大学生や家族連れ、そしてご年配のお客さんまで。
さらにはたまたま市内のクリスマスマーケットへ訪れていた
南阿蘇の友人一家も帰りに寄り道してくれたり。

出張絵本屋の〈モフbooks〉。

出張絵本屋の〈モフbooks〉。どんな絵本を探しているか店主の吉田さんに言うとお勧めの本をたくさん紹介してもらえますよ!

古本市に参加するときはどんな本をどれくらい持って行くか、とっても悩みます。
販売する場所やお客さんの層などいろいろと考慮して持っていきますが、
当日を迎えてみるまではどんな本が売れるかわかりません。
思い通りに売れないことも、予想以上に好評なときも。

それでも、こうやって普段はなかなか会えない店主の方たちと話したり
持ってこられた本の選書を見るのはとても刺激になります。
また次回も参加したいと思う古本市でした。

最後に出店者みんなで記念撮影をしました。(撮影:畠山浩史)

最後に出店者みんなで記念撮影をしました。(撮影:畠山浩史)

下川町でエッセンシャルオイルをつくる
〈フプの森〉が山を買った理由とは?

森の香りのするトドマツで精油をつくる

2016年に山を買って2年が過ぎた。
山に友人たちとみんなで住めるような家をゆくゆくは建てたいという、
ぼんやりとした夢はあるものの、電気や水道をどうするのか、
冬の除雪はどうするのかなど懸案事項が多く、前には進んでいない。

唯一、わたしが行ったのは、総面積の12パーセントほどの部分に、
業者の方にお願いして植林をしてもらったことくらい。
特に今年は第三子がまだ小さいこともあって、なかなか山に行けず、
これといって何もしないまま時が過ぎている。

山を持っている人は、いったいどんな使い方をしているのだろう?
この場に住むというプラン以外にも、山の活用方法はあるはずだ。
そんな疑問を抱いて情報を集めていたときに、
北海道下川町の取り組みを知ることとなった。

北海道の北部に位置し、面積の約9割が森林という下川町では、
木質バイオマスエネルギーを積極的に利用したまちづくりが行われ、
全国からも注目を集めている。

ほかにも森林資源を活用しようとするさまざまな取り組みがあり、
特にわたしが興味を持ったのは、北海道を代表する樹種のひとつ、
トドマツから精油を抽出し、エッセンシャルオイルなどを製造している
〈フプの森〉の活動だ。

トドマツの葉から生まれたエッセンシャルオイルやルームスプレー。

トドマツの葉から生まれたエッセンシャルオイルやルームスプレー。

ハンドクリームやボディオイル、キャンドルなど、森を感じる暮らしを体感してほしいとつくられた〈NALUQ〉シリーズ。

ハンドクリームやボディオイル、キャンドルなど、森を感じる暮らしを体感してほしいとつくられた〈NALUQ〉シリーズ。

わたしの住む岩見沢市から下川町までは車で約3時間ということもあって、
なかなか行くチャンスがなかったのだが、
昨年の10月、ようやく〈フプの森〉のみなさんのもとを訪ねることができた。

お話をうかがったのは、この会社の代表取締役の田邊真理恵さんと
取締役の亀山範子さん。
1名の従業員とともに下川各地の森林に入り、
伐採を行ったときに出るトドマツの葉を採取し、それを釜で蒸して
精油と蒸留水をつくって、さまざまな製品を生み出している。

右から亀山範子さん、田邊真理恵さん、スタッフの安松谷千世さん。

右から亀山範子さん、田邊真理恵さん、スタッフの安松谷千世さん。

「フプ」とはアイヌ語で「トドマツ」という意味。
この木は国内の針葉樹の中でも、葉から精油が最もとれる樹種だそうで、
さわやかな森の香りがするのが特徴だ。

トドマツはもみの木の仲間。部屋に香りが広がると、森の中にいるようなリラックスした気持ちになれる。田邊さんはこの香りが大好きだそうで、モミエ社長と呼ばれている。

トドマツはもみの木の仲間。部屋に香りが広がると、森の中にいるようなリラックスした気持ちになれる。田邊さんはこの香りが大好きだそうで、モミエ社長と呼ばれている。

このトドマツの精油を使った事業の始まりは2000年。
下川町森林組合が事業化し、2008年にはNPO法人〈森の生活〉が引き継ぎ、
2012年にフプの森として独立した。会社設立に集まったのは、
10年以上続けてきたこの事業の歴代の担当者4名だった。

「集まったのは奇跡のタイミング」と田邊真理恵さんが語るように、
NPO時代から精油事業に関わっていた田邊さん以外のメンバーは、
一時下川を離れて別の仕事に就くなどしていたが、見えない力に動かされるようにして
2012年に再びこの地に集結し会社がスタートしたという。

田邊さんと亀山さんとともに会社設立メンバーとなったのは、
田邊さんの夫の大輔さんと、フリーの林業家としても活動を続ける陣内雄さん。
ふたりはアドバイザーとして、フプの森を支える存在となっている。

水蒸気でじっくり2時間かけて蒸留する。

水蒸気でじっくり2時間かけて蒸留する。

和装を楽しむ〈おきがえ処 KIPPO〉と
間口わずか1間半の町家オフィス。
射水市新湊内川の新たな可能性とは?

マチザイノオトvol.6

こんにちは、グリーンノートレーベル(株)の明石博之です。

今回は、富山県に来てから初めて身内以外の人から
お仕事として場づくりのプロデュースを依頼された、
記念すべきふたつのプロジェクトをご紹介します。

暮らす土地で、仕事とまちづくりがしたい

東京時代にまちづくりのコンサルタントをしている頃、いつかは地方に移住して、
まちづくりに貢献できる「プレイヤー」になりたいと思っていました。
暮らす地域で仕事をして、そのまちに貢献できる事業をするのが、
私の理想的な生き方です。

いまでは大好きになった新湊内川に〈カフェuchikawa六角堂〉ができて、
それから事業拠点となるオフィス〈ma.ba.lab.〉ができて、
ついに富山市から新湊に住まいを移したことで、
かねてからの夢が現実のものとなりました。

ついに、人様のプロジェクトを手伝うことに

vol.5でご紹介した〈小さなキッチン&雑貨Lupe〉は、
新湊内川に拠点を持ったからこそできたプロジェクトでした。
同時に、思いつきや気まぐれでなく、私たちがビジョンを持って活動していることが、
なんとなく地域のみなさんにも理解してもらいつつあるような気がしていました。

内川が大好きな〈川口貸衣裳店〉の川口貴巳さん。

内川が大好きな〈川口貸衣裳店〉の川口貴巳さん。

そんな2016年の春、と言ってもまだ雪が残る季節。
小さなキッチン&雑貨Lupeのリノベ計画を思いついたちょっと前の話です。

「内川沿いにお店やオフィスをつくりたいという人、誰かいないかなぁ」
と思っていた矢先に、地域行事の委員会でお会いする方から相談を受けました。
その方は、地元で3代続く貸衣装店を営む川口貴巳さん。

多くの人でにぎわう地域イベント〈内川十楽の市〉。

多くの人でにぎわう地域イベント〈内川十楽の市〉。

川口さんは、地元でまちづくりに取り組んでいる
NPO〈水辺のまち新湊〉さんが主催している夏のイベント〈内川十楽の市〉に
毎年参加していて、来場した人に着物や浴衣をレンタルして、
和装姿でイベントを楽しんでもらおうという企画をしていました。

あくまでも年1回のイベントでやっている企画でしたが、川口さんは次第に
「内川の活性化のために、和装姿で散策を楽しめる拠点をつくりたい」
と考えるようになったそうです。

空き家になった商店街通りの店舗兼住宅(内川側)。

空き家になった商店街通りの店舗兼住宅(内川側)。

その拠点となる物件はすでに決まっていて、商店街に面した古い町家でした。
かつては洋品店を営んでいた住居兼店舗で、
住居の入り口が商店街の裏手にある内川に面していました。

商店街と内川に挟まれた町家。

商店街と内川に挟まれた町家。

中庭を挟んで、店舗と住居に分かれている。

中庭を挟んで、店舗と住居に分かれている。

この商店街通りにある店のほとんどは、同じような建物の造りをしています。
町家の中庭から半分は商店の造り、あとの半分は居住空間となっていて、
生活の出入りは内川側を利用している場合が少なくありません。

住居側の和室(内川側)。

住居側の和室(内川側)。

洋装店だった店舗(商店街側)。

洋装店だった店舗(商店街側)。

物件の持ち主さんは県外に住んでいて、2階の一部だけを親戚の方に貸していました。
1階部分は利用されないままで、水回りを中心に床や壁の傷みが激しくなっていました。

川口さんは、利用されていない1階部分を借りて、
和装に着替えてまち歩きをするための拠点づくりをしようと考えました。

水回りの壁と床は、湿気でダメージが大きい。

水回りの壁と床は、湿気でダメージが大きい。

富山市八尾に体験型宿泊施設を。
〈越中八尾ベース OYATSU〉
若女将、原井紗友里さん

仕事柄、国内外の観光地を繰り返し歩いているが、
富山県の八尾(やつお)ほど過小評価されている土地は、少ないと思う。
八尾自体の知名度が高くないうえに、知っている人であっても、
八尾は「毎年9月1~3日に開催される〈越中八尾 おわら風の盆〉のまち」
との認識で終わっているはずだ。

「おわら」とは「おわらまつり」の略称で、秋の季語にもなっている。
まちの若い男女が三味線や胡弓などに合わせて踊り歩く
豊年祈念の行事であり郷土芸能だ。
おわらまつりの3日間で八尾には人口の100倍近い20万人以上の人が訪れる。
一転して普段は一部のイベント開催時を除いて閑散としている様子を見れば、
まちの世間的な評価はおおよそ察しがつく。

しかし、八尾は極端な言い方をすれば、
1年のうち9月1~3日を除く362日が実にいい。
その美しいまちを祭りだけで終わらせず、通年で盛り上げようと、
八尾で体験型宿泊施設を立ち上げた女性がいる。

本人の名刺に印字された通りに記せば、
〈株式会社オズリンクス〉の代表取締役「女将」、原井紗友里さんだ。
今回はその原井さんの挑戦を紹介したい。

風情あるまちに誕生した観光拠点

そもそも八尾という土地は、富山県の県庁所在地である富山市のほぼ外縁部にある。
県内最大のターミナルステーションである富山駅から
JR高山線が岐阜県高山市方面に延びており、その沿線に越中八尾駅がある。
富山駅から越中八尾駅は普通列車で30分ほど。
さらに駅から徒歩25分ほどの高台に、「八尾」と言われる古いまち並みが広がる。

浄土真宗本願寺派の聞名寺(もんみょうじ)。

浄土真宗本願寺派の聞名寺(もんみょうじ)。

井田川と八尾丘陵に挟まれる河岸段丘で、
江戸から明治に絶頂を迎えた聞名寺の門前町・八尾は、
まち全体が地形と地形の境界(エッジ)にあるため、高低差に富み、
景観の変化が豊かだ。街路も丁字路や鍵状路が多く、散策が実に楽しい。

家並みも完全ではないが修景が進んでおり、車の速度では確実に見落とすが、
徒歩でこそ気づく味わい深い路地や狭路があちらこちらに延びていて、
旅情を大いにかきたててくれる。
平日でも夜になれば、祭りに向けて稽古をする人たちの胡弓(こきゅう)や
三味線の音色が民家からもれ聞こえてくる。風情が極まる瞬間だ。

この八尾の魅力を伝えるべく、体験型宿泊施設
〈越中八尾ベース OYATSU〉を立ち上げた「若女将」が、原井紗友里さんだ。

〈越中八尾ベース OYATSU〉。旧商家を生かした八尾の観光拠点。

〈越中八尾ベース OYATSU〉。旧商家を生かした八尾の観光拠点。

富山市出身の原井さんは、ユニークな経歴を持つ。
東京学芸大学に進学後、中国の青島にある日本人学校で4年間、教師を務めた。
帰国後は中国と富山をつなげる仕事がしたいと、
中国にも拠点を持つ県内の経営コンサルティング会社に入社する。

しかし、久々に帰ってきた富山は原井さんの目にとても美しく見えたそうで、
その良さが本当に「旅の人」たちに伝わっているのか疑問に感じ、
自分でも何かを始めたいと考えるようになった。
そこで1年間の就労を経てコンサルティング会社を退職し、
〈とやま観光未来創造塾〉グローバルコースの門を叩いた。

同コースは県内で外国人旅行者向けにツーリズム事業を立ち上げたいと考える人材に、
県が教育と訓練の機会を提供する場だ。
入塾に際して、希望者には厳格な選考が行われる。
原井さんは1期生として狭き門に合格し、半年間の集中的な教育と訓練を受け、
2016年に八尾の地で観光拠点を立ち上げた。

小豆島暮らし7年目、
緩やかに変わっていく人生のステージ

小豆島を飛び出して、アメリカ西海岸の文化を体感する旅へ

いまアメリカへ向かう飛行機の中でこの文章を書いています。
実に12年ぶりの海外。

最後に訪れたのは2006年の年末、メキシコ。
もうパスポートの期限はとっくに切れていたし、
飛行機の予約の仕方も忘れてしまっていたし
(というか12年も経っていたらいろいろ変わってる)、
よしアメリカに行こう! と思いたって1年くらいかけて準備してきました(笑)。

12年前、私たちは夫婦ふたりで名古屋で暮らしていて、会社員として働いていました。
メキシコから帰ってきてしばらくして、娘が生まれ、
子育てをしながら働き、その働き方や生き方に違和感を感じ、
えいやっと仕事を辞めて小豆島に引っ越したのが6年前。

書いてしまうとすらっと終わってしまいますが、
当時生き方についてはけっこう長いこと悶々と考え続けていて、
自分自身が病気をしたこともきっかけとなり、
30代前半で小豆島への移住を決めました。

12月の畑は緑や紫の葉物野菜がわさわさしていてとても美しい。

12月の畑は緑や紫の葉物野菜がわさわさしていてとても美しい。

冬の野菜たち。超巨大に育った大根がおいしい。

冬の野菜たち。超巨大に育った大根がおいしい。

小豆島に引っ越してきてからのことは、
この「小豆島日記」でずっと書き続けてきたとおりです。
家を直し、農業を始め、自宅の一部をカフェとしてオープンし、
自分たちが育てた生姜や柑橘でシロップやポン酢などの加工品を製造し、販売。
日々いっぱいいっぱいで、あっという間に月日が流れていきました。

毎年年末に開催される地元の収穫祭。野菜やシロップなどを販売しました。

毎年年末に開催される地元の収穫祭。野菜やシロップなどを販売しました。

野菜を販売するかたわらで、ハンドドリップコーヒーも淹れます。

野菜を販売するかたわらで、ハンドドリップコーヒーも淹れます。

少しずつ畑が大きくなり、製造する加工品の量も多くなり、
2年前くらいから畑やカフェを手伝いにきてくれる仲間が増えました。
常時勤務の社員はいませんが、週3日畑を手伝ってくれるメンバーがふたり、
週1日のカフェメンバーがふたり、
週に1回野菜と交換で畑を手伝ってくれてる友人もいます。
たくちゃん(夫)とふたりで始めた〈HOMEMAKERS〉はだいぶ賑やかになりました。

いつも手伝ってくれてる仲間に加えて、生姜の収穫加工作業はたくさんの友人たちが手伝ってくれました。

いつも手伝ってくれてる仲間に加えて、生姜の収穫加工作業はたくさんの友人たちが手伝ってくれました。

作業の合間のお昼ごはん。11月は暖かかったので、庭にテーブルを並べて食べました。

作業の合間のお昼ごはん。11月は暖かかったので、庭にテーブルを並べて食べました。

建築家として、“里の公共員”として。
リノベーションだけでない
多角的な空き家活用

blueto建築士事務所 vol.7

2018年6月からスタートした連載も今回で最終回です。
半年にわたり、ご愛読いただきありがとうございました。

今回は、現在挑戦している「里の公共員」という取り組みと、
〈blueto建築士事務所〉の新オフィスのリノベーション、
そしてbluetoの今後のビジョンについてお話しします。

“半公半民”がコンセプト「里の公共員」

建築設計の傍ら、2018年1月より京丹後市大宮町三重・森本地区内で、
「里の公共員」という仕事をしています。

里の公共員とは、少子高齢化、過疎化の進行といった
地域の課題解決や農山漁村再生活動、ローカルビジネスを支援するため、
地域住民や団体と協働しながら長期的に活動する公共的な役割です。

そのコンセプトは、“半公半民”。
地域と関わりを持ち、自らの仕事を持ちながら取り組むということが、
里の公共員のひとつの条件となっています。

つまり僕の場合は、“民”として、空き家の活用やリノベーションといった
blueto建築士事務所の活動をしながら、
“公”の部分で、三重・森本地区の一員となって、地域内にある空き家活用と
移住者の受け入れといった地域活動の支援をしています。

大宮町三重・森本地区にて。

大宮町三重・森本地区にて。

大宮町三重・森本地区は、京都市内と京丹後市をつなぐ、
京都縦貫自動車道の京丹後大宮インターチェンジの付近にあり、
京丹後市の玄関口に位置します。田んぼと川と山に囲まれた地域で、
自然豊かなゆっくりとした時間が流れる地域です。

大宮町三重・森本地区の人口は500名強で、三重森本まちづくり計画などに
地域住民のみなさん自らが参画しています。
京丹後市の中でも移住や空き家活用の取り組みにおいて、非常に積極的な地域であり、
京都府知事が指定する「移住促進特別区域」になっています。

その中で重点を置いているのが、地域全体の空き家を活用して、
移住を促進することです。

少子高齢化が進み、京丹後市の高齢化率は約35%(平成29年統計データによる)です。
自治体の維持自体が困難な地区も出始めており、そのような地域では
空き家が多く存在し、人が寄りつきにくくになっていきます。

地域の衰退は加速度的に進んでいますが、そのような状況を受け入れて、
人口が減っても地方での暮らしが楽しく、
自分らしく生きていけたらいいと僕は思っています。

人口を無理に増やすのではなく、
ひとりひとりが理想の暮らしを実現できる場所をつくり上げることを
里の公共員のミッションとして活動しており、
それはblueto建築士事務所のコンセプト
「暮らしのリノベーション」と同じだと思っています。

駅のお隣さんの新しい家族、
将来の名物駅長候補(?)現る

ごはん処〈きしゃぽっぽ〉に現れた、新しい仲間

11月のはじめ、古本屋〈ひなた文庫〉の営業のため
いつもの南阿蘇鉄道の駅舎に到着すると、
駅の階段脇に植えてある紅葉の木に2匹のヤギがつながれていました。

どこか近くの方が散歩をさせにきたのか? 
いままで近所でヤギを見たことはなかったけれど……と不思議に思って近づいてみると、
「さっき連れてきたのよー。かわいいでしょう」
駅の隣のごはん処〈きしゃぽっぽ〉の奥さんが声をかけてきてくれました。

「渡邊さんのところで飼い始めたんですか!?」と驚いて聞いてみると、
ご主人もお店から出てきてふたりでうんうんと頷くではありませんか。

南阿蘇水の生まれる里白水高原駅の隣にある〈きしゃぽっぽ〉。

南阿蘇水の生まれる里白水高原駅の隣にある〈きしゃぽっぽ〉。

ふたりの話を聞いてみると、田んぼや畦道の草も食べてくれるし、
駅に来たお客さんが喜んでくれたらいいなと思って、
ずっと前からお客さんなどにヤギを飼いたいと話していたのだとか。
するとちょうど隣町でヤギを飼っている方が
引っ越しをしてもう飼えなくなるからと数日前に連絡があり、
その日譲ってもらったのだそうです。

「ずっとヤギは飼いたいと周りに言ってはいたんだけど、
こんなに急には来るとは思わなかったよ」とおふたりも少し困惑気味。
ヤギたちもいきなり知らない場所に連れて来られ少し不安そうです。

駅の隣のごはん処きしゃぽっぽは、
私たちが南阿蘇鉄道の「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」で営業を始めた
2015年5月、偶然同じ時期に営業を始めたごはん屋さんです。
駅のすぐ横に店舗と住居があり、
ご主人の渡邊重行さんと奥さんのふたりで営まれています。

私たちが開業準備を進めるなかで、隣の店舗もふたりで開業準備をされていて、
自然と仲良くなりました。

渡邊さんご夫婦。

渡邊さんご夫婦。

ご主人は東京の飲食店で和食の料理人として20年勤務されたあと、
熊本市内のホテルで料理人として20年働かれて、
地元の南阿蘇に戻ってお店を始められました。
お米は店舗のすぐ近くの田んぼでつくられた自家栽培のもの、
野菜もできる限りご自身でつくられたものを提供されています。

お昼はわざわざ遠方からもお客さんが食べに来られる定食屋さん、
夜は地元の方が集まる居酒屋さんになります。
私もひなた文庫の営業日には定食を頼んで、
特別に店内ではなく駅で店番をしながらいただくことも。

きしゃぽっぽのボリューム満点ホルモン煮込み定食。

きしゃぽっぽのボリューム満点ホルモン煮込み定食。

私たちが古本屋を営業しない平日などは駅を見守ってくれ、
駅でのイベントの際も、準備や炊き出しなど一緒になって手伝ってくださる
心強いおふたりです。

夏のイベントで流しそうめんの準備を手伝ってくれる渡邊さん。

夏のイベントで流しそうめんの準備を手伝ってくれる渡邊さん。

北海道に自由な小学校をつくりたい。
活動を続ける人たちの輪が、
いま大きく広がって

宿題もない、試験もない、学年の壁もない学校!?

息子の通う岩見沢の山あいにある小さな小学校が今年度いっぱいで閉校となり、
近隣の学校への統廃合が決まった。
当たり前だと思っていたものが地域から消えること。
それは、学校という存在について、あらためて考える機会を与えてくれた。

閉校についての想いは以前の連載で書いた。
子どもたちにとって、現在より人数の多い学校に行くことは、
きっと友だちが増えて、新しい発見や楽しみにつながるはずだ。

一方、学校がなくなることは地域にとって、どんな影響があるのだろう? 
にぎわいを失った校舎は、このままどうなっていくのだろうか? 
閉校の話題でよく聞かれる「寂しくなるね」という声に、
わたしはモヤモヤとした想いを感じずにはいられなかった。
閉校は仕方のないことだとしても、残された校舎を、
いままで以上に人が集う場所にする方法はないのだろうか?

そんなことを考えていたとき〈北海道に自由な小学校をつくる会〉の存在を知った。
SNSで、この会の説明会が2018年5月に札幌で開催されるという告知を見つけ、
「学校ってどうやったらつくれるのだろう。校舎の活用方法のアイデアが見つかるかも」
と興味がわき、参加してみることにした。

自由な小学校をつくるための説明会。札幌にあるスミタスビルの会議室で開催された。

自由な小学校をつくるための説明会。札幌にあるスミタスビルの会議室で開催された。

会場には30名ほどの参加者がつめかけていた。
どんな小学校をつくりたいのかという話をしてくれたのは、
この会の中心メンバーのひとりであり、
札幌にある養護学校の教員でもある細田孝哉さん。

会の母体は、1980年代から活動し、現在認定NPO法人となった
〈北海道自由が丘学園・ともに人間教育をすすめる会〉。
新しい教育提案とその実現を目指そうとする組織で、
これまでフリースクールの運営を続けており、
そこで培った経験を生かした自由な小学校をつくろうとしているという。

〈北海道に自由な小学校をつくる会〉の中心メンバー。左が細田孝哉さん。右はフリースクール〈月寒スクール〉を運営する北海道自由が丘学園の代表理事の吉野正敏さん。細田さんとともに学校づくりに奔走している。

〈北海道に自由な小学校をつくる会〉の中心メンバー。左が細田孝哉さん。右はフリースクール〈月寒スクール〉を運営する北海道自由が丘学園の代表理事の吉野正敏さん。細田さんとともに学校づくりに奔走している。

モデルとなるのは、和歌山県の山あいにある〈きのくに子どもの村学園〉。
この学園には、宿題も試験も学年の壁もなく、先生とは呼ばれる大人もいないという
(大人は「○○さん」やニックネームで呼ばれている)。
1992年より私立小学校がスタートし、その後、中学校や国際高等専修学校も誕生。
現在では、福井や山梨などにも同じ方針をもとにつくられた学校がある。

〈きのくに子どもの村学園〉

〈きのくに子どもの村学園〉

基本方針となるのは、子どもが自ら決めること。
ひとりひとりの違いや興味を大事にすること。
体験や生活を通して学習すること。

特徴的な取り組みは「プロジェクト」という、小学校では週14時間とられている授業。
木工・園芸や劇団、農業、食の研究など、さまざまなプロジェクトがあり、
子どもたちは1年を通じて自分が何を学びたいのかを選択。
大人はサポート役となり、子どもたちの自主性を尊重してプロジェクトは進められる。

この学園をたびたび見学してきた細田さんは、
木工のプロジェクトについて話してくれた。

「敷地には20年ほど前に子どもたちがつくった
20メートルくらいの大きな木製すべり台があります。
設置する場所の傾斜や降りるスピード、安全な角度などを考えて
小学生が自分たちで設計したものです」

すべり台の制作の様子。異学年の子どもたちが協力して制作する。(写真提供:きのくに子どもの村学園)

すべり台の制作の様子。異学年の子どもたちが協力して制作する。(写真提供:きのくに子どもの村学園)

完成したすべり台。20メートルほどの長さがある。(写真提供:きのくに子どもの村学園)

完成したすべり台。20メートルほどの長さがある。(写真提供:きのくに子どもの村学園)

「かず」と「ことば」という基礎学習の時間も設けられ、
プロジェクトと連動した内容もあるそうだ。

「プロジェクトの内容からつくった“かず”のプリントに取り組むなかで、
ある子が三角形の各辺の2乗の数字とにらめっこしているうちに、
『これってひょっとして……』と
ピタゴラスの定理に気づいてしまったということもあったそうです」

鎌倉の“コンピューターおじちゃん”
たちの挑戦。〈カマクラビットラボ〉が
地域の子どもたちに伝えたいこと

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

ものづくり・プログラミング体験講座〈カマクラビットラボ〉が開催されている〈ファブラボ鎌倉〉は、秋田県から移築された酒蔵を改装した実験工房。レーザーカッターや3Dプリンタなどの機材が揃う。

ものづくり・プログラミング体験講座〈カマクラビットラボ〉が開催されている〈ファブラボ鎌倉〉は、秋田県から移築された酒蔵を改装した実験工房。レーザーカッターや3Dプリンタなどの機材が揃う。

リタイア後に見つけた地域との接点

東京から電車で約1時間の距離にある鎌倉は、
多くの人たちが訪れる観光地としてだけでなく、
首都圏の企業に務める会社員たちのベッドタウンとしての側面も持つ。

ライフスタイル/ワークスタイルが多様化している昨今、
この連載で紹介してきた面々のように、
さまざまなかたちで鎌倉のまちと関わるプレイヤーは年々増えているが、
一方、平日は東京や横浜などで忙しく働き、
地域と関わる時間がつくれない市民が多いことも事実だ。

小学生の頃からこのまちで暮らし、今年で66歳になる山本修さんも、
東京のエレクトロニクスメーカーで開発の仕事に携わっていた会社員時代の
およそ30年間は、鎌倉の自宅は寝に帰るだけの場所だったという。

カマクラビットラボでは、全5〜6回の講座を通して、親子で一緒にプログラミングやものづくりを学んでいく。

カマクラビットラボでは、全5〜6回の講座を通して、親子で一緒にプログラミングやものづくりを学んでいく。

そんな山本さんは3年前に退職してから〈ファブラボ鎌倉〉に通い始め、
やがてスタッフとして運営にも関わるようになった。
そして今年、同じくすでにリタイアした鎌倉在住の知人を含む、
20代から60代という幅広い世代のメンバーたちとともに、
親子向けのものづくり・プログラミング体験講座〈カマクラビットラボ〉を立ち上げた。

会社員時代、ほとんど顧みることができなかった地元・鎌倉への恩返しとして、
自らのキャリアを通して培った知識や技術を、
地域の子どもたちに伝えていく場をつくり、
世代を超えたまちのつながりを生み出す活動を始めた山本さんを訪ね、
ファブラボ鎌倉に足を運んだ。

取材時に開催されていたのは、春コースの「入門編」を終えた親子に向けた秋コース「初級編」の最終回。これまでの講座で学んだことをベースに、各自がオリジナル作品の制作に取り組んでいた。

取材時に開催されていたのは、春コースの「入門編」を終えた親子に向けた秋コース「初級編」の最終回。これまでの講座で学んだことをベースに、各自がオリジナル作品の制作に取り組んでいた。

徳島県神山町の
〈フードハブ・プロジェクト〉。
「育てる、つくる、食べる、つなぐ」を
循環させる

「地域で育て、地域で食べる」食の拠点

11月末の日曜日、生姜の収穫加工作業やら玉ねぎの定植やら、
やることてんこ盛りの日々でしたが、
どうしても行きたかった徳島県神山町に行ってきました。
目的は、〈フードハブ・プロジェクト〉の真鍋太一くんに会いに行くこと。

真鍋くんは家族で神山に移住されていて、フードハブ・プロジェクトの活動をはじめ、
神山町にサテライトオフィスを構える〈モノサス〉にも所属されています。
先日、神山から小豆島を訪ねてきてくれて、
うちの畑を見たり、いろいろな話をするなかで、
私たちもフードハブ・プロジェクトのお店や畑をぜひみたい! 話を聞きたい! 
というわけで、今回神山に行くことに。

徳島県神山町は、IT企業のサテライトオフィスの誘致や
移住者たちのユニークな働き方、暮らし方などで有名な徳島の山あいにあるまちです。
徳島市街地から車で1時間弱の場所にあります。

小豆島から船に乗って高松へ、その後は車で1時間半のドライブ。
目的地は、フードハブ・プロジェクトの活動拠点〈かま屋〉(食堂)と
〈かまパン&ストア〉(パン・食品)さん。

徳島県神山町にある〈かま屋〉と〈かまパン&ストア〉。

徳島県神山町にある〈かま屋〉と〈かまパン&ストア〉。

外構の設計は、神山町の大埜地(おのじ)集合住宅プロジェクトも手がけるランドスケープデザイナーの田瀬理夫さん。

外構の設計は、神山町の大埜地(おのじ)集合住宅プロジェクトも手がけるランドスケープデザイナーの田瀬理夫さん。

そもそもフードハブ・プロジェクトってなんだろう。
私もあらためていろいろ調べました。

「Food Hub」という考え方は、アメリカ合衆国農務省が推奨しているもので、
地域のFood Hubは、主に地元の名前が特定できる生産者たちの食品を、
集約、保存、流通、そしてマーケティングすることで彼らの能力を強化し、
卸売業者や小売、制度的な需要に積極的に応えるビジネス、または組織のこと。

神山産の野菜も販売されていました。

神山産の野菜も販売されていました。

町内に点在している耕作放棄地などの農地をフードハブ・プロジェクトで借りて、〈つなぐ農園〉としてお米、小麦、野菜などを育てています。農業長の白桃薫さんが畑を案内してくれました。

町内に点在している耕作放棄地などの農地をフードハブ・プロジェクトで借りて、〈つなぐ農園〉としてお米、小麦、野菜などを育てています。農業長の白桃薫さんが畑を案内してくれました。

フードハブ・プロジェクトは、この考え方をもとに、
神山の農業の担い手を育成する活動を中心に、
「地域で育て、地域で食べる」場所として、農作物を育てることに加えて、
食堂・パン・食品を販売する場所を運営されています。

小学校のすぐ横にある畑。

小学校のすぐ横にある畑。

今年は暖かすぎて、葉物野菜が一気に育ってしまって、出荷調整が大変。それはうちも同じです。

今年は暖かすぎて、葉物野菜が一気に育ってしまって、出荷調整が大変。それはうちも同じです。

住まいも仕事も決めず、
ポートランドへ移住!? 山中緑さんの
冒険の旅のお話会、美流渡で開催

撮影:山中緑

娘さんとふたり、ポートランドへ冒険の旅に

長年編集者をやっていると、この人と本をつくりたいと血が騒ぐことがある。
今夏ポートランドへ旅立った山中緑さんは、そんな編集者魂をくすぐる人物だ。
緑さんと出会ったのは昨年のこと。
そのとき仕事の関係で、たった15分ほど話をしただけだった。
その後、会う機会はなかったのだが、
あるとき冒険の旅に出るというFacebookの投稿を見て、わたしは心底驚いた。

「アメリカに14年暮らし、日本に戻って札幌をベースにしてちょうど5年。
いろんなことがありましたが、この夏、私は娘とふたり、
札幌を引き払ってベースをアメリカに移します! 
行き先はオレゴン州ポートランド!!! 
知り合いも、友人もいない、去年5日間だけ訪ねた場所です♪ 
お友だち、紹介してください♡」

緑さんの仕事はデザインやブランディング。
フリーランスで活動しているため、渡米しても継続中のプロジェクトは行うそうだが、
ポートランドに仕事が待っているわけでもなかった。
しかも、住居も決めず、とりあえず2週間民泊を予約しただけだった。

緑さんは札幌のグラフィックデザイン集団〈COMMUNE〉のプロジェクトに参加し、ブランディングの仕事を行っている。写真は北見の〈Shinone Apple Farm〉のシードルのラベルデザイン。(写真提供:COMMUNE)

緑さんは札幌のグラフィックデザイン集団〈COMMUNE〉のプロジェクトに参加し、ブランディングの仕事を行っている。写真は北見の〈Shinone Apple Farm〉のシードルのラベルデザイン。(写真提供:COMMUNE)

「固定観念に縛られず、住居のことも、仕事のことも、学校のことも、
あまり気負わずに楽しむことを重視して、
クリエイティブに挑戦していこうと思っています(祈っていてください!!!)。
この先は、娘とふたりで“旅”と“人との出会い”と“本”と
“テクノロジー(インターネット)”で学んでいくつもりです」

2週間滞在したのは民泊。大家のポールさんは、ご近所さんを紹介してくれるなどとても親切だったそう。広いリビングとダイニングには、ポールさんの実家で使っていたというビンテージの家具が置かれていた。(撮影:山中緑)

2週間滞在したのは民泊。大家のポールさんは、ご近所さんを紹介してくれるなどとても親切だったそう。広いリビングとダイニングには、ポールさんの実家で使っていたというビンテージの家具が置かれていた。(撮影:山中緑)

8月24日に旅立って以来、日々の暮らしを綴ったFacebookを欠かさず読んだ。
住まいがなかなか見つからずに悪戦苦闘したり、
娘さんは学校へ通うようになったけれども一部の授業はボイコットしたり。
難しい状況があっても、そこから気づきを見出し前へと進む緑さんの冒険に、
わたしはどんどん引き込まれ、ときおり彼女とコンタクトを取るようになった。

限られた時間のなかでシェアハウスが見つかった。築100以上という古い家で、庭には小鳥が集まってくる。(撮影:山中緑)

限られた時間のなかでシェアハウスが見つかった。築100以上という古い家で、庭には小鳥が集まってくる。(撮影:山中緑)

10月に入り、緑さんが感謝祭の連休を利用して一時帰国をし、
時間が合えばどこかでポートランド暮らしの報告会をしてみたい
というメールをもらった。
すかさず、それなら地元の美流渡(みると)でやってほしいと提案をしたところ、
トントン拍子に話が進み、11月17日の開催が決まった。

わたしはポートランドに行ったことはないのだが、
この地域のローカリティーを生かした魅力的な取り組みに興味を持っており、
その動きは、岩見沢の山あいに移住してくる人々の精神との
共通項があるような気がしていた。

何より緑さん自身が、実際にポートランドで暮らした生の声を聞いてみたいと、
お話会の開催を心待ちにした。

滞在先の札幌からかけつけてくれた山中緑さん。

滞在先の札幌からかけつけてくれた山中緑さん。

建築家がドローン撮影?
視点を変えた京丹後の情報発信

blueto建築士事務所 vol.6

今回はこれまでの空き家活用とは違ったテーマの話をします。

〈blueto〉では、建築設計や住まいのリノベーション、
空き家活用を行う建築業務のほかに、ドローンを使った映像制作も行っています。

「なぜ建築家が映像を撮影するの?」
「なぜドローン?」と思われるかもしれません。
ところが空き家活用などの建築関連の仕事とbluetoの映像制作とは、
本質的な共通点があるのです。

3つの動画制作の事例を振り返りながら、
建築家ならではの情報発信について考えていきたいと思います。

初めてのフライトでドローンを紛失

ドローンを始めたのは、2016年5月頃です。
いまとなっては一般的に使用されていますが、
当時はまだドローンが世に出始めたばかりの頃でした。

きっと空から見る丹後の景色は美しく、
まずは自分自身で上空から丹後の景色を見てみたいと思っていました。

そこで、当時1万円程度のホビードローンを購入しました。
いま思えばかなり安価なドローンでしたが、
カメラつきでスマホと連動して空からの景色が見られると、
ワクワクしながら空撮に挑戦したことを覚えています。

まちなかで飛ばすことはできないので、初めての飛行場所は丹後の日本海上空でした。
5月頃は風が強いため、一度飛ばすと一定の位置を維持することができず、
かなり不安定な飛行で空撮どころではありません。

最初は高度を地上5メートル程度にしていましたが、
高度が足りないためか思った映像が撮れず、
思い切って20メートルくらい上空に飛ばしました。
すると急に大きな風が吹き、ドローンは海のほうへ流されていきました。

必死でコントロールしようとしたのですが、
操作不能となりそのまま海の彼方へと消えて行きました。
まさかの初日、ドローンを海でなくしてしまったのです。

かなり落ち込みましたが、どうしても空撮が諦めきれず、
すぐに次のドローンを購入しました。

次はGPS機能がしっかりしている〈Phantom3〉という機種にしたところ、
機体がしっかりしており、難なく空撮を成功させることができました。

その画面に映った海とまち並みはとてもきれいで、本当に感動しました。
上空から見る京丹後の景色は、普段地上から見ているものとは
全然違った印象がありました。

2017年京丹後フォトコンテスト ドローン特別賞を受賞。

2017年京丹後フォトコンテスト ドローン特別賞を受賞。

初日にドローンをなくしたことでいまでも慎重に飛ばすのが癖となり、
それ以来墜落させたことはありません。

新しい仲間がどんどんやってくる。
移住者が増える小豆島

仲間が増えて、島の暮らしが楽しくなる

「移住先を探しているのですが小豆島はどうですか?」
「小豆島に移住しようと思ってるのですが
仕事とか家とかのお話聞かせてもらえませんか?」

そんな問い合わせが私たちのところにはちょくちょくやってきます。
この連載「小豆島日記」を読んでいてくださる方も多く、とてもうれしいです。
カフェの営業日(金曜と土曜です)に来ていただいて話すこともあれば、
タイミングが合えば畑作業を一緒にしながらお話することもあります。

小豆島へ移住されてくる方は相変わらず多いです。
昨年度(2017年度)は、小豆島全体でIターンJターンUターン
全部合わせて500人を超える方が引っ越してきたそう。
人口27000人の島にそんなにも新しい人たちがやってくるんだから、
すごいなと思います。

この日は以前小豆島で暮らしていた知り合いが畑を手伝いに来てくれて、一緒にまかないづくり。

この日は以前小豆島で暮らしていた知り合いが畑を手伝いに来てくれて、一緒にまかないづくり。

さつまいもとエビのカレーをつくってくれました。

さつまいもとエビのカレーをつくってくれました。

うちのカフェにも移住してきた方が遊びに来てくれることがよくあります。
移住して数日の人、数年の人、いろいろです。
もう何年も小豆島で暮らされていても、会ったことがない人も多く、
やっぱり小豆島は広いなぁと思います。

ま、でも広いといえど、やっぱり島なので、
こんな人が引っ越してきたらしいよって噂はすぐに流れますけどね(笑)。

白菜となばなのサラダ。

白菜となばなのサラダ。

島で暮らしている人たちが移住者に対してどんな思いを思っているのか、
それは人によってさまざまだと思いますが、
私たちは新しい人がやってくるのはうれしいし、楽しみです。
いろんな人に会えるし、話をできるから。
そして一緒に働くことになるかもしれない人にも出会えるから。

移住してきた人、島生まれの人、みんな一緒に畑作業の休憩ごはん。

移住してきた人、島生まれの人、みんな一緒に畑作業の休憩ごはん。

100万円でDIYリノベに挑戦。
小さなキッチン&雑貨店
〈Lupe〉ができるまで

マチザイノオトvol.5

はじめまして。〈グリーンノートレーベル株式会社〉の西田芽以と申します。
今回は2016年夏から約1年をかけて私が担当した、DIYで小さなお店をつくるお話です。

〈カフェuchikawa六角堂〉の仲間たちと。左から2番目が私、西田です。

〈カフェuchikawa六角堂〉の仲間たちと。左から2番目が私、西田です。

私が富山県に来たのは9年前。
地元の奈良県から大学入学を機に富山へ移住して、
それから6年間、家具などのモノづくりについて学びました。

モノについて考えるうちにモノの先にあるコトづくりに興味がわき、
つくり手や使い手の生活、その集合体である“まち”に直接関わる仕事をしたいと思い、
この会社に入りました。

現在は〈カフェuchikawa六角堂〉の営業スタッフや
地域での暮らしの様子を伝えるWeb記事作成などを担当しています。

内川沿いを散歩すると、たぷたぷと水の音が心地よく聞こえます。

内川沿いを散歩すると、たぷたぷと水の音が心地よく聞こえます。

DIYで小さなお店をつくろう

私がこの会社へ入ったのは、カフェuchikawa六角堂がオープンして
3年目のタイミングでした。地域でのお店の認知も浸透し、
週末のランチタイムは予約なしでは入店が難しいほど、
たくさんの人々が訪れる場所となっていました。

店内の賑やかな雰囲気の一方で、せっかく来ていただいたのに
入店できなかったお客様が順番を待ちきれずに帰ってしまう問題がありました。
近所の人は「いつも忙しそうやから……」と
来店を遠慮してしまうこともあったようです。

また、決して広くはないキッチン空間は、すでにオーバーフロー状態のため、
料理の供給が追いつきません。
そのため、閉店してから大量の仕込み作業が始まる始末。
スタッフの帰宅時間が遅くなるという問題もありました。

そうした現状を横目で見ながらも、入社1年目の私は
日々の仕事をこなすことで手も頭も一杯一杯でした。

uchikawa六角堂の向かいの空き家。写真に写っているのが裏口。

uchikawa六角堂の向かいの空き家。写真に写っているのが裏口。

仕事にも少しずつ慣れてきた6月のある日のこと。
毎朝行なっているミーティングの最中、社長の明石が突然、
「六角堂の向かいの空き家をお店にしようか」と言い出しました。

向かいの空き家とは、道を挟んで向かい側にある空き家をお借りして
店内に入りきらない備品や在庫を保管していた場所です。

ここは2階建ての木造住宅で、以前はオーナーさんの奥さんが
ピアノ教室をされていたようです。1階部分をお借りしていますが、
実際に倉庫として使っているのは入り口近くのひと部屋だけ、という状態でした。

「六角堂のサブキッチンをつくろうと思うけど、せっかくだからお店にしたいよね」
「空き家の裏口側だけ改装してさ、このぐらいの広さならDIYでできそうだよね」
「予算は100万円ね」
「全部任せるから、よろしく!」

思いついたように構想を広げていく明石の話に対して、
私は「はぁ」と気の抜けた返事しかできませんでした。

大学時代の経験から大工道具はそこそこ使えるものの、建築に関してはズブの素人。
お店をつくるのがどれだけ大変なのか、何から始めたらいいのか、
右も左も分からないなか、言われるがままにお店づくりが始まりました。

〈森の出版社 ミチクル〉の
本づくりワークショップ。
あふれる想いがかたちになって

いつかではなく、いまから本づくりを始めてほしくて

今年の夏に岩見沢の山あいにある美流渡(みると)地区で
〈森の出版社 ミチクル〉を立ち上げた。
スタートを切ったあと、まわりのみなさんから
「実は、自分もいつか本をつくってみたいんだよね」という話を聞く機会が増えた。

自分が大切に思っていることを本としてまとめたい。
そんな真剣な想いが伝わってくると同時に、
「いまは時間がないから、いつかはね……」と語る人も多かった。

そんなやりとりをしているうちに、ふと思った。

「いつかじゃなくて、いま本をつくってみたらどうなるんだろう?」

そして、せっかく本をつくりたいと言ってくれる人がいるなら、
ワークショップを開いてみようと考えたのだ。

9月にも彫刻家の安田侃さんが創設した〈アルテピアッツァ美唄〉で開催されている〈アルテ○○の学校〉にゲストとして呼ばれ「編集」の話をした。参加者のみなさんからも「いつか本をつくってみたい」という声があがり、本づくりワークショップの企画へとつながった(写真提供:アルテピアッツァ美唄)。

9月にも彫刻家の安田侃さんが創設した〈アルテピアッツァ美唄〉で開催されている〈アルテ○○の学校〉にゲストとして呼ばれ「編集」の話をした。参加者のみなさんからも「いつか本をつくってみたい」という声があがり、本づくりワークショップの企画へとつながった(写真提供:アルテピアッツァ美唄)。

本づくりのワークショップは11月4日と10日の2日間開催した。
場所を提供してくれたのは、ご近所に住む中川文江さん。
森のパン屋〈ミルトコッペ〉の女将で、
〈森の山荘〉というログハウスのオーナーでもある。

このログハウスの1階に、つい最近〈美流渡の森の小さな図書館〉
と名づけたスペースを中川さんはつくったばかり。
本がたくさん並べられ、ゆったりとくつろげるスペースとなっており、
本づくりのワークショップにはピッタリの場所だった。

会場となった美流渡の森の小さな図書館。中央には「さをり織り」という手法でつくられたティピがあり、子どもたちにも居心地のよい場所。

会場となった美流渡の森の小さな図書館。中央には「さをり織り」という手法でつくられたティピがあり、子どもたちにも居心地のよい場所。

1日目に集まった参加者は7名。
岩見沢に住む人だけでなく、車で30分ほど離れた長沼からやってきてくれた人もいた。

まずはじめに、本づくりは意外と簡単で、
いますぐ始められるという話をさせてもらった。

例として出したのは、自分のプロフィールをまとめた小さな冊子だ。
A4サイズの用紙の表裏に文字と絵をプリントアウト。
それを4つ折りにして、ノド部分をホッチキスで留めて仕上げている。
カッターで周囲をカットすると見栄えもよくなり、
家庭用プリンターでも本らしい仕上がりになるところがポイントだ。

自分のこれまでの経歴をまとめたプロフィールブック。両面にプリントし、4つ折りにするとページの順番になるように「面付け」という作業を行っている。

自分のこれまでの経歴をまとめたプロフィールブック。両面にプリントし、4つ折りにするとページの順番になるように「面付け」という作業を行っている。

ノドをホッチキス留めして周囲をカッターで切り落とすと本らしくなる。

ノドをホッチキス留めして周囲をカッターで切り落とすと本らしくなる。

また、子どもが生まれた出産記念としてつくったジャバラ折りの小さな本も紹介した。
こんなふうに、出版社から本を出すだけでなく、日常的に気軽な気持ちで
本づくりを始めていってもいいんじゃないかと提案した。

自分の出産記念につくったジャバラ折りの小さな本。友人らに配ったもの。

自分の出産記念につくったジャバラ折りの小さな本。友人らに配ったもの。

森の出版社ミチクルで販売している2冊の本は、いずれもA6サイズ24ページと小さなもの。印刷所に印刷はお願いしているものの、普段手づくりしている本と意識は変わらない。

森の出版社ミチクルで販売している2冊の本は、いずれもA6サイズ24ページと小さなもの。印刷所に印刷はお願いしているものの、普段手づくりしている本と意識は変わらない。

インスタグラムにスタンプラリー。
熊本地震で傷ついた南阿蘇鉄道を
応援する新たな試み

南阿蘇鉄道と地域の魅力を発信していくために

〈ひなた文庫〉が週末営業をしている場所は、
日本一長い駅名で知られる「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」。
平成5年に建てられた駅舎には駅長室やきっぷ売り場はなく、
待合室のみの八角形の空間でした。

ガランとした駅舎内に本や什器、椅子などを持ち込んで
本屋を始めたのが2015年の春です。
営業を始めてから現在までの約3年の間、いくつもの出来事がありました。
今回はその中から、南阿蘇鉄道の駅舎管理者としての活動で
生まれた試みについてお伝えしたいと思います。

まずは駅の管理で行う業務について。
基本的には駅をきれいに保つことや
訪れた観光のお客さんに案内を行うことがメインです。
そのほかには、電球の交換や経年劣化で傷んでしまった箇所のチェックなど、
役所の方が頻繁にできないような保守・管理業務を指定管理者として任されています。

当駅が属している南阿蘇鉄道には、そのように駅舎を管理している方々が
私たち以外にも数名いらっしゃいます。
現在、ほとんどの駅舎でカフェ営業が行われています
(地震以前は温泉施設や蕎麦屋さんのある駅舎もありました)。

またひと言でカフェといってもそれぞれに趣も異なっています。

昭和以前に戻ったかのようなノスタルジックな雰囲気の漂う
国鉄時代からの駅舎が特徴の長陽駅では、
シフォンケーキがいただける〈久永屋〉が、
特撮もの好きな店主さんがアニメ内に登場した食べ物を提供する
〈ひみつ基地ゴン〉は中松駅。

長陽駅の〈久永屋〉。

長陽駅の〈久永屋〉。

アメリカに長年住まれていたご夫婦の営む
異国情緒漂うアンティークカフェ〈75th street〉は阿蘇白川駅で、
日常的に阿蘇登山のガイドも行う店主さんが営む〈cafe倶利伽羅〉は南阿蘇白川水源駅。

阿蘇白川駅の〈75th street〉。

阿蘇白川駅の〈75th street〉。

各々の駅舎に個性のある店主さんがいて、
阿蘇地域の観光案内や駅舎の管理業務を行いながら、
店舗の営業を続けています(どの駅も個性的で今回は詳しくお伝えできませんが、
あらためてそれぞれの駅をご紹介しようと思います!)。

南阿蘇鉄道の全線復旧を願った祈念イベント内のトロッコ列車発車式。

南阿蘇鉄道の全線復旧を願った祈念イベント内のトロッコ列車発車式。

私たちが本屋を始めてすぐの頃は、駅管理者や役所観光課の方、
南阿蘇鉄道の方々全員が集うことはありませんでしたが、
熊本地震以後は復旧復興イベントを通じてそれぞれがつながり、
だんだんと絆が深まっていったように感じます。

復興イベントでは不通区間のレールウォークも行われました。中松駅からひなた文庫のある駅までのレールウォークの様子。

復興イベントでは不通区間のレールウォークも行われました。中松駅からひなた文庫のある駅までのレールウォークの様子。

〈清島アパート〉
生活と制作がほどよい距離にある
別府のアート版「トキワ荘」

アートに出会う場所 vol.2
〈清島アパート〉

アートって意外に身近にあるもの。
あなたのまちにも、きっともっと気軽にアートや
アーティストに出会える場所があるはず。
そんなまちのアートスペースやオルタナティヴスペースを訪ねます。

元下宿アパートを生かしたアーティスト・イン・レジデンス

観光スポットだけでなく、住宅街の中にも銭湯が点在する
世界有数の温泉地、大分県別府市。
そこには、近所の銭湯に入りに行くくらい身近になったアートの場、
戦後すぐに建てられた旧下宿アパートをレジデンス(滞在制作)施設として活用した
〈清島アパート〉がある。

大分出身のアーティストである山出淳也さんが代表理事を務め、
アートによるまちづくりを実行するNPO法人〈BEPPU PROJECT〉が、
〈別府現代芸術フェスティバル 混浴温泉世界〉の会場のひとつとして使い、
芸術祭終了後も、アーティスト支援の一環として運営。
活動は住人たちの自治で行われている。

これまでに、現在も活躍中の眞島竜男さん、蛭子未央さん、関川航平さん、
落語家の月亭太遊さんなどが入居してきた。

清島アパートは3棟22室の1階がアトリエで、2階が居住スペース。
アーティストやクリエイターが居住・制作を始めてから10年目の今秋、
『清島アパート10周年展』が開催されている。

毎秋開催される市民文化祭〈ベップ・アート・マンス〉(混浴温泉世界実行委員会主催)
で恒例のオープン・アトリエに加え、10周年に向けたメッセージを募集展示している。
今秋は、大分県各地で「国民文化祭 全国障害者芸術・文化祭『おおいた大茶会』」が
開催されており、その別府市内のプログラムのひとつともなっていて賑やかだ。

西松秀祐さんの音の出るインスタレーションを体感する観客たち。

西松秀祐さんの音の出るインスタレーションを体感する観客たち。

新旧入居者からの10周年に向けたメッセージを展示。

新旧入居者からの10周年に向けたメッセージを展示。

別府に惚れて移住した画家・勝正光さん

取材は4月と10月の2回にわたり行った。
まずは、立ち上げ時から住み続けている勝正光さんへのインタビューをもとに、
これまでの経緯から振り返ってみたい。

2009年4月11日~6月14日、別府のまちを舞台とした国際芸術祭
〈別府現代芸術フェスティバル 混浴温泉世界〉の第1回目が開かれた。
前年の2008年から市街地調査が始まり、
清島アパートが国内作家の会場のひとつになる。

勝正光さんが、日本列島を旅しながら制作するアーティスト、
遠藤一郎さんの「未来へ号」に同乗し、東京から別府にやってきたのは2009年3月。
作家の村上隆さんが主催する現代美術の祭典『GEISAI#10』で銅賞を受賞し、
村上さんに同行して海外のアートフェアに出品するなど順風満帆に見えた若き頃。

勝さん自身は、そうしたコンテンポラリーアートの王道が
それまでの生活とあまりにも違う世界だと感じ、
「日常生活の延長上で表現を考えたい」と思い悩んでいた。

そんな時期に行われたグループ展『わくわく混浴アパートメント』には、
各地から124組のアーティストが集結。まさに「混浴」状態の展示となった。

「ご高齢だった清島アパートの家主の石丸麗子さんが、
最初は杖をついて両脇を抱えられて出てきたのに、
芸術祭の間に元気になってきたんですよ。
寝たきりの旦那さんを車椅子に乗せて訪ねてきてくださったこともありました。
そういう姿を見てようやくアートの可能性を感じることができたんです」

勝正光さん。

勝正光さん。

こうして芸術祭終了後も、石丸さんから
「活動を続けてほしい、若い人が集まると地域に活気が生まれるから」と求められ、
亡くなるときも遺言でBEPPU PROJECTにアパートが託された。
こうして、光熱費やインターネット接続料を含み月1万円という格安の家賃で、
アーティスト・イン・レジデンス(滞在制作)施設として存続してきた。

2009年『わくわく混浴アパートメント』での記念写真。

2009年『わくわく混浴アパートメント』での記念写真。

暮らしながら、働きながら、
自分たちの拠点をつくりあげていく

更地にした場所に、新たに必要なものをつくる

いま私たちが暮らしている家は、
100年以上前にたくちゃん(夫)のひいじいちゃんが建てた家で、
山の斜面を切り開いて段々に整地した場所にあります。
横長の敷地の中に、母屋、蔵、離れ、倉庫といくつかの建物があって、
昔はここで暮らしながら、農作業をしたり、たばこの葉を乾燥したり、
牛も飼っていたそう。

暮らす場と働く場が一体になった場所。
かたちを変えつつ、私たちもこの場所で暮らし、働いています。

左側から、母屋(生活スペース+一部カフェとして開放)、蔵、離れ(ゲスト宿泊棟になる予定)。

左側から、母屋(生活スペース+一部カフェとして開放)、蔵、離れ(ゲスト宿泊棟になる予定)。

6年前に島に引っ越してきたとき、母屋は生活できる状態でしたが、
たばこの葉の乾燥小屋や農機具の倉庫はぼろぼろで、そのままでは使えない状態でした。
手を入れて使い続けるか、解体するか。

暮らしながらしばらく様子をみて、最終的には母屋、蔵、離れは残し、
それ以外の建物は壊して、更地にしました。
更地にしたのが2015年3月。引っ越してから2年半後です。

屋根が落ち、いたるところが朽ちてしまったたばこの葉の乾燥小屋。

屋根が落ち、いたるところが朽ちてしまったたばこの葉の乾燥小屋。

解体作業。大量の廃材が出ました。

解体作業。大量の廃材が出ました。

更地になったスペース。

更地になったスペース。

私たちは暮らし方も働き方も手探りでつくりあげてきていて、
何が必要なのか最初はわかりません。
農業を始めて数年経ち、少しずつ道具が増えていき、
倉庫が必要だねということになって、
更地にした場所に半屋外の倉庫を建てたのが、2017年3月。

倉庫ができて、あちこちに散らかっていた道具をまとめておけるようになって、
少しきれいになりました。

親戚の大工さんに倉庫の工事を依頼。

親戚の大工さんに倉庫の工事を依頼。

敷地まわりは、農機具やら廃材やらでくちゃくちゃ(汗)。

敷地まわりは、農機具やら廃材やらでくちゃくちゃ(汗)。

岩見沢の山あいの小学校が閉校。
サヨナラを新たな芽吹きのチャンスに

撮影:佐々木育弥

統合によって友だちが増えるけれど、地域のつながりはどうなる?

息子が通う岩見沢の山あいの小学校が今年度いっぱいで閉校となる。
全校生徒は7名。
1、2年生が6名で複式学級。4年生は1名で単式学級となっている。
学校の統廃合の話は以前からあがっていたが、
これまで地域のみなさんは学校存続の道を探ってきた。

けれども新学習指導要領が2020年から順次実施されるにともない、
あまりに人数が少ないと授業の進め方に難しい点が出てきてしまうなどの
先生からの意見もあがり、統合へと舵を切ることになった。
そして同時期に隣にある中学校も統合することで方針が固まった。

親としては複雑な想いがある。
例えば運動会は、この地域に学校があることのすばらしさを実感できるイベントだ。
保育園、小中学校の合同開催で、生徒の親はもちろんのこと、
地域の住民も参加して、綱引きをしたり、玉入れをしたり。
児童数が少なくても、子どもも大人も運動会にかける本気度は
どこよりも高いと思わせてくれるような白熱した競技が続く。

6月に開催された運動会。中学生と小学生が一緒に走る競技も。

6月に開催された運動会。中学生と小学生が一緒に走る競技も。

統合することによって息子は遊ぶ友だちが増えるけれど、
こんなふうに地域の人たちが、みんなで子育てをしているような雰囲気は
何にも代え難いと感じている。

大人が真剣になる玉入れ。50個以上入れるチームもあった。

大人が真剣になる玉入れ。50個以上入れるチームもあった。

いま閉校を前に学校ではさまざまな取り組みが行われている。
そのひとつが、9月27日に行われた遠足だ。

この学校が開校したのは、いまから115年前の明治37年。
当時、建てられたのは現在の地点から3.5キロメートルほど西にあり、
開校の地まで歩いてみようという企画だった。
7名の子どもたちとともに地域の人々も参加。
この学校の卒業生が岩見沢市街地などからも駆けつけ、
森のあいだを通る道道を歩きながら、思い出話に花を咲かせていた。

9月の遠足。道道沿いをみんなで歩く。

9月の遠足。道道沿いをみんなで歩く。

開校の地へ向かう道すがらに、大正5年にこの小学校が移築された場所もあった。校長先生が当時の校舎の写真を子どもたちに見せて解説。

開校の地へ向かう道すがらに、大正5年にこの小学校が移築された場所もあった。校長先生が当時の校舎の写真を子どもたちに見せて解説。

開校当初の学校の跡地は農業用の倉庫の脇にあった。
大きなイチョウが1本立ち、ここに学校があったことを記す板が置かれていた。
校長先生によると最初の校舎は6坪。生徒は6名。
冬はいろりを囲んで勉強をし、寒さをしのぐために
窓をとうもろこしの皮でおおっていたという記録が残っているそうだ。

撮影:佐々木育弥

撮影:佐々木育弥

鎌倉〈かたつむり〉復活劇の舞台裏。
材木座で8年ぶりに再オープンした
まちに愛される老舗お好み焼き屋

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

8年前に閉店した老舗お好み焼き屋〈かたつむり〉跡地から望む材木座の海辺の風景。

8年前に閉店した老舗お好み焼き屋〈かたつむり〉跡地から望む材木座の海辺の風景。

8年ぶりに復活したお好み焼き屋

夏になると海水浴客で溢れかえる鎌倉には、3つの海水浴場がある。
今回のストーリーの舞台となる材木座は、そのうちのひとつ、
材木座海水浴場を擁する、穏やかな海辺のまちだ。

かつて、この材木座海水浴場を望む国道134号線沿いに、
家族経営のお好み焼き屋があった。
〈かたつむり〉という店名を持つこの広島風お好み焼き屋は、
30年近くにわたって地元の人たちの憩いの場として、
また、マリンスポーツを親しむ人たちのランドマークとして、
まちに愛され続けてきた場所だった。

材木座のまちで27年間にわたって営業し、8年前に閉店したかたつむり。かつての常連客が新店オープン後に持ってきてくれたというこの写真は、現店舗に飾られている。

材木座のまちで27年間にわたって営業し、8年前に閉店したかたつむり。かつての常連客が新店オープン後に持ってきてくれたというこの写真は、現店舗に飾られている。

惜しまれながらも2010年に閉店したかたつむりだったが、
なんと今年の春、同じ材木座の地に8年ぶりの復活オープンを果たした。
長年この地に暮らす人たちにとって喜ばしいこのニュースの立役者となったのは、
当時のかたつむりで学生時代にアルバイトとして働き、
その後も閉店までお店をサポートしてきた鎌倉育ちの椿山 尚さんだ。

彼女がかたつむりの元オーナーから看板を受け継ぐかたちで、
海辺から少し離れた材木座の住宅街に、新生〈かたつむり〉をオープンさせたのだ。

8年間温め続けた思いをかたちにした椿山さんにとって、
そして、鎌倉のまちにとって、かたつむりとはどんなお店だったのか。
復活開店に至るまでには、どんな経緯があったのか。
店内のターコイズブルーが鮮やかな新店かたつむりにうかがった。

海から少し離れた材木座の住宅街にオープンした新生かたつむり。

海から少し離れた材木座の住宅街にオープンした新生かたつむり。

江戸時代の土蔵をDIYリノベーション。
地域に愛される、隠れ家的
シェアスペースを目指して

blueto建築士事務所 vol.5

前回から引き続き「DIYリノベーション」がテーマです。

江戸時代から残る土蔵が、施主さんと仲間たちの手によって再生されていく
DIYリノベーションの事例をお届けします。

空き蔵を生かしたイベントを企画

2016年、当時お借りしていた〈blueto〉事務所の敷地内に、
歴史ある大きな土蔵がふたつありました
(2018年10月現在は、ほかの場所に事務所を移転しました)。

事務所の敷地内にせっかく立派な蔵があるのに、活用されないままでは
もったいないと思い、なにかイベントができないかと考えました。

そこで、vol.2で紹介しました、
京都・丹後内で実施されていた地域体験型の交流イベント
「mixひとびとtango(通称:ミクタン)」の企画に結びつけて、
2016年5月に2日間限定で「日用品市 @土蔵ひらき」
というイベントを友人と開催することにしました。

オーナーさんからは、この土蔵の築年数が100年以上と聞いていました。
お金はかけられませんが、一般のお客さんを呼ぶイベントにするため、
ある程度は蔵をきれいに整える必要がありました。

数日かけて中の荷物をすべて片づけたあとは、掃除に取りかかります。
一度拭くだけで雑巾が真っ黒になるくらい、
年季の入った汚れを丁寧に拭いていきました。

蔵の中は暗いので、電気を引っ張り、棚板をつけ替えて、
床を塗装して簡易リノベの完成です。

イベント当日は友人が制作しているカッティングボードや
木工製品や陶器などを中心に販売。2日間でのべ100人が訪れ、
大盛況のうちにイベントを終えることができました。

イベント交流会で土蔵の施主様と出会う

毎年恒例でイベントの慰労会も兼ねた交流会があるのですが、
その際、ある女性から声をかけていただきました。
その方の自宅にも古い土蔵があり、その土蔵を
今回のように有効活用できないかと相談を受けたのです。

僕はイベントを通じて蔵のリノベーションに興味が出てきており、
「できますよ!」と軽く返事をしましたが、まさかこのときには、
土蔵のリノベに2年かかるとは思ってもいませんでした。