いまや鎌倉の食文化!? 
自然派ワインをまちに広めた老舗酒屋
〈鈴木屋酒店〉の華麗なる転身

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

鎌倉にワイン文化を広めた立役者

観光客で賑わう日中とは打って変わり、夜になると静けさが訪れる鎌倉だが、
まちなかには、本格的なイタリアンやフレンチを、
ワイン片手に楽しめるカジュアルな飲食店が点在している。

そして、これらのお店はかなりの確率で、
「自然派ワイン」「ナチュラルワイン」と呼ばれるワインを取り揃え、
客の好みや料理との相性などをもとにした最適な一杯を、
造り手についての詳細な説明などとともにグラスに注いでくれるのだ。

鎌倉の食と言えば、鎌倉野菜やシラスなどがまず思い浮かぶだろうが、
実は、「自然派ワイン」もまた、このまちの食文化を語るうえで
欠かせない存在になっている。

数あるまちの飲食店やワインバーのみならず、2009年に鎌倉でスタートし、
いまや全国に広がっている自然派ワインのイベント〈満月ワインバー〉、
古刹・覚園寺で毎年開催されている〈terra! terara! terra!〉など、
いまや鎌倉は、「自然派ワイン」のまちとしても認知されつつある。

外観だけを見ると、どのまちにもある普通の酒屋のようにも思える鈴木屋酒店だが、一歩店内に足を踏み入れると、所狭しと並べられているワインボトルの数に圧倒される。

外観だけを見ると、どのまちにもある普通の酒屋のようにも思える鈴木屋酒店だが、一歩店内に足を踏み入れると、所狭しと並べられているワインボトルの数に圧倒される。

そして、鎌倉のワイン文化を語るうえで欠かせない存在が、
由比ヶ浜の地で100年以上続く〈鈴木屋酒店〉だ。
昔ながらの「まちの酒屋」だった鈴木屋酒店は、
4代目となる現店主・兵藤 昭さんに代替わりしたことを機にシフトチェンジし、
いまでは、店内に並ぶ商品のほとんどが自然派ワインという、
老舗酒屋らしからぬ振り切ったラインナップになっている。

時代とともに消費者のニーズが変わるなか、
老舗酒屋の後継者として新たな活路を見出しただけでなく、
市内の飲食店と密接なネットワークを築きながら、
鎌倉のまちに新たな食文化を浸透させた立役者とも言える兵藤さんを訪ね、
鈴木屋酒店に足を運んだ。

〈アルテピアッツァ美唄〉の
「こころを彫る授業」で感じた
やすらぎと安心感

“答え”のない授業に取り組んで

わたしの住んでいる岩見沢市からもっとも近い美術館は、
美唄市にある〈安田侃(かん)彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄〉。
東京から移住して、ちょっぴり残念に思うことは、美術館や企画展の数が少ないこと。
アートとデザインが専門の編集者としては、東京にいたときのように、
いろいろな作品を見ておきたいと感じることもあるが、
そんなわたしの心をスッと落ち着かせてくれるのがアルテピアッツァ美唄という場所だ。

美唄市はかつて北海道有数の炭鉱都市だった。炭鉱夫の子どもたちが通っていた小学校を芸術広場として再生させたのが〈アルテピアッツァ美唄〉。

美唄市はかつて北海道有数の炭鉱都市だった。炭鉱夫の子どもたちが通っていた小学校を芸術広場として再生させたのが〈アルテピアッツァ美唄〉。

展示スペースとして利用されているのは、
1981年に閉校となった栄小学校の校舎と体育館。
そして、建物の周囲に広がる野外スペースには、
山や木々をバックに彫刻作品が立ち並んでいる。

アルテとはイタリア語で芸術。ピアッツァとは広場。
大理石の産地として知られるイタリアのピエトラサンタで制作を続ける
彫刻家・安田侃さんが、生まれ故郷である美唄市に
1992年にオープンさせたスペースだ。

3月末になってもまだ肌寒い北海道。部屋を暖めるために使われたのは、このまちの歴史を感じさせる石炭ストーブ。

3月末になってもまだ肌寒い北海道。部屋を暖めるために使われたのは、このまちの歴史を感じさせる石炭ストーブ。

彫刻とともにある四季折々の景色は本当に美しく、幾度もこの場所を訪ねてきたが、
3月30日に行われた講座「小学生のためのこころを彫る授業」に
息子を参加させたことで、安田さんの彫刻に対して、
また新しい面が見えてくるような機会となった。

この「こころを彫る授業」は2007年からスタートしたもので、
毎月第1土曜・日曜に主に大人を対象に開催されており、
2012年からは今回のような小学生のための授業も開かれている。

講座を担当する美術館スタッフの影山宏明さんによると、
「小学生のためのこころを彫る授業」が始まったきっかけは、
「たくさんの子どもたちに、心と体で彫刻に接して、
1日を通してアルテピアッツァ美唄の魅力や楽しみ方を知ってもらおう」
と考えたことだという。

美術館スタッフの影山宏明さん。道具の使い方を説明する。

美術館スタッフの影山宏明さん。道具の使い方を説明する。

この日集まった小学生は、2年生から6年生まで15名。

「今日は石を彫って、目に見えない心を表現してください」
まず、影山さんは子どもたちにそう語りかけ、制作が始まった。

どの大理石を彫るのか、選ぶのはくじ引きの順番で。くじに使われたのも大理石で、裏に数字が書いてあった。

どの大理石を彫るのか、選ぶのはくじ引きの順番で。くじに使われたのも大理石で、裏に数字が書いてあった。

大理石も道具も安田さんがイタリアから持ってきたもの。ノミや金ヤスリは、さまざまな形のものが用意されていた。

大理石も道具も安田さんがイタリアから持ってきたもの。ノミや金ヤスリは、さまざまな形のものが用意されていた。

「こころを彫る」とはいったい何か。
大人であれば、手が止まってしまう“難問”のように感じてしまうが、
子どもたちは躊躇せずに、いっせいに石を彫り始めた。
いままで体験したことのない大理石という素材や道具を使えるということに
夢中になっているかのようだった。

美術館スタッフの土谷あすかさん(右)。彫刻の見方を広げるような話を子どもたちにしてくれた

美術館スタッフの土谷あすかさん(右)。彫刻の見方を広げるような話を子どもたちにしてくれた。

石は丸みを帯びていてハンマーでノミをたたいて削ろうとすると、
すべって転がってしまうことがあったり、
ヤスリで削ろうとしても、表面はかたくてなかなか平にならなかったり。

「道具の使い方に慣れてくると、形を変えたりできるようになります。
辛抱強くやっているとスベスベにしたりもできます。
だんだん形が見えてきて、きっとワクワクしてくるはずです」

思うようにいかない子どもたちに、影山さんはやさしく語りかけていた。

『天光散』という作品のふくらみは子どもたちのお気に入り。安田さんの彫刻は実際に触れて感じることができる。

『天光散』という作品のふくらみは子どもたちのお気に入り。安田さんの彫刻は実際に触れて感じることができる。

小豆島の素麺工場を改修した
ギャラリーショップ〈うすけはれ〉

山に囲まれた、すてきな建物を生かしたお店

小豆島にあるほとんどの地区(集落)は海岸線沿いにあって、
集落のどこかから海を眺めることができます。
島暮らしといったらやっぱり海がすぐそばにあって、
家の窓から海が見える! くらいの暮らしを想像しますよね。

そんななかで、私たちが暮らす肥土山(ひとやま)とお隣の中山は、
山に囲まれた海の見えない場所にあります。
小豆島の海とは違う魅力を感じられるエリアで、棚田が広がり、
農村歌舞伎や虫送りという伝統文化がいまも残っています。
今日はその中山にある〈うすけはれ〉というお店のことを書きます。

小豆島の真ん中にある中山地区。4月から田植えが始まります。

小豆島の真ん中にある中山地区。4月から田植えが始まります。

木々に囲まれた静かな場所に〈うすけはれ〉はあります。

木々に囲まれた静かな場所に〈うすけはれ〉はあります。

うすけはれは、中山地区の山の中にあります。
お店の周りは木々に囲まれていて、一度夜に行ったことがあるのですが、
真っ暗すぎてびっくりしました。
お店を運営するのは、うえすぎあらたくん、道代ちゃんご夫婦。
道代ちゃんが生まれ育った小豆島に帰ってきて、
2017年5月にうすけはれをオープンされました。

年に数回企画展を開催。私が訪れた2019年3月末には「しましましまのてしごと展」を開催中でした。

年に数回企画展を開催。私が訪れた2019年3月末には「しましましまのてしごと展」を開催中でした。

お店を運営するうえすぎあらたくん、道代ちゃんご夫婦。

お店を運営するうえすぎあらたくん、道代ちゃんご夫婦。

小豆島では素麺の製造が昔から盛んなのですが、
もともと素麺工場だった建物を改修してお店にしています。
こんなすてきな建物をどうやって見つけたんだろうと聞いたら、
町の運営する空き家バンクでみつけたそうです。

たまたま出会ったその建物。立地的にお客さんが来てくれるかどうかよりも、
この建物ならいいお店にできそうだなと思って決めたそう。
素麺工場の横には家があって、ふたりはそこで暮らしています。

お店の名前の由来についてはこんなふうにWebサイトに書いてありました。

暮らし始めてしばらくすると近所の方が様子を見によく顔を見せてくれるようになり、
この場所のことを「うすけ」と呼んでいることを知りました。
「うすけ」とは、昔ここの場所が素麺工場として使われていた時の屋号で
漢字では「宇助」と書きます。
店を構える際、変わらずこの場所を慣れ親しんだ名前で呼んでほしいという思いがあり、
うすけに「けはれ」という言葉を足して「うすけはれ」という屋号にしました。

「けはれ」とは「ハレ=非日常」、「ケ=日常」を足した意味で、
うすけの日常も非日常も楽しんでいただきたいという思いを込めています。

天井に残されている素麺工場のファン。

天井に残されている素麺工場のファン。

長野県への移住のきっかけは? 
2拠点暮らしと地域おこし協力隊、
それぞれの信州ライフ

山々に抱かれた豊かな自然、健康長寿を育む食文化、首都圏からのほどよい距離感。
そんな理由から「最も移住したい県」といわれる長野県。

地方暮らしやI・J・Uターンをサポートする
〈ふるさと回帰支援センター〉の移住希望地域ランキングでは、
2017、2018年と2年連続で長野県が1位。
さらに宝島社発行『田舎暮らしの本』(2019年2月号)では、
13年連続、長野県が1位をキープしています。

移住のきっかけは何だったのか、移住先でどんな日々を送っているのか。
長野県のアンテナショップ〈銀座NAGANO〉を経由し、
自分らしい信州暮らしを楽しんでいる移住者を訪ねました。

コワーキングスペース&カフェバー〈hammock〉を運営する
松本大地さんの場合

長野県東北部に位置する東御(とうみ)市の「海野宿(うんのじゅく)」。
新幹線や車での都心へのアクセスも便利で、観光地・軽井沢にもほど近い、
江戸時代初期に中山道と北陸道を結ぶ北国街道の宿駅として栄えた宿場町です。
いまなお伝統的な家並みが保存され、1986年には「日本の道百選」に、
1987年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。

そんなまち並みの一角にある古民家を改修し、
2018年にコワーキングスペース兼カフェバー〈hammock〉をオープンした
株式会社〈La Terra〉代表の松本大地さん。
東京でWeb制作会社を経営するなかで、
長野県との2拠点生活を考えるようになりました。

「一番の理由は雇用ですね。
IT業界のベンチャー企業はなかなか人材が定着しづらいので、
会社として何かおもしろくて魅力的な取り組みが必要だと考えていました。
それに、人材の奪い合いが激しい東京よりも、
地方のほうが定着率がよいのではないかとも思いました」

そこで、大好きなスノーボードができて、妻の祖父母も暮らす
長野県にサテライトオフィスを設けようと考え、利用したのが
「おためしナガノ」という長野県の制度。

ITを活用した事業を行いたい人が最大約6か月間“おためし”で
長野県に住みながら仕事をする機会を得られるもので、
銀座NAGANOでの説明会に参加し、1年間考えた結果、応募を決めました。

「『おもしろそうだから長野県に行ってみよう』という熱が1年間冷めず、
頭の中のイメージがよりリアルになりましたし、
やはり行政が合同の企業説明会を開いてくれるといったバックアップがあることは、
採用面でも心強く感じました」

おためし期間中は、東御市商工会内の事務所を借りて事業に取り組み、
その縁から海野宿の古民家の紹介を受けることに。
人が集まる場づくりにも興味があったことから、hammockのオープンに至りました。

古民家を改修した〈hammock〉。取材時はちょうど「海野宿ひな祭り」が開催中で、家々の軒先に古いひな壇が飾られていた。

古民家を改修した〈hammock〉。取材時はちょうど「海野宿ひな祭り」が開催中で、家々の軒先に古いひな壇が飾られていた。

「東京から来たIT企業が海野宿に事務所を構えるという
話題づくりの面もありましたが、ここに来るからには
地域に役立つことをすべきという思いが強くありました。
住民も観光客も気軽に立ち寄れ、
お茶やお酒が飲める場所がほしいという声が多かったので、
それならカフェバーがいいかなと。
コワーキングスペースは、自分たちの事業にも役立ちますしね」

観光客がほっとひと息つけるカフェスペース。

観光客がほっとひと息つけるカフェスペース。

オフィススペースでは自社スタッフのほか、コワーキング利用者も。制作スタッフは長野県で採用し、ゼロからWebデザイナーとして教育した4人が勤務している。

オフィススペースでは自社スタッフのほか、コワーキング利用者も。制作スタッフは長野県で採用し、ゼロからWebデザイナーとして教育した4人が勤務している。

2拠点での事業展開は、いろいろな変化をもたらしました。

「長野県で行政関連の仕事ができ、それが実績となって
東京で仕事の幅も広がりました。一番大きな変化は、仕事への姿勢かもしれません。
東京では『大手からの仕事を受注して、人材を多く雇って会社を大きくしたい』
という思いだったのに、長野県に来てからは
『よい人材を得てしっかりと教育し、仲間を増やして長く仕事を続けていきたい』
という感覚が強くなりました」

また2拠点生活は自然と自分を切り替えるスイッチになっていることも、
仕事の拡大につながっているのかもしれません。

「人柄がいいのが一番の長野県の魅力ですね。
環境面でもストレスが少なく、東京よりはるかに仕事がしやすいです。
心にも余裕が生まれて、僕は東京にいるときよりも
話しかけられやすい雰囲気になっていると思いますよ(笑)」

現在は、長野県南部の伊那市で、宿泊もできる
新たなコワーキング施設をつくるプロジェクトも進行中。
長野県内でさらに活動の拠点を広げ、人材育成や社員教育に力を入れていく予定です。

東京の仲間がいるからこそ
暮らしていける。
北海道に移住してわかる、東京の大切さ

東京に降り立ったタイミングできた、仕事の依頼

3か月ぶりに訪ねた東京は、早咲きの桜が咲いていた。
いつもより余裕をもって、今回の滞在は1週間。
このタイミングで、普段、本づくりの仕事を
一緒にしている仲間を訪ねたいと考え上京した。

新千歳空港から羽田空港へ降り立って、
執筆と編集の依頼がきた会社を訪ねる道すがら、不思議なことが起こった。
携帯電話が鳴ったので何気なく出てみると、
いままで仕事をしたことのない雑誌からの依頼だった。

それから数時間後に、今度は私が東京の出版社に勤めていた頃からお世話になっている
デザイナーさんからの電話があり、ある本の編集をしてくれないかと頼まれた。
どちらも、わたしが東京にいることは知らないはずなのに、
絶妙なタイミングで連絡が入り、ラッキーなことに
滞在中に打ち合わせもできたのだった。

思い返せば、東京から北海道に移住して8年。
最初の4年間は、東京の出版社に籍を置きつつ、
北海道で在宅勤務というかたちで仕事をすることができた。
その後、独立したわけだが、遠方にもかかわらず、
東京の仲間が私に仕事の依頼をずっとし続けてくれていている。

羽田空港からモノレールに乗ると、わたしはつい写真を撮りたくなる。空も建物もみんなグレートーンでおもしろいと感じる。まるで旅行者のような感覚が芽生えている。

羽田空港からモノレールに乗ると、わたしはつい写真を撮りたくなる。空も建物もみんなグレートーンでおもしろいと感じる。まるで旅行者のような感覚が芽生えている。

今回、上京したとたんにかかってきた2件の電話は、
東京の人たちがこうしてつながりをずっと絶やさず持ってくれているからこそ、
北海道で家族5人がつつがなく暮らしているという事実を再認識させてくれた。

この連載では、北海道での暮らしを中心に書いてきたのだが、
実はわたしが毎日多くの時間を費やしているのは、
東京の仲間たちから依頼を受けた仕事。
大都会とのつながりが一家の経済を支えているわけだが、
そのことをいままでキチンと触れていなかったことに気づかされた。
そこで今回は、上京中に会った東京の仲間たちについて書いてみたいと思った。

子どもは3人。上のふたりはお留守番だが、第三子は一緒に上京している。打ち合わせにも同行させているが、1歳半を過ぎて、だんだんやんちゃになってきた。

子どもは3人。上のふたりはお留守番だが、第三子は一緒に上京している。打ち合わせにも同行させているが、1歳半を過ぎて、だんだんやんちゃになってきた。

小豆島から男木島へ、
瀬戸内コミュニティ

男木島のおもしろい人たち、すてきな場所

私たちが暮らす小豆島は香川県に属しています。
実は香川県は全国の都道府県の中で一番面積が小さいんです。

そんな小さな香川県ですが、有人島(人が暮らしている島)の数は
全国トップ5に入るほど多く、24島あります。
〈瀬戸内国際芸術祭〉によってアートの島として有名になった
直島や豊島(てしま)も香川県の島です。
24島のうちほとんどが人口1000人未満の小さな島です。

小豆島は例外的に大きく、人口約27000人! 
ホームセンターやスーパーなどもあって、ほかの島と比べたらとても大きな島なんです。

小豆島で暮らしていると、島の中でいろんなものがそろうので、
暮らしが島で完結します。
日々必要な食料品や消耗品はスーパーで買えるし、
農作業の道具や家を直すための材料もホームセンターで調達できます。
病院もあるので、よほど大きな病気でないかぎり、島を出ません。
もちろん足りないものもあるのですが、そういうときはネットで注文したり。

小豆島のお隣にある豊島で暮らす友人は、
買い出しや病院の通院などで小豆島にちょくちょく来たりしています。
男木島で暮らす友人は、高松に買い出しに出たりするそうです。

それはもちろん手間のかかることだと思うのですが、
ひとつの島で暮らしが完結してしまうよりも、
島から島へ、島から四国本土へと人が行き来したり、
もののやり取りがある暮らしもおもしろいかもなと、ふと思いました。

そう感じたのは、先日初めて男木島を訪れたとき。
男木島には会いに行きたい友人たちがいて、ずっと行きたいと思いつつ、
2年くらいタイミングを逃していました(いま思えば、
「行く」を実行に移さなかっただけだなとちょっと反省)。

小豆島から男木島へは船を乗り継いで行きます。
小豆島から〈オリーブライン〉で高松へ、
それから高松で〈めおん号〉に乗り換えて男木島へ。
片道約2時間かかります。遠い〜(汗)。
もし直接行ければきっと30分くらいで行けると思うんですけどね。船が欲しい。

奥に見えるのが小豆島と高松をつなぐ〈オリーブライン〉、手前が高松と男木島、女木島をつなぐ〈めおん号〉。

奥に見えるのが小豆島と高松をつなぐ〈オリーブライン〉、手前が高松と男木島、女木島をつなぐ〈めおん号〉。

高松港で偶然遭遇した男木島の〈象と太陽社〉の山口ファミリー。

高松港で偶然遭遇した男木島の〈象と太陽社〉の山口ファミリー。

高松での乗り換えのときに、買い出しに来ていた
〈象と太陽社〉の山口ファミリーと偶然遭遇。
さっそく会いたい人に会えた。
山口くんたちは男木島でハーブを使ったサロン〈海とひなたの美容室〉と、
サロンや製品に使うハーブを育てる〈海のハーブ園〉を営んでます。
一緒に男木島へ向かいました。

男木島の港。4月26日から開催される〈瀬戸内国際芸術祭2019〉の絶賛準備中。

男木島の港。4月26日から開催される〈瀬戸内国際芸術祭2019〉の絶賛準備中。

急な斜面にある男木島の集落。狭い道と高い石垣。

急な斜面にある男木島の集落。狭い道と高い石垣。

めおん号に乗って40分、男木島の港が見えてきました。
斜面にへばりつくように建てられた家々。
道は狭く、急な坂道。こりゃワクワクせずにはいられない。

畑から海が見られるなんて最高だなぁ。

畑から海が見られるなんて最高だなぁ。

石垣に囲まれた狭い道を登っていくと、山口くんの畑、海のハーブ園を発見。
小さな畑の向こうには海が見える。
サロンからも海と港に停泊中のめおん号が見える。海と坂のある集落。
島上陸後、数分で一気に男木島の魅力に引き込まれてしまいました。

歩いてまわれる男木島の集落。

歩いてまわれる男木島の集落。

サロンに飾られたドライハーブが美しい。

サロンに飾られたドライハーブが美しい。

鎌倉発ウクレレソングユニット。
〈小川コータ&とまそん〉が示す、
古くて新しい音楽のカタチ

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

鎌倉と藤沢の市境に位置し、多くの観光客で賑わう江の島。鎌倉の海沿いを走る江ノ電のほか、湘南モノレール、小田急線の終着駅にもなっている。

鎌倉と藤沢の市境に位置し、多くの観光客で賑わう江の島。鎌倉の海沿いを走る江ノ電のほか、湘南モノレール、小田急線の終着駅にもなっている。

地域密着型のウクレレソングユニット

大船駅12時30分発、湘南江の島行きのモノレール。
出発のおよそ5分前に入線してきたモノレールに乗客とともに乗り込むやいなや、
音響機器のセッティングをするのは、車掌帽をかぶったふたり組の男性だ。
そして、出発とともに、大船から江の島までを結ぶこの湘南モノレール沿線に
越してきたであろう女性について綴られた楽曲『空中散歩』の演奏が始まったーー。

これは、湘南江の島駅リニューアルを記念して開催された
〈小川コータ&とまそん〉のモノレールライブの一幕。
抽選によるライブチケットを手に入れた乗客たちは、
いまでは数少なくなった吊り下げ型モノレールの車内で、
江の島に到着するまでのわずか十数分の「空中散歩」を十分に満喫したようだった。

シンガーソングライターの小川コータさん(左)と、ベーシストのとまそんさん(右)によるウクレレソングユニット〈小川コータ&とまそん〉。

シンガーソングライターの小川コータさん(左)と、ベーシストのとまそんさん(右)によるウクレレソングユニット〈小川コータ&とまそん〉。

鎌倉を中心とした湘南エリアで、さまざまなイベントや夏祭り、
飲食店などを舞台にライブを行い、江ノ島電鉄の全15駅をテーマにした楽曲群など、
鎌倉各エリアの情景を歌い続けているウクレレソングユニット、小川コータ&とまそん。

満月の夜に、彼らのお気に入りやオススメの場所でライブを行い、
すでに80回もの歴史を積み重ねている〈満月キャラバン〉、
北鎌倉の由緒ある寺社を舞台とした音楽フェスティバル〈きたかまフェス〉、
さらに地元FM局でのレギュラー番組など、地域と密接に関わりながら、
鎌倉・湘南エリアの魅力を内外に発信し続けている。

従来の音楽業界のヒエラルキーとは一線を画し、
音楽における地産地消とも言える独自の活動を展開するふたりに話をうかがった。

地域のネットワークが生み出す
「偶然」の積み重ね。
〈真鶴出版2号店〉ついに完成

トミトアーキテクチャ vol.3

神奈川県の真鶴半島にある空き家を、ゲストと住民をつなげる
ゲストハウス〈真鶴出版2号店〉に改修したプロジェクト。
施工の過程と建築の全貌をお伝えします。

真鶴郵便局のアルミサッシ

真鶴駅から〈真鶴出版〉に向かう徒歩7分ほどの道中に、真鶴郵便局があります。
車が通れる、つまり真鶴の中では比較的大きな道に面しており、
木造2階建ての端正な建築だったのですが、
老朽化を理由に解体されるという噂がささやかれるようになりました。
真鶴出版2号店の設計が中盤に差しかかっていた頃です。

敷地内奥に新築の建物をつくるため、既存郵便局は解体されることに。2階には大きめのアルミサッシが整然と並んでいる。

敷地内奥に新築の建物をつくるため、既存郵便局は解体されることに。2階には大きめのアルミサッシが整然と並んでいる。

廃棄する予定の家具類の一部を見せていただく機会があり、
味のあるデスクや椅子、何に使うのかよくわからない
魅力的なオブジェクトを物色するなか、
解体を待つばかりの2階のアルミサッシが、
突如わたしたちの目には魅力的な資源に映るようになってきました。

長く使われてきたことを感じさせる木の机。郵便局らしい重厚なスチールの棚や、かつて使われていたであろう、はかりなどをいただいた。

長く使われてきたことを感じさせる木の机。郵便局らしい重厚なスチールの棚や、かつて使われていたであろう、はかりなどをいただいた。

というのも、設計中の真鶴出版の改修デザインにおいて、
背戸道との間にどんな「窓」をつくるかが、設計のポイントであり、
同時に悩みの種だったからです。当時は道に平行するような、
低い位置で水平に連続する窓(水平連続窓)をデザインしたいと考えていました。
生まれ変わる建築の最大の「見せ場」であったのですが、
予算との折り合いのなかで、どうやってつくるかが宙づり状態だったのです。

「この窓があの細い背戸道に移設されたら、どんなことが起こるだろうか?」
そんなワクワクに後押しされる熱意でもって、郵便局長に何度も頼み込んだところ、
「建物解体直前の2時間以内に取り外せるなら」という条件つきで、
許可をいただけました。

室内から外がどう感じられるかを検討して作成した「室内展開図」。低い水平連続窓がつくる浮遊感が、建築デザインの見せ場と考えていた。

室内から外がどう感じられるかを検討して作成した「室内展開図」。低い水平連続窓がつくる浮遊感が、建築デザインの見せ場と考えていた。

ジャズセッションのような救出劇?

2号店の施工をお願いしている地元真鶴の大工
〈原田建築〉の原田登さんにアルミサッシの採取について相談したところ、
こんな回答が。

「そんなことやったことない(笑)」

しかし原田さんは建具屋〈橘田建具店〉の橘田孝之さん、
左官屋〈柏木左官店〉の柏木健一さんを巻き込み、即席でチームを編成し、
郵便局2階のアルミサッシの窓を制限時間内で取り外すという
前代未聞の救出劇について、さっそく作戦会議が始まりました。
どこから屋根に乗り込むか、どうしたらきれいに外せるか、どう搬出するか、
2時間で本当にできるのかという検証を重ね、いざ本番当日。

3人の息の合ったチームワークによって、
2時間でふた組のアルミサッシを救出することができました。
搬出用の脚立の長さが足りない! というハプニングも、
実は郵便局の隣にある橘田建具店から長い脚立を持ってきて無事解決。

という具合に、物理的な近さによる瞬発力や、
電話1本ですぐ集まって会議できる緩やかな信頼関係があったからこそ、
まるでジャズのセッションのような即興性をもって、アルミサッシは救出されました。
使い方の決まっていないふた組のアルミサッシは、
ひとまず真鶴出版の裏庭にストックされました。

アルミサッシの救出劇。3人の息の合ったチームワークで、きれいな状態のままアルミサッシを採取することができた。(撮影:真鶴出版)

アルミサッシの救出劇。3人の息の合ったチームワークで、きれいな状態のままアルミサッシを採取することができた。(撮影:真鶴出版)

春を呼ぶ、阿蘇「草千里」の野焼き

草原を維持するため再開された、大切な行事

阿蘇の観光地としても有名な「草千里」の野焼きが3月2日に行われました。
移住する前に熊本を訪れた際、旦那さんに車で連れて行ってもらった草千里。
日本にこんな場所があるんだ! と感動し、
移住してからも時折行ってはパワーをもらう大好きな場所です。
そこでの野焼き、これは見なければと行ってきました。

野焼き前の草千里の様子。草地はすべて枯色です。

野焼き前の草千里の様子。草地はすべて枯色です。

阿蘇地域で2月から3月の早春の頃に行われる野焼きは、
草原を維持するための大切な作業。

野焼きをすることで前の年に生えた枯れ草を焼却し、
草原が森林に変わってしまわないよう低木類を抑圧して
牛馬が好むネザサなどの新しい草の芽立ちを助けます。
そうすることで牛や馬の放牧の場として利用するための
新鮮な草原を維持することができるのです。

阿蘇の草原の歴史は古く、『日本書紀』にも記述があり、
1000年以上にわたって人が自然と共生して維持してきた場所です。

阿蘇地方の野焼きは毎年日を分けて、北外輪山一帯や米塚周辺など数か所で行われます。
今回私が見学しに行った草千里は、阿蘇五岳の烏帽子岳の側火山として活動した
千里ヶ浜火山の火口跡を放牧地として草原化しています。

烏帽子岳の北麓に広がる78万5千平方メートルの大草原の中には
雨水が溜まってできたと言われる浅く広がる池がふたつ並んでいて、
初夏の新緑の緑と池の水が映す空の青とのコントラストがすばらしく、
阿蘇の観光地としても有名な場所です。

夏の草千里の様子。

夏の草千里の様子。

また、4月から11月頃までは乗馬体験用の馬が仕事を終えると放牧され、
夕方には自由に草を食む馬たちの姿を見ることもできます。
名だたる文豪たちも草千里を訪れており、
三好達治の『大阿蘇』という詩が草千里の情景をとてもよく表しています。

馬は草をたべてゐる
艸千里濱のとある丘の
雨に洗はれた青草を 彼らはいつもしんしんとたべてゐる
彼らはそこにみんな静かにたつてゐる
ぐつしよりと雨に濡れて いつまでひとところに 彼らは静かに集つてゐる
もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう

三好達治『大阿蘇』(抜粋)

三好達治がこの詩を書いてから80年以上経っていますが、
いまだにその風景は守り続けられています。

野焼きのときは一般の方は草原内には入ることができません。

野焼きのときは一般の方は草原内には入ることができません。

山を買ったら、出版社ができた!
思いがけない山の活用法に気づいて

岩見沢の図書館でお話会を開いてもらった!

東京から北海道に移住して8年が経ち、ここ最近、仕事の質に変化が訪れている。
ずっと続けてきた書籍や雑誌の編集の仕事だけでなく、
みなさんの前でお話をさせていただく機会が増えたことだ。

昨年から、地元岩見沢にある北海道教育大学の美術文化専攻で、
年に数回講師を務めたり、ほかにも一般の方に向けた講演会を行ったり。
そして今年の2月には、地元の岩見沢市立図書館で立ち上げられた
「ライブラリーカフェシリーズ」の第1弾の企画としてゲストに招いていただいた。

会場前には、わたしがこれまでにつくった本を並べてくださった。図書館員のみなさんの手づくりポップがうれしい。(写真提供:岩見沢市立図書館)

会場前には、わたしがこれまでにつくった本を並べてくださった。図書館員のみなさんの手づくりポップがうれしい。(写真提供:岩見沢市立図書館)

開催されたのは2月22日。金曜日の夕方、仕事帰りの方に向けて
コーヒーを片手に話を聞く場をつくりたいと企画されたイベントで、
地元の焼き菓子工房〈グランマヨシエ〉のスイーツもふるまわれ、
アットホームな雰囲気の会場をつくってくださった。

わたしが住む岩見沢の美流渡(みると)地区にちなんだお菓子も配られた。

わたしが住む岩見沢の美流渡(みると)地区にちなんだお菓子も配られた。

お話会のタイトルは「山を買ったら、出版社ができた!」。
2016年にわたしは山を購入。そこに出版社の社屋を建てたわけではないが、
この購入が、北海道で新しい活動を始める、
すべてのきっかけであったことをお話しした。

山を買った経緯については、この連載でも何度か紹介してきた。
そして、購入した8ヘクタール(東京ドームが4.7ヘクタール)のうち、
1ヘクタールに植林をした以外は、特に目立った活動はしていないことも書いてきた。
正直言って広すぎて、少し草を刈っただけでは、まったくなんの効力もない。
たまに遊びに行く以外は、たいした活用はできていないのが現状だ。

買った山は木が伐採されたあとの荒地だった。ブルドーザーが通った道があり、山肌が出ている箇所もある。

買った山は木が伐採されたあとの荒地だった。ブルドーザーが通った道があり、山肌が出ている箇所もある。

ただ、友人たちや仕事先で山を買った話をすると、
みんなが興味を持ってくれることがわかった。
特に、著名人に取材をするときには役に立った。
これまで、東京で編集者として“仕事できるぞオーラ”を出しつつ
やってきたつもりだったけれども、取材先で名前を覚えてもらうことは少なく、
その他大勢の編集者のひとりという感じだったのだ。

けれど「北海道に山を買ったんですよ」と口にすると、
相手がわたしに興味を示してくれることも増え、
「山を買った編集さん」として認識されるようになった(仕事にもよい影響!)。

山を買った話を雑誌や会報誌に寄稿することも増えた。右は『山つくり』、左は『TURNS』Vol.34。

山を買った話を雑誌や会報誌に寄稿することも増えた。右は『山つくり』、左は『TURNS』Vol.34。

自分たちの故郷の魅力を知ろう!
地元高校生とワークショップ

高校生が企画する、小豆島の魅力を感じるワークショップ

昨年の秋、小豆島にある高校から電話がかかってきました。
「〈HOMEMAKERS〉さんで野菜の収穫をしたり
調理をするワークショップをしたいんです」と。

小豆島にはつい数年前までふたつの高校がありました。
現在では合併してひとつになり、3学年で合計約600人くらいの子たちが通っています。
その高校の授業の一環で、高校生自身がワークショップを企画、
参加者を募集し、実施するというプログラムがあるそうです。
A4の用紙1枚にまとめられたコンセプトはとてもわかりやすくて、
なるほど! それはいいねというものでした。

今回のワークショップを企画した三浦さん(左)と圓山くん(右)と中筋先生(中央)。

今回のワークショップを企画した三浦さん(左)と圓山くん(右)と中筋先生(中央)。

私たちが営む〈HOMEMAKERS〉カフェに集合して、ワークショップが始まりました。

私たちが営む〈HOMEMAKERS〉カフェに集合して、ワークショップが始まりました。

毎年高校卒業とともにそのほとんどの子たちが進学・就職で島を出ていきます。
200人のうちの8割くらいが島外に行くそう。
島には大学がないので、進学しようとするとほぼ確実に島を出ることになります。
彼ら彼女らにとってずっと暮らしてきた小豆島の風景や文化は当たり前のもので、
その魅力を認識して語ることは難しい。
そりゃ、島になくて、外にあるものに憧れるのは普通です。

高校卒業とともに島の外に出ること自体はいいと思うんです。
むしろもっと早く出てもいいのかも。
でも、もし若い子たちが自分たちの故郷の魅力を知っていて、
そのうえで外に出ていったとしたら。
進学先や就職先などで小豆島の魅力を伝えられる人になるかもしれないし、
島に帰ってくるかもしれない。

だから、小豆島の魅力に気づいてもらえるような、
再発見できるような、島のことをより好きになってもらえるような
ワークショップをしたいというのが今回の企画。
すばらしい!

まずは玉ねぎ収穫!

まずは玉ねぎ収穫!

畑に高校生の子たちが来るのは初めてでした。

畑に高校生の子たちが来るのは初めてでした。

というわけで、なかなか高校生と一緒に活動できることもないし、
私たちにとってもいい機会だなと。
やりましょう! と快諾し、先日ワークショップが開催されました。

玉ねぎを収穫して根を切る作業も。

玉ねぎを収穫して根を切る作業も。

〈Bridge Bar〉
アメリカ人移住者が町家をリノベして
オープンした新湊内川沿いのバー

マチザイノオト vol.8

こんにちは。グリーンノートレーベル(株)の明石博之です。
富山県の場づくりプロジェクト〈マチザイノオト〉の連載は、これで最終回となります。

今回は射水市新湊地区を流れる内川に遊びに来たアメリカ人が、
このまちを気に入って移住し、長年の夢だった“BAR”をオープンした話です。

「内川の風景が忘れられない」アメリカ人のスティーブンさんが移住

そのアメリカ人とは、ハワイ州出身のスティーブン・ナイト(Stephen Knight)さん。
もともと日本の伝統芸能に興味を持って来日し、
一度帰国して再び来日してから翻訳の仕事を始めました。

スティーブンさんとの出会いは、いまから10年以上前のこと、
私がまだ東京に住んでいた頃です。
それから富山へ移住した約1年後の2011年4月に、
東京の八丁堀にある居酒屋でスティーブンさんと再会しました。

それがキッカケとなって、Facebookでの交流が始まり、
お互いに「いいね」をする仲が長い間続きました。

八丁堀の居酒屋で再会したときの記念写真。

八丁堀の居酒屋で再会したときの記念写真。

時は過ぎて2016年のこと。突然スティーブンさんから
「10年ぶりに、4泊くらいで全国の知人に会いに行くツアーをしたい。
ついては内川にも行きたい」というメッセージが来ました。

そして、同年10月にスティーブンさんと再会し、内川周辺を案内後、
〈カフェuchikawa六角堂〉で夕食をとりました。
わざわざ来たのには何か理由があるはずだと思い、いろいろなことを語り合いました。

そのとき聞いたスティーブンさんの夢は、バーをオープンすること。
昼間は、地域の人たちの営みを感じながら2階で翻訳の仕事をして、
夜になったら1階のバーカウンターに、というお話でした。

例として見せてもらったシンガポールの〈ショップハウス〉は、
まさにこの辺りにある町家スタイルの建物でした。
この瞬間、「内川沿いのバー」というイメージが膨らんで、
「その夢をここで実現できるし、空き家はたくさんある」と、
スティーブンさんに猛烈アピールしました。

田舎の漁師町にぽつんと1軒あるカフェでも、
なんとか商売が成り立っている事実もあります。

いままでは、近いようで遠い、Facebook友だちという存在でしたが、
この日を境に、隣人になるかもしれない存在へと変わりました。

〈カフェuchikawa六角堂〉で再会、妻あおいも合流して、楽しい時間を過ごす。

〈カフェuchikawa六角堂〉で再会、妻あおいも合流して、楽しい時間を過ごす。

それから3か月後、東京でスティーブンさんと再会して、
本気で移住を検討していることを知りました。
「内川のすてきな風景が忘れられないし、
すでに事業をしている先駆者がいることが心強い」と語ってくれました。

外国人であるスティーブンさんが、内川にひと目惚れしてくれたことを
本当にうれしく思いました。私はこのとき、これからどんな問題があろうと、
スティーブンさんが移住してバーをオープンするまで、
とことんつき合おうと決意しました。

長寿の秘密は“食”にあり?
〈信州感動健康料理アカデミー〉とは

「信州感動健康料理」って?

たっぷり盛られた、オーガニック野菜の彩りサラダ。
甘みの強い、信州特産のナカセンナリ大豆を使ったトマト煮込み。
シャリシャリ食感の焼き大根と、ジビエ味噌のマッチング。
余計な調味はされていないのに、ほっこりと味わい深い、古代米のリゾット。
さらには、ニオイコブシの枝を煮出した、“山の香り”のコンソメスープ!
「いったいどんな味!?」と興味をそそられませんか?

この料理は、新しい視点で長野県ならではの料理をつくり出そうという
プロジェクトのなかで開発された「信州感動健康料理」のメニューなんです。

この信州感動健康料理のポイントは、いたってシンプル。
全国でも一、二を競う長寿の長野県ならではの食材や調理法を用い、
「おいしいこと」
「心地よい時間を過ごしてもらうこと」
「驚きがあること」
この3つの要素を意識した一汁三菜を基本とする料理。

長野県に行ってこの料理が食べたい! 
たくさんの方にこう思ってもらうことを最終目標としています。

2019年2月8日(金)に開催された「信州感動感動料理 提案発表会」の風景。

2019年2月8日(金)に開催された「信州感動感動料理 提案発表会」の風景。

このプロジェクトの核となっているのが、
県内の料理人や生産者などを対象としたアカデミー。
第1期は17名が受講し、メニュー開発を行っています。

今回は、2019年2月8日(金)にアンジェロコート東京で開催された
「提案発表会」で、講師陣や受講生が開発し提案した
信州感動健康料理をいくつかご紹介します。

まずこのアカデミー、とにかく講師陣が豪華!
食文化研究家で「料理マスターズ」のシルバー賞受賞者の北沢正和さん、
郷土料理研究家の横山タカ子さん、
料理人として黄綬褒章を受章している湯本忠仁さんという、長野が誇る料理家たち。

彼らが発する言葉のひとつひとつが哲学的で、そのお話は驚きと発見の連続です。 
手がける料理やジャンルは違えど、同じ長野県で生まれ育った背景もあってか、
長野の食や文化への思いには、3人に共通するものがありました。

5周年を迎えた、
小豆島〈HOMEMAKERS〉カフェ

冬季休業が終わって、6年目のカフェオープン!

2014年2月22日にオープンした〈HOMEMAKERS〉カフェ。
この2月で5周年になります!

小豆島に引っ越す前から、カフェをやりたいという思いはありました。
普通なら自宅とは別の場所に店舗となる建物を借りて、
そこでカフェを開こうと考えるのかもしれませんが、
あまり悩むこともなく、当たり前のように自宅の一部をカフェとして開きました。

カフェをやりたいというより、自宅の一部を開きたい、住み開いて、
いろんな人を招きたい、来てもらいたいという気持ちが強かったのかもしれません。
居心地のいい空間で、おいしいコーヒーが飲めて、おいしいごはんが食べられて、
いい時間を共に過ごせる。そんな場所をつくりたいという思い。

WE ARE HOMEMAKERS! レジカウンターには友人たちの作品が並んでます。

WE ARE HOMEMAKERS! レジカウンターには友人たちの作品が並んでます。

キッチンに棚を新設。こういう作業をしてるときはとても楽しそう。

キッチンに棚を新設。こういう作業をしてるときのたくちゃん(夫)はとても楽しそう。

HOMEMAKERSカフェは、週に2日、金曜日と土曜日だけ開いています。
実は最初の1か月は土・日曜日に営業していました。
やっぱり一番お客さんが多いのは週末なので。

でも、土・日に営業してしまうと、子どもも揃った家族の休日がなくなってしまう。
なんのために島に引っ越してきたのか、家での時間を大切にするために
仕事を辞めて小豆島に来たのに、それでは意味がなくなってしまう。
というわけで、すぐに金・土曜日に変更しました。

最初の3年くらいは、近所のお母さんから
「金曜日は(人が)来ん曜日じゃ!」とネタで言われるくらい静かでしたが
(やっぱり平日にのんびり田舎のカフェに来る人は少ない、笑)、
でもここ最近は金曜日もけっこう賑やかで、
近所のおばあちゃんたちがお茶会しにきてくれたり、島の友人が来てくれたり、
週によっては金曜日のほうが土曜日より忙しいときもあったりします。

若くて元気なほうれん草。旬です。

若くて元気なほうれん草。旬です。

野菜の収穫は主に月・水・金曜日にしています。

野菜の収穫は主に月・水・金曜日にしています。

なぜ週2日だけなのか? という話ですが、私たちは毎日農業をしています。
畑で野菜を育てて、その野菜を販売しています。
週4日農業、週2日カフェというバランスがいまの私たちにとってはちょうどいい。
畑やカフェを手伝いに来てくれる仲間が増えて、
いまはカフェを営業しながら畑作業もしたりしているので、
もしかしたら今後カフェの営業日が増えるかも? 増えないかも?

収穫して土を落とした野菜たち。

収穫して土を落とした野菜たち。

お客様にお届けするように何種類かの野菜をセットにして箱に詰めます。

お客様にお届けするように何種類かの野菜をセットにして箱に詰めます。

夫が突然つくった巨大かまくらが
地域の輪を生み出して

撮影:新田陽子

その高さ2メートル超え。少しずつ巨大化していったかまくら

東京から夫の実家のある北海道に移住して、暮らしに劇的な変化があったのは、
冬の過ごし方だと思う。11月には初雪が降り始め、
4月になっても路面に雪が残っており、北国の冬はとにかく長い。

しかも、わたしが住む岩見沢市は北海道有数の豪雪地帯。
朝出かけようと思っても車が雪に埋もれているときもあるし、
吹雪になってホワイトアウトしているときもある。
なかなか予定が立てにくい状況の中、夫が除雪に精を出してくれるので、
なんとか子どもを幼稚園に連れて行ったり、仕事に出かけたりできている状態だ。

冬の天候は変わりやすい。突然、雪が激しくなりホワイトアウトすることもある。

冬の天候は変わりやすい。突然、雪が激しくなりホワイトアウトすることもある。

除雪に関して夫はかなり几帳面なタイプだと思う。
駐車スペースだけでなく、庭全体を除雪しており、
半日以上を費やすこともしばしばある。
わたしとしては、まだ次女が1歳半なので、
子どものフォローをしてほしいと思うこともあるのだが、
大雪が降ったあとは「オレは除雪で忙しいんだ!」と家を飛び出してしまう。

雪用のシャベルを使うほか、小型の除雪機も活躍。雪を巻き上げて遠くへ飛ばす。

雪用のシャベルを使うほか、小型の除雪機も活躍。雪を巻き上げて遠くへ飛ばす。

あるとき朝から外に出たっきり、昼になっても戻ってこないことがあった。
あまりに戻ってこないので、どうしたのかと思って外に出てみると、
なんと庭に巨大なかまくらができていたのだった。

北海道の雪はサラサラで、雪だるまやかまくらをつくるのに
適していないとよく言われる。
そこで夫は、膝をかがめて入れるくらいのスペースの骨組みを木でつくり、
そこに除雪機で雪を振りかけ、何日かかけて何層にも積み上げていったようなのだ。

しかも、これでかまくらが完成したのかと思ったのだが、
その後も上から除雪した雪を重ねていったようで、
壁の厚さが1メートルほどになった時点で、骨組みを取り外していた。
そして、さらに雪を重ね、重みで雪が締まってくると、
中が狭くなってくるので、スコップで雪をかき出し……。

高さ2メートル超えのかまくらが完成。

高さ2メートル超えのかまくらが完成。

身長150センチくらいの人なら真っ直ぐ立てる。中は思いのほか広い。

身長150センチくらいの人なら真っ直ぐ立てる。中は思いのほか広い。

わたしは日々、編集者として本づくりをしているのだが、
締め切りが重なって本当に忙しい時期になると、
夫の連日のかまくらづくりに、さすがに複雑な心境となった。

わが家では、わたしが仕事をして、
夫には家事と育児をかなりの部分で負担してもらいつつ、
家の改修などをしてもらっているのだが、
夫が「除雪が大変だ、大変だ」という言葉を聞くと、
つい「除雪じゃなくて、かまくらづくりで忙しいんじゃ……」と、
心の中でツッコミを入れたことが何度もあった。

そんな夫婦の火種(!?)となっていたかまくらが、
思いがけない出来事に発展していった。

〈Ka na ta〉加藤哲朗さんの
五感がつくる長野市信級のアトリエ、
服を売らないお店、そして旅館

PEOPLE GET READY TO NAGANO vol.3

本州のほぼ中央に位置する長野市は、東京から電車で約1.5時間。
車窓の風景は、木々の彩りへと移り変わる。
このまちの魅力は、そんな自然と隣り合わせの風土や食と美。
だけど、そればかりじゃない。

善光寺の門前町として、四方から訪れる旅人を迎え入れ、
疲れを癒してきた歴史がある。

いつの時代も、旅立つ人、旅の途中にいる人、
そして、彼らを受け入れる人たちが交差する長野市は、
次なる旅路をつなぐプラットホームだ。

そんな長野市で、自分の想いを込めた「場」を営み、
この土地ならではのカルチャーを培う人たちがいる。
彼らと交わす言葉から、これからの「ACT LOCAL」を考える。

体をめぐる「服と場」を見つめてきた〈Ka na ta〉

ひらがなの一文字が古来からもつ意味、
「か|あなた」
「な|眼、見ること」
「た|時間的・空間的方向性」
をコンセプトとするブランド〈Ka na ta〉。

2005年のスタート以来、大量生産・大量消費の「ファッション産業」とは距離をとり、
独自の世界観を築きながら、東京のアトリエと直営店、
吉祥寺の「服を売らない」直営店、長野市信級(のぶしな)のアトリエと、
年を重ねるごとに創作の場を広げてきた。

その軌跡は、「ファッション=流行」とは一線を画し、
彼らの表現そのものに魅了されたアーティストやミュージシャンにはじまり、
草の根的に多方面からの支持を受けるようになっていった。

メディアに露出することで他者に編集される、つくられた〈Ka na ta〉像よりも、
単純明快なオンラインショップよりも、お店という現実の場で、
「人と服が出会う過程に、自ら立ち会うこと」に重きを置いてきた彼ら。

その根底にあるのは、体にとって重要な「服と場」を
自分たちの目で見つめることだった……。

連載の第3弾となる今回は、
「あんまり慣れてないんだよね(笑)」と朗らかな笑顔でインタビューに応えてくれた
〈Ka na ta〉デザイナー・加藤哲朗さんを紹介。
長野市信級にアトリエを持ったことで生まれた創作の源泉や五感、
〈Ka na ta〉の現在点をここに記録する。

「道を通る経験」をデザインする。
〈真鶴出版2号店〉思考のプロセス

トミトアーキテクチャ vol.2

神奈川県の真鶴半島にある空き家を、
ゲストと住民をつなげるゲストハウス〈真鶴出版2号店〉に改修したプロジェクト。
今回は改修に着手するまでの思考のプロセスについてご紹介していきます。

25年前の熱量

真鶴町への若い移住者の多くが、移住を決心した理由のひとつに、
真鶴町独自のまちづくりのガイドライン『美の基準』の存在を挙げます。
「静かな背戸」「小さなひとだまり」といった69のキーワードを通して、
一見ありふれた、だけど生活や産業や歴史に深く根ざした風景を、
町が独自の条例を制定し大切に守り育てようとしている。
その美意識にただならぬものを感じるのでしょう。

『美の基準』の冊子。(撮影:MOTOKO)

『美の基準』の冊子。(撮影:MOTOKO)

真鶴の環境から見出された69のキーワードを紹介している。(撮影:MOTOKO)

真鶴の環境から見出された69のキーワードを紹介している。(撮影:MOTOKO)

真鶴に関わり、町の歴史や美の基準ができるまでの過程を知るなかで、
一番興味深く不思議な存在だったのが、美の基準の制定に関わり、
公共施設〈コミュニティ真鶴〉を設計した建築家、池上修一さんでした。
〈真鶴出版2号店〉の設計を進める過程で幾度となく、
約25年前の池上さんの底知れぬ熱量とその痕跡に出会うのです。

コミュニティ真鶴の正面外観。左側1階の外壁は、小松石の加工の過程で発生する破片である「木端石」を利用しています。さまざまな人が施工に参加した手づくり感は、既製品にはないおおらかな質感。

コミュニティ真鶴の正面外観。左側1階の外壁は、小松石の加工の過程で発生する破片である「木端石」を利用しています。さまざまな人が施工に参加した手づくり感は、既製品にはないおおらかな質感。

真鶴の各地でとれた石や竹といった地域素材や、漁網を編む技術などが寄せ集まってできている。また、既存樹木を生かした中庭型の配置計画が、建築によって裏表が生じないような工夫につながっている。

真鶴の各地でとれた石や竹といった地域素材や、漁網を編む技術などが寄せ集まってできている。また、既存樹木を生かした中庭型の配置計画が、建築によって裏表が生じないような工夫につながっている。

例えばそれは、美の基準がつくられるまでの紆余曲折を
書籍を通して知ることであったり、
コミュニティ真鶴の空間の質や創意工夫に満ちた建築のディテールを
肌で体験することであったり、
役場に眠っていた「植物秘伝帳」や「石材秘伝書」といった資料との出会いであったり。

私たちが関心を持ちリサーチや検討を始めようとすると、
すでに四半世紀前の池上さんの足跡がありました。
その事実に感動したり驚いたり悔しがったりしている私たちを、
微笑ましく眺めてくれているような、そんな温かい感覚がありました。

真鶴出版のふたりが役場の本棚に埋もれているのを見つけた「植物秘伝帳」と「石材秘伝書」。コミュニティ真鶴の設計時に調査した石の加工方法や相場、真鶴に自生する植物のリストなどをまとめ、その後に町や設計者に活用されることを目指した資料。

真鶴出版のふたりが役場の本棚に埋もれているのを見つけた「植物秘伝帳」と「石材秘伝書」。コミュニティ真鶴の設計時に調査した石の加工方法や相場、真鶴に自生する植物のリストなどをまとめ、その後に町や設計者に活用されることを目指した資料。

幸運なことに、その池上さんのご自宅にお邪魔をする機会を得ました(vol.1)。
真鶴の話、クリストファー・アレグザンダーという建築家の話、
建築家の働き方や役割と工務店の話、石材秘伝書や植物秘伝帳の話。
美の基準に込めた思いや、理想と現実の話、真鶴出版2号店の話。

おいしいごはんをご馳走になりながら、
このプロジェクトは決して自分たちだけのものではなく、
いろんなたくさんの取り組みに連なる一手であって、
その期待や責任の大きさをあらためて感じました。

池上修一さんのご自宅で会食。ご自身で設計された家は、親密なサイズ感の中に、立体的な遊び心のある空間が広がっていた。

池上修一さんのご自宅で会食。ご自身で設計された家は、親密なサイズ感の中に、立体的な遊び心のある空間が広がっていた。

ご自宅もすてきで、黒いテーブルの天板は、ホームセンターで買ったベニヤを、
お酒を飲みながら時間をかけて少しずつ削ったと聞き、
流通製品に固有の質感を(楽しみながら)与えていく作業に感銘を受けました。
このアイデアは2号店のとある部分で真似をしています。

本棚のクリストファー・アレグザンダーによる著作が集まる一角。

本棚のクリストファー・アレグザンダーによる著作が集まる一角。

ホームセンターで購入した合板を、ご自宅でお酒を飲みながら彫刻刀で少しずつ削ってできたテーブル。

ホームセンターで購入した合板を、ご自宅でお酒を飲みながら彫刻刀で少しずつ削ってできたテーブル。

池上さんとのお話を通して最も強く感じたこと。
それは美の基準やコミュニティ真鶴という建築の、
一見した素朴さの影に、強烈な個性が見え隠れするということです。

多数決的な決め方や人々の意見の間をとり、結果として凡庸になるのではなく、
数人の核となる個性と信念が、ある頑固さをもって突き進んでいき
初めて創造されるもの。そんなイメージを美の基準に重ねて抱くようになりました。
やさしい雰囲気の奥にある強烈な頑固さは、私の大学時代の同級生である
池上さんの息子さんにもしっかり受け継がれていて、妙に安心したものです。

〈テールベルト&カノムパン〉
ロールモデルはインディーズバンド!
進化し続ける鎌倉のベーカリーカフェ

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

鎌倉・扇ヶ谷にある〈テールベルト&カノムパン〉の2階席に開かれた大きな窓からは、山に囲まれた鎌倉らしい風景が望める。

鎌倉・扇ヶ谷にある〈テールベルト&カノムパン〉の2階席に開かれた大きな窓からは、山に囲まれた鎌倉らしい風景が望める。

カフェという枠にとどまらない活動

個人が経営する小規模な店舗が比較的多い鎌倉のまちには、
週休2日、あるいは3日というマイペースな営業スタイルのお店が少なくない。
もともと内装設計や家具製作などの仕事をしていた中村美雪さんが、
2011年にオープンさせたカフェ〈テールベルト〉もまた、営業日は週4日、
店休日には家具の仕事に取り組むというスタイルでスタートを切った。

2013年には、葉山に店舗を構えていた中村岳さんの〈カノムパン〉と合流し、
ベーカリーカフェ〈テールベルト&カノムパン〉としてリニューアル。

これを機に、パン用オーブンを設置するなど大きく改装したお店は、
その後も観葉植物を販売するショップや、
靴のオーダーメイドブランドの分室を店内の一角に設けるなど、
さまざまなメンバーたちを巻き込みながら、カフェという枠を超え、
まるで生き物のように有機的にかたちを変え続けている。

1階と2階をつなぐテールベルト&カノムパンの階段。コーヒーやパンなどの飲食のみならず、美雪さんたちがセレクトした本や雑貨、植物、さらに靴工房までが混在する独特の空間だ。

1階と2階をつなぐテールベルト&カノムパンの階段。コーヒーやパンなどの飲食のみならず、美雪さんたちがセレクトした本や雑貨、植物、さらに靴工房までが混在する独特の空間だ。

1階では、県内産の小麦とオーガニックな素材にこだわったさまざまなパンが販売されている。パンづくりを主に担っているのは、カノムパンの中村岳さん。

1階では、県内産の小麦とオーガニックな素材にこだわったさまざまなパンが販売されている。パンづくりを主に担っているのは、カノムパンの中村岳さん。

リラックスした空間の中で、さまざまな人やモノ、
カルチャーと出会うことができる場をつくり、
訪れる人たちを迎え入れるだけではなく、全国各地のイベントなどへの出店に加え、
夏季には長期休業をして国内外の各地に遠征するなど、
型破りのスタイルで常に新たな刺激を追い求めるテールベルト&カノムパン。

鎌倉駅から北西に歩いて15分ほど、閑静な住宅街に
隠れ家のように佇む同店に携わるメンバーたちが迎え入れてくれた。

取材に対応してくれたテールベルト&カノムパンに関わる面々。右から、テールベルトの中村美雪さん、シューズブランド〈Shy〉の片野翔平さん、フリーのデザイナー兼写真家のフルタヨウスケさん、カノムパンの中村岳さん。

取材に対応してくれたテールベルト&カノムパンに関わる面々。右から、テールベルトの中村美雪さん、シューズブランド〈Shy〉の片野翔平さん、フリーのデザイナー兼写真家のフルタヨウスケさん、カノムパンの中村岳さん。

〈岡崎カメラがっこう〉
地域の人が発信すること

まちの風景や暮らしを、写真で発信

私が生まれ育った場所は、愛知県の岡崎市です。
岡崎を出てひとり暮らしを始めたのがいまから約20年前。
それから一時的に岡崎に戻って暮らした時期もありましたが、
この20年間、年に数回実家に帰るだけで、
岡崎との関わりはほとんどありませんでした。

実は私も地元を離れて、大人になっても戻らない人のひとり。
いま私が暮らしている小豆島では高校卒業と当時に島を出て、
ほとんどの子が帰って来ないのが現実で、
なんでこんないいところなのに帰ってこないんだろうと思うけれど、
それは私も同じなんだなぁと。

生まれ育ったまちの魅力を知っている、魅力を感じながら暮らすというのは
なかなか難しいことなんですよね。

そんな自分の地元、岡崎のことを
ちょいちょい目にするようになったのはここ数年のこと。
大人になって知り合った人何人かが、岡崎で仕事をしていたり、
岡崎に遊びに行っていたり。
それをSNSで見て、あれ、岡崎ってこんなおもしろそうな人いたんだな、
こんなおもしろいことしてるんだなと気になるようになりました。

そして去年、その知り合いから
「三村さん、岡崎出身だったよね? 岡崎で地域を発信する講座をできないかな」
とお声がけいただいたのが、今回の〈岡崎カメラがっこう〉プロジェクトの始まりです。

2018年冬から始まった〈岡崎カメラがっこう〉プロジェクト。

2018年冬から始まった〈岡崎カメラがっこう〉プロジェクト。

昨年12月に開催された第1回目の講座。写真家のMOTOKOさんと地域から発信することについてお話しました。

昨年12月に開催された第1回目の講座。写真家のMOTOKOさんと地域から発信することについてお話しました。

今回の企画を一緒に進めてくれているNPO法人〈岡崎まち育てセンターりた〉のメンバーと。

今回の企画を一緒に進めてくれているNPO法人〈岡崎まち育てセンターりた〉のメンバーと。

私は小豆島で〈小豆島カメラ〉という活動をしています。
小豆島で暮らす仲間と一緒に、自分たちの暮らしている場所の写真を撮り、
自分たちで発信しています。
カメラを持って島の人に会いに行ったり、一緒にごはんをつくって食べたりする
「生産者と暮らしに出会う旅」というイベントも時々開催しています。

この小豆島カメラみたいな活動をする人たちを岡崎でも育てられないか。
岡崎で暮らす人たちが自分たちの暮らしを楽しみ、
いいなと思う風景や人を撮影し、発信できるようにできないか。
それが岡崎カメラがっこうの目的。

オリンパスさんが貸し出してくださったカメラを持って岡崎のまちを歩きます。

オリンパスさんが貸し出してくださったカメラを持って岡崎のまちを歩きます。

同じカメラを持っていることで、使い方や撮った写真について話が盛り上がります。

同じカメラを持っていることで、使い方や撮った写真について話が盛り上がります。

ひとりでは入りづらいお店を訪ねるいいきっかけに。〈フジイビニール〉さんへ。

ひとりでは入りづらいお店を訪ねるいいきっかけに。〈フジイビニール〉さんへ。

駅で書道!?
〈ひなた文庫〉の書き初め大会

年明けの真っさらな気持ちを書く、1年の幕開け

日本一長い駅名の駅舎の中にある古本屋〈ひなた文庫〉を始めてから、
1月の初旬に毎年続けている行事があります。
それは駅舎で行う書き初め大会。その日は古本屋の営業もしつつ、
同じ駅舎の一部で誰でも書き初めを行うことができます。

私は小学生の頃から習字を習い、高校では書道部に在籍していました。
大学生になっても墨と筆は身近な存在で、
大学で他県に引っ越すときもずっと使っている習字道具を一緒に持って行き、
気が向いたら習字道具を引っ張り出して、好きな言葉などを書いたりしていました。
書く内容が重要というより、墨と筆の感覚を愉しむ時間といった感じです。

文字の大きさやバランス、墨のかすれ具合や紙全体の余白の取り方、
1枚を書き上げるのにもたくさんのポイントがあり、奥の深い書道。
半紙の上に筆を落とすときの緊張感や、思いどおりの線が書けたときの満足感、
無性にそういった感覚を得たいと思うときがあるのです。

それは、少しモヤモヤした気分のときだったり、
なにか新しくやりたいことが見つかったときだったり。
書くことだけに集中することで、ざわついていた心が落ち着き、
書き終えるとなんだか気持ちがすっと静まる感じがします。

熊本にやって来て、本屋を始めてからもそれは変わらず続けていました。
あるとき、近所に住むお客さんに、小さい頃から習字を習っていて
いまもときどき書いたりしていると話すと、
「だったら習いたいなぁ、書道教室をやってほしいな」
と言ってもらったことがあります。

以前から自分がもう少し年をとったら、子どもたちを集めて
書道教室をやるのも楽しそうだと思っていました。
何より、私が感じているような、筆で書くことの楽しさを
もっとたくさんの人たちと共有できたらなと考えていました。

そんな思いから、まずはイベントとしてやってみようと始めたのが、
ひなた文庫の書き初め大会です。

駅舎の中に書き初めのできるスペースを用意し、筆も墨も半紙も用意して、
お客さんに書き初め体験をしてもらおうという企画です。
その年の目標でも、好きな言葉でも、書く内容は問わず
年明けの真っさらな気持ちを真っ白な半紙に書きます。

第1回目は近所の方が小さなお子さんと親子で来てくれたり、
書道の経験のある大学時代の友人がはるばる関西から訪ねて来てくれたり、
初めての企画にもかかわらず想像以上のお客さんが参加してくれました。
子どもの手をとりながら一緒に好きな線を書いたり、滲ませたり。

第2回に集まった作品たち。

第2回に集まった作品たち。

そして書いた文字は駅の窓辺に貼ります。
時間が経つにつれてお客さんの書いた目標や好きなもの、
子どもたちの絵など、個性豊かな作品が集まっていきます。

ひとしきり書いたらストーブの横でみんなで談笑。
友人はお客さんと仲良くなって、達筆な文字で
その子の好きな食べ物を書いてあげたりと和やかな時間となりました。

自給的な暮らしを求め万字へ。
アフリカ太鼓とともに旅を続けた夫妻

大雪の中で始まった、アフリカ太鼓のワークショップ

岩見沢の山間の地域に引っ越して1年が過ぎるなかで、
わたしは個性的な移住者のみなさんと出会うことができた。
これまで、〈ミルトコッペ〉というパン屋を始めた移住の大先輩や、
森をたったひとりで開墾して暮らす青年などを連載で紹介してきたが、
さらなる“強者”とでも言いたくなるような夫妻のことを、今回は書いてみたい。

万字(まんじ)地区の岡林夫妻が住む家。母屋の隣にあるのが廃材を利用して建てた小屋。

万字地区の岡林夫妻が住む家。母屋の隣にあるのが廃材を利用して建てた小屋。

その夫妻とは、昨年春より山間の万字(まんじ)地区に移り住んだ
岡林利樹さん、藍さんだ。秋に一度訪ねたふたりの住まいは、
わたしの住む美流渡(みると)から車で15分ほど山に入った場所にある。

敷地を見回して驚いたのは、移住してわずか数か月で、
廃材を利用した小屋を点々と建てていたことだ。
しかも、太陽光パネルで電力の一部を自給し、
また自分で火を起こして煮炊きをしているとのこと。
訪ねたときも小屋をつくっている最中で、近くで湧き出ている冷泉をくみ、
沸かして入るための風呂場になるのだという。

岡林利樹さん。「雪が降る前に風呂場になる小屋をつくらなくちゃ」と笑顔。

岡林利樹さん。「雪が降る前に風呂場になる小屋をつくらなくちゃ」と笑顔。

万字の町内会が大切に守っている冷泉「ポンネ湯」。硫黄の香りのする冷泉は、ポリタンクを持っていけば誰でもくめる。

万字の町内会が大切に守っている冷泉「ポンネ湯」。硫黄の香りのする冷泉は、ポリタンクを持っていけば誰でもくめる。

興味がわいたのは、その暮らしぶりだけではない。
冬になるとふたりは〈アフリカ太鼓 in 美流渡〉と題し、
近くの会館で太鼓のワークショップを週1回のペースで始めた。

初回をのぞいてみると、その腕前にまたまた驚かされた。
藍さんは「ドゥンドゥン」というベースを担う太鼓をたたき、
そのリズムに合わせて利樹さんが「ジャンベ」という太鼓を軽快に打ちならす。
子どもも参加できると聞いていたのだが、だからといってゆるさはなく、
「いずれはバンドを組んで地域のイベントに参加したい」と
真剣に参加者と向き合っていた。

藍さんはドゥンドゥンを担当。利樹さんと息の合った演奏をしている。

藍さんはドゥンドゥンを担当。利樹さんと息の合った演奏をしている。

ワークショップの様子。近所の子どもも参加。札幌からライブ仲間が訪ねてきたこともあったという。

ワークショップの様子。近所の子どもも参加。札幌からライブ仲間が訪ねてきたこともあったという。

いったい岡林夫妻とは何者なのか?
万字地区に移住するまでの道のりを、わたしはじっくり聞いてみたくなった。

夫の利樹さんは岩見沢市出身。
札幌の大学に進学した頃、旅に目覚め、
日本全国はもとより、東南アジア、インド、ネパールなどをまわり、
そうしたなかでアフリカの太鼓に出会った。

もともと太鼓は好きだったが、特にジャンベは心に迫るものを感じ、
以来、太鼓をキャリーに載せてさらなる旅へと向かっていった。
旅の途中で出会った仲間とセッションをしたり、ライブをしたり。
太鼓は独学だったが、場所の雰囲気に合わせて、
さまざまなリズムを奏でることができたという。

「ストリートで発表をしながら旅の資金が稼げるようになりました。
そうしたら旅が全然終らなくなって(笑)」

カリブ海沿いのキャンプ場で仲良くなった現地ミュージシャンと、夜のライブへ向けてリハーサルをしている様子。

カリブ海沿いのキャンプ場で仲良くなった現地ミュージシャンと、夜のライブへ向けてリハーサルをしている様子。

旅は7、8年続き20代後半となっていた頃、東京へと赴き、
いくつかのバンドでパーカッショニストとして活動していた時期もあった。
この頃、妻となる藍さんとも友人を通じて知り合った。

藍さんもまた旅人だった。
石川県出身で大阪の大学に進学し、バックパックを背負って旅に出た。
中国、タイ、カンボジア、ベトナム、ラオスなど各地をめぐり、
卒業後は一時就職したものの、やはり旅に出たいという気持ちが強く、
今度は日本をまわることにしたという。

「旅をしながらその場でお金を稼いで、また旅をする
というスタイルをやってみたいと思っていました」

そんなことを考えていたなかで利樹さんに出会い、ともに旅をするようになった。

氷見市〈Brewmin〉
海沿いの空き家をリノベした
クラフトビールカフェが誕生!

マチザイノオトvol.7

こんにちは。グリーンノートレーベル(株)の明石博之です。

気がつけば、本連載はもう7回目を迎えます。
毎回、当時のことを懐かしく思いながら、
自分の決意と向き合ういい時間となっています。

vol.1〜vol.6では、射水市の新湊地区を流れる内川周辺の活動をご紹介してきました。
そして次第に、その活動範囲は周辺のまちへと広がっていったのです。

風情あふれる漁師町・氷見市

今回の舞台は、寒ブリで有名な氷見市です。
新湊と同じく、富山湾に面した北陸有数の漁業のまち。
漁師町の風情あふれる黒瓦の町家群は、私の大好きなまち並みです。

富山湾越しに見える立山連峰の景色はすばらしい。

富山湾越しに見える立山連峰の景色はすばらしい。

市民の暮らしのすぐ近くにある氷見漁港、魚屋さんもたくさん。

市民の暮らしのすぐ近くにある氷見漁港、魚屋さんもたくさん。

漁港だけじゃなく、古い味噌蔵も酒蔵もある。

漁港だけじゃなく、古い味噌蔵も酒蔵もある。

古い建物好きが高じて、2014年頃から、
氷見市の歴史的建物の保存活用事業に関わるようになりました。
それからのご縁で、このまちに移住したい人たちを増やして、
移住するまでの支援をするというお仕事を、市役所の委託事業としてやっています。

この事業の運営組織として〈IJU応援センター・みらいエンジン〉を立ち上げ、
お借りした氷見市内の町家を拠点に、活動を展開しました。

移住したい人を応援する町家の拠点〈まちのタマル場〉。

移住したい人を応援する町家の拠点〈まちのタマル場〉。

昭和レトロな空間、まちのタマル場で働くスタッフたち。

昭和レトロな空間、まちのタマル場で働くスタッフたち。

日光のツアー
〈Kuriyama Go Travel〉
とシカ革を利用した〈Nikko deer〉。
秘境・栗山の魅力を発信する移住者夫婦

日光の最奥部・栗山地域の知られざる魅力

日光の観光地といえば、世界遺産にもなっている
日光東照宮を真っ先に思い浮かべる人は多いだろう。
しかしながら日光はとても広く、市としての面積は関東で最大(全国では第3位)。
それだけ魅力も多彩なのだが、観光目的で訪れる人の多くは、
東照宮周辺までしか足を延ばさないのが現状といえる。

光の加減で幻想的な色合いになるやしお湖畔。栗山らしいゆったりとした風景。

光の加減で幻想的な色合いになる、やしお湖畔。栗山らしいゆったりとした風景。

そんな広い日光でも最奥部といわれる栗山地域で、
地域おこし協力隊として知られざる魅力を発信しているのが、
疋野吾一さん、倉持みふさん夫妻だ。

静岡市出身の疋野さんが、日光市の地域おこし協力隊に着任したのは、
2015年4月のこと。

「もともと飲食店で働いていたのですが、キッチンにこもっていると
お客さんの顔を見る機会がどうしても限られてしまうんです。
もう少しいろんな人と関わったり、自分がやったことの成果が
目に見えるような仕事をしたいと思っていました」

栗山の隠れた名所「蛇王の滝」を案内する疋野さん。地元の人には「そうめんの滝」と呼ばれていたそうで、なぜ現在の名前になったのか、そのエピソードも興味深い。

栗山の隠れた名所「蛇王の滝」を案内する疋野さん。地元の人には「そうめんの滝」と呼ばれていたそうで、なぜ現在の名前になったのか、そのエピソードも興味深い。

「まちおこし」や「村おこし」というキーワードで
インターネット検索をしていたところ、地域おこし協力隊の制度を知り、
タイミングよく募集をしていた日光市に応募。
といっても疋野さんも多くの人と同じように、
「日光といえば東照宮」というイメージしかなかったようだ。

「東照宮近辺で働くのかなと思っていたのですが、
採用が決まって本庁でどこへ行けばいいか尋ねたら、
『車であと1時間くらい走ったところです』と言われて
びっくりした記憶があります(笑)。
でも先入観のない地域に行きたいと思っていたので、
そういう意味ではむしろ楽しみでしたね」

鉄橋の架かるダム湖は、撮影スポットとしても人気。

鉄橋の架かるダム湖は、撮影スポットとしても人気。

日光市の最北西に位置し、「栗山郷(くりやまごう)」と呼ばれるこのエリアは、
温泉好き・秘湯好きにはかねてから注目されてきた地域でもあり、
周囲を山々に守られるようにして手つかずの自然が数多く残っている。
こうした雄大な自然を貴重な観光資源と捉え、
疋野さんは先輩隊員とともに主に外国人観光客を栗山に呼ぶ活動を始める。 

「自分自身も海外旅行が好きでしたし、
得意な語学を生かして何かできることはないか模索していました。
僕より1年遅れて現在の妻が地域おこし協力隊として栗山にやってきたのですが、
彼女は前職で旅行会社に勤めていて、
総合旅行業務取扱管理者という国家資格を持っていたんです。
だったら旅行業ができる! と思ったんですよね」

アメリカの旅を振り返りながら、
小豆島暮らしの魅力を考える

離れてみてわかる、小豆島暮らしの良さ

アメリカ西海岸の旅から戻り、すっかりいつもの日常を過ごしています。
いつもの畑、いつものごはん、いつもの仲間。
あー、日常ってなんて愛おしいんだろうと
あらためて小豆島暮らしの良さを感じる日々です。

この日常の愛おしさ、日常の魅力ってなんで忘れてしまうんでしょう。
たった半月、小豆島から離れただけで、
小豆島ってほんとにいいところだなぁとあらためて感じています。

アメリカのポートランドに着いた日。滞在するAirbnbのホストが空港まで迎えにきてくれました。

アメリカのポートランドに着いた日。滞在するAirbnbのホストが空港まで迎えにきてくれました。

アメリカ滞在最初の夜。いつもの暮らしとは違って、夜にまちを歩く楽しさに興奮。

アメリカ滞在最初の夜。いつもの暮らしとは違って、夜にまちを歩く楽しさに興奮。

小豆島暮らし7年目にもなると、最初は新鮮だったことが
どんどん普通になっていきます。

波のない穏やかな瀬戸内海。その海に沈む夕陽。
すぐそばにある山々。島でつくられてる醤油やそうめん、
オリーブオイルなどの食材。畑仕事をする島の人々。
それから、この島には温泉もある(最近行ってないなぁ)。

これって、普通じゃない! 当たり前じゃない!
世界から見たらこんな場所、なかなかないんじゃないかと思います。
日本の中で探しても同じような場所はそんなにたくさんない気がします。

ポートランドでの最初の朝ごはんは、〈Seastar Bakery(シースターベーカリー)〉で。

ポートランドでの最初の朝ごはんは、〈Seastar Bakery(シースターベーカリー)〉で。

お店の真ん中にある大きな窯で焼かれたパン、その上に同じく窯焼きの目玉焼きだったりスクワッシュ(かぼちゃ)だったりをのせたすごくシンプルなメニュー。パンの小麦、野菜の味がしっかり感じられておいしかった。

お店の真ん中にある大きな窯で焼かれたパン、その上に同じく窯焼きの目玉焼きだったりスクワッシュ(かぼちゃ)だったりをのせたすごくシンプルなメニュー。パンの小麦、野菜の味がしっかり感じられておいしかった。

うちにも窯が欲しくなるなぁ。窯焼き野菜したい。

うちにも窯が欲しくなるなぁ。窯焼き野菜したい。

この日常の魅力をいつも忘れないようにするためには、
“外の人視点”を常に持っていたらいいと思うんです。

私たちは長い時間(といってもたった半月!)島から離れて、
違う文化の中で過ごしていたので、外の人視点が少し復活しました。
だから久しぶりに島に帰ってくるとき、船に乗って瀬戸内海を渡ったのですが、
穏やかな海、その海のところどころに浮かぶ島々を見て、
なんて美しい風景なんだろうと思いました。
あ、気持ちの半分くらいは懐かしさだったのですが。

外の人は、住宅街を歩くだけで楽しい。バークレーにて。

外の人は、住宅街を歩くだけで楽しい。バークレーにて。

広大な畑。これ全部イチゴ。どうやって収穫するのか謎。小豆島にあるイチゴ農家さんのハウスと比べるともう違う作物なんじゃないかと感じる。

広大な畑。これ全部イチゴ。どうやって収穫するのか謎。小豆島にあるイチゴ農家さんのハウスと比べるともう違う作物なんじゃないかと感じる。