空き家を地域の拠点へリノベーション。
熊野市〈コウノイエ〉プロジェクト

撮影:松村康平

多田正治アトリエ vol.3

前回まで三重県尾鷲市梶賀町の〈梶賀のあぶり場〉を紹介してきましたが、
今回はそれより3年ほど前のお話。
熊野市で学生たちと古民家の改修に挑んだプロジェクトについて紹介します。

桜の名所と黒石の産地、熊野市神川町

尾鷲市の隣の熊野市の山中に、神川町という人口300人ほどの集落があります。
神川町は、谷間を走る神上川(こうのうえがわ)に沿った集落で、
豊かな自然に囲まれています。
旧神上中学校の木造校舎がそのまま残されており、
いまでも当時の面影を知ることができます。

神川町の風景。

神川町の風景。

旧神上中学校。

旧神上中学校。

旧神上中学校のノスタルジックな木造校舎の廊下。

旧神上中学校のノスタルジックな木造校舎の廊下。

校庭や川沿いに桜が植えられており、春になると一帯が桜色に染まる
桜の名所としても知られています。

また神川町は「那智黒石」の日本唯一の産地でもあります。
那智黒石はキメの細かい漆黒の美しい石で、
碁石や硯(すずり)として用いられている石材です。
その歴史は古く、平安時代に硯として用られていた記録もあるほどです。

那智黒石採掘場。(撮影:高見守)

那智黒石採掘場。(撮影:高見守)

熊野の山中にはいくつもの集落がありますが、そこでよく見られるのが、
「石垣」と雨よけの「ガンギ」のある民家です。

石垣の上にガンギ(赤茶色の三角形の部分)のついた民家と小屋が並ぶ。

石垣の上にガンギ(赤茶色の三角形の部分)のついた民家と小屋が並ぶ。

平地が少なく、地質学的に石がたくさん採れる熊野では、
家や耕作地のために多くの石垣が築かれたようです。

いろいろなところで、丸い石を野面積み(自然石を加工せずに積むやり方)にした
石垣をよく見かけます。
また熊野の多雨に対応するため、家の妻側(建物の長い方向に対して直角な側面、
つまり家のシルエットをしている面)に雨を除ける板が取りつけられています。
熊野の大工さんはそれを「ガンギ」と呼んでいます。
東北地方の民家で見かける雪除けの「雁木」とは別物です。

石垣とガンギの風景は、民俗学の今和次郎も著書『日本の民家』に書いています。
昔からあった風景なのでしょう。神川町にも同様の民家がいくつも見られます。

〈うさと〉の服展示販売会に、
地域の作家による『みる・とーぶ展』。
岩見沢の山あいで何が起こっている?

森のなかに立つ、山荘で開催された〈うさと〉の服 展示会

6月末からの1週間、わたしのまわりではイベントが目白押しだった。
わたしと地元の仲間で続けている地域PRプロジェクト〈みる・とーぶ〉のイベントと、
上美流渡(かみみると)にある〈美流渡の森の山荘〉で行われたイベントがあり、
さまざまな人の交流が生まれていった。

まずひとつ目は、美流渡の森の山荘で6月28日から4日間開催された
「うさとの服 展示販売会」。
〈うさと〉とは、タイ在住の服飾デザイナー、さとううさぶろうさんデザインによる、
手紡ぎ、天然染め、手織りの布でつくられた服のこと。
着ごこちのよい服のファンは全国におり、うさとのコーディネーターを務める人々が
各地で展示会を企画、販売する活動を行っている。

美流渡の森の山荘に飾られた〈うさと〉の服。布の素材は、コットン、ヘンプ、シルクの3種類。布はタイの農村に住む女性たちを中心に織られている。(写真提供:やまだひろこ)

美流渡の森の山荘に飾られた〈うさと〉の服。布の素材は、コットン、ヘンプ、シルクの3種類。布はタイの農村に住む女性たちを中心に織られている。(写真提供:やまだひろこ)

美流渡の展示会は、神奈川県在住のやまだひろこさんがコーディネーターとなった。
会場となった山荘のオーナーである中川文江さんと以前から交友があり、
月1回、神奈川から美流渡へやってきて太極拳の講座を開いている師範でもある。

今年は昨年に続き2回目。服の販売だけでなく、
東京から江戸小紋の型彫り職人も訪れ、作品展と体験ワークショップも開催。
また、この地域から〈コーローカフェ〉や、
アフリカ太鼓の奏者でマクラメアクセサリーの販売も行っている
〈らんだ屋〉も出店した。

このほか会期中の29日には、秩父在住のカゴ作家の長谷川美和子さんによる
クルミの皮を使った花カゴづくりのワークショップもあって、
昨年にも増してにぎわいを見せていた。

やまだひろこさん(左)と〈美流渡の森の山荘〉のオーナー、中川文江さん(右)。中川さんは地域で人気の森のパン屋〈ミルトコッペ〉の女将でもある。

やまだひろこさん(左)と〈美流渡の森の山荘〉のオーナー、中川文江さん(右)。中川さんは地域で人気の森のパン屋〈ミルトコッペ〉の女将でもある。

花カゴづくりのワークショップ。クルミの皮を編んでつくった。

花カゴづくりのワークショップ。クルミの皮を編んでつくった。

会場となった美流渡地区は、人口わずか400人ほどの集落。
岩見沢の駅から車で30分と決してアクセスのよい場所ではないが、
この展示会の吸引力には目を見張るものがあり、
4日間の開催で200人を超える来場者があったという。

「自然とともに暮らしているからこそ、
うさとの服の魅力が伝わるのかもしれません」(やまださん)

うさとの服

美流渡の森の山荘では、7月7日に「美流渡の森 2019夏 サロンコンサート」も行われた。ピアノ、バイオリン、声楽など音楽家が集まり、アットホームなコンサートが開催された。

美流渡の森の山荘では、7月7日に「美流渡の森 2019夏 サロンコンサート」も行われた。ピアノ、バイオリン、声楽など音楽家が集まり、アットホームなコンサートが開催された。

瀬戸内国際芸術祭の夏会期、
小豆島〈HOMEMAKERSカフェ〉は
週5日営業!

農業とカフェ、自分たちの働き方について考える

いきなり宣伝みたいなタイトルでごめんなさい(笑)。
はい、もう書いてあるとおりなのですが、
今年の夏(7月19日~8月17日)は週5日カフェを開きます。
普段、週2日、金曜日と土曜日しかカフェ営業していない私たちにとって、
これはけっこう大きな挑戦だったりするんです。
ということで、今日はどうして週5日カフェを営業することにしたか書こうと思います。

自宅の一部をカフェとして開いています。そのすぐ隣の建物が野菜の出荷作業場。

自宅の一部をカフェとして開いています。そのすぐ隣の建物が野菜の出荷作業場。

年間通していろいろな野菜を育てています。旬野菜セットとして販売。

年間通していろいろな野菜を育てています。旬野菜セットとして販売。

そもそも〈HOMEMAKERS〉って何をしてるんだろう?
(どうやって稼いでるんだろう?)ということで、
あらためて書いてみると、主には以下の3つのことをしています。

・野菜を育てて販売する(年間80種類くらい)。

・育てた野菜でシロップや調味料などの加工品をつくって販売する。

・育てた野菜を食べてもらうカフェを営業する。

この組み合わせが私たちの日々していることです。
ちなみに現在の売り上げの比率は、
野菜売り上げ:加工品売り上げ:カフェ売り上げ= 1:2:1
です。

島外の方へはダンボールに野菜を入れて郵送しています。

島外の方へはダンボールに野菜を入れて郵送しています。

自分たちで育てている生姜、柑橘を使ってシロップや調味料を製造・販売。

自分たちで育てている生姜、柑橘を使ってシロップや調味料を製造・販売。

では、どんなふうに組み合わせて働いているか、1週間のスケジュールを見てみると

月曜:畑作業、出荷準備、事務作業など

火曜:みんなで畑作業、野菜出荷、配達

水曜:みんなで畑作業、野菜出荷、配達

木曜:畑作業、カフェ仕込み、野菜出荷準備、事務作業など

金曜:カフェ営業&野菜出荷

土曜:カフェ営業

日曜:休み

大きな流れとしては、月~木曜は畑作業、
金・土曜はカフェ営業、日曜は休みという感じです。
最近は一緒に働いてくれる仲間が増えたこともあり、
金曜日はカフェの営業をしながら、野菜の収穫、出荷作業をしたりしています。

今年はトウモロコシを上手に育てられました。

今年はトウモロコシを上手に育てられました。

家族や友人がおいしいと言って食べてくれるのがほんとにうれしい。

家族や友人がおいしいと言って食べてくれるのがほんとにうれしい。

伝統構法を学ぶリノベーション。
大型木造建築〈旧八女郡役所〉
プロジェクト・工事編

中島宏典 vol.2

福岡県八女市〈旧八女郡役所〉の改修プロジェクトの続編です。
リノベーションの準備段階、そして歴史的木造建築のリノベーションを経験して
学んだ技術や知識について紹介していきます。

リノベ前の旧八女郡役所。

リノベ前の旧八女郡役所。

まちの核としての建物

工事の準備を進めながら、建物が持つべき「まちの核」としての役割を考えていました。
旧八女郡役所は、国の重要伝統的建造物群保存地区、八女福島にある
歴史的に非常に重要な意味を持つ建物です。

明治中期から戦前にかけて、八女地方では都市や山村の基盤が充実していきました。
その礎になったのが、当時の郡長・田中慶介が作成した
「八女郡是(ぐんぜ)」や各地域の「町村是(ちょうそんぜ)」で、
その制作の舞台となったのが八女郡役所でした。

郡是とは、今日でいう、まちづくりのマスタープランのようなものです。
足元を見つめて具に調査をし、将来を計画し実行する。
まさに私たちが現在やるべきことが記されています。

つまり、旧八女郡役所はまちづくりにおいて、
重要なメッセージを発信する場所であったということです。

昭和35年頃の旧八女郡役所の建物(当時は服部飼料店)。

昭和35年頃の旧八女郡役所の建物(当時は服部飼料店)。

鬼瓦には福岡県の「福」の文字が刻印されていた。鬼瓦は、工事中に降ろして保管中。

鬼瓦には福岡県の「福」の文字が刻印されていた。鬼瓦は、工事中に降ろして保管中。

さらに、旧八女郡役所は立地面でもまちの核になりうると考えていました。
中心街のまち並みの中央南側に位置し、少し南西には観光物産館や案内所があるので、
まちのハブになることも見据えた計画としました。

郡役所リノベの準備として、〈つどいの家〉をDIYリノベ

旧八女郡役所の改修に着手する前、2015年の春から夏にかけて、
八女市が所有する昭和初期の空き家を借りて、
移住者向けシェアハウス〈つどいの家〉に改修する計画が持ち上がりました。

床が一部腐っていることと、若干の屋根の雨漏り以外は
大きな修理が必要なさそうでした。

本来であれば、安全を考慮して耐震改修も考えたいところですが、
自分たちの手で最低限のリノベをすることにし、
次に待ち構える郡役所の改修に向けて経験を積むことも目標のひとつとしました。

つどいの家でワークショップ中。休憩中の学生と外観。

つどいの家でワークショップ中。休憩中の学生と外観。

ワークショップ形式のDIYリノベとして、
床づくり、床・壁のペンキ塗装を実施しました。
ワークショップは思った以上に準備が大変なことや、
参加者にはプロジェクトや建物に愛着を持ってもらえるなど、
ワークショップのメリット、デメリットを多く経験しました。

経験が浅い僕たちにとっては、まずは規模が小さい活動から取り組み、
そこでの学びを生かして大きいプロジェクトに挑戦していくのが良さそうだと
実感しました。

つどいの家で一部床の解体中。

つどいの家で一部床の解体中。

地元住民と一緒にもちつき。

地元住民と一緒にもちつき。

ついに110名掲載!
地域のみんなの顔が見える
〈みる・とーぶマップ〉

観光名所はあんまりないけど、土地の魅力は“人”

岩見沢の山あいに住むみなさんの顔が見える地図
〈みる・とーぶマップ〉の制作も今年で3年目を迎えた。

この地図は、万字(まんじ)、毛陽(もうよう)、美流渡(みると)、
朝日、上志文など、東部丘陵地域と呼ばれる地域を取り上げたもので
(東部を見るで、名前は〈みる・とーぶ〉)、わたしがイラストとデザインを担当。
年1回、地域住民や新しいスポットを加え、
その年の版としてさまざまな場所で配布を行っている。

制作のきっかけは、3年前に開催された札幌でのイベント。
この地域で活動する工芸家やアーティスト、
手づくりの好きな人たちの作品を集めた『みる・とーぶ展』を行うことになり、
地域のことがわかる何かがつくれないかと思ったことだ。

しかし、北海道の名だたる観光地とは違い、岩見沢の山あいは名所に乏しいエリア。
普通の観光マップのような体裁では、この地の魅力を伝えることは難しい。
そんな状況のなかで、あらためて地域のよさを考えてみたときに、
まずおもしろいのは個性あふれる人たちが
住んでいるところなんじゃないかと思いついたのだった。

そこで、札幌のイベントを一緒に計画していた地域の仲間と、
地元の人たちひとりひとりに取材をして、顔写真を撮り、
ひと言コメントを寄せてもらい、それをわたしがイラストに起こして
地図を制作することにした。

岩見沢の山あいの地域に住むみなさんの似顔絵とひと言コメントを掲載。

岩見沢の山あいの地域に住むみなさんの似顔絵とひと言コメントを掲載。

何より大変だったのは住民への取材。
メールやSNSで気軽にお願いできる人だけではない。
その多くは、直接訪ねて行って趣旨を説明してというプロセスを
踏んでいかなければならかなった。

そこで、東部丘陵地域には10ほどのエリアがあるのだが、
その中でも私たちが住んでいる地域に近い、
朝日、美流渡、毛陽、万字に絞って紹介することにした。
2年目の更新時には、朝日の隣の地区、上志文も加えるなど、
自分たちのできる範囲を少しずつ広げていっているところだ。
そして今年、110名の地域の人の顔を紹介するところにまでなっている。

ジャバラ折りで8面になっていて、写真と地図とで構成されている。

ジャバラ折りで8面になっていて、写真と地図とで構成されている。

小豆島の虫送り、
農業と暮らしが里山の風景をつくる

美しい棚田の風景に思うこと

もうすぐ7月。「虫送り」の季節です。

虫送りは、火手(ほて)とよばれるたいまつに火を灯し、
田んぼのあぜ道をみんなで歩いて虫よけと豊作を祈願する行事。
映画『八日目の蝉』にも出てくるのですが、
小豆島といえばこれでしょ、と言ってもいいくらい美しくて神秘的な光景です。

中山の虫送り(2014年撮影、以下同じ年の虫送り風景)。

中山の虫送り(2014年撮影、以下同じ年の虫送り風景)。

火手に火をつけてもらって田んぼのあぜ道を列になって歩いていきます。

火手に火をつけてもらって田んぼのあぜ道を列になって歩いていきます。

列になって火が動いていくのがとても美しい。

列になって火が動いていくのがとても美しい。

火手を持って20分くらい歩いていきます。

火手を持って20分くらい歩いていきます。

江戸時代から続くと言われている小豆島の虫送りは、
いまは肥土山(ひとやま)地区と中山地区で行われています。
毎年、肥土山の虫送りは「半夏生(はんげしょう)」の日(7月2日頃)、
中山の虫送りは7月の第1土曜日に行われます。

今年(2019年)は、7月2日(火)に肥土山虫送り、
7月6日(土)に中山虫送りが行われます。
タイミングがあえば、ぜひ小豆島を訪れて見てほしい行事です。

いまから5年前、2014年の中山千枚田の風景。

いまから5年前、2014年の中山千枚田の風景。

7月の棚田は黄緑色の稲がとにかく美しい。

7月の棚田は黄緑色の稲がとにかく美しい。

その虫送りの舞台となる中山の棚田に先日行ってきました。
4月末から5月頭にかけて田んぼに植えられた稲がだいぶ大きくなっていて、
夏に向けて緑がどんどん濃くなっていきます。
本当に美しいところだなぁと思います。

今年の中山千枚田風景。奥に見える小さな建物は、「中山湯船の水 共同洗場」。

今年の中山千枚田風景。奥に見える小さな建物は、「中山湯船の水 共同洗場」。

共同の洗場で洗濯をする近所のおばあちゃん。昔はみんなここで洗濯したり、野菜を洗ったりしたそう。

共同の洗場で洗濯をする近所のおばあちゃん。昔はみんなここで洗濯したり、野菜を洗ったりしたそう。

絶えることなく流れる中山の湧き水。

絶えることなく流れる中山の湧き水。

鎌倉のまちなかで山形を発信!?
〈ふくや〉の山形そばが、
鎌倉で人気を集めている理由

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

鎌倉で人気の山形そばの店〈ふくや〉は、寺社仏閣が住宅街の中に点在する大町エリアにある。

鎌倉で人気の山形そばの店〈ふくや〉は、寺社仏閣が住宅街の中に点在する大町エリアにある。

鎌倉で地元・山形の食を発信する

全国各地から観光客が訪れる鎌倉は、
さまざまな土地の出身者が暮らしているまちでもある。
今回の主人公であるヤマカワマサヨシさんもまた、20代半ばまで山形で過ごした後、
東京生活を経て、鎌倉に自らの居場所を見出したひとりだ。
ヤマカワさんが2011年より営む〈ふくや〉は、看板メニューの山形そばを中心に、
山形のお酒や食材、郷土料理を提供してくれるまちの人気店だ。

ふくやの「肉そば」。太い田舎そばを、鶏とかつおの合わせだしでいただくお店の看板メニューだ。

ふくやの「肉そば」。太い田舎そばを、鶏とかつおの合わせだしでいただくお店の看板メニューだ。

東京のデザイン事務所に就職したことを機に上京し、
ほどなく鎌倉に移り住んだヤマカワさんは、フリーのデザイナーとして独立し、
日々の仕事に勤しむ傍ら、上京したことであらためて知った山形料理のおいしさや、
幼少期から親しんできたソウルフードを提供するべく、
人気飲食店の閉店後の時間帯を使って間借り営業をはじめ、
やがてカウンターのみの小さな空間でふくやを開店した。

地元の食材やお酒を扱うだけではなく、
料理担当者は全員山形出身であることにこだわってきたふくやは、
等身大で郷土の魅力を発信するなかで生まれたさまざまな縁によって、
鎌倉に2店舗を展開し、さらに新天地となる京都での出店も控えている。

現在もデザイナーと二足のわらじでふくやを営むヤマカワさんは、
いかにしてここまで展開を広げることができたのか。
ふくやの原点である、鎌倉・大町にある店舗を訪ねた。

ふくや外観

住民や学生とセルフビルドで。
次世代に「あぶり」文化をつなぐ
新拠点〈梶賀のあぶり場〉が完成!

多田正治アトリエ vol.2

三重県尾鷲市梶賀町で立ち上がった〈梶賀のあぶり場〉プロジェクト。
vol.1に続き、工事から完成までの様子をお届けします。

いよいよ〈梶賀のあぶり場〉の工事が開始です。

海女小屋は改装し、小屋の正面には増築をする計画で、
掃除から引き続き、学生や地域のみなさんとセルフビルドで進めました。
改装部分の工事と増築部分の工事をそれぞれご紹介していきます。

海女小屋の改装編

【解体してみる】
まずはみんなで解体作業をしました。バールで壁や床をはがします。
天井も「せーの!」で一気に落としました。

みんなで解体。(撮影:浅田克哉)

みんなで解体。(撮影:浅田克哉)

【床をつくってみる】
床の下地の一部は傷んでしまっており、別の材に取り替えました。
その上から合板を張っていきます。

床下地の合板張り。(撮影:浅田克哉)

床下地の合板張り。(撮影:浅田克哉)

根太(下地材)の入れ替えのため、仕口(部材の接続部分)の加工をする。(撮影:浅田克哉)

根太(下地材)の入れ替えのため、仕口(部材の接続部分)の加工をする。(撮影:浅田克哉)

【断熱材を入れて天井を張ってみる】
垂木と垂木(屋根の下地)の間に断熱材を入れていきます。
昔の小屋なので、粗いつくりです。垂木は直角にも平行にもなっていないので、
各部分の寸法を測り、その形に合わせて断熱材を切り出します。
断熱材の上から仕上げの板(シナベニヤ)を張りますが、
それも垂木に釘を打つ都合上、各部の寸法に合わせてカットしました。

天井に断熱材を入れる。場所によっては下地を追加する。(撮影:浅田克哉)

天井に断熱材を入れる。場所によっては下地を追加する。(撮影:浅田克哉)

【FRPで防水、塗装してみる】
床の上にFRP防水をします。
FRPとはプラスチックの一種で、ガラス繊維で補強されたプラスチックです。
身の回りだとユニットバスなどがFRPでできており、
建築でも防水工事などで用いられます。

漁船の甲板修理などでも用いられるので、漁師にコツを教わり、
ネットで使い方を予習して、いざ作業開始。
ふたつの液体(ポリベストと硬化材)を混ぜて、
ガラスマット(ガラス繊維をマット状に加工したもの)の上から垂らして、
ローラーで伸ばしていきます。

液体の混合比率で硬化する時間が変わるし、
ガラスマットから繊維が飛び散るし(肌に触れるとチクチクする!)、
うまく施工するのに悪戦苦闘しました。
壁と床の角には、曲面型の面木(面をとるために角に打つ材)を入れています。

FRPを流しこむ。

FRPを流しこむ。

FRP施工後。

FRP施工後。

硬化したら次は塗装。滑り止めの砂入を混ぜた塗料を使って、
床から少し立ち上がった位置まで青で塗装しました。
この青色は、海や船をイメージした色で、塗料屋さんに調色していただきました。
仕上がると、爽やかな青が包み込むような空間ができあがりました。

青に塗っていく。(撮影:浅田克哉)

青に塗っていく。(撮影:浅田克哉)

【シンク台をつくってみる】
シンク台は本体を耐水合板でつくり、天板にDIY用のモザイクタイルを貼り、
側面は塗装しました。シンクや水栓金物はネットで注文をし、
配管は梶賀の水道屋さんにお願いして取り付けました。
足元は床と同じように曲面型の面木をつけて途中まで青で塗装しました。
床から「生えた」ようなシンク台のできあがり。

シンク台をつくる。(撮影:浅田克哉)

シンク台をつくる。(撮影:浅田克哉)

床と連続するシンク台。

床と連続するシンク台。

【照明器具をつくってみる】
シンクの上につく照明器具は海に浮かんでいる「ブイ」を加工してつくりました。
それ以外の照明は、いわゆる裸電球(ただしLED)ですが、古い民家で使われていた、
電線を支持・絶縁する「碍子(がいし)」を再利用して吊るしています。

照明器具を取り付けてみたところ。

照明器具を取り付けてみたところ。

ワインを熟成させるように、
美流渡で作品をつくりたい。
アーティスト、ニコラ・ブラーさん

(c)Nicolas Boulard

作品設置のために岩見沢で土地を探し始めて

「岩見沢の山で買えるところありますか? 
土地を購入したいというアーティストがいるんです」

3月、札幌のトークイベントに招かれて、自分がつくった本
『山を買う』などの出版活動について話をさせてもらったとき、
参加者から、こんな質問を投げかけられたことがあった。

質問をしてくれたのは、20年ほど北海道で
アーティスト・イン・レジデンスの活動を続ける
NPO法人〈S-AIR〉の代表・柴田 尚さん。

柴田さんは、フランス人アーティストのニコラ・ブラーさんから
「作品を恒久設置するための場所を岩見沢で探すことはできないか?」
と相談されていたのだという。
ブラーさんは、このときすでに4~5月に北海道に滞在する予定を組んでいる
とのことで、柴田さんは土地探しの糸口をなんとか見つけようと、
私のトークに参加してくれたようだった。

Nuancier Finement Boisé 2007 (c)Nicolas Boulard
ブラーさんはワインの製造方法や伝統的な制度を見直し、再解釈するような作品を制作しており、サンフランシスコ近代美術館での作品展示など、欧米のアートシーンで活躍している。

Nuancier Finement Boisé 2007 (c)Nicolas Boulard
ブラーさんはワインの製造方法や伝統的な制度を見直し、再解釈するような作品を制作しており、サンフランシスコ近代美術館での作品展示など、欧米のアートシーンで活躍している。

柴田さんの話によるとブラーさんが必要としているのは、
100平方メートルほどの土地だという。
生家は7代続くシャンパン生産者。
これまでワインとチーズに関連した美術作品をつくってきた彼は、
今回のプロジェクトで、岩見沢に自分が住む家のコピーとなる
建造物を設置したいと考えているとのことだった。

プランの全貌ははっきりとわからなかったが、
とにかくブラーさんが来道したときには、
わたしの住む岩見沢の美流渡(みると)地区を案内する約束をした。

ニコラ・ブラー(Nicolas Boulard)さん。1976年にランスで生まれ、現在は、パリ近郊のクラマールを拠点に活動。“移動”に興味を持ち、世界各地を訪ねている。

ニコラ・ブラー(Nicolas Boulard)さん。1976年にランスで生まれ、現在は、パリ近郊のクラマールを拠点に活動。“移動”に興味を持ち、世界各地を訪ねている。

4月末、柴田さんと一緒にブラーさんが美流渡へやってきた。
土地探しの参考になればと、この地に移住してきた人たちが、
どのように住まいを見つけたのかを聞いてまわることにした。

岩見沢の山間に位置するこの場所は、過疎化が進み、
空き家や空き地が点在しており、住まいを見つけることは
そんなに難しくない(古家が多くて、相当な手直しは必要になるけれど……)。

美流渡付近の土地の状況をリサーチ。左端が柴田さん。右のふたりが古家を改修している吉崎祐季さんと上井雄太さん。

美流渡付近の土地の状況をリサーチ。左端が柴田さん。右のふたりが古家を改修している吉崎祐季さんと上井雄太さん。

しかし、実際に土地を購入しているケースはそれほど多くないように思う。
たとえば、この日訪ねた上美流渡にある〈マルマド舎〉。
地域おこし推進員だったふたりが、古家を自ら改修して
ゲストハウスをオープン予定のここは、
土地は市の所有で、それを借り受けるかたちになっている。

この一帯の土地の多くは、元炭鉱街であったため、
閉山後に市が管理することとなったそうだ。

また、わたしの住む美流渡地区では地主さんが広い土地を所有していて、
何人もの住人がその土地を借りて暮らしている。
市でも地主さんの所有でも土地代は驚くほど安い。
大きさや条件によって違うようだが、おそらく年間で数千円から数万円のレベルなので、
わざわざ購入するというケースは少ないのではないかと思う。

ただ、個人の所有であれば、購入できる可能性もあるんじゃないかと、
地元の人たちはブラーさんに語っていた。

(c)Nicolas Boulard ブラーさんは、美流渡地区の写真を撮ってまわっていた。豪雪地帯ということもあり、崩れかけた家が点在している。

(c)Nicolas Boulard ブラーさんは、美流渡地区の写真を撮ってまわっていた。豪雪地帯ということもあり、崩れかけた家が点在している。

こうした状況を聞いていくなかで、ブラーさんは、
ひとつ気に入った場所が見つかったようだ。
それは、美流渡地区にたった1軒ある〈コーローカフェ〉の
向かいにある建物の脇にある小さな空き地。

「川の音が聞こえて、風景も美しい」

ブラーさんは何度も頷きながら、たくさんの写真を撮っていた。

(c)Nicolas Boulard 美流渡にある小高い丘まであがって見下ろすと、まちの風景が広がる。

(c)Nicolas Boulard 美流渡にある小高い丘まであがって見下ろすと、まちの風景が広がる。

雑司が谷を舞台に繰り広げられる
アートプロジェクト
〈Oeshiki Project〉とは?

〈Oeshiki Project〉から見る東京のローカルの未来 vol.1

東京に住むつもりなんか、なかった。

東京の北の玄関口・池袋。駅前を行き交う人波を抜け、ほんの10分ほど歩くと、
緑と静けさに包まれた「雑司が谷」というまちが現れる。

自転車が追いつけそうな速さでコトコト走る路面電車。
肩を寄せ合う木造の家々と、昔ながらの商店街。
猫たちが昼寝する曲がりくねった路地。
このまちを訪れる人はしばしば「東京じゃないみたい」とつぶやく。

雑司が谷のシンボル・鬼子母神の参道。樹齢400年の欅並木に沿ってカフェや雑貨店、住宅が並ぶ。

雑司が谷のシンボル・鬼子母神の参道。樹齢400年の欅並木に沿ってカフェや雑貨店、住宅が並ぶ。

私も以前だったら、同じことをつぶやいていたかもしれない。
東京生まれだが、物心つく前に首都圏の郊外に引っ越し、
通勤・通学は満員電車に揺られて都内に通うのが当たり前。地元らしい地元はない。
東京には遊びや用事でしょっちゅう来るけれど、わざわざ住もうとは思わなかった。
仕事で地方や海外に滞在することが増えてからは旅暮らしで、
ますます東京に住む理由がなくなった。

「七曲り」と呼ばれる迷路のような路地。隅々まで暮らしが息づいているが、空き家もちらほら。

「七曲り」と呼ばれる迷路のような路地。隅々まで暮らしが息づいているが、空き家もちらほら。

だがふとしたきっかけで9か月前、雑司が谷の近所に引っ越してきた。
この地域に根ざしたアートプロジェクトを手がけることになり、
「一度、ちゃんと東京に住んでみよう」と思ったのだ。

東京に住む意味を探して

私はここ8年間ほど、いろいろな土地に滞在して、
その都市やコミュニティを素材に演劇をつくっている。肩書は「劇作家」。
プロジェクトでは、その土地のローカルな人たちと出会う。
そんなとき、いつも後ろめたいような、気後れするような思いがあった。

彼らのまちに「よそ者」として関わる自分は、
いったいどこからやってきた、何者なのだろうか。
私には、自分の生まれたまちの記憶がない。
そこは、家族にとって悲しい出来事があって、二度と訪れられない場所になっていた。

だから私にとって自分の生まれた場所は、「東京」という大きな、
漠然としたイメージでしかない。顔も覚えていない生き別れの父親、みたいな感じ。

自分にとって「東京」って何なんだろう。
好きなのか嫌いなのか、住みたいのか住みたくないのか? 
東京という都市やコミュニティとも、演劇をつくれるのだろうか。

そんなもやもやした問いから立ち上げたのが〈Oeshiki Project〉だ。
これは、雑司が谷に江戸時代から伝わる伝統行事
「御会式(おえしき)」を軸に展開するアートプロジェクトである。

小豆島の神浦地区で過ごす1日、
「生産者と暮らしに出会う旅」vol.8

オリーブを育て、ものづくりをする夫婦のアトリエへ

私は写真を撮ることが好きで、5年ほど前から島で暮らす友人たちと一緒に
〈小豆島カメラ〉という活動をしています。
日々の暮らしのなかで出会う景色や人の写真を撮って、
WebサイトやSNSなどで発信しています。

その小豆島カメラの活動のひとつとして、2014年の秋から続けているのが
「生産者と暮らしに出会う旅」シリーズ。
その名の通り、オリーブやそうめん、醤油などの島の生産者さんや
島で暮らす人々に会いに行くツアーで、年に1、2回開催してます。
その8回目が、今年の6月2日に開催されました。

小豆島カメラ企画の8回目となる「生産者と暮らしに出会う旅」。

小豆島カメラ企画の8回目となる「生産者と暮らしに出会う旅」。

参加者の皆さんには毎回オリンパスのミラーレス一眼カメラを貸し出します。

参加者の皆さんには毎回オリンパスのミラーレス一眼カメラを貸し出します。

カメラを持って小豆島の集落の中を歩きます。

カメラを持って小豆島の集落の中を歩きます。

毎回半年くらい前から、次の旅は何しようか? 
誰に会いに行こうか? と小豆島カメラメンバーで話し合います。
基本的には自分たちが行きたいところ、会いたい人のところへ。

「今度ここ行ってみたいよね」
「こんな体験できたらいいよね」
と候補をあげていき、生産者さんに相談します。
行きたい場所も、会いたい人もほんとに尽きない。

今回は、三都半島の神浦(こうのうら)という集落へ。
そこで暮らす〈テマトカ〉の高野真也さん、夕希子さんご夫婦の
アトリエ兼住居を訪ねました。

高野さんたちは、2年ほど前に小豆島に引っ越してきて、
オリーブを栽培し、オリーブオイルやオリーブ茶などをつくっています。
奥さんのゆっこさんは、オリーブの木で雑貨やアクセサリーを
つくったりもしています(テマトカさんについては
〈テマトカ〉小豆島に移住して、オリーブを育てる夫婦」もぜひ読んでみてください)。

〈テマトカ〉さんのアトリエ兼住居。

〈テマトカ〉さんのアトリエ兼住居。

古い家を改修したアトリエ。

古い家を改修したアトリエ。

古い家を改修したアトリエは本当にすてきな空間で、
この場所に来られただけでうれしくなってしまいます。
テンション上がりつつ、準備を進めて、参加者の皆さんの到着を待ちました。

今回は島外からの参加者の方がたくさんいました。

今回は島外からの参加者の方がたくさんいました。

カメラの使い方講座からスタート。

カメラの使い方講座からスタート。

「生産者と暮らしに出会う旅」では、毎回参加者の皆さんに
ミラーレス一眼カメラを貸し出しています。
小豆島カメラメンバーも使っているオリンパスさんのカメラです。

ただ歩くだけだと見落としてしまうことも、カメラを持ちながら
何かないかなぁと思って歩くと、発見や出会いがたくさんあって、
気づけば1時間くらいあっという間に過ぎてしまいます。
お話し好きで笑顔がすてきすぎるおばあちゃんに出会えたり、
商店で手づくりのところてんをいただいたり、浜辺を歩いて流木を拾ったり。

集落を歩いているとお墓参りにきていたおばあちゃんに遭遇。話しながらモデルになってもらいます。

集落を歩いているとお墓参りにきていたおばあちゃんに遭遇。話しながらモデルになってもらいます。

とにかく笑顔がすてきでした。

とにかく笑顔がすてきでした。

浜辺を歩いて流木を拾います。

浜辺を歩いて流木を拾います。

〈真鶴出版2号店〉にとって
『美の基準』とは。
トミトアーキテクチャ&
建築家・池上修一さん対談

撮影:小川重雄

トミトアーキテクチャ vol.5

1993年、真鶴町のまちづくり条例として『美の基準』が制定されました。
建築家のクリストファー・アレグザンダーの理論『パタン・ランゲージ』を応用して、
法律家の五十嵐敬喜さん、都市プランナーの野口和雄さん、
建築家の池上修一さんと真鶴町が協働してつくりあげたものです。
その後、池上さんは、美の基準を体現する建築物として、
真鶴のコミュニティセンター〈コミュニティ真鶴〉の設計を手がけました。

それから25年、空き家をリノベーションした〈真鶴出版2号店〉が完成したいま、
その建築を手がけた〈トミトアーキテクチャ〉が池上さんをお招きし、
夢の対談が実現しました。
25年前といまとを行き来しながら進んだ本対談からは、
世代を超えた建築家の喜びや苦悩、そして真鶴へのまなざしが浮かび上がってきました。

建築家の顔が見えない建築

伊藤: 雑誌『ポパイ』に〈真鶴出版2号店〉を載せてもらったんです。

池上: それはすごい! やっぱりこういうものは、ポップじゃないとダメなのよね。
建築誌の中だけにいてもダメなのよ。すばらしいなぁ。

建築家の池上修一さん。真鶴出版2号店にて。

建築家の池上修一さん。真鶴出版2号店にて。

伊藤: 今晩はここ、真鶴出版2号店に宿泊されるんですよね。
先ほど内覧していただきましたが、
ざっくばらんに感想をいただけたらうれしいなと思います。

池上: なぜ宿泊するかというと、ここはパッと観てコメントするものではなくて、
ひと晩泊ってどんな感じがするか見たかったんだよね。
ただ、いま各部を見ていると、光が回るし、
まちのおばあさんが通る風景がおもしろいし、非常に良くできている。
やっぱり『美の基準』のポイントをついているのはよくわかるし、
高さを上げたり、下げたり、削ったり、愛情を湧かせるように
建築主も建築家もみんなでやったというのがよくわかる、というのが総括的な感想かな。

冨永: ありがとうございます。みんなで議論しながらつくったんですけど、
最初の提案ではエントランス側の背戸道から空間を通って
反対側までスパッと抜けるような提案をしていたんです。

トミトアーキテクチャの冨永美保さん。

トミトアーキテクチャの冨永美保さん。

冨永: だけど、〈真鶴出版〉のおふたりと話していくうちに、
真鶴のおもしろさは「ここが主役です」と一点を引き立てる感じではなく、
いろんな場所にいろんな特徴がちょこちょこあって、
見どころが各自に設定できるようなおもしろさがあるから、
それを建築の内側にも入れたいと思いました。
『美の基準』を見ていても、いろんな言い方でそれを表現しているように感じたし、
そういうおもしろさを、徐々に意識するようになってこの空間ができあがりました。

伊藤: ありがたいことに、いろんなメディアに取り上げていただきました。
でも建築的にはいろんな批評があり、褒めてくださる方もいれば、
「地味だね。何をしたの?」という意見もあります。

池上: 建築の価値のひとつとして、
「デザインが気持ちいい」ってことがあるんだよね。
それは“清涼感”と言ってもいいのだけど。
でも『美の基準』で言っているのは、清涼感ではなくて、
いわゆる無名の質、“cannot be named”の質を目指そう、ということなんだよね。

それがどうやったらできるのか、答えは決まっていない。
みなさんもそうだったと思うけど、議論を重ねながらつくっていくと、
清涼感とは違う価値を生んでくる。
ここの視線をドヤッと抜いたら気持ちいいし、例えば三角の家みたいな、
見慣れてない非日常の空間はとっても気持ちいいよね。
だけど、「深い思い」(*) には引っかかってくる。

*深い思い(Deep Feeling):クリストファー・アレグザンダーの理論によく出てくる言葉であり、個の快楽/欲望を超える普遍的な「美」と解釈できる。『美の基準』の指針ともなっている考え方。

上美流渡地区の古家に
画家のMAYA MAXXが描いた絵。
そこに込められた想いとは?

1年半かかって改修した古家に、命が吹き込まれた

画家であり、数々の絵本も描いているMAYA MAXXが、
今年も再び北海道にやってきてくれた。

MAYA MAXXとはわたしが東京の出版社で働いている頃に
雑誌の取材を通じて知り合った。
以来、約20年、ずっとわたしと家族を見守ってくれていて、
人生のターニングポイントになるようなきっかけをいつもつくってくれている。

北海道に移住してからも、わが家のことを気にかけてくれていて、
2016年2017年には、わたしの住む岩見沢の美流渡(みると)地区で
ワークショップを開催してくれた。

〈庭ビル〉でワークショップをするMAYA MAXX。

〈庭ビル〉でワークショップをするMAYA MAXX。

今回の来道では、札幌とその近郊のこども園などでも絵を描くワークショップが開かれた。

今回の来道では、札幌とその近郊のこども園などでも絵を描くワークショップが開かれた。

今年のゴールデンウィークは、札幌の〈庭ビル〉にあるギャラリーで
『みんなと絵本とMAYA MAXX』という展覧会が開催されることになり、
MAYA MAXXは1週間ほど北海道に滞在することになった。
庭ビルの企画でイベントやワークショップの予定は目白押しだったが、
合間をぬって、わざわざ美流渡にも足を延ばしてくれた。

今回、美流渡を訪ねてくれることになって、
わたしはMAYA MAXXにひとつお願いをさせてもらったことがある。
これまで子どもに向けた絵を描くワークショップを開催してもらっていたが、
ここにMAYA MAXXが来てくれた“証”のようなものを
残してもらいたいという想いをずっと持っていた。

ちょうどよいタイミングで、地域のPRプロジェクトをわたしとともにやっている
吉崎祐季さんと上井雄太さんが改修をしていた
〈マルマド舎〉の第1期工事がようやく終ろうとしていたため、
ここに絵を描いてもらうのはどうだろうかとわたしは考えた。

地域おこし推進員として活動をしていた吉崎さんと上井さんが改修を続けていた〈マルマド舎〉。2階に丸い窓があったことから、この名前がつけられた。

地域おこし推進員として活動をしていた吉崎さんと上井さんが改修を続けていた〈マルマド舎〉。2階に丸い窓があったことから、この名前がつけられた。

上美流渡地区にあるマルマド舎は、ここが炭鉱街として栄えた時代に
料亭として使われていた築60年以上の古家。
ふたりにとって古家の本格的な改修は初めて。
1年半、凍えるような吹雪の日も夏の暑い盛りの日も、慣れない作業を続け、
いまようやく新たなスタートラインに立つことになった。

吉崎さんと上井さんは、ゲストハウスやイベントスペースとして
この空間を活用していきたいと考えており、ここにMAYA MAXXの絵があったら、
さらに生き生きとした場となるんじゃないだろうか、わたしはそんな期待を持っていた。

扉を入ってすぐの土間の壁に絵を描いてもらうことになった。

扉を入ってすぐの土間の壁に絵を描いてもらうことになった。

家のことをする、穏やかな
〈HOMEMAKERS〉の日常

お金を稼ぐための仕事ばっかりになってない?

ゴールデンウィークの連休が終わり、農村歌舞伎や運動会などの春の行事も終わり、
少し落ち着いた5月下旬。
見て見ぬふりをしていた家のあれこれに向き合い、ひとつずつ済ませていっています。
今日はそんな、なんてことはない普通の日のことを書きます。

暖かくなり、植物たちがいっせいに動き出します。ちょっと気を抜くとすぐ雑草だらけになる庭。

暖かくなり、植物たちがいっせいに動き出します。ちょっと気を抜くとすぐ雑草だらけになる庭。

5月は露地いちごの収穫シーズンです。
露地いちごというのは加温したビニールハウスの中で育てられたいちごではなく、
露地(外)で育ったいちご。うちでは育ててないのですが、
近所のお母さんがいっぱい採れたからとおすそ分けしてくれました。

もういまでこそ慣れましたが、基本的にこういうときにいただく量というのは、
スーパーでパック売りされてる量とは全然違います。今回は大きなボール山盛り1杯。
さぁ、ジャムをつくろう!
洗いながら、傷んでいるものは除けて、
小さな露地いちごのヘタをひとつずつ落としていきます。

近所のお母さんからいただいたボールいっぱいの露地いちご。

近所のお母さんからいただいたボールいっぱいの露地いちご。

娘と一緒にいちごジャムづくり。

娘と一緒にいちごジャムづくり。

ジャムをつくるというのは時間のかかる作業ですが、なんとも幸せな時間なんです。
ただ黙々といちごのヘタを落としたり、
マーマレードジャムだったら皮をむいて刻んだり、
そういう単純作業を繰り返していくと、きれいになった素材が積み上がります。
その素材の美しいこと! 眺めてるだけでうれしくなる。

それを鍋に入れて、砂糖や柑橘果汁などをあわせて炊きます。
ガラス瓶に移して、煮沸消毒したら完成。

あー、冷蔵庫にジャムがあるとうれしいんですよね。
うちはパンに塗ったり、ヨーグルトに混ぜたりして食べるので、
すぐなくなってしまいます。なくなっても、
なんとなくスーパーで買う気になれず、また次につくる機会を待ちます。

ヘタを落としてきれいになったいちごたち。

ヘタを落としてきれいになったいちごたち。

できたてのいちごジャムで朝ごはん。

できたてのいちごジャムで朝ごはん。

明治から残る木造建築
〈旧八女郡役所〉の再生プロジェクト

中島宏典 vol.1

みなさん、はじめまして。中島宏典です。

私は福岡県八女(やめ)市を拠点に、まち並み保存によるまちづくりの活動や
林業の取り組みに関わっています。
建築や林業を中心に、さまざまなジャンルをまたいで事業を調整する、
いわばキュレーターに近い役割を担っています。

また、一棟まるまる貸切の町家宿〈泊まれる町家 川のじ〉の運営もしており、
八女を訪れていただく方に、宿泊体験を通じて、
リアルな地域の情報や人の魅力をご紹介しています。

本連載では、林業、官民連携、伝統工芸、移住など、
さまざまな切り口を織り交ぜながら、
これまで八女で関わってきたまちづくりの活動についてお伝えしたいと思います。

昔ながらのまち並みと手工業が息づく「八女福島」

まずは、八女についてご紹介します。

八女市は、福岡市から南へ約50キロ、福岡県南部に位置する、
人口6万2千人ほどの農林業が盛んな地域です。

八女というと、茶どころのイメージをお持ちではないでしょうか。
八女は、霧が発生しやすい気候条件から、古くから天然の玉露茶の栽培が盛んで、
伝統本玉露の生産量が日本一(国内生産量の約45%)であり、
お茶の平均単価も日本一高い、日本有数の高級茶産地です。

八女茶は、審査においてコク、甘みを強く感じるものが多いといわれています。

八女茶は、審査においてコク、甘みを強く感じるものが多いといわれています。

八女中央大茶園。全面パノラマの茶畑から、八女の地形や景色をご覧ください。

八女中央大茶園。全面パノラマの茶畑から、八女の地形や景色をご覧ください。

八女は、九州における伝統工芸産業の集積地でもあり、
伝統工芸品の総生産額は、九州で最大規模となります。

江戸時代以降、正倉院に納められた筑後紙に起源を持つ手すき和紙をはじめ、
石灯籠、提灯、仏壇、線香、窯元、久留米絣(*くるめがすり)などといった
多様な手工業が産業として整い、まちには職人が多く暮らし、
伝統産業がいまでも受け継がれています。
八女にお越しの際は、凛としつつも穏やかな職人さんたちが営む、
素朴で昔ながらの工房を訪れるのもオススメです。

*久留米絣:福岡県久留米市および周辺の旧久留米藩地域で製造されている絣(かすり)。綿織物で、藍染めが主体。

歴史的なまち並みが残る「八女福島地区」。普段は観光客をほとんど見かけず、時間がゆっくりと流れています。

歴史的なまち並みが残る「八女福島地区」。普段は観光客をほとんど見かけず、時間がゆっくりと流れています。

私が活動している「八女福島地区」は、
八女市の中心市街地域であり、旧街道沿いに土蔵造りの町家が連なり、
国の重要伝統的建造物群保存地区(以下、伝建地区)に選定されています。

江戸から昭和初期の町家が多く残っており、
その時代によってさまざまな建築デザインが見られます。
建物の住人が、職人か商人かによって、
建物の間取りや開口部に違いがあるのも見どころです。

お茶や和紙などが市(いち)で取り引きされ、提灯や仏壇の工房がいまでも残る、
下町の風情が漂うエリアです。普段の静かなまち並みでは、
職人さんたちの手仕事の息吹が感じられ、清々しい気持ちになります。

八女福島地区では、空き家になった建物をどうにか残していきたいと、
2000年頃からまち並み保存とまちづくりが盛んに行われてきました。

私が八女で活動を始めたのは、八女福島のまち並み保存に、
建築設計事務所の学生インターンとして関わったことがきっかけでした。

それ以降は、八女福島のプロジェクトとつながりを持ちながら、
関東から関西と渡り歩き、2014年に八女に戻ってきました。
八女市は私の地元の隣町であり、Jターンというかたちの移住です。
八女福島に関わり始めてから、約15年の月日が経とうとしています。

自分がワクワクすることと同時に、子どもたちの世代まで
残したいもの・ことを考えることが活動の原動力になっています。
その結果、八女や日本の本当の魅力を磨くことにつなげていきたいと思っています。

イベント時の八女福島のまち並みには、たくさんの人が訪れる。

イベント時の八女福島のまち並みには、たくさんの人が訪れる。

隠れた絶品郷土料理を全国へ発信。
〈梶賀のあぶり場〉ができるまで

多田正治アトリエ vol.1

はじめまして。〈多田正治アトリエ〉の多田正治です。
京都の西大路七条の町家をリノベーションしたアトリエで設計事務所を営んでいます。

関西を中心に建築設計の仕事をしていますが、
4年ほど前から「熊野」と呼ばれる地域でも建築に携わっています。

紀伊半島の南部のエリアは、昔から「熊野」と呼ばれています。
世界遺産にも登録された「熊野古道」や「熊野大社」が有名で、
和歌山県と奈良県と三重県にまたがって「熊野」はあります。

熊野古道の馬越峠。

熊野古道の馬越峠。

熊野本宮大社。

熊野本宮大社。

日本書紀や古事記に記されるほどに歴史は古く、自然崇拝の独自の宗教観を持ち、
寺社が多数ある文化的特異点でもある熊野。修験者が修行するほどに山深く、
黒潮の恵みからマグロをはじめとする魚介類を享受できるほどに海が近い、
自然に恵まれた熊野。

そして、雄大な自然に囲まれているがゆえに、
関西と隣接しているのに近くて遠い「熊野」!(そんな遠さも熊野の魅力です)

そんな熊野の東端にある三重県尾鷲市梶賀町で、
〈梶賀のあぶり場〉プロジェクトはスタートしました。
今回はそのお話の前編をお送りします。

梶賀港を見る。

梶賀港を見る。

梶賀町の郷土料理「あぶり」

三重県尾鷲市梶賀町は人口180人ほどの漁村です。
リアス式海岸の一部で、入江の奥まった部分に漁港を中心とした集落が広がり、
漁港の背後には急峻な山地が迫っている、そんな地形です。

三重県尾鷲市梶賀町周辺の地形図。

三重県尾鷲市梶賀町周辺の地形図。

急峻な斜面に建ち並ぶ梶賀の民家。

急峻な斜面に建ち並ぶ梶賀の民家。

梶賀町には、水揚げされた魚の中で売り物にならない小魚やアシの早い魚などを加工し、
自分たちのお弁当とした郷土料理「あぶり」が、古くから伝わっています。
桜や樫(カシ)などを燃やした炎と煙で、
焼きながら燻すという独自の製法でつくられる保存食です。

竹を削ってつくった串に、一匹一匹、丁寧にワタをとった小サバなどを刺していきます。
そのまま食べてもよし、ご飯のお供にもよし、
日本酒やビールにも合う絶品郷土料理です。

あぶりをつくる。(撮影:浅田克哉)

あぶりをつくる。(撮影:浅田克哉)

撮影:浅田克哉

近年では梶賀の特産品「梶賀のあぶり」として販売しており、
その認知度の向上と販路拡大を目指して、さらなる生産力アップや
品質向上のために加工場の建設が求められていました。

撮影:浅田克哉

撮影:浅田克哉

「あぶり」による地域おこしを目指す

漁師さんの朝は早く、朝の3時や4時に起きて明るくなる前に出航、
そして夕方に帰ってくる、というサイクルで生活されています。

なので、家やまちを守るのは主に女性。
梶賀にも女性たちで結成された「婦人会」があり、
その後「梶賀まちおこしの会」として引き継がれていきました。

そして2016年、梶賀に地域おこし協力隊の2名
(中川美佳子さんと浅田克哉くん)が派遣されました。

中川さんは中小企業診断士の資格を持つ経営コンサルタント。
いつも冷静沈着で的確な状況判断をしてくれる、
それでいてみんなを温かく見守ってくれる女性です。

浅田くんはグラフィックデザイナー。
PCに向かってクールなデザインをつくるときもあれば、
ペンキやノコギリを手に自分でモノをつくってしまうマルチなクリエイター。
彼らは2019年にその任期を終えましたが、いまでも梶賀に住んで仕事をしています。

そんな異色のふたりに課せられたミッションが、
梶賀に伝わる「あぶり」による地域おこし。
そこでさまざまな試行錯誤が始まりました。

あぶりを効率良く製造するための試作。

あぶりを効率良く製造するための試作。

より効率よく加工する工夫をしてみたり。
売り場に並ぶパッケージデザインや容量や価格を変えてみたり。
伝統的なあぶりでは用いなかった魚介類で商品開発をしてみたり。

小分けにした分量、新しくデザインしたパッケージのタグ。

小分けにした分量、新しくデザインしたパッケージのタグ。

養殖のブリを使った新商品の開発。

養殖のブリを使った新商品の開発。(撮影:浅田克哉)

そんななか、前述の通り加工場を建設することが必要になりました。
そして2016年12月、ひょんなことからぼくと浅田くんが出会って、意気投合!
次の日にはどこに加工場をつくるか、ぼくは彼と梶賀を歩き回っていました。

昔話のような光景をつないでいく。
小豆島「肥土山農村歌舞伎」

地元の人たちでつくりあげる農村歌舞伎

長い長い5月の連休が終わりました。
小豆島は瀬戸内国際芸術祭の春会期開催中ということもあり、
この10連休は島内を走る路線バスは満員、ホテルも満室、
観光スポットには人がいっぱい、渋滞が起こったりと、それはそれは賑やかでした。

小豆島の肥土山(ひとやま)で暮らす私たちにとって
ゴールデンウィークといえば、そうです! 「肥土山農村歌舞伎」です。
毎年5月3日に行われる伝統行事で、江戸時代から300年以上も続いています。
令和元年となった今年の5月3日にも無事に歌舞伎が奉納されました。

毎年5月3日は新緑がとても美しい。

毎年5月3日は新緑がとても美しい。

農村歌舞伎というのは、その字のとおり農村で行われる歌舞伎。
その年の豊作を祈願し、神社にある舞台で、そこで暮らす人々が歌舞伎を奉納します。
役者はもちろん、化粧や衣装、大道具、小道具の準備、
それから諸々の段取りなどもすべて地元の人が行います。
まさに地域の、地域による、地域のための歌舞伎です。

練習のときに舞台を開いて大道具を設置するのもひと苦労。

練習のときに舞台を開いて大道具を設置するのもひと苦労。

お世話になる地域の人たちに「お願いします」「ありがとうございました」と挨拶する子どもたち。

お世話になる地域の人たちに「お願いします」「ありがとうございました」と挨拶する子どもたち。

肥土山農村歌舞伎は、肥土山自治会が主催していています。
自治会の中には6つの組があって、年ごとに順番に歌舞伎の担当をします
(全体の段取りやお弁当の準備などとても大変な仕事です)。

化粧をしてくれるのは、近所のお姉さん。

化粧をしてくれるのは、近所のお姉さん。

舞台に立つ役者を支えてくれる人たちがたくさんいます。

舞台に立つ役者を支えてくれる人たちがたくさんいます。

今年も役者として出演したたくちゃん(夫)のかつらを調整してくれるのは、近所の友だち。

今年も役者として出演したたくちゃん(夫)のかつらを調整してくれるのは、近所の友だち。

私たちが小豆島に引っ越してきて、最初に歌舞伎に関わらさせてもらったのが2013年、
下組(しもぐみ)が担当の組でした。それから、場中組(ばなかぐみ)、
向組(むかいぐみ)、岡組、東組、石原組とまわって、今年はまた下組。
6年経って、歌舞伎の担当組が一周まわった。

きっと外の人からみたら、担当組がどの組であろうと
何も違いを感じないと思いますが、組ごとに十八番(おはこ)の演目があったり、
少しずつ段取りの仕方が違ったり、中心に立つ人も変わったりして、
ここで暮らす人としてはだいぶ違います。
一周まわって、あの初めて歌舞伎に参加したときの感じをなんとなく思い出しました。

6年前、当時5歳だったいろは(娘)。ひとつ年下の子と一緒に歌舞伎の演目の間に舞をしました。

6年前、当時5歳だったいろは(娘)。ひとつ年下の子と一緒に歌舞伎の演目の間に舞をしました。

6年ぶりに共演したふたり。今年は子ども歌舞伎に出演。

6年ぶりに共演したふたり。今年は子ども歌舞伎に出演。

心穏やかに“ゆるゆる”できる場所。
〈廃材エコヴィレッジ〉を訪ねて

絵描きから万華鏡作家、そして廃材エコヴィレッジへ

神奈川県の藤野は、いつか訪ねてみたいと思っていた場所だった。
東京駅からJR中央本線で1時間半。
わたしの住む北海道からはかなり遠いが、芸術家が多数住み、
市民発電所〈藤野電力〉や地域通貨を推し進める〈トランジション藤野〉をはじめ、
持続可能な社会や暮らしをデザインする〈パーマカルチャーセンタージャパン〉といった、
ローカルならではのコミュニティづくりを目指す活動で知られている地域だ。

相模原市に位置する藤野地区。四方を山々に囲まれ豊かな川と湖があるエリア。

相模原市に位置する藤野地区。四方を山々に囲まれ豊かな川と湖があるエリア。

これらさまざまな取り組みのなかで、私が以前から注目していたのが
〈廃材エコヴィレッジゆるゆる〉だ。
その理由のひとつは、北海道にエコビレッジをつくりたいと
これまでさまざまなコミュニティを連載で紹介してきたが、
この場所は飛び抜けて個性的に感じられ、一度この目で見たいと思っていたからだった。

また、この場所の村長であり、万華鏡作家でもある傍嶋飛龍さんが、
実は高校でお世話になった恩師の息子さんというつながりも
興味を抱くきっかけとなっていた。

4月19日、仕事の関係で上京したタイミングに合わせて、
ついに廃材エコヴィレッジを訪ねることができた。
藤野駅から車で15分ほど。くねくねと曲がる山道を奥へと進んでいくと、
たった11軒の集落・綱子地区があり、そこに廃材エコヴィレッジはあった。

傍嶋飛龍さんは1976年生まれ。24歳で千葉から藤野に移住。現在は綱子地区で暮らしている。

傍嶋飛龍さんは1976年生まれ。24歳で千葉から藤野に移住。現在は綱子地区で暮らしている。

翌日に控えた「タイコマツリ」というイベントの準備で忙しい日ではあったが、
傍嶋さんは椅子に座ってゆったりとした様子でインタビューに応えてくれた。
このエコヴィレッジをつくるずっと以前(20年以上前?)に、
私は傍嶋さんが描いた絵を見たこともあって、
今回は、幼い頃から現在までの道のりをまずは聞いてみたいと思っていた。

「小学2年生くらいまで、席に座っていられない、落ち着きのない子で、
絵ばっかり描いていました」

傍嶋さんの絵画。おもちゃ箱をひっくり返したようにさまざまなモチーフが描かれているが、同時に色彩が心地よいリズムをつくり出している。

傍嶋さんの絵画。おもちゃ箱をひっくり返したようにさまざまなモチーフが描かれているが、同時に色彩が心地よいリズムをつくり出している。

学校では勉強についていけなかったが、父からは
「得意なことがひとつあれば生きていける」と教えられたという。

やがて美術大学に進学。大学院在学中に制作した絵画が、
第1回池田満寿夫芸術賞展で大賞を受賞するなど評価を受けた。
卒業後に千葉から藤野に移住し、仕事をしながら制作活動を続けていたが、
2009年に絵描きを辞める決意したという。

「万華鏡づくりも始めていましたし、なんでもありの音楽活動もしていて。
得意だった絵にこだわるんじゃなくて、
もっと自由な気持ちになりたいと思いました。人生がアートだと」

傍嶋さんの万華鏡。陶器やガラスなどさまざまな素材で制作されている。(写真提供:傍嶋飛龍)

傍嶋さんの万華鏡。陶器やガラスなどさまざまな素材で制作されている。(写真提供:傍嶋飛龍)

まちの空気を変えた
カレー屋さん〈ばぐぅす屋〉。
美流渡に20年ぶりに新店舗がオープン

バックパックひとつ抱えて、住み始めた北海道

わたしが引っ越してきた岩見沢市の山間の美流渡(みると)は、過疎化が進む地域だ。
人口はわずかに400人。小さなスーパーも1年ほど前に閉店し、
残る商店も数えるほどとなっている。

そんなこの地区で、昨年なんと20年ぶりに新店舗がオープンした。
スープカレーとスパイスカレーのお店〈ばぐぅす屋〉だ。

ゾウの絵ののれんが目印。居酒屋だった店舗を改装してオープン。

ゾウの絵ののれんが目印。居酒屋だった店舗を改装してオープン。

お店が始まってからというもの、わが家は毎週のように通っており、
この連載で早く紹介したいと思いつつ、ずいぶん時間が過ぎてしまった。

お店を切り盛りするのは、山岸槙(こずえ)さん。
接客から調理までほとんどひとりでこなし、3人の子どもを抱えるお母さんでもある。
きっと忙しい毎日を送っているんじゃないかと思って、
取材をずっとためらっていたのだった。

山岸槙さん。料理のほか編み物も得意。

山岸槙さん。料理のほか編み物も得意。

昨年12月、雪が降る季節を迎えてばぐぅす屋は冬期休業に入った。
それから約5か月、北海道にもようやく春の兆しが感じられるようになった4月中旬、
2年目のスタートを切ることになり、このタイミングで
山岸さんにじっくりと話を聞く機会をつくってもらうことにした。

美流渡地区に隣接する奈良町に山岸さんの住まいがある。愛犬がお出迎え。

美流渡地区に隣接する奈良町に山岸さんの住まいがある。愛犬がお出迎え。

山岸さんは大阪府出身。夫の実家である北海道岩見沢市に移住をしたのは25歳の頃。
きっかけは高校3年生のときに十勝の陸別町にある牧場で、
酪農体験をしながら1か月過ごしたことだ。初めての体験が数多くあり、
いつか北海道に住んでみたいと思うようになったという。

「一番感激したのは、道路に寝転んだこと。
ずっと都会で暮らしていたので、こんなことできるんだって(笑)」

高校卒業後はブティックで働きつつも、自分の進むべき道が見出せず
思い悩む日々を送っていたという。
このとき仕事とともにバンド活動もしており、
ある楽器に出会ったことが人生の歯車を動かすきっかけとなった。

「オーストラリアのアボリジニの楽器“ディジュリドゥ”の音に惹かれて。
自然を思わせるような音色で北海道を思い出しました」

「最近はぜんぜん吹いてない」と照れながらも、ディジュリドゥの音色を聞かせてくれた。木製で長さが1メートル以上もある。中が空洞になっており唇の振動で音を出す。

「最近はぜんぜん吹いてない」と照れながらも、ディジュリドゥの音色を聞かせてくれた。木製で長さが1メートル以上もある。中が空洞になっており唇の振動で音を出す。

このとき山岸さんは23歳だった。
「自分に何かきっかけを与えないと変わることはできないのではないか」と考え、
北海道で暮らそうと決意。荷物はバックパックひとつとディジュリドゥだけ。
以前に酪農を体験した牧場にひとまず身を寄せ、
そこから世界はだんだんに広がっていった。

数か月後に北見へ拠点を移し、働きながら夜はクラブでライブ活動を行った。
やがて、本場でディジュリドゥを学びたいという気持ちが募り、
1年ほどお金を貯めてオーストラリアへ旅立った。
3か月の滞在で、楽器の勉強とともに、さまざまな地域を訪ね、
ときには現地で知り合った友人が持つ山で2週間、
テント暮らしをしたこともあったという。

「本当に濃い時間を過ごしました」

山岸さんの家にはさまざまな楽器が置かれていた。最近、子どもたちはアフリカ太鼓に熱中している。

山岸さんの家にはさまざまな楽器が置かれていた。最近、子どもたちはアフリカ太鼓に熱中している。

〈HOMEMAKERS〉7年目。
4月の畑は賑やかで大忙し!

新規就農して7年目、農業で生計を立てる

今年もまた春がやってきました。
日に日に畑や山の新緑パワーが増してます。
あー、まぶしい黄緑!

春の畑はトウ立ちして花を咲かせたアブラナ科の野菜たちで花畑のよう。

春の畑はトウ立ちして花を咲かせたアブラナ科の野菜たちで花畑のよう。

私たち家族は2012年秋に小豆島に引っ越してきて、
2013年の春から本格的に農業を始めました。
気づけば、7年目! びっくりです。

なんとなく5年というのがひとつの節目でした。
5年経っても、ちゃんと野菜を育てることができていなかったら、
生計を立てられていなかったらやばいのかなぁと。
その5年というのは、私たちが新規就農したときから受けていた
青年就農給付金(今は農業次世代人材投資資金に名前が変わっています)が終わり、
助成金なしで自分たちの収入だけで生きていかなければならなくなるタイミング。

とりあえずその節目を過ぎて、変わらずいまも農業しています。
ということで、なんとか生計としては成り立つようになりました。

玉ねぎ畑。今年は玉ねぎが豊作!

玉ねぎ畑。今年は玉ねぎが豊作!

新玉ねぎ〜。ここまで大きく育てられたのは今年が初めて。

新玉ねぎ〜。ここまで大きく育てられたのは今年が初めて。

4月は私たちにとって1年で一番大変な時期です。
メインで育てている生姜の植えつけ作業はあるし、そのほかの夏野菜の準備もあるし。
とにかく冬野菜の片づけと新たな植えつけ作業が続きます。

生姜の植えつけ作業。

生姜の植えつけ作業。

畑作業だけじゃなくて、毎年5月3日に開催される地元の伝統行事
「肥土山(ひとやま)農村歌舞伎」の稽古も毎晩のようにあり、
畑仕事が終わって、急いで夜ごはん食べて、歌舞伎の稽古。ふぅ。

高知の生姜農家さんから分けてもらった種生姜。

高知の生姜農家さんから分けてもらった種生姜。

ひとつずつ生姜の向きを確認して植えていきます。

ひとつずつ生姜の向きを確認して植えていきます。

そんなやること満載の畑のことを知っていたかのように、
先週はいろんな地域から友人や知り合いが手伝いに来てくれました。
普段は3〜4人で畑作業をしていますが、このときは10人くらいで作業。
冬野菜を片づけたり、生姜を植えたり、収穫・出荷を手伝ってもらったり、
常にバタバタしていて大変でしたが、賑やかな1週間でした。

冬野菜の片づけ。みんなのおかげであっという間に終わりました。

冬野菜の片づけ。みんなのおかげであっという間に終わりました。

私の地元、岡崎(愛知)から手伝いに来てくれた〈檸檬〉のふたりとたくちゃん(夫)。すてきなスケッチを残していってくれました。

私の地元、岡崎市(愛知県)を中心に活動しているユニット〈檸檬〉のふたりとたくちゃん(夫)。すてきなスケッチを残していってくれました。

働き方、カルチャー、移住。
〈真鶴出版2号店〉から見えたこと。
トミトアーキテクチャ&真鶴出版 対談

左から真鶴出版の川口瞬さんと來住(きし)友美さん、トミトアーキテクチャの冨永美保さん、伊藤孝仁さん。2年前の記念撮影と同じ場所で。

トミトアーキテクチャ vol.4

約2年前、〈トミトアーキテクチャ〉と〈真鶴出版〉が出会い、
ともに歩んできたゲストハウス〈真鶴出版2号店〉のプロジェクト。
オープンして半年ほどが経ったいま、あらためてプロジェクトを振り返るべく、
4人が集まり対談を行いました。
設計や施工中のこと、完成後に思うこと、そんな2号店の話題を起点に、
真鶴のカルチャーや働き方にまで話は及びました。

いくつもの要素が共存する建築

伊藤: オープンから半年が経ちましたね。
今日は真鶴出版のおふたりから見た2号店プロジェクトの振り返りや、
完成後の日常についてもお話をうかがいたいと思います。

來住: 伊藤さんの声が懐かしすぎて、なんか泣きそうなんですけど……。
最初からやばい……。

全員: (笑)

冨永: 初めてここを見学したとき、背戸道に入ったところからの風景の展開が
すごくおもしろいなと思いました。
独特な地形に沿って曲がった細い道に、この変わった形の敷地があって、
建物にも増築された形跡があり、くびれをいっぱい持っていて。

トミトアーキテクチャの伊藤孝仁さん。

トミトアーキテクチャの伊藤孝仁さん。

伊藤: 僕も特徴的な物件ですごくポテンシャルを感じました。
おふたりはプロジェクトに着手した頃、なにか印象に残ることはありますか?

川口: 早い段階で何パターンか設計プランを出してくれたことに驚きました。

來住: 模型がすごかったよね。

冨永: 普通は100分の1など、もっと小さいサイズから始まり、
どんどん大きくしていくんですけど、最初から30分の1のサイズでつくりました。
今回は改修なので構造から考える必要がなかったし、
最初から大きくつくって空間イメージをお互い共有しながら進めたいと思ったからです。

伊藤: 2号店で一番検討した箇所として、玄関の横に設置した窓がありますが、
実際にいまここで時間を過ごしてみてどうですか?

來住: すごくおもしろいですよ。背戸道が完全に借景になっています。
室内から犬の散歩が見えたり、雨の日だと傘をさす人が行き交っていたり、
真鶴の日常風景がここで一枚の絵になっているみたいです。

川口: 目線が少し下がる位置になっているし、
気候がいい日はちょっと腰掛けられるし、またげる高さになっているのがいいですね。

來住: 最初は入り口付近に番台を置きたいとリクエストしたのですが、
そうしなくてよかった。私たちがいることで
通る人にとっては圧迫感になっていたんじゃないかなと思います。

冨永: 番台があると、サービスする側とされる側が明確に分かれてしまう。
あの人に話かければいいと安心はできるけど、
でも絶対この人が“主”と判別される強制力もあると議論していましたね。

來住: いま私たちがオフィス部分としている作業テーブルには
自然とお客さんが座っていたりするんですよ。

伊藤: へぇ。それはおもしろい。

川口: もし入り口に番台を置いていたら、
空間の使い方が限られていたかもしれませんね。
いまのかたちだとシンプルで余白があるので、
使い方をいろいろ考えやすいし、レイアウトを変えることができます。

冨永: なるほど。確かにオープンハウスのとき、
複数の人の集まりがいろんな場所にあって、入ってくる人がいても
出ていく人がいても、そんなに気になりませんでした。
もし入り口に番台があったら、あんな集まり方にはならなかったかもしれませんね。

來住: 余白があるおかげで、来てくれた人が、朝ごはんの会ができるねと
話を持ってきてくれたりして、やりたいことがすごく増えました。

春目前の2月のある日、真鶴で行われた本対談。梅の花がほころぶ。

春目前の2月のある日、真鶴で行われた本対談。梅の花がほころぶ。

伊藤: いままでの建築ってもう少し余裕があって、いろんな要素を混ぜなくても、
部屋の単位で用途を分けやすかったと思うんです。
だけど今回のような改修では、真鶴出版のやりたいことを全部詰め込んだら
オーバーしてしまうから、どうしたら実現できるかと工夫が必要になるし、
いろいろと共存させることがより建築のテーマになっていく。
それがいままでの建築の考えと大きく違う部分で、そこに僕らも可能性を感じています。

冨永: もともとの相談内容もキオスクと宿と出版社という
3つの違う要素を合わせた、複合建築みたいなものをつくりたいという話でした。
でも建物は小さいわけで、最初からいろいろ重なった状態でスタートしていましたよね。

伊藤: オフィスの机にお客さんが座っちゃうっていうのは象徴的な話ですよね。

〈くまもとアートポリス〉で
生まれ変わる、南阿蘇鉄道・高森駅

新しく生まれ変わる、南阿蘇鉄道の駅

熊本県では1988年から〈くまもとアートポリス〉事業という
取り組みが行われています。
くまもとアートポリスとは熊本県の豊かな自然や歴史、風土を生かしながら
後世に残る文化的資産として優れた建築物をつくり、
人々の都市文化、建築文化への関心を高め、
地域の活性化や熊本独自の豊かな生活空間を創造することを目的とした取り組みです。

このプロジェクト事業により、現在まで県内各地に
100軒以上の建築物がつくられています。
そして、その事業を活用して南阿蘇鉄道の始発・終着駅である
高森駅が新しく生まれ変わるべく、
昨年からくまもとアートポリス事業が進められてきました。

南阿蘇鉄道の駅舎を借りて営業する〈ひなた文庫〉にとっても
この取り組みは今後の営業にも大いに関わること。
沿線地域や村の活性化につながる事業でもあり、関心を寄せています。

そしてこのたび、ついに高森駅のグランドデザインの公表会が行われました。
設計者の発表と説明が行われる第1部と、これから変わる高森駅を想像しながら
実際に南阿蘇鉄道のトロッコ列車に乗ってみる第2部の2部構成で行われました。
私はひなた文庫の営業を終えてから第2部のみ参加しましたが、
とても心に残る体験でしたので、そのことを今回はお話しようと思います。

そもそもくまもとアートポリスとはどんな事業かというと、
建築物や景観整備、パブリックアートの分野などで生活に関わる施設を対象に
県や市町村、民間が参加し、環境デザインの質の向上を図り、
地域の活性化や後世に残る文化的資産をつくることを目指した事業です。

この事業の特徴は、実施にあたってコミッショナー制度が取り入れられていること。
コミッショナーが国内外から適性を判断して建築家を推薦したり、
設計競技を実施してそのプロジェクトに最適な設計者を選びます。

初代コミッショナーは磯崎新さんが務められ、
現在は伊東豊雄さんが第3代目に就任されており、
これまで世界的にも有名な建築家の方々が
コミッショナーとして設計者を選定しています。

今回対象となる高森駅は南阿蘇鉄道唯一の有人駅で、
南阿蘇鉄道の本社もこの駅に置かれています。
運転士の皆さんも高森駅に常駐されており、
駅の中では記念切符やお土産を買うことができます。

高森駅では名産品や復興応援グッズも販売されています。

高森駅では名産品や復興応援グッズも販売されています。

しかし現在、3年前に起きた熊本地震の影響で
南阿蘇鉄道は高森駅と中松駅間での部分運転となっています。

そこで第三セクターの南阿蘇鉄道へ出資する高森町が主体となり、
4年後と言われる全線復旧に向けて沿線地域の創造的復興の一環として、
くまもとアートポリスを利用して高森駅周辺を対象に
「定住」「観光」「防災」の3つのキーワードで
グランドデザインを募集することになりました。

いまや鎌倉の食文化!? 
自然派ワインをまちに広めた老舗酒屋
〈鈴木屋酒店〉の華麗なる転身

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

鎌倉にワイン文化を広めた立役者

観光客で賑わう日中とは打って変わり、夜になると静けさが訪れる鎌倉だが、
まちなかには、本格的なイタリアンやフレンチを、
ワイン片手に楽しめるカジュアルな飲食店が点在している。

そして、これらのお店はかなりの確率で、
「自然派ワイン」「ナチュラルワイン」と呼ばれるワインを取り揃え、
客の好みや料理との相性などをもとにした最適な一杯を、
造り手についての詳細な説明などとともにグラスに注いでくれるのだ。

鎌倉の食と言えば、鎌倉野菜やシラスなどがまず思い浮かぶだろうが、
実は、「自然派ワイン」もまた、このまちの食文化を語るうえで
欠かせない存在になっている。

数あるまちの飲食店やワインバーのみならず、2009年に鎌倉でスタートし、
いまや全国に広がっている自然派ワインのイベント〈満月ワインバー〉、
古刹・覚園寺で毎年開催されている〈terra! terara! terra!〉など、
いまや鎌倉は、「自然派ワイン」のまちとしても認知されつつある。

外観だけを見ると、どのまちにもある普通の酒屋のようにも思える鈴木屋酒店だが、一歩店内に足を踏み入れると、所狭しと並べられているワインボトルの数に圧倒される。

外観だけを見ると、どのまちにもある普通の酒屋のようにも思える鈴木屋酒店だが、一歩店内に足を踏み入れると、所狭しと並べられているワインボトルの数に圧倒される。

そして、鎌倉のワイン文化を語るうえで欠かせない存在が、
由比ヶ浜の地で100年以上続く〈鈴木屋酒店〉だ。
昔ながらの「まちの酒屋」だった鈴木屋酒店は、
4代目となる現店主・兵藤 昭さんに代替わりしたことを機にシフトチェンジし、
いまでは、店内に並ぶ商品のほとんどが自然派ワインという、
老舗酒屋らしからぬ振り切ったラインナップになっている。

時代とともに消費者のニーズが変わるなか、
老舗酒屋の後継者として新たな活路を見出しただけでなく、
市内の飲食店と密接なネットワークを築きながら、
鎌倉のまちに新たな食文化を浸透させた立役者とも言える兵藤さんを訪ね、
鈴木屋酒店に足を運んだ。

〈アルテピアッツァ美唄〉の
「こころを彫る授業」で感じた
やすらぎと安心感

“答え”のない授業に取り組んで

わたしの住んでいる岩見沢市からもっとも近い美術館は、
美唄市にある〈安田侃(かん)彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄〉。
東京から移住して、ちょっぴり残念に思うことは、美術館や企画展の数が少ないこと。
アートとデザインが専門の編集者としては、東京にいたときのように、
いろいろな作品を見ておきたいと感じることもあるが、
そんなわたしの心をスッと落ち着かせてくれるのがアルテピアッツァ美唄という場所だ。

美唄市はかつて北海道有数の炭鉱都市だった。炭鉱夫の子どもたちが通っていた小学校を芸術広場として再生させたのが〈アルテピアッツァ美唄〉。

美唄市はかつて北海道有数の炭鉱都市だった。炭鉱夫の子どもたちが通っていた小学校を芸術広場として再生させたのが〈アルテピアッツァ美唄〉。

展示スペースとして利用されているのは、
1981年に閉校となった栄小学校の校舎と体育館。
そして、建物の周囲に広がる野外スペースには、
山や木々をバックに彫刻作品が立ち並んでいる。

アルテとはイタリア語で芸術。ピアッツァとは広場。
大理石の産地として知られるイタリアのピエトラサンタで制作を続ける
彫刻家・安田侃さんが、生まれ故郷である美唄市に
1992年にオープンさせたスペースだ。

3月末になってもまだ肌寒い北海道。部屋を暖めるために使われたのは、このまちの歴史を感じさせる石炭ストーブ。

3月末になってもまだ肌寒い北海道。部屋を暖めるために使われたのは、このまちの歴史を感じさせる石炭ストーブ。

彫刻とともにある四季折々の景色は本当に美しく、幾度もこの場所を訪ねてきたが、
3月30日に行われた講座「小学生のためのこころを彫る授業」に
息子を参加させたことで、安田さんの彫刻に対して、
また新しい面が見えてくるような機会となった。

この「こころを彫る授業」は2007年からスタートしたもので、
毎月第1土曜・日曜に主に大人を対象に開催されており、
2012年からは今回のような小学生のための授業も開かれている。

講座を担当する美術館スタッフの影山宏明さんによると、
「小学生のためのこころを彫る授業」が始まったきっかけは、
「たくさんの子どもたちに、心と体で彫刻に接して、
1日を通してアルテピアッツァ美唄の魅力や楽しみ方を知ってもらおう」
と考えたことだという。

美術館スタッフの影山宏明さん。道具の使い方を説明する。

美術館スタッフの影山宏明さん。道具の使い方を説明する。

この日集まった小学生は、2年生から6年生まで15名。

「今日は石を彫って、目に見えない心を表現してください」
まず、影山さんは子どもたちにそう語りかけ、制作が始まった。

どの大理石を彫るのか、選ぶのはくじ引きの順番で。くじに使われたのも大理石で、裏に数字が書いてあった。

どの大理石を彫るのか、選ぶのはくじ引きの順番で。くじに使われたのも大理石で、裏に数字が書いてあった。

大理石も道具も安田さんがイタリアから持ってきたもの。ノミや金ヤスリは、さまざまな形のものが用意されていた。

大理石も道具も安田さんがイタリアから持ってきたもの。ノミや金ヤスリは、さまざまな形のものが用意されていた。

「こころを彫る」とはいったい何か。
大人であれば、手が止まってしまう“難問”のように感じてしまうが、
子どもたちは躊躇せずに、いっせいに石を彫り始めた。
いままで体験したことのない大理石という素材や道具を使えるということに
夢中になっているかのようだった。

美術館スタッフの土谷あすかさん(右)。彫刻の見方を広げるような話を子どもたちにしてくれた

美術館スタッフの土谷あすかさん(右)。彫刻の見方を広げるような話を子どもたちにしてくれた。

石は丸みを帯びていてハンマーでノミをたたいて削ろうとすると、
すべって転がってしまうことがあったり、
ヤスリで削ろうとしても、表面はかたくてなかなか平にならなかったり。

「道具の使い方に慣れてくると、形を変えたりできるようになります。
辛抱強くやっているとスベスベにしたりもできます。
だんだん形が見えてきて、きっとワクワクしてくるはずです」

思うようにいかない子どもたちに、影山さんはやさしく語りかけていた。

『天光散』という作品のふくらみは子どもたちのお気に入り。安田さんの彫刻は実際に触れて感じることができる。

『天光散』という作品のふくらみは子どもたちのお気に入り。安田さんの彫刻は実際に触れて感じることができる。