連載
posted:2019.5.13 from:香川県小豆郡土庄町 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
海と山の美しい自然に恵まれた、瀬戸内海で2番目に大きな島、小豆島。
この島での暮らしを選び、家族とともに移住した三村ひかりが綴る、日々の出来事、地域やアートのこと。
writer profile
Hikari Mimura
三村ひかり
みむら・ひかり●愛知県生まれ。2012年瀬戸内海の小豆島へ家族で移住。島の中でもコアな場所、地元の結束力が強く、昔ながらの伝統が残り続けている「肥土山(ひとやま)」という里山の集落で暮らす。移住後に夫と共同で「HOMEMAKERS」を立ちあげ、畑で野菜や果樹を育てながら、築120年の農村民家(自宅)を改装したカフェを週2日営業中。
http://homemakers.jp/
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写真提供:牧浦知子、古川絵里子
長い長い5月の連休が終わりました。
小豆島は瀬戸内国際芸術祭の春会期開催中ということもあり、
この10連休は島内を走る路線バスは満員、ホテルも満室、
観光スポットには人がいっぱい、渋滞が起こったりと、それはそれは賑やかでした。
小豆島の肥土山(ひとやま)で暮らす私たちにとって
ゴールデンウィークといえば、そうです! 「肥土山農村歌舞伎」です。
毎年5月3日に行われる伝統行事で、江戸時代から300年以上も続いています。
令和元年となった今年の5月3日にも無事に歌舞伎が奉納されました。
農村歌舞伎というのは、その字のとおり農村で行われる歌舞伎。
その年の豊作を祈願し、神社にある舞台で、そこで暮らす人々が歌舞伎を奉納します。
役者はもちろん、化粧や衣装、大道具、小道具の準備、
それから諸々の段取りなどもすべて地元の人が行います。
まさに地域の、地域による、地域のための歌舞伎です。
肥土山農村歌舞伎は、肥土山自治会が主催していています。
自治会の中には6つの組があって、年ごとに順番に歌舞伎の担当をします
(全体の段取りやお弁当の準備などとても大変な仕事です)。
私たちが小豆島に引っ越してきて、最初に歌舞伎に関わらさせてもらったのが2013年、
下組(しもぐみ)が担当の組でした。それから、場中組(ばなかぐみ)、
向組(むかいぐみ)、岡組、東組、石原組とまわって、今年はまた下組。
6年経って、歌舞伎の担当組が一周まわった。
きっと外の人からみたら、担当組がどの組であろうと
何も違いを感じないと思いますが、組ごとに十八番(おはこ)の演目があったり、
少しずつ段取りの仕方が違ったり、中心に立つ人も変わったりして、
ここで暮らす人としてはだいぶ違います。
一周まわって、あの初めて歌舞伎に参加したときの感じをなんとなく思い出しました。
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6年前、まだ小学校にあがる前だったいろはも、小学6年生となり、
役者として歌舞伎に出るのは5回目。
今年の子ども歌舞伎は初めて出演した子が多く、
いつの間にかいろはは後輩たちを引っ張る立場になりました。
こうやって、代替わりしながら何年も何十年も続いてきたんだろう。
まるで昔話の中にあるような光景が、いまこの時代でも変わらず存在してるって
本当にすごいことだなといつも思います。
そういえば、今年は桟敷(客席)に「割子(わりご)弁当」を持ってきて
食べている人がほとんどいなかったとカメラマンの方が話していました。
割子弁当は、大きな木箱の中に約20人分の台形のお弁当が収納されているもので、
これを昔は各家庭ごとにつくり、親戚や知人たちと一緒に食べながら
歌舞伎を鑑賞したそうです。
いまでは、大家族が減ってしまったためか、
割子弁当を持ってきている家庭は少なくなりました。
準備するのも運ぶのも大変で、今年はうちもつくるのをやめようと思っていましたが、
見に来てくれる知り合いに割子弁当を振る舞いたいなぁと思い、
母と義姉と3人でつくりました。
割子弁当ひとつとっても存在し続けるって難しいんです。
でもやっぱり今年もつくってよかったなと思ったし、
そういうひとつひとつの要素を大切にしたいなと思います。
今年も私たちにとってひとつの大きな行事が終わりました。
毎年4月は畑も大忙し、歌舞伎の準備も大忙しでヘトヘトになります。
でもきっといまのこの大変な時間は、もう少し先になって振り返ったとき、
私たちの人生の中で充実していて楽しかった時間だと感じるんだろうなと。
まだまだ農村歌舞伎の歴史は続いていきます。
自分たちの手で積み重ねていくんですね。
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