連載
posted:2019.5.22 from:福岡県八女市 genre:アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。
writer profile
Hironori Nakashima
中島宏典
なかしま・ひろのり●1985年 福岡県山門郡生まれ。有明高専建築学科卒業、千葉大学大学院修了。2010年より(公財)京都市景観・まちづくりセンターにて、京町家の保全活用、地域まちづくり支援に携わり、2014年に福岡・八女にJターン。まち並み(歴史的な建物)と森(林業)に関連した活動を行う。NPO法人八女空き家再生スイッチ事務局(2014年〜)、福岡の森八女の木プロジェクト(2016年〜)、歴史的建築物活用ネットワーク(HARNET)事務局(2013年〜)、先斗町まちづくり協議会事務局・まちづくりアドバイザー(2014年〜)、京都造形芸術大学非常勤講師(2014年〜)。
みなさん、はじめまして。中島宏典です。
私は福岡県八女(やめ)市を拠点に、まち並み保存によるまちづくりの活動や
林業の取り組みに関わっています。
建築や林業を中心に、さまざまなジャンルをまたいで事業を調整する、
いわばキュレーターに近い役割を担っています。
また、一棟まるまる貸切の町家宿〈泊まれる町家 川のじ〉の運営もしており、
八女を訪れていただく方に、宿泊体験を通じて、
リアルな地域の情報や人の魅力をご紹介しています。
本連載では、林業、官民連携、伝統工芸、移住など、
さまざまな切り口を織り交ぜながら、
これまで八女で関わってきたまちづくりの活動についてお伝えしたいと思います。
まずは、八女についてご紹介します。
八女市は、福岡市から南へ約50キロ、福岡県南部に位置する、
人口6万2千人ほどの農林業が盛んな地域です。
八女というと、茶どころのイメージをお持ちではないでしょうか。
八女は、霧が発生しやすい気候条件から、古くから天然の玉露茶の栽培が盛んで、
伝統本玉露の生産量が日本一(国内生産量の約45%)であり、
お茶の平均単価も日本一高い、日本有数の高級茶産地です。
八女は、九州における伝統工芸産業の集積地でもあり、
伝統工芸品の総生産額は、九州で最大規模となります。
江戸時代以降、正倉院に納められた筑後紙に起源を持つ手すき和紙をはじめ、
石灯籠、提灯、仏壇、線香、窯元、久留米絣(*くるめがすり)などといった
多様な手工業が産業として整い、まちには職人が多く暮らし、
伝統産業がいまでも受け継がれています。
八女にお越しの際は、凛としつつも穏やかな職人さんたちが営む、
素朴で昔ながらの工房を訪れるのもオススメです。
*久留米絣:福岡県久留米市および周辺の旧久留米藩地域で製造されている絣(かすり)。綿織物で、藍染めが主体。
私が活動している「八女福島地区」は、
八女市の中心市街地域であり、旧街道沿いに土蔵造りの町家が連なり、
国の重要伝統的建造物群保存地区(以下、伝建地区)に選定されています。
江戸から昭和初期の町家が多く残っており、
その時代によってさまざまな建築デザインが見られます。
建物の住人が、職人か商人かによって、
建物の間取りや開口部に違いがあるのも見どころです。
お茶や和紙などが市(いち)で取り引きされ、提灯や仏壇の工房がいまでも残る、
下町の風情が漂うエリアです。普段の静かなまち並みでは、
職人さんたちの手仕事の息吹が感じられ、清々しい気持ちになります。
八女福島地区では、空き家になった建物をどうにか残していきたいと、
2000年頃からまち並み保存とまちづくりが盛んに行われてきました。
私が八女で活動を始めたのは、八女福島のまち並み保存に、
建築設計事務所の学生インターンとして関わったことがきっかけでした。
それ以降は、八女福島のプロジェクトとつながりを持ちながら、
関東から関西と渡り歩き、2014年に八女に戻ってきました。
八女市は私の地元の隣町であり、Jターンというかたちの移住です。
八女福島に関わり始めてから、約15年の月日が経とうとしています。
自分がワクワクすることと同時に、子どもたちの世代まで
残したいもの・ことを考えることが活動の原動力になっています。
その結果、八女や日本の本当の魅力を磨くことにつなげていきたいと思っています。
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今回のテーマ〈旧八女郡役所〉の話に入る前に、
八女福島地区でまち並み保存とまちづくりが盛んになった背景をお話します。
遡ること1991年、大型台風の被害を受け、八女福島内で空き家になっていた
一棟の立派な町家が取り壊されました。それを目の当たりにした住民の有志が、
歴史的な建物を保存する方法はないかと勉強会を重ね、任意団体を結成し、
町家の保存活動に乗り出しました。
そんな住民の動きを受け、市は町家の修理などを支援するための事業を導入し、
2002年には国の伝建地区選定を受けることができました。
こうしてまち並み保存の気運が高まり、官民協力態勢も整っていくなか、
新たなステップとして、空き家を再生させたあとの活用を目指した動きが始まりました。
建築士、工務店、大工や左官などの職人が集まったNPO法人と、
市職員の有志が集まったNPO法人が中心となって、
八女福島地区すべての町家の状態と住まいの歴史を調査し、
再生すべき空き家の所有者と交渉を始めました。
そして空き家所有者にとって負担が少なく、売買して所有権を移さずとも、
建物を改修・活用する方法はないかと考えたのです。
というのも、空き家の活用がスムーズに動かない、
いくつもの事情を所有者の方々は抱えていました。
・共有名義で所有されており、活用する同意が取れずに諦めざるを得ない。
・将来的には建物を利用したいが、近々ではコストをかけてまでリノベしたくない。
・老朽化した空き家は地方の不動産屋さんに相手にされず、売れない。
それらの空き家を引き受けたり、相談にのってくれる機関はほとんどありませんでした。
八女福島では、有志が立ち上がり、課題解決に立ち向かうしかなかったともいえます。
試行錯誤しながら、「管理委託方式」が誕生しました。
長期の管理委託契約を結んだうえで改修する仕組みをつくり、
改修費は独自に市民有志から無利子の出資を募ることにしたのです。
結果、顔見知りの人を中心に資金調達のめどをたてて改修し、
移住・入居希望者に貸し出すことが実現できています。
所有者は、管理委託期間終了後に、無償で建物を引き継ぐか、売買するかを選択でき、
伝建地区内での町家の取り壊しを免れながら、活用もできて人口も増える。
地元住民、移住者、行政、空き家所有者、“四方良し”の仕組みです。
こうした活動を続けた結果、過去15年の間に、1年に7〜8軒のペースで、
累計100軒以上の町家が改修・修復され、
約50世帯の方々が八女市外から移住されてきました。
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「管理委託方式」が機能し、空き家の改修が年々進み、
歴史ある町家が活用されているのをうれしく思っていました。
しかし、まち並みの一角に佇む「旧八女郡役所」だけは、
変わらずに、ただただ、どっしりと佇んでいたのでした……。
旧八女郡役所とは、八女福島の古いまち並みから少し南に位置し、
延床面積が500平米以上ある大規模な木造建築物です。
明治20年代から大正2年までは、八女郡役所として、
八女地方の行政の中心を担っていました。
大正2年、郡役所が別の場所に新築移転したあとは、
残った建物は木蝋商店、銃弾製造工場、飼料店と、
時代とともに使われ方が変化していきました。
1996年頃からは空き家となり、瓦屋根がずり落ちて屋根に穴が開き、
土壁が剥げ、風雨による傷みが年々ひどくなっていました。建物周囲の住民からも、
「台風のとき、瓦が飛んできそうで、とても怖い」という声が上がるほどでした。
八女福島地区の内外には、歴史的建造物の空き家がいくつもあり、
空き家再生の活動は進みながらも、壊されて駐車場にされるか、
住宅メーカーの新築になってしまうケースもあります。
旧八女郡役所の当時の所有者(明治20年代に民間が建築し、県に賃貸し
役所として使用されていた)も、取り壊しを考えておられたようです。
しかし、微妙に風合いの違う瓦が重なる屋根の表情や、
大きな梁が連なる小屋組(屋根を支える屋根裏の骨組み)、
そして静かで緊張感のある空気をまとった広い空間など、
ここには「なんとか残したい」と思わせる、独特の魅力がありました。
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2003年に有志が集まりNPO法人〈八女空き家再生スイッチ〉が設立され、
2010年頃に旧八女郡役所の所有権を取得し、
修理・再生へ向けて取り組むことになりました。
まず、どのような手段で、どこから修理できるのか。
勉強会を開いて、先進地の事例を聞き、情報交換を進めました。
修理する場合、最低でも1億円以上かかると言われ、
その資金調達の方法を考えるだけで、気が遠くなるばかりでした。
そもそも大金を積んで修理をしたとしても、私たちが大切にしたい風合いが残せず、
まったく違う新しいものになるようにも思えました。
今後のプランを考える時間を稼ぐため、緊急の応急処置として、
屋根に雨漏り防止シートをかけることになりました(いまから考えれば、
大掛かりな作業でコストもかかったので、あまりオススメはできません……)。
こうして必死にやれることを模索していたのですが、
住民のみなさんの話を聞いてみると、
この建物がかつて八女郡役所であったことは十分に知られておらず、
多くの人に“ただの廃墟”と認識されていることがわかりました。
地域のみなさんと温度差があるまま、私たちだけで動くことに意味はあるのか。
もっと地域の人にもこの建物に宿る魅力や歴史的な背景を知ってもらいたい。
老朽化が進んでいたので、多少の危険は覚悟しながら、
2014年9月に旧八女郡役所の内部を公開する
「旧八女郡役所 ミテ・シル市」を実施しました。
八女福島地区が1年のうちに最も賑わう催し
「八女福島の灯籠人形」の期間中に開催したところ、
地元新聞社にも取材いただき、延べ2000人ほどの方に足を運んでいただきました。
訪れた人々が「立派な柱と梁組の建物やんね!」
「ここで地域のイベントができたらよかね〜」
「明治時代の役所だったなら残さんとね!」という声がチラホラ聞こえてきました。
やはり、私たちの見立ては間違っていなかった! と自信をつけ、
具体的な改修に動いていくことになります。
問題の資金面ですが、まずは応急措置として危険な箇所のみ修理をして、
最低限安全に使用できるような状態にし、あとは使いながら修理を続けて、
活用を考えるという方針に決まりました。
次回は、地域の人々と一緒に改修を進めたプロセスや、
歴史的な木造建築物のリノベーション術について書いていきます。
information
旧八女郡役所
住所:福岡県八女市本町2-105
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