連載
posted:2019.6.11 from:東京都豊島区 genre:アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
各地で開催される展覧会やアートイベントから、
地域と結びついた作品や作家にスポットを当て、その活動をレポート。
writer profile
Natsuki Ishigami
石神夏希
いしがみ・なつき●東京都生まれ、神奈川県育ち。劇作家。〈ペピン結構設計〉を中心に活動。近年は国内各地や海外に滞在し、都市やコミュニティを素材とした演劇やアートプロジェクトを手がける。『Sensuous City[官能都市]』(HOME'S総研, 2015)等調査研究、NPO法人〈場所と物語〉代表、遊休不動産を活用したクリエイティブ拠点〈The CAVE〉設立など、空間や都市にまつわるさまざまなプロジェクトに関わっている。「東アジア文化都市2019豊島」舞台芸術部門事業ディレクター。
東京に住むつもりなんか、なかった。
東京の北の玄関口・池袋。駅前を行き交う人波を抜け、ほんの10分ほど歩くと、
緑と静けさに包まれた「雑司が谷」というまちが現れる。
自転車が追いつけそうな速さでコトコト走る路面電車。
肩を寄せ合う木造の家々と、昔ながらの商店街。
猫たちが昼寝する曲がりくねった路地。
このまちを訪れる人はしばしば「東京じゃないみたい」とつぶやく。
私も以前だったら、同じことをつぶやいていたかもしれない。
東京生まれだが、物心つく前に首都圏の郊外に引っ越し、
通勤・通学は満員電車に揺られて都内に通うのが当たり前。地元らしい地元はない。
東京には遊びや用事でしょっちゅう来るけれど、わざわざ住もうとは思わなかった。
仕事で地方や海外に滞在することが増えてからは旅暮らしで、
ますます東京に住む理由がなくなった。
だがふとしたきっかけで9か月前、雑司が谷の近所に引っ越してきた。
この地域に根ざしたアートプロジェクトを手がけることになり、
「一度、ちゃんと東京に住んでみよう」と思ったのだ。
私はここ8年間ほど、いろいろな土地に滞在して、
その都市やコミュニティを素材に演劇をつくっている。肩書は「劇作家」。
プロジェクトでは、その土地のローカルな人たちと出会う。
そんなとき、いつも後ろめたいような、気後れするような思いがあった。
彼らのまちに「よそ者」として関わる自分は、
いったいどこからやってきた、何者なのだろうか。
私には、自分の生まれたまちの記憶がない。
そこは、家族にとって悲しい出来事があって、二度と訪れられない場所になっていた。
だから私にとって自分の生まれた場所は、「東京」という大きな、
漠然としたイメージでしかない。顔も覚えていない生き別れの父親、みたいな感じ。
自分にとって「東京」って何なんだろう。
好きなのか嫌いなのか、住みたいのか住みたくないのか?
東京という都市やコミュニティとも、演劇をつくれるのだろうか。
そんなもやもやした問いから立ち上げたのが〈Oeshiki Project〉だ。
これは、雑司が谷に江戸時代から伝わる伝統行事
「御会式(おえしき)」を軸に展開するアートプロジェクトである。
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プロジェクトの話の前に、まずは、雑司が谷というまちの成り立ちを少し。
東京の前身である「江戸」は、17世紀に幕府が開かれてから開発が進んだ都市だ。
だが「雑司が谷」は南北朝時代に移り住んだ下級役人(雑司の役)に
由来する地名ともいわれ、早くから集落が生まれていたらしい。
現在の池袋駅周辺に、まだ武蔵野の原野が広がっていた江戸時代。
雑司が谷はすでに安産・子安の神様「鬼子母神(きしもじん)」に
お参りする人々で賑わっていた。
参道の欅並木は江戸時代の浮世絵に、いまとほぼ変わらない姿で描かれている。
戦災を免れたお堂は、区内最古の木造建築だ。
かつて東京の主要交通網だった路面電車、通称「都電」は
1964年の東京オリンピックと前後して徐々に姿を消し、
ここ雑司が谷を走る「都電荒川線」が最後の路線だ。
2008年に地下鉄が延伸するまで、池袋駅周辺の開発もどこ吹く風、
雑司が谷一帯は戦前から変わらぬ風景を留めてきた。
雑司が谷が「東京じゃないみたい」としたら、
それはきっと「東京から失われた風景」が残っているからだ。
風景だけではない。細い路地の両側には、下町らしいご近所づきあいが根を張っている。
たとえば私と同世代のある男性は、雑司が谷で生まれ、育ち、結婚した。
子どもが生まれれば、自分の生まれたときを知っている
ご近所のおばあちゃんたちが抱っこしに来る。
まちを歩けば幼馴染や学校の先輩が声をかけてくる。
私はまだ引っ越してきて日が浅いが、雑司が谷を歩いていると、
平日の昼から誰かしら知っている顔に出くわす。
このまちに住んで、働いている人が多いからだろう。
居酒屋に入れば必ず知り合いがいる。
物をくれたり、さびた自転車に油を差してくれたり、
何かにつけて人と人との距離が近い。
地方であれば、さほど変わったことではないかもしれない。
だがここは山手線の内側、池袋駅から徒歩10分なのだ。
常に外からたくさんの人が流れ込んでくる場所で、
こんな濃厚な地域コミュニティが生きている。
そして私のような「よそ者」も、さわやかに受け入れてくれる。
そんな「農村的かつ都市的」な雑司が谷の距離感が、
私(郊外育ち・根無し草・旅暮らし)には新鮮だった。なんというか、粋なのだ。
このコミュニティの絶妙な「ふるまい」は、どのように育まれてきたのだろうか?
そのヒントは、この土地に江戸時代から伝わる年中行事「御会式」にあった。
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「御会式」はもともと日蓮宗の法会だ。
宗祖である日蓮聖人の亡くなった10月13日を起点に、
関東を中心とした日蓮宗のお寺で広く行われている。
「万灯(まんどう)」と呼ばれる大きな灯籠と纏(まとい)を掲げ、
団扇太鼓を打ち鳴らしながら練り歩く。
雑司が谷の御会式は、大田区の池上本門寺などと並んで
「東京三大御会式」に数えられる。
鬼子母神堂を中心に営まれていることから「鬼子母神 御会式」と呼ばれている。
「日蓮さんの法要なのに、なんで鬼子母神が中心なの?」と思ったあなたは、鋭い。
雑司が谷の鬼子母神堂は、室町時代に近隣から出土した
鬼子母神像をお祀りしたのが起源とされている。
霊験あらたかで祟りも起こったため、地域のお寺に納められ、
住民たちによってお堂が建てられた。
そして鬼子母神堂の境内は、この地域の「アジール」
――行政区分も自治会も校区も越えて、誰も独占せず、
誰もが受け入れられる共有地として、大切にされてきた。
つまり、もともと別物だった「土地に根ざした民間信仰」と
「お寺を中心とした仏教信仰」が、渾然一体となっている。
これが雑司が谷の御会式、最大の個性だ。
そしてほかの多くの御会式が、ほとんど檀信徒で占められているのに対して、
雑司が谷の場合は2割しかいない。残り8割(!)は
地域住民を中心とした「日蓮宗の信徒以外の人たち」なのだ。
2015年にはこの地域に特有の「風俗習慣」として、
無形民俗文化財にも指定された。法明寺のご住職・近江正典さんは
「うちとしては宗教行事と言わなければならないのですが……」と苦笑しつつ
「お参りしたい人は誰でも受け入れるのが当然」と話す。
さらにいえば鬼子母神はもともと、インドのヒンドゥー教に起源を持つ
「訶梨帝母(かりていも)」という女神だ。
「法華経の守護神」といういわれはあるものの、鎌倉仏教の偉人を偲ぶ夜、
最大のクライマックスを、古代インドの女神が飾っているのだ。
しかも、その人たちの大部分が日蓮宗の信徒じゃないとは、
なんて、おおらかなんだろう!
雑司が谷の人たちは、御会式が大好きだ。
ご住職は「雑司が谷の住民にとっては正月みたいなもの」という。
たしかに地域の人たちを見ていると、御会式を中心に1年が回っている気がする。
準備のために、しょっちゅう顔を合わせる。
だからこんなにも、人と人とのつながりが濃いのだろう。
もちろん、地域住民のすべてが参加しているわけではない。
だが「参加したい」という気持ちさえあれば、信徒でなくても、
地域外から来た初めての人でも、受け入れてくれる。
この「おおらかさ」が雑司が谷の御会式の魅力であり、
こんな都会のど真ん中で生き残ってきた理由だと、私は思う。
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〈Oeshiki Project〉は「東アジア文化都市2019豊島」という
文化交流事業の一環として生まれた。
日本・中国・韓国の3か国で毎年、文化芸術による発展を目指す都市を選定し、
1年間さまざまなプログラムを展開する。
私は舞台芸術部門の事業ディレクター、という立場で携わっている。
過去には横浜、新潟、奈良、京都、金沢などが選ばれた。
豊島「区」のような、小さな自治体で開催されるのは初めてのことだ。
豊島区は面積13平方キロに約29万人が暮らす、日本一の高密都市だ。
大学や企業も多く、JR池袋駅は乗車人員数で、世界でも3本の指に入る。
在住外国人が多いことも、豊島区の特徴だ。
総人口の約1割が外国籍だが、池袋小学校では児童の約3割にのぼる。
日本語クラスや複数言語対応といった取り組みも進んでいる。
そんな豊島区は、2014年、大きな課題に直面した。
日本創生会議が発表した「消滅可能性都市」。
2040年までに消滅が予測される全国896の自治体のひとつに、
東京都23区から唯一、豊島区が選ばれ(てしまっ)たのだ。
「消滅可能性都市」とは「少子化や人口移動などが原因で
将来消滅する可能性がある自治体」のこと。
びっくりした豊島区は、すぐに対策本部を立ち上げて調査を始めた。
すると、さらに驚くべきことがわかった。総人口は増え続けていたのだが、
その多くが20代の単身者で、就職や結婚を機に区外に転出していた。
そして「豊島区に住み続けている人」が減り続けていたのだ。
以来、豊島区は課題先進都市として、さまざまな改革に取り組んできた。
子育て支援や空き家対策、芸術文化に力を入れたまちづくり。
東アジア文化都市に採択されたことも、その成果のひとつといっていいだろう。
毎日、毎年、たくさんの人が通り過ぎるが、住み着かず、
ここで生まれ育つ子どもが減っていくまち。
「わたしのまち」だと思う人が減っていくまち。
少なくとも5年前の時点では、それが豊島区の近未来だったのかもしれないし、
いつかやってくる東京の未来でもあったのかもしれない。
だけど私は、それを知ったとき「そんな東京なら、住んでみたいな」と思った。
いつか消滅するかもしれない東京でなら、演劇もつくれそうな気がした。
なぜだろうか?
東京がさみしい場所になったり、なくなってもいいと思っているわけではない。
ただ消滅可能性を自覚した都市は、ガンガン成長している都市より
「やさしい場所」になれる可能性も持っていると思うから。
余白があって、おおらかで、いろいろな人が
「自分がここにいてもいいんだ」と思えるまちに。
「東京にも、どこにも住みたい場所がない」と思っていた私と、
こんなに移民が増えているのに20年後に消滅するかもしれない
(しないように頑張っている!)豊島区。
一方で、東京のど真ん中で生き延びてきた雑司が谷のローカルコミュニティと、
そのエンジンである「御会式」。
この出会いの先に、豊島区、そして「東アジアの地方都市」である東京が、
消滅しない未来は見えてくるだろうか。あるいは幸福な消滅の仕方が?
私の住みたい「東京」は見つかるのだろうか。
〈Oeshiki Project〉では、そんな問いのもとに、
日本と中国から、演劇、音楽、映像、建築、編集など
領域を横断してアーティストたちに集まってもらった。
私たちは2019年10月16日(水)~18日(金)、御会式が開催される3日間に、
観客がまちを巡って体験するツアーパフォーマンスを上演する。
当日に何が起こるかは、正直まだわからない。
毎月トークイベントやワークショップを開催し、
作品が生まれるまでのプロセスも、プロジェクトの一部として公開している。
日中のアーティストたちの目を通して、どんな東京のローカリティが、
そのパラレル・フューチャー(並行未来)が見えてくるだろうか?
次回は上海から来たアーティスト、XiaoKe x Zihan(シャオクゥ x ツゥハン)とともに
行ったリサーチを通じて、出会った人々のこと、見えてきた景色をレポートしたい。
*雑司ヶ谷鬼子母神では、「鬼」の表記に一画目の角がない字を用いています。
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