〈福岡の森八女の木プロジェクト〉
木質化リノベーションやイベントでの
八女材活用術

中島宏典 vol.5

前回に続き、八女の林業活性化をテーマにお送りします。

市民のみなさんにも、まちづくり団体や建築業界にも、
八女で良質な木材製品が生産・加工・利用できていることを知ってもらいたい。
とはいえ、「八女の杉が良いので、ご利用ください!」と口頭で説明しても、
実体験する場がなければ、その良さは誰にも伝わりません。

そこで前回ご紹介した〈里山ながや・星野川〉のほか、
市庁舎、オフィス、賃貸住宅、ホームセンター、
まち並みの修理やイベントなどさまざまなシーンで八女杉を活用し、
八女杉の魅力に触れていただく機会を増やしています。

これらの取り組みは、林業の川上~川中~川下まで、
つまり森のつくり手から製材所や工務店、そして使い手までを含めた
関係者で構成するチーム〈福岡の森八女の木プロジェクト〉が主体となっています。
このチームをつくるために、森林組合や製材所の集まりに何度もお邪魔して
意図を説明し、先進地視察にうかがってノウハウを聞きつつ課題を共有し、
八女杉を利活用するためチーム一丸となって動き始めました。

八女市役所内をリノベーション。移住定住センターをオープン

まずは地元で八女杉の良さを認識してもらうため、
八女市本庁舎の一室(約33平方メートル)を、八女杉を使って木質化リノベーションし、
〈八女市移住定住支援センター〉を設置することになりました。

昭和45年に建築された事務室の天井材を剥がし、
杉板のルーバー(細長い板を枠組みに隙間をあけて平行に組んだもの)を設置し、
八女杉でオフィス家具を制作。お子さん連れのファミリー向けに、
少し遊べるよう八女杉のブランコも設置しました。

単純に木をたくさん使えば良さが伝わるものではありません。
床はモルタル仕上げにし、スギ材との対比・バランスを図ることで、
木の良さを引き立てる空間となりました。

工事は、里山ながや・星野川でも活躍いただいた、
八女市星野村在住の大工・今村俊佑さんを中心に、
地元の若手の職人さんたちが工事を行ってくれました。

〈八女市移住定住センター〉工事中。工事は、市役所の通常業務の時間を避けて、夜間及び休日の作業となりました。

〈八女市移住定住センター〉工事中。工事は、市役所の通常業務の時間を避けて、夜間及び休日の作業となりました。

八女杉を壁や天井に利用しているところ。

八女杉を壁や天井に利用しているところ。

八女市移住定住センターのリノベ後。

八女市移住定住センターのリノベ後。

こうして2017年に八女市移住定住支援センターがオープンし、
八女の移住希望者をお迎えする空間が完成しました。

市庁舎の廊下を歩いていると、途中から杉の香りがほんのり漂います。
そして突然現れる木の温かみある空間に驚いていただき、
八女杉に癒されつつ、ゆったりと話をしていただけています。
何より日頃から、市役所職員のみなさんに打ち合わせなどで
積極的に空間を活用していただいていることがうれしいです。

建築関係者の方からは、
「これ、八女の木? よか木目をしとるやんね!」という声が聞かれるようになり、
八女杉の良さが少しずつ見直されていることを実感しています。
林業者から製材所、工務店まで、業界全体が有機的につながったチームで
実績が生まれたことも大きな成果でした。

人がつながり、コトが始まる場所。
〈カフェ鎌倉美学〉に
まちの老若男女が集まる理由とは?

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

〈カフェ鎌倉美学〉がある御成通り商店街。ここ数年、新店が次々とオープンし、地元民に加えて観光客の往来も増えている。

〈カフェ鎌倉美学〉がある御成通り商店街。ここ数年、新店が次々とオープンし、地元民に加えて観光客の往来も増えている。

老若男女が集うコミュニケーションカフェ

鎌倉駅の西口は、地元住民から「裏駅」と呼ばれている。
鶴岡八幡宮へと連なる小町通りなどがあり、
観光客で賑わう駅の東側が正面口であることに対して、
西側は、鎌倉の裏口というわけだ。

この裏駅から延びる御成通り商店街は、近年続々と新店がオープンし、
少しずつその様相が変わり始めているものの、
のんびりしたローカルムード漂う商店街として、
地元民から観光客までに広く親しまれている。

この商店街を数分歩くと、〈カフェ鎌倉美学〉と書かれた赤い看板が見えてくる。
まだこの辺りに飲食店が数えるほどしかなかったいまからちょうど10年前、
オーナーの湊 万智子さんが、それまで勤めていた
鎌倉のケーブルテレビを退職して開いたお店だ。

「コミュニケーションカフェ」という冠がつけられた鎌倉美学には、
性別や世代、職種などを超えて老若男女が集い、
地元住民から観光客までが気軽に語らえるお店として、
いまではまちに欠かせない存在だ。

カフェ鎌倉美学の店主・湊万智子さん

この鎌倉美学では、しばしば音楽イベントや作品の展示などが行われ、
若手アーティストたちの表現の場にもなっており、
また、ここで間借り営業をしたことがきっかけで、
後に飲食店を構えることになる人や、鎌倉に移住してきたあと、
このお店を通じて地域コミュニティとの関わりを深める人なども多く、
まちで新たな活動を始める人たちのはじまりの場所にもなっている。

多くの人たちから「マチコさん」と慕われ、
常連客から観光客、スタッフまでが垣根を超えてつくる大きな輪の
求心力となっている鎌倉美学のオーナー、湊さんを訪ねた。

カフェ鎌倉美学外観

雑司が谷の「御会式」に
もうひとつのOeshikiが出会う。
ツアーパフォーマンス『BEAT』

〈Oeshiki Project〉から見る東京のローカルの未来 vol.3

雑司が谷に江戸時代から伝わる伝統行事
「御会式(おえしき)」を軸に展開するアートプロジェクト〈Oeshiki Project〉。
その背景やプロセスを、劇作家であり、このプロジェクトのディレクターである
石神夏希さんが紹介していきます。

「御会式を見たことがない」からのスタート

「まずは今年の御会式に参加して、全部を見てください。
そのうえで、一緒にやれるかどうか、話しましょう」

ちょうど1年前に、御会式を取り仕切っている
「御会式連合会」の人から投げかけられた言葉だ。
厳しくも聞こえるけれど、門前払いされなくて本当によかった。
うれしさと「本当にできるのだろうか」という不安を抱えて、
雑司が谷から池袋駅まで歩いた。

〈Oeshiki Project〉のはじまりは、簡単ではなかった。
雑司が谷の「御会式」は、そもそもは仏教の行事。
宗教行事に、公共的な文化事業が関わること自体に、なかなか理解は得られなかった。
慎重になるのも理解できる。

御会式は江戸庶民の祭り。秋の風物詩であり、季語にもなっている。(写真:鈴木竜一朗)

御会式は江戸庶民の祭り。秋の風物詩であり、季語にもなっている。(写真:鈴木竜一朗)

だが御会式は同時に、この地域に受け継がれてきた文化であり、
無形民俗文化財としても認められている。
その保持者は、地域住民からなる組織・御会式連合会、
つまりお寺ではなく、地域に暮らす人々自身だ。

地元21講社からなる御会式連合会のみなさん。(写真:鈴木竜一朗)

地元21講社からなる御会式連合会のみなさん。(写真:鈴木竜一朗)

2018年9月。紆余曲折の末、ようやく連合会の会合に参加させてもらった。
すでにお寺の賛同は得ていたが、事前に連合会へ挨拶に行った実行委員会の担当者は、
「なぜ協力しなきゃいけないんだ」
「御会式への愛が感じられない」と追及されたらしい。

鬼子母神さんに祈ってから臨みましたが、ガチガチに緊張しました……。(写真:鈴木竜一朗)

鬼子母神さんに祈ってから臨みましたが、ガチガチに緊張しました……。(写真:鈴木竜一朗)

この日、私は連合会に初めて参加して、
「御会式をテーマとしたパフォーマンス作品をつくりたい。
来週には、雑司が谷の近所に引っ越してきます」と伝えた。

雑司が谷の猫も素知らぬ顔。

雑司が谷の猫も素知らぬ顔。

地域の人たちから返ってきたのは、胡散臭いものを見る眼差しと、冒頭の言葉だった。
企画が立ち上がってから、10か月が過ぎていた。
東アジア文化都市の開幕まで、あと半年。

家族と、仲間と、
豊かで楽しい食卓のある暮らし

7年経って、驚くほど変わった生き方

小豆島で暮らし始めてもうすぐ丸7年経ちます。
うひょ〜、7年!
30代で引っ越してきた私たち夫婦は、気づけば40代になりました。
盛りだくさんの毎日が積み重なって、
小豆島に引っ越してきたのはもうずっとずっと昔のような気がします。

カフェメンバー、ファームメンバーそろって集合写真。

カフェメンバー、ファームメンバーそろって集合写真。

いま採れる野菜はこんな感じです。夏の暑さが落ち着き、みずみずしい葉物野菜が採れ始めました。

いま採れる野菜はこんな感じです。夏の暑さが落ち着き、みずみずしい葉物野菜が採れ始めました。

7年経ってもいまだに私たちは「移住者」で、雑誌の取材などでも
「どうして移住されたのですか?」と聞かれることがしばしばあります。
なんでだっけ?(笑)

名古屋で暮らしていた頃どんなことを考えて移住を決めたのか、
どんな気持ちだったのか、もう遠い記憶です。
ただやっぱり当時のことを思い出そうとすると、
いろんな思いや出来事が頭の中に浮かび出てきます。

30代前半、都会で子どもを育てながら働いていた私は、
それなりに満たされてはいたけれど、なにか悶々としていました。
自分が何をしたいのか、どんな生き方をしたいのか、ずっと考えていました。

畑の隅に植えられている栗の木から落ちた栗を収穫。

畑の隅に植えられている栗の木から落ちた栗を収穫。

この連載「小豆島日記」の最初の回に、私はこんなことを書いています。

消費するために働いてお金を稼ぐ、そういう生き方じゃなくて、
生きること自体を働くことにしよう。
暮らしに必要なものを自分たちの手でつくる時間、
ごはんを家族そろって食べる時間を持とう。

栗は食べるのにすごい手間がかかります。ひとつずつ鬼皮をむいて渋皮をむいて。

栗は食べるのにすごい手間がかかります。ひとつずつ鬼皮をむいて渋皮をむいて。

栗ごはーん! お米も栗も私たちが暮らす小豆島肥土山産。

栗ごはーん! お米も栗も私たちが暮らす小豆島肥土山産。

ポートランドのDIY精神に刺激を受け
ものづくりの喜びを分かち合う、
〈RINNE〉プロジェクト始動

写真提供:RINNE

廃材にクリエイティブな価値を見出し循環させたい

今回は、2020年春、東京・台東区に拠点がオープンするという
新しいプロジェクトについて紹介してみたい。

プロジェクト名は〈RINNE(りんね)〉。
生命が無限に転生を繰り返すという
「輪廻(りんね)」の思想が言葉の由来になっており、
モノを捨てることなくクリエイティブな価値を見出し
循環させていこうとするプロジェクトだ。

その第1弾として、不要なモノを素材にして、お酒を飲みながら
ワイワイものづくりを楽しむバーの立ち上げが計画されている。

RINNEの活動を知ったきっかけは、このプロジェクトのメンバーであり、
コミュニケーションデザイナーの山中緑さんと東京で約半年ぶりに再会したことだ。

札幌在住だった緑さんは、昨夏、娘さんとふたりでポートランドへ電撃移住。
住まいも仕事も決めずに現地に向かった彼女は、
この移住を“冒険の旅”と名づけ、さまざまな暮らしの挑戦を行っていった。

ハプニングを乗り越えつつ住まいを見つけたり、娘さんの学校を探したり。
Facebookで発信される日々の挑戦にわたしは引き込まれ、
昨冬の一時帰国のタイミングに合わせ、
わたしの住む美流渡(みると)で彼女にお話会を開いてもらったこともある。

美流渡のお話会の様子。緑さんは、「これまでのいろんな概念が壊され、常識が覆され、そして刺激を受け、ショックとともに自由になって元気になっている気がする」とポートランドでの日々を語ってくれた。

美流渡のお話会の様子。緑さんは、「これまでのいろんな概念が壊され、常識が覆され、そして刺激を受け、ショックとともに自由になって元気になっている気がする」とポートランドでの日々を語ってくれた。

今年の6月、たまたまわたしの上京予定と彼女の帰国のタイミングが重なって、
東京で会うことができて驚いたことがある。
たった半年のあいだに、緑さんのまわりでは、
新しいプロジェクトがたくさん始まっており、その中でも、
これから本格始動するというRINNEプロジェクトに、大きな興味を持ったのだった。

わたしが移住した岩見沢の山あいの美流渡地区は、過疎化が進み、空き家も多い。
これらの家の中には生活道具が残されていたり、
倒壊の危険のある古家はどんどん壊されているのだが、
廃材として捨ててしまうには惜しいものも多く、
なんとか活用する手段はないのだろうかと、つねづね感じており、
このプロジェクトがヒントになるのではと感じたからだ。

RINNEプロジェクトのアイデアの源泉になったのは、
ポートランドにある〈SCRAP PDX〉と〈DIY BAR〉という取り組みだ。
緑さんは、日々の暮らしのなかで、なぜポートランドが「世界の先端」と言われ、
「クリエイティブシティ(創造都市)」と言われるのか、その秘密を探っていた。
そんななかで大きな刺激を受けたものがこのふたつだったという。

〈SCRAP PDX〉の店内。シールや包装紙などあらゆる素材が集められている。(写真提供:RINNE)

〈SCRAP PDX〉の店内。シールや包装紙などあらゆる素材が集められている。(写真提供:RINNE)

SCRAP PDXは非営利の団体で、紙製品や布、文房具など、
クリエイティブな素材になりうる、ありとあらゆるモノが
集められたショップを運営している。
仕入れは売れ残りの商品や余った材料など寄付によってまかなわれていて、
ボランティアが仕分けを行っている。

緑さんの娘さんは、ここに入ったとたん「宝の山だ」と狂喜乱舞したそうで、
誰もが何かがつくりたくなってくる、
そんなワクワクした気分になれる場所なのだという。

〈DIY BAR〉。ものづくりをしながら食べたり飲んだり。店員さんもフレンドリーで、つくった作品をほめてくれることも。(写真提供:RINNE)

〈DIY BAR〉。ものづくりをしながら食べたり飲んだり。店員さんもフレンドリーで、つくった作品をほめてくれることも。(写真提供:RINNE)

もうひとつのDIY BARは、クラフトビールなどポートランドらしい飲み物を飲みながら、
和気あいあいとした雰囲気のなかでものづくりを楽しめる場所。

「わたしはもともとの真面目な性格と、デザイナーとしての変な意識(プライド?)で、
気持ち肩に力が入った気がしたけれど、それがだんだん、
どんどん“どうでもよくなって”いって、さまざまな手法を試したくなる!」

緑さん革小物づくりをこのバーで体験し、そんな感覚を覚えたという。

〈船波製麺所〉
家族でつくる小豆島手延べそうめん

撮影:牧浦知子

身近にある小さな製麺所でつくられる、島の特産品

小豆島では昔から、島のあちこちにある小さな製麺所で
「そうめん」がつくられています。
その歴史は長く、約400年前の江戸時代はじめから。
「冬の農閑期に家族で生産できる」と考えた島の人が、
三輪(奈良県)でそうめんの製造技術を学び、
小豆島に持ち帰ったのが始まりとされています。

そして現在、小豆島の手延べそうめんは、
奈良県「三輪そうめん」、兵庫県「播州そうめん」に並ぶ
日本三大そうめんのひとつなんです。

小豆島に引っ越してきてからは、そうめんをよく食べるようになりました。担々麺にしたり、野菜をのせたり、いろいろアレンジします。

小豆島に引っ越してきてからは、そうめんをよく食べるようになりました。担々麺にしたり、野菜をのせたり、いろいろアレンジします。(撮影:牧浦知子)

うちのすぐ近所にもそうめんの製麺所が何軒かあります。
製麺所というととても大きな感じがしますが、
小豆島の製麺所は家族で運営している小さなところが多く、
自宅のすぐ隣に工場があったりします。

乾燥中のそうめん。

乾燥中のそうめん。

集落の中にぽつぽつと小さな製麺所がある感じが私はとても好きです。
そうめんを干してるところがちらりと見えたり、機械の音がしたり、
小豆島らしい風景のひとつだなぁと思います。

そうめんづくり現役の機械たち。そうめんをつくる機械ってかっこいいな。

そうめんづくり現役の機械たち。そうめんをつくる機械ってかっこいいな。

人の手で麺を細く延ばしていく手延べそうめん。

人の手で麺を細く延ばしていく手延べそうめん。

そんな製麺所のひとつ、中山の千枚田の中にある〈船波(ふなば)製麺所〉さんから
Webサイトをつくりたいと相談を受けたのをきっかけに、この春から夏に何度か訪れて
写真を撮らせてもらったり話を聞かせてもらったりしました。

中山地区でそうめんづくりをされている〈船波製麺所〉のみなさん。

中山地区でそうめんづくりをされている〈船波製麺所〉のみなさん。(撮影:牧浦知子)

千枚田を見渡す場所に船波製麺所があります。

千枚田を見渡す場所に船波製麺所があります。(撮影:牧浦知子)

“幻の米”〈小滝米〉を引き継ぐ。
300年後の未来を開く
長野県栄村小滝集落への里山ツアー

長野県を流れる千曲川が、その名を信濃川に改める
新潟県との県境に位置する長野県栄村。
その中で千曲川のほとりにあるわずか13戸の集落が、
開墾から300年を超える小滝(こたき)集落です。

まもなく秋の実りに恵まれる田畑に、子どもたちの声が響いたのは、今年6月のこと。
子どもを連れて訪れた親たちにお願いされたルールはたったひとつだけ。
それは「どれだけ騒いでも、子どもたちを叱らないでくださいね」でした。

2011年の震災を乗り越え
「美しく恵深い里山をさらに300年後まで残したい」
と取り組んでいる集落の人々と、
2日間を過ごした27名の親子が見つけたものとは?

植樹する女の子

子どもたちの笑顔が小滝に溢れる日は年に2回。
まずは初夏の田植えに笑い声が響きます

2019年6月の土曜日、銀座の子ども服の老舗〈ギンザのサヱグサ〉が主催する
里山ツアー「SATOYAMA Wonderland Tour」に参加した13組の家族が
小滝に集まってきました。
初めて参加する親子連れ、おばあちゃんとのふたり旅の子どももいれば、
参加は5回目という女の子もいて、その顔ぶれはさまざまです。

「SATOYAMA Wonderland Tour」に参加した子どもたち

ここ長野県栄村小滝は、ブナ林に囲まれ、清らかな雪解け水が注ぐ千曲川に沿った
河岸段丘の小さな棚田と、日本の原風景が残る美しい小さな集落です。
ですが東日本大震災翌日に発生した長野北部地震の震源地として、
家屋は全壊3棟、半壊7棟、そして田んぼの7割も被害を受け、
作付けができなくなるなど、2011年には深刻な集落の存続危機を迎えました。

けれどもボランティアの力を借り田んぼを復活させ、
収穫量の少なさから幻の米と言われた〈小滝米〉の栽培を再開します。
また住民たち自らも「集落外の方と交流を持つこと」を柱に
全戸が出資して〈合同会社小滝プラス〉を設立するなど、
「この地で300年続いてきた想いや営みを、さらに300年後に引き継ぐ」
という夢とロマンを実現するために、日々の暮らしを営んでいます。

田植えする男の子

そんな小滝地区で行われる親子のための里山体験も、今年で4年目になります。
公民館2階に参加者とスタッフが全員集合し、初夏の里山散策、
そして田植えを体験する2日間のプログラムが始まります。

「東京では、子どもたちを叱っている風景をよく目にしますよね。でも」
という不思議な挨拶に続いて伝えられたのが、
「ここではどれだけ騒いでも、子どもたちを叱らないでください」
という小滝ならではのルールでした。

東京から遠く離れた小滝の時間には、里山ならではのさまざまな体験が待っています。
新しく楽しい体験ほど、子どもたちはにぎやかになるものです。
全員で子どもたちの安全を見守り、親子一緒に少しでも多く
楽しい里山の記憶を持ち帰ってほしいという小滝のみなさんとサヱグサの願いなのです。
恒例の参加者、スタッフ全員の自己紹介を終えて、
さあ最初のプログラム「植樹」に向かいます。

五木村〈CAFEみなもと〉に集まる人。
〈日添〉が挑む
1000人の村の“幸せづくり”

広いけど、小さい!? 1000人の村

熊本県の南部に位置する球磨郡五木村(いつきむら)。
村の面積はおよそ250平方キロと広大だが、
村全体が九州山地にあたり、そのほとんどが山林。
そこに1000人の村人が暮らしている。
熊本県の市町村の中でも、人口が一番少ない村だ。

日本一の清流ともいわれる川辺川(かわべがわ)が地域の中心に流れ、
広大な村の中にあるわずかな平野部に、集落がぽつん、ぽつんと点在している。

山林の中にある平野部に住宅が密集している。

山林の中にある平野部に住宅が密集している。

夏には涼を求め、秋が深まると美しい紅葉を目的に、五木村には多くの観光客が集まる。
川辺川にかかる小八重橋では、高さ66メートルの橋の上から
バンジージャンプを楽しめる。
オープニングセレモニーで、熊本県のキャラクター「くまモン」が
バンジージャンプにチャレンジしたことでも話題になった。

ハイシーズンの休日には多くの人で賑わう村だが、
その日常はとてものどかで、静かな時間が流れている。

地域の中心を流れる川辺川。

地域の中心を流れる川辺川。

65歳以上の高齢者が、村民の50%近く。
そんな人口1000人の村、五木村で、
20代・30代の若者たちが地域づくりの会社を立ち上げた。
今回は、五木村で設立された〈株式会社日添(ひぞえ)〉の活動を通して、
これからの地域づくりのあり方について見ていきたい。

五木村の紅葉

アーティストが開く地域の可能性。
夕張でプロジェクトを行う
永岡大輔さんと山口一樹さんの挑戦とは

画像提供:ニュー浴場プロジェクト

そこに住む人々の記憶を掘り起こそうとする試み

わたしの住む岩見沢の美流渡(みると)地区は、もともと炭鉱があった場所だ。
炭鉱で働いた人たちが住んでいた炭鉱住宅がいまでも残っているし、
活況を呈した当時の様子を知る住民もいる。
東京で暮らしていた頃は、炭鉱は過去にあった
どこか遠い出来事のように感じていたのだが、ここに住んでいると、
まちの個性をつくった重要なものであると、強く実感するようになった。

そんななかで、産炭地として全国に知られる夕張で、
独自のプロジェクトを行っているふたりがゲストとなった
アーティストトークに参加した。

8月末、アーティスト・イン・レジデンス事業を行う
〈さっぽろ天神山アートスタジオ〉で、
「アーティストがみた北海道と炭鉱・夕張とはなにか。」をテーマとし、
アーティストの永岡大輔さんと、
写真家でありキュレーターでもある山口一樹さんが、
これまで行ってきた活動について語ってくれた。

イベントの告知画像。左が永岡大輔さん。右が山口一樹さん。

イベントの告知画像。左が永岡大輔さん。右が山口一樹さん。

まず活動を語ったのは山口さんだ。
3年半前から夕張に移住し、現在は市の職員として働きつつ、
本を出版したりイベントを企画したりなど多彩な活動を展開している。

山口さんが夕張を初めて訪ねたのは6年前。
当時、新潟大学の学生だった山口さんは、北海道をめぐるなかで
夕張駅で野宿をしようとしたことがあった。
そのとき地元の人が「うちにとめてあげるよ」と言ってくれて、
初めて炭鉱住宅に泊まり、銭湯につかる体験をした。

「激アツのお風呂に近所のみなさんが順々に入っていって、
なんなんだろうこれはと。とてつもないコミュニティの力を感じました」

その後2年間夕張に通い、地域おこし協力隊としてこの地で暮らすこととなった。
児童館のない夕張で、子どもの居場所づくりなどの活動を行いつつ、
同時並行で歴史を掘り起こす取り組みも続けていった。

山口さんは富山県出身。北海道を初めて訪れたのは高校時代。東川町で行われた〈写真甲子園〉というプロジェクトに参加したことがきっかけ。以来、このイベントでボランティアをするようになり、夕張にも足を運んだそう。

山口さんは富山県出身。北海道を初めて訪れたのは高校時代。東川町で行われた〈写真甲子園〉というプロジェクトに参加したことがきっかけ。以来、このイベントでボランティアをするようになり、夕張にも足を運んだそう。

山口さんは2冊の本の制作に携わった。
1冊は『ヤマを伝える』。
元炭鉱マンで画家の宮城七郎さんが描いた、炭鉱の労働と暮らしの絵をはじめ、
当時の記憶をたどる写真と解説文で構成されたものだ。

「その時代、その場所を生きた人にしか出せない空気感や感覚、
想いがあると感じました。いま夕張には、みんなが共通して
大事にできるようなものってそんなにないように感じていたので、
共通の財産をつくりたいと思いました」

夕張市清水沢地区を中心として地域活動を行う一般社団法人〈清水沢プロジェクト〉が幹事となって運営されている〈夕張の記憶ミュージアム実行委員会〉によって刊行された冊子『ヤマを伝える』。

夕張市清水沢地区を中心として地域活動を行う一般社団法人〈清水沢プロジェクト〉が幹事となって運営されている〈夕張の記憶ミュージアム実行委員会〉によって刊行された冊子『ヤマを伝える』。

当時の状況を知るからこその味わいを感じる宮城さんの絵に、夕張出身の高塚光栄さんが解説文をつけた。また、同じく夕張出身の渡津澄夫さんの写真も載せた。

当時の状況を知るからこその味わいを感じる宮城さんの絵に、夕張出身の高塚光栄さんが解説文をつけた。また、同じく夕張出身の渡津澄夫さんの写真も載せた。

もう1冊が、今年の3月に刊行した『暮らしと創造』という本だ。
夕張に長く住み、手芸や短歌、絵といった
ものづくりを楽しんできた6名にスポットをあて、
その作品やポートレートを収録したもの。

「夕張に来たときから、財政破たんをしたまちで暮らす人たちの
豊かさとはいったいなんだろうと考えてきました。
ひとりひとりをフィーチャーしていくと、
自分の目の前で大事にしてつくったものの延長線上にこのまちがある。
そんなことを実感して、そこから本が生まれていきました」

このほか山口さんは、9月に地域で戦争体験をした人に話を聞いて、
その記憶と手記を紹介するような展覧会も企画していた。

A4サイズ、オールカラー、168ページ。写真家でもある山口さんが、夕張に住む人々を独自の視点で切り取った写真集。清水沢プロジェクトのホームページで購入可能。

A4サイズ、オールカラー、168ページ。写真家でもある山口さんが、夕張に住む人々を独自の視点で切り取った写真集。清水沢プロジェクトのホームページで購入可能。

築約70年の木造校舎の廃校を活用。
熊野市のまつりをリノベーションする

多田正治アトリエvol.5

vol.1~4にかけて、〈梶賀のあぶり場〉〈コウノイエ〉と
ふたつのリノベーションの現場をレポートしてきました。

今回は少し趣向を変えて、「まつりのリノベーション」がテーマです。
時をさかのぼり、ぼくたちが熊野エリアに関わるきっかけから、
旧神上(こうのうえ)中学校の活用とその空間を彩るコンテンツづくり、
そして県をまたぎ、和歌山県側の熊野エリアで行ったイベントに
スポットを当てていきます。

熊野市神川町の旧神上中学校。

熊野市神川町の旧神上中学校。

神川町との出会いと桜まつり

2014年の年末、「熊野市の神川町が過疎で困っている」と知人から相談をもらい、
ぼくたちは初めて三重県熊野市に足を踏み入れました。

現在は300人ほどの集落の神川町ですが、ひと昔前はダムの開発で賑わい、
3000人もの人が暮らしていたそうです。

神川町は、明治の偉人として知られる写真技師、田本研造の故郷でもあります。
彼の記念館を建ててみるのはどうか、という意見もありましたが、
聞けば、神川町には毎年桜の季節になると
旧神上中学校で行われる「桜まつり」があるとのこと。
それならば、桜まつりに合わせて田本研造の展示をやってみよう!

こうして2015年に第28回を迎える桜まつりと出会い、
ここから3年にわたり、桜まつりに関わっていくことになったのです。

新鮮野菜たっぷり素麺!
〈HOMEMAKERS〉のまかない

採れたての野菜と地元の食材でつくる、最高のごちそう

8月後半の雨続きで涼しい日が続き、
すっかり夏が終わってしまったかと思っていたのですが、やっぱりまだ暑い。
時折、吹き抜ける秋の風を感じつつも、
じりじりと照りつける太陽が汗を吹き出させる畑作業の日々です。

9月上旬、ひたすらにんじんの種をまく。暑い~。

9月上旬、ひたすらにんじんの種をまく。暑い~。

生食できるかぼちゃ、コリンキー! まだまだ夏野菜が元気。

生食できるかぼちゃ、コリンキー! まだまだ夏野菜が元気。

畑では、モロヘイヤ、ツルムラサキなど夏後半の野菜が採れ始めてます。秋に採れるように植えたピーマンももうすぐ収穫。

畑では、モロヘイヤ、ツルムラサキなど夏後半の野菜が採れ始めてます。秋に採れるように植えたピーマンももうすぐ収穫。

そんな残暑厳しい9月上旬のある日。
今日の〈HOMEMAKERS〉まかないは何にしようかなあ。
「そうだ、今日は素麺にしよう!」

小豆島は昔から素麺の生産が盛んで、島のあちこちに小さな製麺所があります。
ご近所さんや知り合いにも何人か素麺屋さんがいるので、
いただいたり買ったりして、常に細麺、太麺、両方のストックがあります。
なので、暑い日のまかないではちょくちょく素麺が登場します。

近所のお素麺屋さんがつくった太麺素麺。

近所のお素麺屋さんがつくった太麺素麺。

細麺に比べて太麺は食べ応えがあります。でもつるっとした食感なのでどんどん食べられる!

細麺に比べて太麺は食べ応えがあります。でもつるっとした食感なのでどんどん食べられる!

素麺といっても、素麺+めんつゆ+薬味(ねぎ、生姜)だけじゃもの足りない~。
HOMEMAKERSのまかない素麺は、野菜たっぷり&肉あり、卵あり! 
今日は太麺にしましょ。HOMEMAKERSのまかないづくりスタートです。

まずは料理に使う野菜を集めます。
たくさん収穫できて余っているものや、
形が悪かったり傷があったりして出荷できないもの。
それから初もの(今シーズン初めて採れたもの)を
誰よりも早く自分たちのまかないで使ったりします。味見です。

まかないで使う野菜たち。

まかないで使う野菜たち。

この日は、8月末から採れ始めたツルムラサキ、
夏の間ずっと採れ続けているズッキーニ、ピーマン、ナス、オクラ、
春に収穫して保管してある赤玉ねぎ、あると安心なネギ。
それから今年初めて育てたメロンを使いました。

まかないは、たくちゃん(夫)が主につくります(私は手伝い)。
この夏は、畑を手伝いにきてくれている渡辺宣くん(せんくん)が
たくちゃんと一緒にまかないをつくってくれています。

「この野菜はどうしようか?」と相談しながらまかないづくり。

「この野菜はどうしようか?」と相談しながらまかないづくり。

ピーマンと赤玉ねぎの肉みそ炒めをつくります。すでにいい匂い~。

ピーマンと赤玉ねぎの肉みそ炒めをつくります。すでにいい匂い~。

八女市に木造賃貸住宅
〈里山ながや・星野川〉を建設。
林業の活性化と移住促進に向けて

中島宏典 vol.4

福岡県八女市は、お茶、農業、手工業と並び、林業も盛んな地域です。
今回は、八女市の林業にスポットを当て、長年の課題と背景、
そして林業関連の方々と一緒に取り組むプロジェクトについて、ご紹介していきます。

なぜ、林業の取り組みに関わることになったのか?

自分自身、学生時代から疑問に思っていることがありました。
八女福島のまち並みの修理・修景現場では、
柱や梁の交換、屋根材、床・壁材など多くの木材を利用します。
しかし、その木たちが、どこで育ち、いつ伐採され、
どういうルートで製材・加工・乾燥されて現場に搬入されているのか、
現場の人たちもわからないというのです。

とにかく、八女は一帯に山々が広がり、奥八女に向かう道中には杉の森ばかり。
川沿いにはまだ多くの製材所が稼働しているのに、
なぜ地元産材として認識されたうえで、建築の現場で使われていないのか。
ひと昔前までは、当たり前のように使われていたはずの地域材が、
いつから使われなくなってしまったのか……。

茶畑の奥に杉が植林されている奥八女の典型的な里山風景。

茶畑の奥に杉が植林されている奥八女の典型的な里山風景。

奥八女の森林を起点に流れる矢部川・星野川流域の環境を維持・保全するには、
伐採と植林が欠かせません。
そのためには八女杉を利用する必要があることは何となく理解していました。

とはいえ、木材流通の現状についてはまったく理解できておらず、
まち並みの視察や見学に訪れる方から、
「この柱は八女の木ですか?」という質問が飛ぶたびに、
きちんと答えられない状況でした。

有明海からの俯瞰図をみても、奥八女には緑の山々ばかり!(矢部川流域景観計画より/作成:九州大学出口研究室(当時))

有明海からの俯瞰図をみても、奥八女には緑の山々ばかり!(矢部川流域景観計画より/作成:九州大学出口研究室(当時))

中国出身のアーティスト、
シャオクゥとツゥハンが
池袋と雑司が谷で出会った中華系の人々

〈Oeshiki Project〉から見る東京のローカルの未来 vol.2

雑司が谷に江戸時代から伝わる伝統行事
「御会式(おえしき)」を軸に展開するアートプロジェクト〈Oeshiki Project〉。
その背景やプロセスを、劇作家であり、このプロジェクトのディレクターである
石神夏希さんが紹介していきます。

「内輪だけど、閉じてはいない」コミュニティ

雑司が谷の御会式コミュニティは、すごく濃厚だ。
30万人が集まる一大イベントだけれど、一番楽しんでいるのは
やっぱり太鼓を叩いている人たちだと思う。

なんたって地域の人たちが、1年かけて準備をしている。
いい意味で「内輪」なのだ。
内輪で盛り上がっていてこそ、ローカルな文化はおもしろいと思う。

雑司が谷生まれ育ちの人たちの、太鼓を叩く身のこなしは独特。(写真:鈴木竜一朗)

雑司が谷生まれ育ちの人たちの、太鼓を叩く身のこなしは独特。(写真:鈴木竜一朗)

でも実は、雑司が谷に住んでいない人も講社(チームのようなもの)に入れるし、
異なる信仰を持っていても(本人がよければ)太鼓を叩くことができる。
そんな「内輪だけど、閉じてはいない」ローカルのあり方が、絶妙だと思う。
だが思ったより知られていない。これは結構、もったいない。

昨年の御会式で半纏を着せてもらった筆者。(写真:鈴木竜一朗)

昨年の御会式で半纏を着せてもらった筆者。(写真:鈴木竜一朗)

さまざまな人が暮らす都市で、「御会式」という場がいまより少しだけ開かれる。
異なる文化を持った人たちが、違いを確かめ合いながら、
ひとつの音楽をつくることはできないか。一緒に歩くことはできないか。

そんな着想からOeshiki Projectでは、まちを舞台に、
御会式の太鼓をモチーフにした『BEAT』という
参加型パフォーマンスをつくることになった。

長沼の人々との出会いで
大きな一歩を踏み出した
自由な小学校づくり

撮影:佐々木育弥

説明会開催を繰り返すなかから具体化した設立場所

自分たちの手で、わが子や自分が“学ぶ場”をつくれたら楽しいんじゃないだろうか。
人口400人に満たない岩見沢市の美流渡(みると)地区に移住してから、
私はこう考えるようになった。

この考えが芽生えたのは、過疎地に住んでみて、
歩いて通える児童館がないことや習い事の選択肢が少ないことが挙げられる。
しかも今春には息子が通っていた小学校が閉校となり、
当たり前にあると思っていたものがなくなるという現実に直面し、
学校についてあらためて見直す機会を得たことも理由のひとつ
(現在、子どもはスクールバスでもう少し大きな小学校に通っている)。

そして、「ないなら自分たちでつくってみよう」という気持ちが自然にわきあがって、
ワークショップを開催したり、旧校舎の活用方法を模索したりと、
さまざまなプロジェクトが生まれていった。

昨年は、農家の阿部恵さんの畑で「トシくんと畑で英会話」を企画。農作業しながら子どもたちが英会話を学ぶというワークショップ。

昨年は、農家の阿部恵さんの畑で「トシくんと畑で英会話」を企画。農作業しながら子どもたちが英会話を学ぶというワークショップ。

自分がこうした活動するようになって、
ほかの地域ではどんな動きがあるのかに関心を持つようになった。
道内でも、さまざまな学びの場をつくる動きが展開されているのだが、
なかでも注目しているのは〈北海道に自由な小学校をつくる会〉の活動だ。

「森のようちえん」やフリースクールよりも、学校法人の認可を受ける小学校設立は
かなりハードルが高いのではないかと考えてしまうが、
個人の想いが集まれば設立も夢ではない、
そんな勇気をこの会の活動は与えてくれている。

わたしが小学校をつくる会の活動を知ったのは、昨年5月のこと。
札幌で開催された説明会に参加したのがきっかけだ。
以来、何度か説明会に参加し、その様子は以前もリポートしたが、
いま、さらなる展開が起こっているので、今回それについて紹介したい。

〈北海道に自由な小学校をつくる会〉の説明会の様子。説明会ではグループディスカッションの時間を設け、教育や学校に対する意見交換の場もつくられた。

〈北海道に自由な小学校をつくる会〉の説明会の様子。説明会ではグループディスカッションの時間を設け、教育や学校に対する意見交換の場もつくられた。

会の母体は、1980年代から活動し、現在認定NPO法人となった
〈北海道自由が丘学園・ともに人間教育をすすめる会〉。
新しい教育提案とその実現を目指そうとする組織で、
このNPOに関わる細田孝哉さんと吉野正敏さんが、
既存の公教育とは異なる価値観を持つ小学校をつくりたいという活動を長年続けてきた。

吉野正敏さん(左)と細田孝哉さん(右)。吉野さんは札幌のフリースクール〈月寒スクール〉を運営する北海道自由が丘学園の代表理事。細田さんは札幌にある養護学校の教員。

吉野正敏さん(左)と細田孝哉さん(右)。吉野さんは札幌のフリースクール〈月寒スクール〉を運営する北海道自由が丘学園の代表理事。細田さんは札幌にある養護学校の教員。

これまで活動は思うように広まらなかったが、
吉野さんが運営を手がけるフリースクールでボランティアを行い、
学校教育に以前から興味を持っていた綿谷千春さんが、
昨年、小学校づくりのメンバーに参加。
彼女がSNSで説明会開催を呼びかけたことで、学校教員や子を持つ親など、
さまざまな立場の人が、この活動を知ることとなった。

昨年末には、わたしが住む岩見沢市でも説明会を開催してもらった。

昨年末には、わたしが住む岩見沢市でも説明会を開催してもらった。

説明会で語られたことのひとつは、どんな学校をつくりたいのか。
和歌山にある〈きのくに子どもの村学園〉をモデルにしており、テストや宿題、
学年の壁もなく、子どもが主体的に学べる場をつくっていきたいと語られた。
また、懸案事項として挙げられたのが設立場所で、
旧校舎などの利用を検討中とのことだった。

理想の夫婦の関係性!?
鎌倉・材木座の家具屋〈STOVE〉と
ギャラリーカフェ〈John〉が育む
緩やかなつながり

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

家具屋〈STOVE〉と、ギャラリーカフェ〈John〉がある材木座は、以前に本連載でも紹介したお好み焼き屋〈かたつむり〉をはじめ、新しい飲食店やショップのオープンが続き、近年盛り上がりを見せている。

家具屋〈STOVE〉と、ギャラリーカフェ〈John〉がある材木座は、以前に本連載でも紹介したお好み焼き屋〈かたつむり〉をはじめ、新しい飲食店やショップのオープンが続き、近年盛り上がりを見せている。

夫婦が営むふたつのお店

個人事業主として働く人も少なくない鎌倉のまちでは、ふたりでお店を切り盛りしたり、
共に事業を営んでいる夫婦と出会う機会もしばしばある。

公私ともにパートナーの関係を築くことの楽しさや喜びがある反面、
その距離感の近さ、接している時間の長さなどから、
難しい点も多々あろうことは想像に難くないが、
東京から鎌倉に移り住んだ石川隼さんと有理子さんは、
夫婦で働くということに対して、新しい視点をもたらしてくれるような、
ユニークな働き方を昨年から続けている。

内装や家具の設計の仕事を続けてきた隼さんと、
クリエイターのマネジメント業を営んできた有理子さんは昨年、
鎌倉の海沿いのまち・材木座に、
〈STOVE〉と〈John〉という隣り合うふたつのお店を、
それぞれが別々にオープンさせたのだ。

建具屋の倉庫として使われていた物件を改装したSTOVE。

建具屋の倉庫として使われていた物件を改装したSTOVE。

オリジナルやヴィンテージの家具、日用雑貨などを扱うSTOVEと、
さまざまなクリエイターが展示を行うカフェ併設のギャラリーJohn。
それぞれが個人で続けてきた仕事の延長線上で店舗を持つに至ったふたりは、
現在も本職を続けながら、自らのお店に立つというワークスタイルを実践している。

ひとつの店舗を共に営むのではなく、それぞれが独立した空間を持ち、
緩やかにつながりながら、お互いに影響を与え合う。
STOVEとJohnの間には、まさに夫婦ならではの関係性が築かれているように見える。
開店からちょうど1年を迎え、地域におけるハブにもなりつつある
STOVEとJohnを営むふたりを訪ね、材木座のお店に足を運んだ。

有理子さんが営むカフェ&ギャラリーJohnは、STOVEのすぐ隣にある。

有理子さんが営むカフェ&ギャラリーJohnは、STOVEのすぐ隣にある。

畑とカフェと、時々ネコ。
小豆島〈HOMEMAKERS〉の
盛りだくさんな夏!

畑仕事と週5のカフェ営業で大忙し!

夏が駆け抜けていきます。
気がつけば8月も後半です。

この夏、私たち〈HOMEMAKERS〉は
普段は週2日(金、土曜日)しか開けていないカフェを、
週5日営業に増やしてがんばってきました。
どうしてカフェの営業日を増やしたかについては、こちらを読んでみてください。

7月19日〜8月17日は週5日(火〜土曜日)カフェを営業。8月後半からはいつもどおり金、土曜の営業。

7月19日〜8月17日は週5日(火〜土曜日)カフェを営業。8月後半からはいつもどおり金、土曜の営業。

カフェからの眺め。この日はとても夏らしい日だった。

カフェからの眺め。この日はとても夏らしい日だった。

畑仕事とカフェ営業、それはそれは毎日バタバタとしていました(笑)。
さて、どんなふうに毎日を過ごしてきたかというと……。

まず、朝5時。この時間だともうすっかり明るくなっているのですが、
まだ太陽が出ていないので、日中と比べたらとても涼しいです。
この時間から農作業を始めます。

私はひたすら生姜畑のメンテナンスをしていました。草抜き、追肥、土寄せ。
朝の静かな時間に黙々とする農作業は、作業というより癒やしというか。

朝5時台から、黙々と生姜に追肥。

朝5時台から、黙々と生姜に追肥。

山の向こうから太陽が出てきます。暑くなる〜。

山の向こうから太陽が出てきます。暑くなる〜。

7時前に家に戻って身支度と朝ごはん。
もうこの時間になると太陽がのぼって、どんどん暑くなっていきます。

8時、カフェのスタッフが順番にやってきます。
仕込みと掃除。私もみんなと一緒に掃除をしたり、
メニューを更新したり、SNSでお知らせしたり。
カフェは10時オープンです。

朝8時からカフェオープン準備。仕込みと掃除。

朝8時からカフェオープン準備。仕込みと掃除。

9時、畑のスタッフがやってきます。
真夏の昼間でも外作業がんばれるよチームは、灼熱の畑に果敢に出動していきます
(しんどすぎる環境なのにがんばってくれて本当に感謝しています)。

毎週火曜、金曜は野菜の収穫&出荷作業をしています。
カフェのすぐ隣にある野菜の出荷作業スペースには
どんどん収穫した野菜が集まってきます。

カフェを営業している横で野菜の出荷作業。
収穫してきた野菜はカフェでももちろん使いますし、販売用として並びます。
この農業とカフェが同時並行して動いている感じがとてもいいなあと感じていました。

収穫したポップコーン用のトウモロコシ。色がなんとも美しい。

収穫したポップコーン用のトウモロコシ。色がなんとも美しい。

収穫した野菜をカフェに並べて販売。

収穫した野菜をカフェに並べて販売。

熊野市〈コウノイエ〉が完成!
ローカル新聞の編集室に

撮影:松村康平

多田正治アトリエ vol.4

紀伊半島南東部に位置する熊野エリアには、
古代から集落があり、多くの信仰の場が築かれました。
熊野三山はその代表格ですが、ぼくたちが空き家を改修した拠点
〈コウノイエ〉をつくっていた神川町の近くにも、
ガイドブックやWikipediaにも載らない、
原始信仰の名残のある神社がたくさんあります。

「丹倉(あかくら)神社」。階段を降りた境内でご神体を見る。

「丹倉(あかくら)神社」。階段を降りた境内でご神体を見る。

例えば、「丹倉(あかくら)神社」。
鳥居があり、そこから参道である石積みの階段を降りていきます。
階段を上がっていく神社や寺院はたくさんありますが、
降りていくものはあまり見かけません。
石段を降りた先の平場が境内で、そこには本殿や拝殿といった神社の建築はなく、
巨大な石が、ご神体(磐座)として祀られているだけなのです。

とても神聖な雰囲気の場所で、コウノイエ建設の頃から、
気分転換を兼ねて通っていました。

「雨滝」。写真ではスケールがわかりにくいですが、高さ約20メートル。

「雨滝」。写真ではスケールがわかりにくいですが、高さ約20メートル。

「雨滝」は、丹倉神社の近くにある滝です。
雨乞いの祈りの場だったといわれる滝で、滝の背後の岸壁から滝壺まで、
ひとつの岩盤でできているすごさはもちろん、
見てのとおりの“THE 滝”という佇まいが美しい。
途絶えることなく轟々と履き出される水を眺めているだけで、気分が晴れてきます。

そんな古代から続く神社や自然を愛でながら、コウノイエのリノベーション後編として、
仕上げから完成とその後についてお話します。

リノベ後の平面図。

リノベ後の平面図。

〈HOMEMAKERS〉のリユースカップ
でスペシャルなドリンクを!

まずは自分たちでできることから、始めてみよう!

小豆島は夏真っ盛りです。
連日35度を超える暑い日が続いています。

夏になると冷たい飲みものを飲みたくなるわけですが、
うちのカフェでも、ジンジャーエールやダイダイレモンソーダ、
梅ソーダ、それからアイスコーヒーなど
冷たいドリンクがよく注文されるようになります。

今年の夏は〈瀬戸内国際芸術祭2019〉が開催されているし、
きっと冷たいドリンクのテイクアウトが増えるだろうなぁと思い、
夏が始まる前からテイクアウト用のカップについて考えていました。

この夏はカフェの営業日を増やして、火~土曜の週5日オープンしてます。

この夏はカフェの営業日を増やして、火~土曜の週5日オープンしてます。

1回使ったきりで捨てられてしまうプラスチックカップをやめたいなぁと。

天然素材の土に還るコップにしようか。
金属製のふたがついてるガラス瓶にしようか。

いろいろ調べて考えました。
使い捨てないこと、繰り返し使いたくなること、
でも価格がそんなに高くなりすぎないこと。

夏の新メニュー、ファラフェルサンド。野菜はすべて自分たちが育てたもの。

夏の新メニュー、ファラフェルサンド。野菜はすべて自分たちが育てたもの。

ドリンクとサンドメニューはお持ち帰りできます。

ドリンクとサンドメニューはお持ち帰りできます。

私たちはこの夏、〈HOMEMAKERS〉のリユースカップをつくることにしました。
リユースカップとは、使い終わったあと、
洗って繰り返し使うことができるカップです。
屋外での利用を考えて、軽くて割れにくいポリプロピレン製のものにすることに。

〈HOMEMAKERS〉オリジナルデザインのリユースカップ。自家製のジンジャーエールとハニーダイダイソーダが入ってます。

〈HOMEMAKERS〉オリジナルデザインのリユースカップ。自家製のジンジャーエールとハニーダイダイソーダが入ってます。

リユースカップは使用後に回収しなければ再利用できません。
うちでドリンクをテイクアウトした場合、どこで回収するのか。
勝手に妄想すると、地域内で、たとえば小豆島内の飲食店やホテル、
観光地で共通のリユースカップを使って、
港やお店などに回収ボックスを設置、洗浄して、
また各店舗で再利用するなんてことができたらおもしろい。

地域全体で使い捨てを減らして、ゴミを減らすことができる。
でもいきなりそんな大きなことはできないし、まずはうちで始めてみようと。
テイクアウトされたものの回収は難しいので、
それなら捨てずに持ち帰って繰り返し使いたくなるようなものにしようと、
オリジナルのデザインのものをつくることにしました。

使うのが楽しくなるカップ。
キャンプや外でのイベントなんかで使えるカップ。
スペシャルなドリンクを飲みたくなるカップ。

閉校した美流渡の小中学校を活用して
〈森の学校 ミルト〉をつくりたい!

北海道教育大学岩見沢校との協働で生まれた、新しいプロジェクト

今年の春、わたしが住む美流渡(みると)地区にあった小中学校が閉校となった。
閉校前の生徒の数は、小中合わせてわずか18名。
学校をなんとか存続させたいという地域の想いもあったのだが、
今後は入学者がいない年もあると予想されることもあり、閉校が決まったのだった。

小学校の全校生徒は7名だったが、教室には元気いっぱいの声が響き渡っていた。(撮影:佐々木育弥)

小学校の全校生徒は7名だったが、教室には元気いっぱいの声が響き渡っていた。(撮影:佐々木育弥)

昨年より閉校に関するPTAの話し合いが何度も行われた。
わたしの息子が小学校に通っていたため、
この話し合いに参加していたのだが、そのたびに
「当たり前にあった学校が地域から姿を消すこととはいったいどんなことなのだろう?」
「校舎は今後どのようになっていくのだろう?」と疑問がわいた。

そこで、学校の施設を管理する教育委員会の職員や校長先生に、
今後の校舎利用の方針について尋ねてみたりもしたが、
検討中ということで展望は開けていない状態だった。

小学校の閉校式の様子。開校から115年ということで、115個の風船を飛ばして学校とのお別れをした。(撮影:佐々木育弥)

小学校の閉校式の様子。開校から115年ということで、115個の風船を飛ばして学校とのお別れをした。(撮影:佐々木育弥)

そんななか、地域のPRなどで日頃から活動をともにしている仲間と、
機会があるごとに、学校利用について語り合ってきたが、
なかなかアイデアを実行に移すことができないでいた。
細々と続けている地域PRの活動ですら本業との両立が難しくて手薄になっており、
学校の活用プランまで手が回らないというのが現状で、
気がつけば春になり、閉校を迎えることになってしまった。

校舎1階の窓には板が取りつけられ、雑草もどんどん大きく育ち
閑散とした風景が広がるようになった。
そして、市街地の学校へと通うことになった生徒の家族数名が、
この地域を離れていくこととなった。

閉校後の小学校の校舎。玄関や1階の窓には板が貼られ、ひっそりと静まり返っている。

閉校後の小学校の校舎。玄関や1階の窓には板が貼られ、ひっそりと静まり返っている。

わたしは校舎の脇を通り過ぎるたびに、
見て見ぬ振りをしていてはいけないのではないかという思いが募っていった。
また、息子に荒んでいく学校を見せたくないという気持ちもあった。

こうした悶々とした気持ちを抱えていたときに、
北海道教育大学岩見沢校の教授・宇田川耕一先生から、
計画中のプロジェクトへ協力してほしいという依頼があった。

そのプロジェクトとは「万字線プロジェクト」という名称の教育プログラム。
万字線とは、岩見沢の山あいがかつて炭鉱街として栄えた時代に、
主に石炭輸送のためにつくられた鉄道路線のことで、
わたしが住む美流渡地区をはじめ各地に駅があった(1985年に全線廃止)。

教育大では、現在過疎化が進んでいるこの地域で、学生がリサーチを行い、
必要とされる拠点づくりなどの企画やイベントを実施し、
そのプロモーションも行うという一連の体験を通して、
実践的な課題解決に取り組める人材を育てるプログラムを行おうと考えていた。

宇田川先生は、芸術・スポーツビジネス専攻の教授。毎年1年生を美流渡に引率し、フィールドワークも行っている。こうしたつながりから「万字線プロジェクト」が生まれていった。

宇田川先生は、芸術・スポーツビジネス専攻の教授。毎年1年生を美流渡に引率し、フィールドワークも行っている。こうしたつながりから「万字線プロジェクト」が生まれていった。

宇田川先生の話を聞いていくなかで、わたしはハッとひらめいたことがあった。
「万字線プロジェクト」のひとつの目玉として、
炭鉱街として栄えた時代に多くの生徒でにぎわっていた美流渡の小中学校を、
学生の手によって復活させるというプログラムにしてはどうかと提案した。

北海道教育大学岩見沢校は、市内では唯一の大学で、
芸術、スポーツ、それをつなぐビジネスという専攻が集まっているという特徴を持つ。
美流渡をはじめとする岩見沢の山あいには、
工芸家やアーティスト、ミュージシャンなども住んでおり、
移住者によってスポーツのアクティビティも増えていることから、
この大学の専攻との親和性も高いとわたしは思っていた。

宇田川先生は「それはおもしろいですね」と目を輝かせてくれ、
わたしが学校復活のアイデアの大枠を書くことになった。

プロジェクトの最初に書いたプラン。

プロジェクトの最初に書いたプラン。

名づけたタイトルは「森の学校 ミルトをつくろう」。
学生たちが炭鉱街としてにぎわった歴史を探り、
こうしたなかからイベントや施設利用の企画を生み出し、
活動全体を外に向かって発信していく、
リサーチ・アクション・プレゼンテーションを行う
ラボスペースのようになればと考えた。

そして、わたしの構想をもとに、宇田川先生が
7月の毎週土曜日に3回連続でセミナーを行うことを計画してくれた。

セミナーで話をする宇田川耕一先生(中央)。

セミナーで話をする宇田川耕一先生(中央)。

音楽家・大友良英が
〈福島わらじまつり〉の改革に挑む理由

撮影:池田晶紀

ノイズミュージシャンであり、『あまちゃん』、『いだてん』などのドラマや
映画の劇伴も数多く手がける音楽家、大友良英さん。
東日本大震災直後にパンクロッカーの遠藤ミチロウさん、
詩人の和合亮一さんとともに〈プロジェクトFUKUSHIMA!〉を立ち上げ、
以来、盆踊り音頭の作曲、〈札幌国際芸術祭2017〉のゲストディレクターなど、
数多くの祭りに関わっている。

その大友さんの新たな試みが、2019年福島市の夏祭り〈福島わらじまつり〉の改革だ。
アンダーグラウンドな音楽シーンで活躍し、
アートの世界にも常に根源的な問いを投げかけてきた大友さんが、
メジャーな祭りの改革を通して考える、未来の祭りとは?

長さ12メートル、重さ2トンにもなる大わらじ。

長さ12メートル、重さ2トンにもなる大わらじ。

自分たちの手でつくる祭りに。祭りを根本的に改革する

福島わらじまつりは1970年に始まった福島市最大の夏祭り。
福島出身の作曲家、古関裕而が作曲し、
舟木一夫が歌う『わらじ音頭』をテーマソングに、
神輿の代わりに12メートルの大わらじを担いでパレードする。

青森のねぶたや仙台の七夕まつりなど、東北はどの地域にも大きな夏祭りがあるが、
福島にはなかったので、福島にも夏祭りをということで、
50年前に商工会議所などによって立ち上げられた、比較的新しい観光祭りだ。
由来は冬に大わらじを神社へ奉納する神事
「信夫三山暁(しのぶさんざんあかつき)まいり」とされるが、
そもそもなぜわらじを運ぶようになったのかなど、確かなことはわからない。

信夫山の頂上にある羽黒神社。ここに大わらじが奉納される。

信夫山の頂上にある羽黒神社。ここに大わらじが奉納される。

「無病息災や健脚祈願、いろんないわれがあるけど、
庶民の祭りだから記録が残ってないんです。
その時々の人の手で変えられる、少しいい加減なのが庶民の祭りです」と大友さん。

70年代に新しい祭りとして始まったわらじまつりは、
その後、時代の変化に合わせてたびたび編曲を変え、
大友さんいわく「迷走」を始める。
80年代にはサンバを祭りにとり入れ、平成に入ると『わらじ音頭』から
ラップ調の曲『ダンシングそーだナイト』でダンスグループが競うスタイルへ。

「大わらじをかついで歩く後ろから若者が、
“わらじ! わらじ!”ってジーンズ姿で踊りまくる。
祭りとしては迷走したけれど、それはそれで
地元では楽しくやっていていい祭りだったたんです。
でも、2011年、東北6県の祭りを一堂に集めた〈東北六魂祭〉に
参加したのがきっかけで、ほかの祭りと比べられることになった。
そうして2013年、私のところに話がきました」

日本一の大わらじを担ぐ。

日本一の大わらじを担ぐ。

2013年といえば、『あまちゃん』がヒットし、
また震災後の福島で立ち上げたプロジェクトFUKUSHIMA!が
盆踊りを始めた年でもある。

曲のアレンジを変えるだけでは、また同じことの繰り返しといったんは断ったが、
2018年、5年かけて内部のコンセンサスをとった実行委員会の人々に懇願され、
わらじを運ぶことと『わらじ音頭』を残すことを条件に、
祭りを全面的に改革していくということで、
祭りの総合プロデューサーを引き受けることになった。

「祭りの表面を変えるだけなら、お金さえかければかっこいいものはできます。
でもそれでは、これまでサンバをとり入れたりヒップホップにしてきた改革と同じで、
一過性のものになってしまいます。

重要なのは、祭りが市民にとってなんであるかを根本的に考えたうえで、
自分たちの手で祭りをつくっていくことです。
10年先、20年先を見据えて100年先も続くような
根本的な改革を考えるのでなければやる意味がない。
そういうつもりで引き受けました」

〈旧八女郡役所〉が再オープン!
20年眠っていた建物を
直しながら使っていく

中島宏典 vol.3

福岡県八女市の伝統的な大型木造建築〈旧八女郡役所〉のリノベーション。
今回は内装と外壁づくり、外構のリノベ、完成後の運営について紹介していきます。

木材は地元産の八女杉。床張り&壁張りワークショップ

屋根瓦の葺き替えや土壁塗り、躯体工事が完了し、続いては内装工事です。
建物南側の物販店舗〈朝日屋酒店〉と、
西側のスペース〈kitorasu〉をつくっていきます。

旧八女郡役所、リノベ後の平面レイアウト(2019年6月現在)。

旧八女郡役所、リノベ後の平面レイアウト(2019年6月現在)。

まず、南側店舗部分(朝日屋酒店)に着手しました。
もともとあった内装は解体して躯体だけの状態にします。
100年以上積み重ねられた埃と屋根から降りてきた瓦の残骸が1階に溜まっていて
苦しめられましたが、なんとか片づけが終わりました。

南側店舗部分の基礎コンクリート打設の準備。奥側は土掘りの途中です。

南側店舗部分の基礎コンクリート打設の準備。奥側は土掘りの途中です。

その後、自分たちでスコップと一輪車を使って、
基礎づくりのための穴掘りも行い、生コンを流入し、下地をつくりました。

床は地元産の木材として、天然乾燥の八女杉の床材(厚み3センチの荒材)を、
自分たちで張っていくことにしました。

〈朝日屋酒店〉の杉床張りの作業前の下地。この上に板を張っていきます。

〈朝日屋酒店〉の杉床張りの作業前の下地。この上に板を張っていきます。

朝日屋酒店の杉床張りの作業。ワークショップ形式で行いましたが、スムーズに張れるようになるまで時間がかかりました。

朝日屋酒店の杉床張りの作業。ワークショップ形式で行いましたが、スムーズに張れるようになるまで時間がかかりました。

続いて、西側のスペース、kitorasuの内装改修に入りました。
ここには絵本カフェの〈絵本や・ありが10匹。〉が入居することになりました。
もともと古いまち並みの一角で〈絵本や・ありが10匹。〉を開いていた
伊藤寛美さんに、かつて幼稚園給食をつくっていた経験を生かして
絵本カフェとして移転オープンしていただきました。

元住宅部分を解体して店舗へ。

元住宅部分を解体して店舗へ。

杉板の床張りが終わった〈kitorasu〉。

杉板の床張りが終わった〈kitorasu〉。

梁組を見せつつ、床や壁には杉板を張り、
部分的にボードなどの下地にペンキ塗りすることで予算を抑えました。

床を張るのに四苦八苦しましたが、張り終えたときの杉の香りと、
凛とした空間の雰囲気には感動しました。

朝日屋酒店がオープン! 店内の棚や什器は、地元の家具作家・関内潔さん作。

朝日屋酒店がオープン! 店内の棚や什器は、地元の家具作家・関内潔さん作。

kitorasuには、居心地のよい関内潔さん作の杉の椅子やテーブルが。

kitorasuには、居心地のよい関内潔さん作の杉の椅子やテーブルが。

こうして、朝日屋酒店と、〈絵本や・ありが10匹。〉の移転オープンを
無事に迎えることができました!

kitorasuの客室から厨房方向を見る。右手の棚には〈絵本や・ありが10匹。〉の店主によって厳選された絵本がずらり。

kitorasuの客室から厨房方向を見る。右手の棚には〈絵本や・ありが10匹。〉の店主によって厳選された絵本がずらり。

地域内外の親子連れが訪れる〈絵本や・ありが10匹。〉の看板メニュー「まかないカレー」。

地域内外の親子連れが訪れる〈絵本や・ありが10匹。〉の看板メニュー「まかないカレー」。

小樽で布地を制作するブランド
〈Aobato〉と、ハンドプリントの
絵本づくりに挑戦!

北海道だからこそできる絵本を、手刷りでつくりたい

岩見沢の山あいの人口わずか400人ほどの美流渡(みると)地区で、
小さな出版活動を始めてから1年が過ぎた。
制作したのは2冊の本とポストカード。
新刊がなかなか増えない状態が続いていたが、
ある出会いによって新しい道が開けるようなできごとがあった。

〈milvus(ミルバス)〉という染めとプリントの工房を開き、
〈Aobato(アオバト)〉というブランドを展開している
小菅和成さん、岩本奈々さんとの出会いが、それだ。

3年前に札幌から小樽に移住し、染めと印刷の工房を開いた小菅和成さん、岩本奈々さん。〈milvus〉という名前はトンビの学名からとったもの。「トンビの染物屋」という日本の昔話が由来となった。ブランド名〈Aobato〉は小樽の「市の鳥」がアオバトであることからつけられた。(写真提供:Aobato)

3年前に札幌から小樽に移住し、染めと印刷の工房を開いた小菅和成さん、岩本奈々さん。〈milvus〉という名前はトンビの学名からとったもの。「トンビの染物屋」という日本の昔話が由来となった。ブランド名〈Aobato〉は小樽の「市の鳥」がアオバトであることからつけられた。(写真提供:Aobato)

2年ほど前から、わたしはイタドリという植物をモチーフにした
絵本の制作を行っていた。黒い紙をちぎって形を表現したもので、
内容はほぼ完成していたのだが、印刷をどうするかでずっと思い悩んでいた。
これまで北海道という土地ならではの本をつくりたいと試行錯誤をしてきたのだが、
印刷については道外の価格が安いネット印刷を頼っており、
それが心のどこかで引っ掛かっていたのだ。

印刷も北海道でできないだろうか。
一般的なオフセット印刷ではなく、もっと手仕事を生かす方法はないのだろうか。

プリンタで簡易出力して製本したイタドリのダミー絵本。上へ上へと伸びる茎と、大きく広がる葉を、切り絵で表現した。文章はバイリンガルで表記。近所に住む農家の友人で、以前に英会話のワークショップをともに企画したトシくんが翻訳をしてくれた。

プリンタで簡易出力して製本したイタドリのダミー絵本。上へ上へと伸びる茎と、大きく広がる葉を、切り絵で表現した。文章はバイリンガルで表記。近所に住む農家の友人で、以前に英会話のワークショップをともに企画したトシくんが翻訳をしてくれた。

そんなことを考えるようになったとき、岩本さんから、
わたしがつくった『山を買う』という本を買いたいという連絡をもらった。
送付の手続きをして、ふと彼女のFacebookを開いてみたところ、
色とりどりの美しい手ぬぐい作品を発見したのだった。

このとき岩本さんのお仕事はまったく知らなかったのだが、わたしは思わず……
「手刷りで絵本制作をしたいと思っているのですが、相談に乗ってもらえませんか?」
とメッセージした。岩本さんは快諾してくれて、昨年から少しずつ
イタドリの絵本についてのアイデア交換をするようになっていった。

シルクスクリーンとは、スクリーンにインクが通過する部分としない部分をつくって柄を刷る版画技法。Aobatoの展示会では、この技法を体験するワークショップが開催されることもある。(写真提供:Aobato)

シルクスクリーンとは、スクリーンにインクが通過する部分としない部分をつくって柄を刷る版画技法。Aobatoの展示会では、この技法を体験するワークショップが開催されることもある。(写真提供:Aobato)

オリーブと山岳霊場と醤油蔵と。
瀬戸内国際芸術祭と併せて楽しみたい、
小豆島の旅

アートとともに小豆島の旅を楽しんで!

今年、瀬戸内の島々では4回目となる
〈瀬戸内国際芸術祭2019〉(以下、瀬戸芸)が開催されています。
3年に1度、瀬戸内海の12の島とふたつの港を舞台に開催される
現代アートのお祭りです。

開催期間は、春会期、夏会期、秋会期と3つに分かれていて、
7月19日から夏会期が始まりました。
今年の瀬戸内の夏は、いつもに増して賑やかになりそうです。

ワン・ウェンチー(王文志)さんによる『小豆島の恋』。竹でできた大きな作品の中に入れます。

ワン・ウェンチー(王文志)さんによる『小豆島の恋』。竹でできた大きな作品の中に入れます。

小豆島でもたくさんの作品が公開されています。
島のあちこちに点在していて、全部回ろうとしたら
2、3日はかかるんじゃないかなぁ。それも車がある前提で。

例えば、田浦半島にある『愛のボラード』を見に行って、
大部地区の『国境を越えて・波』を見に行こうと思うと、車で約1時間かかります。
バスだと乗り継いで行かないといけないのでもっとかかります。
小豆島はきっとみなさんの想像以上に広い島です(笑)。

広島市立大学芸術学部有志のみなさんによる『潮耳荘』。波や船の音を拾い集め建物の中に響かせる。

広島市立大学芸術学部有志のみなさんによる『潮耳荘』。波や船の音を拾い集め建物の中に響かせる。

フリオ・ゴヤさんによる『自然の目「大地から」』。古民家の敷地内にある2本のイブキの木を利用してつくられたツリーハウス。

フリオ・ゴヤさんによる『自然の目「大地から」』。古民家の敷地内にある2本のイブキの木を利用してつくられたツリーハウス。

作品をたくさん見ることを目的にしてしまうと疲れてしまうと思うので、
見に行く作品の数を絞りつつ、作品だけじゃなくて、その周りにある
小豆島の風景や食べもの、歴史なども楽しんでいただけたらいいのかなと。

先日、島を案内する機会があって、久しぶりに小豆島ならではの場所を巡ったのですが、
あらためて小豆島っておもしろい要素が盛りだくさんだなと思いました。
瀬戸芸作品と併せて楽しみたい小豆島、例えばこんなことです。

まずは、オリーブ。
島のあちこちにオリーブの木が植えられているので、
どこに行っても見かけると思いますが、遠くからなんとなく見るだけじゃなくて、
ぜひオリーブ畑の中を歩いてみてください。

勝手に大切なオリーブ畑には入れないですが、
オリーブ公園など一般の人に公開しているところもあります。
オリーブの木々の間を歩く、それだけで島の空気を感じられるんじゃないかと思います。
もし気になるオリーブ農園があれば、生産者さんに直接お願いしたら、
畑を案内してくれるかもしれません。

オリーブ畑の散策はそれだけで気持ちいい。

オリーブ畑の散策はそれだけで気持ちいい。

初夏のオリーブの木には緑色の小さな実がたくさんついています。

初夏のオリーブの木には緑色の小さな実がたくさんついています。

東京から鎌倉へ“逆通勤”!?
漢方〈杉本薬局〉の杉本格朗さんが
二拠点生活を通して目指すもの

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

〈杉本薬局〉がある大船は、下町情緒が漂うエリア。有名な観光スポットこそ少ないが、商店や飲食店が集まる鎌倉随一の商業地区で、昼夜問わず人々が行き交う活気に溢れたまちだ。

〈杉本薬局〉がある大船は、下町情緒が漂うエリア。有名な観光スポットこそ少ないが、商店や飲食店が集まる鎌倉随一の商業地区で、昼夜問わず人々が行き交う活気に溢れたまちだ。

東京で暮らし、鎌倉で働く漢方薬局の3代目

鎌倉には、東京都心の企業に勤める会社員なども多く暮らし、
ベッドタウンとしての側面も持つ。
都心まで電車でおよそ1時間の通勤は彼らにとっては日常だが、
一方、東京から鎌倉方面にやって来る人たちにとっては、
この電車の旅が非日常の時間になることが多い。

これが、東京と鎌倉それぞれの地域の特性や役割を表しているようにも思えるが、
今回の主人公である鎌倉出身の杉本格朗さんは、
東京で暮らしながら、鎌倉市大船にある漢方薬局に通う、
いわば“逆通勤”スタイルを2年半前にスタートさせた。

大船の漢方薬局、杉本薬局の3代目・杉本格朗さん。弟の哲朗さんとともに薬局に立ち、漢方にまつわる相談やカウンセリング、処方などを日々行っている。

大船の漢方薬局、杉本薬局の3代目・杉本格朗さん。弟の哲朗さんとともに薬局に立ち、漢方にまつわる相談やカウンセリング、処方などを日々行っている。

漢方薬局を営む家に生まれた杉本さんは、大学でアートを学んだ後、
しばらくフリーランスで活動していたが、やがて家庭の事情から薬局に立つようになる。
ほどなくして薬局の仕事と並行し、漢方をテーマにしたワークショップやレクチャー、
鎌倉界隈のクリエイターらとのインスタレーション作品の制作などを行うようになり、
いまやその活動は、鎌倉・湘南エリアを超えて広がりを見せている。

昨今のオーガニック志向、健康志向の高まりとともに、
漢方は世界的に注目を集めつつあるが、
漢方製剤を取り扱う昔ながらの漢方薬局は、まちから姿を消しつつある。

こうした状況のなかで杉本さんは、100年続くまちの漢方薬局を目指すとともに、
東京での個人活動などを通して、若い世代に向けた漢方の入り口づくりに努めている。
鎌倉と東京を行き来しながら働き、暮らす杉本さんに話を聞くために、
昼夜問わず活気にあふれる鎌倉・大船にある〈杉本薬局〉を訪ねた。

1950年に創業した地で現在も営業を続けている杉本薬局。増築や改修などを経て、現在に至っている。

1950年に創業した地で現在も営業を続けている杉本薬局。増築や改修などを経て、現在に至っている。