みそづくり、ジャムづくり、
お菓子づくり。
誰かと一緒に「つくる」を楽しむ

暮らしに必要なものを、自分たちでつくりたい

今年もあっという間に2か月が過ぎようとしてる。
もうすぐひな祭り。はっ、娘のひな人形を飾らないと……(汗)。
季節はどんどん変わっていきます。
あー、ほんとに日々が過ぎていくのは早い。

最近、あらためて大切に思っていることがあります。
それは「つくる」こと。
みそを仕込んだり、ジャムをつくったり、お菓子を焼いたり。
それから棚をつくったり、家族写真のアルバムをつくったり。
自分の手で何かをつくることをもっとしたいという思いがふつふつと湧いてます。

1月にみそを2回仕込みました。地元のお米を使って米麹づくりから。

1月にみそを2回仕込みました。地元のお米を使って米麹づくりから。

1回の仕込みで約40キロのおみそをつくります。

1回の仕込みで約40キロのおみそをつくります。

何かをつくるって時間と手間がかかるので、「よいしょ」がいります。
いまは何でも安く買える時代。
近所のスーパーやドラッグストアーに行けば、
おいしそうで安いお菓子や加工品が何種類も並んでます。
家具や洋服も手頃な値段でたくさん売られてます。

自分でつくるよりも安く、それもつくるという手間をかけずに
手に入れることができてしまう。
なので、ついついできあがってるものを買ってしまうんですよね。

でもなんかそれって違う。
そもそもうちの屋号は〈HOMEMAKERS〉!

かつてアメリカで主婦のことを“HOMEMAKER”と呼んだ時代がありました。
家でいろいろつくるのが仕事という意味です。

食べ物、洋服、家具、家など身の回りのモノをいろいろつくる。
そんな暮らしに必要なものを自分たちの手でつくる生活が送れたら、
きっと人生は豊かになるだろう。
そんな気持ちを胸に2013年6月、
夫婦でHOMEMAKERS(ホームメイカーズ)を立ち上げました。

ずっとつくりたいなと思っていた「しめ縄」。今年は友人が編んでくれた縄に畑のだいだいと庭の松を飾りました。

ずっとつくりたいなと思っていた「しめ縄」。今年は友人が編んでくれた縄に畑のだいだいと庭の松を飾りました。

もちろんいまもその気持ちは変わってないし、食べ物や身の回りのものなど、
できるだけ自分たちの手でつくっています。
ただ、最近はやらないといけない仕事(経理だったり、発注管理だったり)が増えて、
つくることを楽しむ機会が減ってしまった気がします。

小籠包づくりにみんなで挑戦。ひとりだったら絶対できないなぁ、これは。

小籠包づくりにみんなで挑戦。ひとりだったら絶対できないなぁ、これは。

小籠包の皮も、中に入れるスープのジュレも用意しました。小籠包ってつくるの大変。

小籠包の皮も、中に入れるスープのジュレも用意しました。小籠包ってつくるの大変。

時間に追われず、ただ目の前の「つくる」ことを楽しみたい。
それがいま感じていることです。

この包む作業がなんとも楽しい。

この包む作業がなんとも楽しい。

仕事と子育ての両立、
実は限界だったかも……?
娘を預けて起きた変化

保育所は人手不足。待機を続けた8か月

この連載では、人口400人ほどの岩見沢市の集落・美流渡(みると)や周辺の人々と
その活動を中心に執筆してきた。取材記事が多めになっているのは、
なんとなく自分のことばかり書くのも気が引けるし、
外に目を向ければネタが豊富だからなのだが、
今回、久しぶりに仕事と子育てについて振り返ってみようと思う。

そんな気持ちになったのは、昨年12月に末娘が保育所に通うようになったからだ。
本当は昨年春から預かってもらおうと考えていたのだが、
徒歩で連れて行ける地元の小さな保育所は人手不足。
現状の保育士の数では、1〜2歳児の定員はいっぱい。
新しい保育士さんが見つかるまで、やむなく待機することとなった。

例年に比べて今年は雪が本当に少ないけれど、それでも地面は真っ白。雪で絵を描くと娘は喜ぶ。

例年に比べて今年は雪が本当に少ないけれど、それでも地面は真っ白。雪で絵を描くと娘は喜ぶ。

もちろん都市部と違って車で10〜20分ほどのまちなかには保育所の空きはある。
ただ、わが家の場合、長男はスクールバスで小学校に通っており、
週2回は親のお迎えも必要。
長女は幼稚園。園バスがあるもののバス停は家から遠いため、
車で送っていかなければならない。

こうした状況で、仮に末娘をまちなかの保育所に入れるとなると、
送迎のスケジュール調整がかなり大変になる。
しかもわたしは運転が苦手中の苦手(にもかかわらず
不便な立地の暮らしを選んだのは自分)なので、送迎は夫が担当。
そんなこともあり、待機しか選択肢がなかったのだ。

同時に、私は育児のために仕事を休むという考えを持っていなかった。
こんな僻地にいるわたしに仕事を発注してくれる仲間の依頼を
断ることなんてできなかったし、なにより仕事をしているときが、
一番ワクワクするからだ。

家の裏はミニゲレンデ。スキーやソリ滑りが楽しめる。田舎だからこその贅沢が味わえるが、子どもたちの送迎は都会に住んでいたときよりも大変だ。

家の裏はミニゲレンデ。スキーやソリ滑りが楽しめる。田舎だからこその贅沢が味わえるが、子どもたちの送迎は都会に住んでいたときよりも大変だ。

子育ても3人目ともなればベテランの域だし、仕事があっても
子どもも見られるんじゃないかと、わたしは当初、楽観的だった。

リビングにある食器棚の上にパソコンを置いて、立って仕事。
幸いなことに末娘は独立心が強く、ひとり遊びもできるし、
ごはんも自分で食べてくれる。
おっぱいをあげれば2時間ほど眠ってくれることもあり、短い時間をつなぎながら、
原稿を執筆したり、書籍や雑誌の編集をこなしてきた。

リビングで立ったまま仕事。食事のしたくをしたり、子どもの相手をしたりしながら、断続的に編集の作業を続ける。(撮影:津留崎徹花)

リビングで立ったまま仕事。食事のしたくをしたり、子どもの相手をしたりしながら、断続的に編集の作業を続ける。(撮影:津留崎徹花)

ただ、昨年の夏頃になると、2歳になった末娘は次第に活発になってきた。
ずっと家にいることに飽きたり、絵本を読んでほしいとせがんだりするようになり、
だんだんと仕事の時間は圧縮されていった。

同時にわたしは、とてもイライラするようになった。
原稿を書こうと気持ちを向けた瞬間に、キーを打ち込もうとする手を
娘が払ったりすることもしばしばで、つい声を荒げてしまうこともあった。

また、夫に子育てよりも仕事を優先しているのではないかと諭されると
言い返してしまって、口論も絶えなかった(この時点では、
そろそろ更年期の症状が出ているのではないかと疑っていたのだが……)。

そんな日々を送っていたのだが、待機を続けて8か月、
ついに保育士さんが見つかったという連絡が保育所から舞い込んだ。
連絡をもらって1か月のあいだに、面接をして、入所の手続きをして、いよいよ初登園。
末娘は、躊躇することなく堂々と保育所へと入っていった。

娘を保育所に送るときに便利なのはソリ。

娘を保育所に送るときに便利なのはソリ。

小豆島の農家〈HOMEMAKERS〉
野菜を育てる、料理する、食べる、
そして伝えるということ

あらためまして、〈HOMEMAKERS〉です

この「小豆島日記」を書き始めてもうすぐ7年になります。
今回が連載241回目!
この連載は、私のいままでの人生の中でもトップ5に入る
「続いてること」なんじゃないかと思ったります(ほかに何かあったかな……汗)。

最近友人から言われたのですが、
「小豆島日記を読んでいても、〈HOMEMAKERS(ホームメイカーズ)〉のことを
よく知らない人ってけっこう多いんじゃないかな。
小豆島に移住した三村さん家族としては知られているけど、
その三村さんたちがやってるHOMEMAKERSは
野菜やジンジャーシロップをつくっていて、
販売している農家ってことまでつながってないかも?」と。

そうなんですかね……。伝わっていると思っていても、
意外と伝わっていないことって多いのかもしれないですね。
というわけで、今日はあらためてHOMEMAKERSのこと、
主に農業と野菜のことを書こうと思います。

「カステルフランコ」という名前のリーフチコリ。ちょっと苦味のある野菜で、ちぎってサラダとして食べることが多いです。とにかくその色と模様が美しい。

「カステルフランコ」という名前のリーフチコリ。ちょっと苦味のある野菜で、ちぎってサラダとして食べることが多いです。とにかくその色と模様が美しい。

チンゲン菜の収穫。今年はきれいに育ちました。

チンゲン菜の収穫。今年はきれいに育ちました。

HOMEMAKERSは、小豆島に移住後、
2013年6月にたくちゃん(夫)と夫婦で立ち上げた事業です。
税務上はたくちゃんの個人事業として登録していて、
私は青色専従者というかたちで働いています。
たくちゃんと私以外にも、島で暮らす友人7人ほどが
週1〜3日手伝いに来てくれています。

赤カブ。気づいたら大きくなってて、早く出荷しなきゃ。

赤カブ。気づいたら大きくなってて、早く出荷しなきゃ。

主な業務は「農業」。年間通していろいろな野菜を育てています。
2019年は品種でいうと100種類以上。
年中ずっと種まきして、苗を育てて、畑に植えて、
メンテナンスして、収穫するというのを続けています。
少量多品種栽培といわれたりするスタイルです。
一年中ずっと作業があるので大変なのですが、一年中いろんな野菜が食べられます。

野菜を栽培中、農薬は使っていません。
子どもも大人もいつでも畑に安心して入って、野菜に触れられるようにしたいし、
畑にいる多種多様な菌や虫をなるべく殺さず、
山や森のように自然に近い状態でありたいから。

黒大根。象の皮膚みたいな皮で、その形と色から黒魔術大根~! と盛り上がって写真撮りました。

黒大根。象の皮膚みたいな皮で、その形と色から黒魔術大根~! と盛り上がって写真撮りました。

黒大根、オーブンで焼いたらとてもおいしい! 水分が少なくてホクホク。クロダイコンフライにしたらヘルシーでおいしいそう。

黒大根、オーブンで焼いたらとてもおいしい! 水分が少なくてホクホク。クロダイコンフライにしたらヘルシーでおいしいそう。

それから肥料は有機的なものを使っています。米ぬかや草や木、魚粉や鶏糞など
動植物性の有機物を発酵させたり、焼成したりした肥料です。
化学肥料と言われる化学的に合成された無機肥料は使っていません。

私たちは大量の野菜を生産する農業ではなくて、
自分たちと自分たちのまわりの人たちが
必要な野菜を育てられればいいなと思っています。
土地に負荷をかけず、健やかな土を保ち、
野菜を育てるのに最低限必要な肥料にとどめられればと。

9月に種を巻き苗を育て、11月に苗を植えた新玉ねぎ。

9月に種を巻き苗を育て、11月に苗を植えた新玉ねぎ。

新玉ねぎの収穫は2月末くらいから。今年もおいしい新玉ねぎが収穫できそうです。

新玉ねぎの収穫は2月末くらいから。今年もおいしい新玉ねぎが収穫できそうです。

宿から感じる地域の文化。
鎌倉の小さなホテル〈hotel aiaoi〉を
営む夫婦が大切にしたいこと

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。
年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

鎌倉・長谷にある〈hotel aiaoi〉から数分も歩けば、眼前には穏やかな海が広がる。

鎌倉・長谷にある〈hotel aiaoi〉から数分も歩けば、眼前には穏やかな海が広がる。

独自の存在感を放つ、全6室の小さなホテル

季節を問わず多くの観光客が訪れる鎌倉だが、東京から日帰りができることや、
十分な敷地を確保することが難しいことなどから、大規模なホテルはそう多くない。
一方、古民家を活用したゲストハウスなどは市内に点在し、
鎌倉ならではの滞在が楽しめる宿として人気を集めているが、
今回紹介する〈hotel aiaoi〉は、これらとも一線を画す全6室の小さなホテルだ。

オーナーは、結婚を機に東京から鎌倉に移住した小室剛さん・裕子さん夫妻。
鎌倉で暮らし始めたことで仕事観、価値観が大きく変わったふたりは、
このまちらしいシンプルで心地良い時間が過ごせる宿として、
2016年にhotel aiaoiを鎌倉・長谷にオープンさせた。

hotel aiaoiを切り盛りする小室剛さん・裕子さん夫妻。

hotel aiaoiを切り盛りする小室剛さん・裕子さん夫妻。

空間や部屋のしつらえからアメニティ、食器・食材などのセレクト、
宿泊客とのコミュニケーション、そしてWebサイトにいたるまで
あらゆる部分に、小室夫妻の美意識が表現されているhotel aiaoi。

ここには、大規模ホテルのようなサービスや、高級旅館のようなおもてなし、
あるいはゲストハウスのようなフレンドリーさはないかもしれないが、
hotel aiaoiならではのコミュニケーションを通じて、宿泊客たちは、
鎌倉という土地で育まれてきた文化や暮らしを感じることができるはずだ。

鎌倉での生活、そして、宿の運営を通して、
自分たちが大切にしたい暮らしのあり方や美意識を研ぎ澄ませ、
ホテルという場を起点に、観光地としての鎌倉とは少し異なる、
このまちの魅力を感じさせてくれる小室夫妻を訪ねた。

およそ築40年のビルの3階にあるhotel aiaoi。以前に女性専用の宿泊施設として使われていた物件を改装したという。

およそ築40年のビルの3階にあるhotel aiaoi。以前に女性専用の宿泊施設として使われていた物件を改装したという。

つくる人が集うまち。
ビルのリノベーションから始まった
美殿町商店街の変化

ミユキデザイン vol.1

こんにちは。〈ミユキデザイン〉の末永三樹です。
私たちは岐阜を拠点に、リノベーションをはじめとした建築の企画・設計デザイン、
商店街でのマーケットなど、まちづくりに関する企画、
シェアアトリエの運営などを行っています。

現在ミユキデザインは4人のメンバーで、岐阜市美殿町(みとのまち)商店街の
老舗家具店のワンフロアを間借りして事務所にしています。
事務所の一角には私がクリエイティブディレクターを務める
〈柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社〉のオフィスも共存しています。
もともとゆかりのないこのエリアを拠点に活動を始めて、まもなく8年になります。

〈ミユキデザイン〉大前貴裕と末永三樹。

〈ミユキデザイン〉大前貴裕と末永三樹。

この商店街には40年以上続いている「講」という月一の寄り合いがあり、
昔からの店の主人らが決まった店の席につき、おいしい酒と世間話を楽しみます。
私たちも、講の席に混ぜてもらうようになり、外を歩くと顔見知りとすれ違い、
いまではこのまちが特別な場所になりました。

私たちは「あるものはいかそう、ないものはつくろう」を理念にしています。
そして建築的な視点を持って
「まちをアップデートし、次世代へ手渡す」
ことを目指して仕事をするようになりました。
独立当初はこんなことになるとは想像もしていませんでしたが……。

この連載では、岐阜のまちなかで動き始めたリノベーションの活動や、
マーケットを通じて商店街に生まれた変化、そして岐阜市周辺自治体との取り組みなど、
設立からの8年間を振り返り、リノベとまちと仕事について考えてみたいと思います。

今回は、私たちの出発点であり、現在も事務所を構える
岐阜市美殿町をテーマにお送りします。

美殿町でのイベント「美殿オープンカフェ」。商店主がギャルソンに扮しイベントを盛り上げる。

美殿町でのイベント「美殿オープンカフェ」。商店主がギャルソンに扮しイベントを盛り上げる。

商店街入門。遊休不動産を活用したい!

きっかけは、夫でありビジネスパートナーの大前貴裕が
2011年から岐阜市の外郭団体〈岐阜市にぎわいまち公社〉から受託した
「岐阜市商店街活性化プロデューサー」でした。
その最大のミッションは、「柳ケ瀬商店街」を活性化すること。

柳ヶ瀬商店街とは、岐阜市の中心市街地にある中部地方有数の繁華街です。
前任は中小企業診断士が担い、テナント誘致などを試みたそうですが、
結果が出ないため、視点を変えて若い建築士にかけてみようとの起用でした。

私たちは「おもしろい建築企画でまちを変えよう!」と、業務をスタートしたものの、
実際は、商店街そのものを知ることや、商店主との信頼関係を築くことから始まり、
そこに建築のニーズはなく、何に手をつけていいのかもわからない状態が
1年くらい続きました。

当時はふたりともサラリーマンで、
公共施設の設計やプロポーザルなどの仕事をしながら
まちのことに手を出している状況でした。

会社の中での時間のマネジメントや意思決定など、不自由を感じるようになり、
いまがそのタイミングだと2012年に独立。
リスクをとって仕事をしたことがなければ、
商売そのものを理解できないという思いも独立を後押ししました。

そんななか、リサーチやイベント実験を進めて可能性を感じたのは、
遊休不動産のリノベーションでした。いま思えば当然ですが、
改装など利活用の提案を持って一方的にオーナーを口説きにまわりましたが、
反応はなく、八方塞がりの気分でした。

打開策を求めて、雑居ビルリノベの先駆者である
〈やながせ倉庫〉オーナーの上田哲司さんに相談したところ、
紹介してもらったのが、美殿町商店街の理事長・鷲見浩一さんでした。
この出会いによって、私たちの活動は
大きなターニングポイントを迎えることになったのです。

岐阜市美殿町商店街。

岐阜市美殿町商店街。

美流渡(みると)の廃校、
どうすれば活用できる?
想いをかたちにするための方法を考える

活用を考えるために起こしたさまざまなアクション

岩見沢の美流渡(みると)地域にあった小中学校が
昨年閉校して1年が過ぎようとしている。
1階の窓には板が打ちつけられ人気のなくなった学校は、なんとも物悲しい。

この小学校に息子が2年間通い、あるとき
「自分の人生で一番悲しかったことは小学校の閉校だった」と話したことがある。
学校として再生するのは難しいかもしれないが、以前のような賑わいをもたらしたい。
親としてできる限りのことはしておきたいと、昨年春から校舎活用の道を探ってきた。

こんなわたしの想いに共感し、校舎のこれからを一緒に考えてくれたのは
市内にある北海道教育大学岩見沢校の先生や学生たちだ。

教育大の岩見沢校は市内唯一の大学で、
芸術、スポーツ、それをつなぐビジネスという専攻がある。
このビジネスを専攻する学生たちが、
以前からフィールドワークとして美流渡地区を訪ねてくれたこともあり、
この地域でさまざまなプロジェクトを展開していこうという
機運が高まっていたところだった。

そんななかで、昨夏に中学校の体育館を使った「森の学校 ミルトをつくろう」という
地元の人々に向けたイベントを開催することができた。
元学校ということで「図工」「理科」「体育」をテーマにし、
プリザーブドフラワーなどを瓶につめてオイルで満たす「ハーバリウム」づくりや
子ども向けの水鉄砲による的あてゲームなどを、学生たちが企画してくれた。
また、冬にはこれらの活動の経緯を札幌で発表する機会も設けてくれた。

昨年、教育大では「万字線プロジェクト」という教育プログラムを実施。岩見沢の山あいがかつて炭鉱街として栄えた時代に、主に石炭輸送のためにつくられた鉄道路線が万字線。この線路があった美流渡を含む一帯で、学生がリサーチやイベントを企画。その一環として「森の学校ミルトをつくろう」も行われた。

昨年、教育大では「万字線プロジェクト」という教育プログラムを実施。岩見沢の山あいがかつて炭鉱街として栄えた時代に、主に石炭輸送のためにつくられた鉄道路線が万字線。この線路があった美流渡を含む一帯で、学生がリサーチやイベントを企画。その一環として「森の学校ミルトをつくろう」も行われた。

教育大と連携した活動を続けていくなかで、
「校舎を今後こんなふうに利用したらいいのではないか?」
という具体的な意見を聞く機会が増えてきた。
それらのなかには、実現に期待の持てるプランもあったが、
同時に運用することになった場合に、どんなスキルが必要なのかも
考えなければならないと思った。

校舎の規模は大きく維持費だけでもかなりの額が必要になるが、
全国を見渡せば実際に大きな建物を使って活動を行っている人たちもいる。
そうした先輩たちにアドバイスをもらいつつ、運用方法を具体的に
考えられる場があったらいいのではいかとわたしは考えるようになった。

校舎活用については市や町会の意向もあるので、
もちろんわたしや教育大のアイデアが採用されるかどうかは未知数だが、
まずは有志が集まって何ができるのかを探ってみたい。
そんな思いから、この冬、連続セミナーを開催することにした。

セミナーのタイトルは
「森の学校ミルトをつくろう みんなでまちと校舎のことを話してみませんか?」
(ちょっと長い!)。

第1回目のゲストスピーカーとして依頼をしたのは小田井真美さんだ。
小田井さんは、札幌市が以前運営していた旧宿泊施設を利用して、
〈さっぽろ天神山アートスタジオ〉という
アーティスト・イン・レジデンスの拠点を運営するディレクターで、
アーティストと一緒に美流渡を訪ねてくれていたというつながりもあった。

小田井真美さんは、長年アーティスト・イン・レジデンス事業やアートプロジェクトの運営に関わってきた。昨年、フランス人アーティスト、ニコラ・ブラーと美流渡にリサーチに訪れたこともある。(写真提供:さっぽろ天神山アートスタジオ)

小田井真美さんは、長年アーティスト・イン・レジデンス事業やアートプロジェクトの運営に関わってきた。昨年、フランス人アーティスト、ニコラ・ブラーと美流渡にリサーチに訪れたこともある。(写真提供:さっぽろ天神山アートスタジオ)

おいしい小豆島!〈小豆島島鱧〉
瀬戸内海育ちの良質なハモ

小豆島の食卓に並ぶ、おいしいもの

小豆島って本当に食材豊かな島だなぁと常々思います。
あらためてその小豆島の食材について「おいしい小豆島」シリーズとして、
今年は何回か書いていこうと思います。

瀬戸内海育ちのハモを使った「鱧天丼」。

瀬戸内海育ちのハモを使った「鱧天丼」。

〈瀬戸内国際芸術祭2019〉の期間中営業されていた〈瀬戸一食堂〉さんでは、鱧定食や鱧天丼など、浜の母ちゃんたちがつくってくれるごはんを食べられました。

〈瀬戸内国際芸術祭2019〉の期間中営業されていた〈瀬戸一食堂〉さんでは、鱧定食や鱧天丼など、浜の母ちゃんたちがつくってくれるごはんを食べられました。

小豆島に引っ越してくる前のうちの食卓には、
近所の大きなスーパーで買ったお肉や野菜、調味料などが並んでいました。
どこで誰がどうやって育てたのか、つくったのかわからない食材たち。
パッケージをみてなんとなくおいしそうだなとか、
こっちのほうが安くてお得だなとか、そんなふうに食材を選んでいました。
それが普通だったし、そこに対して不満を感じていただわけでもありませんでした。

子どもが生まれてからは少し「食」への意識が高まり、
なるべく体にいいものを食べようと、
オーガニックスーパーで買い物することも増えました。
でも、誰がどんなふうにつくったのか深く知ろうとすることもなく、
なんとなく良さそうなものを選んでいたような気がします。

小豆島に引っ越してきてからは、食材の選び方、調達の仕方が大きく変わりました。
野菜は自分たちが育てているし、お米は近所の方から分けていただき、
お味噌や梅干しもつくるようになりました。
醤油は醤油屋さんの工場へ直接買いに、魚は瀬戸内産の新鮮な魚が並ぶ近所の商店へ。
スーパーで購入するものもありますが、以前に比べて、地元でつくられたもの、
採れたもの、知ってる人がつくったものを食べることがとても増えました。

ある冬の日のうちの食卓。〈HOMEMAKERS〉の野菜を中心に、パンはサツマイモと交換で送っていただいたもの、調味料は友人がつくったもの。

ある冬の日のうちの食卓。〈HOMEMAKERS〉の野菜を中心に、パンはサツマイモと交換で送っていただいたもの、調味料は友人がつくったもの。

「地元のものをなるべく食べるようにしよう」という
自分たちの考え方がそうさせたのもあるのですが、
小豆島の食は魅力的で、おいしいものがあふれていて、
自然と小豆島のものを多く食べるようになっていったような気がします。
いまでは食卓に並ぶ食材の多くが、小豆島産のもの、
知っている人がつくったものになりました。

畑作業を手伝ってくれているオリーブ農家〈tematoca〉さんのエキストラヴァージンオリーブオイルも食卓に並びます。

畑作業を手伝ってくれているオリーブ農家〈tematoca〉さんのエキストラヴァージンオリーブオイルも食卓に並びます。

さて、前置きが長くなりましたが、そんな「おいしい小豆島」のひとつとして、
今回は〈小豆島島鱧(しまはも)〉(以下、島鱧)のことを書きます。

四海(しかい)漁港から漁に出ていく漁船。

四海(しかい)漁港から漁に出ていく漁船。

この日は偶然、四海漁協の田中くんがいて、ハモのことを話してくれました。

この日は偶然、四海漁協の田中くんがいて、ハモのことを話してくれました。

水槽で畜養管理中のハモ。

水槽で畜養管理中のハモ。

〈TAYORI MARKET〉
小豆島と東京をつなぐ、
西日暮里の小さな八百屋

東京の人や暮らしが見えてくる場所

みなさま、あけましておめでとうございます。
私たちは小豆島で暮らし始めて、8回目の新しい年を迎えています。
今年も「小豆島日記」をどうぞよろしくお願いします。

2020年になったからといって何かががらりと変わるわけでもなく、
相変わらず毎日があっという間に過ぎていき、気づけば1月も半ば。
本当に1日1日を大切にしたいなと最近よく思います。

やることに追われて何気なく過ごしているとあっという間にまた1年終わってしまう。
「今日は何しようか」
「今日はこんな日にしよう」
そんなふうに意識して自分のやりたいことに取り組める毎日を積み重ねていきたいなと。

さて、今年は年明け早々久しぶりに東京に行ってきました。
私たちが育てた野菜を使ってくださっているお店や、
ジンジャーシロップを販売してくださっているお店など、
いつもお世話になっている方々に会いに。
「人に会いに行く、会ってお話する」
これも今年大事にしたいなと思っていることです。

私たちの育てた野菜やシロップを販売していただいているのを見るのはうれしい。

私たちの育てた野菜やシロップを販売していただいているのを見るのはうれしい。

この冬に収穫した生姜を使った〈シトラスジンジャーシロップ〉(限定ホリデイラベル)の試飲販売。

この冬に収穫した生姜を使った〈シトラスジンジャーシロップ〉(限定ホリデイラベル)の試飲販売。

12月上旬にオープンしたばかりの八百屋さん〈TAYORI MARKET〉では、
この冬に収穫した生姜でつくった〈シトラスジンジャーシロップ〉と
冬野菜の試食販売をさせていただきました。

TAYORI MARKETは、西日暮里駅すぐそばの
〈西日暮里スクランブル〉という施設の中にあって、東京・谷中を拠点に
建築設計、飲食事業などを営んでいる〈HAGI STUDIO〉さんが運営されています。

4年前、私たちが〈HAGISO〉(古い民家を改修したカフェや
ギャラリーなどの複合施設)を訪れたのが最初の出会いで、
HAGI STUDIOの方々も小豆島へ来てくれたり、
私たちも東京へ行くときはお店に立ち寄ったり、
そんなご縁で〈HOMEMAKERS〉の野菜やシロップを使ってくださっています。

2019年12月にオープンしたばかりの〈西日暮里スクランブル〉。

2019年12月にオープンしたばかりの〈西日暮里スクランブル〉。

西日暮里駅のすぐ目の前にあって、毎日たくさんの人が行き来します。

西日暮里駅のすぐ目の前にあって、毎日たくさんの人が行き来します。

『小さなデザイン 駒形克己展』から
小さな出版活動の可能性を考える

アメリカ時代から絵本づくりまで。40年の足跡をたどる

造本作家でありグラフィックデザイナーである駒形克己さんは、
わたしの本づくりの指針となる存在だ。
駒形さんはニューヨークでデザイナーとして活躍し、
帰国した後に〈ワンストローク〉という会社を立ち上げ、
以来、独自の本づくりを行ってきた。

15年ほど前に取材をさせていただいたのがご縁で、
その後、何度かお目にかかる機会があり、
駒形さんの本づくりの姿勢に刺激を受けたことが、
自分なりの出版活動を行う始まりとなった。

そんな駒形さんのこれまでの足跡を紹介する『小さなデザイン 駒形克己展』が、
11月23日から東京の板橋区立美術館で開催されている。
開催予定を知ってから、わたしは展覧会を心待ちにした。
これまで駒形さんの活動に断片的に触れる機会があったものの、
表現がどのように展開していったのかを全体を通じて見たことはなかったからだ。

2019年6月、大規模改修を終えてリニューアルオープンした板橋区立美術館が会場となった。

2019年6月、大規模改修を終えてリニューアルオープンした板橋区立美術館が会場となった。

展覧会でまず注目したのはニューヨーク時代のデザインの数々だ。
駒形さんは、日本デザインセンターに所属していたグラフィックデザイナーの
永井一正さんのもとで3年間アシスタントを務めたあとに渡米。
ロスで作品制作を行い、ニューヨークへと渡り、
アメリカ3大ネットワークのひとつCBSで
デザイナーとしてのキャリアをスタートさせた。

CBSの採用は狭き門だったが、駒形さんはこのときある作戦を立てたという。
これまで、ニューヨークでさまざまな企業に出向き、
自分の作品を収めたポートフォリオを秘書に預けてきたが、
なかなか面接にこぎ着けることができなかった。
そこで、これまでつくってきた大判ファイルのポートフォリオではなく、
あえて小さなスライド集を用意するというアイデアを思いついたそうだ。

「CBSに電話をすると、いつものように
ポートフォリオを置きに来てくださいと言われたのですが、
自分のポートフォリオは小さ過ぎてなくされると困るからと伝えると、
なんと直接ディレクターに見てもらえることになったのです」(展覧会図録より)

そこで駒形さんは、自分の作品を撮影したスライド集を
小さなパッケージに詰めてプレゼンテーションに臨んだそうだ。
面接したディレクターは駒形さんの作品をとても気に入り、採用となったという。

ロス時代に制作したコラージュ作品。原画は失われてしまったそうだが、残っていたスライドから作品を再現した。

ロス時代に制作したコラージュ作品。原画は失われてしまったそうだが、残っていたスライドから作品を再現した。

CBSでの面接に持参したスライド集。小さなスライドに黒い厚紙でフレームをつけてある。

CBSでの面接に持参したスライド集。小さなスライドに黒い厚紙でフレームをつけてある。

このエピソードは、駒形さんがキャリアをスタートさせたときから、
既存の常識にとらわれない自分なりの視点を持っていたことをうかがわせる。

その視点は絵本づくりを始めてからも変わることなく、
通常の絵本の形に留まらないカードタイプのものや、
さまざまな方向に折ってたたまれたものなどがあったり、
科学や自然の事象をシンプルな言葉と形で伝えるものがあったりなど、
数え上げれば切りがないほどだ。

ファッションブランド〈ズッカ〉のロゴは、駒形さんが帰国してからの仕事。案内状やタグなどのデザインも手がけている。

ファッションブランド〈ズッカ〉のロゴは、駒形さんが帰国してからの仕事。案内状やタグなどのデザインも手がけている。

〈森の出版社ミチクル〉の新刊は、
道南せたなの農家グループ
〈やまの会〉の本

出版の既成概念にとらわれない本づくりを

岩見沢市の山あいの集落、美流渡(みると)地区で始めた
〈森の出版社ミチクル〉という活動。
昨年に立ち上げてから、いろいろな方に興味を持ってもらっていたが、
新刊がまったく出ないまま1年が過ぎ去っていた。
計画では昨年の夏に刊行する予定だった本が進まず、もどかしい日々を送っていた。

制作中だったのは、道南のせたな地区でオーガニックな農法で
作物や家畜を育てる5人の農家グループ〈やまの会〉に取材したものだ。
本づくりの経緯は以前の連載で書いたが、なぜ筆が進まなかったのかを
あらためて振り返ってみると、ずっと編集を続けてきたために身につけてしまった
“出版に対する既成概念”がジャマをしていたのだと気がついた。

やまの会のメンバーである村上健吾さんの牧場では、穀物飼料を与えず草だけで牛を育て、チーズをつくっている。牧場からは海が見渡せる。

やまの会のメンバーである村上健吾さんの牧場では、穀物飼料を与えず草だけで牛を育て、チーズをつくっている。牧場からは海が見渡せる。

この本のテーマとしたのは「死」。そしてその先に見える「生」だ。

やまの会のメンバーで家畜を育てている、
大口義盛さん、村上健吾さん、福永拡史さんは、
愛情を持って育てた動物たちを、やがては屠畜(とちく)に出すという
自らの仕事を通して「死」と向き合い続けてきた。

また、大豆やお米を主に育てる富樫一仁さん、
多彩な品種の作物を育てるソガイハルミツさんも、
自然の営みに日々寄り添うことで、「死」に対する独自の観念を持っていた。

やまの会のメンバーが考える死についてとことん深めたい。
そう思いながらインタビューの音声を文字に起こし、執筆にトライしていたのだが、
どこからともなく「死なんて重たいテーマに読者は興味を持ってくれるのだろうか?」
「エンターテイメントの要素も必要ではないか?」という考えが
ふつふつとわいてくるのだった。

こんなふうに、ひと目でわかりやすいキャッチーさと、
帯の言葉になりやすい打ち出しの強さが大切という、
商業出版で染みついた思考にとらわれてしまうこともあった。

インタビューの音源は手書きで起こした。手書きのほうが、大切な部分は文字を大きくしたりアンダーラインをつけたりなどがサッとできるので、自由度が高い。(撮影:佐々木育弥)

インタビューの音源は手書きで起こした。手書きのほうが、大切な部分は文字を大きくしたりアンダーラインをつけたりなどがサッとできるので、自由度が高い。(撮影:佐々木育弥)

しかし一方で、いままでつくってきた本のセオリーに沿ってしまっては、
自分で刊行する意味はあるのだろうか? という考えも浮かび、
両方が頭の中で渦を巻いて、まったく着地点が見出せなかった。

普段であれば、仮にさまざまな迷いがあっても“締め切り”に合わせるのだが、
自分で出すとなれば、安易に落としどころを見つけず時間をかけてもいいわけで、
そのためアイデアが浮かぶまでじっと待ったり、
とにかく手を動かしたりというのを断続的に続けていった。

〈Maple Activity Center〉
岩見沢の移住者たちが立ち上げた
地域に根ざしたアクティビティ

北海道岩見沢市の美流渡(みると)に移住した來嶋路子さんが、
いまとても気になっているというのが、
美流渡のお隣、毛陽というエリアで始まった
〈Maple Activity Center(メープルアクティビティセンター)〉。
今回はその活動と、アクティビティセンターを立ち上げたメンバーたちを取材しました。

広大な敷地で体験できるアクティビティ

札幌から車で約1時間、岩見沢市街地から車で約20分のところにある〈メープルロッジ〉。

札幌から車で約1時間、岩見沢市街地から車で約20分のところにある〈メープルロッジ〉。

岩見沢市の自然豊かなエリア、毛陽に佇む宿〈ログホテル メープルロッジ〉。
総面積20万平米という広大な敷地には、屋外テニスコートと屋内テニスコート、
りんごや桃などが収穫できる果樹園などもある。

一歩足を踏み入れると、開放感のあるホールが。太い丸太を柱や梁に使ったログハウス風ホテル。

一歩足を踏み入れると、開放感のあるホールが。太い丸太を柱や梁に使ったログハウス風ホテル。

スイートルーム「ホワイトバーチ」は広々として家族で泊まるのに最適。4名利用で1名13550円~(税別)。

スイートルーム「ホワイトバーチ」は広々として家族で泊まるのに最適。4名利用で1名13550円~(税別)。

以前から宿泊施設だったが、老朽化した設備などを一新し、
2018年4月に大幅リニューアル。料理も北海道産の食材にこだわるなど、
よりこの地域の魅力を生かす宿に生まれ変わった。
天然温泉や本格的なフィンランド式サウナも備え、グランピングも楽しめる快適な宿だ。

敷地内には菜園もあり、ここでとれた野菜やエディブルフラワーもレストランの料理に使用されている。

敷地内には菜園もあり、ここでとれた野菜やエディブルフラワーもレストランの料理に使用されている。

そのメープルロッジのフィールドで、4輪バギーなどのアクティビティを提供するのが、
〈Maple Activity Center(メープルアクティビティセンター)〉だ。
ここでは4輪バギーで公道を走ることはできないが、
免許はなくてもスタッフの講習を受け、広大な敷地の中を駆け巡ることができる。
近年、各地で人気が高まっているアクティビティだ。

ほかにも「焚き火カフェ」や地域の歴史を知ることができるようなサイクリング、
冬はスノーシューなど、このエリアで楽しめるアクティビティを企画、実施している。

4輪バギーはバイクのような乗り物だが、4輪でバイクよりも安定感がある。

4輪バギーはバイクのような乗り物だが、4輪でバイクよりも安定感がある。

このアクティビティセンターを立ち上げたのは、
イラン出身でアメリカ育ちのスティーブン・ホジャティさん。

「ここは草地が広がる広場もあるし、4輪バギーだったら
この敷地内でも楽しめるんじゃないかと思いつきました」

12歳未満の子どもは大人と同乗すれば乗車できるので、
家族でも、大人同士でも楽しめると好評だ。

〈OTOYADO IKUHA〉と
〈しづやKYOTO〉。京都の古い建物を
リノベーションしたゲストハウス

多田正治アトリエ vol.8

日本にやってくる外国人観光客は年々増加しています。
日本政府観光局の調べでは、2018年の1年間で3000万人以上の観光客が訪れ、
その数は5年前の調査の実に3倍、急激な増加だと言えます。
訪日する外国人の目的地も多様化し、定番の観光地の人気はもちろん、
日本人が当たり前に思っていた風景が、外国人の目によって
新たな観光資源として発見されるケースも少なくありません。

撮影:松村康平

撮影:松村康平

そんなインバウンドを背景として、京都をはじめ、
日本各地で新しい宿泊施設が建設されています。
巨大な資本によって新築されるリッチなホテルもあれば、
個人が限られた資本でリノベーションして、ゲストハウスとして活用する例もあります。

大資本のホテルと個人経営のゲストハウス、旅の目的に応じて
随時選ぶことができれば、選択の幅が増え、楽しみも多いはずです。

前回は京都の町家をゲストハウスへとリノベーションする事例をご紹介しました。
最終話となる今回は、町家ではない建物をゲストハウスへとリノベーションした、
〈OTOYADO IKUHA〉と〈しづやKYOTO〉のふたつの事例をご紹介します。

どちらも個人経営のゲストハウス。個人ならではの愛情や情熱、こだわりが、
ある意味トンがったコンセプトやサービス、空間として結晶化した、
ふたつの宿の物語です。

すべてのミュージックラバーのためのゲストハウス
〈OTOYADO IKUHA〉

京都市の西部、国宝第1号の弥勒菩薩を所蔵するお寺「広隆寺」から
南に歩いて20分ほど。ゲストハウス〈OTOYADO IKUHA〉を
リノベーションでつくりました。

音楽業界に身を置く宮一敬さんと濱崎一樹さんが運営するゲストハウス。
京都で音楽スタジオを経営し、さらに音楽イベントの企画・運営をしたり、
FMラジオの番組も担当したりと、精力的に京都の音楽カルチャーを
牽引するおふたりです。

ミュージシャンがツアーで各地を回るときに、京都には、
まとまった人数が泊まれる宿が少なく、宿を確保するのが難しいそうで、
ミュージシャンたちは京都を敬遠して、大阪や神戸、滋賀でライブをするそうです。
そんな現状に一石を投じるべく、ツアーを回る音楽関係者はもちろん、
すべてのミュージックラバーのための、音楽の図書館のような
ゲストハウスをつくろうと立ち上がりました。

OTOYADO IKUHAのビフォー。

OTOYADO IKUHAのビフォー。

リノベーションする建物は、濱崎さんの元実家。
極端に細長い敷地に建つ3階建ての木造建築で、
もともとは、1階が濱崎さんのお父さんが腕を振るっていた割烹〈育波〉、
2~3階に濱崎さん一家が住んでいました。
その後、お父さんは店を閉め、濱崎一家は引っ越し、
借家となっていた建物をゲストハウスにすることになりました。

〈岡崎カメラがっこう〉プロジェクト。
楽しい時間、すてきな風景は
自分たちでつくろう

カメラ片手に歩きながら、まちの魅力を発信!

いよいよ年末ですね。
2019年も残すところわずかになりました。
毎年この時期は野菜の収穫・出荷も多く、生姜の加工作業などもあり、
私たちはバタバタ。まさに師走。正月休みが待ち遠しい〜。

さてそんな年末、今回は私の故郷のことを書こうと思います。

岡崎で60年以上続く朝市「二七市(ふないち)」。小さい頃によく行きました。私にとって懐かしい風景。

岡崎で60年以上続く朝市「二七市(ふないち)」。小さい頃によく行きました。私にとって懐かしい風景。

私はすっかり小豆島の人として、小豆島での日々のことを書き続けているわけですが、
生まれは愛知県の岡崎市というまちです。

岡崎市というと、徳川家康の生誕地、八丁味噌の産地、
自動車関連産業が盛んなまちなど、いろんなイメージがあると思います。
愛知県の真ん中あたりにあって、田舎でもなくて、
かといって大都市でもない地方のまち。
2030年くらいまでは人口がゆるやかに増えていくと予測されていて、
人がたくさんいる元気で豊かなまちなんじゃないかなと思います。

地元の高校を卒業し、岡崎を離れて20年以上になりますが、
昨年から〈岡崎カメラがっこう〉という企画を通して
岡崎に関わらせていただいています。
私が岡崎出身だと知っていた知人が声をかけてくれたのがきっかけで昨年から始まり、
今年で2年目になります(経緯の詳細は、こちらの記事を読んでくださいね)。

〈岡崎カメラがっこう〉のWebサイト。

〈岡崎カメラがっこう〉のWebサイト

家具屋さんだったビルを改修したカフェ〈wagamama house(ワガママハウス)〉さんをお借りしてカメラ講座。

家具屋さんだったビルを改修したカフェ〈wagamama house(ワガママハウス)〉さんをお借りしてカメラ講座。

〈小豆島カメラ〉もサポートしていただいているオリンパスさんが参加者全員にミラーレス一眼レフカメラを貸し出してくれました。

〈小豆島カメラ〉もサポートしていただいているオリンパスさんが参加者全員にミラーレス一眼レフカメラを貸し出してくれました。

岡崎カメラがっこうは、カメラを片手にまちをめぐり、まちの人たちと話し、
まちの人の写真を通じて岡崎の魅力を発信・再発見するプロジェクトです。
私が小豆島で活動している〈小豆島カメラ〉と共通する部分が多く、
その経験を踏まえて、どんな思いでどんなふうに活動してるかを伝えながら、
カメラの使い方なども含めてお話したり、一緒にまちを歩いて撮影したりしています。

カメラを持って岡崎のまちにある製造メーカーやお店を訪ねます。

カメラを持って岡崎のまちにある製造メーカーやお店を訪ねます。

どんな思いでお店をされているのかなどお店の方とお話したり。

どんな思いでお店をされているのかなどお店の方とお話したり。

農園の生産者さんにお話をうかがったり。

農園の生産者さんにお話をうかがったり。

まちから山の中まで岡崎のいろんな場所を訪ねます。

まちから山の中まで岡崎のいろんな場所を訪ねます。

1本のジンジャーシロップに
ギュッとつまった
〈HOMEMAKERS〉の1年の仕事

個人的な思いから始めた生姜づくりとジンジャーシロップ

生姜! ショウガ! しょうが!
11月上旬から始まった生姜の収穫、加工作業。
ほぼ毎日、島の友人たちに手伝いに来てもらってワイワイ作業しています。
収穫が始まってから1か月が過ぎ、ようやく終わりが見えてきました。ほっ。

4月から11月までの8か月間、土の中で育った生姜を収穫。

4月から11月までの8か月間、土の中で育った生姜を収穫。

ジンジャーシロップをつくるために、収穫後すぐに洗います。

ジンジャーシロップをつくるために、収穫後すぐに洗います。

私たち〈HOMEMAKERS〉は、年間80種類くらいのいろんな野菜を育てています。
一年中なんらかの野菜が収穫でき、日々、家の食卓に並びます。
いまの時期だとにんじんや大根、里芋、さつまいもなどの根菜類、
レタスやキャベツ、白菜などの葉物野菜。
12月はもりもり冬野菜シーズンです。

色とりどりの野菜たち。生姜作業の日のまかないごはん。

色とりどりの野菜たち。生姜作業の日のまかないごはん。

そんな野菜の中でも、時間と手間をかけて育てているのが生姜です。
なんで生姜? 小豆島って生姜の産地なの? 
と思われるかもしれません。小豆島は生姜の産地じゃないです。
誰かにすすめられたわけでもないです。

小豆島に引っ越してきた頃、体の冷えが気になっていて、
体を温めてくれる生姜を育てたいなぁ、
その生姜でジンジャーシロップをつくれたらいいなという個人的な思いから始めました。
2013年4月に初めて生姜を植えたときから始まって、
今年で生姜の栽培は7年目になります。

7年前、いろは(娘)も一緒に種生姜を初めて植えました。

7年前、いろは(娘)も一緒に種生姜を初めて植えました。

生姜の栽培は春から始めます。
生姜はじゃがいもや里芋などと同じく、
種生姜、親生姜などと呼ばれる生姜そのものを植えます。
毎年4月頭にこの植えつけ作業をします。

4月、生姜の植えつけ作業。

4月、生姜の植えつけ作業。

ちょうどいい大きさに種生姜をカット。

ちょうどいい大きさに種生姜をカット。

ひとつひとつ手で植えていきます。

ひとつひとつ手で植えていきます。

鎌倉〈てぬぐいカフェ 一花屋〉の
瀬能笛里子さんが実践する、
慎ましくも豊かな生活

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

瀬能笛里子さんが営む〈てぬぐいカフェ 一花屋(いちげや)〉は、江ノ電が目の前を走る人気のフォトスポット「御霊神社」のすぐそばにある。

瀬能笛里子さんが営む〈てぬぐいカフェ 一花屋(いちげや)〉は、江ノ電が目の前を走る人気のフォトスポット「御霊神社」のすぐそばにある。

暮らしを起点に広がる多彩な活動

東京から電車で約1時間という距離にありながら、
山や海などの自然を身近に感じられる鎌倉には、
都心では実現できない暮らしを求めて移住してくる人たちがあとを絶たない。
そのためか鎌倉のまちにはユニークなかたちで、
自らの「暮らし」を探求している人たちが少なくない。

江ノ電の長谷駅から少し歩いたところにある古民家で、
〈てぬぐいカフェ 一花屋〉を営む瀬能笛里子さんもまた、自らの暮らしと向き合い、
その延長線上でさまざまな発信を続けている女性のひとりだ。

〈てぬぐいカフェ 一花屋〉を営む瀬能笛里子さん

鎌倉で生まれ育ち、結婚・出産を経て、理想とする江戸時代の
「慎ましくも豊かな暮らし」を体現する飲食店を始めた彼女は、
お店を通じて、思いを共有できる地域の仲間たちとつながり、
やがてその活動は、まちへと広がっていく。

東日本大震災後には、鎌倉のまちで反原発のパレードを継続的に行うようになり、
〈イマジン盆踊り部〉というユニークな活動も始まった。
さらに、盆踊り部のメンバーらも参加する「塩炊き」など、
自給自足を実践するためのさまざまな取り組みを行っている。

「市民活動」というかたちを通して、自らが思い描く
社会や暮らしのあり方を発信することからスタートした瀬能さんはいつしか、
より日常のそばにある暮らしの実践を通してメッセージを伝えるようになり、
共感者を増やしてきた。

そんな瀬能さんに話を聞くために、彼女の暮らしの最前線の場である一花屋を訪ねた。

〈てぬぐいカフェ 一花屋〉入り口

移住と仕事、子育て。
岩見沢と下田の移住者が語る
ローカルの暮らし

北海道岩見沢市の山間地、美流渡(みると)に移住した編集者の來嶋路子さんと、
彼女の仲間の移住者たちを訪ねた旅
今回は、自らも下田に移住し、「暮らしを考える旅 わが家の移住について」を連載中の
フォトグラファー津留崎徹花さんと來嶋さんによる、
それぞれの暮らしと移住についての対談をお届けします。

移住ビジョンはなかった!?

徹花: 來嶋さんは東京から最初は岩見沢市の中心地に移住したんですよね。
そのあとさらに奥地である現在の美流渡に移住したのはなんでだったんですか?

來嶋: 友人と一緒に山の土地を買って、そのときはまだその山に
家を建てたいという気持ちがあったんです。
そこはまちからだと少し遠いので、もう少し近くから
山に通って整備などができたらいいなと思っていたら、空き家があるよと言われて。
じゃあ住んじゃおうかなって。
山も、安いから買っちゃおうかな、みたいな感じでした。

美流渡からほど近いエリアに8ヘクタールの山の土地を購入した來嶋さん。今後の使い道は「ノープラン」だそう。それでも、山が荒れたまま放置されているより、誰かがその土地を引き継ぐことが大事なのでは、と話します。

美流渡からほど近いエリアに8ヘクタールの山の土地を購入した來嶋さん。今後の使い道は「ノープラン」だそう。それでも、山が荒れたまま放置されているより、誰かがその土地を引き継ぐことが大事なのでは、と話します。

徹花: え、そんな軽いノリだったんですか(笑)。

來嶋: そうそう。そのほうが楽しそうだし。
とにかく新しいことにワクワクしていたいんです。
夫は「えー!?」という反応でいつも迷惑そうですが。

〈森の出版社ミチクル〉を立ち上げたのも、
ここで出版社をつくったら楽しそう! と思って。
「雪深い山奥でひとりで本をつくってる変わった人がいるんだ、
じゃあ本でも買ってやるか」なんて本を買ってくれる人がいるかもしれない。
ここでなら出版社ができるかも、と思ったんです。

山にはカラマツ1000本、ヤチダモとミズナラを500本ずつ植林しました。

山にはカラマツ1000本、ヤチダモとミズナラを500本ずつ植林しました。

徹花: 最初から移住して出版社をやろう、という感じではなかったんですね。

來嶋: 全部あとづけです。移住するのにビジョンってありました? 
私は全然なかったんです。

徹花: 私も夫もなんとなくありました。
自分たちが食べるものも自分たちでつくってみたいとか。
いまコロカルでやっている連載の前に「美味しいアルバム」という連載もしていて、
各地のお母さんたちに郷土料理を教えてもらうというものなんですが、
私は東京生まれ東京育ちで、田舎の人の暮らしの知恵にすごい憧れがあったんです。

來嶋: わかります、私もずっと東京だったので
漠然とした田舎暮らしに憧れはありました。
ただ私が移住したきっかけは、東日本大震災です。
田舎で暮らしたいというよりは都会から離れたいという気持ちが高まって、
半年後に夫の実家のある岩見沢に来ました。

徹花: 今回、ほかの移住者の方たちともお会いして、
みなさんとても仲が良くて楽しそうですけど、地元の人との交流は?

來嶋: ご近所のみなさんにはいつも支えてもらっています。
もちろん移住者に興味を持ってくれる人もいるし、
打ち解けにくい人もいると思いますし、移住したらどこでも、
噂をされたり、誤解を受けたりということは少なからずありますよね。

徹花: それはそうですよね。

來嶋: そんななかで、この地域の人たちはとっても柔軟な考えがあると思います。
感動したのは、廃校になった小中学校の利活用の問題を話し合う場で、
町会長さんたちが、移住者の人たちが使いやすいような、
まちがにぎわうような場所にしてくれたらうれしいとおっしゃっていて。
広い心でわたしたちを受け入れてくれていることがすごくうれしかったです。

徹花: それはすばらしいですね。

來嶋: このあたりはだんだん移住者が増えていて、
みなさん個性的な経歴を持っています。
「ちょっと変わった人」(笑)と思われそうですが、まちの人たちはフランクだし、
まちが活性化していることに可能性を感じてくれているようです。

しかも、自分たちももっとまちのことを考えなきゃいけないよね、
みたいな感じになってきてるんです。
昨日も、私の講演会に美流渡の町会の方が来てくださって、
そういう移住者にやさしいところは、すごくありがたいです。

徹花: たしかに、地元の人の応援ってありがたいですよね。

來嶋: 「がんばりなさいよ!」って私の本を買ってくれたりとか、
本当にうれしくて。ああいう感じは東京では味わったことないですね。

この対談の前日、岩見沢市主催の「ステップアップ講座」で來嶋さんが講師として登壇し「小さな集落『美流渡』だからこそできる、新しい出版活動」をテーマに講義。ステップアップではなく、ステップダウンでも楽しく生きていけるんじゃないかと來嶋さんは提案。既存のシステムとは違う、新しいローカルの経済やクリエイティブのかたちがあるのではという話に、みなさん熱心に耳を傾けていました。

この対談の前日、岩見沢市主催の「ステップアップ講座」で來嶋さんが講師として登壇し「小さな集落『美流渡』だからこそできる、新しい出版活動」をテーマに講義。ステップアップではなく、ステップダウンでも楽しく生きていけるんじゃないかと來嶋さんは提案。既存のシステムとは違う、新しいローカルの経済やクリエイティブのかたちがあるのではという話に、みなさん熱心に耳を傾けていました。

町家を現代的にリノベーション。
京都の3つのゲストハウス

多田正治アトリエvol.7

ぼくが事務所を構え、活動している京都には、町家がたくさんあります。
前回ご紹介したぼくたちの事務所〈西大路のアトリエ〉に続き、
今回は町家のリノベーション事例として、3つのゲストハウスについてご紹介します。

失われつつある京町家

「町家」の定義は、実はとても曖昧です。
例えば、京都市による町家の定義を簡単に説明すると
「1950年以前に建てられた建築で、うなぎの寝床と言われる奥深い敷地に、
伝統的な軸組工法(*)で建てられた木造建築」とされています。

1950年(昭和25年)は日本に建築基準法ができた年。
しかし1950年以降に建てられているものでも、町家と呼べそうなものがあり、
行政上の年代の定義はさておき、実際の文化的な意味での町家は
もう少し幅広いものだと思います。

*軸組工法:日本で古くから発達してきた伝統工法を簡略化・発展させた構法。
主に柱や梁といった軸組で支える、設計自由度が比較的高めの工法。

京町家の古い様式。2階部分の開口部が虫籠窓(漆喰や土壁で塗り回された縦の格子)のスタイルになっている。

京町家の古い様式。2階部分の開口部が虫籠窓(漆喰や土壁で塗り回された縦の格子)のスタイルになっている。

伝建地区(伝統的建造物群保存地区)の町家だが、実は比較的新しい様式で、2階建てになっている。

伝建地区(伝統的建造物群保存地区)の町家だが、実は比較的新しい様式で、2階建てになっている。

町家の間取りの例。

町家の間取りの例。

京都市が2016年に町家の数を調査したところ、
約4万軒の町家が確認されたそうですが、実は1日2軒、
年間800軒近くというペースで町家が解体されていると言われています。
そんな状況に行政は危機感を抱いているようですし、
失われつつある町家に注目が集まっているように思います。

京町家をゲストハウスへ。
「古い」と「新しい」が分かれて見えるリノベーション

「町家を改修してゲストハウスにしたい」
そんな相談がここ数年で増えました。

町家といってもさまざまで、
文化財級の町家(仕事として関わることは皆無ですが……)から、
丁寧に手をかけてつくられている町家から、
これって町家と呼べるのかな? といったものまで、いろいろです。
そしてそのほとんどが、建てられたままではなく、増築をしたり、設備を更新したり、
時々に応じて使いやすいように、上書きされたものがほとんどです。

町家を改修するときは、できるだけオリジナルに戻すやり方や、
宿泊施設(商業施設)として「日本らしさ」
「京都らしさ」を演出する改修方法もあります。

一方で、ぼくたちが改修に携わるときは、オリジナルや
「らしさ」の改修ではない方法をとることがほとんどです。
町家の伝統的な部分はもちろん、そこで営まれた生活に敬意を払ったうえで、
ぼくたちの時代としての改修をしようと心がけています。
そのため、ぼくたちの行う改修は、古い部分と新しい部分が
しっかりと分かれて見えるようになっています。

今回ご紹介する3つのゲストハウスは、伝統的な町家をそれぞれ異なる手法を用いて、
現代の使い方や考え方に合わせてリノベーションしたものです。

小豆島のキャンプ場で遊ぼう!
「小豆島アウトドアフェスティバル」

クライミングで小豆島の魅力を味わう

小豆島にはいくつかキャンプ場があります。
施設が充実していていろんなスタイルを選べる〈小豆島ふるさと村キャンプ場〉、
海のすぐそばにある〈小部キャンプ場〉や〈田井浜キャンプ場〉、
天然温泉を楽しめる〈小豆島オートビレッジYOSHIDA〉などなど。
海も山もすぐそばにあって、おまけに天然温泉も島内に何か所かあるので、
小豆島でキャンプ! おすすめだったりします。

先日、そんな小豆島のキャンプ場の中のひとつ、小豆島オートビレッジYOSHIDAで、
「小豆島アウトドアフェスティバル」というイベントが開催されました。

今年初開催の「小豆島アウトドアフェスティバル」。

今年初開催の「小豆島アウトドアフェスティバル」。

会場となった〈小豆島オートビレッジYOSHIDA〉は人気のキャンプ場。

会場となった〈小豆島オートビレッジYOSHIDA〉は人気のキャンプ場。

小豆島アウトドアフェスは、岡山県玉野市と小豆島を舞台とした
クライミングと音楽の複合型フェス「瀬戸内JAM」の一環。
瀬戸内海を目の前に臨む玉野市には、
王子が岳というすばらしい景観に恵まれたエリアがあり、
このエリアは海の眺めが美しいだけではなく、
40年以上も前に開拓されたボルダリングスポット。

このエリアの魅力をもっとたくさんの人たちに知ってもらい、
瀬戸内エリアのツーリズムにつなげていきたいという思いから、
瀬戸内JAMは始まりました。2018年から始まり、
2回目となる今年から小豆島も新たな舞台として加わりました。

今回の小豆島アウトドアフェスは、
小豆島のクライミングジム〈ミナウタリ〉の渡利知弘さん、みきさんご夫婦を中心に、
ジムに通う皆さんで準備・運営をされていました。

会場に設置されたボルダリングウォール。いつかあの奥にある岩を登る日が来るかも。

会場に設置されたボルダリングウォール。いつかあの奥にある岩を登る日が来るかも。

登るのってシンプルで楽しい。小さな子どもたちがずっと遊んでました。

登るのってシンプルで楽しい。小さな子どもたちがずっと遊んでました。

小豆島には岩場があちこちにあって、
昔から小豆島にクライミング目的で来られる方も多いのですが、
島で暮らす人で、クライミングの場としての小豆島の魅力、
小豆島の山や岩場の魅力をを知って楽しんでいる人はあまり多くありません。

こんなにもすばらしい環境で暮らしているのにそれはもったいない。
まずは外で遊ぶことの楽しさに気づいてもらいたい、
クライミングのフィールドである「吉田の岩場」に足を運んでもらって
理解を深めてもらいたいという思いから、
吉田の岩場のすぐそばにあるキャンプ場、小豆島オートビレッジYOSHIDAを舞台に
小豆島アウトドアフェスを開催することにしたそうです。

家族で遊びに来てくれてる方がたくさんいました。

家族で遊びに来てくれてる方がたくさんいました。

スラックラインで遊ぶ子どもたち。

スラックラインで遊ぶ子どもたち。

連載100回記念!
美流渡(みると)ってどんなところ?
ユニークな移住者たちを訪ねる旅

2011年の東日本大震災後、北海道岩見沢市に移住し、
いつかいろいろな人が集まったり滞在できるような
エコビレッジをつくりたいという夢を持つ來嶋路子さん。
この連載「うちへおいでよ! みんなでつくるエコビレッジ」も開始から4年余り、
ついに100回を迎えました。

そこで、100回記念特別企画として、
下田に移住し「暮らしを考える旅 わが家の移住について」を連載中の
津留崎さん一家と編集部が岩見沢へ赴き、
來嶋さんと仲間の移住者たちを取材してきました。

いま來嶋さんが暮らしているのは、岩見沢市の中心地から少し離れた、
かつて炭鉱で栄えた山あいのまち、美流渡(みると)。
今回は、これまでも連載に登場してきたみなさんを、あらためてご紹介します。

自作の薪窯で焼き上げるパン屋さん〈ミルトコッペ〉

まずは上美流渡にあるパン屋さん〈ミルトコッペ〉へ。
天然酵母を使い、窯で焼き上げたパンは、地元の人だけでなく、
札幌など遠方からも買いに来る人がいるという人気。
札幌で会社員をしていた中川達也さんが、
21年前に会社員を辞めてこのお店を始めたそう。

「なんでここでパン屋をやろうと思ったか? 忘れちゃったな(笑)」
とはぐらかす達也さんですが、当時ボロボロだった建物を自ら改修し、
レンガで窯をつくってお店を始めた熱意は並々ならぬものがあります。

來嶋さんと中川達也さん。新店舗も完成間近。屋根は、札幌の時計台などでも使われている菱葺き屋根という工法。さすがにこれは職人さんにお願いしたそう。

來嶋さんと中川達也さん。新店舗も完成間近。屋根は、札幌の時計台などでも使われている菱葺き屋根という工法。さすがにこれは職人さんにお願いしたそう。

その店舗もだんだん古くなってきたので、
現店舗の隣に、来年4月のオープンに向けて新店舗を建設中。
石を積んで基礎をつくり、壁を漆喰で塗るなど、
日々のパンづくりと並行して10年がかりでつくってきたそうです。

「今年の冬前くらいから新店舗でパンの試作を始めようと思います。
現店舗と同じように窯をつくったけど、天然酵母は環境が異なると
どう変わるかわからないですからね」と達也さん。

工事中の新店舗を特別に見せてもらいました。建築関係の仕事をする津留崎鎮生さんも興味津々。

工事中の新店舗を特別に見せてもらいました。建築関係の仕事をする津留崎鎮生さんも興味津々。

達也さんが焼いたパンはほんのりと香ばしく、もっちりした食べ応えがあり、
とてもおいしい。開店と同時にお客さんが訪れ、
昼前には売れ切れてしまうというのも頷けます。

薪を使って焼き上げるレンガづくりの窯も達也さんがつくったもの。コッペパンはプレーン、豆、レーズン、くるみ、ごま、あんぱんなどのほか、食パンも。

薪を使って焼き上げるレンガづくりの窯も達也さんがつくったもの。コッペパンはプレーン、豆、レーズン、くるみ、ごま、あんぱんなどのほか、食パンも。

続いて、達也さんのご自宅である〈美流渡の森の山荘〉も案内してくれました。
歩いて数分のところにあるこの山荘は、かつて別荘として使われていた、
森の中に佇むすてきなログハウス。

あくまで自宅なので公開はされていませんが、
リンパドレナージュセラピストである、達也さんの奥さんの文江さんが
サロンとして使用したり、服の展示会をしたり、
庭で月に1度、神奈川から先生を招いて太極拳をするなど、
イベントの会場となることも。

柱や梁など立派な木材がふんだんに使われた〈美流渡の森の山荘〉。こんな場所でイベントが開かれるなんて楽しそう!

柱や梁など立派な木材がふんだんに使われた〈美流渡の森の山荘〉。こんな場所でイベントが開かれるなんて楽しそう!

文江さんは、1か月のうち1週間ほどは都内でサロンを開いているため、
この日は会えませんでしたが、自分たちらしい暮らしを求め、
実現している中川さん夫妻のライフスタイルはとてもすてきでした。

information

map

ミルトコッペ

住所:北海道岩見沢市美流渡 上美流渡の森

TEL:0126-46-2288

営業時間:9:30~売り切れまで(営業は4月中旬~11月末)

定休日:月・火曜

Web:http://www9.plala.or.jp/coppe/index.htm

小豆島の木に実った宝物。
レモン、スダチ、ダイダイ、柑橘の恵み

柑橘の収穫シーズンがスタート!

11月に入って、寒いなぁと感じる瞬間が増えてきました。
ごそごそと、いつもとは違うクローゼットの引き出しを開けて、
そうそうこれこれと引っ張り出してきたフリース、それからタイツにレッグウォーマー。
あー、温かい。気づけば季節は少しずつ秋から冬へ。

私たちの秋冬の仕事のひとつに柑橘の収穫&加工があります。
柑橘は主に冬がシーズン。
もちろん柑橘の種類によって収穫時期は異なるし、
地域によっても変わってくると思いますが、たとえば小豆島のレモンだと
10月中旬〜11月にかけてまずグリーンレモンを収穫します。

グリーンレモンというのは品種のことではなくて、
まだ黄色に色づく前の緑色の状態のレモン。
果汁は少ないですが香りが強いです。11月後半くらいから黄色く色づき始め、
12月〜4月くらいまで黄色いレモンを収穫できます。

このレモンをはじめ、小さくて丸いスダチ、ゴツゴツとして大きいダイダイ、
香り爽やかなライムなどを収穫します。

10月末に収穫したレモンと生姜。生姜は11月が収穫シーズン。

10月末に収穫したレモンと生姜。生姜は11月が収穫シーズン。

11月に入り少しずつ黄色くなり始めたレモン。このレモンの木はじいちゃんが残してくれた大切な財産。

11月に入り少しずつ黄色くなり始めたレモン。このレモンの木はじいちゃんが残してくれた大切な財産。

収穫した柑橘は、そのまま販売したり、自宅やお店で
料理や飲みものをつくるときに使ったりします。
ただの炭酸水にスダチを絞って入れて飲んだり、
あ、ハイボールにもレモンやスダチは必須ですね。

料理だと、野菜のマリネをつくるときやカレーにかけて食べたりもします。
小豆島で暮らすようになり、柑橘は私たちの暮らしにとって
欠かせない存在になりました。

炭酸水にスダチの果汁をぎゅっと絞って入れるだけ。爽やかでおいしい。

炭酸水にスダチの果汁をぎゅっと絞って入れるだけ。爽やかでおいしい。

料理にもよく使います。

料理にもよく使います。

うなぎの寝床型の京町家を
リノベーション。
〈西大路のアトリエ〉誕生

多田正治アトリエ vol.6

ぼくは普段、京都の〈西大路のアトリエ〉で設計事務所の仕事をしています。
西大路のアトリエは、戦後直後に建てられたといわれる、平屋の町家です。

2013年にその町家を〈ENDO SHOJIRO DESIGN〉の建築家・遠藤正二郎くんと
リノベーションして、いまでも彼とシェアして入居しています。

正面からみたところ。

正面からみたところ。

vol.1~5までは熊野についてお伝えしてきましたが、ここから京都へと舞台を移し、
今回はぼくたちのオフィスである、西大路のアトリエについてお話しします。

もともとぼくと遠藤くんは、京都の五条大宮でいまと同じように
オフィスをシェアして、各自の事務所を構えていました。
そこを退居することになったとき、次は古家を借りて
自分たちでリノベーションしてオフィスにすることにしました。

ぼくの場合、オフィスにいる時間は家で活動する時間よりも長い。
だからこそ、自分たちで考えつくりあげた空間で働きたい、そう考えました。

まずは不動産探しからスタート

ふたつの条件で部件探しを始めました。

・自由に改装してもいいこと

・ペット可(ぼくたちはネコを飼っていました)

いくつか内覧して、見つけ出したのがいまのアトリエです。

beforeー正面から見たところ。

beforeー正面から見たところ。

beforeー畳敷きの三間が連続するつくり。

beforeー畳敷きの三間が連続するつくり。

beforeー通り土間には床を張って、台所になっています。

beforeー通り土間には床を張って、台所になっています。

ぼくは大阪に住んでいて、京都まで阪急電車で通勤しています。

このアトリエは阪急の駅からは少し遠いのですが、
ブロンプトンという折畳み自転車を鉄道に持ち込み、輪行する通勤スタイルなので、
駅から遠いことは問題ではありませんでした。

新物件の家賃は、以前の事務所の家賃よりも少し安く、
少なくとも5年はここに居を構えようという決意も込めて、
家賃の差額×5年分を工事費にあてることに。
物件を決め、工事予算を決め、ふたりで設計に取りかかりました。

〈西大路のアトリエ〉の設計

リノベーション前の町家は、京都で典型的な「うなぎの寝床」型の敷地に、
道路から奥に向かって3間が並び、通り土間が貫く間取り。
通り土間は改装されて、床が張られキッチン設備がついていました。
ここから壁や天井を取り払い、大きく吹き抜けた細長い一室空間として、
その中にひとつのキューブを据える構成を考えました。

キューブによって、細長い空間は、通りに面した土間空間や
庭に面した白い空間と緩やかに仕切られます。
キューブを置くというひとつの操作で、
ワンルーム空間の中に、性格の異なる空間を生み出す。
そんなことを考えて設計を行いました。

改装後(上)と改装前(下)の図面。

改装後(上)と改装前(下)の図面。

小豆島の「太鼓まつり」に想う。
自分たちが暮らす土地を
愛するということ

今年で7回目の参加。「太鼓まつり」で感じたこと

10月、台風19号が日本各地に大きな被害をもたらしました。
ニュースで見ていてその範囲の広さに驚いています。
私たちが暮らす西日本は、今回の台風では被害を受けませんでしたが、
昨年の夏の集中豪雨では大きな被害を受け、
いまだにいつもの暮らしを取り戻せてない方が多くいます。

本当に日本全国いたるところで、地震や台風、大雨の被害が
現在進行形で起こっています。

代々受け継いできた土地、家で暮らし続けること、
それは当たり前のようでいて、実はとても難しいことなのかもしれません。
ある日突然やってくる大きな災害で、一瞬にして
いままでの暮らしが壊れてしまうこともあります。

地方では高齢化と人口減少によってじわりじわりと家や畑が荒れていき、
いつしか集落の維持ができなくなってしまうこともあります。
私たちが暮らす集落も他人事ではありません。
何十年、何百年と暮らし続け、つくりあげてきた風景、文化が残っていることは
奇跡的なことであり、すごい財産なんだなとあらためて感じています。

10月中旬、小豆島では各地で「太鼓まつり」が行われます。

10月中旬、小豆島では各地で「太鼓まつり」が行われます。

太鼓まつりの前日は宵祭りとして、地区内の家々を太鼓台がまわります。子どもたちもおばあちゃんたちも太鼓台が来るのを楽しみに待ちます。

太鼓まつりの前日は宵祭りとして、地区内の家々を太鼓台がまわります。子どもたちもおばあちゃんたちも太鼓台が来るのを楽しみに待ちます。

先日、小豆島では各地で「太鼓まつり」が行われました。
秋の収穫を感謝する行事として、小豆島内にある6つの八幡神社で毎年開催され、
太鼓台を奉納します。

10月11日から10月16日にかけて、小豆島の各地区で太鼓台が奉納されます。10月14日は土庄八幡神社のお祭り。

10月11日から10月16日にかけて、小豆島の各地区で太鼓台が奉納されます。10月14日は土庄八幡神社のお祭り。

八幡さんのひとつ、池田亀山八幡宮の太鼓まつりを観覧するために
いまでも使われている石垣「池田の桟敷(さじき)」は、
江戸時代につくられたとされていて、そんな時代から太鼓まつりは続いています。

太鼓台には子どもたちが乗り、太鼓をたたき続けます。

太鼓台には子どもたちが乗り、太鼓をたたき続けます。

乗り子の子どもたち。10月に入ってから毎日練習してきました。

乗り子の子どもたち。10月に入ってから毎日練習してきました。

美流渡と青梅の2拠点で
木工作品をつくる〈遊木童〉の
波乱万丈の人生

上美流渡の森で制作する木工作家

この連載も今回で99回目。スタートして約4年が過ぎた。
編集者として20年ほど“文章”というものに関わってきたが、
実は執筆にはずっと苦手意識を持っており、
月に2回の更新はもがきつつ苦しみつつということも多かった。

けれど幸いなことに、書くネタに困ったことはなかった。
わたしが住む岩見沢の美流渡(みると)をはじめとする山あいの地域は、
人口は700人にも満たないが、個性あふれる人々が多いし、
毎月何かしらのイベントも開催されており、
これらすべてを紹介できないもどかしさを
いつも感じているような状態だった(200回までネタには困らなそう)。

そんな状態の中で、以前からずっと紹介したいと思っていたのは
木工作家の五十嵐茂さんだ。
3年前から地域PR活動として〈みる・とーぶ〉という展覧会を
札幌などで開催しており、その参加者のひとりではあったが、
彼のこれまでの歩みについて腰を据えて聞く機会はなかった。

そろそろ秋の気配が感じられるようになった9月、
わたしは上美流渡にある五十嵐さんのアトリエを訪ねて、本当に驚いた。
これまでさまざまな移住者を紹介してきたが、
これほどまでに波乱万丈な人生があっただろうかと言いたくなるような、
強い衝撃を受けたのだった。

五十嵐茂さんと妻の恵美子さん。後ろの小屋は恵美子さんが続けている機織りの制作小屋。

五十嵐茂さんと妻の恵美子さん。後ろの小屋は恵美子さんが続けている機織りの制作小屋。

北海道と東京・青梅にアトリエがあり、行き来をしながら
木工作品の制作を行う五十嵐さんの第一印象は、寡黙で控えめ。
長年にわたり黙々と木工作品をつくってきた人物だと想像していたのだが、
それは私の思い込みだった。

取材で訪ねて最初に彼がしてくれた話は、
2014年にサンタクロースの格好をして舞踏をするという、
短編映画の主演を務めたことについてだった。

「ラッシュアワーの時間に西荻窪の駅前ロータリーで踊りました。
暗黒舞踏を踊るのはこのときが初めてだったけど、監督に
このままやっていけば1年でプロになれるって言われましたね(笑)」

アーティストがJR西荻窪駅付近に滞在し、このまちを舞台に作品を制作、発表するプロジェクト「西荻レヂデンス」の企画によって制作された短編映画。小鷹拓郎監督による『西荻サンタクロース』は、まちにサンタクロースが実在するという設定で、五十嵐さん扮する白塗りのサンタクロースが登場し、骨のようなプレゼントを行き交う人に配布した。

アーティストがJR西荻窪駅付近に滞在し、このまちを舞台に作品を制作、発表するプロジェクト「西荻レヂデンス」の企画によって制作された短編映画。小鷹拓郎監督による『西荻サンタクロース』は、まちにサンタクロースが実在するという設定で、五十嵐さん扮する白塗りのサンタクロースが登場し、骨のようなプレゼントを行き交う人に配布した。

また、国立奥多摩美術館というインディペンデントなアートスポットで行われた、
路上生活者によるダンスグループ〈新人Hソケリッサ!〉のトークイベントで
司会をしたこともあるのだという。
イベントをきっかけに路上生活者のみなさんと意気投合し、
青梅の自宅に彼らを泊めた日のことを、懐かしそうに語ってくれた。

「ホームレスになったとき、最初の晩が一番辛いんだって。
線路に飛び込むか、段ボールを敷いて寝るか、そのどちらかだと誰もが考えるそうです」

こんなふうに、五十嵐さんの口からは、
わたしの想像がすぐには及ばないような話が次々と飛び出していった。

舞踏の演技の様子を手振り身振りで説明してくれた。

舞踏の演技の様子を手振り身振りで説明してくれた。

アーティストと市民パフォーマーで
つくるOeshikiの音。
ツアーパフォーマンス『BEAT』開催へ

〈Oeshiki Project〉から見る東京のローカルの未来 vol.4

雑司が谷に江戸時代から伝わる伝統行事
「御会式(おえしき)」を軸に展開するアートプロジェクト〈Oeshiki Project〉。
その背景やプロセスを、劇作家であり、このプロジェクトのディレクターである
石神夏希さんが紹介していきます。

自分たちのOeshikiを立ち上げる

1年以上かけて準備してきた〈Oeshiki Project〉も、いよいよ本番間近。
前回の記事では昨年、初めての御会式を体験したあと、
『BEAT』というツアーパフォーマンスを着想した話を書いた。

天皇のご病気で御会式が自粛になった昭和63年、我慢できなかった人たちが、
家の中で太鼓を叩き出し、だんだんと音が集まって、
小さいながらも「御会式」をやっ(てしまっ)た。

太鼓の魔力と魅力は世界共通。古今東西、さまざまな儀式や祭りに用いられてきた。(写真:鈴木竜一朗)

太鼓の魔力と魅力は世界共通。古今東西、さまざまな儀式や祭りに用いられてきた。(写真:鈴木竜一朗)

御会式は、誰かに言われてやるものじゃない。
地域の決まりだから参加するのでもない。明確なルーツがあるわけでもない。
文化も言葉も違う、さまざまな地方から集まった江戸の庶民たちの間から、
自然発生的に生まれたビート。
それが伝わって、広がって、やりたい人がいるから「伝統」として続いている。

Oeshiki Projectツアーパフォーマンス『BEAT』は、御会式の当日10月16日(水)~18日(金)に上演される。

Oeshiki Projectツアーパフォーマンス『BEAT』は、御会式の当日10月16日(水)~18日(金)に上演される。

そんな、「はじまりの御会式」を見たい。
だから『BEAT』では、現代の東京に国境を越えて集まった
トランスナショナルな「東京市民」のパフォーマーたちと、
当日やってくる観客(参加者)たちと一緒に、
自分たちの手でOeshikiを立ち上げてみたいと思った。

御会式で用いる団扇太鼓。(写真:鈴木竜一朗)

御会式で用いる団扇太鼓。(写真:鈴木竜一朗)

それに、雑司が谷の人たちと、新しく来た人が伝統文化を教わるという関係じゃなくて、
異なる文化を持った者同士として対等に出会いたい。
だから太鼓の曲も、衣装も、万灯も、自分たちでやってみる。
まち中を練り歩き、最後に、雑司が谷の御会式に合流する。
そのとき初めて、江戸から続くビートの奥行きも、実感できるんじゃないだろうか。