連載
posted:2020.2.7 from:神奈川県鎌倉市 genre:旅行
〈 この連載・企画は… 〉
豊かな歴史と文化を持ち、関東でも屈指の観光地、鎌倉。
この土地に惹かれ移り住む人や、新しい仕事を始める人もいます。
暮らし、仕事、コミュニティなどを見つめ、鎌倉から考える、ローカルの未来。
writer profile
Yuki Harada
原田優輝
はらだ・ゆうき●編集者/ライター。千葉県生まれ、神奈川県育ち。『DAZED&CONFUSED JAPAN』『TOKION』編集部、『PUBLIC-IMAGE.ORG』編集長などを経て、2012年よりインタビューサイト『Qonversations』を運営。2016年には、活動拠点である鎌倉とさまざまな地域をつなぐインターローカル・プロジェクト『◯◯と鎌倉』をスタート。
photographer profile
Ryosuke Kikuchi
菊池良助
きくち・りょうすけ●栃木県出身。写真ひとつぼ展入選後、雑誌『STUDIO VOICE』編集部との縁で、INFASパブリケーションズ社内カメラマンを経てフリーランス。雑誌広告を中心に、ジャンル問わず広範囲で撮影中。鎌倉には20代極貧期に友人の家に転がり込んだのが始まり。フリーランス初期には都内に住んだものの鎌倉シックに陥って出戻り。都内との往来生活も通算8年目に。鎌倉の表現者のコレクティブ「全然禅」のメンバー。
http://d.hatena.ne.jp/rufuto2007/
長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。
年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。
東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。
その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。
そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。
季節を問わず多くの観光客が訪れる鎌倉だが、東京から日帰りができることや、
十分な敷地を確保することが難しいことなどから、大規模なホテルはそう多くない。
一方、古民家を活用したゲストハウスなどは市内に点在し、
鎌倉ならではの滞在が楽しめる宿として人気を集めているが、
今回紹介する〈hotel aiaoi〉は、これらとも一線を画す全6室の小さなホテルだ。
オーナーは、結婚を機に東京から鎌倉に移住した小室剛さん・裕子さん夫妻。
鎌倉で暮らし始めたことで仕事観、価値観が大きく変わったふたりは、
このまちらしいシンプルで心地良い時間が過ごせる宿として、
2016年にhotel aiaoiを鎌倉・長谷にオープンさせた。
空間や部屋のしつらえからアメニティ、食器・食材などのセレクト、
宿泊客とのコミュニケーション、そしてWebサイトにいたるまで
あらゆる部分に、小室夫妻の美意識が表現されているhotel aiaoi。
ここには、大規模ホテルのようなサービスや、高級旅館のようなおもてなし、
あるいはゲストハウスのようなフレンドリーさはないかもしれないが、
hotel aiaoiならではのコミュニケーションを通じて、宿泊客たちは、
鎌倉という土地で育まれてきた文化や暮らしを感じることができるはずだ。
鎌倉での生活、そして、宿の運営を通して、
自分たちが大切にしたい暮らしのあり方や美意識を研ぎ澄ませ、
ホテルという場を起点に、観光地としての鎌倉とは少し異なる、
このまちの魅力を感じさせてくれる小室夫妻を訪ねた。
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以前から鎌倉が好きだったという剛さんと裕子さんは、
2012年の結婚を機に、東京から鎌倉・稲村ヶ崎に引っ越してきた。
東日本大震災の記憶も新しく、海のそばに暮らすことに
ためらいもあったというふたりが移住を決心したのは、
まちなかでのふとした出来事だったと裕子さんは振り返る。
「稲村ヶ崎の物件は初めて見たときから気に入って、よく通っていたのですが、
あるとき、家の前を歩いていると、観光客然とした私たちに、
地元のおじいちゃんが、『こんにちは』と挨拶してくれたんです。
それにやられてしまい、このまちに引っ越そうと決めました」
この出来事があった瞬間、剛さんの頭によぎったのは、
以前から大好きだった「サザエさん」の世界観だったという。
「『サザエさん』では、何も起こらない日常が描かれているのに、
それがとてもおもしろいんですよね。
そんなサザエさんの世界観のようなまちに暮らしたいという思いがあったのですが、
古き良きものが残り、自然と近所づき合いができる鎌倉は、
まさにそんな場所だと感じたんです」
鎌倉に移住し、夫婦生活をスタートさせた小室夫妻は、
東京にあるそれぞれの勤め先に通う日々をしばらく過ごしていたが、
あるとき、鎌倉で行われた剛さんの学生時代の同級生の結婚式のあと、
旧友が口にした何気ないひと言が、ふたりの大きな転機となった。
「結婚式のあと、仲のいい友人たちと一緒に海に行ったときに、
ふと『いまのお前は、本当の剛じゃないよな』と言われたんです。
そこにはきっと、『思った以上に会社員をがんばってるな』
というニュアンスが込められていたはずなのですが、
僕自身、当時の仕事にやりがいを感じながらも、
このままでいいのかな、と思うときがありました。
友人のこのひと言が背中を強く押してくれたんだと思います」
大の旅好きだった剛さんは、実は20代半ば頃から、
鎌倉で宿を開きたいという思いを温めていたという。
そして、実際に鎌倉で暮らすようになり、
自分にとって本当に大切なものを見つめ直すようになった剛さんは、
友人の言葉に背中を押され、自らの夢に向けて動き始める。
一方の裕子さんもその頃、会社で働き続けることに違和感を感じ始めていたという。
「それまで私は、毎期つくられる新しい商品をどんどん売っていくような、
販売促進の仕事をしていました。
でも、鎌倉に住み始めたことで価値観が大きく変わり、
日々の生活と自分の仕事の距離が、どんどん離れていきました。
両者を切り分けて考えることが私には難しく、
もう少し生活に近い仕事をするために、転職を考えていた時期だったんです」
鎌倉での生活を通して育まれた新しい価値観や違和感を
知らず知らずのうちに共有していたふたりは、
話し合いの結果、全6室の小さなホテルhotel aiaoiを、
鎌倉・長谷にオープンすることになったのだ。
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hotel aiaoiは、鎌倉の宿と聞いてイメージするような
古民家ゲストハウスとは異なる、シンプルかつモダンな空間だ。
一見するとそれは、「サザエさんのまち」という剛さんの言葉から想起するものとは、
対極にある空間にも感じられる。
「僕も妻と同様に、会社員時代は大量生産大量消費のサイクルのなかで
仕事をしていましたが、鎌倉に来てからは、いかにモノを減らし、
シンプルに暮らすかということを考えるようになりました。
だから、aiaoiの空間においても、なるべく情報を少なくし、
必要最低限のモノだけを厳選することで、
お客様が自分の時間を過ごせるような場にしたいという思いがありました」
hotel aiaoiには、ふたりの宿に対する考え方も反映されている。
それは、大型ホテルのようなシステマチックで無機質な空間ではなく、
かといってゲストハウスほどは宿泊客との距離感が近すぎない宿のあり方だ。
「私自身、お店などで隣り合った人と話をするのが苦手なタイプだったこともあり、
ここもコミュニケーションを強要するような場所にはしたくなかったんです。
開業当初は予算上の都合もあり、朝食はラウンジに置かれた大きなテーブルを
みんなで囲んで食べていたのですが、それすらも違和感があって、
最近やっと個別のテーブルと椅子を揃えることができたんです(笑)」(裕子さん)
静かに自分の時間を過ごせる場所というこだわりを徹底するふたりは、
宿泊客への直接的なコミュニケーションも最低限にとどめている。
「お客様がいらっしゃるまでにできるコミュニケーションもいろいろあるんです。
お手紙を書くとか、お花を生けるとか、事前の準備などを通して、
お客様に感じ取ってもらえることもあるはずですし、
私たちは、言葉以外のコミュニケーションの部分で、
『サザエさん』的なあたたかさを意識しているところがあるかもしれません」(裕子さん)
こうした宿泊客との距離感は、開業当初から確立されていたわけではなく、
試行錯誤を重ねながら、徐々に見出していったものだと剛さんは言う。
「当初は、せっかく鎌倉に来たならこう過ごしてほしいという
こちら側の考えが少なからずありましたが、
次第に楽しみ方は人それぞれだと思うようになりました」
一般的なホテルやゲストハウスに期待されるサービスとは一線を画し、
ゲスト各々の自主性や心地良い距離感を大切にする
hotel aiaoiのコミュニケーションは、徐々に共感者を増やしている。
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hotel aiaoiでは、ひと組あたりの宿泊人数を2名までに制限し、
学生や未成年者のみの宿泊をNGにするなど、
運営を続けていくなかで新たなルールが設けられてきた。
これらの制限は、ホテルの売り上げを下げることにもなりかねないが、
それ以上に大切にするべきものがふたりにはある。
「決断するときは迷ったり、何度も考えたりしますが、
ここが好きで泊まりに来てくれる方たちの時間を大切にしたい気持ちが強いんです。
おかげさまで最近では、お名前を見ただけで
お顔が浮かぶお客様も増えています」(裕子さん)
現在、hotel aiaoiのリピーターは、東京近郊の人たちが多いという。
日帰りできる場所にありながら、
あえてこの場所で時を過ごすことを選ぶ人たちがいることが、
彼らの判断が間違っていなかったことを示している。
hotel aiaoiでは、以前にこの連載で紹介した
鎌倉・大船で漢方薬局を営む杉本格朗さんの漢方茶や、
裕子さんのお父さんがつくったお米などを朝食で提供し、
器や寝間着などにも、鎌倉のつくり手のものが使われている。
その理由について、顔の見える人の手によるものを使って生活したほうが
安心感や心地良さがあるからだと答えるふたりは、
ホテルのあらゆるディテールを通して、
自分たちが大切にしたい暮らしを表現しているように見える。
「ホテルはあくまでも手段であって、ここでどんな表現をして、
何を感じ取ってもらえるかが大切だと思っています。
最近お客様から、『海を散歩していたら漁師さんに声をかけられてうれしかった』とか、
『人との距離が気持ちいいまちですね』と立て続けに言われたんです。
お客様が、ここに滞在した体験や、まちでの小さな出来事を通して、
自分のアンテナを育んでくれているような気がして、
うれしい気持ちになりました」(裕子さん)
鎌倉を訪れる人たちは多いが、このまちを「サザエさん」のようだと感じる人から、
観光地として楽しみ尽くす人まで、その受け取め方はさまざまだろう。
そして、hotel aiaoiのゲストたちが、このまちに「サザエさん」的な要素を
感じる機会が多いことは、決して偶然ではないはずだ。
小室夫妻が惹かれた鎌倉の豊かな日常や、
ふたりがこの地で育んできた美意識に共鳴する感性が、
静かだが確実に、この場所で醸成されている。
「自分たちが大切にしたいものと、鎌倉という地域の文化の相乗効果によって
aiaoiが生まれ、いまでは、それがブレのないものになっていると感じています。
宿としてはこれからも目が届く範囲でブラッシュアップを続け、
同時にワークショップなどを通して、
地元にもより貢献していきたいと考えています」(剛さん)
information
hotel aiaoi
住所:神奈川県鎌倉市長谷2-16-15 サイトウビル3階
TEL:0467-22-6789
定休日:不定休
営業時間(カフェラウンジ):18:00〜22:00(ホテル営業日に準ずる)
宿泊料金:1泊朝食付き12300円〜(税込・2名利用時1名あたり)
Web:http://aiaoi.net
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