古民家宿を夢見てUターン。
十日町〈茅屋や〉高橋美佐子さん

地域おこし協力隊から古民家宿の女将に

新潟県南部に位置するJR十日町駅から約30分。
のどかな田園風景を進み、道幅が徐々に細くなっていくその先に
数軒の民家が並ぶ三ツ山集落がある。
冬になると3メートルほどの雪が積もる豪雪地帯だ。

十日町市出身の高橋美佐子さんが
茅葺き屋根の農家民宿〈茅屋や〉を開業したのは2016年。
茅屋やでは雪国の山暮らしが体験できるほか、
狩猟免許を持つ高橋さんのジビエと里山料理を求めて食通が足を運ぶ。

のどかな田園風景のなかに佇む〈茅屋や〉。

のどかな田園風景のなかに佇む〈茅屋や〉。

周りにある畑で米や野菜を栽培。時季によっては宿泊者が農業体験もできる。刈った稲を干す、はぜ掛けの様子。

周りにある畑で米や野菜を栽培。時季によっては宿泊者が農業体験もできる。刈った稲を干す、はぜ掛けの様子。

十日町で生まれ育ち、高校卒業後に上京した高橋さん。
いまこうして宿泊業を営んでいるのは、東京の〈山の上ホテル〉や
食品卸しの会社で長く働いてきた経験を生かせると思ったから。

客室は1階と2階にひと部屋ずつの計2部屋。

客室は1階と2階にひと部屋ずつの計2部屋。

茅屋やの客室

開業の地として十日町を選んだのは、
離れて暮らす親の存在が気になるようになってきたのと、
ひっそりとした山の中の古民家暮らしに憧れていたためで、
地元に戻ることはごく自然なことだったと振り返る。

「東京にいた頃からとにかく古民家の宿を経営したくて、
働きながらインターネットを使ったり、帰省時に空き家情報をチェックしていました。
このまま東京にいても古民家の宿を開くのは難しいかもと思って
Uターンしようと思ったんですけど、仕事がないし、どうしようって。
そしたら地域おこし協力隊があると聞いてちょうどいいなと思ったんです」

囲炉裏で火起こしをする高橋さん。このあと高橋さんは夕食の準備でキッチンへ。辺りが暗くなっていくなか、火を見つめながら過ごす時間が心地いい。

囲炉裏で火起こしをする高橋さん。このあと高橋さんは夕食の準備でキッチンへ。辺りが暗くなっていくなか、火を見つめながら過ごす時間が心地いい。

東京を離れ、2013年から地域おこし協力隊として、
現在の茅屋やがある一帯を含む飛渡地区を担当した。

「協力隊の仕事をしつつもどうしても宿をやりたくて。
空き家探しを続けていたら、この家に住んでいたおばあちゃんが
家を離れようとしていることを知ったんです。こんなチャンスはもうないと思って、
『壊さないでください』とお願いして譲ってもらいました。

この辺りは冬になると3~4メートル雪が積もるので、
誰かが住んでいないと家が壊れちゃうんですよ。
壊れずに残っている空き家は、ここよりもずっと大きくて立派な家ばかりなので
どうしても高くなるし、ひとりじゃ手がまわりません。
ひとりでまかなえる広さで茅葺き屋根。この家に巡りあえてラッキーですよね」

茅屋やの囲炉裏

島のつくり手とまちの人をつなぐ
「Love Shodoshima
おいしい小豆島セット」

小豆島で暮らす私たちが、おいしい! と思うものを

季節は初夏を迎えています。
日に日に蒸し暑さを感じるようになり、畑作業も汗をかく日が増えました。
畑では、ズッキーニに続き、トマト、トウモロコシと夏の野菜が続々と登場! 
新型コロナウイルスの影響で、イベントや行事がことごとく中止になり、
季節を楽しむことが難しいなかで、野菜はいつもと変わらず季節を感じさせてくれます。

もうすぐ収穫のトウモロコシ! 夏だ〜。

もうすぐ収穫のトウモロコシ! 夏だ〜。

今年も豊作のコリンキー(生で食べられるかぼちゃ)。この鮮やかな黄色が夏を感じさせてくれる。

今年も豊作のコリンキー(生で食べられるかぼちゃ)。この鮮やかな黄色が夏を感じさせてくれる。

緊急事態宣言が解除されてどうなっていくのかなぁと様子を見ていましたが、
やっぱりそんなすぐに状態は変わらない。
とくに離島である小豆島まで遊びに来る人は急に増えるわけもなく、
宿泊施設も6月いっぱい休業のところも多いようです
(小豆島の宿泊施設や飲食店などの営業情報は、
小豆島観光協会のWebサイトをご覧ください)。

島でカフェやレストランなど飲食店を営む友人たちも
「まだまだお客さん少ないよー」とよく言っています。

島の飲食店のお客さんには、地元の人(島の人)と島の外からの人がいます。
その割合はお店によってさまざまですが、島の外からのお客さんがほぼいない状態では、
いままでと同じやり方だけだと厳しいかもしれません。

みんなそれを感じながら、テイクアウトできるようにしたり、
メニュー内容を変更したり、新たな商品をつくったり、がんばっています。
島の中においしいごはんを食べられる居心地のいい場があるって
とても大切だと思うので、なんとかそういう場があり続けてほしいなと、
島民のひとりとして思うわけです。

そんななかで、私たち〈HOMEMAKERS〉が企画したのが
「Love Shodoshima おいしい小豆島セット」をつくって
オンラインストアで販売すること。

「Love Shodoshima おいしい小豆島セット」は、私たちが普段から食べていて、
おいしい! と思う小豆島の食材の詰め合わせです。
4月末にオンラインストアのリニューアルと同じタイミングで販売スタートし、
友人や知人、ご縁のある方、それからいつもHOMEAKERSを応援してくださる方々が
注文してくれました。本当にありがたいです。

春の小豆島の写真とともに、小豆島のおいしい食材をお届け。

春の小豆島の写真とともに、小豆島のおいしい食材をお届け。

小豆島&豊島(てしま)で島の人たちので手でつくられてる食材たち。

小豆島&豊島(てしま)で島の人たちので手でつくられてる食材たち。

オンライン授業で
どこまで気持ちが込められる?
77の質問に手書きで答えて

自己紹介を紙芝居風にまとめる取り組み

札幌にある北星学園大学で、1年に1度、ゲスト講師を務めている。
今年が2年目。文学部の心理・応用コミュニケーション学科の3、4年生が対象で、
将来をいままさに考え中のみなさんに、自分の活動やこれまでの体験について話す
「総合講義」という枠だ。

わたしが話題にしようと思っていたのは「過疎で営む、小さな出版活動の可能性」。
自分がつくった本について話しをしようと思っていたところ、
新型コロナウイルスの感染が拡大していき、大学ではオンラインの授業形態が導入され、
講義の多くがZoomで行われることとなった。

開講日は5月19日。
オンラインでの授業が決まった段階で、わたしは昨年と同じように、
ただ話すだけでは、大事なものが伝わらないのではないかと思った。

2012年に北海道に移住してから、東京の仕事先とオンラインでつなぐことが多かった。
このとき事務的な伝達であればまったく問題ないのだが、
アイデアを考えるときには高揚感が少なく、
相手と共感し合う気持ちが薄いように感じていた。

そこで、自分のいままでの経歴については書面にまとめて
あらかじめ配布しようと考えた。
わたしは編集者なので、人前でしゃべるよりも、
本のようなかたちにして伝えるほうが得意(!)。
全編手書きで紙芝居風プロフィールをつくってみた。

加えてこの講義では、事前にゲストの活動について調べ
質問を考えるのも課題のひとつとなっていた。
学生のみなさんは紙芝居風のプロフィールとともに
コロカルの連載なども読んだうえで、さまざまな質問を寄せてくれた。

履修している学生はおよそ100名(!)。
ひとり2~3問の質問を考えてくれていて、読むだけでもかなりの時間を費やした。
わたしの仕事に興味を持ってくれた人が多く、
読み流してしまうにはもったいないと感じ、A4コピー用紙を4分割し、
ひとコマにひとつ答えを書いてみることにした。

最初は軽い気持ちで始めたが、1日やってもゴールにたどり着けず、
持っている鉛筆がどんどん短くなっていったが、
ついに全部に答えることはできなかった。

およそ200問くらいあったなかから77問に答えた。

およそ200問くらいあったなかから77問に答えた。

質問の内容に身につまされる想いがした。
「不安」「ストレス」などネガティブな言い回しがたくさんあったからだ。

「移住して戸惑いやストレスを感じましたか?」
「会社から独立するときに不安はありませんでしたか?」
「仕事をしていて、一番辛かったことは?」

外出自粛要請が続くなかで、アルバイトもできず友人にも会えず、
就職活動も思うように進められない。
仮に就職ができたとしても、経済に大打撃が起こっているなかで、
未来の展望が見出せない、そんな苦しさが質問からにじみ出ているように思えた。

これに対して、わたしはできるだけシンプルに正直に答えるようにしてみた。
講義の前日ギリギリにみなさんに答えを届け、
いよいよオンライン講座に挑むことになった。

「質問ありがとうございました!!」の手紙とともに、答えを送った。

「質問ありがとうございました!!」の手紙とともに、答えを送った。

オンラインで授業が行われるなかで、在宅ワークに関する質問も多かった。

オンラインで授業が行われるなかで、在宅ワークに関する質問も多かった。

空き空間を自由に彩る、
持ち運べるインテリア
〈プレイスメイキングキット〉

勝亦丸山建築計画 vol.4

静岡・東京の2拠点で、建築設計、自治体や大学との取り組み、
都内のシェアハウスの運営などの活動をする
〈勝亦丸山建築計画〉の勝亦優祐さんの連載です。

場づくりをサポートするプロダクトをつくりたい

イベント「商店街占拠」は毎年夏に3年連続で開催した。
立体駐車場でのイベント空間は、毎年つくり直していた。

イベントのために材料を集め、DIYでつくり、保管できるもの以外は捨てる。
材料として買うものは最小限にし、廃材や、もらいもので賄ってきたが、
それを運んだり、組み立てるのにも労力がかかった。
つくる過程はたくさんの楽しみや学びを与えてくれたが、
限りある時間や力をより重要な部分に注ぎたいとも思っていた。

「商店街占拠」の設営風景。

「商店街占拠」の設営風景。

また「富士市まちなか再起動計画」で、商店街のオーナーさんと話していると、
「いまのところ賃貸借契約をするつもりはなく、募集はしていないけど、
イベントなどの短い期間であれば使ってもいいよ」と言ってもらえることもあった。
契約や金銭が絡まないことは皆決断しやすいらしく、何よりこちらも頼みやすい。
そういった一時的な空間(機会)を「資源」として捉えてみると、
次の行動が見えてきた。

遊休空間(資源)がたくさん眠る商店街。

遊休空間(資源)がたくさん眠る商店街。

一般的に建築家は施主(クライアント)に依頼されて建築を設計する。
もし、建築家が自分のつくりたいものを設計して自分で使っていたら、
それでは商売ではない。
「やりたいからやる、やってから考える」という気持ちの良い精神は好きだが、
商売とは、自分が提供し明示する価値と他者が受け取る価値を一致させることだと思う。

5年前の2016年、まだ依頼していただく仕事も少なかった頃、
私と丸山裕貴で設計事務所として商売を成立させながら、
社会課題を提示、解決する活動の方法について話していた。
その後、園田聡さんとの出会いをきっかけに、
私たちは初めて自分たちのお金を投じてものをつくろうと決断することになる。

丸山裕貴と勝亦優祐

緊急事態宣言解除でどうする? 
これからの〈HOMEMAKERS〉
カフェのこと

2か月臨時休業のカフェ、再開はいつ?

私たち〈HOMEMAKERS〉は、毎週金曜日と土曜日の週2日、
自宅の一部をカフェとして開いています。
畑で収穫した野菜でつくるサラダ&カレーライス、季節の果物・野菜が主役のデザート。
私たちの大好きなコーヒーはもちろん、自家製シロップを使ったジンジャーエールや
柑橘ソーダなどのドリンクをご用意してます。

昨年のいまごろの〈HOMEMAKERS Farm & Cafe〉。自宅の一部をカフェとして開いています。

昨年のいまごろの〈HOMEMAKERS Farm & Cafe〉。自宅の一部をカフェとして開いています。

たくちゃん(夫)がつくるサラダたっぷりのHOMEMAKERSカレー。

たくちゃん(夫)がつくるサラダたっぷりのHOMEMAKERSカレー。

居心地のいい空間で、おいしいコーヒーが飲めて、
おいしいごはんが食べられて、いい時間を共に過ごせる。
そんな場所をつくりたいという思いで、2014年2月22日にオープン。
全16席の小さなカフェです。

毎年12月中旬から2月中旬までの2か月は冬季休業期間としてお休みしていますが、
それ以外は何か特別な理由がない限り、週2日営業し続けてきました。
気づけば6年以上、そうやって毎週金、土曜日はカフェを開いてきました。
それが私たちにとっての当たり前の日々でした。

縁側席からの景色。四季折々の風景を楽しめる。

縁側席からの景色。四季折々の風景を楽しめる。

その当たり前の日々が変わってしまったのが4月上旬。
新型コロナウイルス感染拡大の影響で、4月3日からカフェは臨時休業していて、
すでに約2か月経ちました。

カフェは休んでいますが、畑作業はいつもどおり忙しく、むしろいつもより忙しい。
というのもありがたいことに個人のお客様からの野菜や加工品のご注文が多く、
栽培する野菜の量を増やし、収穫・出荷作業も増えている状況です。

5月下旬に収穫できる野菜たち。旬野菜セットとしてダンボールに詰めて配送しています。

5月下旬に収穫できる野菜たち。旬野菜セットとしてダンボールに詰めて配送しています。

じゃがいもの花。6月に入ったら収穫予定。

じゃがいもの花。6月に入ったら収穫予定。

新型コロナで約2か月も休校。
家庭だけで、子どもを見ることに
限界を感じて

学校という存在の“ありがたさ”を痛感する日々

わたしが住む北海道岩見沢市では、5月12日から小中学校の分散登校が始まった。
週のうち数日、時間も短縮だが、それでも心からありがたいと思った。
わが家の子どもは3人。長男が小学4年生、長女が小学1年生、次女が2歳。

これまで息子が学校に通う様子を見て、
義務教育に関して疑問を投げかけるような発言もしてきたが、
いつも決まった時間に登校でき、子どもと真剣に接してくれる大人がいるおかげで、
わたしも夫も自分の仕事に集中する時間が得られ、
子どもたちも家庭とは違う世界を持てるということが、
家族によいバランスをもたらしてくれていたことを思い知らされた。

もちろん分散登校を手放しで喜べるわけではない。
新型コロナウイルスの感染拡大がいつ収束するのか見えないなかで、
子どもを学校へ通わせるのはリスクをともなう。

いまのところ市内の感染者はわずかであり、
子どもたちが通う学校は全校児童が40名にも満たないこと、
そして何より、そろそろ子どもを家だけで見続ける限界を感じ始めていたことから、
わたしは登校させることにした。

北海道も春本番。水はまだ冷たいが、子どもたちは水遊びが大好き。

北海道も春本番。水はまだ冷たいが、子どもたちは水遊びが大好き。

振り返ってみれば、北海道にはいち早く独自の緊急事態宣言が出され、
前触れもなく学校は休校。そこから春休みへと突入した。

最初、わが家は案外楽観的だった。
長男は、学校が休みになって宿題から解放されてうれしそうだった。

わが家の場合、夫の仕事は不定期。
休校中の子どもの世話は夫がメインでやるというのが、
ぼんやりとではあったが夫婦の了解事項となっていた。
わたしは、東京の出版社などから依頼された編集の仕事がたまっていたため、
昨年から借りている自宅から徒歩10分の仕事場に通って作業を続けた。

仕事場の裏にある山ではネコヤナギの花が開いていた。

仕事場の裏にある山ではネコヤナギの花が開いていた。

ただ、2週間ほどして、夫はお酒の量が増えていき、怒りっぽくなっていった。
また子どもたちも兄妹でずっといるとケンカが絶えず、仕事場から戻ってくると、
負のオーラのようなものが家に充満していることもあった。

もちろん、夫も子どもたちが楽しめるようにいろいろ工夫をした。
新しいおもちゃや子どもが楽しめそうな勉強ドリルを買ったり、
以前より回数は減らしているものの、ときには祖父母の家に連れて行って、
子どもたちに息抜きをさせたり。

しかし、育児は思い通りにならないことばかりだ。
よかれと思って遊びや勉強を提案しても、子どもがぜんぜんノってこないことも多く、
イライラがよけいに募る場合もある。
おまけに、この時期はコロナウイルスの情報が錯綜し、わからないことも多くて、
ニュースを聞くたびに気持ちが暗くなっていった。

仕事場に通っているとはいえ、夫が買い物をするときなどは、家で作業。パソコンを開きつつ、子どもを横目で見つつ。

仕事場に通っているとはいえ、夫が買い物をするときなどは、家で作業。パソコンを開きつつ、子どもを横目で見つつ。

負のオーラが家に吹き荒れるなか、4月初旬、学校が再開されることとなった。
長女は新1年生。入学式のために買ったワンピースに袖を通し、
大きなランドセルをカタカタ振るわせながら登校した。
マスク着用、お互いに距離を保つことなど、
子どもたちにとっては難しいことが多いなかではあるが、
それでも新しい世界が始まることに目を輝かせる姿は、本当に眩しかった。

北海道の桜は3日ほど花をつけたら、あっという間に散ってしまう。

北海道の桜は3日ほど花をつけたら、あっという間に散ってしまう。

学校がある日は、2歳の次女も保育所に行ってもらうことにした。
起伏がなく曜日の感覚も消えてしまうような日々に、適度な緊張感とリズムが生まれ、
当たり前の日常が戻ってきたことで、わが家は救われた。

一方で、都市部の感染者数が増えていき、
緊急事態宣言が出されるのではないかという話が持ち上がっていた頃だった。
東京に住んでいる友人たちは次第に深刻さが増していき、
「北海道は学校を再開して大丈夫なの?」と言われることも多くなった。

こんな言葉を投げかけられるたびに、心拍数が上がる想いがした。
確かに学校に通わせれば、子どもたちの感染リスクは高まる。
「心配であれば休ませてもよい」という教育委員会からの通達もあった。
自主休校という選択もあるわけで、
「自分がラクをしたいから子どもを学校に通わせているのではないか?」
という後ろめたい気持ちがつきまとった。

仕事をすべて夜にやれば、学校を休ませることもできるかもしれない。
フリーランスだから、仕事を断ることだってできるかもしれない。

そんなことを考えるたびに、悲しい気持ちに襲われた。

〈カンダマチノート〉
岐阜市の中心街にある
誰でも立ち寄れるシェアアトリエ

ミユキデザイン vol.4

岐阜を拠点に建築、まちづくり、シェアアトリエの運営などの活動をする
〈ミユキデザイン〉末永三樹さんによる連載です。

〈カンダマチノート〉のはじまり

新型コロナウイルスによって、まちを歩く人は少なく、
柳ヶ瀬の周りのお店も自粛モードです。
最近では「どう? できることがあったら言ってね」という会話を聞いたり、
事務所の大家さんが家賃を減免してくれたりと、
見えない恐怖に殺伐となり過ぎず、お互いが気遣い合えるコミュニティが
このまちにあることが、私たちの心に平和をもたらしています。

いろんな方面でシフト・チェンジが迫られていきますが、早めに考えて走り、
私たちが大切にしてきた人間同士のリアルなコミュニケーションを諦めず、
たくましく健やかに進んでいきたいです。

話は6年前にさかのぼり、私たちが新たなチャレンジとして不動産プロデュースし、
事業計画、リーシング、運営まで行ったビル
〈カンダマチノート〉についてご紹介します。

美殿町のシェアオフィス〈まちでつくるビル〉(以下、まちビル)が順調にスタートし、
2014年に新たなビル活用の相談が舞い込みました。
まちビルから徒歩5分の〈加藤石原ビル〉という築50年の雑居ビルで、
オーナーの加藤浩一さんは仕事も住まいも東京。
「ビルには高齢の母がひとり暮らしをしており、2階以上の空室を活用できないか?」
との依頼でした。

2階以上の空き物件の活用は本当に難しいのですが、まちビルの実績もあったし、
新たなチャレンジもしたかったので、ご依頼を受けることに。
ビル全体をブランディングして価値を創造し、一方で投資は小さくして
若い人たちが入りやすい環境を整えることを提案しました。

カンダマチノート2階before。

カンダマチノート2階before。

カンダマチノート4階住居before。

カンダマチノート4階住居before。

当時、岐阜周辺でのシェアオフィスはまだ珍しく、
メディアへの露出も多いまちビルにはふらりと立ち寄る人や見学者がありましたが、
オフィスのため、突然の来訪対応は難しく、訪れた人も居場所がないため、
オープンで誰でも気軽に入れる場所をつくってみたいと思っていました。

また、ちょうど〈サンデービルヂングマーケット〉(以下、サンビル)を立ち上げ、
柳ケ瀬商店街につくり手が毎月集まる状況ができ始めていた時期でした。

個人で活動する人が、まちへ出て、仕事や生活を豊かにする拠点を、
まちなかにもっと点在させたい。まちをおもしろく仕立てていくことが
エリアの価値につながる、という仮説を実現するため
「ものづくりをする人たちの作業場+販売」を中心にしたシェアアトリエ、
カンダマチノートの構想ができあがりました。

入居者募集フライヤー。この場所でそれぞれの新しい一ページを刻んでほしいとネーミング。ロゴは、レトロだけどポップで新しさを持つデザインを目指した。

入居者募集フライヤー。この場所でそれぞれの新しい一ページを刻んでほしいとネーミング。ロゴは、レトロだけどポップで新しさを持つデザインを目指した。

新型コロナのせいで
パンを焼くようになった?
家で料理を楽しむ!

家で楽しめることはたくさんある!

新型コロナウイルスの影響で自粛モードになってから2か月過ぎました。
田舎で暮らしていると、そもそも普段から人が少ないので、
海に行こうが山に行こうが人に会わなければ
別に問題ないんじゃないかと思うんですけど、
なんとなくのしかかる「自粛」という言葉。

島の友人のお店でテイクアウトしたランチを車の中で。

島の友人のお店でテイクアウトしたランチを車の中で。

港に車を停めて、海を眺めながら。

港に車を停めて、海を眺めながら。

心と体の健康のために、近くの海に散歩しに行くのは不要不急の外出? 
なんでもかんでもやめてしまうのはちょっと違う気がする。
国や行政から出ている要請の内容を確認したうえで、
自分たちがどうすべきかちゃんと考えていかないといけないなと思います。

中学生になって、まだ数日しか登校していない娘。

中学生になって、まだ数日しか登校していない娘。

さて、そんな自粛モードの中で「あー、遊びに行きたい! みんなで飲みたい!」
と思ったりするわけですが、いましばらく我慢。

じゃ、どうしようか、家で何しようかと考えるのですが、
最近、パンづくりが世界的に流行っているそうです。
パンをつくるのに必要なドライイーストや強力粉、
ベーキングパウダーなどは売り切れているところも多いそう。

ほんとにー? と思いつつ、いつも利用している
製菓材料のネット通販をみてみたら、たしかに! 
入荷待ちだったり購入できる数に制限がかかっていたり、
発送も注文が込み合っているため遅れるらしい。これはびっくり。

まぁ、でもわかる気がします。
うちでも休校中のいろは(娘)は、よく白玉団子や
「はったいあめ」(はったい粉に水あめを混ぜてつくるお菓子)をつくったりしてます。

iPadでレシピ見ながらおやつづくり。

iPadでレシピ見ながらおやつづくり。

家で焼いたパンに友人がつくったレモンカードをたっぷり塗って食べるのが最近の楽しみ。

家で焼いたパンに友人がつくったレモンカードをたっぷり塗って食べるのが最近の楽しみ。

直接会えない状況でも、
取材はできる? イラストレーター
坂本奈緒さんとの往復書簡

言葉と写真で独特のムードを出していたウェブ記事

全国に緊急事態宣言が出されてから、コロカルの執筆でも困ったことが起きている。
この連載では、自身の暮らしのことを書くほかに、
北海道でおもしろい活動をしている人々に取材をしてきたのだが、
直接、人に会うことが難しくなっていく状況のなかで、
どうやって記事をつくっていけばいいのだろうか? 

話を聞くだけならオンラインでもできるけれど、
相手の表情や会話のリズムなど微妙なニュアンスがなかなかつかみにくい。
ともに時間を過ごすなかで、ときおりハッと何かに気づく瞬間があって、
それが執筆の原動力となるのだが、オンラインにすると、
どうも気持ちの起伏が少なくなってしまうのだ。

しかも、ウェブの記事では写真も大切。
言葉の間に写真を組み込んでいくことで、記事に独特の“ムード”がつくり出されていく。

ということで、直接会わない取材というのは、かなり困難な状況と言えるのだが、
あるとき、わたしはこういうときだからこそ可能になる
おもしろい取材方法があるのではないかと考えるようになっていった。

例えば手紙のやりとりを重ねてみたらどうだろう?

同じ市内に住む友人である坂本奈緒さんと、
たわいもないメッセージをSNSでやりとりしていたときに、
ふとそう思ったところから、今回の記事づくりは始まった。
イラストレーターである奈緒さんとであれば、
写真に頼らない記事ができるかもしれない。
さっそくわたしは彼女にお手紙を書いたのだった。

お手紙取材。5つの質問を送ってみたら……

だいぶ長い前置きのあとに、奈緒さんにいまもっとも聞いてみたい質問を投げかけた。
奈緒さんには小学5年生になる息子さんがいて、
学校がお休みになっているなかで暮らしはどう変わったのか。
また、イベントなどが自粛となっているが、
イラストのお仕事も減っているのかなどについて質問した。

質問をしつつ、いまの自分の想いも書きつつ。
取材であれば、長々とした質問は絶対しないことにしているので
(自分は多くを語らない!)、いつもと勝手が違っているが、
少し絵も入れたりしつつ書き上げた。

そして……、奈緒さんに渡してみると(時間があまりなかったので、
今回はスキャンしてメール)、わずか1日でお返事が返ってきた。

埋もれた物件を掘り起こせ。
不動産情報からまちを編集する
「富士市まちなか再起動計画」

勝亦丸山建築計画 vol.3

静岡・東京の2拠点で、建築設計、自治体や大学との取り組み、
都内のシェアハウスの運営などの活動をする
〈勝亦丸山建築計画〉の勝亦優祐さんの連載です。

商店街エリアの不動産を流動化させる「富士市まちなか再起動計画」

vol.1では、立体駐車場を舞台に2013年から3年連続で行ったイベント
「商店街占拠」を紹介した。
吉原エリアでのスモールビジネスや人が集まる場、
公園や休憩スペースなどパブリックスペースの疑似体験を
まちの人々と共有することを目的としていた。

イベントで確信したのは「商店街で商いを起こす人々はいる」という単純なことだった。
2015年にはvol.2で取り上げた〈マルイチビル〉が完成し、
私も含めた商いをする人々のための空間が始動した。

「商店街占拠」と〈マルイチビル〉を経て、新たな課題が浮かび上がってきた。
それは、新しく事業を始めたい人に場を提供し、
中心市街地に人が集う新たな循環を生み出すためには、
不動産情報に出ていない、使われていない空間を掘り起こす必要があるということだ。

今回は、2016年に実施した不動産調査プロジェクト
「富士市まちなか再起動計画」について紹介したい。

そもそも、なぜ中心市街地への取り組みを始めたのか

富士市の吉原商店街。

富士市の吉原商店街。

吉原商店街はかつて、東海道の吉原宿という宿場町として栄え、
周辺が市街地化していくにつれ、まちの商業や産業、
人々の生活の中心であり続けてきた。

そして、ここ数十年の社会状況の変容(車社会化、コンビニやショッピングモール、
スーパーなど郊外への出店、インターネットショッピングなど)によって、
まちの中心という認識は薄れつつある。

私自身、Uターンして、いまあらためて富士市で生活をしてみても、
ここには“人が集い、お店の集積する雑多なエリア”の雰囲気を感じない。
車でロードサイドショップや職場、家をめぐるような生活では、
その移動中に新たな発見をしたり人と出会うことは少ないだろう。

そこで、現在の吉原商店街に残る、地理的な中心という合理性や、
数少ない公共交通のハブ機能、豊富な空き空間資源の要素を元手に、
このエリアの本来の役割を実現していきたいと考えたのだ。

地方の小さなお店が
通販で商売するということ

カフェや野菜の売り上げ激減で、残るは……?

新型コロナウイルスの影響で、観光業や飲食業など、
場を開き、人が訪れることで成り立っていた商売は大きな打撃を受けています。
その観光施設や飲食店に食材やお土産品などを卸していた問屋、
さらにその商品をつくっていた生産者まで影響はつながっていて、
どこも本当に大変な状況になっていると思います。

いままでどおりの仕事と収入がある人って
いったいどれくらいの割合なんだろうと考えてしまいます。

小豆島から眺める瀬戸内海。いつもどおりの美しい風景。

小豆島から眺める瀬戸内海。いつもどおりの美しい風景。

私たち〈HOMEMAKERS〉もまったく他人事ではありません。
4月の収入は昨年の同じ月と比べると半分以下になりそうです。
最近ニュースで報道されている「持続化給付金」のまさに対象……。

うちの収入は大きく分けると、

・野菜の売り上げ

・ジンジャーシロップなどの加工品の売り上げ

・カフェ(金・土のみ営業)の売り上げ

の3つで成り立っています。
比率としてはざっくりですが、野菜:加工品:カフェ=1:2:1。

このカフェの売り上げが4月はゼロ。
野菜と加工品は、個人のお客さんとお店(飲食店や小売店など)向けに
販売していますが、お店からの注文は4月は9割減くらいの感じです。

では何が残っているかというと、オンラインストアでの個人のお客さんからの注文です。
幸いなことにこのオンラインストアからの注文がいつもより増えていて、
それでなんとか売り上げゼロにならずに済んでいるという状況です。

〈HOMEMAKERS〉がつくっているシロップ。左から〈プレーンジンジャーシロップ〉、〈シトラスジンジャーシロップ〉、〈ハニーダイダイシロップ〉。

〈HOMEMAKERS〉がつくっているシロップ。左から〈プレーンジンジャーシロップ〉、〈シトラスジンジャーシロップ〉、〈ハニーダイダイシロップ〉。

4月中は送料無料でシロップなどをお届けしています。

4月中は送料無料でシロップなどをお届けしています。

いま、私の周りでは、小さな商売をしている知り合いの多くが、通販に注力しています。
新しくオンラインストアを立ち上げたり、普段販売していないものを売り始めたり。
いますぐに収入を得られる手段はネット販売しかないというのが事実で、
オンラインで収入を得ながら、1年先、2年先どうするかを
考えていかないといけないのですが。

最近は簡単に、しかも無料でオンラインストアをつくることができます。
商品写真もまずは伝えること重視であればスマホですぐに撮れます。
すでに売りたい商品さえあれば、ネット上にお店を開き、
商品の写真を並べることはそんなに難しくないかもしれません。

ただ難しいのは、立ち上げたオンラインストアの存在を広く知ってもらうこと。
普段からSNSで情報を発信していて、発信パワーが強く、
つながっている人たちがたくさんいればいいですが、
それこそごまんとあるネット通販ショップの中から
見つけてもらう、選んでもらうというのはとても難しいことです。

新型コロナで減った仕事、増えた仕事。
過疎地で続ける在宅ワークに
起こった変化とは?

ストップした美術展カタログ制作の仕事

新型コロナウイルスの感染拡大によって、わたしの仕事にも影響が出始めている。
いまメインとなっているのは、アート関連の本の制作で、
約8割が東京の出版社やイベント事業を行う会社からの依頼によるものだ。

わたしの仕事のスタイルは、月1回のペースで東京へ出向いて打ち合わせを行い、
北海道に持ち帰って編集作業を行うというもの。
こうした仕事のなかで、もっとも影響を受けているのは美術展のカタログ制作だ。

先月、今月と2冊手がけたものがあったが、美術展が延期となってしまったため、
刷り上がったカタログも1冊はウェブで図録のみ先行発売となり、
もう1冊は日の目を見ない状態が続いている。
今後の美術展開催も不透明になっており、収入の3分の1は減る可能性もある。

一方で、継続している仕事もある。
ひとつは連載関係。このコロカルの連載のほか、
毎月2本担当している原稿があって、それらは淡々と続いている。
また、刊行が1年以上先になる分厚いアート本も抱えているのだが、
こちらも止まらずに継続している(大変だけどありがたい!)。

4月から連載を始めたJR北海道の車内誌。特急列車などで配布されている。

4月から連載を始めたJR北海道の車内誌。特急列車などで配布されている。

さらに、現在の社会状況に思わず体が反応し、
仕事と言えるのかどうかはわからないが、新しい活動も広がりを見せている。
その活動とは、この連載でも書いた画家・MAYA MAXXさんとの
〈Luce〉プロジェクトだ。

このプロジェクトでは、わたしの住む美流渡(みると)地区にアトリエをつくり、
そこを拠点にさまざまな企画を展開していこうというもの。
来月にはアトリエの改修もほぼ見通しがたち、MAYAさんも来道予定だったのだが、
それもいまのところ難しそうな状況になってしまった。
直接会って、美流渡で何かをするという計画は立てにくいのだが、
それでもなおMAYAさんとさまざまな活動が生まれていっている。

現在、MAYAさんは東京の自宅で過ごし、ほとんど外出せずに絵を描き続けており、
毎日、制作の経過の写真をわたしに送ってくれている。
電話もちょくちょくしていて、新しい作品について話しているとき、
お互いにフッとアイデアが浮かんでくることがある。

空きビル活用〈ロイヤル40〉から
〈サロン・ド マルイチ〉、遊べる道路
「yanagase PARK LINE」まで。
柳ヶ瀬商店街でのチャレンジ

ミユキデザイン vol.3

岐阜を拠点に建築、まちづくり、シェアアトリエの運営などの活動をする
〈ミユキデザイン〉末永三樹さんによる連載。
前回ご紹介した月一の定期市〈サンデービルヂングマーケット〉に続き、
柳ヶ瀬商店街がテーマです。

まちづくり会社の設立をきっかけに、多方面へ展開されていく
柳ヶ瀬商店街の新たな動きとは。小さなチャレンジの集積が、
商店街全体と周辺に変化をもたらす、そのプロセスを紹介していきます。

SundayからEverydayへ。2017年にオープンしたロイヤルビル

柳ヶ瀬商店街で〈サンデービルヂングマーケット〉(以下、サンビル)を始めて3年。
実験的に活用した「ロイヤル劇場ビル」(詳細はvol.2)の空き区画を借り上げ、
投資し、リーシングするフェーズに入っていきました。

募集区画は1階6区画+2階5区画の全部で11区画。
入居者先付けで事業スキームを組み、路面は現状引き渡しで、
入居者が空間投資を行うことに。
路面に比べると集客しづらく使い勝手の悪かった2階に手を加え、
テナント候補にはサンビル出店者をイメージして、
創業しやすい小割でリーズナブルな家賃設定のシェアショップにリニューアルしました。

ビルの40周年にあたることから、〈ロイヤル40(ヨンマル)プロジェクト〉と名づけ、
SNSとフライヤーを使い入居者募集をかけました。
店はできるだけ長く続けてほしいし、
テナント同士が共同で販促などを行うことも視野に入れ、
入居希望者とは面談を行い、出店への思いを聞き、
私たちの取り組みやビジョンなどをお伝えしました。

その頃、いろんなタイミングが重なり、
アパレルブランド〈BLUEBLUE〉と接点を持つことになり、
商店街の雰囲気とフィルム映画を上映するレトロなロイヤル劇場ビルを気に入り、
1階の一番大きな区画に出店が決定。

その影響もあり、岐阜で人気の雑貨・洋服屋が
その2号店を路面出店することで2区画が決まり、
2階のシェアショップではイラストレーターやアーティストが
アトリエと兼ねてワークショップなどの体験サービスを提供するという業態で入居し、
ほぼ満室状態になりました。

入居者はサンビル出店がきっかけではなく、
サンビルを含め柳ヶ瀬の変化を外から見て興味を持った人たちが
「いまだ」とタイミングを感じて新規で集まってきたのは、興味深い結果でした。

入居者メンバーと学生が2階への入り口のシャッターの化粧直しをしていると、行き交う人から「お疲れ様」の声が。

入居者メンバーと学生が2階への入り口のシャッターの化粧直しをしていると、行き交う人から「お疲れ様」の声が。

2階のシェアショップでは、入居者同士のコミュニケーションを兼ねて、
DIYも取り入れて空間をつくり、グランドオープンしました。

今年で3年目に入り、入居者同士で商品開発をしたり、
共同でイベント開催したりするなど、
店主それぞれが持つコミュニティがときとして混ざり合い、
さまざまな人が出入りしているのがうれしいです。

1~2階にテナントが入り、グランドオープンしたロイヤル劇場ビル。

1~2階にテナントが入り、グランドオープンしたロイヤル劇場ビル。

また、卒業する人や2号店を展開する店など、環境に変化が現れています。
健全なビル運営を継続するには、入居者や場所に何が起こっているかを察知し、
コミュニケーションして入居者同士をつなぎ、ポジティブな空気をつくる、
そんなサブリーサーの役割も重要だと感じています。

シェアスタイルの〈ロイヤル40〉2階のリノベーション。共有の大きなワークテーブルを中心に、5つのブースが配置されるプランで、ダイナミックなスケルトンを生かしたデザイン。(撮影kazuhiro tsushima)

シェアスタイルの〈ロイヤル40〉2階のリノベーション。共有の大きなワークテーブルを中心に、5つのブースが配置されるプランで、ダイナミックなスケルトンを生かしたデザイン。(撮影kazuhiro tsushima)

路面の雑貨店は、スタッフが数か月の時間をかけDIYで店づくりを行っていた。

路面の雑貨店は、スタッフが数か月の時間をかけDIYで店づくりを行っていた。

小豆島に移住して得たもの。
自分たちの手で
食べるものをつくれるという強さ

カフェも臨時休業に。いま私たちがすべきこと

1か月前のこの「小豆島日記」(vol.243)で、
「新型コロナウイルスの影響がこんなにも大きくなるとはまったく想像してなかった」
と書いたのですが、いま、その影響はもっともっと大きくなっていて、
想像をはるかに超えてる。
まさか世界中に広がるなんて思ってもいなかったし、
こんなにもたくさんの人たちが亡くなるなんて想像もしていなかった。

そしていままさに日本でも新型コロナウイルスの感染が拡大していて、
緊急事態宣言が出されました。

いま(4月8日現在)の小豆島の状況としては、

・小豆島を含む香川県全体で報告されている感染者の数は3人。

・公立の小中高校は新学期からいったん授業再開したものの、

4月13日から2週間再び休校に。

・島へのフェリーは通常通り運航。

・島内のホテルや旅館の宿泊客は大幅に減少。

・ホテルや観光施設、カフェ、レストラン、お土産屋さんなど営業自粛するところも。

・スーパーや薬局でマスクはずっと売り切れ状態。

観光地としての小豆島はとても大きな影響を受けていて、
ホテルや旅館などが今後どうなるのか心配になります。
飲食店を経営する友人たちもどういうかたちで営業するのか、
収入が途絶えないようにするのか悩んでいます。
小豆島はまだ感染された方はいませんが、ほかの地域と同じように深刻な状況です。

いつもと変わらない風景。この時期に白いきれいな花を咲かせる木とわが家。

いつもと変わらない風景。この時期に白いきれいな花を咲かせる木とわが家。

定植したばかりのとうもろこし。夏が楽しみだ。

定植したばかりのとうもろこし。夏が楽しみだ。

私たち〈HOMEMAKERS〉もこの状況のなかでどうすべきなのか
いろいろと考えました。
通常時であれば、ほぼ毎日農作業をしていて、金・土曜日はカフェを営業しています。
週3~4日、農作業や野菜の出荷作業、
カフェ営業のためにスタッフ4~7名が出勤します。

育苗ハウスでは、これから植える夏野菜の苗たちが元気。

育苗ハウスでは、これから植える夏野菜の苗たちが元気。

葉の形が特徴的なカナリーノレタス! 畑では収穫を待ってる野菜がたくさんあります。

葉の形が特徴的なカナリーノレタス! 畑では収穫を待ってる野菜がたくさんあります。

4月に入ってからカフェは臨時休業することにしました。
自分たちが感染しない、広げないために。
この先4月いっぱいカフェはお休みする予定です。

〈HOMEMAKERS Farm & Cafe〉には、島の外から来てくださる方も
たくさんいますし、近所の方々もよく来てくださいます。
古家を改修した狭いカフェで、さらにコミュニケーションも比較的濃厚なので、
ここでいろいろな人が出会うことで感染を広げてしまわないようにという思いです。

〈HOMEMAKERS Farm & Cafe〉は4月中は臨時休業予定。

〈HOMEMAKERS Farm & Cafe〉は4月中は臨時休業予定。

日々の迷いや不安を共有できる仲間。
美流渡に移住した陶芸家、
こむろしずかさんのこと

子どもと遊んでくれるのが、いま何よりありがたい!

新型コロナウイルス感染拡大を受け、
北海道では2月末から休校が続き、そのまま春休みへと突入した。

わが家は子どもが3人。みんなずっと家とその周辺で遊ぶ状態が続いている。
これまではリビングで仕事をしていたので、
もし子どもが家にいたら仕事は絶対にできなかったと思うが、
幸いなことに、最近、近所に仕事場を借りることができ、
日中は夫が子どもたちを見てくれているおかげでなんとか仕事が続けられている。

家の周りはほとんど空き地。夫が子どもたちと遊ぶためにつくった巨大なかまくらは、雪解けとともについに形がなくなった。

家の周りはほとんど空き地。夫が子どもたちと遊ぶためにつくった巨大なかまくらは、雪解けとともについに形がなくなった。

ときどき子どもたちは散歩ついでに私の仕事場にやってくる。
3人一度に乱入(!)してくると、机や棚に置いてあったものは
すべてグチャグチャになり、数秒ごとに話しかけられ仕事はストップ。
締め切りが迫っている日は、こちらもイライラしてしまうのだが、
そんな空気を察知すると、子どもたちはサッとある場所へと出かけていく。

そのある場所とは、私の借りた仕事場のお隣にある
陶芸家こむろしずかさんのアトリエだ。
こむろさんは、昨年夏に南幌町から私たちが暮らす美流渡(みると)地区に
移住したばかりだが、昔からの知り合いのように仲良くさせてもらっている。

こむろしずかさん

とくに、子どもたちは彼女のことを「しずちゃん」と呼んで慕っていて、
部屋に上がり込んで、お菓子を食べたり、テレビや動画を見たりしながら、
好き勝手に過ごしている。何時間経っても帰ってこないときは、
さすがに制作のジャマになるんじゃないかと心配して私が迎えに行くと……。

「私が子どもの面倒見てるから、仕事してていいよー」とサラリと言ってくれる。

これは、心底ありがたい!!!!
新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を受けて、
ご近所のみなさんとのつき合い方にも変化が起こっているのでなおさらだ。

普段よく行き来をしていた、同じ年代の子がいる家庭を訪ねることは
ほとんどなくなった。
いまわが子に「○○ちゃんの家に遊びに行きたい~!」と言われても判断に迷う。
感染リスクのある行動をとって「もし、何かあったら……」と考えると、
こちらから進んで遊んでほしいとお願いするのは気が引けてしまう。

こむろさんに教わって子どもたちがつくった陶器。

こむろさんに教わって子どもたちがつくった陶器。

こむろさんの場合は、休校が決まった日に
「毎日、大変でしょ。子どもと遊ぼうか?」とすぐにメッセージをくれた。
自分からヘルプを言い出しにくい状況のなかで、
この言葉にどれほど救われたかわからない。
しかも、私の仕事のハードさをよくわかってくれて、
なるべく作業時間がとれるようにと気遣ってくれたこともうれしかった。

陶芸家こむろしずかさんの作品。カップ

〈岡崎カメラ〉、写真家浅田政志さんと
「家族と地域の写真」を考える

憧れの写真家と考える、「地域を元気にする写真」

2018年より始まった、私の生まれ育ったまち岡崎での
ローカルフォトプロジェクト〈岡崎カメラ〉。
岡崎で暮らす人たちがカメラを持ってまちをめぐり、
まちの人と話をして、交流を深めながら、
写真を通じて岡崎の魅力を再発見・発信するローカルフォト活動で、
私は写真家のMOTOKOさんと一緒に講師として関わらせていただいています。

2月末に開催された〈岡崎カメラ〉の作品発表会&トークライブ。

2月末に開催された〈岡崎カメラ〉の作品発表会&トークライブ。

2018年秋から始まり1年半、岡崎のまちを歩き、いろんな人に出会い、いままでなかった岡崎の写真が少しずつ増えてきました。

2018年秋から始まり1年半、岡崎のまちを歩き、いろんな人に出会い、いままでなかった岡崎の写真が少しずつ増えてきました。

岡崎カメラの講師を一緒にしている写真家のMOTOKOさん。いま、全国でローカルフォト活動をされています。

岡崎カメラの講師を一緒にしている写真家のMOTOKOさん。いま、全国でローカルフォト活動をされています。

先日、2年にわたる活動を経て、
岡崎カメラのみなさんが撮影・セレクトした岡崎の写真の発表会と
「地域を元気にする写真」の可能性について考えるトークイベントがありました。
スペシャルゲストは、なんと写真家の浅田政志さん!

岡崎カメラのみなさん。自分が撮影した写真から1枚を選んで展示。

岡崎カメラのみなさん。自分が撮影した写真から1枚を選んで展示。

伝えたいことは何か、トリミングの仕方など参加者の写真を1枚ずつ講評。

伝えたいことは何か、トリミングの仕方など参加者の写真を1枚ずつ講評。

高校生、大学生、子育て中のお母さん! いろんな人たちが一緒に活動。

高校生、大学生、子育て中のお母さん! いろんな人たちが一緒に活動。

廃墟ビルをリノベーション。
家賃収入を生み、商店街の新しい拠点
〈マルイチビル〉へ

勝亦丸山建築計画 vol.2

静岡・東京の2拠点で、建築設計、自治体や大学との取り組み、
都内のシェアハウスの運営などの活動をする
〈勝亦丸山建築計画〉の勝亦優祐さんの連載です。

vol.1でお送りした静岡県富士市でのイベント「商店街占拠」に続き、
同じく富士市の中心市街地の吉原商店街にあるビルの改修プロジェクトをお送りします。

富士市の中心市街地の吉原商店街

まちの真ん中に取り残されたコンクリートの建物群

静岡県富士市の吉原商店街には、約700メートルにわたり一直線に
コンクリートの4階建てほどの建物が並んでいる。
火事が起きやすい中心市街地の不燃化のため、
約50年前に国が建て替え整備を後押しした時期に、一気に建て替えが行われた。
歩道上には、商店街組合によって設置、維持されているアーケードがあり、
雨の日には重宝する。

東海道の14番目の宿場町「吉原宿」として栄えたまちで、
木造の古い建物や蔵はコンクリートの建物の後ろに
曳家(建築物をそのままの状態で移動する建築工法)されたので、
通りからは見えなくなっている。
車で移動している地元の人は知らない人も多いだろう。

後ろに控えている木造の建物も気になるが、
私は経年変化したコンクリートという素材の風合いがなんとも好きだ。
もちろん耐震などの安全性や現代の建築基準法に合わせた
改修の必要性などの課題はある。

まちで一番ヤバいビルが立ち上がる

マルイチビル改修前

吉原商店街の立体駐車場で行ったイベント「商店街占拠」の1回目が終わった頃、
立体駐車場のオーナー佐野荘一さんと商店街のビルを見て回っていた。
商店街の表通りに面する築50年ほどの
4階建て(改修前は屋上の倉庫部分を含めると5階建て、
今回の工事で5階部分は減築し、4階建てになった)の廃墟ビル
〈マルイチビル〉は、商店街にある建物の中でも最もひどい状態だった。

中はカビだらけで、窓は割れ、サッシはサビ落ち、
落下の危険性もあるため針金でグルグル巻きの状態。
増築されたであろう屋上の倉庫には「助けて……」と言わんばかりに
傷んだダルマが顔を覗かせていた。

1階の元飲食店。

1階の元飲食店。

1階の元割烹旅館。

1階の元割烹旅館。

「マルイチビル、どう思う?」と佐野さん。
壊れた天井のスキマからは、型枠の木の模様が転写されているコンクリートが見える。
そんな素材としてのコンクリートに魅力を感じて、
「僕は好きです。コンクリートがかっこいいし、
一番ヤバいところから手をつけるのはいいっすね」と回答した。
「よし、やるか」と佐野さんの決意を皮切りに、このプロジェクトは立ち上がった。

新型コロナで揺れる気持ちを
抱えながら始まった
画家・MAYA MAXXとのプロジェクト

雪解けとともに美流渡(みると)での新しいプロジェクトが生まれて

心が落ち着かない日々が続いている。
朝、目が覚めると重苦しい気持ちが残ったままだ。
新型コロナウイルスの感染拡大が世界各地に広がっており、
暮らしに影響が出始めていることが原因なのだろうか。

3人の子どもたちは休校や休園で家にいて、友だちと気軽に遊んだりできないからか、
兄妹喧嘩も頻繁に起こるようになっている。
また、日中子どもの面倒をみるのは夫の役目となっているが、
ずっと子どもにつきあっていて、やりたい作業ができないことに
ストレスを感じているようだ。

わたしの仕事にも影響はあり、札幌で行う予定だった取材をリスケしたり、
地元で計画していたイベントを延期したり。

出口の見えないトンネルの中にいるような日々ではあるが、
こんな状況だからこそ、この春から新しく始めたプロジェクトが、
よけいに熱を帯びているといえるのかもしれない。

北海道も雪解け。気温が氷点下を下回らなくなると日差しは本当に暖かく感じられる。

北海道も雪解け。気温が氷点下を下回らなくなると日差しは本当に暖かく感じられる。

雪解けとともにスタートさせたプロジェクトは、
〈Luce(ルーチェ)〉。イタリア語で光。
画家・MAYA MAXXさんが、わたしの住む美流渡地区にアトリエを開き、
そこを拠点に数々の活動を展開していこうとする試みだ。

東日本大震災が起こってちょうど9年となる3月11日に、
MAYA MAXX_LuceというFacebookのサイトを立ち上げ、
そこでわたしはこんな言葉を書いた。

東日本大震災から数えて、10年目を迎えます。
今日から、わたしたちはMAYA MAXXのLuceプロジェクトを始めます。

このプロジェクトは、MAYA MAXXの制作の本拠地を
北海道岩見沢市の山あいにある美流渡地区に設け、
地域のみなさんの協力のもと、大きなスケールの作品を制作していく取り組みです。

合い言葉は「本当のことだけを」。

わたしたちは地震や津波、台風や豪雨、川の氾濫、そしてウィルスの感染拡大など、日々、多くの困難に直面しています。
しかし、こうした危機的状況は、普段の暮らしでは見えてこなかった
本当のことに気づくチャンスでもあるはずです。

いまこそ「本当のことだけを」行っていくときなのでは?
抽象的で曖昧な言葉かもしれませんが、Luceプロジェクトは、
この合い言葉を胸に活動を行っていきます。

どうか、今後の展開を見守ってくださったら幸いです。

1993年にMAYA MAXXという名前で活動を始めて27年。「いま、どんどん絵が描ける時期がきている」と語る。

1993年にMAYA MAXXという名前で活動を始めて27年。「いま、どんどん絵が描ける時期がきている」と語る。

プロジェクトの始まりは、突然だった。

MAYAさんと出会ったのは20年前。
当時わたしが編集長を務めていた雑誌の表紙絵を
MAYAさんに依頼したことが始まりだった。

以来、わたしの人生の節目をいつも見守ってくれていた。
2008年からは制作の拠点を東京から京都へと移したこともあり、
年に1度会うくらいだったが、MAYAさんが昨年東京に戻ってからは、
会って話をする機会も増えた。

このプロジェクトのきっかけは昨年11月のこと。
わたしが出張で東京を訪ね、MAYAさんと何気ない会話をしていたときだった。
「いままで制作した作品の記録をポートフォリオにまとめたい」
とMAYAさんが語ったときに、
「それなら手伝いましょうか?」とわたしが答えたことがスタートとなった。

これまでも仕事をともにすることはあったけれど、
それは一時的なものがほとんどだった。
けれどこれから同じ目的を持って仕事に向かえば、
いままでできなかったことが実現するのではないかという気持ちが急に高まった。

MAYAさんにいまもっとも必要なのは広い制作スペース。
東京のアトリエは、大作を描くには十分なスペースとはいえなかったため、
美流渡に拠点をつくって100メートル規模の絵も制作できるような環境を整える。
そして、描いた絵を世界中の人々と分かち合えるような機会を持つこと。
不思議なことだが、こうしたビジョンがはっきり見えたような感じがした。

鎌倉のバリスタ・望月光さんが
〈Bring me Shonan〉で
実現したい未来とは?

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

〈Bring me Shonan〉の代表・望月光さんが働く〈ヴァーヴコーヒーロースターズ〉鎌倉雪ノ下店は、鎌倉駅から鶴岡八幡宮に延びる若宮大路沿いにある。

〈Bring me Shonan〉の代表・望月光さんが働く〈ヴァーヴコーヒーロースターズ〉鎌倉雪ノ下店は、鎌倉駅から鶴岡八幡宮に延びる若宮大路沿いにある。

店舗の垣根を超えたローカルアクション

海洋プラスチックごみが世界的な問題になっているさなかの2018年夏、
鎌倉・由比ガ浜海岸にシロナガスクジラの赤ちゃんが打ち上げられ、
胃の中からプラスチックごみが発見された。

この出来事に象徴されるように、海を臨む鎌倉のまちに根ざす人たちにとって、
プラスチックごみをはじめとする環境問題は目に見える危機であり、
これらに対して行動を起こしている人たちも少なくない。

今回の主人公である、〈ヴァーヴコーヒーロースターズ〉鎌倉雪ノ下店の
望月光さんが始めた〈Bring me Shonan〉も、まさにそうしたアクションのひとつだ。

Bring me Shonanの代表で、ヴァーヴコーヒーロースターズ鎌倉雪ノ下店のトレイナーとして働く望月さん。

Bring me Shonanの代表で、ヴァーヴコーヒーロースターズ鎌倉雪ノ下店のトレイナーとして働く望月さん。

Bring me Shonanは、そのプロジェクト名のとおり、
鎌倉・湘南界隈のカフェやコーヒースタンドに
マイタンブラー、マイボトルを持参することを推奨し、ゴミの削減につなげる運動だ。

このような取り組みはこれまでもさまざまな店舗で行われていたが、
Bring me Shonanがユニークなのは、
ローカルに根ざした小規模なコーヒースタンドから、
各地に店舗を展開するグローバルチェーン店までが参加する
地域ぐるみの活動となっている点だろう。

コーヒー屋を生業とする人たちが抱える問題意識を
店舗の垣根を超えてつないでいくことで、各店、各人の小さな取り組みを
大きなムーブメントに広げているBring me Shonanの運動は、
鎌倉・湘南エリアから発信されるメッセージとして、いまや全国へと広がりつつある。

鎌倉の隣、藤沢市辻堂で生まれ育ち、
カナダのバンクーバー島、沖縄の西表島などでの経験を生かし、
このプロジェクトを立ち上げた望月さんを訪ねるべく、鎌倉・若宮大路沿いに位置する
ヴァーヴコーヒーロースターズ鎌倉雪ノ下店に足を運んだ。

ヴァーヴコーヒーロースターズは、カリフォルニア・サンタクルーズ発のコーヒーショップとして2016年に日本に上陸し、新宿や六本木、さらに北鎌倉にも店舗を構えている。

ヴァーヴコーヒーロースターズは、カリフォルニア・サンタクルーズ発のコーヒーショップとして2016年に日本に上陸し、新宿や六本木、さらに北鎌倉にも店舗を構えている。

いつもの卒業式が
できなかったみなさんへ。
MAYA MAXXの小さな絵本を届けたい

突然の休校、落ち着かない毎日

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、
北海道では全国より早く学校や幼稚園がお休みになった。
3年生の長男と幼稚園に通う長女が突然家にいることとなり、
保育所では子どもの受け入れはしていたものの、
大事をとって次女もお休みさせることにした。

考えてみれば、休日でも習い事などがあり、子どもが出かけていることも多く、
家族全員が家で長時間過ごすという状態は案外少なかった。
私は編集の仕事の締め切りが迫っていたので、
基本的には夫が子どもたちをみてくれたのだが、
仕事にあてられる時間は思うようにとれなくなった。

家の前の雪山で遊ぶ子どもたち。休校になったけれど、一歩外に出れば、どこでも駆け回れるのはありがたい。

家の前の雪山で遊ぶ子どもたち。休校になったけれど、一歩外に出れば、どこでも駆け回れるのはありがたい。

少ない時間のなかでなんとか仕事をこなさなければと気は焦るが、
まるではかどらなかった。
世界各地に感染が広がり、マスクやトイレットペーパーが品薄になり、
イベントなどの多くは中止や延期。
さらには北海道に2月28日からの3週間、道知事によって「緊急事態宣言」が出され、
とくに29日からの土日は外出を控えるよう呼びかけられた。

次々と変化する状況のなかで、
出口の見えないトンネルの中にいるような感覚がわき上がった。
これは、東日本大震災が起こった直後の感覚ととてもよく似ていた。

あのとき私は、心がザラザラとして胸が詰まるような無力感に襲われた。
揺れ、津波、そして原発事故。多くの人が亡くなり、生活に困る人が出るなかで、
自分は何もできず、ただただニュースを見るばかりだった。

無力ではあったが、震災から2か月ほどして落ち着きを取り戻し、
「できることを、できるかぎりやろう」と、小さな本をつくったことも思い出した。

この本は、当時、福島第一原発の事故がなかなか収束せず
放射能汚染に関する情報が入り交じるなかで、
自分なりにわかりやすく絵と文とでそれを解説したものだ。
タイトルは『放射能と向き合う本』。小さな冊子で150円で配布。
SNSに情報をアップしたところ、多くの反響があり、
1000冊ほどがみなさんの手に渡っていった。

あのとき「自分ができることは本づくりしかない。
それを生かすことが、難しい局面に向き合う一歩なのでは?」
と強く実感したことを覚えている。

2011年5月『放射能と向き合う本』という小さな冊子をつくり、その後『3つのお願い』という絵本も出した。

2011年5月『放射能と向き合う本』という小さな冊子をつくり、その後『3つのお願い』という絵本も出した。

柳ヶ瀬商店街を次世代へつなぐ
〈サンデービルヂングマーケット〉
ができるまで

ミユキデザイン vol.2

岐阜を拠点に建築、まちづくり、シェアアトリエの運営などの活動をする
ミユキデザイン・末永三樹さんによる連載です。

柳ヶ瀬が「まち」であり続けるために

岐阜屈指の繁華街「柳ヶ瀬商店街」を知っていますか。
古いビルや昔ながらの店が残るレトロな味わい深いまちです。
岐阜県出身の私にとって、子どもの頃に
「まちに行く(=デパートがある)」といえば柳ヶ瀬で、
大人になってからはスナックやクラブ、小料理屋などに行き、
背伸びをしたのも柳ヶ瀬でした。

しかし、近年では高齢化による来街者の減少や空きテナントが目立ち、
「柳ヶ瀬商店街がにぎわっていた」という肌感覚を持つのは
30代後半以上ぐらいの世代でしょうか。

私にとって、人や情報が集まり、そこに行けば何かに出会える
期待感を持っている場所が「まち」です。
美殿町(vol.1参照)に拠点を持ってから、柳ヶ瀬が「まち」であり続けるには、
いま何かをしなければ手遅れになるんじゃないかという
漠然とした危機感を感じるようになり、自分と未来のために、
仕事としてまちに関わることができないかと考え始めました。

〈ミユキデザイン〉が活動する美殿町商店街と柳ヶ瀬商店街は隣接していて、徒歩1分の距離。(photo:kazuhiro tsushima)

〈ミユキデザイン〉が活動する美殿町商店街と柳ヶ瀬商店街は隣接していて、徒歩1分の距離。(photo:kazuhiro tsushima)

いまは、そんな柳ヶ瀬商店街で、2014年から仲間たちと
月一の定期市〈サンデービルヂングマーケット〉を行っています。
約160店の手づくり・手仕事が集まる東海圏で屈指のマーケットです。

そこに至るまで、イベント「ギフレク」「ハロー!やながせ」と、
いろいろな取り組みを試行錯誤してきました。2017年からは、その仲間たちと
〈柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社〉(以下まち会社)を設立し、
柳ヶ瀬の遊休不動産や公共空間の利活用に取り組んでいます。

今回から2回にに分けて、柳ケ瀬商店街でのチャレンジや
そこから生まれた変化について紹介していければと思います。

イベント「ギフレク」への参加。岐阜のおもしろい人たちとの出会い

ミユキデザインを設立する前、私たちは「ギフレク(Gifu Re-creation)」という、
創造力で岐阜をもっともっと楽しくしていくイベントをやっていました。

会社員として日々設計にどっぶりと浸かり、外の世界に出ていく機会が少ないなか、
イベントを企画した岐阜市在住のデザイナー〈DesignWater〉の
鷲見栄児さんに声をかけてもらい、空間チームとして参加すると、
カメラマンやデザイナー、Webクリエーターなど
世代の近いクリエーターたちが集まっていて、
岐阜にはこんなおもしろい人たちがいるんだ! と衝撃を受けました。

夜な夜な企画会議をやったり、休日はみんなで会場什器の工作をしたり、
イベント当日も含めエネルギーに溢れた毎日で、
自分でおもしろいことをやっていかないとだめだ、と痛感しました。
ここでの出会いは、その後も続き、いろんなタイミングで私たちの活動を支えています。

岐阜をもっと楽しくしていくイベント「ギフレク」。岐阜駅前の広場を活用。

岐阜をもっと楽しくしていくイベント「ギフレク」。岐阜駅前の広場を活用。

ギフレクの企画のひとつが、ジュラシックアーケードです。
「高齢者ばかりの柳ヶ瀬商店街に子どもたちが集まったら
めちゃくちゃおもしろくない?」という発想から始まりました。

実際、リアルな恐竜ロボットがあちこちに出没し、
子どもが大興奮して商店街を駆け回ります。
現在は、商店街が自主事業として運営を引き継ぎ、恒例行事になっています。

当時、考えられないほどの子どもたちが押し寄せる状況に感激し、
お礼だと言ってイベントのノベルティを大人買したのが、
いまは一緒に活動している商店街の岡田さや加さんです。

ジュラシックアーケード。

ジュラシックアーケード。

空白になっていくカレンダー、
中止になってしまった伝統行事

急に時間ができてしまったら……?

新型コロナウイルスの影響がこんなにも大きくなるとはまったく想像してなかった。
ここ小豆島でも子どもの学校は3月3日から本当に臨時休校になってしまったし、
予定していたイベントも次々中止。
離島の小さなまちの小学校まで休みになるなんて思いもしなかった……。
予定で埋まっていたカレンダーがどんどん空白になっていく。

突然やってきた小学校最後の日。ランドセルを背負う姿も見納め。

突然やってきた小学校最後の日。ランドセルを背負う姿も見納め。

私たち〈HOMEAKERS〉は、毎年12月下旬〜2月中旬までを
冬季休業期間としてカフェの営業をお休みしています。
2月上旬になると営業再開に向けて、少しずつ忙しくなっていきます。
屋根裏や梁の上など普段掃除できないところを掃除したり、
食器を入れ替えたり、床を塗り直したり。

カフェは2月21日から営業再開し、翌日2月22日にはめでたく6周年を迎えました。
ここからまた次の冬が来るまで毎週金、土曜とカフェを開きます。

カフェはいつもどおり営業してます。毎週金、土曜日オープン。

カフェはいつもどおり営業してます。毎週金、土曜日オープン。

〈HOMEAKERS〉のカレーライス。野菜たっぷり。食べに来てね。

〈HOMEAKERS〉のカレーライス。野菜たっぷり。食べに来てね。

そしてそのタイミングと同じくして、私たちが暮らす小豆島肥土山(ひとやま)で
江戸時代から続いている伝統行事「肥土山農村歌舞伎」の練習が始まります。
毎年5月3日に開催されるのですが、3か月前のこの頃に演目が決まり、
役者が決まり、台本が配られ、今年もまた歌舞伎が始まるなぁと感じます。

穏やかだった冬の期間が終わり、
「あー、今年もまた忙しくなるなぁ」となるのが2月下旬。
そして4月に入ると生姜の植えつけ作業もあり、
農村歌舞伎も本番間近となり、毎晩のように家で練習したり、
週末はリハーサルがあったり、うちが1年で一番忙しい時期になります。
なんとか歌舞伎が終わるまで乗り切ろうと日々せわしなく過ごします。

それが今年は一転。
なんと肥土山農村歌舞伎の上演が中止になってしまいました。
5月の行事だし、まさか中止になるとは思ってもみなかったのでとても驚きました。
これから先どうなるかまだ予想ができないし、学校が休校になってしまった以上、
子どもたちが集まって練習するのは難しい。

今年もいろは(娘)とたくちゃん(夫)は役者として参加することになっていて、
配役も決まり、すでに練習は始まっていました。

今年は乳母役の予定だったいろは。見たかったなぁ。

今年は乳母役の予定だったいろは。見たかったなぁ。

それが突然なくなってしまった。
やることが当たり前だと思っていたことが次々となくなっていく。
行かないといけないと思っていた学校が休みになり、
何百年も続いている伝統行事が開催中止になる。
予定がぎゅうぎゅうだったカレンダーが少しずつ空白になっていく。
さてどうしようか。

商店街を占拠せよ!
立体駐車場を小さなビレッジへ。
アマチュア建築家による「商店街占拠」

勝亦丸山建築計画 vol.1

はじめまして。〈勝亦丸山建築計画〉の勝亦優祐と申します。
建築家の丸山裕貴とふたりで、静岡、東京を拠点に活動する設計事務所です。
私は2拠点居住をしながらさまざまなプロジェクトに関わらせていただいています。
本連載では、静岡での建築設計活動、自治体や大学との取り組み、
事業主として設計から運営を行う都内のシェアハウスなど、
さまざまなテーマについて、横断的な視点で考えていきたいと思います。

初回となる今回は、活動の原点となった
静岡県富士市でのイベントについてご紹介します。

〈勝亦丸山建築計画〉の勝亦優祐(左)と丸山裕貴(右)。

〈勝亦丸山建築計画〉の勝亦優祐(左)と丸山裕貴(右)。

富士山のふもと、静岡県富士市

東京駅から新幹線で1時間、新富士駅で下車すると巨大な富士山に驚くだろう。
ここ富士市は南は駿河湾、北は富士山を望み、
海から富士山頂へなだらかに登っていくような地形が特徴だ。

富士山は季節ごとに美しい風景を見せてくれるが、
雲や空や日の状態で数分ごとに違う表情が現れる。
生活するなかでドラマチックな瞬間を見つけると、
地元の人ですらついついスマホを構えてしまうほど。

市の人口は約24.5万人、人口は緩やかに減少し、世帯数は増加している。
私はこの富士のまちに育った。

東京・富士地図

渋谷の超高層ビルの建築プロジェクトを経て

市内の高校を卒業後、東京の大学の建築学科に進学し、
2012年に大学院を出て、大手組織設計事務所で働いた。
渋谷の超高層ビルの設計チームで毎日3Dモデルや模型で検討を重ねる日々。
200メートル近い高さの巨大な建築は、渋谷のまちに何をもたらすのか、
どのようにデザインに反映するのか、先輩の話を聞きながら考えていた。

そのほかにも、オフィスの中では世界中の大規模な建築プロジェクトが検討されていて、
世界中の未来の断片がそこにはあるような気がして刺激的だった。

地元のまちには多くの問題が眠っていた

一方で、地元への関心も自分の中で日に日に育っていった。
東京の設計事務所を経験したのち、2013年春に富士市に戻ることにした。

大学院時代から建築にハマった理由は、あらゆるスケールの問題を
「オモシロ」解決することができる職業だと思ったから。
海で本を読んだり、まちを歩いたり、自転車やスケボーで走りまわったり、
いろんな人に会いに行ってお酒を飲んだり、
地元に戻った私は取り組む問題を探していた。

このまちでは外を歩いていてバッタリ友だちと会ったり挨拶することがあまりないこと、
人口が減り始めているのに畑や森が住宅用地として開発されていること、
雰囲気のいい個人経営店は郊外にポツンと建ち、専用駐車場を持っていること。

ECサイトや大手でないと物販で生計を立てるのは難しいこと、
新規で飲食店を始める人にとって商店街は選びづらく、
商店街にはシャッターが下りていること、
自治体の財政では新たなインフラ投資など公共事業も減少するであろうこと、
など挙げるときりがないが……「問題のようなもの」がたくさん集まった。

これらの問題と私個人のスキルや課題意識、興味関心を直線で結び、
企画として自分の動きを定めていった。

まちの人は、商店街が廃れた理由を「駐車場がないから」と言っていた。
そこで駐車場がどれだけあるのか調べてみると、
車のためのスペースはたくさんあったし、建物が壊されるのと同時に駐車場化し、
増えてすらいることがわかった。

青い部分が駐車場、商店街には駐車場がたくさんあることがわかる。問題は運用だ。

青い部分が駐車場、商店街には駐車場がたくさんあることがわかる。問題は運用だ。

〈良品計画〉が取り組む廃校舎活用から
美流渡(みると)のまちづくりを考える

“土着化”をキーワードにした地域とのつながりづくり

昨年、地元岩見沢市の小中学校が閉校して以来、
校舎をどのように活用していったらいいのかについて日々想いをめぐらせている。
これまでさまざまな活動をしてきたが、
昨年末からは、校舎のような規模の大きな施設を運営するためには、
どんなスキルが必要なのかを考える連続セミナーを企画している。

このセミナーは、前半はゲストスピーカーの話から運営方法のヒントを探り、
後半は参加者みんなで校舎活用のアイデアを話し合うというもの。
「森の学校ミルトをつくろう みんなでまちと校舎のことを話してみませんか?」
と題し、第1回目は〈さっぽろ天神山アートスタジオ〉という、
札幌市の旧宿泊施設を活用してアーティスト・イン・レジデンスの拠点を運営する
ディレクターの小田井真美さんをゲストスピーカーとしてお招きした。

年が明けた1月18日には、第2回目を企画。
ゲストスピーカーは、株式会社〈良品計画〉で地域推進を担当する
鈴木恵一さんにお願いした。

良品計画は、〈無印良品〉の商品開発や店舗展開とともに、
近年では地域のサポートも行うなど、活動領域を拡大させている。
千葉県の廃校舎活用も行っていることから、
今回、そうした取り組みについて話をしてもらおうと考えていた。

鈴木恵一さん。1982年西友に入社し、88年に無印良品に出向(のち転籍)してから、主に販売畑を中心に約30年活躍。現在は、北海道地域推進担当となり、地域連携や地域再生のサポートに取り組む。

鈴木恵一さん。1982年西友に入社し、88年に無印良品に出向(のち転籍)してから、主に販売畑を中心に約30年活躍。現在は、北海道地域推進担当となり、地域連携や地域再生のサポートに取り組む。

鈴木さんとの出会いは、一昨年にコロカルで、北海道胆振東部地震から
3か月が経った厚真町の取材をしたことがきっかけだ。
取材したのは「厚真町の今を知る見学会」。
その参加者のひとりとして鈴木さんの姿もあり、この会の帰り道で
お話ししたことがきっかけで、その後札幌で何度かお目にかかる機会があった。

ここ数年、わたしが暮らす美流渡(みると)に
移住者が増えていることに鈴木さんは注目してくれていて、
それならばゲストスピーカーとしておいでいただけたらとお誘いしたのだった。

話し合いに集まったのは約20名。地元住民に加え、市内にある北海道教育大学の学生も参加した。(撮影:吉川幸佑)

話し合いに集まったのは約20名。地元住民に加え、市内にある北海道教育大学の学生も参加した。(撮影:吉川幸佑)

鈴木さんのお話は多岐にわたっており、校舎活用はもちろん、
まちの未来を考えるうえで多くの示唆に富んでいた。

まず、良品計画の活動として紹介してくれたのは、千葉県鴨川市での取り組みだ。
地元で活動するNPOとともに棚田の再生をしたり、
地元の生産者の団体が運営していた直売所などからなる総合交流ターミナルを
〈里のMUJI みんなみの里〉としてリニューアルするといった活動が紹介された。

「いま良品計画では“土着化”をキーワードとしています。
鴨川は首都圏から近く里山と里海があります。
未来に残すべき場所として棚田の再生をお手伝いし、
そこから派生して味噌をつくったり、お酒をつくったりもしています」

高齢化にともない維持管理が困難になった棚田を、都市に住む人たちとともに保全する活動をNPO法人〈うず〉と共同で実施。田植え・田の草取り・稲刈りなどの農業体験イベントを実施。(写真提供:株式会社良品計画)

高齢化にともない維持管理が困難になった棚田を、都市に住む人たちとともに保全する活動をNPO法人〈うず〉と共同で実施。田植え・田の草取り・稲刈りなどの農業体験イベントを実施。(写真提供:株式会社良品計画)