全身の細胞が沸き立つような感覚
この春、わたしは何かに取り憑かれたように山菜を食べまくった。
今冬は雪が少なく、3月末にふきのとうが顔を出した。
北海道に移住して、何よりうれしいのは
長く閉ざされた冬がようやく終わるという合図だ。
薄黄緑のふきのとうが雪の間からポツポツと顔を出すと、
世界は急にスイッチが入ったかのようにうごめき出す。
すべての動植物が活動を開始。
人間も同じで、農家のみなさんはもちろんのこと、会社員でさえも、
家のまわりの整備や除雪道具の片づけなどで、忙しく動き回る日々がやってくる。

ふきの蕾がふきのとう。あっという間に大きくなる。
ふきのとうは、山だけでなく、道路脇や庭にも顔を出す。
道民にとっては“雑草”のような存在と言えるかもしれない。
わたしとしては、ちょっと贅沢な日本料理店で食べたという経験しかなかったので、
春の珍味がそこかしこに生えていることに興奮したのだが、
同時にほとんどの人がそれを食べないことが不思議でならなかった
(フキはよく食べるが、その蕾であるふきのとうはそれほど食べない)。

仕事場の裏には山があり、田んぼも広がる。原稿に煮詰まったらとにかく散歩!
ふきのとうは贅沢(?)という擦り込みがあるからなのか、
道端で見つけると「食べたい!」という欲求がフツフツとわいてくる。
やっぱり一番おいしいのは天ぷらなのだが、
揚げ物はわたしにとってはハードルが高い料理のため、二の足を踏んでいた。
そんななか、昨年から借りている仕事場のお隣さん、陶芸家のこむろしずかさんが、
お昼ごはんのお供にサッと天ぷらをつくってくれたことがあった。

庭の周りにもたくさん生えているふきのとう。10分くらいでお皿いっぱいとれる。
ひと口食べて、全身の細胞が沸き立つような感覚があった。
東京にいたときはほとんど感じなかったのだが、
雪に閉ざされたなかでの暮らしは、体の代謝もゆっくりとなり、
いろいろ老廃物がたまっているような状態になっているのではないかと思う。
ふきのとうのほんのりとした苦みは、冬眠明けの動物と同じように、
体を冬から春へと目覚めさせる、そんな効果があるのだろう。
ふきのとうの天ぷらを食べたその日から、山菜採りが日課になってしまった。
家から仕事場まで徒歩10分。
畑や民家がポツポツある道路脇の植物たちに目を凝らし、
食べられるモノがないか探すようになった。
また、仕事場の裏は100メートルも行けば森の入口。
少し足を延ばして、笹薮の中の細い道に分け入ったりするようにもなった。

仕事場の近くに生えている明日葉!?
ふきのとうの次に見つけたのは“明日葉”。
今日摘んでも明日には新しい芽が出ることから、この名がついた山菜で、
裏山にたくさん生えていたのだった。
これを採ってきて、またまたこむろさんに胡麻和えをつくってもらった。
苦みと胡麻の香りがミックスされて、これもおいしい。
やはり体が求めている味だとうなずいた。
……ただ、このとき明日葉だと思い込んでいたこの植物は、
実は違う種類だったことが、その後、購入した山菜図鑑でわかった。
明日葉は温暖な地域に生える植物で、北海道で育てるのは難しいらしく、
実は、エゾニュウという植物だった。これにはヒヤッとした。
毎年山菜採りをしている人でさえ、間違えて毒草を食べてしまうことがある。
中には猛毒のものもあるので、よくよく注意しなければならないと思う出来事だった。

明日葉ではなくエゾニュウをおひたしに。右はエゾエンゴグサという青い花の酢醤油あえ。





















































































