連載
posted:2020.3.10 from:岐阜県岐阜市 genre:活性化と創生 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。
writer profile
Miki Suenaga
末永三樹
すえなが・みき●1977年岐阜生まれ。一級建築士。明治大学理工学部建築設計卒業。設計事務所勤務を経て2012年に〈ミユキデザイン〉を設立。2016年に〈柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社〉を共同設立、クリエイティブディレクターを務める。「あるものはいかそう、ないものはつくろう」を理念に、建築的な視点を持って「まちをアップデートし、次世代へ手渡す」ことを目指し、建築にとどまらずデザイン、企画・プロモーションなど包括的に考え実践する。一児の母。
http://miyukidesign.com
岐阜を拠点に建築、まちづくり、シェアアトリエの運営などの活動をする
ミユキデザイン・末永三樹さんによる連載です。
岐阜屈指の繁華街「柳ヶ瀬商店街」を知っていますか。
古いビルや昔ながらの店が残るレトロな味わい深いまちです。
岐阜県出身の私にとって、子どもの頃に
「まちに行く(=デパートがある)」といえば柳ヶ瀬で、
大人になってからはスナックやクラブ、小料理屋などに行き、
背伸びをしたのも柳ヶ瀬でした。
しかし、近年では高齢化による来街者の減少や空きテナントが目立ち、
「柳ヶ瀬商店街がにぎわっていた」という肌感覚を持つのは
30代後半以上ぐらいの世代でしょうか。
私にとって、人や情報が集まり、そこに行けば何かに出会える
期待感を持っている場所が「まち」です。
美殿町(vol.1参照)に拠点を持ってから、柳ヶ瀬が「まち」であり続けるには、
いま何かをしなければ手遅れになるんじゃないかという
漠然とした危機感を感じるようになり、自分と未来のために、
仕事としてまちに関わることができないかと考え始めました。
いまは、そんな柳ヶ瀬商店街で、2014年から仲間たちと
月一の定期市〈サンデービルヂングマーケット〉を行っています。
約160店の手づくり・手仕事が集まる東海圏で屈指のマーケットです。
そこに至るまで、イベント「ギフレク」「ハロー!やながせ」と、
いろいろな取り組みを試行錯誤してきました。2017年からは、その仲間たちと
〈柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社〉(以下まち会社)を設立し、
柳ヶ瀬の遊休不動産や公共空間の利活用に取り組んでいます。
今回から2回にに分けて、柳ケ瀬商店街でのチャレンジや
そこから生まれた変化について紹介していければと思います。
ミユキデザインを設立する前、私たちは「ギフレク(Gifu Re-creation)」という、
創造力で岐阜をもっともっと楽しくしていくイベントをやっていました。
会社員として日々設計にどっぶりと浸かり、外の世界に出ていく機会が少ないなか、
イベントを企画した岐阜市在住のデザイナー〈DesignWater〉の
鷲見栄児さんに声をかけてもらい、空間チームとして参加すると、
カメラマンやデザイナー、Webクリエーターなど
世代の近いクリエーターたちが集まっていて、
岐阜にはこんなおもしろい人たちがいるんだ! と衝撃を受けました。
夜な夜な企画会議をやったり、休日はみんなで会場什器の工作をしたり、
イベント当日も含めエネルギーに溢れた毎日で、
自分でおもしろいことをやっていかないとだめだ、と痛感しました。
ここでの出会いは、その後も続き、いろんなタイミングで私たちの活動を支えています。
ギフレクの企画のひとつが、ジュラシックアーケードです。
「高齢者ばかりの柳ヶ瀬商店街に子どもたちが集まったら
めちゃくちゃおもしろくない?」という発想から始まりました。
実際、リアルな恐竜ロボットがあちこちに出没し、
子どもが大興奮して商店街を駆け回ります。
現在は、商店街が自主事業として運営を引き継ぎ、恒例行事になっています。
当時、考えられないほどの子どもたちが押し寄せる状況に感激し、
お礼だと言ってイベントのノベルティを大人買したのが、
いまは一緒に活動している商店街の岡田さや加さんです。
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岡田さんは商業施設などで飲食業を多店舗展開した後、
個性と人情味あふれる柳ヶ瀬商店街に可能性を感じ、
和菓子屋〈ツバメヤ〉と〈ミツバチ食堂〉を開業・経営する若手商店主。
柳ヶ瀬に関わり始めたとき、同じ感覚で話ができた貴重な存在でした。
商店街ではさまざまなイベントが行われていましたが、
若いお客を呼び込むようなコンテンツはなく、あとに続く若手の起業もない。
そこで、柳ケ瀬に魅力を感じている自分たちが、
若いお客さんを呼びこむイベントをやってみようと、
岡田さんをリーダーに、商店街に店舗を構える雑貨屋やデザイン事務所、
商店街が大好きなライター、カメラマンでチームを組み、企画をスタートさせました。
子どもからお年寄りまでが一緒に楽しめるのは「本」だと、古書店も仲間に加わり、
「ハロー!やながせ」プロジェクトが始動したのです。
定期的に企画会議を行い、活動資金をみんなで出し合い、その一部を
チーム内のメンバーがつくるリトルプレス『柳ヶ瀬BOOK』の制作費にあて、
イベントを皮切りに販売しました。
一箱古本市や本にまつわるワークショップ、
商店街の八百屋と組んだ「ハロやなマルシェ」、
柳ヶ瀬のおいしいものを集めた「やながせ大食堂」など、
アーケード下や空き店舗を使った催しや、協力してくれる周辺店舗による関連企画で、
イベント期間中は若い人たちや親子連れが訪れ、楽しんでもらうことができました。
まわりからの評判も良く、準備や運営は大変でしたが、
達成感があり、文化祭のような体験でした。
しかし、3年目を迎える頃、メンバーの環境も変わり始めます。
期待に応えるばかりに本業が圧迫されて、
何のためにイベントをするのかという本質的な議論が行われ、
ゆるい感じで継続することが難しくなり、
いったんハロー!やながせプロジェクトは発展的解消をすることにしました。
思いがあっても、運営サイドが負担に感じると続かないこと。
そして、一過性のイベントではまちに変化は起こせないことをあらためて実感し、
もっと戦略的に継続的な取り組みができないかと考えるようになりました。
活動を商店街の主体的な動きとして見せる重要性や、
運営資金の確保のため、柳ヶ瀬商店街連合組合(以下:柳商連)と連携し、
まずは補助金を活用して動くことにしました。
岡田さんをはじめ、いまでは仲間でもある柳商連理事長の林亨一さんなど、
若い人の動きをおもしろがって一緒に動いてくれる人がいたのは大きかった。
そもそも柳ヶ瀬は、映画や買い物、食事など、娯楽を楽しむ商店街で、
おしゃれをして出かけたくなるような商業地。
個性やこだわりのある、顔が見える商売にアップデートさせる必要性を感じていました。
その頃、まち活性化の手法として、市(いち)がすでに注目されていたことや、
東海圏に大きな市がほぼなかったこともあり、
まち再生プロデューサーでマーケットを手がけていた
〈JISSEN.CO〉の古田篤司さんをアドバイザーとして招き、企画を進めていきました。
ほかでは手に入らないモノや独自性の高いサービスの集積が
商店街アップデートのひとつの姿であり、魅力的なエリアの形成につながる。
そんな考えのもと、コンセプトは
「ここにしかない、ヒト・モノ・空間と出会うライフスタイルマーケット」とし、
ターゲット層はライフスタイルにこだわりを持つ30~40代の女性と設定。
すでに柳ヶ瀬商店街には、ハンドメイド、クラフト、オーガニックといった
個性的な商品を取り扱う店がいくつかあり潜在顧客層であったことと、
彼女らが商店街の昭和の雰囲気や老舗店舗など既存の魅力に気づき、
伝える存在になってくれるであろうことが理由です。
イベントのネーミングは、キャッチーでわかりやすく、
そして不動産を動かしたい思いを込めて、
〈SUNDAY BUILDING MARKET(サンデービルヂングマーケット)〉に決定。
ロゴはお買い物バックとビルがセットになったビジュアルで、
いまは「サンビル」の愛称で呼ばれています。
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サンビルを運営するなかで、大切にしたことが3つあります。
・単なる集客ではなく、まちのファンをつくること
・トライができるテストマーケティング+コミュニケーションの場とすること
・集客のピークをつくり、まちに出店をしやすい環境をつくること
月一の定期開催をルールに、初期は公募出店数を50に設定、
イベントの一体感やにぎわいを感じられるように
1本の通り(日ノ出町通り)とその中心に建つ
「ロイヤル劇場ビル」の空き店舗部分を賃貸し、
実験的に使われた姿を見せる会場づくりとしました。
その後、少しずつエリアを拡張し、現在、出店者数は160を超え、
サンビルに合わせて、ターゲットに向けた企画を行う既存店が現れ、
商店街内を歩いて巡る楽しさや発見を創出しています。
デザインディレクションは、尖りすぎず、ゆるくておしゃれな感じを狙い、
ブランドイメージの維持をあらゆる場面で徹底しています。
サインやフライヤー、イベント会場構成などビジュアルコントロールはもちろん、
出店者は毎月選考によって決定し、サンビル出店を目標にするつくり手が現れるなど、
質の高い出店者を集めています。
それにより「必ずいいものに出会える」と、来場者のリピートにもつながり、
柳ケ瀬を知らない若い世代への新しい柳ヶ瀬のエリアプロモーションに波及しています。
運営でもっとも心配だったのは集客です。
立ち上げ期はメンバーの人脈を頼ったり、飛び込み営業にまわり、
マーケットへの出店協力やフライヤー設置のお願いにまわりました。
また、感度の高いゲスト出店者を迎えるなど、毎月集客力のある企画を打ち、
SNSを情報発信の軸として積極的な広報活動を行いました。
なかでも良かったなぁと思う企画が、
地域を切り口にいくつかのお店が集まるLOCAL企画です。
滋賀、松本、多治見、郡上、静岡、円頓寺など、
岐阜市外や他県から来たおもしろい人たちが、柳ヶ瀬で自分たちの世界観を表現します。
地元の人にとってはちょっとした旅行のような気分になるし、
その後も地域間の交流が生まれてすごくいい企画だったと思います。
彼らから見た柳ヶ瀬の話を聞くのも楽しかった。
出店者とのコミュニケーションも大事にしています。
やっぱり、出店者には柳ヶ瀬を好きになってほしいし、
店を出すならこの場所を選んでほしい。
運営を効率化するため、出店までのやり取りはメールに限定していますが、
当日は時間を見つけて声がけや雑談をしたり、私たちも買い物をしています。
お金を使わないとわからないことも多いですよね。
また、アンケートをとり、売上分析や意見収集を行い、フィードバックをしています。
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サンビルが始まって1年が経ち、2015年には、
テナントの人材発掘や育成と日常集客を目指して、
柳ヶ瀬でお店を持ちたい人を応援する「WEEKEND BUILDING STORES」を開始。
商店街の角地にある「ロイヤル劇場ビル」の空間を5つの区画に分けて、
週末限定のテナントを募るものです。
空き区画を使いたくなるように、空間をDIYリノベしました。
サンビルを開催する月1回の週末には出店ニーズが高いものの、
それ以外の週末使用は少ないまま。
イベントでの出店と、リアルな出店の間には大きな差があることを再認識しながら、
2年間の実験で延べ29の出店を受け入れました。
一方で、角地のビルに個性ある店舗が複数入ることは、
日常的なまちの風景に変化を感じさせるもので、物件オーナーの理解も少しずつ高まり、
私たちは、マーケットの常設化の第一歩として、
いよいよ不動産事業に踏み出すことを決め、
2016年末に仲間たちと共に「まち会社」を設立します。
サンビルは“ちょっと尖った”マーケットから、
誰もが親しみをもって日常的に楽しんでもらえるマーケットへ
変化してきていると感じています。
4年目の2017年には、専属の若手スタッフが雇えるようになりました。
スタッフのアイデアで、ボランティアを募集するようになり、
20代を中心としたサンビルを好きなが子たちが集まり、新たな交流も生まれています。
2019年末からは、さまざまな店舗が入居するアトリエビル
〈やながせ倉庫〉プロデュースの蚤の市がサンビル内で行われたり、
出店者と共同主催の新たなイベントが行われたりと、新しい動きも展開しています。
同じ価値観を持つ人同士がつながってコミュニティを形成し、
そこから生まれる動きをサンビル通じて情報発信・拡散することができる。
つまり、サンビル自体が地域のメディアとして育ってきているように感じています。
そのメディアとしての役割をより効果的に磨き上げていくことが次の課題です。
次回は、サンビルの次のステップとしてまち会社を設立し、
柳ヶ瀬の新たな空間づくりへ挑戦していくプロジェクトをご紹介します。
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