連載
posted:2019.9.2 from:福岡県八女市 genre:アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。
writer profile
Hironori Nakashima
中島宏典
なかしま・ひろのり●1985年 福岡県山門郡生まれ。有明高専建築学科卒業、千葉大学大学院修了。2010年より(公財)京都市景観・まちづくりセンターにて、京町家の保全活用、地域まちづくり支援に携わり、2014年に福岡・八女にJターン。まち並み(歴史的な建物)と森(林業)に関連した活動を行う。NPO法人八女空き家再生スイッチ事務局(2014年~)、福岡の森八女の木プロジェクト(2016年~)、歴史的建築物活用ネットワーク(HARNET)事務局(2013年~)、先斗町まちづくり協議会事務局・まちづくりアドバイザー(2014年~)、京都造形芸術大学非常勤講師(2014年~)。
福岡県八女市は、お茶、農業、手工業と並び、林業も盛んな地域です。
今回は、八女市の林業にスポットを当て、長年の課題と背景、
そして林業関連の方々と一緒に取り組むプロジェクトについて、ご紹介していきます。
自分自身、学生時代から疑問に思っていることがありました。
八女福島のまち並みの修理・修景現場では、
柱や梁の交換、屋根材、床・壁材など多くの木材を利用します。
しかし、その木たちが、どこで育ち、いつ伐採され、
どういうルートで製材・加工・乾燥されて現場に搬入されているのか、
現場の人たちもわからないというのです。
とにかく、八女は一帯に山々が広がり、奥八女に向かう道中には杉の森ばかり。
川沿いにはまだ多くの製材所が稼働しているのに、
なぜ地元産材として認識されたうえで、建築の現場で使われていないのか。
ひと昔前までは、当たり前のように使われていたはずの地域材が、
いつから使われなくなってしまったのか……。
奥八女の森林を起点に流れる矢部川・星野川流域の環境を維持・保全するには、
伐採と植林が欠かせません。
そのためには八女杉を利用する必要があることは何となく理解していました。
とはいえ、木材流通の現状についてはまったく理解できておらず、
まち並みの視察や見学に訪れる方から、
「この柱は八女の木ですか?」という質問が飛ぶたびに、
きちんと答えられない状況でした。
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あらためて、八女の林業の背景と歴史から調べてみました。
八女での林業はおおよそ500年ほど前には始まっていたと推定されています。
幕政時代の産業として、星野金山をはじめ、今日では特産といわれる
茶や手工業とともに、杉の造林が盛んに行われてきました。
八女では、春~夏にかけて茶業、秋~冬にかけて林業の伐採搬出、
さらに稲・麦・椎茸・筍・櫨(はぜ)などの農産物、果物などの収穫というように、
1年を通して季節に合わせた仕事がバランスよく行われてきたのです。
明治時代の末期には樽丸、桶板、造船用材として
スギ材が八女地域から供給されていたといいます。
大正初期には、電気産業の発展に伴って電柱材の生産が始まりました。
製材所が次々につくられ、戦後も1970年代初期までは
活発に電柱材生産が行われていましたが、電柱が木材からコンクリートになり、
70年代半ばからスギの電柱材需要が急減。
しかし、肥沃な土地と、豊富な降雨量に恵まれて育つ八女杉は、木目が美しく、
年輪が詰まって赤身が多く、「美林の八女杉」とも言われています。
そのうえ硬くて、強度が強く、曲がりも少なく、艶があって、
素直な木が多いので、八女杉は建築材に向いているのです。
それを加工できる大工職人も高齢化・減少していますが、まだまだ健在です。
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2016年よりプロジェクトを開始するにあたって、
岡山県西粟倉村、東京都奥多摩町、岐阜県飛騨市で事業をしていた
〈トビムシ〉と八女市が協働することが決まりました。
(コロカルで以前紹介したトビムシによる林業の取り組みはこちら)
八女を中心に、建築・製材所・森林組合関係者はもちろん、
木材加工に関連する家具職人さんや作家さん、
伝統産業なども含めた事業者・職人・住人の方々を訪問し、
木材を扱う現場でいろいろな話を聞かせていただきました。
技術者や職人のみなさんの仕事にはどれも惚れ惚れしてしまい、
なんとか後世に残したいと思うものばかり。
一方で、業種によっては、何か早く手を入れなければ、
数年後にはなくなってしまうと危機感を持ったことも事実です。
木材を扱う業者や職人さんたちを訪問したことで、以下のようなことがわかりました。
1 八女では良質な木材が生産できているが、
その木材の一定量は他地域に流通している。
つまり、八女材には「素材としての魅力」がある。
2 他地域の木材とブレンドして製品化しているので、八女ブランドはできていない。
しかし、多数の中小規模の製材所と建築大工職人が存在するので、
小回りを利かせた対応が可能。つまり「技術の魅力」がある。
3 まち並みの修理・修景の場で八女材を活用できる歴史的建築物も多数残っており
「空間の魅力」がある。
これまで眠っていた
「素材の魅力」「技術の魅力」「空間の魅力」を、
まとめて生かす方法を考えることが必要だという認識を共有し、
プロジェクトを進めています。
このほか、いくつもの課題がありました。
木材価格の低迷で、林業・木材産業が衰退し、
荒廃森林の拡大を招き、山村の過疎化が深刻化していること。
伝統産業や農林業など、技術力や人材力はあるが、
高齢化や後継者不足の課題を抱えていること。
今後は「まち」と「森」が連携して、伝統産業のまち並みを維持・開発。
森林を健全に運営し、分野を超えた交流や産業連携の機会をつくり、
八女らしい新産業が育つ循環型のまちづくりを目指す、という方針です。
「まち」と「森」、社会の中で八女材が循環していくよう、
まちづくりと森づくりを連動させることが重要だと考えたのです。
まさに、「林業のリノベ」ともいえるのではないでしょうか。
2016年から実態調査とプレマーケティングを行いつつ、
新築・リノベーション物件(次回、事例を紹介)に八女材の利用を進めています。
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八女材の魅力を五感で感じて共感いただくために、
八女材を使った事例をつくり始めました。
これまでの最大のプロジェクトは「八女里山賃貸住宅」の事業化・建設・運営です。
この8戸の長屋建築〈里山ながや・星野川〉は、
民間会社の出資により設立された〈八女里山賃貸株式会社〉がオーナーとなり、
設計は塚本由晴さん(東京工業大学教授)、貝島桃代(筑波大学准教授)さん、
玉井洋一さんの〈アトリエ・ワン〉に依頼。
工事は、平均年齢28歳の八女市内の若手大工チームをはじめ、地元建築業者に発注。
私は現場マネージャーとして毎日現場に通い、
建築工事業者さんの管理・調整を行いました。
まず、奥八女の敷地の中から、八女市と協力して交渉や住民協議を丁寧に行い、
八女市上陽町の久木原区の元小学校跡地(地元行政区の所有地)に
建設することが決まりました。
この建築には、八女の林業を活性化するとともに、
移住・定住したい方を迎え入れたいという視点があります。
地域住民と八女市と八女里山賃貸株式会社の3者で連携したサポートをしています。
材料の加工から施工まで、すべてを八女のチームで行い、
通常の木造住宅の2~3倍の木材を使う「板倉構法(*)」を採用し、
地元産材をふんだんに使った住宅となりました。
* 板倉構法:日本古来の優れた木造建築技術。代表的な建物に、正倉院(国宝)のあぜ倉造りや伊勢神宮。杉の柱に溝をほって杉板を落とし込み、外周を杉板で囲む工法。板倉構法でつくる建物は耐震性・断熱性・調湿性にすぐれている。
棟上げ(屋根の頭頂部の木材を入れること)をする1年ほど前から、
木材の準備に取りかかり、乾燥した木材を使えるようにしました。
その量は、約100立米(りゅうべい)、おおよそ38トンの重さ!
組み立ては若手の大工職人チームが中心となって行い、
地元住民や関係者も落とし込み板を嵌め込むなど協力して実施しました。
里山で暮らしたい人がいても、公営住宅の空きがない。入居条件にも適合しない。
空き家をリノベしたくても、そもそも売買物件が少ない。
購入できたとしても水回りなどの初期費用のリスクがある。
地域に馴染めるかどうか不安がある。
そういった実情を踏まえ、里山ながや・星野川は、
地域に少しでも馴染みやすくなるしかけをつくり、運営しています。
里山ながや・星野川では、期間を設定し、お試し移住をして
現地の暮らしを体感してみるプログラム「八女里山ステイ」を実施しています。
観光とは違う一歩踏み込んだ体験をするためにぜひご応募ください。
そして、多拠点居住ができる会員制サービス〈ADDress〉で、
長屋の一室に住みながら里山居住ができるようになりました。
里山ながや・星野川については、以前コロカルでも紹介しており、
事業展開の仕組みの話にも触れられているので、併せてご覧ください。
福岡県では、県産木材の需要拡大を図るため、
民間や市町村施設の木造・木質化を推進しており、
そのモデルとなるすぐれた建築物を表彰する
「第5回福岡県木造・木質化建築賞」の木造部門で、
里山ながや・星野川が大賞を受賞しました。
次回は、八女の木を使ったリノベーション案件について、ご紹介したいと思います。
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