連載
posted:2019.8.2 from:福島県福島市 genre:活性化と創生
〈 この連載・企画は… 〉
地域を見つめることで新しい日本が見えてくる。
新しい視座で日本の地域を再発見していく人にインタビューする新ローカル論。
writer profile
Chiaki Sakaguchi
坂口千秋
さかぐち・ちあき●アートライター、編集者、コーディネーターとして、現代美術のさまざまな現場に携わる。『RealTokyo』編集スタッフ。
credit
写真提供:福島わらじまつり実行委員会
ノイズミュージシャンであり、『あまちゃん』、『いだてん』などのドラマや
映画の劇伴も数多く手がける音楽家、大友良英さん。
東日本大震災直後にパンクロッカーの遠藤ミチロウさん、
詩人の和合亮一さんとともに〈プロジェクトFUKUSHIMA!〉を立ち上げ、
以来、盆踊り音頭の作曲、〈札幌国際芸術祭2017〉のゲストディレクターなど、
数多くの祭りに関わっている。
その大友さんの新たな試みが、2019年福島市の夏祭り〈福島わらじまつり〉の改革だ。
アンダーグラウンドな音楽シーンで活躍し、
アートの世界にも常に根源的な問いを投げかけてきた大友さんが、
メジャーな祭りの改革を通して考える、未来の祭りとは?
福島わらじまつりは1970年に始まった福島市最大の夏祭り。
福島出身の作曲家、古関裕而が作曲し、
舟木一夫が歌う『わらじ音頭』をテーマソングに、
神輿の代わりに12メートルの大わらじを担いでパレードする。
青森のねぶたや仙台の七夕まつりなど、東北はどの地域にも大きな夏祭りがあるが、
福島にはなかったので、福島にも夏祭りをということで、
50年前に商工会議所などによって立ち上げられた、比較的新しい観光祭りだ。
由来は冬に大わらじを神社へ奉納する神事
「信夫三山暁(しのぶさんざんあかつき)まいり」とされるが、
そもそもなぜわらじを運ぶようになったのかなど、確かなことはわからない。
「無病息災や健脚祈願、いろんないわれがあるけど、
庶民の祭りだから記録が残ってないんです。
その時々の人の手で変えられる、少しいい加減なのが庶民の祭りです」と大友さん。
70年代に新しい祭りとして始まったわらじまつりは、
その後、時代の変化に合わせてたびたび編曲を変え、
大友さんいわく「迷走」を始める。
80年代にはサンバを祭りにとり入れ、平成に入ると『わらじ音頭』から
ラップ調の曲『ダンシングそーだナイト』でダンスグループが競うスタイルへ。
「大わらじをかついで歩く後ろから若者が、
“わらじ! わらじ!”ってジーンズ姿で踊りまくる。
祭りとしては迷走したけれど、それはそれで
地元では楽しくやっていていい祭りだったたんです。
でも、2011年、東北6県の祭りを一堂に集めた〈東北六魂祭〉に
参加したのがきっかけで、ほかの祭りと比べられることになった。
そうして2013年、私のところに話がきました」
2013年といえば、『あまちゃん』がヒットし、
また震災後の福島で立ち上げたプロジェクトFUKUSHIMA!が
盆踊りを始めた年でもある。
曲のアレンジを変えるだけでは、また同じことの繰り返しといったんは断ったが、
2018年、5年かけて内部のコンセンサスをとった実行委員会の人々に懇願され、
わらじを運ぶことと『わらじ音頭』を残すことを条件に、
祭りを全面的に改革していくということで、
祭りの総合プロデューサーを引き受けることになった。
「祭りの表面を変えるだけなら、お金さえかければかっこいいものはできます。
でもそれでは、これまでサンバをとり入れたりヒップホップにしてきた改革と同じで、
一過性のものになってしまいます。
重要なのは、祭りが市民にとってなんであるかを根本的に考えたうえで、
自分たちの手で祭りをつくっていくことです。
10年先、20年先を見据えて100年先も続くような
根本的な改革を考えるのでなければやる意味がない。
そういうつもりで引き受けました」
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真っ先に着手したのが、祭りのシナリオづくりだ。
ドラマ『カーネーション』などで知られる脚本家の渡辺あやさんに依頼して、
福島に数多く残る伝説や民話をもとにしたわらじまつりの始まりの物語を創作した。
「普通、祭りにシナリオはいらない。
でも、わらじまつりが迷走したのは、祭りの起源となるストーリーが
伝わってなかったことにも大きな原因があったと分析しました。
祭りには起源となるストーリーが必要なんです。
なんでこの祭りをやっているのかがないと祭り自体長く続かないし、
祭りで何をすべきかも見えてこない。
だからあやさんには、福島のさまざまな伝説や民話をもとに
実際に祭りの起源としてあったであろう話をつくってもらいました。
これさえあれば、振り付けにしろ、音楽にしろ、衣装にしろ、
シナリオに紐づいてつくることができるし、もう迷走しなくなると思ったんです」
音楽面では、打楽器奏者の芳垣安洋さん、和太鼓奏者の鳴物師秀さん、
笛の山田路子さんが編曲や演奏指導を手がけ、
これまでの大音量スピーカーによる録音音源の再生から生演奏中心の音づくりに変えた。
昭和20年代にフィールドレコーディングされた『福島盆踊唄』のリズムをもとに
古関裕而がつくった『わらじ音頭』を組み合わせて、
和太鼓と笛をベースに100人以上の和太鼓が演奏する、
迫力の和太鼓アンサンブルをめざし、市民たちと猛特訓を行った。
「伝統ってなんだろうってところから考えました。
そもそも和太鼓が大人数でアンサンブルを組むのは70年代以降に流行ったもので、
音楽としてはロックよりも新しい形式です。ふんどしで太鼓を叩くスタイルに至っては
70年代の酒造メーカーのテレビCMが起源です。
それがいまやみんな日本の伝統だと思い込んでいる。
案外僕らが考える伝統っていい加減なものなんです。
でも逆に言えば、伝統は自分たちでつくれるってことでもあります。
自分たちが伝統として誇れるものを丁寧につくっていけばいい。そう考えました」
そして踊りは、先ごろ活動を終えた〈珍しいキノコ舞踊団〉の
伊藤千枝子さんに依頼して、誰でも一緒に踊れる踊りを考えてもらい、
素人から玄人まで、車椅子でも外国人でも誰でも参加できる踊りへと改革をはかった。
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しかし、改革はそう簡単には進まない。
実行委員会の旧態依然とした組織体制と大友さんはしばしばぶつかり、
一度は本当にディレクターを降りてしまう。
「いろいろ提案しても全然話が進まない。
会議は実行委員会のお偉いさんしかいなくて、現場と話ができない。
しかも全員男性。企画を出してもらったら、ミスコンやりましょうって提案してくる。
祭りを改革しようというときに一番に出るアイデアがミスコンでいいんですか、
それまずくないですか? っていっても通じないんですよね。
根が深いなと思いました」
それでもある思いが大友さんをとどまらせる。
震災以降、ずっと大友さんが言い続けてきた
「福島を文化の力でポジティブに変える」だ。
「さっき話した東北六魂祭の後継の〈東北絆まつり〉を盛岡に見に行ったときのこと。
東北6県の祭りが次々と出てくるなかで、福島のわらじまつりが登場すると、
みんなざわつくのがわかるんです。“なにあれ?”みたいな。
“あれありなの?”って言ってる声が聞こえてきて、
自分が言われてるみたいで恥ずかしくなった。
これか、みんなが変えたいと思ってるのは、と痛感しました。
震災で福島が一番傷ついたのは、“誇り”なんだと思います。
みんな自分たちのまちに誇りを持ちたい。自分たちの祭り最高だよって言いたい。
そういう素朴な気持ちだったんですよね」
この祭りを変えたい理由が、震災と原発事故という大きな災難によって傷ついた
福島の誇りの問題だったと気づいた大友さんは、プロデューサーに復帰して、
そしてなかなか言葉の通じない人々とも根気強く対話していくことにする。
「震災以降、自分と違う考え方の人たちとも一緒にやるべきだと思ったのが、
いまの私の原点です。だからなぜミスコンがだめなのかって話を一からしようと思った。
なぜシナリオが必要か、最初は理解されなかったけど、
丁寧に説明することでだんだんわかってもらえるようになりました。
彼らの意識を変えていくことこそが、
もしかしたらこの祭りの改革にとって一番重要だって思ったかな。
じゃないと、すぐに元に戻っちゃうと思うんです。
オルタナティブだろうがメジャーだろうが、
このまちをよくしたいっていう気持ちは一緒ですから」
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復帰後、現場を仕切る若い世代が直接意見し合える枠組みをつくったことで、
ものごとが一気に動き始めた。
そして同時に、「祭りってなんだ?」を考えるトークシリーズを
プロジェクトFUKUSHIMA!とともにに企画した。
一からつくる祭りには、譜面やマニュアルはない。
自分たちで考えて試行錯誤しながらつくるように、祭りのつくり方も変えていった。
2019年6月、東北6県の祭りが再び福島に集まり、
雄大な各県の祭りに混じって新生わらじまつりの初お披露目が行われた。
太鼓隊の叩くテンポの速いリズムがまちなかに轟き、
荒削りながらインパクトあるパフォーマンスに、沿道の観衆も大きく沸いた。
みんなのアイデアから生まれた「わらの輪」や、
重たい太鼓をパレードする台車のしかけが大活躍した。
「わらじまつりを何十年もやってきた人にも取材しました。
最初わらじまつりは町内会単位でやっていた。
ところがドーナッツ現象で町内会の力が弱ってくると、
祭りの枠組みを変えざるをえない。それまであまり仲のよくなかった
さまざまな組織が一緒に祭りを運営するようになって、
そのおかげで初めていくつかの組織の交流が始まったことで
まちが変わったんだそうです。
“だから大友さんは迷走って言いますけど、いいこともあったんですよ”って
言われたんです。祭りのときにできたコミュニティが、
そのまちの基本になっていったってことだと思うんです。
メインストリームの祭りの場合は特に。
だとすると、今度の祭りの改革で生まれる新たなコミュニティが、
この先の福島を引っ張っていくことになるかもしれないってことなんです。
単に祭りの話ではなく、祭りを変えることはまちを変えることなんだって。
最初はそこまで考えてなかったけど、これは福島がこの先、
魅力的なまちになっていくためのすごいチャンスだって思うようになってきました。
誰でも参加できる21世紀型の祭りが福島から生まれれば、
それこそまちとして誇りが持てるし、
そこから新しい太鼓のアンサンブルや踊りの姿が見えてくれば、
それこそ福島から新しい文化を発信できることにもなります」
誰でも参加できる21世紀の祭りのかたち。
改革1年目の課題はそれでも山積みだ。誰もが踊れることについて、
従来の祭りを支えてきた地元ダンスチームからの抵抗もある。
わらじという平べったい物質を、どうにか3Dに立ち上げられないかという
演出上の課題もある。
その課題と向き合っていくのは、大友さん自身ではなく、
ましてや都会からやってくるミュージシャンやアーティストでもなく、
そこにいて暮らす当事者たち。
プロジェクトFUKUSHIMA!、札幌国際芸術祭、音楽祭〈アンサンブルズ東京〉など、
震災後に大友さんが手がけた祭りはすべて、
みんなでつくる祭りという同じテーマで行われている。
ひとつの決めごとに沿ってやるのではなく、また個々人が勝手にやるのでもなく、
異なる人間がお互いフレキシブルに合わせていく豊かな未来、
その縮図としての祭りのあり方を大友さんはずっと提案してきた。
このわらじまつりは、そうした取り組みの、ある種の集大成になるのかもしれない。
「ジャマイカにレゲエがあったことであの土地の人たちが誇りを持てるように、
自分たちの音楽がすごいって思えるものがつくれたら、もうそれだけで誇りになる。
それを目指していきましょうという話を、やっとできるようになったかな。
福島から自分たちの力で文化を発信してほしいんですよ。
自分たちで切り拓いてきたという実感を持って」
今年のわらじまつりは、初日は従来どおりのスタイルで行い、
翌日が新生わらじまつりとなる。
つまり祭りが生まれ変わっていく様そのものを見せていく。
そして2日目フィナーレの30分は、飛び入り歓迎のカオスになる予定だ。
「フィナーレはぜひみんなに踊りに来てほしい。
福島の人もよその人も、誰でもウェルカム。
オリンピックの閉会式みたいなイメージで、いろんな人が混ざったらいい。
わらじまつりに興味がなかった人たちも来て一緒に盛り上がれたら最高かな」
さらに3日目にはプロジェクトFUKUSHIMA!の盆踊りがある。
新旧の祭りのトランジション、さらにメインとオルタナティブの融合、
これが大友さん流、祭りのアンサンブルだ。
これから5年、10年かけて取り組んでいくというわらじまつりの改革は、
ローカルな祭りという概念そのものを開いていく。
福島の人も外国から来た人も福島以外の人も、誰もが自分の夏祭りとして誇れる祭り、
祭りをつくるこのプロセスこそが、文化をつくるということなのだ。
profile
大友良英
OTOMO YOSHIHIDE
1959年生まれ。音楽家。10代を福島市で過ごす。ノイズミュージックや即興演奏などオルタナティブなものから映画やテレビドラマの音楽まで幅広く活躍。2011年、フェスティバルを軸に福島を発信する〈プロジェクトFUKUSHIMA!〉を有志とともに立ち上げたほか、さまざまなプロジェクトを手がけ、音楽のみにとどまらない活動を続ける。『シャッター商店街と線量計』『音楽と美術のあいだ』ほか著書多数。
information
福島わらじまつり
開催日:2019年8月2日(金)~4日(日)
会場:福島市国道13号・信夫通り(2・3日)、羽黒神社・まちなか(4日)
2日(金)平成わらじまつりファイナル
昭和から平成にかけて行われたわらじまつりのファイナル。
3日(土)新わらじまつり
太鼓隊による生演奏と新しいおどりによる新たなわらじまつり。
4日(日)わらじ奉納
羽黒神社への大わらじ奉納とフェスティバルFUKUSHIMA!納涼盆踊りも。
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