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五箇山の和紙を世界に!
和紙の魅力を発信するブランド
〈FIVE〉と石本泉さんの挑戦

Local Action
vol.135

posted:2018.5.30   from:富山県南砺市  genre:ものづくり

〈 この連載・企画は… 〉  ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。

writer profile

Masayoshi Sakamoto

坂本正敬

さかもと・まさよし●翻訳家/ライター。1979年東京生まれ、埼玉育ち、富山県在住。成城大学文芸学部芸術学科卒。国内外の紙媒体、WEB媒体の記事を日本語と英語で執筆する。海外プレスツアー参加・取材実績多数。主な訳書に『クールジャパン一般常識』(クールジャパン講師会)。大手出版社の媒体内で月間MVP賞を9回受賞する。

泉鏡花風に言えば、右も左も山ばかり、手の届きそうな峰があると、
その峰に峰が乗り、頂が被さって、雲の形すら(空が狭くて)見えない、
そんな越中から飛騨に抜ける深山の間道で漉かれた和紙が、
パリの〈メゾン・エ・オブジェ〉に出品され、
ロンドンの〈ポール・スミス〉で取り扱われていると聞いたら、どう感じるだろうか。
「うそでしょう?」と思うかもしれないが、現実の話である。

そこで今回は世界文化遺産の村、富山県の五箇山(ごかやま)で働きながら
〈FIVE〉というブランドを立ち上げ、世界に越中和紙(五箇山和紙)の魅力を
発信し続けている石本泉(せん)さんに、同ブランドが誕生した背景などを聞いた。

世界文化遺産に認定されている五箇山の相倉(あいのくら)合掌造り集落。(写真提供:南砺市観光協会)

世界文化遺産に認定されている五箇山の相倉(あいのくら)合掌造り集落。(写真提供:南砺市観光協会)

〈五箇山和紙の里〉との出会い

本題に入る前に、石本泉さんのいる五箇山について、
少し説明しておく必要があるだろう。

富山県と岐阜県にまたがる山岳地帯の限られた平地には、
荻町集落、相倉(あいのくら)集落、菅沼集落などが点在している。

特別豪雪地帯に指定されるエリアで、平野部から隔絶されているため
物資の輸送もかつては困難を極めた土地だが、
その厳しい環境で自然と共生しながら暮らす人々の営みが、
1995年に白川郷・五箇山の合掌造り集落として
ユネスコから世界文化遺産に認定された。

撮影:倉員悠二

撮影:倉員悠二

3メートル以上も積もる冬の豪雪に対応するために、集落の家屋は
分厚い切妻(きりづま)の屋根の傾斜が極めて大きい造りになっている。

その形状から「合掌造り」とも呼ばれるが、屋根だけでなく間取りも独特で、
屋根裏には蚕を育てるスペースが設けられ、妻入りの入り口にある広い土間では
和紙をすき、黒色火薬の原料となる塩硝をつくれるようになっている。
平地が少なく、田畑を開くスペースが限られている同地で、
生計を立てるために先人が生み出した家屋の形である。

写真提供:南砺市観光協会

写真提供:南砺市観光協会

その五箇山で昔からすかれてきた和紙をいまに伝え、
発展させる目的を持った施設が、〈道の駅たいら・五箇山和紙の里〉だ。
同施設に勤務し、新商品の開発からデザイン、
和紙の原料となる楮(こうぞ)の栽培と、幅広く活躍する人が、石本泉さんだ。

聞けば富山県の出身ではなく、生まれは北陸ですらない。山口県岩国の出身だという。
現在でこそ五箇山和紙の里のある南砺市の女性と結婚したというが、
同施設に就職した際には、配偶者がいたわけでもない。
出身校は東京の武蔵野美術大学で、母校も遠く離れている。
そもそもの疑問として、どうして石本さんは五箇山和紙の里に勤務しているのだろうか。

「母校である武蔵野美術大学と五箇山の間に、昔から関係がありました。
大学の厚生施設である〈無名舎〉もあって、そこに大学4年生の夏に
友だちとレンタカーで訪れたことが、すべての始まりです」

〈五箇山和紙の里〉に勤務する石本泉さん。

〈五箇山和紙の里〉に勤務する石本泉さん。

無名舎とは、武蔵野美術大学の教職員や学生、卒業生、
その家族などが使用できる宿泊施設で、
世界文化遺産に認定された相倉合掌造り集落の近くに立地している。

石本さんは大学の木工科で家具づくりを学んでいたそうだが、
家具と同じ原料でつくられる紙に興味を持ち始め、3年時の自由課題において、
本来なら家具をつくる木工科の授業にもかかわらず、
当時住んでいたアパートの台所やお風呂場ですいた和紙を提出した。

木工の先生にはしかられたと、石本さんは当時を思い起こして笑う。
それでも、テキスタイル科など他学科の先生たちは大いに感心し、
和紙の産地である五箇山と、五箇山にある無名舎の存在を
石本さんに紹介してくれたという。

武蔵野美術大学の厚生施設、五箇山〈無名舎〉。

武蔵野美術大学の厚生施設、五箇山〈無名舎〉。

「正直に言えば、五箇山という地名を知りませんでしたし、
富山にも訪れた経験がありませんでした。
だからこそ、かえって気になる存在になって、4年生の夏に
友だちが行くと聞き、レンタカーに便乗させてもらいました」

五箇山訪問時には、武蔵野美術大学の先輩が五箇山和紙の里で働いていると聞き、
アポを取って会いにも出かけたと語る。
その五箇山は、石本さんの目にはどのように映ったのだろうか。

「初めて訪れた五箇山は本当にすばらしく、
友人たちと訪れたチベットや中国の雲南省などと景色が似ていて、
日本のようには思えませんでした」

聞けば、石本さんは在学中にアジア各国、ヨーロッパなど
世界中を幾度となく旅している。
その体験から考えても五箇山はすばらしく、住んでいる人々も魅力的で、
住みたい、和紙を勉強したいという思いが強くなったという。

そこで石本さんは、初めて訪れた夏と同じ年の冬にもう一度、
和紙づくりを勉強させてほしいと五箇山和紙の里にお願いをして、2週間ほど滞在する。
結果として、欠員が出るという偶然も重なり、五箇山和紙の里に就職することになった。

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「これが和紙?」新しい和紙ブランド

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デザインチーム〈minna〉との協働で生まれた〈FIVE〉

石本さんが勤務する一般財団法人〈五箇山和紙の里〉は、
〈五箇山和紙工芸研究協会〉として1982年に発足した歴史がある。
和紙づくりの技術や技法を次の世代に伝え、和紙づくりの担い手を育成し、
さらには新商品の開発も行う施設を運営管理する団体だ。

道の駅や、和紙づくりが学べる〈和紙体験館〉、五箇山の歴史を紹介する〈たいら郷土館〉などが併設されている複合施設〈五箇山和紙の里〉。

道の駅や、和紙づくりが学べる〈和紙体験館〉、五箇山の歴史を紹介する〈たいら郷土館〉などが併設されている複合施設〈道の駅たいら・五箇山和紙の里〉。

現在までの歩みを見ると、1996年に〈道の駅たいら〉が併設され、
1997年に〈和紙体験館〉を新設するなど、活動領域が広がっている。
当然ながら、社員である石本さんご自身の役割も、新商品開発から製造、
販売、デザイン、和紙すき体験の提供、原料の栽培と多岐にわたる。
その中で2013年、五箇山和紙を使った新ブランド〈FIVE〉を完成させ、
一躍脚光を浴びた。

しかしそのFIVEも、当初は五箇山のある南砺市から
「和紙で新商品をつくってほしい」という補助金事業の依頼がきただけだったという。

自治体の補助金を使った新商品が、パリで開かれるインテリアデザインの国際展示会
〈メゾン・エ・オブジェ〉に出品され、世界的なブレイクを果たしたと書けば
簡単な話のように聞こえてしまうが、ブレイクまでの経緯には、
どのような紆余曲折があったのだろうか。

「(南砺市から依頼がくる前年の)2011年に、東日本大震災がありました。
それまで五箇山和紙の里には大勢の外国人観光客が来てくれていましたが、
震災とともに途絶えてしまい、いままでとは違う何かを始めなければだめだ
という思いが職員に生まれました。そのなかで2012年に南砺市から、
井波の木彫刻と五箇山の和紙に新商品開発の依頼があったんです」

五箇山和紙を使った〈FIVE〉のカードケース。(写真提供:五箇山和紙の里)

五箇山和紙を使った〈FIVE〉のカードケース。(写真提供:五箇山和紙の里)

五箇山は国内でも人気の観光地、飛騨高山が近い。
その方面、つまり岐阜県から北上するかたちで
アジア、欧米からの外国人旅行者が多く訪れていたという。
いまでこそ客足は戻ったというが、震災後には訪問客数が激減した。
その状況下で新事業の話が舞い込み、商品開発を担当する責任者として、
石本さんに白羽の矢が立ったのだ。

「新商品をつくるという課題があり、それを2013年の冬に
東京で発表するというスケジュールは決まっていたのですが、
それ以外はすべて白紙。同様の事業で失敗した例をいっぱい知っていますし、
単純に商品をつくって東京で発表するだけで、
本当に意味があるのかとも思っていました」

いろいろと可能性を模索するなかで、石本さんは大学時代の友人で
デザインの仕事をする〈minna〉というデザインチームに電話で相談した。
minnaのふたりは石本さんの誘いに応じて五箇山まで足を運び、
五箇山の自然環境やものづくりの背景を見てまわったという。
そのなかで、年月とともに成長し、後世に残るブランドを立ち上げ、
五箇山のものづくりを発信していくという方向性が見えてきた。

「単純に友だちという理由もありましたが、
minnaは和紙の仕事をしていた実績もありましたし、
“ムサビ”と五箇山の関係もあって、
ムサビ出身のふたりに依頼したいという思いもありました」
と石本さんが語るように、最終的に新プロジェクトのデザインを
minnaに依頼することになり、そこから協働作業が始まった。

〈minna〉の長谷川哲士さん(左)と角田真祐子さん(右)。(写真提供:minna)

〈minna〉の長谷川哲士さん(左)と角田真祐子さん(右)。(写真提供:minna)

FIVEの新しさは、本来ならば自然な風合いを楽しむはずの和紙に、
ビビッドでポップなカラーを大胆に取り入れた点にある。
また、現代の生活シーンで日常的に使用する生活小物を
和紙でつくり上げたという点にもあるはずだ。
まずはカラーに目を引かれ、手に取りその強度の確かさに触れると、
「これが和紙なの?」という驚きまで楽しめる。

このFIVEの発想には、白生地の和紙のように「白紙状態」だった南砺市の依頼から、
どのように行き着いたのだろうか。

「和紙というと、あくまでも自然な素材感がメインで、
障子紙など脇役としてのイメージが強いはずです。
僕自身も、自然の中から生まれる和紙には自然な素材でアレンジを加える、
例えば草木染めをするなどの方向性しか頭にありませんでした。

けれどminnaのふたりからは、
『なんで和紙はこの色でなければだめなの?』という逆転の発想から、
『もっとこういう色があってもいい』
『こういう環境だからこそ、こういうものがあってもいいのでは』
という提案がありました」

FIVEのブックカバー。(写真提供:五箇山和紙の里)

FIVEのブックカバー。(写真提供:五箇山和紙の里)

五箇山に移住して数年が経過し、現地の景色、現地流の考え方、
現地的な感覚が当たり前になってしまった石本さんにとって、
minnaの発想は極めて新鮮で、あらためて外の目、外の人の力は大事だと感じたという。

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「和紙のイメージが完全に変わった」

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自由な発想から生まれた「蛍光色の和紙」

minnaは、過去にコロカルの記事にも登場している。そのモットーは、
「責任を持ったアウトプットをするために、可能な限り発注の上流から関わる」とある。
石本さんを窓口とする五箇山和紙の里、あるいは南砺市という発注サイドの上流に
「おせっかいにも」関わりを持つminnaのとの対話の中で、
石本さんには新商品のターゲット層も明確に見えてきたという。

「そもそも考えてみると、五箇山の若い人は、和紙に興味がありません。
僕自身、青年団に入って地元の若い人とつき合っているのですが、
地元に和紙があっても興味を持っておらず、もったいないなという思いがありました。
地元の若い人が誇れる商品にしたいという思いもあって、
若者がターゲットに定まっていきました」

制作段階においては、もみ紙という手法でつくった強度の高い和紙に、
試行錯誤の末にシルクスクリーンを採用し、着色に成功した。
その試作品を見て、「和紙のイメージが完全に変わった」と石本さんは感じたという。

FIVEのぽち袋。(写真提供:五箇山和紙の里)

FIVEのぽち袋。(写真提供:五箇山和紙の里)

「蛍光色の和紙という発想はほかの産地、ほかの商品にまったくなかった」
と石本さんは当時を語るが、まさにこの和紙に蛍光色を掛け合わせるという
FIVE最大の特徴は、どこから生まれたのだろうか。

「minnaが五箇山に来てくれたときに、近くのお店でおそばを食べました。
お店の中から窓の外を眺めると、見渡す限り大自然が広がっています。
ただ、その緑の中に、時折キラッと光る蛍光色が目に留まりました。
例えば樹木に縛りつけられているピンク色の地籍調査用のリボンだとか、
屋根を覆ったブルーシートだとか。東京では見過ごしてしまいますが、
自然の中に光る蛍光色の独特の存在感を目にしたときに、
minnaから『蛍光色の和紙ってないよね』という言葉がありました」

五箇山和紙の原料である楮(こうぞ)。(写真提供:五箇山和紙の里)

五箇山和紙の原料である楮(こうぞ)。(写真提供:五箇山和紙の里)

五箇山和紙は八尾(やつお)和紙、蛭谷紙(びるだんがみ)とともに
越中和紙として国の伝統的工芸品にも認定される立派な伝統工芸品である。
自然の風合いを楽しむ和紙に蛍光色を入れるという発想に、
一部の伝統工芸士からは反発がなかったのだろうか?

「確かに蛍光色という色は、従来の和紙にはありません。
ただ、和紙だからこういう色はだめだという反発は、五箇山にはありませんでした。
もっと大きな和紙の産地だったら、反発があってFIVEは生まれなかったかもしれません。
五箇山和紙は小さい山地なので、その分だけ小回りが利いて、
どんどん新しいことに挑戦させてくれました」

五箇山和紙の里が保有する楮の畑。(写真提供:五箇山和紙の里)

五箇山和紙の里が保有する楮の畑。(写真提供:五箇山和紙の里)

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パリでの展示会やロンドンのショップでも!

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パリの〈メゾン・エ・オブジェ〉にJETROのブースで出品

和紙にポップなカラーを入れたうえで、
脇役として扱われがちな和紙を主役に引っ張り出し、
若者が日常的に使用する生活小物をつくった石本さん。
しかし、すぐれたブランド、すぐれた商品をつくったところで、
告知しなければ広がりは生まれない。
その点を石本さんはどのように乗り越えたのだろうか。

「〈東京インターナショナル・ギフト・ショー〉などの展示会を通して、
国内のバイヤーさんに見てもらう努力を続けました。
そのなかで海外への扉を開くきっかけとなった展示会が、
パリのメゾン・エ・オブジェです。
JETRO(ジェトロ)が主催するメゾン・エ・オブジェのブースに、
ほかのブランドと合同で出品させていただきました」

2013年の〈メゾン・エ・オブジェ〉のJETRO(日本貿易振興機構)のブースに展示された。(写真提供:五箇山和紙の里)

2013年の〈メゾン・エ・オブジェ〉のJETRO(日本貿易振興機構)のブースに展示された。(写真提供:五箇山和紙の里)

JETROとは日本貿易振興機構のことで、独自の国際ネットワークを活用し、
中堅・中小企業などの海外展開を支援する独立行政法人だ。
出品までの準備は輸出というかたちになるため、
初めての経験で、すべてが手探りだったという。

現地にはデザイナーと一緒に出かけ、通訳にも助けてもらった。
苦労は少なくなかったというが、いざ出品にこぎつけると、
メゾン・エ・オブジェの注目度の高さを肌で感じられただけでなく、
実際に世界中のバイヤーとの出会いも数多くあったという。

その成果のひとつとして、海外との取引もスタートする。
例えばロンドンの〈ポール・スミス〉の店舗など
海外のショップでもFIVEが扱われるようになり、
そのニュースが日本でも話題になって、メディア露出も増え、
結果としてヒット商品となった。

ポール・スミスの店頭に並んだFIVEの商品。(写真提供:五箇山和紙の里)

ポール・スミスの店頭に並んだFIVEの商品。(写真提供:五箇山和紙の里)

とはいえ石本さんによると、FIVEは和紙の新たな可能性を示したものの、
爆発的なヒットをしたとは言い切れないそうで、
いまでは海外からの注文も途切れ途切れの状態であると明かしてくれた。
だからこそ、FIVEを含めた五箇山和紙の里の展開ブランドにおいては、
時代の変化に柔軟に対応しつつ、少しずつ変わっていくことが重要だと石本さんは語る。

「そもそも五箇山和紙の里には〈和紙工芸研究館〉があり、
和紙の開発を行ったり、試作を行ったりという機能も持っています。
その役割を果たす意味でもアップデート、マイナーチェンジを繰り返し、
時にはまったく大きく異なる取り組みにもチャレンジしていきたいと思っています」

この「変化」という言葉は、インタビューを進めていくうちにわかってくるのだが、
石本さんご自身の人生設計にも通じるキーワードになっている。

石本さんが五箇山に移住して最初に借りた古民家からの眺め。絶景の展望が楽しめたというが、冬は50メートルほどの距離を除雪しなければ、国道まで出られなかったという。(写真提供:石本泉)

石本さんが五箇山に移住して最初に借りた古民家からの眺め。絶景の展望が楽しめたというが、冬は50メートルほどの距離を除雪しなければ、国道まで出られなかったという。(写真提供:石本泉)

地元では青年団や消防団に所属し、休日は古民家の土間で
古材を使った家具づくりを楽しむ石本さん。

「田舎暮らしは都会よりも縛られておらず自由で、人間関係も深く充実している」
と語り、来し方を振り返る石本さんにご自身の行く末を聞くと、
「五箇山で生活を送っていく」という大前提を口にしたうえで、
「10年後、20年後の展望はないし、見えてもいません」という返答があった。

「自分の見ているもの、見えるもの、旅行や人との出会いを通じて
見るものも変化していきます。世の中も変われば、自分も変わります。
その変化がとてもおもしろく、その変化の場面で持ち上がる課題を、
ひとつひとつクリアしながら生きていきたいです。だから未来はわかりません」

石本さんは木工を学ぶために美大に入り、その美大の在学中に和紙と出会って、
和紙の産地として訪れた五箇山へ移住した。
五箇山では従来にないアイデアを受け入れ、
未体験だった海外の展示会の誘いにも飛び込んだ。

「変化」とは石本さんの人生を表す言葉に違いなく、
また、FIVEを含めた事業の展望にも通じるキーワードである。

その変化を「おもしろい」とまで形容する石本さんが
時代の流れに自在に対応しながら、FIVEとほかのオリジナルブランドを通じ、
和紙の世界にどのような新しさをもたらしてくれるのか、
今後も大いに注目していきたい。

information

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道の駅たいら 
五箇山和紙の里

住所:富山県南砺市東中江215

TEL:0763-66-2223-2403

http://gokayama-washinosato.com

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