連載
posted:2018.4.6 from:東京都武蔵野市 genre:アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
各地で開催される展覧会やアートイベントから、
地域と結びついた作品や作家にスポットを当て、その活動をレポート。
writer profile
Yuri Shirasaka
白坂由里
しらさか・ゆり●神奈川県生まれ、小学生時代は札幌で育ち、自然のなかで遊びながら、ラジオで音楽をエアチェックしたり、学級新聞を自主的に発行したり、自由な土地柄の影響を受ける。映画館でのバイト経験などから、アート作品体験後の観客の変化に関心がある。現在は千葉県のヤンキー漫画で知られるまちに住む。『WEEKLYぴあ』を経て、97年からアートを中心にライターとして活動。
credit
撮影:池ノ谷侑花
アートって意外に身近にあるもの。
あなたのまちにも、きっともっと気軽にアートや
アーティストに出会える場所があるはず。
そんなまちのアートスペースやオルタナティヴスペースを訪ねます。
東京・吉祥寺の生活を守るアーケード街「サンロード」を抜けた住宅街にある
〈Art Center Ongoing〉。
1階のカフェではアーティストや美術関係者、鑑賞者などが語らい、
2階では現代アートの展覧会を開催している、小さくて熱いアートセンターだ。
10周年を迎え、記録集『Art Center Ongoing 2008-2018 現在進行形の10年間』が
1月末に発刊された。230本を超える展覧会、
それを支える日々の記録がずっしりと詰まっている。
それぞれに型破りな、未成熟と可能性が渾然一体となった若手アーティストたちが、
これまでにない実験的な表現形態に挑戦できる、
美術館でもギャラリーでもない第3の場「オルタナティヴスペース」として
2008年10月にスタートした。
さらに近年では国内外からのアーティスト・イン・レジデンスも実施。
アーティストたちの人生にも、家族をもつなど、いろいろな変化があった。
ディレクターの小川希さんがアートセンターに着目したのは、
なんと高校生の頃。兄の小川格さんが絵画制作していたベルギーを拠点に、
お金を貯めて2か月間ヨーロッパをバックパックで回っていたときのことだ。
「地方の都市やまちに行くと、大小さまざまなアートセンターがあって。
そこにはギャラリーやカフェがあり、映像作品の上映や演劇、
週末には音楽ライブやシンポジウム、ワークショップなどが開かれていた。
老若男女が集まり、おじいちゃんとおばあちゃんがコーヒーを飲んでいる横で、
若者が芸術談義をしたりしていて、豊かだなあと」
一方、なぜ日本にはアートを中心にして市民が集う場がないのだろう。
ないなら自分でつくろう、と夢を抱いた。
スペースを立ち上げる前の2002年から2006年には、
公募展『Ongoing』を場所を変えながら開催。
応募作家がひとり10票もらえて、ほかの作家たちの前でプレゼンテーションし、
おもしろいと思った作家に投票する。
キュレーターを立てずに、作家が作家を選ぶというかたちの展覧会だ。
「僕の大学生時代である90年代は貸しギャラリーの全盛期で、
10~20万円ほど賃料を払って展示は約1週間、見に来るのは主に友人や親族で、
たまに批評家に認められて『美術手帖』に載ると一喜一憂するみたいな状況で。
もっと社会とアーティストが恒常的につながれないかと考えていました」
その後、「お祭りのようなものではなく、アートの実験など
何かいろいろなことが恒常的に起こっている場所をつくりたい」と、
1階は店じまいした喫茶店で、2階はバーのママの住居だった建物と出会う。
改修工事は、のべ約100人の友人作家のうちから交替で、
ガスや水道などのインフラ以外、ほとんど自分たちの手で3か月かけて改装を行った。
吉祥寺を選んだのは、西側に多摩美術大学など美術大学が複数あり、
多くのアーティストは卒業後も同じ地域でスタジオを構えているからだ。
東側から観客が来られるギリギリの接点でもある。
「僕が中高生の頃は現在より人通りが少なく、ジャズの喫茶店や古着屋など
個人商店が多くて、ほかのまちと違う魅力を感じていました。
それが10年前頃から小さな店が閉まっていき、チェーン店などが進出して
まちが均一化してきちゃった」
そんな状況が進むなか、映画館〈バウスシアター〉では、
現代美術のフィールドで活躍する泉太郎、鈴木光ら10人のアーティストによる、
10分の映像作品の上映プログラム『10×10』を上映。
2014年、惜しまれながら閉館した際には、アーティスト淺井裕介が
壁画を描きつくした。
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小川さんは作家をやめ、ディレクターに専念するが、経営はすぐに行き詰まる。
「日本ではアートセンター代わりにコミュニティセンターを行政が運営していますが、
個人で始めてしまったのが地獄の始まり(笑)」
オープン当初から、作家から会場のレンタル料を取ることはいっさいない。
2011年からは400円の鑑賞チケットを、お茶1杯のサービスつきで設けた。
400円のうち100円×人数分は作家にバックするので、DM代くらいにはなる。
制作費は作家自身がもち、作品は販売しているがほとんど売れない。
月22万円の家賃を、小川さんは東京都や文化庁と組むなどして、
ほかの仕事で補填してきた。
当初は1か月単位の展覧会も、2、3週目にお客が集まらず、
オープン4か月目からは2週間ごとに変更。週末にはイベントも開催。
月・火曜で搬出搬入があるので休みもなく、1年間に22~23本展覧会を開催する、
ある意味異常なペースで突っ走ってきた。
「当時は複数のオルタナティヴスペースが活動を終え、
美術館やコマーシャルギャラリーや貸しギャラリー、公募展しか選択肢がなかった。
そのなかで、規制や客層、お金について考慮せず、ほかではできない
自由な発表ができるこの場が、アーティストたちにとって必要だったからです」
1年目はプロジェクト『Ongoing』で斬新な発想やタブーに切り込む、
目を引いた作家を紹介。
「どこにもない実験的なアートを、同年代(70年代生まれ)のディレクターと作家が
お金に関係なくやっている」という噂が広まっていく。
いろいろな若い作家が集まり、オリジナリティのあるものを模索し、
ここから何か次につながればと全力を傾けた。
「作家にはおもしろいと思ったら声をかけているので、
作家を信頼して、ダメだしはしません。
価値や方法論が定まった型通りの作品には興味がありません。
展示を見たときはまず直感でどう思うかが重要で、
会期中に何度も見られますから、意見を交わすこともあります」
小川さんはおもしろがっているときはニヤニヤが多く、
つまらないときは何も言ってくれないとも聞く。
若手はいきなり個展ではなく、二人展から始め、経験を積んでいく。
結果として内的な衝動や外界(自然、社会など)への反応などから生まれてくるものが、
常識的な秩序によって整理される前の、カオスなまま保たれているような展示も多い。
「良し悪しを超えて、見る人の価値観が壊れる場所にしたいと思ってきました。
美術史的な流れは押さえられていて、なおかつリテラシーが外れているような」
制作を通じて自分の問題に取り組む作家が多く、
カッコつけないそのままの人間臭さに惹かれると語る小川さん。
「作家を選ぶときは、90%まず人間性で、信頼できる人と仕事したい。
ほかのアーティストの目にさらされるから、そこで批評の目が働くともいえますね。
現代社会に違和感を示すような毒の効いた作品も多い。
けれど特定の誰かを傷つけるようなものはやはりだめだと思います。
直接的な対象に向けてじゃない、ギリギリの部分を大事にしていますね」
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2016年には東南アジアでのリサーチを経て、
政治的に規制の厳しいなか集団で活動する「コレクティブ」という活動形態に出会う。
同年にアーティスト集団〈Ongoing Collective〉を結成。
現在、アーティスト、キュレーター、コーディネーター、
ミュージシャンなど約50名が所属する。
メンバー間にヒエラルキーはなく、話し合いでものごとを進めていく。
2017年にはOngoing Collectiveとして〈奥能登国際芸術祭〉に参加。
10名で珠洲市に滞在し、『奥能登口伝資料館』として
映像や絵画、オブジェなどをインスタレーションした。
昔話や個人的な話などをリサーチする芸術祭によくある手法をなぞりながら、
ユーモア交じりに地方の闇にも踏み込んだ表現はしたたかだった。
インドネシアからの出稼ぎ労働者や、地元の年配者が登場する作品も、
彼らと作家が共犯関係を結ぶように、潜在する問題を示すだけでも挑戦的なことだった。
「地方芸術祭には地域の人を巻き込んで制作してほんわかするみたいな、
ある種の型があるけど、自分のためにストイックにやっている作家が、
地域活性化など課題のある場所に入ったときにどうなるか。
ステレオタイプや予定調和なところに
違和感のあるアートをぶち込んでいくことに興味があるんです」
異質なものを自分たちのホーム以外に持ち込むと、
お互いに価値観が崩れて変わることになる。
先が予測できないだけに受け入れられないときもあるが、対話していく。
「教育委員会の反対があった作品も、芸術祭の事務局が闘ってくれたと聞きました。
漂流してきた男を地元の男が助けたところから始まる、
地方のやるせない欲動のストーリーを、風光明媚な海辺や寒村で
原発問題も入れながら撮影した和田昌宏の作品を、
あまり映像作品を取り上げないディレクターの北川フラムさんが、
自分たちにはなかった視点であり、秀逸だと推してくださって。
珠洲には、原子力発電所建設に住民が反対運動を起こして、
建設されずにすんだ歴史があります。建設に向けて開かれた道路など、
明らかに村にそぐわない風景も映像に登場しています」
「地元や観客も目も肥えてくるし、ハッピーなものばかり求めているわけじゃない。
互いに進化していけば、アーティストがやれることが上がっていく。
日本の芸術祭は地域活性化に使われていくなかで
型ができてしまったところがあると思いますが、
僕らのような次の世代がそれを壊していけばいいと思います。
地方に眠る闇も、そこに作家が入るとおもしろいことになる」
「資本主義社会のなかでこのような場所をつくろうというとき、
そんなのすぐつぶれるよとあらゆる人に言われました。
ひとりのパトロンもいないし助成金ももらっていない。
それでも数百人のアーティストがひとり1杯ビールを呑むことで
10年続けられたんですね。
回り回ってつながる人間のつきあいのなかから、こういう場所が生まれた。
資本主義経済のアートの状況から離れても、こういう方法論があることを伝えたいです」
コマーシャルギャラリーに所属し、批評家に認められて
美術館で展覧会を開いて、国際展に出ていくといった
現代アートの王道のようなことは、それもひとつの道だが、
作家が疲弊していく要因にもなっていて、魅力を失いつつあるのではないかという。
「それよりは自分の生活のなかでアートを続けられる、
自分ひとりではなく誰かとそれができたり、人々のなかにいることで
自分の立ち位置を確められたり。表現が生活と本当に結びついている。
変に気張らず、自分に嘘をつかず。アジアで学んだオーガニック、
つまり有機的というよりはテキトーという考え方が、
決め込みすぎず、追い込みすぎない関係性をつくっています」
また、「地方で若い人たちが挑戦しているおもしろいことと、
僕らがやってきたことはそんなに遠くない」とも語る。
「自分のペースで自分の好きな人たちとやっていきたい。
まちを愛していて、細かい発見をマップ化している人たちとか。
誰かを蹴落とすようなアート業界の殺伐とした感じより、
地に足をつけて自分たちのまちを愛しているような人たちと組んだりするほうが
きっとおもしろいんだろうなとも思いますね。
権力構造やお金などのヒエラルキーがなく話せる場所が増えて、
スタンダードになっていくといい。ひとりで頑張ってつぶれていくのではなくて、
みんなでそういう場所をつくっていきたいんです」
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