連載
posted:2017.9.29 from:石川県珠洲市 genre:アート・デザイン・建築
supported by 奥能登国際芸術祭
〈 この連載・企画は… 〉
各地で開催される展覧会やアートイベントから、
地域と結びついた作品や作家にスポットを当て、その活動をレポート。
editor profile
Ichico Enomoto
榎本市子
えのもと・いちこ●エディター/ライター。コロカル編集部員。東京都国分寺市出身。テレビ誌編集を経て、映画、美術、カルチャーを中心に編集・執筆。出張や旅行ではその土地のおいしいものを食べるのが何よりも楽しみ。
credit
撮影:鈴木静華
http://shizukasuzuki.com/
「さいはての芸術祭、美術の最先端」を謳う、
〈奥能登国際芸術祭2017〉が、石川県珠洲市で開催中だ。
奥能登という言葉のとおり能登半島の最北端に位置する珠洲市は、
陸路から考えるとたしかに「さいはて」だが、
海運交通で考えると能登半島は古来から最先端の地だった。
古墳時代から奈良時代には、朝鮮半島の人々が能登半島に渡り大陸文化を伝え、
江戸時代には北前船の発達で、大坂から北海道までの品が
能登をはじめ日本海の多くの港で売り買いされた。
また能登半島沖は、南下してくるリマン海流(寒流)と、
北上してくる対馬海流(暖流)が交わるため、とれる魚も豊富。
漁業が栄えたのは言うまでもない。
そのほか珠洲には、塩田に海水を汲み上げて塩をつくる
「揚げ浜式」という古い製塩法がいまも受け継がれる。
また能登を語るうえで欠かせないのがお祭り。
キリコと呼ばれる巨大な灯籠を引き回す「キリコ祭り」は、
夏から秋にかけ、能登の各集落で行われる。
芸術祭期間中も、珠洲だけでも多くの祭りが見られそうだ。
圧倒的な自然と、豊かな特色ある文化が残る土地ゆえに、
アーティストたちも刺激されたのだろう、多彩な、力ある作品が出揃った。
総合ディレクターの北川フラムさんは、新潟県越後妻有エリアの〈大地の芸術祭〉や、
瀬戸内海の島々を舞台にした〈瀬戸内国際芸術祭〉を成功させてきた、
言わずと知れた地域芸術祭の第一人者。
開会式では「あとのまつりになる前に、アートの祭りを」と
しゃれをまじえて挨拶したが、「さいはて」が最先端になり得る、
ポテンシャルを持つ土地での芸術祭開催に、大きな可能性を感じているようだった。
奥能登の圧倒されるような風景の中で展開される作品も多々あったが、
大型な作品でなくても、珠洲の人たちと関わりながら
つくり上げられている作品にも注目したい。
東京・吉祥寺を拠点に活動するアーティストグループ〈Ongoing Collective〉の
『奥能登口伝資料館』は、10人の参加作家が、
珠洲の小泊(こどまり)という地区の人たちにリサーチしてさまざまな話を聞き、
それをもとに映像やインスタレーションなどの作品を制作。
保育所だった施設を使って作家それぞれが作品を展開している。
口伝とは、語り継がれてきた民話や伝承のこと。
ただ、ここでいう“口伝”は昔話や言い伝えばかりではなく、
現代を生きる珠洲の人たちのさまざまなエピソードや思い出だったりもする。
作家たちは地元青年団の草刈りに参加し、その後の飲み会や偶然の出会いなどにより
それらのストーリーを収集し作品に昇華させていったそう。
といっても、その話がストレートに表現されているわけではないのが、
この“資料館”のおもしろいところ。
10人のアーティストの作品はまったく様相が異なるが、
それらすべてに、何らかのかたちで珠洲の要素が表れているはずだ。
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この芸術祭では、展示だけでなく、イベントとして行われるものもある。
〈Noto Aburi Project〉もそのひとつ。
実は能登は七輪や珪藻土コンロの一大産地で、
日本で流通しているもののほとんどが能登産だという。
この珪藻土コンロを使って、能登の食材を炙り、
その魅力を伝えるというイベントが、会期中隔週の週末に行われるのだ。
もともとは、東京で行われていた〈丸の内朝大学〉の
地域プロデューサークラスの企画として、2013年にスタートした同プロジェクト。
珪藻土コンロの生産者や炭の生産者たちと、
東京の人たちが交流しながら炙りのスタイルを発信してきた。
丸の内朝大学としては半年間ほどのプログラムだったが、
その後も交流が続き、今回の芸術祭に参加することに。
「まさかそんな展開になるとは思わなかった」と笑いながら話してくれたのは、
珪藻土コンロをつくる〈鍵主工業〉の鍵主哲さん。
鍵主家は代々漁業をしてきたが、途中分社し、現在の会社は昭和7年創業。
その後、昭和30年代に養蚕の倉庫を買い取り、現在の工場をつくった。
珪藻土は多孔質のため保温性や断熱性が高いという特質がある。
昔から塩をつくるための窯などに使われてきたといい、
江戸時代には七輪が北前船で各地に売られていたという。
現在、鍵主工業では、七輪や珪藻土コンロばかりでなく、
鉄鋼炉やごみ焼却炉などの工業用の窯に使われる珪藻土レンガもつくっている。
七輪もそうだが、中の温度がものすごく高温でも、
断熱性がいいため外側がそれほど熱くならないのだ。
能登にはそのまま使える珪藻土が大量に堆積しているため、
昔は土から切り出して七輪をつくっていたそう。
現在はそのつくり方のほか、プレス機を使って固めてつくる珪藻土コンロもある。
珪藻土コンロの形も時代とともに変遷してきた。
昔は切り出しの土を使っていたので正方形のような形だったが、
昭和期に入るとプレス機で量産するようになり丸形に。
やがて家庭にガスコンロが普及すると、
煮炊きするために使われた七輪の需要は減ったが、
90年代に入りアウトドアブームが起こると、バーベキューに適した
長方形の形がつくられるようになった。現在はそれが主流だ。
Noto Aburi Projectを始めてから、七輪や珪藻土コンロのアピールの仕方について
考え方が少し変わってきたと鍵主さんは言う。
「それまではアメリカ式のバーベキューに
追いつけ追い越せという気持ちでやってましたが、
より日本的なスタイルをつくりあげていこうという考えに変わってきました。
東京の人たちの使い方にも刺激を受けたんです。
都会のマンションのスタイリッシュな部屋のテーブルに、ポンと七輪が置いてあって、
それで食材を炙ってる写真をFacebookにアップしたりしていて、
それがめちゃくちゃかっこよくて(笑)。こんな使い方あるんだと衝撃的でした」
活動を展開するうちに七輪の新しい可能性を感じ、
新しいものもつくってみようという試みも。
石川県の代表的な焼きもの、九谷焼とコラボレートし、
金沢のデザイナーと一緒に、七輪と九谷焼が一体になった商品を開発。
デザイナーと喧々囂々意見を交わし、2年近くかけてできあがった商品は
「ほとんど九谷焼の値段です」と苦笑するほど高価なものに。
それでも、ものをつくる楽しさを感じているようだ。
ほかにも、金沢美術工芸大学の学生が考案したピザ窯を商品化。
珪藻土の窯は熱効率がよく、少しの燃料でも中を高温にすることができるので、
ピザ窯にも向いているのだ。試作を重ねて業務用に商品化し、
現在は少しずつ売れるようになってきたという。
珠洲にある〈木ノ浦ビレッジ〉のピザ窯も、鍵主工業がつくったものだ。
芸術祭では、お祭りのようなスタイルで、
多くの人に炙りを楽しんでもらいたいと思っているそう。
「お祭りのときに神輿が家々を回るんですが、
そのときに神輿やキリコを担いできた人たちを庭や縁側に招き入れて、
お酒やおつまみでもてなす“庭酒”という習慣があります。
その庭酒をまねたスタイルでやってみようかと。
近所の人たちにも声をかけて楽しんでもらおうと思っています」
能登の文化を地元の人と一緒に体感できるイベントになりそうだ。
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今回の芸術祭では学生たちによるプロジェクトもある。
この芸術祭を機に昨年結成された〈スズプロ〉は、
金沢美術工芸大学の学生と教員たち有志によるアートプロジェクトチーム。
芸術祭では明治期に建てられた大きな古民家をまるごと使って作品を展開した。
もとは網元の家だったというだけあり、中に入ってみると思いのほか広い空間。
中庭を囲むように建物と蔵が並んでおり、4つある庭には、
なんと田んぼがあり稲穂が頭を垂れていた。
実はこれも『こめのにわ』という作品。スズプロの中島大河さんは
「最初にこの家に入ったとき、空間を捉えにくい不思議な感覚に陥ったんです。
その感覚を増幅させたくて、庭に田園風景が見えたらおもしろいと思って」と話す。
米づくりの経験なんてないメンバーたちだったが、地元の人たちに教えてもらいながら、
田んぼづくりから自分たちでやった。
このちょっと突飛な発想の作品に、地元の人も最初は本当にできるのかと
半信半疑ながらも、おもしろそうだからと楽しんで手伝ってくれたという。
みごとにお米ができ、会期中に収穫する予定だ。
圧巻なのは、蔵の内部に描かれた『奥能登曼荼羅』。
まず奥能登の地理が描かれ、その上に奥能登の歴史や文化、植生や生き物などが
綿密に描き込まれている。絵そのものは3か月くらいで制作したが、
事前のリサーチを含めると1年がかりでつくりあげたという大作だ。
リサーチでは地元の人たちにさまざまな話を聞いた。
そのなかで、やはり重要なモチーフとなっているのはキリコ祭り。
海の向こうから火の玉のようなものがやって来てそれがキリコになり、
また海に戻っていくという「龍灯伝説」が描かれている。
壁に和紙を貼り、その和紙に描いているが、さらに小さい和紙を貼り合わせてまた描く。
そうすることによって、ふんわりと浮かび上がるようなテクスチャーが生まれる。
彼らが表現したい質感を追究しながら独自の技法を編み出したという。
スズプロは中心となって活動したメンバーが15人くらい、
手伝ってくれた人も含めると30人ほどで描いた。
最初は金沢から珠洲に通っていたが、
最後はみんなで朝から晩まで絵を描き続けるという、
部活の合宿のような生活を送っていたという。
地元の人たちからの差し入れもたくさんいただいた。
そんなことを生き生きと話してくれるスズプロのメンバーは、みんなとても楽しそうだ。
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金沢出身の中島さんは昨年まで金沢美術工芸大学の学生で、スズプロの学生代表だった。
現在はコーディネーターという立場だが、みんなのリーダーのような存在。
芸術祭に興味を持ち、本気でものづくりができるプロジェクトをつくりたかったと話す。
「能登の最初の印象は、きれいな海とか崖とか、
こんなに感動できる風景がまだ残ってる場所があるんだということ。
それを壊さず残しながら、人も寄り添うように生きているということに感動しました」
工芸専攻の2年生、村岡ゆきのさんは、千葉県出身。
工芸をやりたくて金沢美術工芸大学に進学したが、
もっと自然のあるところに行きたくて能登に惹かれたという。
「珠洲で芸術祭が始まると聞いて、すごく楽しそう! と思って、
スズプロに入りました」と笑顔で話す。
スズプロには教員も7人ほど参加しているが、教員の指示を受けるのではなく、
学生が主体。専攻もさまざまなだ。
みんなのいろいろな知識が結集してできあがったという。
「曼荼羅はどの要素をとっても、ひとりじゃできなかったと思います。
みんなが全力で動かないと。学生たちの魂がこもった作品です」と村岡さん。
また特に1、2年生の成長がめざましかったと中島さん。
「油絵の子が床を掘ったり、工芸の子が絵を描いたり。
こうやって自分の技術を使えばいいんだという応用を実践していて、
自分たちの領域じゃないものを、自分たちが学んでいることと
どうリンクさせていくかということが、かなり学べていると思います」
芸術学専攻の4年生、杉山知里さんも、能登で芸術祭があると知って
「何も考えずに楽しそう! と思いました」と嬉々として話す。
もともと芸術祭やアートプロジェクトに興味を持ったのは、
北川フラムさんの考えに共感したからだという。
「北川さんが芸術は赤ちゃんみたいなものだとおっしゃっていて。
一見、何もできないように見えて、とても手がかかるんだけれど、
赤ちゃんが笑うと大人もうれしいですよね。
そんな芸術の捉え方がおもしろいと思いました。
芸術祭の作品をめぐるときにまちを歩く。
それによって景色を見たり、地元の人に出会ったり、
まちの魅力を発見していくことができるのも、芸術祭の魅力だと思います」
そんなフラムさんが手がける芸術祭に参加できたことは、
彼女にとって大きな経験になったようだ。
エントランスののれんのような作品『家に潜る』の組紐は、
地元の人たちと一緒に編んだ。
その組紐づくりを生きがいだというおばあさんがいたそう。
「生きがいを急に奪うことなんてできない。そう考えると、
珠洲からすぐ離れることなんてできないと思っています」と村岡さん。
芸術祭が終わっても、ここでできた縁は何かしら続いてくはずだ。
芸術祭がない年でもどんな活動をしていくのか、課題はあるが、
こういったプロジェクトが生まれたことは意義深く、
芽生えたアートの芽がこの地で育っていくかどうかは、
芸術祭が継続していけるかどうかにも関わってくるだろう。
アートだけでなく、能登の自然やお祭りも含めて楽しむ。
そんな奥能登国際芸術祭を体験してみてほしい。
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奥能登国際芸術祭2017
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