ただいま特訓中! インコが2014年を占ってくれる 神戸花鳥園お正月イベント 「インコおみくじ」

兵庫県にある神戸花鳥園では毎年、お正月におこなわれる特別イベントで
鳥たちが大活躍しています。

2014年の年明け早々おこなわれる「インコおみくじ」は
ネズミガシラハネナガという種類のインコの
セネちゃんとリリーちゃんがおみくじをひいてくれるというかわいらしいイベント。

お代を受け取って

おみくじをひいて

はい、今年の運勢!

と、とても器用におみくじを引いてくれますが
たまにスタッフの方へ向かって行ったり
おみくじを取り忘れたりとウッカリ失敗することもあるそう。
それはそれで微笑ましいですよね。
さて、来年は失敗なくできるのか?

ただいま鋭意特訓中。練習のために紙がボロボロ

ほかにも、「ハリスホーク腕乗せ」「猛禽類の羽根の福袋」といった
イベントがありますよ。いつもはできない体験をお正月にするのも楽しそうですね!

「ネズミガシラハネナガインコのセネ・リリーによるおみくじ」

【日時】2014年1月1日(水)~3日(金)各日11:30/15:30 
【場所】インコ・オウムゾーン 
【料金】1回 100円(インコ・オウムゾーンの入場料300円が別途かかります) 
【受付】各回先着10名

神戸花鳥園ホームページ

千葉県・成田西陵高の 生徒たちが大発明! 害虫駆除の新アイデア 「飛べないてんとう虫」

作物を食い荒らす害虫は、農作物の敵。
ですが、昆虫には農薬にたいする抵抗性があるため、じきに農薬も
きかなくなって、害虫防除対策の方法はいたちごっこになってしまいます。

そこで注目されているのが、害虫が苦手な昆虫を放す「天敵昆虫」という方法。
これなら、自然を傷つけずに害虫防除ができるのです。

いま、世界中で模索されているこの「天敵昆虫」において、大きな成果をあげた
チームがいるんです。それは大きな会社でも、大学でもなく、千葉の高校生たち!

てんとう虫を傷つけず、絶大な効果をあげる

「飛翔不能にしたテントウムシによるアブラムシ類防除」

彼らは「千葉県立成田西陵高等学校」の地域生物研究部。
ターゲットは我々にも身近で、アブラムシ・カイガラムシ・ハダニなどを
捕食する「てんとう虫」。その名も「飛翔不能にしたテントウムシによるアブラムシ類防除」
というプロジェクトを始めました。

その方法は、てんとう虫の羽にあとで剥がれる接着剤をつけて、
飛べなくしたら畑に彼らを放流。害虫を駆除してもらった後に、
接着剤を取り除いて放してあげるというシステムを考えつきました。
この方法なら、てんとう虫にも傷をつけず、悪影響などもありません。
外国の政府から既に技術提供の打診も来ているのだそう。

世界中の研究者が、飛べないてんとう虫を品種改良で
作ろうと苦心しているなか、身近にあるもので解決法を考えた高校生たち。
柔軟な発想でこれからも活躍してほしいです!

全国農業協同組合中央会(JA全中)みんなDE笑顔プロジェクト
「環境にやさしい農業を実現!~昆虫たちが笑顔を贈る~」

島を歩く、海と山が織りなす絶景

美しい景色の中、遍路道を歩く。

12月も後半。
あっという間に2013年という年も終わろうとしています。

「カフェのオープンはいつですか?」
と聞かれるたびに、
「2013年春の予定です」
「2013年夏の予定です」
「2013年秋の予定です」
と季節が変わっていき、とうとう2013年が使えなくなってしまう(笑)。
笑ってる場合ではない!
そろそろオープン日を決めて、それに向かって準備を進めていかねば。

という感じでやること満載な日々ですが、時には小豆島を楽しまなければと、
12月の上旬「小豆島女子へんろ」に参加して島を歩いてきました。
半年ごとに開催されている「小豆島女子へんろ」は、今回で5回目。
女性約30人とスタッフの方あわせて約40人でお遍路道を歩きます。

小豆島八十八ヶ所をすべてまわろうとすると、全行程約150km。
「小豆島女子へんろ」ではその行程を分けて、1日で約15〜20km歩きます。
今回のルートは、島の北東にある当浜(あてはま)という集落からスタートして、
ゴールは碁石山(ごいしざん)。
12月の少しひんやりとした、そして澄み渡った空気の中を歩きました。

約15kmの道のりを40人で列になって歩く。

小豆島八十八ヶ所のお寺や庵で、お経を唱え、参拝。

紅葉する山々。空気が澄み渡っていて本当に美しかった。

ずっと昔からこの場所にお寺があり、お遍路さんが来ていたんだなと感じさせる大木。

小豆島は、本当に海と山が近い。
「家島が見えるよー」と言いながら海沿いの道路を歩いていたかと思いきや、
今度はザ・遍路道といった感じの山道。
紅葉する木々はとても美しく、足元には落ち葉がいっぱい。
ひとりでは絶対に歩かないだろう道を、皆で列になって歩きます。

「家島がみえるよー」と撮影。

少し歩くだけで、豪快な自然の中に入り込んでいける。

赤や黄色が本当にきれいだった。

これだけ歩くとお腹も自然と減ります。
途中のお寺では、地元の方が、しぼりたてのオリーブオイルや
オリーブの新漬、みかんをお接待してくれました。
お昼ごはんは、地元うどん&地元醤油(ヤマロク醤油さんの生醤油)。

お接待のみかんやオリーブ。地元で採れたものばかり。

お昼ごはんは、地元のうどんに大根おろしとネギ、ヤマロク醤油さんの生醤油をぶっかけで。

この日のゴールは碁石山。
「常光寺奥之院 碁石山」の洞窟のような本堂で護摩祈祷。
そして海と山が織りなす夕暮れの瀬戸内海の風景。
なんとも言えない満たされた気持ちになる。

「常光寺奥之院 碁石山」から眺める内海湾。ここはほんとに絶景。

崖の上に建つ波切不動明王のまわりを3回まわると願いが叶うらしい。

お遍路という昔からの習わしがいまもずっと続いている島。
少し歩くだけで、豪快な自然の中に入り込んでいける島。
そしてさらに、おいしい食べものが自分たちの手で作られている島。

本当に豊かな島だなと改めて感じた1日でした。

くるりのクリスマスパーティは 福島の南相馬で。 期間限定公開ビデオ 「最後のメリークリスマス」

東京は今年初の降雪が来そうなくらい、
冷え込む夜になりました。
来週はもうクリスマスですね。
そんないま、京都出身のロックバンド「くるり」の新曲
「最後のメリークリスマス」のミュージックビデオが
YouTubeで期間限定公開されています。
くるり初のクリスマス・ソングなんだそう。

このビデオのロケ地は、福島県の相馬市、南相馬市。
くるりが震災以降、毎年のように訪れ、親交を深めてきた
土地です。「第二の故郷みたいな、ほんとにあったかい街と人たち。」
くるりの岸田さんは語ります

登場するのは、南相馬市の­スーパー「フレスコキクチ」や
自立研修所「えんどう豆」など、地元の方にはお馴染みの場所。
くるりと相馬地区を繋ぐ場所­にメンバーが訪れ、
一足早いクリスマス演奏会を開催するという
ドキュメンタリータッ­チです。
見ると心がほっこりする、すてきな作品です。
期間限定ですので、お早めに!

くるり「最後のメリークリスマス」

・期間限定公開Webサイト「最後のメリークリスマス

地元の皆で音楽を楽しむ時間

私たちのカフェが、ライブ会場に。

ある日、一本の電話がかかってきました。
なんでも、ご実家が小豆島で、
高知でライブをした帰りに小豆島に寄るんだけど、
楽器を持っていくのでよければ演奏したい! とのこと。
私たちのことは、このコロカルの連載で知ったそう。

うーん、まだお店完成してないし、他にもやることたくさんあるし、どうしようか。
と、迷いましたが、やっぱりそういうご縁は大事にしたいと思い、
うちで小さな音楽会を開くことになりました。

演奏をしてくださったのは、「クジララ」さんという3人の音楽家の皆さん。
うたとバイオリンとマリンバ。
いろいろ話をしていくうちに、私たちが去年まで暮らしていた
名古屋をメインに活動されているそうで、
マリンバの近藤さんと私は同じ幼稚園だったとか、
どんどん面白い繋がりがわかってきました。
ほんとにご縁というのは不思議なものですね。

さて、音楽会をやっても誰も来てくれないと寂しいので、
島で暮らす人たちにお知らせしなければ。
私たちのカフェは20席くらいの大きさ。
30人が限度かなと思いながら、なるべく地元の方々に来てもらいたいと思い、
ご近所さんや娘の幼稚園のお友だちにチラシを配り、
あとはFacebookでお知らせしました。

ご近所さんに配布したチラシとメニュー。

カフェ厨房。急きょ、友人にも手伝ってもらって。

庭にもテーブルを用意。12月ですが、太陽の光が暖かい。

全然人が来てくれなかったらどうしようと不安でしたが、
当日は12時のオープンに合わせて、近所のおばあちゃんや
幼稚園のお友だち、島の友人たちがわらわらとやって来てくれました。
お天気も最高で、玄関の窓を開け放ち、
演奏するクジララさんのバックには紅葉する山々が。
やまびこが返ってきそうなそんな雰囲気でした。

ボーカルのHIKARUさんと子どもたち。紅葉する山々を背景に。

いろは(娘)の幼稚園のお友だちも。

思ったよりもずっと大きかったマリンバ。ご近所中に響きわたってました。

狭い店内を歩きまわりながら演奏。バイオリンの黒田かなでさん。

地元の皆で生の音楽を楽しむ、それはとても素敵な時間だなと改めて思いました。
島では、音楽を楽しむことはできないと思いきや、
こんなふうにしてあちこちで小さなライブが開かれていて、
実は名古屋で暮らしている時よりも、生の音楽に触れる機会が増えました。
そして何より、おっちゃんおばちゃんの世代、私たち30~40代世代、
子どもたち世代、いろんな世代が一緒に楽しめるのがいいなと。

ご近所さんも遊びに来てくれました。

演奏に合わせて大きな声で。ほんとに楽しそう。

おいしいごはんを食べながら音楽を楽しむ時間。
そんな機会がこれからもたくさん作れるといいなと思います。

クジララさん、お手伝いしてくれた友人たちと。楽しい時間でした。

カピン珈琲

クリエイティブが生まれる原点としての珈琲。

カピン珈琲は、カフェを持たず、出張喫茶を中心に活動する夫婦のユニット。
各地の職人やアーティストとともにオリジナルの珈琲道具をデザインし、
出張先やウェブサイトで販売している。
山口だけでなく福岡や松本、東京などで約8年
そういった活動を続けてきたカピン珈琲が、「珈琲豆御渡所」というかたちで、
11月1日に山口市の自宅の隣に初めてのショップ「龜」をオープンした。

もともとは山口県宇部市を拠点に音楽イベントの企画などをしていた
亀谷靖之さんと妻の千晴さんが、自宅を設けるにあたり、
ひと目で気に入った日本家屋の平屋を見つけたのを機に、
2012年春より山口市に拠点を移して活動を始めた。

暖簾が掛かっているときは展覧会やイベントが開催されている目印。お蕎麦やさんのような白さが清々しい。

カピン珈琲として活動を始めたのは、ふたりが出会ってすぐの8年前。
萩市にある窯元・大屋窯の濱中史朗さんのアトリエで
喫茶をすることになったことが始まりだった。
そのために濱中さんがオリジナルの器をつくってくれたという。
それまでは個人的な趣味として焙煎をして飲むだけだったが、
そのことがきっかけで、日頃飲んでいる珈琲を記憶として残したいと思うようになった。
出張喫茶も、記憶として残すという意味で思いついた形式だ。

「珈琲はいまや日常の節目に句読点的な感じで飲まれていますが、
遡るとイギリスで流行ったコーヒー・ハウスでは、政治や文化が育まれていました。
自分も珈琲をクリエイティブなことが生まれる原点として追求してみたいと思い、
珈琲に絞って活動しています。
味を楽しむだけでなく、さらにおいしく飲むために、
空間や音楽など、五感で楽しむ方法を、自分なりのフィルターを通して
紹介していきたいという想いがあります」(靖之さん)

萩市にある大屋窯の濱中史朗さんの工房での出張喫茶の様子。じっくりと珈琲を淹れる靖之さんの後ろで千晴さんがちゃきちゃきと現場を切り盛りをする。

「カピン珈琲」とは、ポルトガル語の
「黄金の草」(カピン・ドゥラード Capim Dourado)に由来し、
亀谷という名字の「亀」を意識し、Capimの最後にeをつけている。
シンボルマークは、両手で珈琲に向き合えるように取手を敢えてなくした
カピン珈琲オリジナルの器(ボル)を、珈琲豆で形どったもの。
ボルのほか、ドリップポット、砂糖入れ、ミルクピッチャーなど
珈琲を抽出する道具から器まで、珈琲に関わるさまざまな道具は、
濱中さんをはじめとする各地の作家と一緒に開発し、販売している。
毎日使うものだからシンプルで飽きのこないものをつくりたいという想いから、
経年美が期待でき、機能美を兼ね備えたものを
納得がいくまで時間をかけてつくっている。
開発中のメジャースプーンは2年越しでようやく完成するという。

抽出する道具はすべてオリジナル。

ボル、シュガーポットなどは濱中史朗さんによるもの。珈琲のお供には、島根の津和野にある老舗和菓子処「三松堂」による羊羹をオリジナルでパッケージングしている。

そのように自分たちは器や道具を提案するブランドとして
活動しているというスタンスから、カフェを持たない方針でやってきた。
それは「それぞれの人が家をカフェのように楽しんでほしい」
という想いがあったからだ。
「かつてのカフェブームはインテリアを楽しむ要素も大きかったのではないか」
と靖之さんは語る。部屋もカフェ並みにこだわる人が増えてきたなかで、
自分の空間でそういった時間を楽しむ人も増えてきた。
エスプレッソではなくドリップにこだわったのもそれが理由だ。
淹れる道具が高価なエスプレッソは外で、
自宅では自分がカフェのマスターになった感覚で
気軽にドリップし珈琲の時間を楽しむ。そんな使い分けができるのではと考え、
豆や道具を提案するスタンスを保ち続けてきた。

豆はイエメンやブラジル、コロンビアなどの在来のものを使い、
大量につくられているものがたくさんあるなかで、手のこんだものをセレクトしている。
試行錯誤の末たどり着いた独自の焙煎方法は、
天気や湿度、室温を見ながら靖之さんだけが担当する。
品質が良いことは当たり前。
シンプルに、冷めても飲めるものかどうか、常においしく飲めるかどうか。
あとは嗜好品なので好きか嫌いかで自由に選んでもらえばいいという考え方だ。
ただ「素材が良くないとそれ以上においしく飲むことはできないので、
まずはいい豆がちゃんと焙煎されているか、次に淹れ方」(靖之さん)

「私はゼロから何かを生み出すのは少し苦手だけれど、何かきっかけをもらって、具体的につくる方法を見つけるのが好きなタイプ」(千晴さん)

実は靖之さんと出会った頃は珈琲が嫌いだった千晴さん。
「まったく興味がないからこそ、言われたことを受け止めて、
喧嘩せずにいいアイデアが出し合えると思った」と話す。
そしていろいろと試していくなかで、自分の体に合うものや、
必要な条件が整っていれば飲めるということがわかってきて、
「洗脳されたのかな」と笑う。

ふたりのものづくりの役割分担は、
アイデアを出して、構成や監修をするのは靖之さん、
イラストや図面に起こすのは工学部でデザインを学んでいた千晴さんと、
はっきりしている。
珈琲においても、焙煎、ドリップ以外のすべて、豆の状態のチェックから、
出張喫茶の荷作り、接客、片づけまでを千晴さんが受け持つ。

カフェでもスタンドでもない、珈琲文化を育む空間。

そんなカピン珈琲が山口市に移ったという噂を聞きつけ、
豆を直接買いたいと家を訪れる人が増えてきた。
それを受けて、自宅に隣接していたトタン張りの物置小屋だった場所を改装し、
カフェではなく、珈琲豆を取りに来てくれる場所を設けようと考えた。
最初に考えたのは、タバコ屋のようなスタイル。それが発展し
「茶室のようにプロセスが詰まった小さな空間に入る体験自体を楽しんでもらえたら、
わざわざ取りにきてもらう楽しみができるのでは」(靖之さん)と考えた。
いちばんこだわった入口は、茶室のにじり口のように頭を下げて入るようになっていて、
2、3歩先を曲がったところでようやくカウンターが見えてくる。

約4畳の空間で狭いなりの心地よさを表現した。カウンターは移動式でイベントに応じて前に出すことができるようになっている。

自宅の改装をお願いした建築家の石丸和広さんに相談し完成した模型。

構想は1年前頃から始めた。
道具同様、素材にこだわり、経年美を大切にしたいので
風化が味になる土壁にしたいと考えた。
下関市の安養寺に建てられた、隈研吾設計による阿弥陀如来像収蔵施設の
土壁を担当した福田靖さんという左官屋さんを紹介してもらい、
土壁のタイルからオリジナルのものを一緒につくった。
サンプルをつくってもらい、日数を経た変化なども踏まえ、
土とモルタルの配合を決めた。
入口のドアを銅にしたのも風化を念頭にしている。

自宅の改装を格闘しながら完成させた妻の千晴さんが職人さんとやり取りし、靖之さんがチェックしながら4畳ほどの御渡所が完成した。

隣接する建物がない土地にポツンと立つ亀谷さんの自宅。
暖簾をくぐって中に入り、和室を脇に見ながら廊下を抜けると、
右手にみごとな吹き抜けの空間が広がる。
半年ほどかけて改装されたモダンなリビングスペースは
修道院をイメージして白を基調としており、珈琲豆御渡所「龜」のオープンを機に、
これからは時にギャラリー空間にも生まれ変わる。

第一回目の展覧会は、東京・元麻布の「さる山」を主宰する
猿山修さんによるオリジナルの食器やカトラリーなどを中心とした
「猿山修展」が開催された(11月1日〜17日)。
オープニングには福岡のビストロ「mi:courier」を迎え、
濱中さんの器を使ってパーティーが開かれた。
ギャラリーに限らず、生活する空間でもあり、アトリエ空間でもある、
多目的な空間として運用していく予定だ。

「猿山修展」の様子。普段はリビングスペースとは思えないほど、凛とした空間。

11月2日に開かれたオープニングパーティーの様子。濱中さんの器に素材にこだわった料理が並ぶ。

「龜」でも、ただモノを売り買いする場所ではなく、
例えばパンや音楽など、自分たちでは扱っていないけれど
さらに珈琲を楽しめる要素を体験できる場所にしていきたいという。
「豊かな自然と食が楽しめる山口に、少しずつカルチャーの要素を足していきたい」
と、靖之さん。
ただ、お店ができたからといってそこに来てもらえば完成ではなく、
お客さんが持ち帰った豆を抽出して飲んでもらって
初めて完成するというスタンスは変わっていない。

「住みながら完成に近づけていくつもり」(靖之さん)という亀谷家は、
一年半が経ったいまでも、部屋の延長として庭に敷石が加えられたり、
訪れるたびに手づくりの家具が増えていたり、
亀谷夫妻の生活を豊かにする試みはとどまることを知らない。
珈琲豆御渡所「龜」は、カフェでもスタンドでもないあり方で
珈琲文化を豊かにするための提案だ。

外にドリップポットが掛かっていたら、御渡所のオープンの合図。

種から作ったジンジャーエール

自分たちの手で作る楽しさ。

移住して1年、農業を始めて1年。
いよいよ2シーズン目の植え付けが始まりました。
少し遅くなってしまいましたが、いまは玉ねぎの苗をひたすら植えています。
2000本くらいの小さな玉ねぎの苗を地道に1本1本。

いろは(娘)も玉ねぎの植え付けの準備を手伝い。

1本1本地道に玉ねぎの苗を定植。春の収穫をイメージしながら。

去年の秋から1年かけて何種類かの野菜を作ってきました。
四葉きゅうりや赤オクラ、そら豆、じゃがいも、ベニー人参、いんげん豆、生姜……。
うまく収穫できたもの、虫にやられて全滅してしまったもの、
水不足で枯れてしまったもの、どの野菜にもストーリーがあって、
たった1年なのに写真を見返すとすでに懐かしい(笑)。

そんな野菜の中でも手間をかけて育ててきたのが「生姜」。
寒い冬、体の中から温めてくれる生姜。
これを自分たちの手で作りたいなと思い、とにかく作ってみよう! と栽培。
そもそも生姜ってどんなふうに育つのか何も知らない状態からのスタート。

生姜を植える畑の土作りから。
4月、冬の間に作っておいた堆肥を混ぜ込み、その後、畝立て。
マルチをかけて、種生姜約400個を植え付けていきました。

そして6月に入ってようやく芽が出てきました。
喜んだのもつかの間、今年はほんとに空梅雨だったので、夏の間は毎日水やり。
そして雨は降らなくとも雑草はもりもり育つので、草抜き。
ほんとはもっともっと手入れしてあげなきゃいけなかったんだろうけど、
できるところまで手入れ。

今年6月。やっと生姜の芽がでたけど、雨が全然降らず早朝水やりが日課でした。

今年9月。生姜の葉っぱです。暑さも落ち着きもうすぐ収穫。

この茎の下に生姜が埋まってます。

9月中旬、試し掘り。まだまだ小さかった。もう少し待つことに。

暑さも落ち着いた9月中旬、試し掘り。
できてる! できてる!
もう少し大きくなるまで待って、本格的な収穫は11月に入ってから。
大きいの小さいの、さまざまでしたが、収穫まではなんとか終了。

そしていま、そうやって自分たちの手で種から育てた生姜を使って、
ジンジャーシロップ作りをしています。
ジンジャーシロップを炭酸で割ればジンジャーエール、
紅茶に入れればジンジャーティー。
そもそもジンジャーエールが生姜でできてるってことを知ったのも数年前。
完成品しか知らず、何でできているのか、どうやって作るのかなんて
昔はあまり考えなかったのに、ここ最近は自分で作ることが楽しいし、
なるべくそうしている。

収穫した生姜。いい香りがします。

小さいサイズを使ってジンジャーシロップ作り。きれいに洗ってこれからスライス。

きび砂糖をまぶして、生姜から水分を出します。

シナモンやカルダモンなどのスパイスと一緒にぐつぐつ煮る。

ジンジャーシロップの完成。何度か作ってHOMEMAKERSの味を作りたい。

炭酸で割ってレモンと生姜のスライスを入れれば、オリジナルのジンジャーエール。

手間もかかるし、生姜については保管をどうするかという大きな課題もある。
ただ、こうやってひとつずつ自分たちの手で生み出し、
ゆくゆくは商品として販売したいなという野望もある(笑)。
まだまだ挑戦の日々です。

魅惑のご当地 カレンダーコレクション。 兵庫県姫路市の「灘のけんか祭り  特製卓上カレンダー」

師走ですね。
コロカルニュースでは、お茶の間で台所でトイレで
生活を彩ってくれる、すてきな「ご当地カレンダー」
をじゃんじゃんご紹介していきたいと思っています。

まずは兵庫県姫路市から、「灘のけんか祭り」のカレンダーが登場です。
「灘のけんか祭り」とは、姫路市白浜町の松原八幡神社にて、
毎年10月14日・15日に行われているお祭りのこと。
地元の漢(おとこ)たちが、荘厳なお神輿をかついで練り歩いては
ぶつけあう、大迫力のワイルドなお祭りです!
一番のみどころは、「ヨーイヤサー」の掛け声とともに、
神輿同士が決戦する「練り合わせ」。

「灘のけんか祭り」は、
全国の数ある「けんか祭り」のなかでも最大規模と言われていて、
お祭りの時期になると、市内はもちろん、
兵庫県じゅうからワイルドさに魅せられた
漢たちが集結するのだそうです。

今回ご紹介する「平成26年 灘のけんか祭り 特製卓上カレンダー」は、
けんか祭りに登場するお神輿や練り合わせの模様が月替りで登場いたします。

この作者さんである、「灘のけんか祭りHP」管理人の
有本さんに「灘のけんか祭り、地元の人にとって、
けんか祭りとはどのような存在なのですか?」
と聞いてみたところ、こんなお答えを頂きました。

「この祭りのために1年を過ごしてきています、
昨年の祭りが終わってから、この祭りに向けて準備をすすめ。
正月よりも祭り、盆よりも祭りというのがこの地区での楽しみです。
盆・正月に帰省しない人でも、祭りには帰省してきます。
当日は、屋台を練り上げ、他の地区に負けないように練り競います。
人に見てもらう祭りというよりは、自分たちが楽しめる祭りになっています。」

お祭りへの愛が伝わってくる、
素晴らしいコメントです。
いつかお祭りに行って「ヨーイヤサー」と
叫んでみたいところ。
お祭りは年に一回ですが、カレンダーなら
毎日お祭り気分を味わえますね。
購入は下記Webサイトより。

灘のけんか祭りHP「平成26年 灘のけんか祭り 特製卓上カレンダー」

淡路島・ちょぼ汁

幻の産後食を求めて。

前回に引き続き、兵庫県・淡路島よりお届けします。
今回ご紹介するのは「ちょぼ汁」です。

本題のちょぼ汁に触れる前に、ここまでの流れを少し。
神戸出張から少し足を伸ばし、淡路島へやって来ました。
市役所にご紹介いただいた地元の方を訪ね、郷土料理を教わっています。
生まれも育ちも淡路島というおふたり、河野さかゑさんと野村かよ子さん。
[ff_textlink_by_slug slug="tpc-foo-tasty-006"]前回作って頂いたのは、淡路島名物「たこ飯」と、「いびつ餅」[/ff_textlink_by_slug]です。
ほんわり優しく香るたこ飯、熱々とろ~りいびつ餅、極上の味わいでした。

今回のちょぼ汁は、私からお母さんにリクエストしたもの。
『聞き書き日本の食事』というシリーズ本があり愛読しているのですが、
その中にこんな記述がありました。

ちょぼ汁は、乳の出を良くすると言って、産婦には必ず食べさせるもの。
もち米の粉を耳たぶくらいのやわらかさに練り、
生まれた子が男の子ならひょうたん形、
女の子は俵形にする。

うーーーん、なにやら温かい、ぐっとくる。
ぜひぜひ、この郷土料理に触れてみたい。
河野さんに伺ったところ、「作れますよー」とのご返答をいただき、
今回お願いした次第。

それでは、調理室に戻ります。

開運祈願!東京の 晩秋の風物詩「酉の市」で かわいい熊手を買いました

東京の晩秋の風物詩である「酉の市」で、
コロカルも商売繁盛を祈って熊手を買いました!
かわいい招き猫が真ん中に鎮座するこの熊手、
お値段は3000円ほど。
熊手といえばおかめやひょっとこなどのイメージが
ありましたが、最近では可愛らしい熊手もあるんですね。

熊手を買う時には特殊なルールがあって、
3000円の熊手なら、
お店の人が「じゃあ1500円にまけるよ!」
と安い金額をオファーしてきます。
そこで、「じゃあ1500円はご祝儀ね!」と応えて、
気前よく買うのが粋だとされているんです。
関西の方には異様に映るかもしれませんね..。
しかもこの熊手、毎年昨年よりも大きなものを
買うのが習わしだとか!

屋台で販売される熊手の数々

そもそも酉の市とは、江戸時代にルーツを持つ、
開運招福・商売繁盛を願う年中行事です。
神社の境内に、開運や商売繁盛を招くという
熊手を売るカラフルな屋台が立ち並び、大変なにぎわいをみせるお祭りです。
11月にめぐってくる旧暦の酉の日に開催されるので、
ひと月に2回もしくは3回行われます。

とくに浅草の鷲神社や新宿の花園神社が有名で、
花園神社には「ヘビ女」がいる見世物小屋も名物!
この時期の東京を訪れることがあったら、ぜひ一度
訪れてみてはいかがでしょう。

浅草酉の市

「小豆島の顔」プロジェクトが残したもの

1年かけたプロジェクトを振り返って。

瀬戸内国際芸術祭(以下、瀬戸芸)が終わって1か月。
すっかりいつもの静かな肥土山(ひとやま)で、
先週末「わらアート」と「小豆島の顔」の撤収作業が行われました。

いつもの静かな肥土山の田園。

撤収作業中の「わらアート」。瀬戸芸期間中は、ここをわらわらと人が歩いていました。

「小豆島の顔」の撤収作業。温かい秋の陽射し。

「小豆島の顔」は、小豆島で暮らす60代以上のおっちゃんおばちゃんの
顔写真を撮影・展示するプロジェクト。
写真家のMOTOKOさんと島の友人たち、行政の方、
そしておっちゃんおばちゃんたちと一緒に取り組みました。
夏の間に撮影し、瀬戸芸秋会期のタイミングに合わせて
馬木(うまき)・肥土山の2地区で展示。
それぞれの地区の瀬戸芸作品とあわせて、たくさんの人たちが訪れてくれました。

そしていよいよ撤収作業。
地元の友人たち、おっちゃんたちと一緒に。

肥土山地区の展示は肥土山離宮農村歌舞伎舞台横の建物の壁に。ここで1か月半展示していました。

撤収作業スタート。あっという間に終了。

観光客の人たちに説明。瀬戸芸後もちらほらと観光客がやってきます。

このプロジェクトを通して学んだことはとても多かったけど、
とにかくいろいろな人を巻き込んで一緒にやることのパワーをまざまざと感じた。
自分たちだけでできることは限られてる。
私たち家族だけでは、時間がかかり過ぎるし、技術も道具もほとんどない。

撤収作業ひとつにしても、友人たちが手伝いにきてくれて、
2時間くらいであっという間に終わってしまった。
いろんな知識や技術をもった仲間がいるのはほんとに心強い。

みんなで一服しようと10人分のコーヒーを持って。

撤収作業後、コーヒーを飲みながらいろいろと。

企画から1年くらいかけて取り組んできた「小豆島の顔」プロジェクト。
地元のおっちゃんおばちゃんたちへどうお願いするか、
撮影や展示場所の手配・調整、行政との関わり方、予算の集め方など
初めてのことだらけで、何度も行ったり来たりだった。
けれどこの過程を経て、いろいろな世代、職種の人たちがいる地域で
何かをするというのがどんなことなのかを身をもって学び、
それぞれの人との繋がりが深くなった。
展示は終わったけれど、今回得た経験、地域の人、行政の人、
島の友人、外の人との繋がりは、これからも残り続け、
島で暮らしていくうえでなくてはならないもののような気がします。

大きく印刷された顔写真は、本人の自宅や集会所へ。
そして、今回の写真を収めたプロジェクトブックは、行政や自治会へ。
ちなみにHOMEMAKERSのお店にも置いてあります。

「小豆島の顔」のポスターにもなったたけっちゃん。ご本人の写真とともに。

「小豆島の顔」のプロジェクトブック。HOMEMAKERSで読めます。

瀬戸芸も「小豆島の顔」プロジェクトも終わり、
またいつもの冬を迎えようとしている静かな小豆島。
でも実は、新たなプロジェクトがあちこちで動き出そうとしています。
楽しみ楽しみ。

旬の野菜を食べる

季節を感じ、旬を食べる暮らし。

小豆島はすっかり冬空。
朝晴れていたのに、ふと気づくと空を覆う灰色の雲。
そして冷たい風。
ストーブとやかん、温かいコーヒーが恋しい季節がやってきます。

自然や畑と近い暮らしをしていると、季節の移り変わりに敏感になります。
紅葉し、緑から赤や黄色へ変わる山々。
柿やみかんがたわわに実る木々。
そんな風景が毎日身近にあるので、季節を感じずにはいられない。

紅葉する木々と肥土山(ひとやま)の集落。

柿はほんとにいたるところにあります。そして家の軒下には干し柿も。

みかん! ついつい食べたくなりますが我慢(笑)。

畑の野菜たちも冬の到来を教えてくれます。
夏秋と豊作だったナスは実が固くなり、
秋採りのキュウリの葉っぱは枯れてきてしまった。
先週急いで収穫したのが、サツマイモと生姜。
霜が降りてしまうと葉や茎が腐ってしまい、実も傷んでしまう。
急きょ島の友人たちが手伝いにきてくれて、皆で一気に収穫しました。

サツマイモの収穫。友人たちのおかげで一気に作業が進みました。

生姜の収穫をするたくちゃん(夫)といろは(娘)。生姜ってこんなふうになってます。

そして、新たに登場したのが夏にせっせと種をまいた秋冬野菜!
小松菜、チンゲン菜、赤軸ほうれん草、水菜などの葉物。
人参、かぶ、大根などの根菜類。
季節によってこんなにも畑の風景は変わるものなんだなと実感します。

色づく山々と畑。もう少ししたらじゃがいもの収穫。

大根! まっすぐ立派に育ちました。

赤軸ほうれん草。サラダで食べます。彩りもきれい。

黄色く色づき始めたレモン。

自分たちで畑をやるようになって、スーパーでほとんど野菜を買わなくなりました。
その時期に採れた野菜を使って料理を作る。
朝はサラダに、夜は炒めものやお味噌汁の具にしたり。
だからここ最近は毎日のように
サツマイモやいんげん豆がテーブルのどこかにいます(笑)。

スーパーでは一年中だいたい同じ野菜が並んでる。
冬なのにトマトやキュウリがあって、夏なのに大根が売られている。
都会で暮らしている時はそれが普通だったし、
なんとも思わずいつも同じような野菜を買っていました。
それはすごく便利なことだし、必要な場合もあると思う。
でも自分たちで畑をやるようになってから、トマトと大根が一緒に並んでいると、
なんとなく違和感を感じるようになった。
露地栽培の畑では同時に見られない風景だから。

おいしいお野菜とは?
旬の時期に育てた、採れたての野菜が一番おいしいと聞いたことがあります。
季節に素直に、旬のお野菜を食べる暮らしが体にも心にも心地いいのかなと。

赤大根家族(笑)。旬野菜のセットとしてお届けしました。

小松菜、マノアレタス、赤軸ほうれん草。ピチピチです。

ベビー人参。ポリポリ生で食べるのがとてもおいしい。

レモンは11月頃から色づきはじめ、暖かくなる頃まで。

「山を読む、二日間」後編

灯籠を介して、生まれるコミュニケーション

ひじおりの灯」のトークイベント「山を語る」(前編参照)終了後には、
今年は「山を描く」と題して、絵語り、夜語りが行われた。
この日は絵を描いた学生たちが来ていて、制作秘話を聞くことができる。
少しほろ酔いで歩くもよし、湯冷ましがてら歩くもよし。
浴衣に、下駄姿。温泉街を歩くお客さんの姿は肘折温泉の変わらない風景だが、
夏の「ひじおりの灯」開催中は、夜もちらほらと浴衣姿が見受けられる。
愉しげな明かりが通りを灯すから、少しだけそぞろ歩き。

灯籠に灯された、肘折温泉の共同浴場「上の湯(かみのゆ)」。

「ひじおりの灯」期間中は、夜になると、 肘折青年団も、
通称「くろ」と呼ばれる屋台カフェをオープンする。
冬に会った須藤絵里さんや、早坂隆一さん、早坂 新さんもお店を切り盛りしていた。
「『くろ』を見ると、今年もこの時期がやってきたなって思う。
みんながまとまって何かをするイベントのひとつになっています」と絵里さん。
「ひじおりの灯」が始まった当初は、
青年団が集まって話す機会なんてほとんどなかったのだという。
いくつかのきっかけがあったり、毎年「ひじおりの灯」を開催するごとに、
変化していった関係。少しずつ同年代の人との会話が増えていく。
いつのまにか、これを楽しみに来てくれる常連客に会うようになり、
青年団のみなで、毎年「くろ」を出店するようになった。

こちらが通称「くろ」。この日は、日本酒がお客さんたちに日本酒が振る舞われた。お盆に日本酒を持つのが隆一さん、奥にいるのが新さん。

制作について熱心に語る学生の隣で、滞在や制作をサポートした旅館やお店の方々も、
少し誇らしげだった。 まるで、我が子を褒めるようにあたたかく見守り、一緒に会話する。
灯籠絵をきっかけに、コミュニケーションが生まれる。
それも、この「ひじおりの灯」の面白さのひとつだ。

肘折温泉には、何度も来ているという浴衣姿のお客さんたちは、楽しそうに学生の話を聞いていた。

自然のままの森を、歩くということ

「ひじおりの灯」開催中に、開かれたイベント「山を読む、二日間」。
2日目に行われたのは、「山を歩く」。取材チームも参加することになったが、
カメラマンも私も登山初心者。
心配ばかりが募ったが、どんな風景に出会えるのかは楽しみでもあった。
イラストレーターで山伏の坂本大三郎さんを先達(道の案内人)に、
肘折温泉周辺の山へ登る。 まずは、肘折温泉のシンボル・開湯伝説を伝える「地蔵倉」へ。

肘折温泉の共同浴場「上の湯」脇にある石段を登り、
最初に「湯坐神社」と肘折の人々に親しまれている「薬師神社」にお参り。
そして、「地蔵倉」と書かれた看板の方向へ裏山を登っていく。
肘折温泉を訪れる湯治客の多くが訪れるというだけあり、歩きやすい山道だ。
途中で、何度も可愛らしいお地蔵さまに出会った。
「肘折温泉にはたくさんのお地蔵さまがいる」と言って、
東北芸術工科大学の学生が灯籠絵に描いていたのがよくわかる。

地蔵倉までの道を、まるで案内してくれているようにお地蔵さまがいた。

国道 458 号線を渡り、そしてまた山へと入っていく。
肘折温泉の集落を出て 20~30 分が過ぎたころ、
片側の崖に沿ってわずかにつくられた、せまい道が現れた。

崖に沿って少しスリリングな道を進み、松がたっている中央の角をまがると地蔵倉が見えてくる。

反対側は、肘折温泉の集落やそれらを囲む山々を見渡せる。
遠く連なる山々は美しく、目の前に広がる雄大な景色は日本とは思えない。
どうやって、こんな道ができたのだろう。
少しスリリングだけど、他にはない景色を見て、気分は壮快。
心地よい風に吹かれながら、この崖っぷちを歩いて行く。 そして「地蔵倉」に着いた。

地蔵倉のお地蔵さま。

岩壁に守られるように、石地蔵が反対側の山を望んで並び、
その奥には小さなお堂が据えられていた。
地蔵倉は、「縁結び」「子宝」「商売繁盛」の神さまとして崇められていて、
岩肌には、無数の五円玉が奉納されていた。
ここもまた、今までに見たことのない景色だった。

地蔵倉の景色。

一度、肘折温泉の集落へ戻り、続いて登る道が今回の「山を歩く」の本番だ。
ここからは、全員が参加。 参加者は、サポートスタッフを含め 20 名弱。
東北芸術工科大学の学生や、地元の若者など縁あって申し込みをした人たちだ。
番所峰を越え、霊泉とも言われている「今神温泉」を通り抜け、今熊山の山頂を目指す。
まずは、山への登り口「大蔵鉱山跡」までバスで向かった。

山を登り始めるときに、先頭では大三郎さんが、後方ではつたや肘折ホテルの柿崎雄一さんが法螺貝を吹いた。

大三郎さんを先頭に一列になって歩き、法螺貝が、周囲に鳴り響く。
平坦な砂利道から、少しずつ傾斜がかかっていく。
観光地化された登山道のような整備がされているわけではない、
地元の人や山に慣れた人が入っていくような道だ。
緑が深くなり、傾斜も急になっていく。すると、視界が開けた場所に出た。

ここで、大三郎さんが念仏を唱え、私たちも後に続いて、
配られたプリントに書かれた念仏を読みあげた。
あとで聞いたことだけれど、ここは地蔵倉の向かいの山。
山へ入るための、ご挨拶とも言える、念仏を唱えたのだという。

冬には3~4メートル以上の雪が積もるから、雪の重みで根元が少し曲がっている。

両脇に、木が迫ってくるうような細い山道をひたすら登る。
緑が近いから、古木に生える見たこともないコケが目に入ってくる。
少し息もあがってきた。不思議と風が抜ける場所に到着。最初の目的地、番所峰。
ここは昔、鉱山を守る役人が居た場所だったんだそう。
急傾斜が続いたので、先頭を歩いていた学生たちは、少ししんどそうだった。

ブナの森を歩いていく。

続いて、目の前に広がったのは、ブナの森。
ブナの森は、日本古来の原世林の姿とも言われている。
昭和の後半から急速に失われてしまい今では数えるほどになった風景。
このブナの森は、古から地元の人々が大切に守ってきたものだ。

道があるようでない、落ち葉でふかふかの地面を歩いていく。
どんぐりから芽吹いたであろう、小さな若木がたくさん生えていて、
時折地面を照らす木漏れ日がとってもきれい。
見たこともない光の重なりや、見たこともないかたちの植物に目を奪われながら、
自然と足取りも軽くなり、みなリズミカルに下りていく。
ここが豊かな森であることが、視覚からも触覚からも、身体から伝わってくる。

ブナの林で見つけた食べられるキノコ。ミルクのような液が出ることから「ちち茸」と呼ばれ、出汁がとてもおいしいのだそう。堀内さんが教えてくれた。

そして、道はブナ林から少しじめっとした湿地帯へ入っていく。
ごつごつした岩が現れ、コケがはりついている。
滑りやすいところや、飛び石を渡るときなどは、 サポート役として一緒に登ってくれている、
肘折青年団の早坂 新さんや、 山が好きで肘折に通っているという、
堀内 大(ひろし)さんが手を貸してくれる。 山の湧き水だろうか。触るととびきり冷たかった。

「森のなかに、ぼこっと大きな穴が空いていたりするでしょう。
ほとんどは、大木が倒れてしまって空いたものなんだけど、
山の世界では、“山の神が遊んでいる場所”って言われているんです。
だから、通るときは遊んでいる神様を驚かせないように、
咳払いをしてから通るんだよって、僕は教えてもらいました」
と、ときたま大三郎さんが教えてくれると、
何気ない山の風景がどこか違ったものに見えてきて面白い。

今神温泉の入り口。

湿地帯を抜けて 12 時を回った頃に、到着したのは「今神温泉」。
ここは、長期滞在のみを受け付ける湯治専門の温泉で、 724 年の開湯という歴史を持ち、
別名「念仏温泉」とも言われているそう。
私たちはご主人にご挨拶をして、お水をいただき、昼食をとった。

次に目指すのは、「御池」を見られるという今熊山の頂上。
今熊山にも、かつては山伏がいたと言われている。
想像以上の急傾斜をロープをつたいながら、登っていく。
先頭でへばっていた女子学生たちは、いつのまにか足取り軽く、山をかけあがっている。

イタヤカエデの木。

途中、肘折こけしの材料として使われていたという「イタヤカエデ」があり、
前日のトークイベントを思い出した。
こんな風に木地師たちは、山をかけのぼっていたのだろうか。
そして、山頂らしき、視界がひらけた場所に着き、 御池が見え、参加者から歓声があがる。

今熊山から御池を見る。

水面が鏡面のように美しかった。
御池は、日照りの時も大雨の時も水量が変わらないと言われる、不思議な池。
龍神さまが住むと言われ、地元の人に信仰されているのだそうだ。
今熊野神社のご神体と言われる今熊山の山頂には、 祠があり、
そこでもまた大三郎さんに続き、念仏を唱える。 そして、もときた道を下山。
5時間におよぶ「山を登る」プログラムは終了した。
帰りは、バスで肘折温泉へ戻った。 肘折温泉のある大蔵村から、
山を越えて戸沢村に来ていたようだ。

中央のふたりが、今回私たちの登山をサポートしてくれた堀内さん(左) と新さん(右)。手前の4人は、山形市から参加してきたみなさん。

山を登り終えたわたしたちは、少しだけ、感想を言い合った。
「今回登った道は、かつては銅の番人がいたり、山伏が修験をしていたりと、
山ごとにあった文化を感じられる道でした。 みなが今までに
歩いたことのないような道だったんじゃないかと思います」 と大三郎さんが教えてくれた。
山を歩いているときは、そのままを感じてほしいと、あまり説明はなかったのだ。

最初かなりしんどそうにしていた東北芸工大の女子学生が、興味深い感想を言っていた。
「最初は辛かったんですが、最後は山と身体が馴染んできました。
同じ傾斜でもコンクリートの階段を登るよりも、
地面に生えている草につかまりながら登る山のほうが疲れないのかもと思いました」

傾斜に合わせて身体を使っていく。
そして、森の音に耳をすませ、目をこらし、感覚を研ぎすます。
「いまの日常ではあまり使わない想像力が膨らむ経験でした」という感想も。
それは、都会で塞いでしまっている、
身体の感覚を解放していくような効果もあるのかもしれない。

「自分たちが見ているもののなかから、こぼれ落ちてしまっている情報が
山には残っているんだと思う。そこにある時間の蓄積を読むことで、
もっと文化を立体的に捉えられるようになるんじゃないかなと思います」
と、最後に大三郎さんが話してくれた。

実は、この「山を登る」プログラムを実行するためには、
肘折の青年団が一度登ってコースを確認したり(こちらに詳しく)、
戸沢村の方々の協力があったりして実現したことだったという。
手つかずの森に初心者が入るとなれば、いくつかの準備も必要となる。
しかし、そんなふうに、毎年「ひじおりの灯」が行われることで、
地元のみんなで新しい試みにチャンレジンする機会にもなっている。
特に今回は「この土地の根源的な文化に触れられるテーマだった」と、
共同企画者、東北芸工大の宮本武典先生。
今回のプログラムで、新たな試みを動かしつつあるようだ。
「大三郎さんが肘折に来たことで、この土地と“山”との関係を見つめ直しました。
今後も『肘学―山行』として、季節やコースを変えながら、
周辺の山々をめぐる企画を考えています」とつたや肘折ホテルの柿崎雄一さんは話す。

1日目に行われた「山を語る」で聞いていたことが、
実際に山を歩くことで、体感できた今回の「山を読む、二日間」。
実はあまり、山に馴染みがないという地元の若い人たちや、
東北芸工大の学生たちにとって、山が身近な存在になったはず。
素朴で昔ながらの山道が教えてくれることは、まだまだたくさんありそうだ。

information

肘折温泉

住所 山形県最上郡大蔵村南山
http://hijiori.jp/

秋の収穫祭、自分の手で収穫する

小豆島の豊かな恵みに感謝して。

11月、小豆島ではあちこちで収穫祭が開かれています。
先週末も、地元地区の収穫祭とオリーブの収穫祭がありました。

そもそも収穫祭ってなんで秋なんでしょ。
野菜は春、夏、秋、冬とそれぞれの作物が収穫できます。
「夏の収穫祭」とかでもできそうだけど。
でもやっぱり「秋の収穫祭」なのは、お米が日本人の食のベースだからなのかな。
今年もおいしいお米が収穫できたことを感謝し、皆で楽しむお祭り。

「おおぬで村の収穫祭」新米やみかんなど地元で収穫されたおいしいものがずらっと並ぶ。

新米おにぎり。婦人会のおばちゃんたちがにぎってくれます。

今年収穫したもち米でお餅つき。

皆で輪になって「瀬戸内踊り」を踊ります。

私たちの暮らす肥土山(ひとやま)でも、先日収穫祭が行われました。
「おおぬで村の収穫祭」は去年から始まって今年で2回目。
地元の「大鐸(おおぬで)地区村里づくりを進める会」というグループと
JA(農業協同組合)が主催のイベント。
大鐸というのは、肥土山地区も含んだもう少し広い地区の名前。

とにかく豊か!
今年の秋に収穫したお米、10月から収穫が始まったみかん、
キャベツや白菜、かぶなどのお野菜、そしてお素麺。
この地区で作られたものがずらっと並びます。
そしてお昼ごはんは、新米おにぎりと豚汁が無料で振る舞われます。
この豚汁がまたおいしくて、お味噌も地元のおばちゃんたちが作っているのですが、
いつか私もこの味噌を作れるようになりたいと思っています。

去年引っ越してすぐにこの収穫祭に参加した時、
「来年は提供する側で参加したい」と思っていたのが実現し、
今年は私たちも収穫したお野菜を販売しました。
いんげん豆、マノアレタス、ベビーニンジン、生姜、サツマイモなど。
お野菜とあわせて温かいコーヒーも!

HOMEMAKERSとしてお野菜を販売。

地元のおばちゃんたちがコーヒーを飲んでいってくれました。

そして、もうひとつの収穫祭。「オリーブの収穫祭」です。
秋になると、栗、柿、みかんなど景色の中においしいものがいっぱいですが、
小豆島ならではのものがオリーブ。
オリーブは、春に花が咲き、夏頃から黄緑色の実が大きくなり、この時期に熟して
赤、紫、黒など、葡萄のようなチェリーのような、そんな色になります。
10月頃から小豆島のあちこちのオリーブ畑で収穫が始まり、収穫祭が開催されています。

先週末、イズライフさんの「イズライフ秋のオリーブ大収穫祭」へ。
収穫祭にもいろいろありますが、イズライフさんの収穫祭は
祭りというか本格的な収穫のお手伝い(笑)。
オリーブ畑に行って、ひたすら収穫します。

イズライフのオリーブ農園。熟した紫色になったオリーブの実。

子どもたちも一緒にオリーブ収穫。実を摘むのは楽しい。

たくちゃん(夫)は脚立で高いところにある実を収穫。収穫祭というか労働(笑)。

手摘みしたオリーブの実。とにかくひたすら収穫。

収穫したオリーブの実100kgからオリーブオイル10kg。
一粒一粒、手摘みで収穫する作業は本当に時間がかかります。
そして、収穫したオリーブを選別。手間のかかる作業ですが、
この作業を経て、おいしいオリーブオイルができ上がります。

収穫後は倉庫でオリーブの実の選別。

とてもおいしそうなチョコボールに見えてくる(笑)。しかし危険! オリーブの実はそのまま食べると耐え難いほど苦いらしい。

小豆島は、「食」や「農」が生活のすぐ近くにある。
食べているものが、誰がどんなふうに作っているのかわかるものが多い。
これはすごく幸せで豊かなことなんだろうなと思います。

イズライフさんのオリーブ収穫祭は、11月24日(日)25日(月)も開催されます。
自分の手で収穫する収穫祭、最高です!

千年続くまちを次の世代へ 「結いプロジェクト」

長年変わらぬものがまちの資源。

見世蔵や古民家、格子戸の問屋といった伝統的な建造物が今も残る、茨城県の結城市。
鎌倉時代より千年を超える城下町として栄えてきた。
織物「結城つむぎ」の一大産地であり、みそや酒などの醸造業も盛んで、
江戸時代は都に生活物資を供給する重要な拠点だったという。

200年前にはこの問屋街が「大町通り」と呼ばれ、お城に続くにぎやかな一番街だった。

ところが長年裕福だったまちは、ここ数年高齢化が進み、
後継者不足で空き店舗が目立つようになった。

「外から訪れた人には、いいまちだねって言ってもらうことが多いです。
でも、まちから若い人が減って活気がなくなっていくのを感じていましたし、
僕自身、20代の頃は自信をもって結城っていいまちだと言えなかった」
そう話すのは、「結いプロジェクト」代表の飯野勝智さん。

飯野さんは大学で建築を学び、地元結城市で設計事務所を開業。
いつかは地元で独立を、と考えていた飯野さんは、
建築を学ぶなかで改めて結城市の個性を見つめ直したという。

「見世蔵などの古い建造物や、神社お寺などの人が集まる場がたくさん残っていること、
そしてそれを守ってきた人々の営みなど、長年変わらないで続いていることが、
結城の貴重な資源ではないかと思いました」(飯野さん)

「結い市」当日。健田須賀神社で行われた成功祈願の様子。

まちの中心にある健田須賀神社で毎年行われている夏祭りなどは、
700年以上前から続いているという。
「結い」という言葉を知ったのもその頃だった。

「白川郷の茅葺き屋根の葺き替えの話は有名ですが、
“結い”とは一人ではできないことを皆で協力してやっていくこと。
今結城に残っているものを地元の人が一緒になって大切にし、
このまちを盛り上げていく、そんな気持ちを取り戻すことができないかと考えました」(飯野さん)

飯野さんのその思いに応えたのが、商工会議所の職員であり、
まちづくり会社(TMO結城)にも所属する野口純一さんだった。
2009年、ふたりはさらにメンバーを募り、プロジェクトを発足。
結城市の「結」と「結い」から「結いプロジェクト」と名付けた。
初年度に行ったイベント「結い市」は神社の収穫祭に合わせたマルシェとして始まり、
2年目以降、まちに点在する「見世蔵」を会場として広がりを見せていく。

運営メンバーの使う前掛けにも「結」の文字が。

まちの“おもてなし”の気持ちを呼び覚ます。

結城市に今も多く残る「見世蔵」とは、明治から大正にかけて造られた、
土壁で漆喰仕上げの建造物。単なる貯蔵庫ではなく、
通りに面して売り場を設けられたお店を兼ねた蔵だ。
この建物こそまちの大切な資源のひとつと考えた飯野さんは、
2年目の「結い市」で蔵などまち中の建物を会場にして、
クラフト作家やアート作品、カフェなどの出展を行うことを提案する。

ところが結城市に残る見世蔵は、今もそのほとんどが現役。
つむぎ問屋や老舗の商店など商売に使われていたり、
人が住んでいるなど、会場とするのは一筋縄ではいかなかった。

「野口くんとふたりで一軒一軒、家主さんの元へ出向いて、
蔵を『結い市』の会場として使わせてもらえないかと説明してまわりました。
初めはなかなかこのプロジェクトの主旨を理解してもらうのが難しかった」(飯野さん)

だが、飯野さんの実家が7代続く左官屋と聞くと、
話を聞く人たちの表情がふっとゆるんだのだという。

「結城市に残る蔵はしっかりした造りのものが多く、メンテナンスしながら使われています。
そのお手伝いをしてきたのが、出入りの職人として左官の仕事をしていた僕の先代だったんです。
“うちも飯野さんのところにずっとお世話になってたんだよ”って言われると、
ぐっと関係が近づく気がしました」(飯野さん)

2013年「結い市」にはおよそ3万人の来場者が訪れた。見世蔵の前で、道ゆく人へコーヒーをふるまう。

初回に会場として借りることのできた建物は5~6軒。
実際に運営が始まってみると、見世蔵は単に展示の場所としてだけでなく、
まさしく“結い”の場になっていった。

「もともと商売人の方が多いまちです。
お客さんを“もてなしたい”という気持ちに次第に火が灯っていった感じでした。
出展者が不在にする間、家主さんが代わりに店番をしていただいたり、
一緒になって接客をしてくれるようになっていきました」(野口さん)

つむぎ問屋「奥順」弍の蔵にて、古道具と生活雑貨の展示販売の様子。

櫻井長太郎別館にて行われた焼き菓子の販売と絵画展示。屋外ではカフェの出展も。

楽しかったという家主の話はすぐにまち中に広まり、年々協力してくれる数は増えていった。
「結い市」4回目となる今年の会場は30か所。
夢中で進めてきて、ふと気付くと、まちの雰囲気が変わり始めていたと野口さんは話す。

「気付いたら、お味噌屋さんの古かった暖簾が新しくなっていたんです。
これまで目立たなかった和菓子屋の看板も目立つように工夫されていたり、
まちを歩いていると挨拶してくれる商店主が増えました。
後継者がいないことで商売に対してあきらめ気味になっていたまちが、
少し前向きになってきたのを感じました」(野口さん)

つながり支え合うきっかけに。

このように、結いプロジェクトを通してまちの人たちと縦の関係ができていく一方で、
横のつながりも広がっていった。

例えば、結城つむぎの問屋「奥順」の関根智恵さん。
3年目より結いプロジェクトに参加し、
新しい層に着物のあるライフスタイルを提案する活動を行っている。
今年の「結い市」では、PONNALETのラオス・カンボジアのつむぎと
結城つむぎのコラボレーション作品を披露し、
カンボジアのクロマーという布の活用法を学ぶワークショップを行った。

「結い市は、つむぎを知らない方たちに新しい感覚でふれてもらういい機会になると思っています。それに結城市の資源はつむぎだけではないので、
このまちにもっと多くの人たちに来てもらいたい。
私たちくらいの世代の厳しい目をもつ女性にも、
結城が行ってみたい場所の候補に入るようになるといいなと思っています」(関根さん)

結いプロジェクトの中心メンバー。(左から)野口さん、飯野さん、関根さん、小池さん。

結城つむぎの展示場では、カンボジアの布クロマーの使い方と半幅帯の結び方のワークショップが行われた。

運営メンバーも今では30~40名。
立ち上げ当初は役所の職員や、結城つむぎの織子(おりこ)さんなど、
結城市に住む参加者が多かったが、ここ1~2年は結城出身で都心在住の人など、
遠方から応援にかけつける人も増えた。

2012年「結い市」の運営スタッフ大集合。プロジェクトメンバーに加えて、ボランティアスタッフも。

プロジェクトのアートディレクションを担当する小池隆夫さんも、
活動の主旨に共感して参加したひとり。

「僕自身、結いプロジェクトを通してたくさんのまちの人たちと知り会いました。
なかには結城で新しくお店を始めた方もいて、
デザインの仕事でそうした人を応援できることも
プロジェクトに参加している魅力のひとつです」(小池さん)

小池さんの話す「お料理屋kokyu.」は、
築90年の別荘が空き家となっていた場所に2013年3月にオープンした創作料理のお店。
オーナーが商工会議所に相談を持ちかけたのをきっかけに、
野口さんが物件探しや起業のサポートを行い、
結いプロジェクトのメンバーを引き会わせたのだという。

「お料理屋kokyu.」。もとは別荘だったという築90年の趣ある建造物。

結果、小池さんが、新しいお店のデザインを通したブランディングを担当、
飯野さんは建築面でのサポート、関根さんは新しいお客さんを連れてくるなど、
結いプロジェクトのメンバーで自然とあらゆる面からのサポートが行われた。
「kokyu.」ができたことは、結いプロジェクトを通して強いネットワークが生まれていることを、
メンバー自身が感じた出来事だったという。

「まちが単なる場所というよりも好きな人々が暮らすまち、という印象に変わりました。
越してくる人が増えれば、結城にひとつずつ明かりが増えていく感じがして嬉しいんです」(小池さん)

千年続いたまちを次の世代につなぐために、まずは今、まちに生きる人々がつながり、
支え合う関係をつくること。
それがひとつの答えかもしれないと、今彼らは思い始めている。

田舎でカフェを開く

自宅の一部を、人が集まる場に。

3月から始まり、春、夏、秋と108日間開催された
瀬戸内国際芸術祭2013(以下、瀬戸芸)が先週閉幕しました。
私たちが暮らす肥土山(ひとやま)地区にも作品が展示されており、
普段は誰もいないバス停や田んぼのあぜ道にたくさんの人がいました。
瀬戸芸全体の来場者数は約107万人、小豆島には約19万人の方がみえたそうです。

私たちはというと、ここ数週間ずっとカフェオープンの準備をしながら
畑作業・野菜出荷といった感じ。
瀬戸芸も、結局小豆島以外の島には足を運べず、
島内の作品も半分くらいしか見れてない……。
本当はもう少し時間を作るべきだったのかもしれないけど、
いまは自分たちの暮らしを作っていくことで手一杯、
そしてそれが楽しくもあるので、そういう時期なのかなと。

カフェのエントランスから差し込む朝陽が毎日ほんとに美しい。

できたてのカウンター。カウンターの側板には、2階で使っていた床板を使用。

というわけで、私たちは小豆島の肥土山という田舎でカフェを開きます。
少し書き方を変えると、自宅の一部をカフェとして開きます。

小豆島に移住する前から、こっちに来たら
自宅を改修してカフェをやろうと決めていました。
美味しいコーヒーが飲めて、ゆっくり本が読める。
Wi-Fiを使えて、パソコンやiPadなどで仕事ができる。
子どももお絵描きをしたり、庭や畑で遊んだり、大人と一緒に過ごせる。
そんな場所を作りたいなと。

塗装完了した本棚。ここに建築や住まいに関する本、移住に関する本などを並べていきます。マンガも!

自宅のすぐ隣にある畑。ここでお野菜を収穫することもできます。

縁側に面する庭。季節のいい時期は、ここにテーブルを出して景色を楽しみながらお茶できるようにしたい。

カフェのエントランスからの風景。手前に柿の木、奥に肥土山の集落を眺めることができます。

そして、その場所で、自分たちが育てた野菜を使った料理をお出ししたい。
ついでに、採れたてのお野菜たちや自分たちで作った商品も販売できれば。

自分たちが育てた野菜で作った「自給率100%サラダ」2013秋バージョン。

爽やかで飲みやすい小豆島オリジナルブレンドコーヒーを名古屋郊外の「松本珈琲工房」さんと作りました。

とにかく人が集える場所を作りたいと思った。
だから、カフェをやりたいというより、
カフェはその結果としてのかたちなのかもしれない。

アサダワタルさんの『住み開き:家から始めるコミュニティ』という本に、

自宅の一部を、カフェだったり、図書館だったり、
ママたちの習いごとの場だったり、何かのワークショップをする場だったり、
そんなふうにして、人が集まる場として外に開くこと。
完全にパブリックな場とも違った、小さな公共。

とあるのですが、まさに私たちがやろうとしていることは
この「住み開き」なのかもしれません。
自宅の一部をカフェとして住み開く。
そこに美味しいものと、心地良い時間がある感じ。

厨房のすぐ隣が自宅リビング。子どもと近い距離で働きたい。

「かまど」は壊さずに残しました。ここでご飯を炊いたりできるかな。

厨房の設置には思ったより時間がかかりました。まだこれから棚などを取り付けます。

そしてここで、地域のおっちゃんたちとWebの勉強会をしたり、
旅行者と写真のワークショップをしたり、
友人たちといろいろな話をしたりして、
さまざまなコトが起きるといいなと思っています。

大工工事は終わり、厨房もやっと始動。
正式オープンはもう少し先になりそうですが、
クリスマス前には皆さまをお迎えできるかたちがなんとかできそうです。
小豆島ひとやまの農家カフェ「HOMEMAKERS」で、皆さまをお待ちしております。

柿の木の下を歩いて、石垣の手前を右に入ると「HOMEMAKERS」があります。

自宅前の道沿いは、みかんやイチジク、柿、サクランボなど果樹が豊か。

肥土山地区では11月23日(土)まで「わらアート」や「小豆島の顔」を展示しています。HOMEMAKERSから肥土山の集落をのんびり歩いて15分です。

淡路島・たこ飯

簡単、美味しい、港町の料理。

『コロカル』の撮影で、神戸へ行くことに。
スケジュールを確認してみると、撮影後に半日の空きがある。
ならば、ついでに美味しいものにありつきたい、とリサーチを開始。
まずはGoogleマップで神戸周辺を眺めてみた。
ふむふむ、おっと! そうだ、淡路島か。
コロカルの編集者に以前聞いたことがある。

テツ「全国を旅してみて、どこが一番美味しかった?」

エビハラ「淡路島です!!!」

と力の入った回答。

コロカルで一番の美食家とされる彼女が言い切るのだ、
美味しいものに出合えるに違いない。
mapで経路を算出してみると、神戸から車で1時間半。
行けますね、行きましょう!
ということで、まずは目的地が決定。

せっかくならば味わうだけでなく、その作り方も覚えて帰りたい。
ということで、淡路市役所に電話をかけ、相談をしてみた。
すると、親切な女性職員の方が、地元のお母さんを紹介してくださった。

河野さかゑさん。
早速電話をかけてみよう。

テツ「突然の電話ですみません、市役所からご紹介いただきました」

諸々のことを説明し、何か作って頂けないかとお願いをした。

河野「はぁはぁ、いいですよ~」

ありがとうございます! 
低音の落ち着いた声、のんびりとしたテンポが心地よい。

テツ「昔からよく作る、地元ならではの料理はありますか?」

河野「うーん……たこ飯なんかかね~」

テツ「たこ飯! いいですねー」

河野「たこは淡路でよう採れるからね~」

テツ「ぜひぜひ、お願いします! ちょぼ汁というのも本で読んだことがあるのですが、
いまでも作りますか?」

河野「は~は~、作りますよ、できますよー」

やた!

テツ「あの……甘いものも何かあればお願いしたいのですが」

河野「淡路ゆうたら、いびつ餅かね~」

テツ「いびつ餅? 初めて聞くのですが、それはどんなものでしょうか?」

河野「いびつゆうのは……まぁま、食べたらわかると思いますよ~、ふふふっ」

テツ「はい、では伺わせていただきます!」

食の宝庫、淡路島へいざ行かん。

神戸駅でレンタカーを借り、淡路島を目指す。
明石海峡大橋に差し掛かると、向こうのほうにうっすらと島が見えてきた。
ワクワク感が絶頂に。
海ーーー! 島ーーー!

今回訪ねたのは、淡路島の北に位置する江井という港町。
漁港のあるこのまちには、常に新鮮な魚が出回っている。

河野さんとの待ち合わせ場所、江井コミュニティーセンターに到着。
車から降りると、お線香の香りがあちらこちらから漂う。
江井は、お線香のまちでもあり、全国の生産量のうち
7割がこのまちで作られているそう。

建物に入り「調理室」という札の掛かっている部屋へ。
ここでよいのかしら? と、少し躊躇しながら引き戸を開けてみる。

移住して1年、ここで築いた人との繋がり

生き方が大きく変わった、この1年。

去年の10月31日、私たちは神戸から夜行のジャンボフェリーに乗って
小豆島に引っ越してきました。
秋の終わりから始まり、また同じ季節。
気づけば、移住して1年です。

この1年は、ほんとにほんとにいろんなことが盛りだくさんだった。
そして、いままでの人生の中で生き方が一番大きく変わった1年。
まさにターニングポイントというやつです。

そもそも会社を辞めて、名古屋から小豆島に引っ越したというだけで、
人生の大きな転機。
暮らす場所も、働き方も、付き合う人も変わるわけで。
さらに、いまは小豆島自体も大きく変わろうとしている、そんな時期なんだと感じます。
瀬戸内国際芸術祭2013(以下、瀬戸芸)が開催され、
関連するイベントやワークショップが頻繁に行われ、
新しい商品やツアー企画が生み出されるなど、日々ワクワクすることであふれています。

偶然なのか必然なのか、このふたつの転機のタイミングが重なったことにより、
たくさんの出会いが生まれ、たくさんのコトが起こった1年でした。

旧山吉醤油母屋のお庭で開かれた「山吉邸お弁当の会 秋」

すごくおしゃれなお弁当のパッケージ。こういうのも勉強になる。

お弁当の食材には小豆島のものがたくさん使われています。HOMEMAKERSのお野菜も!

小豆島カタチラボを運営するgraf(グラフ)のみなさま。お弁当の会も彼らの企画。

小豆島に引っ越して増えたもの、それは、
1.人との出会い・繋がり
2.リアルなもののやりとり(贈り物や食べ物)
3.お金に直接繋がらない仕事(笑)

すごく大雑把ですが、都会から田舎に移住すると
そんなふうに環境が変わる人が多いんじゃないかな。
とにかく、人との出会い・繋がりが増えました。
今年は瀬戸芸が開催されていることもあり、島にはたくさんのアーティストや
クリエーター、カメラマン、料理人の方々が来ています。
外から来るそういう人々に出会う機会がたくさんあり、彼らと繋がることで、
面白いイベントやプロジェクトに関わることができ、すごく学ぶことが多かった。

この日も新しい出会いが。滋賀県から遊びに来てくれました。畑にて。(撮影:MOTOKO)

HOMEMAKERSのカフェ。11月オープンに向けて準備中。オープン前ですがコーヒーを飲みながら農業の話。

外部の人だけじゃなくて、もちろん地元の人との繋がりもたくさん生まれた。
とにかく、おっちゃん、おばちゃんたちはすごい!
知恵も技術も地元を動かす組織力もかなわないなと思う。

瀬戸芸アートもおっちゃんたちの技術とパワーでできあがっています。

瀬戸芸を見に来た方々に、自家製のところてんをふるまうおばちゃん。ここでも新たな出会いが生まれる。

今年私たちが取り組んだ、地域のおっちゃん、おばちゃんたちの
ポートレート写真を撮影・展示する「小豆島の顔」プロジェクトは、
まさにそうやって生まれた繋がりがあったからこそ実現できたんじゃないかと思う。
外部の人からの刺激、地元のおっちゃんおばちゃんのなんでも作れちゃうパワー、
そしてさらに行政の方々の丁寧なフォロー。
きちんと繋がりがあるからこそ、地元の若者(私たち)が
ワイワイと新しいことをやらせてもらえる。
そういう繋がりが、1年かけてやっとできてきたんじゃないかなと思う。

大阪のgrafさん、地元のおっちゃんたちと乾杯。小豆島の顔プロジェクトやこれからのことなど話はつきない。(撮影:MOTOKO)

小豆島は、瀬戸芸というお祭りが終わって一旦少し静かになると思います。
まだ動き始めたばかりの小豆島。
各地で築かれた繋がりをベースに、きっと面白いことが
どんどん起こっていくんじゃないかな。

育てた野菜を販売する

商売することの難しさ。

10月も最終週。
台風の影響で雨続き。
ひと雨ごとに寒くなり、冬が近づいているのを感じます。

畑はいま、夏野菜から秋野菜への移行期。夏の間もりもり収穫できていた
キュウリやナス、オクラ、ピーマン、大葉、バジルなどが終わりを迎え、
サツマイモやラディッシュ、ニンジン、インゲン、レタスなど
秋冬野菜の収穫が始まっています。

9月中旬に定植したつるなしインゲン。やっと収穫が始まりました。

「黒トマト」と呼ばれるブラックチェリーという品種。今シーズンはもうそろそろおしまい。

水菜とチンゲンサイ。葉物が育ってきてます。

玉ねぎの芽。元気に大きくなれー!

4メートルくらいまで育った赤オクラ。この夏たくさん収穫させてくれました。

さてさて、こうやって育てた野菜たちをどうやって販売するか、
お金に変えていくか、今回はその話を書こうと思います。

小豆島に引越してきて農業を始めてもうすぐ1年。
畑作業は主にたくちゃん(夫)が担当。
農業に関する知識は本やネットで調べる、
そして半年前から週に1度、島外にある農園に研修に行って働きながら学ぶ、
そんなふうにして取り組んでいます。たった1年だけど、
この1年でほんとにたくさんのことを得たと思います。
安定した収量にはまだまだほど遠いですが、
それでも種類によっては十分な量を収穫できているものもあります。

10月中旬に収穫したサツマイモ(ベニアズマ)。なかなかの豊作。紅色がきれい。

しっかり乾かして、大きさごとに選別。販売に向けての準備。

そして、私は畑作業を手伝いつつ、その野菜を販売するのが主な担当。
育てた野菜を販売することは、野菜を育てることと同様、
難しくて手間のかかることです。

いまの私たちの主な野菜の販売方法は、
1. オンラインショップでの個人直販
2. イベントやマルシェなどでの出張販売
3. カフェやレストランなどお店への直販

なんだかこうやって書くと立派に見えますが、
金額を書くと寂しくなるのであえて書かないでおきます(笑)。
ゼロではないです!
どんな販売方法が正しいのかなんてわかりませんが、
ひとまずはこんな感じでそれぞれの売上を伸ばしていきたいところです。

瀬戸内国際芸術祭関連のイベント「山吉邸 お弁当の会 秋」で使う食材を、grafの中野くんたちが畑まで収穫&購入しに来てくれました。

まだ小さめですがニンジンも収穫。どんなお料理になるか楽しみ。

さて、作ったものをどうやって売るか、野菜に限らず
「ネットで売ればいいじゃん!」とよく言われますが、
言うのは簡単ですが、実際にはいろいろと手間がかかります。
配送はどうするのか? 大口契約とかできるのかな?
梱包材はどうするのか? ペーパー類もいるよね?
決済は? 銀行振込? クレジットカード支払い?
などなど。
これをひとつずつクリアしていかないといけないんですよね。
そしてクリアしたとしても、お店ができただけでは売れなくて、
宣伝しないといけません。

幸い、ひと昔前と比べて、オンラインショップを開くのは本当に簡単になりました。
ここ1年くらいで「BASE」や「STORES.jp」などの
無料でネットショップを開設できるサービスが出てきて、
機能もどんどん進化していっています。
私たちのオンラインショップも「BASE」で試しに運用してみています。
迷ってないで、すぐにネット上にお店が持てるってことは、
地方でモノづくりをして販売しようとしている人たちにとって、
とても心強いサービスだなと思います。

「BASE」を使って作ったHOMEMAKERSのオンラインショップ。

収穫したサツマイモをさっそく販売開始。

サツマイモの梱包。選別、計量、梱包、納品書作成、宛名書きなど意外と時間がかかります。

オンライン販売する場合、配送方法も大事なところ。
少しでも安い送料で商品を届けられるように、
配送業者に見積りをお願いして契約をしました。

そして、やっと諸々の準備が整ったので、それをお知らせする。
最強のツールがFacebookやTwitter、ブログ。
とにかく伝えないと伝わらないので(あたりまえか、笑)、
どんな思いで、どんな場所で、どんなふうに作っているのか
写真と文章を日々アップしてます。

そんなふうにして身近な人から始まり、
少しずつ野菜を注文してくれるお客様ができてきました。
ほんとにありがたいなとよく思います。
商売するってこういうことなんだなーと。

それにしても、まだまだ先は長い。
これからまた1年後、その頃にはもう貯金が尽きているだろうけど、
どれくらい成長してるのか、商売として成り立っているのか、
自分たちのことながら楽しみです。

「山を読む、二日間」前編

「山を読む」とは?

山形県の肘折温泉では今年も7月27日〜9月16日まで「ひじおりの灯」が行われた。
「ひじおりの灯」とは、7年前から肘折温泉で開催されている、
東北芸術工科大学(以下、東北芸工大)の学生たちによる滞在アートプログラム。
学生たちは、春に肘折温泉やってきて、滞在制作を行う。
自分の担当となった旅館や商店のおじちゃんやおばちゃんたちに話を聞いたり、
肘折の空気を感じ取ったりして、思い思いの灯籠絵を月山和紙に色づけしていく。
灯籠の骨組みは、立ち上げ当初にみかんぐみの竹内昌義さんが設計。
それに、毎年灯籠絵が張り替えられてきた。
学生たちが手がけた灯籠が、夏の肘折温泉街の夜を灯す。

そんな「ひじおりの灯」開催中に、
肘折温泉では、さまざまなイベントが行われ、老若男女が訪れた。
7月27日には前夜祭として電子音楽イベント「肘響」が、
そして、8月10日、11日には、「山を読む、二日間」と題して、
トークイベント「山を語る」、「山を歩く」という山登りワークショップが行われた。
コロカルも、山を読む二日間に参加。
山伏でイラストレーターの坂本大三郎さんの肘折温泉での生活が少しずつ始まり
冬に訪れたときに肘折青年団のみなさんと考えていた「山のこと」が
少しかたちとなっていたからだ。

1日目のトークイベントのパネラーはこちらの4名。

左からKIKIさん、坂本大三郎さん、石倉敏明さん、田附 勝さん。トークベントは肘折温泉いでゆ館のホールで行われた。

司会は、イラストレーターで山伏の坂本大三郎さん(以下大三郎)。
大三郎さんは、昨年の「ひじおりの灯」のイベントへの参加をきっかけに
肘折温泉に通い、今年から肘折に住み始めた。彼が考える肘折の山のことは、
著書に綴られていたり、コロカルでも取材している。
(→「月山若者ミーティング 山形のうけつぎ方」 、「肘折温泉vol1今も残る美しい手仕事」
ふたり目は、モデルのKIKIさん(以下KIKI)。KIKIさんは山のことを、
自らまとめているという冊子や著書『山が大好きになる練習帖』(雷鳥社)で書いていて、
そこには等身大の山の風景が綴られている。
3人目は写真家の田附 勝さん(以下田附)。彼が撮影した写真集『東北』(リトルモア刊)は、
2012年木村伊兵衛写真賞を受賞。
今も東北へ通い続け、まっすぐな衝動をフィルムへと焼き付ける。
4人目は人類学者の石倉敏明さん(以下石倉)。
石倉さんからは、日本だけではなく、世界の山と人との根源的なお話が展開される。
秋田公立美術大学美術学部アーツ&ルーツ専攻講師を務める一方で、羽黒山伏でもある。
ちなみに、田附さんと石倉さんは『なごみ』という雑誌に連載中の、
『野生めぐり』という企画でいつも一緒に旅をしているのだそう。

四者四用に山に魅せられているパネラーのみなさん。
それぞれが撮影した写真をスライドで上映されながら、
「東北に宿るなにものか」「土地の文化の継承」
さらには、「エチオピア音楽と東北」「歌が伝達してきたこと」など、
人類の芸術の出発点にまで、話はひろがっていった。

山に息づく姿をどう伝承していくか

大三郎

まずは、KIKIちゃんに。KIKIちゃんは雑誌や番組の取材で山に行くことが多いと思うけど、山はどうですか。

KIKI

「山の登り方」にはいろいろな楽しみ方があると思うんですけど、私は、最初は「どこどこの山がいい」とか「景色がいい」と聞いて登る山を決めていました。そのうち、道はどうつくられたか、ほこらはどうしてできたかということに興味が出てきて、自分のなかで、徐々に山の登り方が変わってきました。山にいる時間って、とても特別なもので、感動がすごく多い。山の見え方や、神さまとして祀られているものはとても神々しくて。そういった姿を写真におさめて、個人的に冊子にまとめています。

大三郎

撮影しているものや雰囲気は全然違うんですが、KIKIちゃんの写真を見て田附さんと似ているものを感じたんです。

写真はKIKIさんが出羽三山に行ったときの冊子。

KIKI 

(岩木山のスライドをみながら)これは岩木山(青森県弘前市、標高1625m)です。本当は、8合目まで車で行ける簡単な登山道があったけれど、信仰の道に興味が出て、探して登りました。実は、その信仰の道もふたつあった。岩木山神社の裏からの道と私たちが登った道。前者はかつて殿様がお参りするための道だったそうです。私たちが通った道は土地の人が山を崇めて歩いた道だった。地元の人からは「なんで神社からの道を通らなかったの?」とびっくりされたけれど、気持ちのよい道だった。山の見え方がちがうなって気もしました。

大三郎

山伏から入ると山のことって、ツライことをやるというイメージだけど、山は本来気持ちいいもの。山に登るって、最初に、楽しいという気持ちがある。

KIKI

もちろん、山を登るわけだから途中はつらいかもしれないけど、頂上に到達すると最後は楽しいし、気持ちいい。そう思えることが、山に対する何か信仰のあり方なのかなって思います。

山行のあとに、KIKIさんがまとめているという冊子たち。

大三郎

田附さんの写真って、これまでの東北の姿とはまた違った土着的なにおいを映し出す写真だと思うんです。

田附

60年代〜70年代にかけては、濱谷浩さん、岡本太郎さんや写真家の内藤正敏さんに代表するような、裏日本というテーマのなかで東北の姿を捉えられることがあった。でも、80年代以降はあまりビジュアルとしては見かけなかった。僕は東北には、独特の土着的な姿というのがあるんじゃないかと思って、写真を撮り始めたんだけど。

大三郎

田附さんの写真にある風景は、都会に住む人が忘れた姿なんじゃないかと思うんです。

田附

そう。肉を食べるために、動物を裂く姿までは見ることができない。でも実際はその土地からいただくみたいなことがあるわけで。このことはちゃんと知らないといけない。動物から血が流れるということはどういうことなのか、感じたり、見なきゃダメだというのがあるね。

田附さんの写真がスライドで流れる。

KIKI

東北を撮り始めたきっかけって何だったんですか?

田附

僕は、生まれは富山、育ちは埼玉。だから小さい頃から東北に親しんでいたわけではない。でも、19歳のときに青森へ行ったらぞわぞわする感性が動いて、それが自分のなかでずっと残っていた。残った何かを確かめたいと思った。(スライドを見ながら)これは、山形県の飯豊の熊祭りです。熊役を演じるひとが熊をかぶるパフォーマンスを見たときに、かつては山を歩いて、熊を仕留めていた誰かの姿として、目に焼き付いた。この土地にある文化が、いま、見えているものと重なって浮かび上がった。

大三郎

都市部に行くと洗練された文化がある一方で、自分の足下で脈々と続いてきたものに触れられる場所は限られてきている。でも、東北を歩いていると、何かいまの姿と違うものに触れる感覚がある。田附さんの写真はそうしたものをえぐり出そうとしている。

田附

わかんないけど、東北に来ると、自分のなかの、ある気持ちとリンクする。特に、夜って、普段は見られない何かを見られるんじゃないかと思っていて。山の夜は、人間が立ち入っちゃいけない時間だと思うくらい、何か見えないものがうごめいているんじゃないか。

大三郎

僕も山にいて、夜は本当に真っ暗になるので、びっくりしたのを覚えています。まちの夜と全然違う。

田附

そこにいる自分にまずびっくりする。呼吸がこんな音をしていたのかとか。

大三郎

夜の森で一番こわいと思ったのは、自分は見えないけど、動物からはこっちが見えているということ。これは、昔のひとは持っていた感覚なんだと思う。

田附

昔の人はその感覚を知っているから、夜は獣たちの世界だと認識していた。そうやって、人間と獣の世界が分断されていたんじゃないかって思う。

大三郎

(雑誌『なごみ』の連載『野生めぐり』の写真を見ながら) 石倉さんとの連載ではどんな所に行ったんですか?

石倉

第1回目の取材では、青梅の御岳山(東京青梅市、標高929m)や奥秩父の三峰山(埼玉県秩父市にある三山※1の総称)に色濃く残っているオオカミ信仰を取り上げたんです。野生的な何かを発見するための、最初の場所として選びました。東京や埼玉を取り囲む山々の奥地には水が湧いていて、それが川や飲料水となって平野部の農業や生活を支えている。御岳山には山伏の末裔である御師(おし)と呼ばれる祈祷師が住んでいて、いまは絶滅したと言われているニホンオオカミを大口真神として祀っています。

たとえ現代の東京でも、ちょっと山に行くだけで古代的なオオカミ信仰の層を発見できる。それから一年かけて田附さんと一緒に日本各地を歩いている最中で、いまも行く先々で野生的な力の文化を実感しています。

夜の森を歩いて撮影したという、田附さんの写真集『KURAGARI』。http://superbooks.jp

大三郎

昔の人がどう山に関わっていたのか。特に僕は、山伏の古い時代の行いに興味があるんです。もともとは現代美術に近い場所にいた僕は、日本のものづくりのルーツを知りたかった。山伏は、古い時代には「ひじり」と呼ばれ、お祭りのときには、舞を踊ったり、音楽を奏でたり、面をつくったりしていたりと、日本のものづくりや文化に非常に関わりのあった人と言われています。それで実際に山に入り山伏の修験を体験してみたら、面白さを感じてしまったんです。

僕は、現代までに重ねられてきている、蓄積された文化を見ていかないと、「いま」を本質的に捉えられない気がしています。そのときに、肘折には、古い時代の山伏の姿を残しているじゃないかと推測できる場所が多い。柳田國男(民俗学者)は、ひじりがつくった場所は「ひじ○○」と呼ばれると言います。肘折もひじりがつくった集落なんじゃないかと推測できる。実際、肘折の山には、古いかたちがそのまま残っています。

人と樹木の関係はものすごく古く、根の深いものだと思うんです。いま僕たちが触れられる山の文化に対して、「木地師」の存在はとても興味深い。肘折温泉では、こけしがつくられてきたんですが、この土地の職人は、実際に森に入って木をとっていたそうです。これは他の産地ではないこと。肘折のこけし職人だった奥山庫冶さんの息子さんに話を聞いたら山から木をきる作法をよく知っていた。そういった些細な作法にもすごく重要な情報が詰まっていると思うんです。それは、山伏にとってというよりも、ぼくたちの生活に。だから、僕は残したい。

坂本大三郎さん。

石倉

僕が肘折に初めて来たのは、1997年。研究室の合同ゼミで、1年に何度も大蔵村を訪れていました。山が、森が、本当に豊かな場所だと思いました。そのときは山間地で農業をして、東北の人びとの暮らしや芸能を知り、汗まみれの身体を肘折のお湯で流す、という日々を送っていました。地底からわいてくる力、鉱物としての土地の豊かさ、そして、山を豊かにしている植物や動物への想像力。そんな土地に人間がいて、芸能や信仰が生まれている。それらが渾然一体となっているここの文化に圧倒されました。

当時、舞踏家の森繁哉さんや阿部利勝さんにいろいろと教えていただいて、羽黒山伏の星野文紘さんにも、大蔵村ではじめて出会ったんです。だから、僕もこの肘折に残る文化を残そうとしていることは、とても意味があることだと実感しています。それに、ただ古い文化を残すというだけじゃない。外からの新しい刺激を受け入れて「生まれ変わる」力もあると思うんです。

大三郎

なかなか担い手が少なくなっている時代だけど、せっかくすばらしいものがあるんです。どうにかして残していきたいと僕は思うんです。

石倉

僕たちが関わっている秋田県上小阿仁村の「KAMIKOANIプロジェクト」でも、地元の生活に根ざした芸能や文化と新しいタイプの芸術を密着させることを目的としています。土地の人たちと外から来た人たちが、それぞれの役割を担ってすすめようとしている。目指すところは「ひじおりの灯」の精神性とつながっているんじゃないかなと思っています。

大三郎

肘折は外に出たひとがわりと戻ってくれるという、素晴らしいところ。でも出羽三山のまわりを見回すと、住民は老人ばかり。特にこのへんは豪雪地帯だから、1〜2年家を放置するだけで、つぶれてしまう。おふたりが見てきた土地ではどうでしたか。

田附

僕が、写真を撮りなが東北をまわっていると、若いやつが多少いる土地もある。例えば、彼らは伝統的な踊りを担っているけれど、昔と同じ衣装では踊っていない。それは単純な理由で、衣装が重いから。そんな風に、無くなるものは無くなっていいと僕は思う。残そう残そうと思うと、違うものが残っちゃう気がする。

誰かが強く思えば、たとえ一度は消えても、その土地から湧き出てくる何かによって、復活されることがある。そうやって日本列島では何千年も同じことを繰り返してきたんだと思うんだよね。残るものは残る。絶対またもとに戻るものってあると思う。

石倉

最近ある学生に「私には神道や仏教という宗教の信仰は無いけど、それでいいと思っている。かたちは変わっても、自然を大事にしたいという信念を持っているから」と言われたんです。たしかに、表に見えるような宗教という考え方は消えても、プリミティブな自然との関係は残っている。そういう関係って、かたちだけ残せばいいというものではないし、常にその時代の人びとが再発見して、その時代の表現のあり方を考えなければいけない。

いま「ひじおりの灯」や「KAMIKOANIプロジェクト」に限らず、全国の小さな村や大自然を舞台としたプロジェクトが立ち上げっているけれど、やはりその人なりの「土地とのつながり方」を見つけることが大きな主題になっているのだと思います。田附さんは上小阿仁村の八木沢集落という限界集落で、朽ち果てようとするトタン小屋を会場として、その土地に暮らす昔マタギや木こりだった人たちの写真を展示しました(写真展の様子はこちら:前編後編)。

KIKIさんは、ファッションやアートを通じて、普段はあまり山のことを知るチャンスが少ない若い女の子たちが、自分もそこに行ってみたいと思わせる風景を実際につくり出していて、言ってみれば、「道」をつくる山伏の先達みたいな存在。大三郎くんも、イラストや文章等を通して、山伏自身も伝統の中に抑圧してきた野生的な文化を発掘してみせている。

そんなふうに、ぼくらの世代が、かつての文化を新しくつくり直していくことも必要なんじゃないかと思う。

田附

ただ、自分たちが新しいことだと思っていても、実は歴史の中に組み込まれているんじゃないかと思うときもある。昔あったものがまた現れるというふうに。

田附 勝さん。

土地を読むこと=歌をうたうこと

大三郎

続いては、ここに参加してくれた方からの質問に沿って、話をしたいと思います。ひとつ目は、「石倉さんに質問です。今日スライドで流れていた石像が、エチオピアの映画にでてきた洞窟の絵と似ている」ということなんですが。

石倉

僕自身は行ったことがないのですが、エチオピアは宗教が重層していて、たいへん面白い地域だそうです。エチオピア正教というキリスト教と、イスラム教と、土着の精霊信仰などが混在している。そういう意味では、東北と共通しているところがあるのかもしれません。特に、家々を訪ねて物乞いをしながら、歌をうたって人びとを祝福していく文化がエチオピアにはあるんです。

これについては、川瀬 慈(かわせいつし)さんという映像人類学者が『ラリベロッチ—終わりなき祝福を生きる—』という素晴らしい映像作品にまとめています。それを見ると、たしかに歌がすごく面白い。川瀬さんから聞いた話ですが、エチオピアの歌というのは、演歌にそっくりなんだそうです。エチオピア人に吉 幾三の歌を聞かせたところ「この歌手は誰だ? エチオピアに呼びたい」って言わせたほど(笑)。

かつて東北の農村には、家々を祝福して廻る門付芸人(かどづけげいにん)がいましたが、彼ら自身もある意味では大三郎くんが言う「ひじり」と同一視されるような存在だったと思います。

大三郎

昔は、山伏と巫女が夫婦になって、憑依させて集落から集落に練り歩くということをしていたようですね。エチオピアの芸能は日本と共通点があって面白そう。

KIKI

私、エチオピアに行ったことがあります。清水靖晃さんというサックス奏者の方がいて、とてもすてきなジャズを演奏する方なんですが、なかでも『ペンタトニカ』というアルバムは、民族的な音階を集めていて、エチオピアの伝統音楽を編曲したものも入っていてとてもかっこいい。

石倉

いいなあ、行ってみたい(笑)。ジム・ジャームッシュ監督の映画『ブロークン・フラワーズ』にもエチオピアの音楽が使われていましたね。五音音階(ペンタトニック)の民謡調で、しかもすごく洗練されている。

KIKI

エチオピアではラリベラとう古都にある岩窟教会群へ行ったんですが、地域によって宗教観が全く違っているんですよね。その教会には、壁画がなく、地面を掘り下げて祭壇があるシンプルなものでした。

石倉

川瀬さんの映画に出てくる「ラリベロッチ」という芸能者も、まちを転々としながら各地の家を訪ねて、その家がキリスト教かイスラム教なのかもこっそり確認しながら、その人を讃える歌を即興でうたうそうです。たしかに東北の放浪芸人とそっくりなんだなあ、ということがよくわかりました。

ちなみに川瀬さんは、精霊に憑依された霊媒の女性を主題とする『精霊の馬』という作品も撮っているんです。女の人が馬のようになって精霊を乗せ、トランス状態で託宣を告げる儀礼。これも東北に伝わる「いたこ」文化に似ているのでびっくりしました。

大三郎

東北には瞽女(ごぜ)さんという女性たちもいて、目の見えない人が多かったんですが、彼女たちは歌をうたって集落から集落を歩いていた。行く先々で、説教を歌っていたようです。瞽女という名前も御前(ごぜん)から来ているのではという説もあり、何か儀礼をする人だったんじゃないかと推測が生まれる。遠い国なんですけど、通じることがあるんですね。

石倉

山伏のやっていることもそうですよね。ある意味で、東北の山は「世界」に通じて、それだけ古い文化が残っている。山伏が抖擻行(とそうぎょう、※2)を行って、道無き道を読んで歩いていく背景には、そういう古い世界的な文化があると思います。たとえば山伏は、山中の特別な拝所をめぐって祝詞や真言を唱えますが、ある意味では土地を読むことと歌をうたうことを一体化させている。

オーストラリアの先住民アボリジニたちも、殺風景な砂漠の中の土地を「読んで」歩いていく。そして、彼らの神話に登場する特別な泉の前で、特別な歌をうたう。山伏たちがやっていることの本質と、とても近い儀礼だと思います。

田附

なんで歌なの? 言葉で言うだけじゃダメなの?

石倉

単に発声するだけじゃなくて、抑揚をつけてうたうことで、はじめて世界に働きかける力が生まれるんだと思う。それはたぶん、社会的なコミュニケーションの道具としての言葉以前に生まれた力かもしれない。先住民は広大なオーストラリアの土地の全てを楽譜のようなものととらえ、そこを歩くことで創造神話と一体化する(※3)。からだごと音楽や神話と一体になるんです。

山伏修行の一番深い層では、こういう儀礼ととてもよく似たことを行っています。普通の人が茂みや岩だと思っているところに、熟練の山伏は古くから伝わる神話の痕跡を発見する。そして、そこでお経や真言を唱えることで、山全体に眠っている記憶が呼び覚まされます。

大三郎

折口信夫(民俗学者)は、「自然に対して訴えかけることが歌である」と言っています。訴えるときに語られたことが、物語になっていくと。日常的に話している言葉よりも先に歌があって、それが繰り返されることで、いまの「歌」という形式に収まっていった。そこからは、身振りが「舞」になり、激しく舞うことが「狂う」という風に言われている。かつて自然と向き合った姿はやがて歌に残され、そこで語られる物語が神話になっていくんだと思う。

田附

歌のもっと前に、動物的な感覚で人間は声を発し始めたじゃない。そう言った音というか声というか、発声から来ているのかとも思った。それが音楽になり、理解されていくものになったのかなと。でも、いまの話は、すごく面白い。

石倉

ジャン=ジャック・ルソーも「最初の言葉は詩であり歌であった」と言っています。僕自身、子どもを育てていて感動したんだけれど、赤ん坊は言葉によるコミュニケーションを覚えるずっと前に、簡単なメロディーやフレーズを覚えて歌をうたうんですよね。現代の生物学者も、音を使ったコミュニケーションが動物と人間に共通するとても重要な回路だということをあきらかにしている。

芸術というとすぐに壁画や彫刻を想像するんですが、ラスコーのような旧石器時代の洞窟の中でも音楽やダンスが重要な役割を果たしていたようです。昔の人類は、音を響かせ、歌をうたうことで、岩や土の壁の向こう側に広がる目に見えない自然の領域に働きかけていたかもしれない。芸術の歴史もそうやって捉え直してみると面白いですよね。

石倉敏明さん。

大三郎

続いて一番多かった質問で「山のエネルギー、力を感じるところはどこかありますか?」ということなんですが。僕は、湯殿山(山形県鶴岡市と西川町の境にある、標高1500m)ですね。初めて東北に来たときに行ったところですが、すごいと思った。真っ赤な岩から何か出ているじゃないですか。

田附

いや、本当あれはやばい。僕は観光で、特に何も情報もないまま行ってみたら、赤い岩が! 濡れている! というような、とにかくファーストインプレッションが衝撃的だった。だって、

KIKI

行っていない人もまだいます……

田附

あ、すみません。でもすごかったよ。 

大三郎

語るなかれ、聞くなかれ、湯殿山(笑)。僕は山のパワーという言い方は好きじゃないんですけど、やっぱりその自然のインパクトというか、存在感は、人間の感覚を刺激するなって思います。岡本太郎さんが、湯殿山を見たときに「民俗のそこにあるものを刺激された」と言ったようです。

石倉

田附さんと一緒に旅をするとき、ひとつ大事にしていることがあるんですが、それは聖地というのは必ずしも神社やお寺の社殿ではない、ということなんです。だからたいてい、山や湖や洞窟を目指すことになります。聖地と呼ばれる場所にはたいてい立派な社殿が建てられているんですが、その前になにがあったのかを見ないと、本末転倒になってしまう。例えば湯殿山も、湯殿山神社じゃなく、ご神体を意識するように設計されています。こういうところからも、いろいろ見えてくるものがあると思う。

田附

かたちに気を取られるとちがうものになっちゃうじゃない。そういうのがすごくいやで。もっと先にあるものを見たい。

大三郎

今日「山を読む」というテーマで話をしてきたんですが、山を読むってつまりは、「読み方」なんだと思います。例えば、肘折温泉のような自然の豊かなところに入れば山は身近だけれど、見落としてしまうものもある。かつて、自分たちの文化が豊かだった時代というのが何百年か前にあって、そのときの人たちがどういう風に自然と接していたか。という、山の読み方をひとつひとつ、僕はひじりや山伏という視点からひも解いていきたい。

石倉

それだけ濃密な情報が、山という空間には満ちあふれている。本を読むことも大事だけど、山を読むことで別の次元の情報に触れられるんじゃないか、と僕は思っているんです。中沢新一先生も「山伏っていうのは、そこに身をおいて学ぶ学問だ」とおっしゃっていて、基本的には先達をとおして「独学の仕方」を学ぶものなんですよね。木や岩を通して、季節や生態系の変化だけでなく、先人の足跡や歴史的な出来事、神話や伝説のような情報も教えられる。それが山を読むこと。「ひじり」と呼ばれた人たちは、情報のハブになっていた。彼らのネットワークが、山とまちをつなげていた。僕らはそれを実践的に学んでいるんです。

大三郎

僕以外の3人が各地の山を旅しているなかでも、その土地土地の自然の読み方があったと思う。いま、ぼくは肘折という土地で「山の読み方」を読み込もうとしています。東北芸工大の学生さんたちも今日はたくさん来てくれていますが、「山の読み方」というのを今日の4人の話から、少しでも感じ取ってくれるといいなと思います。

3時間にも及ぶトークの後のオフショット。右端は「ひじおりの灯」の共同企画者のひとり、東北芸術工科大学の宮本武典さん。

このトークの後、夜には参加者みんなでで肘折温泉の夜へと繰り出し、
灯籠をを見て歩いた。その様子や2日目の「山を歩く」、山登りの様子は後編で!

※1 三山…妙法が岳・標高1332m、白岩山・1921m、雲取山・標高2017m
※2 山林中を自らの足で歩いて修行すること 
※3 参考:ブルース・チャトウィン著『ソングライン』

information

肘折温泉

住所 山形県最上郡大蔵村南山
http://hijiori.jp/

profile

TOSHIAKI ISHIKURA
石倉敏明

1974年東京都生まれ。1997年よりダージリン、シッキム、カトマンドゥ各地で聖者(生き神)や山岳信仰、「山の神」神話調査をおこなう。2013年より秋田公立美術大学美術学部アーツ&ルーツ専攻講師。明治大学「野生の科学研究所」研究員、羽黒山伏。共著・編著に『人と動物の人類学』(春風社、2012年)、『道具の足跡』(アノニマスタジオ、2012年)など。

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KIKI

東京都出身。武蔵野美術大学造形学部建築学科卒。在学中からモデル活動を開始。雑誌や広告、TV出演をはじめ、連載などの執筆など多方面で活動中。著書に『山スタイル手帖』(講談社)、『美しい教会を旅して』(marbletron)。カメラマン野川かさね氏との共著『山・音・色』(山と渓谷社)や最新著書『山が大好きになる練習帖』好評発売中。

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DAIZABURO SAKAMOTO
坂本大三郎

1975年千葉県生まれ。2006年、山形県羽黒地方にある宿坊「大聖坊」の山伏修行に参加。2009年、山伏出世の行と呼ばれる「秋の峰入り修行」に参加する。以降、出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)を拠点に、古くから伝わる生活の知恵や芸能の研究実践を通して、自然と人を結ぶ活動をしている。著書に『僕と山伏』(リトルモア、2012年)、『山伏ノート~自然と人をつなぐ知恵を武器に~』(技術評論社、2013年)。

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MASARU TATSUKI
田附 勝

1974年富山県生まれ。9年間に渡り全国でトラックおよびドライバーの撮影を続け、写真集『DECOTORA』(リトルモア、2007年)を刊行する。2012年、写真集『東北』(リトルモア、2011年)で第37回木村伊兵衛写真賞を受賞。最新作に、釜石市唐丹町で4年に渡り撮影をおこなった写真集『kuragari』(SUPER BOOKS、2013年)がある。

心震える小豆島の秋祭り

自分たちが主役のお祭り。

秋祭りが終わり、一気に冷え込んだ小豆島。
いろんな人から「お祭りが終わったら寒くなるよ」と聞いていたけど、
びっくりするくらいその通り。
ストーブ出さねば……、寒い。

私たちは去年の10月末に小豆島に引越してきたので、秋祭りは初めての経験。
10月に入り、公民館などで子どもたちの太鼓の練習が始まり、
役場には大きな太鼓台が飾られ、
幼稚園でも太鼓台めぐり(小さな太鼓台を押しながら地元をまわる行事)が行われ、
島全体がお祭りムードに。
そして今年はたくちゃん(夫)も太鼓の舁き(かき)手として参加することに。

肥土山離宮八幡神社で秋祭りの準備。肥土山の神輿を担ぐ方々の法被。

田んぼの中を太鼓台が進んでいきます。

そもそも、太鼓台って何? 太鼓を舁く(かく)ってどういう意味?
いままでお祭りにほとんど興味がなく、
地元の花火大会くらいにしか行ったことがない私としては、想像できないことだらけ。

祭りが終わってようやく少しずつわかってきたので、簡単に説明すると、
「小豆島秋祭り太鼓台奉納」は、豊作を感謝する秋のお祭り。
小豆島にある各八幡神社で行われ、各地区ごとに重さ1トンほどもある
太鼓台と呼ばれる山車を約100人ほどで担ぐ。
太鼓台の真ん中には太鼓があって、
乗り子として選ばれた子どもたちがそこで太鼓を叩く。
どうやらこのスタイルのお祭りは、瀬戸内海沿岸を中心に西日本一帯で見られるそうな。

祭りは数日にかけて行われます。
私たちの暮らす肥土山(ひとやま)では、
太鼓台を押して地元をまわる宵祭りがまずあり、その翌日が本番。

宵祭りの日は、暑いくらいの秋晴れ。
肥土山の集落の中を太鼓台がめぐり、皆家から出てきて、その姿を楽しみます。

乗り子の女の子たち。子どもの数が減り、女の子も太鼓を叩くようになったそう。

秋空に映えわたる赤いふとん太鼓。

宵祭り。肥土山の集落の中を巡ります。

「えいしゃーしゃーげ」の掛け声にあわせて、乗り子さんたちが太鼓を叩く。

祭り当日は、台風の影響であいにくの雨。
雨の中、村の男衆たちが富丘八幡神社まで太鼓台を押して行きます。

富丘八幡神社の鳥居を太鼓台が次々と通っていきます。

富丘八幡神社ののぼり。のぼりが立つと一気にテンションが上がる。

1年に1度この日のための石垣造りの桟敷。簡易の小屋を建てて、お弁当を食べながら太鼓を見物。

そしていよいよ祭りスタート。
各地区の太鼓台が順番に登場します。
大きな太鼓台を「えいしゃーしゃーげー」と舁く男の人たち、
その上で一生懸命太鼓を叩く子ども。
間近でその姿を見ていて、ほんとに涙がでてきそうになりました。
「祭り」ってこういうものなんだなと。

そしてとにかくかっこ良かった。
男の人の男らしい姿というのは、こうもカッコイイものなんだなぁと。

とにかくすごい迫力で、すごいカッコイイ。

太鼓台の丸太を持ち上げる力強い手。

子どもたちも大人と同じ法被を着て。数年後には一緒に太鼓を舁くのかな。

自分が暮らしている場所のお祭り。
自分がよく知ってる人たちが主役のお祭り。
自分たちで準備し、楽しむお祭り。

だからこそ、こんなふうに感動し、嬉しくもあるんだろうなと思う。
きっとこれくらいの規模のお祭りがちょうどいいんだと思う。

富岡八幡神社に集まった各地区の太鼓台。

地元肥土山地区の太鼓台。やっぱり自分のとこが一番かっこいい! と思うわけで(笑)。

約1トンの太鼓台を100人近くで持ち上げる。すごいパワーだ。

こんな素晴らしいお祭りがある小豆島。
ここで暮らせることは幸せであり、誇りだなと感じた秋祭りでした。

新潟・山の家にて越後妻有の 里山のめぐみを感じる 「後の月見のめぐり花・ 秋の薬膳と気功」

新潟県十日町市松代のカフェ&ドミトリー「山ノ家」。
古民家のような外観と、洗練された居心地の
良い内装を併せ持つスペースです。

本日、この「山ノ家」にて
「後の月見のめぐり花・秋の薬膳と気功」が開催されます。
昼間は、フラワーアーティスト/造園家 塚田有一氏による、
その土地に在る草花を用いて参加者全員でひとつの生け花を
つくりあげていくワークショップ&トーク。

そして、月が昇ったらお月見を。
夜には秋の薬膳料理をいただき、明日の朝には
松代城山頂上にて朝の気功を行うという、里山のめぐみを
存分に楽しむイベントです。

"後の月見のめぐり花"とは、旧暦 9月13日に行われる、
「後の月」「十三夜」「栗名月」とも呼ばれるお月見の習慣のこと。
今年は10月17日に訪れました。
今晩はその直後、満月のタイミングでお月見を行います。

観月地には、松之山の鏡が池星峠の棚田を予定。
今晩、「山ノ家」(朝食付き1泊4,500円)に宿泊するのも大歓迎です。

二日間のプログラムですが、お月見だけ、
気功だけなどの参加でも大丈夫!
詳細は下記facebookページにて。

そしてここでニュースです!
「山の家」のプロジェクトメンバーである後藤寿和さんが、
現在好評連載中の「リノベのススメ
に参加されることになりました。お楽しみに!

後の月見のめぐり花・秋の薬膳と気功

カルチャーで切り取った 新しい地元のまちタウンマガジン 「TO」目黒区特集

コロカルのMag Galleryにてご紹介した、
「足立区特集」のタウンガイド「TOmagazine」。
「まだ見ぬ東京と出会うための新感覚シティカルチャーガイド」
をスローガンに、東京23区をひとつずつ取り上げて23号で
完結するカルチャーマガジンです。

第1号では、下町といわれる足立区を取り上げながら、
一般的に「タウンマガジン」といわれて想像するもの
よりもかなりオシャレな内容で大きな反響を呼びました。

あれから8ヶ月、ついにリニューアルした2号目が発売!
今号から名前を「TO」に改め、舞台を目黒区に移しました。

目黒といえば、"住みたい街ランキング"でも毎回上位に
君臨するまち。他に思い浮かぶのはサンマや
雅叙園などですが、TOだけにかなり文化的なラインナップになっています。

まずコロカル読者さんにおすすめしたいのは、
渋谷直角による祐天寺のディープスポット案内。
また都立大学在住30年の演歌歌手、八代亜紀に
湯山玲子が迫るインタビューや、写真家、大森克己による
目黒区のフォトストーリー、小説家の古川日出男とマグナムフォト所属の写真家、
アレック・ソスのコラボレーション記事などなど。

地元に住んでいる人でも知らないような目黒区が
収められています。ぜひお手にとって見てみてください。

『TO』

夕暮れの田園とわらアート

美しい景色をじっくり味わう。

秋です!
小豆島で暮らしていると、柿や栗、ザクロなどの果実や、
コスモス、彼岸花などの花が季節をよく感じさせてくれる。
10月に入り秋の気配が一層深まるかと思いきや、まだ少し暑い日が続いています。

地元幼児園の子どもたちが植えたコスモスが満開。

ザクロ、そしてその奥に柿。歩いているとあちこちで発見できます。

瀬戸内国際芸術祭2013(以下、瀬戸芸)の秋会期が始まり、
ここ肥土山(ひとやま)地区には新しいアートが加わりました。
武蔵野美術大学わらアートチームによる「わらアート」です。
高さ3メートルの恐竜「トリケラトプス」と、高さ4.3メートルの「マウンテンゴリラ」。
いずれも収穫後の稲わらを使って制作された巨大なオブジェ。

私は、周辺の田園風景も含めた「わらアート」という作品が大好きです。
この作品は、肥土山の苗手(のうて)地区という場所にあります。
実は、島内で一番広い田園。
広いと行っても、小豆島を出ればこれくらいの広さの田んぼは山ほどあるだろうけど。

肥土山の苗手地区の田んぼ。遠くに「トリケラトプス」が見える。

田んぼのあぜ道を自転車に乗った娘と散歩。愛犬も同行。

何層にも重なる田んぼと山々が奥行きを感じさせてくれる。

この山間にある田園の風景は本当に美しい。
瀬戸芸の駐車場に車を停めて、東のほうに歩いて行くと、
前方、両サイドを山に囲まれ、目の前には田んぼが広がる。
そしてその向こうに、肥土山農村歌舞伎舞台の建物が見える。
歩いていくと、ふたつのわらアートがぽこっとぽこっと順番に見えてきて、
わぁという気持ちになる。

東を向いて撮影。わらアートは360度いろんな方向から楽しめる。

「マウンテンゴリラ」とその後ろに見える肥土山農村歌舞伎舞台。

そして、その途中で地元の顔見知りのおっちゃんたちが店を開いていたりする。
小豆島肥土山産のお素麺や、焼き芋、ポン菓子、蜂蜜などを販売。
謎の「おもしろスイッチ」なんかもあって、思わず笑ってしまった。

地元の顔見知りのおっちゃんたちに遭遇。何やら店を開いているみたい。

おもしろスイッチ。スイッチを入れるとどうなるかは、ここに来てお試しあれ!

おっちゃんたちの話は尽きないのです。

もう少しいまっぽい感じにすれば、もっと売れるような気がするんだけど、
あえてこういう地元っぽい雰囲気のほうがいいのかなと思いながら。
ちなみに商品ポップの制作を依頼されたので、現在製作中です。
肥土山にお越しの際は、ぜひお立ち寄りいただければと思います(笑)。

駐車場から10分も歩けば、肥土山農村歌舞伎の舞台に到着。
瀬戸芸のわらアートを見に来たついでにぜひ寄って欲しい場所。
舞台に向かってなだらかな桟敷があり、ちょっと座って休憩など。
実は、前回の記事でご紹介した「小豆島の顔」の肥土山会場はここです。

夕暮れの肥土山離宮八幡神社境内。手入れが行き届いていてとても美しい。

緩やかな桟敷。そして奥の建物に展示されているのは、写真展「小豆島の顔」。

ここから折り返し。
夕陽に向かって西に歩いて帰る。
これまた美しい景色。
ここは、360度すべての景色が美しいんだなぁとしみじみ。

夕暮れの田園を、自転車に乗った娘と犬を連れて散歩。
(毎日こんな優雅な散歩をしてるわけじゃないです、笑)
あえて時間を作って、自分の暮らす場所を味わうことも大事だなと感じた日でした。

夕陽に照らされて。

シルエットだけ見ると、本物のトリケラトプスがいるみたい。