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「山を読む、二日間」前編

Local Action
vol.030

posted:2013.10.26   from:山形県大蔵村  genre:暮らしと移住 / 旅行

〈 この連載・企画は… 〉  ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。

editor's profile

Kanako Tsukahara

塚原加奈子

つかはら・かなこ●エディター/ライター。茨城県鹿嶋市、北浦のほとりでのんびり育つ。幼少のころ嗜んだ「鹿島かるた」はメダル級の強さです。

credit

撮影:ただ(ゆかい)

「山を読む」とは?

山形県の肘折温泉では今年も7月27日〜9月16日まで「ひじおりの灯」が行われた。
「ひじおりの灯」とは、7年前から肘折温泉で開催されている、
東北芸術工科大学(以下、東北芸工大)の学生たちによる滞在アートプログラム。
学生たちは、春に肘折温泉やってきて、滞在制作を行う。
自分の担当となった旅館や商店のおじちゃんやおばちゃんたちに話を聞いたり、
肘折の空気を感じ取ったりして、思い思いの灯籠絵を月山和紙に色づけしていく。
灯籠の骨組みは、立ち上げ当初にみかんぐみの竹内昌義さんが設計。
それに、毎年灯籠絵が張り替えられてきた。
学生たちが手がけた灯籠が、夏の肘折温泉街の夜を灯す。

そんな「ひじおりの灯」開催中に、
肘折温泉では、さまざまなイベントが行われ、老若男女が訪れた。
7月27日には前夜祭として電子音楽イベント「肘響」が、
そして、8月10日、11日には、「山を読む、二日間」と題して、
トークイベント「山を語る」、「山を歩く」という山登りワークショップが行われた。
コロカルも、山を読む二日間に参加。
山伏でイラストレーターの坂本大三郎さんの肘折温泉での生活が少しずつ始まり
冬に訪れたときに肘折青年団のみなさんと考えていた「山のこと」が
少しかたちとなっていたからだ。

1日目のトークイベントのパネラーはこちらの4名。

左からKIKIさん、坂本大三郎さん、石倉敏明さん、田附 勝さん。トークベントは肘折温泉いでゆ館のホールで行われた。

司会は、イラストレーターで山伏の坂本大三郎さん(以下大三郎)。
大三郎さんは、昨年の「ひじおりの灯」のイベントへの参加をきっかけに
肘折温泉に通い、今年から肘折に住み始めた。彼が考える肘折の山のことは、
著書に綴られていたり、コロカルでも取材している。
(→「月山若者ミーティング 山形のうけつぎ方」 、「肘折温泉vol1今も残る美しい手仕事」
ふたり目は、モデルのKIKIさん(以下KIKI)。KIKIさんは山のことを、
自らまとめているという冊子や著書『山が大好きになる練習帖』(雷鳥社)で書いていて、
そこには等身大の山の風景が綴られている。
3人目は写真家の田附 勝さん(以下田附)。彼が撮影した写真集『東北』(リトルモア刊)は、
2012年木村伊兵衛写真賞を受賞。
今も東北へ通い続け、まっすぐな衝動をフィルムへと焼き付ける。
4人目は人類学者の石倉敏明さん(以下石倉)。
石倉さんからは、日本だけではなく、世界の山と人との根源的なお話が展開される。
秋田公立美術大学美術学部アーツ&ルーツ専攻講師を務める一方で、羽黒山伏でもある。
ちなみに、田附さんと石倉さんは『なごみ』という雑誌に連載中の、
『野生めぐり』という企画でいつも一緒に旅をしているのだそう。

四者四用に山に魅せられているパネラーのみなさん。
それぞれが撮影した写真をスライドで上映されながら、
「東北に宿るなにものか」「土地の文化の継承」
さらには、「エチオピア音楽と東北」「歌が伝達してきたこと」など、
人類の芸術の出発点にまで、話はひろがっていった。

山に息づく姿をどう伝承していくか

大三郎

まずは、KIKIちゃんに。KIKIちゃんは雑誌や番組の取材で山に行くことが多いと思うけど、山はどうですか。

KIKI

「山の登り方」にはいろいろな楽しみ方があると思うんですけど、私は、最初は「どこどこの山がいい」とか「景色がいい」と聞いて登る山を決めていました。そのうち、道はどうつくられたか、ほこらはどうしてできたかということに興味が出てきて、自分のなかで、徐々に山の登り方が変わってきました。山にいる時間って、とても特別なもので、感動がすごく多い。山の見え方や、神さまとして祀られているものはとても神々しくて。そういった姿を写真におさめて、個人的に冊子にまとめています。

大三郎

撮影しているものや雰囲気は全然違うんですが、KIKIちゃんの写真を見て田附さんと似ているものを感じたんです。

写真はKIKIさんが出羽三山に行ったときの冊子。

KIKI 

(岩木山のスライドをみながら)これは岩木山(青森県弘前市、標高1625m)です。本当は、8合目まで車で行ける簡単な登山道があったけれど、信仰の道に興味が出て、探して登りました。実は、その信仰の道もふたつあった。岩木山神社の裏からの道と私たちが登った道。前者はかつて殿様がお参りするための道だったそうです。私たちが通った道は土地の人が山を崇めて歩いた道だった。地元の人からは「なんで神社からの道を通らなかったの?」とびっくりされたけれど、気持ちのよい道だった。山の見え方がちがうなって気もしました。

大三郎

山伏から入ると山のことって、ツライことをやるというイメージだけど、山は本来気持ちいいもの。山に登るって、最初に、楽しいという気持ちがある。

KIKI

もちろん、山を登るわけだから途中はつらいかもしれないけど、頂上に到達すると最後は楽しいし、気持ちいい。そう思えることが、山に対する何か信仰のあり方なのかなって思います。

山行のあとに、KIKIさんがまとめているという冊子たち。

大三郎

田附さんの写真って、これまでの東北の姿とはまた違った土着的なにおいを映し出す写真だと思うんです。

田附

60年代〜70年代にかけては、濱谷浩さん、岡本太郎さんや写真家の内藤正敏さんに代表するような、裏日本というテーマのなかで東北の姿を捉えられることがあった。でも、80年代以降はあまりビジュアルとしては見かけなかった。僕は東北には、独特の土着的な姿というのがあるんじゃないかと思って、写真を撮り始めたんだけど。

大三郎

田附さんの写真にある風景は、都会に住む人が忘れた姿なんじゃないかと思うんです。

田附

そう。肉を食べるために、動物を裂く姿までは見ることができない。でも実際はその土地からいただくみたいなことがあるわけで。このことはちゃんと知らないといけない。動物から血が流れるということはどういうことなのか、感じたり、見なきゃダメだというのがあるね。

田附さんの写真がスライドで流れる。

KIKI

東北を撮り始めたきっかけって何だったんですか?

田附

僕は、生まれは富山、育ちは埼玉。だから小さい頃から東北に親しんでいたわけではない。でも、19歳のときに青森へ行ったらぞわぞわする感性が動いて、それが自分のなかでずっと残っていた。残った何かを確かめたいと思った。(スライドを見ながら)これは、山形県の飯豊の熊祭りです。熊役を演じるひとが熊をかぶるパフォーマンスを見たときに、かつては山を歩いて、熊を仕留めていた誰かの姿として、目に焼き付いた。この土地にある文化が、いま、見えているものと重なって浮かび上がった。

大三郎

都市部に行くと洗練された文化がある一方で、自分の足下で脈々と続いてきたものに触れられる場所は限られてきている。でも、東北を歩いていると、何かいまの姿と違うものに触れる感覚がある。田附さんの写真はそうしたものをえぐり出そうとしている。

田附

わかんないけど、東北に来ると、自分のなかの、ある気持ちとリンクする。特に、夜って、普段は見られない何かを見られるんじゃないかと思っていて。山の夜は、人間が立ち入っちゃいけない時間だと思うくらい、何か見えないものがうごめいているんじゃないか。

大三郎

僕も山にいて、夜は本当に真っ暗になるので、びっくりしたのを覚えています。まちの夜と全然違う。

田附

そこにいる自分にまずびっくりする。呼吸がこんな音をしていたのかとか。

大三郎

夜の森で一番こわいと思ったのは、自分は見えないけど、動物からはこっちが見えているということ。これは、昔のひとは持っていた感覚なんだと思う。

田附

昔の人はその感覚を知っているから、夜は獣たちの世界だと認識していた。そうやって、人間と獣の世界が分断されていたんじゃないかって思う。

大三郎

(雑誌『なごみ』の連載『野生めぐり』の写真を見ながら) 石倉さんとの連載ではどんな所に行ったんですか?

石倉

第1回目の取材では、青梅の御岳山(東京青梅市、標高929m)や奥秩父の三峰山(埼玉県秩父市にある三山※1の総称)に色濃く残っているオオカミ信仰を取り上げたんです。野生的な何かを発見するための、最初の場所として選びました。東京や埼玉を取り囲む山々の奥地には水が湧いていて、それが川や飲料水となって平野部の農業や生活を支えている。御岳山には山伏の末裔である御師(おし)と呼ばれる祈祷師が住んでいて、いまは絶滅したと言われているニホンオオカミを大口真神として祀っています。

たとえ現代の東京でも、ちょっと山に行くだけで古代的なオオカミ信仰の層を発見できる。それから一年かけて田附さんと一緒に日本各地を歩いている最中で、いまも行く先々で野生的な力の文化を実感しています。

夜の森を歩いて撮影したという、田附さんの写真集『KURAGARI』。http://superbooks.jp

大三郎

昔の人がどう山に関わっていたのか。特に僕は、山伏の古い時代の行いに興味があるんです。もともとは現代美術に近い場所にいた僕は、日本のものづくりのルーツを知りたかった。山伏は、古い時代には「ひじり」と呼ばれ、お祭りのときには、舞を踊ったり、音楽を奏でたり、面をつくったりしていたりと、日本のものづくりや文化に非常に関わりのあった人と言われています。それで実際に山に入り山伏の修験を体験してみたら、面白さを感じてしまったんです。

僕は、現代までに重ねられてきている、蓄積された文化を見ていかないと、「いま」を本質的に捉えられない気がしています。そのときに、肘折には、古い時代の山伏の姿を残しているじゃないかと推測できる場所が多い。柳田國男(民俗学者)は、ひじりがつくった場所は「ひじ○○」と呼ばれると言います。肘折もひじりがつくった集落なんじゃないかと推測できる。実際、肘折の山には、古いかたちがそのまま残っています。

人と樹木の関係はものすごく古く、根の深いものだと思うんです。いま僕たちが触れられる山の文化に対して、「木地師」の存在はとても興味深い。肘折温泉では、こけしがつくられてきたんですが、この土地の職人は、実際に森に入って木をとっていたそうです。これは他の産地ではないこと。肘折のこけし職人だった奥山庫冶さんの息子さんに話を聞いたら山から木をきる作法をよく知っていた。そういった些細な作法にもすごく重要な情報が詰まっていると思うんです。それは、山伏にとってというよりも、ぼくたちの生活に。だから、僕は残したい。

坂本大三郎さん。

石倉

僕が肘折に初めて来たのは、1997年。研究室の合同ゼミで、1年に何度も大蔵村を訪れていました。山が、森が、本当に豊かな場所だと思いました。そのときは山間地で農業をして、東北の人びとの暮らしや芸能を知り、汗まみれの身体を肘折のお湯で流す、という日々を送っていました。地底からわいてくる力、鉱物としての土地の豊かさ、そして、山を豊かにしている植物や動物への想像力。そんな土地に人間がいて、芸能や信仰が生まれている。それらが渾然一体となっているここの文化に圧倒されました。

当時、舞踏家の森繁哉さんや阿部利勝さんにいろいろと教えていただいて、羽黒山伏の星野文紘さんにも、大蔵村ではじめて出会ったんです。だから、僕もこの肘折に残る文化を残そうとしていることは、とても意味があることだと実感しています。それに、ただ古い文化を残すというだけじゃない。外からの新しい刺激を受け入れて「生まれ変わる」力もあると思うんです。

大三郎

なかなか担い手が少なくなっている時代だけど、せっかくすばらしいものがあるんです。どうにかして残していきたいと僕は思うんです。

石倉

僕たちが関わっている秋田県上小阿仁村の「KAMIKOANIプロジェクト」でも、地元の生活に根ざした芸能や文化と新しいタイプの芸術を密着させることを目的としています。土地の人たちと外から来た人たちが、それぞれの役割を担ってすすめようとしている。目指すところは「ひじおりの灯」の精神性とつながっているんじゃないかなと思っています。

大三郎

肘折は外に出たひとがわりと戻ってくれるという、素晴らしいところ。でも出羽三山のまわりを見回すと、住民は老人ばかり。特にこのへんは豪雪地帯だから、1〜2年家を放置するだけで、つぶれてしまう。おふたりが見てきた土地ではどうでしたか。

田附

僕が、写真を撮りなが東北をまわっていると、若いやつが多少いる土地もある。例えば、彼らは伝統的な踊りを担っているけれど、昔と同じ衣装では踊っていない。それは単純な理由で、衣装が重いから。そんな風に、無くなるものは無くなっていいと僕は思う。残そう残そうと思うと、違うものが残っちゃう気がする。

誰かが強く思えば、たとえ一度は消えても、その土地から湧き出てくる何かによって、復活されることがある。そうやって日本列島では何千年も同じことを繰り返してきたんだと思うんだよね。残るものは残る。絶対またもとに戻るものってあると思う。

石倉

最近ある学生に「私には神道や仏教という宗教の信仰は無いけど、それでいいと思っている。かたちは変わっても、自然を大事にしたいという信念を持っているから」と言われたんです。たしかに、表に見えるような宗教という考え方は消えても、プリミティブな自然との関係は残っている。そういう関係って、かたちだけ残せばいいというものではないし、常にその時代の人びとが再発見して、その時代の表現のあり方を考えなければいけない。

いま「ひじおりの灯」や「KAMIKOANIプロジェクト」に限らず、全国の小さな村や大自然を舞台としたプロジェクトが立ち上げっているけれど、やはりその人なりの「土地とのつながり方」を見つけることが大きな主題になっているのだと思います。田附さんは上小阿仁村の八木沢集落という限界集落で、朽ち果てようとするトタン小屋を会場として、その土地に暮らす昔マタギや木こりだった人たちの写真を展示しました(写真展の様子はこちら:前編後編)。

KIKIさんは、ファッションやアートを通じて、普段はあまり山のことを知るチャンスが少ない若い女の子たちが、自分もそこに行ってみたいと思わせる風景を実際につくり出していて、言ってみれば、「道」をつくる山伏の先達みたいな存在。大三郎くんも、イラストや文章等を通して、山伏自身も伝統の中に抑圧してきた野生的な文化を発掘してみせている。

そんなふうに、ぼくらの世代が、かつての文化を新しくつくり直していくことも必要なんじゃないかと思う。

田附

ただ、自分たちが新しいことだと思っていても、実は歴史の中に組み込まれているんじゃないかと思うときもある。昔あったものがまた現れるというふうに。

田附 勝さん。

土地を読むこと=歌をうたうこと

大三郎

続いては、ここに参加してくれた方からの質問に沿って、話をしたいと思います。ひとつ目は、「石倉さんに質問です。今日スライドで流れていた石像が、エチオピアの映画にでてきた洞窟の絵と似ている」ということなんですが。

石倉

僕自身は行ったことがないのですが、エチオピアは宗教が重層していて、たいへん面白い地域だそうです。エチオピア正教というキリスト教と、イスラム教と、土着の精霊信仰などが混在している。そういう意味では、東北と共通しているところがあるのかもしれません。特に、家々を訪ねて物乞いをしながら、歌をうたって人びとを祝福していく文化がエチオピアにはあるんです。

これについては、川瀬 慈(かわせいつし)さんという映像人類学者が『ラリベロッチ—終わりなき祝福を生きる—』という素晴らしい映像作品にまとめています。それを見ると、たしかに歌がすごく面白い。川瀬さんから聞いた話ですが、エチオピアの歌というのは、演歌にそっくりなんだそうです。エチオピア人に吉 幾三の歌を聞かせたところ「この歌手は誰だ? エチオピアに呼びたい」って言わせたほど(笑)。

かつて東北の農村には、家々を祝福して廻る門付芸人(かどづけげいにん)がいましたが、彼ら自身もある意味では大三郎くんが言う「ひじり」と同一視されるような存在だったと思います。

大三郎

昔は、山伏と巫女が夫婦になって、憑依させて集落から集落に練り歩くということをしていたようですね。エチオピアの芸能は日本と共通点があって面白そう。

KIKI

私、エチオピアに行ったことがあります。清水靖晃さんというサックス奏者の方がいて、とてもすてきなジャズを演奏する方なんですが、なかでも『ペンタトニカ』というアルバムは、民族的な音階を集めていて、エチオピアの伝統音楽を編曲したものも入っていてとてもかっこいい。

石倉

いいなあ、行ってみたい(笑)。ジム・ジャームッシュ監督の映画『ブロークン・フラワーズ』にもエチオピアの音楽が使われていましたね。五音音階(ペンタトニック)の民謡調で、しかもすごく洗練されている。

KIKI

エチオピアではラリベラとう古都にある岩窟教会群へ行ったんですが、地域によって宗教観が全く違っているんですよね。その教会には、壁画がなく、地面を掘り下げて祭壇があるシンプルなものでした。

石倉

川瀬さんの映画に出てくる「ラリベロッチ」という芸能者も、まちを転々としながら各地の家を訪ねて、その家がキリスト教かイスラム教なのかもこっそり確認しながら、その人を讃える歌を即興でうたうそうです。たしかに東北の放浪芸人とそっくりなんだなあ、ということがよくわかりました。

ちなみに川瀬さんは、精霊に憑依された霊媒の女性を主題とする『精霊の馬』という作品も撮っているんです。女の人が馬のようになって精霊を乗せ、トランス状態で託宣を告げる儀礼。これも東北に伝わる「いたこ」文化に似ているのでびっくりしました。

大三郎

東北には瞽女(ごぜ)さんという女性たちもいて、目の見えない人が多かったんですが、彼女たちは歌をうたって集落から集落を歩いていた。行く先々で、説教を歌っていたようです。瞽女という名前も御前(ごぜん)から来ているのではという説もあり、何か儀礼をする人だったんじゃないかと推測が生まれる。遠い国なんですけど、通じることがあるんですね。

石倉

山伏のやっていることもそうですよね。ある意味で、東北の山は「世界」に通じて、それだけ古い文化が残っている。山伏が抖擻行(とそうぎょう、※2)を行って、道無き道を読んで歩いていく背景には、そういう古い世界的な文化があると思います。たとえば山伏は、山中の特別な拝所をめぐって祝詞や真言を唱えますが、ある意味では土地を読むことと歌をうたうことを一体化させている。

オーストラリアの先住民アボリジニたちも、殺風景な砂漠の中の土地を「読んで」歩いていく。そして、彼らの神話に登場する特別な泉の前で、特別な歌をうたう。山伏たちがやっていることの本質と、とても近い儀礼だと思います。

田附

なんで歌なの? 言葉で言うだけじゃダメなの?

石倉

単に発声するだけじゃなくて、抑揚をつけてうたうことで、はじめて世界に働きかける力が生まれるんだと思う。それはたぶん、社会的なコミュニケーションの道具としての言葉以前に生まれた力かもしれない。先住民は広大なオーストラリアの土地の全てを楽譜のようなものととらえ、そこを歩くことで創造神話と一体化する(※3)。からだごと音楽や神話と一体になるんです。

山伏修行の一番深い層では、こういう儀礼ととてもよく似たことを行っています。普通の人が茂みや岩だと思っているところに、熟練の山伏は古くから伝わる神話の痕跡を発見する。そして、そこでお経や真言を唱えることで、山全体に眠っている記憶が呼び覚まされます。

大三郎

折口信夫(民俗学者)は、「自然に対して訴えかけることが歌である」と言っています。訴えるときに語られたことが、物語になっていくと。日常的に話している言葉よりも先に歌があって、それが繰り返されることで、いまの「歌」という形式に収まっていった。そこからは、身振りが「舞」になり、激しく舞うことが「狂う」という風に言われている。かつて自然と向き合った姿はやがて歌に残され、そこで語られる物語が神話になっていくんだと思う。

田附

歌のもっと前に、動物的な感覚で人間は声を発し始めたじゃない。そう言った音というか声というか、発声から来ているのかとも思った。それが音楽になり、理解されていくものになったのかなと。でも、いまの話は、すごく面白い。

石倉

ジャン=ジャック・ルソーも「最初の言葉は詩であり歌であった」と言っています。僕自身、子どもを育てていて感動したんだけれど、赤ん坊は言葉によるコミュニケーションを覚えるずっと前に、簡単なメロディーやフレーズを覚えて歌をうたうんですよね。現代の生物学者も、音を使ったコミュニケーションが動物と人間に共通するとても重要な回路だということをあきらかにしている。

芸術というとすぐに壁画や彫刻を想像するんですが、ラスコーのような旧石器時代の洞窟の中でも音楽やダンスが重要な役割を果たしていたようです。昔の人類は、音を響かせ、歌をうたうことで、岩や土の壁の向こう側に広がる目に見えない自然の領域に働きかけていたかもしれない。芸術の歴史もそうやって捉え直してみると面白いですよね。

石倉敏明さん。

大三郎

続いて一番多かった質問で「山のエネルギー、力を感じるところはどこかありますか?」ということなんですが。僕は、湯殿山(山形県鶴岡市と西川町の境にある、標高1500m)ですね。初めて東北に来たときに行ったところですが、すごいと思った。真っ赤な岩から何か出ているじゃないですか。

田附

いや、本当あれはやばい。僕は観光で、特に何も情報もないまま行ってみたら、赤い岩が! 濡れている! というような、とにかくファーストインプレッションが衝撃的だった。だって、

KIKI

行っていない人もまだいます……

田附

あ、すみません。でもすごかったよ。 

大三郎

語るなかれ、聞くなかれ、湯殿山(笑)。僕は山のパワーという言い方は好きじゃないんですけど、やっぱりその自然のインパクトというか、存在感は、人間の感覚を刺激するなって思います。岡本太郎さんが、湯殿山を見たときに「民俗のそこにあるものを刺激された」と言ったようです。

石倉

田附さんと一緒に旅をするとき、ひとつ大事にしていることがあるんですが、それは聖地というのは必ずしも神社やお寺の社殿ではない、ということなんです。だからたいてい、山や湖や洞窟を目指すことになります。聖地と呼ばれる場所にはたいてい立派な社殿が建てられているんですが、その前になにがあったのかを見ないと、本末転倒になってしまう。例えば湯殿山も、湯殿山神社じゃなく、ご神体を意識するように設計されています。こういうところからも、いろいろ見えてくるものがあると思う。

田附

かたちに気を取られるとちがうものになっちゃうじゃない。そういうのがすごくいやで。もっと先にあるものを見たい。

大三郎

今日「山を読む」というテーマで話をしてきたんですが、山を読むってつまりは、「読み方」なんだと思います。例えば、肘折温泉のような自然の豊かなところに入れば山は身近だけれど、見落としてしまうものもある。かつて、自分たちの文化が豊かだった時代というのが何百年か前にあって、そのときの人たちがどういう風に自然と接していたか。という、山の読み方をひとつひとつ、僕はひじりや山伏という視点からひも解いていきたい。

石倉

それだけ濃密な情報が、山という空間には満ちあふれている。本を読むことも大事だけど、山を読むことで別の次元の情報に触れられるんじゃないか、と僕は思っているんです。中沢新一先生も「山伏っていうのは、そこに身をおいて学ぶ学問だ」とおっしゃっていて、基本的には先達をとおして「独学の仕方」を学ぶものなんですよね。木や岩を通して、季節や生態系の変化だけでなく、先人の足跡や歴史的な出来事、神話や伝説のような情報も教えられる。それが山を読むこと。「ひじり」と呼ばれた人たちは、情報のハブになっていた。彼らのネットワークが、山とまちをつなげていた。僕らはそれを実践的に学んでいるんです。

大三郎

僕以外の3人が各地の山を旅しているなかでも、その土地土地の自然の読み方があったと思う。いま、ぼくは肘折という土地で「山の読み方」を読み込もうとしています。東北芸工大の学生さんたちも今日はたくさん来てくれていますが、「山の読み方」というのを今日の4人の話から、少しでも感じ取ってくれるといいなと思います。

3時間にも及ぶトークの後のオフショット。右端は「ひじおりの灯」の共同企画者のひとり、東北芸術工科大学の宮本武典さん。

このトークの後、夜には参加者みんなでで肘折温泉の夜へと繰り出し、
灯籠をを見て歩いた。その様子や2日目の「山を歩く」、山登りの様子は後編で!

※1 三山…妙法が岳・標高1332m、白岩山・1921m、雲取山・標高2017m
※2 山林中を自らの足で歩いて修行すること 
※3 参考:ブルース・チャトウィン著『ソングライン』

information

肘折温泉

住所 山形県最上郡大蔵村南山
http://hijiori.jp/

profile

TOSHIAKI ISHIKURA
石倉敏明

1974年東京都生まれ。1997年よりダージリン、シッキム、カトマンドゥ各地で聖者(生き神)や山岳信仰、「山の神」神話調査をおこなう。2013年より秋田公立美術大学美術学部アーツ&ルーツ専攻講師。明治大学「野生の科学研究所」研究員、羽黒山伏。共著・編著に『人と動物の人類学』(春風社、2012年)、『道具の足跡』(アノニマスタジオ、2012年)など。

profile

KIKI

東京都出身。武蔵野美術大学造形学部建築学科卒。在学中からモデル活動を開始。雑誌や広告、TV出演をはじめ、連載などの執筆など多方面で活動中。著書に『山スタイル手帖』(講談社)、『美しい教会を旅して』(marbletron)。カメラマン野川かさね氏との共著『山・音・色』(山と渓谷社)や最新著書『山が大好きになる練習帖』好評発売中。

profile

DAIZABURO SAKAMOTO
坂本大三郎

1975年千葉県生まれ。2006年、山形県羽黒地方にある宿坊「大聖坊」の山伏修行に参加。2009年、山伏出世の行と呼ばれる「秋の峰入り修行」に参加する。以降、出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)を拠点に、古くから伝わる生活の知恵や芸能の研究実践を通して、自然と人を結ぶ活動をしている。著書に『僕と山伏』(リトルモア、2012年)、『山伏ノート~自然と人をつなぐ知恵を武器に~』(技術評論社、2013年)。

profile

MASARU TATSUKI
田附 勝

1974年富山県生まれ。9年間に渡り全国でトラックおよびドライバーの撮影を続け、写真集『DECOTORA』(リトルモア、2007年)を刊行する。2012年、写真集『東北』(リトルモア、2011年)で第37回木村伊兵衛写真賞を受賞。最新作に、釜石市唐丹町で4年に渡り撮影をおこなった写真集『kuragari』(SUPER BOOKS、2013年)がある。

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