〈 この連載・企画は… 〉
ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。
editor’s profile
Kaori Kai
甲斐かおり
かい・かおり●フリーランスライター。長崎県生まれ、東京在住。日本の地域、地産品など、ヒト、モノの取材を重ねるうちにローカルの面白さに目覚める。ガイドブックに載っていない場所をひたすら歩く地味旅が好き。でもハイカラな長崎が秘かな誇りでもある。お祭りを見ると血がさわぐ。
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写真提供:結いプロジェクト
見世蔵や古民家、格子戸の問屋といった伝統的な建造物が今も残る、茨城県の結城市。
鎌倉時代より千年を超える城下町として栄えてきた。
織物「結城つむぎ」の一大産地であり、みそや酒などの醸造業も盛んで、
江戸時代は都に生活物資を供給する重要な拠点だったという。
ところが長年裕福だったまちは、ここ数年高齢化が進み、
後継者不足で空き店舗が目立つようになった。
「外から訪れた人には、いいまちだねって言ってもらうことが多いです。
でも、まちから若い人が減って活気がなくなっていくのを感じていましたし、
僕自身、20代の頃は自信をもって結城っていいまちだと言えなかった」
そう話すのは、「結いプロジェクト」代表の飯野勝智さん。
飯野さんは大学で建築を学び、地元結城市で設計事務所を開業。
いつかは地元で独立を、と考えていた飯野さんは、
建築を学ぶなかで改めて結城市の個性を見つめ直したという。
「見世蔵などの古い建造物や、神社お寺などの人が集まる場がたくさん残っていること、
そしてそれを守ってきた人々の営みなど、長年変わらないで続いていることが、
結城の貴重な資源ではないかと思いました」(飯野さん)
まちの中心にある健田須賀神社で毎年行われている夏祭りなどは、
700年以上前から続いているという。
「結い」という言葉を知ったのもその頃だった。
「白川郷の茅葺き屋根の葺き替えの話は有名ですが、
“結い”とは一人ではできないことを皆で協力してやっていくこと。
今結城に残っているものを地元の人が一緒になって大切にし、
このまちを盛り上げていく、そんな気持ちを取り戻すことができないかと考えました」(飯野さん)
飯野さんのその思いに応えたのが、商工会議所の職員であり、
まちづくり会社(TMO結城)にも所属する野口純一さんだった。
2009年、ふたりはさらにメンバーを募り、プロジェクトを発足。
結城市の「結」と「結い」から「結いプロジェクト」と名付けた。
初年度に行ったイベント「結い市」は神社の収穫祭に合わせたマルシェとして始まり、
2年目以降、まちに点在する「見世蔵」を会場として広がりを見せていく。
結城市に今も多く残る「見世蔵」とは、明治から大正にかけて造られた、
土壁で漆喰仕上げの建造物。単なる貯蔵庫ではなく、
通りに面して売り場を設けられたお店を兼ねた蔵だ。
この建物こそまちの大切な資源のひとつと考えた飯野さんは、
2年目の「結い市」で蔵などまち中の建物を会場にして、
クラフト作家やアート作品、カフェなどの出展を行うことを提案する。
ところが結城市に残る見世蔵は、今もそのほとんどが現役。
つむぎ問屋や老舗の商店など商売に使われていたり、
人が住んでいるなど、会場とするのは一筋縄ではいかなかった。
「野口くんとふたりで一軒一軒、家主さんの元へ出向いて、
蔵を『結い市』の会場として使わせてもらえないかと説明してまわりました。
初めはなかなかこのプロジェクトの主旨を理解してもらうのが難しかった」(飯野さん)
だが、飯野さんの実家が7代続く左官屋と聞くと、
話を聞く人たちの表情がふっとゆるんだのだという。
「結城市に残る蔵はしっかりした造りのものが多く、メンテナンスしながら使われています。
そのお手伝いをしてきたのが、出入りの職人として左官の仕事をしていた僕の先代だったんです。
“うちも飯野さんのところにずっとお世話になってたんだよ”って言われると、
ぐっと関係が近づく気がしました」(飯野さん)
初回に会場として借りることのできた建物は5~6軒。
実際に運営が始まってみると、見世蔵は単に展示の場所としてだけでなく、
まさしく“結い”の場になっていった。
「もともと商売人の方が多いまちです。
お客さんを“もてなしたい”という気持ちに次第に火が灯っていった感じでした。
出展者が不在にする間、家主さんが代わりに店番をしていただいたり、
一緒になって接客をしてくれるようになっていきました」(野口さん)
楽しかったという家主の話はすぐにまち中に広まり、年々協力してくれる数は増えていった。
「結い市」4回目となる今年の会場は30か所。
夢中で進めてきて、ふと気付くと、まちの雰囲気が変わり始めていたと野口さんは話す。
「気付いたら、お味噌屋さんの古かった暖簾が新しくなっていたんです。
これまで目立たなかった和菓子屋の看板も目立つように工夫されていたり、
まちを歩いていると挨拶してくれる商店主が増えました。
後継者がいないことで商売に対してあきらめ気味になっていたまちが、
少し前向きになってきたのを感じました」(野口さん)
このように、結いプロジェクトを通してまちの人たちと縦の関係ができていく一方で、
横のつながりも広がっていった。
例えば、結城つむぎの問屋「奥順」の関根智恵さん。
3年目より結いプロジェクトに参加し、
新しい層に着物のあるライフスタイルを提案する活動を行っている。
今年の「結い市」では、PONNALETのラオス・カンボジアのつむぎと
結城つむぎのコラボレーション作品を披露し、
カンボジアのクロマーという布の活用法を学ぶワークショップを行った。
「結い市は、つむぎを知らない方たちに新しい感覚でふれてもらういい機会になると思っています。それに結城市の資源はつむぎだけではないので、
このまちにもっと多くの人たちに来てもらいたい。
私たちくらいの世代の厳しい目をもつ女性にも、
結城が行ってみたい場所の候補に入るようになるといいなと思っています」(関根さん)
運営メンバーも今では30~40名。
立ち上げ当初は役所の職員や、結城つむぎの織子(おりこ)さんなど、
結城市に住む参加者が多かったが、ここ1~2年は結城出身で都心在住の人など、
遠方から応援にかけつける人も増えた。
プロジェクトのアートディレクションを担当する小池隆夫さんも、
活動の主旨に共感して参加したひとり。
「僕自身、結いプロジェクトを通してたくさんのまちの人たちと知り会いました。
なかには結城で新しくお店を始めた方もいて、
デザインの仕事でそうした人を応援できることも
プロジェクトに参加している魅力のひとつです」(小池さん)
小池さんの話す「お料理屋kokyu.」は、
築90年の別荘が空き家となっていた場所に2013年3月にオープンした創作料理のお店。
オーナーが商工会議所に相談を持ちかけたのをきっかけに、
野口さんが物件探しや起業のサポートを行い、
結いプロジェクトのメンバーを引き会わせたのだという。
結果、小池さんが、新しいお店のデザインを通したブランディングを担当、
飯野さんは建築面でのサポート、関根さんは新しいお客さんを連れてくるなど、
結いプロジェクトのメンバーで自然とあらゆる面からのサポートが行われた。
「kokyu.」ができたことは、結いプロジェクトを通して強いネットワークが生まれていることを、
メンバー自身が感じた出来事だったという。
「まちが単なる場所というよりも好きな人々が暮らすまち、という印象に変わりました。
越してくる人が増えれば、結城にひとつずつ明かりが増えていく感じがして嬉しいんです」(小池さん)
千年続いたまちを次の世代につなぐために、まずは今、まちに生きる人々がつながり、
支え合う関係をつくること。
それがひとつの答えかもしれないと、今彼らは思い始めている。
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