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「山を読む、二日間」後編

Local Action
vol.032

posted:2013.11.19   from:山形県大蔵村  genre:暮らしと移住 / 旅行

〈 この連載・企画は… 〉  ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。

editor's profile

Kanako Tsukahara

塚原加奈子

つかはら・かなこ●エディター/ライター。茨城県鹿嶋市、北浦のほとりでのんびり育つ。幼少のころ嗜んだ「鹿島かるた」はメダル級の強さです。

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撮影;ただ(ゆかい)

灯籠を介して、生まれるコミュニケーション

ひじおりの灯」のトークイベント「山を語る」(前編参照)終了後には、
今年は「山を描く」と題して、絵語り、夜語りが行われた。
この日は絵を描いた学生たちが来ていて、制作秘話を聞くことができる。
少しほろ酔いで歩くもよし、湯冷ましがてら歩くもよし。
浴衣に、下駄姿。温泉街を歩くお客さんの姿は肘折温泉の変わらない風景だが、
夏の「ひじおりの灯」開催中は、夜もちらほらと浴衣姿が見受けられる。
愉しげな明かりが通りを灯すから、少しだけそぞろ歩き。

灯籠に灯された、肘折温泉の共同浴場「上の湯(かみのゆ)」。

「ひじおりの灯」期間中は、夜になると、 肘折青年団も、
通称「くろ」と呼ばれる屋台カフェをオープンする。
冬に会った須藤絵里さんや、早坂隆一さん、早坂 新さんもお店を切り盛りしていた。
「『くろ』を見ると、今年もこの時期がやってきたなって思う。
みんながまとまって何かをするイベントのひとつになっています」と絵里さん。
「ひじおりの灯」が始まった当初は、
青年団が集まって話す機会なんてほとんどなかったのだという。
いくつかのきっかけがあったり、毎年「ひじおりの灯」を開催するごとに、
変化していった関係。少しずつ同年代の人との会話が増えていく。
いつのまにか、これを楽しみに来てくれる常連客に会うようになり、
青年団のみなで、毎年「くろ」を出店するようになった。

こちらが通称「くろ」。この日は、日本酒がお客さんたちに日本酒が振る舞われた。お盆に日本酒を持つのが隆一さん、奥にいるのが新さん。

制作について熱心に語る学生の隣で、滞在や制作をサポートした旅館やお店の方々も、
少し誇らしげだった。 まるで、我が子を褒めるようにあたたかく見守り、一緒に会話する。
灯籠絵をきっかけに、コミュニケーションが生まれる。
それも、この「ひじおりの灯」の面白さのひとつだ。

肘折温泉には、何度も来ているという浴衣姿のお客さんたちは、楽しそうに学生の話を聞いていた。

自然のままの森を、歩くということ

「ひじおりの灯」開催中に、開かれたイベント「山を読む、二日間」。
2日目に行われたのは、「山を歩く」。取材チームも参加することになったが、
カメラマンも私も登山初心者。
心配ばかりが募ったが、どんな風景に出会えるのかは楽しみでもあった。
イラストレーターで山伏の坂本大三郎さんを先達(道の案内人)に、
肘折温泉周辺の山へ登る。 まずは、肘折温泉のシンボル・開湯伝説を伝える「地蔵倉」へ。

肘折温泉の共同浴場「上の湯」脇にある石段を登り、
最初に「湯坐神社」と肘折の人々に親しまれている「薬師神社」にお参り。
そして、「地蔵倉」と書かれた看板の方向へ裏山を登っていく。
肘折温泉を訪れる湯治客の多くが訪れるというだけあり、歩きやすい山道だ。
途中で、何度も可愛らしいお地蔵さまに出会った。
「肘折温泉にはたくさんのお地蔵さまがいる」と言って、
東北芸術工科大学の学生が灯籠絵に描いていたのがよくわかる。

地蔵倉までの道を、まるで案内してくれているようにお地蔵さまがいた。

国道 458 号線を渡り、そしてまた山へと入っていく。
肘折温泉の集落を出て 20~30 分が過ぎたころ、
片側の崖に沿ってわずかにつくられた、せまい道が現れた。

崖に沿って少しスリリングな道を進み、松がたっている中央の角をまがると地蔵倉が見えてくる。

反対側は、肘折温泉の集落やそれらを囲む山々を見渡せる。
遠く連なる山々は美しく、目の前に広がる雄大な景色は日本とは思えない。
どうやって、こんな道ができたのだろう。
少しスリリングだけど、他にはない景色を見て、気分は壮快。
心地よい風に吹かれながら、この崖っぷちを歩いて行く。 そして「地蔵倉」に着いた。

地蔵倉のお地蔵さま。

岩壁に守られるように、石地蔵が反対側の山を望んで並び、
その奥には小さなお堂が据えられていた。
地蔵倉は、「縁結び」「子宝」「商売繁盛」の神さまとして崇められていて、
岩肌には、無数の五円玉が奉納されていた。
ここもまた、今までに見たことのない景色だった。

地蔵倉の景色。

一度、肘折温泉の集落へ戻り、続いて登る道が今回の「山を歩く」の本番だ。
ここからは、全員が参加。 参加者は、サポートスタッフを含め 20 名弱。
東北芸術工科大学の学生や、地元の若者など縁あって申し込みをした人たちだ。
番所峰を越え、霊泉とも言われている「今神温泉」を通り抜け、今熊山の山頂を目指す。
まずは、山への登り口「大蔵鉱山跡」までバスで向かった。

山を登り始めるときに、先頭では大三郎さんが、後方ではつたや肘折ホテルの柿崎雄一さんが法螺貝を吹いた。

大三郎さんを先頭に一列になって歩き、法螺貝が、周囲に鳴り響く。
平坦な砂利道から、少しずつ傾斜がかかっていく。
観光地化された登山道のような整備がされているわけではない、
地元の人や山に慣れた人が入っていくような道だ。
緑が深くなり、傾斜も急になっていく。すると、視界が開けた場所に出た。

ここで、大三郎さんが念仏を唱え、私たちも後に続いて、
配られたプリントに書かれた念仏を読みあげた。
あとで聞いたことだけれど、ここは地蔵倉の向かいの山。
山へ入るための、ご挨拶とも言える、念仏を唱えたのだという。

冬には3~4メートル以上の雪が積もるから、雪の重みで根元が少し曲がっている。

両脇に、木が迫ってくるうような細い山道をひたすら登る。
緑が近いから、古木に生える見たこともないコケが目に入ってくる。
少し息もあがってきた。不思議と風が抜ける場所に到着。最初の目的地、番所峰。
ここは昔、鉱山を守る役人が居た場所だったんだそう。
急傾斜が続いたので、先頭を歩いていた学生たちは、少ししんどそうだった。

ブナの森を歩いていく。

続いて、目の前に広がったのは、ブナの森。
ブナの森は、日本古来の原世林の姿とも言われている。
昭和の後半から急速に失われてしまい今では数えるほどになった風景。
このブナの森は、古から地元の人々が大切に守ってきたものだ。

道があるようでない、落ち葉でふかふかの地面を歩いていく。
どんぐりから芽吹いたであろう、小さな若木がたくさん生えていて、
時折地面を照らす木漏れ日がとってもきれい。
見たこともない光の重なりや、見たこともないかたちの植物に目を奪われながら、
自然と足取りも軽くなり、みなリズミカルに下りていく。
ここが豊かな森であることが、視覚からも触覚からも、身体から伝わってくる。

ブナの林で見つけた食べられるキノコ。ミルクのような液が出ることから「ちち茸」と呼ばれ、出汁がとてもおいしいのだそう。堀内さんが教えてくれた。

そして、道はブナ林から少しじめっとした湿地帯へ入っていく。
ごつごつした岩が現れ、コケがはりついている。
滑りやすいところや、飛び石を渡るときなどは、 サポート役として一緒に登ってくれている、
肘折青年団の早坂 新さんや、 山が好きで肘折に通っているという、
堀内 大(ひろし)さんが手を貸してくれる。 山の湧き水だろうか。触るととびきり冷たかった。

「森のなかに、ぼこっと大きな穴が空いていたりするでしょう。
ほとんどは、大木が倒れてしまって空いたものなんだけど、
山の世界では、“山の神が遊んでいる場所”って言われているんです。
だから、通るときは遊んでいる神様を驚かせないように、
咳払いをしてから通るんだよって、僕は教えてもらいました」
と、ときたま大三郎さんが教えてくれると、
何気ない山の風景がどこか違ったものに見えてきて面白い。

今神温泉の入り口。

湿地帯を抜けて 12 時を回った頃に、到着したのは「今神温泉」。
ここは、長期滞在のみを受け付ける湯治専門の温泉で、 724 年の開湯という歴史を持ち、
別名「念仏温泉」とも言われているそう。
私たちはご主人にご挨拶をして、お水をいただき、昼食をとった。

次に目指すのは、「御池」を見られるという今熊山の頂上。
今熊山にも、かつては山伏がいたと言われている。
想像以上の急傾斜をロープをつたいながら、登っていく。
先頭でへばっていた女子学生たちは、いつのまにか足取り軽く、山をかけあがっている。

イタヤカエデの木。

途中、肘折こけしの材料として使われていたという「イタヤカエデ」があり、
前日のトークイベントを思い出した。
こんな風に木地師たちは、山をかけのぼっていたのだろうか。
そして、山頂らしき、視界がひらけた場所に着き、 御池が見え、参加者から歓声があがる。

今熊山から御池を見る。

水面が鏡面のように美しかった。
御池は、日照りの時も大雨の時も水量が変わらないと言われる、不思議な池。
龍神さまが住むと言われ、地元の人に信仰されているのだそうだ。
今熊野神社のご神体と言われる今熊山の山頂には、 祠があり、
そこでもまた大三郎さんに続き、念仏を唱える。 そして、もときた道を下山。
5時間におよぶ「山を登る」プログラムは終了した。
帰りは、バスで肘折温泉へ戻った。 肘折温泉のある大蔵村から、
山を越えて戸沢村に来ていたようだ。

中央のふたりが、今回私たちの登山をサポートしてくれた堀内さん(左) と新さん(右)。手前の4人は、山形市から参加してきたみなさん。

山を登り終えたわたしたちは、少しだけ、感想を言い合った。
「今回登った道は、かつては銅の番人がいたり、山伏が修験をしていたりと、
山ごとにあった文化を感じられる道でした。 みなが今までに
歩いたことのないような道だったんじゃないかと思います」 と大三郎さんが教えてくれた。
山を歩いているときは、そのままを感じてほしいと、あまり説明はなかったのだ。

最初かなりしんどそうにしていた東北芸工大の女子学生が、興味深い感想を言っていた。
「最初は辛かったんですが、最後は山と身体が馴染んできました。
同じ傾斜でもコンクリートの階段を登るよりも、
地面に生えている草につかまりながら登る山のほうが疲れないのかもと思いました」

傾斜に合わせて身体を使っていく。
そして、森の音に耳をすませ、目をこらし、感覚を研ぎすます。
「いまの日常ではあまり使わない想像力が膨らむ経験でした」という感想も。
それは、都会で塞いでしまっている、
身体の感覚を解放していくような効果もあるのかもしれない。

「自分たちが見ているもののなかから、こぼれ落ちてしまっている情報が
山には残っているんだと思う。そこにある時間の蓄積を読むことで、
もっと文化を立体的に捉えられるようになるんじゃないかなと思います」
と、最後に大三郎さんが話してくれた。

実は、この「山を登る」プログラムを実行するためには、
肘折の青年団が一度登ってコースを確認したり(こちらに詳しく)、
戸沢村の方々の協力があったりして実現したことだったという。
手つかずの森に初心者が入るとなれば、いくつかの準備も必要となる。
しかし、そんなふうに、毎年「ひじおりの灯」が行われることで、
地元のみんなで新しい試みにチャンレジンする機会にもなっている。
特に今回は「この土地の根源的な文化に触れられるテーマだった」と、
共同企画者、東北芸工大の宮本武典先生。
今回のプログラムで、新たな試みを動かしつつあるようだ。
「大三郎さんが肘折に来たことで、この土地と“山”との関係を見つめ直しました。
今後も『肘学―山行』として、季節やコースを変えながら、
周辺の山々をめぐる企画を考えています」とつたや肘折ホテルの柿崎雄一さんは話す。

1日目に行われた「山を語る」で聞いていたことが、
実際に山を歩くことで、体感できた今回の「山を読む、二日間」。
実はあまり、山に馴染みがないという地元の若い人たちや、
東北芸工大の学生たちにとって、山が身近な存在になったはず。
素朴で昔ながらの山道が教えてくれることは、まだまだたくさんありそうだ。

information

肘折温泉

住所 山形県最上郡大蔵村南山
http://hijiori.jp/

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