眠っていた学校を起こそう!
教えて、
How to休廃校再活用

少子化に伴い、全国各地で学校の統廃合が進んでいる。
廃校になるということは、大きな校舎が空っぽのまま地域に存在するということだ。
使わない建物は人の気配をなくし、放置のままに荒廃していく。
校舎を壊すだけでもずいぶんな予算もかかり、
できれば治安の問題も含めて校舎は有効活用できたほうが望ましい。
一方、お金をかけずになるだけそこにあるものを利用して、
新たな生き方やビジネスを模索したい人たちもいる。
廃校カフェ&ゲストハウスとして人気の、
徳島県三好市の旧出合小学校〈ハレとケデザイン舎〉は、
地域と移住者、双方のニーズのマッチングがうまくいった廃校活用の好例だ。

移住、開業、子育て……
難関をクリアしてひらめきをかたちに!

3年前、徳島県三好市へ移住した
ハレとケデザイン舎代表の植本修子さんは
ひょんなことから三好市の休廃校活用アイデア募集を知った。
そこですぐに現地に足を運んでいくつかの学校を見学。
すると、いろんなアイデアが湧いてきたという。
東京でデザインの仕事をしていた植本さんにとって
大きな空間を自由に使うことを許されるということは
無限大の可能性を持つクリエイティブな作業で、
校舎の内装から湧く未来のイメージにわくわくしたそうだ。

「先々の苦労を想像するよりも、おもしろそう、
やってみたい! と思う気持ちのほうが大きかったですね」
当時を振り返り、植本さんはそのときのモチベーションは現在にも続いていると語る。
「使える廃校があるならば、まだまだやりたいこと、
できることはたくさんあるのでやってみたいんです」

植本さんの話を聞くと、あたかも軽やかに実行してきたように見えるが
実際に、休廃校活用の事業案を採択され、
ビジネスやコミュニケーションの場とするには、複雑な認可のプロセスが重要だった。
「終わってみると、大変なことは忘れてしまうのよね」と笑う植本さんに、
彼女が行った廃校を再生し、開業するまでの手順を聞いてみた。

まずは現地に足を運び、物件との出会いの印象を大切にし、そこから事業のイメージを広げた植本修子さん。 「三好市の廃校活用事業が始まって間もないところでここに来ることを決めたので、申請方法などわからないことなどが山積み。市役所の方に確認しながら事業計画書を作成しました」

出合小学校に案内された植本さんが抱いた第一印象は、中庭の風景の心地よさ。「ここに案内されたとき、中庭に立ち、川のせせらぎが聞こえて、あ、すてきなところだなと感じられたんです」。鳥小屋やカブトムシ小屋のたたずまいも気に入った。それなのに、これまで誰も手をつけていないことに驚いたという。そこで、2回足を運んでここでの開業と移住を決めた。

〈HOMEMAKERS〉の梅仕事、
梅コンポートと梅干しづくり

この季節といえば! 梅の収穫から梅干しづくりまで

6月になるとスーパーの入口付近に並び始める梅!
その隣には、大きなガラス瓶や梅干しざる、
梅酒づくり用のホワイトリカーなんかが並びます。
そう、6月は梅収穫&梅仕事の季節です。

毎年5月中旬くらいから、そろそろ梅が大きくなってきたねぇ、
いつ収穫しようかと、畑の見回りをしながらそわそわしてきます。

うちにはじいちゃんが残してくれた梅の木が3本あります。
段々畑の一角に梅の木が植えられているのですが、
軽トラックで行けない場所にあるので収穫して運ぶのはひと苦労。
さらにまわりのみかん畑が少しずつ荒れ始めていて、
草刈りなどのメンテナンスもとても大変(というか、できていない、汗)。

でも立派な梅の木は毎年大粒の梅をつけてくれるので、
なんとか手入れして収穫し続けたいなと思っています。

大きな梅の実がいっぱい。

ひとつひとつ手でもぎって収穫。

今年はその梅の木と、知り合いの人に、もう採らないから採ってもいいよと
教えてもらった梅の木の実を収穫をしました。
大粒の梅が枝にたくさんついている姿はなんとも幸せ。
あー、宝物がいっぱいある。
ひとつずつ手でもぎってかごに入れていきます。
農薬も肥料も使わず、ほとんど自然のまま育った梅ですが、
思ったよりもきれいな実が多く、梅の木のパワーに驚かされます。

大きな梅の木なので、高いところは木登りして剪定しながら収穫。

上のほうの陽がよくあたるところはすでに黄色く熟してて、そのまま梅干しにできそう。

かごいっぱいに収穫した梅ちゃんたち。

収穫した梅は、傷なしパーフェクトなA品、
ほんのちょっとだけキズがあったりシミがあったりするA'(エーダッシュ)品、
キズありだけど使えるよねのB品、
これはちょっと厳しいねのC品に分けていきます。

そしてなるべくその日のうちに注文してくれた方に発送します。
今年もたくさんの方々にお届けできました。
小豆島の梅が全国各地に飛び立っていって、
そこでおいしい梅干しや梅シロップにしてもらってると想像すると
とてもうれしくなります。

〈まるまるまるもり〉 宮城にて北欧の循環型の メソッドを取り入れた 起業家支援プロジェクトが始動!

宮城県丸森町にて、移住と仕事づくりをサポートする
ライフスタイル創生プロジェクトが発足され、起業家の募集がスタートしました。

森林に囲まれた丸森町を舞台とするこちらのプロジェクト、
その名も〈まるまるまるもり〉は
〈一般社団法人 MAKOTO〉とインタラクティブを中心に据えた
クリエイティブエージェンシー〈ラナエクストラクティブ〉が連携して立ち上げたもの。

阿武隈川や森林・田園風景などの自然環境や、
歴史、伝統建築などの豊富な観光資源に恵まれた丸森町をフィールドに
自分らしい生き方と働き方を模索する起業家を支援していきます。

ユニークなのは、北欧の循環型のメソッドを取り入れていること。
衣・食・住など、すべての活動を循環型として捉える
北欧の考え方を取り入れながらも、東北の強みを活かした、
新たなライフスタイルを生み出していくことを目指しています。

買った山に、いよいよ植林。
費用は? 木の種類は? 
素人なりに考える

植林って何? 未知の世界に足を踏み入れる

昨年岩見沢で買った山には、購入後に私たちが果たさなければならない“約束”があった。
もとの地主さんは森林組合に加入しており、広さ8ヘクタールの土地のうちの
1ヘクタールが国や北海道の補助金を利用して植林されていた。
その後、木は伐採したのだが、伐採後には再び植林をする必要があるそうで、
この“約束”を、新しい土地の所有者となった私たちが引き継ぐかたちとなっていたのだ。

今年、いよいよ植林を進めることになり、
6月初旬に、森林組合の担当者・玉川則子さんと、
北海道空知総合振興局森林室の栗田健さん、
そして植林を実際に行う〈千歳林業〉の千葉大輔さんが、私たちの山にやってきた。

現地で植林会議! 左から、栗田さん、山を一緒に購入した農家の林さん、わが夫、千葉さん、玉川さん。

図面を見ながら植林する場所を確認。

植林の対象となる土地は、道路脇から約1ヘクタールの範囲。
植林なんて、まったくの未知の世界で、いったいいくらかかるのか、
自分たちはどんなことをしなければならないのか、わからないことだらけだったが、
森林組合の玉川さんは、とても丁寧に教えてくれた。

概要をザックリ説明すると、国や北海道から約9割の補助があるので、
私たちが負担する金額は十数万円。
このくらいの広さだと植える木は約2000本。
植える作業も、その後の下草刈りや間伐にも補助があり、
業者がやってくれるとのことで、特に私たちが管理しなくても大丈夫という。

「こちらで手続きなども全部やりますので、特に難しいことはありませんよ」
と笑顔の玉川さん。

現場でより具体的な話し合いが行われ、
道路から山に入る道の部分は植林せずに残すことなど、
いろいろと私たちの希望を取り入れながら計画づくりを進めてくれた。
玉川さんと栗田さん、千葉さんは経験豊富で、サクサクッと物事を決めていく。
「ああ、こうやってプロにお任せしていけば、植林は順調に進んでいくんだなぁ」
と実感したが、ひとつだけ、森林組合の提案と異なる希望が私たちの中にはあった。

森林のプロフェッショナルたちが、植林の段取りを打ち合わせ。

植林する場所には、伐採後に残された枝がうず高く積み上げられている。追加でお金がかかるそうだが、植林の際に重機などを使ってこれらを取り除くこともできるという。また、この枝をウッドチップにして木質バイオマスの燃料にする取り組みも岩見沢近郊で始まっているそうだ。

それは、どんな木を植えるのかということ。
普通は苗も安価で鹿などの被害に遭いにくい、トドマツなど針葉樹を植え、
50年ほどで伐採するそうだが(うちの娘と息子が50歳を超えている!)、
できれば広葉樹を植えたいという想いがあったのだ。

広葉樹でよく知られているのはナラなどドングリがなる木。
山の共同購入者である農家の林宏さんは、ナラなどの木を植えて、
ゆくゆくは椎茸栽培のためのホダ木にしたいと考えていた。
私もこの話を聞いたとき、広葉樹を植えるのはすてきだなあと感じた。
東京に住んでいたときも、公園でドングリを拾ってきては、
鉢に植えて育てて楽しんでいたこともあり(意外によく育つ!)、
自分としても馴染み深い。

また、私たちの山は木がほとんど伐採されているのだが、
土地の様子をじっくり見ていると、
ナラの幼木がいたるところに生えていることもあって、
相性もいいんじゃないかと、素人考えに思っていたのだ。

伐採された跡地に生えている幼木。ナラの木が多い。

こちらはオニグルミ。どちらも広葉樹なので、植林も広葉樹がよさそうに思うが……。

初夏の小豆島、
友人たちと楽しむおすすめスポット

オリーブビーチで水遊び、戸形崎海岸でピクニック

またこの季節がやってきましね、梅雨。
小豆島は梅雨入り初日、朝からしっかりとした雨が降り続いてました。
ここから蒸し暑い日があったり、少し肌寒い日があったり、
それでも少しずつ気温は上がっていき、
1か月後には灼熱の太陽が照りつける夏がやってきますね。ひゃっ。

その夏がやって来る前のいまの時期、初夏。
5月くらいから6月にかけての晴れの日の小豆島はほんとに気持ちがいいです。
からっとした空気、澄んだ青い空、まぶしい新緑、きらきらの海。
こんな気持ちのいい場所で暮らしている、もうそれだけで贅沢だなと思います。
(あ、ちなみに年中そんなわけはなく、夏はしっかり暑いし冬はしびれる寒さです、笑)

フェリーのデッキから眺める島。晴れた日はほんとに気持ちがいい。

この気持ちのいい5月は、たくさんの友人や家族が島に遊びに来てくれました。
友人たちを案内しつつ、私も久々に島のいろんな場所をまわりました。

どこがいいかなー。
島にはいいところがたくさんあるので、いつもすごく迷います。
「きれいだねー」で終わってしまう場所ではなく、
心地いい時間だったりエキサイティングな時間だったり、
そういう時間を過ごせる場所に一緒に行きたいなと。

例えば海に行くにしても、そこでどうやって過ごそうか。
小さい子なら砂遊びとか波打ち際でちゃぷちゃぷ遊ぶだけでも楽しいし。
お弁当を持っていって(つくれなければスーパーでお惣菜とかお弁当を買えばいい!)、
ヤシの木陰で海を見ながら食べるとか。

小豆島は比較的からっとした空気の日が多いので、
夏でも木陰にいれば、海からの風もあってとても心地いいです。
高いお金を払わなくても、贅沢な時間を過ごせます。

穏やかなオリーブビーチ。波打ち際でちゃぷちゃぷ。

戸形崎海岸。この大きなヤシの木陰が特等席。

戸形崎の岩場遊びも楽しい。

DIY女子が空き家改装スタート。
過疎地に若者を呼ぶ、シェアハウス

引っ越しまでカウントダウン。改装は間に合うの?

わたしたち一家が古家の改装を続けている岩見沢の山間・美流渡(みると)に、
頼もしいリノベ仲間がいる。
この冬には、築50年以上経っているのではないかと思われる空き家を1軒取得。
実際に家を直すという体験をしながら、友人たちとともに
改修の勉強をしてみたいとリノベーションに乗り出している

また、遅々として進まないわが家の改装状況を心配して、
Facebookで仲間を呼びかけ手伝ってくれることもある。
そして、なんとこの春には、さらなる改装に着手。
美流渡の隣、毛陽地区の大きな一軒家をシェアハウスにしようと計画中だ。

こんなふうに書くと、どんな屈強な男性かと想像すると思うが、実は28歳の女性。
この連載にも登場している、地域おこし推進員の吉崎祐季さんだ。

これまでインテリアデザイナーとして、
家の内装をつくりかえたり家具をつくったりはしたことがあるが、
大工さんのように本格的に床を張ったり基礎を直したりは未経験。
けれど、困難な問題に直面しても、持ち前のバイタリティとDIY精神を生かして、
どんどんリノベを進めていっている。

毛陽地区にある大きな一軒家。築40年以上でゆったりした間取り。2階には4室もある(8畳間と6畳間)。

広々としたリビング。壁や天井をつくりかえようと考えているそう。

改装前の部屋。どの部屋にも大きな押し入れがあって使いやすそう。

毛陽地区につくろうとしているシェアハウスの状況を見に行ったのは5月25日。
吉崎さんも、このシェアハウスの入居者のひとりになっているそうで、
今月中に引っ越さなければならないという待ったなしの状態。
引っ越しの準備も考えると、すでに改修は終わっていないとまずそうな気もするが、
まだ壁も床も完成していない状況。

「いろいろ実験しようと思ってやっていたら時間がかかっちゃって(笑)。
シェアハウスなので防音が大切かなと、壁に断熱も兼ねてグラスウールを入れたり。
畳を板張りにしたことがなかったので、それにも挑戦してみようと」

壁は珪藻土。漆喰よりも調湿性能が高いとされ、ざらっとした独特の味わいの壁になる。

部屋と部屋のあいだの壁は防音を重視。壁を慎重にはがして断熱材を入れると、かなり音が聞こえなくなった。

壁には防音対策として遮音シートと石膏ボードを上張りし、さらに珪藻土を塗った。
床下にも断熱材を入れたり、せっかくならと、どんどん構想が広がっていったそうだ。
引っ越しのことを聞くと、さすがに顔を曇らせる吉崎さんであったが、
それでも工夫した点について聞くと、楽しそうに話してくれた。

畳の部屋をフローリングに代える。床の下にも断熱材を敷き詰める。

友人たちが手伝いに来てくれる。ペンキ塗りは、みんなでワイワイと楽しくできる作業。

第39話・神戸、元町商店街では
クラシックな喫茶店巡りも楽しい!
奥深い神戸の珈琲文化を堪能。

第39話
まち中に喫茶店が点在する神戸。
レトロでハイカラな喫茶店めぐり、
グレアムさんも紹介したいお店ばかり!

今回は、神戸・元町商店街へ向かったグレアムさん。

「1800年代後半に初めてコーヒーが水揚げされたのが横浜、
その次が神戸だったと言われています。
神戸を拠点とする珈琲メーカーが多いのはそのせいでしょうか。
そしてまち中に喫茶店が点在するのも納得できます。
今日は元町商店街にあるクラシックな喫茶店を訪ねてみようと思います。
商店街の西側、神戸駅よりの入り口から三宮へ向かって歩いてみます」

今回もスルスルと横にスライドしながら、お楽しみください。

増えていく仲間たち、
小豆島カルチャーのいま

〈旅する台所研究家〉の出版記念イベント開催!

先日、島のカフェ〈タコのまくら〉で、トークイベント
「ばあちゃんの幸せレシピ~出版記念~」が行われました。
トークしてくれたのは、〈旅する台所研究家〉という
すてきな肩書きをもつ中村優ちゃん。

以前から小豆島に何度も来てくれていて、イベントなどでも
〈HOMEMAKERS〉のお野菜を使ってくれたりして、友人でもある優ちゃん。
その彼女が最近『ばあちゃんの幸せレシピ』という本を出版したので、
その出版記念イベントとして今回また小豆島に来てくれました。

旅する台所研究家の中村優ちゃん。

優ちゃんが世界中のばあちゃんたちから教えてもらった人生のレシピが1冊に。

優ちゃんとは小豆島カメラのイベントも一緒に企画したことがあります。

この本には、優ちゃんが3年かけて15か国で100人以上のばあちゃんを訪ね、
恋愛話から苦労話までいろんな話をしながら教えてもらった、
幸せに生きるための料理と人生のレシピがすてきな写真とともにまとめられています。

料理のレシピというより、ばあちゃんたちの料理を通して見える
人生のレシピという感じ。
これだけたくさんのばあちゃんたちに出会い、台所に一緒に立ち、
料理をつくり、話を聞き、写真を撮り、それを1冊の本としてまとめる、
その優ちゃんのパワーにいつもびっくりします。
ちなみに本の中には、小豆島のばあちゃんも登場してます。

優ちゃんの話はほんとにとてもおもしろい。
ばあちゃんの言葉そのままで話してくれて、
まるで自分も直接話を聞いていたような気分になる。
80歳以上の、料理上手でロックなばあちゃん。
戦争を乗り越えて何もないところから何かを生み出してきた人たちは
最高にクリエイティブ。そんなばあちゃんたちの話は、
どう生きるか、悩んだり迷ったりする私たち世代にとってぐっとくる。

『ばあちゃんの幸せレシピ』でも登場する、スリランカのおばあちゃんから教えてもらった緑のおかゆも振る舞われました。

HOMEMAKERSの野菜たちも。

優ちゃんが旅するなかで覚えたいろんな料理をつくってくれました。ひと皿で盛れないほどたくさん。

古家を見つけてから1年半。
たったひとりで取り組む
悪戦苦闘の改装のゆくえは?

だんだんズレていく、引っ越し計画

岩見沢の山間の美流渡(みると)に古家を見つけてから、1年半が経った。
古家を私たちが改装中という話題は、地域の人たちにも広まっており、
「いつ引っ越すの?」「改装終わった?」などと、
顔を合わせるたびに聞かれることが多くなっている。

当初の目標は、息子が小学校に上がる4月。
改装をするのは大工である夫。
夫は最初、春には床と壁を張り終えて家の中にテントを貼って(?)、
「キャンプでもなんでもして住みながら直せばいい」と語っていた。

しかし、私の本業である編集の仕事も忙しく、
そうなると子どもの面倒を見るのはどうしても夫となってしまって、
思うようにはかどらず。
特に3月、4月は、子どもの卒業式やら入学準備やらで、
あれよあれよという間に月日は過ぎてしまった。

いつの頃からか、夫は「引っ越しは、ゴールデンウィーク明けだな……」
とつぶやくようになり(私に面と向かっては言わない)、
家族の間でなんとなくの合意事項となっていった。
4月に入り、息子は転居先にある美流渡の小学校へ通うようになり、通学は車。
現在の自宅から30分かけて夫が送り迎えをする生活が始まっている。

そして、ついに目標だったゴールデンウィークが過ぎ、
最近では「夏休み前だな……」と夫はつぶやいている。
息子もだんだん心配になっている様子で、
「とうちゃん、いつ家はできるの?」と質問すると
「まだ、壊しているんだよ~!」と夫。
「えっ、つくってるんでしょ!」
「いや壊してからなんだよ!」という噛み合わない会話になり……。

美流渡の古家のまわりには、芝桜やチューリップがたくさん咲く。前の住人が愛情をかけて庭をつくっていた様子がうかがえる。

家の前には壁や床をはがして出た木材が。薪ストーブに利用しようとしている。

夫がほとんどひとりで手がけている古家の改装は、
いまようやく内部の壁や床をすべてはがし終わって、柱や梁だけの状態となった。
築40年以上、壊し始めの頃は、堆積したほこりやリスやネズミの糞が凄まじく、
夫は扁桃腺が腫れて1週間寝込むこともあった。

その後も、いろいろと思いがけないことの連続だったようで、
梁があまりに複雑に組まれていたり、床をはがせば基礎部分の木が腐っていたりと、
頭を悩ませる日々。
「あの家は全部壊して新しく建て直したほうがいい」と、何度つぶやいたかわからない。

床板をはずした状態。すっかり躯体だけになっている。

湿気の多い部分は、床付近の木が腐っていた。家も少し傾いているようで、夫はこれから基礎を直すつもりのようだ。

移住が決まった伊豆・下田で、
移住先探しの旅を考える

この旅は何だったのか?

移住先探しの旅を経て、
伊豆の下田で暮らすことになった津留崎さん一家。
この旅をしてわかったこと、考えたこと。
あらためて、旅をしてよかったと思う、その理由とは。
そしてこれから、移住先でどう暮らしをつくっていくのか?
ここでちょっとひと息、この旅を振り返ります。

受け継いでいく小豆島の伝統行事
「肥土山農村歌舞伎」

300年以上続く、肥土山農村歌舞伎の光景

毎年5月3日に開催される「肥土山農村歌舞伎」。
300年以上続く小豆島の伝統行事です。

歌舞伎舞台まわりのモミジの新緑がとても美しい。

今年も無事にこの日を迎えられました。いよいよスタート。

去年おととしと雨やら暴風やら悪天候が続きましたが、今年は3年ぶりに晴れ!
気持ちのいい新緑の中で開催されました。

歌舞伎は15時半にスタート。20時頃まで続きます。

今年の子ども歌舞伎に出演したのは幼稚園年長から中学2年生まで12名。

今年は天気もよく、たくさんのお客さんが見に来てくれました。

私たちにとって、今年は5年目の農村歌舞伎になります。
小豆島に引っ越してきてから半年後、何もわからずに勢いで参加したのが1年目。
3年目からはたくちゃん(夫)といろは(娘)は役者として舞台に立たせてもらい、
今年もふたりそろって、それぞれの演目で役を演じました。

去年よりセリフも所作も増え、難しい役に挑戦したたくちゃん。

いろはは今年も腰元役。

北海道に山を購入して2度目の春!
自分たちの山で山菜採り

北海道に移住して気づいた、春という季節の喜び

真っ白いこぶしの花が終わりを迎え、各地で桜が開花する頃になると、
北海道に色鮮やかな季節がやってくる。
桜と一緒に梅も桃も花をつけ、庭には水仙、チューリップ、桜草などが咲き乱れ、
茶色一色だった大地が一気に緑におおわれる。

植物の営みをこれほど美しいと感じるのは、
半年にもおよぶ重苦しい冬の季節があるからかも。
都会では感じることのなかった、心の底から解放されるような喜びがあり、
春は本当にうれしい気持ちでいっぱいになる。

そんななかで4月の末は、仕事で東京に1週間ほど滞在した。
「ああ、北海道の春を満喫したいのになあ」
残念な気持ちとともに、わたしには実はとても気がかりなことがあった。
それは昨年2月、北海道にエコビレッジをつくりたいという
自分の目標に近づくために購入した山のことだ。

購入の経緯はこの連載でも何度か書いたように、
買った山というのは木が伐採されたあとの荒れ地だったのだが、
植物図鑑を片手に、週末「山活!」と称して、友人たちと山遊びをしているうちに、
「あれ、これはウド?」「あそこにはワラビやタラの木もある?」と、
いろいろな植物が生えているのがわかるようになっていったのだった。

北海道は今年は例年になく春が早く、ときには20度を超す陽気も。
「ああ、このままでは山菜の旬が終わってしまうんじゃ……」
気を揉みながら東京滞在の日々を過ごしていたが、
ようやくゴールデンウィークに入り、待望の「山活!」を行うことができた。

木が伐採されていてはげ山のようになっている。木を運搬するためにブルドーザーが通った道は、土がむき出しになっていて砂漠のよう。

春の訪れを教えてくれるのは植物だけではない。虫たちが活動を始めるとカエルも冬眠から目覚める。

山菜の中でも一番気になっていたのはタラの芽。
道南の地域では、すでに2週間ほど前からタラの芽が採れると聞いていたので、
半ばあきらめかけていたのだが……。
探してみると、あった! しかも、まだまだ芽は小さく、
あと1週間くらいは待たないといけないような感じがして、ひと安心。

タラの芽は、木が伐採された跡地によく育つ山菜らしい。何本もの芽を見つけることができた。

山野草がそこかしこに! 山の営みを実感

ひと安心したものの、それではいま採れる山菜ってなんだろう?
そんなわたしの疑問に答えてくれる、心強い助っ人が「山活!」に参加してくれた。
山を共同購入した農家の林さんのお母さんだ。

植物のことが大好きな様子のお母さんは、山道を歩きながら
「ほら、ボンナがあるわよ!」と指差した。
まったく聞いたことのない名前「ボンナ」。
調べてみると、正確にはヨブスマソウというもので、
北国の山菜としてはポピュラーなものらしい。

「こうやって葉っぱをとって、茎を食べるのよ。
ゆでて真水にさらして、水が茶色くなったら取り換えてみてね」

ヨブスマソウはキク科の多年草。キク科ということもあり、シュンギクのような味がするという。

そのほかお母さんが見つけてくれたのが、根曲がり竹。笹の仲間で、北海道でタケノコといえばこれのこと。まだ新芽は出ておらず、楽しめるのは6月になってから。

〈ちょいのぞき気仙沼〉 毎週末開催! 宮城県の港まち ならではの仕事体験プログラム

じわじわ人気を集める、気仙沼の仕事体験プログラム

宮城県気仙沼市は、美しいリアス式海岸に〈気仙沼港〉を持ち、
カツオやマグロの水揚げ量は日本有数。
さらに日本一のフカヒレの生産地としても有名な港まちです。

そんな気仙沼で、“港まちならでは”のお仕事体験ができるプログラム
〈ちょいのぞき気仙沼〉がじわじわ人気を集めています。

もともと市内にランドマークや観光地が少なく、
「どうしたら気仙沼に足を運んでもらえるか」と課題を抱えていた気仙沼市。
そこでバラエティ豊かな水産業のお仕事内容に目をつけて、
「気仙沼の仕事を体験できるプログラムをつくろう!」と2015年にスタートしました。

体験場所は、造船所や水産加工場など、普段はなかなかお目にはかかれない場所ばかり。
親子で参加するのはもちろん、大人同士でも楽しめるプログラムが用意されています。

当初は月に1度限りの開催でしたが、回を重ねるごとに参加者が増え、
今年の4月からは毎週末に開催することが決定! 
今回は、レギュラー開催している人気のプログラムをピックアップしてご紹介します。

〈ちょいのぞき気仙沼〉MAP

マップを拡大

まず紹介するプログラムは、〈氷屋探検〉。毎日港にやってくる
魚の鮮度を保つのに必要不可欠な氷をつくる製氷所で、
重さ135キロの巨大氷がつくられる過程を見学します。

マイナス10度の貯冷庫に潜入したり、
ノコギリを使って、氷の切断にチャレンジできます。
その後は、自分でカットした氷からかき氷をつくり、
試食できるという大満足のプログラムです。

貯冷庫内、ずらりと並んだ巨大氷は迫力満点!

大きな氷はノコギリを入れるのも一苦労!

気仙沼産のイチゴを使ったシロップを贅沢にかけて、いただきます!

〈TAKIGAHARA FARM〉 農業のある暮らしを探求する 石川県滝ヶ原のファームハウスにて フェスティバルを開催!

都市は農を求め、農は都市を求めている

石川県小松市滝ヶ原町にて、農業のある
新しい暮らしを探求する活動が始まっています。

拠点は、古民家を改修したファームハウス〈TAKIGAHARA FARM〉。
発起人は、東京でファーマーズマーケットを運営する
NPO法人ファーマーズマーケット・アソシエーションのみなさん。
青山でマーケットを開催し、全国の農家さんやつくり手、
お客さんたちと接していくうちに
「都市は農を求め、農は都市を求めている」と確信したのだとか。

テーマは「Cultivate to Culture(すべては耕すことから始まる)」。
東京から移住したメンバーが畑に立ち、土を耕し、
「食べる」「働く」「生活する」を考え直し、農業の新しい可能性を探ろうとしています。

Photo:Yoichi Naiki

Photo:Yoichi Naiki

活動内容は農業だけではありません。
TAKIGAHARA FARMのみなさんが取り組んでいるのは
言葉や写真、映像を用いてアートやデザインの視点で
農的生活を情報化し、発信していくこと、里山と都市のあいだを橋渡しすること。

2016年に北陸古民家再生機構の協力を得てファームハウスを開設後、
地元の人や都心に住む人たちを呼び込み、さまざまなイベントを行ってきました。

今年のゴールデンウィークは、こちらのファームにて、
滝ヶ原の食材や自然が楽しめるフェスティバルが開催されます。

Photo:Tomohiro Mazawa

第38話・
西宮の桜の名所・夙川へ。
河川敷をピクニック気分で
お花見&グルメ散策。

第38話
グレアムさんが西宮の桜の名所、
夙川(しゅくがわ)散策のコツをご案内。

今回のグレアムさんは、西宮の桜の名所・夙川へ。
三宮から電車で10分、西宮市にある桜の名所として有名な川です。
夙川駅からひと駅先の苦楽園口駅まで、
河川敷のなんとも心地いい景色の中をゆっくり散策。
ついでに苦楽園口駅まわりまで足を延ばして、
おいしいイタリアンやスイーツのお店を紹介してくれました。
スルスルと横にスライドしながら、お楽しみください。

地元密着の材木店だからできること
大兵材木店の林洋見さん

木にまつわることのホームドクターとして

鈴鹿山脈の北部に位置するいなべ市では、
古くから木とともに人々の暮らしが成り立ってきた。
藤原町にある〈大兵(だいひょう)材木店〉は、そんな木と人間の営みをつないできた存在で、
材木店という名前ではあるものの、山から木を切り出す製材業から、
木造建築の設計・施工・リフォームまで幅広い業務を請け負っている。

「たとえば1枚だけめくれてしまった瓦を差し替えたり、
建具の立てつけが悪いと言われて見に行ったり。個人で所有している山の木や、
通学路で腐りかけている危険な木を切り出したり、
庭木が倒れているからなんとかしてほしいという依頼にも対応できるのは、
地域に密着しているからこそ。
木にまつわることのホームドクターみたいな役割を担っています」

と話す、林洋見さん。
家業として代々この仕事を受け継いできた大兵材木店の現在の社長は、
洋見さんの父・正廣さん。洋見さんと兄の雅樹さんは6代目にあたる。

「もともとは船材を扱っていて、この辺の山から切り出した木材でいかだを組んで、
員弁川を下って四日市まで運んでいたそうです。
建築を始めたのは、祖父の代からと聞いています」

いなべ市での伐採風景。(写真提供:大兵材木店)

一級建築士の資格を持つ林さんは、大学卒業後、
愛知の設計事務所で鉄筋コンクリートのマンションの設計などを行っていた。
しかしちょうどリーマンショックの煽りを受けていた頃で、
売れ残っているマンションがたくさんあるのに新築物件も減らないことや、
エンドユーザーの顔がまったく見えないことに違和感を覚えていた。

「新築は新築でもちろん大事だし、必要とされているのですが、
それよりも循環型に変えていくことが、僕らの世代がやるべきことのように思えたのです」

生まれ育った地域だからこそ取り組める、空き家対策

地域の空き家対策や古民家再生に興味を持ったのは、ごく自然な流れといえるだろう。
この連載で紹介している、廃屋になっていた古い旅館を
リノベーションした〈上木(あげき)食堂〉の設計・施工を担当したのも、林さんだ。

「最初は旅館を解体する依頼をいただいたのですが、
現在、上木食堂になっている道路沿いの棟に水場などがいい感じであったので、
『ここは残されたらどうですか?』と提案させてもらったんです。
そしたらタイミングよく、(オーナーとなった)寺園 風くんが
やりたいと手を挙げてくれて、うまくご縁がつながっていきました」

解体が終わったところ。(写真提供:大兵材木店)

旅館から食堂へのリノベーションは、「とてもやりがいがあった」と
振り返る林さん。旅館として使われていた時点ですでに修理を重ねていたため、
アルミサッシがはめ込まれているような場所もあったが、
そういう現代的なものはあえて取っ払い、解体した木製の建具などを再利用。

工事中盤。写真に写っているのは、休憩中のオーナーの寺園さんと、店長の松本耕太さん。(写真提供:大兵材木店)

天井を撤去し高窓を設けたことで、古い建物特有の薄暗さがなくなり、
明るく開放的な食堂になった。タイミングが後押ししてくれた部分は大きかったものの、
自分が提案した何気ないひと言に多くの人が賛同して、
結果的に地域活性化の拠点になるような場所が完成。
しかもその空間づくりを担うことができて、大きな手応えをつかんだようだ。

解体した旅館と切り離した部分に、破風板という材料を取り付けているところ。(写真提供:大兵材木店)

上木食堂は無事に、2016年11月にオープン。

少子高齢化や過疎化などにより、いなべにも空き家自体は多いのだが、
まったく知らない人に貸すことに抵抗があったり、
仏壇がそのまま残されていたりして、
空き家問題の解決にはまだまだ多くのハードルがあるのも事実。
しかしながら林さんは、地元で生まれ育った人ならではの縁を生かして、
こうした問題に取り組んでいきたいと思っている。

「空き家再生に取り組んでいるNPO法人は全国にもたくさんありますが、
いなべでも上木食堂でやったようなことをもっと仕組み化して、
継続していけるような組織がほしいですよね」

4家族で始めた放課後預け合い。
課題は、のびのび遊べる環境づくり

親が持ち回りで子どもを見守る預け合い、実際始めてみて……

4月に入り、ついに息子も新1年生。
娘は幼稚園に入園と慌ただしい日々が始まった。
わが家が移住を予定している、岩見沢の中山間地・美流渡(みると)の古家は
まだ改装途中ではあるが、息子が通う小学校は移住先の学区と決めた。
現在の住まいからは車で約30分かかるため、
6時30分に起きて7時30分には学校へ送る生活が始まった。

立て続けに学校と園の行事が重なり、4月は目の回るような忙しさ。
前回リポートした札幌でのイベント〈みる・とーぶ〉展に加え、
日々の編集者としての締め切りも迫り……。

そんななかで人口が少なく児童館もないこの地域で、
同じ小学校に通う4家族でスタートすることとなった
〈美流渡放課後あずかりの会〉の活動は、本当に本当にありがたいものだった。
毎週、火曜日から金曜日まで。
美流渡にあるコミュニティセンターの一室を借り、
4家族の親が持ち回りで子どもたちを見守るというもの。
4月11日より開始して約2週間が経ったところだ。

入学式には教室にさまざまな飾りつけがしてあった。在校生である、6年生と3年生の2名と先生とで準備をしてくれたのだろうか。

地元の新聞『プレス空知』では、1面で大きく入学式の写真が! 美流渡地区では6年ぶりの2名以上の入学として話題となった。

預け合いの始まった最初の1週間は、
担任の先生がコミュニティセンターまで引率してくれた。
息子が通う小学校は、山あいにあり全校生徒はわずか6名。
そのうち新1年生は4名で、預け合いに半数以上が参加していることもあり、
先生がきめ細やかな対応をしてくれたのだった。

放課後も一緒に遊ぶことができて、子どもたちも満足そうな様子。
1年生に加えて、3年生のお姉さんも参加しており、
面倒をみてくれたり遊びを教えてくれたりと、頼もしい存在。
しかも3年生は、学期早々から宿題があり、
まずコミュニティセンターについたら率先して勉強に励んでおり(エラい!)、
つられて1年生たちも椅子に座って絵を描いたり、図鑑を見たり。
その後に、みんなで縄跳びや演劇ごっこ(?)などの遊びが始まって、
預け合いの活動は、とても順調なもののように思えたが……。

縄跳びをしたり、鬼ごっこをしたり。

演劇ごっこ(?)。子どもたちは物語の世界に没入し……。

1週間が経とうとする頃から、子どもたちの様子に変化が起こってきた。
子どもたちが、「たいくつ〜」とつぶやく場面が増えてきたのだ。
コミュニティセンターは20畳ほど。
東京生まれのわたしにしてみれば申し分ない広さだが、
子どもたちが充分に走り回れる大きさとは言いがたい。

あるとき学校で参観日があり、子どもたちが体育館ではしゃぐ様子を見て、
預け合いに参加しているお母さんのひとりが、
「このくらい広ければ、もっとのびのび遊べるのにね」と語っていたように、
そんなに広くない空間に、ずっと閉じ込められていることに、
子どもたちは次第に窮屈さを感じるようになっていた。

天井も高くある程度の広さもあるが、子どもたちのパワーはこの場所では収まりきらない?

地元のお米でみそづくり、
小豆島に来てから始めたこと

毎日食べるおみそ、どうやってつくる?

小豆島に引っ越してきてから始めたこと。
農業もそうだし、カフェもそう。
軽トラマニュアル車の運転もこっちに来てからするように(笑)。
それまでの暮らしでは体験しなかったことを、たくさんしています。

そんななかのひとつが、みそづくり!
今年でようやく3年目になります。

おみそにはいろんな種類がありますよね。
スーパーの棚には、田舎みそ、信州みそ、八丁みそ、白みそ、赤みそ、だしみそ……、
何種類ものおみそが。
その違いもよくわからず、いつもなんとなーく選んで買っていました。

おみそに対してはずっとそんな感じだったのですが、
小豆島で暮らすようになり、自分たちで野菜や調味料などいろいろつくるようになり、
自然とおみそもつくりたいなという気持ちになってきました。
といってもどうやってつくるかも知らず、ひとりではなかなかきっかけもなく、
何もしないまま1年、2年……。

そんなときに声をかけてくれたのが、近所の友人。
「おみそ一緒につくらへん?」

私が暮らしている地区には〈大鐸(おおぬで)味噌作り友の会〉という
有志のグループがあります。
主に婦人会のお母さんたちが参加していて、
毎年地元のお米でおみそをつくり、秋に開催される収穫祭で販売したり、
そのおみそを使ったおいしい豚汁をふるまってくれたりします。

そのグループが管理している共同のおみその加工場があり、
そこを貸してもらっておみそをつくることができます。
友人とふたりで、その場所を借りておみそをつくることに。

お米を蒸すところから、みそづくりスタート。

一斗(約15キロ)のお米を蒸します。

蒸したお米に麹菌をふりかけて、米麹づくり。

最初の年はつくり方がまったくわからず、味噌作り友の会のお母さんに、
それこそ手取り足取り教えてもらってつくりました。

私たちがつくるおみそは「米みそ」。
まずは蒸したお米に麹菌をふりかけ、米麹をつくります。
あ、お米はもちろん小豆島・肥土山産。
その米麹と煮た大豆、塩、大豆の煮汁を混ぜてミンチにして樽に詰めていきます。
あとは半年から1年待てば、おみそのできあがり。

大鍋で大豆を焚きます。いい香り~。

やわらかくなった大豆と米麹、塩などを混ぜてミンチにします。

ミンチになったおみそのもと。

軒下にプリン店?
地元のおいしい卵を使った
三重の〈いなべプリン店〉

子育てをしながらでも、できるかたちを模索

田んぼに囲まれたのどかな集落に、月に2回だけオープンするプリン屋さんがある。
ごく普通の民家の軒下にテーブルを置き、プリンを販売するその店の名前は
〈いなべプリン店〉と、シンプルかつストレート。
窓を開け放して、軒下に座っている日置愛彩さんの背中では、
看板息子の官助くんがにこにこと愛嬌を振りまいている。
日置さんはいなべ出身のだんなさんと結婚して、
2014年に生まれ育った同県の鈴鹿から移住してきた。
しかしなぜ、自宅の軒下でプリンを売ろうと思ったのだろう。

「鈴鹿にいた頃、ひとりで喫茶店をやっていたんです。
U字型のカウンターしかないちょっと変わったお店なんですけど、
昼間は私が喫茶店をやり、夜は母がスナックをやっていました。
喫茶店のメニューのひとつにプリンがあって、
積極的にお勧めしていたわけでもないのに、お客さんには結構人気だったんです。
移住とともに喫茶店は閉じてしまったのですが、
いなべでも何かやりたいと思って。この辺にはプリン屋さんもないし、
子育てをしながらでもできるかたちが“軒下プリン”でした」

ストライプのシェードが目印。「わざわざ足を運んでくれる人には、『めっちゃ家やん!』ってびっくりされます(笑)」と日置さん。

いなべプリン店の定番商品は3つ。鈴鹿のときの喫茶店の名前を冠した「カリカのプリン」は、
人気メニューのレシピを踏襲したシンプルで懐かしい味わい。
食べ方も昔ながらのスタイルで、お皿に盛りつけて楽しんでほしいという思いから、
このプリンだけはプラスチックのカップを使っている。
「よそいきプリン」はコクのあるなめらかな味わいで、どちらかというと女性に人気。

「茶っぷりん」はまちのヒット商品で、いなべ産のお茶を使ったプリンというのが定義。
パティスリーやカフェ、レストランなどさまざまな店がオリジナル商品を販売しているのだが、
いなべプリン店ではその発案者でもある〈マル信 緑香園〉のほうじ茶を使用。
甘さ控えめの生クリームと香り豊かなほうじ茶のプリン、
そしてほろ苦いカラメルが層になっている。

右側のカップに入っているのが「カリカのプリン」、真ん中がリッチな味わいが人気の「よそいきプリン」、左側はほうじ茶の香ばしさを生かした「茶っぷりん」。

ほかにもバレンタインの時期はチョコのプリン、
夏はアイスプリンなど季節限定の商品が登場するのだが、
共通してこだわっているのは、やはり素材。
いなべプリン店という店名にふさわしく、できるだけ地産地消にしたいと思っている。

岩見沢の山里の“森”が
札幌市資料館に出現!
〈みる・とーぶ〉展スタート

ついに開催! なんとか準備は間に合いました

4月11日、これまで何度か準備の様子を連載で書いてきた、
〈みる・とーぶ〉展がついに札幌市資料館のギャラリーで開催となった。
もうすぐ、我が家族が移住を予定している岩見沢の中山間地一帯は、
東部丘陵地域と呼ばれており、「東部」を「見る」で「みる・とーぶ」。
地元でとれるリンゴをモチーフに、みんなで縫い上げたポーチや、
この地域で制作を行っている工芸家やアーティストの作品が集まり、
最終的に出品数は500点を超えることに!

リンゴポーチにつくった地図を入れて、会場のいたるところに飾りつけた。

手前は、さまざまな木を組み合わせた模様が特徴の木工作家〈遊木童〉の作品。奥は〈陶工房 睦〉の陶芸作品。そして棚は、リンゴ箱を利用した什器で、札幌の建築グループ〈三木佐藤アーキ〉が出品してくれた。

ギャラリー空間は、作品を並べるだけでなく装飾にも力を入れることができた。
美流渡に昨年オープンした花屋〈Kangaroo Factory〉の大和田さん夫妻が、
まるで岩見沢の山里の森が札幌に出現したかのような、
インパクトのあるデザインを考えてくれた。

なんと! 白樺の木を山から切り出し、中央に大胆に配置。
そこにブドウの蔓で編んだボールや松ぼっくりをリズミカルに飾り、
ギャラリーの雰囲気を一変させるような空間が生まれることとなった。

山で白樺の木を切って会場へ。ギャラリー中央に木を組んだ巨大オブジェをつくってくれた。

ブドウの蔓でつくったボールや松ぼっくりを飾ると、森の中にいるような感覚に。

Kangaroo Factoryの作品も展示。岩見沢の山里でとれた木の実や枝などと花を組み合わせたアレンジメントやリースが並ぶ。

果たして展示はできるのか。不安のなかでのはじまり

思い返せば準備を始めたのは昨年秋。最初に集まったメンバーは、
岩見沢の地域おこし推進員(協力隊)の吉崎祐季さんと上井雄太さん。
そして、東部丘陵地域のひとつ、毛陽地区で
〈東井果樹園〉をご主人が営む東井永里さんと私。
4人はこれまで、自分で作品をつくって売るという経験がほとんどなかったため、
イベントが開けるのかと不安も大きかった。

まずは、月に何度か集まって、札幌市資料館での展示に誘ってくれた、
私の長年の友人でアクセサリーデザイナーの岩切エミさんのデザインによる、
リンゴ型のポーチの制作から始めてみることにしたわけだが、
1個つくるのにも数時間がかり、しかもあんまり上手にできず……。
加えて資料館の会場費の捻出方法や行政や
地元団体との連携をどうするかなど問題も浮上していた。

ただ、そんななかでも集まったメンバーはいつでも前向き。
リンゴポーチづくりもだんだんとコツをつかみ、
ワイワイおしゃべりしながら楽しく制作をすることができた。

そういう雰囲気がよかったからか、
次第にリンゴポーチづくりを手伝ってくれる人たちが集まり、
なんとひとりで20個も仕上げてくれる心強い友人も。
また、メンバーのひとり東井さんが家族総出でものづくりにチャレンジするようになり、
お姉さんが実は切り絵がとても上手だったり、
お母さんが麻ひもでカゴをたくさん編んだりと、
短時間に多数の作品をつくってくれたのだった。

地域おこし推進員の吉崎さんも、
地域の工芸家やアーティストにどんどん声かけをしてくれて、
陶芸家3名、木工作家3組の作品が会場をにぎわせることとなった。

岩見沢の山里にいる動植物がモチーフ。シカや鳥の羽根などが、緻密な切り絵で表現されている。成田佳奈美さんの作。

毛陽地区の果樹園の花からとれた蜜蝋でキャンドルとワックスも制作。東井さんと吉崎さんが試行錯誤を重ねながらつくった手づくりの品。

〈山里乃蕎麦家 拘留孫〉
山の麓の頑固な蕎麦屋!?
地産地消は地域で生きる道。

ついでに蕎麦を出すつもりが……

蕎麦に一家言ある人は少なくないが、〈山里之蕎麦家 拘留孫(くるそん)〉は、
蕎麦好きを満足させる本格的な味と言っていいだろう。
身体の大きな松下祐康さんの打つ蕎麦は、香り豊かで繊細。
さらには奥さまの清子さんが作る天ぷらや小鉢、
デザートも素材の味が生きていて、味わい深い。

遠方から訪れる蕎麦好きを唸らせる、本格派。使う野菜はほぼ自家製。天ぷら、小鉢、変わりご飯(この日はむかごご飯)、デザートがついた「蕎麦定食」(1300円、税別)。

拘留孫があるのは、いなべ市藤原町篠立。
藤原岳の麓に位置する旧藤原町は、岐阜県や滋賀県と隣接していて、
いなべのなかでも特に自然豊かなエリアとして知られている。
この蕎麦屋はどうやらこだわりが強いらしく、メニューの1ページをさいて
「ざる蕎麦の食し方の一例」なるものが紹介されている。それによると、
最初はつゆにつけずに蕎麦だけを食べて、香りと甘みを楽しむ。

次につゆを味わって甘辛さを確認したら、蕎麦を3分の1ほどつけて食べる。
薬味は蕎麦に少しだけ乗せて食べてみてから、つゆに入れて食す。
最後に残しておいた薬味ねぎを入れて、蕎麦湯で割って飲む、
というのがいいらしい。こんなふうに細かくレクチャーする辺りに、
頑固な蕎麦職人を想像していたのだが……。

「蕎麦屋をするつもりは、まったくなかったんですよ。
こんなことになるとは思いませんでした」と、
こちらの不安(?)をあっさり消し去ってくれたご主人の祐康さん。

いなべ市職員をしていた祐康さんが、定年の1年前に早期退職して〈拘留孫〉を開業したのは、
2015年9月のこと。その大きなきっかけとなったのが、父親の死だった。

「親父が大切にしてきた畑や、山菜が採れる山をこの先どうしようかと思ったんです。
全部で500坪ほどの土地なのですが、基本的には自家栽培で、
収穫した野菜を周りの人におすそ分けして楽しんでいるようなかたちでした。
親父なりにいろいろ研究していたようで、
亡くなる前にこれまで集めた資料などももらったのですが、
僕は農業なんかしたことがなかったから。毎日仕事から帰ってきたら野菜に水をやって、
土日は草取りや山の掃除に追われ、死ぬまでこんなことをしていくんかな、と悩み始めて……」

先祖代々受け継がれてきた土地なので、荒らすこともできない。
かといって産地直売所などで販売しても、少量なので大した金額にもならない。
率直に言ってしまうと、祐康さんは土地に振り回されてしまっていた。

「なんとかならんかと思いついたのが、農家レストランでした。
それでいろんな人に聞いて歩いたり、講習会に行ったりするなかで、
僕も10年ばかり蕎麦打ちを習っていたもんで、
“ついでに”蕎麦も出そうかなと思うようになったんです」

自宅を利用した店内。美しい建具は古道具店で揃えたという。

みんなで農業を楽しむ。
畑で生まれるコミュニティ

ともに働き、ともにごはんを食べる

暖かくなったり、寒くなったり。
今年は春がなかなかやって来ないですが、もう4月。
生姜の植つけの季節です。

私たちは年間通して70種類くらいの野菜を育てています。
その中のひとつが生姜。
ほかの野菜に比べて、栽培面積も大きく、生姜としてそのまま売るだけでなく、
加工してジンジャーシロップやドレッシングとしても販売しています。
私たちHOMEMAKERSにとって、いまやなくてはならない存在です。

去年収穫した生姜。

年に数回イベントに出店して、生姜、柑橘、旬野菜、シロップやドレッシングを販売してます。

去年は、生姜を使ったサラダドレッシングもつくりました。

その生姜の植つけを毎年4月上旬にしています。
種となる生姜を適度な大きさにカットし、土の中に埋めていく作業。
単純な作業ですが、とにかく量が多く時間がかかります。
なので、友人たちに声をかけて、今年もみんなで生姜の植つけをしました。

約300キロの生姜を植えていきます。作業スタート。

生姜を適度な大きさに切っていきます。

生姜を植える畑には、冬の間にもみがらや雑草をたっぷりすき込みました。
きれいに畝立てされた畑、草刈りされた畑のまわりのあぜ道や石垣。
ここまでの準備が大変で、予定通り植つけの日を迎えられてほんとによかった。

植つけ当日、風はひんやりしてても、日差しは完全に春夏モード。
そんな日差しと青空のもと、約10人体制で一気に植えていきました。

一定間隔で土に穴をあける人、生姜をカットする人、生姜を運ぶ人、生姜を埋める人。
人のパワーってすごい。役割分担して、どんどん作業が進んでいきます。
5日くらいかかるかなーと思っていましたが、1日でほぼ完了。
途中、植える間隔を間違えていたという思わぬハプニングもありましたが(汗)、
なんとか対処し無事に終わりました。ほっ。

一定間隔で穴をあけていきます。このとき気づいていれば……。穴の間隔が間違っていたことにあとから気づいて大変なことに(笑)。

生姜をひたすら土の中に埋めていきます。

種になる生姜も自分たちが育てたものをいつかは使いたい。

埼玉県飯能市、 ふるさと納税の返礼品に “ムーミン”グッズ

ムーミングッズの返礼品が大好評。寄附額は前年度の42倍に

寄付した額のほぼ全額が税額控除される“ふるさと納税制度”。
各自治体が趣向を凝らす返礼品ですが、
埼玉県飯能市では、昨年から返礼品として“ムーミン”のグッズを
ラインナップし、人気を呼んでいます。
なんと前年度の寄附額(397万1,000円)の42倍(約1億6,700万円)
の寄付があったのだとか。

そしてこのたび、返礼品に〈MOOMIN ファブリックフレーム〉
〈MOOMIN プランターケース&鉢植えセット〉が新しく登場。
いずれも飯能市内の事業者が製作を手がけた商品です。

〈MOOMIN ファブリックフレーム〉

〈MOOMIN ファブリックフレーム〉は、市内の〈サインアーテック〉が手がける商品。
インテリアとして最近人気の高いファブリックフレームを、
ムーミンアートで生産したオリジナルアイテムです。

専用にデザインした柄を1点ずつプリントして使用しているので、
フレームサイズピッタリなのが特徴。アート作品としてお部屋を彩ってくれそう。
Lサイズ、Mサイズ、Sサイズ、3つのサイズ展開とそれぞれの柄があります。

コミック/Lサイズ

コミック表紙 4巻/Lサイズ

パターン/Lサイズ

森のパーティ/Mサイズ

ムーミン谷の地図/Mサイズ

ムーミン/Sサイズ

スナフキン/Sサイズ

ムーミン モノトーン/Sサイズ

仕掛人は若い農家と料理人。
元旅館の空き家を再生した、
三重の〈上木食堂〉へ

店長と大家が仲良く働き、オーナーがふらりと訪れる食堂

ランチタイムは、小さな子どもを連れたママたちや、
ちょっぴりおめかしをした中高年の女性などが集い、
夜になるとボトルキープをしている常連のおじさんの横で
女子会が繰り広げられる〈上木(あげき)食堂〉。

のれんをくぐって引き戸を開けると広がる、ほっとするような懐かしい空間。
入り口横のコンパクトな厨房では、店長の松本耕太さんが立ち回り、
松本さんのつくる料理を、この建物の大家さんでもある林典子さんが運んでいる。

ランチは、2種類から選べる。この日の日替わりは八風農園の自然栽培の野菜をたっぷり使った本日のランチ「さわらとブロッコリーのフリット 甜醤油ソース」(1000円)。

クラシカルな家具が似合う店内。手前のテーブルにしている木箱は、旅館で使われていたもの。

2016年11月にオープンして以来、昼も夜もにぎわっているこの食堂は、
いなべ市のほぼ中心に位置する阿下喜(あげき)地区にある。
その昔、桑名市三ツ矢橋町からいなべ市藤原町山口へ続く、
約25キロの濃州街道の宿場町として栄えた阿下喜には、
趣きのある町屋が今も多く残っていて、上木食堂もそんな建物のひとつだった。

「ここはもともと100年以上続く旅館で、宿泊客のメインは行商の薬屋さんでした」

と、上木食堂の改修前を知る林さんは説明する。

店内には阿下喜地区にたくさんの人が訪れていた頃の写真が。上の写真には旅館だった当時の建物が写っていて、通りは、苗木市でにぎわっている。

行商の方はお見えになると、大抵3か月から半年くらいは滞在するんです。
入り口がこんなに広いのは、
お客様の使う自転車やバイクがここにずらりと並んでいたからなんです」

行商の衰退と、林さんのお父さんが亡くなったことを機に、
旅館を閉じたのは1990年。それからいつの間にか、長い年月が経ってしまっていた。

「建物の老朽化が進んでいたので、
近所にご迷惑をかけないためにも早く解体しなければと思い、
中に残っているものをようやく片付け始めていたんです。
そしたら息子の友だちから『壊すつもりなら、
改修して食堂にしたいと言っている人がいるんだけど、貸してもらえないか?』
という話がきたから、びっくりしちゃって」

改修前の上木食堂の建物。右の窓部分は現在、テイクアウトのコーナーになっている。

密かにそんな計画を練っていた人物は、
藤原町で農業を営んでいる〈八風農園〉の寺園風さん(移住インタビューはこちら)。
2013年に名古屋市から移住して自然農法で野菜を育てている寺園さんは、
自分が生産した野菜を使い、気軽に仲間が集えるような店が、
いなべにほしいと常々思っていたのだ。

「移住して、阿下喜の日帰り温泉によく行っていたのですが、
この辺りの雰囲気がよくてずっと気になっていたんです。
仕事の合間にここへ来てコーヒーをテイクアウトしたり、
ふらりと立ち寄ってみたら友だちがいるような場所があったらいいなって」

寺園 風さん。

とはいえそれは「いつかできたらいいな」という程度の、
漠然とした夢みたいなものだった。しかしこの物件に出会って、
行動せずにはいられなくなってしまった。

「初めてこの建物の中に入ったとき、高揚感を抑えたんです。
僕の今の仕事の状態では、お店をつくることなんて無理だと思っていたから。
でも何回か足を運ぶうちに、どうしてもやりたくなっちゃったんですよね」

旅館当時の受付カウンターがそのまま残っており、おもしろいつくり。

農作業で忙しい寺園さんが、店につきっきりになるわけにはいかない。
店を任せられる適任者はいないかと、野菜を配達している車中で思い浮かんだのが、
当時、名古屋のカフェで働いていた松本さんだった。

上木食堂では、八風農園のとれたて野菜も販売されている。

移住と独立、両方する覚悟はある?

ふたりが出会ったきっかけは、松本さんが勤務していたカフェで企画した野菜の直売イベント。
出店者を探していた松本さんは、
たまたま同い年の若い農家がいることに興味を持って、寺園さんに声をかけた。

「当時から彼は週2ペースで名古屋に野菜を売りに来ていて、
そのイベント以降、うちの店で野菜を使わせてもらう関係が
2年くらい続いていたんです。そんななかで、僕がいつか独立したいと思っていることとか、
彼のいなべでの生活についてあれこれ聞いて、移住するのもありかななんて話もしていて、
それが彼の頭に残っていたんでしょうね。
『そういえば、あのときの話って生きてる?』って
この物件のことを教えてくれて、
『移住と独立、両方する覚悟があるなら来ない?』と言われたんです」