移住が決まった伊豆・下田で、
移住先探しの旅を考える
この旅は何だったのか?
移住先探しの旅を経て、
伊豆の下田で暮らすことになった津留崎さん一家。
この旅をしてわかったこと、考えたこと。
あらためて、旅をしてよかったと思う、その理由とは。
そしてこれから、移住先でどう暮らしをつくっていくのか?
ここでちょっとひと息、この旅を振り返ります。
「働く」ことを、立ち止まって考える
半年あまり続けてきた移住先探しの旅を経て、
伊豆半島の南端、下田に移住することなりました。
妻とは旅に出る前に、移住したい、でもどこに?
という話を随分としました。
実はそのときに、暖かそうだし、ふたりの実家のある東京からも近いし
ということで伊豆は候補にあがっていました。
でも、もっと知らない土地を見たい、いろいろな土地を巡って
移住先を決めようと旅に出ることを決めたのです。
そして、半年あまり旅をして、結果、
当初候補にあがっていた伊豆に決まりました。
考えてみれば随分とまわり道をしたことになります。
でも、この旅をして本当によかったといま、あらためて思うのです。
まわり道をしたからこそ見えてくるものがあったように感じます。
旅をせずに移住していたら、この先の暮らしに対する考え方は
いまとは随分と違うものになっていたのかもしれません。
まず、この旅では、訪ねた土地の魅力を感じ、
そこに暮らす魅力的な人々と出会いました。



そして、何より、この旅でしか得られなかったことがあります。
妻と娘と多くの時間をともにすごし、より絆が深まったこと。
そこで、「働く」ことを立ち止まって考える時間をもてたこと。


会社員をしていた頃、仕事はやり甲斐があり充実していましたが、
忙しく、なかなかまとまった休みもとれずにいました。
家族とすごす時間より仕事仲間とすごす時間のほうが多かったくらいです。
保育園に通っていた娘はどんどんといろんなことが
できるようになっていきます。
知らない間に成長していく、そんな感覚でした。
何のために働いているのか?
生活するため? お金を稼ぐため?
やり甲斐があるから?
お金は必要だけど無駄に使っているものを削れば
そこまで稼ぐ必要はないのでは?
そんな思いもあり移住することを決めて会社員をやめました。
そして旅に出たのです。
旅に出てからはいままでにないくらいに妻と娘と密にすごしました。
あと1年で小学生という娘の成長を間近で感じる喜びは
これまでしてきたどんな仕事でも感じられないものです。


妻ともこれからの暮らしのこと、娘のこと、人生のこと、
たくさん話をしました。
この旅ですごした時間はわが家にとって何より貴重なものになりました。

そして、実は、僕はこの移住先探しの旅をしていた
半年あまり、仕事をしていません。
(退社後の求職中ということで失業保険をもらっている期間はありました)
何をして稼ごうかと妄想はしていますが、
具体的に移住してからの仕事のあてがあるわけではありません。
そんな状態ですので金銭面で少なからず不安はあります。
地方でも、東京に比べて少ないとはいえ日々の暮らしにはお金がかかります。
自治体の財政は地方のほうが厳しく、
保険料や水道料金などは東京のほうが安いくらいです。
ただ、下田は東京に近いということで
フリーのフォトグラファーの妻は東京の仕事を続けます。
夫婦ふたりして収入のあてがないわけではありませんが、
僕がいつまでも無収入というわけにはいきません。
でも、そんな仕事をしない期間をもったからこそ
働くことの意味を立ち止まって考えることができたのです。
東京で会社員をしていたときは働くこと、より多い収入を目指すことが
当たり前すぎて、その意味を深く考えることはありませんでした。
それを深く考えるには、きっと忙しすぎたのでしょう。


連載vol.2で紹介した陶芸家、寺園証太さんとそのご家族。工房兼住まいや登り窯はセルフビルド。長女の奏でるピアノを聴きながら父は器をつくり、母は家事をこなす。とても丁寧に。次女の出産はこの空間で家族だけでしたと。
[ff_assignvar name="nexttext" value="背中を押してくれたことば"]
[ff_file_include_from_theme filepath="/include-unit/unit-layout-magazine-child-pagenation.php"]
背中を押してくれたことば
この旅をしながら、写真家で文筆家の
星野道夫さんの本をよく手に取りました。
好きな本のひとつに『魔法のことば』という
星野さんの講演の書き起こしの本があります。
そのあとがきを小説家の池澤夏樹さんが書いています。
おそれ多くも、そこに僕がこの旅を通じて考えた人生観、仕事のこと、
そして畑のことなどが凝縮されて表現されていると感じました。
僕のつたない文章では伝わりきらないその想いをお伝えしたく
そのまま引用させていただきます。
人が生きていくにはいろいろな活動が必要なのに、
最近ではそれを分業化して一人一人が専門家になるのが
当たり前になっている。
その方が効率がよいと説明されるけれども、効率とは一体なんだろうか。
仕事は義務であると同時にたのしみでもあって、だから人は働く。
ならばさまざまな仕事を持っている方が楽しいのではないか。
一つの仕事に専念することで人の心は
一種の奇形に陥ってしまうのではないか。
アラスカでは季節感が他の地域よりも一層はっきりした土地だから、
季節ごとに違う仕事をするというのも納得できる。
それはつまりそれだけ自然に近いところで生きているからだ。
自然の条件が厳しい分だけ人は人間らしく生きることができる。
あるいはそのような生き方を求められる。
これはローカルということでもある。専門化は人ばかりではない。
一万キロも彼方に住む外国の都会の民に売りつけるために
何百キロ四方もの畑を作って小麦だけを作る。
これもまた異常なこと、農業として一種の奇形ではないだろうか。
自分たちが食べるもの、近所の町の人たちが食べるものを
一通り作るのが本来の畑というものではなかったか。
お金が人や土地を専門化してゆく。
自然について、人生について、トータルな知恵を養うことで
幸福が得られるとすれば(ぼくはそう信じているわけだが)、
一つのことしかできない人や一つの作物しか育たない土地は不利だ。
生活にはさまざまな側面があり、仕事とは本来、
生活とつながったものだった。
去年の秋に行ったイラクでは農夫は子供たちも引き連れて
一家全員で畑に出ていた。
そんな生き方に戻ってもいいと、僕は星野の話を読みながら、
彼の声を聞きながら、考える。
(星野道夫『魔法のことば』池澤夏樹によるあとがきの一部を引用)
この話も、まさに効率優先の東京で会社員をしていたときに読んでいたらば、
遠い国の話に思っていたのかもしれません。
でも、移住先探しの旅という効率優先から遠く離れた時間の中で、
各地の人々のさまざまな価値観を目の当たりにしたからこそ、
本質的なことは変わらないはずだと
身をもって感じることができたのかもしれません。

少しの間借りていた三重の家の敷地になっていた柿。ただそこに自然になっている果実を家族でとって食べる。鹿や鳥と分け合いながら。そんな原始的な行為をすることで見えてくるものがありました。
そんな旅を経て移住を決めた下田では、この旅で感じたこと、
考えたことを大切に暮らしをつくっていきたいです。
[ff_assignvar name="nexttext" value="まだまだ続く「暮らしを考える」旅"]
[ff_file_include_from_theme filepath="/include-unit/unit-layout-magazine-child-pagenation.php"]
まだまだ続く、暮らしを考える旅
4月から借り始めた下田の家で暮らし始めました。

できることは自分たちでやろうと引っ越しもセルフで。移住先探しの旅でお世話になった車中泊仕様の愛車がここでも大活躍。
あらためて家を確認すると、床が抜けそうな箇所があったり、
建具の具合が悪いとこも多数あったり、
ネズミが出入りしていたであろう穴があったり……。
妻からは家具やら棚をつくってほしいとのリクエストをもらっています。
畑スペースは雑草がとても元気です。
さらには資材などが転がっていたり埋まっていたりで、
すぐに作物を育て始められそうにはありません。
とにかくやることがたくさんあります。
もちろん収入源も考えなければいけません。
こんな状況ですが楽しむことを忘れず、
ひとつひとつ解決して暮らしをつくっていこうと思います。


庭に自生しているふきを収穫。娘はこれ食べれるの? と。生きる知恵を育てたい。

自分たちで暮らしをつくる。

そしてさっそく、家族で釣りに。超初心者です。今夜は釣った魚で乾杯! と意気込んで行きましたが、釣果ゼロ……。これからこれから!
暮らしを考える旅に終わりはありません。
