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移住が決まった伊豆・下田で、
移住先探しの旅を考える|Page 3

暮らしを考える旅 わが家の移住について
vol.015

Page 3

背中を押してくれたことば

この旅をしながら、写真家で文筆家の
星野道夫さんの本をよく手に取りました。
好きな本のひとつに『魔法のことば』という
星野さんの講演の書き起こしの本があります。
そのあとがきを小説家の池澤夏樹さんが書いています。
おそれ多くも、そこに僕がこの旅を通じて考えた人生観、仕事のこと、
そして畑のことなどが凝縮されて表現されていると感じました。

僕のつたない文章では伝わりきらないその想いをお伝えしたく
そのまま引用させていただきます。

人が生きていくにはいろいろな活動が必要なのに、
最近ではそれを分業化して一人一人が専門家になるのが
当たり前になっている。
その方が効率がよいと説明されるけれども、効率とは一体なんだろうか。
仕事は義務であると同時にたのしみでもあって、だから人は働く。

ならばさまざまな仕事を持っている方が楽しいのではないか。
一つの仕事に専念することで人の心は
一種の奇形に陥ってしまうのではないか。

アラスカでは季節感が他の地域よりも一層はっきりした土地だから、
季節ごとに違う仕事をするというのも納得できる。
それはつまりそれだけ自然に近いところで生きているからだ。
自然の条件が厳しい分だけ人は人間らしく生きることができる。
あるいはそのような生き方を求められる。

これはローカルということでもある。専門化は人ばかりではない。
一万キロも彼方に住む外国の都会の民に売りつけるために
何百キロ四方もの畑を作って小麦だけを作る。
これもまた異常なこと、農業として一種の奇形ではないだろうか。
自分たちが食べるもの、近所の町の人たちが食べるものを
一通り作るのが本来の畑というものではなかったか。

お金が人や土地を専門化してゆく。
自然について、人生について、トータルな知恵を養うことで
幸福が得られるとすれば(ぼくはそう信じているわけだが)、
一つのことしかできない人や一つの作物しか育たない土地は不利だ。
生活にはさまざまな側面があり、仕事とは本来、
生活とつながったものだった。

去年の秋に行ったイラクでは農夫は子供たちも引き連れて
一家全員で畑に出ていた。
そんな生き方に戻ってもいいと、僕は星野の話を読みながら、
彼の声を聞きながら、考える。

(星野道夫『魔法のことば』池澤夏樹によるあとがきの一部を引用)

この話も、まさに効率優先の東京で会社員をしていたときに読んでいたらば、
遠い国の話に思っていたのかもしれません。

でも、移住先探しの旅という効率優先から遠く離れた時間の中で、
各地の人々のさまざまな価値観を目の当たりにしたからこそ、
本質的なことは変わらないはずだと
身をもって感じることができたのかもしれません。

少しの間借りていた三重の家の敷地になっていた柿。ただそこに自然になっている果実を家族でとって食べる。鹿や鳥と分け合いながら。そんな原始的な行為をすることで見えてくるものがありました。

そんな旅を経て移住を決めた下田では、この旅で感じたこと、
考えたことを大切に暮らしをつくっていきたいです。