震災から生まれたものづくり。
〈石巻工房〉の新たな拠点
〈Ishinomaki Home Base〉

宮城県東部・太平洋沿岸に位置する石巻市は、牡鹿半島の一部や金華山を抱え、
全国屈指の水揚げ量を誇る水産都市として栄えてきたまち。
仙台に次ぐ県内第2の人口を擁するこのまちも、東日本大震災で大きな被害を受けた。

ここに、震災直後に立ち上がり、いまでは世界の家具業界から
そのデザインや機能性が注目される〈石巻工房〉がある。
昨年の秋には、新たな拠点として〈Ishinomaki Home Base〉をオープン。
どんな10年だったか、そしていま何を見据えているか、
代表取締役・工房長の千葉隆博さんに話を聞いた。

新たな拠点が誕生

石巻駅から車で約10分、国道398号線を走ると、
洗練された別荘のような建物が現れる。
2020年10月にオープンした〈石巻工房〉のカフェ兼ショールーム
〈Ishinomaki Home Base〉だ。

この建物の設計を手がけたのは、石巻工房を設立した共同代表の建築家・芦沢啓治さん。
内部の造作家具は石巻工房によるもので、石巻工房の製品も数多く並ぶ。
1階のカフェテナント〈I-HOP CAFE〉を利用すると、
知らず知らずのうちに実際に工房の家具を利用できるのが魅力だ。

I-HOP CAFEを運営するのは、農業で地域を盛り上げようと、
石巻市北上町で活動する〈イシノマキ・ファーム〉。
コーヒーのほか、自ら育てたホップを使用したクラフトビール〈巻風エール〉や、
ホップティーを販売。週末はファームで育てた野菜でつくる
プレートランチを提供している。

石巻・北上産のホップを使用した〈巻風エール〉(700円)。

石巻・北上産のホップを使用した〈巻風エール〉(700円)。

2階はゲストハウスになっており、各部屋の設えは、
工房ゆかりの建築家・プロダクトデザイナーがそれぞれデザインした。
〈トラフ建築設計事務所〉による「Takibi」、
寺田尚樹さんによる「Hato」、
〈ドリルデザイン〉による「Eda」、
〈藤森泰司アトリエ〉による「Noki」の4部屋がある。

「Takibi」は、焚き火をイメージした照明が特徴的。道路に面するこの部屋の利用者はデッキを占有することができる。1泊1名利用:1室8000円、2名利用:1室14000円。

「Takibi」は、焚き火をイメージした照明が特徴的。道路に面するこの部屋の利用者はデッキを占有することができる。1泊1名利用:1室8000円、2名利用:1室14000円。

「noki」は軒下にいるような場所をイメージしてデザインされた。ベッドにもなるソファがあり、最大3人利用可。1泊1名利用:1室8000円~3名利用:1室13500円。

「noki」は軒下にいるような場所をイメージしてデザインされた。ベッドにもなるソファがあり、最大3人利用可。1泊1名利用:1室8000円~3名利用:1室13500円。

キッチンもある宿泊者の共用スペース。

キッチンもある宿泊者の共用スペース。

Ishinomaki Home Baseができるまでには、
石巻工房の役員でもある若林明宏さんの存在が大きい。
不動産業を営む若林さんは、大手保険会社の海外駐在経験があり、語学が堪能。
海外取引を拡大している石巻工房が人材を探していることを知り、
以前から製品のファンであったことから手を挙げ、活動に参加し始めた。

「時折、製品を見たいとお客さんが訪ねてくるのですが、工房はいわゆる作業場。
若林さんがそれを見て、ショールームがあったほうがいいよねと提案してくれたんです。
若林さんは自転車ブランドをつくりたいという夢も持っていたので、
じゃあ一緒にやろう、カフェも始めてお客さんを呼ぼう。
せっかくだから泊まれるショールームにしよう、
それならばこれまで石巻工房に関わってくれたデザイナーさんに声をかけてみよう、と
どんどん夢が広がって、いまのかたちになりました」

工房長の千葉隆博さん。もともとは鮨職人だったが、震災後、石巻を訪れていた芦沢さんと出会った。

工房長の千葉隆博さん。もともとは鮨職人だったが、震災後、石巻を訪れていた芦沢さんと出会った。

「テナントも若林さんが見つけてきました。
つくり手のつくりたいアイデアと、つくる人をつなぐのがうまいんです」

準備中の若林さんのブランドのほか、1階には牡鹿半島で狩猟を行い、鹿肉でソーセージを、鹿皮で小物製品をつくる島田暢さんのブランド〈のんき〉も入る。

準備中の若林さんのブランドのほか、1階には牡鹿半島で狩猟を行い、鹿肉でソーセージを、鹿皮で小物製品をつくる島田暢さんのブランド〈のんき〉も入る。

長崎県美術館にて 公共性に焦点を当てた 隈研吾の大規模個展が開催

長崎県美術館 2004 設計:株式会社日本設計/デザイン・アーキテクト:隈研吾 ©DAICI ANO

36の隈建築から見る公共性

隈研吾建築デザインで知られる長崎県美術館で、
現在、隈研吾の大規模個展
『隈研吾展 新しい公共性をつくるためのネコの5原則』が開催されています。

高知、長崎、東京と三都市を巡回する本展。

オドゥンパザル近代美術館(トルコ)2019 © Erieta Attali

オドゥンパザル近代美術館(トルコ)2019 © Erieta Attali

V&Aダンディー(英国)2018 ©RossFraserMcLean

V&Aダンディー(英国)2018 ©RossFraserMcLean

ブザンソン芸術文化センター(フランス)2012 ©Stefan Girard

ブザンソン芸術文化センター(フランス)2012 ©Stefan Girard

アオーレ長岡 2012 © by FUJITSUKA Mitsumasa

アオーレ長岡 2012 © by FUJITSUKA Mitsumasa

隈建築のなかから公共性の高いものを中心に36件を選定し、
それらを「孔」「粒子」「やわらかい」「斜め」「時間」
という隈氏による5原則によって分類。
模型や写真、モックアップといったかたちで展示し、
すべてに隈氏の作品解説がついています。

36件のなかには、新築の庁舎のような大きな公共建築だけでなく、
リノベーションによる居酒屋のような小さな建築も。
隈氏が考える公共建築の概念を、さまざまな角度から知ることができるでしょう。

そして、瀧本幹也、藤井光、津田道子、マクローリン兄弟などのアーティストとの、
映像によるコミッションワークも展示。
こちらの会場には、360度VRもあります。

そのほか、本展では隈氏の新たなリサーチプロジェクト
『東京計画2020 ネコちゃん建築の5656原則』を発表。
現代の建築的な提案は、高度経済成長期のように都市を上からではなく、
下から見て行うべき、という視点で隈氏が着目したのは「ネコ」。
デザイン・イノベーション・ファーム〈Takram(タクラム)〉と協働し、
神楽坂でのフィールドワークやGPS測定のリサーチ成果を、
3DCGやプロジェクションマッピングを用いて展示しています。

震災から10年。
未来へ語り継ぐ方法をつくる
アーティスト、小森はるか+瀬尾夏美

東日本大震災後のボランティアをきっかけとして、
岩手県陸前高田市を中心に、人々の記憶や記録を
未来へ受け渡す表現活動を行ってきたアーティスト、小森はるかさんと瀬尾夏美さん。
「小森はるか+瀬尾夏美」名義でユニットとしても活動し、
現在、共同で制作した映画『二重のまち/交代地のうたを編む』が全国公開中。

また、グループ展『聴く-共鳴する世界』(アーツ前橋で2021年3月21日まで)、
『3.11とアーティスト:10年目の想像』(水戸芸術館現代美術ギャラリーで
5月9日まで)にも参加している。
この10年の変化について、水戸芸術館で話を聞いた。

小森はるか+瀬尾夏美『あわいゆくころ再歩』2011-2021年 『3.11とアーティスト:10年目の想像』水戸芸術館現代美術ギャラリーでの展示風景。瀬尾さんが2011年から続けてきたツイートから選んだテキストとドローイング、小森が撮影した映像のなかを歩く。背景には水戸芸術館が作成した2011年以降の主な災害などの年譜が。

小森はるか+瀬尾夏美『あわいゆくころ再歩』2011-2021年 『3.11とアーティスト:10年目の想像』水戸芸術館現代美術ギャラリーでの展示風景。瀬尾さんが2011年から続けてきたツイートから選んだテキストとドローイング、小森さんが撮影した映像のなかを歩く。背景には水戸芸術館が作成した2011年以降の主な災害などの年譜が。

関係性のなかで生まれるものを希求していた美大生

2011年3月11日、東京藝術大学先端芸術表現科4年生の小森はるかさんは、
東京のアルバイト先に、瀬尾夏美さんは東京の自宅にいた。
卒業制作展を終えた頃だった。

『あわいゆくころ再歩』より。

『あわいゆくころ再歩』より。

先端芸術表現科は、油絵科や彫刻科のように
メディアを決めてから何を表現するか考えるのではなく、
コンセプトややりたいことを先に発想し、
そのために必要なメディアを選びながら制作できる場所だった。
この「つくり方からつくる」考え方がいまでも基礎にある。

瀬尾さんは写真を撮っていた。

「ポートレートは、相手との関係性のなかで写真を撮ることだと考えていました。
私が相手の笑顔がいいと思っても、相手にとっては
自分のイメージとズレていることってありますよね。
つまり、共同作業のなかから生まれるものだと思っていて、
それはいまの語りの問題につながっていると思います。

体験は、私とあなたの関係のなかで語られ、聞き手によっても編集される。
また、写真ではなく絵画でなら、記録されていない、
誰かと一緒に見た風景を再び立ち表すこともできるかもしれないと考え、
大学院で絵を学ぼうと思っていたところでした。
この“失われた風景を描く”ということが、
震災を機に広い領域へと開かれていったと思います」

絵画や文章を描く瀬尾夏美さん。

絵画や文章を描く瀬尾夏美さん。

小森さんは、先端芸術表現科で映像を学びながら、
映画美学校で劇映画をつくる方法を学んでいた。

「脚本を書いて、演出をして、16ミリフィルムで撮影するといった、
1年間でフィクション映画をつくるプログラムでした。
けれど、稽古では輝いていた演者が本番では撮りたかったその人から逸れていくとか、
風景も練習で撮っていたときのほうがよかったなということがあって、
自分はドラマをつくり込んでいきたいわけではないんだなと戸惑うこともありました。

その後、脚本から俳優の方と一緒に制作したり、
その人にとってルーツになるような場所で撮影したり、
ドキュメンタリーという意識ではなかったんですけど、
監督、俳優、カメラマンという役割を分け切らないかたちで
一緒に映画をつくる方法を実験していました」

映像作家の小森はるかさん。

映像作家の小森はるかさん。

震災の直後から、被災地の安否情報や写真などが
SNSで流れてくるなかで、瀬尾さんは
「こんな状況で絵に何ができるのか、これからどうなるんだろう」
と不安になった。

と同時に、「大学と家族と友人くらいの狭い社会にいたのに、
急に震災が自分の問題として接続してしまった感覚で、
現場を見ないと何もわからないと思いました。
当時、被災地に物見遊山で行くなといった批判もあるなかで、
中学生がボランティアをしているニュースを見て、
迷惑ではないかと懸念する前に行ってみようと思ったんです」

アラスカの大自然にふれてわかった
日本のやさしく美しい四季。
雨も風も心地いい庭と家

風が気持ちいいから、この土地に決めた

家の裏には田んぼが広がっていて、遠くには丹沢山系を望むことができる。
夜になると、その手前に2両だけのJR御殿場線がぼんやりとした光を放ちながら走る。
この家に住む松本茂高さん・弘美さん夫妻からそんな話を聞くだけで、
この場所の魅力が伝わってくる。

1年半ほど前、神奈川県小田原市に
〈BESS〉の「倭様(やまとよう) 程々の家」というモデルを建てたのは、
土地からの影響が大きかったという。

「初めてLOGWAY(BESSの展示場)に行って、1週間後には決めていたかな。
ほかのモデルも検討したんですけど、
この土地、そして自分たちの年齢やライフスタイルを考えると
『倭様 程々の家』という選択になりました」と言う茂高さん。

建設関係の仕事をしている松本茂高さんと弘美さんと愛犬・さくら。広縁でリラックス。

建設関係の仕事をしている松本茂高さんと弘美さんと愛犬・さくら。広縁でリラックス。

奥様の弘美さんも「初めて見にきたときは夏の暑い日の夕方で、
山のほうからすごく気持ちいい風が吹いていたんですよね」と、
この場所に決めた理由を教えてくれた。

家の裏手は広々とした田園風景。

家の裏手は広々とした田園風景。

かつて小田原市のまちなかに住んでいたときは、
「家の中にしか居場所がないからどこかに行きたくなって」月1回くらいは
旅行していたという。
しかし今は室内から土間、庭や広縁(ひろえん・奥行きのある縁側のこと)といった
内と外がゆるやかにつながる敷地全体が居場所となり、
「暮らし面積が広がって」あまり遠出をする必要がなくなったそうだ。

「特に最初の1年間はとにかく庭づくりが楽しくて、一日中、庭で過ごしていました。
誰よりも日に焼けていましたよ。
家を建てて完成ではなく、5年、10年かけて充実させていくつもりです」

立派な木ではなく、まだ細い木が多いのはそのためだ。
これから木が生長し、根を張って葉が生い茂る。
夏は木陰をつくり、冬は葉が落ちて日が差す。そんな木々の生長を楽しむ。

これから育つ過程を楽しむ「細い」木。

これから育つ過程を楽しむ「細い」木。

家を建てる前は森の中の別荘がほしいと思っていたというが、
家を建てることが決まると「自分の庭に雑木林をつくろう」と発想を転換。

「広縁の前を中心に植えています。木は1本ではなかなか育たない。
本来はいろいろな雑木を植えて初めて、正常に育つもの。
根がネットワークになって情報伝達しているんですよね。
これから伸びてきたら剪定など大変ですけど、それはこれからの自分の楽しみです」

木が順調に育っていけば、夏はサンシェードの代わりになる。
ちなみに通常のサンシェードはそれ自体がかなり高温になってしまうという。

「真夏の日差しが強いときにサンシェードの裏側の温度を計ると、
40〜50度になっていることもあります。しかし葉っぱの裏側を計ると28度くらい。
葉には蒸散作用があるので、天然のミストシャワーみたいなものです。
これで夏も快適に過ごせるとイメージしています」

本当の完成は数年後になる。
しかしそもそも、その年月が自然とともにある暮らしの本質なのかもしれない。

土間からつながるリビング。テーブルはウォルナットの木を自分で磨いた。

土間からつながるリビング。テーブルはウォルナットの木を自分で磨いた。

自然とともにある アイヌ文化に触れる展覧会 『つなぐ・つながる 二風谷アイヌ展』

アイヌの伝統工芸も一挙集結

東京・ミヤシタパーク内にある
キュレーション型ショップ〈EQUALAND SHIBUYA〉にて、
現在『つなぐ・つながる 二風谷アイヌ展』が開催されています。

「つなぐ・つながる 二風谷アイヌ展」伝統工芸

「つなぐ・つながる 二風谷アイヌ展」伝統工芸制作風景

「つなぐ・つながる 二風谷アイヌ展」二風谷の風景

自然への敬意に溢れた、手仕事の温もりが特徴のアイヌの伝統工芸。
北海道沙流郡平取町二風谷(にぶたに)地区では、
そのような工芸が今も色濃く受け継がれており、
伝統工芸品の制作はもちろん、商品開発も行われています。

2020年10月には、〈二風谷アイヌクラフトプロジェクト〉と題した、
平取町による支援プロジェクトも誕生。
伝統工芸を通じてアイヌ文化を未来につなぐことを目的に、
現代のライフスタイルに沿った伝統工芸品の開発も行っています。

今回の企画展では、そのようなアイヌ文化を伝える展示や、
渋谷と二風谷がつながる “手紙” のインスタレーションエリア、
二風谷地域の工芸作家による作品を展示・販売。
アイヌの文化を身近に感じ、学べる貴重な機会となっています。

絵描き・Lee Izumidaの旅コラム
「大好きな家で旅の思い出に浸れる
本とかたいパン」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第17回は、絵描きのリー・イズミダさんが旅するときに
はずせないという、本とパンの話。
旅は本屋とパン屋から始まり、
帰宅してからも、その旅の思い出を彩ってくれるようです。

旅行先で必ず探し訪れる場所

私は自分の家が世界中のどんな場所より好きだ!
休日に少しお出かけしてもすぐに家に帰ってしまう。
旅行へ行くときは家に持って帰って思い出に浸れるものを探す。
代表的な例でいえば「本とかたいパン」。

私が旅行へ行く機会が増えたのはちょうど2年前、
絵描き一本で仕事を始めたのがきっかけだ。
今回書くことも2年前ぐらいになんとなく空港の搭乗アナウンス待ちで
時間を持て余したときに思いつき、続けている。

京都にて。今回の旅写真は、すべてフィルムで撮影したものです。

京都にて。今回の旅写真は、すべてフィルムで撮影したものです。

私の場合、旅行といっても仕事で行くことがほとんどだ。
そしていつも仕事柄、大荷物を持って旅行へ行くことが多く、基本的に単独行動だ。
旅行鞄の中は絵の具やスケッチブック、筆など、どれも重くかさばるものばかり。
プライベートの旅行でも、
スケッチブックや絵の具は少しでも持って行かないと落ち着かない。
いくら荷物を減らせといわれても、減らすのは洋服で画材は持っていくだろう。
そんな性格なので、私の旅行に持っていく荷物はスマートだったことがない。

はりきって沢山行動するのもそこまで好きではないので
みずから事前に計画を立てることもない。
そんな私だがホテルに着くとまずは近くにパン屋と本屋があるかどうかを
グーグルマップで確認する。
近くになければ歩く、見つからなければ現地の人に聞く。
おもしろいことにパン屋と本屋はどこに行っても1軒や2軒はある。
これは国内だけではなく海外も一緒だ。

パン屋の店員さんにはなぜか話しかけやすい。
人見知りの私でもパン屋の店員さんには
「ここらへんでおいしいご飯ありますか?」とか
「観光できる所ありますか?」と気軽に話しかけることができる。
調子がいいときは「今日は天気がいいですね〜」なんて話しかけることもある。
そしてみんな親切に教えてくれる。
本屋にはガイドブックがあるので、人に聞かなくとも探すことができる。
本も親切に教えてくれる。
おもしろいことに、これも国内だけではなく海外も一緒だ。

鹿児島。

鹿児島。

旭川市〈HOKUO LAB〉
築64年の醸造倉庫を
複合型シェアオフィスへリノベーション

野村パターソンかずたか vol.6

北海道旭川市で、リノベーションや不動産事業を営みながら、
アーティストインレジデンスなど地域の文化事業を企画・運営する、
野村パターソンかずたかさんの連載です。
元ミュージシャンで世界の都市を巡った経験から、
地元・旭川市にて多様なコンテンツをしかけています。

今回も前回に引き続き旭川市大町地区で、
先祖代々受け継がれてきた大型の倉庫が
複合型シェアオフィスにリノベーションされた事例をご紹介します。

管理が難しい寒冷地の物件

マイナス1度なのに陽気すら感じてしまうこの頃。
最高気温がプラスになる日も増え「もう春だねえ」なんて声も聞こえてくる。
道民ならではの感覚だろうか。

今年の元旦はいつになく冷え込みが激しかった。
年始休みで人が家やオフィスをあけることが多い数日間、
北海道中で給水管の凍結事故があったと聞いた。
当社も例に漏れず複数の物件で水回りの事故に見舞われた。
給水管の凍結は経験済みだったが、排水管の凍結は今年初めて経験した。
しかも2か所、ほぼ同時に。

寒冷地では、夜間の水道の凍結を避けるために、蛇口を軽く開けておき、
水を滴らせる方法をとることがよくある。給水管の凍結防止には有効な手段だ。

問題は、この水は排水管を流れきる前に管内で氷となってしまうこと。
ひと晩かけて徐々に盛り上がっていく“ちょろぽた水”。
今年はマイナス20度にもなった旭川の冬、
当社の物件ではメートル単位で排水管が凍りついていた。
管内凍結に気がつかずトイレやシャワーを流してしまうと最悪で、
排水が流れず逆流してしまう。

このように、北国での不動産管理は、温暖な地域とは異なる注意を払う必要がある。
以前書いたとおり、空き家のオーナーが、
秋の終盤から雪の季節になるとそわそわし始めるのはこのためだ。

どのような物件であれ、活用できないなら負担にしかならないのが
空き家・空き店舗を受け継いだ者の実状だ。
毎秋不安に駆られるくらいなら、いっそ物件を売却して楽になったほうがいいだろう。

しかしそんな「先祖代々受け継いだ物件」をなんとか活用しようと考え、
複合型シェアオフィスに仕立て上げたのが、
今回ご紹介する〈HOKUO LAB〉のオーナーである川島千幸さんだ。

工事中の様子。敷地面積は900坪にも及ぶ倉庫。

工事中の様子。敷地面積は900坪にも及ぶ倉庫。

テーマは「想像力の喚起」 『3.11とアーティスト:10年目の想像』 が水戸芸術館で開催

小森はるか+瀬尾夏美『二重のまち/交代地のうたを編む』
2019 ©Komori Haruka + Seo Natsumi

震災から10年。表現者たちは何を見つめてきたのか

東日本大震災から10年を迎える今年。
当時、震災の被害に遭い、臨時の避難所にもなった水戸芸術館で、
現在『3.11とアーティスト:10年目の想像』が開催されています。

『3.11とアーティスト:進行形の記録』と題して、
2012年に行われた展覧会の続展となる今回。

前回は、震災に遭ったアーティストによるさまざまな活動を、
作品であるか否かを問わず、時間軸に沿って紹介。
大規模な震災直後でアートの意味や役割が問われるなか、
それらのほとんどが、支援と記録を主眼にしたものでした。

加茂昂『福島県双葉郡浪江町北井出付近にたたずむ』2019 撮影:加藤健

加茂昂『福島県双葉郡浪江町北井出付近にたたずむ』2019 撮影:加藤健

佐竹真紀子『日和山の再会』2020

佐竹真紀子『日和山の再会』2020

高嶺格『ジャパン・シンドローム水戸編』2012

高嶺格『ジャパン・シンドローム水戸編』2012

ニシコ『地震を直すプロジェクト第7段階(メッセージ)オブジェクト#2012_3 (取り皿)』2020  撮影:ニコラ・コーカルディ

ニシコ『地震を直すプロジェクト第7段階(メッセージ)オブジェクト#2012_3 (取り皿)』2020  撮影:ニコラ・コーカルディ

前橋〈白井屋ホテル〉で
建築とアートを堪能。
まちづくりの新拠点となる!

世界的アーティストが集結し、ローカルの拠点となるホテル

創業300年を超える〈白井屋旅館〉。
1975年にホテル業態に変更したものの、2008年に惜しまれつつ廃館してしまった。
群馬県前橋市民にとっては馴染みのあるこの跡地に、
何ができるのか? どうなるのか?
市民が興味深く見守っていたところ、2020年12月12日、
前橋の地域創生に深く関わってきたアイウエアブランド〈JINS〉の代表、
田中仁さんが引き継ぐかたちで〈白井屋ホテル〉として再生。
コミュニティの拠点となる宿泊業態がまちからひとつ減ることを免れ、
結果として、新しいまちづくりの拠点ができた。
白井屋ホテルと田中さんによる、前橋を盛り上がる挑戦のひとつである。

かつてと同じ宿泊施設ではあるが、その様相は大きく異なる。
国道50号沿いを歩いていると、突然、ホテルのポップな看板が現れる。
ニューヨークの作家、ローレンス・ウィナーさんによるタイポグラフィだ。

無機質な国道沿いのビルの並びのなかに、異質なサイン。(写真提供:木暮伸也)

無機質な国道沿いのビルの並びのなかに、異質なサイン。(写真提供:木暮伸也)

これ以外にも、エントランスからロビー、各部屋にいたるまで、
アートがあふれる空間になっている。
象徴的なのが、ロビーの吹き抜けスペースにあるレアンドロ・エルリッヒさんの作品。
まるで水道の配管のように設置された「ライティング・パイプ」には
LEDライトが仕込まれていて、季節や時間帯によってさまざまな表情を見せてくれる。

さらにアーティストがまるごとプロデュースを手がけた
4部屋のスペシャルルームがかなり豪華だ。

まずひとりめは上述のアルゼンチンの作家、レアンドロ・エルリッヒさん。
ロビーと同様のライティング・パイプが部屋では金属製に変わり、
天井に張り巡らされている。
それほど広くない部屋なのでパイプの密度を高く感じ、「アートを体感」できる部屋だ。

次にイタリアの建築家、ミケーレ・デ・ルッキさん。
本来は外装に用いるような板葺きで部屋の内壁を覆った部屋。
合計2725枚の板からできている。
やわらかな表層を生み出す伝統的な技法から着想され、
日本の雪国の雰囲気もあり、板から漏れ落ちる光がとても美しい。
落ち着いた気分になれそう。

ロンドンのプロダクトデザイナー、ジャスパー・モリソンさんが手がけたのは、
木製の箱に入ったかのような部屋。
床も木なので素足が気持ちいい(ちなみにこの部屋は土足禁止)。
日本らしいヒノキの浴槽も、彼のオリジナルデザインである。
広い部屋にポンとベッドが置いてあり、
空間の余白を生かしたミニマルなつくりになっている。

最後にホテルの全体設計を担当している建築家の藤本壮介さんの部屋だ。
LEDライトに照らされた植物により、
前橋のまちづくりコンセプトである「めぶく。」が表現されている。
絨毯は、壁や天井などの打ちっ放しのコンクリートを模した柄で、
藤本壮介さんのオリジナルデザイン。
これは館内のほかの客室にも一部採用されている。

白山市〈やすまる ごはんカフェ〉
設計者が考える、
壊すこと、壊さないこと

SWAY DESIGN vol.5

石川県を拠点に、住宅・オフィス・店舗のリノベーション、
不動産の有効活用を提案する不動産事業などを展開する、
〈SWAY DESIGN〉永井菜緒さんの連載です。

今回のテーマは、石川県白山市の「安産(やすまる)日吉神社」に併設したカフェ。
その背景では、建物を「壊すか、残すか」という課題に向き合うこととなりました。
リノベーションにまつわる本連載ですが、
今回は「解体」についても考えていきたいと思います。

日本で数少ない「安産」の名を冠した「安産日吉神社」。参道では狛犬が子どもを足元に抱えている。

日本で数少ない「安産」の名を冠した「安産日吉神社」。参道では狛犬が子どもを足元に抱えている。

神社に人が集える場所をつくりたい

白山市美川町の安産日吉神社。
その近くに古くからあったごはん屋さんが閉店し、
この地での食事どころがなくなってしまう。
近隣には図書館もあり人の行き来が多いのに集う場所がない。

そんなお話を地元の建設会社さんからいただいたのが始まり。
まちおこしも兼ねて、神社の近くにカフェをつくり、
自社で運営したいという相談でした。

現地には木造2階建ての納屋が1軒あり、その活用が検討されました。
古い建物ですが想定する席数に見合う大きさで、構造の状態も悪くなく、十分使えそう。

ところが、最終的に出た結論は「解体して新築する」というものでした。

解体途中の様子。作るのは人の手でひとつひとつ、壊すのは重機で一気に。木造の納屋であれば、10日ほどで更地になる。

解体途中の様子。作るのは人の手でひとつひとつ、壊すのは重機で一気に。木造の納屋であれば、10日ほどで更地になる。

敷地と建物を調査する

建物は境内から高さが1.7メートル下がった位置。境内から建物は見えるものの、
建物に入るには一度神社の外へ出て遠回りする必要がありました。

左手に見える石塀が神社境内。神社へは右手の道路を奥に向かって上り、Uターンすることになる。

左手に見える石塀が神社境内。神社へは右手の道路を奥に向かって上り、Uターンすることになる。

神社の参拝者や境内を散歩する方もふらっと立ち寄れるカフェをつくりたい。
そして神社のお守り売り場もつくりたい。そんな要望をまとめると、
神社からのアクセスの良さが最優先事項となります。

境内から直接行き来できる位置に出入り口をつくる案を検討しましたが、
床の高さが中途半端。スキップフロアの計画も出しましたが、
建物からの景観や店のオペーレーションを考えると難しいので断念。
調査と検討を重ねた結果、おもしろい建物ではあったのですが、
目指す方向性には合わず、「残すことは不適」という判断になったのです。

境内側から見た納屋。フェンスを壊し、橋を架ける案も検討したが、建物と敷地高低差が制約となってしまう。

境内側から見た納屋。フェンスを壊し、橋を架ける案も検討したが、建物と敷地高低差が制約となってしまう。

根本的に何かが変わった。
北海道のアトリエで描いた
MAYA MAXXの新作

撮影:佐々木育弥

“生きている”っていう感じがします

昨年夏、私が住む美流渡(みると)地区に移住した
画家のMAYA MAXXさんが、3月1日から東京で個展を開くこととなった。

MAYAさんは愛媛県今治市の出身。
大学進学を機に上京し1993年に画家としてデビューした。
以来、東京をベースに活動を続けており、
2008年からの10年は京都で制作を行ってきた。

北国で暮らすのは今回が初めて。
十分な広さの制作環境を確保するための移住であったが、
以前から、アイヌやイヌイットなど北方の民族に興味を持っていたこと、
いままでとはまったく違う場所に身を置いてみたかったことも
北海道を選んだ理由となった。

美流渡は豪雪地帯。アトリエも雪に埋もれる。

美流渡は豪雪地帯。アトリエも雪に埋もれる。

「夏から秋、冬にかけて、新しい経験が常にありました。
いまちょうど10年に1度の大雪に見舞われているし、本当に大変です。
だけど、何もなくつつがなく暮らすよりも、困難も含めて何かが起こっていて、
それを乗り越えようとしている状況のほうが自分には合っています。
移住して半年ですが、振り返ってみると3年くらい過ごしたような感覚です。
“生きている”っていう感じがします」

移住した夏には制作環境を整えるためにアトリエにペンキを塗り、
秋には本格的な制作が始まった。
そして、作品に大きな変化が起こっていった。

撮影:佐々木育弥

撮影:佐々木育弥

〈Agawa〉塩満直弘さん
透明な駅舎とキオスク、
境界のない空間にこめた思い

冬らしく曇った空から、ちらちらと雪が降ってくる。
畑や山の緑も、ホームのコンクリートもどこかくすんだように見えるなか、
橙色の汽車がスーッとホームに入ってきた。

ここは山口県下関市にある阿川駅。京都と下関を結ぶJR山陰本線の無人駅だ。

見渡す限り畑と山と民家しかないこの場所に、昨年の夏、目新しい建物ができた。
見た目は、四角くて透明な箱。
「小さなまちのkiosk」をコンセプトにつくられたその建物は、
まちの名前そのままに〈Agawa〉と名づけられた。
地元の特産品を使ったドリンクやフードを提供している。

新しい阿川駅舎とAgawaをプロデュースしたのが、塩満直弘さん。
山口県の萩市に生まれ育ち、アメリカ、カナダ、東京、鎌倉と
さまざまな土地での生活を経て、萩へ帰ってきた。
故郷の魅力を自分なりに表現したいと起業し、
〈萩 ゲストハウス ruco〉を運営してきた塩満さんが
Agawaを通じて体現していきたいこととはなんだろうか。

駅舎と対になる透明なkiosk

〈Agawa〉は、2020年夏にオープンした。
まちの風土をダイレクトに感じてもらえるように
カフェと物販、レンタサイクルを提供している。

塩満さんは、店舗ととなりの阿川駅舎が対になるようにAgawaのイメージを考え、
JR西日本の建築部門担当者と、
彼の友人である〈takt project〉代表の吉泉聡さんがそれを具現化していった。

「駅舎とカフェのデザインを考えるときに意識していたのは、
駅全体を広場、公園のように再定義すること。
建物をガラス張りにしたのは、
周囲の風景に違和感なく溶け込ませて景観の一部と見立てることで、
“乗降客に限らず誰もが自由に佇める”という駅本来の特徴を、
空間全体で感じてもらいたかったからです」

Agawa(左)と阿川駅の駅舎(右)。中が透けて見える構造は、地元の人から驚かれることもあった。「境界線をぼやかす」デザインにしたかったという。

Agawa(左)と阿川駅の駅舎(右)。中が透けて見える構造は、地元の人から驚かれることもあった。「境界線をぼやかす」デザインにしたかったという。

Agawaで提供されている猪ソーセージ(800円・税込)とゆずきちソーダ(500円・税込)。猪肉、ゆずきち、ともに長門市俵山産。ゆずきちは山口県の山陰地方が原産。収穫時期により味や香りの変化も楽しめる。

Agawaで提供されている猪ソーセージ(800円・税込)とゆずきちソーダ(500円・税込)。猪肉、ゆずきち、ともに長門市俵山産。ゆずきちは山口県の山陰地方が原産。収穫時期により味や香りの変化も楽しめる。

コロナ禍でのオープンとなったが、
若年層に限らず、さまざまな世代、地域から、多くの人が訪れ賑わっている。

地元の人が乗り降りするのはもちろん、
子どもたちが広場に敷きつめられたシロツメクサの上を走り回ったり、
家族で四つ葉のクローバーを探したり、
観光でやってきた友人同士で写真撮影をしたり。
訪れた人がそれぞれ、思い思いに時間を過ごす場所となっている。

「駅だからこそ訪れる人の雑多さ、多様性がある。
僕自身がそんな場所を求めていたし、公共性の高い場所に関わりたかった」

そう話す理由には、塩満さん自身のこれまでの経験があった。

旭川市〈理容室アパッシュ〉
地域に愛された床屋が
バーバーカルチャーの発信地へ

野村パターソンかずたか vol.5

北海道旭川市で、リノベーションや不動産事業を営みながら、
アーティストインレジデンスなど地域の文化事業を企画・運営する、
野村パターソンかずたかさんの連載です。
元ミュージシャンで世界の都市を巡った背景から、
地元・旭川市にて多様なコンテンツをしかけています。

今回は旭川市大町で地域に愛された床屋(理容室)が、
現代的なバーバーへと生まれ変わったお話です。

あの頃の床屋さんの記憶

地域に愛されていた商売が、オーナーの高齢化などで
廃業を余儀なくされるケースが増えているという。
事業を受け継ぐ人もおらず、自分が現場に立てるギリギリまでは立って、
あとは運命任せ。

今回紹介する物件は、創業者の急逝によって廃業してしまった
床屋・事務所・住居・共同住宅を含む複合型の建物だ。

〈ヘアーサロンナカジマ〉の名前で旭川市大町で親しまれてきた床屋さん。
夫の死後、残された老妻は廃業の道を選んだ。

小学生の頃、自分も近所の床屋に散髪しに行っていた。
2か月か3か月に1度くらいだったろうか。
ヘアーサロンナカジマのように地域に愛される床屋だった。
当時多くの小学生男子は「スポーツ刈り」と呼ばれる髪型で走り回っていた。
馴染みの床屋のおばさんにスポーツ刈りをお願いすると、
前髪は軽めに残し、後ろや横はバリカンで刈り上げてくれたものだ。

話慣れたおばさんがおらず、おじさんが切ってくれる日は少し緊張した。
気のせいか、スポーツ刈りもいつもより尖った仕上がりだった。
別の客と一緒になってしまったときなどは、
お客とおじさんの共通の趣味である野球の話に耳を傾けた。
自分にとって床屋に足を運ぶことは、連続する日常に現れた異空間に身を投じること。
あの古めかしくて重たい扉が、そこへの出入り口だった。

小学校5年生の夏、登校すると親友が、というか親友だと思っていたSくんが
もうひとりの友人Tくんと揃って茶髪になって現れた。
10歳の男の子ふたりが、当時で言う「ヤンキー」の象徴である
ブリーチした茶髪で登校してきたのだ。全校に衝撃が走った。

Sくんからこの計画についての連絡はまったくなかった。
なによりも、親友だと思っていた僕に誘いがなかったことに傷ついた。
当時、10年間生きてきて、茶髪にしたいと思ったことは一度もなかった。
このふたりを駆り立てたものが何だったのか、
考え始めるとその日は勉強に手がつかなかった。

数日後、ふたりは不自然な黒さにまで染め直された頭で登校してきた。
どこか自信なさげに振る舞うふたりをみて、親に相当絞られたんだろうと思いきや、
主導者はなんと母親ふたりだった。
思い返せばふたりの母親はいまでいうヤンママで、プリン頭で授業参観に来ていた。

何やら落ち着かない数日が過ぎた頃、校庭のジャングルジムの上で
Sくんに「どうやって髪の色を変えたのか」尋ねた。
ブリーチの仕組みなど知らない純朴な小学生だったのだ。

「美容室でやってもらったんだ。床屋なんてもうだせぇよ」

Sくんと僕は同じ床屋に通っていた。
お互いの家からちょうど真ん中くらいにあり、
切り終わってから互いの家で遊ぶこともあった。

スポーツ刈りにしたばかりのSくんがうちに遊びにくることはもうない。
しかも、僕が散髪に通っている「床屋」には、
ませた同級生は誰も通っていないらしいのだ。
小学生の自分には厳しい現実だった。ジャングルジムを降りる頃には、
幼稚園時代からドッジボール仲間だったSくんが別の道を歩んでいることを悟った。

横浜・野毛山〈藤棚のアパートメント〉
設計者自らが暮らし、
地域とつながる場へ

YONG architecture studio vol.1

こんにちは。〈YONG architecture studio〉の永田賢一郎と申します。

「リノベのススメ」では、2016〜2017年にかけて
〈IVolli architecture〉として掲載させていただき、今回は4年ぶりの連載となります。

IVolli architectureとして設計した〈藤棚のアパートメント〉を拠点に、
2018年から個人の設計事務所・YONG architecture studioとして横浜で活動を始め、
2021年現在、横浜市の野毛山エリアで新たに設計事務所兼シェアキッチンの
〈藤棚デパートメント〉、シェアアトリエ〈野毛山Kiez〉、
オフィス兼住居の〈南太田ブランチ〉など、複数の拠点をつくり活動をしています。
また現在では、長野県でも活動を始め、2地域でライフワークを展開しています。

今回の連載では、野毛山エリアに各拠点をつくった経緯やその後の変化を振り返り、
それらがつながることで生まれた新たな生活スタイルについて、
順を追って紹介してきたいと思います。

以前の連載では、藤棚のアパートメントのオーナー川口ひろ子さんとの出会いや
コンセプト作成の経緯をご紹介しました。
今回はその続編として、藤棚のアパートメントの完成後に
自ら設計したアパートに暮らすことで広がった地域との関わりについて、
振り返っていきたいと思います。

地域の住民として暮らすこと。ライフワークとしての建築

舞台は、横浜市戸部というエリアの5つの商店街が連なる藤棚町。
当時IVolli architecutreとして設計した藤棚のアパートメントが竣工したのは
2016年の12月。2013年に依頼をいただき、小規模ながら3年もかかった
壮大なプロジェクトでした(当時の苦労の様子はこちらから)。

藤棚のアパートメントは、ふたつの住戸の間に、
第三者が利用できる共有部を設けているミニマムなシェアアパートです。
アパートの入居者が使うだけでなく、
ワークショップなどでも使える場所を建物の真ん中に設けることで、
いろんな人がアパートに関われるきっかけをつくっています。

2住戸(茶色の部分)の間にL字型の共有部がある〈藤棚のアパートメント〉。共有部から庭につながっていく。

2住戸(茶色の部分)の間にL字型の共有部がある〈藤棚のアパートメント〉。共有部から庭につながっていく。

共有部と庭がつながり、建物の外にも居場所を広げることで、
たとえ小さくても、2住戸だけでも閉鎖的にならず、
地域に開かれた暮らしができると考えました。
各部屋の中にはお風呂、トイレ、ミニキッチンがあり
アパートの部屋としての機能は完結しているので、部屋に籠ることもできます。

部屋、共有部、そして庭。
暮らしのなかで周りとの距離感を調整できる場所づくりをしました。

天気のいい日はみんなで庭を楽しむ。

天気のいい日はみんなで庭を楽しむ。

共有部ではワークショップも開催。

共有部ではワークショップも開催。

設計の仕事をしていると、設計した先の暮らし方について提案することはあるものの、
引き渡したあとの使い方はお客さんに委ねることが大半です。

ですが、藤棚のアパートメントでは、自ら提案した
“小規模ながら広がりのある暮らし方”が実際どのようなものになるのか体験してみたい、
また、建築家が地域で暮らすことで設計以上にできることがあるのではないか、
という思いが大きくなり、自ら入居して運営もすることにしました。
日々暮らすことが設計のフィードバックにもつながり、自分自身の勉強にもなります。

考えれば、すべての人はどこかの地域で日々暮らしているわけです。
自分の身の周りの環境に目を配ること、“自分ごと”として地域で活動していくことが、
建築を生業とする人間の使命のような気もしていました。

庭につながる共有部。

庭につながる共有部。

家具からキャンプギアまで、
ものづくりの楽しみは
家の中から外へ無限に広がる

買ったものを探すほうが難しい。手づくりに満たされた家

JR四日市駅から、鈴鹿山脈のほうへ向かって車で15分ほど。
大通りから1本入った静かな住宅街に、
伊藤芳樹さん、恭子さん、碧泉(あおい)くん、愛犬のかんぱちが暮らす住まいはある。
BESS〉の〈WONDER DEVICE〉は暮らしを楽しむための“装置”というコンセプト。
なかでも伊藤家が暮らす「PHANTOM(ファントム)」は
一面がガルバリウムの外壁に囲まれ、
外からは様子がうかがい知れない怪しげなムードが特徴的だ。

家の前には、切りそろえられた薪が太さや樹種ごとに整然と積まれ、
その上では、先日入手したばかりだというグリーンのカナディアンカヌーが存在感を放つ。
枕木を敷いたアプローチには、端材でつくったポストや流木の手すりが取り付けられ、
この数メートルを歩いただけでも、
伊藤さん一家が、この家での日々を楽しむ様子が伝わってくる。

35センチにきれいに切りそろえられた薪。1年半乾燥してようやく使用できる。

35センチにきれいに切りそろえられた薪。1年半乾燥してようやく使用できる。

「ここはぼくが積んだんだよ!」と、
薪棚の一角を指差す碧泉くんに続いて玄関へ向かうと、
芳樹さん、恭子さんが出迎えてくれた。
一歩中に足を踏み入れると外観のクールな印象とはうって変わって、
木の温かみあふれるやさしい空間が広がっている。

「ダイニングテーブルと椅子以外は、ほとんど自分でつくりました」

そう芳樹さんが話すとおり、リビングのテレビボードから琉球畳の小上がり、飾り棚、
2階ワークスペースのカウンターや、子ども部屋の秘密基地のようなロフトまで、
7年間にわたりコツコツとつくってきた家具や雑貨が、空間を彩っている。

年輪の模様がかわいい薄い板を、扉に貼ったテレビボード。

年輪の模様がかわいい薄い板を、扉に貼ったテレビボード。

2階にある芳樹さんのワークスペース。ホウノキの一枚板のカウンターも自作

2階にある芳樹さんのワークスペース。ホウノキの一枚板のカウンターも自作。

それだけではない。
5年ほど前から親子で毎月のようにキャンプに出かけている芳樹さんは、
テントやタープ、ローチェアなど、キャンプギアまでも自作して楽しんでいる。

「先日、ついに家庭用の溶接機も導入し、鉄の丸棒で『焚き火ラック』をつくったんです」

何かほしいものがあるとき、まずは自分でつくれないか、
調べることが習慣になっているという芳樹さん。

「彼は好きになるとのめり込むタイプで、以前、釣りにはまったときも、
竹を削って釣り竿を手づくりして、『売ってほしい』と頼まれるほど上達していました」
と恭子さんは話す。

横型の多い薪ストーブだが、芳樹さんは縦型のシンプルな形がお気に入り。

横型の多い薪ストーブだが、芳樹さんは縦型のシンプルな形がお気に入り。

小松市〈パンの朝顔〉
居酒屋の一角に併設された2坪のパン屋

SWAY DESIGN vol.4

石川県を拠点に、住宅・オフィス・店舗のリノベーション、
不動産の有効活用を提案する不動産事業などを展開する、
〈SWAY DESIGN〉永井菜緒さんの連載です。

今回は石川県小松市、売場面積が2坪弱のパン屋の事例です。
同建物内には店主の家族が営む居酒屋、隣の敷地には打ちっ放しのゴルフ場が並ぶ、
不思議な複合施設ができあがった経緯をご紹介します。

写真中央の白く囲われている部分が〈パンの朝顔〉。居酒屋の一角をパン屋につくりかえ、ポーチ部分のみを増築し、屋外階段を設けた。パン屋部分は間口1.7メートル、奥行2.4メートルの売り場があり、カウンター奥の厨房部分で居酒屋とつながる。最小限の増築で居酒屋とパン屋を共存させた。

写真中央の白く囲われている部分が〈パンの朝顔〉。居酒屋の一角をパン屋につくりかえ、ポーチ部分のみを増築し、屋外階段を設けた。パン屋部分は間口1.7メートル、奥行2.4メートルの売り場があり、カウンター奥の厨房部分で居酒屋とつながる。最小限の増築で居酒屋とパン屋を共存させた。

家族の店の敷地内でパン屋を始めたい

店主は高校の同級生である吉野克俊さんとその妻の麻子さん。
長年パン屋に勤めてきた麻子さんがパン職人、克俊さんが経営を担うかたちで、
2017年5月に〈パンの朝顔〉が開業しました。

当初の依頼内容は、以下のふたつ。

・夫婦ふたりでのスタートなので、まずは小さく始めたい。

・店主の母が営む居酒屋〈味処あさぶ〉の敷地内の余白に店舗を構えたい。

お隣には父が営むゴルフ練習場があり、敷地は潤沢でした。

ビフォー。左手に見える鉄柱がゴルフ練習場〈八幡ゴルフセンター〉。駐車場を挟み、右手に居酒屋の〈味処あさぶ〉がある。間にはふたつの施設の共有駐車場。

ビフォー。左手に見える鉄柱がゴルフ練習場〈八幡ゴルフセンター〉。駐車場を挟み、右手に居酒屋の〈味処あさぶ〉がある。間にはふたつの施設の共有駐車場。

しかし、車社会の地方では駐車場の確保が必須。
この場所に来る人たちは日中はゴルフ、夜は居酒屋が目的で、
どの時間帯も駐車場が満杯になることも多く、駐車場を減らすのは得策ではありません。

そこで、駐車場として使われていない建物の北側の余白スペース、
または南側の居酒屋出入り口付近に建物を増築するかたちで検討がスタートしました。

那須〈板室温泉大黒屋〉で
アートと温泉に浸かる

下野の薬湯、板室温泉

那須連山の西端、深い山間に佇む湯治の里「板室温泉」。
その歴史は古く、平安時代に発見され、
「下野(しもつけ)の薬湯」と親しまれるように。
今では昔ながらの情緒と温泉文化が残る通りにモダンな旅館が立ち並び、
懐かしさと新しさが調和する温泉地として観光客を集めています。
その板室温泉に佇む老舗宿が、〈板室温泉大黒屋〉。

保養とアートの宿〈板室温泉大黒屋〉。

保養とアートの宿〈板室温泉大黒屋〉。

こちらは、アート愛好家やアーティストから噂を聞いて、
いつかは泊まってみたいと思っていた場所。
1551年に創業した老舗旅館でありながら、
ギャラリーや〈菅木志雄 倉庫美術館〉を併設し、
館内のあちこちに作品を配した、アートを取り入れている宿なのです。

小川に架かった小さな橋を渡り敷地に入っていくと、
鳥居のような形をした木の門が現れ、庭が見えてきました。
この庭は、世界的に知られる現代美術作家、菅木志雄さんの作品。
絶妙なバランスでもみじや岩石、オブジェなどが配されており、
そばを流れる川の向こうには紅葉した山肌が迫っています。

菅木志雄『木庭・風の耕路』(2009)。木の門は、大黒屋代表の室井俊二さんの「風」をつくってほしいという希望に菅さんが応えて手がけたもの。(撮影:宮越裕生)

菅木志雄『木庭・風の耕路』(2009)。木の門は、大黒屋代表の室井俊二さんの「風」をつくってほしいという希望に菅さんが応えて手がけたもの。(撮影:宮越裕生)

傍らの囲炉裏からは煙があがっており、薪の上には、大きな鉄瓶が。
宿泊客はここで自由にお茶を淹れて飲めるのですが、
その一服が、何とも言えずおいしい。
山の空気とともにいただくお茶の味は、格別です。

玄関

囲炉裏のそばには作家ものの湯呑みが多数置いてあり、好きな器で飲めるようになっています。

囲炉裏のそばには作家ものの湯呑みが多数置いてあり、好きな器で飲めるようになっています。

客室はすべて、那珂川に面した南向き。
窓からは山の緑が見え、川の音が聴こえてきます。
室内は黄土の壁や木目の美しい家具など、自然の素材を生かした落ち着く空間。

フロント主任の池田春子さんによると、
シングルルームは、物書きの方も気に入っている部屋なのだとか。
突然訪れ、一気に仕事を仕上げていくこともあるそうです。

松の館のシングルルーム。このほかに梅の館、竹の館があり、和室や和洋室もあります。

松の館のシングルルーム。このほかに梅の館、竹の館があり、和室や和洋室もあります。

朝ごはんと夜ごはんは、お部屋で(写真は朝食)。体の中から健康になるように、化学調味料などは一切使わず、地のものを生かし、ていねいにつくられた料理がいただけます。料理の味は、もちろん絶品。

朝ごはんと夜ごはんは、お部屋で(写真は朝食)。体の中から健康になるように、化学調味料などは一切使わず、地のものを生かし、ていねいにつくられた料理がいただけます。料理の味は、もちろん絶品。

楽しみにしていた温泉は、こんな感じ。

源泉かけ流しの「露天の湯」。このほかに「ひのきの湯」や「たいようの湯」、黄土浴「アタラクシア」があります。

源泉かけ流しの「露天の湯」。このほかに「ひのきの湯」や「たいようの湯」、黄土浴「アタラクシア」があります。

露天風呂も川に面しており、川のせせらぎを聞きながら温泉につかれます。
泉質はアルカリ性単純泉で湯温は約40度。
刺激が少なくいつまでも入っていられるので、ゆっくり温まれました。

建築家・長坂常の旅コラム
「幕末の徒歩旅に思いを馳せて
距離感覚の歪みを体感する」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第15回は、建築家の長坂常さんによる日本列島を歩く旅。
幕末の世まで歩いて移動していた日本人を倣い、
日本各地を歩く。
歩いたからこその発見には、どんなものがあったのだろうか。

佐賀の唐津から歩いてどこまで行けるのか?

2018年、珍しく大河ドラマ『西郷どん』にハマって毎週見逃さず見ていた。
そのときに薩摩(鹿児島)から「江戸に行ってきもす」と言って
次の場面では江戸にいたり、
「薩摩に戻りもす」と言ったら次には薩摩にいたりする西郷どんを見て、
「そんな簡単に行けるのか?」って思った。
そして何を血迷ったか2018年の夏、佐賀県の唐津に行ったときに、
2日間ほど時間があったのでどこまで歩いて帰れるかと、
家族と別れ、ひとり歩いて帰ったことがあった。

この旅は、何回か重ねて九州から北海道までたどり着く野望を持っており、
出張などにかこつけてコンプリートできたらと思っている。
その1回目、同時に唐津を離れた家族が新横浜に着いたとメールをもらった頃、
僕はまだ福岡付近の海岸をうろちょろし、
いつものように海岸に上がっているゴミを漁っていた。

海岸にはたくさんゴミが打ち上げられていることはみんなが知っていると思うし、
あまり喜べないできごとではあるが、
僕は悪趣味なのかその辺のゴミの収集癖がある。
そのひとつひとつの形状を見てそこまでの変遷を想像し、
小さな発見をいくつもして、それを楽しむ。

例えば、ボールは削られるとずっと丸く小さくなっていくのかと思いきや、
意外に傾いた形になったりする。ロープも大半が微塵もなくなるが結び目だけが残る。
レンガのような固いものも発泡スチロールのように団子状になったり、
ペットボトルのキャップは不安定な形をしているせいか、
変なねじれ方をして変形している。

そんな小さな発見をビニール袋いっぱいに詰めながら歩くのが趣味で、
そのときもいつものようにそれをやりながら少しずつ東京に近づいて行った。

旭川市〈nest co-living〉
名匠・佐藤武夫が設計した歯科医院を
コワーキングスペースへ

野村パターソンかずたか vol.4

北海道旭川市で、リノベーションや不動産事業を営みながら、
アーティストインレジデンスなど地域の文化事業を企画・運営する、
野村パターソンかずたかさんの連載です。
元ミュージシャンで世界の都市を巡った背景から、
地元・旭川市にて多様なコンテンツをしかけています。

今回は旭川市と稚内市をつなぐ国道40号線沿いにある歯科医院が、
コワーキング&イベントスペースにリノベーションされた事例をお届けします。

苦境の先に希望は見えるか

旭川がまた有名になっている。
感染拡大が止まらない新型コロナウイルスの猛威によって引き起こされた
複数の病院クラスター。旭川という字面が頻繁にメディアに上がり、
見慣れていたはずの市長がどこか遠くの人になってしまったようだ。

市内の中心部にひしめく飲食店のネオンサインと
誰も歩いていない通りのコントラストは世紀末を感じさせ、
SF小説の世界観が突然この小都市にやってきたような錯覚すら覚える。

空き店舗の看板が増えているのは気のせいではない。
これまでもずっと空いていた店舗に借り手募集の看板が出ている。
物件を放置する余裕のあった人々も切羽詰まってきたのか、
それとも不景気が引き起こす店舗のダウングレードなどの
引っ越し需要を見越してのことだろうか。

ここから地方の不動産はさらに変わっていくだろう。
ベトナム戦争の頃に都市を脱出し地方で自給自足を始めた人々のような流れが、
バブル崩壊や東日本大震災などの頃にもあったと聞いた。

豊かな自然と、価格が暴落した大量の不動産、そして人々のアイデア。
苦しい状況だが、新しい指標を持つ人々の草の根運動が盛り上がることで、
地方の不動産の流通、ひいてはリノベーションの流れが加速することは一筋の希望だ。

国道40号線沿いの目立つ場所に位置する〈nest co-living〉。

国道40号線沿いの目立つ場所に位置する〈nest co-living〉。

地続きの土地は高くても買え

「人の行く裏に道あり花の山」ではないが、
野村家は先代からなかなかのアイデアマンで、
誰も欲しがらない物件や土地に目をつけて運用していたらしい。

旭川市と稚内市を結ぶ国道40号線は全長300キロほどもあり、
これを北上するだけで北海道の景色を次々に楽しむことができる。
10年以上前、この国道沿いの旭川中心部から遠くないところに
変形地が売りに出ていた。

長いこと売り手がつかず、ずっと空き地だった土地を父は購入し、広告を立てた。
交通量は市内でもトップクラスだった場所なので、
住居や店舗にはできなくても、広告を設置するなら効果は抜群と考えたからだろう。

ある日不動産会社から電話が入り、すぐ横の「上物(ウワモノ)ありの土地」を
更地にするから買わないかという相談が来た。

土地情報で「上物あり」と書いてある場合、
それは不動産会社の判断で利用が難しいと認定された建物が建っていることになる。
いまでこそ「改修すればまだまだ使えます!」という触れ込みの広告は増えたが、
少し前までは内部のダメージがひどいものや老朽化したものは
すぐに「利用不可」の烙印を押されていた。

歯科医院兼住居。実は父からの事後報告でこの物件の購入を知った。
前回の話にも通じるが、地続きの土地だし、解体する可能性も含めて
あとで自分たちで考えればよいという判断らしい。
父本人も具体的な活用アイデアはないようだったが、もう一度書く。
それほど「地続きの土地は大事」らしいのだ。

2階建の歯科医院兼住居。レンガと大きなドアや窓枠が特徴のエントランス。

2階建の歯科医院兼住居。レンガと大きなドアや窓枠が特徴のエントランス。

同じログハウスが並ぶ双子住宅。
「となり暮らし」という
不思議なコミュニティを育む

かつての長屋のような暮らし

静岡県袋井市に、住宅メーカー〈BESS〉の「G-LOG」というモデルのログハウスが
2軒並んでいる。それはまったくの偶然だという。
G-LOGは三角屋根で、広いベランダ「NIDO(ニド)」が特徴的。
1階にもウッドデッキがあり、
外と内がゆるやかにつながっているような感覚で暮らすことができる。

道路に面した玄関側から脇を抜けて、庭側に回ってみると、
茶畑が目の前に広がる庭があった。そして後ろを振り返ると、
まるで双子のように同じ家がかわいく並んでいるのがわかった。

先に家を建てたのは萩田秀樹さん、美紀さん、瑚菜ちゃん、登羽くん一家。
2019年8月に完成した。

茶畑が見えるNIDOからの眺望。

茶畑が見えるNIDOからの眺望。

「この土地にBESSのG-LOGを建てようと決めたときは、
当然、となりは何も建っていない更地でしたので、どんな家が建つかわかりませんでした。
妻とは、「BESSユーザーが来たらおもしろいね、なんて冗談は言っていたんですけどね」
と言う萩田さん。

萩田秀樹さん、美紀さん、瑚菜ちゃん、登羽くんの4人家族。

萩田秀樹さん、美紀さん、瑚菜ちゃん、登羽くんの4人家族。

一方で、となりに家を建てたのは竹本忠弘さん、真奈美さん、灯里ちゃん一家。
候補の土地を見て回るうちにこの場所を見つけて気に入った。
そのときはまだ萩田邸は建っておらず、
となりに自分が建てようと思っていた同じG-LOGが建つことを知ることになる。
その情報はすぐにとなりの萩田さんに伝わり、
浜松のLOGWAY(BESSの単独展示場)で初対面。
即座に意気投合、交流が始まった。

竹本忠弘さん、真奈美さん、灯里ちゃん。

竹本忠弘さん、真奈美さん、灯里ちゃん。

「同じ土地で同じ家なんて、
絶対に感覚が近い人が来るはずなので楽しみしかありませんでしたね」と笑う萩田さん。

竹本さんは建築中に何度も現場に足を運んでいるが、
すでにとなりに住んでいた萩田さんは、頻繁に建築中の家の写真を竹本さんに送り、
現状報告などをしていた。ときには現場監督からの報告よりも早いくらい。
SNSを通じたやりとりや、竹本さんが見学に来た際に情報交換するなど、
暮らす前から交流を深めていった。

こうして2020年3月に竹本邸も完成。
かつてはひとつの建物を壁で仕切って複数の家族が生活する、
長屋というスタイルがあった。
あくまで個別でありながらも、ゆるいつながりを持つ暮らし方だ。
この2家族はまったく同じ建物に住み、暮らし始めた時期も7か月しか変わらない。
悩みやライフステージも近しいものがある。
いろいろなものがつながりながら、
不思議な「となり暮らし」のコミュニティが育まれていった。

同じG-LOGだが、竹本家(奥)は壁をオレンジにした。

同じG-LOGだが、竹本家(奥)は壁をオレンジにした。

加賀市〈さえ季〉
住宅会社のショールームを
和食店にリノベーション

SWAY DESIGN vol.3

石川県を拠点に、住宅・オフィス・店舗のリノベーション、
不動産の有効活用を提案する不動産事業などを展開する、
〈SWAY DESIGN〉永井菜緒さんの連載です。

今回は元住宅会社のショールームをリノベーションして生まれた、
加賀市小菅町にある和食店の事例です。
目指す事業と物件とのミスマッチへの挑戦、そしてマイナス条件を逆手にとったプラン。
そのプロセスをご紹介します。

夜になると行燈看板に光が灯る。建物正面は真っ白な壁にシンプルなこの看板がひとつだけ。

夜になると行燈看板に光が灯る。建物正面は真っ白な壁にシンプルなこの看板がひとつだけ。

やりたい事業と物件とのミスマッチ

JR北陸本線、加賀温泉駅から徒歩10分ほど。
周囲には飲食チェーン店や大型ショッピングモールなどがある、
加賀市の中心部に位置する和食店〈さえ季〉。
2017年8月のオープンから3年が過ぎ、
市内だけでなく県内各地から人が訪れる地元の人気店です。

既製品の椅子と壁紙、造作の障子とテーブル。コストと設えのバランスを意識して特注すべきものの選定を行った内装。

既製品の椅子と壁紙、造作の障子とテーブル。コストと設えのバランスを意識して特注すべきものの選定を行った内装。

このさえ季を営む佐伯真さんは、京都の老舗料亭を経て
石川県内の和食店に料理人として勤めたあと、独立し開業されました。

当初ご相談をいただいた際から、つくりたい店舗のイメージが明確で、
「和食居酒屋ほどカジュアルではない、でも割烹ほど敷居の高いものにはしたくない」
というご依頼。

店舗設計の依頼を受ける際、物件を見立て一緒に選ぶパターンが多いなか、
今回は物件がすでに賃貸契約済という段階でした。

そこで、まずは建物の現場調査にうかがいます。
計画地は片側2車線、加賀市の主要道路に面する木造平屋の賃貸物件です。

もとは住宅会社のショールーム兼営業所として使われていた建物。
入り口は洋風の両開きドア、庇(ひさし)には洋瓦。
建物内部がよく見える大きなはめ殺しのガラスが入った外観。

フランス瓦の乗った玄関ポーチ、両開きの洋風扉、奥へ行くにつれ天井高が低くなっているのが特徴の物件。

フランス瓦の乗った玄関ポーチ、両開きの洋風扉、奥へ行くにつれ天井高が低くなっているのが特徴の物件。

洋風であり、いま風な建物で、立地も良く、
事務所としての使い勝手は良さそうですが、
意図する“ちょっと粋な料理屋さん”をつくるには
方向性が大きくズレるな、というのが初見の感想でした。

ダウンサイズしても価値は変わらない!
ウィズコロナの
〈グッドネイバーズ・ジャンボリー〉

10+1回目の新たなイベントのかたち

2020年、11回目を迎えた鹿児島県・川辺で行われている
フェスティバル〈グッドネイバーズ・ジャンボリー(以下、GNJ)〉は、
これまでの夏開催から初めて時期を秋に移して無事終了しました。
新しいディケイドの始まりでもあり、
ひとめぐりして10+1回目のGNJはまさかのコロナ禍。
さまざまな葛藤はありましたが、
実行委員のみんなと10回目のGNJが終わった去年の秋から話し会いを続け、
新しいかたちを模索することとなりました。

夜な夜な議論する実行委員のメンバー。

夜な夜な議論する実行委員のメンバー。

コロナ禍でも実行委員のみんなが前提として話し合っていたのは、
どんなかたちになったとしても集いの灯を絶やさないようにしようということでした。
僕個人的にはたとえ実行委員の数人しか集まれなかったとしても、
「これがGNJだ」と言い切って場を開こうと考えていました。
一度中断してしまった流れを再起動させるのはなかなかパワーを要します。
バトンを渡し続けていくことが、僕らの活動にとっては重要だと思っていました。

これまでの歴史で感染症の脅威は何度もあったけれど、
人が集まること=祭りがなくなったことはなかったし、
どれだけオンラインが発達したとしても
僕らは鹿児島の「森の学校」という場所の力とともに10年やってきたので、
簡単にデジタルには頼らないという心づもりもありました。

フェスティバルの中で密を避けるさまざまな工夫。

フェスティバルの中で密を避けるさまざまな工夫。

東北の伝統工芸品「玉虫塗」を
モダンで使いやすくデザインした
〈TOUCH CLASSIC〉の新しい日用品

「観る」から「使う」伝統工芸品に

職人の技が光る伝統工芸品。
アート作品のようにインテリアのひとつとして
飾っているという人は少なくないのでは?

そんなちょっぴり敷居の高さを感じる伝統工芸品を
現代のライフスタイルに合った日用品として展開しているのが
〈TOUCH CLASSIC〉シリーズです。
宮城県仙台市で創業し約90年の老舗ものづくり工房
〈東北工芸製作所〉が手がけています。

東北の伝統工芸品「玉虫塗」を日用品として展開した〈TOUCH CLASSIC〉シリーズ

日々の暮らしに馴染む「黒」をベースの色に使用し、
東北・宮城に伝わるうるし塗りの技法である
「玉虫塗」を用いた器やグラスを展開しています。

建築中の余った木材を活用して
ほとんどの家具を自作。
DIYで家と暮らしを楽しむ

子どもの頃の憧れから変わることなく、木の家を手に入れた

愛知県蒲郡市の市街地から山へ向かって車を走らせていくと、
次第に周囲はみかん畑ばかりになる。
秋冬のシーズンにもなると、どの木にもたわわに実ったみかんを見ることができる。
そうした周辺の景観に馴染みながらも、
カフェと間違えてしまいそうな存在感がある〈BESS〉の「カントリーログ」が姿を現す。
この家に住むのは榊原裕之さん、幸枝さん、丸留(まる)くんの一家だ。

庭のベンチでくつろぐ家族3人。丸留くんはちょっと“おねむ”。

庭のベンチでくつろぐ家族3人。丸留くんはちょっと“おねむ”。

「子どもの頃、ログハウスに泊まる体験学習に行きました。
キャンプファイアをして、ダンスをして、おいしい料理を食べて。
その体験がとても楽しかったんですよね。
そのときから将来は絶対、木の家がいいなと決めていました」という裕之さん。

よほど強く印象に残ったのだろう。
鉄筋コンクリートマンションで暮らしていたときも、
自分の部屋の中に木を貼って暮らしていたという。
そして子どもの頃の思い出を強く持ったまま初志貫徹、
大人になってとうとう木の家を手に入れた。

シマトネリコの木がシンボルになっている庭。

シマトネリコの木がシンボルになっている庭。

木の家を建てるなら、場所選びも重要だ。
「せっかく建てるなら、自然があふれる場所がいい」というのは、
榊原さんに限らず木の家を望む人なら当然の気持ちかもしれない。
土地探しの当初は、まちなかも探していたというが、現在の里山の立地を見て
「理想的な“梺(ふもと)ぐらし”が想像できました」と即決だったという。

決めたときには近所に住む人たちが
「こんな何にもないところ、本当に大丈夫?」と声をかけてくれたとか。
「でも住んでみたら、田舎特有の人づきあいがあって。
歩いていたら声をかけてくれるし、お野菜も分けてくれたり、とても快適です」
と幸枝さんは笑う。

窓からはみかん畑が見渡せる。

窓からはみかん畑が見渡せる。

榊原夫妻の気持ちを動かしたものに、三角州のようなユニークな土地の形状もある。
建物以外の三角エリアは庭になっていて、シマトネリコがシンボルツリーとなり、
まるで公園のような佇まい。
植物を密集させることなく、ほどよいスペースを保っているので、
丸留くんがいくらでも走り回れるし、
裕之さんもテントを張ってキャンプを楽しんでいるそうだ。

広い庭は公園のよう。

広い庭は公園のよう。