旭川市〈理容室アパッシュ〉
地域に愛された床屋が
バーバーカルチャーの発信地へ

野村パターソンかずたか vol.5

北海道旭川市で、リノベーションや不動産事業を営みながら、
アーティストインレジデンスなど地域の文化事業を企画・運営する、
野村パターソンかずたかさんの連載です。
元ミュージシャンで世界の都市を巡った背景から、
地元・旭川市にて多様なコンテンツをしかけています。

今回は旭川市大町で地域に愛された床屋(理容室)が、
現代的なバーバーへと生まれ変わったお話です。

あの頃の床屋さんの記憶

地域に愛されていた商売が、オーナーの高齢化などで
廃業を余儀なくされるケースが増えているという。
事業を受け継ぐ人もおらず、自分が現場に立てるギリギリまでは立って、
あとは運命任せ。

今回紹介する物件は、創業者の急逝によって廃業してしまった
床屋・事務所・住居・共同住宅を含む複合型の建物だ。

〈ヘアーサロンナカジマ〉の名前で旭川市大町で親しまれてきた床屋さん。
夫の死後、残された老妻は廃業の道を選んだ。

小学生の頃、自分も近所の床屋に散髪しに行っていた。
2か月か3か月に1度くらいだったろうか。
ヘアーサロンナカジマのように地域に愛される床屋だった。
当時多くの小学生男子は「スポーツ刈り」と呼ばれる髪型で走り回っていた。
馴染みの床屋のおばさんにスポーツ刈りをお願いすると、
前髪は軽めに残し、後ろや横はバリカンで刈り上げてくれたものだ。

話慣れたおばさんがおらず、おじさんが切ってくれる日は少し緊張した。
気のせいか、スポーツ刈りもいつもより尖った仕上がりだった。
別の客と一緒になってしまったときなどは、
お客とおじさんの共通の趣味である野球の話に耳を傾けた。
自分にとって床屋に足を運ぶことは、連続する日常に現れた異空間に身を投じること。
あの古めかしくて重たい扉が、そこへの出入り口だった。

小学校5年生の夏、登校すると親友が、というか親友だと思っていたSくんが
もうひとりの友人Tくんと揃って茶髪になって現れた。
10歳の男の子ふたりが、当時で言う「ヤンキー」の象徴である
ブリーチした茶髪で登校してきたのだ。全校に衝撃が走った。

Sくんからこの計画についての連絡はまったくなかった。
なによりも、親友だと思っていた僕に誘いがなかったことに傷ついた。
当時、10年間生きてきて、茶髪にしたいと思ったことは一度もなかった。
このふたりを駆り立てたものが何だったのか、
考え始めるとその日は勉強に手がつかなかった。

数日後、ふたりは不自然な黒さにまで染め直された頭で登校してきた。
どこか自信なさげに振る舞うふたりをみて、親に相当絞られたんだろうと思いきや、
主導者はなんと母親ふたりだった。
思い返せばふたりの母親はいまでいうヤンママで、プリン頭で授業参観に来ていた。

何やら落ち着かない数日が過ぎた頃、校庭のジャングルジムの上で
Sくんに「どうやって髪の色を変えたのか」尋ねた。
ブリーチの仕組みなど知らない純朴な小学生だったのだ。

「美容室でやってもらったんだ。床屋なんてもうだせぇよ」

Sくんと僕は同じ床屋に通っていた。
お互いの家からちょうど真ん中くらいにあり、
切り終わってから互いの家で遊ぶこともあった。

スポーツ刈りにしたばかりのSくんがうちに遊びにくることはもうない。
しかも、僕が散髪に通っている「床屋」には、
ませた同級生は誰も通っていないらしいのだ。
小学生の自分には厳しい現実だった。ジャングルジムを降りる頃には、
幼稚園時代からドッジボール仲間だったSくんが別の道を歩んでいることを悟った。

writer profile

野村パターソンかずたか Kazutaka Paterson Nomura
のむらパターソン・かずたか●1984年北海道生まれ。旭川東高校卒業後に渡米し、 コーニッシュ芸術大学作曲科を卒業。ソロミュージシャンとして全米デビューし、これまでに600本以上の公演を行う。2011年に東京、2015年にニュージーランドへ移住し、IT企業で事業開発・通訳などを務める。2016年に旭川に戻り(株)野村設計に入社。遊休不動産の活用事業を3年で約20件行う。2020年に〈アーティストインレジデンスあさひかわ〉を立ち上げ、芸術家との交流を通した地域活性を開始した。

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