連載
posted:2012.12.3 from:茨城県水戸市 genre:アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
各地で開催される展覧会やアートイベントから、
地域と結びついた作品や作家にスポットを当て、その活動をレポート。
editor's profile
Ichico Enomoto
榎本市子
えのもと・いちこ●エディター/ライター。生まれも育ちも東京郊外。得意分野は映画、美術などカルチャー全般。でもいちばん熱くなるのはサッカー観戦。
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メイン画像:ヤノベケンジ「トらやんの方舟計画」
撮影:嶋本麻利沙(THYMON)
水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催されている「3.11とアーティスト:進行形の記録」。
2011年3月11日の東日本大震災を受け、表現活動をする作家たちのなかで何が起こり、
どんな表現が生まれたのか。その立場や姿勢、思いはさまざまで、
そんなアーティストたちの多様な表現、または活動が紹介されている。
この展覧会を企画した学芸員の竹久 侑さんは
「作家たちはさまざまな葛藤を抱えながらも活動してきましたが、
特に目立ったのは若手作家のコミュニティに入った活動。
震災からまだ1年7か月しか経っていませんが、
現在も一部の作家たちが活動を継続しているなかで、
どういうことが実際に行われているのか紹介したいと思いました。
作家の活動を介して、“あれから”の時間と“これから”を
考えていける企画になれば」と話す。
美術館に展示される作品というのは、通常は作品として発表されることが前提だが、
この展覧会ではその限りではなく、アーティストであるということ抜きにした
アクションも紹介されている。
作品としてつくられたもの、何らかの記録、
そして作品として発表することを前提としていなかった活動。
それらがひとつの会場に、時系列に沿って並べられている。
北澤 潤さんは、福島県相馬郡新地町の仮設住宅で
「マイタウンマーケット」というプロジェクトを展開した。
最初はボランティアとして避難所に通い、絨毯を編むという作業を始めた。
その過程で仲良くなった子どもたちのアイデアで、
でき上がった4畳ほどの絨毯の上で、小さな喫茶店を開く。
それがきっかけとなり、今度は仮設住宅でゴザを編む作業を始めた。
するとどんどん人のつながりができ始め、
子どもから大人まで多くの人が集まるようになった。
そこで北澤さんが提案したのが、自分たちのつくりたいまちを手づくりでつくる
「マイタウンマーケット」。
八百屋、パン屋、カフェ、レストラン、博物館、プラネタリウムなど、
地域の人たちが選んだまちを構成する要素を、仮設住宅のゴザの上につくっていった。
これまでに5回開催され、いまではまちの行事となりつつあり、
仮設住宅の外からも多くの人がやって来るという。
回を重ねるうちに、プロジェクトが成長してきたと北澤さんは感じている。
現在では「マイタウンマーケット」の実行委員会は30人ほどになり、
子どもがやりたいことをプレゼンして、大人たちがそれをどうかたちにするか話し合い、
住民たちの自立したプロジェクトとして動いている。
「マイタウンマーケットが、僕のものから地域のものに変わってきた。
ひとりで絨毯を編むことから始まって、こういう状況に至ってくる
プロセスが面白いと思っています」と北澤さん。
そしてこれは、災害支援活動でも公共的なまちづくりでもなく、
あくまでアートプロジェクトだという。
「手づくりのまちをつくるというのは、一見無意味のように思えるかもしれません。
ですがそれによって、地域の人のなかにある創造性が開花したり、
秘めているものが出てくる。
アートというのは、社会の一般的な価値観に結びついたものではなくて、
そういった人間本来が持っているものを呼び起こしていく作業だと思っています。
日常を捉え直したり、新しいアクションを起こすということは、
日常に問いや疑問を感じないと起こりません。
アーティストがその問いを地域に投げかけることによって、
その人たちの活動や創造性を呼び起こすのだと思っています」
サイトスペシフィックなインスタレーションを多く発表するニシコさんは、
会期中「地震を直すプロジェクト」の公開制作を行っている。
2011年の秋に被災地である仙台市、東松島市、亘理町を訪ね、壊れたものを持ち帰り、
それらをもとのかたちに戻すという公開制作を横浜で行った。
今回は、1年後に同じまちを訪れ持ち帰ったものを、展覧会の会場で直している。
最初は被災地の方たちからどんな反応があるか恐る恐る訪ねたが、
意外なことに大歓迎だったという。
「不謹慎だとか言われるのではと心配していたのですが、
遠くから来てくれてありがとうと言われました。
そして、実際の状況をよく見て、伝えてほしいとお願いされました」
ニシコさんは津波の体験談や日常生活の話を聞き、さまざまなものを持ち帰った。
割れたお皿、曲がった金属、アスファルトの塊……。
もはやそれらは誰のものでもない、ゴミだ。
彼女はもともと、アクシデントで割れたものを直すというプロジェクトをやっていたが、
それも今回も、持ち主のために修復しているわけではない。
「いったい何が起こったんだろうということを、
直すという行為を通して考えているんです。
アクシデントをきっかけに、ものの見方を変える、捉え方を変えるという試みです」
1年が経った被災地は、ニシコさんにどう映ったのだろう。
その場所、人を思いながら、彼女は壊れたものを直し続ける。
山川冬樹さんは、2011年の夏に東京で行われた「アトミックサイト展」に出展した
「原子ギター」を展示している。
ガイガーカウンターを使い、放射線を感知するとエレクトリックギターが鳴るしくみだ。
取材時は、茨城県の土から検出された放射線で音が鳴っていた。
「エレキギターは電気によって稼働します。
その電気は福島から送られてきた東京電力の電気。
僕らも電気がないと生活できません。
原発に反対の姿勢であっても、演奏するにも生活するにも電気が要ります。
その矛盾を、このギターが体現しているんです」
震災後、放射能に対する価値観の違いから、分断が起こっていると山川さんはいう。
どこに住むのか、何を食べるのか。
震災後にあらわになった価値観の相違に、戸惑った人も少なくないだろう。
「放射能の問題が人と人とを分断していることに対して、
強く抗議したい気持ちがあります。
福島とは距離があるけれども、明らかに影響がある。
物理的な影響も、心理的な影響も。
その距離感と、距離を隔てた関係性について考えた作品でもあります」
山川さんは「アトミックサイト展」のあと、
自ら「東京藝術発電所」という展示イベントを企画し、
そこでは自分たちが使う電力を自分たちで発電した。
矛盾から一歩前に進み、自分たちが行動しなければいけないというメッセージでもある。
この展覧会が始まる前、プレ企画として、写真家の畠山直哉さんと、
映像作家の小森はるかさん、絵描きの瀬尾なつみさんコンビによるトークが、
東京で開催された。
小森さんと瀬尾さんは、東京藝術大学大学院修士課程に在籍中の若い作家。
彼女たちは震災後まもない2011年3月末に車で東北に向けて出発し、
ボランティアをしながら、実際に自分たちの目で見た状況や確かな情報を、
ブログやツイッターで発信していく。
最初は作品をつくるかどうかということも考えず、
とにかく現地に行くことが大事だと直感し、行動した。
あまりの状況に撮影することを躊躇したが、宮古で出会ったおばあさんに
「私が見られないものを見て、撮影してほしい」と言われ、カメラを取り出せたそうだ。
それ以降も東北に通うようになり、今年の4月から、
陸前高田市や大船渡市にほど近い、岩手県気仙郡住田町に移住した。
瀬尾さんはこう話す。
「最初はできる範囲のボランティアをしようと思っていましたが、
私たちは美術をやっていて、表現するということを信じています。
ここで起きていることをかたちにして、表現にまで高めるということを、
私たちがしなければいけないと思った瞬間がありました。
ここで作品をつくるということを意識したときに、拠点を決めて引っ越そうと思いました」
展示したのは、陸前高田に住むおばさん“Kさん”の話をもとに、
瀬尾さんが構成したテキストとドローイング、小森さんによる映像からなる作品。
小森さんは「いつも自分の映画をつくるときは、漠然とイメージがあって、
そのために必要なものを撮っていくということをしていましたが、
今回はそれとはまったく違いました。
撮りためた映像を見返すと、自分が撮りたかったものというよりは、
誰かが必要としているものが映っている気がします。
そしてそれはすごく切実で、現実的なことでした」という。
瀬尾さんは日々、陸前高田のまちを歩き、写真を撮り、
その写真を見てスケッチする、という行為を繰り返して制作した。
「いまこの光景がすごくきれいだなと思う瞬間があっても、
震災後の風景を見てそう思うことを、地元の人たちに対して言えませんでした。
それは辛いことかもしれないから。だから直接的に言うのではなく、
私の視点ではこう見えているということを描いています。
その絵を地元の人に見せたら喜んでくれました。
この土地と、自分が歩くという行為や描くという行為が、
全部きちんと回り始めた気がしています。
そういうあり方のなかで、たくさん絵を描いていきたいと思っています」
畠山さんは、震災直後の2011年3月18日に、故郷の陸前高田に入り撮影を開始。
以降もほぼ毎月撮影を続けてきた。
そのシリーズは「陸前高田」「気仙川」として、
昨年、東京都写真美術館で開催された写真展「Natural Stories」で発表された。
今回の展示では、未発表のものも含め、これまで撮りためられたものから紹介されている。
「僕の場合は、自分を奮い立たせて、自分ができることはこうだからこうしよう、
ということではなくて、もう少しパッシヴです。
いてもたってもいられなくなって現地に行って、
自分ができることはこれくらいなんだな、という感じ。
そのなかで最高のパフォーマンスをしようと思っているだけです」
展覧会のカタログのために作家たちに投げられた問いに
「震災後、もしアートにできることがあるとしたらそれはどういうことですか」
という内容のものがあったそうだ。
それに対して畠山さんは、その問い自体が成立しないのではないかという。
「アート」や「アーティスト」という概念は
近代的な歴史観や美術史のうえに成立しているものであり、
未曾有の大災害によってあらゆるものが流されてしまったときに、
近代的な「アート」はそれに対抗しうる語彙を持っていないのではないか、というのだ。
が、一方で、畠山さんの写真のなかには、そしてほかの作品のなかにも、何かがある。
「アートか何かわからないけれど、“何事か”がある。
僕はその“何事か”が気になるし、大事にしたいと思っています。
それはアートではないと簡単に断言できるものではない、とても大切なものです。
それをアートと呼ぶかどうかの議論も必要だろうけど、
“何事か”が持っているリアリティのほうが、アートの概念よりも強いような気がします」
そして、小森さんと瀬尾さんを見て
「彼女たちを見ていると、アートに何ができるかという問い以前に、
回答が出ていると思いますよ」と言った。
さまざまなスタンスで作品を発表する作家たち。
その表現活動は、これからも変容しながら続いていくはずだ。
information
3.11とアーティスト:進行形の記録
2012年10月13日(土)~12月9日(日)
水戸芸術館現代美術ギャラリー
9:30~18:00(入場は17:30まで)月曜休館
http://arttowermito.or.jp/
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