連載
posted:2020.12.8 from:鹿児島県南九州市川辺町 genre:活性化と創生 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
音楽家である坂口修一郎さんは、フェスの運営やコミュニティづくりのために、
東京と鹿児島、さらには日本のローカルを移動し続けています。
坂口さんが体現している新しい働き方やまちづくりを綴ってもらいました。
text
Shuichiro Sakaguchi
坂口修一郎
さかぐち・しゅういちろう●BAGN Inc.代表/一般社団法人リバーバンク代表理事
音楽家/プロデューサー。1971年鹿児島生まれ。93年より無国籍楽団〈ダブルフェイマス〉のメンバーとして音楽活動を続ける。2010年から野外イベント〈グッドネイバーズ・ジャンボリー〉を主宰。企画/ディレクションカンパニー〈BAGN Inc.(BE A GOOD NEIGHBOR)〉を設立。東京と鹿児島を拠点に、日本各地でオープンスペースの空間プロデュースやイベント、フェスティバルなど、ジャンルや地域を越境しながら多くのプレイスメイキングを行っている。2018年、鹿児島県南九州市川辺の地域プロジェクト〈一般社団法人リバーバンク〉の代表理事に就任。
credit
GNJ Official Photo:Hiroki Isohata, Hanayuki Higashi
2020年、11回目を迎えた鹿児島県・川辺で行われている
フェスティバル〈グッドネイバーズ・ジャンボリー(以下、GNJ)〉は、
これまでの夏開催から初めて時期を秋に移して無事終了しました。
新しいディケイドの始まりでもあり、
ひとめぐりして10+1回目のGNJはまさかのコロナ禍。
さまざまな葛藤はありましたが、
実行委員のみんなと10回目のGNJが終わった去年の秋から話し会いを続け、
新しいかたちを模索することとなりました。
コロナ禍でも実行委員のみんなが前提として話し合っていたのは、
どんなかたちになったとしても集いの灯を絶やさないようにしようということでした。
僕個人的にはたとえ実行委員の数人しか集まれなかったとしても、
「これがGNJだ」と言い切って場を開こうと考えていました。
一度中断してしまった流れを再起動させるのはなかなかパワーを要します。
バトンを渡し続けていくことが、僕らの活動にとっては重要だと思っていました。
これまでの歴史で感染症の脅威は何度もあったけれど、
人が集まること=祭りがなくなったことはなかったし、
どれだけオンラインが発達したとしても
僕らは鹿児島の「森の学校」という場所の力とともに10年やってきたので、
簡単にデジタルには頼らないという心づもりもありました。
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ではどうしたらこの状況下で無理なくイベント運営ができるか。
感染症に対して、基本的には検温や消毒、飛沫を避ける設えなどといった
ベーシックなことを徹底。
高齢者も多い過疎地域なので、地元で暮らしているみなさんに対して
脅威になったり心配をかけるようなかたちにはできない。
とにかく「不特定多数」が「密集」することを避ける。
これまでのイベントのあり方を見直して、
そのなかでコンテンツをどう充実させていくかを考え、実行していくしかありません。
そこで今年はチケットを200枚限定、ネットのみでの販売とすることで
「特定」できる「少数」の人数での開催として、
感染者が報告されてもその場にいた人を特定して連絡ができるようにしました。
万が一があったとしても、少なくとも感染の拡大を抑えることはできます。
例年多数集める個店の出店はなくし、
フードやドリンク、ワークショップなどのプログラムの提供は、
生産者とシェフやクラフトマンをつないで小規模に。
手伝ってくれるスタッフも特定して、
実行委員会側ですべてをコントロールすることにしました。
ゴミステーションも例年大きなブースを構えて、
来場者みんなで分別をするようにしていましたが、
今年はこちらで用意するものは全部燃やせる紙製のものにしました。
ペットボトルは駆逐し、ソフトドリンクも瓶に統一して
すべて回収して返却するようにしました。
例年出していたシャトルバスも密を避けるためになくして、
市内や空港、駅からマイカーやレンタカーで会場まで直接来てもらい、
周囲地域の集落やお店には立ち寄らない「直行直帰」を来場者にはお願いしました。
カーボン・オフセット的にはバスを出したほうがいいのですが、
今年ばかりはしょうがない。
現金のやりとりも極力減らすため、
実行委員のメンバーの革職人〈RHYTHMOS〉の
仕事の過程で出る端材をみんなで加工して5000枚のコインをつくり、
換金所を1か所設けて、
場内ではそのコインだけでサービスの提供を受けられるように変えました。
イベント内だけの地域通貨になって、
飲食やワークショップなどのオペレーションもかなりスムーズになったと思います。
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入場者を限定にしたことで、
コンテンツを発表する前にほぼチケットを消化することになりました。
早々とチケットを売り切ったことは、思いのほかさまざまな副産物を生みました。
事前に予算が確定するので、
そのなかでコンテンツを組み立てることができるようになります。
規模を限定的にしたことで確かにイベントとしての収入は減りますが、
最初から収入が確定していれば、
コンテンツもそれに合わせて減らすなり規模を小さくするなりダウンサイズすればいい。
例年だと、当日チケットもあるので全体像はイベントが終了するまでわかりません。
野外イベントなので直前の天気予報にも動員は左右されたりして、
それも不確定要素でした。
しかし、コンテンツとそれに伴う支出は先に確定させなければいけないので、
収支がどうなっているのか正確にはわからず(だいたいは毎年赤字ですが……)、
やきもきしながらイベントを開催するというのが常でした。
それがなくなったのは主催側としては精神衛生上も楽でした。
当日のことでいえば、フードブースのロスが減りました。
これまでだと動員数が当日蓋をあけないとわからないので
食数を多めに用意しなければなりません。
出店も個店に委ねていたので、早々と売り切れてしまって、
夜、食べ物が足りなくなってしまったり、
逆に大量に売り残したりということもありました。
今年はこれも人数が確定しているので細かく計算して用意することができ、
イベントが終了すると同時に、ほぼ過不足なく完売させることができました。
そして、人数が少ないことはイベント空間のクオリティを高めることにもなりました。
今年は限定チケットの来場ゲストが200名。
実行委員会とブースなどの関係者100名の総勢300名。
例年だとスタッフを含めると1700〜2000名近い動員でしたから5分の1くらいの規模。
森の学校は周囲の森の開拓が始まったことで、
使える面積がこれまでの1.5倍の約4500坪になっています。
単純計算ですが、スタッフを入れてもひとり当たりが使える面積は15坪。
空間としてはこれ以上の贅沢はありません。
都会のイベントだったら限られたVIPだけが享受していた空間が、
ここでは全員に対してシェアできます。
そもそも来場者に対して対応するスタッフの割合は2対1。それだけでも贅沢です。
実行委員も場のコントロールに対する負荷が下がって運営もスムーズになり、
ほぼすべてをボランタリーにこなしているコミュニティのフェスティバルなので
運営側もリラックスして振る舞える。
それがまたゲストにも伝わり、穏やかな空気が流れることにもなったと思います。
いままでの動員数はそれだけ予算も使えたので
ダイナミックな演出も可能だったのですが、
量より質の高い空間と穏やかな人々の集まる風景は、
お金をかけなくても十分実現できる。
ある意味ではお金をかけない方向で考えたほうがプレッシャーも少なく、
余裕を持ってつくれる可能性も高まります。
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今年の実験的な運営でわかったのは、人数の多寡では、
僕らがつくってきたGNJのコアな楽しみは変わらないということでした。
また安心してみんなが集まれるようになれば限定数などの制限は外すこともできるし、
たくさんの人出で盛り上がることもできる。
コロナ禍によって僕らはどちらに振ることもできるという自由を得たようにも思います。
イベントの価値は、本質的には定量化できる価値(動員数や売り上げ)だけでは
量ることはできません。
その企画でどれだけ深いコミュニケーションができたか、
参加した人たちの満足度がどれくらい高かったか。
そのイベントの目的にもよりますが、
特に僕らのような小さいコミュニティの集まりの場合
(地域の祭りなどはほとんどそうだと思います)、
実は動員は少ないほうが
空間やコンテンツという限られた資源を豊かに分配することができます。
そもそも数万人規模のフェスティバルのステージになると、
大きくなればなるほどアーティストとオーディエンスの距離は離れていきます。
人がステージ上の演者の表情まで認識できる距離は25メートルまで。
さらにその人の特徴まで特定できる距離は
だいたい70メートルだといわれています
(『人間の街:公共空間のデザイン』ヤン・ゲール著より)。
それ以上は誰が何をしているのか肉眼ではよくわからなくなるため、
結局、同じ会場にいても大型のモニターを見るということになります。
大動員のイベントならではのバジェットと
それでなくては実現できないコンテンツというものはあります。
そこでしか体感できない音圧の快感や一体感もよくわかります。
しかしすべてがこの方向に行く必要はないと思います。
コロナ前、日本全国に500以上はあるといわれていた地域の小規模フェスティバルは、
その目指すところを考えればむしろ少数のほうがいいという場合もたくさんあります。
みんなが同じ方向を目指す必要はないということがより明確になりました。
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適切な処置をしていればクラスター化は防げると思いますし、
仮に感染が発生したとしても感染した人や場を非難するだけでは社会は前に進めません。
ウィズコロナの状況は当分続き、
コロナ前のような状況には簡単には戻らないと思います。
それでも人と人が出会い新しいことが生まれるというのは
これからも変わらないはずです。
根本的にイベントというのは、それ自体が目的なのではなくて手段でしかない。
これからはイベントとその先に実現したい世界のあり方のビジョンがより求められる。
そのかたちが明確でなければウィズコロナの時代にはさまざまな選択と集中が起きて、
存続できない祭りやフェスティバルも出てくると思います。
新型コロナウイルスが僕らに突きつけてあらわになった問題を見極めながら、
それでも楽しくイベントを開催し暮らしていくには。
そんなことを考えた10+1回目のグッドネイバーズ・ジャンボリーでした。
このコロナ禍でも少しの勇気を持って一歩踏み出して来場していただいたみなさん、
本当にありがとうございました。
さまざまな立場もあって今年は参加できなかったという人もたくさんいました。
むしろそうして遠くから見守ってくれた人たちがいたからこそ、
少ない人数に限定しても開催ができたともいえます。
そんな人たちにも感謝をしたいと思います。
グッドネイバーズ・ジャンボリーは12回目の来年も森の学校で場を開くつもりで、
終わった瞬間からみんなで話し合っています。
また森の学校に集まることを楽しみに。
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