連載
posted:2021.3.9 from:茨城県水戸市 genre:アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
各地で開催される展覧会やアートイベントから、
地域と結びついた作品や作家にスポットを当て、その活動をレポート。
writer profile
Yuri Shirasaka
白坂由里
しらさか・ゆり●神奈川県生まれ、小学生時代は札幌で育ち、自然のなかで遊びながら、ラジオで音楽をエアチェックしたり、学級新聞を自主的に発行したり、自由な土地柄の影響を受ける。映画館でのバイト経験などから、アート作品体験後の観客の変化に関心がある。現在は千葉県のヤンキー漫画で知られるまちに住む。『WEEKLYぴあ』を経て、97年からアートを中心にライターとして活動。
credit
撮影:ただ(ゆかい)(『3.11とアーティスト:10年目の想像』展示風景)
東日本大震災後のボランティアをきっかけとして、
岩手県陸前高田市を中心に、人々の記憶や記録を
未来へ受け渡す表現活動を行ってきたアーティスト、小森はるかさんと瀬尾夏美さん。
「小森はるか+瀬尾夏美」名義でユニットとしても活動し、
現在、共同で制作した映画『二重のまち/交代地のうたを編む』が全国公開中。
また、グループ展『聴く-共鳴する世界』(アーツ前橋で2021年3月21日まで)、
『3.11とアーティスト:10年目の想像』(水戸芸術館現代美術ギャラリーで
5月9日まで)にも参加している。
この10年の変化について、水戸芸術館で話を聞いた。
2011年3月11日、東京藝術大学先端芸術表現科4年生の小森はるかさんは、
東京のアルバイト先に、瀬尾夏美さんは東京の自宅にいた。
卒業制作展を終えた頃だった。
先端芸術表現科は、油絵科や彫刻科のように
メディアを決めてから何を表現するか考えるのではなく、
コンセプトややりたいことを先に発想し、
そのために必要なメディアを選びながら制作できる場所だった。
この「つくり方からつくる」考え方がいまでも基礎にある。
瀬尾さんは写真を撮っていた。
「ポートレートは、相手との関係性のなかで写真を撮ることだと考えていました。
私が相手の笑顔がいいと思っても、相手にとっては
自分のイメージとズレていることってありますよね。
つまり、共同作業のなかから生まれるものだと思っていて、
それはいまの語りの問題につながっていると思います。
体験は、私とあなたの関係のなかで語られ、聞き手によっても編集される。
また、写真ではなく絵画でなら、記録されていない、
誰かと一緒に見た風景を再び立ち表すこともできるかもしれないと考え、
大学院で絵を学ぼうと思っていたところでした。
この“失われた風景を描く”ということが、
震災を機に広い領域へと開かれていったと思います」
小森さんは、先端芸術表現科で映像を学びながら、
映画美学校で劇映画をつくる方法を学んでいた。
「脚本を書いて、演出をして、16ミリフィルムで撮影するといった、
1年間でフィクション映画をつくるプログラムでした。
けれど、稽古では輝いていた演者が本番では撮りたかったその人から逸れていくとか、
風景も練習で撮っていたときのほうがよかったなということがあって、
自分はドラマをつくり込んでいきたいわけではないんだなと戸惑うこともありました。
その後、脚本から俳優の方と一緒に制作したり、
その人にとってルーツになるような場所で撮影したり、
ドキュメンタリーという意識ではなかったんですけど、
監督、俳優、カメラマンという役割を分け切らないかたちで
一緒に映画をつくる方法を実験していました」
震災の直後から、被災地の安否情報や写真などが
SNSで流れてくるなかで、瀬尾さんは
「こんな状況で絵に何ができるのか、これからどうなるんだろう」
と不安になった。
と同時に、「大学と家族と友人くらいの狭い社会にいたのに、
急に震災が自分の問題として接続してしまった感覚で、
現場を見ないと何もわからないと思いました。
当時、被災地に物見遊山で行くなといった批判もあるなかで、
中学生がボランティアをしているニュースを見て、
迷惑ではないかと懸念する前に行ってみようと思ったんです」
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3月30日、瀬尾さんと小森さんは、レンタカーに物資を積んで北茨城市へ。
震災から3週間経っていたので
「ここはなんとかなるからもっと北に行きなさい」と言われる。
福島には入れず、仙台空港で想像を超える被災状況を初めて目にする。
この1年は、東京から石巻、南相馬、盛岡、青森など各地へ通った。
沿岸部を走り、市町村によって復旧の度合いが異なる風景を見ながら、
ブログやツイッターで発信していった。
「宮古市にボランティアに行ったとき、
『カメラを持っているなら、私の故郷を撮ってきてくれませんか』
とおっしゃった方がいたんです。
自らカメラを回す気にはなれなかったのですが、誰かの代わりに撮るとか、
記録しておくという役割があったんだと気づかされました。
また、被災した地域に住む親戚が無事かどうか心配されていた方の代わりに
会いに行って、ビデオメッセージを撮る延長で、
その後に続く『こんなことがあってね』という話も
撮影させていただくようになりました」(小森)
そのなかで、2011年4月から繰り返し、
陸前高田に住むおばあさんを訪ねるようになる。
「バイト先の同僚の遠い親戚だったんですけど、
ツイートを見て、代わりに様子を見に行ったのが最初です。
おばあさんは、私たちを案内しながら
『ここにこんな風景があったんだよ』とか、いろいろなことを話してくれて。
かえってそのたくさんしゃべらざるを得ない姿に、
喪失の大きさを感じたように思います」(瀬尾)
2012年には、彼女を映した映像とテキストとドローイングによる
『砂粒をひろう(Kさんの話していたこととさみしさについて)』という作品を制作し、
3月11日から3331 Arts Chiyodaで発表。
秋には、水戸芸術館の『3.11とアーティスト:進行形の記録』で展示した。
この展覧会は、『3.11とアーティスト』展の初回に当たり、
24組のうちのひと組として発表した。
家や命の喪失など多様な問題のなかで、瀬尾さんが特に気に留めたのは
「被害の度合いや立場の違いによって、
強制的に分断のような状況が生まれてしまっていて、話せなくなること」だった。
高台に住んでいたKさんは無事だったけれど、友人知人を亡くしたり、
美しかった故郷を失ったことは辛い。
けれど、自分より大変な目に遭っている人を傷つけかねないから、
人には話せないという。
被害の苦しさなど本来は比べようもないことだが、
「それまで生活の基盤にあった安心感が削がれ、
隣人と距離ができてしまう状況がありました。
当時、震災の根本にある問題はさみしさなんだと思っていました」と語る。
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ふたりは、2012年に陸前高田の隣町、住田町に移住する。
瀬尾さんは写真館で、小森さんは蕎麦店でアルバイトなどをしながら、
もとのまちや住民を知ろうとしていく。
小森さんは映像、瀬尾さんはドローイングやテキストで、
人々の表情や言葉、風景を記録していく。
「復興のための嵩上げ工事が始まる2014年頃までは、
草はらの中に花を供えたり、みんなで花畑をつくったり、
祭りの山車飾りを飾ったりと、その場でしかできない弔いの行為が、
ある種、目印のようにまち跡(まちの痕跡)に残されていくのを記録していました。
震災後に来た私たちには、どこに何があったのかわからない。
たとえ地図を見ても実感が湧かない。けれど、生き残った人たちが
亡くなった人たちへの弔いをまちに落とし込んでいくと、
そこに暮らしがあったことや生きていた人がいて、
そこには喪失があるのだと気づくことができたんです。
そこから、生きている人が死者とともにいる感じを
記述したいと思うようになりました」(瀬尾)
「2014年からベルトコンベアが入り、嵩上げ工事が本格化していきます。
たとえ復興計画図をもらっていても、安全になるんだなと思うくらいで、
まち跡を喪失していくことがこんなにしんどいとは、
みなさん想像できなかったと思います。
草はらのようになっていても道筋がまだ残っていて、
そこに花を手向けていたから、その弔いもできなくなる悲しみは大きかった。
コミュニティの人々が記憶のよりどころとして共有していた風景が
破壊されていくことで、みんながバラバラになってしまう不安、
ここにあった暮らしを忘れてしまうんじゃないかという怖さを
感じていたんじゃないかと思います」(瀬尾)
ふたりにとっても、まち跡は、
昔の暮らしや雰囲気を想像するための大切なヒントだった。
「きれいな場所だなと思っていたのが、
土木工事によってまっ茶色の風景になってしまったので、何を描けばいいのか、
ここにいる意味がわからなくなりそうでした」と瀬尾さんは言う。
「でもそのときに、ここに必要なのは物語なんだなと。
2031年の未来には、上のまちの人たちが下のまちの人たちと
一緒に暮らしていると想像することによって、
いま目の前にある喪失の痛みや不安を、
少し和らげることができるんじゃないかなと思いました」(瀬尾)
2015年、瀬尾さんは水戸芸術館の「クリテリオム91 瀬尾夏美」
(クリテリオムは若手作家が個展形式で発表するシリーズ)で
『二重のまち』を初めて発表し、テキストと藁半紙に描いたドローイングを展示した。
2031年、上のまちに住む生者と下のまちに住む死者とがそれぞれに想い合う、
春夏秋冬の物語。
その後、ふたりは、陸前高田はもとより、
東京や新潟、神戸、広島などでも朗読会を開いていく。
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2015年以降、ふたりは仙台で暮らしながら陸前高田に通い続けている。
2メートルの計画が10数メートルになった嵩上げ工事が終わり、
まちの人が新しい暮らしを始めていくなかで、
震災のことはあまり語られなくなっていた。
一方、小森さんと瀬尾さんが東京などほかの地域で出会う若者から、
「当時のことを覚えていないから知りたい」
「ようやく向き合える気がする」という声を聞くようになった。
そこで2018年、震災時にまだ若く、このまちの過去を知らない4人の旅人たちが
『二重のまち』を杖(支え)としながら陸前高田を訪れ、
まちの人たちの話を聞くためのプロジェクトを行う。
「いつか映像表現にできたらいいなと思っていました。
『二重のまち』が映し出している未来を、どの時点で撮影したらよいか、
誰がそこにいるのがいいのか。
このプロジェクトで、旅人たちが高田に来て『二重のまち』を読むことになり、
それが一番いいと腑に落ちました。表現者でもある4人が来てくれることで、
いままでと違う陸前高田の風景や声を記録できるんじゃないか。
ドキュメンタリーではなく、フィクションとして
何かつくれるんじゃないだろうかと期待が湧いてきました」(小森)
4人がそれぞれ高田の人に話を聞き、それを語り直し、
『二重のまち』を朗読する、その一連の行為を反芻し、
「声」に出していくプロセスを実践していく。
「15日間で撮影したものには、映画にするために撮ったものと、
ワークショップの記録として撮っていたものとがあり、
どれが本編の素材になり得るのか決まっていない状態から編集を始めています。
旅人たちの名前やどこから来たのかは示さずに抽象的な存在にしつつ、
後半は旅人を主人公として、高田の人に聞いた話を代わりに語り直すシーンや
朗読のシーンをどのように見せるかなど、
いろいろな組み方を試しながら構成していきました」(小森)
同世代の若者の話、子どもや仲間を失った話など、
想像の及ばないことにも心を寄せて聞き、語りきれなさも含めて、
未来へ継承する方法を描いた映画となった。
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また、水戸芸術館の『3.11とアーティスト:10年目の想像』では、
『二重のまち』のテキストと絵画をはじめ、
ワークショップのプロセスを明示しながら、
映画に登場するシーンが異なるかたちで展示されている。
とりわけ『交代地のうたを編む』プロジェクトで生まれたものは、
『二重のまち』を朗読する前に、この物語が自分にとって
どんなお話であるかという、語り出しだったという。
15日間の終盤に、4人と話し合いながら瀬尾さんがテキストを書いた。
「『お父さんが伝えようとしたことに対して子どもがどう捉えたのか、
子どもからのお返事のようなお話です』とか
『とても近くにいるのに、わかることのできない人の気持ちを、
丁寧に思い続ける人の、お話です』といったシーン。
どういうふうに話を受け取って、どういうふうに身体化して、伝えていきたいかという、
15日かけて自分の立ち位置を理解して出てきた言葉だったんですね。
彼らはこれからも物語とともに生きていくだろうし、
そこには高田の風景も含まれている。
と同時に、朗読の声が生まれたこともとても大切で。
大きなスクリーンに、語り出しの声、朗読の声、
彼らがあの地にいる佇まいが映っています」(瀬尾)
展示の最後は、2021年の現在、陸前高田に暮らす人たちの声を主体とした
『10年目の手記』となる。
若者たちに語ってくれた人たちが自ら書いた手記と、
それを読む姿の映像が上映されている。
「高田の方とおしゃべりしているなかで
『(メディアなどいろいろな人に)聞かれたから話してきたけど、
話し続けている間に空っぽになってしまった』という言葉を聞いて、
高田の人たちはこの10年間、被災者として、
苦労する生活者として描かれ続けてきたのだと気づきました。
それは他者から編集がかかったような状態であり、
私たちもそれに近いことをしてきたんですね。
それであらためて、10年目を迎えたいま書きたいこと、
本当に自分が大切にとっておきたいことについて書いていただけないかとお願いして。
何度かやり取りしながら手記を書き進めていってもらったところ、
会話では聞かれなかった言葉が出てきました」(瀬尾)
現在、瀬尾さんと小森さんは、仙台で立ち上げた
一般社団法人〈NOOK〉を運営しており、土地の記録をつくり、
対話の場などを通じて記録を活用する仕事も行っている。
10年という時間が経ち、陸前高田の人々との関係性も安定してきたという。
また、震災の記憶がない子どもたちへの継承は
今後も考えていきたいと語るふたりだった。
もとより、体験していない者が、体験した者に聞いた話を、取りこぼさず、
変形せずに語り直すことは、やはり不可能に近いことではないかと思う。
しかし、その語れなさを噛み締めながら、それでも他者の話に耳を傾け、
自信を持って声にしてみようという若者たちは希望であり、私たちも背中を押される。
そういう行為もまた弔いになるのではないだろうか。
私たちの継承は、ひとりで背負うのではなく、皆で分け合うことから始めよう。
この映画や展覧会を見たその場から、私たちのまちにもつながっている。
profile
Komori Haruka + Seo Natsumi
小森はるか+瀬尾夏美
映像作家の小森はるか(1989 年静岡県生まれ、東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了)、画家で作家の瀬尾夏美(1988 年東京都生まれ、東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻修了)によるアートユニット。東日本大震災後、東京からボランティア活動で東北を訪れたことを機に、2012年から3年間、陸前高田エリアで暮らしながら制作。2015年仙台に拠点を移し、土地と協働しながら記録をつくる組織、一般社団法人 NOOK(http://nook.or.jp/)を設立。 風景と人々の言葉の記録をテーマに制作を続け、対話の場としての展覧会やワークショップの企画と運営も行っている。
Web:小森はるか+瀬尾夏美
information
3.11とアーティスト:10年目の想像
会期:2021年2月20日(土)~5月9日(日)
会場:水戸芸術館現代美術ギャラリー(茨城県水戸市五軒町1-6-8)
開館時間:10:00~18:00(入場は17:30まで)
休館日:月曜(5月3日は開館)
Web:水戸芸術館現代美術ギャラリー
information
映画『二重のまち/交代地のうたを編む』
ポレポレ東中野、東京都写真美術館ホールにて公開中、ほか全国順次公開
information
特集上映「映像作家・小森はるか作品集 2011-2020」
ポレポレ東中野にて3月19日まで開催中ほか、全国順次開催
information
瀬尾夏美著『二重のまち/交代地のうた』
書肆侃侃房より発売中
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