北海道に残る
かわいい三角屋根の家で
理想的な北国暮らしを始めたい

屋根に積もった雪が、自然に落ちるよう設計された三角屋根の家。
1960年代以降に北海道の建売住宅の定番となり、
同じ形の家が均等に建ち並ぶ風景がそこかしこで見られるようになった。
しかし近年、人口減少や住宅事情の変化などにより、徐々に空き家が目立つように。
そこで北海道三笠市が、この昭和レトロな建物内部を暮らしやすくリフォームした。
スタイリストによる室内のコーディネートで、
理想の北国暮らしを思い描いてもらえるモデルルームに変身。
かわいらしい三角屋根の下で、あなたならどう暮らす?

レトロな北海道の住宅を、現代風にアレンジ

「いまある空き家を、このまま廃れさせるのではなく、資源として活用したい。
移住希望者のみなさんに『古い家も改装すればレトロでかわいくて住みやすい』ということを
実感していただきたいと思い、この取り組みを始めました」

そう話すのは、三笠市の定住対策係の担当者。
きっかけは、手入れされる前の空き家を見た移住希望者の
「移住後の生活がイメージできない」という言葉だった。
「三笠市でこんな暮らしがしたい」と想像が膨らんで
ワクワクするようなモデルルームがあれば、
もう少し前向きに移住を検討してもらえるのではないか、と思ったという。

「そこで市が、三笠市での暮らし提案として、
空き家を1軒リフォームするプロジェクトを立ち上げました。
その候補として今回挙がってきたのが、
かつて北海道の建売住宅の定番だった三角屋根の家です」

三角屋根は雪が落ちやすい。

三角屋根は雪が落ちやすい。

屋根の上の雪を落とすために考えられた合理的な構造だが、
家主が自分の好みで屋根や外壁の色を塗るケースも多く、
カラフルな三角屋根の家が建ち並ぶエリアはまるでおもちゃ箱のよう。
本州からの来訪者は「北欧みたい」と思わずカメラを向ける。

三角屋根の家自体、古い構造のものが多いため、
今回のプロジェクトでは現代のライフスタイルに合わせて間取りから変更させた。

リフォーム前。(写真提供:三笠市)

リフォーム前。(写真提供:三笠市)

「昔の家は細かく区切られていて、小さい部屋がたくさんありますので、
1階は壁を取り払うなどしてリビング・ダイニング・キッチンを広々とつくりました。
子育て支援にも力を入れている三笠市として、
ご家族で移住される方を想定した間取りにしています」

リビング側からダイニングを。

リビング側からダイニングを。

より魅力的な生活を演出するために、スタイリストの吉田佳世さんにも協力してもらった。
「リフォームの仕方やインテリアの選び方など、
これから三笠市で中古物件を探して改装する際の参考にしてほしい」と担当者は話す。

〈東京都離島区大島プロジェクト〉
大島の自然を生かした体験と
元町の新しい観光

東京都離島区大島プロジェクト vol.03

大島、ひいては東京諸島全体を盛り上げるために東京都のバックアップのもと、
“あなたらしい大島の物語”をつくっていくことを目指し、
さまざまな活動を行っていく「東京都離島区大島プロジェクト」。
この企画では3回に分けて、プロジェクトの6人のキーパーソンを紹介していく。
3回目となる今回登場してもらうのは、
ダイビングショップ〈オレンジフィッシュ〉の粕谷浩之さんと
〈BookTeaBed〉の村上悠さん。
かたや自然を相手にする粕谷さんと、かたや都会的な感覚を大島に持ち込む村上さん。
古くからあるものを大切に守りつつ、新しいチャレンジを模索する。
そんな動きの両輪となるふたりだ。

熟練ダイバーも感動する大島の海の多様性

元町で〈オレンジフィッシュ〉というダイビングショップを営む粕谷浩之さんは、
もともと伊豆大島には縁もゆかりもなく、知り合いすらいなかった。
だから1年目は、ダイビングショップとは名ばかりの、
スズメの涙程度の収入しかなかったそうだ。

「新規のお客さんはほとんどおらず、
前職の渋谷のダイビングショップ時代のお客さんがご祝儀感覚で来てくれたくらいです」

そういう苦労はおそらく始めからわかっていたはず。それでもなぜ大島を選んだのか。

「2006年に開業する前にも何度か大島の海は潜っていたんですが、
いつ来ても透明度は高いし、魚も多い。
もちろん、都心からジェット船で1時間45分で来ることができるアクセスの良さも、
商売を始めるには大きなメリットです。
渋谷時代のお客さんも来やすいだろうなという考えもありました」

世界の海にも潜っている〈オレンジフィッシュ〉の粕谷浩之さん。

世界の海にも潜っている〈オレンジフィッシュ〉の粕谷浩之さん。

粕谷さんはインストラクターとして、日本各地はもちろん、モルディブ、パラオなど、
ダイビングを知らなくても“聖地”だとわかるような世界中の海に潜っている。
そんな経験を持つ粕谷さんからしても、大島の海は“特別”なのだという。

「最初の頃は、都心からも近くていいね、くらいの感覚だったんですが、
潜れば潜るほど特別であると感じました」

それは、関東エリアにあるダイビングポイントの目玉が、
大島ならすべて見ることができるという凝縮感。
通常だったら、長距離を移動しないと見られない各ポイントのアイドル級の魚たちを、
大島だったら一挙に見ることができるのだ。

「移動時間を考えても、例えば東京から西伊豆に行くよりも早い。
コスパがめちゃくちゃいいんですよ」

オレンジフィッシュの外観は青空に映える白色。

オレンジフィッシュの外観は青空に映える白色。

それ以外にも、ウミガメはほぼ100%見ることができるし、
憧れのハンマーヘッドシャークでさえ、大島なら高確率で狙える。

「ほかの場所でハンマーヘッドのような大物が見たかったら、
沖合のポイントまでボートで行く必要があります。
でも大島なら磯場からエントリーできちゃうんです。
世界的に見てもそんな場所はここだけじゃないでしょうか」

そんな希有な大島のダイビングの魅力が世間に広まってきたのは8年ほど前。
思ったよりも最近の出来事なのだ。
それはハンマーヘッドシャークが現れる時間帯にも関係があった。

「日の出から1時間くらいが高確率なんです。普通はそんな時間に潜る人はいません。
でも磯からエントリーできる大島だったから、たまたまその時間に潜ってみた人がいた。
そうしたらハンマーヘッドシャークがいたんです」

ガスボンベなどの器材。

ガスボンベなどの器材。

その後、地元のダイバーたちがこぞって早朝に潜り始め、その結果、
毎日、決まった場所をハンマーヘッドシャークの群れが通ることがわかった。
しかも、初心者でも潜れるような浅い場所を通る。
それもあって、ハンマーヘッドシャーク目当てのダイビング客も増え、
粕谷さんのオレンジフィッシュも盛況となった。いまではリピーターも数多くいるという。

「大島の海はいくら潜っても飽きないんです。
沖縄でダイビングショップをやっている人が『なに、この海!』と驚くくらい、
多くの種類の魚が一年中いるんですよ。それと、黒潮に乗ってたまにレアな魚も現れる。
毎日潜っていても、そのつど新しい発見があります」

金沢のホテル〈香林居〉と
龍崎翔子が考えるこれからのホテル

歴史的な建物をアップデートした〈香林居〉

「いつか金沢でホテルを運営したいと思っていた」と言うのは、
“ライフスタイルホテル”ブームの先駆けともいえる
〈L&Gグローバルビジネス〉代表の龍崎翔子さん。
しかし石川県金沢市で、繁華街といえる香林坊エリアに
〈香林居(こうりんきょ)〉というホテルを新たにオープンさせた。

「金沢は、旅の目的地になるような名店がいくつもあり、
人生の節目の思い出づくりや、ハレの日に訪れるような旅先になっていると思います。
香林居は、大切な旅の舞台にふさわしく、
かつ“世俗から離れた”ようなニュアンスのホテルを目指しました」

〈L&Gグローバルビジネス〉代表の龍崎翔子さん。(写真提供:L&Gグローバルビジネス)

〈L&Gグローバルビジネス〉代表の龍崎翔子さん。(写真提供:L&Gグローバルビジネス)

そのようなホテルを目指したのも、L&Gが得意としている
「土地の空気感を織り込んだホテルづくり」という感性に引っかかった、
ある建物があったから。

香林居になったビルは、もともと〈眞美堂〉という九谷焼を中心に
世界の工芸品を扱うギャラリーだった。
ビルの老朽化から一度取り壊す方向になったが、建築的な価値を見いだした西松建設が、
建物を残すために奔走。
L&Gがサン・アド社をはじめとするクリエイティブチームと協働して企画・開発を行い、
ホテルとして建築を残すことになった。
それゆえ内観はフルリノベーションされているが、
外観のアーチを描く独特のファサードはかつてのまま残されている。

全面に施されている外観のアーチ。(写真提供:L&Gグローバルビジネス)

全面に施されている外観のアーチ。(写真提供:L&Gグローバルビジネス)

エントランスにもアーチを採用。(写真提供:L&Gグローバルビジネス)

エントランスにもアーチを採用。(写真提供:L&Gグローバルビジネス)

「物件を初めて見たときに、歴史や空間の年輪、堆積した時間の重みなどを感じました。
だから、長きにわたって愛されてきた景色の一部であるこの建物にふさわしい、
情緒的で上質な空間をつくりたいと思いました」

特徴的な外観のアーチを、内側から見られる部屋。

特徴的な外観のアーチを、内側から見られる部屋。

ホテルは地下1階から9階まであり、ルーフトップにはサウナと露天風呂を備える。
ホテルに入っていくと、まず1階に蒸溜所がある。
この場で毎日、石川県の霊峰・白山で採ったスギやクロモジを素材とした
芳香蒸溜水と精油を製造している。

ルーフトップにある露天風呂。

ルーフトップにある露天風呂。

香林坊という地の歴史をひも解くと、向田香林坊という安土桃山時代の僧に行き当たる。
彼は薬局を営んでいて、
あるときつくった目薬で前田利家の目の病気を治したという言い伝えがあった。
かつて、目薬は「蘭引き」と呼ばれる陶器の蒸溜機で精製されていたといわれており、
そこから「蒸溜」というキーワードを抽出して、蒸溜所を併設するに至った。

毎日稼働している蒸溜機。

毎日稼働している蒸溜機。

「植物の状態は、その季節や天候によっても違うし、個体差もある。
さらに蒸溜の際の温度や湿度などによっても仕上がりは異なってきます。
そうしたそのときその瞬間にしか出合えない刹那性の高いものを、
薬局のように“処方”しています」

最上階にあるサウナではセルフロウリュウが可能。
そこに備えてあるこの蒸溜水を焼けた石にかける。
するとスギの葉の、ほどよくスモーキーな香りが漂ってくる。

サウナでは、水をかけて蒸気を発生させるロウリュウを自分の手で行うことができる。その水はホテル内で蒸溜したものだ。

サウナでは、水をかけて蒸気を発生させるロウリュウを自分の手で行うことができる。その水はホテル内で蒸溜したものだ。

サウナ利用者にはフリーアイス!

サウナ利用者にはフリーアイス!

2階はエントランスとロビー、3~9階は客室。
中2階には、まだ日本では数少ないアイソレーションタンクを2台設置している。
地下には金沢の古民家を改装した人気台湾料理店〈四知堂(スーチータン)kanazawa〉の
ディレクションによるタイワニーズキュイジーヌがある。

全体的に落ち着いた雰囲気で、金沢らしい日本の伝統を感じさせながら、
モダンで上質な空間になっている。

富士山を望む絶好の立地!
暮らしの中心にあるのは、
キャンプから生まれた家族の時間

転勤族が選んだ定住の地

神奈川県小田原市、富士山を望む抜けのいい場所に、
〈BESS〉の「G-LOGイスカ」というモデルを
2021年8月に建てたばかりの笹平さん一家。
笹平忠睦さんは転勤が多い仕事で、
これまで京都、島根、鳥取、広島、北海道、山口、千葉……と、
数年に1度は引っ越しを繰り返していた。

長男がこれから中学校に上がるタイミングもあり、
それから引っ越したのではまた転校させてしまうことになる。
そこで家を建て、定住の地を構える決意をした。
とはいえ、全国各地に住んできた笹平さんにとって、どこにしようか迷うところだろう。
住む場所を決めた理由は、シンプルな考え方だった。

2階はリビングスペースとして使用。

2階はリビングスペースとして使用。

「これからも私の転勤はあるので、
全国からの交通の利便性が高い関東エリアを選びました。
関東に家があれば、たとえば北海道に転勤になろうとも、鹿児島に転勤になろうとも、
帰ってきやすい。北海道に家があっても、九州に転勤になったら帰るのが大変ですよね」

確かに関東であれば、日本のどこでもアクセスしやすいので、
単身赴任になっても、月1回など帰りやすい。
さらに子どもたちが大きくなって、家から旅立つ日が来たとしても、
関東に家があれば同じように帰省しやすいだろう。

庭でちょっとした家庭菜園もできる。

庭でちょっとした家庭菜園もできる。

さらに家族の理想とする暮らしを実現しつつ、
「関東でありながら自然が豊かで、庭でBBQができるような。
できれば富士山が見えて、海が近いエリア」となると、
確かに小田原は有力候補だ。

「近くには煙突が立っている家もあったし、そもそもBESSの家が数軒あった。
だから庭でBBQや焚火をしたり、薪ストーブも大丈夫じゃないかなって」

似たような価値観を持つ人が近くにいることがわかると安心できる。
周囲は住宅地ではあるが、笹平さんのお宅は角地に建っていて、目の前は田んぼだ。

「田植えの時期は、風の流れがわかるように苗が揺れたりして、
料理したり洗いものしたりしながら眺めると気持ちがいいです」と
奥さんの由季さんも言う。キッチンに開けられた窓からはそんな風景がよく見える。

キッチンの窓からは四季折々の田んぼの様子が見える。

キッチンの窓からは四季折々の田んぼの様子が見える。

花坂陶石を余すところなく使う。
〈谷口製土所〉の〈HANASAKA〉が
挑戦するサステナブルな九谷焼

九谷焼の石の文化とは?

「『珠玉と歩む物語』小松~時の流れの中で磨き上げた石の文化~」が
日本遺産として認定されている小松市。
九谷焼もまた、その石の文化のひとつとしてあげられるだろう。
そんな九谷焼の新しい取り組みのストーリーを紹介する。

「九谷五彩」と表現されるように、彩りがあり、細かい絵つけが特徴である九谷焼。
いわゆる“顔”となる部分には注目が集まるが、
果たして九谷焼とはどんな土からできているのだろうか。
産地には必ず特有の土があり、製土所がある。
九谷焼では花坂陶石から土がつくられ、産地に製土所は2軒しかない。

そのひとつが〈谷口製土所〉だ。
最近では、〈HANASAKA〉というシリーズを展開するなど、
九谷焼を“素材”という視点から見つめ直したものづくりにも進出している。

別業種から家業を継いだ3代目の谷口浩一さん。

他業種から家業を継いだ3代目の谷口浩一さん。

現在、代表を務める3代目の谷口浩一さんは、前職は広告や編集の仕事をしていたが、
家業である谷口製土所を継ぐことにした。

「その当時から、土以外のこともやらないといけないとは思っていました」
という谷口さん。まずはものをつくって売るという流れが見えやすい。
そこで2013年から始まったオリジナルブランドがHANASAKAだ。

白い酒器のシリーズである「Blanc」、
ひと筋ひと筋鎬(しのぎ)が削られている青磁器「Givre」など、
日常使いがしやすいように、シンプルなテーブルウェアを展開している。

白い酒器のシリーズ「Blanc」。

白い酒器のシリーズ「Blanc」。

「うちは“粘土屋”なので、土を持って窯元や職人に配達に行くわけです。
そこで職人を見ていると、高い技術を持っていることがわかります。
九谷焼はどうしても絵つけのイメージが強く、
そのクオリティが価値を決めてしまいがちです。
だから見えにくくなっている成形技術や素材自体にも注目してほしいと思いました」
と始めたきっかけを話す。

産地であっても、土のこと、粘土のこと、製土のことは、
あまり知られていない現状があるようだ。
すぐれた成形技術があってこその、上絵つけだ。

土は脱水後、ケーキと呼ばれる円盤状になる。

土は脱水後、ケーキと呼ばれる円盤状になる。

「一般的にも、“陶芸の粘土をつくる仕事”があることも、
それがどんな仕事なのかも知られていないですよね。
以前、同じ産地のなかで、
『山から土を取ってきて売っているだけだから、儲かってしょうがないな』と、
言われたこともあるんですよ。それくらい土づくりに対する理解は進んでいません」

【ファーメンステーション・酒井里奈
×スノーピーク・山井梨沙】
未利用資源で
サステナブルな社会を実現する

『FIELDWORKS』は、新潟県を拠点にキャンプを中心とした
ローカルなライフスタイルを提案する
〈スノーピーク〉代表取締役社長の山井梨沙さんが、
ローカルでありプラネット的なモノ・コト・ヒトに出会いながら、
コロナ後の暮らしのスタンダードを探し求める「フィールドワーク」の記録。

3回目となる今回は、岩手と東京の二拠点で
「発酵」をキーワードに未利用資源を再生・循環させる社会づくりを牽引する
〈株式会社ファーメンステーション〉代表取締役の酒井里奈さんにお話を聞いた。

社会を発酵させていく

山井梨沙(以下「山井」): 酒井さんと初めてお会いしたのは、
衣食住のなかで衣の地産地消を目指す「Local Wear」というプロジェクトの
立ち上げ準備で岩手にフィールドワークに出ていたときなので、もう5年前になります。
現在の場所に移転する前のラボにお邪魔しました。
当時は有機栽培のお米からつくったエタノールを原料にしたアウトドアスプレーや、
エタノールの製造過程で出た資源を利用した
石鹸などを中心に展開されていたと思うんですけど、
今ではお米以外の原料からもエタノールや
それを利用したプロダクトをつくられているんですね。

酒井里奈(以下「酒井」): そうなんです。
技術開発が進みお米以外から原料化できるようになって、
企業の食品・飲料工場などから出るフードウエイストも利用しています。
例えば〈JR東日本〉さんのシードル工場から出たリンゴの搾りかすだったり、
〈ANA〉グループが輸入しているバナナの規格外品を原料にしたエタノールで
フレグランス商品や除菌用のウエットティッシュをつくっています。
さらに、その抽出の過程で出た発酵粕を肥育牛用の飼料として利用したりするような、
循環型社会を目指す企業との事業共創事業も始めました。
もちろん創業からの中核事業である、
オーガニックライス・エタノールやオリジナルのスキンケア商品の開発も続けています。
これはラボのある岩手県奥州市の有機米を使って、
地域コミュニティと一緒にゴミを出さないサステナブルな循環でつくるもの。
OEM事業もやっと軌道に乗ってきて、
「FERMENTING a Renewable Society 発酵で楽しい社会を!」という
私たちファーメンステーションの企業理念を、
やっと事業で具体的に表現できるようになってきたかも。
スノーピークさんと比べたら、まだまだひよっこですけど(笑)!

ファーメンステーションが取り組む循環型社会。(画像提供:ファーメンステーション)

ファーメンステーションが取り組む循環型社会。(画像提供:ファーメンステーション)

ゴミから事業をつくる

山井: そもそも、どうして発酵に興味を持ったのですか?

酒井: ちょっと昔話になるんですけど、私は大学時代にやりたいことを見つけられなくて。
そこでいろいろな会社と出会うことができる銀行に就職したんです。
3年目に、国際交流基金を希望して出向しました。
阪神淡路大震災の直後でNPO法案なんかもできた年で、
NPO先進国のアメリカに学ぶ仕事を2年間させてもらいました。
そのとき、社会課題にビジネスとして取り組む人たちとたくさん出会って、
とても刺激を受けたんです。NPOの人たちと交流したり、
社会課題にチャレンジしつつおいしいアイスクリームを提供する
〈Ben&Jerry’s〉が大ヒットしているのを見て、
「こういうビジネスがしたい!」って思うようになっていきました。
それで銀行に戻ってすぐ、社会貢献投資をすべきだって提案書を書いたんですけど
採用されませんでした。次にヨーロッパの自然エネルギー系の提案をしたら、
日本にはそういう案件はないと断られて。
だったらそういう仕事ができる会社で働こうと、銀行を辞めました。
それにしてもまずはしっかりとビジネスの仕組みを叩き込まなきゃということで、
ベンチャーや外資の金融で10年間ガシガシ働きました。
そろそろ本格的に社会課題を解決するようなビジネスをしたいと思い始めていたとき、
たまたま東京農大の生ゴミをバイオ燃料に変える技術をテレビで見て
「これは一攫千金のチャンスだ!」ってなって(笑)。
だから発酵ありきではなく、ゴミから事業をつくることにすごく興味を持ったんです。
自分にとって事業性と社会性を両立させる手段が発酵でした。
まず自分で理解して、さらに一緒に実現できる仲間を見つけようと思い、
東京農業大学応用生物科学部醸造科学科というところに入学しました。

山井: その学部って、
日本中の酒蔵とか醤油屋さんなんかの跡取りが入学するところですよね?

酒井: そうそう、まだお酒も飲めない18歳くらいの跡取りたちが、
お酒のつくり方とか学ぶところです(笑)!

岩手県奥州市の休耕田跡で栽培しているオーガニックライス・エタノールの原料となる有機米。(写真提供:ファーメンステーション)

岩手県奥州市の休耕田跡で栽培しているオーガニックライス・エタノールの原料となる有機米。(写真提供:ファーメンステーション)

文化があるから、発酵はおもしろい

山井: 今日、あらためてラボを見学して、発酵ってとても人間的だなと感じました。
この連載の初回で、文化人類学者の石倉敏明先生から
「人間を人間たらしめたのは火だ」というようなお話をうかがったんですけど、
有機物の原材料と微生物が出会い、
さらに蒸留などを経て意図的にエタノールを精製するプロセスって、
自然の摂理に知恵を加えること。それは人間にしかできないことですよね。
お酒だったり保存食だったり、日本は発酵文化が高度に発達した国だと思うんですけど、
さらにそれをエネルギーに変えるというのは、とても日本的な試みだと思います。

酒井: エネルギーとして実用化できたら本当にすてきなんですけど、
まだまだコストの問題で難しいんですよね。
東京農大在学時に、奥州市の休耕田にお米を植えて
エタノールというエネルギーに変えるというプロジェクトの実証試験に参加して、
その経験からコストが高くても通用する商品として、
スキンケア用品をつくることにつながっていきました。
発酵は、微生物の働きで有機物を別の物質に変化させること。
そこに人が介在して人間に有益なものをつくってもらう行為が文化なんだと思います。
サイエンスだけれど、文化が入るところがとてもおもしろい。
ファーメンステーションという社名は、
「ファーメンテーション=発酵」と「ステーション=駅」を合わせた造語なんですけど、
発酵を介していろいろな資源を人や地域、社会に役立つもの変えて、
新しい価値観を生み出していけるような駅(=場)をつくっていきたいと思っています。

エタノールの精製過程。(写真提供:ファーメンステーション)

エタノールの精製過程。(写真提供:ファーメンステーション)

菌から学ぶ「発酵経営論」

山井: 自分でも何度か発酵食をつくろうとして失敗したことがあるんですけど、
うまく発酵させるにはほかの菌が入らないように気をつけたり、
温度や湿度などの環境を整えて、
しかるべき菌が活躍する場を整えてあげないといけないじゃないですか。
そういうプロセスって、なんだか会社の経営に似ているような気もします。

酒井: この間、『フォーブズ ジャパン』Web編集部の編集長にも
「あなたのやっていることは人材育成につながる」って言われて、
最初はポカーンって感じだったんですけど、よく聞いたらなるほどと思いました。
菌って本当に個性が豊かなんですよ。同じ麹でも甘酒用、味噌用があるし、
酵母も果物から取ったものは果物ベースで活躍するとか。
ぶどうから採取した酵母はワインには向くけれど、米系のお酒には向かない、
でもかけ合わせるとおもしろい変化が起こったり。
それから生まれ育ったところで活躍しやすく、それぞれベストな温度と湿度の環境がある。
菌は群雄割拠なので、ステージによって活躍する種類が変わるんですよね。
まずは雑菌に負けないような環境をガーっとつくる菌がいて、
でもそれがふわーっと元気がなくなり、
一番がんばらなければならない酵母がやっと登場してきて。
菌たちがリレーをして最後にベストなものを出していくのは、まさにチームビルディング。
梨沙さんがおっしゃるように、確かに経営にも通じるところがあるかもしれませんね。

トレーサビリティのあるオーガニックライス・エタノールは、世界的にも珍しい。(写真提供:ファーメンステーション)

トレーサビリティのあるオーガニックライス・エタノールは、世界的にも珍しい。(写真提供:ファーメンステーション)

サーキュラーエコノミーへの架け橋

山井: ファーメンステーションさんのオーガニックライス・エタノールって、
「USDA」とか「エコサートCOSMOS」などのオーガニック認証も取得しているんですね。
海外メゾンブランドのコスメの原材料としても採用される可能性ありそう。

酒井: ぜひとも使ってもらいたくて、
グローバルブランドにコンタクトを取ったりしています。
どなたかお知り合いがいたらぜひ紹介してほしい(笑)。

山井: スノーピークでもバイオエタノールを使った燃料の商品があるんですけど、
どちらかというと無機質なんです。
酒井さんがつくっているのはなんだか少しお米の香りや
独特なしっとり感があったりするような感じがする。

酒井: お米からエタノールをつくるとき、
発酵の条件とか、蒸留をするときの装置に工夫などがあって
いい香りが残るようにしているんです

山井: 循環って本当に興味深い世界ですね。
化学的なものになりがちなエタノールでも、環境やお肌にいいものをつくっているし、
背景に文化を感じられる。
いわゆるサーキュラーエコノミーを定着させていく
架け橋になるような事業をされていますよね。
スキンケア用品の原料という点でいうと、
オーガニックエタノールとそうではないものって、何か決定的な違いがあるんですか?

酒井: アルコールをつくる意味においては、変わらないと思います。
オーガニック野菜だから栄養価が高くおいしいということではないのと一緒で、
オーガニック化粧品だから肌にいいというものでもないと思います。
それより生物多様性とか環境負荷のような観点を重要視したい。
実際に契約農家さんたちも無農薬をやってみたら、
以前はいなかったタニシが出てきたとか、カエルが増えたとか。
そういうダイレクトな反応をもらってうれしかったですね。
例えばCOSMOS認証制度は、
環境に配慮した製造を毎年改善し続けなければ取得できない。
現状に満足せずに日々向き合い、続けていくことになるので、
そういった意味でも取得してよかったと思います。
こういう認証は、欧米でビジネスを展開するうえではもう必須になっていますよね。
一方、日本はまだまだな状況。異常気象やコロナ禍を経験して
少しは意識が変わりつつありますが、本当は一気に変えていきたいんです!

私たちは「地球人コミュニティ」

山井: アメリカのアウトドア用品の小売り業者さんとかも、
ここ2年くらいで急激に変わってきました。
製造や物流工程などが、サステナブルなものになっているかの
チェックがどんどん厳しくなってきている感じがしますね。
ユーザーさんにしても、コロナ禍で否応なく家にいる時間が増えたり、
キャンプ需要が増えて自然とふれ合う時間が多くなるなかで、
環境や循環などに興味を持つ人が増えてきているなという実感はあります。
ただ企業は、SDGsとか脱炭素何パーセント達成とか脱プラとか、
項目や数値をクリアするだけの社会人的スタンスになりがちだと思うんですよね。
それを「地球人」という意識を持って取り組んでいくことが、
本質的な実現につながっていくんじゃないかと思います。
私たちはみんな自然とともに暮らしているんだということを、
実感してもらえるようにしていきたい。

酒井: 地球人っていいですね! 一緒に増やしていきたいです。

山井: 生ものだから難しいかもしれないけれど、
スキンケア用品もダイレクトに消費者のフードロスを回収して原材料にできたら、
もっと実感がわきやすくなるかもしれないですよね。

酒井: そもそも天然処方を貫いてきて、
機能性もほかの商品と比べてまったく遜色ないものがつくれるので、
本当は「ゴミからできたスキンケア商品です」とだけ声高に言いたいんです。
でも、より多くの人に発酵を通じてサーキュラーエコノミーに参加してもらうためには、
スキンケア用品としてのわかりやすさも必要。その効果的な伝え方を模索中なんです。
その点で、スノーピークさんの活動はとても参考にさせていただいています。
会長さんや梨沙さんの本を読んだり、HPやSNSとかも見まくったり、
イベントにも参加したいなとずっと思っています。
やっぱりスノーピークさんのように、
しっかりとしたコミュニティができるようにしていきたいですね。
もちろん、簡単にできることではないのは重々承知しているんですけど。

山井: うちは広告宣伝費はゼロ。
その代わりにユーザーさんと直接つながるイベントを定期的に開催して
コミュニティを大切にしています。
会社としてもフィードバックをダイレクトにもらえてそれを生かせるし、
価値観を共有しながらユーザーさんと一緒に成長していくことができる。
それがブランド力につながってきたんだと思うんです。
コロナ禍でキャンプに興味を持って、
スノーピークに触れてくれた新しいユーザーさんたちも多いので、
しっかりとコミュニケーションをとっていきたいですね。

「ぷくぷく」と「フィールドワーク」の共通点

酒井: もっと移動やイベントごとが自由にできるようになってきたら、
すぐにでもそんなコミュニティづくりに取り組んでいきたいと思っています。
以前も何度かここ奥州市で体験型のツアーを開いたことがあるんですけど、
スノーピークさんがこの間やられていたLIFE EXPOのようなものにも、
いつか挑戦してみたいです。

山井: 酒井さんたちはもちろん、
原材料をつくる農家さんや飼料を食べる動物たちにも触れる人がもっと増えていったら、
一気にステージが変わっていきそうですよね。
何かご一緒していけることが多そうなので、楽しみにしています。
ところで、同じことをするにしても、
東京でずっと働いているのとこういう自然に近い環境で仕事をするのとでは、
やっぱり全然違いますよね。
酒井さんはもう10年以上東京と岩手の二拠点での活動を続けてこられて、いかがですか?

酒井: スタートアップってめちゃめちゃ激務なんですけど、
月2回くらい強制的にいい景色を見て、おいしい空気を吸って、
しかもラボで発酵中のぷくぷくを観察したりしていると
「みんな生きてるね!」って元気が出てきます。

山井: 私の場合、新潟と東京の二拠点プラスαで、
東京はインプット、新潟はアウトプット、そのほかがフィールドワークという感じ。
酒井さんの「ぷくぷく」が私にとってのフィールドワークで、
そういうバランスにかなり助けられていると思います。

酒井: そうそう、自分にフィットするバランスを見つけることって重要ですよね。
今、東京と岩手にそれぞれスタッフがいるんですけど、
これからもっと行き来が自由になったら、場所にこだわらずに働ける人は
もっと活発に行き来できるようにしていきたいと思っています。

ファーメンステーションで展開中の自社コスメ商品。いずれも、オーガニックライス・エタノールを精製する過程で出る資源を活用して製造されている。(写真提供:ファーメンステーション)

ファーメンステーションで展開中の自社コスメ商品。オーガニックライス・エタノールと、オーガニックライス・エタノールを精製する過程で出る資源を活用して製造されている。(写真提供:ファーメンステーション)

profile

LINA SAKAI 
酒井里奈

ファーメンステーション代表取締役。東京都出身。国際基督教大学(ICU)卒業。富士銀行(現みずほ銀行)、ドイツ証券などに勤務。発酵技術に興味を持ち、東京農業大学応用生物科学部醸造科学科に入学、09年3月卒業。同年、株式会社ファーメンステーション設立。好きな微生物は、麹菌。好きな発酵飲料は、ビール。

Web:ファーメンステーション

Web:ファーメンステーション オンラインショップ

profile

LISA YAMAI 
山井梨沙

1987年、新潟県三条市生まれ。大自然に広がるキャンプフィールドに本社を構え、独創的なプロダクトを生み続けている〈スノーピーク〉の創業家に生まれ、幼い頃からキャンプや釣りなどのアウトドアに触れて育つ。2014年にスノーピークに入社し、2020年3月より代表取締役社長を務める。これまでスノーピークが培ってきた“ないものはつくるDNA”を受け継ぎ、プロダクトのみならず、プロダクトを通した新たな体験価値を提供している。現在は、人生を構成する5つのテーマ「衣食住働遊」に沿って、現代社会が抱える課題に対して、さまざまな事業に取り組んでいる。

〈東京都離島区大島プロジェクト〉
波浮を舞台に巻き起こる
さまざまなイノベーション

東京都離島区大島プロジェクト vol.02

大島、ひいては東京諸島全体を盛り上げるために東京都のバックアップのもと、
“あなたらしい大島の物語”をつくっていくことを目指し、
さまざまな活動を行っていく「東京都離島区大島プロジェクト」。
この企画では3回に分けて、プロジェクトの6人のキーパーソンを紹介していく。
2回目となる今回登場してもらうのは
〈島京梵天(とうきょうぼんてん)〉の河村智之さんと〈青とサイダー〉の吉本浩二さん。
ふたりが拠点にしているのは、昭和感漂う波浮(はぶ)というエリア。
元町に比べると、観光客が訪れることも少なく、空き家も目立ち始めていたこのエリアが、
数年前から一大イノベーションを起こし、各方面で注目され始めている。

東京の島を生んだ「恵比寿様」が梵天たい焼き誕生のきっかけ

島京梵天の河村智之さんはエネルギー&フレンドリーの塊のような人だ。
この取材でも着くなり「たい焼き食べるでしょ! いっぱい種類あるよ、なにがいい?」と
明るく声をかけてくれた。
彼が都心から大島へやってきたのはいまから16年前。
しかも、移住したのは賑わっている元町ではなく、波浮。

波浮港を高台の展望台から望む。港の上に見えるのが波浮の集落。

波浮港を高台の展望台から望む。港の上に見えるのが波浮の集落。

かつて波浮港は遠洋漁業の中継港として、数多くの船が立ち寄る場所だった。
最盛期には旅館や飲み屋さんが軒を連ね、
映画館と公衆浴場がそれぞれ2軒ずつあったという。
現在では、当時の面影を残す閑静な場所として人気が高まりつつある。
そんななか、ここ数年で新規に事業を起こす人が増え始め、
いま再び波浮に活気が戻ってきている。
河村さんは間違いなくその起爆剤となった人物だ。

最初に大島を訪れたのは2003年。ふらっと行ってみたら「ドハマリした」という。
それから週末になるごとに島に何度も通った。

「ここにもうひとつの東京があると思ったんです。なんというかワープ感がありますよね。
都会感のある竹芝から、一気に離島の風景へ。そのギャップがとても新鮮でした」

2006年に移住してすぐに波浮で、カフェと古民家を改装したゲストハウスを始めた。

「最初に始めたカフェは玄米菜食のランチとかをやっていました。
でも当時は玄米菜食なんて知っている人も少なかったし、ぜんぜんダメ。
まだまだ波浮にくる観光客も少なかったのでゲストハウスもなかなか厳しい。
そんなときに、たまたまイベントに屋台を出店する機会があって、
それがすごく楽しかったんですよね」

屋台のような形態でなにか売れないかなと考えたときに、思いついたのがたい焼きだった。

「実はこれにもちょっとしたエピソードがあって。
この古民家をリノベーションしているときに、
裏手から恵比寿さんの像がくっついた溶岩が出てきた。
それでいろいろ調べてみたら、東京の島々を生んだ神様だということがわかって。
じゃあ、恵比寿さんが背負っている鯛を焼こうじゃないかと」

築130年の古民家をリノベーションした一棟貸しの宿。もともとは波浮港の網元が暮らした場所。

築130年の古民家をリノベーションした一棟貸しの宿。もともとは波浮港の網元が暮らした場所。

最初はオークションサイトで買った焼き板を使って試行錯誤。
そもそもたい焼きなんて焼いたことすらなかった。
そうやって見切り発車でスタートしたこのたい焼きが当たった。

「島には気軽にテイクアウトできるようなものがあまりなかったのも、
大きかったと思います」

物珍しさも手伝って、2010年のオープンから間もなく、
メディアの取材が次々に舞い込んできた。
その影響もあり、島京梵天を目指してわざわざ波浮を訪れる観光客も増えた。
テレビ出演をきっかけに島の人からも広く認知されるようになり、
放送翌日には合計300匹焼き続けたという。

「1日でそれだけ焼いたのはいまだに最多記録かもしれません。
かれこれ11年で30万匹は焼いていますね」

島京梵天の名物であるたい焼きは、羽根つきが特徴。5〜10月はかき氷も提供。

島京梵天の名物であるたい焼きは、羽根つきが特徴。5〜10月はかき氷も提供。

たい焼きのバリエーションも豊富だ。王道のつぶあんはもちろん、
食事にもなる「ハムチーズマヨ」、さらに冷したい焼きもあって、
大島名産の明日葉を使ったものが人気。

「周囲にお店も少なかったので、甘い物だけじゃなく、
いろんなバリエーションをここでカバーできればいいなという気持ちもありました」

こぢんまりとした波浮の集落。遠くに見える竜王埼灯台は、日の出、日の入りを同じ場所から見ることができる場所。

こぢんまりとした波浮の集落。遠くに見える竜王埼灯台は、日の出、日の入りを同じ場所から見ることができる場所。

北海道・東川町の天然水で淹れる
〈奥泉〉の中国茶

中国茶に最適の水を求めて

北海道のほぼ中央に位置し、旭川市に隣接する東川町。
子育てや起業などの支援のほか、
写真やクラフトを通じたまちづくりといったさまざまな取り組みが功を奏し、
近年は移住者が増加。それにともない雑貨店やカフェなど個人店が徐々に増え、
まちとしての魅力も高まっている。

その市街地の外れに、斉藤裕樹さんと奥泉富士子さん夫婦が営む
中国茶専門店〈奥泉(おくいずみ)〉がある。
2016年に札幌市・円山で店を構え、2020年1月に東川町へ移住して移店。
札幌での経営は軌道に乗っていたものの、あえて地方への移住を決断した。

斉藤裕樹さんと奥泉富士子さん。ふたりの穏やかな人柄とやさしい笑顔に和まされる。

斉藤裕樹さんと奥泉富士子さん。ふたりの穏やかな人柄とやさしい笑顔に和まされる。

富士子さんはきっかけのひとつに“水”をあげる。

「私たちが店で扱っている〈武夷岩茶(ぶいがんちゃ)〉はとても繊細で、
水が違うだけで味や香りが変わってきます。
同じ茶葉でも淹れる地域によって表情が変わるくらい、水に大きく左右されるんです。
北海道各地を見て回るたび、
持参した武夷岩茶の茶葉を現地の水で淹れて飲み比べていたのですが、
東川町はなんといっても水がおいしいのが決め手でした」(富士子さん)

裕樹さんも「武夷岩茶は白亜紀の時代に地殻変動で隆起してできた岩場で
栽培されるのですが、その岩肌から豊富な栄養分を吸い上げるんです。
東川町の水はミネラルに富んでいて、
うちで扱う岩茶と相性が良かったのが大きかったですね」と言う。

店名の〈奥泉〉は富士子さんの旧姓で、漢字で響きがいいことから名づけたそう。

店名の〈奥泉〉は富士子さんの旧姓で、漢字で響きがいいことから名づけたそう。

「東川町は北海道で唯一上水道施設がなく、
大雪山系から湧き出す天然の地下水を生活用水として利用しています。
ちょっとかためなんですけど甘みがあるんですよね。
季節によっても水の味は変わるので、お茶の出方も微妙に変わります」(富士子さん)

お茶本来の魅力を最大限に引き出すため、より良質な水を求めて移住を決めた。
東川町は自分たちの仕事に対して志を高く持ち、真摯に向き合っているからこそ、
ようやくたどり着いた新天地なのだ。

〈永山本家酒造場〉の〈ドメーヌ貴〉
自社の田んぼでつくったお米100%の
テロワールのある日本酒

ヨーロッパのワイナリーに憧れて

「最近は、タテのラインがおもしろい」と言うのは、
山口県宇部市にある〈永山本家酒造場〉の永山貴博さん。
“タテのライン”とは、宇部空港を通り、山口県を南北に縦断するラインである。
そのライン上には個性的なお店が点在し、永山本家酒造場もそこにある。

永山本家酒造場は1888年創業の酒蔵。
目の前を、カルスト台地として有名な秋吉台から瀬戸内海へと流れ込む厚東川が流れ、
ミネラルが豊富なその水で日本酒を仕込んでいる。
周辺にはのどかな田園風景も広がり、酒米を育てている。きれいな水とお米。
お酒を醸すのに適した土地なのだ。それゆえ全盛期には4軒の酒蔵が並んでいたという。

厚東川はカルスト台地が水源。

厚東川はカルスト台地が水源。

オフィスとショップが入る建物は、
昭和3年に建てられた村役場をリノベーションしたもの。
国の登録有形文化財に認定されている味のある意匠で、
1階が日本酒などの直売所、2階がカフェになっている。

2017年に国の登録有形文化財に認定された。

2017年に国の登録有形文化財に認定された。

現在の当主が5代目の永山貴博さん。
2002年に〈貴〉という純米酒を発売し、同社の看板ブランドに育てた。

永山貴博さん。自ら杜氏となり〈貴〉をつくり出した。

永山貴博さん。自ら杜氏となり〈貴〉をつくり出した。

永山さんは、日本酒づくりにおいて、味や製法はもちろんのこと、
その根本に思い描く理想の環境がある。

「2007年頃、ヨーロッパのワイナリーを視察したときに、
周辺にぶどう畑が広がっている風景を見て、
日本酒づくりにもこういう風景がほしいし、“できるはず”と思いました」

ぶどうとワイン、お米と日本酒。その関係性はよく似ている。

「酒蔵で重視されるのは、麹や時間、温度などの醸造技術。
一方ヨーロッパのワイナリーでは醸造よりも、ぶどう畑の土の話ばかりしていました」

それはもう、農業の領域といっていい。
いい土をつくることが、いいワインをつくることにつながるというわけだ。
それが、日本の酒蔵とワイナリーの大きな違いであった。

酒づくりの現場。20〜40代のスタッフが多く働いている。

酒づくりの現場。20〜40代のスタッフが多く働いている。

「ワインのように、現地でとれる原料に気を使いながらお酒をつくる。
日本酒も本来は、そういう農産物加工品であるべきだと思っています」

ここから、現在でも永山本家酒造場のホームページに掲げてある
「テロワールを求めて」というコンセプトが誕生した。
テロワールとは、地域の自然環境のアイデンティティのこと。
その土地でとれるものの個性を大切にしながら料理や加工していく食文化のひとつだ。

「若いスタッフの柔軟性は勉強になる」と永山さん。

「若いスタッフの柔軟性は勉強になる」と永山さん。

「自分たちの土地でできたお米でお酒をつくってあげる、
それが“地酒”の存在理由だと思います」

その土地でとれる原料でつくるからこそ地酒である、というのが永山さんの哲学。
その信念に基づくと、自ずと製造方法の方向性が定まってくる。

「いい素材をつくり、その良さを引き出したい。
それはどこまでその素材を信じられるか、ということ。
あくまで素材の味があるはずので、
いたずらに磨いたり、香りを高くするべきではないと思います」

自分たちのつくりたい味や醸造技術を押しつけるのではなく、
土地でとれたお米をそのまま生かす。
そうすれば自然とお米に合わせた、その土地ならではのお酒ができあがるはずだ。

写真家・若木信吾
浜松で本屋を営んで11年。
次世代の文化をつくる

BOOKS AND PRINTSが浜松に残したもの

大手書店とは異なるこだわりのセレクトで、店主の個性が垣間見える。
そんなブックストアが、東京や都心部のみならず、全国に増えてきた。
その先駆けとなったのは、静岡県浜松市にある〈BOOKS AND PRINTS〉だろう。
数々の雑誌の表紙撮影や写真集なども発売している写真家・若木信吾さんが、
生まれ故郷である浜松市で始めた本屋だ。
しかし当時、本人には“先駆け”なんてつもりもないし、“地域貢献”のつもりでもなかった。

ビルの前には大きな立て看板。

ビルの前には大きな立て看板。

若木さんは浜松で生まれ育ち、高校生までを過ごした。
自宅から高校まで、自転車で毎日まちなかを通り抜けて通っていたという。

「写真部でしたけど、実質は帰宅部のようなもの。
学校が終わったら、すぐに帰って、映画を観たり、本屋さんに立ち寄ったり。
今はひとつしかないけど、映画館はもう少しありましたね。
当時は浜松に写真集なんて売ってなかったから、写真に触れ合うといえば雑誌がメイン。
『POPEYE』や『BRUTUS』などをよく読んでいました」

写真自体は小学生から興味を持ち、撮影もしていたという。

「海外の写真家に興味を持ったのは、ポストカードから。近くに額装屋さんがあって、
そこでアンリ・カルティエ=ブレッソンとかのポストカードを売っていたんです」

店内に入ると、左手一面に本棚が。

店内に入ると、左手一面に本棚が。

高校卒業後、写真家を目指す若木さんが選んだのは、東京ではなくニューヨークの大学。
当時は、海外旅行のハードルも低くなり、同時に海外留学する人も多かった。
地方の人が東京に憧れるのと並列に、
海外という選択肢も選べる時代になりつつあったのだ。

大学を卒業後は日本、ニューヨーク、サンフランシスコを行き来しながら
仕事をする生活が10年ほど続いた。
そして徐々に日本での仕事が増えてきて、東京に腰を据えたのが1999年のこと。
このとき、選択肢は浜松ではなかった。

「雑誌が好きで写真を始めたけど、浜松には雑誌がないですもんね。
いまほど、物理的にも精神的にも、東京と浜松が近くは感じなかったです」

〈東京都離島区大島プロジェクト〉
大島の未来を見据える島の今を
伝えるメディア『東京都離島区』

東京都離島区大島プロジェクト vol.01

大島、ひいては東京諸島全体を盛り上げるために東京都のバックアップのもと、
“あなたらしい大島の物語”をつくっていくことを目指し、
さまざまな活動を行っていく「東京都離島区大島プロジェクト」。
この企画では3回に分けて、プロジェクトの6人のキーパーソンを紹介していく。
第1回となる今回は、『東京都離島区』という東京諸島特化型のウェブメディアを、
いままさに立ち上げようとしている〈アットアイランド〉の伊藤奨さんと
〈トウオンデザイン〉の千葉努さん。
ふたりがメディアを通じて伝えたいこと、そしてそこにつながる未来のビジョン。
大島を中心に、東京諸島の動きが活性化してきている。

〈裏砂漠〉など、大島には雄大な自然が残る。

〈裏砂漠〉など、大島には雄大な自然が残る。

若者たちが島に戻って来たくなる土壌づくり

幼稚園は伊豆大島、小学校は小笠原の父島、小学校6年生から高校卒業までが八丈島。
東京諸島でさまざまな活動をしている一般社団法人アットアイランド代表の伊藤奨さんは、
まさに東京諸島の申し子とでもいうような人物だ。

高校卒業後は教師になることを目的に本土の大学に通っていたが、
やはり自分を育ててくれた東京諸島へ、なにか恩返しがしたいと常々思っていたという。
きっかけは高校3年生のとき。八丈島の高校の生徒会長をやっていたときに、
大島の高校から伊豆諸島をつなぐ高校生のイベントをやろうと誘われたこと。

アットアイランド代表の伊藤奨さん。島のさまざまなプロジェクトに関わりつつ、島で新規開業する人へのサポートも積極的に行っている。

アットアイランド代表の伊藤奨さん。島のさまざまなプロジェクトに関わりつつ、島で新規開業する人へのサポートも積極的に行っている。

「高校生たちが主体になって、資金も集めて、
大島にさまざまな島の高校生が集まるドリームプロジェクトというイベントを
開催しました。それがあって、僕らの世代の伊豆諸島の高校生たちに、
これまでなかった建設的な会話ができるつながりができたんです」

それまでは各島の高校生同士は部活の試合くらいしか交流がなかった。
だからどちらかというとライバルという意識で育つ。それがこのイベントを機に変わった。

「都心に出てきた大学生時代にも、島ごちゃまぜで集まっていました。
意外にもその関係が心の支えとなっていました。
それが大学卒業とともになくなってしまうんじゃないか、
ということにもったいなさを感じて、
このつながりを残したいという思いから有志でアットアイランドを立ち上げました」

目的は、島同士を連携させて、より豊かな東京諸島の在り方を目指すというもの。

「それから1年間、社会人の傍ら、さまざまな島を巡って、
一体なにが課題なのかをヒアリングしてきたんですが、
外部にいたらぼんやりとしか見えてこないんです。
それもそうで、島に住んでいた頃は呑気な高校生でしたし、
島を出てからもう6年も経っていたんです。だったら当事者に戻ろうということで、
あえて自分がこれまで住んだことのなかった三宅島へ移住して起業しました。
三宅島を選んだ理由は語れば長くなるのでまた別の機会に」

伊藤さんと神田さんが大島にオープンしたシェアハウス〈大島クエストハウス〉の共有スペース。

伊藤さんと神田さんが大島にオープンしたシェアハウス〈大島クエストハウス〉の共有スペース。

まず最初に取り組んだのは教育関連。
島の子どもたちを集めてキャンプイベントを主催するなど、
自分で興味をもったことにチャレンジしてみるきっかけをつくるような活動が中心だった。
でも「やりたいこと」と「現実的な収益性」にはかなりギャップがある。
そんななか、ご縁からいい空き家との出合いがあり、
三宅島では初となるゲストハウスを始めた。コンセプトは「五感を拓く、暮らし旅」。

「三宅島はダイビング、イルカ、火山、野鳥というようなコンテンツ自体は強いんですが、
そこだけを目指してくる人がやはり多くて、
ふらっとまちを歩いてくれるような人はあまりいませんでした。
そこで、暮らしというものを体感できるような滞在ができる場所として機能するような
ゲストハウスをつくりたかったんです。例えば、魚に興味があるゲストさんが来たら、
島の漁師さんに来てもらって一緒に鍋をしてみる。
そのお客さんの興味に合わせていろんなつながりも提供できる宿です」

ミュージシャン・DJみそしると
MCごはんの旅コラム
「富山のハレとケ、
さらに異国情緒たっぷりのグルメ旅」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第23回は、ミュージシャンの「DJみそしるとMCごはん」さんです。
名前のとおりくいしんぼうな彼女による富山の旅。
食文化の3つの側面を発見し、その虜になったようです。
見事な「食レポ」は、読むだけでお腹が減ってきます。

富山の海の幸から、庶民の味まで

富山で「A面」「B面」「隠しトラック」とも呼べるような料理に出合った、
想定外のグルメ旅。わたしは富山の虜になった。

2021年12月初め。夫が仕事で北陸に行くと聞き、仕事とはいえうらやましい!
私も未開の地でいい思いがしたい! と、
持ち前の“隣の芝が青く見えすぎる症候群”が発動し、
仕事の翌日、富山で合流して旅行することになった。

旅行が決まったものの、2日前になってもノープランだった。
原田マハさんの『フーテンのマハ』という旅エッセイを読んでから、
行き当たりばったり旅に憧れていたのだ。
しかし、夫に「旅の食べ物は任せたよ」と言われハッとする。
マハさんと違って自分は旅慣れていない。ぼんやりしたまま旅が終わるのが想像できた。

冬の富山といえば、氷見の寒ブリ。食べるなら今が絶好のチャンス!
それに気づいた途端、急に富山に呼ばれている気がした。
インスタで「#氷見」を見まくると、
ブリ尽くしのコース料理が食べられる〈ひみ浜〉という店を発見。
その日の店の投稿を見ると、ブリの仕入れがあり、
我々が富山にいる日に新規予約を受け付けるという。その場で電話すると予約が取れた。
いいブリがなければ、予約していてもキャンセルになる貴重な席だ。

目的がひとつ明確になると、宿や新幹線の時間もすぐに決まった。
氷見の寒ブリがわたしを突き動かす。

越前漆器や越前和紙。
福井の伝統工芸が、
世界的ブランドを動かす

伝統産業が息づく福井の地

福井県には、越前打刃物、越前箪笥、越前焼、越前漆器、越前和紙、若狭塗箸などの
伝統工芸品、そして眼鏡や繊維業など、ものづくりの精神がいまなお息づいている。

そのひとつ、越前漆器は歴史が古く、約1500年前から続いているといわれている。
お椀やお膳、重箱、お盆、菓子箱など、食に関連した漆器を中心に栄えてきた。
現在では量産態勢を整え、旅館などで使用する業務用漆器の有数の産地となっている。

その理由としては、まず地理的に京都に近いこと。
そして漆は水分を得て固まるので、
曇りが多く、雪が降るこのエリアは冬でも湿度が高いという、
自然環境が整っていたことがあげられる。

旅館などで使用される漆器のお椀。

旅館などで使用される漆器のお椀。

鯖江市にある〈漆琳堂〉は1793年創業。現在は料亭や業務用など漆器製造が主である。

「バイヤーさんがこのショールームに来て、お椀などをオーダーされていきます。
ここに展示してあるものはサンプル。
同じ物でも構いませんが、大抵は、柄や形など、
少しずつアレンジしていくオーダーメイドです」と
8代目を継ぐ現当主の内田徹さんが教えてくれた。

たくさんの同じようなお椀が並んでいるが、よくよく見てみると、
細いもの、低いもの、フチが反っているもの……、少しずつ形が異なっている。

「例えば一年を通して使うものなのか、春や秋など季節に合わせて使うものなのか。
それによっても条件は変わってきますので、すり合わせながら決めていきます」

1階はショールーム兼ショップでさまざまな商品が並んでいる。
2階は漆塗り工房になっていて、見学が可能だ(要予約、有料)。

子どもたちが内へ外へと走り回る!
いつでも人で賑わう、
家と自然と人、開かれたログハウス

ペルー・リマの暮らしに憧れて

家を建てる段階から、自分たちが住むこと以上に、
たくさんの人を招き入れることを想定していた。
そんな人好きな夫婦が長野県下伊那郡阿南町新野(にいの)地区に住む
金田信夫(かなだしのぶ)さん・紫織さんだ。

自宅前にて談笑する金田信夫さんと紫織さん。

自宅前にて談笑する金田信夫さんと紫織さん。

2005年、新野のまちを見渡せる高台に、
BESS(当時は前身のBIG FOOT)の「カントリーログ」を建てた。
当初は新野のまちなかの実家に両親と同居していて、
ログハウスは信夫さんの個人的な木工作業場として利用していた。
しかし、最初から「人をたくさん呼べる家にしたい」という
将来の使い方を想定していたようだ。

「1階は水周りへの導線にはドアをつけず、
2階も部屋をなくしてワンルームにしてしまいました。
トイレとお風呂のサイズも本来と逆なんですよ。
たくさん人が来たときに、トイレが広いほうが着替えたりできるので。
お風呂は近くに温泉もあるし、小さくていいかなと」という信夫さん。

2階は大広間のようになっていて、傍らには何組かの布団が積まれていた。
“仕切り”というものを極力排除して、お客さんの行き来を生みやすい設計になっている。

妻の紫織さん自慢のキッチンは、大きなフランス製のオーブンを備えつけにした仕様。
「まとめて40人分くらいは料理できますよ」と笑う。

壁に直接フライパンや鍋をかけて便利そう。ワイングラスホルダーもお手製。

壁に直接フライパンや鍋をかけて便利そう。ワイングラスホルダーもお手製。

ふたりが「人をたくさん呼ぶ」という暮らし方に魅力を感じたきっかけ。
それは信夫さんがペルーのリマ日本人学校に赴任することになり、
1999年から2001年まで一家で首都のリマに暮らしたことに影響を受けている。
そこでは、平日はまちの狭いアパートに住んで会社などで働き、
週末は車で1〜2時間ほど離れた自然豊かな場所に、
DIYで別荘(セカンドハウス)を建てる人が多くいたという。

「ペルー人の友人は毎週のようにホームセンターで買ったレンガを持って別荘に通い、
ひと部屋完成すれば友だちを招き、一緒につくりながら、
バーベキューをしたり、歌ったり、踊ったり。そしてまたひと部屋増える。
10年以上かけてセカンドハウスを自分でつくっていくんです」(信夫さん)

そんな暮らしに、豊かさと楽しさを覚えた。
そこに住む人、そして訪れる人次第で、家という箱はどんな空間にもなる。

そうして帰国後、水道も電気も通っていない高台の原野だった自分の家の土地を整備し、
“人がたくさん訪れやすい”家を想定して、BESSの家を建てることにしたのだ。

料理家・たかはしよしこ
アートディレクター・
フォトグラファー・前田景
北海道・美瑛町〈SSAW BIEI〉が
地産地消で表現する“四季”

前田さん家族が移住を決めた理由

なだらかに広がる丘陵陵地帯に、色とりどりの畑が幾重にも連なり美しく彩る。
北海道・美瑛町を「丘のまち」として世に知らしめた、
日本における風景写真の第一人者、故前田真三さんは、
丘の風景を長年撮影し続け、1987年にフォトギャラリー〈拓真館〉を開設した。

そして2020年4月、その〈拓真館〉をリニューアルするため、
孫でアートディレクター・フォトグラファーの前田景さんと
料理家のたかはしよしこさん夫妻が東京から美瑛町へ移住。
2021年9月にはレストラン〈SSAW BIEI〉をオープンした。

ここ美瑛町を新天地に、前田さん家族の新しい生活が始まった。

2011年によしこさんが考案した天然塩やスパイス、ナッツを合わせた
万能調味料〈エジプト塩〉はファンを着実に増やし、
2012年には東京・西小山に
自身のフードアトリエ〈S/S/A/W〉(現在は〈エジプト塩食堂〉)をオープン。
翌年には景さんがデザイナーとして独立し、
よしこさんの事業でクリエイティブディレクターを務めるなど、
ふたりの仕事は順調に運んでいた。

「結婚する前から北海道とは縁があって、仕事でよく来ていたんです。
地方で暮らしている方々の姿を見ているうち、すごく豊かに感じていて。
でも東京へ帰ると、またいつもの暮らしに戻っての繰り返し。
そこにいろんな出来事や機会が積み重なって、スローダウンしたかったんです」
とよしこさんは言う。

白樺に囲まれた森の中に佇む小さな一軒家レストラン。天気がいい日は店前のテラス席も開放される(5〜10月)。

白樺に囲まれた森の中に佇む小さな一軒家レストラン。天気がいい日は店前のテラス席も開放される(5〜10月)。

その頃、景さんは仕事で陶芸作家のルート・ブリュックを取材するためフィンランドを訪れ、
当時ブリュック一家が過ごしていたサマーハウスを見て心動かされた。

「本宅が別にあって、サマーハウスは純粋に創作の場なんです。
ボートでしか行けないような立地で、建物には電気も水道も引いていない。
しかも白夜の季節だから日が暮れないので、創作に集中できる。
北極圏に位置するラップランドは四季がはっきりしていて、季節の移り変わりが早い。
その様をつぶさに観察し、インスピレーションを得ながら創作に生かしていたそうです」

それを聞いて、北海道でも同じように、
何か新しいものが得られるのではないかという期待を感じたという。
いつか自分が〈拓真館〉を継がなければという使命感を抱えていた景さんは、
帰国後によしこさんと話し合い、美瑛町へ移住することを決めた。

その土地に長く暮らす地元の人でも気がつけない魅力がある。
例えばクリエイターにとって自然や四季は想像力を掻き立ててくれるし、
長い冬も構想を練ったり、作業に当てられる貴重な時間となり得るのだ。

廃校になっていた旧小学校の体育館を真三さんが私費を投じて改装し、1987年に開設された個人の写真ギャラリー〈拓真館〉。

廃校になっていた旧小学校の体育館を真三さんが私費を投じて改装し、1987年に開設された個人の写真ギャラリー〈拓真館〉。

福井県の郷土料理と
〈上庄さといも〉の煮っころがし

雪深いからこそ生まれた、特色のある食文化

全国各地に伝統的な食文化がある。
特に福井県の雪が深い丹南地区(鯖江市、越前市、池田町、南越前町、越前町)や
奥越地区(大野市、勝山市)などでは、細かい区分けでそれが伝えられている。
かつて山間部では、冬の間は隣町に行くことすらできなかったので、
その土地だけに伝わる固有の食文化が生まれた。
それが、福井県の食の多様性につながっているようだ。

「同じお漬物でも隣の谷とは味つけが違ったり、まったく食べないものがあったり」と
教えてくれたのは、福井郷土料理研究家でフードプロデューサーの佐々木京美さん。
“谷ごと”とは、かなり局地的だ。

ぜんまいのお和え。

ぜんまいのお和え。

例えば豆腐。自家用車がなく移動が困難な時代、
ある谷では、原料の大豆をすって白和えなどをつくっていたという。
ほかの谷では塩を1年分購入してわらに敷き、
そこから落ちる汁をにがりとして自分たちで豆腐をつくっていた。
豆腐がなくても、代用を考えるのか、豆腐自体をつくるのか。
同じ福井県なのに、その手法に地域性が表れて興味深い。

子どもも大人もシシになる!
鹿踊(ししおどり)の体験を通して
継承の想いを未来につなぐ

伝統ある岩手の「鹿踊」に訪れた危機とは?

世界遺産で知られる平泉町にほど近い、岩手県一関市厳美町の本寺地区。
美しい田園風景が広がるこの地域は、その昔「骨寺村(ほねでらむら)」と呼ばれ、
中尊寺の所領としてお米を納めた荘園だった。
中世の景観がほぼそのままのかたちで維持されていることから、
地域の貴重な遺産として大切に守られている。
こうした歴史を伝える骨寺村荘園交流館で、2021年10月31日、
鹿踊(ししおどり)団体の踊りの披露と体験ワークショップが開催された。

天に向かってすっくと立ち上がるササラが印象的な鹿踊。鹿頭から垂れ下がる喉紋(のどもん)には、伊達家お墨付きの家紋「九曜(くよう)」を染め抜いている団体が多い。地域ごとに衣装や踊りも微妙に異なるという。

天に向かってすっくと立ち上がるササラが印象的な鹿踊。鹿頭から垂れ下がる喉紋(のどもん)には、伊達家お墨付きの家紋「九曜」を染め抜いている団体が多い。地域ごとに衣装や踊りも微妙に異なるという。

鹿踊とは、岩手県と宮城県に広く伝えられている郷土芸能で
岩手県は日本一多くの鹿踊団体が活動する聖地。
その由来や歴史は地域によってさまざまだが、山への感謝と命の供養、
五穀豊穣を祈る芸能として、お盆や祭りの時期に各地で踊り継がれているものだ。
様式は地域によって「幕踊り系」と「太鼓踊り系」に大別され、
一関地域の鹿踊は「太鼓踊り系」。
腹に太鼓を下げ、踊り手自らが歌を歌い、太鼓を打ち鳴らしながら踊るのが特徴で、
ササラと呼ばれる竹を一対つけ、頭上高く掲げているのが印象的である。
装束も独特で、鹿を模した鹿頭(ししがしら)に本物の角を立て、
馬の黒い毛をザイ(髪)とし、さまざまな文様を鮮やかに染め抜いた衣装をまとう。

鹿踊の由来については、狩猟で犠牲になった鹿の命を供養する説、春日大社に起因する説など、地域によってさまざま。説は違えど、自然に対する感謝と畏敬の念が込められているという。

鹿踊の由来については、狩猟で犠牲になった鹿の命を供養する説、春日大社に起因する説など、地域によってさまざま。説は違えど、自然に対する感謝と畏敬の念が込められているという。

「太鼓踊り系」の鹿踊は、ひとり3役。太鼓を叩き、自ら歌い、舞い踊るため、かなり体力を使うハードな踊りである。ダイナミックな跳躍は行山流鹿踊の特徴だ。

「太鼓踊り系」の鹿踊は、ひとり3役。太鼓を叩き、自ら歌い、舞い踊るため、かなり体力を使うハードな踊りである。ダイナミックな跳躍は行山流鹿踊の特徴だ。

ササラを振り、太鼓を叩きながら大地を踏み鳴らし、時にダイナミックに、
時にユーモラスに踊る様子は、鹿たちが戯れ、遊んでいるかのよう。
戦争で一時中断した団体も多かったが、それぞれの地域の努力によって
後継者を育てながら、連綿と受け継がれてきた。
最近は、参加する若者も少しずつ増えるなど、好転しつつあった現況を
大きく変えたのが新型コロナウイルス感染症の感染拡大だった。
各地の祭りや催事の多くが中止・延期になり、鹿踊を披露する機会が激減。
ほとんどの団体が、約2年にわたって活動の自粛に追い込まれたのだ。

家具職人・鰤岡力也の旅コラム
「岩手・遠野、初夏の渓流で
イワナを釣り上げる」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第22回は、〈MOBLEY WORKS〉として家具や内装を手がけている鰤岡力也さん。
ある人の影響ではまったという渓流釣り。
家具販売の仕事と相まって、
遠野や盛岡への旅が、鰤岡さんのなかで毎年の定番化していったようです。

渓流でのフライフィッシングにはまる

90年代アメカジブームの真っ只中を過ごしてきた40代の僕は、
旅行といえばアメリカでしょという思考の持ち主だ。
30代の頃は毎年2、3週間くらい休みをとって
ニューヨークやらポートランドに通っていた。
ポートランドに友人が住んでいたこともあり、家族全員で友人の家に転がり込み、
特に何もせず公園に行ったりDIYセンターに行ってみたり。
平屋の家に広い芝生、何気ないアメリカの風景に心踊らせていたものだ。

僕は家具屋を営んでいて、手伝ってくれているスタッフが何人かいる。
6、7年前にひとりのおじさん(通称ジョーさん)が手伝ってくれることになった。
バーに勤めていたり、キッチンカーでコーヒーを売っていたり、
本職はエアコン屋さんだったり、とにかく器用。
その人の趣味がフライフィッシングだった。

アメリカで車と地図を購入してトラウトを釣る話など聞いているうちに、
僕も一式揃えて近くに釣りに行くことになった。
父親が釣り好きなこともあり、
小中学生の頃は学校から帰ると毎日川に遊びに行っていたし、
大学生の頃は上州屋(釣具店)でバイトしていたこともあり素地はできている。

完全にはまりました。完全にはまりました。2回、言います。

それを機にイワナやヤマメが住んでいるいわゆる渓流という川を調べまくることになる。

イワナやヤマメを狙う渓流。

イワナやヤマメを狙う渓流。

【細尾真孝×山井梨沙】
新しい糸を開発して
「環境×織物」の実現を目指す

『FIELDWORKS』は、新潟県を拠点にキャンプを中心とした
ローカルなライフスタイルを提案するスノーピーク代表取締役社長の山井梨沙さんが、
ローカルでありプラネット的なモノ・コト・ヒトに出会いながら、
コロナ後の暮らしのスタンダードを探し求める「フィールドワーク」の記録。
2回目となる今回は、地域産業である家業を継ぐことについて、
京都・西陣織の老舗〈細尾〉で革新的な試みを続ける細尾真孝さんに話を聞いた。

“〈HOSOO

〈HOSOO GALLERY〉にて展示を囲む。

デヴィッド・リンチと遊牧民がつないだ出会い

山井梨沙(以下、山井): 初めて会ったのは、2016年、東京の表参道にある〈GYRE〉で
開催されていた細尾さんと映画監督のデヴィッド・リンチとのコラボレーション展。
織物で渦を表現するような空間インスタレーションの展示をしていました。
音もオリジナルの曲がサラウンドでかかっていて、ものすごい体験だった。
当時、FedExの営業担当の方が〈細尾〉も担当していて、
ぜひ細尾さんに会わせたいと言ってくれて、
もともとデヴィッド・リンチの作品も好きだったから一緒に展示に行ったんです。
その後、別件で細尾さんと打ち合わせをしたときに、
『ドラゴンボール』の「ホイポイカプセル」のように投げたらバーンと出てくるような家を、
織物でつくりたいと相談してくれたんです。
だからもう、知り合って5年近くになるんですね。

細尾真孝(以下、細尾): そうそう、当時、織物で家ができないかと思っていて、
ちょうどその格納にホイポイカプセルを思いついたときだったんです。
建築は構造があったうえで機能を持つんですけど、
織物に構造と機能を与えるにはどうしたらよいのかと考えたら、
まずは織物を家として利用しているところ、
例えばモンゴルの遊牧民が暮らすゲルを見に行ってみようということで、
初めての打ち合わせのときにそのことを話したんです。
そしたら山井さんが「私、遊牧民とコンタクト取れるかも!」と言ってくれたのが
我々の出会いですね、ざっくり言うと(笑)。

ホイポイカプセルならではの急展開

山井: コロカルさんでも以前取材されていたように、
西陣織の老舗の跡取りで、〈クリスチャン・ディオール〉や〈シャネル〉などとも
一緒に仕事をしている、かなりクリエイティブで革新的な人だとは聞いていましたけど、
初回からホイポイカプセルについて打ち合わせるという展開になったので、
かなりインパクトがありました(笑)。
細尾さんからモンゴルというキーワードが出てくる2週間くらい前に、
写真家の山内 悠さんからモンゴルでの撮影話を聞いていて、
ちょうどスノーピークとしてもキャンプの原点を遡りに
モンゴルに行きたいと思っていたんですよ。
そんな運命的なタイミングで細尾さんからモンゴルの話を聞いたので、
すぐに「行きましょう!」ということになり、
半年後には山内さんを連れ立ち、一緒にモンゴルへの旅に出ました。

DJ・Licaxxxの旅コラム
「予測不能な京都ひとり旅。
あるおばあちゃんとの出会い」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第21回は、DJやビートメイカーとして活躍するリカックスさん。
ひとり旅を旅の醍醐味と考えて旅した京都のナイトライフ。
カウンター酒場で世代を超えた出会いがあった、刹那な思い出です。

「旅っぽさ」を堪能する

私は旅の楽しみ方というものがわかっていないタイプの人間だ。
国内外問わず、仕事で遠征に行くことが多いのだが、
DJの仕事は週末に集中しているので、そのまま次の現場に移動せねばならず、
なかなか延泊してその土地を楽しむということができない。
DJ前に泥酔するわけにもいかないし、
せいぜいごはんを食べて、美術館や展示に滑り込むのが精一杯だ。

さて、じゃあわざわざ予定を立てて仕事と別で旅行に行こうか?
いや、海や山を堪能するには体力がないし、
そもそも誰かを誘って予定を組むのもなかなかに億劫になってしまう。
そんな腰の重い私だって、本当は旅とやらがしてみたい!
何か理由をつけて旅を探しに行くぞ! と思ったのは、
友だちのDJやライブに合わせて行くというタイミングだった。
これなら仕事もないから酔っ払えるし、
ひとりに飽きても最終的にはみんなのいるところに合流できる。

これは2018年の出来事。
さて、ついたのは京都である。

夜には〈地点〉という劇団の稽古場兼アトリエである
〈アンダースロー〉に公演を見に行く。
さらに夜中は四条河原町にあるクラブ〈West Harlem〉で友人たちがDJをしている。
このふたつの項目を軸に、私はひとりで行動する時間を
“旅っぽさを堪能する時間”とした。果たして成功するのか。

17時ぐらいに京都に到着し、早速ひとり呑みと腹ごしらえをスタート。
やっぱりひとりでしっぽりやるといえば、蕎麦。
呑みすぎると公演中に眠くなるので1杯だけウーロンハイ。
オープン直後のせいか誰もいない。
蕎麦は基本的に無言で黙々と食べきるのがおいしいのでひとりに向いていると思う。
ここではちゃんと写真を撮っている。

そこから散歩しつつアンダースローに到着、無事に公演を観る。

目の前の川で釣り糸を垂れ、
せせらぎを聞きながら一杯飲む。
那珂川での川のある暮らし

コンパクトシティ・福岡ならではの暮らし方

福岡の移住先として人気なのは、糸島半島エリア。
福岡市内から西に30分もドライブすれば、
ビーチリゾートのようなのんびりとした環境が広がっている。

では、山側となると、どこだろうか。
最近、俄然注目を集めているのが、今回紹介する那珂川市だ。

きっかけは、2011年に九州新幹線が開通したこと。
那珂川市にある博多南駅と博多駅間が8分で結ばれ、
福岡市内に通勤する人たちのベッドタウンとして選ばれるようになった。
実際に那珂川市の南端にあたる南畑地区は、その環境の良さに若い移住者が増加中。
手つかずの自然がありながら、都心へも車で40分程度。
個性的なショップやカフェもでき、新たな賑わいをみせている。

今回ご紹介する2家族も、
ここ1年のうちに南畑にBESSの家を建てた30代のファミリー。
目の前を清流が流れ、家にいても川のせせらぎが聞こえる環境のなか、
新しい暮らしを心底楽しんでいた。

那珂川市南畑地区の上空から。眼前には棚田が広がる。

那珂川市南畑地区の上空から。眼前には棚田が広がる。

きっかけは、デートで行ったログハウス

福岡市から車で南下していくと、住宅地から徐々に田畑の広がる風景へと変わっていく。
水遊びスポットとして人気のある中之島公園を抜けて、山あいに差しかかる頃には、
深呼吸したくなるような大自然。
佐賀県へと抜ける県道から一本逸れると、今回の2家族の住む宅地があった。

到着してまず最初に私たちを出迎えてくれたのは、
坂田真一さん、望友(みゆ)さん、真悠(まはる)くん一家。
BESSのログハウス、ホワイトグレーの「G-LOG」が、夏の空に映える。

木造りの温かみと、洗練されたデザインの両立が人気のG-LOG。

木造りの温かみと、洗練されたデザインの両立が人気のG-LOG。

真一さんは福岡市内の出身。市街地で生まれ育ったが、母の実家は佐賀県武雄市。
子どもの頃は、里帰りするたびに、大自然に包まれる環境にワクワクしたという。

「家族を持ったら、田舎暮らしがしたい」

そう思いながらも、勤務地が福岡市内のため、なかなか決断できずにいた。

そんな折、妻の望友さんと一緒に、熊本・小国のあるカフェを訪れた。
そこは、オーナーがセルフビルドしたログハウスのカフェで、ふたりは一目惚れ。
男の子が誕生したこともあって、家探しは一気に加速した。
BESSのLOGWAY(ログウェイ・展示場)に見学に行き、
担当が那珂川の土地を見つけてきてくれて、「ここだ」と即決。

「背後には脊振山、家の目の前は筑紫耶馬渓。こんなすばらしい環境、なかなかない。
子どもの頃に好きだった武雄に似た雰囲気も感じて、迷いなく決めました」

デートで行ったログハウスが忘れられなかったという坂田さん夫妻。ついに念願の我が家を手に入れた。

デートで行ったログハウスが忘れられなかったという坂田さん夫妻。ついに念願の我が家を手に入れた。

一方、望友さんには不安要素が残っていた。
なんせ、宅地といえど当時はまだ畑を切り開いたばかりの土地。
近所に息子と近い世代の子がいるとも思えない。
通学はどうする? いざというときの病院は? 
望友さんは、事前に入念なシミュレーションをすることにした。

「ここでの暮らしが楽しみだったからこそ、
引っ越してから失望しないように準備しようと思って。
病院まで何分、スーパーまではこう行く、幼稚園はここなら良さそう。
そうやって、細かく情報収集していきましたね」

九州は近年、夏の豪雨による水害が増えていることから、川の氾濫なども気になる要素。
だが、実際どうなのかは、インターネットで調べてもなかなかわからない。
望友さんは、現地の人に聞き込みをして確認。
自分のなかで安心材料をひとつずつ集めていった。

市街地から田舎への移住は、生活スタイルの変化を余儀なくされる。
そのため、家族のなかで優先順位をはっきりさせることが大事だ。
坂田さん一家にとっては、まず環境が第一。かといって便利さも、諦めたくはない。
那珂川の環境は、このバランスがちょうど良かったようだ。

こうして、2020年の6月に転居。コロナ禍での新生活が始まった。

〈Get Me To The Church〉
東京から京都・綾部へ移住し、
カトリック教会をレストランに

旧教会がそのままレストランに

京都府の北部に位置する綾部市。
JR綾部駅から、歩いて15分の古い民家が並ぶ一角に突如、美しい教会が現れる。

住み手のない古民家が改装され、新たに店舗などとして生まれ変わる。
そんな例は珍しくない。けれど教会をそのままレストランに、という話は聞いたことがない。

ここは60年前に建てられた木造の旧・綾部カトリック教会で、
現在レストランとして運営されている。
その名も〈Get Me To The Church〉、“私を教会に連れてって”だ。

まるで教会だが、実はレストランであることに驚く。

まるで教会だが、実はレストランであることに驚く。

産地への「憧れ」で、東京から綾部へ

経営するのは料理人の宮野晋さん。
宮野さんは東京で出版社に勤務。そしてイベントプランナーを経て、
蕎麦懐石の人気店〈みや野〉を阿佐ヶ谷で25年経営。
そこから綾部に移住し、2019年に教会でレストランをオープンした。

“オーナーシェフの宮野晋さん。”

オーナーシェフの宮野晋さん。

「〈みや野〉で立ち退きの問題などがあったことがきっかけですが、
新しいことをやってみたくて」と移店を考え始めた。
当初は、京都市内での開業を考えていたが、
物件を見て回るうちに自然と綾部まで足を延ばすことになったそうだ。

「京都市から“遠い”といっても、綾部は(京都市内の)二条駅からJR山陰本線で59分です。
東京でいえば山手線1周と変わらない。都市部から1時間離れるだけで、
“自分のやりたいことを諦めて実現できないなんて、人生つまらないな”と考えて。
価値があるものをお出しすれば、
きっとお客さまは遠くても来てくれるだろうと思ったんです」

それまで〈みや野〉では、新鮮な食材を生かした料理を提供してきたこともあり、
より産地に近い場所でレストランを営むことは「憧れ」でもあったという。

「京都を含む、全国各地のさまざまな素材を取り寄せていました。
だからいい水があって、無農薬の野菜があって、とれたての魚があるという、
より第1次産業に近いところでお店をやるビジョンはずっと持っていたんですね。
だから、その思いを叶えたという感じで。水はすぐ近くに名水の出る井戸があります。
それに丹波地方は寒暖差の激しいところなので、
山菜や松茸、いろんな野菜がとれることもここに来た理由です」

“梅肉をそえたオクラのわらび粉寄せ。もちろん綾部産の食材を使用。”

梅肉をそえたオクラのわらび粉寄せ。もちろん綾部産の食材を使用。

丹波篠山の800坪の土地へ移住。
畑と竹林に囲まれたログハウスに住む

都会生活から草刈り生活へ

家を建てるにあたって、まずは土地を選ぶ。
整理された住宅地ではなく、裏手に山が迫る土地を選んだ時点で、
山ノ口翔太さん・かなふさん夫妻の「暮らしの覚悟」は決まったのかもしれない。
しかも大阪市内から電車で約1時間、兵庫県丹波篠山市の山間部である。

山ノ口翔太さんとかなふさん。

山ノ口翔太さんとかなふさん。

とにかく「草刈りが大変だ」と翔太さんは繰り返す。
〈BESS〉の「カントリーログ」を建てるために購入した土地は、
「見に来てみたら、雑草が生えまくり」だった。まずは草刈りをしなくてはならない。
ここからすでに、自分たちの手による里山暮らしがスタートしていたようだ。

土間が木製である「木土間」仕様。

土間が木製である「木土間」仕様。

「最初は雑草に加えて竹もたくさん生えていて、ジャングルのようでした。
1年間かけて、自分たちの手で土地の整備をしました。
竹は400本くらい伐っているんじゃないかな(笑)」

それまで大阪の中心部で暮らしていて、
もちろん草刈りなどしたことはないという翔太さん。
家を建てる前の草刈り作業は、予想以上に過酷だったようだ。

「最初は家も建物もない。つまりトイレも水道もないわけです。
だから、特に炎天下での作業は堪えましたね。
草刈りのために、クーラーボックスいっぱいに水を入れて大阪から通いました」

最近では草刈りも手慣れたもの。とはいえ、夏は週1回やっても間に合わないそう。

最近では草刈りも手慣れたもの。とはいえ、夏は週1回やっても間に合わないそう。

屋内に設置したブランコ。

屋内に設置したブランコ。

〈グッドネイバーズ・ジャンボリー〉の
オフィシャルTシャツを染める
奄美大島の〈金井工芸〉へ

リバーバンクの森から南海の島へ

グッドネイバーズ・ジャンボリー(以下、GNJ)には
毎年多数のクラフトマンやアーティスト、シェフなどが
全国あちこちから参加してくれます。
今回はそのなかのひとり、奄美大島の染色作家、〈金井工芸〉金井志人さんの工房に
コロナ禍の緊急事態宣言の合間をぬって訪ね、
考えたことなどを書いてみたいと思います。

奄美大島から加計呂麻島を望む。

奄美大島から加計呂麻島を望む。

GNJでは毎回20〜30組ほどのものづくりのワークショップを開いています。
初期は鹿児島で活動しているクラフトマンから
その場でできる比較的簡単なものづくりを教わり、
一緒に体験して持って帰るということを行っていました。
しかし次第に参加してくれるクラフトマンも全国から集まってくれるようになり、
またGNJに協力してくれる企業のブースなども出るようになって
大がかりになってきました。

毎年工夫をこらして企画されるさまざまなクラフトワークショップ。

毎年工夫をこらして企画されるさまざまなクラフトワークショップ。

さまざまな企画をしていくなかで僕らが一番大事にしているのは、
ほかの地域でもできることではなくて、
「いま」「ここ」でしか体験できないものにしようということです。
具体的には鹿児島という地域ならではとか、GNJでしか実現できない組み合わせとか。
クラフトワークショップ企画担当の実行委員、
飯伏正一郎くん(自身もRHYTHMOSという
革細工のブランドを主宰するクラフトマン)を中心に、
各クラフト作家や協賛社のみなさんとディスカッションを重ねてつくってきました。

毎年人気のワークショップとなるのが、オフィシャルTシャツを制作してくれている、
ユナイテッドアローズ・グリーンレーベルリラクシング〉と
奄美の染色工房とのコラボレーションワークショップです。

毎年色違いで展開されるオーガニックコットンのGNJオフィシャルTシャツ。

毎年色違いで展開されるオーガニックコットンのGNJオフィシャルTシャツ。

会場が廃校だということもあって、
オフィシャルTシャツはカレッジTシャツをモチーフに毎年色違いでつくっています。
それをワークショップ用として、特別に白地に白いラバープリントでつくってもらい、
GNJの会場で自分で泥染めをします。
プリント部分は染まらないので、くっきりとロゴが浮き出た自分だけのTシャツが完成。
イベントが終わると、その日のうちに持って帰れるというもの。

奄美の泥を持ち込んで染色のワークショップを展開。

奄美の泥を持ち込んで染色のワークショップを展開。