連載
posted:2022.1.13 from:東京都大島町 genre:旅行 / 活性化と創生
PR 東京都
〈 この連載・企画は… 〉
ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。
writer profile
Takashi Sakurai
櫻井卓
さくらい・たかし●ライター。おもに旅やアウトドアのジャンルで執筆中。趣味は国立公園めぐり。日本国内はもちろん、アメリカを中心に、ネパール、ニュージーランド、オーストラリアなどさまざまな国立公園を訪れている。国立公園では、バックパックに生活道具一式を詰め込んで、テント泊ハイキングをすることが多い。
TAKASHI SAKURAI
photographer profile
Eriko Kaji
加治枝里子
かじ・えりこ●写真家。神戸出身・鎌倉在住。幼少期はニューヨーク州北部の湖や森に囲まれ、その後は神戸の海辺で育つ。2006年に渡仏しパリで独立。2010年東京に拠点を移し、日本各地の魅力を紹介する撮影を多く手がける。現在は保護者たちで運営する“森のようちえん”のような「青空自主保育でんでんむし」に4歳の娘と所属し、鎌倉の海や山で子どもたちと思いっきり遊びながら、写真制作も続けている。2020年夏、鎌倉材木座で写真展「黒い庭」を開催。
@erikokaji
大島、ひいては東京諸島全体を盛り上げるために東京都のバックアップのもと、
“あなたらしい大島の物語”をつくっていくことを目指し、
さまざまな活動を行っていく「東京都離島区大島プロジェクト」。
この企画では3回に分けて、プロジェクトの6人のキーパーソンを紹介していく。
第1回となる今回は、『東京都離島区』という東京諸島特化型のウェブメディアを、
いままさに立ち上げようとしている〈アットアイランド〉の伊藤奨さんと
〈トウオンデザイン〉の千葉努さん。
ふたりがメディアを通じて伝えたいこと、そしてそこにつながる未来のビジョン。
大島を中心に、東京諸島の動きが活性化してきている。
幼稚園は伊豆大島、小学校は小笠原の父島、小学校6年生から高校卒業までが八丈島。
東京諸島でさまざまな活動をしている一般社団法人アットアイランド代表の伊藤奨さんは、
まさに東京諸島の申し子とでもいうような人物だ。
高校卒業後は教師になることを目的に本土の大学に通っていたが、
やはり自分を育ててくれた東京諸島へ、なにか恩返しがしたいと常々思っていたという。
きっかけは高校3年生のとき。八丈島の高校の生徒会長をやっていたときに、
大島の高校から伊豆諸島をつなぐ高校生のイベントをやろうと誘われたこと。
「高校生たちが主体になって、資金も集めて、
大島にさまざまな島の高校生が集まるドリームプロジェクトというイベントを
開催しました。それがあって、僕らの世代の伊豆諸島の高校生たちに、
これまでなかった建設的な会話ができるつながりができたんです」
それまでは各島の高校生同士は部活の試合くらいしか交流がなかった。
だからどちらかというとライバルという意識で育つ。それがこのイベントを機に変わった。
「都心に出てきた大学生時代にも、島ごちゃまぜで集まっていました。
意外にもその関係が心の支えとなっていました。
それが大学卒業とともになくなってしまうんじゃないか、
ということにもったいなさを感じて、
このつながりを残したいという思いから有志でアットアイランドを立ち上げました」
目的は、島同士を連携させて、より豊かな東京諸島の在り方を目指すというもの。
「それから1年間、社会人の傍ら、さまざまな島を巡って、
一体なにが課題なのかをヒアリングしてきたんですが、
外部にいたらぼんやりとしか見えてこないんです。
それもそうで、島に住んでいた頃は呑気な高校生でしたし、
島を出てからもう6年も経っていたんです。だったら当事者に戻ろうということで、
あえて自分がこれまで住んだことのなかった三宅島へ移住して起業しました。
三宅島を選んだ理由は語れば長くなるのでまた別の機会に」
まず最初に取り組んだのは教育関連。
島の子どもたちを集めてキャンプイベントを主催するなど、
自分で興味をもったことにチャレンジしてみるきっかけをつくるような活動が中心だった。
でも「やりたいこと」と「現実的な収益性」にはかなりギャップがある。
そんななか、ご縁からいい空き家との出合いがあり、
三宅島では初となるゲストハウスを始めた。コンセプトは「五感を拓く、暮らし旅」。
「三宅島はダイビング、イルカ、火山、野鳥というようなコンテンツ自体は強いんですが、
そこだけを目指してくる人がやはり多くて、
ふらっとまちを歩いてくれるような人はあまりいませんでした。
そこで、暮らしというものを体感できるような滞在ができる場所として機能するような
ゲストハウスをつくりたかったんです。例えば、魚に興味があるゲストさんが来たら、
島の漁師さんに来てもらって一緒に鍋をしてみる。
そのお客さんの興味に合わせていろんなつながりも提供できる宿です」
Page 2
そしていま、伊藤さんは大島を舞台に、
後述するトウオンデザインの千葉さんとともに
TIAM(TOKYO ISLANDS AREA MEETING)というプロジェクトを始動させている。まず最初に取り組んでいるのが、東京諸島に特化したメディアづくり。
「パッと見て光が当たらない、
東京諸島でユニークな取り組みやチャレンジをしている方を取り上げ、
深掘りしていくことで、まずはより多くの人に知ってもらうきっかけをつくる。
“島のワクワクを可視化する”これが大事だと思うんです。
まずは情報を収集し発信することで、
地域ごとに抱えている定性的、定量的なデータを可視化していけるはず。
その先に、データを元にした建設的な対話ができる関係性があると信じています」
情報を集めて発信するだけではなく、そこに住む島の人たちにとっての
気づきがあることも念頭に置いて制作にあたっているという。
「いい意味での危機感を持ってもらうというのもTIAMの役割だと思っています。
このまま見て見ぬふりをして進む“なりゆきの未来”と、
ありたい未来に向けて進む“意志ある未来”。これは長い目でみて大きな違いになる。
“意志ある未来”を具体化するための材料集め、仲間集め。
そしてそれぞれ役割を持って進むチームをつくるための環境づくり。
道のりは長いけれど、今すぐに始める価値のあるアクションだと信じています。
そのために時間労力資金を費やす覚悟は、コロナ禍を経て固まりました」
東京諸島全体をエリアとして活動している伊藤さんだが、
特に最近の大島の動きに可能性を感じているという。
「大島では特に波浮地域が盛り上がっている印象があります。
あのエリアはIターンの方とUターンの方、
それぞれがお互いにいい刺激を受け合いながら挑戦をしています。
島の原体験を持っているUターン組がいるかどうかというのもポイントだと思います」
外から来た事業者だけではなく、
地元愛を持つ人が柔軟にハブ的存在として活躍してほしい、という伊藤さんの理想が、
いままさに波浮で育ちつつある。
「僕自身は特段すぐれた能力があるわけではないんですけど、
東京都離島区では大島を起点に、
島での“これまでとこれから”を学び考えられるような関係性を深めてきたいです。
地元の人もあらためて、島の魅力に気がついてもらうきっかけにもなるような
メディアになっていければうれしいですね」
TIAMの活動には、これからを担う島の若い層、
「島での働き方の選択肢を広げてほしい」という思いも込められている。
「自身の高校生のときを思い出すと、なんとなく運動が得意で勉強もそこそこできて、
先生に体育教員をゴリ押しされたから、
なんとなく『そうなのか〜』と思って進学しました」
島で育つと出会える大人のバラエティーは少なく、あまり選択肢が見えてこないから、
島に帰ってきたり、島に関わる仕事をするという手札が少ない。
一方、コロナ禍を経て、働き方の概念は一気に変革している。
既存の仕事の魅力を引き出すことと併せて、
新しい働き方を伝えていけるメディアを目指していくという。
伊藤さんは「地域でやりがいを持って楽しそうに暮らしている大人の総数が、
地域の魅力値に等しいのでは」と考えている。
「ガチガチに決められた事業計画やプランをつくり
優秀な人材を集めて推進するというよりは、
地域の情勢や世の中の流れに合わせて柔軟に試行錯誤できるチームづくりのほうが大切。
まずひと言目に『それいいね!』から始まる関係性を広げたい。
僕らの世代がまず島で楽しそうに働いている姿を見てもらうというのが、なによりも大事。
視点・視野・視座のトレーニング次第では、島は素材の宝庫となる。
そんな宝の島で育ったことを誇りに持てるような文化ができたらうれしい。
まずは自分から飛び込みます。そうすれば自然と、
島にポジティブに関わってくれる子どもたちも増えていくと思うんです」
だからまずはTIAMを通じて、子どもたちに島での原体験の種をまき、
島側が「あなたが必要」といえる土壌をつくる。
東京諸島の生徒会長。伊藤さんにはそんな肩書きがピッタリかもしれない。
たくさんの若者たちが島で生き生きと働く未来。
もしもそれが実現できたら、東京諸島でのいまの伊藤さんの活動が評価され、
ほかのローカルにそのノウハウを伝える日がくるのも、そう遠い未来ではなさそうだ。
Page 3
伊藤さんに自分が好きな大島=my大島を聞いた。
すすめてくれたのが、今年10月にスタートしたばかりの
シェアハウス〈大島クエストハウス〉と、そこを主宰している神田遼さん。
民家を自分たちでDIYし、島で「新しい自分を発掘する」をテーマに、
現在さまざまな試行錯誤をしている最中だ。
計画当初は普通のシェアハウスにしようと考えていたが、
プロジェクトメンバー自体がよりワクワクできるカタチは何かを議論した結果、
シェア事務所、イベントスペース、
2拠点や移住の応援シェアハウスのハイブリットなかたちでの再スタートを決めている。
「観光と島暮らしの中間のような感覚で利用したり、イベントスペースとしての利用、
地域の人が集まるコミュニティスペースなど、
利用する人によって使い方が変化していくようなそんな場所になっていければいい
と思っています」と、神田さんは意気込みを語ってくれた。
Page 4
最近、大島周りのデザインでスタイリッシュなものが増えている。
この企画の第2回でも登場するゲストハウス〈青とサイダー〉や〈露伴〉など、
ロゴのデザインやWEBサイトといった各種ツールのクオリティがとても高い。
てっきり都心で活躍しているデザイナーさんの仕事かと思いきや、
それらを手がけているのは、島で唯一のデザイナーである千葉努さん・れみさん夫妻。
お店や企業の各種ツールのデザインやブランディングのほかにも、
大島の情報サイト『伊豆大島ナビ』の制作・運営。
そして東京都離島区大島プロジェクトのデザイン周りも担当している。
昔から離島好きで休みを見つけてはさまざまな島を巡っていた千葉さん。
奥さまが大島出身ということもあり、大島移住を決めたのは10年前。
実際にデザイン仕事をスタートしてみると、
島だから、というような不便さは特にないという。
ジェット船に乗れば、港区の竹芝まで約2時間。
島と都会が直結している珍しい場所。そのギャップもおもしろいと感じた。
「オン・オフがすごく切り替えやすいんです。
煮詰まったら、海や山に行くことで状況をガラッと変えることができるので、
リフレッシュするのが簡単。都心だったら行けても公園くらい。
でも大島なら車で5分も走れば、非日常の景色が広がっている」
デザイナーという仕事柄、インプットは大切。
そういう意味ではどうしても島では足りないものも出てきてしまうはず。
そのあたりはどう解決しているのだろう。
「インプットしたいときは、
ジェット船に乗ってしまえば都心の美術館やギャラリーなどに行くのも簡単です。
そういうふうに都心に行ったときは、いろんな場所を一気に回って吸収して帰ってくる。
むしろ都心に住んでいたときよりも、
集中しているだけにインプットの質は上がったかもしれません。
帰ってきたら自然に囲まれて、また脳がリラックスしてくる。
刺激が欲しくなったらまたジェット船に乗ればいい」
島内でのオン・オフ、都会と島でのオン・オフ。
両方が短時間でできるこの環境は大島ならではのものだと、千葉さんは言う。
「都心にずっといると、逆に情報過多になって、
スポンジでいうと飽和状態がずっと続いている感じになることもあります。
でも島暮らしのお陰で、適度にそのスポンジが絞れているから、
吸収もしやすいと感じています」
千葉さん夫妻が屋号として掲げているトウオンデザイン。
いろいろな意味を含ませてあるが、なかでも「島」の「音」を、
デザインを通じて発信したいという意味合いが強い。
だからデザインをするうえでも、島の人との対話をとても大切にしている。
例えばお店側の人の熱意やアイデア、そしてビジョンを
丁寧にヒアリングして対話を繰り返しながらデザインに落とし込んでいく。
いろんな人の想いをかたちにする仕事だから、
もしかしたら、島の課題や新しい動きについてもっとも肌で感じている人物かもしれない。
「いまではデザイン業の枠は完全に超えています。
いろんな相談も受けますし、逆に提案なんかもします。デザイン仕事としては、
最近は気の合う仲間が多く活動する波浮エリアがわりと多かったので、
波浮のまちづくり的なところまで意識していたりします。
農産物直売所の〈ぶらっとハウス〉にも関わっていて、マルシェを企画したり、
航空便を利用してぶらっとハウスでつくっているミルクジェラートや
野菜を載せて内地のカフェなどに提供したり、EC販売を展開したり、
実際に現場で焼き芋を焼いたり(笑)」
ほかにも、大島町とハワイ島のヒロが姉妹都市になってから来年で60周年。
それに向けてイベントを企画したりもしている。
Page 5
そんななか、いま千葉さんが注力しているのが、
前出の伊藤さんと取り組んでいる〈TIAM〉。
おもにデザイン周りを担当しているが、
それだけに留まらず企画にも積極的に参加している。
「デザインを通じて観光の起爆剤になる、
ということよりもゆっくりであっても
地元が無理なく盛り上がっていくことが大事だと思っています。
それぞれの役割が明確にあって、
コツコツ積み重ねていくことですこしずつ良くなっていく。
その先に島の明るい未来がある。
都会と違って離島の場合は、
単純に人口が少ないのでひとりひとりが負う役割が大きくなるんです。
だから肩書きがひとつじゃ済まなくなる。
でもそれがまた島で働くおもしろさだし、自分の可能性も広がっていくと思うんです」
実際に、千葉さん自身も都会で働いていた頃よりも、
自主的に動いている感覚があるという。
島のいろんなことを自分ごととして捉えることができるようになったのも、
デザインだけではなく、いろいろなことをやってきたからこそ。
やらないといけないからやる、のではなくて、目的が明確にあって、
そこに進むために自分自身の役割を見つけて積極的に関わる。
「そういう意識を島のみんなが持っていれば自然と良くなっていくと思うんですよね。
そう考えるとTIAMによって、島のさまざまな実情を伝えていくことという意味も、
今後大きくなってくるのかなと思っています」
今現在だけでなく、将来の大島の希望を育てることもしっかりと意識している。
「TIAMでは例えば島の高校生にライターをやってもらうのもいいかなと思ってます。
島の子供たちって、実際に目の当たりにする大人の職種がすごく限られてしまう。
自営業以外となると、町役場の職員とか先生ぐらいしか接点がない。
TIAMでライターをやってもらうことで、いろんな職業の人に出会う機会が生まれ、
取材を通じてさまざまな価値観やライフスタイルに接することができる。
その結果、その子自身の将来の選択肢も増えていくような、
そんな動きが生まれたらいいなと思っています」
知らなかっただけで、実は島の人ってすごいことをしてるじゃんって、
いいところを見つけるのがライターの仕事でもあるから、
島の高校生たちが大島を見直す方法としてはかなり効果的なはずだ。
「少子高齢化など、ある意味大島って課題先進地域なんです。
30年後の都心が抱えるであろう問題が比較的に見えやすい。
だから企業などと組んでSDGsをテーマにした実証実験の場にしてもらうような
機会を創出することも考えています」
もはやデザイナーというくくりでは語れないほど、千葉さんの活動は多様化している。
10年前に移住したての頃は、
「なんでこんなとこに来たの?」 と言われることも多かったし、警戒もされたという。
ただ、10年間デザインという仕事を通じて島の人々と対話を繰り返すことで、
いまではデザインを飛び越えて島の教育関係や問題解決を目指す活動をするようになった。
大島とともに千葉さんも日々進化し続けているのだ。
伊藤さん、千葉さんに共通しているのは、20年、30年後の大島の未来を考えていること。
目先だけを見るのではなく、地元にしっかり種を蒔く。
それを丁寧に育てるために、TIAM以外にも今後さまざまな活動を計画している。
それが次世代につながり、豊かな実りとなることを期待したい。
Page 6
仕事が煮詰まったときなどに、スイッチをオフにできる場所がサンセットパームライン。
元町港付近と北端の野田浜を結ぶ、南北5キロにわたって遊歩道が整備されている。
朝にランニングしたり子どもと一緒に散歩したり、千葉さんがほぼ毎日訪れる場所だそう。
特に赤禿(あかっぱげ)と呼ばれる場所は美しい夕陽が眺められるスポットしても有名。
「島暮らしの醍醐味のひとつだと思うのが、
開けた海に夕陽が沈んでいく景色を毎日眺められること。
夕方くらいになると今日も見に行かなきゃ! ってなるんです。
今日も1日頑張ったなという区切りにもなっていますね」
information
東京都離島区
Web:東京都離島区
information
アットアイランド
Web:アットアイランド
information
TO-ON Design
トウオンデザイン
Web:TO-ON Design
Feature 特集記事&おすすめ記事