連載
posted:2022.2.28 from:石川県小松市 genre:ものづくり
PR 小松市
〈 この連載・企画は… 〉
伝統の技術と美しいデザインによる日本のものづくり。
若手プロダクト作家や地域の産業を支える作り手たちの現場とフィロソフィー。
writer profile
Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
photographer profile
Nik van der Giesen
ニック ヴァン デル ギーセン
オランダ出身、2019年より石川県金沢市を拠点に活動するフォトグラファー兼ビデオグラファー。日本の文化や美意識に大きなインスピレーションを受ける。
Instagram:nvdg81
「『珠玉と歩む物語』小松~時の流れの中で磨き上げた石の文化~」が
日本遺産として認定されている小松市。
九谷焼もまた、その石の文化のひとつとしてあげられるだろう。
そんな九谷焼の新しい取り組みのストーリーを紹介する。
「九谷五彩」と表現されるように、彩りがあり、細かい絵つけが特徴である九谷焼。
いわゆる“顔”となる部分には注目が集まるが、
果たして九谷焼とはどんな土からできているのだろうか。
産地には必ず特有の土があり、製土所がある。
九谷焼では花坂陶石から土がつくられ、産地に製土所は2軒しかない。
そのひとつが〈谷口製土所〉だ。
最近では、〈HANASAKA〉というシリーズを展開するなど、
九谷焼を“素材”という視点から見つめ直したものづくりにも進出している。
現在、代表を務める3代目の谷口浩一さんは、前職は広告や編集の仕事をしていたが、
家業である谷口製土所を継ぐことにした。
「その当時から、土以外のこともやらないといけないとは思っていました」
という谷口さん。まずはものをつくって売るという流れが見えやすい。
そこで2013年から始まったオリジナルブランドがHANASAKAだ。
白い酒器のシリーズである「Blanc」、
ひと筋ひと筋鎬(しのぎ)が削られている青磁器「Givre」など、
日常使いがしやすいように、シンプルなテーブルウェアを展開している。
「うちは“粘土屋”なので、土を持って窯元や職人に配達に行くわけです。
そこで職人を見ていると、高い技術を持っていることがわかります。
九谷焼はどうしても絵つけのイメージが強く、
そのクオリティが価値を決めてしまいがちです。
だから見えにくくなっている成形技術や素材自体にも注目してほしいと思いました」
と始めたきっかけを話す。
産地であっても、土のこと、粘土のこと、製土のことは、
あまり知られていない現状があるようだ。
すぐれた成形技術があってこその、上絵つけだ。
「一般的にも、“陶芸の粘土をつくる仕事”があることも、
それがどんな仕事なのかも知られていないですよね。
以前、同じ産地のなかで、
『山から土を取ってきて売っているだけだから、儲かってしょうがないな』と、
言われたこともあるんですよ。それくらい土づくりに対する理解は進んでいません」
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現在は、だいたいどこの産地でも、
その土地の土だけで陶土ができあがっているわけではない。
九谷焼においても同様で、花坂陶石の土が基本的に使用されているが、
花坂陶石のみではなく、ほかの地域や海外など、いろいろな材料が混ざっている。
そして花坂陶石もいつかはなくなる。
「無限に鉱脈があるわけではありません。
あったとしても、住宅がギリギリまで建っていたりして、
すべてを掘り出せるわけではありません。
当然、質のいい石から使っていくので、次第に質は落ちていきます。
その質を保つためには、ほかの地域の土を混ぜて製土するしかありません」
土や石は自然由来のものなので、どの産地でも同じ問題を抱えているし、
すでに元来の土が取れなくなっている産地もあると聞く。
もしすべての産地が同じ対策を行っていくと、
将来的には「土の差」というものがなくなってしまう。
これに対して、谷口さんは別の道を模索している。
「産地の土を生かすという方向で考えると、材料の変化に合わせて、
ものづくりが変わっていくほうがいいと思います」
土は自然から借りているもの。それを人間の手を介して、陶器に変えていく。
つくり手都合ではなく、素材に合わせたものづくりをしていくことが、
「人間の仕事」であるような気がする。
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2020年の秋に発表された「Une(ユンヌ)」シリーズには、
ひとつの大きな課題解決への思いが込められた。
製土をするとき、どうしても不純物として取り除いた残土が出る。
これまでは、そのほとんどを産業廃棄物として廃棄していた。
「花坂陶石の鉱山はそこまで大きくないですし、
残土を無駄にしないサステナブルな方法を模索していました。
そうして開発したのが、残土を原料にした釉薬です」
残土は、陶石のうち2割にも及ぶという。
農業や建築資材の分野に活用することも検討したが、結果的にはうまくいかなかった。
最終的に、焼き物に戻ってきたのはある意味良かったのかもしれない。
ちなみに、10年以上前に最後の1軒が廃業して以来、
九谷には釉薬メーカーはひとつもない。
Uneシリーズは、やさしいベージュを基調としたテーブルウェア。
中間色だけに、何度も色のパターンを試したという。
「マットが強いものから、ハーフマットの具合など、
何度もデザイナーの戸田祐希利(ゆきとし)さんと、
ろくろで製陶してもらった〈旭山窯〉の東一寿さんと3人で調整しました。
釉薬は温度によって溶け方も違うので、最終的には窯元で合わせないといけません」
Uneは、酸化焼成という手法で焼いている。
素材の色を生かした、やわらかさが出るのが特徴だ。
今の九谷ではカチッとした白が出る還元焼成が主流。
酸化焼成を行っていた旭山窯は、うってつけだった。
もともと旭山窯へは、よく陶土の配達で訪れていたという。
「旭山窯の東さんは、初めてデザイナーと一緒に工房にうかがったときから
いろいろとアドバイスをくれて、
ただ受け身ではなく一緒にものづくりをしてくれそうだと思いました。
それまではただ土を配達するだけの間柄だったんですが(笑)、
一緒にものづくりをするようになってから、職人としての心意気を知りましたね」
それに対して、東さんはこう言う。
「デザイナーとは、やはり数ミリのラインの違いなど、
ディテールに対してやりとりがありました。
でも谷口さんがうまく間に入って調整してくれました。
3人が根気強く粘ったことでいい作品になったと思います。
だれかひとりでも、妥協していたらこうはならなかったですね」
谷口さんにとっては、新しいコンセプトで肝入りの商品になるUne。
それだけに前向きな挑戦だととらえてくれれば仕事はしやすいだろう。
「九谷焼の世界で、上絵つけなしの生地のみで勝負するのは、結構大変なことなんです。
最初は“本当に大丈夫か?”と聞き返したくらいですが、
谷口さんの真剣さに、むしろこっちからお願いしたい気持ちになりました。
結果、Uneが発売されたおかげで、周囲の反応も変わってきました。
生地だけでつくってほしい、みたいなんて話も増えてきたようです」
こう東さんが言うように、チャレンジしたものは、確実に周りに影響を与えていく。
Uneがきっかけだったという日が、いつかくるかもしれない。
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Uneは花坂陶石の陶土で、釉薬も花坂陶石の残土からできたもの。
すべてが一体化した“リアル九谷焼”とでもいうような焼き物が完成した。
「もともとひとつだった花坂陶石をふたつに分ける。
粘土でボディをつくって、残土で釉薬をつくって、またひとつに合体させる。
そんなイメージですね」
ただし、こうした取り組みを始めても、そう簡単に残土は減らない。
しかし、土のことを見つめ直すきっかけにはなるだろう。
「残土はまだまだたくさん出てきて、劇的に減らすことは難しいですが、
今後、自分がやっていきたいリユースやSDGsなどの取り組みのヒントにはなりました」
そのひとつとして、釉薬自体を発売するということも視野に入れている。
「将来的なプランとして、花坂陶石の残土を使った釉薬の発売を目指しています。
まだ先の話ですが、
まずは個人で土を買ってもらっているお客様に対してスタートしていければ」
2021年に北陸で行われた工芸の祭典『GO FOR KOGEI』では、
“白”にこだわりを持つグラフィックデザイナーの原研哉さんとタッグを組み、
〈花坂の白椀〉を生み出した。
焼き物の土は、ろくろ用かイコミ用などによって土の混ぜ物の配合を変え、
成型のしやすさや焼いたときの強度、決まった色を出すためなど、
陶土はさまざまなレシピで配合されている。
きれいな白を出すためには、花坂陶石に混ぜ物をしないといけない。
しかしこのコラボレーションでは、色の白ではなく、混ぜ物をしていないこと、
つまり無垢=白と定義した。
純粋に花坂陶石だけで焼き物をつくったのである。
実際の色は黄色っぽいが、この白というコンセプトには、
複雑な現代のシステムをシンプルにしていこうという
原点回帰が込められているように感じた。
このように土や素材という基本を見つめ直す姿勢で、
実験的な事業にも、どんどん挑戦している。
実は自分が跡を継ぐまで、
「九谷焼の産地に粘土屋が2軒しかないってことすら知らなかった」と笑う谷口さん。
九谷焼に限らず、陶磁器のベースとなる製土業がなくなっては、
当然、産地は立ち行かない。
ただし、それだけでは事業がジリ貧になっていく未来も見えていた。
「おそらく製土事業だけだと、出荷量は減っていく一方で、
会社としては厳しくなっていく。
いろいろなことに挑戦して、会社を存続させていかないといけません」
製土所なのにブランドを始めたり、釉薬をつくったり、他素材とコラボレーションしたり、
すべては基本となる製土業を続けていくためだ。
「花坂陶石の可能性を広げていきたい」と谷口さんも言う。
「将来に土づくりを残していくことが、
結果的に産地にいい影響を与えていければいいと思っています」
歴史があるからといって変化を厭わない姿勢が、結果として産地に返ってくる。
廃れない伝統としてあるべき姿を感じた。
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