連載
〈 この連載・企画は… 〉
さまざまな分野の第一線で活躍するクリエイターの視点から、
ローカルならではの価値や可能性を捉えます。
writer profile
Ryosuke Iwamura
岩村 良介
いわむら・りょうすけ●編集者。2004年、北海道・札幌市を拠点に出版・編集プロダクション〈PILOT PUBLISHING〉を設立。フリーペーパー『PILOT magazine』を不定期で発行。
Web:PILOT
photographer profile
Kentauros Yasunaga
安永 ケンタウロス
やすなが・けんたうろす●写真家。広告をメインに雑誌や書籍の撮影も手がける。新たな表現の幅を広げるため8×10での作品制作も開始。東川と東京の2拠点で活動中。
Web:Kentauros Yasunaga
なだらかに広がる丘陵陵地帯に、色とりどりの畑が幾重にも連なり美しく彩る。
北海道・美瑛町を「丘のまち」として世に知らしめた、
日本における風景写真の第一人者、故前田真三さんは、
丘の風景を長年撮影し続け、1987年にフォトギャラリー〈拓真館〉を開設した。
そして2020年4月、その〈拓真館〉をリニューアルするため、
孫でアートディレクター・フォトグラファーの前田景さんと
料理家のたかはしよしこさん夫妻が東京から美瑛町へ移住。
2021年9月にはレストラン〈SSAW BIEI〉をオープンした。
ここ美瑛町を新天地に、前田さん家族の新しい生活が始まった。
2011年によしこさんが考案した天然塩やスパイス、ナッツを合わせた
万能調味料〈エジプト塩〉はファンを着実に増やし、
2012年には東京・西小山に
自身のフードアトリエ〈S/S/A/W〉(現在は〈エジプト塩食堂〉)をオープン。
翌年には景さんがデザイナーとして独立し、
よしこさんの事業でクリエイティブディレクターを務めるなど、
ふたりの仕事は順調に運んでいた。
「結婚する前から北海道とは縁があって、仕事でよく来ていたんです。
地方で暮らしている方々の姿を見ているうち、すごく豊かに感じていて。
でも東京へ帰ると、またいつもの暮らしに戻っての繰り返し。
そこにいろんな出来事や機会が積み重なって、スローダウンしたかったんです」
とよしこさんは言う。
その頃、景さんは仕事で陶芸作家のルート・ブリュックを取材するためフィンランドを訪れ、
当時ブリュック一家が過ごしていたサマーハウスを見て心動かされた。
「本宅が別にあって、サマーハウスは純粋に創作の場なんです。
ボートでしか行けないような立地で、建物には電気も水道も引いていない。
しかも白夜の季節だから日が暮れないので、創作に集中できる。
北極圏に位置するラップランドは四季がはっきりしていて、季節の移り変わりが早い。
その様をつぶさに観察し、インスピレーションを得ながら創作に生かしていたそうです」
それを聞いて、北海道でも同じように、
何か新しいものが得られるのではないかという期待を感じたという。
いつか自分が〈拓真館〉を継がなければという使命感を抱えていた景さんは、
帰国後によしこさんと話し合い、美瑛町へ移住することを決めた。
その土地に長く暮らす地元の人でも気がつけない魅力がある。
例えばクリエイターにとって自然や四季は想像力を掻き立ててくれるし、
長い冬も構想を練ったり、作業に当てられる貴重な時間となり得るのだ。
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仕事やプライベートなどさまざまな面で準備を整え、
2020年4月に美瑛町へ移住した前田さん家族。
当初はその夏にレストランをオープンするはずだったが、
新型コロナウイルスの影響で延期に。不安を抱えながらも、少しずつ意識に変化が表れた。
「コロナ禍もあって世の中が大きく変わるなかで、
家族で過ごす時間の大切さにあらためて気づかされましたし、
周りの環境や人間関係などを見つめ直す時間を持てました。
いまはかえって良かったと思っています」と景さん。
「移住の半年くらい前もまだ現実味がなくて、
どこかで踏ん切りがついていなかったんですけど、
現地の小学校を見学に行って、これならとイメージを掴めたのは大きかったです。
実際に入学してみると、先生の目が届いて生徒ひとりひとりを伸ばしてくれるし、
全学年で顔も名前も一致して兄弟みたいに遊べるから、
みんな仲良しで生き生きしているんですよね。
娘も東京は大好きで楽しいけれど、
いまはこっちがいいって言ってくれています」とよしこさんも頷く。
レストランは元教員住宅だった建物をリノベーション。
内装設計はよしこさんとつき合いのある設計事務所〈ima〉が、
施工は東川町にある
セレクトショップ〈less HIGASHIKAWA〉のオーナー・浜辺令さんが手がけた。
また住居は真三さんがかつて撮影の滞在で使っていた建物を、
浜辺さんと一緒にプランを考え、施工と設計も浜辺さんにお願いした。
広大で寒冷な北海道での暮らしは、移住者にとって決して甘いものではない。
時に厳しい現実も、前田さん家族は地元の人と交流を通して、
知恵や助けを借りながら課題を乗り越えているようだ。
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〈拓真館〉敷地内に佇む小さなレストラン〈SSAW BIEI〉。
メニューは基本的におまかせコースのみで、「ここだけでしか食べられないひと皿」を提供。
美瑛町をはじめ、北海道産の旬の食材を存分に味わえるのが魅力で、
華やかで美しい盛りつけも気分を高めてくれる。
また料理を出す際には、使った食材や生産者について、
よしこさんが丁寧に説明してくれるのも聞いていて楽しい。
「農薬や化学肥料を一切使わず、有機農法で野菜を栽培している美瑛町の〈百姓や〉さんは、
東京時代から使わせていただいていて。
農場主の青木芳文さんが近くにいてくれるのは頼もしいですし、
いつも食材を見るだけでわくわくするし、感動しています。
娘の小学校の同級生もほぼ農家のお子さんなので、
ご家族がトマトやトウモロコシをつくっていたりと、
ご縁で分けていただけるのはありがたいですね」
味はもちろん、見た目や食感も工夫され、一品一品丁寧に調理されているのがわかる。
食材本来の味がしっかり感じられながら、
独自のレシピやスパイスが新鮮な印象を与えてくれる。地元の人にとってもうれしい驚きだ。
「メニューは食材を見て決めています。
大まかにメキシカンやインド、和食といったテーマを設けて、
そこから食材ありきで考えています。食材はほぼ美瑛町産、北海道産に絞っていて、
野菜や山菜はもちろん、米や小麦まで。砂糖もてんさい糖が採れるのでほぼ賄えます。
東京のお店では、全国から選りすぐりの食材を集めていたんですけど、
移住してからお取り寄せを一度やめてみようと決めて、
去年1年は地元にあるものだけで料理をつくってみたんです。
冬も我慢して、あるものだけでやりくりして。その経験が自信に大きくつながりました」
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美瑛町で暮らすうち、調理法や料理への向き合い方にも変化があったと話すよしこさん。
「東京のお店では、素材の味をいかにして引き出そうかと手を尽くしていたんですけど、
ここではそんなことしなくても食材が力強いんですよね。
採れたての野菜は鮮度がすごくいいので、みずみずしいし味も濃くて、
素材だけで十分おいしい。
いまは、それをできるだけシンプルに食べてもらいたいと思っています」
また近所づき合いを通して、何気ない会話からヒントを得ることもあるそう。
「発酵は美瑛町に来てから始めました。教えてもらうという感じではなくて、
“私はこうしてるわよ”みたいな会話のやりとりが楽しくて。
自然食店のおばちゃんが料理上手で教えてくれたり、
近所のおばあさんから保存食の方法を教わったりしています」
ときにはお客さんとの会話も弾む。料理をゆっくり味わうことのできる空間と雰囲気。
長らく忘れていた、食事を楽しむ感覚を思い出した。
「僕たちも東京にいた頃は別々に食事していたことも多かったんですけど、
ここに来てからは3食一緒。食事の時間はしっかりとりたいし、
1食たりとも無駄にしたくないですね(笑)」と景さん。
前田家ではソファやテレビを置かないため、家族が自然とダイニングに集まるそう。
食事をしながら会話したり、コミュニケーションをとる大事な時間。
それが仕事にも生かされているとよしこさんは言う。
「私がつくった料理に対して、景さんが感想や意見を言ってくれるんですけど、
娘も口うるさいのがそっくりで(笑)。
私たちが毎日、家族で一緒に食事できているのは本当に幸せです」と微笑む。
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廃校となった小学校跡地のおよそ1万平米の広大な敷地には、
真三さんが美瑛町と協力して植えた白樺回廊やラベンダー畑があり、
美しい景観をつくり出している。
自ら環境整備を行っていたという真三さんの遺志を継ぎ、
前田さん家族はまずは一帯の整備を続けながら、〈拓真館〉のリニューアルを目指している。
また〈SSAW BIEI〉を起点に、ライブやイベント、農業体験など、
新たな入り口をこの場所で増やしたいと景さんは話す。
「いきなりすべてを実現することはできないし、
実際にやってみたら違っていたこともたくさんあるんですけど、
ここでしっかり根を張っていけるよう、
焦らずにひとつひとつじっくり取り組んでいきたいですね」
よしこさんも「小さい頃から〈拓真館〉に通ってくださっていたり、
(前田真三さんの)お孫さん家族が来てくれてうれしいと言ってもらえたりすると、
こちらこそ感謝をお伝えしたいですし、
自分たちにできることを真剣に考えています」と力を込める。
世代を超えて愛され、思い出が刻まれ続けている特別な場所。
四季の移り変わりとともに、ここを訪れる人々との出会いが交差し、
またそれぞれの人生を歩んでいく。
「店名の〈SSAW(Spring/Summer/Autumn/Winter)〉は、
祖父の写真集に『春夏秋冬』というタイトルがあって、料理も“四季”を表現しているので、
その共通点が後々つながればという思いが漠然とありました。
家業と僕のやってきたこと、よしこのやってきたことはつながっていて、
その先にあるイメージはひとつなんです。
自分たちなりに“四季”を表現するなかで、
創作や食、暮らしなどを五感で感じてもらえる場所として提案し続けることで、
僕たちが目指すものが自然に伝わっていけばいいなと思います」
景さんのまっすぐな言葉と強い意思の根底に、
真三さんやよしこさんたちと日々育んできた家族の強い絆があるのを感じた。
ふたりの話を聞いていると、娘さんが小学校から帰宅し、
茶目っ気たっぷりに挨拶をしてくれた。
両親からの愛を一身に受けて育てられているのだろう。
素直で感情豊かな娘さんの姿に心和まされ、ささやかな幸せに包まれた。
Creator Profile
YOSHIKO TAKAHASHI
たかはし よしこ
たかはし・よしこ●料理家。2006年頃より料理家として活動。〈エジプト塩〉シリーズなどオリジナル調味料の開発・製造も手がける。12年、東京都・西小山にフードアトリエ〈S/S/A/W〉(現在は〈エジプト塩食堂〉)をオープン。20年に北海道・美瑛町へ移住し、21年にレストラン〈SSAW BIEI〉をオープン。
Web:SSAW BIEI
Creator Profile
KEI MAEDA
前田 景
まえだ・けい●アートディレクター、フォトグラファー。広告、書籍、Webなどのデザインを手がけながら、フォトグラファーとしての活動も精力的に行う。
Web:maedakei
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フォトギャラリー 拓真館
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