〈木工房 ようび〉 マンション木質化という 都心部の新しい住まい方

西粟倉村のスギを全面的に使ってリノベーション

岡山市街地にある、見た目は普通のマンション。
しかし高校教員をしている大石智香子さんのお宅を訪ねると、
そこは木質化された別世界が広がっている。
ドアを開けた瞬間にフワッと漂う木の香り。
右を向いても左を向いても、木ばかりが目に飛び込んでくる。

大石さんは木を使った空間への憧れを、昔から持っていた。
マンションを購入後、リノベーションを考えていたとき、
岡山の西粟倉村にある〈西粟倉・森の学校〉と出合った。
“百年の森林構想”を掲げ、村ぐるみで森林から地域づくりを行っている会社である。
ここにリノベーションをお願いすることにした。

「私は岡山県の県北、美作地域にある3つの高校に勤務していました。
西粟倉出身の学生が担当クラスにいたこともありますし、
岡山市に来ても、その地域の木材を使った家に住めるなんて喜ばしいことです」

高校教員の大石智香子さんは、小さくてかわいいものが好き。木の節すら「模様みたいでかわいい」。

森の学校から紹介された設計士が、〈木工房 ようび〉の大島奈緒子さんだった。
ようびは、7年前から西粟倉村で家具の制作を中心に活動していたが、
3年前に建築設計部門を立ち上げていた。
ここから大石さんと大島さんによる、二人三脚のリノベーションが始まる。

「せまい玄関から、トンネルをくぐってリビングに行くような間取りを
変えたかったんです。ドアを開けた瞬間に開放感がほしかった。
だから広い玄関はお気に入りです」

異なる色のスギが模様のように見える広い玄関。自転車も余裕で置ける。

部屋は全面的に木質化されている。
ほとんどの内装に採用されているのは西粟倉村のスギである。

「床材をスギにするか、ヒノキにするか、サンプルを持ってきてもらいました。
でも、すぐにスギに決めました。香りこそヒノキがよかったですが、
さわった感触は断然スギが好みでしたね」

素足でぺたぺた過ごしたくなる。床にはワックスなど特別なメンテナンスは必要ない。

広いお風呂は、大石さんからの数少ないリクエストだ。壁はヒノキを使用。

山、買っちゃう!?

北海道でわたしができること

「あの、山の購入を考えているんですけど……」
一瞬電話をためらったけれど、躊躇していたら先延ばしになる。
そう思って勢いで電話したのは、道内森林組合連合会だ。
この連合会では、森林の管理や保全とともに森林売買の紹介なども行っているという。
電話に出たのは、やさしそうな声の担当者だった。
山親爺のような人が出たらどうしようと内心ドキドキしていたので、
ホッとしつつ、山の購入について相談したいとたどたどしく話すと、
あっさりと会う約束を取りつけることができた。
すぐに土地の紹介ができるわけではなさそうだが、
よい情報があれば知らせてくれるという。
1週間後に訪ねることになった。

こんなふうに土地を探しはじめたのが、2015年6月のことだった。
春に会社を辞め、いよいよ目標に向かって本格的な活動がスタートした。
その目標とは、北海道にエコビレッジをつくること。
そしてこの連載では、エコビレッジができるまでの道のりを紹介していきたい。
まず、第1回目では、なぜエコビレッジをつくろうと思ったか、
そのきっかけについて語ってみようと思う。

わたしが東京から北海道に移住したのは4年前のことになる。
東京の出版社で編集者として働いていたが、東日本大震災をきっかけに、
夫の実家がある北海道岩見沢市へ2011年の夏に移住した。
ラッキーだったのは、これまでと同じように出版社に在籍しつつ、
北海道で在宅勤務をするというスタイルを会社が認めてくれたことだった。
月に1回東京で打ち合わせをして、北海道で仕事をする生活。仕事仲間からは、
在宅勤務をうらやむ声もあったが(確かに子育てには最高の環境だけれども!)、
移住から2年が経とうとする頃から、「これは長く続けるのは難しそうだな」
そんな不自然さを、1年、2年と月日が流れるうちに感じるようになった。

それは、地元の人と関わりをもたず、東京でない場所で、
ただ単に東京の仕事をしているという一方通行のような感覚と、
スカイプ会議はするけれど会社のスタッフと密に連携がとれない、
1枚フィルターがかかっているような感覚があったからだ。
こうした心のアンバランスな状態が続き、移住してから3年が経つ頃には、
「自分がなぜ北海道に来たのか?」という疑問がふつふつとわいてくるようになった。
「北海道で自分ができることってなんだろう?」

これまで手がけた雑誌や書籍。在宅勤務してからも年に12冊ほど本をつくり続けてきた。

もちろん、こんな疑問にすぐに答えは見つからないとは思うが、
そのとき考えてみたのは、まず
「この地に来たからこそできたこと」を挙げてみることだった。

和菓子の寺子屋、オリジナルどら焼きをつくる

素材を見て触ってつくる、食のワークショップ

うちの娘の最近の愛読書は、ドラえもん。
暇さえあればドラえもんを読んでいて、
「“もしもボックス”があったらドラえもんがいる世界にしてほしいなぁ」
「“あべこべクリーム”があったら、お父さんがお母さんで、お母さんがお父さんだね」
とか道具の話をよくしてます。

そんないろは(娘)にピッタリのワークショップ
「和菓子の寺子屋 第1回 オリジナルどら焼きをつくってみよう!」
が開催されると聞いて参加してきました。

企画をされたのは、〈ポンカフェ〉さん。
ポンカフェは、小豆島の蒲生(かも)地区にあるカフェ。
1年ほど前にオープンし、この4月からは店長さんが替わり、
寺子屋カフェとしてリニューアルオープン。
カフェと子どもたちに勉強を教える寺子屋を同じ場所で開いています。

今年の4月にリニューアルオープンしたポンカフェ。

今回開催されたワークショップの先生、ひふみ堂のおふたり(写真左、中)とポンカフェ店長の幸崎誠司さん(写真右)。

そんなポンカフェで開かれた第1回目の子ども向け食のワークショップ。
先生は、京都で和菓子づくりをされている〈ひふみ堂〉のおふたりです。

どら焼きづくりを始める前に、まずは素材のクイズから。
机の上には、粉やら豆やらこれなんだろうという素材がずらり。
これなんだ? と聞かれると私たち大人でさえ、ちょっと考えてしまいます。
大豆、小豆、黒豆、白いんげん豆……。
こうやって素材を並べて、見てみる、触ってみる機会って
大事だなとあらためて思いました。

子どもたちは和菓子の素材に興味津々。

ずらっと並んだお豆や粉。大人でもこのお豆が何なのかわからなかったり……。

豆の本で勉強。あらためてこういう本を読むとおもしろい。

水に溶かしたわらび粉を触る子どもたち。

〈吉田工務店〉 地元を知っているから可能な 地域になじむ家づくり。

県産材を見る目を養う

1960年創業、宇都宮にある〈吉田工務店〉。
大工だった父親を引き継ぎ、現在は2代目の吉田悦夫さんが代表取締役を務めている。
かつて日本のほとんどの家がそうであったように、
吉田工務店も、普通に自然素材を使用していた。
時代の流れで新建材を使ったこともあったが、
現在では再び自然素材での家づくりに取り組んでいる。

特にこだわっているのが、木材だ。
父親の代から〈吉田材木店〉を併設することで、木材を見る目も鍛えられている。
より専門的な視点で木材を選び、自ら乾燥も行っている。

宇都宮にあるモデルハウスは、すべてそれらの県産材を使用している。
「栃木の県産材である八溝杉を使っています。
地域の木材を使えば、その地域になじむので、風土に合うと思います」という吉田さん。

代表取締役の吉田悦夫さん。

モデルハウスには〈宇都宮現代町家〉と名づけられている。
宇都宮のことを熟知した地元の工務店が建てることに大きな意味がある。

「季節ごとの風向きや強さ、陽射しの向きなどを考えて設計します。
例えば夏は、新鮮な空気を家のなかに呼び込めば、熱を持ち去ってくれるのです。
風や光を、どのように暮らしにとり入れていくか。それを考えます」

たしかに開放感のある大きな窓は光をたっぷりとり込み、
風が通っていくのが感じられて気持ちいい。
風や光などの気候条件を知り尽くした設計デザインになっているのだ。
自然素材を使うということは、家の材料だけでなく、
こういった自然環境もうまくとり入れることともいえる。
地元工務店がその地域に一番詳しいというのは当たり前のこと。
地元に根づく工務店だからこそ、より良い提案ができるのだろう。

高台に建つモデルハウス。景色は最高。

テラスとシームレスにつながる。

新生活のはじまり

自然豊かな場所で子育てをしたい

主婦、ときどき歌うたい。
いまの自分をひと言でいえば、こんな感じかな? 
いたって平凡な生活を営むわたしに、連載のお話をいただいたときは、
正直自信がなく迷ったけれど、
「普通の読者と同じくらいの目線で、日常を綴ってほしい」というリクエストに、
思い切って引き受けてみることにした。
4歳の娘、1歳の息子、そして夫とともに始めた鳥取・智頭町での田舎暮らし。
出会った人々や、自然とともに暮らしながら、家族で成長していきたい。
そんなわたしたちの、これからの日々を伝えていきたいと思う。

10年近く前、東京に住んでいた頃。
いつだったか、地方を電車で移動しているときに、車窓から見える里山の風景に
「日本の景色って美しいなぁ」と心から思った瞬間があった。
以前はひとり旅というと海外が多かったが、
それから日本の地方をじっくり旅してみたくなり、
九州の友人の家に居候しながら数か月間田舎暮らしを体験したりして、
いつしか「東京を離れて、地方で暮らしたい」と思うようになっていた。
生まれ育ったのは横浜の住宅地だったけれど、その頃は自然もたくさん残っていて、
毎日、近所の裏山に出かけていっては雑木林のなかで遊んでいた。
それが一番、自分のなかに残る楽しい記憶だったからかもしれない。

結婚してからもその思いは変わらず、子どもができてからは、
自然が豊かな場所で子育てをしたい、という思いも加わった。
夫も東京生まれ、東京育ちだったが、やはり同じ気持ちを持っていて、
勤めていた会社に地方への異動願いを出したのが2年前。
初めて関東を離れ、広島の尾道へ家族で引っ越した。
そしてこの春、夫の転職を機に、
ここ鳥取県八頭郡智頭町に移住することになったのである。

智頭の美しい里山の風景。

智頭は鳥取県の南東部、鳥取市内からは車で30分ほどの、岡山県と接する山あいのまち。
面積の9割がおもに杉の山林で、「杉のまち」としても知られている。
移住する前、智頭に初めて家族で来た日のことは忘れない。
2月末、まだ雪も残っていて、冷たく透きとおった空気のおいしさと、
山から流れてくる川の水のきれいさに驚いた。
川沿いには田んぼや畑、ところどころに古い民家があり、
絵に描いたようなのどかな田舎の風景が広がっていた。

4月末、引っ越しの日は夜遅くに智頭に到着した。
夜空には、ここ何年も見たことがないようなたくさんの星。
朝、目覚めると、窓から流れ込んでくる澄んだ空気に、
引っ越しの疲れがすーっとどこかへ消えていくような感じがした。

見たい、食べたい、会いたい、 小豆島に行きたくなる写真展

自分たちで写真展をつくっていく

小豆島カメラとして、友人たちと島の写真を撮り始めて1年半。
ほぼ毎日オリンパスのミラーレス一眼カメラを持ち歩き、
たくさんの撮りたくなるシーンに出会い、数えきれない枚数の写真を撮ってきました。
そして2年目の夏、今年も写真展を開催します。
会場は、神戸と小豆島と高松を結ぶジャンボフェリーの船内です。

神戸〜小豆島〜高松を結ぶジャンボフェリー船内で今年も小豆島カメラの写真展を開催。

今年もたくさんの人に小豆島のことを知ってもらうために写真展をしよう!
旅のガイド本に載っているような美しい景色の小豆島の写真ももちろんいいんだけど、
それだけじゃなくてもう一歩深く小豆島を味わってもらえるような写真。
そんな写真を展示したいねと始まった写真展の企画。

去年の夏よりももっとたくさんの写真を展示したいね。
写真を見てその場所に行けるような仕組みにしたいね。
写真と合わせて地図も展示しようか。
いろいろと話し合いました。

この展示にむけて、フォトギャラリー〈POETIC SCAPE〉の柿島貴志さんに
島に来ていただいて、展示の仕方に関する講座も開いていただきました。
どんな額装にするか、どんなレイアウトにするか、
そもそもどんな目的で写真展をするのか。
考えること、決めることがてんこ盛りで、さてどうしたものかと……。

柿島先生の写真展&額装講座。

写真のマットと額縁の組み合わせの勉強。難しい……。

自分たちの写真に実際にあわせて雰囲気をみてみる。

〈民家工房 常栄〉 地域の木材を使う“健康住宅”。 これが、人の暮らしを変えると 信じる。

木材にも地産地消を

神奈川県の本厚木駅からバスで40分程度。
中津川を横目に眺めながら山道を進んでいくと
〈民家工房 常栄〉が手がける〈元(はじめ)の家〉ブランドの
モデルハウスが見えてくる。
元の家は、平成18年に立ち上げられた自然素材にこだわった住宅だ。
かつては常栄でも建材の一部に工業製品などを使用していたが、
それを約10年前に一切捨てた。

ことの始まりについて、代表取締役の山本常美さんが教えてくれた。
「当時、農業や食べ物に関しては、地産地消という考え方が広まっていましたが、
家や木材というものに対してはまだまだでした。
あるとき、神奈川県の職員と話をしていたところ、
県産材がたくさんあることを知ったんです。あるのならば使っていこうと」

常栄代表取締役の山本常美さん。

神奈川には県産材があるにはあった。しかし使う人が少なかった。
使われないと、せっかくの木材も他県に流れてしまう。
かつては運搬手段が発達していなかったので、木材も地産地消が当たり前。
家を建てるときは土地のすぐそばにある山から木を調達してくるしかない。
しかし、次第に運搬技術が発達してくると、
どこの地域の木材でも自由に選べるようになる。
結果的に、木材の地産地消という風習が薄れていくことになった。

常栄の作業場にはたくさんの木材がストックされている。もちろんすべて国産材。

山本さんがモデルハウスを案内してくれた。目につくもの、すべてが木製。
しかもほとんどが神奈川県産材、とくにここ丹沢地域の木材が多いという。

「構造材はすべて県産無垢材です。
多少は岐阜など他地域の木材も使用していますが、
もちろん産地はすべて把握しています」
外国産材はもちろん、出所のよくわからない木は使わない。

天井の梁には、わざと曲がったもの(曲り梁)を使用している。
「曲がっている木は、普通は使ってもらえません。
このスギは、丸太置き場で腐る一歩手前だったものを引っ張り出してきて、
製材してもらいました」

そのうえ虫食いの跡=小さな穴まで空いている。
「低温乾燥や天然乾燥だと、まだ虫が出てくることもあります。
しかし木材としては粘りがあって力が残るんです。
もちろん時間も手間もかかりますが……。
もし秋に家を建てて、春になって虫が出てきたら、それは“ラッキー”(笑)。
ちゃんとした乾燥をしているから、虫が出てくるんですよ」

そういった素材や製法に納得できるかどうか。
モデルハウスというブランドの顔になる場所に、
“曲がった木”や“穴の空いた木”を使っているあたりに、山本さんの心意気を感じる。

木材のほかにも、素材にはこだわり抜いている。
断熱材には、新聞紙をリサイクルした木質繊維である
自然素材系断熱材のセルロースファイバーを使用。
漆喰はオリジナルで開発している。
すぐれた吸湿・放湿効果があり、カビも発生しにくい自然素材だ。

梁が見える、あらわし工法。構造材がどんな木材なのかすぐわかる。

スギを中心に木でできた家は香りもいい。

お野菜を食べてくれる人に直接届ける

野菜を介して人とつながっていく

小豆島で野菜を作り始めて2年半。
まだまだわからないことだらけ。

どうして葉っぱが枯れてしまうんだろう。
どのタイミングで収穫したらいいんだろう。
なんで発芽しないんだろう。

栽培だけでも毎日毎日そんなことばかり。
疑問に思っては、本やネットで調べて、やってみて……その連続です。

そんな風に育てたお野菜を、どうやって食べてくれる人に届けるか、
どうやって販売するか。
それもまだまだ試行錯誤中です。

お野菜を段ボールにつめて旬野菜セットとして配送したり、
島内のレストランやカフェに配達に行ったり。
定期的に毎週、隔週でお野菜をお送りしたり。
少しずつですがお野菜のお届け先が増えてきてとてもうれしいのですが、
何種類ものお野菜を収穫して選別して梱包してという作業は
とても手間がかかるので、このまま進めていけばいいのか、
もっとやり方を考えたほうがいいのか、日々考えながら作業。

配送や配達以外に、マルシェなどでお野菜を販売することもあります。
先日、高松にある〈まちのシューレ963〉というお店で行われた
マルシェにも参加してきました。
まちのシューレ963は、地元香川県や四国のものを中心にした
食材、生活雑貨などを販売するライフスタイルショップ。
香川で暮らすようになり、私たちも何度も訪れているお店です。

マルシェでお野菜とオリジナルのポン酢を販売。

まちのシューレ963さんの緑がいっぱいの庭。パン屋さんやかき氷屋さんなど。

「いらっしゃいませー、小豆島で育てたお野菜です」
と声を出しながら、最初は毎回緊張(笑)。
少しずつその場の雰囲気に慣れてくると、
ようやくお野菜を売ることが楽しくなってきます。

夏色の小豆島

身の回りにあるいろいろな色

小豆島で暮らしていると、色の美しさにはっとさせられるときがよくあります。
空の色、山の色、海の色、そしてお野菜の色も。
暮らしのなかに、美しい色があふれている感じです。

今年は梅雨らしい梅雨で、雨か曇りの日が続いた6月、7月。
毎日どんよりとした空に覆われていました。
ようやく夏の暑さが来たなぁと感じたのが、7月も10日ほど過ぎたあたり。
あっという間に空気が変わり、
照りつける太陽、青すぎるほどの空、そんな太陽と空の下、
汗が止まらない農作業、来ました、夏!

ようやく来た夏! 海へふらりと散歩。

瀬戸内海の穏やかな海で、シーカヤック。

この夏の陽射しとからっと乾いた空気がつくり出す風景の色はほんとに美しい。
落ち着いた和の色も好きですが、コントラストが高く鮮やかな夏の色はワクワクする。
私が大好きな夏の色は青と緑。

透き通るような午前中の空の青色。
まだ穂をつけていない若い稲の黄緑色。
風景の後ろのほうにいつもある山の深い緑色。
畑で育つ野菜たちの元気な緑色。

わさわさーっとした畑の緑と透き通るような空の青。

夏の鮮やかな色はほんとに元気になる。

今年もタープ登場。この日はほんとに空が青い日でした。

たまり醤油を 生かした商品開発で成功 岐阜・山川醸造

ユニークな醤油加工品が大ヒット

〈アイスクリームにかける醤油〉に〈たまごかけごはんのたれ〉、
〈はちみつ醤油バター〉に〈醤油チョコソース〉。
家紋が描かれた黒い暖簾をくぐると、珍しいたまり醤油の加工品が
何十種類と商品棚を飾っていました。
ここ山川醸造は「たまり醤油」を造る蔵元。
行けばたまり醤油があるのだろうと思っていたら、
たまり醤油がどれなのかもわからないほどたまり醤油の加工品が並んでいます。
そもそもたまり醤油自体にあまり親しみがないのに、
その加工品となると未知の世界。
好奇心がくすぐられて次々と商品に手が伸びます。

織田信長とも縁の深い岐阜県の長良川の辺りに山川醸造があります。
岐阜を含む東海地区ではたまり醤油が根づいており、
山川醸造も昭和18年の創業以来3代にわたって「たまり醤油」を造ってきました。
いまでこそさまざまな商品があるけれど
「帰ってきた頃は業務用が100%。名古屋のうどん屋だけで1000軒のお客様がいました。
しかし名古屋のうどん屋自体が3割減り、うちの出荷量はどんどん減っていきました。
たまり醤油を使ってきた愛知やその近辺の人もどんどん濃口醤油に変えているし、
全国に広げようとしても特有の風味があるたまり醤油は選ばれにくい。
なんでうちはよりによってたまり醤油なんだ、って戻った頃は思いましたよ」
と山川醸造3代目の山川晃生さんは振り返ります。

すべて木桶に仕込み、2年以上じっくりと熟成させる。

たまり醤油は桶の中に塩水と麹を入れた後、もろみの上に布を敷いて石を並べる。熟成している間は、混ぜずに筒の中に集まるたまり醤油を柄杓ですくって上からかける。

転機になったのは山川さんが「醤油を主役にさせよう」と思ったこと。
醤油は常に脇役。魚を醤油で煮た場合も「魚、おいしい!」と言われても
「醤油、おいしい!」と言われることはなく、意識されることもありません。
そこで、ふりかけをつくる業者に醤油のふりかけを依頼しました。
「つくれると返事が返ってきたものの、
賞味期限半年で最小ロット750本という数字が出されたんです。
売り切れるのだろうか……と悩みに悩みましたよ。
うちは小売の販路は持っていなかったですし。
でもなんとかいまの苦しい状態を打破したかったので、
思い切って商品化に踏み込みました。
すると意外なことに2週間で完売したんです。
さらに発注してつくると、また2週間で完売しました。
“たまり醤油”のままだと東京などの人からは選ばれなかったのに、
ふりかけにしたら日本各地の人が『おいしい!』って買うんですよ。
そして気づいたんです。このふりかけが売れているのは、“濃口醤油”ではなく
“たまり醤油”と、ほかと差別化がはかれているからなんだ。
販売先を全国に広げて、たまり醤油のよさをいかせば短所が長所になるんだ! って」

そこからたまり醤油を生かした商品づくりが次々と始まります。
「まだ“◯◯専用醤油”ってものが少なかった頃に、〈たまごかけごはんのたれ〉をつくって、
始めたばかりのブログで告知すると、個人からどんどん反応がきて、
メディアでもこれまで50回ほど紹介してもらいました。
その後に〈アイスクリームにかける醤油〉をつくると、
200~300本が3か月くらいで完売したんです」
〈アイスクリームにかける醤油〉のニュースは私も何度も見かけ、
山川さんを知るきっかけになりました。
その後も定期的にさまざまな商品を出しては注目され、
個人のお客様から支持されるようになりました。
こうして業務用100%だった生産体制が、いまでは小売が3割を占めるように。

たまり醤油を使ったさまざまな商品が店内に並ぶ。

山川醸造3代目の山川晃生さん。

高野誠鮮さん

失敗を恐れずにやってみる

限界集落を活性化させるために奮闘するスーパー公務員を描くTBS系のドラマ
『ナポレオンの村』(7月19日スタート)には、実在のモデルがいる。
『ローマ法王に米を食べさせた男』の著者でもある
石川県羽咋市の職員、高野誠鮮さんだ。
公務員とは思えない発想の豊かさと類い希な行動力で、
これまで数々のプロジェクトを成功させてきた。

高野さんは1996年、日本で初となる宇宙科学博物館
〈コスモアイル羽咋〉の創設に尽力し、
UFOのまちとして羽咋市のまちおこしを先導していた。
ところが2002年に農林水産課に異動、
宇宙とはまったく違う分野である農業に向き合うことに。
そして与えられたのは過疎高齢化集落の活性化と、農作物のブランド化という命題。
予算はほとんどない。普通だったらそこで腐ってしまうが、
高野さんは「やってやろう!」と思い立つ。
「できないと言われるとカチンときて心に火がつくんですよ。
どうしてできないと言うんだろう、こうすればできるんじゃないかと考えてみる。
失敗したらどうしようなんて考えません。
成功するまでやってみればいいという単純な考え方なんです」
と高野さんは笑う。

美しい棚田の風景が広がる神子原地区。石川県で一番大きい棚田だという。

一般的に、65歳以上の高齢者が人口の半数以上の割合を占める集落は
限界集落と呼ばれる。
能登半島の西の付け根に位置する羽咋市の神子原(みこはら)地区も
過疎高齢化が進む中山間地域で、いわゆる限界集落だった。
この神子原地区の活性化のための最初のプロジェクトが
2004年にスタートした「空き農地・空き農家情報バンク制度」。
過疎となった集落には空き家や耕作放棄地がたくさんある。
そこに新たな住民を招き入れる空き家バンク制度は、
いまでは全国の自治体が取り組み、珍しくはない。
ただ神子原では「来てください」と頭を下げるのではなく、
集落の人たちが新しい住民を面接して選抜するのだ。
よそ者を受け入れるのに厳しかった村の人たちも、
この人ならいいだろうと納得してから受け入れる。
そうやって迎えられた人たちは集落に本当に定着していくという。

カメラを通してマチを見る

カメラを手に、歩きながら見えてくるもの

カメラとのつき合いは、かれこれ20年くらいになります。

高校時代はもっぱら使い捨てカメラ。
風景や食べ物を撮るというよりも、友だちや自分をとにかく撮ってました。
大学生になって一眼レフを使うように。
もちろん当時はフィルム。
建築の勉強をしていたので、自分のつくった模型を撮影したり、建物を撮影したり。
カメラのプログラムモードでただただ撮ってました。

自分なりに少し写真のことを勉強したのは、いろは(娘)が生まれた頃。
好きなブログがあって、この人みたいな写真を撮りたいなぁという思いから、
カメラのこと、レンズのこと、絞りや明るさのこと、
そんな基本的なことを本を読んで勉強。
デジタル一眼を購入し、その頃から写真を撮ることがぐっと楽しくなり、
家族の姿や旅先の風景などを撮り続けてました。

そしていま、小豆島で暮らすようになってからはもっと写真が身近になり、
毎日のように自分たちの暮らしや島の風景を撮影。
いつか写真に関わることを仕事としてやりたいなぁと思っていましたが、
いまは写真は自分たちの仕事にとってなくてはならない武器だし、
小豆島カメラとして友人たちと島での暮らしを撮影&発信する活動もしています。

毎日のように撮影している島の風景。

小豆島カメラとして友人たちと活動。1日1枚、小豆島の写真を公開しています。

先日、その小豆島カメラの活動を支援してくださっている
オリンパスさん主催の1日撮影講座が小豆島で開催されました。
島での初の撮影講座、今回は土庄港近くの
〈迷路のまち〉というエリアを歩きながら撮影。
島の有名な観光地〈エンジェルロード〉、
それから双子浦という高台にある〈富岡八幡宮〉まで歩いてまわりました。

小豆島で第1回目となるオリンパスさん主催の1日撮影講座。まずはルートの確認。

今回の撮影講座は、土庄港近くにある〈迷路のまち〉エリアを中心に開催。

美しい農村の伝統行事、肥土山の虫送り

300年続く行事に、今年もみんなで参加

小豆島に移り住んで2年と8か月が過ぎました。
この島で過ごす3回目の夏。
そして私たちにとって3回目の肥土山の「虫送り」の日が今年もやってきました。

虫送りは、火手(ほて)とよばれるたいまつに火を灯し、
田んぼのあぜ道をみんなで歩いて虫よけと豊作を祈願する行事。
映画『八日目の蝉』にも出てくるのですが、
小豆島といえばこれでしょ、と言ってもいいくらい美しくて神秘的な光景です。

毎年7月2日に開催される肥土山の虫送り。

火手を持って田んぼのあぜみちを列になって歩きます。

肥土山地区の虫送りは、毎年7月2日に行われます。
夏至から数えて11日目のこの日は「半夏生(はんげしょう)」にあたり、
毎年何曜日であろうとこの日に行われます。
今年は木曜日。
子どもたちは小学校から帰ってきて、夕方6時半、
虫送りのスタート地点である肥土山離宮八幡神社に集合します。

地元子ども会のみんなで火手づくり。

虫送り当日、火手を持って集合場所の八幡さんに急ぎます。

ちなみに、小豆島で虫送りが行われているのは、肥土山地区と中山地区の2か所。
中山地区では毎年7月の第1土曜日に行われます。

まだまだ知らない島の面白いとこ、「迷路のまち」を歩く

予期せぬ出会いを楽しみながら。

小豆島は約3万人が暮らす島で、島を一周ぐるっとまわると
100キロ以上ある大きな島です。
船でしか渡れない島(橋でつながってなくて空港もない)としては国内最大の島だそう。
港は6つあり、神戸、姫路、岡山、高松とつながっています。
地図で見たら小っちゃいですが、そこにたくさんの人が暮らし、
島にはいろんな地区があります。

私たちはここで暮らしてもうすぐ3年になりますが、
まだまだ行ったことのない場所だらけです。
近いからいつでも行けると思っていてもなかなか行けない。

先日、そのいつか行こうと思っていた場所のひとつ
「迷路のまち」というエリアを、初めてゆっくり歩きました。
迷路のまちは、土庄町の役場などがある中心地にあります。
普段からよく行く場所ではあるのですが、
じっくりと歩いてまわるというのは今回が初めて。

「迷路のまち」といえばここ! という感じの写真スポット。石積みの塀と西光寺の朱色の塔。

その昔、南北朝時代の戦いの際に、海からの敵に備えて
路地を複雑に入り組んだものにしたそうです。
それがこの土庄町周辺にいまも残る迷路のようなまち。

今回は小豆島カメラの友人たちと一緒に、
7月5日に開催される撮影ツアーの下見としてまわりました。
どのルートを歩こうか、ま、とりあえずエンジェルロードのほうまで
歩いて行こうということで、面白そうな道を選んでてくてくと。

ルートを決めずとりあえず歩く。

こういう風景に出会うのもうれしい。

奥に何があるんだろうと思わせる脇道。

車が通れないような細い路地。
特にお店があったりするわけではなく、本当に生活の場。
キレイに手入れされた鉢植えがところどころに並んでいて、
やっぱりこういう路地っていいなぁと思いながら。

玄関前の鉢植え。みんなが自分の家の玄関前をキレイにすると路地もキレイになる。

これまた味のあるビールのドラム缶。

小豆島の山岳霊場を巡る

四国とはまた違う、島の「八十八ヶ所」。

小豆島には「小豆島八十八ヶ所霊場」があります。
その昔、弘法大師(空海)さんが島に立ち寄られて、
修行や祈念を行ったといわれている88の本場霊場と奥の院、合わせて94か所の霊場。
その足跡をたどって霊場を巡礼するのがお遍路で、
小豆島でもお遍路さんをよく見かけます。

四国八十八ヶ所を巡礼すると総距離が1400キロにもなるのに対して、
小豆島八十八ヶ所は約145キロ。
小さなエリアにぎゅっと霊場が集まっています。
そして、小豆島霊場には四国霊場にあまり見られない、
山谷や自然の地形を利用した「山岳霊場」がいくつかあり、
遠くから見ると、ほんとにすごい場所に建物が建っています。

第72番札所「奥之院 笠ヶ瀧(かさがたき)寺」は、こんな岩壁の上にあります。

その山岳霊場のひとつ、第72番札所「奥之院 笠ヶ瀧(かさがたき)寺」に
つい先日行ってきました。
ずっと行きたかったのですが、機会がなくてなかなか行けず。
うちからは車で10分もかからないところにあります。
いろは(娘)は、幼児園の頃、散歩で何度か訪れていました。
幼児園から往復で3時間程度、登って下るその行程、
普段からそんなふうに歩いてたらそりゃ体力がつきます。

今回はさすがに家から歩いては行けないので、参道手前まで車で。
ここでいいのかと不安になりつつ、車を停めて歩いていくと見えてきたのは長い階段。

ここでいいのかと不安になりつつ歩いて進む。

山の中にある長い階段。木々に飲み込まれそう。

自社仕込みを 復活させてつくる無添加醤油 能登・谷川醸造

輪島に根づく甘い醤油「サクラ醤油」

「サクラ醤油」という名で地元で愛される谷川醸造。
代々、地元・輪島に根ざす甘い醤油を造り続けてきたなか、
4代目谷川貴昭さんは、結婚したことが後押しとなり、
地元の原材料だけを使って無添加の醤油を造るようになります。
真摯な造りと愛情いっぱいに歩むふたりに共感する人が力となり、
販売量は毎年倍に増え続けています。

谷川醸造を訪ねると、朗らかなお兄さんが柔らかな声で出迎えてくれました。
100年余り続く蔵元ながら「蔵人」という威厳がない。
寄り添う奥様はおかっぱのかわらしい女性で「およね」と呼ばれているらしい。
予想外の呼び名ながら、本人にも蔵の雰囲気にもぴったりの呼び名。
蔵の中に入ると「桜」のイラストが描かれた大きなボトルが
たくさん出荷待ちをしていました。
能登半島の北半分の多くの家庭がサクラ醤油を使い、
輪島では、醤油と言えばサクラ醤油とされるほど浸透しています。

昔から輪島で親しまれている「サクラ醤油 こいくち鶴」。甘めで刺身にぴったり。

谷川醸造4代目の貴昭さん(左)と「およね」と呼ばれる妻・千穂さん(右)。

サクラ醤油の醤油は甘い。
九州の醤油は甘いというけれど、本州の日本海側でも甘い醤油は定着していて、
能登半島の醤油も甘い。
特に北に行くほど都市の影響が少なく、甘みが強くなる傾向があります。
「地元の人にはこの醤油が地元の味として定着しています。
漁師にはさらに甘い醤油が支持されていますよ」
そう話す谷川さんに、地元のお母さんが
「あ、サクラさん」と声をかけ、親しげに会話が続きます。

その地元で長年愛された甘い醤油を大切にしつつ、
谷川醸造では2012年から地元の在来種「大浜大豆」を使って仕込んだ、
無添加の醤油の販売を始めました。
実はその醤油は、単に新商品となっただけではなく、
醤油の仕込みを復活させるという、醤油業界では極めて珍しい試みから始まりました。

趣ある小麦を炒る道具。「この道具が残っていたおかげでいまも造ることができます」と貴昭さん。

旬のお野菜、揃ってます

端境期を過ぎ、夏野菜の収穫がスタート。

梅雨入りして1週間。
ここ数日はまさに梅雨らしい天気が続いています。
しっかりとした雨が、植物たちをぐんっと成長させてくれます。

さてさてそんな雨の中での収穫作業。
5月中旬から夏野菜の一番手、ズッキーニの収穫が始まり、
ようやく野菜の種類が増えてきました。

収穫が始まったズッキーニ。いい感じで実がなり続けています。

6月は梅のシーズン。雨の合間をぬって収穫。

こうしてみるとほんとにたくましくなったいろは(娘)。

レモンもなり始めています。雨に濡れてしっとり。ここからじっくりと大きくなって収穫は12月頃です。

私たちは、自分たちが育てた野菜を何種類か組み合わせて
「HOMEMAKERSの旬野菜セット」として販売しています。
料金によって種類を変えているのですが、例えば2000円のセットで6〜9種類の野菜。
それだけの種類の野菜を年間通して揃え続けるのはとても難しいです。

畑には収穫できる野菜の種類が切り替わる端境期があります。
例えば、冬野菜の収穫が終わり夏野菜の収穫が始まる期間や、
夏野菜の収穫が終わり冬野菜の収穫が始まる期間。
今年も冬野菜から夏野菜への端境期は、
旬野菜セットを作れるほどの野菜が収穫できず……。
なので、3月中旬から5月くらいまでは販売をお休みしてました。

島の真ん中にある美しい田園

いつまでも残したい、美しい農村の風景。

イベント続きだった5月が終わり、6月です。
今年の5月は雨が少なく暑い日が続いたせいで、畑の土がカラカラ。
そして体も暑さについていかずバテ気味でしたが、そんなタイミングで梅雨入りです。
夏野菜たちをぐんっと大きくしてくれる梅雨、しっかり降ってほしいものです。

私たちが暮らす小豆島の肥土山(ひとやま)地区には、
島の中で一番広い田園地帯があります。
一番広いと言っても、新潟や東北の米どころの田園と比べたら
ほんとにほんとに小さなエリア。
山々に囲まれた狭い範囲に、小さな田んぼが何枚も並んでいます。
ちなみに今年はその小さな田んぼのひとつが「献穀田」に選ばれ、
11月に皇居で行われる「新嘗祭(にいなめさい)」にお米を献上します。
それほどおいしいお米が育てられている田園。

ちょっと高台から眺める肥土山地区の田園。

お米農家さんちのヤギさん。田園のすぐ近くです。

毎年4月末ごろから5月上旬にかけて土が起こされ、
田んぼに水が入り、田植えが始まります。
ちょうど、5月3日に開催される肥土山農村歌舞伎の時期。
この時期のまだ稲が植わっていない鏡のような水面が広がる風景も
これまたきれいなんです。

5月上旬の夕方。田植えの準備で遅くまで作業される農家さん。

肥土山農村歌舞伎舞台とお月さんといろは。

まだ稲が植わっていない田んぼは鏡のよう。

島のみんなとおいしい撮影

撮っておいしい、食べておいしい。

小豆島カメラとして島在住の友人たちと撮影をするようになって約1年半。
[yahoonews_hide]去年4月からは、[/yahoonews_hide]島の暮らしの中で出会う「見たい 食べたい 会いたい」シーンを
1日1枚公開していて、もうすぐ500枚になります。

そんなふうに活動を続けてきて、
メンバー7人が島のあちこちで撮影をしていることもあり、
小豆島カメラの認知度が少しずつあがってきました。
最近ではいろんな方に声をかけてもらえるようになり、撮影の仕事も頼まれるように。
旅雑誌の小豆島ページの撮影をしたり、島でのイベントの撮影をしたり。
先日も手延うどんを使った料理の撮影をしました。

声をかけてくださったのは、キンダイ製麺さん。
キンダイさんは小豆島でそうめん、うどん、お醤油などの製造・販売をされています。
今回手延うどんを使った新しい商品をつくるにあたって、
そのレシピ考案やカタログ制作、撮影などを島の外の人に全部お願いするのではなくて、
島の中の人たちでやってみようということで、
私たち小豆島カメラも関わらせていただくことに。

撮影に使う器について打ち合わせ。器好きとしては幸せな時間。

朝一番で集合し、さっそく撮影の準備。

何度か打ち合わせを重ねて迎えて料理撮影当日。
場所はHOMEMAKERSで。
一品ずつ順番に撮影していきます。

今回の主役、キンダイ製麺さんの手延うどん。

一品ずつ盛りつけては撮影していきます。

撮影は小豆島カメラがいつも使っているオリンパスさんの「OM-D E-M5」と「PEN E-P5」で。

HOMEMAKERSのキッチンやカフェスペースなどで撮影。

野球部の団結力によって生まれた醤油 福岡・クルメキッコー

200本の木桶仕込みも丁寧に

訪問すると、背筋を伸ばした3人の男性が待ち構え、ハツラツと迎えてくれました。
こんな出迎え方は初めてで、驚きながら話していると
「うちの社員は全員野球部出身なんですよ」と製造部次長の大塚伸一さんがひと言。
だから社員がきびきびとしているのか、と納得しつつ……全員野球部出身とは!
クルメキッコーでは、地元の原材料を使い、木桶に仕込むなど
さまざまなこだわりがあるなか、何よりも質を高めているのは、
野球部によって培った人間性とチームワーク。
訪問してそう感じました。

クルメキッコーがあるのは、福岡県久留米市。
良質な原料や水に恵まれた筑後川沿いの地を選び、明治7年に創業しました。
以来伝統を重んじて木桶を年々増やし続け、いまでは200本の木桶で仕込んでいます。
近々蔵を移転して、今後は300本を目指しているのだとか。
木桶に仕込む大豆はすべて福岡産か佐賀産の丸大豆「ふくゆたか」。
小麦も地元の「チクゴイズミ」を使っています。

蔵の中は隅々まで丁寧に手入れされており、
心地のいい澄んだ香りが広がっています。
木桶がずらりと並ぶもろみ蔵の中も、壁も桶もなんと清潔に保たれていることか。

大豆を蒸す釜。よくメンテナンスされている。

クルメキッコーでは、地元の材料を使う。

見学用に原材料が用意されており、丁寧に説明してもらえる。

そしてふと気づきました。もろみ蔵にエアー攪拌するための配管がない。
通常、木桶の中のもろみはエアーを送って混ぜているのですが、その道具がないのです。
どのようにして混ぜているのか尋ねると、にっこり笑って櫂棒を手にし
「これです。200本すべてこれで混ぜています」
というのだから、驚いて言葉を失いました。

戦前はどの蔵も櫂棒で混ぜていたけれど、
体力と気力と時間がかかるので、いまではエアー攪拌が一般的。
しかも蔵の中は外温より暑くて、もろみからは、
アルコールに弱い人は酔うくらいアルコールが出ます。
櫂棒で攪拌したことがある人は、その作業を
「地獄のもろみ混ぜ」と呼ぶこともあるくらい。
ましてや200本もあるなら、ふつうは迷いなくエアー攪拌を選ぶに違いありません。
「だから野球部じゃないと無理なんですよね」
と大塚さんがさわやかに笑いながら言いました。
なんでエアー攪拌しないんですか? と尋ねると
「エアー攪拌すると飛び散りますからね」とあっさり。
そんな、いまではなかなか手の行き届かないところまで
人の手を尽くしているのがクルメキッコーです。

20石の桶が200本並ぶ。当たり前ながら混ぜるのに慣れており、美しい所作につい見とれてしまう。

搾ったばかり醤油を味わうと、深い甘みと旨みが口の中に広がった。

生産者と暮らしに出会う旅 vol.2

観光とは違う、島の暮らしを感じる旅。

気持ちのいい5月の週末はイベント続きです。
16、17日は、小豆島カメラ企画
「生産者と暮らしに出会う旅 vol.2」が開催されました。

この旅企画第一弾は去年11月に開催。
観光地をめぐる旅じゃなくて、もう一歩踏み込んで、
島の生産者さんと直接話をしたり、収穫や料理をするなど
島の暮らしに触れたり、暮らす場所としての小豆島を楽しんでもらうもの。
外から遊びに来た人たちだけではなかなか行けない場所、
つながれない人たちとの橋渡しをするのが小豆島カメラの役目です。
第一弾に続き、今回2回目の開催です。

今回も2日間の日程。
1日目のお昼に港で集合し、さっそく生産者さんのところへ。
まずは前回のツアーでもお世話になった島のお魚屋さん「魚伝」さんへ。
「おー、どっから来たんや? お!タコか? タコのおいしい食べ方はなぁ」と、
ユニークなトークでもてなし、魚の話をいろいろ教えてくれます。
いまの時期、島で旬のサワラと鯛のあら、タコをゲット。

毎回お世話になっている魚伝さん。旬の魚介をゲット。

続いてヤマヒサさんのところへ向かい、オリーブ茶畑で茶摘みです。
ヤマヒサさんは歴史あるお醤油屋さんです。
約25年ほど前からオリーブの栽培も始められ、
いまではオリーブオイルの製造販売のほか、
世界的にも珍しいオリーブ茶専用のオリーブ茶畑も管理されています。
そこでお話を聞きながら、茶摘み。
なんとも贅沢な時間。

ヤマヒサさんのオリーブ茶畑。ポリフェノールが豊富な新芽を摘ませていただきます。

醤油づくりについてもお話を聞かせてもらいました。

オリーブの抹茶を使ったパウンドケーキとシフォンケーキまでごちそうになりました。

そして1日目の最後は、醤油蔵が建ち並ぶ「醤の郷」を散策しながら、
いわちゃん(石井岩男さん)のところへ。
いわちゃんはとても気さくでやさしい島のお父さん。
これまたこの時期旬の夏みかんを収穫させてもらいました。
さらにいわちゃんが育てたお米も分けてもらいました。

いわちゃんの畑で夏みかんを収穫。

いわちゃんはほんとに気さくでやさしい島のお父さんです。

毎回この旅の企画で共通していることは、その季節にできることを楽しむこと。
旬の食材を生産者さんのもとを訪ねて調達し、
それを使って自分たちでつくり食べるところまで。

農村フェス、小豆島・肥土山音楽祭

いままで見たことのない、歌舞伎舞台の光景。

肥土山農村歌舞伎舞台が1年に1回開かれる日、それが5月3日の農村歌舞伎の日です。
今年も無事に終わり、ほっとひと息。

と思いきや、今年はその翌週5月9日に歌舞伎舞台を使った新しい試み
「風が吹いてきたよ 2015~小豆島・肥土山音楽祭」が開催されました。

歌舞伎舞台は農村歌舞伎当日と本番前1か月間の舞台練習の日以外は
基本的には閉じられています。
2013年の瀬戸内国際芸術祭の際には、島外からのアーティストさんたちによって
舞台を使ったイベントが開催されました(「小豆島日記」#017)。
そういった特別な時以外は、ひっそりとした静かな場所です。

開場の時間とともに続々と田んぼの中の道を歩いて人が集まってきます。

この日はなんと朝から雨。カッパを着たり傘をさしたり。

5月9日は朝から雨。
なんで今年の春はことごとく大きなイベントの日が雨なんでしょ。
その前後の日は晴れ続きなんですけどね。

そんな雨にもかかわらず、開場の9時半前から続々と人が集まってきました。
いつもとはちょっと違った雰囲気の歌舞伎舞台。
あっというまに舞台前の桟敷はいっぱいとなり、10時半オープニング!

10時半より開演。地元の方による御詠歌。近所のおばちゃんが! 素敵でした。

二階堂和美さん。肥土山の舞台に歌声が響き渡ってました。

ダブルフェイマスのみなさん。こんなふうに歌舞伎舞台が使われるのはとても新鮮。

私たちはドリンク屋として出店。
舞台を見ることができない場所だったので、聞こえてくる演奏を楽しみながら、
ひたすらホットコーヒーをドリップしてました(笑)。

私たちはドリンク屋として出店。ひらすらコーヒードリップ。

島外からもたくさんのお店が。いつもとは違うかわいらしい雰囲気。

肥土山農村歌舞伎、いよいよ本番

長い時間をかけて、この日のために。

半年前から準備を進めてきた肥土山農村歌舞伎。
今年も5月3日に開催されました。

1週間前くらいからずっと気になっていた天気予報。
毎年ゴールデンウィークは暑いくらいのいい天気なので、
まぁ大丈夫かと思っていましたが、週間天気予報はずっと曇だったり雨だったり。
なんとか雨降らないでと祈っていましたが、
15時の開演直前にパラパラと降り出し、結局最後までやまず。
そんな天気の中で今年の歌舞伎は行われました。

時間はさかのぼり、開演12時間前、夜中の3時半。
まだ真っ暗な時間に、エプロンをつけて集会所へ。
肥土山自治会の中には6つの組があって、年ごとに順番に歌舞伎の担当をします。
毎年、歌舞伎に関わるスタッフや来賓の方々のお弁当は、
その年の担当の組の女性たちがつくります。

私はこのお弁当づくりに参加するのは初めて。
集会場へ着くと、おばちゃんたちの元気な声が響きわたっていて、
朝3時台とは思えないテンション(笑)。
さっそく私もその中に入り、まずは割子(わりご)弁当に入れる
突き飯(つきめし)づくり。
突き飯というのは、木でできた四角い型にご飯を入れ、
木の棒で突き固めてつくる四角い押し寿司みたいなもの。
ひとつのお弁当にふたつ突き飯を入れるので、300人分×2個で600個。
みんなでワイワイと話しながら、ひたすらトントンとつくります。
同時に天ぷらや玉子焼き煮しめなどのおかずもつくっていきます。

割子弁当にいれる突き飯づくり。みんなで分担してどんどんつくります。

たくさんのおかず。スタッフみんなのまかない。

つくった突き飯とおかずをお弁当につめていきます。300人分。

6時、みんなで朝ごはん。
おにぎりとたけのこの天ぷらをいただきます。
これから始まる1日を楽しみに、まだまだお弁当づくりは続きます。
おかずをお弁当につめ、夜の打ち上げ用のおにぎりと
串(おかずを串にさしたもの)もつくり、10時過ぎには完成。
軽トラに積んで、歌舞伎舞台へ移動です。

歌舞伎舞台では朝から会場の設営が始められており、
開演4時間前くらいからは役者の化粧や着付けが始まります。
本番の緊張感が漂い始めます。

当日朝から会場設営。

本番前のお昼ごはん。みんなでつくってみんなで食べる。

最初の演目の化粧が始まります。

〈ブナコ〉1ミリ厚の ブナ材テープから生まれる 美しきプロダクト

ブナコからつながる青森の森のはなし

青森県は、森林面積が県土全体の約66%を占めている森林県。
スギ、ヒバ、ブナ、アカマツなど多様な樹種が分布する。

青森県の木にもなっている青森ひば(ヒノキアスナロ)は、
下北半島や、津軽半島に多く分布している。
近年は、保護の観点から植栽や間伐を行いながら、計画的に供給されている。

青森ひばはその耐久性の高さから神社仏閣の建築に古くから利用されており、
現在も青森を代表する木材資源には間違いない。
しかし、青森の自然の代名詞でもある世界自然遺産〈白神山地〉の
ブナ林で知られるように、青森は豊かなブナ林が広がる土地でもある。
青森県南西部から秋田県北西部にまたがる
13万ヘクタールにも及ぶ山地帯のことを指す白神山地。
この広大な山々の連なりには、人為の影響をほとんど受けていない
原生的なブナ天然林が東アジア最大級の規模で広がっている。
また、下北や八甲田周辺にもいくつものブナ天然林が広がる。
こうした背景から、青森県のブナ蓄積量は日本一の数字を誇っている。
現在は、白神山地のブナ林をはじめ、その多くは保護対象のために
木材資源として活用されることはないが、
地球温暖化防止や災害などを防止する国土保全、
渇水や洪水を緩和しながら良質の水を育む水源かん養、
生物多様性の保全など、公益的機能で重要な役割を担っている。
本州最北の地、青森はブナの国でもあるのだ。

手厚い保護を受けている白神山地のブナ林。ブナは広葉樹林の極相林であるため、基本的には天然林となる。そのため、伐採可能な地域であっても無駄を生まない資源利用が求められる。

自由な造形を可能にするブナコの製法。

弘前で訪ねたブナコ株式会社が手がける〈ブナコ〉は、
その名の通りブナを使ったプロダクトだ。
特徴は、厚さ1ミリにスライスしたテープをコイル状に巻きつけ、
それを少しずつスライドして立ち上げ、立体物に成型していく独自の製法だ。
この製法は、蓄積量日本一のブナを特産品として有効活用するため、
1956年に青森県工業試験場が考案。
含水率が高く反りやねじれが多く発生することから、
厚みのある無垢材での使用に向かないブナをいかに扱いやすくするか、
また、ブナ資源をできるだけ無駄にしないためにはどうすればいいか
という研究の末に生まれたという。

コイル状に巻いたテープをスライドさせることで生まれるテクスチャーがブナコの持ち味。

天然のブナをスライスしてつくったブナテープ。底板をのぞけば、ブナコで用いられる素材はこのテープのみ。

戦後は青森のみならず岩手など、ブナ資源が多くみられる東北地域では、
フローリング材や漆器の木地用としてブナを産出していたが、
“狂いやすい”という特徴から価値のある木材資源としてみられることはなかった。
当時は現在のように高機能な木材用人工乾燥機もなく、
“ブナは狂う”というのが当たり前のことだったのだ。
そんな時代に登場したブナコの製法はセンセーショナルだっただろう。
ブナをわずか1ミリにかつらむきして、テープ状とすることで、
木材加工業者を泣かせた“狂い”はきれいに解消でき、
また、コイル形状とすることで大きさの自由も生まれた。
木工ろくろを使って挽物をつくる場合、
当たり前だが木地の完成サイズ以上の丸太を必要とする。
ところがブナコの場合、大きいものをつくりたければ、
テープを継ぎながら巻いていくだけでよい。
大径木を必要としない、資源を無駄にしないものづくりが可能になったのだ。

ブナテープを巻き込んでコイル状とした状態。これを徐々にスライドさせ立ち上げることで、テーブルウエアやランプなどの造形へと変化していく。

テープをコイル状に巻く作業は完全に手仕事。巻き加減を考慮しながら、素早く巻いていく。