肥土山に風が吹いてきたよ、農村の音楽祭

歌舞伎舞台を使った、新しいお祭り。

ゴールデンウィーク真っただ中。
みなさん、いい連休をお過ごしでしょうか。
この記事が公開される日には、今年の肥土山農村歌舞伎が無事終わっているはず。
歌舞伎の様子については、来週振り返ろうと思います。

さて5月3日に農村歌舞伎が終わり、なんと今週末5月9日(土)に、
同じ舞台で「風が吹いてきたよ 2015~小豆島・肥土山音楽祭」が開催されます。
肥土山の舞台と文化、景観を未来につなげるために、
“どこにもない”“ここでしかできない”農村型音楽祭を
島民を中心につくりあげようというもの。

今年第一回目となる「風が吹いてきたよ 2015~小豆島・肥土山音楽祭」

会場となる肥土山の田園と農村歌舞伎舞台。

歌舞伎舞台がある肥土山離宮八幡神社の境内で遊ぶ子どもたち。

このイベントは、私たちの友人であり、同じ移住者でもある大塚一歩さんの企画。
彼は音楽がとても好きで、いままでも小豆島にミュージシャンを招いて、
何度かライブを開催しています。
私たちも毎度楽しませてもらっていて、都会で暮らしていた時よりも
頻繁にライブに行くようになりました。

今回の「風が吹いてきたよ」(以下、風吹き)は、
いままでのライブとは規模が違い、たくさんの人が関わっています。
同世代の価値観が似た人たちだけでなく、
肥土山自治会や歌舞伎舞台保存会、地元青年会や婦人会など、
ほんとにいろんな人たちと打ち合わせを重ねてきました。
地方でイベントをする、ましてや地域のシンボル的な場所を使うとなると、
自分たちの力だけでは実現できるわけがなく、地元の人たちの協力なしではできません。
今年が1回目ということもあり、準備は1年以上前から進めてきました。
そしていよいよ今週末です!

歌舞伎舞台。年に数回しか舞台が開かれる機会はありません。

田園を散歩する地元幼児園の子どもたち。地元の人たちにとって大切な場所。

肥土山農村歌舞伎、みんなでつくりあげる

今年は初めて役者として参加。

300年以上続く、ここ肥土山地区の伝統行事、肥土山農村歌舞伎
いよいよ今年も5月3日の本番が近づいてきました。

年明け早々、演目や役者を決め、顔合わせ、セリフの読み合わせから始まり、
演目ごとに集会所で練習をしてきました。
役者として出演するたくちゃん(夫)といろは(娘)は、
ここ数週間セリフや所作の練習を毎日のようにしています。

4月に入り、練習の場を公民館に移して、週2回あわせ稽古。
公民館には大きな鏡のついた稽古場と、
かつらなどが保管されている化粧部屋があります。
まさに農村歌舞伎のための部屋。
みんな仕事や学校を終えて、夜7時くらいにそこに集まって練習が始まります。
役者だけでなく、お茶やお菓子を用意してくれるお母さんたち、
練習の段取りをしてくれる当番の人たちなど、
練習だけでもたくさんの人たちが関わります。

公民館の稽古場での練習。本番の衣装を着て。

公民館には、かつらなどが保存されてる歌舞伎のための化粧室があります。

練習と並行して、衣装合わせや化粧リハーサルも。
着付け担当、化粧担当、かつら担当の人。
みんなの手によって、ひとりの役者ができあがっていきます。
ほんとにありがたいなと思うと同時に、
最終的に舞台に出るのは役者であり、その責任の大きさを感じます。

本番で着る衣装を合わせます。

衣装担当もみんな肥土山の人たち。

化粧リハーサル。人生初の経験。

親子二人三脚で造る無添加醤油 島根・森田醤油

地元の素材で、無添加で造る

どことなく熊野古道と似た空気が流れているなと思いながら訪ねた森田醤油は、
古事記や日本書紀の「ヤマタノオロチ退治」や
スサノオノミコトが降臨したという神話が発祥した島根県奥出雲に位置します。
近い記憶で言えば、「もののけ姫」の「たたら場」のモデルになった土地です。

森田醤油で使う丸大豆の6割が地元、島根県産。
残りの4割の大半が広島県産。
小麦も島根や山口県産と、近くのものを使う。
「地元の農家さんに約1ヘクタール分の種を渡して、
これでつくってもらうよう言ったこともありますよ。
ここは雪で材料が入ってこなくなることもありますしね。
なくなったら仕入れる、仕込みの時期だから仕入れるのではなく、
いいときに仕入れるようにしています。
仕入れすぎて怒られることもありますけどね」
森田醤油4代目の森田郁史さんは笑って言いながら、
壁のように積み重なる材料を優しい表情でゆっくりと見渡した。

森田醤油の商品はすべて無添加。自然食品のお店やデパートで取り扱われる。

この土地のもので造っているとなるといいイメージが湧くものの、
森田醤油が地元産・無添加の蔵元になったのは、郁史さんの代になってしばらくのこと。
「地元の材料で無添加で造りたいと思っていましたが、
父は地元の人に根づいた混合醤油(*)を造るべきだと、なかなか譲りませんでした」

父に反対されても、材料は地元産、無添加の商品を造るという想いを
少しずつかたちにしていき、いまでは100%国産・無添加にしたのには、
息子の浩平さんの存在がありました。
「ポン酢を開発するときでした。試作段階のときに味見をしていると、
販売先の担当者から、使っていた“かつおエキス”や“昆布エキス”の原材料について
ちゃんと調べたほうがいいとアドバイスをもらいました。
さっそく調べたところ、“かつおエキス”にはいろいろなものが含まれていると知って
心底驚きました。当然、かつおからできていると思ってましたから。
そのとき、息子がやってきてそのポン酢を舐めようとし、
思わず『そげなことはやめ』と、止めてしまって気づいたんです。
これは、僕にとって100%じゃないって」

*混合醤油:搾った醤油にアミノ酸液を混ぜ合わせたもの。

森田醤油では、すべて櫂棒を使って手でもろみを混ぜる。通常はエアーを送って混ぜるため、すべて手で混ぜる蔵は全国的に非常に珍しい。

搾りたての醤油は、味わい豊かでまろやか。

〈高津川ウッディ・クラフト〉 デザインの力で 高津川材のブランド化に挑む

高津川ウッディ・クラフトからつながる島根の森のはなし

島根県は県土のうち約78%が森林という、全国4位を誇る森林県。
スギ・ヒノキの人工林は約14万ヘクタールを誇り、
そのうち約4割が9齢級以上の利用期となっている。
木材の生産量は、平成2年に比べると半減しているが、近年は増加傾向。
スギ・ヒノキに加えて、マツの生産量が全国上位であることも特徴だ。
間伐材の利用材積も平成24年に飛躍的に伸びており、
6万立方メートル以上で推移している。
また、〈島根CO2吸収・固定量認証制度〉を設けている。
“吸収”は、森林整備のための労力や資金を提供して、企業活動をオフセットするもの。
“固定量”は、県産材を利用した木製品によるCO2固定を目的としたものだ。

県では、原木増産の促進、伐採跡地の再生促進、
県産原木による高品質・高付加価値な木材製品などを中心に、
木を「伐って、使って、植えて、育てる」循環型林業の実現を目指している。

裏目に出てしまった島根の良質な木。

東西に長い島根県。松江や出雲があるのはかなり鳥取県に近い東部、
一方、山口県と接している西部は豊かな自然が残っている。
針葉樹も広葉樹も多く、良質の木材がたくさん出ていた。
しかしいま、島根の木工業は衰退しつつある。
ライフスタイルの変容や、外国産材の流入という全国的な問題はもちろん、
もうひとつ理由があった。

「営林署が3つもあるのは島根だけでしたし、相当いい木が出ていました。
だから丸太を右から左に流すだけでも、いい暮らしができたんです」
そう説明してくれたのは、昭和21年創業以来、
西部にある高津川流域材を扱ってきた老舗木工所、
〈平和木工〉代表取締役社長の洗川武史さん。

しかし、良質な木材があったおかげで、その上にあぐらをかいてしまった。

「ある地域の話ですが、そこはいい木材が育たない地域なので、
製材所や加工業者が努力して、ものづくりやデザインで
付加価値を高めて、成長したという例があります。
この地域は、そういう努力をしてきませんでした」

平和木工の代表取締役社長・洗川武史さん。

こうして島根の木工が衰退してきたことで、
結果的に、林業従事者が減り、後継者もいなくなり、
木の枝打ちや間伐などがされなくなってきた。
年々、木材の質が落ちてきているという。

ヒノキのストック。〈ウッドリバー〉というプロダクトになっていく。

「現状では、まだいい木が立っています。
いまはそれで食べていけるかもしれないけど、近い将来、絶対にダメになるでしょう。
しかも、木材を燃料チップにしてしまうだけで、
生産者が山を育てようという気持ちになっていないと思います」

だからといって嘆いてばかりいられない。
かつて栄えた木工業者も、まだ100軒近くあるので、技能者はまだ残っている。
そこでまずは自分たちが構える西部の高津川流域で
〈高津川流域の家具・建具づくり協議会〉を立ち上げ、
1年後に平和木工を中心とした〈高津川ウッディ・クラフトLLP〉に発展した。

「付加価値をつけて売り出すことができるのならば、
生産者のみなさんも、山を守り、木を育てようという
気持ちになるのではないかと思ったんです」

いい製品をつくり、それが売れて、山に手が入り、森が守られ、よい木材が育つ。
そんなサイクルを目指した。
もちろん、木工業者としても、いい木があればいい製品がつくっていける。

スギのベンチを製作中。

現在この工場では6人のスタッフが製作に励んでいる。

暮らすように旅する小豆島

普段の小豆島を感じてもらう旅。

小豆島は一年で一番さわやかで鮮やかな季節を迎えようとしています。
もうすぐ5月です。

5月に入ると、肥土山では水路に水が流れ始めます。
その昔、庄屋の太田典徳さんが私財を投じて肥土山のためにつくった蛙子池。
いまもその池からの水が使われており、田植えが始まる5月上旬には
あちこちの田んぼに水がはられます。
まぶしいほどの山々の緑と空の青、そこを通り抜ける風が本当に心地いいです。

田んぼに映る朝陽。この季節はほんとに気持ちいい。

5月になると、田んぼに水がはられてあちこちで田植えが始まります。

そしてこの最高の時期にあるのがゴールデンウィーク。
小豆島には毎年この連休にたくさんの旅行者の方々がやってきます。
宿泊施設はどこも満室、レンタカーもすべて出払ってしまうような状態。
日本中の観光地がどこもそんな感じですかね。

この観光地の悩ましいところはオンとオフがとてもはっきりしていること。
ゴールデンウィークや秋の紅葉シーズンは溢れるほどの人が外からやってきますが、
それ以外の8割くらいのシーズンは静かです。
カフェを営業していても、それをとてもよく感じます。

観光シーズンの気持ちのいい気候、美しい景色ももちろんいいのですが、
年中通した魅力って何だろう。
普通の日の小豆島の魅力。

それは、ここでの暮らし自体なんじゃないかなと思います。
都会ではなかなか味わえない、季節を楽しむ日本らしい暮らしがこの島にはあります。

〈とやまの木せいひん研究会〉 県内の力を結集して研究し 木製品の向上を目指す

とやまの木せいひん研究会からつながる富山の森のはなし

富山県は、県土面積の約6割にあたる284,000ヘクタールが森林で、
そのうち約6割が民有林だ。
その面積の28%がスギを主体とした人工林で、人工林率は全国平均より低い。
それら人工林のうち半分が9齢級以上で、伐採可能な成熟期に入りつつある。
富山の代表的なスギとして、
タテヤマスギ、ボカスギ、マスヤマスギがあげられる。

県内50社で木製品を研究する。

富山県は国内の製材業のなかでも、特別な事情がある。
かつてロシアから安い木材が大量に輸入されていた。
その窓口のひとつが富山だった。
富山に木材が入荷し、富山で製材され、関西や関東などに出荷されていた。
そんな地場産業として栄えた歴史があったから、
県内では、もともと地域にある木材を使うということが少なく、
国外からの木材を使う時期が長かった。
県内の森で間伐などに手間をかけるよりは、外材のほうがコストが安かった。
結果的に、富山の森に手が入ることがなく荒れてしまった。
灯台下暗しになってしまったのだ。

そのような背景があり、もっと県の木材を
利用していこうという動きが近年、高まってきた。
2011年、最初は富山県からの持ちかけで、
県内の木に関わるメーカーや製材業者などが、
県産材で一般住宅の家具や日用雑貨を提案し、冊子を製作した。

「この事業に参加した多くの方が、
『年に1回くらいはこのような催しをしたい』と賛同し、発展していきました」と、
〈とやまの木せいひん研究会〉設立のきっかけを話してくれたのは
事務局を務めている松田木材の代表取締役社長、松田靖さん。
通常、製材業者と家具メーカーなどが交流を持つ機会は少ないが、
研究会ではさまざまな業種の企業や工房が加入している。

研究会と名がつくからには、実際に“研究”に励んでいる。
木工に関する新しい技術を学ぶ研修会が年に数回行われている。
たとえば塗装や接着剤などのメーカーから直接、
技術者を呼んで説明会などを開催している。
通常このような商品は、問屋やカタログの商品説明から発注してしまうことが多い。
塗装や接着剤メーカーも、1社のためだけに出向くわけにはいかないことが多い。
研修会では会員自身が、家具製作の際に使用している商品や量、
作業工程が適切かなど、細かい部分をメーカーの技術者に直接訊ねることができる。

松田木材の広い敷地内にはたくさんの原木があった。

松田木材のショールーム。

富山県には、ものづくり企業を支援する施設として高岡デザインセンターがあり、
研究会もさまざまな面で協力してもらっている。
たとえば、家具や日用雑貨、小物の新商品開発において、
プロダクトデザインに関する講師を招くなど、ソフト面の勉強会を開催している。
「つくる技術はもちろん、それが消費者のニーズをとらえているのかという視点も、
同時にレベルアップしていきたいと考えています。
これまでの『こういう材料や技術があります』から、
『この材料と技術で、新しいものを提案します』に向かっていきたいと考えています。
研究会では毎年木せいひんの展示会を開催しています。
会員それぞれが新作を出品するので、
業者同士でお互いに技術を披露したり消費者のニーズを調査したりと、
さまざまなかたちでより良いものづくりをめざしています」

松田木材の代表取締役社長、松田靖さん。

県産スギ無垢板の高級下駄箱。

小豆島日記100回記念スペシャル 後編 HOMEMAKERSの暮らし方

小豆島に移住する人たち。

三村ひかりさんの連載100回を記念した特別編。
前編では三村さんとつながりのある移住者の方をご紹介しました。
では、小豆島の移住の現状はどうなっているのでしょうか。
小豆島には三村さんの住む土庄町と、お隣の小豆島町のふたつの町がありますが、
今回は小豆島町企画財政課の黒島康仁さんにお話をおうかがいしました。

小豆島の人口は約3万人。土庄町と小豆島町でほぼ半々だそうですが、
小豆島町では高齢化などにより毎年240~250人ずつ人口が減っているそうです。
それでも、小豆島町への移住者は
平成25年度は87世帯117人、
26年度は105世帯131人が移住しているとのこと。
土庄町では、25年度で47組66人ということなので、合計すると、
1年に200人近い人たちが小豆島に移住しているということになります。

この場合の移住者というのはUターンを除き、
Iターンと、一度都会で働いたあと故郷の近くに戻ってくるJターンの合計で、
小豆島町ではほとんどがIターン者。
もともと縁のない人たちが転入してきているというのが特徴的です。
もうひとつの特徴としては、20~30代の若い世代の人たちが多いということ。
なかにはもちろん、リタイアして第二の人生を
楽しむために移住する人もいるようですが、
自然豊かな土地で子育てをしたいといった若い世代の移住が多いようです。

平成24年度と25年度の小豆島町への年齢階層別移住者数。(町長のブログ「小豆島町長の『八日目の蝉』記」より)

小豆島町の具体的な施策としては、
土庄町とともに「小豆島移住・交流推進協議会」を設置し、
空き家バンクの開設や「島ぐらし体験」ツアーを実施。
島ぐらし体験ツアーについては「小豆島日記#082」でも紹介しましたが、
移住を考えている人を対象に、就労相談や空き家物件の見学、
移住者たちとの交流会などをメニューに組み込み、年2回実施しています。
特に実際の移住者たちにいろいろな話を聞く機会となる交流会はとても好評で、
さまざまな地域から参加の応募があるそうです。

空き家バンクは、いまや全国各地の自治体が取り組んでいますが、
小豆島町でも空き家の問題は深刻。
誰も住んでいなくてもいろいろな事情でなかなか貸し出せる物件が少ないそうですが、
借り手の要望は多く、今年も現時点で新規の賃貸登録物件9軒のうち8軒で契約が成立。
物件が出たらすぐに埋まるような状況だといいます。
町では家財撤去、改修などに助成金を出し、
さらなる物件の掘り起こしに努めたいとしています。
また、小豆島町では、中・長期滞在施設を用意し、移住を希望する人に
1週間から最長3か月まで、1日2000円で部屋を貸し出しています。
ここに滞在しながら仕事探しをしたり、実際に暮らしてみたりすることで、
より移住が現実的なものになるようです。

そして、移住を考える人にとっていちばん気がかりなのは就労。
小豆島町ではハローワークと連携して面接会を開催したりしていますが、
まずはよく調べてみてほしいと黒島さん。特に、1次産業に関心を持ち、
農業をやりたいという人がよく相談に来られるそうですが、
まず畑を借りるというだけでもハードルが高く、
また実際に収穫できて収入が得られるまでの資金面でも大変です。
家庭菜園くらいの規模であれば別ですが、移住して農業をゼロから始めて
仕事にするというのは、かなり難しいことのようです。

黒島さんは、「なかなか地域になじむのが大変という話も聞きますが、
高齢者が多い地区で移住者のお子さんが生まれたり、
移住者によって若い人たちが増えたりしたことで、
お祭りや行事が復活したという話もあります。
利用できる制度は活用してもらいながら、
いろいろ下調べをしたうえで島に来てもらいたいですね」と話していました。

〈mokumoku〉 木への愛情にあふれた、 つくり手の顔が見える家具屋さん

mokumokuからつながる沖縄の森のはなし

全国屈指の人気観光地として抜群の知名度を誇る沖縄。
海のイメージが強いが、島のおよそ半分、県土面積の47%を森林が占める。
森林は木材の生産をはじめ、台風や豪雨などの気象災害から県土を保全し、
水資源のかん養や動植物の生息・生育の場など、重要な役割を果たしている。

沖縄本島の森林は〈やんばる〉と呼ばれる北部地域に集中している。
やんばるの森の特徴は、まるでブロッコリーのようなモコモコとした形。
その正体は、イタジイ(スタジイの沖縄での地方名)という木で、
大きいものでは高さ約20メートル、
幹の直径は1メートルにも達する常緑の広葉樹だ。
県木に指定されているリュウキュウマツのほか、クスノキやセンダン、
イスノキなど、たくさんの種類の木も生育している。
そんなやんばるは、戦後の復興時期に多くの木が伐採され、
一時は荒廃してしまったことも。しかし地道な植樹と森林の再生力により、
豊かな森を取り戻すことができ、現在では沖縄県が整備・保全を進めている。

沖縄では近年、県産木の人気が上昇中だ。
乾燥加工技術の開発や施設設備が推進され、
家具や調度品といった付加価値の高い商品の生産が可能となり、
幅広い利用が期待されている。
木育や、木工家が集まって展示・販売を行う〈沖縄ウッディフェア〉の
開催などを通して、県産木材の需要拡大を図っている。

木工家も木の種類も、個性的で多種多様

那覇から車を走らせること40分。通り沿いにアメリカの中古家具や雑貨、
中国家具を扱う店が数多く立ち並ぶ宜野湾市大山。
家具店の激戦地ともいえる場所に店を構えるのが
〈沖縄工房家具mokumoku(もくもく)〉だ。
mokumokuは7つの工房が共同経営する店舗で、
それぞれの作品を展示・販売したり、オーダーを受けたりする。

「作業場と材料を置く場所は確保できても、
ひとりでは、ギャラリーを設置するまでは手が回らない。
だから作品を展示して販売するのは、年に数回しかない展示会だけ。
でも、ひとりでは難しくても、共同でならショップを構えられるし、
いつでも自分たちの作品を見てもらえるかなと」

立ち上げたきっかけを話してくれたのは、〈WOODYはる房〉の屋良朝治さん。
当初は、8工房の9人でスタート。
その後、メンバーの卒業や新加入などがあり、
設立から12年経った現在は7工房8人で運営している。
店内に入ると、心をリラックスさせてくれるような
清々しい木の香りが鼻をくすぐる。
ダイニングセットから子どもイス、カトラリーやおもちゃ、壁掛け時計など、
木でつくられた作品が所狭しと展示され、
質感、風合い、触り心地、においなど、木をリアルに感じることができる。
それぞれの個性が作品に表れているから、見れば見るほどおもしろい。

「僕はハマセンダンという木をよく使うのですが、香りが良く、
木目も角度によって見え方が違う。
そのときどきでおもしろい表情を見せるので好きですね」
と話す〈テツモク〉の豊田修さんの答えを受け、
「私はイタジイが好きなんですよ」と話す〈WOODWORKS〉の宮野信夫さん。
「僕はクスノキかな」と〈木工房ため&KAN〉の石川寛さんがいうと、
「僕は若い女性が好きだな」と〈木工房 木妖精(きじむなー)〉の
外間則道さんが言い、みんなで大笑い。
作品に使われている木の素材もいろいろあるが、メンバーの個性も多種多様。
さまざまな木が互いの存在を認め合ったり、助け合いながら、
ひとつの場所に集っている。mokumokuはまるで森のような存在と感じた。

(前列左から)木工房 桜SAKUの佐久川政吉さん、テツモクの豊田修さん、WOODWORKSの宮野信夫さん。(後列左から)木工房 木妖精の外間則道さん、木工房ため&KANの石川寛さんと為村千代美さん、WOODYはる房の屋良朝治さん。

店内には、家具やインテリア小物も豊富に展示されている。

〈輪島キリモト〉 漆器の素材を生かしてつくる 「あすなろシリーズ」

輪島キリモトからつながる石川の森のはなし

石川県は、総面積のうち7割が森林面積を占める、森林資源豊かな土地。
岐阜県との県境に位置する、標高2702メートルの霊山・白山にはブナの天然林もある。
この森林面積の約9割が民有林となるが、
戦後の拡大造林の推進により、そのうち4割が人工林として造成されてきた。
樹種は、スギ71%、能登ヒバ(アテ)12%、マツ9%だが、
なかでも能登ヒバは、能登地域に植えられる石川県独特の樹種。
昔から建材としてはもちろん、木工品などにも使われてきた。
現在、この人工林の約6割が成熟期を迎えているといわれるが、
国内全体での木材自給率は低く、木が森に残されてしまうような状況が続いている。

能登半島の穴水町。能登ヒバが植林され、手入れされている森。

眠っている素材を生かしたプロダクト

能登半島の漆器のまち輪島で、150年以上にわたり
ものづくりをしている「輪島キリモト・桐本木工所」。
ほかの漆器の産地と同じく分業制が根づく輪島で、
お膳の猫脚や仏具などの木地をつくる「朴木地屋」として昭和初期に創業し、
現在は三代目の桐本泰一さんが多くの職人さんを束ねながら、
商品の企画から販売まで手がけている。

石川県も他県と同様、森林の状況はあまりよくないというが、
輪島の場合は山が浅いこともあり、人の手が入っているほうだという。
というのも輪島では大工さんが地元材を使うことが多く、
15年ほど前までは住宅の地元材使用率は8割を超えていたのだそう。
その地元材が、スギとアスナロ。ヒノキ科の針葉樹であるアスナロは、
たとえば青森県では「ヒバ」と呼ばれるなど、地域によって呼び方が異なる。
「アテ」という石川県の県木も、このアスナロのこと。
耐水性にすぐれ、ヒノキに似たさわやかな香りがあり、
抗菌性のあるヒノキチオールを含んでいる。
スギよりも水に強いため、外壁材など、多く建材として使われてきたが、
輪島では文箱や屠蘇器といった漆器の木地に長く使われてきた素材でもある。

「匙などにはホオノキ、椀にはケヤキなども使われていますが、
さまざまな漆器の木地にアスナロが使われてきました。
アスナロ中心といっても過言ではないくらいです」と桐本さんが言うように、
輪島の人たちにとってはなじみ深い素材なのだ。

輪島塗の木地として古くから使われてきたアスナロ。ヒノキチオールを多く含み、殺菌効果がある。

アスナロを木材として仕入れてから木地として使用するまでには時間がかかる。
狂いを少なくし、長持ちさせるために、水分量が一定になるまで木を落ち着かせるのだ。
天日で3年、その後風通しのいい場所で1年、
さらに倉庫で5~6年ほど寝かせたものを使うのが基本。
だが、現代では漆器が日常であまり使われなくなったこともあり、
木が倉庫に眠ったままの状態になってしまっていた。
これらをなんとか生かせるものがつくれないだろうかと生まれたのが、
輪島キリモトの「あすなろシリーズ」だ。

〈ワークス・ギルド・ジャパン〉 秋田杉の間伐材で 暮らしにやさしい響きを

ワークス・ギルド・ジャパンからつながる秋田の森のはなし

秋田県の森林面積は、県土の70%。半分は天然林、もう半分は人工林。
全国で6番目に大きい県である秋田県は、森林面積の大きさでも全国6番目。
山形県に接する県南の境界線には鳥海山がそびえ、
青森県に接する北西の境界線には世界遺産の白神山地がある。
秋田は、深く広大な森の国であった。

秋田杉は、木曽ヒノキや青森ヒバと並ぶ日本三大美林のひとつ。
秋田の天然林のほとんどはナラやブナであり、
天然秋田杉の割合はごくわずかだ。
だからこそ、この森林の存在は、東北の地の大きな財産である。
人工林だけを見ればそのほとんどがスギで、
資源量の豊かさで秋田は日本一である。秋田は、スギの王国であった。

秋田杉の木目には、物語が刻まれている。
どんな場所で、どんなふうに育ったのかを語っている。
木目の幅の揃い方。ほんのりと赤みを帯びたやさしい色合い。ほのかな香り。
間伐材の1枚にも、その素晴らしさは、生きている。
秋田杉は、秋田の宝である。

やや赤みがかった肌の色をした秋田杉。木目の幅は、成長のスピードを示している。秋田の気候のなかでゆっくりと育った木であることを無言で物語っている。

木のおもちゃで、五感を育てる

秋田県秋田市のワークス・ギルド・ジャパンは
オリジナリティあふれる木工品で、いま注目を集めている。
つくっているのは、暮らしにとけこむ木製玩具だ。
デザイナーの大野英憲さんは言う。
「伝統工芸や家具などをつくる会社や人は、秋田にはすでにたくさんいます。
この秋田の地に蓄えられた素材や、木工の知恵と技術をうまく活用しながら、
僕らにしかできないものづくりをめざしました」

ワークス・ギルド・ジャパンのデザイナー、大野英憲さん。もともと神奈川を生活の拠点としていたが、縁あって秋田に来た。いまは1か月のうちの10日間を秋田で過ごす。時間があれば、木材会社や加工会社を回り、職人さんたちとの雑談を楽しむ。

たとえば、2011年にグッドデザイン賞を受賞した〈ベント・ウッド・サイクル〉。
北欧文化にあるという、自転車の乗り方を学ぶこどものためのトレーニング自転車を、
秋田の曲げ木の技術を取り入れて開発したものだ。
家の中でベント・ウッド・サイクルで遊ぶうちに、
からだのなかでバランス感覚が自然と身につき、磨かれていく。

また、たとえば、〈モパラグ〉という名の、
スギでできた81のピースでつくるパズル式のラグマット。
菱形や三角形の木製ピースを並べていくと、幾何学模様のトリックアートができあがる。
遊び心に満ちた、フシギで楽しい知的インテリアだ。
どちらも、家のなかにあるだけで、自然とワクワク感を生み出す。
木と遊び、木で学び、木で育つ。
「木育」こそ、ワークス・ギルド・ジャパンのコンセプトなのだ。

コロカル商店でも扱っているキュートな木工自転車「ベント・ウッド・サイクル」。木のやわらかい質感がいい。曲線が美しく、家のなかにあるだけで、うれしい。

小豆島日記100回記念スペシャル 前編 島で暮らす仲間たち

農業を中心とした「HOMEMAKERS」の暮らし。

夫と娘とともに2年半前に小豆島に移住した三村ひかりさん。
農業をしながら、古民家を改修した自宅で週末にカフェを営む日常を綴るこの連載も、
2013年4月のスタートからついに100回を迎えました。
そこで今回はいつもと趣向を変えて、地方での拠点を探しながら各地を旅し、
三村さんと交流もあるカメラマンのテツカが、小豆島を訪ねることに。
その模様を前後編でお届けします。

小豆島へは航路がいくつもあり、フェリーや高速艇が着く港が6つあります。今回は新岡山港から「HOMEMAKERS」に近い土庄港へ。

三村さん一家が暮らすのは、小豆島のなかの肥土山(ひとやま)という里山の集落。
島であることを忘れてしまいそうな里山の美しい風景が広がり、
細く続く道には民家も多く、人々が寄り添って生きているかのよう。

HOMEMAKERSの周囲には里山の美しい風景が広がります。

三村さんたちの自宅兼カフェ「HOMEMAKERS」にて久しぶりの再会。
カフェは金、土曜日のみの営業で、この日はいつものように農作業をする日。
いつも午前中に野菜の収穫作業をし
午後はさまざまな準備やメンテナンスをするそうです。
さっそく畑を訪ねると、旦那さんのたくちゃんが作業中。
この時期は作物を植える準備をしているそう。

三村さんと娘のいろはちゃんに、畑まで案内してもらいました。

畑ではたくちゃんが土を掘り起こす作業をしていました。

いろはちゃん、フェンネルの葉を思わず口に。そのまま食べられます。

これがフェンネル。葉はサラダやスープによく使われますが、立派な根っこも食べられます。グラタンなどに入れるとやわらかくておいしいのだそう。

紅くるり大根を収穫。

今シーズン最後の紅くるり大根。また次の冬に会いましょう。

この日も午前中に収穫を終え、きれいに洗って土を落とした
フェンネルやわけぎ、紅くるり大根などの野菜が並んでいました。
収穫したあとも、洗った野菜を乾かして梱包したり、
出荷の作業は思ったよりも大変、と三村さん。
4月の下旬からはまた野菜の種類が増えるそうですが、
いまはちょうど収穫の端境期で、これでも野菜は少ないのだそう。

こちらがこの日収穫できた野菜。きれいに洗って乾かします。

均一に分けたり袋詰めしたり、出荷の作業にも手間がかかります。

〈角館伝四郎〉 山桜の樹皮に宿る美を 世界に問う

角館伝四郎からつながる秋田の森のはなし

秋田県の森林面積は、県土の70%。半分は天然林、もう半分は人工林。
全国で6番目に大きい県である秋田県は、森林面積の大きさでも全国6番目。
山形県に接する県南の境界線には鳥海山がそびえ、
青森県に接する北西の境界線には世界遺産の白神山地がある。
秋田は、深く広大な森の国であった。

秋田・角館に宿る、樹皮の美の伝統

〈角館伝四郎〉は創業1851年。
上質な樺細工を生みつづける革新の老舗ブランドである。
樺細工の“樺”は白樺ではなく、山桜の樹皮。
江戸時代末期、秋田支藩の城下町として栄えたまち・角館で
下級武士の手内職として始まったとされる伝統工芸である。

商品の顔が樹皮であるという強烈なインパクト。
ひとつとして同じものはない圧倒的な個性。
山桜の樹皮に宿る模様と色の美しさ。
密封性に優れた機能面。際立ったそれらの特徴を持って今日に生きている。
樺細工の伝統は、日本で唯一、角館だけで育まれたもの。

角館伝四郎の六代目である藤木浩一さんは、
その伝統の技を生かしながら樺細工の世界に幅と奥行きを与え、
自らの手で普及に取り組んでいる。
人口13,000人の小さなまち・角館にある店舗に、ぜひ足を運んでいただきたい。
茶筒、菓子皿、素箱、ランチョンマット、パン皿、コースター、
箸置き、名刺入れの数々が並ぶ。
樺細工のある暮らしの美しさと広大さに一瞬で魅了されることだろう。

店舗の奥にあるのは、蔵を改築したショールーム。薄暗い空間のなかに整然と並ぶ樺細工が照らし出されている。

やさしく丁寧に取材に応じてくださった藤木さん。伝統の技とデザインを融合させるコンセプターでもある。樺細工の伝統技法を受け継ぐだけではなく、それを生かした新しい取り組みを進め、時代に合う、樺細工のあるライフスタイルを提案する。

〈シンラテック〉 地元で豊富なシイノキを 家庭のプロダクトへ。

シンラテックからつながる山口の森のはなし

本州の最西端に位置する山口県。
北、西、南の三方を海に囲まれ、その中央部には中国山地が横断している。
島根県、広島県の県境にあたる東部には高い山々がそびえ、森林率は72%。
人工林は18万9000ヘクタールで、人工林率は44%。
木材生産量は16万7000立方メートルだ。
県下での林業従事者はおよそ1,000人である。

山口県の木材ではとりわけヒノキが良質で、
奈良県の東大寺が再建される際、山口市徳地で伐採された大木が
瀬戸内海を経由して運ばれた歴史がある。
また、古くから色みに優れたアカマツも育っており、
それらは〈なめらまつ〉と呼ばれ、全国的な知名度を誇る。

そんな山口県では、〈森林バイオマスエネルギープラン〉により、
木質ペレットの生産、木質チップによる石炭混焼への取り組みなどを通じて、
木材のエネルギー利用に力を入れている。

長門市にある市指定天然記念物〈シイノキ巨樹群〉。シイノキは日本特産の樹木で、この巨樹群では幹回り4.6メートルを筆頭に、3メートルほどに育ったシイノキが群生している。

自らの手で林業を変えていく。

山口県長門市の〈シンラテック〉とシイノキのつき合いは長い。
昭和34年の創業以来、同社では近隣で育ったシイノキを伐採し、チップを製造してきた。
「山口県全体でいうとヒノキやスギが有名ですが、
長門市は昔からシイノキの産地だったんですよ」
そう教えてくれたのは3代目社長・近藤友宏さんだ。

大学の工学部を卒業し、IT系コンサルティング会社に就職。コンサルタントを経験した後、家業であるシンラテックに。「日本の林業を変えたい」「林業という仕事に誇りを持ちたい」という熱さを備えた人物だ。

左手に見える第一工場ではフローリングや製材などの加工全般、右手にある第二工場では小物類が生産されている。

ここでつくられた木材チップは、紙の原材料として
日本製紙株式会社へと納品されてきた。
そんなシンラテックが転機を迎えたのは2010年。
近藤さんは木材チップ製造に加え、新たに製材部門の立ち上げに着手した。
その背景にはこんな想いがあった。

「日本では、大部分の森が手をつけられないまま放置されています。
国産材、県産材を使いたいという声は確かにあるのですが、
価格や安定供給がネックになって叶わない。加えて、自分で調べていくうちに
日本が林業や木材産業においては発展途上国だという事実を知りました。
この仕事に誇りを持って臨んでいけるよう、
もっと林業に向き合っていく必要があると思ったんです」

木材チップの製造工場。ここで大量の木材チップがつくられていく。

工場に運び込まれた状態のシイノキ。これからフローリング、小物用、チップ用に分別される。

シイノキの断面。広葉樹ということでほどよく固さがある。長門市では主にスダジイ、ツブラジイが見られる。

木材チップ用の木々が次々とベルトコンベアへ。

できあがった木材チップ。辺りには木の香りが広がっていた。チップはその後、大型車に積み込まれ、製紙工場へと運ばれていく。

肥土山農村歌舞伎、稽古と準備の日々

夫と娘も歌舞伎の役者に。

毎年5月3日に開催される肥土山農村歌舞伎。
江戸時代より300年以上続いている肥土山の伝統行事です。

肥土山農村歌舞伎は、ここで暮らす人々自身が役者であり、
大道具、小道具、衣装、着付け、化粧などもすべて自分たちの手で行います。
肥土山自治会の中には6つの組があり、その6つの組が毎年交代で、
歌舞伎本番に向けての準備を進めていきます。
つまり6年に一度大変な年がやってくる感じ。

そして今年は私たちが属する向組(むかいぐみ)の当番。
歌舞伎本番の約半年前からじわりじわりと準備が始まりました。

衣装の準備。今年の演目で使う衣装を蔵から出します。

いろは(娘)が着る衣装。

かつらも自分たちで用意します。

花道の設置と大道具の確認。

肥土山農村歌舞伎では、3つの演目が上演されます。
第一幕はその年の担当の組の人たちが主に演ずる演目、
第二幕は子どもたちだけの演目、
そして第三幕は肥土山農村歌舞伎の保存会の人たちが演ずる演目。
今年は、なんとたくちゃん(夫)といろは(娘)が第一幕の演目に役者として出ます。

〈マエダ木工〉 スギ家具には傷がつきやすい。 しかしそれは子どもの 日記である。

マエダ木工からつながる福井の森のはなし

土地面積は約42万ヘクタール、そのうち森林が約75%を占めている福井県。
民有林の面積は約27万ヘクタール。
そのうち人工林が約40%を占めていて、その90%近くがスギである。
間伐期や主伐期を迎えている森林資源は増えているが、
ともに十分に利用されていないのが現状である。

平成22年から始まった〈ふくいの元気な森・元気な林業戦略〉では、
“木を伐って使う”流れを太くする取り組みを強化するため、
林業を産業として再生する“経済林”と
自然災害や鳥獣害から暮らしを守るなど、多面的な機能を発揮する“環境林”の
ふたつの側面から、多くのプロジェクトを進めている。

思い出とともに一生ものになる、子ども向け家具

福井市にある〈マエダ木工〉の前田智之さんは、大学を卒業後、
京都の木工所2か所で、合計9年の修業を積んだ。
さらにドイツに1年間、木工留学し、マイスター学校で勉強。
帰国後、地元福井に戻り、マエダ木工を開設した。
現在の主な業務内容としては住宅のつくりつけ家具やリフォーム、
百貨店の什器などを製作している。

代表の前田智之さんは二児の父。

これまでは外国産材か、国産でも広葉樹を使用することがほとんどだった。
あるとき、東海地方の木工仲間で組んでいた
〈未来家具〉というグループに誘われて参加した。
“ものづくりを通して森づくりを”というテーマで、若手木工作家が地域の針葉樹を使い、
次世代に残したい家具や小物を提案するというグループだ。
この展示会に出展するのに、本格的に県産スギを使ってみたところ、
「すごく使いやすかった」という。

「やわらかすぎて難しいというイメージでしたが、
傷がつくといってもまあまあ、それなりかなと。
それよりも淡いピンクの見た目がすごくきれい」と新しい発見があった。

「スギはあたたかいし、手触りがいい」という前田さん。

未来家具チームのなかでも、前田さんに子どもがいることもあり、
自然と子ども家具に注目していった。
そして〈日記家具〉という、新しい子ども向け家具ブランドを立ち上げることになる。

スギと家が合体したロゴ。

「当時、一生使い続ける家具をつくりたいと思っていたんですが、
実際は簡単な話ではありません。スギだと傷がつきやすいので、
家の中心に置くキャビネットのようなものはダメだろうと。
しかし子ども用家具なら、小さいころに買ってボロボロになっても、
思い出とともに味になっていくと思ったんです。
もちろん当初は、“スギだから傷がつきやすいことを大きく謳っておかないと
問題になる”と思っていました。
だけど思い切って、“傷がつきますということを特徴にしてしまおう”と、
考え方を切り替えたんです」

子どもが傷をつけないはずがない。だったらコンセプトにしてしまえばいい。
スギの傷つきやすさを逆手にとったのだ。
「むしろ傷をどんどんつけていってほしいくらいです」と前田さんが言うように、
“柱の傷”の発想。それはひとつひとつが思い出であり、子どもの“日記”なのだ。

真っ白な霧に包まれた島、春の訪れの合図

春の訪れを告げる、幻想的な光景。

3月中旬のある日、朝起きてみると窓の外が真っ白。
あたり一面に霧が立ち込めていました。

霧に覆われた風景はいつもと違って幻想的。
いつもは見えるその先の風景が何も見えず、近くのものだけが浮かびあがる。

朝起きて、家のすぐ裏からの景色。肥土山の集落が真っ白。

霧の中のなばな。しっとりしてます。

梅の木。なんだか神秘的。

この時期、瀬戸内海沿岸では船が動けなくなるほどの濃霧の日がたびたびあります。
南からの暖かく湿った空気が、まだ水温の低い海の上を移動するときに冷やされて、
霧が発生するそう。
つまり、この時期の霧は春の訪れの合図。

と、悠長に言っている場合ではなく、そんな日に限って
どうしても高松に行かなくてはならない用事が。
船動いているのかなと調べてみると、
案の定停船勧告が出ていて、船は始発からストップ。
高松、小豆島間のフェリーや高速艇は、
通勤・通学で利用している方も多いのですが、みな立ち往生。
ようやく動き始めた午後イチのフェリーには、長い行列ができていました。

昼過ぎ、動き出したフェリーに乗る人たち。それでも後ろはまだ真っ白です。

〈アサヒ〉 独自の乾燥技術が日田杉を 3世代家具に変える。

アサヒからつながる大分の森のはなし

別府、湯布院という全国的な知名度を誇る観光地を有する大分県。
森林面積は約45万3000ヘクタールあり、県土の71%を占める。
そのうち人工林は53%、天然林が38%となっており、
この豊かな森林資源は木材の生産のみならず、
県の名産であるシイタケの生産にも寄与している。

大分県では3つの柱によって森林の整備・保全を進めている。
ひとつが、荒廃森林を整備することによる「水をはぐくみ、災害を防ぐ森林づくり」。
ふたつ目が、自然と触れ合って学べる「子どもの森」の整備や
地域の特色ある森林を「百年の森」として整備する「遊び、学ぶ森林づくり」。
最後が山づくりに携わる人々が木を伐った利益で植林することで
「長期育成循環林」を整備する「持続的経営が可能な森林づくり」だ。
健全な森林の育成サイクルをつくり、維持することで、
大分では県をあげて豊かな森林づくりに取り組んでいる。

再造林された森林。大分県の民有林におけるスギ人工林の蓄積は全国3位。また、スギの丸太生産量も全国3位である。

日田杉の価値を高める。

家具製造会社〈アサヒ〉がある大分県日田市は、かつて幕府の直轄地・天領だった。
その広大な土地の8割を占める緑の森は、
大地に根を下ろした良質なスギが天に向かってまっすぐと伸び、
“日本三大美林”とも呼ばれている。

そんな日田市のスギは、古くから〈日田杉〉という名前で親しまれてきた。
日田杉の特徴は、表面はかたく、赤身の部分が多く、
害虫や湿気による被害を受けにくい。
木目は細かく、赤身は濃く、艶もあり、建材として用いられることが多い。
ただし、これらの特徴は、適切な乾燥方法によって処理されていることが前提だ。

工場へ運び込まれた日田杉。アサヒでは60~70年ものの日田杉を用いる。

板状にして積み上げ、随時、乾燥処理にかけていく。乾燥時間は外の湿度に応じて調整する。

乾燥前の状態でも赤身がしっかりと主張する。乾燥後は木目がくっきりと浮かび上がり、赤身がほどよく馴染んでいく。

日田杉の中でも大半を占める「ヤブクグリ」種は、
一般的な機械乾燥を施すと中心部が黒くなってしまい、
梁や柱といった高値で売買される構造材としては流通させられない。
中心部が黒くなったもの、根元の曲がっている部分については、
日田の伝統工芸〈杉下駄〉に加工されている。

ヤブクグリ、ひいては日田杉の価値を向上させるため、
日田では黒くさせないための方法について古くから考えられてきた。
ひとつが、風通しのいい山の斜面での天然乾燥だ。
ただし、十分に乾燥させなければならないため、広い場所、
そして何より約2年間という長い歳月が必要である。
もうひとつが技術・工夫による乾燥方法だった。

閉校前の小学校、子どもたちと撮影ワークショップ

みんなで思い出の場所を撮る。

いろは(娘)の通っている小学校は、この3月で閉校します。
移住者が増えて、来年はまた瀬戸内国際芸術祭も開催されて、
わいわいと賑やかそうな小豆島ですが、それでもやっぱり人口は減少しています。
いま島の人口は約3万人、最近は毎年約400〜500人ずつ減少しているそうです。

小豆島にはふたつの町があって、それぞれに4つの小学校があります。
この3月で私たちが暮らす町の小学校4校は閉校となり、
次の4月からは統合されて1校に。
小学校の閉校・統合なんて他人ごとだと思ってたけど、
ここ小豆島ではまさにいま起こっていること。
学校や病院の数がじわりじわりと減っていっています。

その今年閉校となる小学校のひとつ、渕崎小学校で
先日子どもたちと撮影ワークショップを行いました。
当たり前のようにあった小学校がなくなってしまう、
その前に自分たちが通った小学校の写真を撮ろう。
そして、記憶に残そうという思いから。

138年間の歴史に幕を閉じる渕崎小学校。自分たちの通った学校の写真を撮ります。

カメラの使い方の説明。子どもたちにとってデジカメでちゃんと写真を撮るのはなかなかない経験。

小学校で子どもたちに参加してもらってワークショップを開催する。
いろんなことが初めてで、何をどんなふうに進めていったらいいのか
わからないことだらけ。
学校の先生方との調整、保護者の方への連絡、機材の準備、そして当日の段取り。
いろんな人に相談しながら準備を進めました。

親子で参加してもらい、カメラを1台ずつ貸し出し。
学校の中で好きな場所、思い出の場所、友だち、先生……、
とにかく撮りたいものを撮ってみよう。
そしてその写真を使って「ありがとう渕崎小学校」のポスターをつくろう。
最後にどうしてその写真を撮ったのかひとりずつ発表しよう。
という内容のワークショップ。

オリンパスのミラーレス一眼「OLYMPUS OM-D E-M5」、コンパクトカメラ「STYLUS TG-3 Tough」をひとり1台貸し出し。

小豆島カメラのメンバーが使い方を説明。

お父さんと一緒に参加してくれた子も。

「とにかくたくさん撮ろう。1枚のポスターをつくるのに
1枚の写真じゃなくて100枚くらい写真を撮ってきてー」

〈入谷Yes工房〉 スギ間伐材と震災被害木を活用し、 南三陸を元気に。

入谷Yes工房からつながる宮城の森のはなし

県土の約58%=約42万ヘクタールが森林に覆われている宮城県。
6500万平方メートルの森林から、毎年50万平方メートルが伐採され
木材として生産されている。
山々はスギやアカマツなどの針葉樹を中心に、
ブナやナラなどの広葉樹も広く分布している。
鳴子杉や津山杉など、美しい文様のスギが育つことでも知られている。

被災地で雇用を生むために

のどかな里山の風景が広がる宮城県南三陸町入谷地区。
その小高い丘の上、廃校になった小学校の木造校舎の中に
〈入谷Yes工房〉はある。

南三陸町は、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた。
住宅の7割が浸水し、いまも多くの人が
仮設住宅などでの避難生活を余儀なくされている。
入谷Yes工房は、そんな方たちの働く場所をつくれないかとスタートした。

「どこかに来て、誰かと働くことは生きるための大切なモチベーションになります。
たくさんの人がこの工房でいきいき働いてくれるのは、とてもうれしいことです」
そう話すのは工房の広報を担当する大森丈広さん。

2011年5月に3名からスタートした工房は、
現在まで、のべ20人以上の雇用を生み出した。

毎日数名のスタッフが工房に通い、作業に精を出している。

季節の移ろいを感じる暮らし

季節を感じながら、畑で作業する。

小豆島で暮らすようになって、マチでの暮らしと大きく変わったこと、
それは外で過ごす時間が圧倒的に増えたこと。

朝起きて、まず外に出る。
外の空気に触れて、それから朝の支度。
子どもを学校に送り出し、いざ畑へ。
畑から戻って家のことをしてても、なんだかんだ外と中を行ったり来たり。

外で過ごす時間が長いと、すごく季節の移り変わりに敏感になる。
まだまだ寒い冬だと思っていたら、立春を過ぎたあたりから、なんだか陽射しが暖かい。
空気は冷たいんだけど、明らかにそれまでとは違った陽射し。
春に向かって季節が動いているんだなと感じます。

気づけば力強い春の陽射し。

あちこちで梅の花が咲いています。

金柑の収穫。1~3月頃が収穫シーズンです。

そして、畑。
畑は季節そのもの。
野菜や植物は、気温や日照時間にすごく敏感に反応します。

秋に種をまいた春キャベツ。ようやく収穫。

あやめ雪という品種のかぶ。とう立ちする前にぎりぎり収穫。

〈サカモト〉 山とともに暮らすまちが育んだ、 軽やかで柔和なスギのブラインド

サカモトからつながる鳥取の森のはなし

鳥取、と聞いて砂丘を連想する人も多いだろう。
だが、鳥取砂丘が県土に占める面積は1%にも満たない。
県土はおよそ3,507平方キロメートル、砂丘は5.5平方キロメートル弱である。
むしろ、県土の大半、74%は森林が占める。
砂丘というのは、川に削られた土砂が砂となって海へ流れ込み、
それが潮と風の力で海岸線に押し戻され、堆積した地形のことだ。
乾燥した砂漠とは異なり、鳥取全土で雨も降れば雪も降る。
鳥取は、西日本有数の雪の多い地域でもあり、
西部の大山(だいせん)の湧き水で知られるように、水の豊かな土地柄を誇る。

そんな鳥取の東南部に、奈良県の吉野杉、秋田県の秋田杉と並び、
スギの名産地と称される智頭町(ちづちょう)がある。
そこは中国山地の1,000メートル級の山々に囲まれた山間のまち、
急峻な山肌を縫うように、鳥取砂丘を育んだ千代川(せんだいがわ)の源流が湧く。
まちの総面積の9割以上を森林が占め、古くから林業が盛んに行われてきた。
町内には樹齢350年以上の慶長杉と呼ばれる人工林が残り、
江戸時代の寛永年間(1624〜1644年)には、
鳥取藩主の池田侯が山奉行を置き、造林を奨励した歴史もある。
いまも林業はまちの中核産業で、
町内人口およそ7,600人のうち、森林組合員は1,200人近い。
木とともに暮らすまち、それが智頭町だ。

智頭町にある牛臥山(うしぶせやま)からのまちの眺望。木々をいただく山に囲まれて、まちの人々は暮らす。(写真提供:智頭町町役場)

智頭町が誇る銘木の智頭杉は、町の東部に自生する
天然杉の原生林、沖ノ山杉から苗をとって育てたものだ。
木目が緻密で粘り強い性質をもつその苗を、専業林家が丹念に手を入れる。
樹齢80~100年ほどにもなると、高さ30~40メートル、
太さ40~60センチの、節のない真っ直ぐな木が育つ。
木の断面は、心材(木の中心部)が濃淡のある褐色、辺材(周辺部)は白色と、
はっきりしたコントラストを示す。
端整で緻密な木目の美しさから、建材はじめ、家具や工芸品まで広く愛用されてきた。

加工前の智頭杉の原木。褐色の心材(中心部)と白色の辺材(周辺部)はコントラストが際立つ。

風土が育む智頭杉の粘り

そんな智頭町に、樹齢80~100年の智頭杉の良品を選りすぐり、
家や暮らしにまつわる木製品を製造する〈サカモト〉という会社がある。
「まるごと家1軒分のスギ材」を掲げ、建材から家具までさまざまな木材加工品を扱う。
1957年、日本の林業が活況を呈していた時期に先代が坂本材木店として創業。
1996年には、2代目の坂本トヨ子さんが、木の世界には珍しく女性ながら代表に就任、
建材に加えて壁材や床材などの内装材や外装材の製造を始め、
2008年からは家具の製造も手がける。

サカモト最大の強みは、銘木の智頭杉と、
その特徴を十二分に引き出す製材・加工技術にある。
それを象徴する製品が、智頭杉でつくる木のブラインド〈ウッディブラインド〉だ。

オフィスにかけられたウッディブラインド。光を浴びた木の淡い色目が、心に和らぎをもたらしてくれる。静電気が起きないのも木のブラインドの特徴のひとつだ。

やさしく光を遮る薄いスギ板は、光を浴びて白と褐色が混じり、
薄紅色にも肌色にも見える。
空調や人の動きで起きた風を、スギ板が静かに受け止め軽やかにゆらぐ。
見た目が実に心地いい木のブラインドは、
一見すると、薄い板材に穴を開けて紐を通せば簡単につくれそうだが、
トヨ子さんいわく「普通のスギではまずつくれない」とのこと。

その理由は、スギという木材がもつ性質にある。
軽くて加工しやすいスギは、古くから建材として重宝されてきたが、
材としての強度はそれほど優れているわけではない。
1センチにも満たない厚さの板材に、ブラインドの紐を通す穴を開けようとすると、
普通のスギだと強度が足りずに割れてしまう。
だが、粘り強い性質をもつ智頭杉は、穴を開けてもヒビすら入らない。
その粘り強さは、智頭の風土によってつくり出されていると、トヨ子さんはいう。

「このまちは、四季の変化に富んでいます。1年の寒暖の差は大きく、
夏は40度近くまで気温が上がり、冬は氷点下の日も続きます。
今日みたいに、雪が降ることも多いですね」

取材で訪ねたこの日、まちは、靴がすっぽり埋まるほどの雪に覆われていた。

「冬が智頭杉をつくる」
そんな言葉があるそうだ。冬の寒さで冬目(*)が締まり、
山の斜面に張りつくように生える木が、雪の重みに耐えて粘りを増す。
その粘りが、穴を開けてもビクともしない強さとなる。
温暖な気候で育ったスギではそうはいかない。

*冬目:木の年輪の境目になる色の濃い部分。色の白いところは夏目という。

木と山について熱っぽく語る坂本トヨ子さん。オフィスの床と壁、机とイスはもちろん、調度品はすべて智頭杉でできている。横型のウッディブラインドがかかる奥の窓は、枠までが木製だ。

田舎のカフェ、オープンから1年

少しずつ、成長していく場所。

去年の2月22日、私たちは小豆島の田舎でカフェをオープンしました。
そして今年もまたその日が。
HOMEMAKERSカフェ、1周年です。

カフェオープンから1年経ちました。カフェはこんな感じの外観です。

カウンターから眺めるキッチン。常連さんはカウンター。

カフェ1周年のタイミングにあわせて発売した「シトラスジンジャーシロップ」。カフェの定番メニューです。

自分たちができる範囲でやろうと始めたカフェ。
ランチメニューは旬のサラダつきのカレーライスのみ、デザートは焼き菓子1種類。
それでも毎回仕込みと開店の準備はバタバタ。
営業日は、週末土、日曜日限定でスタートしました。

オープンして1か月、出だしはまずまず好調で、
島内島外からたくさんの人たちが足を運んでくれました。
一方で、土曜も日曜もカフェを営業するのは、
子育て中の私たちにとっては何か違うと感じるものでした。
家族と過ごす時間を増やすために小豆島に来たのに、
子どもが休みの日に私たちはずっと仕事。
これはよくないとすぐに変更、4月からは営業日を金、土曜日にしました。

金曜日は平日。
オフィス街にあるわけじゃないので、
ランチにどっと人があふれるわけもなく、静かです。
観光シーズンには島外からのお客さんがぼちぼち来てくれますが、
オフシーズンはほんとに静かです(笑)。

静かーなカフェ。開店の準備を終えてお客さんを待っています。

やっぱり田舎のカフェというのは、
マチのカフェと比べたら圧倒的にのんびりしてます(うちだけかも、笑)。
それでも、うちの場合は自宅の一部を改修しているので家賃ゼロ。
そしてたくちゃん(夫)と私のふたりでやっているので人件費ゼロ。
暇な時には、事務作業をしたり、家のことをしたりと無駄な時間も少ない。
いまのところはそんな感じで続けていられるのかもしれません。

〈ラ・ルース〉 ヒノキの間伐材を、 寄木と木地挽きで美しいうつわに。

ラ・ルースからつながる神奈川の森のはなし

神奈川県は、森林面積も小さく、林野率も低い。
それでも県内には、丹沢大山や箱根といった山々をはじめ、
県土の約40%、約9万5000ヘクタールを占める森林がある。
県では平成18年に森の再生の方向と目指す姿を示した
〈かながわ森林再生50年構想〉を公表。
広葉樹の再生、人工林から混交林への転換、人工林の再生を目指している。
また、県産木材を積極的に利用してもらうために、
〈かながわ木づかい運動〉を推進している。
〈かながわ県産木材産地認証制度〉、
〈かながわブランド県産木材品質認証制度〉というふたつの認証制度を実施。
さらには、県産木材を使用する公共木造施設の整備に対して、支援も行っている。

丹沢湖畔から渓谷を40分登った場所にある西丹沢県民の森。大正4年に植樹されたスギをはじめ、ヒノキ、イヌブナが生い茂る、別名〈大正の森〉。

森を守るため、目の前にある間伐材を使ったものづくり

神奈川県小田原市は、寄木をはじめとした木工業が盛んだ。
しかしその材料は、北海道や秋田などから購入している広葉樹である場合が多い。
小田原に工場を構えるメーカー、ラ・ルースも、同様の木工所であった。

しかし4年前、森林再生への取り組みをしなければならないという思いに立ち返り、
まず仕掛けたのがヒノキの鉛筆だ。

「小田原市と岡山県西粟倉村にかけあって、鉛筆を10万本つくり、
そのときは飲料メーカーに納品しました。
あんなに小さな棒1本でも、小学生ひとりひとりに渡せば1000万本以上になります。
各県のヒノキでやれば、地元の森のことを考えられるツールになります」と
代表取締役の相田秀和さんはいう。
昨年も継続して、1600ダースの鉛筆を小田原市の学校に納品したという。

ラ・ルース代表取締役の相田秀和さんは、小田原ローカルのサーファー。

その後、小田原市のある働きかけがあった。
通常、木工所は市の産業政策課の扱いになる。
一方、森林組合と製材組合は農政課の担当。
一緒に森林のことを考えていかなくてはならない三者が、
つながりづらい状況だったのだ。

「森林組合も、製材組合も、木工組合も、同じ建物にあればいいと思うんですよね」
この3つをつなげたいという市の思いもあり、それこそ飲み会からの交流スタート。
そこから見えてきたことは、小田原市の間伐材が生かされていない現状だった。

そこで、ラ・ルースは小田原市および郵便局と組んで、
間伐ヒノキを利用した実物大のポストをつくった。
そこに地元の小学生が、福島県相馬市で被災した人に向けて、
木でできたハガキを投函して送るという催しが行われた。
イベントではポストごと相馬市に運び、現地でも大好評。
そのポストは現在、実際の“郵便ポスト”として相馬市で使われている。

「このまちの、目の前に材料があるわけです。“だったらそれを使おうよ”と。
針葉樹はたしかに加工が難しいです。削ればざらつくし、切ればバリがでる。
でもうまく使えるようになれば、市場性もあるはずです」

小田原の間伐ヒノキを乾燥中。

ラ・ルースは、どんどん目の前=小田原の間伐材を購入している。
使っていけばいくほど、扱い方もうまくなるはずだ。

「昨年1年間で、小田原市から出たヒノキの間伐材を
20立方メートルくらい買っています。
小物ばかりつくっているうちのような会社にとっては、相当な量です。
ほとんどの木は斜面に生えています。
建築材は真っ直ぐな4メートル材が必要なので、
株から2メートルほどの曲がっている部分=元玉は、ねじれがあるので使えません。
だからその部分は、案外、安価で流通しているんですよ。
ぼくたちなら十分使える木材です」

島の未来を撮り続ける、小豆島カメラ

今年も島を飛び出し、大きなイベントに参加。

先日、横浜にて「御苗場Vol.16 横浜」と「CP+2015」が開催されました。
日本最大級のカメラ・写真イベント。
私たち小豆島カメラのメンバーも参加してきました。

「御苗場Vol.16 横浜」の地域エリアで香川県の一員として参加。

今回は男木島、女木島の写真とあわせて。香川には魅力的な島がほんとにたくさんあります。

小豆島カメラは、写真家MOTOKOさんの呼びかけで始まった、
島で暮らす自分たちの手で「地元を発信し、元気にする」写真を撮るプロジェクトです。
写真イベント「御苗場」に参加するのは2回目。
去年2月、私たちは初めてそこで自分たちが撮った小豆島の写真を展示しました。

あれから1年。4月からスタートした
小豆島カメラ」Webサイトでの1日1枚写真公開はいまも継続中。
すでに300枚以上の日々の小豆島が公開されています。

春。はるみ(柑橘)をおすそ分けしてくれるいわちゃん。

夏。採れたてのゴーヤをバトンに、ヒマワリ畑を走り回る。

秋。中山の棚田で育ったお米とそれを育てた土地の人。

冬。無病息災を祈って火を焚く、とんど。