〈木工房ようび〉 地域の風土と職人の技術によって 生まれた、白くて軽くて 香り高いヒノキの家具

木工房ようびからつながる岡山の森のはなし

岡山県は、瀬戸内海に面した南の平野部の背後に中国山地の山々を抱く。
北部の山地では、年間降水量1,400ミリを超える豊かな雨が降り、
東から吉井川・旭川・高梁川の大きな川をなし、やがては瀬戸内海へと流れ込む。
岡山の森林は、山に囲まれた県北部を中心に県土の68%を占める。
なかでも、木材生産を目的としたスギやヒノキの人工林は県北部に集中し、
人々が雨を恵みに木々を植え育て、豊かな森の土壌は岡山の水源を育んできた。

こうした岡山県の森林事情を象徴するような村がある。
県の北東端、東は兵庫県、北は鳥取県と接する県境に位置する西粟倉村だ。
人口わずか1,600人にも満たない小さな村は、
面積のおよそ95%を森林が占め、そのうち84%を人工林が占める。

県の北東部には、美作(みまさか)檜と呼ばれる特色あるヒノキが育つ。
冬の厳しい寒さのため、木は毎年少しずつしか成長せず、幹の部分が引き締まる。
さらに、降り積もる雪の重さに耐えるため、木は強さを増す。
香りの強さにも特徴があり、それは良質な水と関係があるとされる。
西粟倉には吉井川の支流と吉野川の源流があり、
天然記念物のオオサンショウウオが自生する良質な水をたたえている。

西粟倉のヒノキの森。間伐と枝打ちが行き届き、日の光が木々のあいだから差し込む。

西粟倉で知った、日本の森の厳しい現実

岡山県西粟倉村で、香り高い西粟倉のヒノキを使い、家具をつくる人たちがいる。
家具職人の大島正幸さん率いる〈木工房ようび〉だ。
岐阜県高山の家具メーカーに勤めていた大島さんは、
2009年にこの地に移り住み、地域の材を使った家具づくりを始める。
そのきっかけは、いまは人生をともに歩むパートナーとなった奈緒子さんに誘われ、
西粟倉をふと訪ねたことにある。
そのころの大島さんは、家具職人として8年の修業を積み、腕に磨きをかけていた。
“いい家具”をつくる思いも、人一倍強いという自負があった。
だが、その自信と自負は、西粟倉の森を見て粉々に打ち砕かれることになる。

「それまでの僕は、森のことなんて何も知らずに、
工房にこもって“いい家具”をつくることに没頭していました。
しかし西粟倉の森を見て、自分の浅はかさを思い知らされたんです」

大島さんが西粟倉で見たのは、ふたつの森だ。
まず案内されたのは、間伐や枝打ちが行き届かず、荒れてしまった“悪い森”。
ところ狭しと生えた木は、どれもモヤシのようにヒョロヒョロで、
光が差し込まない薄暗さに不気味ささえ感じた。
「こんな森では、木を売ってもお金にならない」という言葉が鋭く胸に突き刺さる。
日本の森に手入れが行き届かなくなったのは、
安価で大量に供給される輸入材に押され、国産材が敬遠されるようになったからだ。
林業経営が苦しくなると森が荒れる。その結果、木材の質も低下する。
この悪循環からいかに抜け出すか、それが日本の森が直面する課題だ。

「家具自体は、森のことを何も知らなくてもつくれちゃうんです。
材料は、つくりたいもののイメージに合わせて仕入れることができますから。
でも、そうやって仕入れる木材って、魚でいえば“切り身”みたいなもの。
それまでの僕は、海そのものも、泳いでいる魚の姿も知らず、
魚の“切り身”を捌いて、いい寿司を握ろうと思っていたようなものなんです」

大島さんは、当時のことを悔しそうに振り返る。

あいにくの雪のなか、ヒノキの森を案内しながら、昔の思いを語ってくれた。森は、工房からクルマで数分のところにある。

もてなしの気持ちを表す甘い醤油 愛媛・フジマルツ醤油

愛媛の最南端のまちにある醤油蔵へ

四国の醤油は全般的に甘い。
そんななか、蔵を巡っているとひとつの傾向が見えてきた。
四国の北東、神戸寄りにいくほど甘みが抑えられ、
四国の南西、九州寄りにいくほど甘みが強くなる。

今回訪ねるのは、四国南西部の「愛南町」にある蔵、
「辻三親商会(フジマルツ醤油)」。
期待を胸に電話をかけると、素朴で誠実であたたかみのある声が返ってきました。

時折海が広がるのびのびとした景色をゆったり眺めながら車を走らせると
景色に馴染む落ち着きある蔵にたどり着きました。

中からは電話の通り、素朴で誠実であたたかみある辻 清志さんが迎えてくれ、
さっそく蔵の中を案内してくださいました。

大豆を蒸す機械。

木桶ひとつひとつに仕込んだ日が記されている。辻三親商会では、すべて木桶で仕込む。

プクプクと発酵し始めたもろみ。

「仕込みは終わり、桶の中のもろみを混ぜながら様子をみていますよ」
説明する辻さんの言葉は、常に飾ることなく実直であたたかい。

麹を育てる室(むろ)は丁寧に掃除され、
これまでの仕込みの記録が細かく記されていました。
木桶ひとつひとつにも、手書きで仕込み日が書かれています。
辻さんは製造の説明をしつつ、もろみを混ぜる櫂棒に手を伸ばし、
黙々と混ぜては香りを確認していました。
辻さんがいかに醤油造りと向き合っているかが伝わります。

もろみの出来を香りで確認する辻三親商会5代目社長・辻 清志さん。

品温や水温、外気温など、麹造りに関する情報を記している。

もろみを袋状の布に入れ、「舟」で搾る。

和倉温泉「多田屋」6代目  多田健太郎さん

さまざまな経験を経て、自分の道へ。

豊かな自然と独自の文化が残り、北陸新幹線の開通で、
いまさらなる注目を集める能登半島。
その能登半島の中心部にある和倉温泉の、
七尾湾を一望する高台に建つ旅館が、多田屋だ。
それほど大きな宿ではないが、明治18年から続く歴史ある旅館で、
落ち着いたあたたかい雰囲気が漂う。
「長旅でお疲れではないですか」と気さくな笑顔で迎えてくれたのは、
多田屋6代目の若旦那、多田健太郎さん。

能登で生まれ育った多田さんは、
いずれ多田屋を継ぐということは漠然と頭にありながらも、
自分のやりたいことを見つけたいという思いもあり、東京の大学に進学。
卒業後はアメリカに留学し、短大でインテリアなどを学んだ。
帰国後もすぐには地元に戻らず、東京のIT会社に就職。
1年勤めたあと多田屋に入社するが、いきなり大阪に転勤。
旅館案内所で営業を担当するためだ。少し遠回りをしているようにも思えるが、
それもいろいろな経験ができてよかったと多田さんは笑う。

「アメリカでは最初、言葉が通じなくて挫折を味わったり、
東京の会社で働いていたときは毎日終電で帰るような生活で、落ち込んだりもしました。
自分の核となるものがわからないまま転がっていった感じでしたね」
それでもいつか能登に戻るということは心に決めていた。
そのタイミングだと思った29歳のとき――それは結婚のタイミングとも重なったそうだが、
能登に戻ったのだという。
「いつか僕が継ぐのであれば、旅館を僕流にしていかないといけない。
これ以上、父のやり方でいくと、軌道修正が大変だと思ったんです」

七尾湾に面した抜群のロケーション。このオーシャンビューが多田屋の自慢。

どんな業界でもそうだが、特に伝統ある家業の場合、世代交代は一筋縄ではない。
守っていくことや受け継いでいくことだけでなく、
時代の移り変わりやニーズを的確に読み取り、新しいことにもチャレンジしていく。
そうでなければ、廃れてしまうことにもなりかねない。
「もちろん息子として父のことは好きですし尊敬していますが、
一緒に仕事をできるかというとなかなか難しい。
父親だけど社長という関係も、その距離感をつかむまでが大変でした」
社長である父の世代の価値観と、自分の世代の価値観ではズレがある。
これから若い世代の人たちにも多く来てもらうためには、
多田さんは自分のやり方を少しずつとり入れていかなくてはいけないと感じたのだ。

〈志岐家具製作所〉 環境へ配慮した製法で県産スギが オリジナリティあふれる スツールに。

志岐家具製作所からつながる佐賀の森のはなし

九州の北西に位置する佐賀県。
北西部に玄界灘、南東部に有明海というふたつの海に接し、
有明海沿岸から筑後川沿いに約3割の面積を占める佐賀平野が広がる。
佐賀県の総面積は2,439.67平方キロメートルで、そのうち森林の占める割合は46%。
全国平均の67%と比べると低いが、それゆえ、県民にとって貴重な緑資源となっている。
脊振村、三瀬村には森林を生かした自然公園があり、
春から秋にかけての行楽シーズンに賑わいを見せている。
脊振や多良岳、国見の山々にはスギやヒノキといった人工林が広がり、
その比率は67%と日本一だ。
戦後を中心に造成されたこれらの豊富な人工林もまた、いま伐採時期を迎えている。
木材に関わるさまざまな人々が連携し、積極的に木材を利用していくことが、
山の活性化、まちの元気、そして森林の維持につながる。
佐賀においても県産材を利用する動きが着々と広がりを見せていた。

佐賀県は全国的に見ても比較的温暖な気候に分類されるが、冬の寒さは比較的厳しい。佐賀の木々はそんな寒暖差の中で育まれている。

大川生まれ、諸富育ち。

〈志岐家具製作所〉のある佐賀県諸富町には、元来、家具をつくる文化はない。
そのルーツは思いがけない場所にあった。
筑後川を挟んだ向かい、福岡県大川市である。
「うちはもともと、大川で家具に使う金具をつくっていたんですよ」
そう切り出す取締役社長の志岐純一さんは2代目。
この製作所は昭和21年に創業された。
大川が“家具・木工のまち”として全国的に知られるにつれ、
並行して土地の値段が上がってしまったため、
昭和45年に諸富町へ移ってきたのだと志岐さんは続ける。
その後、この地で家具づくりの文化を育んでいった。

工場は2フロアに分かれている。1階ではプロダクトの初期工程、2階では組み立てや最終加工といった仕上げ工程にあたる。

志岐家具製作所には現在、従業員は5人。
決して大きな工場ではない。だからこそ、大規模な家具工場にできない、
きめ細やかな仕事、そして安定した確かな品質を、
どこにも負けない気持ちで心がけてきたのだと志岐さんはいう。

5人の職人による手仕事が屋台骨を支える。「SPIRAL」の製造における外注はなく、運び込まれた木材が製品になるまでの全工程を自社で担う。

志岐家具製作所のオリジナルブランド〈シムススタイル〉をつくるうえで
モットーに掲げているのが「環境と健康にやさしい家具づくり」だ。
自然から抽出したオイルやワックスを使った家具、
石鹸で仕上げたソープフィニッシュ家具、
有害ガスの発生を大幅に抑制した塗料を使用した家具など、
健康、環境に配慮した“エコな家具”づくりに取り組んでいる。
生産工程の木材の削り屑やのこ屑は、酪農家でたい肥などにリサイクル。
その姿勢は創業から一貫している。

運び込まれてきた木材は人の目によって品質が確かめられたうえで、用途に合わせた加工がなされていく。

〈酒井産業〉 全国の木工職人との ネットワークを生かし 自然のぬくもりを暮らしへ

酒井産業からつながる長野県の森のはなし

本州の中央部、日本海側と太平洋側との中間に位置する長野県。
標高3000メートル級の山々が連なり、
南北に長い複雑な地形のため、気候も極めて多彩だ。
県土のおよそ8割、約106万ヘクタールを森林が占めており、
森林面積と人工林面積は全国で第3位。
森林率も全国で4番目に高い、日本有数の森林県である。
民有林率は65%で、その約6割が針葉樹だ。
ただし、全国的にはスギが主体であるのに対し、
長野県では県内全域にカラマツが多くを占めているのが特徴である。
とはいえ、北部にはスギ、木曽や下伊那にはヒノキ、
松本や上伊那にはアカマツが多く見られるなど、
地域ごとに特徴ある資源構成となっている。
そのなかでも県下で最も高い森林率(94%)を誇り、
国有林が民有林の面積を上回る県内唯一の地域である
木曽谷から生まれるプロダクツを紹介したい。

間伐が進み、下草が生える長野県のカラマツ林。同県の民有林のうち約5割は人工林で、その5割強をカラマツが占めている。(写真提供:長野県林務部)

漆器から天然素材の生活用品へ

木曽谷は、日本を代表する木材として名高い木曽ヒノキの産地であり、
古くから漆器の生産地としても知られている。
特に海抜およそ900メートルの高地にある木曽平沢地区は、
漆塗りの下地に適した良質の錆土(さびつち)が産出したことから
小さな集落ながら漆器の一大産地として発展した。
錆土を漆と混ぜることで堅牢な製品がつくられ、
〈木曽漆器〉の名は全国に知られるようになった。

木曽堆朱(きそついしゅ)や木曽春慶といった独自の技法を含めてさまざまな塗り方があり、丈夫で使い勝手がよいとされる木曽漆器。

「当社も、先代の頃は地場産業である漆器問屋として
酒井漆器店の名でスタートしました」
こう話すのは、木製生活用品全般を扱う酒井産業の
営業本部特販課課長の宮原正弘さん。
かつては全国どこへ行っても、木曽漆器独自の塗り方のひとつ、
木曽堆朱(きそついしゅ)の猫足座卓のテーブルが見られるほど
華やかな時代があったという。同社も木曽漆器の卸売業で繁盛したそうだ。

しかし、取引先は徐々にホテルや旅館などの業務用市場から
スーパーマーケットなどの一般家庭用品市場に変わり、
それに伴って取り扱う商品も、業務用漆器から家庭向けの汁椀や箸、
まな板など生活用品に変化していった。
そして、現社長に代替わりした40年ほど前に社名を酒井産業に変更。
いまでは1000アイテムにおよぶ天然素材の生活用品を、
全国150の協力工場で地域材を活用して製作している。

営業本部特販課課長の宮原正弘さん(右)と、社長室長の宮原 肇さん。同姓ながら親戚関係ではなく、地域一帯に多い名字だそうだ。

軽くて持ちやすい木曽ヒノキの箸。木曽のおみやげとしても人気が高い。

大きな鍋でつくるジンジャーシロップ

島の生産者さんの力を借りて。

2年前、初めて生姜を育てて、初めてジンジャーシロップをつくりました。
この冬は2シーズン目。
昨年末には何十本かつくり、お世話になった方々への贈りものに。
そして今回は大きな大きな鍋でのジンジャーシロップづくりに挑戦です。

収穫した生姜をきれいに洗ってすりおろします。

使用するスパイスたち。いつもよりずっとたくさん。

すりおろした生姜とスパイスを大鍋に入れていよいよ混ぜていきます。

ドレッシングやジャムなどを缶・瓶に詰めて商品として販売するには、
缶詰瓶詰食品製造業などの許可が必要です。
ジュースなら清涼飲料水製造業、お菓子なら菓子製造業。
この頃はあちこちで6次産業化がうたわれ、生産から食品加工、流通、販売まで
自分たちの手で行うことがなんとなくいいように言われますが、
農家や漁師が食品をつくって販売する、
そして最終的にちゃんと儲けるということはそんなに簡単じゃなくて、
設備も人もノウハウもいるとても難しいことだと感じています。

私たちは農業が主な仕事。
基本的には野菜や果物を育てて、それを販売する。
育てたものがそのままのかたちですべて売れればいちばんいいのですが、
野菜は保存できる期間が限られているし、
かたちの悪いものなどそのままでは売れないものも。
そういうものを加工することで、長期間販売できるようにする。
新たな価値をつけて売れるものにする。

私たちは生姜を育てて販売していますが、保管の問題などもあり、
一部をジンジャーシロップとして加工しています。
自分たちが飲んだり、カフェのメニューとしてお出ししたり、贈りものにしたり。
これを商品として販売するのにはどうしたらいいんだろう。
自分のところでつくって売るには、許可もとらないといけないし、
何より製造できる本数がしれてる……。
1度につくれるのは30本程度、つくるのに丸1日はかかる。
それじゃ商売にならないし、何より本業である農業の時間がなくなってしまう。

あーだこーだと考えた結果、だいだいぽん酢づくりなどでもお世話になっている
島のお醤油屋さん「高橋商店」に相談し、設備をお借りしてつくらせていただくことに。

小豆島のお醤油屋、高橋商店さん。

〈KINO〉 親は子のため、子は親のため。 東京の木を削る。

KINOからつながる東京の森のはなし

東京都には、標高2,000メートルを超す雲取山から亜熱帯性気候を持つ小笠原諸島まで
多様性に富んだ森が分布している。
森林面積は都の面積の4割(約8万ヘクタール)を占めているが、
その約7割が多摩地域西部に偏って分布し、さらに、その4分の3が私有林。
また、多摩地域の民有林では約6割が人工林で、
全国(46%)に比べて、高い人工林率となっている。
林齢構成は、41年生以上(9齢級以上)が約9割を占め、
40年生以下(8齢級以下)は約1割と、こちらも偏って存在している。
都では多摩地域で生育し、生産された〈多摩産材〉の利用拡大を進めている。
平成18年から〈多摩産材認証制度〉を導入。
多摩地域の適正に管理された森林から生産されたことを
〈多摩産材認証協議会〉によって産地証明されると〈認証材〉となる。
森林所有者から製材業者までの流通過程が、登録した事業者によって行われるため、
多摩産材の産地が確実に証明される。

東京の森の問題を、自分ごとに。

budoriは、サイト制作、グラフィックデザイン、商品開発などを通して、
社会問題を解決していこうという会社。
かつて被災地支援でオーガニックコットンの端材を使った
クリスマスオーナメントプロジェクトを手がけていた。
その活動を知ったあきる野市にある沖倉製材所の代表・沖倉喜彦さんから
「東京の山の問題を解決する方法はないものか」と話を持ちかけられた。
自分たちにできることを考えたときに、まず思い浮かんだのがオフィスの木質化だった。

東京の木で木質化したレンタルスペース〈KINOへや〉。budoriオフィスと併設している。

沖倉さんの案内で原木市場へ行き、
木質化に使用する材を選ぶ現場に立ち会ったが、
このとき、たくさんの木が余っている現状を知った。
海外から安く大量に輸入された木材に需要を奪われ、国産の材が売れない。
そのため、伐り時を迎えた木があっても伐られず山に放置されるようになった。
そして成長期を迎えたスギやヒノキから出る大量の花粉により
「花粉症問題」が引き起こされ、現在は花粉の少ない品種の木に植え替えるべく、
伐り旬を無視した伐採が行われている。
その伐採された大量の木が、使われずにそのままになっているのである。

沖倉製材所の代表取締役・沖倉喜彦さん。秋川木材協同組合の理事長も務める。

KINOを手がけるbudoriの有村正一さん。宮沢賢治好き。

「私たちは、節が多くて通常の建材として使えない木を
生かすことができないかと考えました」
そう話すのは、budoriの代表取締役である有村正一さん。

見た目に美しい節のない木ではなく、余っている木材を生かす。
そして山や木の現状を知ってもらう。

このふたつを考えてたどり着いたのが、カトラリーだった。
日常的に木に触れてもらうことで、木を身近に感じてもらう。
木を好きになってもらう。
素材である木に関心を持ってもらうことで、山や木のことを知るキッカケになればいい。
そんな想いから「KINO」というプロダクトブランドを立ち上げ、
匙や箸、バターナイフなどを発売した。

〈石井工業〉 地元の活性化につながる、 山武杉という最高の財産。

石井工業からつながる千葉の森のはなし

千葉県は、全県土のうちの約3分の1を森林面積が占める。
しかし、木材の価格低下や、林業者の高齢化、後継者不足などが原因で
山の手入れが行き届かず、山が荒れているという悩みを、他県と同様に抱えている。

それを回避しようと、行政レベルでは、
千葉の木を使って住宅づくりを行うことを促進するなど、
“千産千消”を促す取り組みを行っている。

〈山武(さんぶ)杉〉という貴重な樹種が存在するのをご存知だろうか。
山武杉は千葉県の山武地方を中心とし、古くから育てられてきたスギの品種のひとつ。
色つやや木肌の色がよく、油けがあるのが特徴だ。
また、スギは一般的にやわらかく傷がつきやすいのが弱点といわれるが、
山武杉は非常にかたく、高級木材として流通している。

陽が差し込む林で、すっとまっすぐに伸びる山武杉。

4cmほどもある山武杉の床板材。断熱効果が高く、山武杉で家を建てた人は「暖房の設定温度が低い」と話すという。

「地域の宝」の山武杉を“千産千消”できるシステムをつくりたい

石井工業のある山武市は、千葉県の東部に位置する。
マスコットキャラクター・チーバくんでたとえるならば、ちょうど後ろ首のあたりだ。
(チーバくんは横から見た姿が千葉県の形をしている)

この山武の地で、山武杉の製材から建築までを一手に引き受ける
石井工業を営むのが、石井充さん・涼平さん親子だ。

石井工業が請け負った住宅のひとつ。奥に見える食器棚も山武杉を使用。「生まれも育ちもここだから、山武杉にこだわりたかった」と家主の佐瀬さん。

香川“島旅”撮影ツアー、飛行機と船で小豆島へ

東京から週末1泊2日、カメラを手に。

寒い日が続いています。
そんなよく冷え込んだ冬の週末、東京から飛行機と船に乗って
同世代の女性の方々が小豆島に遊びに来てくれました。

極寒の土庄港でお出迎え。この日は風も強く寒い日でした。

今回来てくださった皆さんは、「香川“島旅”撮影ツアー」の参加者の方々。
香川県、ジェットスター・ジャパン、「Have a nice PHOTO!」による企画で、
東京から週末1泊2日で香川を楽しむツアー。

去年の冬に就航した高松と東京(成田)を結ぶジェットスター。
料金も安いし、時間も早い。
成田空港から高松空港へは約1時間半、
そして高松空港から小豆島へはバスと船で約2時間。
東京から4時間もみれば瀬戸内海の島に着いちゃいます。
私もいつか利用してみたいと思ってるルートです。

ツアー1日目の午後は、小豆島カメラのメンバーが島を案内。
有名な観光地ではなく、思わず写真を撮りたくなる山岳霊場「西之瀧」や、
オリーブ農家さんに会いにオリーブ畑へ。
もっともっと訪れてほしい場所、会ってほしい人はいるのですが、
それはまた次回ということで。

山岳霊場、西之瀧から撮影。

高いところから眺める瀬戸内海の風景は、何度見ても見飽きない。

オリーブ畑にて。生産者の堤さんに会いに。

オリーブ畑でも撮影。

畑に隠れてる、美しく鮮やかな冬野菜

土の中から現れる鮮やかな色。

冬真っ盛り。
温暖な小豆島といえど、やっぱり冬は寒いです。
着込んで着込んで、畑に向かう日々。

冬の農村、遠くから眺めると茶色な感じが少し寂しい。

この時期、田んぼはお休み中、山の木々も葉を散らし、風景の彩度が低い。
初夏の青々とした風景、秋の黄金色の田んぼなんかと比べると、もの寂しい感じ。
ただやっぱり一年の中でこういう静かな時期も必要で、
草刈りや水やり、収穫などの作業量も少なくて、心も体も休めることができる期間。

そんな静かな時期でも畑の野菜たちは元気です。
夏野菜に比べたらずっとのんびりしていますが、
毎日少しずつ大きく育っていっています。

土の中から出てくるのは、紅色の赤かぶ、白と紫のあやめ雪という品種のかぶ。
この冬は、ほんとに毎日かぶづくし!
かぶのお味噌汁に、かぶのお漬物、かぶの炒めもの。
食卓に華やかな色を添えてくれます。

赤かぶとあやめ雪。ほんとにきれいな色。

あやめ雪を塩昆布で和えただけの簡単なお漬物。かぶの味がしっかりしておいしい。

喜久盛酒造仕込み蔵移転ファンド

廃業した仕込み蔵に再び灯る、復興という名の明かり。

10月、酒づくりのシーズンが到来し、今年で創業120年を数える老舗蔵が
新たなスタートを切ろうとしていた。岩手県北上市にある喜久盛酒造だ。

喜久盛酒造の酒蔵の外観。隣接する自宅や醤油蔵、倉庫なども含めて3000坪の敷地がある。高校生の頃からレスリングをやっていた藤村さんは、敷地内の空いている農作業小屋を改造して道場をつくり、震災前はよく格闘技愛好家に教えていた。

自宅と隣接する広大な酒蔵は、東日本大震災で半壊。
先代のときに操業を停止したという醤油蔵は、100年以上の歴史を持ち、
かつては映画のロケに使われたり、雑誌に取り上げられるほど趣きのある建物だったが、
屋根が崩落して全壊認定。現在も瓦礫は撤去されることなく、
あの日から時が止まったようにそのままのかたちで残っている。

「北上市は震度6だったのですが、私の代になってから
震度6の地震には、東日本大震災の前にすでに2回ほど遭っていました。
それでも2回とも酒蔵は無傷だったので、
古い建物は地震にも強いのだと思っていたのですが、
3.11は揺れている時間が長かったこともあり、
ケタ違いのダメージを受けてしまいました。
4月に起きた最大余震の影響も大きかったですね」
と、5代目蔵元の藤村卓也さんは当時を振り返る。

3.11から約1か月後に起きた最大余震で、大きく崩れ落ちた土塀。酒蔵は半壊してしまったものの、従業員とその年に仕込んだお酒は無事だったことが、何よりの救いだった。

地震の被害に加え、雪の重みでつぶれてしまった屋根。その下にあった冷蔵庫もつぶれてしまった。屋根裏は柱が傾いていて、とても危険な状態だ。

1990年代までは醤油の醸造も行っていた。全壊した醤油蔵は、映画のロケ地として貸し出したこともあるほど絵になる場所だったそうだが、震災で見る影もなくなっている。

酒蔵の修復に莫大な費用がかかることは、建築に無知な者でも容易に想像できた。
それでも北上市内の建築業者に修繕費用の見積もりを依頼すると、
金額ではなく、思いがけない答えが返ってきた。
「うちでは直せない」ときっぱり断られてしまったのだ。
100年以上前の建物であることに加え、
増改築を繰り返してかなり複雑な構造になっていたため、
近代建築を扱う一般的な業者には手に負えない、というのが理由だった。
その後さまざまなつてをたどって、古民家を専門に扱っている盛岡市の業者から、
ようやく見積もりを出してもらえることに。
しかし、その時点で震災からすでに丸2年以上の歳月が流れていたため、
修復に関する補助金の申請を行うことができず、
自分たちで捻出しなければいけない状況だった。

他県の復興支援団体が喜久盛酒造へ視察に訪れたとき、全壊した醤油蔵を見て、
解体費用を自治体から援助してもらえるのでは、とアドバイスしてくれた。
それを聞いた藤村さんは、古い酒蔵を直すのではなく、全壊した醤油蔵を取っ払って、
その場所に現在の出荷量に見合ったコンパクトな蔵を新築したほうが、
予算を安く抑えられるのではないかと考えた。
しかしながら自治体によって対応が異なり、
北上市からは解体費用を援助してもらえないことが判明。
半壊後、規模を縮小しながら営業を続けていた酒蔵を直すことしか、
道は残されていないように思えた。

藤村酒造店(現在の喜久盛酒造)の創業間もない頃の代表銘柄「凱旋」。日清戦争勝利に因んだネーミングで、時代がうかがえる。後ろに写っているのは、税務署に提出していた申告書。どんなお酒をつくっていたのかが詳細に記されている。

藤村酒造店時代の広告。戦時中に企業合併した北上・花巻の酒蔵は、戦後に分離。3代目だった祖父の藤村久喜(きゅうき)さんが、「久喜が逆立ちしても盛り上げる」という意味を込めて、社名を喜久盛酒造に変更した。

酒蔵に足を踏み入れると目に飛び込んでくる標語。祖父が蔵元だった頃は日本酒全盛の時代で、従業員を多数雇い、事業をかなり拡大させていた。

そんななか、隣の花巻市にある白雲の社長が亡くなり、
2014年3月に自主廃業したことを耳にする。
太平洋戦争中、喜久盛酒造の前身である藤村酒造店と白雲をはじめとする複数の蔵は、
同じ税務署管内の酒造メーカーとして企業合併していた時代もあった。
しかも喜久盛酒造と白雲は、市が違うといっても車でわずか5分の距離。
ご近所の蔵で、なおかつ国の政策とはいえ一時は同じ企業だったよしみもあったので、
藤村さんはご遺族に白雲の蔵を貸してもらえないかと
思いきって相談すると、ふたつ返事で承知してくれた。

白雲の社長は、酒蔵と隣接する自宅にひとりで暮らし、
酒づくりは基本的に杜氏とふたりで行っていた。
2013年の秋、まさにこれから酒づくりをしようという準備段階で
亡くなってしまったため、蔵もきれいで、醸造機械の類は年季が入っていたものの、
メンテナンスをすれば充分に使える状態だった。
さらに喜久盛酒造と比べてコンパクトな白雲の蔵は、
現在の出荷量を考えても作業しやすい手頃なサイズといえた。
修繕費用がかなりかかってしまうことを考えても、喜久盛酒造の蔵には手を加えず、
白雲に移転して酒づくりを続けるのが賢明だと藤村さんは判断した。

喜久盛酒造の広大な敷地内には4つの井戸があり、幸いなことに震災後も水質・水量は変わっていない。移転後は白雲の水を使うことになるが、水質はほとんど変わらないという。

移転先の白雲の仕込み蔵。社長は趣味人だったらしく、蔵にはステレオが置かれていたり、庭先には乗り古したバイクがあったり、自室には社長自ら描いた絵が無数に残されていたという。酒に関しても、自分のつくりたいものだけをとことんつくるような人だった。

さて、喜久盛酒造のつくる肝心の日本酒なのだが、これがかなりのインパクト。
現在一番の人気銘柄となっている「タクシードライバー」は、
藤村さんが代表になって間もない2005年に商品化したもの。
誕生したきっかけが、また面白い。
「知人の紹介で、『映画秘宝』という雑誌のアートディレクターをしている
高橋ヨシキさんと飲む機会があったんです。
お会いしてすぐに好きな映画の話になりまして、
自分はイタリアのグァルティエロ・ヤコペッティ監督の『世界残酷物語』という
ドキュメンタリーが、DVD-BOXを買うくらい好きなんです。
その話を真っ先にしたら、パッケージデザインをしたのがヨシキさんだった。
それで一気に意気投合して、映画の話で盛り上がりつつ、
これを機に新しい酒の銘柄を考えましょう、という話になりました。
バカ話をしながら、いくつか出てきたアイデアのなかで、
一番商品化しやすかったのが『タクシードライバー』だったんです」
その数日後には、高橋さんの手による
ラベルデザインの原型ができあがっていた。

高橋ヨシキさんがデザインした「タクシードライバー」のラベル。映画好きはもちろん、ミュージシャンなどにもファンが多いという。それにしても、すごいインパクト……!

「タクシードライバー」は藤村さんいわく、どっしりとしたタイプのお酒。
岩手のお酒は全般的に、さらりとした飲みやすいタイプが多いため、
県内の同業者には「岩手で一番濃い」と言われている。
「正直、地元の受けはそれほどよくないのですが、
大阪など濃い味の好まれるエリアでは、早い段階から結構飲まれているんです」

「タクシードライバー」は、震災後に東京の有名な地酒専門店に
取り上げられたのをきっかけにブレイク。
それまでは1年かけて売っていた在庫が3か月で完売して、
増産した翌年も3か月で早々に完売。
昨年度はさらに3倍の量を仕込んだものの8か月で完売して、
現在は今年の新酒を待つのみだ。

「これまでの蔵は、祖父の代にかなり事業を拡大して増築していたので、
壊れた部分とかろうじて使える部分がありました。
震災後も崩壊した部分はそのままにしておき、
比較的被害の少なかった部分でなんとか営業を続けてきました。
この3年間は、生産規模をかなり縮小せざるを得なかったため、
つくりたいものをなかなか満足につくることができませんでしたが、
こうして蔵を移ることで、ようやくやりたいことをできる状況にはなったと思います」

白雲の仕込み蔵。全体的にコンパクトなので、動線が短くて作業しやすく、少ない容量をたくさん仕込む現在の喜久盛酒造のスタイルに合っている。藤村さんはここで喜久盛のお酒だけでなく、「白雲」という銘柄も引き継ぐつもりだ。

この制御盤は、藤村さんの祖父の代に喜久盛酒造が白雲に譲ったものだとか。藤村さんは移転して初めてそのことを知ったのだが、ご近所の蔵だけに世代を超えてこうした付き合いがいくつもあるのだろう。

藤村さんの「やりたいこと」を実現すべく、
この秋から喜久盛酒造に頼もしい人物が新たに加わった。
杜氏の盛川泰敬さんだ。花巻出身の盛川さんは、
この業界に入って20年近く、他県の蔵で酒づくりをしてきた。
喜久盛酒造は、盛川さんにとって初めてとなる地元岩手の酒蔵だ。
「中学生のとき、『ドブロクをつくろう』という本に夢中になって
何十回も読み、酒づくりをしたいと思うようになりました。
お酒を飲むことも好きですが、世の中には自分に合う酒と合わない酒がある。
できるだけ合う酒を飲みたいと思ったら、自分でつくるのが一番ですし、
それができるのは杜氏だからこそですよね」

蔵元の藤村さん(左)と、杜氏として今年からともに酒づくりをする盛川さん(右)。白雲の蔵には、お酒をしぼる槽(ふね)という昔ながらの道具が残っている。機械でしぼるところが圧倒的に多くなっているなか、木槽の扱いは熟練した技術を必要とする。

盛川さんに合う酒、つまりつくりたい酒は、純米酒。
そして喜久盛酒造は、今年から県内初の全量純米蔵として再スタートを切る。
それが、藤村さんのやりたかったことだ。
「杜氏のつくりたい酒と、自分の求める方向性が、ようやく合致した感じです」

一度は明かりの消えてしまった蔵で、いままさに新たな仕込みが始まっているものの、
自治体から満足な復興支援が受けられなかったこともあり、
醸造機器類や酒米の購入費用、人権費用などは、まだまだ足りていないのが実情だ。
そこで藤村さんは、ミュージックセキュリティーズの
「被災地応援ファンド」を活用して醸造に必要な資金を募ることに。

「このファンドは被災した喜久盛酒造の復興と、
後継者が途絶えて自主廃業してしまった白雲さんの再生という二重の意味を持ちます。
かつては北上と花巻の両地域に十数軒の造り酒屋があったのですが、
震災前の時点で喜久盛と白雲、南部関の3つにまで減ってしまいました。
岩手は酒どころのイメージがあるかもしれませんが、造り酒屋だけでなく、
酒販店も後継者不足で廃業を迫られているところが増えています。
岩手の日本酒文化を絶やさないためにも、がんばってまいります」

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●ミュージックセキュリティーズ株式会社では、喜久盛酒造が移転先で設備を整え、
本格的な生産態勢を整えるために必要な資金をファンドを通じて募集しています。

■投資家特典
1口につきタクシードライバー純米酒1本(720ml、約1,500円相当)をご送付。
3口以上お申込の方には焼酎古酒(*)(720ml、約6,000円相当)を追加ご送付。

*三代目蔵元 藤村久喜(現代表の祖父)が昭和50年代に焼酎の製造免許を取得し、自社製品の酒粕を蒸留してつくった米焼酎と甲類焼酎をブレンドした「甲乙混和焼酎」。焼酎製造免許は既に返上してしまったために今後はつくることができません。今回ご提供するのは30年以上熟成された喜久盛酒造がつくる最後の焼酎です。

ご送付例
・1口 「タクシードライバー」1本
・3口 「タクシードライバー」3本、焼酎古酒1本(720ml)
・5口 「タクシードライバー」5本、焼酎古酒1本(720ml)

company profile


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喜久盛酒造株式会社

住所:岩手県北上市更木3-54
TEL:0197-66-2625
http://kikuzakari.jp/

Fund Information

ファンド名:

喜久盛酒造仕込み蔵移転ファンド

1口申込金額:

10,500円(出資金5,000円、寄付金5,000円、取扱手数 料500円)

募集総額:

1300万円

資金使途:

醸造機器等、車両等 600万円
酒米購入費 330万円
人件費 370万円

【おことわり】

喜久盛酒造株式会社および株式会社マガジンハウスは、「喜久盛酒造仕込み蔵移転ファンド」の募集・売出しの取扱い、売買、売買の媒介・取次ぎ・代理等を行うものでなく、また、それらに向けた勧誘を行うものでもありません。本ファンドへの出資申込取扱は、ミュージックセキュリティーズ株式会社(MS社、第二種金融商品取引業者関東財務局長[金商 第1791号])に委託しており、MS社の上記WEBサイトでの、会員登録および出資申込手続を行っていただきます。

なお、本ファンドは、以下の留意点、リスクがありますので上記の「ファンドの詳細・お申込みはこちら」をクリックしていただき、匿名組合契約書および匿名組合契約説明書をよくお読みのうえ、お申込みください。

・出資金1口5,000円あたり当社への取扱手数料500円、喜久盛酒造への応援金(寄付金)5,000円が必要となるほか、別途金融機関へのお振込手数料が必要となります。
・出資金が一切戻ってこない可能性、ファンド期間中途中解約を行えないなどのリスクがございます。

濃口醤油のような 再仕込醤油「はつかり醤油」 埼玉・松本醤油店

情緒あるまちに残る醤油蔵

ふと仕事を忘れてぶらりと散策したくなるほど
情緒あふれる川越のまちなかに「松本醤油商店」がありました。
蔵の表にある「醸ん楽座」という直売店には観光客が出たり入ったり。

「大正時代は埼玉に蔵元が123軒あったけれど、いまや12軒のみ。
特にうちみたいにまちなかにある蔵は、
駐車場に変えたりして醤油業からいち早く撤退していきました」
そう話すのは松本醤油商店の松本公夫社長。

「うちが残った理由ですか? まずは醤油を造ることが好きだったことですね。
先祖から受け継いだものから大切にしないと、という自覚もあります。
あとは婿という意地ですね」と柔らかく笑いました。

松本公夫社長。まっすぐな想いが伝わってくる。

社員も生き生きと働く。

地元で造った醤油を地元の人が使うというのが当たり前だったけれど、
「大手メーカーの醤油が入ってきました。
しかも、いまでこそうちみたいな昔ながらの造りが評価されていますが、
当時は『大手メーカーの醤油こそ質が高い』という人が多く、
地元の醤油は評価されにくい傾向にありました」
という言葉に、醤油蔵として残る苦労が表れます。

地元埼玉産大豆も積極的に使う。

大豆を蒸すNK管。醤油造りは一から手がける。

田んぼの横で、釜炊きご飯と天ぷらと

かまどを囲んでみんなで食べる。

とある1月の平日のお昼。
「薪でご飯を炊いて食べます。合流しませんか?」
数日前にそんなお誘いを受けて、同じ肥土山地区で暮らす山口さんの家に行くことに。
その日は、1年半前まで島で暮らしていた友人が帰ってきていて、
それもあってみんなで集まることに。

山口さんの家には、みんなが集まれる屋外の広場や小屋があり、
そこでは人形劇が行われたり、ごはん会が開かれたりしています。
私たちも何度か遊びに行ったことがあり、
以前ここで食べた釜炊きの山口さんのお米は本当に本当においしくて、
衝撃的だったのをいまでも覚えています。

うどん作りを教えてくれる山口さん(右)。本当になんでもやれちゃうからすごい!

肥土山にある山口さんち。みんなが集まれる広場と小屋。

その日はお米と天ぷらがあると聞き、これは楽しみ! 
と、私たちも一品用意して行きました。
午前中の畑仕事を終えて、作業着のまま軽トラで走ること3分。
到着すると、知っている人も初めて会う人もいて、わいわいと準備をしてました。
天ぷらを揚げる、うどんの生地を伸ばしてたたんで切る、
お湯を沸かす、そうこうしてるうちにお米が炊ける。
いやー、ありがたい(笑)。

うどん生地をたたんで切る。意外と弾力があってびっくり。

天ぷらを揚げる。とても素敵なコンロ。

揚げたての天ぷらはホクホク。野菜かき揚げ、高野豆腐、リンゴジャムの包み揚げ。

釜からはなんともたまらない白米の香り。
炊きたてのご飯を茶碗によそい、その上に揚げたての天ぷらをのせて、
めんつゆをたらり。いざ、いただきます!
これがもうたまりません。

炊きたてのお米。なんともたまらない香り。

お米の上に天ぷらをオン! 箸がとまりません(笑)。

友人家族。ちびっ子も食べ続ける。

続いてうどんも茹であがり、こちらもいただく。
外でみんなでかまどを囲んで食べるごはんはほんとに最高においしい。
ここに住んでて、こんなところが近くにあって、こんな人たちが身近にいて、
ほんと恵まれてるなーと純粋に思えた瞬間。

大きな鍋でうどん茹で中。

お餅みたいにもちもちしてたうどん。味も香りもしっかり。

かまどを囲んでごはんを食べる。とても心地いい。

デザートは差し入れの手づくりパウンドケーキ。

その日は、1年に1回しかないような特別な日なんじゃなくて、普通の日。
普段の暮らしのなかにこういう時間がある。
これが小豆島暮らしのひとつの魅力なんじゃないかなと思います。

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HOMEMAKERS

住所:香川県小豆郡土庄町肥土山甲466-1
営業時間:金曜、土曜のみ 11:00~17:00(L.O. 16:00)
http://homemakers.jp/

子どもと楽しむワークショップ、みんなで凧をつくろう

絵を描くところから始まる凧づくり。

ここ最近の小豆島では、いろいろなワークショップやイベントが開催されています。
子ども向けのもの、大人向けのもの。
食に関するもの、音楽に関するもの。
1000人規模のもの、20人規模のもの。
内容も規模もさまざまです。

2015年もさっそく開催されています。
先日は「妖怪凧をつくろう」というワークショップがありました。
土庄町の迷路のまちという地区にある
MeiPAM(メイパム)さんが主催のワークショップ。
妖怪絵描鬼(えかき)の柳生忠平さんが先生です。

凧作りワークショップ。先生はMeiPAMの柳生忠平さん。

和紙に絵を描くとこから凧をつくるなんて面白そうだなと、
友人、子どもたちと一緒に参加してきました。

会場はMeiPAM03という場所。
この辺りは迷路のまちというだけあって、ほんとに迷路です(笑)。
車の通れない細い道沿いに民家が建ち並ぶ面白いエリア。
こんなところあるんだなと初めての道を歩いて行きました。

到着早々、さっそく凧づくりのスタート。
いろは(娘)にとって和紙に絵を描くというのはたぶん初めての経験。
「凧が重くなり過ぎないように、なるべく絵の具を水で薄めてね」
と言われて少し緊張気味。

凧づくりスタート。真っ白な和紙に思い思いに妖怪の絵を描きます。

絵を描く道具たち。

柳生忠平さんに教えてもらいながら。

傘の妖怪。かわいすぎる。

一枚一枚丁寧に乾かします。

なんだかんだと、みな思い思いに妖怪(?)の絵を描いて、
今度は竹ひごとタコ糸を取りつける作業。
凧ってこんなふうにつくるんだと私自身思いながら、なんとか完成。

筆にボンドをつけて竹ひごを和紙に貼り付け。

バランスをみながら、タコ糸をとりつけ。

気づけばあっというまに3時間。
子どもたちは凧をつくり終わった後も、
忠平さんが妖怪の絵を描くのを囲んで夢中になって見ていました。

凧づくりの後も、子どもたちは忠平さんの妖怪の絵に夢中。

絵を描いたり、何かをつくったりするのは、子どもも大人も一緒に楽しめる。
今年はそういうワークショップにいっぱい参加しようと思います。
そして、うちのお店でもそんな企画をできたらいいなと。

完成したマイ凧。風のある日にあげに行こう。

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MeiPAM

住所:香川県小豆郡土庄町甲405
TEL:0879-62-0221
営業時間:10:00~18:00
定休日:水曜
http://meipam.net/

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HOMEMAKERS

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営業時間:金曜、土曜のみ 11:00~17:00(L.O. 16:00)
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冬の野良仕事

外で体を動かして働く。

楽しみにしていた年末年始のお休みが終わり、すっかりいつも通りの日々。
今日も朝から野良仕事です。

いつもの景色の中、愛車(軽トラ)にワラを積んで畑へ。

年末年始は島を離れ、マチに住む家族とともにのんびりと過ごしていたのですが、
島を離れて思ったこと、それは野良仕事がほとんどないということ。
何かいつもの暮らしと違うなーと。
そう、まず手が汚れない。
いつもは爪の間や指のしわに土が残っていて、なんとなく黒い(笑)。
そしてガサガサしてる。
それが、2、3日島を離れただけで、汚れがとれてツヤツヤしてる。
あー、ほんとにマチでの暮らしは土を触らないんだなとしみじみと思いました。

それと基本的に暖かい。
毎日外で作業していることもあって、上も下もかなりの重ね着で挑んでるのですが、
いつもの装備で出かけると暑すぎる。
暖房がしっかりきいてるショッピングモールや、気密性の高い家。
そんなに着込む必要がないんだなと。

そんな快適なマチでの暮らし。
でも1週間も島を離れていると体がなまってしまって、
とにかく外で体を動かしたい気持ちに。

島に戻って、2015年最初の活動日。
朝起きて、勝手口から外に出て、冷たい空気の中いつもの景色を眺める。
そして洗濯機をまわす。

朝焼け。この山と山の間から朝陽が昇る。

いつものように畑に行き、野菜を収穫し、手入れをする。

ナバナの収穫。

ワラをきざんで、畑にすきこむ。

収穫したにんじん。ビビッドなオレンジ、見てるだけで元気になる。

家では工事が続いていて、大工さんと一緒に働く。

母屋横の蔵周辺の工事。

大工さんと一緒に土を運びます。

夕方になったら、廃材を燃やしながら片づけをする。

暮れゆく空を眺めながら片づけ。

そんなふうに1日のうちのほとんどを外で過ごし、野良仕事をする。
田舎でのこういう暮らしにすっかりハマってしまったようです。

2015年も毎日野良仕事をしながら、小豆島での暮らしを楽しみたいと思います。

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ジンジャーシロップ、ありがとうの気持ちをこめて

気持ちを伝えるために、何かをつくって贈りたい。

2014年も残すところわずか。
私たちにとって怒涛の1年が終わろうとしています(毎年言ってる、笑)。

今年の2月、移住して1年半が経った頃にオープンしたカフェ。
まずは継続しようとやってきて、もうすぐ1年になろうとしています。

そして私たちの暮らしの中心である農業。
昨年1年間の農業研修で得た知識・技術・繋がりをいかして、
少しずつ収穫できる野菜の種類も増え、常時6〜8品種の野菜を
旬野菜セットとして販売できるようになりました。

そのほかにも活動の幅が広がり、ほんとにたくさんの人たちに出会い、
共に動き、お世話になった1年。
とにかく「ありがとうございます」。それにつきます。

そんな気持ちを私たちなりの方法で伝えたい。
何かを買って贈るんじゃなくて、何かをつくって贈りたい。
というわけで、今年もジンジャーシロップづくり。

今年収穫した生姜。土の中からみごとな生姜が出てくると嬉しい限り。

収穫した生姜のうち、小さいサイズのものをジンジャーシロップに。

生姜をカットしてからミキサーにかけます。

生姜、水、砂糖で煮出します。

シナモン、カルダモン、ブラックペッパーなどのスパイスもあわせます。

完成したジンジャーシロップを瓶詰め。

瓶詰め完了。

ジンジャーシロップ自体は、生姜の収穫が始まる10月頃からつくっていて、
カフェのメニューにも自家製ジンジャーエールやホットジンジャーがあります。
それを贈れるかたちにする。要は、つくったジンジャーシロップを
小さな瓶に入れて、飲み方などの説明書を添える。
書いてみると簡単そうですが、瓶はどうするのかから始まり、
説明や飲み方をテキスト化したり、ラベルのデザインを考えたり、
送るための梱包材を用意したり、やることは意外と多い。

瓶に貼るラベルを作成。

瓶に貼り付け。地道な作業だけどできあがっていくのが楽しい。

梱包作業。

あー、12月が終わってしまうと焦りつつ、なんとか今年も完成しました。

私たちがつくっているジンジャーシロップは、
「シトラスジンジャーシロップ」という名前にしていて、
その名の通り、柑橘がたっぷり入っています。
小豆島は柑橘の栽培が盛んで、私たち自身も
レモンやダイダイなどの栽培をしているし、近所にも柑橘畑がたくさんあります。
種類も豊富、酸味の強いものから甘みの強いもの。
そして時期も幅広く、真夏を除けば何かしらの柑橘が手に入ります。

庭のレモンの木。その奥にはお隣さんのみかん畑。あちこちで柑橘が実っています。

今回つくったジンジャーシロップに使ったのは、
まだ酸味が強くてそのままでは食べられない夏みかん。
レモンを使ったときよりも、甘い夏みかんの香りがほんのりしていい感じ。
これからもっといろいろな柑橘とあわせてつくってみようと思っています。

ありがとうの気持ちを込めて、寒い冬に贈るジンジャーシロップ。
また来年もたくさんの人に届けられればと思います。

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白醤油の蔵が造る無添加白だし 愛知・七福醸造

「ありがとう」の気持ちから生まれる白だし

蔵に着くと、まず炊いてから約3年経った米が出てきました。
ひとつ目は「ありがとう」と声をかけ続け、
ふたつ目は「ばかやろう」と声をかけ続けたもの。
「ありがとう」の米は綺麗な粒のまま残り、
「ばかやろう」の米は腐ってどろどろに。

この米が表すものが七福醸造の姿勢。
七福醸造は「ありがとうの里」として工場見学を行うほど、
人を想い、心を豊かにすることを大切にしている蔵元。
ありがとうの気持ちで造る商品は料理人を唸らすほど質が高い。

低温でゆっくりと醸造させる有機白醤油の発酵タンクにも「ありがとう」の文字が。

添加物なしでおいしい料理ができる

七福醸造は、白醤油の本場である愛知県碧南市で白醤油や白だしを造るメーカー。
とれる量が少なくとも圧搾はしないなど、品質重視で白醤油を造ってきたなか、
料亭からの依頼をきっかけに「白だし」を日本で初めて販売。
以来白だしのメーカーとして支持されています。
ただ、支持される理由は商品以上のものを育んでいるからだと、
見学しているとすぐにわかります。

「いらっしゃいませ!」
私を見かけると、出会う社員みんなが一度手を止め、
はつらつとした笑顔と声で迎えてくれます。
そして、蔵の床も壁も並ぶ道具も、醤油屋とは思えないほど
ピカピカと輝きを放っています。

醤油の道具は塩分で錆びてしまったり、醤油造りに関わる菌によって
洗浄しても黒ずむもの。いったいなぜこんなに綺麗なんだろう……。
目を丸くしながら大豆と小麦を蒸す蒸煮管を眺める私に、A3ほどの範囲を示しながら
「ときどき研修で1日6時間半、3日間かけてひたすら同じところを磨くんですよ。
数人一緒になって黙々と。腕がパンパンになっても続けるんです」
と、鈴木貴士工場長が明るい声で教えてくれました。

鈴木工場長も映り込むほどピカピカに磨き上げられた蒸煮菅。

「学生を対象に白醤油仕込み体験も行っているんですよ」と話す笑顔がすてきな鈴木工場長。

これは犬塚敦統会長が徹底的に続けた「体験教育」によるもの。
1日1時間の掃除や、ご近所の草刈り、「徳拾い」と考えるごみ拾いを続けるなど、
社員みんなで挙げきれないほどの環境整備を行うほか、
社内外の参加者約1500人にものぼる
「三河湾チャリティー100キロ歩け歩け大会」をたびたび開催。
「100キロを歩くなかでいかに多くの感動・感激・感謝を味わうことができるか」
という目的の通り、参加者の多くが助け合ったりすることで
多くのことを学び、涙を流すといいます。

「醤油は麹が造る。人間である僕たちができることは、
麹がいい働きをする環境を整えることのみ。
社員が当たり前のようにその環境を整える原動力は言葉ではない。
社長の後ろ姿と逆境のなかでの気づきだけなんだ」
犬塚会長の言葉は力強い。
「親や社長の役目は、伸び伸びと根が伸びる土づくり。
辛い思いをした人が優しくなれるし、感謝できる。
感動を経験しているうちの社員は、不景気なのにいつもにこにこしているよ。
笑顔が絶えないんだ。人を信じて、信頼しあって、そしてまじめに造っている」
だから七福醸造の商品は品質が高くていつもおいしい。

この甘みと旨みがたっぷりの琥珀色の白醤油を使って白だしをつくる。

犬塚敦統会長(左)と鈴木貴士工場長(右)。

「人に良い」ものを追求

七福醸造は白醤油メーカーで唯一、JASの有機認定を受けています。
「『食』は『人』に『良』と書く。いい食にするのはメーカーの責任だ。
うちはお客様をどうやって幸せにするかをいつも考えているんです」と犬塚会長。

料亭の依頼で「白だし」を造ることになったときに、
試作でカツオエキスなどを使ったけれど、
使っている間に香りが減っていき、最後は変な味が残ることがひっかかり
「やっぱり本物じゃないと!」という答えにたどり着く。
そして生まれた白だしは本物の集まり。
ベースは有機小麦・有機大豆のみで仕上げた白醤油に、
鹿児島県枕崎産の本枯れ節を削った鰹節と
大分県産の肉厚どんこと北海道産の昆布でだしをとり、
そして地元の伝統製法による三河本みりんで甘みを添えています。

「料亭には腕ではかないません。だからこそ料亭でもなかなか手に入らない
いいだしの素材を使います。さらに味は一定です。
うちの白だしを料理人に味わってもらうと、
やられたという顔で『おいしい』と言ってくれました」
そして数々の料亭で使うようになると、実際に売り上げも来店者も増えたそうです。

どんこや鰹節を見学者に必ず見せて話をするほど、全国から選りすぐった材料を使う。

おいしいものを気軽につくれる白だし

蔵の中を見終わると「白だしをお湯で伸ばすだけです」と、
目の前でお汁をつくってくれました。そのお味の優しいこと。
後味も澄んでいて、すっと心身に溶け込んでいきます。
ひと口でほっと笑顔にさせてくれるこの味を、お湯を注ぐだけでいつでもできるなんて。
料亭も主婦も手放せなくなるのもわかります。

続いて出てきただし巻き卵もきれいな色。
ぐっと食欲が湧いて頬張ると、卵とだしの品のある甘みが広がりました。
「冷めてもおいしいですよ」というひと言に、
忙しい朝のお弁当づくりに最高のアイテム! と笑みがこぼれます。

そしてふと、気持ち良く接する社員ひとりひとりの
生き生きとした表情を思い出しました。
このみんなが、七福醸造を舞台に造るんだったらおいしくなるよね。
そう心から納得しました。

プロが認める白だしは、お湯で伸ばすだけでおいしいお汁に。

溶き卵に白だしを入れて焼くだけで料亭の味に。

information


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七福醸造

住所:愛知県碧南市山神町2-7
TEL:0566-92-5213
http://www.7fukuj.co.jp/

海も森も楽しめる無人島、余島

船で2分で無人島へ。

小豆島には有名な観光地「エンジェルロード」という場所があります。
名前はちょっと恥ずかしいですが(笑)、とても美しい場所。
1日2回干潮の時にだけ、海の中からあらわれる砂の道。
小豆島本島とその先にある無人島が陸続きになります。

その無人島は「余島(よしま)」という名前で、中余島、大余島というふたつの島。
前々からどんな場所なのか気になっていた島。
小豆島本島から見ると、大余島には大きな建物が見えます。
あれはいったいなんだろう、あの島には何があるんだろう、いつか行ってみようと。

小豆島本島から余島へは小型船で2分ほど。干潮時に砂の道を歩いて渡ることもできる。

小豆島本島の船のりばから余島を眺める。ほんとにすぐそこ。

ちょっと調べてみると、余島には神戸YMCAの野外活動センターがあり、
現在は島全体を神戸YMCAが所有しているそう。
定期的にキャンプや日帰りで遊べるイベントなどが開催されています。
イベントがなくても普段からロッジなどに宿泊することもでき、実は誰でも行ける島。
今回は「クリスマスファミリーデイ」というイベントがあり、
これを機会に一度遊びに行ってみることに。

12月中旬、冷たい風が吹く、ザ・冬という日。
余島には小豆島から船に乗って渡ります。
神戸YMCAが運行している30人ほどが乗れる船に乗ること2分、余島に到着。

余島に到着。クリスマスファミリーデイということで、いたるところにクリスマスの飾りつけが。

「海のホール」で受付。この建物の屋根が小豆島本島からは見えます。

小豆島本島から見えていた建物は「海のホール」という場所で、ここで受付。
そしてさっそく余島の中を歩きながら探検。
この日は「サンタの島」をテーマに、
島の中にいろんなアトラクションが用意されていました。
子どもの背丈ほどもある葦の迷路でサンタの宝を探すゲームや、
落ち葉のお風呂、大きな木の枝に取り付けられたトナカイのブランコ。
とにかく子どもたちは大はしゃぎ。
寒さも忘れ、駆けまわってました。

葦の迷路でサンタの秘宝探し。

落ち葉のお風呂。ふかふかの落ち葉に子どもたちはダイブ!

アーチェリー初体験。

余島は周囲2.2キロの大きさ。
アトラクションを楽しみながら南へ歩いて行くこと1時間。
お昼ごはんはメインホールで。
ダッチオーブンで焼いた鳥の丸焼き、ぜんざい、カレー、おでん、焼き芋。
最高の冬のごちそう。

カレーライスにおでんにぜんざいに。冷えた体を温めてくれます。

鶏の丸焼き。ダッチオーブンが欲しくなる。

最後は島の南にある浜で貝殻拾い。

余島の南の浜。大きな岩の上でゴロゴロ。

南の浜にはいろんな貝殻がたくさん落ちてました。ヒトデも。

海藻と落ち葉と松ぼっくりと小石でお弁当づくり。

海も森も楽しめる場所、余島。
まだまだ小豆島には面白いところがたくさんあります。

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HOMEMAKERS

住所:香川県小豆郡土庄町肥土山甲466-1
営業時間:金曜、土曜のみ 11:00~17:00(L.O. 16:00)
http://homemakers.jp/

山を歩いて、クリスマスの準備

自然の素材でつくるアドベントカレンダー。

12月も中旬、クリスマス、お正月が近づいてきました。
うちでは、毎年12月になるとアドベントカレンダーを飾ります。
アドベントカレンダーは、12月1日からクリスマスまでの日にちを数える
カレンダーで、毎日ひとつずつその日の窓や袋などを開けていきます。
そうすると、中にはお菓子や手紙などの小さなプレゼントが。

今年はいいものが見つからず、気づいたらもう12月まで数日。
「そうだ、気に入ったのがないのならつくろう!」と思いたち、
自分たちでつくることにしました。

材料を買いに行かないでつくりたい。
それなら自然の素材を拾ってきてつくろうということになり、
さっそく家のすぐ裏にある山へ。
探しものは、プレゼントをぶら下げる素敵な枝と、飾り用の葉っぱや木の実。

家のすぐ裏にある山へ。黄色や赤に色づいた木々がとてもきれい。

はっと目を引く赤い葉っぱ。美しいものがたくさんあります。

普段何気なく歩いている道も、枝や木の実を探しながら歩くとなんとも楽しい。

これかわいいじゃん。
こんな実もあるんだねー。

と、いろは(長女)とふたりでぶらぶら歩くこと30分。
こんなにもいろんな種類の植物があるんだなとあらためて思いながら、
少しずつ拾ったり、おすそ分けしてもらったり。
自然のものってほんとに美しくて、かわいらしい。

秋の山はほんとに豊かです。
もっと植物のことを知りたいなと思いました。
少なくとも拾った木の実や枝の名前を知りたい(笑)。

落ち葉や木の実を収集。宝物探しみたいで楽しい。

ちょうどいい枝と木の実を収集。気軽に拾いに行けるのがいい。

家に戻って、さっそくカレンダーづくり。
まずは、木の枝にぶら下げる24日分の袋に日付のスタンプを押してお絵かき。
そしてその中に、小さなお菓子とお手紙を入れていきます。

お菓子を入れるための袋。1枚ずつ絵を描きました。

お菓子と手紙を入れていきます。なんとも楽しい作業。

拾ってきた枝をちょうどいい長さに切り、そこに木の実や葉っぱを飾り付け。
これに袋をぶら下げていきます。

袋をぶら下げるための枝に集めてきた葉っぱやツルを巻きつけました。

ひとつずつ袋をぶら下げていきます。

山から素材を集めてきて完成まで約半日。
こんなふうに子どもと一緒に自然を楽しみながらものづくりができる。
それってすごく素敵なことだなと。
来年は近所の子たちも一緒に、みんなでつくれたらもっと楽しいかも。

制作時間は約半日。素材集めからやるのが楽しい。

さて、クリスマスまで残りわずか。
毎日自分たちでつくったアドベントカレンダーを見ながら、
お菓子も順調に減っています(笑)。

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HOMEMAKERS

住所:香川県小豆郡土庄町肥土山甲466-1
営業時間:金曜、土曜のみ 11:00~17:00(L.O. 16:00)
http://homemakers.jp/

国産丸大豆で造り続ける歴史ある醤油 和歌山・堀河屋野村

300年余、昔のままの造りで醤油を育て上げる

「昔ながら」というフレーズが世に溢れるなか、
堀河屋野村ほど昔ながらの醤油蔵は極めて少ない。
大豆を蒸すにも小麦を煎るにも「薪」を燃料に「和釜」を使って直火で行う。
麹造りには「麹蓋」を使い、木桶に仕込んで「舟」で絞る。
すべての工程が全国的にもあまり見られなくなった、原点に近い醤油造りを行う。
手間ひまかかるし、できる量も限られる。
けれども弱冠34歳の野村圭佑さんは、
「こうしたものづくりには、歴史と文化とロマンがある」と、
意義と誇りをもって全量を「手」で造っている。

「薪」を燃料に「和釜」を使って大豆を蒸し、小麦を煎り、絞った醤油を火入れする。

ずっと国産丸大豆で醤油を造り続けてきた

堀河屋野村が位置するのは和歌山県御坊市。
醤油の起源と言われる徑山寺味噌が伝わった由良町の「興国寺」から
車で15分ほどの地とあって、古くから醤油造りが行われていました。
元禄元年(1688年)からに紀州の廻船問屋を営む堀河屋野村も、
紀州藩の荷物を江戸に運ぶときに地域の特産品である醤油、徑山寺味噌を
得意先にお土産として持って行ったことが原点に。
以来300年余、18代にわたって昔ながらの醤油を造り続けています。

「日本の味は日本の材料で造るのが一番」という一貫した信念のもと、
材料にも随所にこだわりが見られます。
その姿勢は「ずっと国産丸大豆で醤油を造り続けていますよ」と
当然のように話す言葉が表しています。
これまでは、戦後のGHQの指令によって「脱脂加工大豆」を強いられて、
丸大豆が手に入らなかったという声をよく聞いてきたもの。驚いていると
「大豆農家さんときちんと関係性を築いていれば、
小さな蔵が必要な量は手に入りますよ。うちの場合はもともと廻船問屋で、
大豆の調達も船で行っていたようです。運がよかったんです」
と、納得の答えが返ってきました。

醤油の始まりはこの「金山寺味噌」の溜り汁から。味わい豊かで優しい味わい。

武者小路実篤先生の作品。多くの文化人が評価し、応援してくれた。

縁で手に入れることができている良質な北海道の大豆。

さらに「実は『丸大豆醤油』という表現を初めてしたのは
私の父だと、食の大先輩が教えてくださいました。
確かに30数年前の新聞にも書いてありました」と言うのだから驚き。
その頃はまさに脱脂加工大豆で仕込んだ醤油が一般的だった時代。
業界を騒がせる強いメッセージ性のある商品と言えます。そしてまた圭佑さんも
「国内の大豆や小麦を守ることは、日本人の食を守ることなんです」
と原材料への思い入れが深い。

実は圭佑さんは大学卒業後、9年間商社で働いていて、担当が「大豆」産品でした。
搾油したあとの大豆粕を鶏・豚・牛用飼料の原料として
調達、運搬、販売することが仕事だったという運命のいたずら。
「僕は多分醤油屋さんの中で、最も大豆に詳しい人間のひとりですよ(笑)。
遺伝子組換えや脱脂加工大豆、そして国産大豆のおかれている環境。
日本と世界の大豆事情はまったく違います」と大豆事情に精通しています。
「東京に出たときは醤油屋を継ぐなんてまったく思っていませんでしたが、
引き寄せられる運命だったんでしょうね。自分が伝統的な家業を継ぎ、
古来の醤油を造ることで伝えられることは多いと思いました」

18代目の野村圭佑さん。何を尋ねてもぐうの音も出ないほど、的を射た答えが理路整然と返ってくる。

江戸時代の建物を生かし、販売している。風情ある落ち着く空間。

300年余変わらぬ製法で造り続けてきた看板商品「三ツ星醤油」。

愛をもって造る。それが手づくりのよさ

選りすぐりの北海道の大豆を蒸し、焙煎した小麦と合わせ、
手で麹をつくり、木桶に仕込んでゆっくり熟成させる。
ときには朝4時に起き、夜中の3時に寝るというサイクルをしながら、
とにかく手をかけておいしい醤油にしていく。
機械を入れればもっと楽にできるだろうに、
なぜここまで手間ひまを……と、手づくりのよさを尋ねると
「使っていただく方に我々の思いや愛情が伝わるということですね。
どの工程も手作業、また製造量も限られているわけですから、
当然品物には愛情が湧きます。想いが通じた方に
大切に使っていただいているのを見ると本当に幸せに感じます」
と、確固たる言葉で話します。

もっと量を造ろうとは思わないのですか? と尋ねると
「仕込を薪でし、手で麹をつけ、火入れも薪でするという
これまでの製造方法では、現在の量で限界です。
人間ですから進化したいとか拡大したいという欲がないわけではありませんが、
これまでの先祖がこのかたちを守ってこれたのは、
その欲望を凌駕するものづくりの魅力に取りつかれたからだと思います。
そして私もそのひとり」と、力強く話してくれました。

そんな息子をそばで見守っていた父、太兵衛さんがそっと言葉を添えました。
「醤油は買ってください買ってくださいと営業して売るもんじゃない。
自然な流れでお客様が、これでないといけないのよ、と
言っていただけるようになってこそ、醤油屋の真骨頂なんだ」
その口調は柔らか。しかしながら何度も実感してきたのであろう、
心の奥まで響く深さがありました。

すべて麹蓋を使って麹を造る。

4日間手で混ぜながら温度管理をしていく。

すべて30本ほどのこの木桶で仕込む。

柔らかな使いやすい醤油

元禄元年から昔ながらの製法を頑なに守り抜いてきた醤油。
そして300年前に廻船問屋をしていたこともあって
江戸に縁が深く、いまも関東でよく使われている。
ならば、江戸時代から江戸に根づく料理をつくってみると、
江戸時代の人と同じ感動を体験できるかなぁ。
と、てんぷらや蕎麦やすき焼きなどを思い浮かべながら帰路を進む。

そして、いよいよ醤油の栓を開けると、高い香りが広がりました。
香りの中には地に根を張ったような深さと、ほのかな甘さがあります。
口に入れるときりっとし、同時に柔らかな甘さがゆっくりと広がります。
余韻が心地いい。色は濃口醤油のなかでも淡い色合い。
まさにこの醤油1本あればいろんな料理がおいしく仕上がるだろう。

まずは「今昔物語」にも登場する料理、ブリの照り焼きに似た
当座鰤煎炙(とうざぶりいれやき)」をつくることに。
ブリ本来の旨みや甘みが引き立つ品のある仕上がりに。
しっかりと歴史に根づいた醤油ならば、醤油がもっと主張するのかと思いきや逆。
なんと柔らかな醤油だろう。

昔ながらの蔵元に、若き圭佑さんが帰ってくると
「父、母より、昔から堀河屋野村を応援くださったお客様や
食の大先輩方に喜んでいただきました。なおさらご期待に応えねばなりません」
と圭佑さんはしみじみと話しました。
しっかり前を向いて力強く歩む心意気。驚くほど勉強をし、
経験による勘と理論を重ね合わせながらよりおいしい醤油を造る姿勢。
戻ってきて4年と思えないほど、圭佑さんの言葉はご自身のものになっています。
さらに歴史が深く、そして未来へと続いていく。そう思うとワクワクしてきました。
堀河屋野村が日本にあってよかったと、心深く思います。

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堀河屋野村

住所:和歌山県御坊市薗743
TEL:0738-22-0063
http://www.horikawaya.com/

小豆島・生産者と暮らしに出会う旅

小豆島の暮らしを感じる2日間。

11月最後の週末、無印良品小豆島カメラで一緒に企画した
小豆島・生産者と暮らしに出会う旅」が開催されました。

無印良品と一緒に小豆島ツアーをつくる。
小豆島での暮らしの風景を写真におさめ、公開している小豆島カメラにとって、
同じく暮らしをテーマにしている無印良品となら何か一緒にできるんじゃないかな。
そんな話がでたのは半年前。

無印良品には「くらしの良品研究所」という
良いものづくりをめざした研究の場が社内に設けられています。
そこで「これからの田舎と都会」と題して、
田舎の暮らしを紹介しながら、田舎の暮らしと都会の暮らしを
どうつないでいくか考えるプロジェクトが展開されています。
その田舎のひとつとして小豆島も紹介されており、そこで見つけ出された
小豆島のお素麺やお醤油が、Found MUJI Marketで販売されています。
その取材で小豆島を訪れていたのが、中村優さん。
「一緒にツアーを企画できないかな」
という相談に快くのってくれて、そこから話が進んでいきました。

台所研究家の中村優さん。小豆島に何度も遊びに来てくれています。

ただ商品を販売するだけでなく、そのものがつくられる過程や
背景にある暮らし、風景を体験したい。

無印良品としてもそんな思いを持っていました。
思いが同じなら、話は早い!
すぐにツアーをやりましょうという話になり、
第1回目のツアーは冬が来る前、11月に開催することに。

ありきたりの体験じゃなくて、小豆島での暮らしの中に入り込みたい。
この季節、何がいいだろう。

11月といえば、小豆島ではオリーブの収穫シーズン。
オリーブの収穫からのオリーブオイルづくり。
さらにはそのオイルを使った料理を、
地元の食材を自分たちで調達するところから挑戦する。
こんな内容のツアーを開催することになりました。

ツアー1日目のオリーブ収穫。

オリーブ農家、岬工房のおかあさん。オリーブの新漬けをごちそうしてくれました。

収穫したオリーブを搾油機に入れて、オリーブの実からオイルをしぼりだします。

自分たちの手で収穫し、搾油したオイルを試食。

オリーブは岬工房さんで収穫&オイルづくりをさせてもらえることに。
お魚は地元の魚屋、魚伝さん。
そして野菜の収穫はHOMEMAKERSで。

ツアー2日目は、HOMEMAKERSの畑で旬の野菜を収穫。

掘りたての新じゃが。フライにしていただきます。

じゃがいも、モロッコインゲン、ナバナを収穫しました。

雲ひとつない空のもと、畑で集合写真。

内容が固まりいよいよ募集開始、ツアー開催日まで1か月を切っていました。
どれくらいの人が来てくれるのかと不安を感じながら、
あちこちでお知らせをしてもらい、最終的にはほぼ定員いっぱい
14名の方が参加してくださることに。

ツアー初日、朝まで雨が降っていましたが午後からは晴れ。
そして2日目は雲ひとつない快晴。
最高の天気のもとで、オリーブや野菜を収穫したり、
料理をしたり、本当に素晴らしい2日間でした。
小豆島ってこんな暮らしができるんだなと私自身も改めて感じた日でした。

小豆島で調達した食材たち。これから料理スタート。

それぞれの食材について説明。いろんなストーリーがあります。

収穫したナバナ、インゲン、レタス、赤大根、フェンネルのサンド。

みんなでいただきます!

締めはお素麺。なかぶ庵さんの生そうめん。

小豆島・生産者と暮らしに出会う旅、また違う季節に開催予定です。
表面的な体験じゃなくて、小豆島で暮らしているような
気持ちになる内容にしたいなと思っています。
次回は魚釣り? 柑橘収穫?
内容を考えるだけで、私たちもワクワクします。

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HOMEMAKERS

住所:香川県小豆郡土庄町肥土山甲466-1
営業時間:金曜、土曜のみ 11:00~17:00(L.O. 16:00)
http://homemakers.jp/

おおぬで村の収穫祭、村の皆でおいしいを楽しむ

4つの集落でとれた、おいしいもの。

11月後半の暖かい日曜日、私たちの暮らす地区で
第3回となる「おおぬで村の収穫祭」が行われました。

かつてここは、私たちが暮らしている肥土山(ひとやま)、
笠ヶ滝(かさがたき)、黒岩、小馬越(こうまごえ)という
4つの集落が集まった大鐸村(おおぬでそん)というひとつの村でした。
それが、昭和中期に吸収合併され、現在の土庄(とのしょう)町に。
8年ほど前には、この地区の小学校が閉校となり、
いまは大鐸幼児園、大鐸郵便局など施設の名前として残っていますが、
あまり表に出ない名前。

そんな中で年に1回、11月に開催されるようになった収穫祭。
おおぬで地区は、島の中でも農業が盛んな地域です。
といっても、そもそも島自体が小さいので、広大な田畑が広がる農村地帯ではなく、
昔から人々の暮らしの中に畑仕事がある日本の里山という感じ。
お米や柑橘などが主に栽培されています。
収穫祭では、ここで収穫されたものが販売されます。

おおぬで地区、肥土山の風景。田んぼの向こうに見える建物は肥土山農村歌舞伎舞台。

美しい田園を守る地元の人々。ここでおいしいお米が育てられます。

やっぱりこの時期はみかん!

地元のおっちゃんおばちゃんが育てたお野菜を販売。

私たちもこの地区で農業に携わる者として、収穫した野菜を販売。
新じゃがや生姜、金時人参、赤大根、かぶなど旬のお野菜10種類以上を用意しました。
そして、あわせてコーヒーも(笑)。
野菜を売るすぐ横で、コーヒーや収穫した生姜で作ったホットジンジャーを販売する、
いつもの私たちのスタイルです。

HOMEMAKERSのお野菜。少量ずつですが旬のお野菜を10種類以上揃えました。

お野菜販売の横でコーヒーも!

そして、私が毎年収穫祭でいちばん楽しみにしてるのが、豚汁!
地元のおばちゃんたちが、地元のお米と大豆で作ったお味噌で作ってくれる豚汁。
これが絶品なのです。
この日のお昼ごはんは、新米おにぎり、豚汁、つきたてお餅、おやつは焼き芋。

地元のおばちゃんたちが作ってくれる絶品の豚汁。用意した300食分があっという間になくなったそう。

今年からお味噌も販売。地元のお米と大豆を使って作った味噌。味噌作り体験もしています。

ほかにも、地元のおっちゃんたちがぼんっ!ぼんっ! と作ってくれる
ポン菓子があったり、地元青年会による焼きそばも。
そして、締めのビンゴゲームの一等賞は、地元の新米!
おおぬでのおいしいをお腹いっぱいいただきました。

つきたての新米(もち米)で作ったお餅。

じゃんけん大会、買ったほうがお米をすくいどり。うちの娘は10合くらい持って帰ってきました(笑)。

地元のおっちゃんたちによるポン菓子。ぼんっ!ぼんっ! と鳴り響いてました。

来年は、食べる、買うだけじゃなくて、
楽しむ、体験するブースが増えるといいなと思いました。
あと、新じゃがのフライとかあったらいいなぁ。
と、いろいろ考えつつ、今年のおおぬで収穫祭は無事終わりました。
また来年、お楽しみに。

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HOMEMAKERS

住所:香川県小豆郡土庄町肥土山甲466-1
営業時間:金曜、土曜のみ 11:00~17:00(L.O. 16:00)
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木ノ浦ビレッジ

何かに出会えるような体験を。

豊かな自然をたたえる石川県能登半島。
その美しさは「能登の里山里海」が世界農業遺産に認定されるなど、
訪れた人を魅了し続けている。
その能登半島の最北端に位置する珠洲市の体験宿泊施設が「木ノ浦ビレッジ」だ。
今年8月にオープンしたばかりの木ノ浦ビレッジには、
木ノ浦海岸に面した長期滞在向けのコテージが8棟あり、部屋からの眺めは抜群。
食事は奥能登の素材をいかした夕食と「一汁三菜」の朝食が味わえる。
週末は家族連れで利用する人も多いが、ものづくりの工房や
研修棟も併設しているため、研修などさまざまな用途にも対応している。

木ノ浦ビレッジはもともとは「木ノ浦荘」という国民宿舎だった。
老朽化して建て直しが決まり、新施設は地元の人たちで
運営してほしいという市の意向により、
現在は株式会社「日置之国」によって経営されている。
とはいえ、社員はふたり。30代の女性支配人と、今年新卒で入った女性社員で、
あとはパートで地元のお母さんたちが調理や清掃を担当している。

木ノ浦海岸に面したロケーションは抜群。各部屋から海が見える。

木ノ浦ビレッジの入り口となる「管理棟」。食堂や、おみやげを販売するショップもある。

中は明るい空間。この冬初めて火が入る薪ストーブは、今後大活躍しそう。

支配人の小寺美和さんは石川県白山市出身。
金沢の大学でまちづくりを専攻し、閉校になった小中学校の
利活用案を考えるという課題のために訪れたのが、珠洲との出会いだった。
その後、金沢で就職。まちづくりのコンサルタントのような仕事だったが、
もっと現場に入り込んで働きたいという思いがあり、6年前に珠洲に移住した。
「結局、まちづくりの総合計画のもとに事業を進めていても、
それが実際に地域住民にまで下りていっているかというと疑問でした。
だったら、何も手つかずのところにこそ、
自分ができることがあるんじゃないかと思ったんです」

管理棟を囲むように並ぶコテージ。6名用コテージが7棟と2名用コテージが1棟ある。

6名用コテージは家族がゆったり過ごせそうな空間。各部屋にお風呂とキッチンがある。

珠洲に移住後、珠洲市のまちづくり支援員として働き、木ノ浦ビレッジの支配人となった小寺さん。

木ノ浦ビレッジはただの宿泊施設ではなく、
「奥能登すず体験宿泊施設」と銘打っているように、
珠洲が体感できるような体験プログラムを用意している。
珠洲の地で太古の昔からできてきた「珪藻土」でつくった窯で
ピザを焼く「窯焼きピザづくり」。
木ノ浦に自生するやぶつばきの種から、
純度100%の天然つばき油をしぼる「つばき油しぼり」。
生豆を自分で焙煎し、ゆっくりコーヒーの時間を楽しむ「オリジナル焙煎珈琲」。
珠洲の自然を感じながら里山里海を歩く
「ノルディックウォーキング」の4つのプログラムだ。

この体験プログラムの企画を担当しているのが、志保石薫さん。
「“体験”ってどこでもやっていますし、私自身、
よくある“体験”にはあまり魅力を感じていませんでした。だからこそ、
ただ楽しかったで終わるのではなく、体験を通して何かに出会えるような、
何かのきっかけになるような体験になったらいいなと思いました。
地域のことを知ってもらうという面では、ここだけではなくて、
日本の地域でこんな問題があるんだとか、
何かを考えるきっかけや、自分の暮らしについて
もう一度見つめ直そうと思えるような体験になればと思っています」

能登の名産である珪藻土七輪と炭火で生豆を焙煎する体験プログラム。

インストラクターを務める志保石さん。体験プログラムをメインで担当している。

おしゃべりを楽しみながらじっくり時間をかけて焙煎していると、いい色に。

自分で焙煎したコーヒーはまた格別の味。味だけでなくこの時間を楽しむ。

珠洲の食材を乗せて、珪藻土のピザ窯で焼いたピザをみんなで食べる体験プログラム参加者たち。(写真提供:計画情報研究所)

新しい土台をつくる仕事。

志保石さんは東京生まれの東京育ち。
国際協力に興味があり、大学では国際地域学部という、
国際的な問題を地域規模で考えるような学部で学んでいた。
だが海外への短期留学がきっかけで「豊かさ」の価値観を見つめ直すようになり、
やがて国際協力より日本の地域に関心が向いていった。
「青春18きっぷ」で日本全国を旅して回ったことも大きかったという。
大学のゼミで初めて訪れた能登で、面白い人々との出会いがあり、
その人たちにまた会いたいという気持ちで能登に通うように。
友人とフリーペーパー『スズノコト』をつくり、珠洲は卒業論文の題材となった。

東京で就職する予定だったが、卒論を書き終えたとたん、
珠洲との関わりがなくなってしまうことに違和感を覚えた。
本当にこれでいいのだろうか……と考え直した志保石さんは、
東京での就職をやめ、能登で地域に携われるような仕事をしようと決意。
たまたま木ノ浦ビレッジのオープンに伴い、現在の仕事に就けたというわけだ。
まったく潔い行動だが、本人は
「新卒で失うものも何もなかったので。
私にとって東京で暮らすか珠洲で暮らすかの違いは、
高円寺で暮らすか吉祥寺で暮らすか程度の違いだったのかもしれません」と笑う。

志保石さんは体験プログラムの企画運営のほかにも、
厨房に入ることもあれば、配膳や掃除、予約や売り上げの管理など、
木ノ浦ビレッジの運営にまつわることは何でもする。
もちろん小寺さんも同じだ。
社員がふたりしかいないのだから当然なのだが、
ふたりとも生き生きと楽しみながら仕事をしているように見えた。

夕食の支度をする志保石さん。少ないスタッフで運営しているので1日中動き回っている。

この日の夕食は、金沢の郷土料理「治部煮(じぶに)」のほか、旬の魚の刺身、塩焼きなど。小鉢には「うみぞうめん」と呼ばれる海藻の酢の物などが並ぶ。

厨房では地元のお母さんたちが料理をつくる。地元の素材を使った素朴でおいしい家庭の味。

小寺さんは、珠洲でまちづくりの基本となるのがこの施設だと考えている。
体験プログラムを通して外から来た人に
珠洲を知ってもらうことができるということももちろんだが、
木ノ浦ビレッジがわずかでも雇用を生み出していることは、とても重要なことだ。
「この地域もどんどん人口が減っていっています。
若い世代にとどまってもらいたいですが、それには雇用を生み出さないといけない。
若い人がここに残りたいと思っても、就職先がないから残れないんです。
だからいまの目標は、来年4月に地元の飯田高校の卒業生をひとり雇うこと。
私みたいなIターンはそういう土台をつくることが仕事だと思っています」

木ノ浦ビレッジの駐車場の裏にはかつて棚田があった。
現在は荒れてしまっているが、その棚田を復活させるプロジェクトを、
高校生たちと進めている。
そんな小さな動きが、次の一歩につながっていくに違いない。

木ノ浦に自生するつばきの種からとれた椿油は、木ノ浦ビレッジのショップで販売。

夕食にも並んでいた「うみぞうめん」も販売されていた。

珠洲の魅力を小寺さんに聞いてみた。
「なんといってもこのロケーションのすばらしさ。
それに食べ物がおいしい。そして素朴なところでしょうか。
珠洲って細かく10地区に分かれるんですが、市長さんが
10の民族と表現するほど、それぞれにカラーがあって面白いんです。
海も山もある外浦とよばれる地域では、女の人たちが朝から晩まで働いているので、
おばちゃんたちの気性も荒い。冬も厳しいし、人間的に強くなりますよね。
生きていく大変さってこういうことなんだと思います」

志保石さんは、お客さんに「ここに来るのをとても楽しみにしていた」
と言われたことがとてもうれしかったと話す。
以前そのお客さんが木ノ浦の民宿に泊まったことがあり、
いまはやめてしまったその民宿を営んでいた女性が、
木ノ浦ビレッジの食事をつくっていたのだ。
「懐かしい味をとても喜んでくださって『ありがとう』と言われたときは、
この仕事をしていて本当によかったと思いました」

木ノ浦ビレッジは単なる宿泊施設ではなく、また人に会いに来たくなるような、
どこか民宿のような温かさが感じられる場所だった。

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奥能登すず体験宿泊施設
木ノ浦ビレッジ

住所:石川県珠洲市折戸町ホ部25番1
TEL:0768-86-2014
http://kinoura-village.com/