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国産丸大豆で造り続ける歴史ある醤油
和歌山・堀河屋野村

醤油ソムリエール黒島慶子の
日本醤油紀行
vol.018

posted:2014.12.12   from:和歌山県御坊市  genre:食・グルメ

〈 この連載・企画は… 〉  小豆島の「醤(ひしお)の郷」と呼ばれる地域に生まれ、蔵人を愛する醤油ソムリエールが
真心こもった醤油造りをする全国の蔵人を訪ねます。

writer's profile

Keiko Kuroshima

黒島慶子

くろしま・けいこ●醤油とオリーブオイルのソムリエ&Webとグラフィックのデザイナー。小豆島の醤油のまちに生まれ、蔵人たちと共に育つ。20歳のときに体温が伝わる醤油を造る職人に惚れ込み、小豆島を拠点に全国の蔵人を訪ね続けては、さまざまな人やコトを結びつけ続けている。

300年余、昔のままの造りで醤油を育て上げる

「昔ながら」というフレーズが世に溢れるなか、
堀河屋野村ほど昔ながらの醤油蔵は極めて少ない。
大豆を蒸すにも小麦を煎るにも「薪」を燃料に「和釜」を使って直火で行う。
麹造りには「麹蓋」を使い、木桶に仕込んで「舟」で絞る。
すべての工程が全国的にもあまり見られなくなった、原点に近い醤油造りを行う。
手間ひまかかるし、できる量も限られる。
けれども弱冠34歳の野村圭佑さんは、
「こうしたものづくりには、歴史と文化とロマンがある」と、
意義と誇りをもって全量を「手」で造っている。

「薪」を燃料に「和釜」を使って大豆を蒸し、小麦を煎り、絞った醤油を火入れする。

ずっと国産丸大豆で醤油を造り続けてきた

堀河屋野村が位置するのは和歌山県御坊市。
醤油の起源と言われる徑山寺味噌が伝わった由良町の「興国寺」から
車で15分ほどの地とあって、古くから醤油造りが行われていました。
元禄元年(1688年)からに紀州の廻船問屋を営む堀河屋野村も、
紀州藩の荷物を江戸に運ぶときに地域の特産品である醤油、徑山寺味噌を
得意先にお土産として持って行ったことが原点に。
以来300年余、18代にわたって昔ながらの醤油を造り続けています。

「日本の味は日本の材料で造るのが一番」という一貫した信念のもと、
材料にも随所にこだわりが見られます。
その姿勢は「ずっと国産丸大豆で醤油を造り続けていますよ」と
当然のように話す言葉が表しています。
これまでは、戦後のGHQの指令によって「脱脂加工大豆」を強いられて、
丸大豆が手に入らなかったという声をよく聞いてきたもの。驚いていると
「大豆農家さんときちんと関係性を築いていれば、
小さな蔵が必要な量は手に入りますよ。うちの場合はもともと廻船問屋で、
大豆の調達も船で行っていたようです。運がよかったんです」
と、納得の答えが返ってきました。

醤油の始まりはこの「金山寺味噌」の溜り汁から。味わい豊かで優しい味わい。

武者小路実篤先生の作品。多くの文化人が評価し、応援してくれた。

縁で手に入れることができている良質な北海道の大豆。

さらに「実は『丸大豆醤油』という表現を初めてしたのは
私の父だと、食の大先輩が教えてくださいました。
確かに30数年前の新聞にも書いてありました」と言うのだから驚き。
その頃はまさに脱脂加工大豆で仕込んだ醤油が一般的だった時代。
業界を騒がせる強いメッセージ性のある商品と言えます。そしてまた圭佑さんも
「国内の大豆や小麦を守ることは、日本人の食を守ることなんです」
と原材料への思い入れが深い。

実は圭佑さんは大学卒業後、9年間商社で働いていて、担当が「大豆」産品でした。
搾油したあとの大豆粕を鶏・豚・牛用飼料の原料として
調達、運搬、販売することが仕事だったという運命のいたずら。
「僕は多分醤油屋さんの中で、最も大豆に詳しい人間のひとりですよ(笑)。
遺伝子組換えや脱脂加工大豆、そして国産大豆のおかれている環境。
日本と世界の大豆事情はまったく違います」と大豆事情に精通しています。
「東京に出たときは醤油屋を継ぐなんてまったく思っていませんでしたが、
引き寄せられる運命だったんでしょうね。自分が伝統的な家業を継ぎ、
古来の醤油を造ることで伝えられることは多いと思いました」

18代目の野村圭佑さん。何を尋ねてもぐうの音も出ないほど、的を射た答えが理路整然と返ってくる。

江戸時代の建物を生かし、販売している。風情ある落ち着く空間。

300年余変わらぬ製法で造り続けてきた看板商品「三ツ星醤油」。

愛をもって造る。それが手づくりのよさ

選りすぐりの北海道の大豆を蒸し、焙煎した小麦と合わせ、
手で麹をつくり、木桶に仕込んでゆっくり熟成させる。
ときには朝4時に起き、夜中の3時に寝るというサイクルをしながら、
とにかく手をかけておいしい醤油にしていく。
機械を入れればもっと楽にできるだろうに、
なぜここまで手間ひまを……と、手づくりのよさを尋ねると
「使っていただく方に我々の思いや愛情が伝わるということですね。
どの工程も手作業、また製造量も限られているわけですから、
当然品物には愛情が湧きます。想いが通じた方に
大切に使っていただいているのを見ると本当に幸せに感じます」
と、確固たる言葉で話します。

もっと量を造ろうとは思わないのですか? と尋ねると
「仕込を薪でし、手で麹をつけ、火入れも薪でするという
これまでの製造方法では、現在の量で限界です。
人間ですから進化したいとか拡大したいという欲がないわけではありませんが、
これまでの先祖がこのかたちを守ってこれたのは、
その欲望を凌駕するものづくりの魅力に取りつかれたからだと思います。
そして私もそのひとり」と、力強く話してくれました。

そんな息子をそばで見守っていた父、太兵衛さんがそっと言葉を添えました。
「醤油は買ってください買ってくださいと営業して売るもんじゃない。
自然な流れでお客様が、これでないといけないのよ、と
言っていただけるようになってこそ、醤油屋の真骨頂なんだ」
その口調は柔らか。しかしながら何度も実感してきたのであろう、
心の奥まで響く深さがありました。

すべて麹蓋を使って麹を造る。

4日間手で混ぜながら温度管理をしていく。

すべて30本ほどのこの木桶で仕込む。

柔らかな使いやすい醤油

元禄元年から昔ながらの製法を頑なに守り抜いてきた醤油。
そして300年前に廻船問屋をしていたこともあって
江戸に縁が深く、いまも関東でよく使われている。
ならば、江戸時代から江戸に根づく料理をつくってみると、
江戸時代の人と同じ感動を体験できるかなぁ。
と、てんぷらや蕎麦やすき焼きなどを思い浮かべながら帰路を進む。

そして、いよいよ醤油の栓を開けると、高い香りが広がりました。
香りの中には地に根を張ったような深さと、ほのかな甘さがあります。
口に入れるときりっとし、同時に柔らかな甘さがゆっくりと広がります。
余韻が心地いい。色は濃口醤油のなかでも淡い色合い。
まさにこの醤油1本あればいろんな料理がおいしく仕上がるだろう。

まずは「今昔物語」にも登場する料理、ブリの照り焼きに似た
当座鰤煎炙(とうざぶりいれやき)」をつくることに。
ブリ本来の旨みや甘みが引き立つ品のある仕上がりに。
しっかりと歴史に根づいた醤油ならば、醤油がもっと主張するのかと思いきや逆。
なんと柔らかな醤油だろう。

昔ながらの蔵元に、若き圭佑さんが帰ってくると
「父、母より、昔から堀河屋野村を応援くださったお客様や
食の大先輩方に喜んでいただきました。なおさらご期待に応えねばなりません」
と圭佑さんはしみじみと話しました。
しっかり前を向いて力強く歩む心意気。驚くほど勉強をし、
経験による勘と理論を重ね合わせながらよりおいしい醤油を造る姿勢。
戻ってきて4年と思えないほど、圭佑さんの言葉はご自身のものになっています。
さらに歴史が深く、そして未来へと続いていく。そう思うとワクワクしてきました。
堀河屋野村が日本にあってよかったと、心深く思います。

information


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堀河屋野村

住所:和歌山県御坊市薗743
TEL:0738-22-0063
http://www.horikawaya.com/

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