連載
posted:2015.3.4 from:鳥取県八頭郡智頭町 genre:ものづくり
〈 この連載・企画は… 〉
日本の面積のうち、約7割が森林。そのうちの4割は、林業家が育てたスギやヒノキなどの森です。
とはいえ、木材輸入の増加にともない、林業や木工業、日本の伝統工芸がサスティナブルでなくなっているのも事実。
いま日本の「木を使う」時かもしれません。日本の森から、実はさまざまなグッドデザインが生まれています。
Life with Wood。コロカルが考える、日本の森と、木のある暮らし。
writer profile
Masatsugu Kayahara
萱原正嗣
かやはら・まさつぐ●フリーライター。主に本づくりやインタビュー記事を手掛ける。1976年大阪に生まれ神奈川に育つも、東京的なるものに馴染めず京都で大学生活を送る。新卒で入社した通信企業を1年3か月で辞め、アメリカもコンピュータも好きではないのに、なぜかアメリカのコンピュータメーカーに転職。「会社員」たろうと7年近く頑張るも限界を感じ、 直後にリーマン・ショックが訪れるとも知らず2008年春に退社。路頭に迷いかけた末にライターとして歩み始め、幸運な出会いに恵まれ、今日までどうにか生き抜く。
credit
撮影:片岡杏子
そんな智頭町に、樹齢80~100年の智頭杉の良品を選りすぐり、
家や暮らしにまつわる木製品を製造する〈サカモト〉という会社がある。
「まるごと家1軒分のスギ材」を掲げ、建材から家具までさまざまな木材加工品を扱う。
1957年、日本の林業が活況を呈していた時期に先代が坂本材木店として創業。
1996年には、2代目の坂本トヨ子さんが、木の世界には珍しく女性ながら代表に就任、
建材に加えて壁材や床材などの内装材や外装材の製造を始め、
2008年からは家具の製造も手がける。
サカモト最大の強みは、銘木の智頭杉と、
その特徴を十二分に引き出す製材・加工技術にある。
それを象徴する製品が、智頭杉でつくる木のブラインド〈ウッディブラインド〉だ。
やさしく光を遮る薄いスギ板は、光を浴びて白と褐色が混じり、
薄紅色にも肌色にも見える。
空調や人の動きで起きた風を、スギ板が静かに受け止め軽やかにゆらぐ。
見た目が実に心地いい木のブラインドは、
一見すると、薄い板材に穴を開けて紐を通せば簡単につくれそうだが、
トヨ子さんいわく「普通のスギではまずつくれない」とのこと。
その理由は、スギという木材がもつ性質にある。
軽くて加工しやすいスギは、古くから建材として重宝されてきたが、
材としての強度はそれほど優れているわけではない。
1センチにも満たない厚さの板材に、ブラインドの紐を通す穴を開けようとすると、
普通のスギだと強度が足りずに割れてしまう。
だが、粘り強い性質をもつ智頭杉は、穴を開けてもヒビすら入らない。
その粘り強さは、智頭の風土によってつくり出されていると、トヨ子さんはいう。
「このまちは、四季の変化に富んでいます。1年の寒暖の差は大きく、
夏は40度近くまで気温が上がり、冬は氷点下の日も続きます。
今日みたいに、雪が降ることも多いですね」
取材で訪ねたこの日、まちは、靴がすっぽり埋まるほどの雪に覆われていた。
「冬が智頭杉をつくる」
そんな言葉があるそうだ。冬の寒さで冬目(*)が締まり、
山の斜面に張りつくように生える木が、雪の重みに耐えて粘りを増す。
その粘りが、穴を開けてもビクともしない強さとなる。
温暖な気候で育ったスギではそうはいかない。
*冬目:木の年輪の境目になる色の濃い部分。色の白いところは夏目という。
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スギ材が抱えるもうひとつの大きな弱点は、芯まで乾燥させるのが難しく、
使用中に乾燥による反りや狂い、割れが出やすいことだ。
エアコンによる乾燥が避けられない現代の住環境では、その弱点は致命的ともいえる。
そのためサカモトは、乾燥技術の研究を積み重ねてきた。
伐採後、山中で2~3か月、葉枯らしをさせた木材を、
社内の木材置き場で3~6か月、自然乾燥させ、
さらに1~2週間ほど人工乾燥をかける。
もともと壁板や床板のために開発したというこの乾燥技術は、その確かさが認められ、
いまでは各地の公共物件で、壁板や床板、そしてブラインドが使われている。
十分に乾燥させ、狂いの出なくなったスギ板は、
“天然のエアコン”ともいわれるほど、調湿性に優れている。
かたくて粘り強い冬目とは対照的に、
やわらかい夏目が、まるで呼吸するかのように多すぎる湿気を吸い、
空気が乾くと、吸い込んだ湿気を木の外へ吐き出す。
それは、高い気密性と冷暖房による過乾燥や結露、シックハウスなど、
現代の住宅が抱える弱点を和らげてくれる。
ウッディブラインドを可能にする、智頭杉のヒミツはほかにもある。
製品には縦型と横型のものがあり、縦型の長いものは、高さが3.6メートルにもなる。
それだけの長さの板は、原木の丸太が真っ直ぐで節のないものでなければつくれない。
「いま私たちが使っている智頭杉は、もともと酒樽用に育てられたものでした。
酒樽は、隙間があったらそこから水が漏れてしまいますから、
とにかく真っ直ぐ育てなければなりません。
いまでは酒樽がつくられることはほとんどなくなってしまいましたが、
100年ものあいだ、専業の林家の方々が丹念に手入れを続けてきたからこそ、
節のない真っ直ぐな木になったんです」とトヨ子さんは熱っぽく語る。
スギは、細いうちから枝打ちをすると、何十年という時間の流れのなかで、
枝だった部分は幹に巻き込まれ、節がきれいに消えてなくなる。
若い木で節をなくすことはできず、長い時間をかけ、
生えてくる枝を落とし続けてはじめて、節のない真っ直ぐな木が育つ。
「下界の経済は動いても山は動かない」
トヨ子さんは、山の人の仕事ぶりをそう表現する。
智頭杉は、世の動きに惑わされることなく、
黙々と山の手入れを続ける人たちの営為の賜物であるということだ。
このまちならではの風土を生かし、智頭杉を育て上げるのは、
家族代々、営々と山を受け継ぐ勤勉な専業林家たちなのだ。
だが、山の人たちが丹念に育て上げた智頭杉も、
加工技術が乏しければ、その魅力が台無しになりかねない。
真っ直ぐ伸びた智頭杉を歪みなく真っ直ぐ伐り、木目を美しく見せる。
そこに、製材所に由来するサカモトならではの技術がある。
熟練の職人が帯鋸(おびのこ)を挽き、智頭杉の魅力を存分に引き出す。
このまちの風土と林家の営みが智頭杉を育み、
乾燥と職人の加工技術が、それをさまざまな用途に使うことを可能にする。
見目軽やかなウッディブラインドは、まさにここでしかつくれない地物なのだ。
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トヨ子さんは、智頭のまちと智頭杉、
そして山と木の仕事に就く人たちに惚れ込んでいる。
その思いが、話しぶりからひしひしと伝わってくる。
だが意外なことに、トヨ子さんはこの地で生まれ育ったわけではない。
トヨ子さんの出身は秋田県。
地元の高校を卒業後、東京・赤坂の和菓子屋で働き始める。
翌年の夏、実家へ帰る夜行列車の車中、
隣に座った男性と馬が合い、気づけば一晩中しゃべっていた。
その記憶が思い出に変わるころ、
トヨ子さんが勤める和菓子屋に、ひとりの男性が訪ねてきた。
夜行列車で話し込んだその人だった。
「うちは家族が女ばっかりで、学校も女子校だったの。
男の人と話したことがほとんどなくて……。それが運の尽きだったのね」
少女のような面持ちで、トヨ子さんはそのときのことを振り返る。
21歳で坂本の家に嫁ぎ、このまちにやってきた。いまから40年前のことだ。
「でも、ずっと秋田の広い平地で暮らしてきたから
山に囲まれたこのまちに、最初はなかなか馴染めなかったの。
斜面は急だし、山の陰になって日が当たらないし……。
山についてこんなに語るようになるなんて、想像もしなかったわ」
トヨ子さんが山をとことん愛するようになったのは、
ひとつの悲しい出来事がきっかけだ。
1996年の冬、トヨ子さんの人生を変えたその人が、
雪かきの途中で事故に遭い、一命はとりとめたものの意識が戻ることはなかった。
「先代からは、そのとき会社を畳もうかと言われましたが、
私は『続けなきゃ』って思ったんです。
先代の山と木に対する思い入れはよく聞いていましたし、
山とともに暮らす専業林家の方々とも家族ぐるみのつき合いがあって、
その人たちの山への思いと、どれだけ丁寧な仕事をされているかも知っていました。
そうした人たちの思いを、製材所としてまちに届けなきゃいけない。
そう思って、この会社を続けていくことにしました。
それからですね。自分で山の中に入るようになったり、
こんなに熱っぽく山について語ったりするようになったのは……」
いまでは、このまちの山と木の魅力を伝えることが、
トヨ子さんの大きな喜びであり、生きがいとなっている。
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