連載
posted:2015.4.6 from:香川県小豆郡土庄町 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
海と山の美しい自然に恵まれた、瀬戸内海で2番目に大きな島、小豆島。
この島での暮らしを選び、家族とともに移住した三村ひかりが綴る、日々の出来事、地域やアートのこと。
editor profile
Ichico Enomoto
榎本市子
えのもと・いちこ●エディター/ライター。東京都国分寺市出身。テレビ誌編集を経て、映画やカルチャーを中心に編集・執筆。コロカルではアート関連の記事や、コロカル商店を担当。出張や旅行ではとにかくおいしいものを食べることに余念がない。
photographer profile
Tetsuka Tsurusaki
津留崎徹花
つるさき・てつか●フォトグラファー。東京生まれ。『コロカル』のほか『anan』など女性誌を中心に活躍。週末は自然豊かな暮らしを求めて、郊外の古民家を探訪中。コロカルにて「美味しいアルバム」連載中。
夫と娘とともに2年半前に小豆島に移住した三村ひかりさん。
農業をしながら、古民家を改修した自宅で週末にカフェを営む日常を綴るこの連載も、
2013年4月のスタートからついに100回を迎えました。
そこで今回はいつもと趣向を変えて、地方での拠点を探しながら各地を旅し、
三村さんと交流もあるカメラマンのテツカが、小豆島を訪ねることに。
その模様を前後編でお届けします。
三村さん一家が暮らすのは、小豆島のなかの肥土山(ひとやま)という里山の集落。
島であることを忘れてしまいそうな里山の美しい風景が広がり、
細く続く道には民家も多く、人々が寄り添って生きているかのよう。
三村さんたちの自宅兼カフェ「HOMEMAKERS」にて久しぶりの再会。
カフェは金、土曜日のみの営業で、この日はいつものように農作業をする日。
いつも午前中に野菜の収穫作業をし
午後はさまざまな準備やメンテナンスをするそうです。
さっそく畑を訪ねると、旦那さんのたくちゃんが作業中。
この時期は作物を植える準備をしているそう。
この日も午前中に収穫を終え、きれいに洗って土を落とした
フェンネルやわけぎ、紅くるり大根などの野菜が並んでいました。
収穫したあとも、洗った野菜を乾かして梱包したり、
出荷の作業は思ったよりも大変、と三村さん。
4月の下旬からはまた野菜の種類が増えるそうですが、
いまはちょうど収穫の端境期で、これでも野菜は少ないのだそう。
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今回の旅の目的のひとつは、三村さんのように
島に移住した人たちに会いに行くということ。
さっそく三村さんにお友だちを紹介してもらいました。
牧浦知子さんは、ご主人とお子さんと一緒に、約1年半前に兵庫県から小豆島に移住。
ご主人はウェブデザイナーで、牧浦さんは兵庫では主婦をしていましたが、
現在は島でアートプロジェクトを展開する「MeiPAM」のギャラリーで働きながら、
三村さんと一緒に「小豆島カメラ」の活動もされています。
牧浦さん自身は、移住に関してはあこがれを抱いていた程度だったそうですが、
仕事が忙しく、家族と一緒に過ごす時間がなかったご主人が移住を決断したそう。
知子
2年前に初めて小豆島に来て、そのときは観光という感じだったのですが、
夫が移住しようか、と言い出して。
朝仕事へ行って終電で帰宅する毎日のなかで、疑問を持ち始めたのかな。
夫は会社を辞めることになるかなと思っていたのですが、
ありがたいことに移住に対して理解をしていただいて、
月に2度ほど大阪へ出社するということで、いまも同じ会社に勤めているんです。
テツ
それはいいですね。そういう働き方を認めてくれるなんて。
知子
ネット環境さえあればどこに住んでいても
できる仕事というのが大きいですよね。
働くことに心配がないのであれば、私も移住してもいいなぁと思って。
それで小豆島のことをいろいろ調べていたら、
コロカルの「小豆島日記」を見つけたんです。
ひかり
それで連絡をくれたんだよね。
しばらくはなかなか会えなかったんだけど、
ちょうどともちゃんが移住してきた頃に
「小豆島の顔」プロジェクトをやっていて、そこに完全に引き込みました(笑)。
知子
MOTOKOさんのことは前から知っていたけど、
関西にいたときは自分の人生にこんなことが起きるなんて思っていなかったですね。
テツ
暮らしは変わりましたか?
知子
いちばん変わったのは、夫が家族と一緒にいられる時間が増えたということ。
ごはんを家族で揃って食べられること、
子どもが父親がどんな仕事をしているか近くで見られることですね。
前はまちに住んでいたけど、いまの暮らしも意外と違和感はなくて。
というのも、私が住んでいるのは島のなかではわりと都会なほうで、
周りの人たちも新しく入ってきた人に対してフラットに接してくれるんです。
ひかり
私が住んでいる肥土山は集落の結束も固くて、
その集落のなかでも組という単位での結びつきもあるんです。
テツ
たしかに島のなかでもエリアによって雰囲気が全然違いますよね。
地域のようすをうかがいながら、ここなら住めそうだなと思ったんですね?
知子
そうですね。家探しは大変だったんですけど、
たまたまもうすぐ出て行くという人がいて、
大家さんに直接貸してくださいとお願いしに行きました。
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テツ
移住して何がいちばんよかったと思います?
知子
食べることがすごく身近になったことかな。
ほかの家族と一緒にごはんを食べるということがあまりなかったんですけど、
いまは私と夫の友だちが共通になって、家族単位のつき合いになりました。
テツ
何か困ることはありますか?
知子
病院がなくなったりするのは困りますね。小児科がなくなったり。
ひかり
島にはふたつ中央病院があって、小豆島町にはまだ小児科は残っているんですが、
私が住む土庄町には小児科がなくなってしまったんです。
何かあったら向こうに行けばなんとかなるし、
ちょっと大きい病気は高松に出たりするけれど、
身近な病院がなくなるのはちょっと不安ですよね。
知子
あとは、いますぐほしいものが手に入らなかったりすることかな。
ネットで買ったりすることが増えました。
ひかり
そこまで不便は感じないですけどね。ないものはないとあきらめるし。
服はあまり買わなくなったかな。
知子
でも、前みたいに再び都会で生活する自分って、いまは想像できないなぁ。
ひかり
私も。うちは共働きだったから、娘のいろはを保育園に預けて、
夫婦それぞれの職場に行って働いて帰ってくるでしょ。
夜ごはんはちゃんとつくれないからお総菜を買ったりしていて。
うちのたくちゃんは土日もほとんど仕事だったし。
いまはいまで大変なこともあるけど、みんな近くにいてお互いが見えるから安心。
ともちゃんの旦那さんは、ともちゃんのためにも
そうしたほうがいいと思ったんだろうね。
知子
そうかも。こっちに来て、やりたいことに近づけた気がします。
前は、私このまま年をとっておばさんになるのかな……なんて
ちょっと寂しくなることがあったんですけど(笑)。
いまは水を得た魚のようになってます。
テツ
旦那さんに「変わったな」とか言われます?
知子
「楽しそうやな」とか言われます。
「オレよりエンジョイしてるんじゃない」って。実際に楽しいですよ。
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次にお会いしたのは、昔ながらの製法で塩づくりをしている
「波花(なみはな)堂」の蒲(かば)敏樹さん、和美さんご夫婦。
塩田で海水をくみ上げて塩分濃度の高いかん水をつくり、
小さな小屋で薪を炊きながら鉄釜で丁寧につくるお塩は
「御塩(ごえん)」と名づけられ、島の人たちばかりでなく、おみやげにも人気です。
もともと岐阜で土木の仕事をしていた敏樹さんのところに
京都で看護師として働いていた和美さんがお嫁に行き、2年ほど岐阜に住んだのち、
敏樹さんが過労で倒れたこともあり、暮らしを変えて移住することに。
当時、小豆島で活動を展開していたNPO法人の農業スタッフとして
2009年に先に敏樹さんが移住、翌年、和美さんも小豆島にやって来ました。
現在はそのNPOは小豆島での活動はしていませんが、
蒲さんご夫婦は腰を落ち着けてこの島で塩づくりをしていこうと決めたのでした。
テツ
なぜ移住先を小豆島に決めたのですか?
敏樹
岐阜のように雪が積もらないところに移住したいと思いました。
海がない土地だったものですから、
海があるところがいいなと思ったんですが、荒波が苦手で。
和美
先に彼がお試しで農業をしながら暮らし始めて、1か月後に会ったら、
見違えるように元気になっていたんです。
敏樹
それまでずっと山を削ったり、何かを壊してつくり変えるような仕事をしていたので、
育てる仕事がしたかったんです。いまも塩とは別に畑仕事もしています。
テツ
どうして塩だったんですか?
敏樹
海といえば、浮かんだのが塩だったんです。
でも最初はなかなかうまくつくれず、毎回味にばらつきがあって、
安定したものがつくれませんでした。
妻においしいと言ってもらえるようなものをつくろうと思ってやってきました。
テツ
奥様は最初に塩と聞いたときはどう思われました?
和美
「へー」という感じ(笑)。正直、商売になるかどうかわかりませんでした。
でも私は看護師の資格を持っていますし、
最悪、お金に困っても仕事はあるだろうという気持ちもありました。
テツ
現在は塩で生計を立てていらっしゃるのですか?
和美
収入は塩がメインですが、それだけではやはり厳しいので、
私が創作料理のレストランでアルバイトをしています。
あとは貯蓄を切り崩しながら。
テツ
ある程度、資金がおありだったんですね。
和美
わりと結婚が遅かったので、それまで看護師として働いた分、
貯蓄はそれなりにありました。
テツ
小豆島は実際に住んでみて、いかがですか?
敏樹
岐阜と比べたら気温は高いんですが、家が海の近くなので
海から吹き上げてくる風が強くて、冬はとても寒いです。
和美
家も古くてすきま風があるので。でもそれ以外はすごく住みやすいですよ。
敏樹
都会から引っ越してきた人は人間関係が大変という人もいるかもしれませんが、
僕はもともと田舎の出身なので、人とのつき合い方は
そのまま当てはまる部分もありました。
この辺りは田浦という集落なんですが、お年寄りばかりなので、
若い人が仕事を手伝ったり、会合に参加するだけで喜んでくれたりします。
和美
その集落も少し離れていて、私たちの家の近くには民家がないので、
ご近所づき合いみたいなものは実はあまりないんです。
塩小屋もずっと薪を炊いているので、民家が近くにあるとできませんでしたし。
敏樹
でも別の場所で田んぼを借りているのですが、最初はちゃんとつくれるかどうか、
周りの人になかなか信用してもらえなくて大変でした。
草を生やさないかどうかとか。自分の田んぼに草の種が飛んだら困りますから。
うちは減農薬で、できるだけ農薬を使わずにお米をつくっていますが、
完全無農薬というのは本当に手間がかかるので難しい。
本業ではないのにそこまではできなくて。それに周囲との兼ね合いもあります。
テツ
それはそうですよね。
敏樹
でもちゃんとつくっていたら、少しずつ信頼してもらえるようになって、
いまではうちの田んぼでもつくってほしいと、
休耕田を持っている人に声をかけてもらえるようになりました。
お米は基本的には自分たちが食べる分と、頼まれたら販売もしています。
和美
どこでもそうだと思いますが、よくわからない人に、
なんでもどうぞどうぞ、ということはないですよね。それは当たり前のこと。
一生懸命やっているのを見てもらって信頼してもらえるんですね。
それでも小豆島はお遍路というものがあって、お接待の文化があるので、
まずは受け入れてくれる土壌があると思います。
そこからもう一歩進むのは、年月と自分たち次第ですよね。
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テツ
食べるものは、お米と野菜を自分たちでつくって、
あと買うのはお肉や卵とかタンパク質のものですか?
敏樹
肉もこの辺りはイノシシが出るので、
罠猟でかかったイノシシを食べたりしています。
テツ
えー、すごい! 狩猟免許もお持ちなんですね。どうやって食べるんですか?
和美
豚肉と同じような感じで、塩漬けにしたり、ミンチにしたり。
濃厚でおいしいですよ。
敏樹
あとは鶏も飼っているので卵もあります。
和美
卵は島のお菓子屋さんがほしいと言ってくださるので、少し販売もしています。
あとは山菜やキノコもとれるし、海でひじきもたくさんとれますよ。
テツ
すてき……。理想の暮らしがここにあるかもー。
いまほしいものとか、やりたいことはありますか?
和美
そうですね、やりたいことをやれる時間がもっとほしいです。
やりたいことというのは、よもぎを摘みたいとか、そういうことですけど(笑)。
あれもやりたいこれもやりたい、という時間のやりくりがなかなか難しいですね。
敏樹
のんびり田舎暮らし、というのはないですね。
農山村漁村でやることってたくさんありますから。
テツ
そうですよね。食費はあまりかからないとして、何が大変ですか? 家賃は?
和美
家賃は1万円です。
テツ
え! 古いけど、広いですよね。
和美
家は築100年くらいは経っていて、すきま風もあるし雨漏りもするから
大変ですけど、何をどう直してもいいと言われているので、
もうここに腰を落ち着けて住もうと思っています。
家計は塩と私のバイトでなんとかやっていけるくらい。
あと大変なのは燃料とか光熱費ですね。
島ではもともと水が貴重だからか、水道代が少し高いです。
ガスもプロパンだから高い。電気はそんなに使わないから、
いずれは自給できたらいいなと思っています。
テツ
最終的には自給自足をめざしているんですか?
和美
そこにこだわるわけではないですが、震災後、原発のこともありますし、
社会だけには頼っていけないなと思っています。
できることは自分たちでやっていきたいという気持ちはあります。
都会の暮らしは便利だけど、そうでない暮らしもあってもいいかなと。
もうまちでは暮らせないなと思います。
テツ
その決定的な違いってなんでしょう?
和美
いまは日々暮らしていて、毎日が幸せです。
頭で考えるのではなくて、実感として感じるんです。まちで暮らしていると、
いろいろな人のお世話になって暮らしているという実感がなくて、
スーパーで何かを買っても、それを誰かがつくったという感覚がありませんでした。
いまは自分で何かをつくったり、自分にできないことは
人に助けてもらっているんだということを実感するし、それが楽しいんです。
日々感謝して暮らしています。
テツ
この前お会いした農家のおばちゃんも、同じようなことをおっしゃってました。
ハワイ旅行に行きたいとも思わないし、日々暮らしているだけで幸せだって。
お金はいらない、ないほうがいろいろなものを工夫して
つくったりするからわくわくするって。
和美
そうですね。京都にいた頃は海外旅行にも行っていましたけど、
いまは全然行きたいと思わないです。
夫婦ふたりでいたら絶対に幸せに暮らしていけるという、
根拠のない自信があったし、本当に幸せですね。
テツ
すごい。それって究極ですね。
私も一生かかってそこまでいけるのかな。いけたらいいなー。
次回の後編では「HOMEMAKERS」カフェのようすや、三村さん一家のお話をお届けします。
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