連載
posted:2015.8.14 from:岡山県英田郡西粟倉村 genre:ものづくり / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
日本の面積のうち、約7割が森林。そのうちの4割は、林業家が育てたスギやヒノキなどの森です。
とはいえ、木材輸入の増加にともない、林業や木工業、日本の伝統工芸がサスティナブルでなくなっているのも事実。
いま日本の「木を使う」時かもしれません。日本の森から、実はさまざまなグッドデザインが生まれています。
Life with Wood。コロカルが考える、日本の森と、木のある暮らし。
editor profile
Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
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撮影:伊東昌信
岡山市街地にある、見た目は普通のマンション。
しかし高校教員をしている大石智香子さんのお宅を訪ねると、
そこは木質化された別世界が広がっている。
ドアを開けた瞬間にフワッと漂う木の香り。
右を向いても左を向いても、木ばかりが目に飛び込んでくる。
大石さんは木を使った空間への憧れを、昔から持っていた。
マンションを購入後、リノベーションを考えていたとき、
岡山の西粟倉村にある〈西粟倉・森の学校〉と出合った。
“百年の森林構想”を掲げ、村ぐるみで森林から地域づくりを行っている会社である。
ここにリノベーションをお願いすることにした。
「私は岡山県の県北、美作地域にある3つの高校に勤務していました。
西粟倉出身の学生が担当クラスにいたこともありますし、
岡山市に来ても、その地域の木材を使った家に住めるなんて喜ばしいことです」
森の学校から紹介された設計士が、〈木工房 ようび〉の大島奈緒子さんだった。
ようびは、7年前から西粟倉村で家具の制作を中心に活動していたが、
3年前に建築設計部門を立ち上げていた。
ここから大石さんと大島さんによる、二人三脚のリノベーションが始まる。
「せまい玄関から、トンネルをくぐってリビングに行くような間取りを
変えたかったんです。ドアを開けた瞬間に開放感がほしかった。
だから広い玄関はお気に入りです」
部屋は全面的に木質化されている。
ほとんどの内装に採用されているのは西粟倉村のスギである。
「床材をスギにするか、ヒノキにするか、サンプルを持ってきてもらいました。
でも、すぐにスギに決めました。香りこそヒノキがよかったですが、
さわった感触は断然スギが好みでしたね」
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ここまで全面的にマンションを木質化する例は、まだそれほど多くない。
不安はなかったのだろうか。
「ある程度、腐食したり、変色したり、反ったりするのは、
木だから当たり前だと思っています。もし何かあったら、大島さんに相談すればいい。
今後のメンテナンスを含めて、長いつき合いをしていきたい」と笑顔で語る大石さん。
リノベーション時に、良好なコミュニケーションを取れていたようだ。
しかし当初は、漠然とした注文しかしていないという。
そこから、設計士の大島さんとコミュニケーションを重ねていった。
「大島さんや、森の学校のみなさんが覚悟を決めてビジネスをされていることが、
素人の私にも感じられました。
木を生かしたい、いいものをつくりたいという思いが伝わってきたので、
いい加減な仕事をされるというような不安はありませんでしたね」
家では素足で過ごし、「土日に家事をしている時間が幸せ」と言う大石さん。
家での暮らしを存分に楽しんでいる様子。
「寝ないで済むなら、ずっと起きていて、もっと長くこの空間を楽しみたいくらい」
と笑う。いやいや、ゆっくり寝てください。
それができるのも、木のある暮らしの利点だから。
「楽しみながら打ち合わせできました」とようびの大島さんは言う。
木質化はもちろんだが、そのうえで住む人が楽しく暮らせることが大切だ。
そのためには、お客様のライフスタイルをよく知ること。
「誰にも話したことがないことを話されたりします(笑)。
部屋の見ばえよりも、暮らしている方が
ジワジワといいなと思ってもらえるものを目指しています。
“早く帰って休みたい” “家でごはんをつくりたい”と思える
心の充足面をかなえることこそ、設計者のプライドだと思っています。
大石さんがどこに立つかな、どこに座るかな、どう過ごすかな。
そのときにパッと触れる場所に、木があるようにしたいという気持ちでした」
ようびの家具は、さわり心地がいい。
だから家具だけでなく、部屋が木であふれていたら、
心地よい木のある暮らしになりそうだ。
それは暮らしているという実感につながる。
「木は加工性が高いですよね。ちょっと鋲で留めたり、釘を打ったり。
傷もつくけど、それが思い出になったり。
それは自分自身の暮らしに関わっていることと言えるんです」
現代の生活では、そのような機会が失われつつある。
木が取り戻してくれる暮らしもあるのだ。
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ようびは家具のメーカーとして始まったが、建築にも活動の場を広げ始めた。
どちらも、ようびの哲学を広めるために、必要なことなのだ。
「木造建築を建てる人は圧倒的に減っています。
家具に比べて、建築はすごくたくさんの量の木材を使うことができます。
山に対しても、自分たちの文化に対しても、役目が大きいと思っています」
とはいえ、マンションの木質化の例は、まだそれほど多くない。
しかし進めていくべき理由もある。
「私たちは、意識して西粟倉村に移住してきました。
でも、東京や都市部に移住した人たちは、そんなに強い意識ではなく、
進学や就職などで移住した人も多いと思います。
そのまま自然の流れで、結婚や出産となり、家を買うのか、田舎に帰るのか、
などの選択になっていきます。そのときに、選択肢が少ないですよね。
都心部に新築の木造を建てるということは、なかなか難しい。
そんなときに、ちょっと家具に気を使ってみようとか、
内装を変えてみようという提案をしたい」
マンションの木質化は、まちに向けての提案ともいえる。
木のよさを知ることなく育っている都会の人たちも多い。
いわゆる田舎を持たない世代も増えている。
そんな人たちに、木がもっと身近で、心地よいものだと伝えたい。
「都心部の部屋でも、西粟倉の木材でリノベーションすることで、
ふるさとの意識を持ってもらえればうれしいです。
どんな土地のどんな森で、どんな人なのだろう? と想像を広げてもらえるような。
単なるリノベーションではなく、“田舎つきリノベーション”です。
建築的なビジネスを超え、田舎と都会の問題をもっと大きく捉えて、
そのなかで木を使った展開をしていきたい」
こうした考え方を持って、ようびは東京に進出することになった。
2月と7月の2か月間は、まるごと東京の奥多摩で生活し、仕事をすることにした。
社員も全員で奥多摩へ移動する。
ショールームや支店をつくっても、ビジネスが多少大きくなるかもしれないが、
それほど大きな変化になるとは考えなかった。
「西粟倉村は、人口1500人程度の小さな小さな村ですが、必死にやってきました。
でももっと広げていけると思っています。
これまでは“西粟倉村に来てください”というスタンスだったんですが、
そう簡単には来てもらえません。
だからといって私たちがどこへでも行くというのも効率が悪い。
だからより近くで、まずは会いに行こうと。
それで興味を持ってもらえたら、次は西粟倉へどうぞ、とお誘いしたい」
西粟倉での活動の手を緩めるつもりではない。
でも、西粟倉だけがよければいいわけでもない。
あくまで、日本の森と、笑顔の未来のため、東京へ行く。
新築の木造一戸建てを建てることはハードルが高くても、
木質化したリノベーションならできるかもしれない。
それだけで、暮らしぶりはぐっと変わるだろう。
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