みんなで暮らすって、どういうこと?

シュタイナー哲学の学びの場へ

この夏の目標は、エコビレッジのようなコミュニティづくりを
すでに実践している先輩たちに会って、自分がつくりたい“村”の構想を
もっとハッキリさせていくことだった。
ということで、どーんと休みをとって(といっても10日間だけれど)、
向かった先は北海道の南西部の伊達市。
前回の連載では、洞爺湖にあるカフェ〈ちゃいはな〉の
渡部大輔さんの自給自足的な暮らしを紹介したが、
今回は伊達の〈ひびきの村〉での体験を綴っていきたい。

ひびきの村とは、ルドルフ・シュタイナーの哲学をさまざまな角度から学ぶ
〈ミカエルカレッジ〉という年間コースの講座を行い、
敷地内にはシェアハウスやゲストハウスも設けられた施設だ。
昨年、一度、ここを見学させてもらったことがあったが、
そのロケーションの美しさには、心底感動するものがあった。
小高い丘の上にメインホールが建ち、そのほかの建物が広々とした草原の中に点在する。
その奥には有珠山や昭和新山がそびえ、はるか遠くには海も見える。
ああー、こんな場所に、エコビレッジを建てられたら
どんなにすばらしいだろうと、しばしうっとり。
そのときは2時間ほどしか滞在できなかったこともあり、
今回ひびきの村のゲストハウスを10日間借りて、じっくりこの村を体験することにした。

〈ひびきの村〉の敷地は本当に広い。小高い丘の中心に立つのがメインホール。そのほか、ファームやキャンプ場、林を散策できる遊歩道などもある。

メインホールに向かって左に目を向けると、幼児保育の場〈フォレストベイ・ナーサリースクール〉がある。その奥には昭和新山(写真右)と有珠山(写真左)も見える。

わたしがまず興味があったのは、ここがシュタイナーの哲学の学びの場であることだ。
その哲学とは、オーストリア出身の思想家
ルドルフ・シュタイナーが創始した人智学のこと。
この学問は、教育、芸術、医学、農業など、あらゆる分野におよんでいて、
物質的なものだけでなく“目に見えない世界”の領域にも踏み込み、
座学以外にも体験や実践を通じて学びを深めていくというものだ。
特に教育の分野で広く知られており、芸術的要素をふんだんにとり入れた
シュタイナー教育は、“自由への教育”とも呼ばれている。

こうしたシュタイナーの哲学をとり入れた場は世界各地にあり、
その中には人々が共同生活を送るキャンプヒルというコミュニティも営まれている。
エコビレッジにもさまざまなタイプがあるが、
シュタイナーのような思想的に寄り添える柱を持っていることは、
人々を結びつける重要な鍵となるのではないか?
そんな想いもあって、今回は、ひびきの村に住む皆さんに話をうかがうことにした。

10年に一度、町全体で太鼓まつり

地区によって違う、さまざまな太鼓

小豆島には現在ふたつの町があります。
小豆島町と土庄(とのしょう)町。
ちょうど島を斜めに半分に分けたような感じで、
北西側にあるのが土庄町、南東側にあるのが小豆島町です。
人口も同じくらいでそれぞれ14,000人ほど。
ちなみに豊島美術館などがあるお隣の島、豊島(てしま)は土庄町だったりします。

昔々は村だったのが合併して町となり市となり、
行政区はどんどん大きくなっていきます。
小豆島も昔はもっと細かな村に分かれていました。
私たち家族が暮らしているのは土庄町のほうなのですが、
土庄町がほぼ現在の広さになったのは昭和30年。
別々だった複数の村がひとつの町になって60年、
今年からはいよいよ小学校も合併しひとつになりました。
少し寂しい感じですが、人口の減少とともに、学校や病院など
いろいろな施設やサービスの数が減っていっているのがいまの島の現状です。

ただ、そんななかでもかたちを変えつつずっと続いているものもあります。
そのひとつが、小豆島の秋の奉納太鼓まつり!

今年は町の合併60周年ということで、
普段は別々で行われている3つの八幡神社の太鼓台が勢揃いした
土庄町合併60周年記念〈太鼓まつり〉が開催されました。
50周年記念のとき以来の開催で10年ぶりだそうです。

土庄町合併60周年を祝って開催された太鼓まつり。

富丘八幡神社の馬場に集まった27台の太鼓台。

合併60周年記念の新しいバチで太鼓をたたく。

秋の山感日

それぞれのペースで進む

9月に入ってから、すっかり秋本番? と思うほど涼しくなった。
台風の影響もあり、梅雨のような雨続きの日々。
朝晩は寒いほどで、毛布と掛け布団を引っ張り出した。

先日、森のようちえんの、秋の「参観日」ならぬ「山感日」があった。
父母・祖父母が、子どもたちと一緒に自然を楽しむ1日だ。
わたしもお休みをもらって、久しぶりに子どもたちと森へ。
この日のフィールドは、森のようちえんの代表・西村早栄子さんの持ち山、
通称「西村山」。

朝、10時に西村山の近くの駐車場に集合すると、スタッフから1日の流れの説明。
「11時くらいに西村山の広場で朝の会をするので、それぞれ自由に向かってください。
そのあとお昼ごはんを食べて、昼過ぎから相撲大会を始めましょう」
という感じで、皆それぞれのペースで森への道を歩き始める。

森へ歩き始めた子どもたち。田んぼの脇には、小さな花がたくさん。

駐車場から西村山の広場までは、普通に歩いたら10〜15分。
1時間あれば十分すぎるように思えるけれども、そんなことは決してない。
娘は、途中で合流した年中のKちゃんと、田んぼの脇で花を摘み始めた。
遠くから見ると全然わからないけれど、近づいてよく見ると、
いろんな種類の小さな野花があちこちにひっそりと咲いている。
ふたりとも、新しい花を見つけてはうれしそうに摘み、
手の中に色とりどりのブーケをつくっていく。

年中のKちゃんがつくったブーケ。

そんなことをしながら、服にひっつく葉っぱを採って人にくっつけて遊んだり、
山際になっている実を採って食べたり、森に入るとキノコを観察したり。
とにかく、ひとつひとつにじっくり時間を費やすので、なかなか前に進まない。
まわりにちらほら見えていたお友だち達の姿はもう見えず
すでに西村山に行ってしまったようだった。
ようやく半分くらい歩いたかな……というところで時計を見ると
朝の会が始まる11時まであと5分。
全然間に合わないよ!(笑)

お姉ちゃんたちに、葉っぱをくっつけられた息子。

Kちゃんが「食べられるよ」と教えてくれた実。

草むらでひたすら花や実を摘む。

東京で唯一 醤油を醸造する蔵元 東京・近藤醸造

東京の緑豊かな土地で醤油を造る

東京で醤油を造る蔵元は〈近藤醸造(屋号「キッコーゴ」〉1軒のみ。
東京駅から中央線で武蔵五日市方面に電車で約80分。
澄んだ空気と緑に恵まれたあきる野市にある。
「ものづくりが好きなんだよね。ラベルも自分でつくるし、
年賀状づくりも9月から取りかかる。でも醤油造りは一番おもしろいよ。
どんなに手をかけても、結局は人ではなく菌が造るんだからね」
近藤醸造3代目の近藤功さんは、温かな気持ちで醤油を造り、届けます。

3代目近藤功さんが描いた年賀状。9月から練り、1万4千枚も出している。

緑豊かな多摩の山裾に位置する近藤醸造は、明治41年から100年余続く蔵元。
“東京”のイメージから離れた緑豊かな場所で、清流秋川から流れるきれいな水と、
国産丸大豆と国産小麦を使い、天然醸造で醤油を育みます。

「東京にも昭和53年には22軒の蔵元があったんですよ。
でも、うち以外の醤油蔵は、広い敷地を有効活用し、
貸しビルを建てたり、別の事業に転業したりしました。
うちも、昭和55年頃に道路を拡張するからと退かなければいけなくなって、
これを機にホームセンターをしようかなと思ったこともありました。
日曜大工が趣味なので。
けれど、秋川渓谷の入口にあるこの土地でやるべきことは……。
そう思うとやっぱり醤油業だと思ってね」

歴史が刻まれたもろみ蔵(左)と店舗(右)。店舗の奥が麹を造る工場。

店舗の前では大豆を栽培して紹介。

そうしていつの間にか東京唯一の醤油醸造元になった近藤醸造。
「東京は昔から県外の醤油がどんどん入ってきていたから、
1軒になったからと言って売り上げが伸びるわけじゃない。
それより、東京で醤油を造るぞ、と思う仲間がいてほしかったですね」
そう話す近藤さんは寂しげ。

「私が入社した昭和40年頃は、小さな蔵元の醤油よりも、
大手の醤油が魅力的に見える時代で、消費者も大手のものを使いたがっていたし、
ましてや価格で競争なんてできるはずもない。
そこで近所の家庭に醤油を配達して、顔の見える関係のなかで使ってもらってきました。
いまでもうちの醤油を使っているのは、あきる野市やその周りの家庭が多いです」
それを物語るように、お店には女性が空ビンを2本持ってきて、
醤油を買っていきました。

近藤さんは70歳とは思えないほど筋肉がガッチリとついた体つき。昼夜問わず力仕事をしてきたことが表れている。

4代目の近藤寛さん。総括や人事、醤油加工調味料を担当している。

小豆島・三都半島でアートを楽しみ海を感じる

海のそばで展開するアートプロジェクト

瀬戸内海の島々を舞台に3年に1度開催される〈瀬戸内国際芸術祭〉(以下、瀬戸芸)。
私たちが小豆島に引っ越してきた翌年2013年に2回目が開催されました。
そしてあっというまに3年が過ぎ、3回目となる瀬戸芸が来年3月から開催されます。
もう半年後です。

小豆島は、この瀬戸芸のおかげでアートの島としても
知られるようになったんじゃないかなと思います。
寒霞渓やエンジェルロードといったいわゆる観光スポットに加えて、
常設されているアートを見に行かれる旅行者の方が増えました。
いままでほとんど人が行かなかったようなところにも、
アートをきっかけに人が行くようになったり。
数年前にはなかった人の動きが生まれたように感じます。

そして瀬戸芸以外でも、新たな作品が制作され、アートイベントが行われています。
この9~10月にも、小豆島の三都(みと)半島という地区で、
三都半島アートプロジェクト2015〈潮耳荘(しおみみそう)〉が開催されていました。

三都半島に入っていく道。この道の先に海が広がる感じがとても好き。

〈潮耳荘〉ののぼりがあちこちにありました。

吉野地区の休耕地にある巨大な《泥足》、久保寛子さん作。

吉田夏奈さんの《プルメリアボール》。旧瓦倉庫の中にあります。

三都半島は、小豆島のちょうど真ん中あたりから南に突き出している半島。
実はこの三都半島を拠点に、2009年から
小豆島アーティスト・イン・レジデンスの取り組みが行われていて、
毎年いろいろなアーティストの方が滞在して、
地域の人とコミュニケーションをとりながら作品を制作されています。
昨年からは、広島市立大学芸術学部の皆さんがアート活動を展開されており、
今年の潮耳荘はその2年目にあたるそうです。

粕谷優さんの《recording medium》。三都半島に実際に生えている切り株をモデルに、小豆島に関する紙で制作。

小さな農村には日本の美しい秋がある

おいしい秋、美しい景色

栗に柿にさつまいも!
今年もきました、おいしい季節、秋。

私たちが暮らしているのは、小豆島の真ん中にある肥土山(ひとやま)という農村です。
農村で暮らしていると、季節の移り変わりをとてもよく感じます。
風景、食べ物、虫の鳴き声、空気、すべてが季節とともに変わっていきます。

薄紫色の小さな花、シオン。毎年この時期に咲きます。

柿〜。いたるところに柿〜。

しその花。しそはこの時期に種を落とし、また来年同じ場所にたくさん生えてきます。

日が暮れるのが早くなり、朝夕に肌寒さを感じ始めるこの時期は、
特に季節が変わっていくのをよく感じる気がします。
だいぶ涼しくなったなーと思う頃、にょきにょきと姿をあらわすのが彼岸花。
畑や田んぼのあぜ道に毎年決まったこの時期(お彼岸の頃)に花を咲かせます。
彼岸花の球根には毒があり、モグラやネズミよけのために
昔は田んぼのあぜ道などに植えたと言われています。
黄金色の田んぼと真っ赤な彼岸花のコントラストはとても美しい。

肥土山のおとなりの集落、中山の景色。

田んぼのあぜ道に咲く彼岸花。

そしてなんといってもこの季節に心躍るのは食!
どんな季節にもおいしいものはありますが、なぜか収穫というと秋のイメージ。
日本人にとって主食であるお米の収穫が秋だからかな。

自給自足の道を探って

エコロジカルな暮らしを実践する先輩に会いに

エコビレッジをつくるために、この1か月ほど山の土地購入を考えていたわけだが、
調べていくにつれ、山を切り開いて暮らすのは、そう簡単ではないことがわかってきた。
山を買うという可能性は探りつつも、ほかにも土地を探す方法があるんじゃないか?
実際にエコロジカルな暮らしを実践している人たちは、
どうやって自分のやりたいことをかたちにしているのだろうか?
北海道で活動をする先輩たちに会って、土地探しのヒントと暮らしの知恵を学びたい。
そんな思いから、いままでは、仕事が忙しくてなかなか行く機会がなかった場所へ、
この夏思い切って出かけてみることにした(会社も辞めたことだし!)。

わが家から車を3時間ほど走らせ向かった先は、
北海道の南側に位置し比較的温暖な気候の洞爺湖。
海もあり湖も広がる開放感あふれる土地だ。
この洞爺湖の湖畔にあるカフェ〈ちゃいはな〉は、
いつか訪ねてみたいと思っていた場所のひとつ。
ちゃいはなの敷地には、カフェ兼住居の平屋が建ち、
裏には畑、そのほか駐車場もあり、申し分ない広さといえる。
カフェを営む渡部大輔さんは、11年前にこの地にやってきて、
自給自足的な暮らしを始めたという。
今日は、渡部さんに、この土地を見つけたきっかけと、
どのように自給自足をしているのかを教えてもらいたくて訪ねることにした。

洞爺湖は北海道の観光地として有名な場所。温泉街のほど近くにカフェ〈ちゃいはな〉はある。

ちゃいはなの道路を挟んで向かいには洞爺湖が広がる。美しい湖面にしばし見とれる。

お話をうかがった渡部大輔さん。「自給自足は楽しく、気持ちがいい」と語ってくれた。

渡部さんは、若いころ旅人だった。
20代は世界各国をめぐり、タイ、アメリカ、
オーストラリアに1年以上住んだこともある。
それは「日本の社会になじめず、日本を捨てる覚悟」の旅だったという。
そんな渡部さんが、洞爺湖で暮らし始めたきっかけは、子どもができたことだった。
「自給自足的に生きていきたいと思っていたときに、ここを見つけました。
子育てもゆっくりできるし、気に入った」

渡部さんの場所探しは、ネットに頼らず現場主義。
北海道の中でも札幌より南に住んでみたいと考え、
何か月も車を走らせていったそうだ(さすが旅人!)。
そして、あるとき洞爺湖畔の道を運転していたとき
「あ、ここいいかも!」というインスピレーションがわき、
同時に「これは!」と思う空家に遭遇。
さっそく家の持ち主を近所の人に教えてもらい、ここに住みたいとかけあった。
粘り強い交渉が功を奏し、念願かなって、この地で暮らすことになったそうだ。

まさに運命の出会いだが、築80年の家は、“お化け屋敷”のような状態だったという。
「コウモリも住んでいたんですよ。裸足で歩けるような状態じゃなくて、
家の中にテントを張って暮らし、少しずつ修繕をしていきました」
家だけでなく駐車場や畑をつくる土地もたっぷりあって、
賃貸料は月2万(ただし大家さんの土地の草刈りを手伝っているので、その半額)。
自給自足を目指しつつ、収入もいくらかは必要なことから、
ここでカフェを始めることにした。

3万4000人のキャンドルナイト in 小豆島

島のみんなでつくりあげるイベント

数千個のキャンドルが並べられた幻想的な景色。
今年は、小豆島ふるさと村で
〈3万4000人のキャンドルナイト in 小豆島〉が開催されました。

このキャンドルナイトは、2008年から行われています。
地元商工会青年部や青年会議所、その他婦人会や老人会、各地区の自治会など
ほんとに多くの人たちが関わっていて、まさに島のみんなでつくりあげているイベント。
今年で8年目。1年で2回開催したこともあり、今回で10回目の開催だそうです。

今年で10回目の開催となる〈3万4000人のキャンドルナイト in 小豆島〉。

今年は小豆島ふるさと村のファミリープールで開催。

毎年いろんな場所で開催していて、普段なかなか行かない場所も
こういうイベントが足を運ぶいいきっかけになります。
ちなみに今年は小豆島ふるさと村内にあるファミリープール、
去年は富丘八幡神社でした。

去年(2014年)は富丘八幡神社で。桟敷がキャンドルの灯りでとても美しかった。

なかなか夕暮れ時に行くことはない場所。キャンドルの灯りをたよりに歩きます。

キャンドルナイトで使われているキャンドルは、一度使われたロウソクを再生したもの。
小豆島には八十八ヶ所霊場があり、それぞれのお寺でたくさんのロウソクが使用されます。
その使用済みのロウソクを集めて、溶かして、また新しいロウソクをつくるのは、
ひとつならそんなに難しくもないかもしれませんが、
何千個にもなるととても大変だと思います。
自治会や婦人会などの皆さんの手も借りて、毎年再生しているそうです。

ご近所さんとのこと

あたたかいご近所さんたち

ガラガラ~。
下の子の授乳などをしていると突然玄関の引き戸が開いて、
近所のおじいちゃんやおばあちゃんが立っている。
手にはたくさんの野菜や果物。
こちらに来てからの、日常風景だ。

最初のころは玄関が急に開くたびに驚いていたが、
最近ではずいぶん慣れてきた。
じゃがいも、玉ねぎ、にんじん、トマト、キュウリ、
なす、かぼちゃ、ピーマン、甘長とうがらし、ゴーヤー……
そのときどきに、おうちの畑で採れたばかりの野菜をどっさり、
食べきれないから……と言って分けてくださる。

いただいた野菜。じゃがいもを箱いっぱいいただくことも。

春に智頭に引っ越してきてから、定住する家を探しつつ
町営の“移住おためし住宅”に住んでいるのだが、
ご近所さんはとても親切で、そのおかげで
初めてのまちでも不安を感じることなく暮らせている。
地域のことをいろいろと教えてくださるのはもちろん、
雨が降りだすと、洗濯物が濡れないように知らせてくれたり、
はたまた外出中に雨が降ると、洗濯物をとり込んでくれたり!
子どものこともとてもかわいがってくれて、
娘に「ちょっとうちに遊びに来るか?」と、
ごく自然に手を引いて、家に連れていってくださることもある。

こんなこともあった。
ある朝、娘を森のようちえんの集合場所に送っていこうと車に乗ったら、
なぜかエンジンがかからない。
ちょうど前の家のおじいちゃんが外にいて、
娘が「くるまがうごかないのー!」と言うと、
車に詳しい息子さんと一緒に来てくださった。
いろいろ試みるも、やはり原因がわからず、
ああでもないこうでもないとやっていたら、
すっかりようちえんの集合時間が過ぎてしまった。
すると、息子さんが車を出してくださり、
フィールド(活動場所の森)に、直接送っていただくことに!
おかげで無事に、娘を送り届けることができた。

家に戻ると、今度は、何軒か先に住んでいるおじいちゃんを連れてきてくれた。
聞けば、我が家の車と同じ車種に乗っているという。
おじいちゃんがハンドルを強く回しながらエンジンをかけると、
一発でエンジンがかかった!(原因はハンドルロックだった)
車が動かないことで、今日はようちえん休むしかないかな……
JAFを呼ばないといけないな……などと考えていたわたしは、
ご近所の力でそれらがすべて解決してしまったことに感激だった。

移住おためし住宅の庭にて。登園前に花を摘む。

家の玄関や窓や物干竿には、いつも小さなお客さんが。

夏は、地区の行事もいろいろとあった。
7月には集落の夕涼み会。
広場に椅子とブルーシートが用意され、
住民の方々が焼きそば、焼き鳥、かき氷、ビールなどを売る。
小さなステージでは、皆が順番にカラオケを歌う。
集落にはまだまだ面識のない方もいるので、
最初、わたしたちが会場に着くと、
「あれは誰?」という視線が注がれたが、
会の最初のほうで、我が家を紹介してくださり
その後はいろんな方が親切に話しかけてくださった。
娘は駐在さん一家のところに入りびたって遊んでもらい、
息子は抱っこしてくれたおじいちゃんの腕で熟睡。
また、新しい住人はカラオケを歌うのがお決まりで
わたしは夫が勝手に入れた「天城越え」を十何年ぶりかに歌うことに……。
ともあれ、いろんな方と交流ができて、楽しい会だった。
8月には集落のさらに小さな単位、“班”の夕涼み会もあり
バーベキューを囲みながら、ご近所さんと歓談した。

夕涼み会に向かう道。用水路から水を引き込んだ池に鯉がいた。

集落の夕涼み会。小さなステージでカラオケを歌う。

島暮らし歴もうすぐ3年、少し離れて島を見る

まだまだある、行ったことのないところ

9月に入ってから小豆島は雨続きですが、
そんな雨の合間をぬって、久々に島内ドライブ。
ビーチコーミング&ピクニックをしにいこうと、島の北側の海岸に向かいました。

ビーチコーミングは、その名の通り、貝がらやシーグラス、石、流木など
海岸に流れ着いたいろんなものを拾い集めること。
私たち家族の共通の趣味。
そしてピクニックといっても全然たいしたものじゃなくて、
おにぎり、家にある残りものの惣菜とお菓子を詰めて、
温かいミルクティを入れて、とかそれくらいの感じ。
どうせ出かけるなら、お昼ごはんもそこで食べようと。

ビーチコーミング。浜辺に落ちているものを拾い集める。

島で暮らしていると、ついつい日々の生活、仕事が優先されてしまって、
島で遊ぶ、休むということを忘れてしまいがち。
それってとてももったいない。
海も山もすぐ近くにあるこんなにすばらしい場所で暮らしていて、
その良さを感じずに日々のやることにいっぱいいっぱいなんて……。
忙しかった夏があっという間に終わり、そんな風に思い、その日は出かけました。

島にはいいビーチがたくさんある。

子どもは海に行くだけでいきいきと元気になる気がする。

まず向かったのは、田井浜ビーチ。
夏は海水浴場&キャンプ場として使われています。
あいにくの天気で風も強く、瀬戸内海にしては珍しく波がザブーンザブーン。
お昼ごはんを食べて早々に海岸を歩いてなんかいいもの探し。
パッと見、何もなさそうな砂浜、じっと見ながら歩くと
そこにはいろんなものがあります。
島の中でもビーチの雰囲気は全然違って、そこに流れ着くものも違う。
島には何か所も海岸があって、島で3年暮らしていても、
まだ行ったことないところがたくさんあるので、それこそ飽きない。
ま、同じ海岸に何度行っても飽きないのですが。

この日はあいにくの天気。珍しくザブーンと打ち寄せる波。

島の北側にある田井浜ビーチ。

夏はキャンプ場としても使われているそう。

海辺の家。庭の大きな木と船がすてきだった。

いざ、土地探し!

土地購入のためにリサーチ開始

北海道にエコビレッジをつくりたいと、始めた土地探し。
ビレッジというからには、何家族か住める家がほしいし、
野菜を育てて自給したいから畑もつくりたい。
そうすると、それなりの広さが必要だ。
不動産物件をチェックしていても、当然ながら
「ここだ!」と思えるような場所は見つかるはずもないし、
あっても何千万円もかかってしまう。
ということで、浮上したのが山を買うというアイデアだった。
そこで、土地購入の足がかりとして、今回訪ねたのは、
地元・岩見沢の市役所の中にある、そらち森林組合だ。
この組合では、森林の保全や活用のほか、土地のあっせんもしているという。

土地を紹介してくれるという森林組合へ。ドキドキ。

森林組合とのアポイントは午前10時。
少し時間があったので、ロビーで待機しているあいだに久々に緊張が走る。
森林組合では、森林の有効活用を考えている人に対して土地を紹介してくれるようだが、
知識はゼロだし、1歳の娘も一緒だし、「夢を語られても困ります」なんて
門前払いされたらどうしよう……と不安がよぎる。
時間になり担当者を探すと、やってきたのは玉川則子さんという女性だった。
にこやかに席をすすめてくれたうえに、
一緒に連れていった娘の頭をなでてくれた(娘がいてくれて場が和んでよかったー)。
少し緊張がほぐれて、話を切り出すことができた。
山を買って自給自足的な暮らしをやってみたいと思っていること、
ただし、まったく知識がないので一から教えてほしいことを話すと、
さっそくいくつか候補となりそうな土地の地図を見せてくれた。

「暮らすことを考えると、人が住んでいるところの近くがいいかもしれないですね。
お子さんの学校のことなどもありますし」
と言って見せてくれたのは、いずれもわが家から車で30分以内に行けそうな地域。
5か所の図面を見せてくれて、その中にはカラマツを植林している山や、
沢のある天然林などがあり、広さは2ヘクタールから10ヘクタールくらいだった。
玉川さんの話をうかがっていると、別の所有者の土地を通らないと辿り着けないところや、
道路は通っているものの冬に除雪が入らないところなどがあり、
なかなか難しい問題があることもわかってきた(ヒグマも出るしね……)。
そのほか、山林に家を立てたり、家庭菜園をつくったりする場合は、
申請が必要になるなど、制度についても丁寧に説明をしてくれた。

訪ねる前にはたくさん聞いてみたいことがあったが、なかなか言葉が続かない。
あまりにも初めてのことが多く、頭の中の情報整理が追いつかない感じだ。
ようやく、ひとつ質問できたのは、
「いま山を買いたいというのは、どんな人なのか」ということだった。
「昔は資産として考える人も多かったようですが、
最近は週末に山に入って自然を体験したいという人もいますね。
小さな山小屋などを建てたりする人もいますよ」という玉川さん。
そして、「ここから近くのところでしたら、一緒に土地を見に行くこともできますよ」
というやさしい言葉もかけてもらい、次回に会う約束も取りつけることができた。

帰宅すると夫が、どうだった? と興味のありそうな雰囲気!
さっそく図面を渡して場所を説明すると、
うんうんとうなずきながら道路マップと照らし合わせ始めた。
「ここは、俺が前に仕事で家を直しに行ったところに近い」とか、
「あそこは、高速道路の近くだ」と、
さすがに土地勘がある(わたしには全然わからない)。
その後、ふたりでグーグルマップの航空写真で場所をチェックしてみた。
住宅のような住所はないので、だいたいこのあたりかな? 
と地図の地形をたよりに見ていくと……、あった!
いくつか候補として教えてもらった土地の中で、山のふもとのあたりであれば、
自分たちでも見に行けそうなので、さっそく翌日車で出かけることにした。

長島町副町長 井上貴至さん

地域の成功事例を積み上げていく

鹿児島県の北西部に位置する長島町。
長島本島ほか大小の島々からなる長島町で副町長を務める井上貴至さんは、
実は総務省から2015年4月に出向してきた官僚だ。
井上さんは長島町を「長島大陸」と呼ぶ。
「長島は海があって山があって大地がある。
そのなかで独自の文化や歴史が育まれていて、九州本土とも全然違うんです。
自然エネルギーも食糧自給率も100%を超えていて、出生率が2.0。
魚が日本一おいしくて、いいところですからぜひ来てください」
と、会うなり長島町の魅力をPRしてくれた。

長島町の針尾公園からの眺め。美しい島々の風景が広がる。

井上さんは大阪府出身の29歳。
緑が少ない土地で育ち、多くの企業が東京に進出していくのを見て、
地方行政にはもっと可能性があるのではないかと考えていた。
東京大学在学中、地方に行ってさまざまな現場を見て回る楽しさを知った。
大学を卒業して総務省に入り、1年目に愛知県の市町村課に派遣される。
そこでおもしろい地域の人たちに出会い、
「地域には隠れたヒーローがたくさんいるんだな」と感じ、
ますます地域の現場に入ることが好きになったという。
その後、東京に戻るが、週末にはあちこちの地域の現場を訪ねて回った。
「地域で活躍する人はホームグラウンドで最も輝くと思っています。
東京で総務省の官僚という立場で会うこともできますが、
それより現場に行くと深い話ができます。そこは大事だと思っています」

好きな場所には何度も何度も足を運ぶ。
徳島県の神山町や長野県の小布施町は何度訪ねたかわからない。
各地で得たことを、自分なりに考え、まとめてブログで発信してきた。
「地域のいい事例を自分だけのものにしないで、
広げて伝えていくことも大事だなと思ってブログを始めました。
いまの日本は本当にこれでいいのかなともやもやしたものがあったんですが、
震災があってはっきりしました。若手官僚で唯一、実名で書いているので、
いつお叱りを受けるかわかりませんが(笑)」

政府が地方創生を掲げるなか、井上さんは〈地方創生人材支援制度〉を提案。
地方創生に積極的に取り組む市町村に対し、意欲ある国家公務員や研究者などの人材を、
市町村長の補佐役として派遣するというもの。
そこで手を挙げた長島町に赴任してきたというわけだ。

「世の中をよくしていくときに、国は国で役割があると思っています。
いまのシステムや制度には理由があるし、そのしがらみを変えていくのは難しい。
それより地域で新しいものをつくって、小さな成功事例を積み重ねていって、
その輪を広げていくほうがうまくいくんじゃないかと思うんです。
地域には課題もたくさんありますが、それが見えやすいし、プレーヤーも見えやすい。
だから逆に解決しやすいとも言えます。
それと地域の問題は地域の人だけでは解決しにくい。
いろいろな役割の人が必要で、サッカーに例えると、
隣の人にパスしたりドリブルするだけでなく、ロングパスや鋭いパスも必要。
広い視野で俯瞰して、最適なところにパスできる人が、地域にはなかなかいないんです。
僕はより広い範囲にパスが出せるのが強みだと思っています」

食材が豊富な長島町で、井上さんが一番感動した食材のひとつというのがタコ。タコ漁も体験。

〈アトリエデフ〉 家づくりは暮らしづくり

家は、小さな地球である

20年前に創業した長野県上田市に本社を構える工務店〈アトリエデフ〉は、
自然素材にこだわった家づくりを推進している。
代表取締役社長の大井明弘さんはかつて別の工務店に勤めていた。
新建材を使った自邸を建てたところ、家族にアトピーなどの健康障害が出てしまった。
そこで「自然素材の家を建てたい」と提案したが、
「無垢材なんてとんでもない」と強く否定されてしまった。
それならばと、やりたいことのために独立し、アトリエデフを立ち上げた。
しかし、時代が早かった。

「20年前は自然素材といっても理解はされないし、需要もありませんでした。
国産材を探そうとしても、どの製材屋さんも外材ばかり。
たまに国産材があったとしても、どこのものかもわからない状態だったんです」

代表取締役社長の大井明弘さん。毎朝4時に起きて、畑作業と薪割りが日課。

キッチンなどの水回りは、ヒバやヒノキを使用。

その後、時代が徐々に追いついてきて、
2010年に建てられたのが〈循環の家〉と名づけられたモデルハウスだ。
建物自体はもちろん自然素材にこだわっているが、
それ以上に驚かされるのが、循環型の暮らしの提案。

「この土地内ですべて循環する“小さな地球”であってほしいという
コンセプトで建てました。なるべく外部のエネルギーに頼らず、
遠くからエネルギーを買うのではなく、循環のなかで、
自然の恵みを生かして自分たちでつくる。そして還す。
そこに人が暮らすことで、より豊かになるような暮らしをつくりたい」

その哲学はすでに家づくりというものを超越している。

「私たちがやっていること、特にこの循環の家で提示したいことは、
家づくりではなく、暮らしづくりなんです。家は暮らしの一部に過ぎません。
家が良ければすべて良しというわけではなく、暮らしを変えていかないと、
大量生産/大量消費も、環境問題も変わっていきません」

エネルギーや水の循環など、取り組んでいる人たちはたくさんいるが、
それを最初から家に組み込んでしまっているコンセプトは思い切っている。

コンパクトに見えるのは、すべてを循環させることで余計なものを必要としない証拠だ。

自分たちの働き方をつくっていく

まだまだ、試行錯誤しながら

小豆島で暮らすようになってもうすぐ3年。
4回目の秋がやってきます。

秋! サツマイモの収穫です。

いろはも一緒に芋掘り。今年はイノシシの被害もなく豊作。

新ショウガ。まだまだ小さいですが少しずつ出荷を始めています。

先日、島の友人と「最近何かおもしろいことあった?」と
お互いの近況を話していたのですが、
はて、何か新しくておもしろいことあったかなと考えたものの、
ここ最近は毎週毎週ほぼ同じように働いていて、
目立っておもしろいことなんてあったかなと。
あれ、つまらない毎日になってる?
というわけではなくて、それはようやく自分たちの働き方が
かたちになってきたってことなのかも。

どうやって自分たちで仕事をつくっていくか。
3年前小豆島に引っ越してきたとき、漠然と思い描いていたことはありました。
畑をしよう、カフェをしよう、撮影やWeb制作などの仕事をしよう。
いろんなことを組み合わせて稼いでいこうと。

引っ越して早々に畑を始めました。
私たちには祖父の残してくれた畑があったので、まずはその畑を耕し、苗を植えました。
いまは新たに畑を借りたりして、年間約40品種くらいを栽培。
島内のレストランやカフェで野菜を使ってもらえるようになり、
毎週配達に行っています。
また野菜を定期的に購入してくださるお客さんも少しずつ増え、
毎週火、木に収穫、梱包して発送しています。

秋冬野菜の種まき。

お野菜と一緒にお届けしているお野菜の説明書。

島のレストランやカフェでお野菜を使ってもらっています。素敵なポップ。

「これグリーンゼブラトマト!」自分ちのお野菜が使われているってうれしい。

川俣正 三笠プロジェクト

秘密結社のように密やかに進むプロジェクト

北海道のほぼ中央に位置する三笠市で、
現代美術家・川俣正さんが進めている長期のアートプロジェクトがある。
〈三笠プロジェクト〉は、川俣さんによると「秘密結社のような」活動だという。
会員しか見ることのできない、閉じられたプロジェクトのため、
その全貌はほとんど知られていない。
今夏、このプロジェクトが開催した会員限定の現代美術講座を通じて、
ベールに包まれたこのプロジェクトの姿をリポートしてみたい。

そもそものはじまりは、2008年になる。
この年、北海道における新しいアートプロジェクトを模索していた川俣さんは、
出身地である三笠市で講座やワークショップを行った。
以降、毎年のようにこの地を訪れ、リサーチやディスカッションを重ね、
2011年に、これらの活動を「北海道インプログレス(現在進行形)」と名づけた。
その拠点として、翌年、三笠市内の閉校となった小学校で制作を開始したのが、
この〈三笠プロジェクト〉である。

旧美園小学校の体育館にて、2012年夏に制作が始まった。

モチーフとなったのは、かつてこの地にあった炭鉱街の風景だ。まずは柱や梁を立て、骨組みがつくられていく。

「会員のほとんどは、僕の同級生です。
助成金などはもらわず、会費を募って運営をしています。
このプロジェクトでは、このようなコミュニティをつくることに興味がある。
毎年みんなに会って、元気だなとか、お前まだ生きているなという
確認をするんです(笑)」

川俣さんの高校時代の同級生たちが中心となってつくった団体〈三笠ふれんず〉は、
プロジェクトの運営とともに、制作のサポートも行っている。
加えて、制作には北海道教育大学と室蘭工業大学の学生、
コールマイン研究室(炭鉱をテーマに活動するクリエイター・アーティスト集団)らの
メンバーも参加。
2012年から3年の間に計4回、それぞれ1週間ほどの期間を使って制作が進められた。

2013年の制作風景。骨組みができたらダンボールや合板などで、炭鉱街の地形を表現していく。

川俣さん自身も住んでいたという炭鉱住宅を厚紙で再現。1500個が設置された。

初めての夏休み

身近にある自然のなかで、のびのび遊ぶ

今年の夏は全国的に猛暑だった。
智頭町でも最高気温が38度くらいまで上がる日が何日かあり、
真昼は日差しが痛いほどだった。
ただ朝晩はわりと涼しく、寝苦しくて寝られない、という日は
ほとんどなかったように思う。

7月下旬、娘が通う森のようちえんは夏休みに入った。
初めての夏休み。何して過ごそうか?
しかし私はこちらに引っ越して来てから探していた仕事がようやく見つかり、
8月から平日は働くことになった。
そんなわけで、毎日どっぷり遊びにつき合うことはできなかったが、
身近な場所に豊かな自然があるのはありがたいことだった。

いまの仮住まいから、車でちょっと行ったところに芦津渓谷がある。
川沿いに山道をくねくね登っていくと、
素晴らしい原生林と、美しく澄んだ源流があり、
〈芦津セラピーロード〉と呼ばれるトレッキングコースもある。
猛烈に暑い日でも、芦津まで行くと気温がぐっと下がり、
川の水は泳ぐにはちょっと冷たいほど。
暑い暑い真夏日には、「芦津に行こう」となって、
ちょっとした食べ物と飲み物を持って、木陰にシートを敷いて、
涼みながら遊ぶのが恒例となった。

芦津の森と清流。

娘は、森のようちえんで毎日川遊びをしていたからか、
水にはそれほど入りたがらず、河原の小石集めに夢中になったり、
木陰でお絵描きや工作を楽しんだりすることが多かった。
木漏れ日の下でのお絵描きは、とても気持ちがよさそうだった。
1歳の息子は、やはり小石で遊んだり、川の水面をひたすらパシャパシャ叩いて、
水が跳ねかえってくるのを楽しんでいた。

木陰で工作に夢中。

水の中の小石を拾ったり、水面を叩いたり。

澄んだ川の水に足をひたすと、それだけで、体のなかに詰まっていた何かが
すーっと流れていくような感じがする。
何をするわけでもないけれど、そうして川辺で時間を過ごすだけで、
すっきりとよい心地になることができた。

透き通った水に足をひたす。長いことつけていられないほど冷たい。

旬の夏野菜でつくる贅沢ごはん

たくさん採れた野菜をたくさん食べる

朝夕すっかり涼しくなった小豆島。
日中はセミが元気に鳴いていますが、
日が暮れるとリンリンリンリン、やさしい鈴虫の鳴き声。
秋の気配を感じます。

畑ではなす、ピーマン、オクラなど夏野菜がまだまだ元気です。
毎日たくさん実ってくれます。
収穫作業やメンテナンスは大変ですが、
それでもやっぱりたくさん採れるのはうれしいです。

なす!

ピーマン!

トマト!

オクラ!

この時期、うちの食卓には毎日そんなお野菜たちの料理が並びます。
なすの揚げびたし、ピーマンの炒めもの、オクラのお味噌汁。
そしてデザートには冷やしたマクワウリ。

昔はよくつくられていたマクワウリ。割れ目が入っているのが食べどきです。

冷やして切るだけ。さっぱりした甘みがやみつきになります。

〈小林住宅工業〉 選りすぐった素材でつくる 自然流の家づくり

厳選した自然素材を探しだす

創業して45年、横浜市にある〈小林住宅工業〉。
かつては新建材などを使った家づくりを行っていたこともあったが、
15年ほど前から、自然素材のみを使う家づくりにシフトした。
そのスタイルを「自然流(じねんりゅう)」と名づけ、
以来、木にあふれるライフスタイルの一端を担ってきた。

「社長は10代半ばで大工になり、30代でこの会社を立ち上げて以来、
とても勉強熱心です。自然素材のみでやり始めた頃は、変わり者扱いされたようです。
いまもって、反骨精神は強いですが」と笑うのは、
小林康雄社長の代わりに答えてくれた営業部の綱崎丈太郎さん。

小林住宅工業の基本建材は、構造材は和歌山の紀州材、
床は栃木の八溝杉、天井は秋田杉を使用している。
特に構造材を購入している〈山長商店〉とは、
小林住宅工業が自然素材を使い始めた当初からつき合いがある。

「山長商店は、林業からプレカットまで一貫して行っている珍しい会社です。
だからコストも抑えられるし、品質が高い木材を出してくれます。
木材は乾燥がとても重要で、強度にも関係してくるのですが、
適正な乾燥具合になるように1本1本、水分を測っているんです。
“自然素材ならなんでもいい”ではなく、
強度にも気を使っていかなくてはなりません」(綱崎さん)

玄関スペース。木の扉たちと白い壁紙がいいコントラスト。

日光がさんさんと降りそそぐ。木と太陽を味方にした住宅だ。

「産地によって、木のつくり方は違いますが、いい年輪にするのは簡単ではありません。
年輪が詰まっているということは、目が詰まっているということで、強度があります。
栄養を与えるとどんどん生長しますが、
大きいけれど目が詰まっていない弱い木が育ってしまいます。
だから、絶対的な期間が必要なのです」と言うのは、工務課の佐藤周平さん。

木は建材として使えるまで育つのに、何十年もかかる。
それをむりやり生長させようとすると、無理が生じる。
しかも、自分たちがすぐに育てて使えるわけではない。

「うちでは構造材はおもに50〜60年の木を使用していますが、
それは上の世代が植えたものです。
そしていま植林している木も、使うのは僕たちではなく次世代。
そういったことも考えて植林から一貫している山長商店さんは、
信用できるんです」(佐藤さん)

夫の説得

家族という、最大の協力者にして一番のハードル

新しいことを始めるとき、超えなければならない一番のハードル。
それは、夫を説得することだ。
エコビレッジづくりに家族の協力は欠かせない。
昨年くらいから、こんな場所ができたらいいなあというわたしの考えは話してあって、
まあ、ゆくゆくはいいんじゃない? という反応だった。
この「ゆくゆくは」という話が、いきなり現実味を帯びてきた事件のひとつが、
この連載を始めたことだった(自分を追い込み、本格始動!)。

あるとき、わが家の荷物置き場になっている2階をリノベーションして、
ゲストを迎えられる場所にしたいと話したことがあった。
「この家には、お金をかけてもしかたない。2階に人なんか住めない!」
想像通りの反応。
このリノベーションが、みんなで暮らすという
エコビレッジづくりの第一歩(連載のネタにもなるしね)と考えていたが、
それを話すのも早計と思わせるほどのかたくなさだった。
こんなときは、たいてい時間を置くのが吉と出るが、家族の了解も得られないまま、
エコビレッジづくり奮闘記の連載をやっていいのか? と不安もよぎる。
なので、夫の機嫌のよいときを見計らって、
「マガジンハウスの『コロカル』というサイトで、
北海道のことを書く連載が決まったよ」とだけ、伝えておいた。

エコビレッジづくりの土地を探し中。山を買っちゃう?

もともとアパートで4棟に分かれていたところに住んでいる。2階に行くのは外階段なのでゲストハウス向き。ただし、床はビー玉が転がるほど傾いている。

さて、ではどうやって説得する?
そんなことを考えていたとき、わが家に東京から友人がやってきた。
夫が東京で大学浪人をしている頃からのつきあいで、久々の再会に上機嫌!
そして、このあたりを案内する車中で、「これからやりたいこと」の話になった。
「エコビレッジをつくりたいと思っているんだ。目標は東京オリンピック前まで!」
そんな話の勢いで、
「でも、もっと早まるかも。
だって、『コロカル』というサイトでエコビレッジづくりの連載も始めるの!!」
車は、岩見沢から長沼へと向かうまっすぐな道を疾走する。
さわやかな風が吹き抜けるなかを運転する夫は無反応だった。

なかなか手ごわい相手……。

夏休み、自然のなかで思いっきり遊ぶ

山道を抜けて、滝で水遊び

暑い暑いと言っていた今年の夏ももう終わりなんだなと感じるここ数日。
お盆が過ぎ、ひと雨ごとに空気が冷やされ、緑だった田んぼも
いつしか黄色に変わり始め、あちこちで稲刈りが始まっています。

それにしても今年の夏は暑かった。
毎年言っているような気もしますが(笑)。
7月後半から8月上旬にかけてはほとんど雨もふらず、毎日毎日まさにカンカン照り!
そんな暑いお休みの日、家にいても暑いしこれは水浴びにいくしかないと、
ずっと気になっていた〈鳴滝(なるたき)〉に行くことに。

ずっと行きたかった鳴滝。小豆島にこんな滝があるなんてちょっと前まで知らなかった。

滝のすぐ横には鳴滝山の不動明王像。

鳴滝は、小豆島の北側の小海(おみ)地区にある滝。
小豆島って小さな日本みたいで、島の南側にお店や観光地が集まっていて、
北側には小さな集落が点々とあります。
太平洋側と日本海側といった感じ。
ちなみに私たちが暮らしているのは、島の真ん中の肥土山(ひとやま)という場所。
あまり北側に行くことがないのですが、久しぶりに北側の海岸線を走ると、
いつもと違う雰囲気でなんだかすごく遠くに来た気持ちになります。
緑と青が濃くて、そこに家や小さな商店がぽつぽつとあって。

小海もそんな集落のひとつ。
海岸線の道から山道へ入っていきます。
途中、野生の猿とすれ違ったりしながら、登ること約10分。
あっというまに集落を見下ろす山の上へ。

車で少し登ると、集落と海を見下ろす山の上に。

こんなところに滝があるのかなぁと思いつつ、
車を降りて森のなかのトンネルを歩いて行くと、水発見!

森のなかのトンネルを歩いて行く。

トンネルの先には川が。

関西最大の木桶で育んだ オーガニック醤油を輸出 兵庫県多可町・足立醸造

消費者の要望から無添加で造ることに

醤油を仕込む“木桶”の大きさは30石が多い。
30石の容量は約5400リットルで、約4000リットルの醤油ができ、
その桶は高さと直径が約2メートルもあるので“大桶”とも呼ばれる。
しかし、足立醸造にそびえ立つ木桶はなんと120石と4倍もある。
醤油屋も驚く大きさだけれど、その桶はいたって真面目な、
「醤油屋として勝負をする」という実直な姿勢がかたちになったもの。
足立醸造はこの120石の桶7本すべてにオーガニックの原料を仕込み、海外に出す。

足立醸造が位置するのは兵庫県奥播州。
緑豊かで、仕込み水にも使うこの土地の水は
江戸時代に播磨十水のひとつとして愛飲されていました。

足立醸造はすべて丸大豆を使い、木桶に仕込みます。
「材料以上のものは造れないからね」と、
有機やオーガニックの材料も積極的に使います。

100年余り使い続けている15~30石の木桶で、国内向けの醤油を仕込む。奥に見えるのは2012年に導入した120石の木桶。

醤油をゆっくりと搾り出す。

しかし、3代目の足立達明さんが蔵に入った頃は違いました。
「脱脂加工大豆を使い、アミノ酸液などが入った醤油を使っていました。
手塩にかけて造っても価格が叩かれるうえに、余ったら着払いで返品されるんです」
そんな状況に頭を抱え、やるせない気持ちが募っていました。

そんなとき、神戸の消費者団体から声がかかって一転します。
「出された条件は木桶仕みの有機国産丸大豆醤油を無添加で造ることでした。
僕は日本酒が好きなのですが、アルコールを添加したものではなく、
純米酒が好きなので、この条件に深く共感したんです」
そして木桶に有機の国産丸大豆を仕込み、無添加で販売する態勢へと進化しました。
「いまではいい人間関係のなかで造れていて、やりがいがあります。
醤油も買い取りですし、真っ当な勝負がかけれるようになりました。
こうした気持ちのこもった仕事ができるのはいいですね」
と、足立社長は感慨深く話します。

直売所。醤油のほか、足立さんお勧めのお酒や食材を販売している。

〈森びとの会〉 国産の木材を愛する 家づくり集団

自然素材住宅のため、思いをひとつに

葉山に建築中の、ある立派な戸建て住宅。国産木材で建てられている。
建築士は地元・鎌倉にアトリエを構える日影良孝さん。
施工会社は東京の〈エコロジーライフ花〉。
使用している木材は宮城の〈くりこま木材〉。
実はこの3者は、〈森びとの会〉を結成しているおなじみの仲間だ。

森びとの会は、現在5社が集まり、
国産材を中心に、自然素材の家づくりを目指す集団。
思いをひとつにする工務店が集まり、1社ではできないことも、協力して行っていく。
日影さんはオブザーバーを務めている。

「ひとつの工務店で得られる知識量は、
たとえ積極的に勉強をしていたとしても限られます。
しかし何社か集まって、講師を呼んでセミナーを催したりすることで、
より情報を得られます。例えば、この木造2階建てを建てるとき。
通常は耐震対策としては合板を使いますが、
“それを使わずに無垢材を利用したいときは、どうすればベストか”。
構造の大家に聞きに行き、大学で実験もしました」と教えてくれたのは、
自身も一級建築士であるエコロジーライフ花の直井徹男さん。

「同じ方向性の考え方を持っている者同士で、宣伝して、信用力を高めていきたい」と、
くりこま木材の大場隆博さんも言う。

通常の合板ではなく、無垢材でも斜めにすることで、耐震性を高められる。

(左から)エコロジーライフ花の直井徹男さん、建築士の日影良孝さん、くりこま木材の大場隆博さん。

自然素材の家を建てることが山の活性化へ

エコロジーライフ花の直井さんは、
自然素材へのこだわりを「起業してからのポリシー」だと語る。
「昔ながらの素材を使うことを心がけていきたいと願って会社を始めたけど、
当初は材料が手に入らないし、職人もおらず、しんどかったですね。
町場の材木屋さんに行っても、商社から買った外材のオンパレード。
自ら山にも行ったけど、まだ閉鎖的な社会で、国産材は出てきませんでした。
そんなとき、大場さんに出会い、オール国産材という夢が叶いました」

10数年前、大場さんに宮城県の栗駒の森を見せてもらったという。
光の射す森もあるが、薄暗い森が多い。下草も映えておらず、細い木ばかり。
森の問題点をまざまざと見せつけられた。
もちろん大場さんの思いは、そんな森を改善していくこと。
いまのままでは、日本にとっても海外にとってもいいことはない。

「外材は、途上国で乱獲されている木材が多い。
つまり私たちはほかの国の森を荒らしているんです。
しかも、国内の森も手入れをしないので、荒らしている。
だから、自分たちの森に手を入れてきれいにすることで、
他人の森を荒らさないようにしたいと思いました」(大場さん)

どちらにとっても、よくない負のスパイラル。
そしてまさに目の前にあるのは、荒れた森。これを放置するわけにはいかない。

「荒らした森の木を、誰かが使わないといけません。
そうしないと、次世代にいい森を残せるわけがない。
なんとか建築材として利用していきたい」(大場さん)

木の香りがすがすがしい建築中の家から。各所のこだわりを説明してくれた。

そうした山側の気持ちをくんだ仕事を、日影さんも心がけている。
日影さんは、山に行って、森を見て、木を見て、丸太を見ないと図面を書けないという。
それはすべてが顔の見える関係ということ。

「大場さんに、建て主と会ってもらうことはとても重要なんです。
木を準備する人も、建て主の顔を思い描いて仕事できる。
これができるのとできないのとでは、大きな違いです」(日影さん)

「誰かわからないのと、あの人だ! って顔が思い浮かぶのとでは、
モチベーションが全然違います。
逆に、建て主もどこの木材を使っているか、理解につながる。
それは知らないうちに宮城の森を守っていることになるんです。
僕たちみたいな小さな工場が各地にたくさんあれば、
森の活性化につながると思います」(大場さん)

通常は隠れてしまう壁の中。構造的な特徴である登り梁は、大きな屋根でひさしを深く出すため。

森のようちえんの日々

自分の目で見つけて、採って、食べる

5月から、娘が森のようちえんに通う日々が始まった。

毎日の持ち物は、お弁当、水筒、着替え、バンダナ、熊鈴とホイッスル。
服装は、1年を通して長袖、長ズボン、帽子、長靴。
蛇や蜂などの虫から身を守るためだ。

入園グッズの熊鈴、ホイッスル、バンダナ。バンダナは帽子、包帯、タオル代わりにもなる。

集合場所は、宿場町のまち並みを残す〈智頭宿〉の通り沿い、
以前は醤油屋さんがあった空き地。
ここから園バスに乗り、その日に活動するフィールドに向かう。

9時前後にゆるゆると皆が集まり始め、バスが出発する
9時半頃までの間もまた、子どもたちのおたのしみ時間。
初夏、クサイチゴの季節は、皆、登園するなり、
赤くなったばかりのイチゴを競うように採って食べ、用水路では、
サワガニや蛙、カワニナ(蛍の幼虫の餌になる巻貝)などを見つけるのに夢中。
草むらでは、バッタやてんとう虫、ダンゴムシを捕まえたり、
野花をつんで花束をつくったり。
梅雨に入るとカタツムリ、またオニヤンマのヤゴなども見つけられて、
まちなかの空き地という限られた空間の中にも、自然の生き物たちがいっぱいだ。

クサイチゴの赤い実を必死で探す子どもたち。

カニやカエル、カワニナなどを探すため、用水路に入りびたり。

用水路でみつけた小さなサワガニ。

石垣に登ってカタツムリを捕まえたところ。

入園して間もない5月、娘がお山から藤の花を持ち帰ってきた。
その頃は、山のあちこちを藤が美しく彩っていて、
「花を天ぷらにするとおいしい」という話を聞き、
食べてみたいなぁと思っていたところだった。
さっそくその日の晩ごはんに、天ぷらにしていただいた。
食感はサクサク、ひらひら、食べたときにほんのり藤の香りがひろがった。

娘が山から持ち帰った藤の花。

真夏の女木島で、食と音楽のイベントEATBEAT!

料理を見る、食べる、そして“聞く”

去年小豆島でも開催された、食 × 音楽のライブパフォーマンスイベント〈EATBEAT!〉。
8月上旬の暑い暑い日曜日、小豆島と同じく瀬戸内海に浮かぶ島、
女木(めぎ)島で開催されました。

女木島は、高松港から赤と白のかわいいフェリー〈めおん号〉で20分ほどで行ける島。
小豆島からは高松で船を乗り継いで行きます。
高松港について船を乗り換えようとしたらすごい行列が!
何事かと思い近づいてみると、なんと女木島行きの
フェリーのチケット売り場に列ができていました。
浮き輪を持っていたり、見るからに海水浴に行く感じの人々。
あとから聞いてわかったのですが、この時期女木島は海水浴客でとても賑わうそうです。

高松、女木島、男木島をつなぐめおん号。

海水浴客でいっぱいのフェリー。通路まで人が溢れてました。

ザ・夏! 女木島のビーチ。

なんとかフェリーに乗れ、いざ女木島へ。
海水浴客にまぎれて、今回のEATBEAT! の会場であるBeach Apartへ。
その名の通り、会場の目の前はビーチ!
抜群のロケーションで、イベントスタートです。

今回のEATBEAT! の会場は、女木島のBeach Apart。目の前が海!

テラスに腰かけて、海を見ながら過ごせる場所。

クラフトビールやおいしい飲み物を出してくれたのは、高松のBotanical Beverage Worksさん。

EATBEAT! は、料理を見る、食べるに加えて“聞く”を楽しむイベント。
料理開拓人の堀田裕介さんが調理する音を、
チョークボーイとしても有名な音楽家のヘンリーワークさんが収集し、
その音でつくりあげた音楽を楽しみながら料理も楽しむ、そんなイベント。
食材を切る音、野菜をかじる音、スープをすする音、飲み物を注ぐ音、
食に関するひとつひとつの音をこんなにも意識したのは初めてでした。

EATBEAT! のふたり。EAT担当の堀田裕介さん(写真左)とBEAT担当のヘンリーワークさん(写真右)。

コリンキー(かぼちゃ)を切る音を収集中。

集めた音でひとつの音楽をつくっていきます。