colocal コロカル マガジンハウス Local Network Magazine

連載の一覧 記事の検索・都道府県ごとの一覧
記事のカテゴリー

連載

川俣正 三笠プロジェクト

ローカルアートレポート
vol.058

posted:2015.9.4   from:北海道三笠市  genre:アート・デザイン・建築

〈 この連載・企画は… 〉  各地で開催される展覧会やアートイベントから、
地域と結びついた作品や作家にスポットを当て、その活動をレポート。

writer profile

Michiko Kurushima

來嶋路子

くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/

credit

撮影:露口啓二(メイン写真)

秘密結社のように密やかに進むプロジェクト

北海道のほぼ中央に位置する三笠市で、
現代美術家・川俣正さんが進めている長期のアートプロジェクトがある。
〈三笠プロジェクト〉は、川俣さんによると「秘密結社のような」活動だという。
会員しか見ることのできない、閉じられたプロジェクトのため、
その全貌はほとんど知られていない。
今夏、このプロジェクトが開催した会員限定の現代美術講座を通じて、
ベールに包まれたこのプロジェクトの姿をリポートしてみたい。

そもそものはじまりは、2008年になる。
この年、北海道における新しいアートプロジェクトを模索していた川俣さんは、
出身地である三笠市で講座やワークショップを行った。
以降、毎年のようにこの地を訪れ、リサーチやディスカッションを重ね、
2011年に、これらの活動を「北海道インプログレス(現在進行形)」と名づけた。
その拠点として、翌年、三笠市内の閉校となった小学校で制作を開始したのが、
この〈三笠プロジェクト〉である。

旧美園小学校の体育館にて、2012年夏に制作が始まった。

モチーフとなったのは、かつてこの地にあった炭鉱街の風景だ。まずは柱や梁を立て、骨組みがつくられていく。

「会員のほとんどは、僕の同級生です。
助成金などはもらわず、会費を募って運営をしています。
このプロジェクトでは、このようなコミュニティをつくることに興味がある。
毎年みんなに会って、元気だなとか、お前まだ生きているなという
確認をするんです(笑)」

川俣さんの高校時代の同級生たちが中心となってつくった団体〈三笠ふれんず〉は、
プロジェクトの運営とともに、制作のサポートも行っている。
加えて、制作には北海道教育大学と室蘭工業大学の学生、
コールマイン研究室(炭鉱をテーマに活動するクリエイター・アーティスト集団)らの
メンバーも参加。
2012年から3年の間に計4回、それぞれ1週間ほどの期間を使って制作が進められた。

2013年の制作風景。骨組みができたらダンボールや合板などで、炭鉱街の地形を表現していく。

川俣さん自身も住んでいたという炭鉱住宅を厚紙で再現。1500個が設置された。

次のページ
地元の焼き鳥屋で“現代美術講座”!?

Page 2

焼き鳥の煙と熱気が立ちこめる現代美術講座

2014年に作品は完成したが、今年もプロジェクトは進行中だ。
次なる作品制作のリサーチが始まるとともに、
これまでのプロジェクトの記録をまとめたカタログが刊行される運びとなった。
そして、7月7日、パリ在住の川俣さんも駆けつけ、
会員限定のサイン会と現代美術講座が、三笠市に隣接する岩見沢で行われた。

講座の会場は、駅前の片隅にある地元民の憩いの酒場〈三船〉。
焼き鳥を焼く炭火の臭いが漂う店内での現代美術講座は、
その始まりからヒートアップし、60代の男女30名ほどの笑い声が響いていた。
かなりの喧噪のなかで、
「おい川俣! 現代美術講座始めるぞー!!」という声とともに、
川俣さんがポータブルのプロジェクターで映像を見せながら講座がスタート。
「60歳を過ぎると、何かに興奮することってないだろ? 
パリにいても展覧会をほとんど見ないんだよ、俺は。
そんななかでも、おもしろいと思ったものを見せる」
そう川俣さんが言うと、「それなら北海道に住め!」
「いまでも、私は興奮するものがあるわ!」という声が即座に返ってきた。

焼き鳥屋〈三船〉に川俣さんの高校の同級生が集まり、同窓会のような雰囲気に。サインを求める人も。

講座を聞きながら、人気メニューかしわ鍋をいただく。鳥モツがたっぷり入って、濃厚なだし汁もおいしい。

プロジェクターに映し出されたのは、川俣さんが興味を持ったという
建築物のスクラップやアーティストの作品だった。
それはドバイやシンガポールに建てられた特徴的なビルだったり、
グランドキャニオンに設置された谷底を見下ろすスカイウォークだったり、
あっと驚くような形やシチュエーションのおもしろさがあるものばかり。
また、注目するアーティストのひとりとして、
川俣さんが西野達さんの作品をこんなふうに紹介した。

「こうやって意味のないことをしてもいいんだよ。
こういうやつがいるってことがおもしろいだろ!」
すると同級生たちから、
「これはおもしろい」「三笠に呼びたい」など、率直な反応が返ってくる。
そして、どんどん熱を帯びて、ついには川俣さんに絡む(?)同級生も。

川俣さんが、この日紹介したアーティストのひとり、西野達。写真は、2011年のシンガポールビエンナーレに出展した作品《マーライオン・ホテル》。マーライオンを包み込むように建造物を立て、中をホテルにして宿泊できるようにした。
Tatzu Nishi The Merlion Hotel 2011 Marina Bay, Singapore ©Tatzu Nishi, Courtesy of ARATANIURANO Photo : Yusuke Hattori

プロジェクトについて本音で語り、楽しむ、
この三笠ふれんずの熱意はどこからくるのだろうか。
川俣さんと同級生だったというつながりはもちろんあるが、
それだけではない何かがあるように感じられた。
その何かとは、インスタレーションのモチーフとなったものが、
同級生たちの原風景と大きく関わっていることがあげられるだろう。

三笠市は、いまでこそ人口が1万人を割り込むようになったが、
かつては北海道の石炭と鉄道発祥の地として栄えた歴史を持つ。
川俣さんの父親も炭鉱で働いており、このインスタレーションは
自身が幼少時代に目にしていた炭鉱街の景色と重なる。
さらに、プロジェクトのカタログに掲載された会員たちのコメントを読んでいくと、
川俣さんを“サポート”するのではなくて、“自分自身のこと”として
制作に関わっていることがわかってくる。

「三笠に行き、初めて廃校の体育館で制作中の、ボタ山と薄暗いトンネルを抜けた先の、
無数に灯る炭鉱の町を見た時、やられた! と、涙が出そうになった。
山の中に化石燃料があるが為に、人々が集落を作り、
命を預け合いながら日本経済を支えた。
その町は、新しいエネルギーが手に入ると見捨てられ、
人々から存在を忘れられながらも、この廃校の中の炭鉱の町の様に、灯を点している。
還暦を迎えたおじ様達が、子供の様に喧嘩をしたり、
じゃれ合いながら制作した故郷の原風景。
少しですが、プロジェクトに参加させて頂き感謝」(会員No.3207)

小学校の体育館で制作されたインスタレーションは巨大なものだった。
縦30メートル、横18メートル、高さが6メートルあり、
炭鉱を象徴するようなボタ山(坑内から出る岩石など積み上げた山)と、
1500棟の炭鉱住宅のある雪解けの風景が広がっていた。
そして、インスタレーションの内部には、炭鉱街の夜景が
6万個を超える光によって表された。
この光の数は三笠全盛期の人口と同じなのだという。

インスタレーションの内側につくられた夜景。コールマイン研究室の菊地拓児さんらを中心として制作された。(撮影:露口啓二)

2013年の制作は冬にも行われた。三笠市は積雪が多く、極寒の校舎の中での作業が続いた。

三笠ふれんずの会員特典として川俣さんが制作したドローイング。会員はこれまで3期募集され、延べ人数で約350名が参加した。

三笠市には炭鉱の跡地が点在する。写真は奔別炭鉱。1960年に建てられた立坑は、当時「東洋一の立坑」と呼ばれたという。

次のページ
川俣さんの考える地域プロジェクトとは

Page 3

顔の見える人たちと取り組むプロジェクトの可能性

圧倒的なスケールの作品の前に立ったとき、地元民である筆者は、
会員制のプロジェクトであっても、もっと多くの人に作品を見てほしい、
そう思わずにはいられなかった。
川俣さんといえば、各国のビエンナーレで作品を発表し、
横浜トリエンナーレの総合ディレクターを務め(2005年)、
東京都現代美術館で個展(2008年)を開催し、
現在はパリを拠点に世界で活躍を続けるアーティストだ。
しかも、作品が完成した2014年は、
坂本龍一がゲストディレクターを務めた札幌国際芸術祭が開催されており、
連携すれば多くの集客が見込めたはずと、残念に思っていた。
しかし、川俣さんの話を聞いていくうちに、
プロジェクトの成否を来場者数で判断しようとする考えが、
型にはまったものであったことに気づかされた。

「つくる側が、見る人を選んでもいいんじゃないかと思っています。
いま、いろいろなところでやっている地域アートプロジェクトの
アンチのようなスタンス」と川俣さんは語る。
たしかに、まちおこしを目論む地域のアートプロジェクトは多いが、
イベントにいくら人が集まったとしても、それは一過性の出来事でしかない。
つくり手と受け手が、いかに密にコミュニケーションをとることができるのか、
そういう視点がなければ、「地域に根ざしたアートの可能性を探ることは極めて難しい」
と川俣さんは考えているのだ。
「100パーセント地域でやっていて、広く一般的にではなく、もっと顔が見えて、
趣味もわかっているような人たちと一緒に何かをやりたいというのが
このプロジェクトなんです」

川俣さんとともにこのプロジェクトを企画し、
記録集の編集なども手がけた菊地拓児さんもこう語る。
「近年のアートプロジェクトのなかには、
誰に見せるためにつくったのかが曖昧なものも多いと思います。
このプロジェクトは、誰が主体で、誰がおもしろがっているのかがはっきりしている。
モチベーションが明確なんです」

今回行われた川俣さんの現代美術講座は、一般的にイメージされる“講座”とは、
まったく違う様相を呈していた。
ここには、現代美術はよくわからないと敬遠する人もいなければ、
小難しい批評を語る人もいない。
酒場はいつしか美術を垣根なくフラットに語り合う場となり、
この場の熱気を共有しているうちに、次第に愉快な気持ちがわき起こった。
この活気に満ちた場から、三笠プロジェクトのまた新たな展開が生まれる、
そこに立ち会えたという喜びを感じる、そんな機会となったのだった。

最後は〈三船〉の天井にサインをする川俣さん。やんちゃぶりを発揮!

三笠ふれんずのメンバー。現在、第4期の会員を募集中だ。(撮影:露口啓二)

profile

川俣正 
TADASHI KAWAMATA

北海道三笠市出身。28歳でヴェネツィア・ビエンナーレの参加アーティストに選ばれ、その後もドクメンタなど、世界的に高い評価を獲得し続け、2005年には、横浜トリエンナーレの総合ディレクターを務める。また、東京藝術大学が革新的な試みとして設置した〈先端芸術表現科〉の立ち上げに主任教授として着任。既存の美術表現の枠組みを超えていく試みを実践してきた。現在はフランス、パリ国立高等芸術学院の教授。建築や都市計画、歴史学や社会学、日常のコミュニケーション、あるいは医療にまで及ぶ分野とかかわり、海外でもっともよく知られている日本人アーティストのひとり。 三笠プロジェクトについてはこちら

information

『川俣正 北海道インプログレス 三笠プロジェクト』

発行=三笠ふれんず 定価=10,000円
三笠プロジェクトの制作過程を記録したカタログ。限定アートピースつき(詳細は非公開)。エディションナンバーとサインが入ったスリップケース入り。限定200部。カタログを購入すると「三笠ふれんず第4期」会員として登録される。

Feature  特集記事&おすすめ記事

Tags  この記事のタグ